男「夜中に焚き火なんかしてんじゃねえよクズ」(25)

相変わらずの終電帰りだ。

残業代が出るだけまだマシなのかもしれないが、こうも続くと気が滅入ってくる。

吐いた溜息は白く、ぼんやりと消える。

重い足取りで家路を歩く。マンションに近づくと、何かを焼くような臭いがした。

大方どこかの家が魚でも焦がしたんだろう。もしくは、また学校に悪ガキが忍び込んで花火でもしているのか。

特に気にするでもなく、エレベータを降り、カギを差込み、回す。

明日の朝も早い。風呂も飯も簡単に済ませ、とっとと寝てしまおう。

一人だけの部屋で、ビール缶の蓋を開ける音が小気味良く響いた。

悪癖だとは自分でも思うが、飯、酒、風呂の後に、タバコを呑んでから寝る習慣がついている。

以前は恋人に髪に匂いがつくと咎められていたものだが、今ではそれもない。

いつものように、シャワーで火照った体のままテラスに出て、ライターを取り出したところで。

マンションの中庭で、誰かが焚き火をしているのが見えた。

火の隣に立つ人影が見える。

こんな時間に何をしているのか。いや、そもそもあそこで火を焚く事自体がおかしい。

芝は茶色く乾いていたし、火の粉がどこへ飛んでいくのかもわからない。

寒空でどの家も窓を締め切ってはいるが、煙だって周囲への迷惑だ。

現に、マンションの周辺まで焼ける臭いが漂っていた。

放火、だろうか。その割には犯人はその場に居座っているし、周囲に燃え広がる様子も無い。

だとすればイタズラか。放火犯の一歩手前。子供が火を見て喜ぶように、周囲を困らせて気を引くように。

無性に腹がたった。こちとら毎日残業続きで遅くまで仕事尽くしだというのに、暇な奴がいたものだ。

どうせ創作物に感化された、夢見がちで現実の虚構との区別がつかないバカガキの仕業だろう。

火遊びをする自分に、物語の主人公を重ねて酔っているに違いない。

――ちょっと説教でもかまして、溜飲を下げさせて貰おう。

タバコに火をつけないままポケットに仕舞い、部屋に戻ってコートを羽織る。

酒のせいもあったのだろうが、よせばいいのに中庭へと降りていった。

カサカサと芝を踏み、人影へと近づく。

近づいてみて気付いたが、火のそばには一匹の黒猫が暖を取っていた。

こちらに気付いたのか振り返ると、こんばんは、と挨拶をされた。

若い男の声だった。背丈から察するに、中学生か、高校生か。

こんばんは、と返した後に、何故焚き火をしているのか訊いた。

「ネコの、火葬をしているんです」

意外とそれらしい答が返ってきた。飼い猫なのだろうか。

「いえ、野良猫です。このマンションはペット禁止ですしね」

「マンションの入り口の前で、死んでいました」

餌付けでもしていたのだろう。情が移る気持ちは解るが、ここで燃やしていい理由にはならない。

野良猫一匹死んでいたところで、無関係な人間が葬ってやる必要も無い。

ペット葬儀にでも出すか、手を合わせて燃えるゴミ行きが精々だ。

「自分もそうだと思います。猫だって人だって死んでしまえばただの肉です」

「ゴミ袋に入れて収集車に運んでもらえば、それで済む話だったのかもしれません」

そう思ってるのなら尚更だ。何故わざわざここで、こんな時間に火をつける必要があるのか。

近隣への迷惑を代弁するように。すぐ火を消すよう、強い口調で咎める。

「迷惑をおかけしたことは謝ります。ですが、自分はどうしてもここで燃やしたいんです」

話が通じない。近頃のゆとり世代はこれだから困る。

いくら感傷に浸ったからといって、何をしてもいいわけではない。

声を荒げ、罵る。何か理由があるってのなら、言ってみろ。

「理由、ですか」

ご近所に迷惑をかけて尚、火を燃やし続けるに足る理由。

尤も、それもかわいそうだとか下らない感情論なのだろうが。

「感情論には、違いないですが」

「このネコ、首に針金が巻きついて、手足が切られて、置いてあったんですよ」

「酷い臭いでした。ですが帰宅する五時頃まで、ずっとここに置かれたままでした」

「いつ、置かれたのかはわかりませんが。管理人さんも不在だったので、自分が処理することにしました」

「針金が巻かれた首と、ご丁寧に添えられていた四本の足を写真にとったところで、ビニール袋にいれました」

「歩く人達に見られましたが、咎められも、手伝いもされませんでした」

「警察に通報すると、首輪の無い野良猫ならばそのまま処分して良い、とのことでした」

一旦言葉を切る。焚き火の明かりでは、表情までは伺えなかった。

「別に、そのまま可燃ゴミとして出してもよかったんですが。このネコには面識がありまして」

「毎朝遠巻きにこちらを見つめて、かと思えば触ろうとすると逃げられる、愛想の無いネコでした」

「よく、そこの黒猫と毛を逆立てて喧嘩していたのを覚えています」

黒猫は相変わらずただじっと座っている。

「毎日顔をあわせるだけの、餌どころか、触ってもいない野良猫」

「ですがこちらは勝手に、友情めいたものを感じていました。彼には、なんでもないことでしょうけど」

「だからでしょうか。ここに、よく日向ぼっこをしていた草はらに、埋めてやりたかったんです」

「そのまま埋めてしまっては虫も涌きますし、醜い形のまま冷たい土に埋めたくありませんでした」

「元よりここも、コンクリートの上に土をかけ、樹と芝を植えただけの庭ですが」

「彼が暮らした、この場所に。理不尽な死の苦しみから、せめてここで安らかに眠ってほしくて」

「誰にも見られない時間を見計らって、火をつけたんです」

ポケットからタバコを取り出し、火をつける。

しばらく火にあたってもいいか、と訊くと、ええ、とだけ応えた。

まぁ、子供の火遊びには大人の監視が必要だろう。

相変わらず冷えるが、焚き火にあたれば風邪をひくこともあるまい。

小さくなり始めた燠火と、咥えたタバコの煙が寒空に消えるのを。

ただ、ぼうっと見ていた。

結局、火が消えるまで付き添ってしまった。

埋める際に新しいタバコを一本取り出し、手向けとして供えてやった。

土をかけた上に念入りに水を撒いたので、延焼はしないと思う。

手伝ったことへの礼と、迷惑をかけたことを謝られたが、適当にあしらっておいた。

加えて火遊びはしないことと、夜中にフラフラ出歩かないこと。

年長者らしい小言を言って、部屋の前まで送ってやり、別れた。

翌日、マンションの掲示板には猫の屍骸についてと焚き火への注意の張り紙がしてあった。

どちらも、もう二度と貼られる事が無いよう願いたい。

部屋へ帰ると、いつものように飯、酒、風呂と済ませる。

まだ燻された臭いの残るコートを羽織ると、テラスに出た。

街灯の明かりだけでは中庭の隅までは見渡せない。タバコに火をつけ、ふと中庭を見ると。


黒い草はらを、黒猫が颯爽と横切った気がした。

短いですが以上です。警察のくだりは本当にそうなのかはわかりません。あくまでフィクションです。
あとどんな理由があっても火葬は自分でやらないで下さいね。危ないですから。
適切な方法はぐぐったりなんだりで調べて行ってください。

たまにはエロとかボーイミーツガールじゃないssってことで。

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