高垣楓『シンデレラ』 (102)




 『――高垣楓!!』



名を呼ばれた瞬間、ホールが拍手と歓声に沸きました。
ゆっくりと立ち上がって、そこかしこへ深く腰を折ります。


 『高垣さん、前へどうぞ!』


アナウンスに導かれるまま舞台へと歩き出します。
けれど、どうしようも無く後ろ髪を引かれて。
目立たぬようにほんの少しだけ背中を振り返りました。

もちろんそこには私のプロデューサーが座っていて。


 「…………」


顔を覆って、肩を揺らして。



誰かに赦しを乞うかのように、彼は俯いたまま涙を零していました。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1451023160




 『さぁ、お待ちかね! いよいよ第一位、シンデレラガールの栄冠を戴くのは――』


シンデレラこと高垣楓のSSです


http://i.imgur.com/RXD6BNy.jpg
http://i.imgur.com/e5gNzsA.jpg


過去作
高森藍子「もういいかい」 ( 高森藍子「もういいかい」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1446611135/) )

関連作
高垣楓「一線を越えて」 ( 高垣楓「一線を越えて」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1428818898/) )
高垣楓「時には洒落た話を」( 高垣楓「時には洒落た話を」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1413010240/) )


上記『洒落た話』の直接的な続編となります
およそ三年ほど後の話です


 ◇ ◇ ◇


昔、むかし。


ある森に、一人の男の子と、一人の魔法使いが住んでいました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


 「詳しく、聞かせてもらえますか」


しばらくの沈黙の後に出て来た言葉は、至極落ち着いた声色でした。

 「そろそろ私も次を考えないといけないかな、って」

 「……」

 「レナさんも、この前は美優さんも卒業して。いつの間にか一番お姉さんになっちゃいました」

オフィスチェアを軋ませてプロデューサーが考え込みます。


――いや、安部さんがいるじゃないですか。


そう予想した突っ込みは返って来ませんでした。


 「俺は、楓さんの引退には反対です」


――引退に、反対。


そう返そうとして、でも私の口はぴたりと閉じたままで。


 「正確には、まだ反対……ですね」

椅子を勧められて、私も腰を下ろしました。

 「俺は、まだ楓さんをシンデレラにしてあげられていません」

 「はい」

 「楓さんをシンデレラガールにします」

プロデューサーと私の視線がぱちりと合います。
いつもは優しい瞳に、確かな意志の光が見えた気がしました。

 「ガラスの靴をきちんと残して、舞台から消えましょう」

 「……」

 「いつか約束しましたよね。楓さんに必ずガラスの靴を、と」

 「プロデューサー」

 「何でしょう」

 「引退自体は、否定しないんですか」

 「はい」

マグカップのお茶を一口。
緊張を解すように長く息をつきました。

 「楓さんの意志は、最大限尊重します」

 「ありがとうございます」

 「後は俺の、プロデューサーとしての意地との勝負です」


プロデューサーがちらりと時計を確認します。
11時45分。そろそろ収録へ向かう時間になっていました。
同時に椅子から立ち上がって、そして同時に背伸びをします。

 『あの』

喋り出したのも、同時。
しばらく二人とも口を閉じて、促すような彼の手に甘えました。

 「いいんでしょうか。こんなにもあっさりで」

 「同じ事を言おうと思っていました。いいんですか」

 「私は、プロデューサーがいいのなら」

 「俺も、楓さんがいいなら」

プロデューサーへ右手を差し伸べます。
首を傾げた後、納得したように彼も手を差し出して。
しっかりと、握手を交わしました。

 「でも、引退の時期を勝手に決めてしまえるものなんですか?」

 「楓さんくらいの人気だと間違い無く上の意向も絡んできますが」

プロデューサーが頬を掻きました。

 「同時に、楓さんの言葉はわがままを通せるぐらいの力を持っています。後は――」

同時に二の腕をぽんと叩いて、私達は笑い合いました。


 ◇ ◇ ◇

男の子は、ちょっと背の低い、どこにでも居る普通の少年でした。
魔法使いは、誰もが想像する所のいわゆる魔女。その風体そのままでした。

 「弟子よ、ちょっと西の崖に生えている白百合を採って来てください」

得体の知れない材料が入った大鍋をかき回しながら、魔女が遠慮容赦無く告げます。
西の崖は熊やら何やらが出る事で有名なのですが。

 「わ、分かりました」

少年は愚直に命令をこなし始めます。
箒を駆り、西の崖へ向かい遥か大空へ――

 「……と、とっ!」

――というには余りにも低い高度を、小走りよりは少し速いくらいでふらふらと飛びます。
ともすれば森の木々に引っ掛かってしまいそうで、傍から見ると非常に危なっかしい様子でした。
そして一騒動あったものの、少年は無事に目的の白百合を手に入れます。


万が一の為にと魔女から懐へ捩じ込まれた、謎の瓶の出番はありませんでした。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

 「そこまで。15分の休憩にしましょう」

 「はい」

総選挙まで半年を切りました。
今日もトレーナーさんのヴォーカルレッスン。
普段こなしていたダンスレッスンの分を幾らか充ててまで、プロデューサーはヴォーカルにこだわりました。

 「楓さん。しつこいようですが無理はありませんか」

 「はい。でも明後日もとなると少し厳しいかもしれません」

 「分かりました。後で調整しときます」

最近やたらに増えた外回りの隙間を縫うように、プロデューサーが様子を見に来てくれました。
凄い早さで書き付けているメモ帳を横から覗くと、文字がぎっしり詰まっていて一目では読めません。

 「忙しそうですね」

 「まだまだいけますよ」

 「プロデューサー。しつこいようですけど、無理はありませんか?」

 「……多少の無理は、させてもらえませんか」

 「……少しだけ。少しだけですからね?」


 「はい。あ、トレーナーさん今日の――」


――ライバルファンの耳を根こそぎ奪うような、他を圧倒するような、新曲。


シンデレラガールを目指す為に提案された作戦。
今までに無いくらいの、ともすれば彼らしくない強気の言葉には驚きました。
その新曲を最高のタイミングでリリースする為、プロデューサーは方々を忙しなく駆け巡っています。

高垣楓こそがシンデレラ。
そう認めさせる為に私の歌が必要なのだと、プロデューサーはそう言ってくれました。

 「……」

少し熱を帯びた喉。
そのもっと奥に、ずっと熱い何かを感じました。

 ◇ ◇ ◇

 「採って来ましたー……」

 「ご苦労」

魔女は凄腕でした。
人々が、千からの魔法すら披露出来る程だ、と噂する程に。

 「……」

かき回し抽出し調合する魔女の様を、少年はじっと観察していました。
魔女の館の門を叩いて以来、少年は魔女から何かを懇切丁寧に教わった経験がありません。

見様見真似で披露した魔法を評価してもらったり。
何か危ない事になりそうな前に諫めてくれたり。
食卓を挟んで、実験中に思い付いた新魔法のアイデアを聞かせてくれたり。
弟子である少年に対してさえ、魔女は自身の魔法をひけらかすような真似はしません。

 「出来ました」

 「……材料からして、毒薬ですか?」

 「惜しい。あなたの採って来た白百合の抽出物を加えたので、反転した解毒薬となっています」

 「なるほど……」

それでも少年は館の蔵書を読み漁り、材料を探し集め、日々の研究を欠かしません。
まだまだ稚拙な魔法ですが、少しずつ腕を上げていく弟子を。

 「……」


魔女は、どこか眩しそうに見守っていました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


 「――世紀末歌姫!」
 (楓さんっ!)


