高森藍子「誰かを笑顔にできるなら」 (40)

※デレマス
 ちょっと早いけど、藍子ちゃんハッピーバースデー!

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プシュ!!

爽快な音が響き渡る。

袋の中で揺られてきた缶の開け口から黄金色の泡が噴き出す。

プルトップを奥まで押し込むと中からホップの香りが漂ってくる。

口元まで引き寄せると一気に喉の奥まで流し込む。

ゴクゴクゴク…

「ぷはぁー」

良く冷えた液体が炭酸ではじけながら食道から胃へと流れ込んでいく。

やっぱり仕事をサボって昼間から公園で飲むビールは最高に美味い。

去年のこの時期、俺は特に目的も希望もなくプラプラと就活から逃げ回っているだけの大学生だった。

広告代理店に勤務しているゼミのOBの勧めで小さな芸能事務所の面接を受けたのは九割以上の好奇心からだった。

それがどういうわけか最終面接まで進み、ついには内定をもらってしまった。

業界について人並み以上の知識や情熱があるわけでもなかったが、芸能人と知り合えるというのは周囲に自慢するには十分な材料だった。

就職してしばらくの間は研修として先輩のプロデューサーについてまわり仕事を覚えていた。

雑誌の取材、テレビ局、写真撮影、握手会、ライブステージ…

初めて触れる生の芸能界のきらびやかさに俺は毎日が新鮮な驚きの連続だった。

アイドル達はその中心でキラキラと眩く光り輝いていた。

それまであまりアイドルに興味のなかった俺もその輝きに夢中になり魅了されていた。

いつかは自分の手でこんなアイドルを育て上げる、それは約束された未来に思えていた。

研修期間が終わると途端に暇になった。

この春からアイドル候補生が所属する予定だったのが家庭の都合で取りやめになったらしい。

すでに所属しているアイドルには担当のプロデューサーがついている。

中には一人で十人近く抱えている先輩も居るが、面倒見切れないから何人か俺に回す、というような事はなかった。

先輩たちは皆優秀で精力的に仕事をこなしている。

俺だって始業時刻に余裕を持って出社しているのだが、先輩プロデューサーの多くはすでに仕事に取り掛かっている。

付き合い程度に残業をしているときも、先輩たちが俺より早く帰ることはまずあり得ない。

聞いた話では終電はおろか、会社に泊まり込むことすら珍しくはないらしい。

そこまで忙しくない俺は強制的に仕事に付き合わされるという事もなく、実際彼らがどれくらいのボリュームの仕事をこなしているのかはまったく分からずにいる。

たまに先輩の都合がつかないときに代理でアイドルたちの現場に付き添ったり送り迎えをしたりする。

芸能人といえばテレビで愛想を振りまいていても、実際会ってみると自己中心的で我がままな性格なんて勝手に決めつけていたがそんなこともなかった。

ウチの事務所の教育がいいのか、もともと性格のいい子を選んでいるのか、多少の個性はあるものの付き合い易い人たちばかりだった。

まったく仕事をする環境としては申し訳ないくらいに恵まれている。

ただそれが俺のやりがいにつながるかというと話はまったく別だった。

担当するアイドルがいないなら、スカウトすればいいじゃないか。

そんな事を言う人がいたら渋谷でも原宿でもいい、実際に街角に立ってみてほしい。

どこからこんなに沸いてくるのかと思うくらい大勢の人が歩いているが、これはと思う相手に巡りあう確率というのは非常に低い。

アイドルに相応しいルックス、スタイルを持っている女性などほとんどいない。

もしそのような人を見つけて声をかけたとしてもナンパだと思われてこちらも見ずに立ち去ってしまうのがほとんどだ。

一日粘ってみても一人が話を聞いてくれれば大成功といったところだ。

いったい何が悪いのだろうか。

