男「死体を見に10km歩いた話」(64)
「○○駅付近にて踏切事故が発生したため、~~駅で電車は停止します」
このアナウンスを聞いたときに私は確信した。
「これだ。俺が待っていたのはこれなんだ。俺は踏切事故を見たかったんだ!」
だから私は、電車を降りて駅の改札を抜けると列車沿いに歩いていった。
スマホで調べると駅まで10kmあったが関係なかった。
列車沿いに歩いても2時間以上かかる計算だったが、幸いにも時間に余裕はあったため気にしなかった。
私は土に侵食されかかっている田舎道路の路側帯をスキップでもせんばかりに歩いていた。
道路の端にはつま先が軽く埋まるほどの草が生えていて邪魔だった。
だが、道路の中央を歩くよりはぜんぜんいい。
田舎なのに、田舎の癖して時々車どおりがあるせいで、車が通ると道の端によけなければならなかった。
中央を通れば端によらねばならない。それはなんとなく面倒くさかった。
そうやって歩いていると、タンポポが二つ生えているのを見つけた。
「珍しいな」と私は思った。
何が珍しいのかというとまずは生えている時期。
まだダウンジャケットが手放せないほど寒いのだ。歩いてると手が凍って痛い。
そんな寒い時期に、春の訪れの象徴たるタンポポが咲いている。珍しい。
それがひとつ。
ふたつ目の珍しさは、一目見てわかる奇妙さであった。
白い綿毛と黄色い花が隣り合って風に揺れているのだ。
周りを見渡しても他にタンポポはない。
だというのに、この二輪だけが花を咲かせ種をつけている。
その素っ頓狂さに私は心を奪われ、足をとめてしばらく見入った。
「こんなものを見れるなんて、私はなんて幸運なのだろう」
そう呟いてみた。そうすると、気分がよくなった。心が躍った。踊りたいほどだった。
しかし、私は踊りがうまくない。
だから私はタンポポから離れて助走をとると、思いっきりタンポポの白い綿毛を蹴っ飛ばした。
綿は空中に大きく飛び散ると、風に乗りどこかへ去っていった。
私はそれを見て大いに満足した。
トントンとつま先を打って黒い靴についた白い綿を落とすと、何事もなかったかのように列車沿いを歩いていった。
気分は無敵であった。
///
ただ歩くというのは、ひどく退屈する。
タンポポのような面白いものを風景に探したが、見つけられなかった。
だから、私は列車事故に思いをはせることにした。
私が今から見に行くのはどんな事故現場だろうか。
踏切の事故といってもいろいろある。
踏切に老人が倒れているのを運転手が見て、急ブレーキを踏んだとしてもそれでも事故だ。いや、それならダイアは停止しないか。
子供がいたずらで踏み切りに大きな石を置いて、それを轢いてしまったとか。これなら調査に時間がかかるのもうなずける。
車との衝突事故なら、さぞ迫力あることだろう。ペチャンコに潰れた車、一部がひしゃげた列車。見てみたい。
「でも、やっぱり見るなら人が轢かれたところが一番良い。見るなら潰れた死体だ」
そう呟いて、私はにやりとした。
周りに人が歩いていないのは確認済みだ。だから誰にも見られないでにやりとした。
決して見られてはいない。決して見られてはいけない。
「人が轢かれていたら、さぞ凄惨なのだろうな。やはりグチャグチャのドロドロなのだろうか」
と続けて呟いた。
一応、周りを見渡す。人はいない。
こんなことを呟いてしまえば変人に思われるだろう、という推測ができるぐらいには分別はある。
「グッチャグチャのドロドロ! 人がぁ~! グッチャグチャのドロドロ!」
こんなことを、実際に呟いてニヤニヤしまうぐらいには自制心はなかったけれど。
グチャグチャのドロドロ。略してグチャドロ。
私はこの言葉の響きが気に入った。
グチャドロ。いいね。人がグチャドロ。最高じゃないか。
私は人がグチャドロになっているのを見たい。
グチャドロになっているのを見て、私も、私を取り巻く世界も、すべてを変えてしまいたい。
「グチャドロ~♪ グチャドロ~♪」
気分が良くなった私は、珍妙な曲を歌ってみた。
曲名 グチャドロ。 作詞作曲 私。歌唱、私。
たぶん流行はしない。絶対流行はしない。残念ながら流行はしない。
(結構好きなんだけどな、この歌)
そんな阿呆なことを考えながらグチャドロを歌っていると、背後からバイクが通り抜けた。
(し、しまった。聞かれてしまった!)