事務所の扉を開けると、何かフリフリした黒いものが胸に飛び込んできます。
とりあえず一通りモフモフした後に確認すると、その塊は蘭子ちゃんでした。

 「風の囁きを聞いた! 舞台の幕を切ると! 真か!?」
 (あのっ、やめちゃうって本当なの?)

いつものきらきらとした目に涙を浮かべて、蘭子ちゃんが間近で声を上げます。
ちらりと視線を上げれば、困ったように笑う肇ちゃんとアーニャちゃんが居て。

 「すみません、雑誌の記事を話題に出したらこうなっちゃって……」

 「アー、蘭子? まずは楓の話、聞きましょう」

 「……うん」

蘭子ちゃんがこくこくと頷きました。

 「はい。私は来年でアイドルを卒業します」

そう正直に告げると、蘭子ちゃんが目を大きく瞬かせました。
肇ちゃんとアーニャちゃんも一緒に。

 「……」

 「え……」

 「…………あ、えと……えっ?」

 「蘭子ちゃんの言う通り、多分その記事の通り、私は来年の夏でこの事務所をやめます」

何か考え込むような肇ちゃんとアーニャちゃん。
そんな二人とは裏腹に、蘭子ちゃんの顔はみるみる内に真っ赤になっていきました。


 「……な、何故だ! 憂いなど我が翼が払おう! 我らは同胞ではないか!」
 (何でやめちゃうの!? 悩みがあるなら、私だって相談に乗れます!)

 「いいえ。憂いなんてありませんよ、蘭子ちゃん。CGプロはとっても良い事務所です」

 「ならっ!」

 「蘭子ちゃん」

とめどなく零れ続ける涙を拭います。けれど拭ったそばから次々にあふれてきて。
こんなに可愛い女の子を泣かせちゃうなんて、私はもしかするととっても悪い女なのかもしれません。

 「昔、こんな質問をプロデューサーにされなかった?」

 「……申してみよ」
 (どんなの、ですか?)

 「アイドルって、何だと思う?」

蘭子ちゃんが鼻を啜って、涙を拭います。
こほこほと何回か咳き込んで、それでも真っ直ぐに私の目を見てくれました。

 「偶像とは……偶像は」
 (アイドルは、アイドルは)

 「うん」

 「…………アイドルは、みんなの……憧れで。みんなを、笑顔に……出来るの」

 「うん。とっても素敵な答えだと思うわ」


さらさらの銀髪をそっと撫でて、後ろの二人を見ました。

 「肇ちゃんもアーニャちゃんも。同じ事を訊かれて、考えた事があると思うの」

 「はい」

 「ダー」

 「私はね。ありきたりだけれど、アイドルって」

蘭子ちゃんを抱く腕に、自然と力が入りました。


 「夢を見せられる人だって、そう思うの」


蘭子ちゃんが顔を上げました。

 「夢……」

 「そう、夢。私はみんなに、ずっと夢を見ていてもらいたいの。だから」

両手を載せた肩は、びっくりするぐらいに華奢でした。

 「夢を醒まさせない内に、私はアイドルを卒業したいんです」

私の正直な言葉を聞いて、蘭子ちゃんが段々と怒ったような表情になります。
何故か、肇ちゃんにアーニャちゃんも。

 「……楓さん」

肇ちゃんが少しだけ眉を険しくしました。

 「そんな事言わないでください。楓さんは、まだまだ皆さんへ夢を見せる力があります」

 「ダー。楓は、私のスェール……目標、です」

同意するように蘭子ちゃんもこくこくと首を振ります。

……あら、勘違いさせちゃったかしら?


 「はい。このままだと今年は私がシンデレラガールまっしぐらですね」

三人の動きがぴたりと止まりました。
えーと。分かりやすく、分かりやすく。

 「肇ちゃん達もとっても素敵ですけど、今の私の方がもーーっと凄いんですから」

肇ちゃんのほっぺたをむにむにと上下左右に伸ばします。
大福もかくやの白さと柔らかさでした。美味しそう。

 「このままシンデレラガールになってもドラマ性に欠けますねーアーニャちゃーん」

アーニャちゃんのキャミソールを捲ってさわさわとお腹を撫でます。
大福もかくやの白さともちすべ感でした。美味しそう。

 「来年はもうヘトヘトのバテバテですけど、今年の私は絶好調バッチシですからねー」

 「歌姫よ」
 (楓さん)

 「何ですかー?」

 「負けない」

 「……」

 「楓さんがもう一回挑戦させてー、って言い出すくらい、ぜったい負けないからっ!」

 「……ふふっ」

そうそう。三人とも、とっても良い顔。


アイドルはやっぱり、笑ってなくっちゃ。


 ◇ ◇ ◇


 「あなたには魔法の素質があります。それも、私以上の」


珍しく魔女手づから作ったシチュー。
微妙な表情をして頬張っていた少年がスプーンをぴたりと止めました。

 「……何の話ですか?」

 「魔術の才の話です。真面目に研鑽を積めばの話ではありますが」

微妙な表情でシチューを啜りながら、魔女が事も無げに答えます。

 「嬉しくないのですか」

 「いえ……あの、正直に言うと信じられないというか」

 「無理もありません。このままでは生涯その才が開花する事は無いでしょうから」

ジャガイモを囓ると言うよりも噛み砕きながら、魔女が再び事も無げに言い放ちます。
少年は口をぱくぱくとさせて、魔女がそこへスプーンに載せた特大の人参を放り込みました。
人参を咀嚼しながら少年が必死に頭を回転させます。

 「……本当に、僕に素質なんてあるんですか」

 「普通の人間は修行を積もうが何だろうが空など飛べません」

 「……」

 「あなたには欠けているものがあります」

魔女が少年の皿へそっとジャガイモを移し替えます。
二つに切られてすらいませんでした。


 「弟子よ、なぜ魔法が使いたいのですか」


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

事務所へ帰る途中の車内で、完成したばかりのデモテープを聴いていました。
夢を見るという事を唄った、緩やかに流れるような優しい曲。
まだ練習の予定も立てていないのに、自然と口ずさんでしまいます。

 「気に入ってもらえましたか?」

 「すっごく。でも意外でした」

 「意外……ですか?」

 「プロデューサーの口ぶりだと、もっと激しい曲になると思っていましたから」

 「楓さんが唄うと激しい曲になりますよ」

プロデューサーに視線を向けます。
彼の視線はずっと遠くを見据えていて、その先で信号が黄色へ変わりました。

 「そういう曲だと思います、俺は」

 「うーん……まだ、分かりませんね」

 「焦る事ありませんよ。練習はこれからです」

 「……そうですね」

イヤホンの位置を直して再び膝上の本へ目を落とします。
赤信号に捕まると、プロデューサーが私の膝を覗き込みました。

 「活字とは珍しいですね、何を読んでるんですか?」

 「ああ、こんな本です」

背表紙をプロデューサーへ向けました。


 「…………『新約シンデレラ』?」

 「文香ちゃんに勧められたんですけど……私も少し、その、思う所があって」


――私にオススメの本ってあるかしら?


