千早「Dear……」 (57)

千早の一人称語り、ということでお願いします。

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「……はぁ」

空が綺麗な茜色に染まった、夕暮れ時。

家具のあまり無い、殺風景な部屋の中。

ベッドの上にうつ伏せで寝転がりながら、私は溜息をついた。

私の手には、電源を付けっぱなしのスマートフォンが握り締められている。

表示されている、メールの作成画面。

宛先には、『プロデューサー』の文字。

文章は出来上がっているものの、ちゃんと書けている気がしなくて、気に入らなくて。

書いたものを全て……消しては打ち直す。

ーーずっと、その繰り返し。

伸ばした指が、画面のすぐ手前で止まる。

「……」

少し手を動かして、『送信』のところに触れるだけ。

ただ、それだけ。

それだけなのに……私の手はうまく動いてくれない。

『少し馴れ馴れしすぎないかしら?』

『なんだか不自然じゃない?』

様々な不安が、頭の中で渦巻いて。

結局……文章は全て消されるのだ。

ーーどれくらい、こんなことを繰り返しているのだろうか。

ほんの数分な気もするし、一時間くらいずっとこうしているような気も……しなくはない。

長いようで短いような、じれったい時間だけが過ぎていく。


「私の、意気地なし……」

電源を切り、私はスマートフォンを枕元へ投げ出した。


……


プロデューサーと初めて会ったのは、およそ一年前。

最初に出会った時は、彼に対して興味なんてなかった。

……それどころか、あまりいい印象は感じられなくて。

『どうせこの人も、私の事なんて分かってくれない。』

そう、思い込んでいた。

でも一緒に過ごすうちに、その思い込みは間違っていることに気付いた。

自分勝手で、歌ばかりだった私。

そんな私でも、プロデューサーは受け入れてくれた。

プロデューサーはずっと、諦めずに私を支えてくれた。

『千早が歌を大切にしたいっていうなら、俺はそれを尊重したい』

その言葉は、今でも頭に残っている。

……ほんの少しのすれ違いで、お互いに傷つけあって……離れ離れになってしまったことも、ある。

私が伸び悩んでいた頃、彼は自分の責任だと、彼自身を責めた。

私がうまくいかないのは、自分のせいだ……そう、思い込んで。

一時期、彼は私の担当を外れてしまったのだ。


突然別れの言葉を告げられて……もう、元には戻れないような気もした。

それでも彼は、私の隣に帰って来てくれた。

半年というブランクはあったけれど。

それに、不器用なのは変わらなかったけれど……確かに、今まで以上の力量を持って。

彼は再び、私に手を差し伸べてくれた。

『ずっとそばにいる』と、約束してくれた。

いつだって……私を見守ってくれた。

トップアイドルという場所に辿り着いた今も、それは変わらない。

そんな中、私の心の中に少しずつ湧き上がってきた、一つの感情。

元々持ってはいたけれど、あまり考えないようにしていたもの。

今まではまだ、よく分かっていなかったもの。

なんだか心の奥が温かくなるような、そんな気持ち。

……その感情の正体に気付くまで、そこまで時間はかからなかった。

いつも一緒にいて、ほぼ同じ時間を過ごし、苦楽を分かち合う。

そんな毎日が、これからも続くと思っていた。

これからもずっと、プロデューサーと一緒だと思っていた。

けれど。

現実は、そう都合の良いことばかりではない。






明日から、プロデューサーは事務所からいなくなる。

『ハリウッド研修』。

彼は一年間、ハリウッドに研修に行くからだ。



ーートップアイドルを育て上げたプロデューサーには、一年間のハリウッド研修の権利が与えられる。

私達をもっと羽ばたかせるために、と彼はそれを承諾した。

そういう制度があることは以前から知っていたし、本人からも、渡米の旨は伝えられてはいたけれど。

それでも、私は……

私は、彼がそばからいなくなることを、認めたくなかった。

本当は、プロデューサーを引き止めたい。

『行かないで』って言いたい。

『私のそばからいなくならないで』って言いたい。

でも、そんなことはできない。

彼の決心を否定してしまうことになるし、それに。

……また、お互いを傷つけてしまうだろうから。






こうして今悪戦苦闘しているのは、そのためだ。

一時期とはいえ、彼が私の元から離れてしまう前に。

