高森藍子「もういいかい」 (58)




 『――もういいかーーいっ?』



良く言えばマイペース。
悪く言えば鈍くさい。
そんな私の性格は、小さな頃から今日この日まで、ずっと変わる事がありませんでした。

 「……ま、まーだだよっ」

お陰でいじわるな男の子にからかわれる事もしょっちゅう。
外を走り回るのは好きだったけれど、それが得意かというのはまた別のお話で。

 「ど、どこか、かくれるばしょ……」

幸運な事に、そんな私も周りの人には恵まれました。
何だかんだで遊んでくれる友達、のんきに笑いかけてくれる両親。
そして――



 『……おーい、藍子――』



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 「――ふわぇっ……?」

 「起きないとほっぺつっついちゃうぞー」


目蓋を開けると、目の前にあったのは楽しそうなPさんの表情。
そして頬にはつっつかれるような感触。

 「おっ、起きたな。ぷにぷにだ」

 「……おはよう、ございます?」

寝ぼけ眼のまま辺りを見回します。
いつの間に眠り込んでしまったのでしょう。
腰掛けていたソファー前のテーブルに、アルバムが開かれたまま重なっています。

 「……ぷにぷにじゃないです」

 「え、時間差? というか否定するの?」

困ったように笑いながらPさんが向かいのソファーへ腰を下ろします。
ぼんやりとした頭のまま時計を確認すると、約束の時間ぴったりでした。


 「悪いね。休みだって言うのにお昼から」

 「いえ、お散歩するくらいしか予定ありませんでしたし」

大きく伸びをして、深呼吸を一つ。
気を取り直して数冊のアルバムを綺麗に重ね直しました。

 「で、これがそう? ずいぶん量があるね」

 「はい。全部じゃないですけど、写真を撮り始めた頃の物から一通りは」

今日はテレビ番組で使う写真を選ぶ予定です。
ゲストにエピソードを語ってもらうという形で、それなら写真がちょうどいいだろう、と。
そう数を撮っている自覚はありませんでしたけど、こうして改めて見てみると驚きます。
積み重ねて来た時間っていうのは、きっとこういう事を言うのかも。

 「さぁ、じっくりと選びましょうか」

 「陽が暮れない内に終わるかなぁ」

 「どういう意味ですか」

 「あはは」


そして、アルバムをめくりました。


ゆるふわ乙女こと高森藍子ちゃんのSSです


http://i.imgur.com/H854qLK.jpg
http://i.imgur.com/m5j59z0.jpg

前作とか
渋谷凛「プロデューサーは好きな人っているの?」 モバP「ああ」 ( 渋谷凛「プロデューサーは好きな人っているの?」 モバP「ああ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1444899912/) )
相葉夕美「真冬に咲く」 ( 相葉夕美「真冬に咲く」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1439725937/) )


