佐久間まゆ「運命を辿って」 (37)
季節は春。入学式を目前に控えた休日に、私は椅子に座って高層ビル群を眺めていた。
どこまでもコンクリートが広がる街並みを見ると、遠くに来たと実感する。
東京に越してきて、寮に入ってからまだ数日しか経っていない。
この街と、個性豊かな寮の住人に慣れるにはまだ少しかかりそうだ。
微かに聞こえる足音に、視線を室内に戻す。
部屋の中は最低限の備品しか置かれていない。どこにでもある小さな会議室だ。
このプロダクションに来るのは二回目だが、こういう部屋だからこそ特に緊張を感じることもなかったのだろう。
その瞬間が目前に迫りながらも、心拍に乱れはなかった。
「失礼します」
ノックに続いて、低く落ち着いた声が聞こえてきた。一拍置いてドアが開かれる。
「申し訳ありません、お待たせしました」
「いいえ。私が早く着きすぎただけですから」
会議室に入ってきた男性に立ち上がって返事をする。
慣れない電車での移動のため30分は余裕をもって近くまで来ていた。
待ち合わせまで時間を潰せる場所を探していたところで、このプロダクションの人に捕まってしまったのは誤算だった。
「初めまして、佐久間まゆです。貴方が私のプロデューサーさんですか?」
「はい。これから佐久間さんを担当いたします。不慣れな部分もありますが、よろしくお願いします」
「こちらこそ。私はアイドルのことはあまりよくわかりませんから」
軽く挨拶を交わしながらこちらに近づいてきた。
「どうぞ、座ってください」
机に向かい合うようにして座ると、 プロデューサーさんは鞄から資料を取り出し始めた。
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数枚のA4用紙とファイルに続いて、水の入ったペットボトル二本が机に置かれた。
「急でしたので、こんなものしかありませんが……」
「ありがとうございます。いただきます」
差し出された方を受け取る。
キャップを開けて、一口飲んでから机に置いた。
「早速ですが、進めていきましょう。メールでお伝えしましたが、今日のお話はプロフィールの作成からになります」
確認するように見つめてくるプロデューサーさんと視線を合わせて頷く。
「以前所属していた事務所から資料はいただいていますが、佐久間さんのことを知らなければ今後の方針が定まりません。
プロフィールの作成からそのあたりのことをお話しできればと考えています」
「大丈夫です。これからのことを考えたらできるだけ私のことを知っておいてもらった方がいいでしょうし、なんでも訊いてください」
そう答えると、プロデューサーさんが一枚の紙を渡してきた。
プロデューサーさんの手元にも同じものがある。
「これが共通で使っているプロフィールのフォーマットです。あくまで内部資料で、外部には一部を非公開にしている方も多くいます」
「……特に答えたくない項目はありませんね」
「助かります。これを基本として、追加があればその後に聞きます。ではまず、登録する名前を」
「佐久間まゆでお願いします」
「年齢は」
「16歳です」
「身長は」
「153cmです」
「……体重はどうしますか?」
「40kgです。昔も事務所には言っていましたから、気にしないでください」
外に知られるわけではないし、必要な情報だろうから。
「すみません……」
「……どうかしましたか?」
プロデューサーさんの手が止まっている。
「いえ……その、ずいぶん軽いな、と思いまして」
「そうでしょうか? 普通だと思いますけど」
「そういうものですか。30kg以上も違うとどうにも……」
性別も違えば身長も20cm以上違うから、イメージしづらいのかもしれない。
それに、こういうデータには疎いのだろうか。
「次ですけど、78-54-80です」
「……ありがとうございます」
止まっていたのはこれもあったのかもしれない。
「誕生日と血液型をお願いします」
「誕生日は9月7日。血液型はB型です」
「ということは……乙女座ですか。お似合いだと思います」
「そう言われると嬉しいです」
「次は、利き手はどちらでしょうか?」
「両利きです」
「両利きですか。元は左利きでしたか?」
「右利きです。4歳からピアノを習っていたので、日常で左手を動かす訓練に使っていたら自然となりました」
「なるほど、そうでしたね。ピアノは趣味に書きますか?」
「趣味と言えるほど弾きませんし、特技と言えるほど上手でもありませんから。そこはお料理と編み物にしてください」
「家庭的、と言っていいのでしょうか」
「得意な方だと思います。家庭料理ならなんでもつくれますから」
「わかりました。出身地は」
「仙台です」
「……みなさん、基本的に県を書いていますが」
「あっ……宮城にしておきましょう」
「いえ、仙台でもいいと思いますが。神戸や名古屋としている場合もありますから」
「……そこと一緒にされるのは不本意ですけど。それでいいです」
「最後に、属性を決めましょう」
「属性は3択でしたよね?」
「そうです。こちらも基本的には本人の意思が優先されます。最終的に、デビュー時までは変更が効きます」
「…………プロデューサーさんは、キュート以外に向いている属性があると思いますか?」
綺麗でもかっこよくもなく、元気でもセクシーでもない。
