彼女はとある国の姫として産まれながら剣も魔法も神童と謳われ
女神より勇者としての運命を背負わされた後も敗北などありえないと言われていた
努力を怠ることもなく常に向上心を持って鍛錬を積んでいた
それだけに絶望は大きかった
どんな凶悪な魔物も強大な軍勢も剣を一振り、魔法を一発放てば倒せた
しかし、この魔王は
魔王「残念だったな。勇者」
あまりにも強すぎた
勇者「…」ギリ
手も足も出ず圧倒的に徹底的に敗北を味わわされた
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勇者「…殺すならとっとと殺せ」
魔王「潔いな」
目の前で邪悪な笑みを浮かべる魔王
先ほどまで憎むべき相手だったそれは既に恐怖の対象へと変貌していた
魔王「しかし殺しはしないよ。貴様は我のものになってもらおう」
勇者「オレを奴隷にしようというのか?」
魔王「違う。奴隷は心が伴わない。貴様を心の底から堕としてやるのだ」
魔王「心の底から我を慕い、自ら我に従う。今にそうしてみせよう」
勇者「…してみろよ」
こいつはオレを洗脳しようとでもしているのだろうか。なら都合がいい。オレに洗脳は通じない
洗脳されたふりをしてスキをついて反撃するか逃げるかしてやる
魔王「まずは首輪だな」
どこからか悪趣味な首輪を取り出す。見るだけで不快になる装飾だ
魔王「…似合わないな。チョーカー風に変えてみようか、少しは可愛らしくなる」
魔王「よし、似合う似合う」
鰐に似た醜悪な顔が歪む
魔王「手始めに我のことを『魔王様』と呼んでみろ」
勇者「ぐ…ま…ぉ…」
これは洗脳効果を付与した首輪だ。それは分かる
しかし思っていたより効果が強すぎる
魔王様『呼んでみろ。魔王様、だ』
勇者「ま…ぉ」
今まで洗脳してくる魔物はいた。しかしどれも自分には通用しなかった
これも同じだ。絶対言いなりになんかなってやるものか
心に浸透してくる邪悪な魔力をたったそれだけの「意地」で跳ねのけようとする
押しつぶされそうな魔力を。圧倒的な強大な魔力を
魔王「ふむ、耐えるな。我もあまり気の長い方ではない。『呼び捨てを許そう』」
勇者「魔王!」
魔王「ふははは、言えたではないか。偉いぞ」
勇者「っ」ギリッ
呼び捨てを許すと言われた途端ふっとつっかえが取れたようにすんなりと"命令"が自分の中に入り込み口を動かした
一回。負けてしまった
いや、負けた等と考えてはいけない。一度でも認めたらなし崩し的にペースに乗せられてしまう
次は何が来る。何が来る
魔王「今日はここまでにしようか」
しかしあっけなく終わりを告げられてしまう。拍子抜けだ
勇者「な…」
魔王「ああ、最後に一つ」
魔王がオレから奪った剣を放り投げてくる
魔王「我を突き刺してみよ。防御も回避もしない」
勇者「ああぁあああ!」グサッ
全部聞く前に剣を手に取り突き刺した
その寸前、魔王は人間に姿を変えていた
魔王「分かるか?それが人間を突き刺した感触だ」
確かに"これ"は魔物を剣で刺す感触とは全然違う
柔らかい肉、簡単に割れる骨、今まで切ってきた魔物が鋼鉄に思えるほどの脆さ
魔王「いずれ、貴様が自ら進んで求めることになるであろう感触だ、よーく覚えておくがいい」
勇者「…オレは、絶対そうはならない」
魔王「さて、貴様の部屋に案内しよう。ついてこい」
勇者「…」テクテク
魔王「無言は寂しいな。旅の思い出でも語ってもらおうか」
勇者「やなこった」
魔王「くく、まあいい」
旅の思い出…その言葉で浮かんだのは長く旅をしてきた仲間たち
目の前で魔王に拷問され殺された仲間たち
勇者「…戦士…」
彼はいつもオレの隣で笑ってくれていた
目の前で拷問されているのを見て初めて気づいた気持ち
魔王「ついたぞ」
勇者「え、あ、ああ」
勇者「…奴隷の部屋にしてはけっこういいとこだな」
そこは人間の貴族のお嬢様が使っていそうな綺麗な部屋だった
いや、ふと気づいてしまった。ここは昔自分が王城で暮らしていたころに使っていた部屋にそっくりだ
悪趣味な装飾の数々を抜けば、だが
魔王「言っただろ?我が欲しいのは奴隷などではない。心から我に従い進んで人間を滅ぼそうとする"仲間"だよ」
