花丸「はなまるぴっぴは善い子だけずら」 (26)
ラブライブサンシャインのよしまるクリスマスSSです。
タイトルはお察しの通り、おそ松OPからのオマージュとなります。
それでは以下本文。
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寒さに弱い国木田花丸は、師走の風に身を震わせた。
温暖な伊豆にあっても、十二月の夕刻ともなれば風は冷気を帯びる。
「ずら丸は相変わらず寒いの苦手よね」
隣を歩く津島善子が呆れたように言う。
善子は何気なく言ったのだろうが、相変わらず、の一言が花丸には嬉しい。
「善子ちゃんだって、冬になるたび早く夏が来て欲しいって言ってたずら」
幼い日を思い出しながら花丸は言う。
こうして二人同じ学び舎に通える日が来るよう、クリスマスを迎える度に花丸は祈ってきた。
何年にも渡って重ねた祈りが、今年の四月に果たした邂逅によって漸く報われたのだ。
「善子じゃなくてヨハネよ」
「まーた始まったずらー」
花丸は笑いながら善子の頭部を軽く手刀で打った。
善子が演じる『ヨハネ』という仮想のキャラクターにも、花丸はさしたる時を経ずに慣れる事ができた。
中身は同じ善子だと一見して分かったからだ。
だが、人は欲張りなものだ。
花丸も再会のみでは満足できず、その先を望むようになっている。
「ところで善子ちゃん。クリスマスの予定は空いてるずら?」
「何よ、急に」
花丸が何を言いたいかなど分かっているだろうに。
善子は身構えながら花丸を糾してきた。
本音を言えば、善子の方から訊いてきて欲しかった問いである。
「クリスマスといえばデートずら。
梨子ちゃんは曜ちゃんを東京に連れて行くみたいずらよ?
イルミネーションを見せてあげるみたいずら」
善子の方から誘って欲しい。
その想いは、花丸の口に身近なカップルの例を紹介させていた。
渡辺曜と桜内梨子の組のみならず、小原鞠莉と松浦果南もクリスマスは二人で過ごすらしい。
恋人ならば当然のことだとの認識くらい、花丸も持ち合わせている。
残るは、その出来レースをどちらから持ちかけるか、だ。
「ああ、その時期はもう修羅場も過ぎてるだろうし、そうでなくても曜の為に頑張っちゃうか。
申込みジャンルはおそ松でも、デートはお粗末にできないのよねー、なーんて。
梨子はそのままジハードまで帰省も兼ねて東京宿泊かな」
花丸の誘引に気づいているだろうに、善子は梨子の話題に逃げていた。
意気地なし、と花丸は胸中で呟く。
「なんか年末に大きなイベントがあるみたいずらね。
本の祭典っていうからまるも行ってみたかったけど、梨子ちゃんに止められたずら」
いつになく真剣な顔で『花丸ちゃんが思っているのとは違うからね?』と言う梨子の顔が印象的だった。
例えば神保町で古書店を巡るのなら、田舎のビブリオフィリアに取っては憧れの一つである。
だが、そういう花丸の憧憬とは種を別にするイベントらしかった。
「まぁ売る側で出るんなら、パンピーの知人には見られたくないでしょ。
それでなくても参加者が多すぎて、初心者のカッペにはハードルが高いのよ」
花丸は梨子の参加するイベントがどういうものか分からないが、善子は知っているらしい。
自分の知らない所で善子が他人と秘密を共有しているのかと思うと、胸に漣が走った。
「ふーん、二人は仲良いずらね。まるが知らない楽しい事を二人でしてるみたいずら」
「ちょっ。そういう後ろめたいのじゃないわよ。
ただあまり追及されたくない変な趣味ってだけ。誰にだってあるでしょ?そういうの。
梨子だって恋人の曜にも知られたくないみたいだから、私がべらべら喋る訳にはいかないのよ。
恋人の前ではかっこつけていたい、っていう気持ちも分かるし」