私を分類するとしたら、かわいいになるだろう。
「キュートが適格でしょう。これで決定でしょうか?」
「はい」
「それでは、プロフィールは完成ですね」
プロデューサーさんがプロフィールの紙をしまい、手帳を取り出した。
「次に、今後のスケジュールについて打ち合わせをしたいと思います」
「少し待ってください…………お待たせしました」
私も手帳を取り出す。
新年度に合わせて買ったばかりで、まだページはほとんど使われていない。
「最初の2回のレッスンはそれぞれ歌とダンスを見てもらいます。どちらかと言えば現状把握の意味が大きくなります。
それから、宣材写真を撮りたいのでその日程も確保しておきます。以前その日程を連絡しましたが、その日は空いていますか?」
プロデューサーさんの言葉に、手帳に視線を落とす。
ボーカルレッスンと、少し離れてダンスレッスンの文字が書き込んであった。
「はい。予定は空けてあります」
「その間のところで撮影スタジオの予約が取れるのですが、ここの予定はいかがでしょうか」
「そこも空いています。衣装はどうしましょう?」
「佐久間さんのイメージに合わせてこちらで全て用意しますが、一応使えそうな私服があれば持ってきていただけると助かります」
「わかりました。いくつか心当たりはありますし、得意ですから。任せてください」
「お願いします」
互いに手帳に書き込んで、一息つく。
残っている書類の量から見て、このあたりで折り返しだろう。
……………
………
…
入学式を終えた週の午後。今日は最初のレッスンの日だ。
発声を確認して、今は最後に何曲か通して歌ってみている。
これはどちらかというと、私の歌の雰囲気を確認するためという理由が大きい。
プロデューサーさんも、青木明――トレーナーさんも、私の歌を実際に聴いたことはなかったから。
今後のプロデュースの方針とレッスンの方針を話し合うときにはこれが参考になるはずだ。
そのため、誰でも知っているような有名な曲の中から雰囲気の異なるものを選んでいた。
ここまでのレッスンでボーカルに関して特に問題はないと言われていた。
私は新人にしては上手な方らしい。
仙台で少し歌い方を教えてもらったことは十分役に経ったようだ。
歌い終わると、トレーナーさんが近づいてきた。
「まゆちゃん、お疲れ様! 明るく激しい曲とかなり変わった曲以外は問題なく歌えるみたいですね」
「はい。やっぱりそこは苦手です……」
「むしろイメージ通りというか、これからキュートで活動していくならまったく問題ないと思いますよ!」
「そうですか。安心しました」
「佐久間さん」
声のした方を向くと、プロデューサーさんが立っていた。
片手に紙パックのアップルジュースを、もう片方の手にはジュースが注がれたグラスを持っている。
「冷えていますが、もうレッスンは終了なのでいいかと」
「ありがとうございます」
お礼を言って、グラスを受け取る。
そのまま半分ほど一気に飲んだ。
「青木さんもいかがですか?」
「いいんですか? ありがとうございます!」
プロデューサーさんがグラスを二つ持ってきて、それぞれにジュースを注いだ。
一つはトレーナーさんに渡して、もう一つは自分で持っている。
レッスンスタジオで三人輪になって立ち、無言でグラスに入ったジュースを飲む。
私が手に持ったグラスの中身を飲み干したところで、プロデューサーさんが2杯目を注いでくれた。
「佐久間さん。ボーカルレッスンは難しかったでしょうか」
「いいえ、まだ最初でしたし、歌うだけですからそこまで難しくはありませんでした。どちらかと言えば、踊りながら歌えるかに不安があります」
「歌いなれている人でも最初は難しいところですから、そこは少しずつ慣れていきましょう!」
「なるべく、努力はしてみますけど……」
「ダンスは苦手ですか?」
「激しい動きは苦手ですね。運動ができないというわけではないですけど」
「楽曲はそういう部分も把握した上でつくっていくことになります。無理な要求はしませんから、安心してください」
「詳しい話は次回のレッスンでダンスを見てからですね!」
「お手柔らかにお願いしますね?」
「一応考えておきます!」
「……なんとなく察しました」
これ以上何か言っても無駄な気がする。
「さて、プロデューサーさんはこの後時間ありましたよね? 予定通りにここで直接報告と打ち合わせをしてしまおうかと思うんですけど」
「よろしくお願いします。佐久間さんも待っていますか?」
「はい。私も予定通りにここで待ってます」
今日はボイストレーニングだけだから、特に着替える必要もない。
「それでは、私は向こうで座ってますね」
2人にそう言って、部屋の反対側――入口の方に歩き出す。
トレーニングは部屋の奥で行っていた。入り口の辺りはさっきまでプロデューサーさんが座っていた場所だ。
ドアの横には何かの資料が積まれていた。一番上にはノートが開いた状態で乗っている。
その隣に腰を下ろしたところで、頭上に影が差した。
「……すみません」
一言断り、プロデューサーさんが手を伸ばして資料を全て回収する。
「いえ……それ……」
「まだ佐久間さんにお見せできないものもありますから」
「そうでしたか。私の方こそ、気づかなくてすみません」
「あまり時間はかからないと思います。そのままここで待っていてください」