勇者「言っただろ。そんなものになる気は無い」
魔王「今はそれでいい。今はな」
魔王「それにしてもこの悪趣味は装飾は外したほうがいいかな」
勇者「いや、このままでいい」
魔王「そうか?」
そうだ、この悪趣味な装飾は必要だ
ここが敵の牙城だと常に心に留めておくために
いずれ自分が抜け出さなければならぬ場所だと常に言い聞かせるために
魔王「それではまた後でな」
魔王「それと、監禁するつもりはないがここには鍵をかける。いずれ城を自由に歩きまわれるようにはしてやるさ」
それだけ言って出ていく魔王
ガチャリ、と外の世界とこの部屋とを隔絶する音が聞こえた
勇者「…ふん、オレを閉じ込められるものか」
勇者「グレンヴィア・ヴィラスト!」
最大級爆破呪文で壁の破壊を試みる
勇者「…傷一つ付かず、か」
勇者「アクログランド!ヴィミスト・ギリミア!エイガゴラウド!アーク・ジングエイガ!」
思いつく限りの最大級攻撃呪文をぶつけてみる
しかし何も変わらない。窓ひとつ割れていない。小物ひとつ微動だにしていない
魔王「抜け出そうとしていたのか?」
勇者「貴様…」
魔王「魔王だ」
勇者「」ギリ
勇者「き…魔王、ノックぐらいしたらどうだ」
魔王「鍵あける際にガチャガチャいうだろ。充分じゃないか」
魔王「で、どうだった?」
勇者「…罰するならそうしろよ」
魔王「しないさ。分かっただろ?ここからは何をやっても抜け出せない。脱走しようとしても意味が無い」
魔王「意味がない罪は罪にならぬ」
魔王「ただ、脱走を試みれば試みるほど思い知るだろう?」
魔王「貴様はここから、我から逃れられない。我は絶対に貴様を手放しはしない」
魔王「もしくは、我の手の上で踊るのが楽しいというならそれも良いだろうがな」
勇者「…そのくだらない煽りを言うために来たのか?」
魔王「まさか。夕食のお誘いだ。広間へ来い」
勇者「断る」
魔王「ではここで食べよう。二人きりでも素敵な晩餐となろう」
勇者「き…魔王と一緒の時点で素敵もクソもあるものか」
魔王『汚い言葉遣いはやめろ』
勇者「ぐ…」
魔王「ふ。運べ」
魔物どもが料理を運んでくる。鼻が曲がりそうな臭いに目を背けたくなるほど醜悪な見た目のゲテモノばかりだ
勇者「何だ、このおb…料理なのか?これ」
汚物という言葉が出そうになったが飲み込む。命令のせいではない、と思う
魔王「魔界の料理だ。美味しいぞ」
勇者「とてもそうとは思えないが…」
その汚らわしい"何か"を口に入れる
勇者「ムグッ」
勇者「ウェッ!!」
途端に襲い掛かる吐き気
臓物の血腥い臭いが口から鼻へ通って一瞬気が遠くなった
ヘドロも汚物もこれよりはずっとマシだろう。そう思えるほどの味と臭いだった
しかし吐き出そうとすると
魔王「出すな」ガシッ
魔王がオレの下顎を抑え、顔ごと無理やり上にあげさせた
魔王「噛んで飲み込め。味に慣れろ。魔界の味付けを、料理を、食材を、受け入れて慣れるんだ。貴様の身体を魔界に慣れさせるんだ」
勇者「ぐ…うぐ…ん…む、ぐ」
今日はここまで
魔王は男
魔王『』←の場合は首輪の洗脳効果を使っての命令だと思ってください
洗脳首輪(チョーカー)
魔王が魔力を込めて作ったお手製のもの
本来は完全に洗脳できるのだが勇者の魔法耐性(特に洗脳に対して)が強すぎたため一時的に言うことを聞かせることしかできない。一時的にのみである
勇者が強く意識を保ち続ければ跳ねのけることは出来るが長く息を止めるようなもので、少しでも気を抜くと命令を受け入れてしまう
続けます
勇者「げ…うげっ、うえっ」ポロポロ
魔王『吐き出すなよ?』
全て食べ終わっても胃がムカムカし、嘔吐はしないまでも涙が出る
魔王「人間は魔物より遥かに順応性が高い。今に美味しく感じるさ」
勇者「ありえ…ない」
目の端から涙を、口の端から唾液を少し垂れながらも残る気力を振り絞って睨みつけてやる
しかし
魔王「はは、良い顔だ。反抗的で、未だ希望を見失っていない強い眼光」
魔王「それが今後どう変わるか見ものだな。ほら、まだ残っているぞ」グイ
ワニのような醜悪な爬虫類の顔を更に醜く歪めて近づけてくる。生臭い息が顔にかかる不快感と、鋭い目と牙が恐怖感を与えてくる
勇者「もぅ…やだぁ」ポロポロ