私の気持ちを、彼に伝えるために。

ーーそのために私はさっきまで、メールを打っていたのだ。

今までの私は、この気持ちを伝えることができなかった。

直接切り出そうとすると、なんだか気まずくなってしまいそうで。

たとえ話せそうな雰囲気になっても、恥ずかしくてうまく話せない。

『また明日も会える。いくらでもチャンスはある』

そう思って……ずっと先延ばしにしてきた。

こうやって前日になっても、私の決心は固まらなくて。

喉元まで出てくる言葉も、彼の前では出せなかった。

プロデューサーと大した話もせず、事務所を出た私。

私はまた、自分の気持ちに嘘をついて。

彼から……自分の気持ちから、逃げ出したのだ。




でも、この想いを伝えないままなんて、もっとできない。

せめてメールだけでも……と思って、この有様。

ーー本当に、私の意気地なし。

こんなに辛い思いをするくらいならいっそ、彼のことを嫌いになってしまいたい。

こんなに苦しい思いをするくらいなら、彼のことなんて忘れてしまいたい。

でも、私には……そんなことはできない。

それだけ私の中で、彼という存在が大きなものだから。

ずっと一緒にいたいと、初めて思えたひとだから。

それだけ私は、プロデューサーのことを大切に思っているから。

ーーせっかく手に入れたこの気持ちを手放したくは、ない。

ーーいつまでも平行線なのは……イヤ。

「よしっ……もう一度」

スマートフォンの電源をつけ直す。

私はメールの作成画面を閉じて、通話画面を開いた。

メールがダメでも、会話なら……いや、電話なら。

これなら、なんとかなるかもしれない。

数回の深呼吸。

……伸ばした指は、今度はちゃんということを聞いてくれた。



数コールの後、聞き慣れた声が聞こえてくる。



『もしもし』

「プロデューサー……」

ーー聞き慣れた、安心できる声が。

『千早か。どうかしたのか?』

「いえ……大したことでは、ないのですが……」

「その……少し、声が聞きたくなってしまって」

「もしかして、忙しかった……でしょうか?」

『いや、そうでもないかな。出発の準備は終わってるし、暇だったところだよ』

「っ……」

……チクリ、と胸が痛んだ。



考えたくなかったけれど、やはりプロデューサーはいなくなってしまうのだ。

たかが一年。

でも、

されど一年。

半年という時間を離れて過ごした、今なら分かる。

その時間は……短いようで、長い。




『……どうした?』

「あ……すみません。ただ……」

「明日から、あなたがいなくなると思うと、つい」

『……千早』

『俺だって……もっと千早の、みんなのそばにいてやりたいって思ってる』

『でも……今の俺じゃ、まだ足りないんだ。もっとみんなを輝かせるためにも、俺は行かなきゃならない』

『ごめん……許してくれ、千早』

『ーー絶対に、帰ってくるから』


「……もう」

「そんなこと言われたら……引き止められないじゃないですか」

『……ごめんな』

どうしてこんなにも、この人は私の心を揺らすのだろう。

本当に……本当に、ひどい人。

そして。

本当に……本当に、ずるい人。



『じゃあ、そろそろ……』

「ま、待って下さい!」

『……ん?どうかしたか?』

通話を切ろうとしたプロデューサーを、私は引き止めた。

伝えたい言葉は、まだ残っている。

……でも、このままじゃダメ。

やっぱり、このことは……直接伝えなきゃ。

「あ、あの。プロデューサー」


「今から……会えませんか?」


……


電話で色々と話をしている間に、かなりの時間が過ぎていたらしい。

外はもうすでに、夕闇に包まれていた。

「ごめん、千早……もしかして、待ったか?」

「いえ。呼び出したのは私ですから、これくらい」

指定した公園に彼がやってきたのは、私が到着しておよそ五分後の事だった。

少しだけ息を切らしながら立っている彼に、私は話しかける。

「呼び出してしまってすみません。まだ少し、お話ししたいことがあったんです」

「このことは……電話では、どうしても話したくなくて。直接、お話ししたかったんです」

「……少し、歩きましょうか。プロデューサー」

ぼんやりと輝く月明かりの中、私達はしばらく公園の中を歩いた。

夜の公園に人影はなく、いるのは私達だけ。

踏みしめた土が立てる音だけが、辺りに響き渡る。



「ーーでも、まさか突然呼び出されるなんて、思ってもなかったよ」

