周子「アイドルでオトメなあたし」 (96)
初スレ立てです。
ゆっくり、書いていきます。
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「うぅー。寒い、寒いっ」
天気予報は晴れのち曇り。北西の風が夕方から強まりますので、急な冷え込みには十分に注意しましょう。
ラジオのお姉さんの注意喚起は大当たり。
何のこれしき、暑いのは少々苦手だけれど、ちょっとやそっとの寒さであたしを負かすことはできませんよ。
いざ、勝負!
気合をいれて一歩外に出たあたしの身体を、考えが甘いとビルの上から冬将軍がぴゅうぴゅう、叩く。
ついさっきまで、あたしがいたのはお城の舞踏会。
真白いドレスで身を飾り、華やかなティアラを煌めかせ、足にはもちろん、きらきら輝くガラスの靴。
でも今のあたしはもこもこ着膨れ、頭にはニット帽、足元は落ち着いた色のロングブーツ。
灰かぶりに戻った、とは言わないけれど。さながらそれは、身元不明の雪だるま。
紫色に塗りつぶされていく冬空の下を、冷たい風に追い立てられるようにみんなが行き交う。
疲れた顔をしたサラリーマン、けらけらと笑う大学生たち。
電話を片手に早足でお姉さんが向かう先は、職場?
それとも、カレシのところ?
奥歯をかたかた鳴らせながら、あたしは腕時計と目の前の幹線道路を交互に見やる。
右へ左へ、あたしの前を走り去っていく色とりどりの車、車。
その中に、見慣れた姿がもう来てはいないかと目を凝らす。
いつもよりも、わざと少しだけ遅れてした仕事終わりの報告。
普段はあたしが現場から出たときにはもう待ってくれているお迎えも、今日はもう少しだけかかりそうだ。
プロデューサーさんは、冷え切ったあたしの姿を見てなんと言うだろうか。
どうして外で待ってたんだ? 風邪をひいたらどうする?
アイドルなんだから、なにより健康に気を付けないと?
目に浮かぶのは、ぷりぷりと怒るあたしの王子様。
困ったな。怒られるのも、プロデューサーさんに心配をかけるのも、あまりいい気分でない。
今日だけだから、とあたしは首をすくめて一人呟く。
乃々ちゃんや日菜子ちゃんの受け売りではないけれど、女の子に生まれたからには、誰でも一度はマンガの世界を夢見るもの。
あたしとて、衣装を脱げば、多分どこにでもいる普通の十八歳。
少々他の人より遅い気もするけれど、そういうシチュエーションに対する憧れはみんなと同じくらいに、ある。
たとえばそう、デートの待ち合わせ。予定の時間よりも少し早めに来るあなた。
そのさらに少し前からベンチに腰かけて、髪をいじってみたり携帯電話に目を落としたりしながら、あなたが来るであろう方角をそわそわ、わくわく、見つめているあたし。
だから、今日だけ。
こんな天気になってしまったのは誤算だったけれど。
街路樹の下に停まったハザードランプの点滅に向かって駆け出す。
ガラス越しに見えるプロデューサーさんの少し驚いた表情。
そんなに寒そうな顔をしてるかな、あたし?
心配をかけたかもしれない、お小言が飛んでくるかもしれない。
でもなによりもまず、あなたはあたしにこう言うだろう。
そうしてあたしは、予想外の寒さに思わずぶるると身体を震わせながら、でも、他のアイドルたちにもファンのみんなにも、家族にだって見せないとびきりの顔でこう答えるのだ。
「すまん周子、待ってたのか!」
「んーん。あたしも今、来たところだよ」
●
西日はあっという間に暮れて、星はどんより、雲の向こうに隠れている。
あたしを乗せた無骨な馬車は、混雑し始めた幹線道路を、事務所に向かってひた走る。
手の中にはコーヒー缶。
予想していた通りに怒られてから手渡されたその熱が、あたしの指に、じいんとしみわたる。
それは車の暖房とあわさって、陶器のように冷え切ったあたしを少しずつ人間に戻していくけれど。
へっしょい!