恥ずかしくなったので、風景を楽しんでいるのであって歌を楽しんでいたのではない、と言い訳をせんばかりに道沿いの田んぼを見つめた。
田んぼには水が張っておらず、枯れた稲の茎が地面を覆っていた。それだけだった。
見慣れた田んぼを見て何を楽しむというのか。
一旦はここまで。
修正
>>9
それならダイアは停止しないか → それならダイアは数時間も停止しないか
これを突っ込んでいいかどうか迷うんだけど
列車沿いじゃなくて……線路沿いじゃないかなって
>>19
れ、列車沿いって言葉が出るたびに横に列車が通ってるだけやし!
///
田んぼばかりだった田舎道にも、だんだんと家や人が見られるようになった。
これ以上先で歌うようなことをすれば、さらなる恥をかいてしまう。
グチャドロが歌えないのは残念だが、そこはあきらめるしかなかった。
目的の駅まで、あと2駅。数km。
雲が太陽を覆ったせいか、なんとなく寒さを感じた。
突然に線路のほうからガシャンと金網が揺れる音がしたので、線路の向こうを見るとテニスコートがあった。
そこにいたのは、仲睦まじい男女数人のグループ。
私の日常で最も羨み恨み憎んできたものがそこにあった。
私は軽く舌打ちをしてから、金網の檻にいる猿たちを観察した。
「テニスでホームランするのはやめろよー」とか言いながら、楽しそうにいちゃついている。
私は、テニスやるひとは全員滅びればいい、などと迷惑なことを考えていた。
そのせいだろう。
前からも男女グループが歩いて襲来してきた。
前から迫り来たのは、若い男女と幼い子供の3人組。
子連れの若い夫婦ともいう。
これが私にとっては劇薬だった。
テニスコートでパコパコしているのを子供が興味深そうに見つめていて、それを母親がほほえましそうに見ていた。
父親も子供の手を握っていて、これ見よがしに幸せをアピールしていた。
そんな幸せな家族の日常を覗き見ながら、私は惨めさをかみ締めた。
テニサーの男女連れより、よっぽど目に毒だった。
いや、目から心に染み込む猛毒だった。
「俺は何をやっているんだろう」
そうつぶやきそうになるのをぐっとこらえた。
しかし、言葉にするのを我慢したところで手遅れだった。
踏切事故を見ることで変えたかったもの。
非日常で消し飛ばしたかった日常。
逃げたかった現実。
それが私を襲ってきていた。
私の日常。
顔見知りがいる程度で、特に友情を感じる人がいない。
恋愛感情なんてもったこともない。
人生をかけてやりたいことも夢中になれることも特にない。
親友がほしい、恋人がほしい、夢を追いたいとは思うけれど、親友も恋人も夢も手に入らないと思っている。
そんなちょっとダメなやつが私だった。
そうやってずっと無気力に生きてきた。
「俺はこれでいいのか」
「このまま生きても幸せなのか」
なんて自問自答したりしながらも、結局は変わらずに、楽なように怠惰なように生きていたら、
どうにも、自分は自分に耐え切れなくなったようで、
結果がこの死体を見に10kmも歩くという奇行だった。
「俺は何をやっているんだ。馬鹿め」
今度は言葉にしてみた。
自嘲気味、自暴自棄だった。
顔に乾いた笑いが張り付いているのにに気づいた。
ヘラヘラ笑いながら歩くのは不気味だったので、普通の顔に戻そうと思ったら、
急に胸から涙がこみ上げてくるのを感じた。
今馬鹿なことをやっている自分が情けなくて、思わず歩くのを止めて泣きそうだった。
泣きたくはないと思ったので、歩いた。
歩くことでしか涙を耐える手段はなかった。
すると、声が聞こえてきた。
「母さん、なにやってんの。危ないから休んでて」
私は思わず歩くのをやめて声のするほうを見た。
細身の中年女性が高枝鋏で木の枝を切ろうとしていた。
金属の鋏の重さにフラフラとしているせいか、目的の枝のところに鋏がいかず苦心している。
それを止めようと私と同い年くらいの若い男が駆けてきたらしい。
「せっかく帰ってきてるんだから休んでくれていいのに」
と母親らしき人が言うと、
「母さんは危なっかしいから、休むに休めない」
