男「吾輩はニートである」(126)

吾輩はニートである。職はまだない。というか探す気もない。現在、午前5時。日本中の若者を熱狂させた大人気ソーシャルゲーム、『白猫のファンタジー』。そのランキングクエストの最終日がスタートして、はや5時間。

新しいランキングクエストがスタートして、すぐに飛びつくプレイヤーはバカだ、と思う。まるで就職活動の開始日(3月1日)を今か今かと緊張して待ち、大した志望動機もないたくさんのエントリーシートを抱える「シューカツセー」みたいではないか。奴らは闘い方を間違えている。結局は、最後の追い込みこそが大事なのだ。え? 大企業の募集は夏までで打ち切り? そんなこと、知ったこっちゃない。なんたって俺は、ニートだ。

とにかく、俺はこの、ランキングクエスト最終日、それでいて勤勉なワーカーや学生たちが入り込む余地のないこの時間に、みごとゴボウ抜きを果たし上位ランカーになってみせよう、という計画を立てたわけである。

だが、まだ慌てるような時間じゃない……のも事実。まだ朝の5時だ。部屋の中にいても肌寒い。おまけに腹も減ってきた。近くの「SARSEN」で「あげあしクン」でも買ってくるか。

そう、まだ慌てるような時間じゃない。

いざコンビニの前まで来て目に入ったのは、うんこずわりをするいかにも、といった感じの金髪の女ヤンキーであった。パンツ見えてますよ。いや、見せているのか。

見た目はどう見ても不良なのに、こんな時間にたった一人でコンビニの前でうんこずわりしている。普通、不良って深夜に集団でたむろする者ではないのか? まぁいい、俺には関係のないことだ。

軽快な入店音が、嘲笑うように俺を迎え入れる。

「あ、『あげあしクン』ひとつ」

「あげあしクン」を買って外へ出る。まだ、ヤンキー女はそこにいた。うんこずわりでパンツを見せ、動き始めた街をぼんやりと見つめている。そういえばこの女、制服を着ているではないか。このあときわめて一般的に勤勉な学生にでもなるつもりなのだろうか。あるいは――。

誰かを、何かを待っているのだろうか。

「オッサン」

少女が口を開いた。俺ではない、俺を呼んだのではないはずだ。だが無慈悲にも、少女の眼は紛れもなく俺を捉えていた。

「タバコ買ってきて」

「確かに俺はタバコを買う権利を有している。だが俺は喫煙家でもなければ、未成年であろう君に渡すつもりもない」

少女は、失望したのか、それとも初めからそんな眼だったのか、虚ろな視線を俺から外すと、

「あっそ」

と、力なく答えた。

俺はその声を覚えていた。あれは――俺が「シューカツ」において、50連敗した時の、すべてを諦めた母親の声と同じだった。

トラウマが蘇った気がした。たかがヤンキー女子高生に、俺の闇をえぐられた気がしてならなかった。

勤勉なサラリーマンが入店したのだろう、軽快な入店音が俺を嘲笑うように鳴り響いた。俺はその場から動けずにいた。この少女を、放っておいたらいけない気がした。だから俺は柄にもなく、こんなことを口走ってしまったのだ。

「何か食いたいものはないか。おごってやるぞ」

少女は再び虚ろな眼を俺に向けた。そして小さく、

「あげあしクン」、と答えた。

もう一度言おう、吾輩はニートである。

「シューカツ」という人生の難関に敗れたのは何年前だろうか。

吾輩は、ニートである。

今日はここまで
SS要素は極端に少ないがここに投下させてもらった

はむ、はむと小さく一口ずつ「あげあしクン」を口にするヤンキー女。いつも丸呑みしてしまう俺と違って、こんな奴でも女の子らしさがあるのだろうか。

大通りの交差点を、タクシーが横切った。この人の勤務は、始まりだろうか、終わりだろうか。街が、動き出す。

「オッサンさぁ、」

「何だ」

「今日仕事じゃないの」

絶望的に相性の悪い相手がある。こちらの弱点を瞬時に見抜き、完膚なきまでに叩きのめし、それでカタルシスを得ようという人間だ。この女も、そういうタチなのだろうか、少し身構えた。

「な、なんでそんなことを訊く」

「だって上着はパーカーで下は……パジャマだもん。もう6時になるのに家に帰って準備するでもないから、今日は休みなのかな、と」

6時? 6時だと!? 俺は確かに、午前5時に城を出たはずだ。それが近所のコンビニまで行って、「あげあしクン」を買い、ヤンキー女と会話する、それだけで1時間が経ってしまったというのか!