早口で捲したてられた善子の口上の最後、小声で付け足された言葉を花丸は聴き逃していない。
「善子ちゃんもずらか?」
花丸は身を乗り出して善子に迫る。
「ええ、まぁ」
気恥ずかしいのか、善子は花丸から目を逸らした。
気のせいか、その目元は色づいて見える。
「じゃあ、もっとかっこつけて、おらをクリスマスのデートに誘うずらっ」
善子の些細な動作で機嫌を直してしまうのだから、自分も現金なものだと思う。
気付けば、一人称も”おら”に戻ってしまっていた。
「ええっ?デートって、アンタねー」
善子は変わらず視線を逃したままだが、目元の色は赤みを増している。
「深々と降り積もる雪、眼下に置くは街を彩るイルミネーション……。
そして暖炉の灯る部屋の中にはクリスマスツリーとトレンディなクリスマスケーキ。
二人でケーキの蝋燭を吹き消して、入刀するの。ロマンずらー」
善子と二人で過ごすクリスマスを想像するだけで、花丸の乙女心は喜色に満ちた。
「何一人で盛り上がってハードル上げてんのよ。
こんな田舎にイルミネーションなんてないわ。沼津駅に申し訳程度の電球が飾られる程度よ。
何にしても、静岡に、特に伊豆に雪なんて滅多に降らないし、積もらないじゃない」
夢で溢れる花丸の心を、善子の現実的な意見が容赦なく冷やした。
「そうだけど」
言われるまでもなく花丸とて分かっている事実だ。
雪を齎す冷気は日本アルプスと富士山によって勢力を削がれ、静岡にまで雪が届くのは稀である。
暖房器具の発達した現代では恩恵も薄く、却って花丸が降雪への憧憬を深める元となっていた。
ただ、口に出してしまう善子への落胆は隠せない。
「大体ね、ずら丸はイルミとか雪とかのムードより、
七面鳥とかケーキとかの食べ物の方が重要でしょ?
ほんと、昔から色気より食い気なんだから」
「ずらっ?」
善子の追い打ちに、花丸は反射的に声を放っていた。
善子は何の気もなく言ったのだろう。彼女の顔に邪気は一欠片も見当たらない。
だが花丸にとっては、善子からどう見られているのか、思い知らされた気分だった。
冷え込んだ外気とは対象的に、花丸の胸中は瞋恚に滾ってゆく。
「あのね、善子ちゃん。語尾にずらって付けちゃうし、自分のことをおらって言っちゃう時もあるけど。
それでも、まるだって女の子なんだよ?」
「へ?」
花丸の剣幕に驚いたのか、善子は間の抜けた顔を浮かべている。
対して、花丸の激情は止まらない。
栓をなくした蛇口のように、口から奔流となって溢れ出てゆく。
「なのに善子ちゃんは分かってくれないずら。
乙女心を大切にしてくれないずら」
「なっ」
花丸が本当に怒っていると知って、善子も動揺を隠せないようだった。
だが、すぐに動揺は反発に転化したらしい。
もともと吊り上がっていた眦も、鋭さを増している。
「あーそー。ずら丸は私が乙女心も分からない木偶だって言いたいわけね。
ほんと、見る目のなさも相変わらずだわ。
リトルデーモン達とは大違いね」
「そりゃ違うずらよ。
まるが国木田花丸であるように、善子ちゃんは津島善子でしかないずら。
なのに善子ちゃんは、ヨハネとかいう偽りのペルソナで人気を釣って、
ファンにリトルデーモンとか名付けて喜んでるだけずら」
自分は断じて”数多のリトルデーモンの中の一人”などではない。
その烈しい思いが、花丸に強い言葉を選ばせていた。
「ふーん。いいわ、いいじゃない、もう。
じゃあ私はクリスマスはリトルデーモンを相手にクリスマスのスペシャルなライブ配信でもしようかしら。
あの子達の方がよっぽど私を好きみたいだし」
善子が露骨に花丸から顔を背けながら言った。
その言行が心にもない当て付けに過ぎないと、花丸も承知していた。
善子は元より対人の対応を不得手としているのだ。
引くに引けなくなって、売り言葉に買い言葉で感情的に応じてしまっているのだろう。
