仕事帰りの夜道、コンビニに寄って缶コーヒーと家の猫の餌を買った
店から出て暫く歩いて、彼女を見つけた
彼女は5階建てマンションの屋上にいた
夏の日 よく晴れた夜空だった
星が綺麗だったので見とれているのだろう
確かにあの屋上は星を見るのにうってつけの場所だ
たまにはこんな日もいいか、と思い
俺も屋上へ向かった
処女作ですすぐ終わります
蝉の声は走る車の音でやや打ち消されてはいたが、確かに遠くで聞こえた
あとは自身が上っている階段のカン、カンという音だけがやけに耳に付いた
ようやく屋上に着くと、先ほどと変わらない位置に、変わらない姿勢で彼女は淵に立っていた
柵があるとはいえ、何かの拍子に落ちるということもあり得る
声をかけることにした
こんばんは
「…」
制服姿の少女がいた
ホントはこんな時間に学生さんが出歩いちゃだめなんだよ?
「…」
でもまぁ、外に出たくなる気持ちもわからなくは無いよ
都会だっていうのに、今日は星がはっきり見えるからね
「…」
「…別に」
?
「別に星を見たくてここにいるわけではありません」
「常識のある学生なら、こんな時間に出歩いてはいけないなんてことは重々承知しています」
「では私には常識がないのかというと、そういうわけでもありません」
言い回しが少々くどい子だった
「死にに来たんです」
夏にしては冷たい風が俺の頬を撫でるのと同時に、少し顔面の筋肉が緊張した
俺は改めて彼女の顔をしっかりと見ることにした
暗いとはいえ、大体の顔立ち、髪型はわかる
黒髪、癖っ毛のミドル
美人だ
会ってすぐで馴れ馴れしいようだけど、君について色々教えてくれないか?
しかしどこか妙だ
何かが
「…」
少しは晴れるんじゃないかな、悲しみとか、恨みとか
すぐに気付いた
彼女には「光沢」が無い
彼女の背にはビルとか車の夥しい光があって、本来なら髪がそれを照り返すはずだ
だがそれが無い
油を吸った烏の羽のような―
それに
「…いいでしょう」
「でもちょっと待っててくださいね」
「一文、付け足しますから」
目に全くと言っていいほど光が無い
全てを諦めたような、全てを見透かすような、
「では今から死のうとする理由を簡潔に言いますと」
全てに飽きたような―
「飽きたんです」
やっぱりか
「やっぱりとは?」
ちょうど俺もこう思ったんだ
全部に飽きたような目をしてるなって
「そうですか」
では詳細を語ってください
「わかりました」
「あ、名前とか知りたいですか?」
うん
「少女です」
少女さんね
彼女の言葉には、なんて言うんだろう、
言霊が乗っていない気がした
「では」
「私は高校に通っています 普通の成績の人が行くような学校です」
「その学校を受けた理由は中学の時の成績で確実に入れそうだったから」
「部活には入っていません 趣味も特にありません 友達は一応広く浅くいます」
「親は二人ともまともな職業に就いていません」
「それでも生活はできています」
「あ、将来の夢もありません」
「実は進路のことで親ともめまして」
「やりたい仕事もない、行きたい大学も無いようなら、いっそ死ね!って」
「言われたんです」
「そして気付きました」
「あ、それもそうだな、と」
「で、現在に至るわけです」
…
「何か?」
申し訳ないんだけど、なーんか、こう…
「?」
うーん…
「別にはっきり言っていただいて構いませんよ?」
「これから死ぬんですから」
じゃあ言うね
死ぬ決め手に欠ける、と思ってさ
「…はぁ」
特段君は親の言葉に対してショックを受けたようでもないし、
決して恵まれている、というわけでもないけど、普通に生活できている
何が不満なのか、わからないんだ
「さっき言いましたよね?」
「全てに飽きたから死ぬ、と」
そう言うからには、何か色々やった上で、飽きたって言ってるんだよね?
「もちろん」
「この世のスポーツというスポーツには一応手を出しましたし」
「世界にも旅しました」
「世間で言うオタ趣味、というのにも手を出しましたし」
「ピンクな事にも手を出しました」
「唯一つ、打ち込んだものが」
「勉強でした」
「言い忘れてましたが、私はプライドが無駄に高くてですね」
「何をするにしても一番、というのが信条なんです」
「鶏口牛後、ってご存知ですか?」
「私は鶏口でした」
「あるいは井の中の蛙ってやつですか」
「とにかく、人を見下すのが大好きだったんです」
「自分はこんなに優れている、格が違うと簡単に見せつけられるのが勉強でした」
「スポーツ系は天性、環境で決まってしまいますし早々に投げだすことにしました」
「アニメなんかは面白い、面白いと一部の人の間では持て囃されているようですが」
「あんなのは私にとって少し豪華な紙芝居でしかなかった」
「漫画も描こうと思いましたが、やはり絵の才能も天性のものでした」
「だから早々に投げだすことにしました」
「勉強に打ち込んだ小学、中学時代、それはそれは楽しい人生でした」
さっきまでの彼女にはなかった、笑顔が戻ってきていた
しかし相変わらず目は死んでいる
「見るからにマジメそうな眼鏡の子を打ち負かした時には」
「胸がすくような思いでした」
「そこでしょうね、私の人生が狂った原因は」
狂ったの?
「ええ、狂ったんです」
「高校に入って、引き続き勉強で周りを負かそうと思ったんです」
「案の定、私はすぐ学年トップ、全校トップにまで登りつめました」
「入った高校を間違えたんじゃないか、と先生から冗談交じりに言われました」
「そして、この前センター受験がありましたよね?」
「私も受けたんです」
ああ、やってたね
テレビとかで見たよ
「そうですか」
「で、やってみたんです」
「驚きましたね」
「全くわからないんですよ」
? 何が?