「そ、そうだよ、今日は休みだ」

自分の声が震えているのに気が付いた。

「そ、そういうお前はこんな時間にこんな格好で、学校には行かないのか」

ヤンキー女は、んー、と思案してから、俺を見据えてニッと笑った。

「普段はサボってるけどね。今日はおもしろいオッサンと出会えたから行ってみようかな」

「……意味が分からん」

「分かんないでいいよ――んしょ」

ヤンキー女はうんこずわりをやめ、スカートを少しはたくと、俺を見て笑った。昇り始めた太陽のせいだろうか、少女の眼に、光が灯っている気がした。

「『あげあしクン』ごちそうさま、オッサン」

「俺はオッサンなんて歳じゃあ――あ!」

現在、午前6時。出勤前の勤勉なワーカーが、登校前の勤勉な学生が、少しの間でもログインしてランクを伸ばしているかもしれない! こんな女に構っている場合じゃない、今すぐにでも城に帰還し、奪われたランクを取り返さなくては!

俺は横断歩道へと直進した。

「ちょ、ちょっとどこ行くの?」

少女よ、君が知る由もない血塗られた激戦地さ――そんなことを考えていたからなのだ、赤信号に気が付かなかったのは。

パパー、と軽快なクラクションが俺を嘲笑うように鳴り響いた。右を見れば、大型トラック。

ああ、そういうことか。ほら、よくあるじゃないか。何のとりえもないニートがトラックに轢かれて死んで、異世界に転生してチート能力で云々……。

生まれてこの方あまりいいことがなかった俺だが、ついにこの時がやってきたというのか。そうだ、そうに違いない!

さぁ、大型トラックよ! 俺を轢くがいい! さよならくそったれの世界! こんにちは最高のハーレム異世界! そこで俺は真の幸せを得るだろう!

その瞬間。

「危ないっ!」

女だ。女の声だ。それに呼応して、俺の異世界へのトンネルは停止する。

「ごらぁ! あぶねーだろうがどこ見てんだ!」

いかにも、という風貌のトラック運転手。

「す、すみませんでした……」

「……ったく。気を付けろよ」

運転手はそう吐き捨てると、重低音を響かせながら朝方の街を走り抜けた。

「まったく、びっくりしたよ」

「お前のせいで、死に損ねた」

「……死ぬ気だったの?」

ふとした一言で、少女の声色が深刻になった。俺は慌てて否定する。

「ち、違う違う! お前は知らないだろうが、大型トラックに轢かれて死ぬと異世界でチートになれるというジンクスがだな――」

「なにそれ」

興味なさそうに吐き捨てた少女は、俺の真正面に立ちなぜか「気を付け」をして、俺に言った。

「ま、死ななくて良かったよ。私毎日この時間帯にここにいるからさ。また会おうね、オッサン」

……こんな女でも、俺の命を助けてくれた――助けやがった?――恩人だ。名前ぐらい訊いておいてもいいだろう。

「お前、名前は」

「私? なに、ナンパ?」

ケタケタと笑う女。よく見ると、端正な顔立ちをしている。昇り始めた太陽と金髪が、なぜだかよく似合っていた。

「みらい。私の名前は、みらいだよ」

「みらい――」

いい名だ、と素直に思った。俺が最後に「みらい」について考えたのは、いつだったか。

「なに?」

「いや――何でもない。今日はいろいろ、その――ありがとう」

「うっす」

適当な挨拶をして別れた「みらい」の唇の端に、「あげあしクン」の油がてかっていた。それは、官能的にすら見えた。

帰り道、どこかから声が聞こえた。

「あの女、余計なことをしたな。本当は死にたかったんじゃないのか?」

うるせぇよ。

今日はここまで
詳しいプロットがあるわけじゃないけど、楽しい話ではないことは確かです
支援してくれる人ありがとう

「俺が……この俺が……331位――?」

現在、午前6時30分。急いでソシャゲへログインしてみると、ランキング参加者の中で自分は、331位だった。

「うがあああああああああああああああああああああああああ!! やはり先を越されたか! うおおおおおおお!!」

小さな部屋で絶叫する俺。玄関先で、厳格な男の声が聞こえた。

「朝から騒ぐな! 母さん、行ってくる」

「ええ……いってらっしゃい」

父だった。

「あんまり朝から騒ぐもんじゃないわよ。まだ寝てる人も多いんだし――」

俺がニートになってすぐのころは、無遠慮に俺の城へ侵入してきた母も、もう扉越しに小さくつぶやくだけだ。俺はこうして、どんどんいろんなものから疎遠になり、待つのは、独身、童貞、孤独死――。

