岸辺露伴六指野病院へ行く~虹色の脳~ (38)


手塚治虫原作『ガラスの脳』と『岸辺露伴』のクロスです。

※原作であった地名などは若干変えたりしています。

『手塚治虫』、『岸辺露伴シリーズ』の純粋なファンの方はそっ閉じお願いします。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1447759204

 
 ◆

 ぼくの名前は岸辺露伴、漫画家だ。

 これでもデビューしてから11年目を迎える……世間一般では『ベテラン』って呼ばれることもしばしばある。

 ま、そんなことはどーでもいいか。多分この物語を見る君らは多分、このぼくのことを知っているんだろうし。知らないなら『ピンクダークの少年』を検索してみるといい。好き嫌いが分かれる作品だがね……。ぼく個人としては傑作だと思っている。

 ところでぼくは自分のことを『ベテラン』だと名乗ったが……。

 勿論このぼくよりずっと長く連載を続けている漫画家も多く居る。それが売れているかどーかは、また別の話だがね。描きつづけるだけならどんなヘタクソにだって可能なんだ。

 まー、この業界って奴は、君らが思っているよりも相当厳しい世界でね。ぼくはその『厳しさ』って奴を体験したことは一度も無いが……ま、要するに『才能』の無いヤツは早々に切られるって話さ。

 おっと勿論これは、これから紹介する『物語』に関係のあることだ。要するに前フリさ。

 紹介するのは、ある『天才』の話だ。『眼鏡』、『大鼻』、『ベレー帽』……。漫画を読む人間なら誰でも知っているあの『神様』のね。

 さて、ぼくがその『神様』の軌跡を辿ることになったきっかけは、例によって新しい担当編集と、読み切りの打ち合わせをしている時だった。


 ――――――――――――
   ――――――――――
      ―――――――



編集「どうもぉ~、お疲れさまです、露伴先生。相変わらず時間に正確ですねぇ」

 パァーン、と車道を走る車がクラクションをならした。カフェと言う場は嫌いじゃあないが、ああ言う騒音が嫌でも聞こえて来るのはイライラするな。
 
 間延びした声で現れた青年は、入社六年目らしい、ぼくと同い年の担当編集、三浦友和だ。同い年だからって気が合う訳じゃあ決して無いが、年下と組むよりはまだマシってとこだ。
 理由の一つは、彼の来た『時間』にある。腕時計から彼に視線を移す。

露伴「そうだな……確かに『時間ピッタリ』だ。前回ぼくが、編集に文句を言ったことが、キッチリ反映されてるみたいでよかったよ、三浦くん」

編集(そりゃあ嫌味に言われたらしいですからね)

編集「そりゃ~もうっ! 漫画家の所に『早く』来るのは駄目ですよねェ~! 編集として」

 まあこんな感じに媚を売って来る人間は好みじゃあないけどな。しかし、担当編集ってのはどいつもこいつもそんなもんだろう。彼らもまた、漫画家から原稿を受け取るのに必死だ。何せ生活が掛かってる訳だからな。だからこそ、媚びへつらってようが、漫画家から『原稿』を何としても奪い取ろうとするその『姿勢』には関心が持てる。



露伴「ま、時間なんてぼくにはあまり関係の無いことだがね。それじゃあ次の『読切短編54ページ』の打ち合わせをしようか」

編集「ええっ、早速っ!」

露伴「……で?」

 ぼくがそう言うと、担当はまるで『鳩が豆鉄砲を喰らった』と言わんばかりの間抜け面を見せた。ぼくの言いたいことが理解出来ていないのかと思ったら、次の言葉を聞くにやっぱり理解出来て居ないようだった。

編集「……で、とは?」

 その言葉には呆れざるを得ない。まさかぼくから何か言うのを待っていたのだろうか。しかしこのまま彼から新たな言葉が出て来るとは思えなかったので、溜息を付き、ぼくは彼に言った。

