渋谷凛「信じてたのに……最低っ!!」 (39)
そう言って凛が軽蔑するような眼差しでこちらを見る。
これまでのような、信頼するプロデューサーを見る目ではない。
まるで人間の屑でも見るかのような、どこまでも敵意の込められた瞳。
「なんだその目付きは……躾のなってない駄犬が。
お前の飼ってるペットの犬の方がまだお利口そうだな」
「なっ……」
愛犬を絡めた罵倒に、凛の顔が怒りで真っ赤になる。
そんな凛を見ながら、俺はにやにや笑いながら蔑むように言い放つ。
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「利口だって言うなら、少しは自分が置かれた状況を理解しろよ」
「くっ……」
心底悔しそうに、凛が唇を噛む。
相変わらず目付きこそきつかったが、こちらに逆らう意思は見られなかった。
「そう、それでいいんだ。お前には逆らうことなんか出来ないんだから」
俺が右手に持った封筒をひらひらと左右に揺らせば、凛の俺を見る目が一層険しくなった。
この封筒の中身が世に出れば、凛のアイドル人生はおしまいだろう。
いや、下手すれば一人の女の子としても終わりかもしれない。
そう、だから凛が俺に逆らうことなど出来ないのだ。
俺は絶対的な優越感を持ちながら、凛へと一歩近づく。
それに合わせるように、一歩後ろに下がる凛。
「く、くくっ……」
忍び笑いに、自分を嘲る響きを感じたのだろう。
怒りと悔しさにますます凛の表情が歪む。
そんな凛に対して、俺は決定的な言葉を言い放つ。
「今日からお前は……」
続く言葉は、間違いなく凛を絶望のどん底に叩き落とすことになるだろう。
そんな様子が楽しみで俺は下卑た笑みが浮かぶのを抑えられない。
「この俺の命令に黙って従うだけの――――」
「めしゅ、雌犬なんだよっ!」
「…………」
「…………」
室内に痛々しい沈黙が流れる。
――ああ、やってしまった。
顔を上げていられなくて、思わず俯いてしまう。
凛からの反応はない。怖いくらいに静かだ。
しかし、下を向いたままでも、前方から鋭い視線を投げかけられているのが分かる。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
「はぁ……」
ややあって、凛が心底ガッカリするような溜息を漏らした。
そんな溜息に居た堪れなくなる。
「そこはチャプター3でも特に肝心な台詞でしょ?
しっかりしてよプロデューサー」
「……すまん」
呆れたような態度の凛に、俺は俯いたまま謝った。
「そんな調子じゃ先が思いやられるよ……。
プロデューサー、分かってる? まだ台本は前半も終わってないんだよ?」
そう言って差し出された凛お手製の台本に目を通す。
ページ的にはちょうど半分より少し手前くらいといったところだろうか。
P【この俺の命令に黙って従うだけの、雌犬なんだよっ!】
下卑た笑みを浮かべて言い放つプロデューサー。絶望した表情になる私。
プロデューサーが私の方へ近付いてくる。
私【来ないで……来ないでよ……】
必死で強がるも私には不安が見え隠れ。プロデューサーはにやにや。
壁まで追いつめられる私。プロデューサーが壁ドンした後に私の髪を掴む。
P【ふーん、これが凛の髪の香りか。悪くないな】
プロデューサー、私の髪を掴んでくんかくんか。
私【気持ち悪いっ……やめてよ……】
せめて言葉だけでも抵抗する私。しかし恐怖で声は震えている。
それを見てますます興奮するプロデューサー。
※吐息も荒くなるくらい迫真の演技でお願い
髪から手を離すと今度は私の唇を執拗に指で撫でる。
本能的にキスされるのだと気付く私。
私【そ、それだけはいやっ……やめて。わ、私、キスはまだ……】
ファーストキスだけは守りたくて必死で懇願する。
しかしそれはプロデューサーをますます興奮させる結果に。
P【うるせえな、お前の初めては全て俺のものだ】
プロデューサー、激しく首を振って抵抗する私の唇に無理矢理キs――
あんまりな内容に目の前が真っ暗になる。
そんな俺の様子に気が付いたのか、凛が口を開く。
「総選挙一位になれたら、何でも言うこと一つ聞いてくれるって言ったのは誰だっけ?」
「…………」
「プロデューサーだよね?」
「……はい」
「最初の台本をプロデューサーが断固拒否って言うから、わざわざ15禁くらいの内容に書き換えたんだよ?」
「15……禁……?」
「なに? 完全に15禁でしょ? キスだって実際にはしない訳だし……。
この台本も駄目って言うなら、やっぱり最初の台本で――」