「答えが、です」
たぶんこれだ
たぶんこれが彼女の死のうとする理由だ
しかし―
「頭が真っ白になりましたね」
「そんなはずはない、今まで勉強ではトップをとり続けていた私が」
「勉強において他に劣るわけがない」
「この私がわからないんだから、他の人がわかるはずがない、わかってはいけない」
「で、隣の人を見てみたんです」
「寝てました」
「なんだ、この人もわからなかったんだって思ったら」
「全部回答欄を埋めて、寝てました」
「唯一生き甲斐ともいえた勉強でさえ、適わなかった」
「そこでやっと悟ったんです」
「自分は大したことない環境で威張り散らしてた」
「ただのプライドの塊だったって」
「天才だと思ってた私は、ただの凡人の一員だったって」
なんて馬鹿馬鹿しい―
「で、親に結果を報告したんです」
「行きたい大学に行けないかもしれないって」
「今から諦めてどうする!根性が無い!根性があれば行ける!」
「だいたいお前は物事に対して臆病すぎる!安全な道しか選んできてないからそうなる!」
「大学なんか入ってしまえばいくらでも働き口がある!」
「今から諦めてどうする!」
「って」
「言われました」
「違う」
「結局勉強も、天性のものだったんだ」
「結局環境の違いが、人間の違いになるんだ」
「うちに金がないから、塾にも行けなかった」
「うちの親が馬鹿だから、きっと遺伝で馬鹿が移ったんだ」
「だいたいお前らの時代なんか、高卒でも大卒でも働き口なんていくらでもあった」
「今の日本の状態をよく知りもしないで、よくそんなに楽観視できるな」
「言い訳しか出て来ませんでした」
「さすがにこんな事を口に出したらひっぱたかれるので」
「胸の内にしまっておきました」
「その晩、私は風呂場で泣きました」
「多分、人生で一番泣いたと思います」
「涙と一緒に、自分の感情も流れ落ちていくのがわかりました」
「心が折れる、って表現ありますよね」
「綺麗に、私の心は折れました」
「風呂上がり、視界に入るものすべてが」
「つまらなくなってました」
結局、話を要約すると
君は自尊心に溢れた臆病者だったってことだね
「まぁ、そうなりますね」
おっと、柵に手を掛けるんじゃない
まだ話は終わってない
「いえ」
「終わりです」
「これが私の人生の全てです」
こんなつまらないことで、彼女は死のうとしてるのか
いいのか、死なせて
生きていれば、きっといいことが―
いいことが…
…
…
「どうしたんですか?」
「こういう場面では『生きていればきっといいことがある』って言うのがセオリーですよ?」
同じだ
「?」
俺も君と同じだ
正直、君の話は馬鹿馬鹿しいと思ってたよ
なんでそう思えたか、わかった
確かに俺は今こうしてちゃんと働いてるし、大学だってちゃんと行けた
だけど
いいことなんて一つもなかった
学生時代にはいじめられてたし
大学生時代には友達なんていなかった
それでも俺を慰めてくれていた両親は
学費が足りないからって働き過ぎて過労で入院した
きっといい会社に入って、すぐ楽な生活にするからねって約束した
母親は嬉しそうに頷いていた
だけど結局脳梗塞で死んだ
何のために生きてるのか、か…
はは
そういえばわからなくなってきたよ
カサ
?
何の音だ?
あぁ
生きる理由なら、まだあった
「…じゃあ」
「一緒に死にます?」
うーん
でも今やってる仕事の引き継ぎとかしなきゃだし
今すぐには死ねないかな
それに
「それに?」
家で猫が待ってるんだ
「…」
名前はクゥと言ってね
死んだ母親が可愛がってたんだ
携帯の待ち受けにしてるんだけど、見てみるかい?
「いや、いいです」
そうか
結構かわいいんだよ?
「そうですか」
「それが、あなたの生き甲斐ですか」
そうだ
「ふふ、馬鹿馬鹿しいですね」
ああ
でも、君の死に甲斐も馬鹿馬鹿しいよ
「結局、人の生き死になんてそんなもんです」
「自分の思い入れなんて作らない方がいいんですよ」
「だってそれが『折れて』しまったとき、自分の存在意義が無くなったのと同然ですから」
それもそうか
死ぬのを思いとどまる気は、無いんだね?
「ええ」
それじゃ、俺は立ち去るとするよ
「ええ」
「そうしてください」
せめて、俺が見えなくなってから飛び降りてくれよ?
人の潰れる音なんて聞いたら一生ものだ
「ええ」
それと
もしかしたら、すぐに俺も君のもとへ行くことになるかもしれない
「なぜ?」
さっき君が言ったじゃないか
思い入れが無くなった時、自分の存在意義が無くなったも同然だって
あんまり調子が良くないんだよ、家の猫
「…」
その時は、よろしく
あの世なら、きっと退屈しないで済むものがいっぱいあるさ
それじゃバイバイ
「あの」
?
「ありがとうございました」
「おかげであの世に期待できそうです」
感謝すべきは、そこじゃないと思うんだけどなぁ
「ふふ」
カン、カンと相変わらずの階段の音だが、心持ち軽快な音だった
すっかり温くなった缶コーヒーを口にして、帰路に着いた
星はすっかり雲に隠れ、蝉もいつしか泣きやんでいた
あるのは街の灯、手に抱えたビニール袋の音、車の音
もう一度ビルを振り返ると、彼女はまだ立っていた
今度はちゃんと
髪に光があった
「お父さん、お母さん 先立つ不孝をお許しください
p.s いい夜でした」
おわり
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