「はい。急がなくてもいいですからね?」
……………
………
…
4月の半ばの水曜日。プロデューサーさんの案内でやってきたのは撮影をメインにしているスタジオだ。
所属する事務所が変わり、モデルからアイドルになったことでそのイメージに合わせて宣材写真を撮ることになっている。
前職のこともあり、アイドルのお仕事の中では撮影が最も得意だ。
アイドルとして最初の記録に残るお仕事に挑むことになるが、特に緊張はしていない。
「おはようございます。『ホワイトレディ』の佐久間まゆです。本日はよろしくお願い致します」
中に入って、スタッフさんたちに挨拶をした後は、衣装選びだ。
事前にある程度の傾向は決めてあって、今回はほとんど私服と変わらないようなものになる予定だ。
私専用の衣装がまだないということも大きいが、この段階でしっかりとして衣装を着て撮影することは稀らしい。
普段の姿とアイドルの時によほどギャップがある場合を除いて、なるべく自然体の写真が欲しいとのことだ。
「さすがに落ち着いていますね」
「このお仕事を1年やっていましたから。短いですけど、撮影だけはただの新人アイドルよりはできると思います」
「頼もしい限りです」
「プロデューサーさんも十分落ち着いていると思いますけど」
「何回か付き添いはしましたが、私が全て決めるのは初めてです。佐久間さんには助けられていますよ」
「それじゃあ、その分他のお仕事では頼りにさせてもらいますね? さて……」
持ち込んだ衣装と、スタジオに置いてある衣装が保管されている部屋に入った。
ここは主に『PROJECT CINDERELLA GIRLS』に参加しているプロダクションが共用のものとして衣装を置いている。
さすがに使わなくなったものやサイズアウトしたものが中心らしいが。
「今日は私服と今期の共通衣装の2着でしたよね?」
「はい。共通衣装はこちらに」
プロデューサーさんが部屋の一角を示す。そこには赤いステージ衣装が数着かけられていた。
今期は『アクロス・ザ・スターズ』という名前だったはず。
年始のライブで発表になった衣装の新品をここに置ける財力には感心すればいいのか呆れればいいのか。
そのおかげで私のような新人でもこの衣装で撮影ができるのだから感謝はしているけれど。
ある程度のサイズの違いは調整できるようになっている。
本当に撮影用に用意してあるようだ。
「これは後でもよさそうですね。先に私服の方を決めてしまいましょう」
「わかりました。一通り見て回ってみますか?」
「そうですね。そうしてみます。いくつか候補を挙げてみましょう」
ラックの間を歩いて、気になった服を手に取って見ていく。
途中ピンクを中心に何着かは候補として抜き出しておいた。
「佐久間さんの方は決まりましたか?」
「いくつか選んでみました。プロデューサーさんも見てみてください」
近づいて声をかけてきたプロデューサーさんも、衣装を何着か手に持っていた。
「佐久間さんはどれがいいと思いましたか?」
「私はプロデューサーさんに選んでもらいたいです」
「私が、ですか?」
「アイドルとしてのイメージを考えるのはプロデューサーさんのお仕事ですよね。私は撮影には慣れてますけど、自分の色を出すのは初めてですから。
今回はプロデューサーさんに全てお任せします。ここにある衣装ならどれも似合いそうですし」
「……わかりました。それでは、これはどうでしょうか」
そう言って手に持ったのは、私が選んだ中の一着だった。
白いブラウスとピンクのワンピース。
これは私達が持ち込んだ衣装だったはず。
「それから、よかったらこれも」
衣装を掛けて、私の手に置いたのは衣装と同じピンクのカチューシャと、赤いネックレスにブレスレット。
「……ありがとうございます。これなら衣装にも合いそうです。わざわざ選んでくれたんですか?」
「小物も充実していましたから、空いた時間に。あとは……」
プロデューサーさんがスーツのポケットに手を入れる。
「左手を出してもらえますか?」
「……? はい……?」
私が左手を差し出すと、その手首に白いレースで縁取られた赤いリボンが巻かれた。
腕を何周かしたところで、軽く結ばれる。
「リボンがあった方がいいかと思いました。どうでしょうか?」
「……とっても素敵です。やっぱりプロデューサーさんにお願いして正解でした」
「これも仕事ですから」
「そうでしたね。それじゃあ、準備をしてきます」
「お願いします。何かあればすぐに言ってください」
「わかりました。でも、大丈夫です。すぐに終わらせてしまいますね」
……………
………
…
5月に入って、気温もずいぶん高くなってきた。
仙台と比べると格段に暖かく、もう冬物は完全にしまってもいいくらいだ。
平日から事務所に入り浸っているのも、今がゴールデンウィークだからこそ。
実家から帰ってこいと言われることもなく、気楽なものだ。
椅子に座って、次の資料の表紙をめくる。
『PROJECT CINDERELLA GIRLS』の寮で暮らしているとはいえ、やはり社外にあまり持ち出さない方がよいものもある。
事務所で見てもそう手間はかからないのだから、わざわざ持ち出す必要もないだろう。
ここで過ごすときに注意しなければならないのは、プロデューサーさんの仕事の邪魔にならないようにすること。