だが、それは花丸とて同じだ。
「勝手にするずら」
花丸も顔を背けて突き放すように返した。
「あっそ」
無関心を装った善子の声を最後に、二人の間に沈黙が降りた。
それでも並んで歩く二人の歩調に乱れはない。
気不味い雰囲気を抱えたまま、善子と花丸は一言も口を聞かずにバス停まで同行した。
バスを待つ間も、車内でいつものように隣り合った席に座った後も。
二人、言葉は交わさずとも、離れようともしなかった。
その間、善子も花丸と同じ思いを抱えていたに違いない。
自分からは素直に謝れない、だから相手に譲歩して欲しい、と。
少なくとも、花丸はそう望んでいた。
*
花丸と善子の意地の張り合いに決着が付かないまま、
十二月二十四日のクリスマス・イヴの夜を迎えてしまった。
本当なら、今日は善子とロマンティックな夜を過ごすはずだったのに。
部屋で一人、9.7インチのタブレット画面を見遣る花丸の胸には、未練が閊えている。
高校に入学した当初はノートパソコンさえ満足に扱えない花丸だったが、
善子の指導もあって、今ではインターネットへの接続も手慣れたものとなった。
今、動画サイトを画面に映して各地のイルミネーションを見れるのも、善子のお蔭でもある。
神戸も長崎も日本三大夜景に名を連ねるだけあって、イルミネーションも錚々たるものがあった。
画面越しにも映える絢爛さに、花丸も息を呑むしかない。
殊に花丸の気に入ったのは、函館のイルミネーションだった。
積雪と降雪の二種の雪が電飾と相乗して、ホワイト・クリスマスをこの上なく綺麗に演出している。
北海道に住むセイントスノーの二人は、この夜景をリアルに堪能できるというのだから羨ましい。
イルミネーションの下でホワイト・クリスマスを恋人と過ごす、というシチュエーションは、
夜景などなく降雪も稀な南方の田舎に生まれた花丸の乙女心をこの上なく擽った。
「善子ちゃん、どう思ってるかな」
花丸の口から不意に独り言が零れた。
デートしたいシチュエーションが今の動画ならば、デートしたい相手は紛れもなく善子だ。
今はきっと『クリスマスのスペシャルなライブ配信』とやらの最中だろう。
善子のアカウントなら知っている。
見に行こうか。と、ブックマークしてあるリンクをタップしかけて、止めた。
「どうでもいいずら」
強がる花丸の意思は、善子を気にする行為など許しはしない。
内心で愛しんでいても、先に行動してしまっては負けるような気がした。
善子が花丸の気持ちを分からないうちは、容易に許してはならないのだ。
戒めるように、花丸はそう強く自分に言い聞かせた。
花丸は再び液晶上のイルミネーションへと視線を移した。
時折、霞んで見えるのは、そろそろ眠気が兆し始めているせいだ。瞼が重い。
折角のクリスマス・イヴの夜も、このまま終わってしまう。
「所詮、まるみたいなイモには無縁の世界ずら。だから、まるのクリスマスはこれでお終い」
花丸は自嘲気味に呟いてから、眠気に対する抵抗を諦めた。
善子言う所の「寝落ち」とは、今の自分の状態を指すのだろう。
薄れ行く意識の中で善子を想いながら、花丸は夢の世界へと入っていった。
*
初めて訪れる街だ。
黄金色の光に彩られた四方を見回した花丸の口から、思わず声が漏れ出る。
「都会ずらー」
光源だけが街を彩っているのではない。
ビルや歩道に積もった雪もまた、光を反射して絶佳の光景に貢献している。
花丸は未踏のはずのこの地を、北海道にある函館だと認識した。
日本三大夜景の地であり、善子と一緒に訪れたい街の一つだ。
善子も伴いたいと思うのは、流石に欲張り過ぎだろうか。
考えながら、花丸は歩みを進めた。
降雪の最中ではないが、足元の雪は新雪のような柔らかい質感がある。
降った直後なのかもしれない。
