速水奏「ゆらゆら揺れて、夢のようで」 (27)
速水奏さんが渋谷凛さんの頭をなでなでするやつです。
・短編
・地の文
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ねぇ、クロノスタシスって知ってる?
凛がそう言ったから、私は手元でコンビニのレジ袋を少し揺らして、知らないと答えた。
街灯にはバタバタと蛾やコガネムシが集っていて、私たちは大きく迂回することにした。
女の子ですもの、虫は得意ではない。
それでも街灯の光が揺れるのに合わせて、凛の髪が左右に揺れるのに見惚れた私がいた。
磨いたグラファイトのように光る彼女のストレートヘアは、触れたらどんな感触なんだろう。
私がロングだった頃はどんな風だったか、もう記憶が曖昧になっている。
きっと凛ほど綺麗じゃなかったはずで、肩の上あたりで揺れた襟足が、今は気に入っている。
あたりはとっくに真っ暗。
最近は日も長くなってきたけれど、凛と待ち合わせるのはいつも日が落ちてからだった。
今日もいつも通り、月が追いかけてくるのを知らんぷりして家に帰る。
この前借りたB級映画は久々の当たりだったから、それの続編を私の右手はぶら下げていた。
「奏の家、そろそろだっけ」
「そろそろね」
最近、凛は私の家にたまに泊まりに来るようになった。
それは例えば大きなライブのあとであったり、遠くへのロケの直後であったりして、今回は後者だった。
「どうして奈緒や加蓮の家じゃないの?」
そう何度か聞いたことはあるけれど、そういうとき決まって彼女はバツの悪い顔をして、カフェオレを飲んだ。
だから私も、そのうち聞くのをやめた。
左に曲がればもうすぐ、白い壁のマンションが見える。
さして会話もない、いつも通りのコンビニからの帰り道。
マンションに入ってもそれは変わらなくて、エレベーターの電灯がちらついていたことを軽い会話の種にしたくらいだった。
玄関を開けたら、家主よりも先に彼女が靴を脱ぎ始めるのも、もう見慣れた光景だ。
私は少し前から、一人暮らしをしていた。
―――――
リビングについてすぐ、凛はすぐにソファ代わりのベッドに腰掛けた。
私が飲み物の準備をしている間、彼女はのんびりとファッション誌のページをめくっている。
マイペースに、なんなら小さくあくびをするのも見えて、どこか猫に似ていた。
いつもの強い凛は、どこに行ったんだろう。
ステージの上のダイヤモンドみたいな凛とギャップがあって、泊まりに来るたびにそれを不思議に思う。
「それで、今回のロケはどこに行ったの?」
「札幌だよ。向こうではようやく桜が咲き始めたんだって」
私がインスタントのコーヒーにたっぷりミルクを入れたら、それを見て凛はちょっぴり饒舌になる。
北海道ではまだまだスキーができることだとか。
お土産として買ったチョコレートを少しだけ食べてしまったことだとか。
「奏も最近忙しそうだよね」
「凛ほどじゃないけれど、それなりにね」
「映画、見たよ。ラストシーンのドレス……すごく似合ってた。キラキラしてた」
「ふふっ、ありがと。嬉しいわ」
実際プロデューサーとも監督とも、何度も打ち合わせて決めたドレスだ。
似合ってくれないと困るくらい。
黒いウェディングドレスなんて私らしいでしょ?