ゴールデンウィークだからこそイベントがあったりして、連休とは言えない稼働率だ。
その分、他のところで分散させて休みを取っているようだけど。
壁にかけられた時計を見るために顔を上げると、さっきまで聞こえていたマウスとキーボードの音がなくなったことに気付いた。
プロデューサーさんを見ると、画面を見つめて動きが止まっている。
ただここにいるだけで何もしないというのも居心地が悪い。
私も少しは働くとしよう。
「プロデューサーさん、どうぞ」
「佐久間さん? ありがとうございます」
プロデューサーさんの机にコーヒーを置いて、元の席に戻る。
私の飲み物も同じくコーヒー。角砂糖は3個分。
「佐久間さん。今時間はありますか?」
コーヒーを一口飲んだ後、プロデューサーさんがそう訊いてきた。
「私はいいですけど、お仕事はいいんですか?」
「これからその仕事のお話をしようかと思いまして。佐久間さんは今日はオフですから申し訳ないのですが」
「オフと言っても、ここでこうして資料を読んでいましたから。気にしないでください。お話くらいならいつでも聞きます」
「それでは、決まりですね」
プロデューサーさんが紙とペンを持って、机を離れる。
そのまま、私の向かいに腰を下ろした。
「レッスンは順調ですね?」
「はい。やっぱりダンスは少し苦手ですけど、そこも振り付けを考えてもらいましたから」
私のデビュー曲、『エヴリデイドリーム』では激しい動きは取り入れていない。
『お願い!シンデレラ』を始めとして全体曲やキュートの属性曲ではそういかないこともあるけど、今のところは誰でも踊れるように高難易度のものはない。
「衣装も問題はありませんか?」
「とっても気に入っています。サイズもピッタリです」
私の専用衣装、『ミニオンルージュ』もいい出来だ。
アイドルらしいかわいい衣装は一目見て好きになった。
「それでは、そろそろデビューの日を決めたいと思うのですが」
「デビューですか。確か小さいイベントを開くか、どこかのライブに参加するのがよくある方法ですよね」
東京に来てからもモデルのお仕事は少ししていたけど、アイドルとしてのデビューはステージに立つことを指す。
この時点で自分の歌を持っていないこともなくはない。
こういうところではプロダクションの規模に本当に助けられている。
「その場所を考えていましたが、ここがよいのではないかと思いました」
プロデューサーさんがA5サイズのチラシを差し出してきた。
「路上ライブですか?」
「週末に原宿で行っています。アイドルに限らずどんなパフォーマンスでも参加でき、周辺でグッズやCDの販売も可能です」
開催はほぼ毎週。出演はアイドルやバンド、手品や演劇もあるらしい。
「異存はありませんけど、どうしてここを選んだのか教えてもらえませんか?」
「これは今後の展開にも関わってくることですが、佐久間さんの初期のファン層は狭く深くなると予測しています。
最終的には女性の比率が高めの、一部の熱狂的なファンと大多数の一般のファンという構成になるかと。
特に今のデビュー間もない時期には少しでも追ってくれるファンを獲得する必要があります。
佐久間さんのどこかに惹かれた人がファンになるのならば、その対象はアイドルファンに限定する必要はないと思います」
「だから、色々な人が集まる場所を選んだんですね」
「はい。今後もこういった仕事は多くなると思います。モデルと歌からもファンの獲得を目指していきますが」
「構いません。必要ならなんだってしますから」
それにしても……
「毎週こんなステージを組めるなんて、やっぱり東京は大きいですね」
「そうでしょうか?」
「仙台だったら毎週なんてとてもできません。こういうイベントはよく知らないので、客層とかの資料があるといいんですけど……」
「でしたら、次回のイベントを観に行ってみませんか?」
「参加ってそんなに簡単なものですか?」
「路上イベントですから。むしろ参加者側にも飛び入りがあるくらいです」
「なるほど……?」
それなりに大きい街で生まれ育ったけど、やっぱりここのことはよくわからない。
「私達は普通に参加申請をしておきます。出演はおそらく2週間後になるかと」
「わかりました」
「最初ですから、1曲だけにしておきましょう。『エヴリデイドリーム』でいいでしょうか?」
「はい。それまでは最後の仕上げをしておきますね。トレーナーさんへの連絡はプロデューサーさんにお願いできますか?」
「スケジュールの調整はこちらでしておきます。他にはなにかありますか?」
「……特にはありません。この後は過去のイベントを調べておこうと思います」
「私の方でも役に立ちそうな情報があればその都度お伝えします」
そう言って、プロデューサーさんが立ち上がった。
「プロデューサーさん。イベント、楽しみですね」
「ええ、私も楽しみです。成功させましょうね」
……………
………
…
「プロデューサーさん、今日は人が多いですね。客層が少しアイドル寄りでしょうか?」
会場に到着し準備を終えて客席を見ると、今日は観覧エリアから少しはみ出すくらいの人が集まっていた。
先週に来たときよりも何割かは多い。
「先週よりも出演するアイドルが多いこともありますが、おそらくその中の一人が原因だと思います」