歩く度に聞こえるスナック菓子を齧ったような音が、花丸の耳に心地良かった。
それが面白くて、用もないのに無駄に小刻みなステップを踏んでしまう。
そうして存分に、花丸は雪の感触を楽しんだ。
「相変わらずモサいな、ずら丸は」
忘我の境地で雪を楽しんでいた花丸の耳に、聞き慣れた声が届いた。
口調に違和感があっても、求めて止まなかった声音を聞き違えるはずもない。
間違いなく、善子の声だ。
「善子ちゃんっ。善…子ちゃん?」
気色ばんで勢いよく振り向いた花丸だが、視界に映る声の主の姿には我が目を疑った。
確認するように、名前をもう一度呼んでしまう。意図せずに声は途切れ、語尾も上がった。
自分の認識に自信が持てない。
花丸の目には、たしかに善子の顔が映っている。
吊り上がった瞳と高く筋の通った鼻梁を特徴とする端正な顔立ちは、花丸の記憶にある通りだ。
だが、花丸よりも少し長かったはずのセミロングの髪は、項の辺りでカットされていた。
胸の膨らみもなくなり、代わって身体全体の印象がより鋭くなっている。
その身体が何よりも花丸の記憶と違っていた。明らかに背が伸びているのだ。
元より花丸より僅かに高かったが、今や頭一つは高くなっている。
花丸は幼馴染のあまりの変わりように唖然とするばかりだ。
対象的に、善子は泰然とした構えを見せて揺らがない。
「ようイモ」
再び善子に声を掛けられて、花丸も我に返った。
耳慣れた声色に間違いないと確信する。眼前の人物は、紛れもなく津島善子だ。
「なっ。善子ちゃんだって田舎者ずら。その前に、まるに言う事があるずら」
花丸も負けじと言い返し、顔を逸らした。喧嘩していた事を思い出したのだ。
「善子じゃねー」
ヨハネだ、と続くのだと思っていた。ならば、以前のように手刀をお見舞してやる。
問題は、身長の伸びた善子の頭に自分の手が届くかだけだ。
そう身構えていた花丸の耳に、続く善子の言葉が届いた。
「善男だ」
「ずらっ?」
意想外の言葉に、花丸は頓狂な声を上げるだけで精一杯だった。
手を振り上げる事すらままならない。
「善男……くん?」
花丸は戸惑いを隠せぬまま、呼称を言い改めてみた。不思議と違和感はなかった。
考えてみれば、髪の長さはともかく、
背丈や体格まで変わった人物を善子と呼ぶ方こそ違和感がある。
そうして今になって気づく。性別も変わっているのだ、と。女の子から、男へと。
認識を改めて眺め直して、目の前の人物にも合点がいった。
もし善子が男になったのなら、善男のような人物になっていただろう。
「そう言っただろ?おや?」
善子、否、善男は何かに気づいたらしく、視線を前方へと向けていた。
釣られて花丸も、善男の視線の先を追う。
緩慢な足取りでこちらへと近づいて来る、二人の姿が映った。
顔立ちには見覚えがある。鹿角聖良、鹿角理亞。
彼女たち姉妹は『セイントスノー』という名のユニットを二人で形成し、
北海道を本拠地としたスクールアイドル活動に勤しんでいる。
そしてセイントスノーは、花丸の属するAqoursとはライバル関係にあった。
「こんばんは」
花丸達とは距離を保って立ち止まり、姉である聖良が余裕のある口振りで言った。
「こんばんは」
反射的に花丸も挨拶を返すと、それが合図となったように妹の理亞が動いた。
花丸達を目掛けて、急に走り出したのだ。
弾丸のような向こう見ずの勢いが小さな姿に篭っている。
衝突の危険を感じ、花丸は身を竦めて衝撃に備えた。
対する理亞は怯む花丸の姿を笑ってから、頭を翻して撥条のように跳ねた。
花丸の頭上を、理亞が前転しながら通過してゆく。
花丸は呆気にとられて、奇行を見守る他なかった。
柔らかい新雪の上では、いくら勢いを付けても地面との反発は作用しない。
それを容易く空中で前転してみせたのだから、花丸は慄くばかりだ。