やっぱり身体を冷やしすぎたのか、こらえきれずに大きなくしゃみが出た。
それも、アイドルにあるまじき感じの。
これはお小言再開かな。運転席をちらりと見てみると、プロデューサーさんはやっぱり何か言いたげな顔をして、だけどあたしの予想に反して何も言わないままだった。
どうしてだろうとあたしは少し考え込み、そしてすぐにその理由に気付く。
答えはプロデューサーさんの顔に大きく書かれていたのだもの。
寒い中、長いこと待たせてすまなかった、と。
少し申し訳ないなと思ったけれど、あたしも何も言わないままにしておいた。
どこかで見ているアイドルの神様も、これくらいの嘘なら許してくれるはずだと思ったから。
いつもはみんなのアイドルシューコなのだから、今くらいは、誰かを夢見るオトメのシューコの顔をしていてもいいんじゃない?
「早く戻って暖かくしないとな」
「そーだね。事務所のソファーが恋しー」
車の流れは順調とは言い難い。停まって動いて、また停まって。
スピーカーから聞こえてくる、ノイズ混じりの軽快な音楽の合間に、カーナビがぽつりと呟いた。
この先しばらく、渋滞が続きます。
信号が赤色に変わる。
「まだ冷えるか」とプロデューサーさんが問うてくるけれど、あたしの視線は、横断歩道のそばでショーウィンドウを覗いているカップルに釘付け。
短いスカート! こんなに寒いのに、すごい頑張り屋さんだ。
夜の街明かりの中にぼんやりと浮かび上がる真白なおみ足に、心の底から頭が下がる。
ぴろぴろぴろ。
聞き慣れない電子音は、プロデューサーさんへの着信の合図。
ちらりと信号を確認してから、スーツ姿の御者さんはポケットに手を伸ばした。
はい、はい。お疲れさまです。少し混んでまして。
ええ、もう周子は一緒にいますよ。え、スタジオ? はあ。
ちひろさんかな、それともトレーナーさんかしら?
できるオトコ、と密かに業界各所で評判高いというその横顔をぼんやりと眺めていたあたしのそばに、役目を終えた黒色のスマートフォンがぽいと投げて寄越された。
カーステレオに車のエンジンが相槌を打ち、きらきら輝くネオンがゆっくりと後ろに流れはじめる。
「いじっていーい?」
「駄目だ」
駄目だと言われたときにはもうスマートフォンに手をかけているあたしを、プロデューサーさんはそれ以上特に注意するでもない。
慣れられているのか、それともひょっとして、諦められているのか。
「おつかいでも頼まれたの」
「帰社前に、ちょっとスタジオにな」
「半時間コース、追加やね」
半時間? と首を傾げたプロデューサーさんに、あたしは思わず失笑する。
そろそろ関西のイントネーションも抜けきったかなと自負していたけれど、どうやらまだまだ、シューコは雅な京娘のままのようだ。
三十分ね、と言い直してから、あたしはスマートフォンの画面に視線を戻す。
『パスコードを入力』
ううむ、流石は敏腕プロデューサー。
感心感心、セキュリティにも抜かりがない。そうでないと、あたしも安心して色々と任せられないしね。
「パスコードー」
「秘密」
えー、と口を尖らせたあたしの方を、プロデューサーは見もしない。
あたしの小さな意地に、ぽつりと火がともされる。
こうなると、俄然やる気が出てくるのが人の性ってもの。やってやろうじゃありませんか。
「プロデューサーさん、誕生日って七月のいつだっけ」
「なんだ、何かくれるのか」
プレゼントは、あたし、なーんて。
以前のあたしなら、いたずらっぽく笑いながら言えたんだろうな。
ミステリアスだの、小悪魔だのといった代名詞がついていたころのあたしなら。
小さくついたため息にはおそらく気付いていないだろう、プロデューサーさんはきちんと答えてくれた。
なるほど、十九日。
そういえばみんなのプレゼント選びについていったのは、そんなころだったような気がする。今年は忘れないようにしないと。
こっそり自分の手帳にメモしてから、あたしはスマートフォンの画面を叩く。
ぜろ、なな、いち、きゅう。
残念、外れ。
なんの、まだまだ。
これしきのことで諦めているようじゃあ、アイドルシューコは務まらないのです。
入社日は? お母さんの誕生日は?