ハン、何が異世界だ。笑わせる。俺からすれば、貴様らの「普通」の世界こそが、異世界そのものだ。

「るっせえなぁ!」

俺は城から飛び出し、そしてコンビニへ向かった。

俺はすがるようにみらいの姿を探したが、コンビニ入口にも、店内にもその姿はなかった。あいつ、宣言通りに学校に行ったのだろうか。そういやあの制服、どこかで見たことのあるような気がした。気のせいかも知れなかったが。

俺は仕方なく、1人近くの公園のベンチで座っていた。改めて見渡すと、俺が子供の頃にあった遊具がいくつか消えている。ジャングルジムに、回転型コーヒーカップ。最近はブランコも危険だなどと言われていると、ネットで見た。

気づかないうちに、しかし確実に、俺の外で世界は進行している。

俺がいなくても、世界は廻っている。

俺はなぜ、生きているのだろう。

「ハッ、ハッ」

犬が呼吸する音に視線を上げると、首輪をつけた柴犬と目が合った。俺を警戒せず、むしろすり寄ってくる。飼い主とはぐれたのだろうか。

「迷子かぁ~? お~?」

喉元を撫でてやると、「クゥ~ン」とうれしそうに鳴く。俺も動物になりたい、と少し思った。

人間だって、動物か。

「ハッハッ」

公園の入口を見据え、利口に座っている柴犬。飼い主を待っているのだろうか。俺の親は――俺の帰りを、待ってくれているのだろうか。

「ま、いいか……今は一緒にいてくれや」

突然、強烈な眠気に襲われた。俺がここで遊んでいた頃は、「眠るときが一番幸せ」と口にした父を少しバカにしていたのを思い出す。

その通りだよ、親父。眠るときは、何も考えなくていい。


**
『Q32:あなたの好きな色はなんですか?』

『ポイント! 答える色は何でもいい。重要なのは、その理由を論理的に説明できること!』

「好きな色、ねぇ……」

小学生の頃、卒業文集に自分の好きな色を載せていた。「黒」や「白」と答えるクラスメイトを、心底バカにしたものだ。黒や白には個性がない。自己主張の激しい、赤や黄色こそが素晴らしいと信じていた。小学校の縮図は簡単で、少し人より勉強ができ、愛想がよく、大きな声が出せて、足が速いだけでヒーローだった。俺はそこが、その時期が、人生の最高潮などと気づきもしないで、『赤』『黄色』と書いたものだ。

中学でいじめられた。理由など憶えていない。高校ではいじめられなかったが、友人の作り方など分からなくなっていた。大学で学友たちが酒や女の話をするのについていけなかった。かといってオタクどもの薄笑いに混ざる気もしなかった。

俺は「黒」と「白」という色が好きになった。「黒」はこれ以上何にも染まらない絶対の色だ。「白」は未だ何にも染まっていない究極の色だ。

「好きな色は黒です……なぜなら黒はこれ以上何にも染まらない絶対の――いや、これじゃあ業務命令に従わないやつだと思われる!」

「好きな色は白です……なぜなら白は未だ何にも染まっていない究極の――これじゃあ主体性がないように思われる!」

「……好きな色は赤です。なぜなら赤は闘争心を掻き立てる色だからです。私も御社で燃える赤色のように尽力し、競争社会に打ち勝ち利益を上げていきたいです……」

「企業の求める答えなんて、大方こんなもんだろ……」

「……では次の質問です。あなたの好きな色はなんですか?」

来た。

「好きな色は黒です!」

バカ! 赤だろ!