文の師へ捧ぐ。


 「お。これが一番新しいやつ?」

上にあった一冊をPさんが持ち上げます。
まだまだ軽いそれがずしりと重くなる日が、今からとても楽しみでした。

 「はい。確かこの夏の物まで挟んであった筈です」

 「お、本当だ。つい最近なのに何だか懐か……」

ページをめくるPさんの手が唐突に止まります。
薄く笑みまで浮かべていました。

 「何だ、ちゃんと挟んでくれてたんだ」

 「……?」

Pさんの持つアルバムを逆さに覗き込みます。
そこに映っていたのは茜ちゃんと未央ちゃんと……。


…………。


 「……み、見ちゃダメですっ!」

 「減るもんじゃないでしょ今更」

 「へ、減るぐらいには……ありますよ! 私だって!」

 「いや何言ってるのキミは」


一瞬の隙を突かれた、不意打ちの一枚でした。

 ― = ― ≡ ― = ―

 「はっはっはー! よいではないかよいではないかー♪」

 「藍子さん! アツくなってきませんか!? ほら北風さんは居ませんよ! さぁ!」

 「ま、待って待ってまだ心の準備が……!」

 「ほほほ、余は強情な奴も嫌いではないぞぉー!」

 「ひゃあっ!?」

必死の抵抗も空しく、上着を剥ぎ取られてしまいました。
心地良い浜辺の風が肌を撫でていきます。


――ぱしゃり。


 「……な、何を撮ってるんですかっ」

 「いやまぁ藍子だけど」

撮影スタッフさんに借りたのかどうなのか。
Pさんがやたら立派な一眼レフを手に掲げました。
液晶パネルを覗き込んで、納得したように何度も頷きます。

 「これだよこれ」

何がですか。


 「どう? どう!? プロデューサーさん!? あーちゃん初水着ショットのご感想は?」

 「これだよこれ」

どれですか。

 「いやー、念願叶ったって感じですかい? へへへ♪」

 「うん。ずっと見たかったんだ」

 「…………えっ」

未央ちゃんに脇腹をつつかれながら、Pさんが深く頷きました。

……え、えっと。
見たかった、って。
私の、水着姿を……?

 「あ、あの、Pさん」

 「ん?」

 「見たかった、って……」

 「うん。どうしても見たかったんだ」

茜ちゃんと未央ちゃんがヒューヒューと鳴らない指笛に挑む中。
Pさんが、私に向かってにこりと笑いかけました。


 「藍子が水着で――自分のスタイルにあんまり自信が持てなくてちょっと恥ずかしがる姿」


盾代わりに抱えていたビーチボールを、Pさんの顔面へ遠慮無く叩き付けました。
ビーチボールさんの方もまさか攻撃にまで使われるとは思ってもいなかったと思います。

 「ぼはぉっ」

もんどり打って砂浜に倒れ込んだPさんへすかさず追撃を仕掛けます。
息を整える暇なんてあげません。
ぼこんぼこんと顔へ連続攻撃をお見舞いします。

 「まっ、あいもっ、やめ」

何か聞こえましたが、寄せては返す波の音に紛れてよく分かりません。
叩いている内にリズムに乗ってきて、段々と楽しくなってきました。

 「……?」

何だか妙に二人が静かです。
不思議に思って目を向けると、何故か固唾を呑んで見守られているような。

 「あ、藍子ちゃんっ!!」

 「な、何ですか?」

 「大胆! ですねっ!!」

 「…………へっ?」

笑いながら私のお尻を指差す未央ちゃん。
釣られて視線を下げれば、いつの間にかPさんに馬乗りになっていました。
Pさんのお腹の上に、私の小さなお尻が乗っていて、

 「~~っ……!!」

お尻をビーチボールで庇うようにして、慌てて立ち上がりました。


 「…………」

砂まみれのスーツのままPさんがゆっくりと立ち上がります。
ぱんぱんと砂を払うと、私の乗っていた辺りにそっと触れました。
赤く跡が付いた顔のまま、顎に手を当てて何事か考えています。

 「…………」

 「…………」

 「…………藍子」

 「…………な……何ですか」

Pさんが薄く微笑んで、ぐっと親指を立てました。


 「ナイス」


両手で振りかぶって、ビーチボールを力いっぱい投げ付けて。


――ぷしゅうっ。


眼鏡の金具で穴が空いたのか。


ビーチボールから空気が抜けて、後にはぺったんこのビニールが残されるばかりでした。

 ― = ― ≡ ― = ―

 「あの時の藍子はゆるふわさの欠片すら無かったね」

 「誰のせいだと思ってるんですか」

 「正直ホントごめん」

 「……はぁ」

この写真はもちろんボツ。
テレビカメラの前でコンプレックスについて語るなんてただの罰ゲームです。
ぱらぱらとページをめくると、他の物より大きく焼かれた一枚が現れました。

……あ、これ。

 「あ。これ、初ライブの時の?」

 「衣装からしてそうですね」

 「こんな近かったっけ」

 「ほっぺくっついてますもんね」

 「ぷにぷにだ」

 「ぷにぷにじゃないです」

 「意地でも否定するのか」


そこに映っていたのは、隈を浮かべたPさんと汗を浮かべた私。
お互いほっぺたがくっつくぐらいに寄って、白い歯を見せるように笑っています。

 「何でこんな寄ってるんだっけ」

 「えーと……確かカメラの関係じゃありませんでした?」

 「あー、そうだそうだ。すぐ撮ろうってなったけど使い捨てしかなくて」

写真というのは面白い物で。
フィルムに焼き付けた部分以外に、映っていない部分も思い出させてくれるんです。
シャッターを切った瞬間のドキドキや、その当時の温度に匂い。
アルバムって、ひょっとしたら記録じゃなくて記憶の事なのかも。