今回はこのイベントに参加するような中ではそれなりに有名なアイドルが参加していた。
「あの赤い集団が全部ファンですか……」
会場の1割ほど、ステージ前に赤い法被を羽織った集団が居る。
この段階であそこまでのファンを持っていることはまずない。
事前にライブの映像を見ていたから理解はできるけど。
「ふーん、アンタが佐久間まゆ?」
プロデューサーさんと話していると、背後から声をかけられた。
それだけで気分が落ち込んでいく気がするのはなぜだろうか。
「前川みくさん、ですか。はじめまして、佐久間まゆです。今日はよろしくお願いします」
「今日はよろしく。ここでは出演者全員が対等だけど……アイドルの先輩としてステージは温めておくから、まゆチャンは気楽に歌えばいいにゃ!」
「――ありがとうございます」
振り返った先に居たのは、ネコミミと尻尾をつけて露出の多いピンクの衣装に身を包んだ少女。
資料の上で私は彼女をよく知っているし、彼女も私のプロフィールは調べているだろう。
「まゆチャンのプロデューサーもはじめまして。『ホワイトレディ』のプロデューサーは別の人だったはずだけど?」
「私は今年からプロデュースをしています。前川さんがご存じないのも当然かと」
「ふーん、そっか…………新人にしてはまゆチャンの実力も高そうだし、信頼関係も結べてるみたいだね……」
その会話からも、彼女がどれだけ研究を重ねているのかがわかる。
「ねぇ、みくをプロデュースしてみない?」
少し考えるような素振りを見せた後、プロデューサーさんの方を向いて彼女が言ったのはそんな言葉だった。
彼女はセルフプロデュースのFランクアイドル――その中でも限りなくEランクに近い。
そして、シンデレラガールズ入りを目指しているという噂は真実だったのだろう。
「かなりお買い得だと思うよ? こんなに実力があってフリーな新人アイドルは他に居ないにゃ!」
「そもそも私はまだ佐久間さんをデビューもさせていないような新人です。2人のプロデュースは通常不可能です」
「通常、ね。じゃあそれを覆す実力をみくが見せれば?」
「私は佐久間さんのプロデュースで手一杯ですから」
「考えてくれるだけでいいんだけど。『ホワイトレディ』のオーディションへの参加でもいいし、実際にプロデュースしてくれるのは手が空いてからでもね。
まゆチャンならすぐに上に行くだろうし。そうだね、じゃあ手始めにまゆチャンとライブバトルで勝負――」
「――お断りします」
私の言葉に彼女が絶句する。
「なんで? まゆチャンにはメリットしかないはずだけど? 負けても失うものは無いし」
私達が参加している枠組みは『PROJECT CINDERELLA GIRLS』の他に『アイドルランク制度』がある。
CDやグッズの売り上げやイベントへの参加をポイントに変換して、F~Sまでのランクが割り振られる。
わかりやすい人気と実力の指標のひとつだ。
このポイントを相手から奪うことができるのがライブバトル。
会場の観客の投票で勝敗を決するこのバトルは上位者に拒否権はなく、リベンジにも一定の期間臨めない。
今の私は0ポイントだから、ライブバトルの拒否ができる。
「負けても奪われるポイントは持っていませんけど、わざわざデビューを黒星で飾ることはないでしょう?」
ここが彼女のホームである以上、不利なのは私の方だ。
「自信がないの?」
「経験が違いますから。当たり前でしょう?」
「だからこそ、予行演習にちょうどいいと思うよ?」
「次の機会があればぜひお願いしたいですね」
「そっか、今回は受ける気ないんだ」
「理解してくれてありがとうございます」
「せっかくプロデューサーの実力も試せると思ったのに」
「ずいぶん自信があるんですね」
「うん。これでも下から色々なアイドルとプロデューサーを見てきたからね。ちょっと追い込んだ方がよくわかるんだけど」
「それも経験ですか?」
「そ。でも利を考えて断るのもひとつの選択だよね――今までは受けた人しかいなかったけど」
そう言う彼女の瞳には失望の色があった。
「……そうですか。ライブバトル、受けましょうか?」
「佐久間さん」
プロデューサーさんの制止を手を突き出すことで止める。
「……どういう風の吹き回し?」
「必要だと思ったから、で納得してくれますか? この先も付きまとわれたら迷惑ですから、誰も注目していないデビューライブで傷を負う方がマシでしょう?」
「そこまでする気はなかったんだけど。でも、やるからには本気で行くから! 手を抜かないでよね!」
「心配しなくても、私も全力でいきますよ」
「それでよし! それじゃ、手続きはみくがしておいてあげるから。また後でね!」
「佐久間さん、本当によかったんですか?」
彼女が去って行った後、プロデューサーさんが声をかけてきた。
心配そうな様子はあまりない。どちらかと言えば、確認の意味合いが強いだろうか。
「勝てばいいんです。そうすれば何も問題はありません」
「そうですか。私からは何も言うことはありません。ライブの方は変更ありませんね?」
「はい。そのまま、『エヴリデイドリーム』でお願いします」
「わかりました」
プロデューサーさんが本部の方に歩いていく。
出番はもうすぐ。私も最後の確認をしておこうか。
アイドルのブロックが始まる直前。客席ではスマートフォンを取り出している人の姿が見える。