番地の下四桁は? 車のナンバーは?
何度かに一度、『パスコードが連続して違います』と画面をロックされながら、あたしは何度も四桁の数列を探しては、追い返され続ける。
何も悟られないように、出来るだけ平静を装って訊いた「結婚記念日は?」には、「何言ってるんだみんな知ってるだろ。花の独身だ。ど、く、し、ん!」と、ある意味であたしの望んだとおりの答えが返ってきた。
「じゃあ」
かのじょの たんじょうびは ?
あたしの口から出てこようとするそれを、あたしはぐっと噛み潰す。
あたしをスカウトしたばかりのころのプロデューサーさんなら、きゃいきゃいと笑う小学生組にも冷やかす調子の学生組にも、みんなに同じように少し冷やかに笑いながら、じっとあたしたちの目を見て、カセットテープのような一本調子で「彼女なんていないよ」と答えたに違いない。
でも、今は?
ありがたいことに、あたしとプロデューサーさんは結構な時間、良好な関係を続けられていると思う。
プロデューサーさんは多分、家族の次にあたしの色々な顔を知っていると思うし、あたしも出会ったころには気付けなかったプロデューサーさんを色々と知った。
たとえば、気を許しているときのあなたは、むしろ相手の顔を見ない。
お茶を入れてくれる藍子ちゃんに背中で返事をすることが最近少しずつ増えているのに、気付いているのはあたしだけかな?
かのじょの たんじょうびは ?
もしあたしがそう問うたら。
あなたはきっと、運転する手を止めずに前を見たままだろう。
そうしてきっと、少し言いよどんでから、あるいはいつもの調子のままで、何らかの答えをくれるだろう。
あたしはそれを、受け止められる?
あたしが黙りこくったのを見て何を思ったのかは分からないけれど、プロデューサーさんもそれきり無言でハンドルを右へ左へ。
車の流れがよどんだ大通りから少しばかり外れて、通い慣れたレッスンスタジオの薄暗い駐車場へと滑り込む。
プロデューサーさんは手早くシートベルトを外し、すぐ戻るから、と言ってエンジンをかけたまま車から降りて駆け出していく。
と思ったらすぐに戻ってきて、鍵閉めておけよ、と言い置くことも忘れない。
一人残されたあたしは、音楽番組をBGMに、プロデューサーさんのスマートフォンとにらめっこだ。
寒い日が続きますが、今週も懐かしのアニメソング行ってみましょう。
『あなたの一番になりたい』です、どうぞ!
「たーった四桁、なのにねー」
志希ちゃんならこれくらい、天才頭脳でちょちょいのちょいかな。
ありすちゃんもかな、賢そうだし。ユッコちゃんならサイキックで、菜々さんならウサミンパワーで。
フレちゃんなら凛ちゃんなら未央ちゃんなら卯月ちゃんなら。
あたしなら?
暗闇の中、街灯の明かりにぼんやりと浮かび上がったあたしが、窓ガラスの向こうからあたしに問いかける。
プロデューサーさんの目に留まって、実家を放り出されて。
それからのあたしは、歌って踊って汗をかいて。
お気楽ごくらく看板娘、何事もゆるーくテキトーに流されて生きてきた塩見周子ちゃんが、悔しくて眠れなかったり、声出して泣いたこともあったり。
色々なことがあったけれど、その間ずっとあたしのそばにいた、あなた。
あたしは一度だけ、あたしをスカウトした理由をプロデューサーさんに訊いたことがある。
実家の店先で初めて会ったとき、たしかプロデューサーさんは「寂しそうだったから」と答えたんだっけな。
そのときは特段気にならなかったから、それ以上訊こうとはしなかったけれど。
じゃあ、今は?