勇者「う…ぷ」
腹は膨れた。しかし酷い後味が全身を蝕んでいる
魔王「よしよし、よく食べきったな」ナデナデ
頭を撫でられる。昔女の子は頭を撫でられると喜ぶと聞いたことがあった。どこがなんだ
嬉しくない。こんな人間の血に塗れた鉤爪のついたゴムのような冷たい爬虫類の手で撫でられたって嬉しくない
戦士の手…あったたかったな
僧侶の作る料理は美味しかったよ…
オレはこんなにも仲間に頼っていたんだな。戦闘以外ではからっきしだったんだ
オレの目の前で殺された仲間たち……
魔王「そろそろ風呂でもどうかな?」
勇者「風呂?魔物にもそんな文化があるんだな」
魔王「ああ。どうせなら一緒に」
勇者「それだけは嫌だ!ただでさえ魔王と勇者なのに!一応異性だぞ恥はないのか!」
魔王「分かった分かった。そうまくしたてるな。メイド長、案内してやれ」
そのメイドは美しい人間…の上半身をもっていた
下半身は…メイド服のスカートの下から何本ものタコ足が出ている。スキュラ…だったかな
メイド長「ではご案内します。こちらへどうぞ」
メイド長が先に立って歩く
急いで後を追った
メイド長に繋がれているわけでも魔王に見張られているわけでもないのでこのまま逃げることもできたかもしれない
でも、何故かしなかった。それを考えることすら、しなかった
大浴場
勇者「…気持ちいい」
メイド長「それは良かったです。魔界も人間界もお風呂の気持ち良さは何も変わりませんからね」
勇者「…いや、違う」
メイド長「はて、どこがでしょうか?」
勇者「……」
嘘だ。本当は何も違いなどないと、同じく気持ち良いと感じている
でも、同じと認めてはいけない。ここは全く別の場所なんだと、人間界とは全然違うと、そう思わなければ、忘れてしまいそうで
メイド長「それでいいんですよ」
勇者「え?」
メイド長「故郷を忘れてはなりません。常に心に置いていなくてはなりません。帰りたいのでしょう?」
勇者「何で、そんなことを?」
メイド長「私はあなたの味方ですよ。そうなるよう魔王様から言いつけられていますから」ニッコリ
絶対嘘だ。これもオレを惑わすための魔王の策略に違いない
そう思いながらも心はちょっとした期待を持ってしまう
いや、きっと必要なのだろう。味方が一人もいない敵地では潰れてしまいかねないもの
勇者「…ならここから出る隠し道でも教えてよ」
メイド長「良いですが魔王様に見つからない保証はありませんよ」
ほら、そう来た。やっぱり味方なんて…
その夜
ベッドに横たわりながら天井を見上げて思いを馳せる
自分のこれからに
絶対に魔王の言いなりになんかにならない。絶対にだ
そう、強く強く誓う
祖国に、死んだ仲間たちに、残していった家族に
父王、母、そして弟に
それから数日経って
魔王「一つ聞いてもいいか?」
勇者「拒否権は無いんだろ」モグモグ
魔王「調教に関係ないことに首輪…チョーカーの力は使わないさ」
勇者「調教っていうな」
睨んでやる。どうせ意味なんて無いんだろうが
魔王「じゃあなんだ?特に思いつかないが」
勇者「……何だよ」
魔王「お前は自分のことを『オレ』と言うよな?」
勇者「ああ、それがなんだ」
魔王「女の子なんだからせめて『私』とか言ったらどうだ?可愛くないだろ」
勇者「……何言ってんだ魔王」
魔王「そもそも何で『オレ』なんだ?」
勇者「特に理由なんてないよ。少しでも強く見栄を張りたかっただけだ」
魔王「男らしい喋り方をするだけで強く見えるとでも?」
勇者「どっちにしろ魔王には負けたけどな…」
魔王「ならもう言う必要はない。『私』でいいだろ」
勇者「いいわけあるか!魔王の言いなりになんか!」
魔王『ならせめて『ボク』と』
勇者「ボク…はっ」
慌てて口元を手で押さえるがもう遅い。口に出してしまった
魔王「くくく、そうそう、まだボクの方が可愛い」
勇者「何がしたいんだお前は!」
魔王「どうだ?そろそろ魔物と一緒に暮らすのも慣れてきたんじゃないか」
勇者「無いよ。魔王の醜い顔を見ると未だに吐き気がするね」
魔王「…では人間の顔にでもなってみよう」
勇者「は?」
魔王「お前の記憶から読み取って…こんなのはどうだ?」
魔王の顔が…良く見慣れた、戦士の顔になった
