希「快晴と月」 (19)


のぞ→えり死ネタ。短いです。

初SSなので見にくいかもしれません。

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いつからか、絢瀬絵里はもの言わぬ人形に変わり果てた。

伏せられた冷たい瞼を、崩れぬよう慎重に人さし指で押しあげれば、綺麗だったような気もする絵里の双眸はすっかり白く濁った状態でそこに埋まっていた。

手で触れずとも、この口から吐かれる微かな吐息だけで零れ落ちてしまいそうで、怖くなる。


希は、例え話などではなく、まさに絵里の瞳は空だ、と思っていた。

だから、今はたまたま雲に覆われた曇り空だけれど、また幾ばくかもすれば雲は晴れ、美しい青空を見せてくれるに違いないのだ。

と思っていた。


……つまり、こんな白く濁った瞳が、これこそが絵里が生きている証。


そう決め込んだ希だったが、指の腹で優しく絵里の瞼を再び伏せさせて、小さなため息を吐いた。

今はこんな雲に覆われた死人のような彼女の瞳を見ていたくはなかったのだ。


絵里のカサついた唇にキスを落とす。

まるで食事をするように彼女の唇を自分の唇で包み込み舌先で舐めて僅かな唾液で潤ませれば、またこの唇で言葉を紡いでくれる気がした。

ちゅうちゅうと下唇を吸って、上唇を舐めあげ、唾液を垂らす。

以前ならば、上顎を伝った頃には絵里の手の甲で拭いとられていたであろう液体は、お迎えも来ないままに重力によって首筋まで流れていく。



希「あの頃みたいに、声出してよ」

絵里「……」

希「えりちの声もう忘れちゃった……」

いつの日かの憧れを語るキラキラしたあの瞳も、優しく髪を梳き頬を撫でたあの手の平の柔らかさも、濡れた唇から儚く落ちたあの声も、全てが遠い記憶のようで、どうしても上手く鮮明に思い出せない。

大好きだったはずなのに。



希は気怠い体を起こし、足を引き摺ってベッドから少し離れたベランダへと向かった。

久方ぶりにカーテンを開けるとたくさんの埃が宙を舞い、希を汚す。

咳き込みながら窓をひらけば、熱気をまとわせた風が頬を撫で、髪を揺らした。

裸足のままベランダへ出て、目を細めながら外を見渡す。

向日葵と、ペットと散歩をしている初老の婦人、老人がランニングをしている遊歩道。

そして、見上げた空には雲一つない、目が眩んでしまうほどの青空があった。


希「……あはは、えりちが独り占めにしてるみたいやん」

顔を歪め、小さく、呟いた。

希「はやくかえしたらな」

まるで絵里に雲を盗られてしまったかのような空は、心做しか寂しそうに揺れている。

そんな空にいつかの絵里の瞳を見た。

μ'sに入る前の絵里はあの雲のように孤独を感じていたのだろうか。

近くには他ならぬ自分がいたのに?

……そんなことあるはずがない、とすぐに頭の中で否定をする。


だって、ウチがいたのに、孤独なんて。


その通りだと言わんばかりに青空の隣では太陽が暖かな光を放ち、希に冷たい大きな影を作っていた。



◇ ◇ ◇


冬休みに入る前の練習終わりに、希は絵里に泊まりにこないかと誘い掛けた。

勿論快く了承した絵里と一緒に、練習が終わるや否や、そのまま二人で絵里の自宅に向かった。

荷物の準備をするためにクローゼットからリュックサックを引っ張り出そうとすると、希は自分のスクールバッグから大きな旅行カバンを取り出し、勝手に洋服ダンスやクローゼットを開けては旅行カバンに沢山の衣服を詰め込み始めた。

