男「みんな一年未満で辞めるブラック企業に入社してしまった」(29)

男(今日から俺もいよいよ本格的に社会人か……)

男(結局俺は、平均勤続日数一年未満というブラック企業にしか入社できなかった)

男(俺はいったいどのぐらいもつのかなぁ……)

男(いや! どんな過酷な環境であろうと、耐えてみせる! 耐えきってみせる!)

男(とりあえず、今日は始業時刻の一時間前にたどり着いた)

男(だけどこれでも、きっと“遅い!”っていわれるんだろうなぁ……)

しかし――

男(あれ……? だれもいない……)

男(てっきり俺以外の人は、もう出社してるのかと思ってたのに……)

男(まあいいや、待とう……)

始業時間5分前――

男「おはようございます!」ババッ

課長「やぁ、おはよう。ずいぶん早いねえ」

先輩「おはよう」

OL「おはよ!」

課長「ずいぶんと力が入ってるけど、今日はいつ出勤していたんだい?」

男「はいっ! およそ一時間前です!」

課長「一時間!?」

課長「特別に用があるならともかく、そんなに早く来る必要はないよ」

先輩「そうそう、始業時間の5分前に席についてりゃ上等さ」

OL「もちろん早く来ちゃいけないってことはないけどね」

男「……そうなんですか」

終業時刻になり――

課長「では今日は歓迎会をやろうか!」



男(来た!)

男(きっと絶対ビールを飲まなきゃいけなかったり、一発芸をやらされるにちがいない!)

男(だが、対策はバッチリしてあるぜ!)

居酒屋にて――

課長「じゃあ、みんな好きなものを頼みたまえ」

課長「私はカシスオレンジ」

先輩「俺は梅サワーで!」

OL「あたしは日本酒!」

課長「君はどうする?」

男「へ……? ビールじゃなくていいんですか?」

課長「もちろんさ、飲めないのなら水やウーロン茶でもかまわんよ」

男「あ、いや……飲めますけど……じゃあビールで」

男「あのう、先輩」

先輩「ん?」

男「新人は一発芸とかやらされたりしないんですか?」

先輩「もちろんさ、君と一緒に飲んでるだけで楽しいんだから!」

OL「そうそう、自分のペースで楽しんでね」

男(“安心して下さい、はいてますよ”を練習してきたけど必要なかったか……)

週末――

先輩「さぁってと……今日で休みだ!」

男「あれ? 休日出勤はないんですか?」

先輩「ないよ」

OL「あっても数年に一度あるかどうかってところじゃない?」

OL「休日出たら出たで、ちゃんと代わりの休みは取らせてくれるし」

課長「そのとおり! 休みはきちんと取らねばならん!」

男「はぁ……」

男「それじゃ、有給休暇はどうなんでしょうか」

課長「どんどん取りたまえ! 当然の権利なのだから!」

男「え!?」

先輩「俺も休みまくってるしさ」

OL「あたしもー!」

男「えええ……」

男(いったいどういうことなんだ……)

ところが――

男(やってしまった……! あれほど気をつけてたのに、ミスをしてしまった……!)

男(この会社は面倒な慣習もなければ、休みを取ることにも寛容だけど)

男(ミスに対しては異常に厳しい罰則があるにちがいない!)

男(きっと別室に連れていかれて、怒鳴り散らされ、長い反省文を書かされ……)ゾクッ…

課長「話がある」

男「は、はいっ!」ビシッ

課長「今回の件は、君の不注意によるものだった」

課長「これからは注意するようにしなきゃいけないよ。以上だ」

男「え……!?」

男「も、もう終わりですか」

課長「うむ、あまりくどくどいって委縮されても困るからね」

男「殴られたり、土下座させられたりとかは……?」

課長「そんなことするもんかね。むしろ、やれといわれてもお断りだよ」

男「そうですか……」

社長による訓示――

社長「たしかに成果は大事だ! しかしながら経過も大事だ!」

社長「ドーピングして金メダルを取ったって、なんの意味もないのだからな!」

社長「そして、健康には十分気をつけるように!」

社長「少しでも体調が悪ければすぐ休むこと! 無理はいかん!」

社長「我が社には君たちの不調をフォローするだけの業績はあるのだからな!」



男(えええ……なんなの、この訓示)

またある時――

取引先「おい! なんなんだ、このデータは!?」

取引先「私が要求したデータと全然ちがうじゃないか!」

男「し、しかし……あなたは確かに……」

取引先「言い訳する気かね!?」

男(ううう、そっちのミスのくせに……)

男(だけどこの顧客はかなりの大手だし、あえて濡れ衣を着るしかないか……)

課長「お待ちください!」

取引先「む!?」

課長「今回の件をよくよく調べたら、そちらのミスではありませんか!」

取引先「なに!? 客を立てるのではなく、こんな新入りをかばうというのか!」

課長「かばいますとも! もちろん!」

取引先「ぐっ……! す、すまなかった……」

男(かばわれちゃった……)

夏になり――

男「あの……ボーナス多すぎじゃないですかね? いくらなんでも」

課長「いやぁ、君の頑張りが正当に評価された結果だろ」

先輩「そうそう! まだ若いのによくやってくれてるよ!」

OL「初ボーナスで、パーッとなにか好きなもので買ったら?」

男「はぁ……」

男「たかが一年目の新人にこんなにあげちゃって、会社は大丈夫なんですか!?」

課長「大丈夫だとも。ウチの会社はいたって順調さ」

先輩「ああ、社長がやり手だし、今後も安泰だろうな」

OL「重役陣も派閥争いなんかせず一致団結してて、スキのない布陣だしね!」

課長「君もそこに加われることを期待してるよ! なんちゃってな、ハッハッハ!」

男「……」

男(おかしいぞ……この会社はおかしすぎる!)

男(こんな好待遇、絶対ありえない!)

男(きっとこれは罠で、このままこの会社にいたら、俺は悲惨な目にあうにちがいない!)

男(それこそ、通常のブラック企業じゃ考えられないような過酷な末路が……!)

男(いったいどんなことになるんだ!?)

男(大怪我する? 廃人にされる? 命を奪われる? 一族を全滅させられる?)

男(いやいや、そんなもんじゃない済まないかもしれない。もっと恐ろしいことが――)



男「うわああああああっ!!!」



男「こんな会社、一刻も早く辞めなければ!」

――

――――

――――――

課長「うーむ、結局彼も一年ももたずに辞めてしまったねえ」

先輩「あいつはかなり期待できたんですが、残念ですね」

OL「この会社って結構いい会社だと思うけど、どうしてみんなすぐ辞めちゃうのかしら」





社長(うむむ……社員への待遇をもっとよくせねばならんな……)

ちなみに――

経営者「フハハハハハハハッ!」

経営者「我が社では社員は消耗品! 捨て駒! 死んだ目になって牛馬の如く働けいッ!」

男「これだよこれ! 転職したかいがあった!」パァァ…

男「これでやっと、心を落ちつけてリラックスして働ける……」ニヤッ

経営者(えええええ!? なんなのこいつ!? なんでこんな生き生きしてんの!?)







― おわり ―

こんな企業がこの世のどこかにあってもいいじゃない
という思いを込めて書きました

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