すでにライブバトルを行うことは告知されており、今はその準備の時間だ。
こういう野良試合ではアプリによる投票が行われる。
位置情報と連動させているから、基本的に不正はしにくい。
ライブ終了後に締め切られ、その時点で選択されていた方に票が入る。
「今日も全開でいっくにゃーーーー!!」
彼女の出番が始まったようだ。かなりの歓声が聞こえてきた。
客席では赤いサイリウムが振られている。
「『野良猫ハート』!」
イントロに合わせて曲名が叫ばれる。
これはファンから贈られた彼女のオリジナル――エース曲と言えるものだ。
これを切ってきたということは、間違いなく本気だろう。
客席の盛り上がりも、先週見に来たときとは全く違う。
といっても、あまり激しい曲ではない。
私の曲を続けて聴いても違和感はないだろう。
それにしても、パーソナルカラーが同じ赤というのはなんという偶然だろうか。
観客からしたらわざわざ色を変えなくて済むから手間が省けてよかったのかもしれないが。
「ありがとにゃーー!」
客席に大きく手を振って、彼女が戻ってくる。
1曲歌ったくらいではあまり疲れた様子も見えない。
「どう? すごかったでしょ?」
私の目の前まで歩いてきて、そう訊いてくる。
ライブの興奮が抜けていないようだ。
たしかにFランクで、しかも無所属であんなステージをつくれるアイドルもそう居ないだろうが。
「――だから?」
だから、どうしたと言うのだろうか。
彼女の赤いサイリウムが振られているあの空間は、私の赤で染め上げればいい。
左手にマイクを握って、ステージに踏み出す。
心は静かなまま。
あの程度、私がステージに懸ける想いの障害になりはしない。
「そん、な……………………」
ステージの袖で彼女が崩れ落ちる。
視線の先にはステージ中央に設置されたモニタがあった。
8対92。
それが、ライブバトルの結果だ。
「なんで……」
彼女が私のステージを見て結果に疑問を抱くとは思えない。
ということは、なぜ私があのステージをできたか、という疑問だろう。
「簡単なことです。私が貴方を想って歌って、負けることなんてありえませんから。
独りでは限界があっても、独りじゃなければどこまでだって行ける。
歌は技術だけじゃ決まらない。籠められた想いが実力以上に人の心を揺さぶることがあるでしょう?
だったら、私の想いよりも強いものはないんですよ」
「なにを、言って」
「そうですね……分かりやすく言うとしたら――」
彼女の耳元に唇を寄せて。
「相手が、悪かったですね」
「っ!」
「それじゃあ、さようなら」
きっと、もう会うこともないでしょう。
控室に戻ると、プロデューサーさんが中で待っていた。
「佐久間さん、お疲れ様です」
「プロデューサーさんこそ、お疲れ様です。ちゃんと見ていてくれましたか?」
「はい。いいステージでした」
「うふっ。ありがとうございます」
仕事と両立できる今の環境はなんと素晴らしいことだろうか。
「あまり心配はしていませんでしたが、あれほどの大差になるとは思いませんでした」
「だって、貴方がくれた曲でまゆが負けるわけがないじゃないですか。結果は熱が入りすぎただけですよぉ」
「佐久間さん」
「『エヴリデイドリーム』は、少なくとも歌詞はプロデューサーさんが原型をつくったんですよね?
……もう、いいじゃないですか。何も問題はないと思いますよ?
私だってあの時貴方が撮影補助のアルバイトで仙台に来てから、ずっとずっと待ってたんですから」
「……ええ、そうですね。そうでしょうね」
ため息と共に、どこか諦めたような安堵したような声が返された。
「それじゃあ、答え合わせをしましょう?」
プロデューサーさんの傍に近づいて笑う。
「なぜ、プロデューサーになったんですか?」
――まゆのことを探すため。
「なぜ、モデルをしていたのですか?」
――貴方を探して見つけてもらうため。
「なぜ、まゆの好きなアップルジュースがわかったんですか?」
――今年2月のコミュニティラジオを聴いていたから。
「なぜ、私が詩の原案を書いたとわかりましたか?」
――貴方のノートを覚えていたから。
「なぜ、まゆの好みの衣装がわかったんですか?」
――貴方がまゆを見ていたから。
「なぜ、私が集中したいときに飲むコーヒーを知っていたのですか?」
――まゆが貴方を見ていたから。
「それだけじゃないですよねぇ。レストランで、雑貨さんで、喫茶店で……
うふふ。全部全部ぜぇんぶ覚えていますよぉ。忘れるはずがありません」
ああ、楽しくて楽しくてしかたない。
「――ねぇ、プロデューサーさん。貴方は運命を信じますか?」
「少し前までは信じていませんでした」
「うふ。2年前まで、まゆも同じでした。
大切なものは喪ってから気づくんです」
こんなところでもお揃いであることが嬉しい。
「貴方とまゆは同じなんです。同じように執念深くて、嫉妬深くて、愛情深い。
これがどちらか一方であればよかったんですけど」
「互いに同じであれば歯止めが利かなくなります」
「そう、そうです! 同じだからこそ、裏切りは許されない。
ううん、裏切りを疑われることすら許されない。
もしそうなれば、なにをするかわかりません。
だって、自分に裏切られるのと同じことですから」
一歩下がって、プロデューサーさんに左手を差し出す。
「だから、誓いましょう?