レッスン続きの気分転換になるかも。

そんな風に何気無く文香ちゃんへ訊ねると、彼女はびっくりするくらい真剣に考え込んでしまいました。
いつも止まる事の無い彼女の細く長い指。
ページを捲るのを止めるどころか、私の目の前でぱたりと本を閉じて。


――ごめんなさい、もう少し考えさせて頂けますか。


お茶を二杯飲み終える頃になって飛び出したのは思い掛けない言葉。
何もそこまで考え込まなくても、と言う訳にもいかず、大人しく甘える事に決めました。


それが半年ほど前の事。


昨日になって謝罪と共に一冊の本を差し出されて、ようやくそんな約束をしたのを思い出したのでした。


 「どんな本なんですか? 見覚えの無い作者さんですけど」

 「そうですね……題の通り、まさに童話のシンデレラを元にした本です」

説明を続けようとしてふと気付きます。
きっと、説明しない方が面白いんじゃないかと。

 「プロデューサー」

 「はい」

 「どうして急に、シンデレラの前に魔法使いが現れたんだと思いますか?」

信号が青へ変わってプロデューサーが前を向きます。
ブレーキを戻すと社用車はゆっくり進み始めました。

 「それに、どうして魔法は12時で解けてしまうんでしょう」

 「……そういえば、どうしてなんでしょうね」

 「『シンデレラ』を読んだ事は?」

 「ええ、あります。というよりPは全員最初に読まされます。でも理由なんて載ってたっけ……」

プロデューサーがうんうんと考え込みます。
答えを待ちながら助手席でページを捲っていると、車はいつの間にか事務所へ到着していました。
サイドブレーキを引いて、プロデューサーがシートにどさりと身体を預けます。

 「降参! どうしてなんですか?」

 「まさにそういう物語なんです。さぁ、行きましょうか」

 「……え? 答え教えてくれないんですか」

 「宿題にしておきます。考えておいてくださいね」


主人公の気持ちになって、考えてみましょう。


 ◇ ◇ ◇


――あなたには、私のようになってほしくないのです。


梟の鳴き声がよく聞こえる、とある夜。
満月が昇り始める頃、少年はベッドの上でじっと考えを巡らせていました。

 「どうして、か」


――私は、魔法を使う為に魔法を使っています。ばかげた事です。


 「……」

少年はみんなの為に、誰かの為に魔法を使おうとしていました。
その為に修行を積み。

 「……」

修行を積んでいます。

 「……そうか。魔法使いは」

ゆっくりとベッドから身を起こしました。
壁に引っ掛けてあったローブと帽子を身に着けて。
両開きの窓を勢い良く開け放って。


 「魔法を、使わなきゃ」


箒に跨がって、始まったばかりの月夜へ飛び出して行きました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

新盤が過去に無いペースで捌けていきます。

一世一代の大勝負と、プロデューサーはかなり強気の枚数を手配していました。
ですがそれでも枚数が足りず、都内や幾つかの地域では入荷待ちの状態。

彼の作戦は予想を遥かに上回る大成功を収めました。



そして、これ以上無いタイミングで迎えたシンデレラガール総選挙。




ガラスの靴を履く事は、叶いませんでした。


 ◇ ◇ ◇

木立がいつもより少しだけ下に見えるのを、少年は気が付いていません。
耳が風を切る音がいつもより少しだけうるさいのを、少年は気が付いていません。

 「……?」

そして、少しだけ変な事に気が付きました。

街の外れにある、そう大きくはない、でも綺麗に手入れのされた屋敷。
煙突からは細く煙がたなびき、庭にはカボチャ畑が見えます。
少し迷ってから少年はゆっくりと高度を下げました。

 「……」

そして屋敷の中庭に降り立ちます。



 「ぐすっ……ひっく…………」



一人の女の子が、膝を抱えて泣きじゃくっていました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

気付けば口ずさんでいました。
少女が夢を見るという事。それを乗せる夢見るようなメロディー。
プロデューサーと二人きりのホールに、緩やかなハミングがやけに大きく響きます。

 「良い歌ですよね」

プロデューサーは俯いたまま。

 「彼女の歌も、とっても素敵でした」

プロデューサーは俯いたまま。

 「プロデューサー」

 「俺は」

プロデューサーは俯いたまま、掠れかけた声を絞り出しました。


 「今の俺は一体、楓さんに何が出来るでしょうか」

 「ライブがしたいです」


プロデューサーが顔を上げました。
掌で押し付けた眼鏡の跡。
引っ掛けた爪で滲んだ血。
涙と鼻水と汗との汚れ。
いつか見た以上にぐしゃぐしゃな、それはもう酷い顔でした。

 「プロデューサー。私、間違えて……いえ」

今こそ、この言葉を使うべきでしょう。


 「私は、履き違えていたんだと思います」


プロデューサーが、黙ったまま眼鏡を掛け直しました。


 「夢を見るのも夢を見せるのも、とても大切な事だと、今でもそう思います」

ただじっと、私の話を聞いてくれています。

 「でも本当に大切なのは、夢を叶えようとする事だったんじゃないかって」

 「……」

 「プロデューサー。アイドルって、何だと思いますか?」

 「高垣楓です」

即答。
満点の回答で、同時に零点の回答でもありました。

 「私はみんなに夢を見せる人と。蘭子ちゃんはみんなを笑顔にする人と。そう考えていたんです」

 「はい」

 「アイドルは、きっとシンデレラなんだと思います」

プロデューサーは黙ったままでした。


 「ファンに夢を見せて、みんなを笑顔にして、誰もが幸せを感じてくれる――そんな」


だってシンデレラは最後に、とても幸せそうに笑っていたから。


 「プロデューサー。私、皆さんとライブがしてみたいんです」

 「……皆と?」

 「ユニットを組むのもたまにで、今まで一人でばかり唄ってきた気がします」

 「……」

 「だから最後は、みんなと一緒に唄ってみたいなって」

長い長い沈黙。
その末にプロデューサーが眼鏡を外して、綺麗に拭き直しました。

 「……本当に、他の皆と唄いたいなら」

 「はい」

 「レッスンが数倍は忙しくなりますよ」

 「最後ですもの」

 「お酒だって中々飲みに行けないかも」

 「意地でも飲みに行きましょう」

 「ハコだってどれだけのを用意出来るか分かりません」

 「プロデューサーを信じています」

 「どうして今さら俺を信じられるんですか」

 「素敵な魔法を、それはたくさん掛けてもらいましたから」

 「俺に吐き捨ててぇ台詞の一つも無ぇのかよッ!!」

 「ありがとう、Pさん」


プロデューサーが歯を食いしばって、崩れ落ちるように床へ頭をぶつけました。


 「…………どうして、謝らせてくれないんですか」

 「怒っているからです」

出逢ってもう数年になるんですね。
あの時もプロデューサーはひどい顔で。
やっぱり床に膝を付いていましたっけ。


 「アイドルがシンデレラなら、プロデューサーはきっと魔法使いだと思うんです」


私も床へ膝を折りました。
見上げられてばかりだった視線がぱちりと合って。
何だか久しぶりにプロデューサーと会えたような、そんな気がしました。

 「魔法使いは、痺れるくらいに格好良くないと。ね?」

私が伸ばした右手を前に、プロデューサーはずっと黙ったままでした。
そのまま一曲唄い終わるぐらいの時間が経って。
ゆっくりと、けれどしっかりと。


火傷しそうなくらいに熱いプロデューサーの手が、私の手を握り返しました。



 「――最高の舞踏会にします」



立ち上がったプロデューサーが、脚の痺れに耐え切れずに再び床へ崩れました。


 ◇ ◇ ◇

 「……あの」

声を掛けると、少女はびくりと背を震わせました。
そしてゆっくりと顔を上げます。


 「――どちら様、ですか?」


はっと目を引く、それは美しい少女でした。
失礼の無いよう振る舞おうと、気丈に涙を拭います。
輝く金髪はサテンのよう。碧い瞳は宝石のようでした。
しかしその顔も丁寧に仕立てられた服も、灰でも被ったかのように汚れています。