「千早に呼び出されるなんて、滅多となかったことだしなぁ」

「?……そうでしょうか?」

……そういえば、確かに私から行動を起こすことは、あまりなかったかもしれない。

休日に何かをしに行くときも。

別れを告げられた……あの日も。

『ずっとそばにいる』と約束してくれた、あの日さえ。

先に行動を起こしたのは、全て彼だった。

でも……今回だけは、そうはいかない。

このことは、私がしなくちゃいけないことだから。

待ってるだけじゃダメだって、私でも分かっている。

だから私は、一歩前に進む。

一歩踏み出せなかった私から……少しでも、一歩でも先に進むために。

「そう……ですね。私から行動を起こす、ってことは少なかったかもしれません」

「でも、今回だけは特別です」

「……それがさっき言ってた、俺に伝えたいこと……か?」

「……はい、その通りです。聞いてもらえますか?」






「ーープロデューサー。今までこんな私を支えてきてくれて、ありがとうございました」

「あなたがいなければ……絶対に、私は頂点に辿り着いていませんでした」



「いや、そんなことはないよ。頑張ったのは千早だ、俺の力なんて微々たるものでしかない」

「いいえ、それは違います。私だけの力じゃ、とてもここまでは来られませんでした」

「今の私がこうしていられるのは……私の隣に、あなたがいたから……」


「……」

「いつも……私の隣に、あなたがいてくれたから。だから私は、ここまでやってこられたんです」

「いくらあなたが……プロデューサーである、あなたが否定しても、それだけは間違いありません」

「本当に。本当にありがとうございます、プロデューサー」


「……こちらこそありがとう、千早。こんな俺に、今までついて来てくれて」

「千早とじゃなかったら、俺はここまでやってこれなかった」

「それはこっちの台詞です。プロデューサーとだから……あなたとだったから、今私はこの場所にいるんです」



「……はは」

「……ふふっ」

謙遜を繰り返しあった私達は、お互いに顔を見合わせて、そして笑った。

「私達、似た者同士なのかもしれませんね」

「ああ、全くだ」


……


楽しい時間というものは、やはり早く過ぎてしまうもの。

歩きながら他愛ないおしゃべりを続けているうちに……いつの間にか、私の家の前までたどり着いていた。

家を出る前までの時間は長く、苦しいものに思えたのに、今、この時間はごくわずかにしか感じられない。

本当は……もっといっしょにいたいのに。

まだ……別れたくないのに。

時間の感覚ってものは、なんて不平等なんだろうか。

「わざわざ送ってもらってしまって……すみません」

「呼び出したの、私なのに……」

「いや。少なくとも俺は、千早のプロデューサーだからな。こういった仕事も、俺がするべきことだ」

「ーーとかいっておきながら、ただ単に俺がしたかったから、ってことなんだけど」

「……ふふっ」

こんな状況でも、この人は変わらないんだな……そんなことを思うと、つい笑ってしまった。

そばにいようと、離れていようと。彼はあくまで、私のプロデューサーなのだ。

そのことが再確認できただけで、呼び出してよかったと……そう、思えた。

おそらく、何年でも私は彼を待ち続けるだろう。

私にとってのプロデューサーは、彼しかいないのだから。

ーーこの感情を、プロデューサーである彼に対して、アイドルである私が持つのは間違っているのかもしれない。

この想いに得はなくて、ただ自分の首を絞めているだけなのかもしれない。

でも。

少なくとも、私は……自分の感情に、嘘は、つけない。

重い女でごめんなさい。

不器用な女でごめんなさい。

でも、これだけは言わせて。

「ーー最後に、ひとつだけ。もうひとつだけ言わせて下さい、プロデューサー」









「あなたのことが……好きです」

「ーー大好き。」




完結です。以前の続きだと思ってもらっても構わないかもしれません。

千早「weepin in the rain」
千早「weepin in the rain」 - SSまとめ速報
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こんな駄文を読んでいただけた全ての方に、最大級の感謝を。依頼出してきます。

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