 「あの時のPさんは面白かったです」

 「え、ひょっとして普段の俺面白くない?」

 「そこそこですね」

 「そこそこか」

 「はい」

 「褒められてるよね」

 「これ撮ってくれたのって、確か……」

 「藍子」

 ― = ― ≡ ― = ―

初めて出演したライブは、予想より遥かに大きな物でした。
レッスンも巧くこなせるようになって、そろそろライブを考えようかという頃。
事務所初の合同ライブが決まったんです。

 「…………」

ソロでの出番を終えた私は、自分が生きているのか死んでしまったのかすら分からなくて。
ライブを無事終えたのか、それとも途中でばたんと倒れてしまったのかもはっきりしなくて。

 「――お疲れ様、藍子っ!」

背中を叩かれた瞬間、本気で心臓が止まりかけたのだけは覚えています。

 「えほっ、けほこほ! ごほっ!」

 「わあぁっ!? マジごめん! だいじょぶ!?」

 「は、はい……けほっ。大丈夫、です」

 「ホントごめんねー……いやでもチョー決まってたよ★」

親指を立てた美嘉さんがウィンクを飛ばします。
そのウィンクを見て、ようやく自分が無事やり切ったんだと知りました。
知った瞬間、涙がどんどんとあふれてきて。

 「あ……う、うぇっ…………」

 「……え、ちょ、ちょっと藍子?」

 「美嘉さん……アイドル……ぐすっ……アイドルになれて、良かったよぉ……」

 「……あははっ。藍子、莉嘉みたい」

緊張の糸が途切れて、床にへたり込んでしまって。
そんな私を、美嘉さんがそっと胸に抱き寄せてくれました。


……あ。それと、その時の敗北感もよく覚えています。


 「――藍子! 藍子っ!」

Pさんの上擦った呼び声と、階段を転げ落ちる鈍い音とが同時に聞こえました。
呆気に取られる私達の前で数秒だけ顔面を抑え込むと、すぐに駆け寄って来ました。

 「藍子!」

数歩前で急ブレーキを掛けて、言葉を探すように忙しなく手を浮つかせます。
寝不足の隈を浮かべて、おでこに真新しいアザを付けて。
心の奥の感情をぶつけようとするみたいに、大きく息を吸い込みました。