「北海道の女子高生って皆こんなに凄いずらぁ?」
身体を戦慄に震わせた花丸の喉から、掠れた声が漏れ出る。
それを聞く鹿角姉妹の表情には、花丸の呆けた呟きを肯んずる如き余裕の表情が浮かんでいた。
花丸の背筋を冷えた汗が伝った。
果南も曜も居ない今、嘲謔の態度で花丸に接したセイントスノーを咎められる者は居ない。
否、あの二人が居たとしても、理不尽な跳躍を見せた理亞は意に介さないだろう。
花丸の逃げ道を妹に潰させ、姉の聖良も動く。
焦らすようにゆっくり距離を詰めてきた。彼女もまた、妹に劣らぬ能力を持っているに違いない。
花丸は俎上の鯉になった気分で、早鐘を打つ胸を抑えた。怖い。
「大丈夫だ。俺がいる」
縮こまる花丸の耳元に、善男が囁きかけてきた。
「何をかっこつけているの?頼りないずら」
強がってはみせたが、善男の言葉で落ち着きを取り戻している自分が悔しい。
そんな花丸の胸中を見透かしてか、善男が鼻を鳴らす。
仕草の逐一が芝居がかっているのは、善子と同じらしい。
口調も背丈も髪の長さも違うのに、善男と善子の姿が重なって見えた。
だが、頼もしさの違いは圧倒的だ。
善男は花丸を守るように抱き寄せてから、理亞を睨み付けながら叫ぶ。
「おらぁっ。イブにケーキでもターキーでもなく喧嘩売るってどういう了見だぁ?
俺のツレを怯えさせてんじゃねーぞ」
理亞の足取りが止まった。連れるように、聖良の歩みも止まる。
「馬鹿にしないで。私達は売り子じゃない。
姉様。この人やっちゃいますか?」
一喝された理亞が声を震わせた。漏れ出る吐息は白く、肩も小刻みに震えている。
善男に気圧されている様が、花丸にも見て取れた。
「理亞、口を慎みなさい。
お二人には失礼をしました。お楽しみ中でしたか」
聖良は辛うじて体を繕っているが、顔に浮かべる笑みは硬く、余裕を思わせる雰囲気は消えていた。
「これから口説くところなんだよ。見れば分かるだろ?失せな」
「口説くってまるを?」
善男の堂々とした宣言が嬉しくて、花丸は思わず善男の顔を見上げていた。
凛とした顔が清々しい。
善子はここまで明瞭な態度を見せてくれない。
だからこそ、餓えている花丸の心の上澄みに波紋のように響く。
「失敬を。
狩猟の邪魔をしてはマタギの筋も立たぬと言うもの。
邪魔にならぬよう、私達は退いています。
雪は止んでしまっていますが、積雪が夜景の一助となりましょう。
それでは、北国の夜をお楽しみください」
聖良は一礼すると、理亞を連れて去っていった。
姉に従う理亞の表情は尖って見えたが、花丸が目礼すると不満も和らいだようだった。
少なくとも、目の棘は柔らかくなっている。
「綺麗な景色ずらね。沼津じゃまずお目にかかれないずら。
降雪に立ち会えなかったのは残念だけど、雪積もってるだけでもロマンずらー」
善男と二人きりになって間の持たない花丸は、必死に燥いでみせた。
景色に夢中になっていないと、善男に口説かれてしまう。
貞操の危機が花丸を動かしている。同時に、期待している自分も居た。
「降雪?これのことか?」
善男が指を鳴らすと、しろばんばが何処からともなく現れ、花丸に纏わりついた。
──否、違う。
花丸は思わず目を見開いていた。この白い粉体は舞っているのではない。
上から下へ、空から地へと、降っているのだ。雪、だ。
「ずらぁっ?」
「プレゼントだ。このくらい、お安い御用さ」
驚く花丸に、善男が不敵に笑った。
「いつの間にこんな事ができるようになったずら?」
疑問が花丸の口を衝いて出る。
花丸の知っている善子に、雪を降らせるような芸当はない。
ヨハネと名乗り勿体振った大言壮語を振りまくも、いつも滑って痛い目を見ているのが花丸の知る善子だ。
善男の芸当に見惚れる反面で、花丸の胸には違和感も兆している。