「あの、えっと……」

「理由を聞かせてもらえますか?」

「えっと、黒はその、何にも染まらない絶対の――」

「はい?」

「す、すみません……わかりません……」

「そうですか。では次の質問です。あなたは10年後、この会社で何をしていると思いますか?」

10年後? この会社で? まだ入社するかどうかも決まっていないのに? そんなこと、分かるわけがないだろう。

「あ――ええっと、私は10年後も、この場所で業務を行っていると思います」

だってここしか知らねえもん。

「海外へ出てみたいとは思いませんか?」

思うか、ドアホ。

「はい。海外に手を伸ばすより先に、日本の――ここをしっかりと確立していくことも大事だと思います。木を見て森を見ず――は逆か」

「分かりました。合否の結果は追ってご連絡させていただきます。本日はありがとうございました」

ああ……終わった。

後日、薄い茶封筒が届いた。

「『……お祈りしています』か。本当にしてんのか? こんなの、用意された印刷物だろ! 敬虔な信徒が聞いてあきれるぜ」

俺は白い紙を丸めてゴミ箱に捨て、手帳に二重線を入れる。面接までこぎつけた、数少ない企業だった。

「大丈夫、大丈夫――次があるさ」

白い紙、白、白――そうだ、あいつのパンツの色は――。


**

ひどい、夢だった。

また書き溜めて夜に来ます

確か公園に大きな時計があったはずだが、時刻を確認せずに帰ってきてしまった。たぶん、午後6時頃。朝方みらいと別れ、ちょうど半日だ。

**
「お前のパンツ白?」

「はぁ? ま、そだけど……もう一回見たいの? 見せてあげようか?」

**

俺は完全に、遊ばれている。何がみらいに救われているだ。あいつはただの不良だ。

「変な期待してんじゃねーよ、クソニート」

言われる前に言っとけ、の精神である。

「お前はあの愚かな娘と、幸せな未来を期待しているのだろう?」

また、だ。声が聴こえる。どす暗い、デスボイスにも似た重低音。

「うっせえ! お前は一体誰なんだよ! 俺に話しかけてくるんじゃねえ!」

ガチャリ、と目の前の扉が開いた。気が付けば、家の前だった。気が付けば、妹だった。

「……ほんとに、騒ぐことしかできないの?」

落胆、失望、関わり合いになりたくもないという声で妹は罵声を浴びせた。この妹、制服を着ている。ついさっき見た、あの制服。

「それだあああああああああああああああああああああああああ!!」

「うっさい! だから黙れっての!」

引き込まれるように、家に入れられた。なおも俺は、高まる鼓動を抑えられない。

「ど、どこだ!?」

「何が!」

「お前の通ってる高校!」

「あ、明日が丘……だけど?」

あすがおか。明日が丘高校、だな!

「そこに、金髪で長身で、美人な――モデルみたいな女はいないか? いや、いるはずだ!」

「はぁ!? き、キモイんですけど……」

「頼む! 教えてくれ!」

「何? ナンパでもするつもりなの?」

「ど、どこだ!?」

「何が!」

「お前の通ってる高校!」

「あ、明日が丘……だけど?」

あすがおか。明日が丘高校、だな!

「そこに、金髪で長身で、美人な――モデルみたいな女はいないか? いや、いるはずだ!」

「はぁ!? き、キモイんですけど……」

「頼む! 教えてくれ!」

「何? ナンパでもするつもりなの?」

ナンパ。そう言えばみらいに名前を訊いた時も、ナンパなのかと笑われた。俺はこんなにもがっついて、ただの不良のことを知って何がしたいのだろう。さっき自分で期待するなと言ったばかりじゃないか。

**

「お前はあの愚かな娘と、幸せな未来を期待しているのだろう?」

**

「あの声」を反芻する。本気なのだろうか。俺は本気で、あいつと――。

「そんな、泣きそうな顔しないでよ。キモイって言ったのは謝るよ」

「え?」

「……で? その金髪の女の子を探してるんでしょ?」

「教えてくれるのか!」

妹は俺のがっつき具合に若干怯えながらも、心底明るい声で言った。

「でもざんねーん! うちの高校に金髪の子なんていませーん!」

「なんだと?」

「私の高校が超きびしー進学校だってこと、忘れちゃった? 金髪なんかにしようものなら、即掲示板に張り出されて停学処分だよ」

「いや、でもあの制服は確かに――」

「うぇ、あんたうちの生徒と会ったの? なにしてたの、まさか――」

真っ先に社会的に終了するであろうあらぬ疑いをかけてきた妹。すでに社会的に終了していると言われればそれまでだが、さすがにそこまで落ちぶれてはいない。

「いやいやいや違う! 断じて違う! 俺の見間違いだったかもしれないしな! ……なに、たまたまどこかで見かけたような制服を着た女と出くわしただけだ」

「ふーん」

妹は半信半疑のようだった。まぁとにかく、危機は脱せたと言っていいだろう。にしても、あの制服は間違いなく妹と同じ――明日が丘のものだったはずだ。もしみらいがそこの生徒ではないとするなら、どこかから強奪してきたのだろうか。