露伴「おいおい、きみは編集だろ? 何か一つくらいアイディアは無いのかい?」

 そう言われて、やっと彼は理解したようだった。全く、鈍い人間はこれだから困る……。おまけに彼は、そう言われてもこれ以上の話を展開する『アイディア』は持っていないようだった。その狼狽ぶりを見れば、一目瞭然だ。


 ああ、前言撤回だな。彼には、何としても『原稿』を奪い取ろうとする『意欲』が編集者として著しく掛けている。

編集「そ、そう言われましても……露伴先生は、何か考えていないんですか?」

露伴「そりゃあ考えてはいるさ。例えば……『横浜トリエンナーレの話』、とかね。丁度この読み切りが載る頃には開催されている筈だからな」

編集「ああ~、成る程。それはいいかもしれませんねェーッ!」

露伴「……おい」

編集「はい?」

露伴「それじゃあ駄目だろう。編集だったら、漫画家の言うことにイエスマンじゃなく、意見を出したりとかするもんじゃあ無いのかい?」

編集「ま、まあ露伴先生はベテランの作家ですし、描くことにハズレはあまり無いので安心しているのですが……」

 全く、同い年でも使えるとは限らないな。漫画家におんぶにだっこじゃあ編集はやってはいけないぜ。ま、『あーだこーだ』言われるのも癪だから、これはこれでいいんだがね。どうせ結局、描くのはこのぼくなんだからな。



露伴「フゥ~……じゃ、それで行くか。それじゃあ、その読み切りを描くに当たっての取材なんだが――」

編集「ああっ! そうです、露伴先生」

 そこで彼は周囲の視線を一気に集めるような高い声をあげた。まるで頭の上に電球でも出て来たかのような、古くさい反応だった。

露伴「……何だい? あ、今ぼくはイラッと来たぞ。きみは幼少期に『人が話している時は口を挟んではいけません』と習わなかったのか? 今、話しているのは、ぼくだ。きみじゃあ無い。口を挟むのは、社会人以前に人としてどうかと思うぜ」

編集「し、失礼しました」

露伴「まあいい。で、何だい? 『このタイミングで口を挟んだってことは、何かアイディアがある』んだろう?」

 そう言うと、彼は突然に目つきを変えて、辺りをきょろきょろと見回す。そして、『これから話すことは実は世紀の大発見なんだ、まだ誰にも話していないんだけど……』とでも言いたげな顔つきで、ゆっくりとテーブルに顔を寄せ、実に神妙な顔で言った。

編集「……忘れてたんですけど、とっておきの『ネタ』があるんですよぉ~……。それも、『神様』に関わる」



 彼の行動から、話される『アイディア』に期待と興味は持ったものの、予想外のその言葉に、思わずぷっと吹き出す。

露伴「『神様』? おいおいおいおい、今度は宗教マンガでも描けってのかい? そりゃあ以前『教会』を取材したこもあるし、興味が無いテーマでは無い。ぼくは構わないが、『ジャンプ』にそう言う作品って載せられるのかなぁ~?」

編集「いえいえいえ、違う、違うんですよぉー、露伴先生ィ~! 僕が言っているのは、『漫画の』『神様』です。『漫画』の……ね」

露伴「……なんだい、その『神様』ってのは」

編集「露伴先生……あなた、『手塚治虫』をご存知ですか?」

 巫山戯ているようにはとても思えない神妙な顔で問われたが、これには流石のぼくも呆れるしか無い。言うにことかいて『手塚治虫』だって? 知らない筈が無い。

露伴「もし知らなかったら、きみの目の前に居るのは漫画家じゃなくて、ただのバカだな」

 もし彼を知らないで漫画家になった人間が居たら、会ってみたいもんだ。このぼくだって小学生になる頃にはとっくに知っていたさ。『手塚治虫』なんて、漫画にこれっぽっちも興味が無い人間だって知っている有名人だ。今の総理大臣よりも、知ってる人間は多いんじゃあないか?
 