 「……ええと、僕は」

 「魔法使い、さん?」

少年の装いに気付いた少女が呟きました。

 「いや」

その言葉に、少年は帽子を目深に被り直します。

 「まだ、魔法使いじゃないんだ」

少女が、潤んだ瞳を瞬かせました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


 「――違う違う! もっと全力でダラける!」

 「はいっ」

 「下半身は力入れて。絶対に働かないって意思を力強く見せ付けるんだ!」

 「はいっ!」


意外にも杏ちゃんは熱血な鬼コーチでした。
指導を受ける度に自分でもダラけ姿が板に付いてきているのが分かります。
全力でダラける難しさを初めて知った、高垣楓29歳の冬でした。

 「よし! じゃあ最後に杏と一時間耐久ダラけ勝負を――」

 「休憩は10分までだ」

 「――チッ」

マストレさんの切れ味鋭いツッコミが炸裂します。
彼女は杏ちゃんに対して特に容赦がありません。

 「ま、今日はこんなトコじゃないのー? この後も文香と練習あるんでしょ」

 「あら、よく知っていますね」

 「……たまたまだよ」

 「そうですか」

 「そうだよ」

その実、気遣いの塊である事は周知の事実でした。
でも事務所の皆さんはそこに対して何も言わなくて。
優しい笑顔を向けられる度、杏ちゃんはとても面白くなさそうに鼻を鳴らします。


 「ありがとう。じゃあ杏ちゃんは先に上がって」

 「読んだよ。『新約シンデレラ』」

唐突に、呟くように杏ちゃんが言いました。
私はどうやら驚きの表情を浮かべているらしく、杏ちゃんが眉を潜めます。

 「……何さ。杏が漫画以外読んじゃ変?」

 「変ですね」

 「楓さんさー、たまに容赦無いよね」

 「そうでしょうか」

 「そうだよ」

杏ちゃんがぽりぽりと頭を掻きます。
あー、だとか、んー、だとかしばらく繰り返して、ようやっとの事で言葉を選び終えたようでした。

 「……何と言うかさ」

 「はい」

 「お幸せに、って感じ。それだけ」


じゃ、また来週ー。
おい双葉、お前は明日も特別レッスンな。


聞こえないフリをして杏ちゃんがそそくさとレッスン場を後にします。
マストレさんが床を踏み鳴らして駆け出して行きました。速いです。

 「…………お幸せに」

今はただ、杏ちゃんの幸せを願うばかりでした。


 ◇ ◇ ◇

 「どうして泣いていたの?」

屈み込んで視線を合わせ、少女の顔を覗き込みます。
すると少女はふいと目線を逸らして、僅かに顔を赤くします。

 「泣いてません」

 「いや、いま泣いて」

 「泣いてないったらっ」

少女の主張に頬を掻くほかありませんでした。

 「……何か、困り事?」

問い掛けに応えず、少女はしばらく爪先をじっと見つめていました。
どこからか顔を出したネズミ達が、彼女の周りを忙しなく駆け回ります。

 「……舞踏会に、連れていってもらえなかったの」

 「舞踏会……ああ、王子様の」

少年も話だけは聞いていました。
次期国王となる王子。その妃となる女性を探す為の舞踏会が今夜行われると。
確かにこの少女なら王子にさえ見初められても不思議ではありません。