妹に、「みらいという女子学生はいないか」と聞きそびれたのを後悔したが、そこまで知っているとなるとますますあらぬ疑いが濃くなってしまう。妹を頼りにするのはやめにした。

みらいはきっと明日の早朝もあのコンビニにいるだろう。大丈夫、素性は分からなくても、いつでも会える。

強烈な眠気が俺を襲った。俺はそそくさと自分の城に籠り、ベッドへダイブした。


**

女子高生をJKというなら、男子高校生はDKなのだろうか。ドンキーコングじゃねえか。

クラスメイトたちはバカだと思う。女でもないのに、お昼になると友達同士で机を引っ付け合って食べている。その光景をたとえば教卓の上からでも眺めれば、クラスの関係性が一目瞭然だ。集合したシマの中で、リーダー格、腰ギンチャク、本当は混ざりたくないのに、ハブられたくないから仲間のふりをしている仔羊――。女子は派閥争いが醜いと聞くが、男子だって似たようなものだと思えてしまう。

俺は教室の隅で本を読んでいた。

**

「今日あなたを呼んだのはね、あなたが心配だったからなの」

「心配?」

新任の女教師だった。おそらくこいつも去年までは、「ダイガクセー」として青春を謳歌してきたのだろう。たった四年で、何が変わったのだろうか。

「ええ。ずーっと一人で本ばかり読んで……そんなんじゃクラスで孤立してしまうわ」

ははん。こいつ、委員長タイプか。自分が優秀なのを棚に上げて、他人に余計なおせっかいを振りまき、それでカタルシスを得ようという人間だ。くだらん。お前の思い描く「クラス像」など知ったことか。

「もうすでにしていますから。それに俺は、1人の方が気楽です」

その時読んでいた本は確か、『エイジ』だった。主人公が通っている中学か、高校――そこで連続通り魔事件が発生し、その犯人が同級生ではないかという疑いがだんだんと濃くなっていくのだ。緊迫感をそこはかとなく漂わせるその小説が好きだった。狂気など、自分のすぐそばに転がっている。そして、いつどこで爆発するかなんて誰にもわからないのだ。

心外だ、という青い顔をした女教師を見ながら、そう思っていた。

**

また、昔の夢だった。

「最近昔の夢をよく見るな……」

いい気はしなかった。しかし、特に気にするでもなかった。ベッドの上の置き時計を確認すると、午前5時。

「ホント、寝てばっかだな……」

いや、いい。それがニートの生活だ。それらしくていいじゃないか。

とにかく、みらいに会いに行こう。

「ちっすー」

ズッ、ズッ、とコーヒー牛乳をすするみらい。

「私に会いに来たんでしょ?」

「ち、違うぞ」

「そ」

改めてみらいの全身を眺める。絹のようにきめ細やかな金髪ロングヘア。顔は小さく、その中に大きな瞳と高い鼻、男を誘う形の整った唇が収まっている。

「……人形みたいだな」

「ん?」

「いや、なんでも……腹減ってんだ。『あげあしクン』でも買ってくる」

考えてみれば、昨日の今頃にあげあしクンを食ったきり、何も口にしていない。ちょっと贅沢するか、と思い財布を確認する。残り少ない。今日あたり、母親にまた頭を下げなければいけないだろう。