「ずら丸が夢見た時から、かな」
「わっ、何するずらっ」
善男に肩を抱き寄せられ、花丸は顔を逸らせた。
口に反して、何をされるか分かっている。
分かっているから、急いで口唇を逃したのだ。
「言っただろ、口説くって」
善男の指が花丸の顎を掴んで、無理矢理に正面を向かせた。
顔の動かせない花丸は、目だけ逸らして抗議する。
「強引ずら」
「嫌か?」
「嫌ではないずら。でも……」
花丸は声を濁らせた。
嫌ではない。
逆に、善子の煮え切らない態度や察してくれない鈍さに散々焦らされてきたのだ。
多少は強引な方が、却って手間も省けるというものだ。
だが、花丸の胸には、眼前の善男に対する違和感も同居していた。
善男を頼もしいと思う上、格好良いとも思っている。
惚れかけているのは認めざるを得ないが、惚れるまでに至れない。
身を任せるに得体の知れない不安があった。何処か怖い。
「ずら丸。俺はお前が欲しい。だから、俺を必要とする世界に留まっていろ」
善男が口唇を近付けてきた。このまま身を委ねると、もう戻れなくなる気がした。
ここに来て花丸の脳裏に過るは、頼りない善子の姿だった。
頼りはないが、根は優しくて善い子の姿だった。
頼もしくとも危険な香りを漂わせる悪い子ではない。
「助けて、善子ちゃんっ」
眼前の善男を消し飛ばす大きな叫び声が、花丸の口から迸り出た。
途端に雪景色は崩壊し、善男も輪郭を歪ませながら消えていった。
*
一変した景色が花丸を一瞬だけ混乱させた。
だが、すぐに状況を飲み込んだ。善子言う所の寝落ち、というものをしていたらしい。
現に、目の前に映るは見慣れた自分の部屋だ。
函館の夜景はタブレットの液晶画面上で停止している。
花丸は溜息を吐くと、窓の外に目を向けた。
東京や北海道の都市部とは違い、静岡の山間部では月明かりが夜の主要な光源となる。
照らされるは、殺風景な枯れ果てた田舎の冬景色だけだ。
それが、現実のはずだった。
「ずらっ?」
花丸は我が目を疑った。窓の外では白い粉が舞い降りている。
月の光を反射しながら踊るそれは、散乱する金粉のようにも見えた。
「雪ずらーっ」
花丸は炬燵から身体を抜き、窓に駆け寄った。
静岡でホワイトクリスマスなど、いつ以来になるのだろうか。
少なくとも花丸の人生においては初だ。
この記録的な瞬間を、できれば善子と相伴して迎えたかった。
適わぬならば、せめて眼前の降雪を二人分味わい尽くそう。
花丸は目を眇めて雪に見入った。
「んー?」
だが、花丸の没頭も長くは続かなかった。
眺めているうちに、花丸の頭に違和感が兆してきたのだ。
降雪の勢いの割に、木々に雪の積もる気配は見当たらない。
冷静になって目を凝らせば分かる。そもそも遠方には雪も何も降っていないのだ、と。
花丸の部屋の窓の直前にだけ、白い粉が落ちてきているようにしか見えない。
「いたずら?」
花丸は呟くと、部屋のドアを振り向いた。一人で確認に行くか、親に相談するか。
逡巡は一瞬で終わった。聖夜の奇跡に賭けてみたい。
コートを急いで羽織り、花丸は部屋を飛び出した。
廊下の冷たい床も、玄関に入り込んでいる寒気も、恋路に急く心を挫くには足りない。
玄関を飛び出して冷気に包まれてなお、花丸は胸奥から滲み出てくる熱気を感じていた。
白い息を吐き出しながら、花丸は目的地を一目散に目指す。
目的地は、自分の部屋の手前だ。
一歩、二歩と近付いてくに連れて、花丸の胸の鼓動も早まってゆく。
寺とはいえ、建物のうち生活に供しているスペースは広くない。
すぐに屋根の上に人影が見えてきた。屋根に上る、それだけでも候補は絞られる。
こんな芸当ができる身体能力を持った人間など、Aqoursでも三人しか居ない。
一人は曜、一人は果南。だが、二人とも今日に限ってそんな暇があるはずもない。