 「お姐様たちったら、いっつもいじわるばっかり。今日だって、貴女の服じゃ恥ずかしくて……って」

頬を膨らませて、少女が袖口を軽く叩きます。
煤けた汚れは簡単には落ちません。

 「舞踏会へ行ってみたいんだね」

 「うん。とっても格好良いっていう噂の王子様、一目だけでも見てみたいの」

 「僕もまだ見た事は無いけど、凄く格好良いって聞いてるよ」

 「でも、踊る為のドレスも……向かう為の馬車だって無いわ」

掌でネズミ達を遊ばせながら、少女が悲しげに呟きました。

 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


 「アー……これがロシアの味、ですか」

 「肇ちゃんはどう?」

 「ちょ、ちょっと厳しいです……凄いですねお二人とも」

 「無理する必要はありませんよ。あ、でも日本酒は飲めた方がいいかも」

 「どうしてですか?」

 「担当さん、日本酒派らしいですよ?」

 「…………頑張ります」


アイドルになって、信じられないくらいたくさんの事を経験しました。


 「モデルの仕事とかってやっぱり抵抗あります?」

 「いえ、大丈夫ですよ」

 「そうですか……うーん、でもどうするかな」

 「どんな服を着るんですか?」

 「いえ、それが水着でして」

 「えっちですね」

 「えっちじゃないです」


ダンスにレコーディング、握手会に一日警察署長。
モデル時代以上に色々な服を着ていた気もします。



 「このロープは何でしょうか」

 「ああ。何でも私達、本番は手錠で繋がれるらしいの。これは練習だって」

 「手錠……罪状は何でしょう」

 「第一級恋愛罪なんてどう?」


時間にしてみれば、たったの5年間。


 「とっても面白かったわ。ありがとうね文香ちゃん」

 「お役に立てて幸いです」

 「ところで、この作者さんの他の本とか持ってたりする?」

 「…………」

 「……?」

 「……作者さんに、貸してもいいかどうか聞いておきます」

 「あら、お知り合い?」

 「…………そんな所です。とても身近な」


けれどこの5年間は、どの一瞬も鮮明に思い出せるくらい印象的で。



 「プロデューサー」

 「はい」

 「随分と大きな会場ですね」

 「ゲストが次から次へと名乗り出てきたものでこうなっちゃいまして」

 「流石です」

 「楓さん」

 「はい」



 「いってらっしゃい」

 「いってきます」



中でも私は、やっぱりライブが大好きなんだなって。


会場の空気を吸って、改めてそう感じました。


 ◇ ◇ ◇

 「君の名前は?」

 「シンデレラ」

 「良い名前だ」

帽子を脱いで、懐から魔法の杖を取り出します。


 「お願いだ、シンデレラ。僕を魔法使いにしてほしい」

 「……どういう事?」

 「願って」


シンデレラへ杖を向けます。
淡い光が湧き出るように輝いて、辺りが僅かに明るくなりました。

 「星にでも泉にでも、ネズミにだって何だっていい。ただ、強く」

 「……」

シンデレラが目をつぶり、胸の前で両手を組みました。
カボチャ畑で遊び回っていたネズミ達が不思議そうに顔を上げます。


 「――お願い。舞踏会へ行ってみたいの」


屋敷の中庭が、光に満ちました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


 『――だから、もう一度。夢を、聞かせて』


一瞬の間を置いて、身体がぴりぴりと揺れるような拍手を浴びました。


――出し惜しみは無しにしましょう。


プロデューサーの言葉通り、一番の最初に披露した新曲。
それは、確かにファンの皆さんの耳へ、心へ、届いたようでした。


 「改めまして皆さん、こんばんは。高垣楓です」


深く深く、何度も頭を下げます。

 「最後のライブです。だから、最高のライブにします。よろしくお願いします」

出来ればもっとお話したい。
少しでも長くこの場に立っていたい。
でも、魔法の解ける時間はすぐそこまで近付いて来ていて。

だから、言うべき言葉をしっかりと言おう。

 「ありがたい事に、本日は沢山のゲストが駆け付けてくれました。早速一人目をご紹介します」

視線を上げて、天の上へ語りかけるように。

 「それでは師匠、お願いします」



 『――えー、もう出なきゃダメー?』


 「ダメです」

 『しょうがないなーもー』

舞台袖からのそりと出て来た小さな背。
不敵な笑みを浮かべて、ゆっくりとステージの中央、私の隣へ歩み出て来ます。

 「まぁ、弟子の出来を確かめるのも師匠の役目だしねー。いっちょやりますか」

そしてスポットライトが絞られます。
イマイチ事態が飲み込めないままらしい皆さんの間に、ざわついた雰囲気が流れ始めました。
私はそれを見届けてから、ゆっくりと上半身を横に倒しました。



 『――い、いやだっ! 楓は働かないぞっ!』



聴衆に囲まれての絶対働かない宣言は、存外に気持ちの良いものでした。



 『あー、お酒飲みたい。お布団入りたい』


ファンの皆さんは、段々と楽しそうな顔に変わっていって。


 『だから、もう帰っていいー?』

 『えぇーーーっ!?』

 『ですよねー♪』


真横でただ寝転がるだけの杏ちゃんも、心なしか満足げに見えました。


 『――という、夢を見たんだ』


 「……あ、終わった?」

唄い終わると、杏ちゃんが立ち上がって背伸びをしました。

 「という訳で! 『かえでのうたwith杏』でしたー! 杏帰るね!」



 「ダメです」

 「ですよねー」



皆さんとのライブは、まだまだ続きますから。


 ◇ ◇ ◇

灰にまみれた服は、彼女の瞳と同じ碧のドレスに。
カボチャは、少女にぴったりな小ぶりの馬車に。
ネズミ達は可愛らしい四頭立ての馬に。

そして擦り切れて底の抜けそうだった靴は、

 「……あ」

飾りがいっぱいでも、上質な革がふんだんに使われた訳でもない。



――無垢にただ透き通る、ガラスの靴へと変わりました。



 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


 『――T!』


美嘉ちゃんと一緒に腕を伸ばします。
恒例の間奏コール。
けれど今回はいつもと一味違います。
だからきっと、私達の表情はまるきり悪戯っ子。


 『――A!』


皆さんが一瞬だけ戸惑って、けれどすぐにAのコールを。
流石皆さん、よく訓練されています。


 『――K!』


そんな皆さんなら、これでもう分かるでしょう。
次に何が来るのかを。


 『――た・か・が・き!!』


ウィンクして、美嘉ちゃんとハイタッチしました。



 『...Come on with the rain! I've a smile on my face♪』


片手で傘をくるりと回します。
輝く紙吹雪が私の身体を隈無く濡らしていきました。


 『...I'm happy again♪』


両腕を伸ばすと周子ちゃん達にお姫様抱っこされて。
そのままふわりと正面へ投げ上げられます。


かつん。


着地した右足を起点に、タップダンスをかき鳴らします。
奏ちゃんに位置を入れ替えるように抱き寄せられて、今度は客席に二人でウィンク。


 『...I'm dancin', and singin' in the rain♪』


アーニャちゃんの口笛に合わせて、バトン代わりの傘をトワリング。
高く投げ上げて交換した傘を、五人で同時にキャッチ。


 『Singin', singin', in the rain...』


そして傘の下から覗くように投げキッス。
割れんばかりの拍手が響くと、私達は傘を放り投げて抱き合うのでした。



 『輝く世界の魔法、私を好きになぁれ――』


夢はいつか醒めるもの。
ライブはいつか終わるもの。


 『いっせーの、唱えてみよう――』


メロディが流れ終わってしばらく、会場は静まりかえったままでした。
グズグズのボロボロだった歌にがっかりしているのか。
それとも。
ピンマイクが拾い上げた、幸子ちゃんと蘭子ちゃんの嗚咽を邪魔しないようにしているのか。

凛ちゃんとアーニャちゃんが困ったように私を見ました。
……ふむ。ここは一つ、楓お姉さんの出番かもしれません。


 『皆さん、聴いてくださって、本当にありがとうございました』


蘭子ちゃん達の前に立って、深くお辞儀をします。


 『楽しんで頂けた方は、どうかこちらの四人に盛大な、盛大な拍手を』


言い終わる前に、一斉に拍手が沸き起こりました。
これまでで一番の、思わず耳を塞いでしまいそうなぐらいの拍手。

 「凛ちゃん、アーニャちゃん。幸子ちゃん、蘭子ちゃん。素敵な歌だったわ。本当にありがとう」

二人がこくこくと首を振って、アーニャちゃんと凛ちゃんに抱かれるようにして袖へと消えました。


舞台袖に吸い込まれる四人を見送って、ステージの正面を振り返りました。
あれだけ鳴り響いていた拍手はすっかり消え失せて。
ただスポットライトが眩しいくらいに私を照らしています。


 『私は、みなさんがファンでいてくれて、とても幸せです』


マイクをしっかりと握り直しました。
なかなか引かない汗が、私の心をいたずらに逸らせます。


 『長いライブでしたね。お分かりの通り、次が最後の曲です』


熱に浮かされているような、身体を何処かへ置き忘れてしまったような。
何とも言い表し辛い、不思議な感覚でした。



 『――みなさんには、夢がありますか?』



夢。


それは、とてもとても難しくて、不思議で、素敵な言葉。


 『色んな方が居ると思います。夢のある人、夢がない人』


観客席をゆっくりと眺め回しました。


 『夢を叶えた人、夢を諦めた人』


残された時間はそう長くありません。
私の言葉が、どうか皆さんに届きますように。
どうか皆さんが、幸せになれますように。


 『夢を見てください。夢を持ってください。夢を追ってください』


身体が震えそう。声が震えそう。



 『私には、ずっとずっと叶えたかった夢があって――そしてそれは、叶える事が出来ませんでした』



それでも。


 『夢を持ちましょう』


 『私は夢を叶える事が出来なくて、だから新しい夢を持ちました』


 『夢を叶えた人は、次の夢を。夢を叶えられなかった人も、別の夢を』


 『どうか、夢を持つ事を。夢を叶えようとする事を、やめないでください』


 『私は』


 『私は――』




――かちり。



針が時を刻む音。
厳かでわがままで、けれど誰も逆らえない音。


私も皆さんも、ただ黙る事しか出来ませんでした。


 『最後に何を唄おうか、私はずっとずっと悩んでいました』


かちり。


 『そして、ずっとずっと不思議に思っていたんです。どうして』


かちり。


 『どうして今までみんな、最後はこの曲を唄っていたのか。でも』


かちり。


 『今なら、分かります。今なら、今までで一番、素敵に唄える気がするんです』




かちっ――




 「――お願い、シンデレラ!」


 ◇ ◇ ◇


 「……ごめん。もう一度掛け直――」

 「――きれい」


自身の爪先を飾るガラスの靴に、シンデレラは見とれていました。

 「こんなに綺麗な靴、見た事無いわ!」

まだお城へすら着いていないのに、シンデレラは待ちきれないようにステップを踏みます。
一つ二つと踏む度にドレスと金髪がふわりと揺れました。
シンデレラの様子を見て、振るおうとした杖を苦笑しつつしまい込みます。