そんな生活を、もう3年も続けている。

軽快な入店音が、嘲笑うように俺を迎え入れる。

「プレミアムうな重」を持ち、レジへ向かう。

「あ、これと『あげあしクン』を1つ」

「『あげあしクン』デスネ。アッタタメマスカ?」

不自然な抑揚に顔を上げると、スキンヘッドの、それでいて人の良さそうな男と眼があった。もしかして、と思い名札を確認する。「元」、一文字だ。

「あっため、お願いします。あの、ゲン、さん……?」

「エー。ゲン・サイ デス」

「ゲン・サイさん……ありがとう」

なぜかほろりとしていると、他の定員が元さんを急かした。

「元さん! おしゃべりしてないで精算して!」

「ア。スミマセン」

後ろの店員に頭を下げる元さん。愛嬌がある。

「すみません、俺のせいで……」

「イエイエ。『あしあげクン』トアワセテ、804円ニナリマス」

「はい」

元さんに料金を支払い、温かな商品を受け取る。なかなかにいい気分だ。

「元さん、それじゃあまた」

「イツデモ、アナタノ、ソバニイマスヨ」

ああ、そういうモットーなのか、このコンビニは。いいじゃないか。実にいい。

俺はコンビニを出た。

コンビニの外では、みらいがうんこずわりで俺を待っていた――わけでもなさそうだ。虚ろな瞳で、動き始めた街を眺めている。

「私さぁ、」

「うん?」

「こうやって、早朝の街を見て、バカにしてやるのが好きなんだぁ」

「馬鹿にする?」

俺はみらいの隣に座り(車止めに腰かけた)、「あげあしクン」をほおばった。

「馬鹿にするってなんだよ」

「朝早くから働いている人たち――みんな代わりがきくのに、何で働いてんだ、バッカだなぁ、って」

おもわず目を丸くした。それは、俺が常日頃思っていたことと同じだった。

「……働きたくないのか」

「そりゃあね。宝くじでも当たれば、一生遊んで暮らすさ。だけどそうもいかないしさ」

そう話すみらいの声は、どこか物憂げだった。

「そうだよな……みんな生活がかかっているんだから、働かなくちゃ仕方ないさ」

自分で言ってて泣けてくる。

「そう思うなら、」

耳を、疑った。

「なんで、働かないの?」

「……は?」

俺はこいつに、自分が働いていないと一言も口にしていない。なのになんでこいつは、俺がニートだと知っているんだ!?

「お、おい……」

みらいは俺の疑問を遮り、語り始めた。

「いつかはさ、私も死んで、日本も滅んで、世界もおしまいになって、地球も、太陽も死んじゃうのに。生まれた瞬間から、死への旅が始まっているのに、何でそこまで頑張るんだろうなぁ、って」

生まれた瞬間から、死への旅。かなりポエティックだったが、確かに嘘ではなかった。俺たちは生まれたいと思って生まれたわけではなかったはずだ。気がついたら生まれ、いつかは死ぬことを知っている。俺の両親も、俺も、妹も。

だとしたら、俺たちは生きている間に何をすべきなのか。

社会の歯車になることが、正解なのだろうか。

「……学校で、なんかいやなことでもあったのか」

「んー?」

空になったコーヒー牛乳のパックを俺に突き出すみらい。捨てろ、ということなのだろう。俺はしぶしぶ立ち上がる。

「学校なんて、嫌なことを瓶詰にしたようなもんだね。あれが社会の縮図だってんなら、社会は終わってる」

初対面の頃と印象が違っている。こいつ、結構悲観主義者なのだろうか。

備え付けのゴミ箱を開いた。無造作にタウンワークが丸めて捨ててあり、ゾッとした。パックがその中に落ちていく。

「そう言えば、その制服……明日が丘のものだろ。でもお前は明日が丘の生徒じゃない。そうだな?」

「ん! よくわかったね」

かえって誇らしげに胸を張るみらい。決して誉められることじゃない。

「盗んできたのか」

俺の問いに、物怖じするでもなくみらいは笑った。

「あはは! どうしたと思う?」

「誰かから盗んだなら、今すぐ返しに行くんだ! お前はおふざけのつもりだろうが、盗まれた生徒が困っている! それに、お前自身の将来だってこの一件でおじゃんになるのかもしれないんだぞ!」

「『お前自身の、将来』?」

みらいが、俺をキッと睨んだ。思わずひるんでしまう。今までに、見たことのない表情だ。

「その言葉、そっくりそのまま返してあげるよ。オッサンは自分の将来どうするつもりなの?」

「そ、それは……」

みらいが硬い表情を解き、にんまり笑った。

「まぁよくよく考えなよ。ただ、あんまり時間はないよ」

「なんでそんなこと、お前が言うんだ」

みらいが交差点に向かって数歩歩きだした。そして、勢いをつけて振り返る。白いパンツが、少し覗いた。

「待ってるからさ!」

俺はしばらく、そこから動けなかった。

「待ってるって、なんだよ……」

俺は、ここ数日起きた不可思議な出来事について考えてみた。突然コンビニに現れたみらいという名前の女子高生。その小娘は、明日が丘高校の制服を着ているのに、そこの生徒ではない。何故ならその高校では、金髪が禁止されているからだ。

それと、みらいについてもう一つ。俺はあいつに働いていないことを口にしていないはずだった。だが、あいつにはそれがばれている。

あの女、いったい何者なんだ?

