佐久間まゆ「私の灰かぶり」 (20)
デレマスSSです
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タバコから昇る煙は丁度俺の頭の上の辺りで薄くなっていった。火のついたタバコを肺に落とす度に自分の思考が鈍くなっていくのが分かる。ぼんやりとしている方が今はいい。鈍感になれば矛盾した痛みもなくなっていくだろうから。今出来ることは灰皿にタバコの灰で山を作ることぐらいだろうから。結局脆い灰は崩れてしまうけれど。
後、どれくらい待つのか分からないけれど、多分もうすぐ終わると思う。ただもうすぐ来ると思うのは何度目なのかもう数えなくなった。ただずっと待つということはないことが少しだけ慰めになった。彼女のことは待たせる立場であったのに待つ側になるとどうももどかしい。
こんなに待っているのに、なぜか会いたくない気がしている。結局、待っている時の今が幸せかもしれないというおかしなことを思い浮かべてるもの紫煙のせいなのかもしれない。
控え室とは名ばかりの小さな部屋だった。椅子が二脚と机が置いてあり、机の上にはいくつかの資料と安物の灰皿にタバコの吸い殻が山と積まれていた。打ちっ放しのコンクリートはわびさびには少し味が足りず、殺風景でしかなかった。かと言っても空調は効いていて掃除はしてあるようで汚い訳ではない。この部屋にいるのが不快という訳ではない。この部屋にいることが不快であるだけだった。
何本目かのタバコに火をつけようとした時にトントンとドアを叩く音をして彼女の声が聞こえた。ドアが開き彼女が入ってくる。
「プロデューサーさん。タバコはよくないって。まゆ、前に言いましたよねぇ」
手の中にあるタバコの箱の角が潰れた。まゆはいつものように俺の目の前に座る。
「まゆ、女優の仕事は始めてだったけど頑張りましたから」
「お疲れさま」
俺はいつものようにまゆを誉めることができなかった。
「どうしたんですかぁ?」
「いや、なんでもない」
まゆの甘い声は今は腹立たしい。
「じゃあ帰りましょうか。まゆ、お腹すいちゃいましたから」
「役者同士で食事に行けばいいんじゃないか?」
「まゆの相手の役者さん。この後仕事があるみたいで。多忙な人ですから」
含みのある言い方が少し癪に触ったが一々言う気分ではなった。
「そうか。じゃあ事務所のカフェテラスでゆっくり休もう。ここはタバコの煙でいっぱいだしな」
「はい」
まゆは大人しくついてきた。そしていつものように車の助手席に座っていた。俺はいつものようにCDを掛けなかった。俺はいつものようにまゆに仕事の感想を聞かなかった。まゆはなにも言わなかった。
佐久間まゆに女優としての仕事が舞い込んできた。一時間半の短いドラマだが主役で出番も台詞も多い。プロデューサーとしてまゆのファンとして喜ばしいことだった。まゆを多くの人に知ってもらう機会であったし、まゆをトップアイドルに一歩であったから。ただその役柄の話を聞いて、まゆが受けてくれるのか不安になった。第一にそのドラマが恋愛ドラマであること。第二にまゆがそのヒロインであること。第三にまゆの役の恋の相手が新任教師であること。それらがまゆ自身にとって好ましいものか分からない。
まゆはアイドルとして活動する際に運命の人という言葉をよく使っていた。まゆ本人も運命の人ということをよく言っていたし、それはまゆの武器になるとまゆも俺もよく分かっていた。まゆの運命の人つまり担当プロデューサー。つまり俺のことである。それを公言することは良いことではない。逆に運命の人を探すことがアイドルとしての佐久間まゆであるとすればまゆに注目を集めるために十分な価値がある。そのことはまゆと十分に話し合った上でアイドル佐久間まゆの宣伝に使っていた。まゆの雰囲気、まゆの根の優しさがそのフレーズにより信憑性を持たせた。