先輩が手本を見せてくれた時には一時間もしないうちに三人の女の子が立ち止まり、その中の一人は後日オーディションを受けに来た。

まあ残念ながら彼女は落選してしまったが。

新人のプロデューサーに仕事を与えるために合格のラインを引き下げるような温情はウチの会社にはないらしい。

スカウトの仕方が分からないなら先輩に聞いてみるという手もある。

しかし俺はほとんどそれをしなかった。

断っておくがうちの会社は「仕事は見て覚えろ」だの「テクニックは盗むもの」だのと言った前時代的な風潮に支配されているわけではない。

先輩たちに質問すれば丁寧に教えてくれるし、時には向こうから仕事の秘訣なんかをアドバイスしてくれることだってある。

ただ真剣な表情でプロデュース業に臨んでいる先輩達の仕事の手を止めるほどの価値が俺の質問にあるとは思えないだけだ。

外に出てのスカウトがダメなら事務所で書類整理とでも思うのだが、ウチの会社にはやたらと有能なアシスタントがいる。

どこで売っているのか疑問に思うような明るい緑色の制服を着た彼女は、俺が一枚書類を完成させる間にその五倍は処理している。

彼女は電話を掛けながらパソコンのキーボードを叩き、手元のファイルから目的の書類を探すくらいのことは平気でやってのけている。

俺が手伝おうにも分からないことばかりでかえって足を引っ張ってしまう。

担当アイドルも居ないで事務作業をやっても効率が上がらないなら、事務所に居るだけ時間の無駄という事になる。

いつ頃からだろうか、俺はスカウトをしてくると言って事務所を出て、街で時間をつぶすことに慣れてしまった。

断っておくが俺にだって最低限のプライドというか節度というものはある。

勤務時間中はパチンコ屋やマンガ喫茶など見られて言い訳のできない場所には入らないことにしている。

映画館は…まあ芸能情報の収集や演劇の勉強だからいいだろう。

ただ毎日通うとなると懐具合も心配しなくてはならない。

最近は天気のいい日にはこうやって公園でブラブラとするのが日課のようになってしまった。

毎回来ていると景色は特に面白いという事もなくなるが、いろんな人が歩いているのを観察できるし新聞というのも隅から隅まで読みこめば一時間ぐらいは消費できる。なかなかに経済的なものだ。

今日もまあ二時間近くは街角で粘ってみた。

何人か綺麗な女の子に声もかけた。

出来るだけの努力はしたのだ、結果が出ないのは時の運というやつだ。

焦っても仕方ないので昼飯を済ませた後、俺はいつものコンビニで酒とつまみを買って公園にやってきた、

この公園ならば忙しい先輩たちが通りかかることもないだろう。

見通しもいいから知り合いでも来たらすぐに後ろの木立に逃げ込めばいい。

つまみをゆっくり齧りながらベンチに座りいつもと変わらない平和な光景を眺めていた。

体の中にいい感じでアルコールが回り始めてきた。

一応この後で事務所に戻り、今日の日報を提出しなければならないがそれまでなら酔いを醒ます十分な時間がある。

俺は空になった缶を足元に置くと二本目を袋から取り出した。

「こんにちは」

ふいに声をかけられた。

花柄のワンピースを着た少女がこちらを見て微笑んでいる。

「あ、どうも」

我ながら間抜けな声が出てしまう。

返事をしながらも彼女に見えないようにこっそりビールの缶を体の陰に隠す。

年下の少女に仕事をサボって酒を飲んでいるのを見られて平然としているほど神経が太いわけではない。

「今日はいいお天気ですね」

「そうだね。今日は休みなのかな」

相手は高校生くらいに見える。学校をサボるような子には見えないし、平日にしては粧し込んだ服装をしている。

「はい、昨日まで試験があったので今日はお休みなんです」

「ああ、そうか。もうそんな時期なんだね」

当たり障りのない返答をしながら俺はアルコールに浸されかけている大脳をフル回転させていた。

この子…誰だっけ?