まるで、あの戦士が生き返ったようにそっくりに…
やめろ。戦士は死んだんだ…殺されたんだ…
魔王「どうした?勇者」
やめろ、その顔で、その声でボクの名を呼ぶな
勇者「やめろぉっ!」ブンッ
魔王「ん?こっちのほうがいいかな?」
本―メイド長が持ってきた娯楽用の本―を投げつけるも当たる前に空中で止まって落ちる
そして今度は父王の顔になった
勇者「やめろ!やめろおぉっ!」ブン、ブン
魔王「そうだな、結局この顔が一番いいんだろ?」
最終的に魔物のワニ顔に戻る
勇者「うぅ…戦士…お父様…」ポロポロ
魔王「違う、魔王だ」
勇者「違う…違う…」ポロポロ
魔王「大丈夫だ。安心しろ」ギュ
抱きしめられる。血を吸ってきたであろう手に、人の不幸と恨みと命を弄んできた魔物の王に
やめて…触れないで……
しかし跳ねのける気力も起きない。ただの女の子のように、震え、泣いているだけだ
魔王「今に、お前も魔界に慣れる。違和感もすぐ拭われるさ」
魔王「お前にとって魔界のみが、世界の全てとなろう。魔物のみがお前の知る生き物のすべてとなろう」
魔王「そして我のみがお前の……」
勇者「やめてっ!もうたくさんだよ!」
魔王「…ふぅ、では今回はここまでにしておこう。また来る
「それまでに気持ちの整理をつけて泣き止んでおいてくれ」
勇者「うぅ……ぐすっ」
数刻後
勇者「ボクは…どうしてここで、こんなことをしているんだろう」
メイド長「しかし諦めてしまってはお終いですよ」
魔界のお茶を注ぎながらメイド長が静かに言う
何故この人はこう言うのだろう。ボクが諦めるのが魔王のゴールではないのか
困惑
メイド長「だからどうか心を壊さぬように。心はそのままでいてくださいね」
魔王「ここに来てから故郷を思い出したことはあったか?」
魔王があるとき唐突に言った
勇者「…当たり前だ!片時も忘れるものか!」
嘘だ。それどころか今一瞬「故郷」と言われてあの村を思い出せなかった
自分でも何故今まで思い出して帰りたくならないのか、今初めて不思議に思った
魔王「くく、忘れていたなら魔界に馴染んできた証拠なのだがな」
グジュリと心がかき乱される
だって、忘れていたのだから
魔王「どうせなら…見てみるか?」
水晶が壁に映像を映し出す
魔王「お前の故郷を」
勇者「……」
それを見ていいのかという心がある
すっかり忘れていた故郷を…ほとんど裏切ったに近い故郷と家族を
城、そして城のすぐ近くにあった一番長い期間過ごした村とそこにいた親しい友人たち
魔王「どうする?裏切った故郷を見るのは嫌か?」
勇者「裏切ったわけじゃない!今すぐ見る!」
魔王「ふ、そうか」ニヤリ
壁の映像が揺らぎだす
そこには…のどかな情景が広がっていた
皆仲良さそうに過ごし、平和そのものだった
しかし、時折「勇者はどうしている」「勇者様の無事を祈りましょう」といった自分の話題が聞こえる
胸がチクリと痛む
皆が自分は死闘を繰り広げていると思っているのだ
しかし本当の自分はこんなところで魔王と一緒に暮らしている
命の危機も感じぬまま、戦いもしないまま、あろうことか魔王と一緒に、逆らえぬままに
魔王「たまには体を動かしたくならないか?」
勇者「そうだね。この狭い部屋に閉じ込められていたら身体も鈍るよ」
魔王「では来るがいい。少し運動をさせてやろう」
勇者「…うん」
スタスタと歩く魔王の後ろをついていく
思えばこの部屋から出たのは風呂以外ほとんどなかったかもしれない
少し、新鮮だ
そこはちょっとした闘技場だった
そして動く鎧が一体
魔王「戦ってみるか?」
勇者「魔王には負けたけどこの程度の相手なら」スッ
魔王に渡された剣を構える
そういえばこれ、ボクの剣じゃなかったっけ…どうだったかな
鎧「」ギ、ギギ
鎧がぎこちなく向かってくる
それを単純に避けようとしたらいきなり動きが素早くなり、危うく腕を持って行かれそうになった
こいつ…中々に強い
勇者「ふっ、はっ」カキン、ガキン!
そうだ、この感じ
旅をしているときに一番楽しく感じていたのはこれなんだ
身体を動かすこと。激しく、命のやり取りをする
そして一手上を行き、相手を打ちのめす!
勇者「やあぁあっ!」ガギン!