 「――高森藍子!」


美嘉さんと一緒に膝から崩れ落ちました。

 「……アンタねぇ、少しは落ち着きなよ」

 「うん。そうだね」

 「落ち着くの早いよ何なの」

 「すみません、こういう人なんです……」


Pさんが眼鏡を確かめて、諦めたように息を吐きました。
胸ポケットへ差し込んで、それから私へ向き直ります。


 「最高だった」


たった一言。


その一言に、色んな感情が篭められているのが伝わって。


 「泣いた?」

 「だから早いよ。今から泣き出す場面でしょこれ」

 「ホントごめん」

再びあふれかけた涙がすごすごと引っ込んで行きました。

 「……あ、そだ! 写真撮ろーよ写真★」

 「写真、ですか?」

 「初ライブ記念にさ。 アタシも撮ったけど良い思い出になるよー?」

 「でもカメラ無いな。携帯でってのもアレだし」

 「こんなコトもあろうかとってね」

美嘉さんがポケットから使い捨てカメラを取り出しました。
目の高さへ構えると、私達へひらひらと手を振ります。

 「ほら、撮るから寄って寄って!」

 「これぐらい?」

 「もっともっと! うわファインダー見辛っ、ちゃんと入るかな」

 「これでどうでしょう?」

 「んー……念の為もっと! めり込むぐらい★」

 「美嘉さんもけっこう無茶言いますよね」


結局、三人とも妙に近い距離で撮る構図に。
本当にPさんと頬がくっついています。

 「撮るよー★ 準備オッケー?」

 「はい」

 「行くよー!」

 「藍子」

 「はい?」

 「女の子って汗かいても良い匂いなのホント凄い」


ぺしっ。


フラッシュと重なるようにして、とても良い音が響きました。

 ― = ― ≡ ― = ―

 「……Pさんって、デリカシー無いですよね」

 「うん」

 「そこで頷く辺り本当に無いですよね……」

 「ホントごめん」

思わず苦笑してしまいました。
デリカシーはちっとも、これっぽっちも無いけれど、気配りはちゃんと出来て。
だから憎み切れずに、ついつい許してしまうんです。

 「もっと良いカメラで撮っておけば良かったですね。ブレブレです」

 「惜しい事をした」

 「Pさん、今では物凄く良いやつ愛用してますもんね」

現像されたこの写真を見た後、Pさんは本気で悔しがって。
次の日には月給を吹っ飛ばしたと言うカメラを持参して見せてくれました。

 「俺は藍子の良い所を伝える義務があるからね」

 「……その割に、撮った写真あんまり見せてくれませんよね」

 「まぁそれはそれとして再開しようか」

 「Pさん」

 「お。夏祭りの時のかなコレ」

 「Pさん」

 ― = ― ≡ ― = ―

 「どうですかP殿! あやめ、浴衣変化の術です!」

 「Cuuuuute!!」

 「私達、パッションだけど……」

 「むぅ……次はサイキック柄の浴衣を探さねば……!」

まだ事務所が出来たてで、お仕事より暇な時間の方が多かったような頃。
私達は縁日へやって来ていました。
お揃いの菖蒲柄をひらつかせて、石畳を並んで歩きます。

 「祐子殿! くじびき! くじびきがありますよ!」

 「おおっ!? 任せてください! 素手で鯛を釣って見せますよ!」

 「ソゥリィ、おじさん! このコが根こそぎ持って行くって!」

 「ほほぅ? 面白い」

祐子さんとあやめさんと一緒になって、担当さんもはしゃいで。
本当に楽しそうに笑う三人を、夕美さんと苦笑しながら見守ります。

 「縁日っていうのに初めて来たんだって」

 「あ、そうだったんだ。妙にはしゃいでると思ったら」

 「藍子も混ざってきていいよ」

 「いえ、私はこっちで……」