例の公園でボーっとしていたら、もう二時間が経っていた。現在、午前7時。城に戻るべきなのだろうが、ソシャゲをする気などさらさら起こらなかった。

そもそも、今日は何月何日の何曜日なんだ?

ひとりの女の子が公園内に入ってきた。黒髪のおかっぱ頭。小学――3年生ぐらいだろうか? 重そうなランドセルを揺らし、公園内をしきりに見渡している。

どうかしたのだろうか? 声をかけるべきか迷った。だが、こんな俺が声をかけようものなら「事案」が発生し、出るとこ出てしまうのではという危惧もあった。――しかし――困惑した表情で公園を駆け回る少女を見て、黙っていられなかった。

これは好奇心じゃない。人徳だ!

俺は意を決して、少女に声をかけた。

「大丈夫? どうかしたのか?」

きゃああ、と叫び防犯ブザーがけたたましく鳴り響く――そんな未来には、ならなかった。少女は極めて友好的に、俺の問いに答えてくれた。

「犬を――犬を探しているんです。何日か前から、帰ってこなくて」

「犬――って、もしかして柴犬?」

あの利口そうな柴犬。てっきり家に帰ったものだと思っていたが、まだはぐれていたのか。

「そうです! 見かけたことがあるんですか」

「ああ、昨日の今頃、ここで――」

「ほんとですか!」

少女の眼に、光が灯る。子供にとって犬は、大切な友人だ。無理もないだろう。

「あの……登校するまで、ほんの少しだけ……一緒に探してくれませんか」

……と、いうことは今日は平日か。少しの時間を使って、友人を探そうとしている。なんとけなげなことか。いいだろう。俺の生きる意味、「当面は」犬探しってことでいいじゃないか。

「ああ! 一緒に探そう!」

少し、自分の声がさわやかな気がした。

「名前は?」

砂場の後ろの草陰を掻き分けながら、俺は訊いた。犬の名前を訊いたのか、女の子の名前を訊いたのか、自分でもよく考えていなかった。

「『クロ』って犬です。私の名前は、かこです」

「クロ? あいつ茶色の柴犬だぞ」

俺は「クロ」という名前にせせら笑った。結果論だが、このとき俺は着眼点を完全に間違えていた。犬の名前などどうでもいい。注目すべきは、少女の名のほうだったのに。

「黒目がかわいいでしょう?」

かこという女の子は言った。その天真爛漫さ、自分の信じたものに絶対の信頼をおく不敵な笑み。俺はそれに少し気圧された。どこか、懐かしいものを感じた。

それが何かは、その時には何も分からなかった。

「やめておくんだな、そんな女に構ったところで、前には進めない」

「あの声」だ。しかしもう、スルースキルも身についていた。

にしても、テメーもいったい何者なんだよ。

「名前は?」

砂場の後ろの草陰を掻き分けながら、俺は訊いた。犬の名前を訊いたのか、女の子の名前を訊いたのか、自分でもよく考えていなかった。

「『クロ』って犬です。私の名前は、かこです」

「クロ? あいつ茶色の柴犬だぞ」

俺は「クロ」という名前にせせら笑った。結果論だが、このとき俺は着眼点を完全に間違えていた。犬の名前などどうでもいい。注目すべきは、少女の名のほうだったのに。

「黒目がかわいいでしょう?」

かこという女の子は言った。その天真爛漫さ、自分の信じたものに絶対の信頼をおく不敵な笑み。俺はそれに少し気圧された。どこか、懐かしいものを感じた。

それが何かは、その時には何も分からなかった。

「やめておくんだな、そんな女に構ったところで、前には進めない」

「あの声」だ。しかしもう、スルースキルも身についていた。

にしても、テメーもいったい何者なんだよ。

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