鎧「」ガラガラ
勇者「ふう、楽しかった」
魔王「ふふふ、それは良かった」
それから数週間
簡易闘技場で戦ったりして退屈を紛らわす日々が過ぎていく
ある時魔王から城内なら自由に出歩ける許可が出た。許可なんて言うと堅苦しい感じがするけどとりあえず出歩いていいと言われた
魔王城の中の魔物はどれも親しげに話しかけてきて、普通に会話をした
自室
魔王「何だ、もういいのか?」
勇者「うん、何だか知らない場所を歩き回るのは少し不安があるよ」
魔王「そうか。では次は我が一緒に連れ添って案内でもしよう」
勇者「だったら最初からそうしてくれればいいのに」
魔王「ああ、それは悪かった」
別の日
調理室
「勇者さんもどうです?」
「女性なのですから、料理の一つぐらいできますよね?ほら、魔王様のために」
勇者「んー、じゃあ昔を思い出して料理でも。って人間の料理しか作れないけどね」
言われるがままに調理をしてみる
魔王のためではない。ずっとは人間の料理を食べていない。それを思い出すためだ。人間界を思い出すために
勇者「というわけでこれが人間の料理だ」
魔王「ほう。それでは舌鼓といこうか」
勇者「…」
勇者が時間をかけて作った料理に魔王が手を付ける
記憶を手繰り寄せ、何度も味見までして人間世界の味を再現するのに務めた
しかし
魔王「うむ、美味い。ぎこちないながらもよく魔界の味を再現できておる」
勇者「あ、あれ?そんな」
魔王「頑張って覚えたじゃないか。魔 界 の 味 を」ナデナデ
勇者「ちが…ちがう…何度も味見して…確かに…人間の味付けに」
魔王「くくく、これからも尚の上達を頼むぞ。魔界の料理をな」
本当に…魔界の味を…無意識に再現していたのかな
だとしたら…本当に…ボクは…魔界にそれほど慣れてしまったと…そんな…
そん、な…
魔王「ん?いいのか?」
その日、いつものように水晶に故郷を映し出そうとした魔王を断った
勇者「うん…もう、いいよ」
観るのが辛くなってきたのだ
魔物に怯える故郷の皆を
ひた向きに"勇者"を祈る村の皆を、城の家族を
それら全てを見るのが苦痛になってきたのだ
それは多分人間として、勇者としての罪悪感
せめてもの、罪悪感
水晶から必死で目を逸らす
その手は震え、目からは小さく雫が落ちた
魔王「怖いのか?恐れているのか?」
魔王が後ろから優しく、包み込むように、抱きしめる
勇者「…ち、がう…」ポロ、ポロ
魔王「では何だ?」
勇者「わからない…わからないよ」
嘘だ。分かっている
それは
魔王「罪悪感」
そう。罪悪感。分かっているのだ
魔王「イクぞ!!魔族の子を孕めっ!!」
勇者「ひと思いに殺せぇぇぇ!!」
って話かと思ったら違った
魔王「では?何の罪悪感か?」
勇者「…」
魔王「ここでただボサッとしていることが?魔王を目の前にして手も足も出せなかったことか?」
魔王「それとも…魔王に心動かされていることか?」
勇者「分からない…分からない…よ」ポロポロ
分からない。そのどれもがありそうで
そのどれもが
否定できない。否定できない……
魔王「答えは簡単だ。我に惚れている。違うか?」
勇者「……」
答えられない。肯定も、否定も
「何でそういうことになるのか」とか「そう言う根拠がどこにある」とか言うのは容易いし理にかなっているのに
魔王「ほとんど認めているようなものなのにな。口に出してみよ」
勇者「……から」
魔王「む?」
勇者「人の心は……単純じゃない…から」
その日の晩
魔王「勇者、来るがいい」
勇者「え、な、何っ?」
部屋にこもって答えの出ない悩みに悩んでいたのを魔王が手を引っ張って魔王城の外に連れ出された
星一つない静寂と漆黒の空には病的なまでに青白い歪んだ月が嘲るように浮かんでいる
勇者「…綺麗」
しかしそれも今は神聖な光に見える。そして地上にも種々の小さな灯り、賑わい
宴。魔物たちの宴だ
魔王「今日は我ら魔物の祭の日である。普段は王として上から見下ろす立場なのだがな」
魔王「今回は、君と過ごしたい。祭を楽しみたい」
まっすぐ見つめられそう言われて頷いた。祭なんて、いつぶりだろう
勇者になっては、ずっと出てなかったっけ
下級魔物から四天王まで身分を放り捨てての無礼講
騒げや踊れやで楽しげな笑い声、はしゃぎ声、喝采、生贄の悲鳴、盛大な装飾に美味なる山盛りの料理