貴方がまゆを裏切らない限り、まゆは貴方を裏切りません。
まゆが貴方を裏切らない限り、貴方はまゆを裏切らないでください」
「誓いましょう」
プロデューサーさんが私の左手を取った。
「互いに離れられない、運命で結ばれた関係……うふっ、素敵ですよねぇ?
プロデューサーさんはまゆのもの。プロデューサーはアイドルのことだけを考えるお仕事なんです。
それって、とっても素敵なことですよねぇ? ねぇ!」
「貴女を探すためにこの仕事を選びましたから。こうして担当した時点で貴女に人生を捧げたようなものです」
「貴方に逢うためにモデルになって、東京に来てアイドルになったんですから。
まゆの人生は貴方のものです。
その時までは、アイドルとして常に貴方の傍に居ます」
プロデューサーさんが手を放すのと同時に、扉の方を向く。
「ところで、ここにネズミが入り込んだようですねぇ」
そう声をかけると、ドアの向こうから動揺した気配が伝わってきた。
「ねぇ、前川さん。どこから聞いてたんですか?」
「……なんでバレてるの?」
「女のカン、ですか?」
「はぁ、考えるのもアホらしいにゃ」
ドアを開けて、彼女が中に入ってきた。
「それで、どこからですか?」
「なんか誓ってたとこから。聞く気はなかったんだけど」
「ドアの隙間に耳を当てておいてそれはないと思いますよ?」
「うぐっ……」
「これも当たりでしたか」
まったく、油断していたわけではないのに。
「……まさか、ひっかけたの?」
「はい。だって、そうでもしなければ私達の会話を聞き取れるはずがありませんから。
前川さんが居るのだって、微かに鈴の音が聞こえたからわかっただけですし。立ち上がる時に漏れたんですか?」
「まゆチャン、性格悪いって言われない?」
「今初めて言われましたねぇ」
さて、いつまでも遊んでいてもしかたない。
「それで、ここからがお話です。
前川さんはこの事を公表しますか? 少しは私にダメージを入れられると思いますよ?」
そう訊くと、彼女は目を閉じて黙り込んだ。
「……………………いや、やめとく」
「私としては助かりますけど。理由を聞いてもいいですか?」
「こんなことで報復なんてしたくもないし、馬に蹴られる趣味もないし。
だから、これでなにかを要求することもないよ」
「前川さんは立派ですね」
「そんなんじゃないよ。あんなに差を見せつけられたらこれ以上何かをする気になんてならないってだけ。
みくはみくでまた地道にやってくにゃ!」
彼女はどこか晴れ晴れとした表情でそう言った。
「それなりに躾もされていて、身の程を弁えていて、プライドも持っている。調べていた通り本当に猫みたいな人です。
でも、理解者としてこれ以上の人は居ないですよねぇ。
……決めました。プロデューサーさん、この野良猫、ウチで飼いましょう?」
「は?」
彼女が間抜けな表情のまま固まった。
「私も積極的に賛成します」
プロデューサーさんが答えたところで、唇がわなわなと震え出した。
「ちょおおおおっと待つにゃ!」
「はい、どうかしましたか?」
「どういうこと? これ」
「『ホワイトレディ』の所属になれますよ。いいことでしょう?」
「いやいやいや、いきなり言われても! というかさっきまで断ってたよね!?」
「状況が変わったんです。
プロデューサーさんもいつかは担当アイドルを増やします。
そのアイドルは実力があって信用できる方が好ましいですよね?
わざわざ探さなくても目の前にちょうどいい人がいるじゃないですか」
「ああ、そういうこと」
「私のプロデューサーさんを徹底的にプロデューサーとしか見ていないところも気に入りました」
「それはまゆチャンが異常なだけだと思うけど……」
「それも個性ですよ。プロとしてお仕事はちゃんとこなしますから、そこは心配しないでください」
あくまでアイドルのお仕事にマイナスの影響を及ぼすつもりはない。
世の中にはバレなければいいという考え方もあれば、認めさせてしまえば問題ないという考え方もある。
「はぁ…………わかった。
みくはどんなチャンスでも掴んでいかなきゃいけないし。
その話、乗った!」
「うふふ、ありがとうございます。
それじゃあ、鉄は熱いうちに打てとも言いますし」
「小さい会社であれば、上層部を押さえておけば大抵のことはなんとかなります」
プロデューサーさんに視線を送ると、すぐに返事が返ってきた。
「ということで、行きましょうか。社長室」
「……え?」
前川さんが呆けた様子になるのは何度目だろう。
とはいえ、今回もすぐに再起動するだろう。
……………
………
…
「失礼します」
「ああ、来たかい」
私達が部屋に入ると、奥に置かれた机の向こうから声がかけられた。
そこにはこの部屋の主、一人の老女が座っている。
「それで、あんたが前川みくかい?」
「はい! 前川みくです!」
「(そんなに緊張しなくてもいいんですよ?)」
「(いやいや無理だって!)」
小声で前川さんに話しかけてみると、返ってきた答えがこれだった。
「ふうん。あんたらは無事に捕まえたみたいだけど、この子もそれを知ってるんだね?」
「やっぱりバレましたか」
「年寄りを舐めるんじゃないよ。とりあえずおめでとうと言っておこうかい」
「「ありがとうございます」」