スーツ姿のままチョコバナナを頬張るPさんは激しく浮いていました。
本人は特に気にした様子も無く二本目を囓り出します。

 「うん。祭りの味がする」

プロデューサーさんなりに楽しんでいるようでした。


 「藍子ちゃん。プロデューサーさんも。他の所回ってみたら?」

 「え? でも夕美さんは」

 「私はこっちの保護者さんやってるからさ。ほら遠慮しないで♪」

 「わ、わっ」

 「あいっ、ゴホッ、ガホ」

 「あ、ごめん」

夕美さんにぐいぐいと背中を押されます。
プロデューサーさんもその弾みで喉にチョコバナナを詰まらせていました。

 「それじゃ、ごゆっくりー♪」

手を振って、夕美さんがあやめちゃん達の所へ走って行きました。
夏祭りの賑やかさの中に二人、プロデューサーさんとぽつんと取り残されます。

 「えっと……」

その時の私はまだ、ちょっと変わり者のプロデューサーさんと打ち解けられていなくて。
おそらく夕美さんが利かせてくれた気も、どう活かしたものか迷うくらいでした。

 「藍子」

 「は、はい?」

二本目のチョコバナナを平らげたプロデューサーさんが手を払います。
私と同じくちょっと迷うように顎へ手を添えていました。

 「このチョコバナナってやつめっちゃ旨い。藍子も食べない?」

 「…………えっと、じゃあ」

 「よし」

こちらのプロデューサーさんも、大変に楽しんでいるようでした。


 「カメラ」

チョコバナナを頬張っていると、プロデューサーさんが唐突にそう言いました。
続きを促すように表情を伺うと、私の手首に目を向けています。

 「カメラ、好きなの?」

 「あ……はい。お出掛けの時はよく持って行きます」

 「なるほど。いいね」

 「あ、ありがとうございます」

 「碌な趣味持ってないからさ俺」

計五本目になるチョコバナナを囓りながら呟きます。
私はプロデューサーさんの事をまだよく知らなくて。

 「楽しいですよ、写真。毎日の何でも無い事が輝き出すようで」

ひとまず私の事を知ってもらおうと、しばらくカメラの話を続けました。

 「撮ろうか」

 「えっ?」

 「写真。縁日、夏しか撮れないしさ」

最後の七本目を名残惜しそうに食べ切って、プロデューサーさんが伸びをしました。

 「俺が撮るよ」

 「あ、ありが…………いえ、あの」

 「ん?」

 「写りませんか? 一緒に」


プロデューサーが驚いたように目を丸くしました。
いつもの落ち着いた表情以外に、初めて見る顔でした。

 「俺も?」

 「はい」

 「いいの?」

 「もちろん」

フィルムを巻き上げて準備完了。
三脚もセルフタイマーも無いから、手を伸ばして私達をムリヤリ収めようと頑張ります。

 「この辺、でしょうか……?」

 「さっぱりだ」

 「撮りますっ」

 「チーズケーキ」


ぱしゃっ。


 「上手く撮れてるかな」

 「現像してみてのお楽しみです」

 「……なるほど」

プロデューサーさんが顎に手を添えて、納得したように頷きます。

 「楽しいね」


やっぱり初めて見る、本当に楽しげな表情でした。

 ― = ― ≡ ― = ―

 「現像したてのこれ見た時、二人で大笑いしたっけ」

 「はい。ふふっ、今見ても笑えますよね」

私は右半身が、Pさんは目から上が。
写真の枠からはみ出していて、けれどピースサインだけが真ん中に収まっています。

 「今のやつにはタイマー付いてるんだっけ?」

 「はい」

鞄から愛用のカメラを取り出します。
今時は珍しい、やっぱり液晶も付いていないフィルム式カメラ。
役目を終えた初代さんに代わって、二代目のこのコがバリバリ活躍中です。