祭りを楽しみ魔界の美酒を味わう
魔王「では我らも踊るか」
美しく舞う魔物の男女を見ていると魔王がそう言って手を引いてくる
勇者「う、うん…出来る、かな…」
踊りなど久しくしていない。したことがないとすら言えるかもしれない。
魔王「心配するでない。我がリードしよう」
右手を重ね、左手を腰に回してくる魔王
最初は醜悪にしか見えなかった爬虫類の顔が優しく微笑んでいる
普通の人間なら不気味でおぞましいものに見えるんだろうか、宴
異性と踊るというものはこんなにも心地好いものだったのか
最初は魔王がリードしてくれたものだが今は自分からも合わせようとしている
足並みを揃え、動きを合わせ、息も呼吸すら合わせているような、共有しているような感覚を覚える
魔王「ああ、素敵だぞ。勇者」
勇者「魔王はボクなんかよりよっぽど上手だね」
魔王「当たり前だ。よく踊っている」
勇者「…」
魔王「しかし、他人と踊るのはお前が初めてだよ。勇者」
勇者「え…」
一瞬顔を俯け、そしてその言葉で顔を上げた時
魔王が顔を近づけていた
いつの間にか動きを止め、腕で勇者を抱え、顔を、口を近づけてくる
きっとそれは酒のせい。そんな言い訳すらも後で思いついたもの
この時はただ、応えた。ボク…私も目を閉じて、魔王に
その宴の最後の記憶は、その蕩けるような口づけだった
>>68
魔界の中心地、地獄のほうがまだ生ぬるいと宣教師が嘆くような光景がそこにある
恐れが顕現し腐敗が大気を満たす自我を保つことさえ苦痛を伴う空間
そこでそれまた怖気立つ宴が繰り広げられていた
不気味で異様な狂える笛の音と狂気染みた太鼓の連打、唾棄すべき不浄の音色が満ち
下品で底冷えのする鉄を引っ掻いたような甲高い笑い声、傍若無人な低俗の気狂いがあげるような金切声
嘲け笑うような喝采と刃物をかち合わせるよう音のする拍手
吊し上げられた人間が悲鳴と共に腸(ハラワタ)と血をぶちまけて宙に舞う
魔界を象徴する毒の大気を常に放出する巨木は天にその悪魔のような姿を誇示し、飾り付けられるは人間の赤ん坊の頭をくりぬいて作ったランタン
料理には到底思えない腐臭のするグロテスクな何かが大皿に盛られ、毒の大気に尚一層の毒気を添えていた
魔物たちは狂気の堕音に合わせくねくねと異様で気味の悪く身をよじり形容しがたい表情を浮かべている
その中に一人人間の女の子が混じり、恍惚の表情を浮かべているのは、どれほど異様なことだろうか
朝
朝起きてすぐ、いや、夢の中から既にか
ずっと反復していた。昨夜のことを
無意識に唇をなぞる
昨日のあれは…
「我の物になってほしい」
それはここにきて初日に魔王に言われた言葉
最初はそれを「『奴隷』『手下』『部下』として自分の物にしたい」そんな意味だと信じていた
でも、本当はそうじゃなくて……私を…
やめよう。この考えは
この先を考えたら、何かが完全に壊れてしまうような気がした。何かを支えていた最後の何かが
それだけは、してはいけない気がして
昼頃
ずっと悩んでいたことに…ようやく、答えを出せた、気がする
勇者「…ね、ねえ…魔王…」
魔王「ん?何だ?」
勇者「……///」
声が、出ない
言おうとした言葉が出てこない
勇者「…わ、わた…///」
ドキドキする。ただ一人称を変えるだけなのに
難しいならしないでもいいのに、それでもしたくて
勇者「わ…私…///」
魔王「……」
魔王が目を丸くする
次の言葉までが辛い。比喩でもなんでもなく息が詰まる
その永遠のような一瞬の後
魔王「ふ、ふははははは」
と魔王がとても嬉しそうに笑い、私の頭に手を置いてくれた
魔王「ようやく言ってくれたな。ありがとう。とても嬉しいぞ」ナデナデ
勇者「…///」
未だ、胸が高鳴っている
思った以上にクトゥルフ的な感じにアレだった・・・
セリフだけなら魔王はイケメンっぽいけど鰐って事はクロコダインみたいな顔なんだよな……
デルトラ的なイラストのイメージで読んでたわ。
>>75
クトゥルフ好きとしてとても嬉しい感想です
あの語彙力と文章力は見習いたいものがある
>>76
クロコダインさんを全体的に尖がらせて更にモンスターっぽく凶悪そうにしてくれたらイメージに近い
>>78
ブラールかっこいいよブラール