そう冗談めかして言ったら、「ピンクだとかよりはずっと奏らしい」と凛は笑った。
「それでも、夢は白いドレスだよね」
「まぁ、そうよね。女の子だもの」
「私もウェディングドレス着てみたい」
「凛は誰に見せるのかしら?」
「もう!」
こんなふうに、凛が泊まりに来るときは必ず仕事の話から始めることにしている。
というか、そこから始めないと凛が次第にむすっとしだす。
初めて泊まりに来たときにそれを知って、それからは決まりごとになっていた。
不機嫌な凛をからかうのもきっと楽しいけれど、それをするよりは今のような関係の方が楽な気がする。
お互いの知らないことを話すのは楽しかったし、子どもっぽく笑う凛は珍しいから。
「凛はいつか、私と一緒にステージに立ちたいって思う?」
「……思わないかな」
「やっぱり」
それで仕事の話は終わりになった。
そのあと凛はずっとモード系のファッション誌を読んでいて、手持ち無沙汰の私はオーディオの再生ボタンを押した。
お互い好き勝手していて、凛はたぶん、その時間が好きなんだろう。オーディオからはピアノの音が聞こえた。
「この曲誰の歌なの?」
「シガーロスってバンドよ。ほら、映画でも使われてたでしょ」
「ふぅん、だから聞いたことあったんだ。好きだな、この曲」
間接照明を点けて、リビングのシーリングライトを消したら、部屋が一気に暗くなる。
凛の隣に腰掛ければ、白い壁に二人分の影がぼんやり浮かび上がって、私はこの時間が好きだった。
光の中で、凛の影がゆらゆら揺れる。グラファイトのように輝いてるように見えて、そういえばグラファイトって、とっても脆いんだった。
触れたら崩れてしまうんだろうか。
「ねぇ、触っていい?」
「後でね」
「いけず」
凛はこてんと私の肩に頭を乗せる。
高い体温が伝わってきて、やっぱり猫みたいだと思った。
ふふっ、って笑ってしまって、彼女からはジト目が飛んできたけれど、でも犬を飼っている凛が「猫みたいだ」なんて、可笑しいって思わない?
甘え下手の野良猫によく似てる。
狭苦しいワンルームに連れ込んだのは誰だっけ。
―――――
それから私たちはそれぞれシャワーを浴びて、またベッドの上に並んで座った。
寝巻き代わりの黒猫の着ぐるみを着て、凛は口を尖らせている。
凛がシャワーを浴びている間に、私が用意したやつだった。
「なんで奏がこんな服持ってるのさ……」
「いいじゃない。似合ってるんだし」
「どこで売ってるの、こんなの」
「さぁ? この間フレちゃんが新品を置いていったのよ」
「フレデリカが?」
「仁奈ちゃんと一緒に買ったって言ってたわ」
「あぁ……」
ちなみに私も鳥の着ぐるみを着ている。
フードには飾り羽が付いていて、なんていう鳥かフレちゃんに聞いたら「ミミズクだよ!」だそうで。
「ミミズクなんて、奏にはぴったりだよね」
「夜のハンター、なんてね」
「ハンターっていうわりには結構臆病なところとか」
「ちょっと」
「ふふ、冗談だよ」
カチコチ時計が鳴っている。もうすぐ十二時だった。
普通の女子高生のお泊まり会だったら、ここからが本番だったりするのかもしれない。
でも、私たちの夜会は、だいたい日付が変わる頃にはお開きになる。
今日も大きなロケが終わってそのまま来たんだろうか。凛は眠そうな目を擦った。
ダメじゃない。赤くなっちゃうわよ。
「奏って、お姉ちゃんみたい」
「あら、そう? じゃあ凛は手のかかる妹ね」
「面倒くさいってこと? 失礼しちゃうな」
「ふふっ! そうかもね。少し大人ぶっちゃったかも」
「あれ、大人っぽいって言われるの苦手じゃなかったっけ」
「凛にならいいのよ。実際、私の方がお姉さんだもの」
私たちはむぐむぐベッドに潜る。
彼女が口元まですっぽりタオルケットをかぶったら、三センチだけ背の低い私はつま先が冷えてしまう。
少し丸まれば、ベッドの上は私たちでいっぱいになった。
大きめのベッドを買って良かったな。
時計の音。
タオルケットの中はとても静かだった。