向こうから声をかけてきたんだ。俺は覚えにないが前に会ったことがあるに違いない。

見た目は派手ではないが、なかなか可愛い。

スカウトで声をかけた覚えもないし、この年代の子で知り合いの可能性があるとすれば学生時代の友人の妹とか…

そういえば前にゼミの友達の家に遊びに行って挨拶されたことがあるような…名前は何と言ったか。

これだけ可愛い女の子ならば記憶に残っていてもよさそうなものだが…

そもそもその時に遊びに行った友人の苗字すら出てこないのだ。

「あの、お隣空いていますか?」

なんだ、彼女は俺ではなく俺が占拠していたベンチに用があったのか。

昼間から公園でプラプラしているサラリーマンに連れなどいるわけがないが、無言で隣に座るのも悪いと思って声をかけてきたのだろう。

「ああどうぞ、お嬢さんの為に席を取っておいたんだ」

コンビニの袋を手元に引き寄せながらおどけた調子で声をかける。

「ふふ、それじゃあ失礼します」

そういって彼女はワンピースの裾が広がらないように手で軽く押さえながらゆっくりと腰を下ろした。

「ふう、今日はポカポカでいいお天気なんですけど、日差しが強くて…動くとちょっと暑くなっちゃいますね」

「ああ、そうだね」

そう言う彼女の首筋にうっすらと汗が浮かんでいるのが見えた。

「ちょっと失礼しますね」

彼女は持参した水筒を取り出すと蓋を開いてゆっくりと口を付けていく。

ハーブティーでも容れてきたのだろうか、微かにいい香りが漂ってくる。

白い喉が上下にコクコクと小刻みに動いている。

顔は前に向いたまま、不意に瞳だけをこちらへ向けてきた彼女と目が合った。

俺は慌てて視線を逸らすと自分も手に持った缶に口を付ける。

「ふう…ちょっと落ち着きました。荷物になるかもって思ったけど飲み物を持ってきて良かったです。」

水筒から口を離し、唇に残った滴を指で拭うと爽やかに微笑んでこちらを向く。

「あ、それってもしかして」

しまった。

彼女に見とれていたのを悟られないように誤魔化したつもりだったが、ついさっき隠した缶ビールを手に取っていた。

「やっぱりお酒ですよね…ビールですか」

見られてしまった。

後悔の念と共に首筋にねっとりと嫌な汗が流れ始める。

「あの…もしよろしければお聞きしたいんですけど」

もし今この瞬間俺の頭の中に神様が声をかけてきて「何でも願いを叶えてやろう」と言って来たら…

俺は時間を戻してくれとは頼まずにきっとこう叫ぶだろう。

もういい負けは認めるからこれ以上苦しめずにバッサリやってくれ、と。

そう念じている俺の耳に彼女の言葉が入ってきた。

「昼間に公園で飲むビールって美味しいんですか?」

つくづく日本語というのは難しい言語だと感じる。

もし彼女の口から出た言葉を文字に起こし、国語のテストのようにどういう気持ちでこの発言をしたでしょうか、という設問をこしらえたら答えはきっとこうなるだろう。

『いい若い者が仕事をサボってブラブラして明るいうちから酒を人前で飲むなんて恥ずかしくないのか』

しかしどんな高名な国語学者が出てきても俺は絶対に反論してやる。

彼女は一点の曇りもない好奇心から、外で飲むビールのテイストを知りたがっているのだ、と。

「あの、私お酒って飲んだことがないんで良く分からないんです…あ、当然ですよね、まだ未成年ですから」