いつからかはもう分からないけれど、運転中の横顔や、終業間近の後ろ姿に、ふと気付くと視線を奪われてしまっている今のあたしは多分、それを訊いてしまうと自分の中の何かを壊してしまう。
それがあたしは、とても怖い。
おそらくそれを知ってしまうと、あたしはもうみんなのアイドルシューコには戻れなくなってしまう。
どんなに意識しないようにしても、あたしの笑顔は、あたしのダンスは、きっと一人だけのものになってしまう。
誰かさんにもっと見てもらいたい、誰かさんに褒めてほしい、認めてほしい、あたしだけを見ていてほしい!
あやかし狐は嫁入りしてしまい、ファンのみんなの、そしておそらくはプロデューサーさんの心も、晴れているように見えるけれど雨模様、だ。
だからあたしは、もうしばらくはみんなのアイドルシューコのままでい続けるのだ。
誰かさんが、もうしばらくみんなのプロデューサーでい続けてくれることを願いながら、こんこん、歌って踊るのだ。
でも、今は?
窓ガラスの向こうのあたしが、意地悪く微笑む。
今だけは、誰かを夢見るオトメのシューコの顔になってもいいんじゃなかったっけ?
「ていうか、プロデューサーさんって、彼女の誕生日を暗証番号に使うタイプかなー」
さっきまで誰かさんが座っていた運転席は、もちろん何も答えない。
カーステレオは音楽番組を終えて天気予報へ。
今夜から明日にかけてさらに冷え込みますが、週末には天気が回復するでしょう。
ひょっとしたら、プロデューサーさんはみんなが思っている以上にロマンチックな人なのかもしれない。
でもあるいは、そんな人はまだどこにもいなくて、今は単なるラッキーナンバーとか、意味のない数字の羅列がその役割を果たしているのかもしれない。
あたしは後者を願うことにした。
幸いあたしは、的当ては得意だ。
いつか誰かが、誰かさんのダブル・ブルを射抜くときがくるだろう。
そのときあたしがスローラインに立っていたなら、あたしをこのスマートフォンの鍵にしてもらおう。
それまでに精々、腕を磨いておかないとね。
テイクバック、リリース、フォロースルー。
見えないボードに向かって、あたしはダーツを投げる。命中!
そろそろ、プロデューサーさんが戻ってくるころだろう。
あたしはスマートフォンをドリンクホルダーにでも置こうとして、せっかくなので、あたしも少しロマンチストになってみることにした。
憧れの人の暗証番号が、自分にまつわる何かだなんて。
そんなベタベタなシチュエーション、少女マンガもとっくに使い古してしまっている。
だけれどやっぱり、素敵やん?
あたしといえば、まずはやっぱり和菓子でしょう。
おたべ、はどう頑張っても四桁の数字にはならなかったので。
「や、つ、は、し、っと」
はち、に、はち、よん。
残念、一投目のダーツは外れ。
次はあたしの誕生日を入力してみる。
いち、に、いち、に。もちろん、二投目も外れ。
まあ、仮にこれが当たりだったとしたら。
もしこれでロックが開いてしまったら。
考えただけで、口もとが緩んでいき、頬がじんわりと熱くなっていくのが分かった。
絶対に変な顔になっているだろうから、窓ガラスに映る自分の顔から目を背ける。
落ち着け、あたし。当たってないんだぞ。
「むうー。もう、プロデューサーさんのあほ! いけず!」
照れ隠しに試みようと思ったのは自分の名前。
こんなの、誕生日なんかよりもずっと恥ずかしい。
そもそも仮に、誰かプロデューサーさんに大事な人がいたとして、誕生日でなく名前の語呂合わせをパスワードに使うかね、普通。
自問とともに一度指を止める。
けれどそれが再び動き出すまでに、さほどの時間はかからなかった。
これじゃあまさに、恋に恋する乙女そのものだ。
でもせっかくだし、もう少しだけこの甘美な時間を続けていても、バチはあたらないんじゃないのかな?