凛との夜の会話、時計の針はもうすぐ十二時を指している。
「奏はさ」
「なぁに?」
「どうしてあの日、私を泊めたの?」
「今さら聞くなんて、どういう風の吹き回し?」
「はぐらかさないで教えてよ」
―――――
凛を最初に泊めたのは、たしか十二月の雪の降った日だった。
レイトショーを見た帰り道、コンビニの前で大げさなくらいマフラーを巻いた凛を見つけた。
寒さで顔を赤くした凛に声をかけたのは私の方だった。
その日も凛は、街灯の下でゆらゆら影を作っていたっけ。
「どうしたの、こんな時間に。もう十時よ」
私がそう言ったら、いきなり「奏の家に泊めて」なんて答えるものだから面食らったけれど、結局二人で一緒に帰った。
次の日、凛は私の家からそのまま学校に向かって。
桜が散って、木々が緑色になった今も、こうして彼女は私の横にいる。
「どうして凛を泊めたのか」なんて、今まで考えたこともなかったんだ。
だってあの日の凛はなにかとても疲れていたような気がして、ほっとけなかっただけ。
もしかしてこの子は私の想像以上に脆いのかもしれない。そう思ってしまったら、そばにいたくなった。
「……心配になったのよ。凛のこと」
「心配……そっか。心配してくれたんだ」
「逆に聞いていいかしら」
「なに?」
「どうして、私なの?」
凛には奈緒や加蓮、卯月、未央みたいに、たくさんの友達がいる。
その中で私を選んだのはどうして?
初めて泊めた冬の日は、偶然。でも、二度目や三度目は偶然じゃないでしょ?
そう聞いたら、やっぱり凛はバツの悪い顔をして、タオルケットに鼻先を埋める。
「偶然なんかじゃないよ」
「最初の日も?」
「私、知ってた。奏が一人暮らししてるってこと。あの時間にコンビニに寄るってことも。あの日、私は奏に会いに行ったんだよ」
ねぇ、クロノスタシスって知ってる?
また凛はそう言ったから、私は今度は「教えて?」と答える。
「時計の針が止まって見える現象のことだよ。早い眼球運動のすぐ後に時計を見ると、時計が止まって見えるんだって。奏との時間はそれに似てる。いつまでも続くんじゃないかって、そう思っちゃうんだ」
凛はまるで、血を吐くみたいに言葉を続けた。
疲れた、と彼女がぽつりとこぼしたのを聞いたら、全部納得がいった。
ああ、そうだったんだ。走り続けて、疲れちゃったのね。
キツいこと言わせちゃって、ごめんね。
凛はいつだって強くて、キラキラ輝いて、全力で走り続けられるって、てっきり私もそう思い込んでいたんだ。
私はグラファイトの髪を撫でる。
私が触れても崩れはしなかったけれど、すごくか細く感じる。
時計の針は十二時をとっくに超えて、彼女はもうダイヤモンドじゃなかった。
私の前には渋谷凛っていう、脆くて儚い女の子がいるだけだった。
「奏は、私と一緒に走ってはくれないでしょ?」
「そうね。きっと、凛とは一緒に走らない」
「だから良いんだな……落ち着くんだ。奏のいるところは」
彼女の髪に指を通せば、指の間をさらさらと流れる。
思いっきり甘えてほしかった。
野良猫に似ているところも、子供っぽいところも、彼女の弱さも知ってしまった私は、彼女の細い髪を撫でて、からだを抱きしめて、それしかできないけれど。
凛のまぶたが落ちてきたのに合わせて、私は部屋の灯りを暗くする。
夜が明けたら、凛はまた走り出すんだろう。
だから、それまでは私の隣で。
お休み、凛。
お わ り
???「奏がなでなで……ふふっ」
今回の元ネタはきのこ帝国で「クロノスタシス」でした。→ https://youtu.be/cCx4I4Fk5FE
最近書いたの→ 水本ゆかり「瞬くたびに変わるように」( 水本ゆかり「瞬くたびに変わるように」 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1455255115/) )
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