 「これで舞踏会へ行けるね」

 「あなた、凄いわ! ありがとう。本当に、ありがとう!」

 「どういたしまして」

 「でも、どうして見ず知らずの私にここまでしてくれるの?」

少年の手を取って、シンデレラが間近で問い掛けます。
煌めく瞳に見つめられて、少年の頬が熱くなりました。

 「……綺麗なひとは、きちんと着飾らなきゃダメだよ。それに――」

賛辞に思わず頬を染めたシンデレラに、少年が笑いかけました。


 「――僕はロマンティストで、魔法使いだからね」


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


 「すみません、わざわざ」

 「いえいえ、私も本当にお世話になりましたから」


お別れの日だというのに、今日も今日とて東京は蒸し暑くて。
でも湿っぽいのよりは遥かに良いのではないかとも思えます。
お天気さん、ナイス。

 「みんなもいいのに」

 「別に、好きで集まってるんだから、ねぇ?」

みんな忙しいでしょうに、ちひろさんを始め何人も見送りに集まってくれました。
奏ちゃんが肩をすくめるようにしてみんなの顔を見渡します。

 「楓さん」

みんなを代表するように、肇ちゃんが一歩前へ進み出ます。

 「本当は、色々と言いたい事を考えてたんですけどね」

にこりと笑って、肇ちゃんが深く頭を下げました。


 「楓さん。本当にありがとうございました」


私も深々と頭を下げます。
頭を上げると、何かフリフリした白いものが胸に飛び込んできます。
ひとまず満足いくまでモフモフした後に確認すると、その塊はやっぱり蘭子ちゃんでした。


 「歌姫よ」
 (楓さん)