 「…………」

 「Pさん?」

 「また行こうか、縁日」

 「来年になっちゃいますね」

今年の夏は忙しくて、結局お祭りなんかには行けず終いでした。

 「また藍子の浴衣姿見たいし」

 「そ、そうですか?」

 「うん。藍子は浴衣が凄く似合うと思う」


額面通りに受け取れば褒め言葉です。
けれど私はどうしても疑いを捨てる事が出来なくて。

 「スレンダーだし」

 「言葉を選べるくらいにデリカシーが付いてきて、私安心してます」

 「だって率直にぺったんこだからって言うとビンタが飛ん痛い」

 「私の胸の方が痛いんですよ」

 「いや痛む程無いじゃ痛いホントごめんて」

数秒の間にビンタが往復を果たしました。新タイムです。

 「全くもう。Pさんに言われたくないですよ」

 「え、何が」

 「背。低いじゃないですか」

 「いやそんな事は無い」

 「一時期私に追い抜かされそうになって焦ってませんでした?」

 「いやいや俺170無いぐらいにはあるから」

 「150台の私でも言えますよね、それ」

 「藍子っていじわるだよね」

 「Pさんには敵いませんよ」

 「いやいや」

 「褒めてません」


自分のつむじを撫でてPさんが溜息をつきます。
持たざる者の悲哀は、時にどうしようもない無力さを感じさせるものです。

 「むしろ昔はかなりデカい方だったんだよ俺」

 「昔、と言うと」

 「…………」

 「…………」

 「…………小学生の頃とか……」

 「杵柄もそろそろ脆くなってますよ」

やけに上手な口笛を吹いて、Pさんがアルバムをめくります。
この事務所、口笛の上手な人が何故かやたらに多いです。

 「そういや一番最初の写真てどれ?」

 「えっと……」

 「あ、隠そうとしてる」

 「か、隠そうとなんて」

 「その隠そうとしているものがこちらになります」

 「…………えっ、あ! い、いつの間に……?」

Pさんが楽しげに笑って、勢い良く最初のページを開きました。
……そして次の瞬間に首を捻ります。


 「……ピンボケ?」

そこに写っているのは美味しそうなチーズケーキ。
でも、ピントが合っているのはその奥。
横に映り込んだ、コーヒーカップとそれを掴む左手でした。

 「……はい。何て事無い写真ですよ」

 「それがどうして最初のページなの」

 「…………」

 「……ん? いや待って何か見覚えがあ俺じゃん俺だよこれ」

気付かれてしまいました。

 「この散々趣味悪いと言われまくった時計を巻いてるのは日本じゃ俺だけだ」

 「……本当に趣味悪いですよね、その時計」

 「…………え、藍子まで…………?」

Pさんが自分の腕時計を改めて眺め直します。
一体何処になら売っているのか検討も付かないような時計でした。

 「て事はここ、あのカフェか」


生まれて初めて自分のカメラを買った、その帰り道でした。

 ― = ― ≡ ― = ―

 「電池、残ってるかなぁ」

ずっとずっと欲しかったカメラ。
今までなかなか気に入るデザインの物が見付けられなくて。
だけど今日、とうとう見付けてしまいました。まさしく一目惚れでした。

 「んっと……」

家に帰るまで待ちきれなくって、寄り道したカフェで開封してしまいました。
説明書を読みながら、電池やストラップを組み付けていきます。

 「よしっ」

最後に一緒に買ったフィルムを填め込んで、ぱちんと蓋を閉じます。
フィルムを巻き上げれば準備万端。後は被写体を決めるだけでした。


……被写体を…………。


 「……どうしよう」

初めて買ったカメラの、初めての一枚。
何だかとても重要なような気がしてきました。
ホチキスの一針目みたいに、適当にぱちんとやってしまってはダメなような気が。

 「お待たせしました」

うんうんと思い悩んでいると、注文していたチーズケーキが運ばれて来ました。
目の前に置かれたチーズケーキは、良い匂いで、とっても美味しそうで……。


 「……よーし」

あなたに決めました。
そうと決まれば最高に美味しそうに撮って差し上げましょう。

 「…………」


はい、チーズケーキ。ふふっ。


頭の中に響くしょうもない駄洒落を、ぶんぶんと首を振って追い払います。
気を取り直してカメラを構えます。
ほんの少しだけ指先が緊張しました。


――ぱしゃっ!


焚くつもりの無かったフラッシュが眩しく光り輝いて、思わず身体がびくりと震えました。
向かいのテーブルに腰掛けていたお兄さんも思わずコーヒーを零して。


 「あ……ご、ごめんなさいっ」

 「いや気にしてないよだいじょう」

頭を下げると、お兄さんの言葉が途中で止まりました。
不思議に思って顔を上げれば、視線がぱちりとぶつかって。

 「…………」

 「……?」

お兄さんが顎に手を当てて、しばらく何事か考え込みます。
困惑しつつも何故か目を逸らせなくて。
そうして気が付いたように、お兄さんがスーツの胸ポケットを探りました。