大きな瞳を好奇心でキラキラ輝かせながら訊ねてくる。

「ああ、お店で買ってからここまで運ぶのにちょっとぬるくなってるけど…こうやって広々とした場所で飲むといつもと違って美味く感じるね」

「あ、分かります。普段食べているようなものでも外で食べると何故か美味しく感じるんですよね。そういえばこの間、家族とピクニックに行ったんですけど…」

彼女はポケットアルバム取り出すとこちらに見せてくる。

「ほらこれです。私がサンドイッチ作ってみんなで食べたんですよ。あまり自信が無かったんですけど、喜んで食べてもらえて良かったです」

写真にはバスケットに丁寧に詰め込まれたフルーツサンドとそれを笑顔で食べる彼女の両親が写っていた。

「そのときなんですけど、大きな蜂の巣があったんです。それでですね…」

写真を一つ一つ指さしながら嬉しそうにその時の思い出を話してくれる。

いつしか俺は彼女の話にすっかり聞き入っていた。

ガサガサ

不意に後ろで音がした。

見るといつのまにか現れた黒い猫がコンビニの袋に頭を突っ込んでいる。

「こら、その中にはお前の好きなものはないぞ」

酒のつまみに買ったアタリメはさっき食べてしまった。袋に残った匂いを嗅ぎつけてきたのだろうか。

驚くほどしなやかな胴体を両手でつかんで引きずり出す。

みゃー

人のつまみをパクろうとする猫には似つかわしくない可愛い鳴き声を上げる。

「わあ、かわいいねこさん。こんにちは」

少女は呑気に猫に挨拶している。

匂いだけでお目当ての獲物にありつけなかった猫は腹いせとばかりに俺のワイシャツに爪を引っかけてくる

「こら、やめろ」

ひきはがそうとするが小さい体のどこに潜んでいるのか強い力で生地を引っ張っている。

爪を外そうと猫を引き寄せると今度は俺の肩に登りやがった。

「おい、こいつ」

のどかな昼下がりの公園で思いもかけず猫と格闘を繰り広げる羽目になってしまった。

パシャリ

音がした方を見ると、少女がいつの間にか取り出したカメラを手にしていた。

「あ、ちょっと」

彼女の方に手を伸ばそうとすると抑えが外れた猫が俺の髪にしがみついてしまう。

「うふふ…仲がいいんですね」

彼女は俺の苦闘に協力する様子を見せずに呑気にカメラで撮影している。

「そんなことないよ、こいつが勝手にまとわりついてくるんだ」

「ふふ、きっとねこさんは優しい人だってわかるんですよ」

普段街でスカウトしていてもまったく女の子が寄ってこないのにこんな時に好かれるとは皮肉な話もあったものだ。

結局、俺が猫を引きはがす戦いを繰り広げている間、少女は手助けすることなく笑いながら何枚も写真を撮影していた。

中立公正を保つとは良いジャーナリストになれる素質を持っている。

「ああ、もうこんな時間か」

彼女との会話と猫との格闘に夢中になっていた俺の腕時計の針は予想よりも先に進んでいた。

「あ、ごめんなさい。ついおしゃべりに夢中になっちゃって、お仕事の方は大丈夫ですか」

「ああ、うん。約束の時間まではまだ余裕があるから」

元からサボっていたのだから大丈夫も何もないのだがそれをここで正直に話す必要はない。

「それじゃあ、そろそろ私も行きますね」

「あ、ちょっと待って」