今回の役は新任の教師を運命の人として扱うような描写があり、まゆの心情を考えるとこの仕事は見送った方がいいのかもしれないと考えていた。しかしまゆはこの仕事を二つ返事で引き受けてくれた。
「どんな仕事でも、プロデューサーさんが持ってきてくれたなら、まゆは頑張りますから」
「大丈夫なのか? この役はほら……」
「うふふ、大丈夫ですよぉ。まゆは、恋する女の子のことは、よく分かっていますから。それにこんなチャンスないですよね?」
まゆはにこやかに答えてくれた。あまりのことに拍子抜けしてしまったが、今考えるとそれはまゆのことを全く分かっていないことでもあった。まゆは俺の持ってきた仕事を断らない。それはまゆがトップアイドルになるということしか考えていないということだった。
まゆの演技はうまかった。それが偽物なのか本物なのか分からないぐらいに。俺がよく知っている佐久間まゆがそこにいた。
事務所のカフェは職員やアイドルが食事できるようにディナーもやっている。メニューは少ないが手頃な価格で美味しいと評判だった。
「初めて食事のもここでしたね」
まゆが嬉しそうにスープを掬った。エビのビスクの湯気は食欲をそそる匂いがした。
「そうだったかな」
「そうですよぉ」
とぼけたフリをしたがしっかり覚えていた。まゆが突然現れて意味不明なことを言った後、立ち話するのも変だったからここでゆっくりまゆと話した。まゆの熱意も本当だったし、読者モデルもやめたというからうちの事務所に引き取ることになった。その後、まゆと色々あり、まゆはアイドルとして俺はプロデューサーとしてトップを目指すことを誓った。
運ばれてきたパンをちぎってスープにつけた。
「今日のまゆの演技は良かった。本当に」
「うふふ、ありがとうございますね。まゆ、プロデューサーさんに褒めてもらえなかったの気がかりだったんですよぉ」
「でもさ……」
このことを切り出すのは気が進まなかった。俺の中のなにかが、俺とまゆの関係が壊れてしまいそうで。
「あれは演技だったのか?」
「もちろん演技です。私の運命の人は目の前にいますから」
まゆはそう言って少し笑った。スープの中のパンは赤く染まっていく。
「そうか……なら良かったよ」
「うふふ、プロデューサーさんはなにを心配しているんですかぁ?」
「なんていうか……」
俺の心配は悪魔の存在証明みたいなものだった。まゆの言葉を信じることが出来ればなにも問題ない。それが出来ないという自分が嫌だった。俺自身が醜いものに感じてしまう。
「まゆはあなたのことをアイしていますから。でもまゆはアイドルです。アイドルでいる間は……」
「そうか。アイドルでいる間は佐久間まゆ。だもんな」
「ええ、アイドルが誰かを愛することは出来ませんからね」
この話はここで終わりにすればいい。そう自分に言い聞かせてみる。そろそろ来るはずのメインディッシュを待ちながら他愛のない話をしていればいいはずだ。食事を終えていつものように女子寮に送ればいい。
「うふふ、お魚の料理好きです」
ナイフとフォークを持つまゆは様になっていて今度の撮影にまゆの食事をさせている所を使ってもいいと思った。アブラカレイのソテーにはニンニクがたくさん使ってあり、トーク番組に出る前に食べるのは口臭が気になることになっただろう。
「ここでの食事もいいものですね。プロデューサーさん」
「そうだな。美味しい」
結局食べ終わるまでその食事に熱中しているフリが出来た。
食後にまゆは紅茶を俺はコーヒーを頼んだ。まゆとのゆっくりとした時間は心地よく、まゆに対する不安がどこかに行ってしまったような気がした。それを呼び戻したのはまゆだった。
「プロデューサーさんの不安ってなんだか分かる気がします」
「そうか?」
俺はマグカップを置いた。
「プロデューサーさんは演技するまゆが本当のまゆに見えたんでしょ?」
「まあな」