あのモンスターデザインは初めて見たとき惚れたよ。かっこよすぎ
勇者「ねえ魔王、水晶見せて」
魔王「水晶…故郷の映像か?」
勇者「うん。私の故郷」
魔王「ちょっと前に見たくないと言ったのにな」
勇者「決別のため…かな。きっと、これが最後だから」
魔王「ほう…ちょっと待ってろ」
しまってある水晶を取り出す魔王
そしてぼんやりと映像が映ったところで
魔王「っ!」
魔王の驚愕の表情。映像が掻き消える
魔王「水晶の調子が悪い。また今度だ」
勇者「嘘!何が映ったの」
魔王「違う。映る前に途切れた」
勇者「貸して!」
魔王の手から奪い取るように水晶を取り、魔力を込める
魔王「見ないほうがいいぞ」
勇者「…こ、れは……」
襲われ、虐殺され、焼き払われている。自分の故郷が、故郷が……
勇者「こいつらは…人間だよね」
魔王「そうだろうな」
鎧を着ているがなんとなく魔物ではないと分かる。とそんなところで虐殺していた側が面を取ってウオー!と叫んだ
勝利と征服の雄叫びを
魔王「勇者、どこへ行く」
勇者「こいつらのところ!」
魔王「…復讐は人を変えるぞ。我は今のままの君がいい」
勇者「大丈夫、僕の意思はそんなに弱くないから」
魔王「我に堕されたくせに何を言う」
勇者「魔王に堕されたわけじゃない。私の方から好きになったのっ」
勇者「いや、そうじゃない。とにかく私は行く。絶対戻ってくるって誓うから。逃げないから。だから…」
魔王「…分かった。行ってくるがいい」
魔王が扉の前から退く。それを見てすぐ全て聞き終わる前に飛び出す
小さく魔王の笑い声が聞こえた気がしたけど多分気のせい。魔王がこんな時に笑うわけないもの
故郷
村壊滅
町無残
城もぬけの殻
勇者「何で…」
そして城、父王の玉座に落ちているのは隣国の騎士の紋章と剣
勇者「隣国の…あいつらか…あいつらが…」
魔法を使って飛ぶように走る
この国と隣国を繋ぐ道筋
見つけた。あいつらだ
匂いでわかる。魔物ではなく人間の匂い
そして血の匂いもわかる。剣にこびりついた獲物の、人間の血の匂い
誰のまでは流石に分からないが十中八九そうだろう
許さない。許さない!
勇者「ああぁああああ!」
「な、なんだ!魔物!?」
「違う。人間―勇者様!?何でこんなところで!」
たったの数秒
騎士団は壊滅した
残るは足を失った数名
勇者「言え。誰が、誰が私の国を襲えと命令した!」
「い、言える…か」
勇者「言え!」グリグリ
剣を脇に突き刺し、グリグリと回す
この程度じゃ拷問には弱い。当たり前だ。今とても気が立っている。拷問などしたくても考えている余裕がない
勇者「言えっ、言えっ、言えっ!」
ザクっ
「ぐあっ」
ザクッ
「あぐっ」
ザクッ
「ぐっ…」
死んでも構わない。そのためにまだ何人も生かしてある
早く言え、言え
勇者「言えー!」
「我々の王様だ」
「貴様!王を裏切るのか!」
「売国奴め!」
一人が、虚ろな目で答えた
それさえ聞ければこいつらに用はない
殺す時間ももったいないしここに置いて行く。どうせ失血死するだろうし
すぐにでも、殺しに行ってやる
隣国入り口
「我が国へようこそ。どうぞ心ゆくまでご滞在ください勇者様」
勇者「何が…心ゆくまでご滞在だ」
「え?」
ス…とそいつのからだがズレて上半身が地面にぽとりと落ちる
勇者「皆…殺したくせに」
大騒ぎになった
何かあったらすぐに通報が入る仕組みなのかもしれない
沢山の兵士が城から出てくる
「勇者様!?」
「何で勇者様が!」
「な、何があったというのですか!!」
動揺しているアホな兵士たちを真一文字に切り捨てる
勇者「かかってきなよ。私の怒り、味あわせてあげるから」ギリ
「っ…もうそいつは魔物だ!人間と思うな!絶対にここで食い止めろ!殺しても構わん!」
うん、最初からそのつもりさ
「ば、ばけものめえええ!」
勇者「…」
すらり、と綺麗に切り裂く
人間など相手になろうものか
ずっと魔物と戦っていたのに人間ごときが何万人集まろうと意味がない
甘美な血の匂い、魔物を剣で刺す感触とは全然違う
柔らかい肉、簡単に割れる骨、今まで切ってきた魔物が鋼鉄に思えるほどの脆さ
勇者「もっと兵士を呼べ、全て切り伏せてやる!」
切るべき肉を、浴びられる血を
もっと
もっと!
もっと…!