少し考えたけれど、シューコを四桁に変換するのはとても無理だったので、ええと、しおみ、だから。
「ぜろ、よん、ぜろ、さん、っと」
ロックが解除された。
多分そのとき、地球は一瞬静止したんだろう。
遠くを行き交う排気音も、風の音も街路樹のざわめきも、ラジオが告げた七時の時報も、何もかもあたしには聞こえなくなっていた。
あたしは多分、息をするのも忘れて、アイコンが並んだメニュー画面に目を奪われていたんだと思う。
「ほんまに?」
絞り出すように呟いた。
答えはもちろん返ってこない。
頬どころか、耳の先まで熱が昇ってくるのが分かる。
バクバクバクと打たれる早鐘が車内に響き渡っている。
おちつけ、おちついて、あたし。
もしかしたら、これがプロデューサーさんのラッキーナンバーなのかもしれないし、仕事先の誰かの名前の語呂合わせなのかもしれない。
そう、例えば、ぜろよんぜろさんだから、お、おしおさん、とか。
そんな人、いたっけ?
な、なにかの間違いかもしれないからね、うん。
自分にそう言い聞かせながら、本体脇の電源ボタンを押す。
画面を暗転させてから、もう一度電源ボタン。
スマートフォンはさっきまでと同じようにあたしに訴えている。
『パスコードを入力』。
今度は、最初にゼロを入力する。
パスコードは、残り三桁。
語呂もあわせて読み上げながら、あたしの指がゆっくりと動く。
一文字入力するごとに、あたしの頭はがんがん左右に揺さぶられ、身体は電気を流されているかのように、びくりと何かを期待して震え上がる。
「し、お、み」
瞬間、顔から火が出た。
あたしの全身はマンガみたいにボンッと音を立てて茹であがり、シートベルトをしたまま右へ左へ身悶えする。
自分でも何が何だか分からなくなりそうで、あたしはふるふると頭を振って、もう一度「ほんまに?」と問うてみた。
答えはもちろん返ってこない。
でも今度は代わりに、運転席の窓ガラスがこんこんと叩かれる音がした。
あたしの身体はもう一度ボンッと音を立て、自分でも聞いたことがないような悲鳴をあげてばね仕掛けのように跳ね上がった。
大慌てでスマートフォンの画面を暗転させ、ガクガクとブリキの人形のように振り向いたそこでは、プロデューサーさんがドアの鍵を開けてくれとジェスチャーで訴えかけている。
あたしは一度、できるだけ気付かれないように大きく深呼吸をして、それでも未だに跳ね躍っている心臓を何とか落ち着かせようと試みながら、車のドアのロックを動かした。
ガチャリ、という音が鳴った。
同時に地球は再び回りはじめる。
駐車場前の自販機に停められていた原付バイクのセルモーターが回され、自転車のベルが鳴り、ラジオは何事もなかったかのようにどこかの旅番組を流し始める。
「すまん周子、待たせた」
いかにも寒そうに両手を擦りあわせながら、プロデューサーさんが運転席に乗り込んできた。
あたしのもち肌は落ち着く間もなく、再びかあと熱を帯びる。
「お、おかえり。お使い、ご苦労さまやったですね」
下がれ体温、静まれ血流。
日頃から鍛えた演技力を総動員して、いつも通りの、お仕事帰りの少し気だるげなシューコちゃんを演出する。
けれど流石はあたしのプロデューサーさん。それともあたしのレッスン不足?