「そして本当のまゆに見えたからこそ……まゆが……あなたへの恋が……演技なんじゃないかって……思ったんですよねぇ?」
言い当てられて冷や汗をかくという描写が正しいかもしれないが、俺は静かにさっき置いたマグカップを握った。俺は心臓の鼓動が早くなることもなかった。ただ、胸にぽっかり穴が空いたような気がした。
「そんなことありません。まゆはあなたしか愛していません。それがまゆのアイですから」
「じゃあなんで……」
彼女が笑ったような気がした。おかしな勘違いをした人を優しく正すように。
「アイドルに徹しろと言ったのはプロデューサーさんの方です」
まゆは俺の方を向いてずっと遠くを見ていた。
「だからまゆはプロデューサーさんへのアイを利用しました。プロデューサーさんだってまゆのアイを利用していますよね」
まゆは一度息を吸った。
「そんなもので永遠は壊れませんから」
水の中で息を吸っていて、空気が欲しいのに全く吸えない。
「アイより永遠の方が大事なのか?」
肺の中の空気を絞り出して最後の言葉を言おうといた。
「いいえ。まゆはプロデューサーさんと過ごす一時の方が大切だと思っています。それが密室ならという条件は付きますけど」
「アイドルに恋愛は御法度って訳か」
「ええ。そんなに苦しいならプロデューサーさんはまゆをアイドルにしなければ良かったんですよ。アイドルでなければこんな永遠に頼ることもなかったのに……」
そんな簡単に出来ることではなかった。まゆは俺にとってのシンデレラだったから。まゆならもっと輝ける。俺は輝く姿を見たかったから。
「でも嬉しいですよね。まゆはあなたの望むように輝いていますよぉ?」
「ああそうだ。まゆは輝いている。流石、シンデレラだ」
「プロデューサーさんがプロデューサーじゃなかったら、まゆと出会うこともありませんでしたしね。あなたに一目惚れしなければ……うふふ……おかしいですねぇ……」
「なにがおかしいんだ?」
「シンデレラの物語で、一目惚れをしたのは、シンデレラでも、魔法使いでもなくて王子様ですよねぇ?」
「ああ、そうだ。王子様がガラスの靴を持って……」
そこまで言って俺はまゆとの出会いを思い出した。
「そうです。王子様がシンデレラを探したんです。ちょうどまゆが一目惚れしたあなたを探したみたいに」
まゆは俺のことを見ていた。愛おしい人を見つけた王子様のように。
「結局、シンデレラだったのはプロデューサーさんの方だったんですよぉ」
「じゃあ、よくある物語の続きみたいに俺は王子様の浮気に悩まされるってことだな」
皮肉を込めた言葉にまゆは微笑んだ。
「いいえ。決してそんなことはしませんから。シンデレラは王子様と幸せに暮らしました。それでいいじゃないですか」
まゆになんて返したらいいのか分からなかった。その後はいつものようにまゆを女子寮まで送って。いつものようにまた明日と言って終わった。
まゆが主演のドラマは相当反響があった。見てる時間はなかったがすぐに次の仕事が舞い込んできて、まゆは女優としても有名になった。そしてその分俺の仕事も多くなった。引き受けるべきでない仕事をいつくか受けたのも事実だが。ようやく来た休日で家でごろごろしながらまゆのドラマを見ていた。画面越しのまゆはいじらしく、恋をして、少し抜けていて、それでいて愛する乙女だった。いつものまゆだった。俺の知っているまゆ。俺しか知らないはずのまゆがそこにいた。
「俺がシンデレラか……」
タバコを勢いよく灰皿に押しつけて、灰が宙に舞った。確かに今俺は灰かぶりだろう。少しだけ愉快な気分になった。
「そうか。じゃあ、王子様に選ばれるようにしないとな」
空になったタバコの箱は手の中で潰れた。
短いですが終わりです。改行……ごめんね
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