なぜ声を掛けたのか実は自分でもよく分からない。

このまま別れるのは惜しいと思ったのか、それともせっかく女の子と親しく話をできたチャンスを無駄にしたくなかったのか。

俺は胸のポケットから名刺入れを取り出すと彼女に一枚手渡した。

「えーと、これは…アイドル事務所のプロデューサーさん、ですか」

担当アイドルが居なくてもプロデューサーを名乗っていいのだろうか。

多少の罪悪感を覚えながらも彼女に見栄を張りたい欲が勝り大きくうなずいてしまった。

「きっと敏腕プロデューサーさんなんでしょうね」

…俺の心の中で罪悪感が大きく膨らんだ。

彼女のイメージでは敏腕プロデューサーは昼間の公園でビールを飲みながら猫と戯れているものなのだろうか

まあギョーカイ人は変わり者が多い、くらいに思ってるのかもしれない。

「まあ…そんなところかな」

「わあ凄いんですね」

彼女が言葉の裏に毒を隠してイヤミを言うような性格でないことは分かっている。

だが遠回しな皮肉よりも純粋な賞賛の方が罪悪感の育成には向いているらしい。

折れそうな心を奮い立たせて本題を切り出していく。

「ああ、あのさ…キミ、アイドルに興味はないかな?」

「え、アイドルって私がですか?」

「もちろん」

「声をかけてくれたのは嬉しいですけれど…私にはアイドルなんてつとまりませんよ」

「そう…かな」

「目立つことは得意ではありませんし…それに他の子にはない特技なんてなにもありませんから」

「そうか…じゃあ仕方ないな」

「すみません、せっかく誘っていただいたのに」

「いやいいんだよ。でも残念だな…キミならとってもいいアイドルになれると思うんだけど」

「無理ですよ、ダンスなんて授業のほかにしたことありませんし…歌だって友達とカラオケに行くくらいですから」

「そうかなあ、キミがアイドルになればみんなを幸せにできると思うんだけど」

「ふふっ、やっぱりプロデューサーさんはお世辞もお上手なんですね」

どうやら彼女の考える敏腕プロデューサーはウマいことを言って片っ端から女の子をスカウトしているらしい。

まあそう思ってくれた方が楽かな。

「それでは私はこれで…あの、この公園にはよく来られるんですか?」

「え、えーと…たまに立ち寄るけど」

「私もです、またお会いできるかもしれませんね」

そう言い残して彼女は池の向こうへ立ち去ってしまった。

「いいアイドルになれると思うんだけどな…」

遠ざかる彼女の後姿を見送りながらそっと呟く。

彼女は自分で言うように派手な方ではないし、性格も大人しい、強烈なインパクトを与えるような個性は持っていない。

あえて表現するなら…優しくて明るくて人懐っこく写真を撮るのが好きな可愛らしい女の子。

そんな子は探せばいくらでも出てくるだろう。

じゃあなんで俺は彼女をアイドルにスカウトしたんだろう。

仕事をサボっているうしろめたさを少しでも埋め合わせようとしたのだろうか。

いや違う。

思い返してみれば確かに俺はあの時彼女はアイドルになるべきだと心の底から感じていた。

でも、どうして…

あまりアイドルに向いているとは思えない子なのに…

ふと空を見上げた。

白い雲が一面に広がっている。

頭の中に今まで考えたこともない疑問が浮かび上がる。

…アイドルってなんだっけ?