 「何でしょう」

 「……わ、我が…………」

 「うん」

 「……ひくっ、我が……うぅ……ぐすん……」

 「うん」

 「…………寂しい、よぅ」

 「蘭子ちゃん」

ゆっくりと蘭子ちゃんが顔を上げました。
涙で濡れたもちもちのほっぺたを、指先でつんつんとつっつきます。

 「……」

 「蘭子ちゃん」

 「……うん」

 「また蘭子ちゃんのほっぺた、つっつきに来てもいいかしら」

 「…………たまになら、よい」

ほっぺたを膨らませて、蘭子ちゃんがそれは可愛らしく微笑みました。


 ◇ ◇ ◇

 「いいかい、12時だ。12時の鐘が鳴り終わると魔法は解けてしまうからね!」

馬車へ乗り込んだシンデレラに、言い聞かせるように繰り返します。

 「分かったわ。でも、どうして?」

もちろん、未熟な少年の腕ではそれ以上保証出来ないからです。
けれど少年はもういっぱしの魔法使い。
夢見る少女に格好悪い所を見せる訳にはいきません。

 「僕は、ロマンティストだからさ」

だから、こう答えます。

 「時計ってさ、ロマンティックだと思わないかい?」

 「時計……ロマンティック……? それってどういう……」

 「さぁ、舞踏会が始まっちゃうよ! そらっ!」

 「え、ちょっと、魔法使いさん――」

お城へ向けて、カボチャの馬車が勢い良く駆け出して行きます。
遠く響く鐘の音を聞きながら、少年はその影が消えるまでじっと見守っていました。


 「…………綺麗、だったなぁ」


梟の鳴き声がよく聞こえる、賑やかな夜でした。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

 「みなさん、本当にお世話になりました。ありがとうございました」

 「楓さん」

再び深々と頭を下げて鞄を持ち上げます。
事務所の扉へ向かおうとした所で、ちひろさんに呼び止められました。

 「忘れ物ですよ?」

 「忘れ物?」

ちひろさんがそう言って差し出したのは、黒く塗られた細長い箱。
しばらく頑張って思い出してみても、やっぱり見覚えの無い荷物でした。

 「あの、すみません。これ、私の物ではないと思います」

 「いえ、楓さんのもので間違いありませんよ。確かめてみてください」

 「はぁ……」

ちひろさんがニコニコと微笑みます。
ライブ後の決算報告書を見ている時みたいな、とても素敵な笑顔でした。
首を傾げつつ、黒塗りの箱を開きます。




 「――あ……」

 「ほら、ね?」



碧に煌めく、右足用のガラスの靴が。
眠るように静かに、そこへ収まっていました。


 ◇ ◇ ◇


 「――もし、そこなお嬢さん」


振り向いて、シンデレラはたいそう驚きました。

 「あの、わたくしですか? 王子様」

 「ええ、見目麗しいお嬢さん。こんな所で何を?」

気持ちの良い風が吹くバルコニーは、満月の光で静かに照らされていました。
絢爛華麗な舞踏会の喧噪もどこか遠くに聞こえます。

 「舞踏会はお気に召しませんでしたか?」

 「いえ、とんでもありません。とても煌びやかで、賑やかで……ただ」

シンデレラが言葉を続けようとして、諦めたように首を振ります。

 「……私にも、よく分からないんです。何となく、踊る気分になれなくて」

 「なるほど、そういう夜もありましょう。ならば」

王子が、シンデレラへ手を差し出しました。

 「どうか、私めと共に踊って頂けませんか?」

王子の手を握ろうと、シンデレラが反射的に手を伸ばします。
その手は触れる直前でぴたりと止まって、それからゆっくりと下ろされました。

 「……ごめんなさい」


シンデレラが、深く腰を折りました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

 「……やっぱりこれ、私の物じゃ」

 「楓さんの物ですよ?」

ちひろさんはにこやかな笑顔を崩しません。

 「……受け取れません」

 「よく見てください。ほらほら」

ちひろさんがガラスの靴を指差します。

 「……」

 「ね? 楓さんの物でしょう?」

薄く碧に輝くガラスの靴。
その表面を飾るように、楓の葉が薄く彫られていました。

 「……」

 「そもそも私、これを渡してくれって頼まれただけなので」

 「……え?」

 「さっき魔法使いさんが事務所に来てですね。どうやら楓さんの大ファンらしいんですよ」

横で聞いていたアイドルの娘たちが吹き出しました。
凛ちゃんや周子ちゃんに至ってはお腹を抱え込んでいます。

 「何でもまだ片足分しか間に合わなかったそうで」

 「……」

 「ああ、魔法使いさんならさっき――」

 「……あなたは、どうして」

私の問い掛けに、ちひろさんは少し困ったように笑いました。


 「お世話になったっていうのはお世辞でも何でもありませんよ。楓さん」

 「……」

 「それに、貴女ほどのアイドルを手ぶら、いえ足ぶらのまま帰したら他の娘に示しが付きませんしね」

掌の上にそっと箱を載せられます。
ガラスの靴は何も言わず、静かに収まったままで。
輝きをじっと見つめて、私は考えを巡らせました。

 「……いい……んでしょうか」

零れ落ちたような呟きに、ちひろさん達は笑って頷いて。


 「お世話に、なりました」


三度、深く頭を下げました。

 「魔法使いさんはですね、ほら、年末に飲みに行った店。あそこで一杯やってるそうです」

 「……」

 「あら……そういえば」

ちひろさんが、それはもうわざとらしく事務所を見回しました。



 「あの人、何処に行っちゃったんでしょうね?」


 ◇ ◇ ◇

王子はシンデレラをしばらく無言で見つめてから、長く息を吐きました。

 「素敵な方が、いらっしゃるのですね」

 「…………へっ?」

シンデレラがぽかりと口を開きます。
それからようやく言葉の意味を理解して、顔が真っ赤になりました。

 「……そな、そんなっ! わたっ! あの、私……!」

 「ははは、そう隠さなくとも。やはり素晴らしき伴侶とは得難いものですね」

慌てふためくシンデレラを前に王子が苦笑します。

 「失礼を致しました。ご気分が乗られないようでしたら送らせましょう」

 「いえ、私は――」



――ごぉぉん、ごぉぉん…………。



バルコニーに、鐘の音が響きました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

 「らっしゃい。お一人かな?」

 「いえ、連れが中に」

もつ煮込みの美味しい居酒屋。
大事な紙袋を提げたまま、きょろきょろと魔法使いさんを探します。
その途中で私を知ってくれている何人かに声を掛けられて、手を振り返しました。

そっか。
私、もうアイドルじゃないんだ。


 「――あれ、楓さん。奇遇ですね」


ちひろさんに負けないぐらいの、それはそれはわざとらしい声。


 「あら。こんばんは、プロデューサー。サボりですか?」

 「ちひろさんには黙っておいてください」

 「もう。仕方の無い人ですね」

 「すみません」

 「ところで、魔法使いさんを見ませんでしたか?」

 「ああ、ついさっきまでここで飲んでましたよ。何か楓さんにと預かった物もあります」

どうしてプロデューサーさんが魔法使いさんと飲んでいたのか。
とっても気になる事ではありますが、今はそれよりも大事な事があります。

 「プロデューサー」

 「何でしょうか」


 「何でもいいので飲みましょう」

 「これは失礼」


プロデューサーが、隣の椅子を引きました。


 ◇ ◇ ◇

 「ご、ごめんなさいっ! 私、帰らないとっ!」

 「……? ええ、ですから家臣に送らせ――」

 「王子様! お誘いありがとう! あなた、やっぱりとっても格好良かったわ!」

言葉を続ける暇も無く、シンデレラは一目散に駆けていきました。
王子はしばらく呆気に取られて、それから再び苦笑します。

 「……変わったお方だ」

ダンスホールへ戻ろうと、王子がゆっくりと歩き出しました。


こつん。


 「うん?」

足にぶつかった感触に気付いて、それを拾い上げます。

 「……ガラスの靴?」

満月を浴びて美しく輝くその靴は、王子の掌の上で淡く光りながら消えていきました。

 「……」

十二回目の響きが徐々に消え入って、鐘が鳴り終わります。


 「綺麗、だったなぁ」


満足そうに呟いて、王子は舞踏会へと戻っていきました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

 「うーん……うまい……もう一杯……」

 「いやもう店出てますから」

プロデューサーと二人で飲んだのはいつ以来だったでしょう。
ひょっとしたら、ほとんど一年ぶりだったかもしれません。
今日はお酒が美味しくて美味しくて、ついつい飲み過ぎてしまったようです。

 「……プロデューサー」

 「はいはい」

 「お酒くさいです」

 「ええ……?」

プロデューサーに背負われて深夜の街を歩きます。
昼間の蒸し暑さはだいぶ和らいで、気の早い風鈴の音がどこからか響いていました。

 「酔っ払いの相手は大変だ……」

 「すみません。サービスでおっぱい押し付けておきますね」

 「……」

 「……」

 「楓さん」

 「はい」

 「そのですね、歩き辛くなってきたんで止めてもらってもいいですか」

 「えっちですね」

 「まぁ……」

素直に認めたのはこれが初めてかもしれません。
一番最初の出会いから既にえっちでしたけど。


 「……あれ、楓さん」

 「はいー」

 「靴、どうしたんですか。裸足で」

 「何処かで落っことしちゃったみたいで」

プロデューサーの視線の先で、爪先をぷらぷらと揺らします。

 「なるほど。ところで楓さん」

 「はい」

 「その左手にぶら提げてるのって何ですか?」

 「格好良い人には見えない靴です」

 「なるほど、通りで見えない訳です」

背負われたままの身体がプロデューサーの苦笑に揺れます。

 「プロデューサー」

 「はいはい、何ですか楓さん」

いつか言った台詞。
叶わなかった夢。


今この人は、どんな風に応えてくれるのでしょうか?




 「私、ガラスの靴が履きたいです」


 ◇ ◇ ◇

 「弟子よ、この娘に心当たりはありますか。この近くを何やら探し回っているようですが」

 「へっ?」

少年が魔法薬を調合する横で、魔女が水晶玉を眺めながら言いました。
かざした掌の下で妖しく輝くそれを覗き込むと、森を彷徨う人影が見えます。
見事な金髪の美しい少女でした。
灰でも被ったように煤けた服が、何か黄色いもので更にあちこち汚れています。
何かを探すように森の中を駆け回っていました。

 「……え、なっ。何で……!?」

 「あるのですね」

 「あ……いや…………」

 「この森はあの娘には危険です。何とかしてきてください」

 「何とかって」

 「魔法使いなら何とでも出来ます」

言うが早いが、魔女から館を叩き出されました。
お尻を擦りながら立ち上がる途中で箒と帽子とを投げ付けられます。


 「…………」


それが、何となく魔法使いとして認められた証のように思えて。


少年は文字通り舞い上がるような気分で、大空へと飛び立っていきました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


広がる芝生の上を風が通り抜けていきます。
連なるような草擦れの音が、耳にとても心地良くて。


そろそろ日付も変わる頃でしょうか?


 「楓さん」


隣に立つ彼が、ようやく口を開きました。

 「楓さんは、この靴を履く資格があると思います。誰にも文句は言わせません」

右足の分に、左足の分。
いつの間にか一足揃っていた掌の上のガラスの靴を、プロデューサーがじっと見つめます。


 「俺は、楓さんにこの靴を履かせる資格が」

 「あります」


プロデューサーの言葉を遮ります。


 「その先を言ってしまったら――プロデューサーしっかく、ですよ」


失礼なことに、プロデューサーは私渾身の洒落に黙ったままでした。



 「楓さん」

 「はい」



 「ガラスの靴を、履いて頂けますか」

 「喜んで」


 ◇ ◇ ◇

ひどい有様でした。

美しい金髪は風に煽られてぼさぼさ。
元々煤まみれだった服もカボチャの実やら種やらで黄色く汚れています。
革靴は片方が何処かへいって、残った一つも底が剥がれていました。