全て殺そう
楽しい?うん、楽しい
でもそれ以上に。それが私のするべきこと
魔王のために。魔物として。人間を殺す
町の人間を全滅させた
隠れた人間も匂いでわかる
次は城だ。王が怯えている姿が見える
王「何故私を狙う!私は何も知らないぞ!何が君を、勇者を駆り立てた!」
勇者「それが最期の言葉?」
王は叫び声一つ上げず死んだ。潔い人間は嫌いじゃない
その後、地下室へ向かった
そこの檻の中に人間がいた
記憶の奥底に引っかかる人間だ
でも引っ掛かりなど気にしない
もう少し、人間に剣を突き立てる感覚を、血を浴びる感覚を
人間を殺す感覚を
「勇者、助けに来てくれたのか」
「お姉ちゃん!僕だよ!」
檻を破壊して殺す。過去の知り合いなんてもうどうでもいい
他に人間はいないのだろうか
もっと欲しいんだけどな
―――――
―――
―
ギシ…ギシ…
勇者「あ…はぁっ…んぁっ」
私は今、魔王城の一室、魔王のベッドの上にて魔王に抱かれている
もちろん魔王に無理やり押し倒されたわけではない。言いくるめられたわけでも唆されたわけでもない
勇者「あぁ…すごっ、すごい♡…」
自分から懇願したのだ。抱いてほしいと
勇者「ゃ…ぁんっ、まおぉっ、魔王っ…」
肉と肉がぶつかり合う音…ぱちゅっ、ぷちゅっ、と湿った穴を湿った棒が出入りする音
長く、奥を激しくついてくるおちんちん
勇者「好きぃっ、これっ、んぁっ、大好きぃっ、魔王っまおうっっ♡」
私は、魔物になりたいと魔王に言った
しかし魔王はダメだと言った。人間のままの姿の私が良いと
魔王はその代わりに結婚式を開いてくれた
魔界の皆は、魔物の皆は祝福してくれた。それでも物足りない
だから抱いてほしいと言った。魔物になれなくても魔王の精を、体のほんの一部を混ぜてもらえる気がして
そして私の子はハーフだけど魔王の子、魔物になれる
そうして初めて魔王の妃になれるんだ
だから
勇者「魔王っ、出してっ、全部っ、ほしぃっ♡」
ビュルルルル
勇者「ぁああぅぅんんっ!」
その精を全て受けた
魔王の子…早く欲しいな…
―――――
―――
―
その娘を初めて見た時、とても惹かれた
ひた向きに正義を信じ、正義を執行しようとしているその姿勢
絶対に悪を許さず、弱き者を魔物から守る
人間でも悪い奴には怒りを顕し、どんなに悪い魔物でも敬意をもって真正面から正々堂々戦う姿
それはとても眩しく、美しく
とても、穢したくなった
ああ、勇者。人間を守る決意をした正義の化身である勇者、人間の希望である勇者
絶対に我の色に染め上げたかった。我の色に染め上げ、我に惚れあげさせ、自分から人間を、今まで守ってきた存在を敵と認識させる
そして、それが今ようやく叶った
最後の仕上げ。人間なら誰しも持つ残虐な部分を炙り出し、魔物としての自覚に昇華させる
それも成功した
ああ、勇者、愛おしい勇者、ようやく我の物になった勇者
人間どもよ。礼を言おう。深く、深く、礼をな
―――――
―――
―
―――
―――――
あれから数日後、人間世界への宣戦布告をした
私の姿を全世界に現して私自ら「魔王の妃として魔王と一緒に人間を滅ぼす」と
世界は大パニックだった
「あの勇者が」「私を助けてくれた勇者様が」「正義面で私を説教した勇者が」「ありえない」「偽物だ」「幻想だ」
恐怖で自殺する者もいた
魔物に媚びて体を差し出して性奴隷としてでも生き延びようとする人間もいた
どうせ死ぬならと犯罪を犯す者、いきなり無駄に戦闘訓練を始める者
兵士も騎士も騎士団長も、王すらも様々だった
そうそう、私…と顔も名前も忘れた仲間たちが訪れた国の王
「田舎者が」とか「小娘が」とか言ってきたムカッ腹の立つ王も発狂して自殺したらしい
ザマぁ見ろとは思わない。私と魔王が相手なら仕方ないだろう
そんな愉快な光景を空から魔王に抱きかかえられて見下ろしている
軽くキスをする。そして
勇者「じゃあ、始めようよ」
魔王「そうだな、我と」
勇者「私で」
『人間界の征服を、虐殺を!』
~終~
これにてこのSSは終わりになります
悪堕ちこそが女勇者の有効活用だと私は思っています
今まで絶対正義だった勇者が、魔王に少しずつ堕とされ、人間の敵になっていく
価値観が変わり、憎むべきものが愛すべきものに、守るべきものが殺すべきものに変わる
悪堕ちとは寝取られよりも黒く、純愛よりも美しく輝く。それは元が正義であればあるほど素晴らしい
では女勇者の悪落ちSSが増えることを祈って。HTMK化依頼してきます
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