「プロデューサーさん、どうしたんですか。ずぶ濡れになって」

「帰りに雨に降られちゃいましてね」

「ちょっと待っててください、今タオル持ってきますから」

公園から事務所に戻ろうとした俺を雨が襲った。

ゲリラ豪雨と言うほどのものではないが、傘を持たずに立ち向かうには少々相手が手ごわかった。

いや、そもそも今の俺はどんな相手でも立ち向かってねじ伏せようとする気力を失っていた。

「中まではそんなに濡れてないですね、出来たらスーツはクリーニングに出してくださいね」

どういうわけかこの事務所には洗濯機が備え付けてある。しかもご丁寧に乾燥機能付きのやつだ。

服を乾かすまでの間、俺は事務所のソファーに座りながらテレビ画面を見つめていた。

どこから引っ張り出してきたのか、前にイベントで使ったという雪だるまのデザインがされたパーカーを持ってきたので言われるままそれを着ていた。

定時を過ぎていたので仕事をする、否、しているふりをする義務もないので資料用として置いてあったDVDを適当な順番で再生していた。

俺が見つめる画面の中ではアイドルたちがキラキラと光り輝いていた。

島村卯月、高垣楓、天海春香、日高舞、Jupiter…

時代やジャンルは様々だがトップクラスのアイドルたちが完成度の高いパフォーマンスを繰り広げているのを見ていた。

みんなステージの上で歌い、踊り、自分たちの持つ輝きを精一杯に放って観客を魅了している。

アイドルとはなにか、と問われたらこれらの映像を見せればそれが答えになるだろう。

少なくとも間違いではないはずだ。

けど俺の心の奥には小さな違和感がずっと引っかかっている、

その正体を確かめようと服が乾いてからもいろんなライブの資料を次から次へと再生していた。

「よう、どうしたこんな時間まで」

島村卯月を担当している先輩のプロデューサーが事務所に戻ってきた。

時計を見ると短い針が真上に到達しようとしている。業界用語でいうてっぺんというやつだろう。

「あ、すいません。つい…」

「今日はどうしたんだいったい。何かいいことでもあったのか」

俺に言葉を投げかけながらも先輩は手際よくパソコンの電源を入れ、起動の待ち時間でホワイトボードに何か書き込み冷蔵庫から缶コーヒーを取り出していた。

「先輩、ちょっと訊いていいですか」

「ん、何だ?」

カタカタとキーボードの音を響かせながらこちらには目もくれずに返事をする。

「アイドルってなんですかね」

一瞬、タイピングの音が止んだ。

「まあ人それぞれじゃないかな」

再び夜の事務所に小気味いい音を響かせながら先輩が答える。

「それはそれぞれのアイドルの個性、ってことですか」

「んー」

先輩は書類を作成する手は緩めずに考えをまとめている。

「まあ個性や特徴と言えなくもないんだろうがな」

マウスをカチカチいわせたかと思うと部屋の隅の複合機がうなりをあげ出した。

「卯月も最初の頃は普通だとか個性がないとか言われてたしな」

「そうなんですか?」

恥ずかしながら一年以上前のアイドル事情は世間一般よりも疎いのだ。

「けど、普通ってのは悪いことじゃないって思ってたからな」

先輩は取り出した書類に判を押すとそれを上司のデスクに放り投げる。

「個性が無いことが、ですか」

これだけいろんなアイドルがいる時代だ。他の誰にもない個性が求められる、そんなことは常識だと思っていた。

「まあ、最初のうちはな」

机の引き出しをロックした先輩は鞄を持って残ったコーヒーを一気に喉の奥へ流し込んだ。

「個性がないってことは、自分の好きなように輝きを引き出せるって意味だからな」

「はあ…」

呆然とする俺の前を通り過ぎた先輩は入り口の前でこちらを振り向いた。

「鍵は持ってるよな」

「あ、はい」

今まで使ったことなど一度もなかったが。