 「……何やってるのさ、シンデレラ」

 「魔法使いさんっ!」

泉の畔に降り立つと、シンデレラは息を切らしながら声を上げました。
丸い頬を汗が滴って、肩は荒い息で弾んでいます。

 「……舞踏会はどうしたの。君ならきっと王子様だって」

 「行ってきた! 楽しかった! 格好良かったわ! 手を差し出された瞬間、とってもドキドキしたの!」

 「なら」

 「でも気付いたの。私はもっとドキドキする瞬間を知ってるって」

シンデレラが顔を上げて、少年を真っ直ぐに見つめました。

 「ねぇ、どうして私にあんな素敵な魔法を掛けてくれたの?」

 「どうしてって……師匠に言わ」

 「うそ。綺麗って言ってた! 私の事が好きなんでしょう?」

少年の口が思わず止まります。
赤くなる顔を隠そうと、少年は慌てて帽子の鍔を下げました。

 「……なっ、何でそんな風に思ったのさ!」

 「私もあなたの事が好きだから! もしそうだったら、とっても素敵だわ!」

下げたばかりの鍔を上げます。
少年はぽかんとした表情。少女は嬉しくて堪らないような表情。


ぽちゃん。


泉の何処かで魚が跳ねました。

 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―



私は幸せでした。



ずっとずっと憧れていた、もう諦めかけていた夢を、叶える事が出来ました。



 「このガラスの靴は、CGプロから高垣楓へのプレゼントです」

 「良い、事務所ですね」

 「はい。最高の事務所です」


しばらくの沈黙。


 「……それから、ですね」

 「はい」

 「事務所のみんなに……選んでもらった、プレゼントが、あるんです」

 「あら」


そう言って、しばらくプロデューサーは固まったままでした。
首を傾げて見つめると、とてつもなくぎこちない動きでスーツの内ポケットを探ります。


そして。


 「受け取って、頂けませんか」


差し出された掌の上の小箱。
開かれたその中に、素敵な指輪が刺さっていました。



 「はい」

 「…………えっ」


ひょいと箱から指輪を持ち上げて、左手の薬指に填め込みます。
裏から表から、前から後ろから、隈無く確かめるように眺め回して。


 「……あの、ですね、楓さん。その……意味は、伝わって、くれましたか」

 「意味?」

 「…………その、ですから」

 「うーん、さっぱり分かりませんね」

 「…………」

 「プロデューサー」


彼との距離をぐっと詰めました。
今まで、こんなにも近くに寄った事は無かったかもしれません。



 「楓、さん」


 「足へ、こんなに素敵な事務所からのプレゼントを貰いました」


輝くガラスの靴。


 「手へ、きっとみんなに物凄く冷やかされながら選んでもらった、誕生日のプレゼントを頂いて」


煌めくプラチナの指輪。


 「後はですね」



唇を、そっと指で指し示しました。



 「ここへ――プロデューサー自身からのプレゼントを貰えたら、とても素敵じゃないでしょうか」


 ◇ ◇ ◇

 「魔法使いさん」

シンデレラが胸に手を当てました。


 「もしあなたも応えてくれるなら――もう一度、魔法を掛けて」


今や、シンデレラの顔も少年に負けないくらい真っ赤でした。
言い終わって、気付いたように付け足します。

 「……ごめんなさい、魔法使いさんじゃなかったよね。何て呼べばいいの?」

 「…………いいや」

少年が懐から杖を取り出します。
シンデレラの周りで、光の粒が輝き出しました。


零れんばかりにフリルのあしらわれたドレス。
金の髪を守るように彩る銀のティアラ。


そして、ただ無垢に透き通るガラスの靴。


 「――僕は、魔法使いさ」


シンデレラの手を取って。
魔法の箒に腰掛けて。


二人は満月の浮かぶ大空へ舞い上がって行きました。


 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―


昔、勇気を振り絞って聞き出した事があります。


同じ目線に立てる人が好きだ、と。


それ以来、ずっと避け続けてきたヒールをとうとう履いて。


私の目線は、プロデューサーとズレてしまいました。



そう、思っていました。




目の前に立つプロデューサーの瞳は、私の瞳をしっかりと見つめ返してくれて。



あぁ。



私は、今。



――とても、幸せです。




 「結婚してください」


 「はい」




魔法使いさんが、私の為に背伸びをしてくれました。


 ◇ ◇ ◇

 「時計がロマンティックって、どういう意味だったの?」

夜空の下、雲の上。
煌めく星にだって手の届きそうな場所。
中天に浮かぶ満月を前に、シンデレラが呟きました。

 「……言わなきゃ駄目かな」

 「ダメ」

すぐ隣で、シンデレラがにこにこと笑います。
魔法使いが観念したように息をつきました。

 「長針と短針がさ、追いかけっこをするんだ。追い着いたり追い抜かされたりしながら」

 「うん」

 「でも、一日の終わりには必ず二人、空を見上げてぴったり寄り添うんだ」

魔法使いが頬を掻きつつ、そっぽを向いて答えます。

 「君は魅力的だから、日の変わるまでにはきっと王子様を振り向かせられると思って」

 「魔法使いさんって」

 「ああ」

 「ロマンティストなのね」

 「シンデレラと同じくらいにはね」


ふと気付いたように、シンデレラが魔法使いの帽子をひょいと取りました。
自身の頭へ載せる前に、魔法使いのつむじと目線とを見比べます。

 「魔法使いさんって」

 「うん」

 「ちっちゃいのね」

 「……伸びるよ。伸びなかったら、魔法で伸ばすよ」

 「背伸びなんてしなくても、とっても素敵よ?」

 「…………まぁ、僕は魔法使いだからね」


丸い丸い、満月に浮かぶように。


少し背の低い魔法使いと、帽子の分だけ少し背の高くなったシンデレラが。



寄り添うように、夜空を見上げていました。



 ◇ ◇ ◇

 ― = ― ≡ ― = ―

 「楓さん」

 「はい」

 「いつまでこうしていればいいんでしょうか」

 「日付が変わるまでは」

 「……ええと、あと5分くらいですね」

満月の綺麗な、静かな夜でした。
Pさんに後ろから腰を抱かれて、二人寄り添って月を見上げています。

 「Pさん」

 「はい」

 「私でよかったんですか?」

 「貴女以外は考えられません」

 「私、もうおばさんですよ?」

 「おばさんて。俺と同い年じゃないですか」

 「残念、あと3分で一つ上になります」

 「明日の零時には俺も追い着きますけどね」

 「そういえばそうでしたね」

 「プレゼントください」

 「唇へ?」

 「……是非とも」

 「ふふっ」


沈黙がこんなに心地良いものなのだと。
アイドルにならなかったら、きっと私は知らないままだったのでしょう。

 「Pさん」

 「はい」

 「時計って、ロマンティックだと思いませんか?」

 「……はっ?」

あぁ、そういえばまだあの本、貸していませんでしたっけ。
こうなる前に貸してあげた方が良かったのかもしれません。

 「そうそう、宿題の答え合わせもしないといけませんね」

 「あの、意味が分からないんですが」

 「Pさんは鈍感ですね」

 「……楓さん、まだ酔ってます?」

 「ええ。とっても素敵な雰囲気に」

 「……敵わないなぁ」

 「いえ、叶いましたよ」



十二時を迎えたら。


私の知っているとっておきの物語を教えてあげましょう。


夢を見るという事。夢を叶えるという事。


 「俺、楓さんの事がよく分からなくなってきました」

 「これからもっと知ってもらえるから、きっと大丈夫です」

 「大丈夫ですかね」

 「うーん、そうですね。もし私を一言で言うとしたら――」



それは魔法使いとシンデレラの、もう一つの素敵な御伽話。

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