 「ねぇ、キミ――」

 ― = ― ≡ ― = ―

 「カメラだからチーズケーキって安直過ぎない」

 「…………そ、そんな事考えてませんでしたよっ。本当に」

 「そっか」

見透かされたように言い当てられて、慌てて首を振りました。
この人は時々本当に人間なのか怪しく感じます。

 「アレが初めてだったんだ」

 「えっと、まぁ」

 「ありがとう」

 「…………えっ」

 「あれ、変だったかな」

 「……いえ」

 「一枚目だからでも何でも、残しといてもらえるのは嬉しいね」

ピンボケの写真を嬉しそうに眺めてPさんが笑います。
それが何だか無性に恥ずかしくなって、つい膝の上に視線を落としてしまいました。

 「それで」

 「え?」

 「どうしてずっとカメラが欲しかったの?」


何でも無い。
そう。何でも無いPさんの質問に、私はつい口ごもってしまいました。

 「…………」

 「あれ、この質問も変だった?」

 「い、いえ。変じゃない、んですけど……」

 「まぁ答え辛いんだったらいいよ」

 「うーん……ちょっと恥ずかしくって」

 「恥ずかしい?」

 「はい。何せ……その…………初恋の話も、関係してくるので」

 「へぇ、初恋え゛おっほ」

麦茶を飲んでいたPさんが咽せました。
慌てたようにもう一度麦茶を飲み下して一息つきます。

 「あのさ藍子」

 「はい」

 「心臓に悪いからワンクッション置いてくれないかな。スキャンダル一歩手前だから」

 「…………あっ! は、初恋って、十年も昔の話ですよっ?」

 「……あ、何だ。冷や汗かいた」


 「十年も昔って……小学生?」

 「小学校に入るか入らないかぐらい、ですね」

初恋というのは実らないもので、それは私も例に漏れませんでした。
私の一方的な恋心は、結局あの人に届く事は無くって。

 「懐かしいなぁ。初恋って言ったら俺もそのぐらいだったよ」

 「Pさんもそういう事を考えるんですね」

 「藍子、最近当たりが厳しくない?」

 「気のせいですよ」

困った事にこの事務所はそういう話がとても多くて。
ちひろさんが頭を抱えている一方で、社長やトレーナーさん達は暢気に笑っています。
というか社長さんが笑ってていいんでしょうか。

 「テレビ向けじゃない? アイドルの幼い頃の初恋ー、なんてさ」

 「まぁ、そうかもしれませんけど……」

 「俺もちょっと気になるしね」

 「どうしてですか?」

 「え?」

 「えっ?」

 「…………」

 「……あれ。私、変な事訊きました?」

 「いや」

 「ですよね」

 ― = ― ≡ ― = ―


 「――ど、どこか、かくれるばしょ……」


そう言いながら、私の隠れる場所はいつも決まっていました。
毛虫さんが居ないのを確かめて、一直線に木をよじ登ります。
小学生の身体に木は大きくて、けれど持ち前の気力で果敢に挑んでいきます。


 『もういいかーーいっ?』

 「……もういいよーっ」


木の幹に腰掛けて、ようやく一息。
私はこの場所がとても好きでした。

私の生まれた地域では、見つかってもタッチされるまでアウトにはなりません。
後で知った所によれば、私がかくれんぼだと思っていたのは走り鬼と言うそうで。
木の上から、楽しそうに追い掛け回し回されるみんなを眺めるのが楽しくて。

 『藍子ちゃん、みーっけ!』

 「ふふー。おいついてみなさーいっ!」

登ってくる鬼さんと入れ替わるように地上へ飛び降りるのが難しくて。
タイミングを間違えて捕まってしまう事もよくありました。


けれど、たまに見つけてもらえない時もあって。

 『あれー? 藍子ちゃんいたー?』

 『ううんー。いないよー?』

 『そのうちおりてくるよー。さきにサッカーしよーぜー』

 『えー! おとこのこっていっつもそう!』

飽きっぽい男の子なんかは、私が出てくるのを待たずに駆け出していったり。
仕方の無い事なのかもしれませんが、やっぱり私はそれが悲しくて。
意固地になって、見つけられるまで出てやるもんかと木の上にじっとしている事もありました。

夕方も遅くなって、一人、またひとりと帰って行って。
私はみんなだけじゃなくて、世界にまで忘れられているんじゃないかと思う頃。



 「――藍子、みーつけた!」



その頃には決まってあの子が。
泥だらけになって、私のヒーローが見つけ出してくれたんです。

 『あー! 藍子ちゃんいたーっ!』

 「ばーか。いたんじゃなくてオレがみつけたの! もっとよくさがせよなー」

そう言って私の頭をぐしぐしと撫でて、私を輪の中へ放り込むんです。


 「藍子ー。サッカーしよーぜ!」

 「……うんっ!」

同じ小学生でも、その子とはいくつも学年が離れていて。
その時の私には、その背中が山のように大きく見えて。
いつか私もこんな風になってみたいな、とぼんやり思っていたんです。