「最後に出る時は電気消して鍵かけて、一階の守衛さんに声かけていけよ」

そんなルールがこのビルにあったのか、今日の今日まで知らなかった。

それだけ言い残してドアから姿を消しかけた先輩は上半身だけ部屋の中に戻して最後にこう言い残した。

「まあなんだ…最初はまず何をするべきか(I must)よりも、どうしたいか(I Want)だけでいいんじゃないかな」

帰り道にコンビニに立ち寄った。

昼間の公園から何も食べていないはずなのに不思議と腹は空いていなかった。

少しは食べないと体に良くないと思い棚に残っていたおにぎりを二個買った。そしてアイドル雑誌も一緒に袋に入っている。

事務所に同じものが置いてはあるのだがなぜだか手に取って数ページめくりカゴに入れてしまった。

自分の部屋に戻ってきても頭の中がまとまらなかった。

ふと思い立ってクローゼットの中をかき回す。

スケッチブックが出てきた。

大学時代に学園祭の企画を検討するときに使ったもので、最初の数ページだけ落書きのようなスケッチが書いてあり、残りは真っ白だった。

俺はそれを机にひろげ、コンビニの袋からさっき買った雑誌とおにぎりを取り出した。

「ちひろさん、植物の図鑑ってありますか?」

「図鑑といわれても…なにを調べたいんですか?育て方とか食べ方ですか?」

「色や形が分かるものがいいんですけど…」

「それじゃあ…ちょっと資料室まで行ってきますね」

「あ、自分も一緒に行きます」

あの日から東京は雨が続いていた。

俺は連日出勤すると事務所にこもり時間の許す限りスケッチブックに向かい合っていた。

ステージ、衣装、ポスター、CDジャケット…

とにかく頭の中に浮かんだものを少しでも形にしようと毎日悪戦苦闘していた。

使うあてもない企画のデザインをしてるなんて公然とサボっているも同じなのだが特に注意されることもなかった。

まあいい、どうせ俺は居ても居なくても変わらない人間なんだろう。

ちひろさんも俺が突然仕事と関係ない質問をしても気にも留めない様子で資料室に向かって歩き出している。

オフィスの下のフロアはまるまる資料室になっている。

何度が先輩たちに頼まれて資料を取りに来たことはあるが、探している以外のどんな本があるか、なんてほとんど気にも留めていなかった。

「この辺なんかどうでしょうか」

外国語で書かれた原色の植物図鑑が並んでいる。英語ですらなさそうだ。

目についたものをパラパラめくってみる。

キノコやサボテン、バラ…このあたりか…

「読み終わったら元の場所に戻しておいてくださいね」

そう言ってちひろさんは出て行ってしまう。

今日の昼下がりは蔵書の山と格闘するところから始まった。

必要そうな本を数冊取り出して自分の机に戻ってきた。

ところどころに付箋が張ってある。

今までなんの価値もないと思っていた本だった。

中にはメモ用紙も挟まっていた。誰かが衣装のモチーフを検討していたのだろう、何度も消しては書き直してある。

俺が今していることを先輩達もしていたのか。

なんとなく奇妙な感じで丁寧な装丁の施された表紙を開く。

中には鮮やかな色彩で様々な植物が描かれている。

俺は頭の中に浮かんでいるイメージと近いものを探してページをめくっていた。

タンポポ…いやヒマワリもいいな…

やっぱりネットで探してパソコンのモニターで見るよりも細かい部分がよく分かる。

鮮明になっていくイメージを逃さないようにスケッチブックに書きかけの衣装のデザインを修正していく。

華やかさと力強さを表せるように…

もっと明るく、もっと伸びやかに…

頭の中で漠然としていたものが少しずつだが形になっていく。

外はまだ雨が続いている。

そんなことはお構いなしに、俺はスケッチブックに向かって自分の想いをぶつけていた。これをすることが答えを見つける手段だとは思わなかったが何かせずにはいられなかった。