その言葉に俺は必死で首を振る。それを見て凛が残念そうな顔をした。
そうだ、最初のと比べたら大したことない。15禁だって凛も言ってるし……うん。
それに凛はトップアイドルになろうとずっと頑張ってきたんだ。
これまで少しも文句も言わずに。
たかが一度のわがままくらい聞いてあげるべきだ。
そんな風に自分に言い聞かせながら、凛と出会ったばかりの頃を思い出す。
少し無愛想だったけど、人一倍の努力家。見た目の印象とは違って真面目。
期待をされれば、それに応えようと努力する。そして誉めれば、素直に喜んでくれる。
バレンタインデー、クリスマス、そして誕生日……。
少しだけ照れ臭そうに、わざわざ心の籠った贈り物をしてくれて。
俺の「ありがとう」という言葉に、まるで自分がプレゼントを受け取ったみたいに幸せそうに笑う凛。
そんな、最愛のアイドル。
――それが、いつの間にこんなことになってしまったのか……。
長い付き合いから、考え込む素振りを見て時間が掛かりそうだと思ったのか。
凛は冷蔵庫へと足を運ぶと、真っ赤な外装に薄い白の星マークが入った缶飲料を取り出して喉を潤していた。
そういえば、最近よくあの缶飲料を飲んでいるところを見かける気がする。
俺も以前、ちひろさんから薦められて少し飲んだことがあるけど、余り口に合わなくてそれっきりだった。
ふとそんなことを思い出す。すると、ちょうど凛は飲み終えて、こちらに戻ってくるところだった。
今更考えても仕方がない。俺は気持ちを切り替える。
「そうだな、凛はちゃんとシンデレラガールになったんだもんな。俺も、約束は守らないと」
「ふふっ、うん。それでこそ私のプロデューサー、かな」
嬉しそうに、凛が笑った。
「じゃあ、最初からやり直しだね」
「……え? 噛んだところからじゃ」
「大事なシーンで噛んじゃったり、或いは台詞忘れたから台本読み直す時間下さいとか……。
たとえば仮にこれが実際の芝居だったとして、そんなの有り得ないよ。見に来てくれるお客さんに失礼だよ」
とてもプロ意識のある言葉だった。こういうところは、真面目な凛のイメージ通りで。
こんな状況にも関わらず。いや、こんな状況だからこそ、か。
それが嬉しくて、思わず笑みが零れる。そんな俺を、不思議そうな顔で見返してくる凛。
「なに、いきなり笑ったりして……。ふふっ、変なプロデューサー」
「いや、何でもない。そうだな、凛の言う通りだ。よし、最初からやるか」
そう宣言して、改めて気合いを入れようとする。そんな時……。
ふと、凛が飲み終えた空の缶が視界に入ってきた。
そういえば、少し俺も喉が渇いたかも知れない。
「それ、一本貰ってもいいか?」
「別にいいけど……プロデューサー、嫌いじゃなかった?」
「そうなんだけど、喉も渇いたし……。あと気合いを入れたくて」
そう言うと、凛は嬉しそうに微笑んだ。
「どうした? 急に微笑んだりして」
「ふふっ、別に何でもない」
先程とは立場が逆の、似たようなやり取り。
凛は冷蔵庫へと歩いていき、中から同じものを取り出そうとして……。
一瞬、まるで逡巡するように動きが止まった。
かと思えば、先ほど伸ばしかけていたのとは違う、奥の方へと手を伸ばす。
そして戻ってきた凛の手には、全く同じデザインの缶飲料。
ただ唯一の違いとして、赤色ではなく金色だった。
「…………こっちの方が効くと思うから」
疑問に思っている俺に気付いたのだろう。
凛はそう説明すると、プルタブに指を掛けてわざわざ開けてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
凛から受け取って一気に飲み干す。そんな俺を、凛はじっと見つめていた。
……何だか、力が湧いてくる。
ただの気分的なものじゃなく、身体中が実際にそんな感じ。
やる気というか、何かそういう色々な物がみなぎってくる。
それと同時に、限界とか不安とか。他にも色々と何かが取っ払われたような。
どこまでも走っていける。俺は完走できる。
完全に燃え尽きて地に倒れ伏せても、何度でも起き上がれそう。
最低でも10回くらいは。そんな炎のエネルギーが胸の中で燃え盛っている。
気分はまるでフェスティバル。
最早、自分でも何言ってるのかさっぱり訳が分からないけれど。
とにかく、今の自分なら、どんなことでも乗り越えていけそうだった。
次は、一度もミスせずに完璧に演技をこなせるだろう。
そんな、根拠のない、けれど確信を持てる無限大の自信。
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