憧れと紙一重で。
けれどそれは、確かに私の初恋でした。




 「――転校?」



 『うん』

 「てんこうって、なに?」

 『よくわかんないけど、ひっこしたんだってさー』

当時の私は転校という物がよく分からなくて。
探し回っていれば、きっとその内見つかるだろうと思って。
毎日陽が暮れるまで、私は町中を歩き回っていました。

 『みんな、今までありがとう! さようならっ!』

学年が上がって、他のクラスの子が『転校』して行った日。



もうあの人とは二度と会えないんだとようやく理解して、陽が暮れても泣き続けていました。

 ― = ― ≡ ― = ―

 「……すみません。やっぱりテレビ向きじゃないですね」

ちょっぴり悲しい、だけどとても大切な思い出。
これはカメラの前で披露するより、そっと胸に秘めておくべきなのかもしれません。

 「私はもう、その人の顔を覚えていなくて。記憶というのは、薄れてしまうもので。だから」

手の中にあったカメラを、そっと撫でました。

 「即物的かもしれませんけど……私は、何でも無い日を残したいんです」

 「…………」

 「お散歩していれば、また会えるかもしれませんしね。ふふっ」

 「…………」

 「もしいつか会えたら、写真を一枚だけ……Pさん?」

Pさんがいつものように顎へ手を添えて、でもいつもより真剣な目で何かを考えていました。
話し掛けるのも何だかためらわれて、何とはなしに窓の外を眺めます。
いつの間にか随分と低くなった太陽さんが、秋の東京を赤く照らしていました。


 「藍子」


Pさんが膝を叩いて、ソファーからゆっくりと立ち上がりました。



 「かくれんぼしようぜ」

 ― = ― ≡ ― = ―

 「……あの、Pさん」

 「三十秒な。いーち、にー……」

秋の夕暮れ。
少々肌寒さを感じる時間のせいでしょうか。
事務所から少し離れたこの公園には、子供どころか誰の姿もありません。

 「……えっと」

木の幹で顔を隠して、Pさんがゆっくりと数え始めます。
仕方なしに私はその場を離れて、隠れる場所を探しました。

 「…………」

やっぱり隠れる場所は決まっていて。
紅葉し始めた木々の中に登りやすい一本を探し当てました。

 「よい、しょっと」

毛虫さんが居ないかよく確かめて。
スカートを引っ掛けないように注意しながら。
持ち前の気力で、数年ぶりの木登りに挑みます。

 「……ふぅっ」

何とか無事に登りきる事が出来ました。
世界を、いつもより少しだけ高い目線で眺めます。


いつからでしょう、木に登らなくなったのは。
いつからでしょう、冒険をしなくなったのは。
いつからでしょう、転ばなくなったのは――


そろそろ三十秒、数え終わったかな。

そうぼんやりと思っていると、遠くから足音が近付いて来ました。
さく、さくっと落ち葉を踏み締める音が、徐々に大きくなります。

 「……ぁ」

もちろんその音の主はPさんで。
木の上を見上げるのではなく、ただ木の幹をじっと観察して回っているようでした。
そして私の居る――私の登りやすそうな木の前で、ぴたりと止まります。

普通なら、ズルをしていると思うでしょう。
けれど私には、Pさんは絶対ズルなんてしないという不思議な確証がありました。

 「…………」

 「…………」

静かな、まるで会話でもしているような沈黙が流れて、Pさんが幹に手を添えました。
そして足を掛けると、あっという間にするすると登ってやって来ました。

 「…………」

 「…………」

再び沈黙が流れて、私達は木の上に並んで腰掛けて、夕陽をじっと眺めます。



 「藍子」


あの人が私を捕まえる時、いつもそうしたように。

いつの間にか、二人だけの合図になっていた通りに。

この人にも、誰にも話した事の無い、遠い昔の秘密を思い出させるように。



Pさんが――私の頭に、そっと手を載せました。



 「――みーつけ、たっ」

 「……それ、俺の台詞でしょ」



夕陽が私達の顔を、燃えるように照らしていました。

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