やっぱり何か引っかかるところがあったのか、じいっとあたしの顔を見つめてから、プロデューサーさんは困ったときに時々見せる、少し難しい表情になった。
「やっぱり、ちょっと風邪っぽい顔をしてるな。少し赤いし、息も荒い」
ああ惜しい。
残念だけど、八十点だねプロデューサーさん。
続けて述べられようとしているのは、恐らく再度の謝罪の言葉。
それをあたしは、先んじて伸ばした手で制する。
「ちょっと寒かったから、暖房効かせすぎたせいかもしれないなー。心配してくれてありがとね、でも大丈夫だよ」
はい携帯、そう言って手渡したスマートフォンを、プロデューサーさんはまだ少し訝しげな顔をしながら、でも何も言わずに受け取ってくれた。
「ロック堅すぎるよプロデューサーさん」と付け足したのは、少しばかり後悔した。
余計なこと、言ってしまったかも。
「周子なら、四桁の暗証番号くらいすぐに開けられそうなもんだけどな」
その言葉に、あたしの心臓はどきりと跳ねる。
今のはあたしが賢いという褒め言葉? それとも。
それとも。そのパスコードはあたしだからこそ開けられる、ということですか?
ごくりとあたしの喉が鳴った。
どういう意味かと訊いていいか、と窓ガラスの向こうのあたしがにやついている。
訊いてどうする? プロデューサーさんは何と答えるかな。
あたしがロックを解除できてしまったこと、気付かれてしまうかもしれないよ?
逡巡すること、数秒。
結局あたしの口から出たのは「ソンナコトナイヨ」の一言だけだった。
あらかじめ録音しておいたかのような、よどみない否定。
とうに冷めてしまっていたコーヒー缶のプルタブを開けて、ごくりと一口。
少し苦い味と一緒に、残りの言葉を飲み込んでしまう。
「まあとにかく、一応戻ったら熱測っておくんだぞ。気になるようならちひろさんか俺にすぐ報告、連絡、相談。いいな?」
「心配性だなー、プロデューサーさんは。プロデューサーさんこそ、風邪ひいたりしないでよ? あ、もしそうなったら、ご飯食べさせにいってあげよっか」
「こら、そんな冗談よそで言うなよ。だいたい俺は丈夫なのだけが取り柄なんだ、昔っから」
からかい混じりの軽口はたたける。
よしよし、おかえり、いつもどおりのあたし。
脈拍よーし、血圧よし。
暴れまわっていた鼓動もようやっと収まりはじめていることに、思わず安堵のため息を一つ。
アクセルがゆっくりと踏み込まれる。
低いエンジン音にあわせて、動き出すあたしたち。
二人きりの車内が、ラジオの音声に塗りつぶされていく。
あたしはぼんやりと窓の外を眺めながら、一人ずつ、事務所のアイドルたちの誕生日を思い出そうとしていた。
ねえ、プロデューサーさん?
いつか誰かが、あなたのダブル・ブルを射抜くときがくるだろう。
願わくは、そのときスローラインに立っている人が、四月三日が誕生日の誰かでなくて。
あたしだったならば。
「なーんて、ね」
少しだけ助手席の窓を開ける。
途端に暖房の風を押しのけていく冷たい空気。
それに吹き飛ばされて、あっという間にどこかへ行ってしまった、小さな小さなあたしの呟き。
道路を行き交う車の量は、もう随分と少なくなっていた。
この調子なら、十五分もあれば事務所に帰れるだろうな。
プロデューサーさんが、少し上機嫌な様子でそう言った。
あと十五分か。
少しさみしいけれど、さようなら。誰かを夢見るオトメのあたし。
そしておかえり。クールでミステリアスな、みんなのアイドルシューコちゃん。
明日からまた、しばらくの間よろしくね。
おわり
SS投稿難しい! こんなシンデレラガールもありかなというのを少しでも伝えることができれば幸いです
乱文にお付き合いいただき、ありがとうございました
HTML化依頼出して、デレステイベントに戻ります
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