てっきり一泊二日程度だろうと思っていたから、明らかに一週間は泊まれそうな量の荷物をまとめる希に驚きつつ、肝心なことを忘れていたと絵里は思い出した。

絵里「ちょ、ちょっと待ってよ。このお泊りって何日くらいするの?」

荷物の量からして、さすがに一泊二日程度ではないことはわかる。

冬休みの予定と言えばμ'sの活動と受験勉強くらいだったから特に問題はないのだけれど。


希「……」

絵里「希?」

希「半永久的に、かな」

少し間を開けて返ってきた言葉に、え、と声を漏らす。

すぐに、冗談やんと言いながらにこりと微笑む希だったが、冗談にしては明らかに重く冷たい声だった。

そうよねと笑いながらも、希がこんな“冗談”を言うのは初めて聞いたなぁと心の中で呟き、冬休みの課題に手を伸ばした。

休みとはなんなのかと思うほどの課題の量の多さにため息をつきながら早々とまとめあげて、歯磨きセットを探す。


希「…………えりち次第では短くもなるけどね」

歯ブラシを取りに洗面所へ向かう絵里の背中へと投げかけた希の声に、誰が気づけただろう。



◇ ◇ ◇



絵里「希の布団いい匂いね!」

風呂を済ませ髪の毛をバスタオルで拭きながら部屋へ戻ると、ベッドの上ではしゃぐ絵里の姿が目に入った。

乾ききっていない髪の毛と、水滴のついた首筋が妙にいやらしくて、同性なのに親友なのに、手が汗ばみ、咥内の水分が増えてしまう。


希「えりち」

ぎしりとベッドは軋み、二人の体を揺らす。

希の瞳は水面のようにゆらめき、突然のことに呆けた表情の絵里を捉える。


希「キスしてもええ?」

絵里「……だめよ」

希「うちのこときらいなん?」

絵里「希のことが嫌いとか、そういうわけじゃないの」

絵里「大好きだけど、大切に想っているけれど、恋愛対象に見ることはできないの……」

ごめんなさい、と何度も呟きながら希の背中に腕を回した。

振ったのは絵里の方なのにもかかわらず、目には涙を浮かべ、細い体を震わせながら、背中を撫でる希の腕を受け入れる。

希「…………やっぱりウチはえりちの太陽にはなれへんのやね」

希「えりち」

希「謝るのはウチの方やん」

希「ごめんね」


その言葉の意味を理解する前に、絵里の意識は途絶えた。

赤く染まった生温い手の平で、自身の頬につたう冷たい雫を拭えば、まるで絵里の全てで慰められているような気持ちになる。

もしも、彼女が自分を受け入れてくれたなら、きっと明日には皆に自慢しに行っていただろう。

受け入れてくれなかったら……、それが今のこの現状である。

絢瀬絵里は、もの言わぬ人形に変わり果てた。


◇ ◇ ◇


明るい太陽が、希を照らす。

暗い影はどんどん伸びてゆく。


希「暑いなぁ……溶けてしまいそうや」


太陽の暖かな光は氷を溶かすことはできるけれど、月の冷たい光は氷を溶かすことなんてできなくて。

太陽は空の美しい青さをひきだすことができるけれど、月にはそんな芸当できなくて。

できることといえば、黒く染め上げることくらい。



ーーウェディングドレスか、白無垢か。

女の一番の幸せ、夢、とも言えるような、憧れを語るキラキラとした貴女の瞳は嫌いだった。

その気もないくせに、私の頭を撫で髪の毛を梳き、頬を撫でる、その柔らかな貴女の手の平が嫌いだった。

呆れたように吐かれるため息も、いとおしさなんて感じたことはなかった。


希「なぁんや、ウチ、えりちのことなんて……」

希「……」

希「……えりちのこえききたいよ」


もし今ここから飛び降りたら天国にいる絵里に会えるだろうかーーなんて考えてはボサボサの髪の毛を揺らす。

きっと自分は地獄に堕ちるのだろう。

それならばずっとここで、絵里の人形と寄り添って生きていたい。

あのキラキラしたまるで快晴のような青い瞳は見れないけれど、雪のように白く柔らかな肌はないけれど、声も出せないお人形だけれど、えりちはえりち、なのだ。

希は絵里の濡れた唇にキスをした。

おわり。

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