 
露伴「勿論知っている。第一、ぼくは『ジャンプ』でずっと連載していたんだぜ? 『手塚賞』の審査員だってしたことがある……。そんなぼくにその質問は、いささかバカにしすぎじゃあないのか?」

編集「いえいえ、言葉の『あや』ってやつですよ。『あや』……で、どれくらい作品を読んでます?」

露伴「『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』、『三つ目がとおる』、『ブラック・ジャック』……あげればキリが無い。おまけに描いた作品のほぼ全てが大ヒットしている、まさに『神様』だ」

編集「そう! 『ブラック・ジャック』! 知ってましたか? 『手塚治虫』は医師免許を持っていたんです。だからあんなに正確な医療漫画を描けたんですよ」

露伴「常識だ。医専を卒業し、医師免許を獲得。しかしインターン時代を除き、患者を診たことは一度も無い……調べれば『Wikipedia』にも書いてあることがらだぞ」

編集「ええ、そうですね。有名な話……」

 その何かを含んだムカつく笑いに、いささかぼくもイラついて来た。今ぼくがしているのは読み切りの打ち合わせであって、漫画の『神様』を誉め称える宗教セミナーを受講してる訳じゃあない。彼の功績は実に見事だが、所詮ぼくに大した関係がある訳じゃあないんだ。

露伴「あのねーっ! ぼくはきみの『手塚治虫』談義に付き合っている程暇じゃあないんだよ。それが『読み切り』のアイディアと、どうくっつくって言うんだい?」




 そう尋ねたぼくに、彼は不気味な笑みを唐突に真面目な顔にさせてこう言った。

編集「それでは露伴先生、『ガラスの脳』を読んだことはありますか?」

露伴「『ガラスの脳』……」

 そのどこかで聞いたことのある言葉が耳に引っかかる。思い出せずに、ポケットからスマートフォンを取り出した。

露伴「……検索によると……1971年に『週刊少年サンデー』(小学館)に掲載された手塚治虫の短編読み切り漫画。総ページ数は扉絵を含め52ページ。手塚治虫漫画全集「タイガーブックス」第3巻に収録」

露伴「生命の神秘をテーマに永遠の純愛を描いている。手塚はヨーロッパの民話『いばら姫』に触発されて本作を執筆したとされる。2000年1月29日には、小原裕貴と後藤理沙の共演で実写映画が日活系で公開された」

露伴「――あらすじは以下の通り」

露伴「ある事故により、一人の臨月の妊婦が重傷を負う。その妊婦から奇跡的な誕生を果たした『赤ん坊・由美』。しかし、周囲の努力の甲斐もなく、由美は生まれてからずっと眠り続けている。一度は世間の注目を浴びていた彼女の存在も次第に人々の記憶から忘れ去られていく」

露伴「10年後、喘息で入院していた少年・雄一は、病院で眠り続けている少女・由美を発見する。看護婦から彼女のことを『眠り姫』だと聞いた雄一は好奇心に駆られて、絵本に書いてあった『王子様のキスで、お姫様は目を覚ましました。』という最後の一文通りに由美の唇に『キス』をする。それから雄一は日曜ごとに欠かさず由美に『キス』をするのが日課となった。それは彼が退院しても何年も何年も続いた」

露伴「それから雄一が17歳となったある嵐の夜、遂に由美は17年の眠りから目を覚ますのだった」

露伴「 目を覚ました当初は、肉体は少女でも中身は赤ん坊だったが、2時間に1年くらいの割合で『知能』を発達させていった。そして、3日目には精神も年相応に成長した。由美は院長である斐川を愛していると語り、それを聞いた雄一はショックを受けるが思い切って院長にそれを告げる。しかし彼は、由美を患者としか見ていないと一蹴する。それを聞いた彼女は泣いて走り去ってしまう」

