「筒香いいなー……うちも若手の砲台が必要なところなんだけど……」
「では、キャッツへ移籍させましょうか?」
「でもこれ以上スターの球団が弱まるとセリーグの均衡が崩れて広島が……」」
琴歌ちゃんは、にっこりと笑っていた
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あたしが他球団の選手を羨ましがって
琴歌ちゃんが移籍を提案して
あたしがそれをはぐらかす
あたしと琴歌ちゃんは、そんなやりとりを何度も何度も繰り返している
琴歌ちゃんは、移籍がそんなに簡単なものじゃないということを知っている
選手契約には厳密な規則があり、駆け引きが有り、お金だけで解決するものではないと知っている
それでも言うんだ、あたしに
「柳田いいなー、1番2番を打てる選手欲しいな」
「では、キャッツに移籍させましょうか?」
☆
きっかけは、あたしの迂闊な発言だった
『えー!琴歌ちゃんちってキャッツと関係ある会社なの!?それは初耳だよ!?琴歌ちゃーん!』
琴歌ちゃんの家の、なんとかホールディングスという会社が……キャッツと関係を持っている。そういう話を知って、琴歌ちゃんにこう言ったことがあった
『琴歌ちゃん!キャッツを強化しよう!大型新人と海外の助っ人を……』
冗談のつもりだったけれど。あたしはそう言ってしまった
帰って来た返事は、抑揚がない事務的な声だった
『姫川さん……申し訳ありません。私にはキャッツの編成権はありませんので……』
琴歌ちゃんは、まるで顔に仮面を貼り付けられたような、そんな表情をしていた
自信に満ち溢れ、常に真っ直ぐに前を向いていた、いつもの琴歌ちゃんとはまるで違っていて。その目に光は見えなかった
直後、琴歌ちゃんはハッとした表情をして
『す、すみません……私、なんてことを……し、失礼いたしますっ』
あたしの前から走り去ってしまった
☆
『世間知らずな小娘と思われるかもしれませんが……その通りですわ』
琴歌ちゃんは、よく自分のことを《世間知らず》と言っていた
確かに、アイドルとしての琴歌ちゃんはその自称が相応しいものだったかもしれない
けれど、よくよく考えてみれば……《西園寺家の令嬢》としての琴歌ちゃんは、世間知らずでいられるはずがなかったのかも
近づいてくる人の真意を見極め、自身の内面を見せず、表面的な社交辞令をぺらぺらと操る
そういう風に、生きていた……と、いうのはあたしの想像だけれど
この考えがもし、事実に近かったら
アイドルの琴歌ちゃんは、そういうことを忘れて生きることが出来たと思う。だって、あたしたちを取り巻く人たちは。みんなみんな、優しいから
でも、あたしが言ってしまった。琴歌ちゃんの辛いところを抉ってしまったんだ……
☆
あたしは琴歌ちゃんに何と言葉をかければ良いのか迷っていた
謝るべきだった
でも……
琴歌ちゃんに、たとえ本気ではなかったとしても打算的に接してしまったのだ
琴歌ちゃんが、そんなあたしを信じて、謝罪を受け入れてくれるだろうか
……分からなかった
☆
結局、うだうだと悩んでいる間に巡ってきた機会は、琴歌ちゃんが作ったものだった
ある時、テレビを見ていたあたしの呟きに対して、琴歌ちゃんはこう言った
『……』
『大谷良いなぁ……分裂してキャッツに来てくれないかな……』
『……姫川さん』
『……え?……こ、琴歌ちゃん、どうしたの』
『もしもの……もしもの話、ですわ』
『……うん』
琴歌ちゃんは、あたしの目をじっと見つめながら言った
『私が……もし、大谷選手をキャッツに移籍させることが出来たとしたら』
琴歌ちゃんがその質問に裏の意味を込めていることは流石にあたしでもわかった
『姫川さんは……それを望むでしょうか?』
琴歌ちゃんは、あたしに問いかけていた
向こうから勇気を出してくれたのだ
……答えなくちゃいけなかった、本気で
『……ううん。そんなことをされても、あたしは嬉しくない』
『……本当、ですか』
『うん……』
『琴歌ちゃん』『姫川さん』
『……』
声が重なった
『あ、あのさ……あたしから、言っていいかな?』
『……はい、どうぞ』
『あたしから言うべきだったのに。…….ちょっと、遅れちゃったけど』
『……』
『ごめん、琴歌ちゃん。あんなこと言っちゃって』
『……』
『……もう、冗談でも二度と言わないから。嫌なこと言って、ごめんね』
考え無しのあたしの言葉は、軽いし、時に人の心を傷つけることもあった
だから言葉を選ぶことはしなかった。ただ、あたしの心が琴歌ちゃんに伝わるように、言うだけだった
何十秒か経って、ずっと見開いていた目が乾いて痛み始めた頃
『ふぅ……』
琴歌ちゃんはホッ、と一息をついて
『姫川さん、そのお気持ち、有り難く受け取らせていただきますわ』
また、笑顔を浮かべてくれた
☆
それからというものの、琴歌ちゃんはあのやりとりを気に入ったようで
「谷繁、フリーになったなら捕手の育成してくれないかなー」
「では、キャッツに入閣させましょうか?」
「うーん、でも監督業、コーチ業からは離れたがってるかもしれないし……」
今日もまた、同じことを繰り返している
何度往復したか分からない、会話のキャッチボール
琴歌ちゃんからの皮肉がたっぷり効いていて、一見、笑えない冗談に思えるかもしれない
でも、あたしはこの会話、わりと好きだったりする
あたしと一緒に真面目に野球の話をしてくれる人って、そんなにいないし
それに……
……自信満々のドヤ顔以外の琴歌ちゃんの笑顔って、なかなか珍しいから、ね
「原口良いなー、打てる捕手として育てられるなら浪漫があるよ」
「では、キャッツに移籍させましょうか?」
【私が私ではなかったら?】
「爆弾持ちだからね、そこを考えると動きにくいかなーやっぱり」
【琴歌ちゃんは、琴歌ちゃんだから!】
おしまい。
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