曜に至っては東京に居るのだ。
ならば、残るは──
田舎とはいえ、悪質な第三者の可能性も除外できなかった。
だが、その可能性とて、夜闇に紛れる人影の正体が明らかになると同時に消えていた。
正体を視認すると同時に、花丸は指を差して叫ぶ。
「居たずらっ」
「へっ?」
屋根の上に立つ善子から間の抜けた声が返ってくる。
大きな頭陀袋を背負う善子の姿は、遠目にはサンタクロースに見えないこともない。
その手から白い粉が零れ落ちていった。
花丸が雪だと錯覚した粉体に違いない。
頭陀袋に詰めた白い粉体を、善子が花丸の部屋の直上から降らせていたのだ。
「人工雪?それもインターネットで買ったずらか?」
「う、うん。まぁ、密林でね」
善子は気不味そうに頭を掻くと、視線を花丸から逸らした。
続く言葉を探しているらしく、宙に漂う焦点が定まっていない。
「よくそんなものを背負って登れたものずらね。
でも、危ないから降りてくるずら。そもそも不法侵入ずら」
花丸が促してやると、善子も意を決したらしい。
頭陀袋を背負ったまま、雨樋を頼りに器用な手付きで降りてきた。
その運動神経は賞賛に値するが、こうして見るとサンタクロースというよりも泥棒である。
家の者に見つかれば騒ぎになっていただろう。
「痛っ。って、今晩はー、ずら丸」
雨樋を辿る途中で手元が狂ったのか、降下に失敗した善子が落ちてきた。
幸い、もう地までの距離が大してなかったのと、背負っている頭陀袋が緩衝の用を成したのとで、
言葉ほどには痛そうに見えない。
久しぶりに面と向かって花丸と話す気恥ずかしさから、
故意に戯けてみせたのではないかと勘ぐる程度の小事に留まっている。
「大丈夫ずら?全く、おっちょこちょいな所は相変わらずずら」
やはりこのくらい間が抜けていた方が、善子らしくて良い。
花丸は何処か安心して言った。
「何久しぶりに話したみたいに言ってんのよ。って、こうして話すのは久しぶりなのかしら。
その、今までごめん」
善子が顔を伏せて詫びた。花丸も善子に倣って頭を下げる。
聞きたい言葉なら聞けた。
「おらも悪かったずら。ちょっと、意地になっちゃってたみたい。
それに、酷い事も言っちゃった……よね。だから、久しぶりに話せて嬉しいずら」
言ってから、花丸は確認するように言う。
「でも大丈夫?今日はクリスマスのスペシャルライブを配信するはずじゃなかったずら?」
「あんなの売り言葉に買い言葉で言っただけよ。
何日も前から、今日は休むってトップにピンしてあるわ。見てなかったの?」
善子と喧嘩して以来、意図的にヨハネの動画を避けていた。
そんな子供っぽい自分を、聖夜は変えてくれるだろうか。
「じゃあ、今日この後は善子ちゃんはまると過ごす時間があるってこと……だよね?」
「その為に何日も前から今日は空けておいたのよ。ギリギリになるまで逃げちゃってたけど」
喧嘩している冷戦の最中でも、自分と過ごす予定は変えないでいてくれたらしい。
逆に、諦めていた自分の方が善子よりも弱いのだ。
「逃げてないずら。来てくれたずら。でも、もっと普通に来れば良かったのに」
花丸は目を細めて言う。
言葉とは裏腹に、正々堂々と正面から来ない所こそ善子らしいと内心思う。
「あー、あんた、雪に憧れてるみたいだったし。
それでまぁ、お詫びって訳じゃないけど。その、演出みたいなものよ」
「堕天使ヨハネに付き物の演出ずらね」
「ええ、堕天してる時は大口よね、私。
沼津に雪を降らせましょう、なんて意気込みで来たはいいけど、そんなの出来っこないし。
すぐにバレちゃったし」
善子は顔に自嘲を浮かべた頭陀袋を見遣った。花丸も連れて視線を向ける。
膨らみから察するに、人工雪の残量もまだ残っているようだった。
「すぐに?でもまる、動画見てて寝落ちしてたんだよ?