このデザインが完成したらまたあの公園に行こう。

そして彼女に、今度こそは胸を張って言おう。

自分はアイドルのプロデューサーだ、と。

そんなことを想いながらペンを走らせていた。

「…さん、プロデューサーさん…」

夢中でステージ衣装のアクセサリーを考えていた俺は不意に声をかけられ現実に戻ってきた。

顔を上げたら長い三つ編みが驚くほど近くに迫っている。

「お客さんですよ、ほらあちらに」

ちひろさんが指さした事務所の入り口には…あの日の少女が立っていた。

「どうぞごゆっくり」

来客用の上等な紅茶を置いてちひろさんは応接室を出ていってしまう。

「すみません、いきなりお邪魔して。ご迷惑じゃなかったですか?」

雨に濡れた髪を拭きおえて彼女が口を開く。

「いや大丈夫だよ、ちょうど今日は急ぎの仕事もないし」

正確には今日も、だ。

「良かった…あの…本当にプロデューサーさんだったんですね」

紅茶に手を伸ばしながら彼女がポツリとつぶやく。

「あ、ごめんなさい。変な意味じゃないんです。私がアイドルにスカウトされた、なんて自分でも信じられなくて」

慌てて手を振りながら弁解する。

「いいよ、別に」

俺は本当にプロデューサーなのか、今詰問されたら答える自信は正直ない。

「あの…私このあたりには何度か来たことがあるんです。ほら、向こうのビルにたまにお買い物に行くんです」

そう言って坂の上にある丸いビルを指さす。

「でも不思議ですね。私の知っている街と、ここから見る景色はちょっと違う気がします」

ガラス窓の外を眺めながらそんなことを誰に言うともなく口にする。

「あ、うん。それで今日は何の用かな」

会いたかった、彼女に会ってもう一度確かめたいことがあった。

ただそれにはまだ心の準備が足りていない。

「ああ、ごめんなさい」

そう言って彼女はポシェットから可愛らしい封筒を取り出した。

「この前の写真、現像してみたんです。よろしければ受け取っていただけませんか」

「ああ、そうか…それはどうも……ご丁寧に」

なんだか拍子抜けしてしまった。

彼女から受け取った封筒の中には猫にじゃれつかれるアホ面をさらした男が写っていた。

「あの…それでですね」

おずおずと彼女が口を開いた。

「この前、その…おっしゃっていたことって…本当ですか…その…私がアイドルに向いているかもっていうお話」

来てしまった。

こちらの準備がまだ整わないうちに答えを出さなければならない時間がやってきてしまった。

まったく逃げ出したい。

彼女がアイドルに向いているかどうか、プロデューサーを名乗る資格のない男にどうしてそれが断言できるのか。

ただまあ俺も社会人の端くれだ、自分の言動に責任を持たなければならないくらいの覚悟はできている。

腹に力をこめると彼女に悟られないように深呼吸をして出来るだけにこやかな表情を作り上げる。

「もちろんだよ、きっと君ならみんなを笑顔に出来るアイドルになる…いや、俺がしてみせるから」

紅茶のカップを手に持ったまま彼女はしばらく考え込んでいるようだった。

少しだけ口を付けたカップをソーサーにそっと戻すと、彼女はこちらを見てゆっくりと口を開いた。

「私、考えてみたんです。なんの個性も取り柄もない私がアイドルになったとして、何ができるのかなあって」

「歌やダンスで満足していただくこともできないでしょうし、私なんかがファンの方に本当に喜んでいただけるのかなあって」

「でもプロデューサーさんがこの前おっしゃってくれた言葉、嘘だとは思えなかったんです」

「それで今日は写真をお渡しして、お忙しくなければもう一度詳しくお話を聞いてみようって思ったんです」

ゆっくりとだが確実に一言一言を大切にするように言の葉を紡いでいく。

「それであの、入り口の女性の方にお伺いして、奥の机を見たらプロデューサーさんがいらっしゃったんです」

「難しいお仕事をされているようでとっても険しい表情をされていました」

「やっぱりお邪魔だったのかな、このまま写真だけ渡して帰ろうかとも思いました」

「それで、躊躇していたときに…プロデューサーさんがこちらを向いて私を見た瞬間に…表情が和らいで微笑んでくださったんです」

「その笑顔を見たら…こんな私でも誰かを笑顔にすることが出来るんだって思って、とっても幸せな気持ちになったんです」

「私がアイドルになっても…そんなに大勢のファンは出来ないかもしれません。でも私が頑張ることで一人でも多くの人が笑顔になってくれたらなあってそう思うんです」

「だから、私…今はまだ自信はありませんけど、アイドル目指してみようと思います」

急に体から力が抜けていくような感じがした。

なんだ、答えは彼女が持っていたじゃないか。

下手の考え休むに似たりとはよく言ったものだ。

俺が一週間足りない頭を絞って出そうとした結論よりもずっとキラキラしたものがそこにあった。

そして分かった、心の奥に引っかかっていたものが。

俺が今まで探していたのはアイドルになれそうな子だったんだ。

でも彼女は俺がアイドルにしたい子なんだ。

それに気が付いたら自然と笑みがこぼれてきた。

やっぱり彼女には人を笑顔にする才能があるみたいだ。

「あ、あの…私…なにかおかしな事を言っちゃいましたか」

不安そうに彼女が訊ねてくる。

「あの…やっぱりダメでしたか?」

「いや、そんなことはないよ。これから一緒に頑張っていこう、でもその前に」

そうだ。まったく俺はダメな男だ。こんな大切なことを忘れていたんだから。

「君の名前、教えてもらえないかな」

しばらく唇を「あ」の形のままにしていた彼女だったが、やがて背筋を伸ばして両手を軽く重ねて膝の上に乗せた。

その微笑みは俺が芸能界に入って見てきた中で一番美しいものだった。

「初めまして、高森藍子、16歳の高校一年生です。これからよろしくお願いしますね、プロデューサーさん」

以上で終わりです。

日付変わったら依頼出してきます。

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