といって、息子らしき男は鋏を取り上げた。
そして彼はパチンパチンと要領よく枝を切っていく。
「じゃあちゃんと枝が切れるか見ておくから」
と母親が言う。
「見ているだけじゃ邪魔だよ」
と息子はいうけれど、私には彼がどことなくうれしそうにしているように見えた。
私はありそうでない光景に、なんとなく珍しいものを見た気がした。
そして、珍しいと感じてしまった自分にショックを受けた。
「俺、ああいう親切をしていないんじゃないか?」
わが身を振り返る必要がある、と思った。
しかし、そうするまでもなく自分がするべきことは決まっていた。
踏切事故なんて見に行かなくても、世界は変わる。
こういう小さな親切をするきっかけが、日常の中に転がっている。
それを注意深く見つけて、そして実行すればいい。
世界はきっといい方向に行く。
私は再び歩き始めた。
足取りが軽い。
さっきまでの心の重みが、嘘のようであった。
このまま最寄り駅の電車に乗って帰ってもいいんじゃないか、と思った。
帰って、母に何か親切をしてあげよう。お菓子を買うのがいい。
まずは母を喜ばせてみよう。
しかし、それはそれとして。
「やっぱり踏切事故の死体は見ておきたいな」
母に親切をした先にあるのは、より良くなった日常だけなのだ。
そんな幸せな日常はありふれている。
「未知の非日常」への渇望には勝てない。
私は、再びグチャドロに向かって歩き始めた
///
足がくたびれてきた。
そうすると歩くのがいやになってくる。
グチャドロを見て吐くかもしれない。
そんな嫌な経験をするために10kmも歩く意味はあるのか。
ネガティブなことを考えるたびに、足取りは重くなっていく。
しかし、足取りが重くなるばかりではない。
「この足の痛みは事故現場を見るためにある。
この足の重さは、グチャグチャになった死体を見るためにある」
今、私が感じている疲れもあこがれた非日常のひとつ。
自分はいま、非日常にいる。
そう思うと、喜びが沸いてきて足取りが軽くなるのだ。
そうやって一喜一憂するうちに、
私はとうとうたどり着いた。
私が着いたのは、ひとつ先の駅だった。
事故現場は見つからなかった。
歩き始めてから2時間以上経っていた。2時間もあれば、車も人も撤去されてしまう。
そもそも、人身事故だったかどうかも定かではない。死体が始めから存在しなかった可能性もある。
私は笑った。
訂正
私が着いたのは、事故が起こったという駅の、そのひとつ先の駅だった。
死体なんてなかった。
でも、不思議と嫌な気分じゃなかった。
グチャドロは見れなかった。非日常はどこかへ逃げ去った。
私の10kmは無駄だったのか?
ただ歩いただけの2時間は、つまらない徒労だったろうか?
そんなことはない。
気づけなかったことに気づけた。日常の中に新しいものを見つけた。
今までの日常は変わるという予感を手に入れた。
死体を見れなくて、少し寂しいという気持ちもある。
それでもこの10kmは無駄ではなかったという確信がある。
私は満足していた。
私は実家への帰省を再開すべく電車に乗り込んだ。
///
翌日。
筋肉痛に苦しむ私がいた。
床に寝転がって、ふくらはぎの痛みと戦っていた。
そんな私を、母は足で小突いていう。
「帰省してダラダラしなさんな。みっともない」
私は「へいへい」と返した
私は昨日の出来事を思い返してみた。
そして提案する。
「庭の雑草、抜いてやろうか?」
「驚いた。どういう風のふきまわし?」
「なんとなく」
「あっそ。じゃあ頼むわ」
そう言った母は、そそくさと台所にひっこんだ。
冷淡そうに振舞っているものの、母はどことなく照れくさそうだった。
私は、「ああ、やっぱり悪くない」と思ったのだった。
おわり
スタンド・バイ・ミー読んだことなくてwikiで調べてみたら、死体を見に行く話だったのね
実体験書いただけなのに同じ話でビビった
過去作
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