それで目が覚めたら雪が降ってるように見えたから、タイミングとしてはバッチリだったずら」
花丸が寝ているうちに人口雪のストックを使い果たしていたら、
それこそ善子の心遣いが無下になっていた。
「あー、多分それ、私が登る時に立てた音で目が覚めちゃっただけだと思う。
雨樋とか結構軋んでたし」
善子が気不味そうに頭を掻く。
「なっ。人の家を壊さないで欲しいずら。
でも、そんな嵩張る荷物を背負って登って怪我しなかったんだから、良かったずら」
家のパーツと違い、善子は代わりが効かない。
「怪我なんてしないわよ。
曜や果南ほどじゃないけど、軟な鍛え方はしてないわ」
そう言った直後に、善子の口からくしゃみが出た。
「大丈夫ずら?」
常備しているポケットティッシュで鼻を拭ってやりながら、花丸は問う。
「んー、大丈夫、だと思う。ちょっと屋外に居すぎたかしら」
善子は寒そうに身体を震わせた。
雪が降らない地域とは言っても、冬が寒くない訳ではない。
長時間に渡って冬の外気に身を晒していれば、身体にも障る。
もしかしたら、降下に失敗したのも体調不良のサインだったのかもしれない。
ましてや善子は、嵩張る荷物を背負い、自転車で長距離を移動した直後なのだ。
汗が身体を冷やし、風邪に至りやすい体調下にある。田舎の終バスは早い。
バスのない時刻に来る前提で家を出たのなら、善子が用いた移動手段は間違いなく自転車である。
帰れなくなってしまうからだ。さもなくば、今日中に帰る気がなかったのか。
どちらせによ、花丸に善子を帰す気はなかった。
「風邪の引きかけずら。看病してあげるから、部屋においで」
「うー。甘えることにするわ」
善子は意地を張ることなく素直に従ってくれた。
善子にせよ、帰る気はなかったのかもしれない。
頭陀袋はその場に置いて、花丸は善子を部屋に招じ入れた。
何度も行き来した部屋であるにも関わらず、善子は緊張しているようだった。
それは善子が風邪を引いているせいでもなければ、花丸の気のせいでもないだろう。
この緊張は、善子と花丸が互いに共有しているものだ。
聖夜に何が起こるのか、何をするのか。暗黙の裡に互いの了解事項となっていた
「こっちは病人なんだから、優しく看病しなさいよ」
花丸のベッドに身を横たえた善子が恥じらいながら言う。
これからは看病という語が、二人の間で褥のサインとなりそうな予感がした。
「善子ちゃんこそ、まるを優しく扱ってね?」
花丸はベッドの袂に座を取って言う。
「どうかな。そうしたいけど、慣れてないし、焦ってムード壊しちゃうかも」
善子の端正な顔立ちに、悪戯っぽい笑窪が浮かんだ。
いいでしょ?と問うている。
「そこはお互い様ずら。変に手慣れてない方が嬉しいずら」
未経験の善子は一見頼りなく映るが、身を任せるに足る安堵感があった。
危険な香りはしない。
「ずら丸の方はどうなのよ?
私と会ってないうちに誰かと変な雰囲気になってないでしょうね?」
善子の問いは鋭意を帯びていたが、花丸は和ませるように笑う。
安心してほしい、と。善子以外に身体を許すような真似はしていない。
「はなまるぴっぴは善い子だけずら」
──この世に要るのは善い子だけずら
夢の世界で出会った善男に向けても胸中で呟いてから、花丸はベッドボードのLEDランプを灯した。
部屋の照明を落とし、その光源を頼りに善子を弄る。
イルミネーション綺羅びやかな都会の夜景には及ばないが、
今の花丸には何よりも大切なものを映すランプだった。
その蛍雪の如き小さな光源が教えている。
二人のクリスマスイブは、これからがクライマックスだ、と。
<FIN.>
>>2-23
以上で終了です。
お目汚し失礼しました。メリークリスマス。
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