「ホントに事務所公認なんだ……」
前川さんがポツリと呟く。
「うちは夢は売ってても生娘を売ってる気はないからね。男がいたくらいでぐだぐだ言うようなファンは居なくてもやろうと思えばやっていけるのさ」
「『ただし自分の面倒は自分で見な。そいつがいい女の条件だよ』、でしたよね?」
「その通り。楽な道を選ばなくたって利益を齎しているうちは何も言わないよ。
どういうわけかうちにはこの手の小娘ばかり来ちまうけどね」
「私の母も祖父も伯父達も叔母も、みんなこうしてきたんですよぉ?」
「あんたはその中でも飛び切りだよ」
「(うわぁ、さすが女傑……)」
「ババアを付けなかったね。誉めてやろうじゃないか」
「に"ゃっ!?」
前川さんの反応にため息を吐く。
社長は地獄耳だって、事前に教えておいた方がよかっただろうか。
「というかだね、あんた結構余裕なんじゃないのかい?」
「いえいえそんなことは全然! 頭が真っ白なだけです!」
必死に否定しているところを見ると、本当に言うつもりはなかったようだ。
「まあいいさ。話は実力を見てからだよ。
映像があるんだろう? 寄こしな」
「こちらです」
プロデューサーさんがSDカードを渡すと、PCのモニタで再生を始めた。
音声はスピーカーで流しているから、前川さんの歌声と客席の歓声が静かな部屋の中に響くことになった。
その本人はといえば、一人だけそわそわと落ち着かない様子だ。
約4分間の映像が終わると、社長が視線をこちらに向けた。
「そうだね、うちの社風は知ってるだろう?
それで、そのキャラを辞めるつもりは?」
「絶対お断りにゃ!」
社長の言葉に前川さんが即答する。
「アイドル『前川みく』はなにがあっても曲げない! これが認められないならこっちから願い下げにゃ!」
「私としては、前川さんはこのままで十分佐久間さんと組んでも活動していけると――」
「ああ、そうだろうね」
プロデューサーさんの話を遮り、社長が呟いた。
「こいつは色物の皮を被った正統派、だろう?
ファンも面白い猫キャラだから応援してるんじゃない。これは純粋に歌を聴きに来てる。
この分だとCIRCUS(色物事務所)の娘っ子には追い払われてそうだねぇ。あそこは道化に徹することのできるやつしか採らないし」
「う……」
どうやら、図星だったらしい。
「961は論外、SPADEはギャル系、CGとピチカートは良くも悪くも普通。
となると、ここしか受け入れることのできる事務所はありませんよねぇ?」
「事情も実力もわかった。ほっときゃ信念と心中しそうなところも気に入った。
で、あんたらに覚悟はあるのかい?」
問われたところで、プロデューサーさんと視線を交わす。
「損はさせません。アイドルとして成功と言われる実績を残すことは可能です」
「私とプロデューサーさんにとってここ以上に都合のいい場所はありませんから。
切り捨てるのが惜しくなるくらいには働きます」
私達が答えると、社長がため息をついた。
「そうじゃない、と言いたいところだけど何を言っても無駄だろうね。
いいさ、実力はあるんだしやるだけやってみな。
失敗したらその時はその時で責任を取らせればいいさ」
「だそうですよ、みくちゃん」
「えっと、うん、わかった! あ、あと、ありがとうございました!」
私に返事をした後で、社長に向かって頭を下げる。
「この殊勝な態度、どっかの誰かにも見習わせたいね」
「あ、あはは……これどうしろと」
「みくちゃんが同意しても別に私はなにも言いませんよ?」
「言わないだけでしょ! というか名前……」
「だって、ユニットは仲がいいものでしょう?」
「……ほんっと徹底してるね」
「ありがとうございます」
私が大げさにお礼を言うと、憮然とした表情になった。
図太さではいい勝負だ。
「みくちゃん、これからよろしくお願いします」
「よろしくね、まゆチャン!」
……………
………
…
運命の出会いなんて、別に信じてはなかった。
運命。運命。運命。
童話や少女漫画の中ではそんな出逢いがありふれている。
そんなこと、あるはずがないのに。
地方の大都市で普通の女子中学生をしていた私の世界はどこまでも灰色に見えて、何も変わることなんてないと思っていた。
13歳の夏、あの人と出逢うまでは。
私は空っぽだ。
そう思われることがあるのは知っているし、自覚もしている。
運動は苦手だけれど、勉強や芸術はたいてい上手にこなせた。
だけど、それだけだ。
そこから先、もっと上に行く段になって、彼らは口を揃えて言う。
熱意が足りない、と。
当然だ。私だってやりたくてやっていたわけじゃない。
才能を見出したらひとまず囲わずにいられない彼らに付き合っていただけだ。
何より、努力したって本当の一流になれないことくらいわかっている。
それなのに、勝手に期待して勝手に失望していく。
そんな事を繰り返していたからだろうか。
「すみません」
誰も私を見てくれない中で、
「お話を、聞いていただきたいのですが」
私のことを初めてまっすぐ見つめてくれたあの人に、これほどまでに魅かれたのは。
以上です。お付き合いいただきありがとうございました。
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