露伴「そんな時、看護婦は雄一に由美が眠り続いている時に院長は『いたずら』をしたという事実を教える。雄一は彼を殴り、自殺しようとした由美を助け、急いで結婚する。その後契りを結んだ夜、由美は自分が起きられるのは5日だけと雄一に語り、再び眠りについてしまう。それから雄一は夫として由美を62年の生涯を閉じるまで看病した。 そして、研究の為に解剖した彼女の脳は『ガラス細工』みたいに綺麗だった」

露伴「……以上、『Wikipedia』より抜粋」



露伴「……なるほど、あらすじを見て思い出したよ、確かに以前読んだことあるな。『映画』の方は見たこと無いがね……」

編集「『美しい話』ですねェ~。そう思いませんか、露伴先生」

露伴「どうかな、脳の強さってヤツは、その人間の『知識』の多さから来るもんだろう? 世間を何も知らない小娘の脳がどうこう言われてもな。物語自体は美しいのだろうがね……それだけだよ。で、それがどう今回の読み切りに関係するってんだい?」

編集「ええ、それを今から説明しようと思ってたトコロです」

露伴「前フリが長すぎるんだよ、それじゃあ読者はとっくに読んでるマンガを放り投げるぞ、いいからさっさと話してくれ」

編集「では本題を……露伴先生、もし、このお話が『ノンフィクション』だったら、どうします?」

露伴「……何?」

編集「いえ、ですからァ~、そのお話が、『ノンフィクション』、つまり、『現実』にあったことだとしたらって話ですよォ~」

露伴「ちょっと待ってくれ。今、『ノンフィクション』、つまり――これが『現実』にあった出来事だって言っているのかッ!?」

編集「だからァ~、そう言ってるじゃないですか」

露伴「信じられないからもう一度質問しているんだッ!」



編集「いえ、実はですね、これでもぼくは漫画編集者ですから……自分でも『色々』調べてみたんですよォ~……。この『噂』を知ったのは全くの『偶然』だったんですけどね。それで興味を持って調査をしていたら――この『病院』が実在していたことが分かったんですッ!」

露伴「実在? まさか……『ガラスの脳』作中で出て来る、『由美』の入院していた、あの『病院』のことか?」

編集「ええ……その、『病院』です!」

露伴「そりゃあないねッ!」

 反射的にぼくはそう返した。すると担当は困惑した様子で理由を尋ねて来た。

露伴「いいかい? 三浦くん。きみも漫画編集者の端くれなら、『手塚治虫』がどれだけ有名な人物か知ってるだろう。全世界に、『ファン』が何人居るか分からないんだぜ。彼が死去してもう二十年以上経つがね……。それでも未だに彼の作品を愛してやまない『ファン』は大勢居る。中には彼の生年月日だけでなく、生い立ちから友人関係まで把握しているヤツも居るだろうさ」

編集「ええ、まァ僕もそー言う『ファン』の一人なんですが……」

露伴「『だからこそ』だよ。いいかい、『ファン』の多さは、『謎』の少なさに比例する。ぼくも漫画家の端くれとして、『ファン』のことをあまり悪く言いたくは無いんだが……彼らはいわば、『好奇心』の塊だッ! 知りたいことはどんな手段を使っても知る……それが、好きなものであるならね」



 ――以前ぼくは漫画のあるシーンの参考に、アメリカの有名歌手を撃ち殺した男を取材をしたことがあった(ちょっと非合法な手段は使わせて貰ったがね。と言っても『スタンド』の力は法律で裁けないから、ある意味『合法』とも言えるが)。

 驚いたことに、男は殺した歌手の詳細なデータを、収容されてから十年以上経っても、事細かに記憶していた!

 中には当時の雑誌などでは取り上げられなかった彼女の私生活や、親類関係しか知らないようなことまで、詳細に『記録されていた』のだ!

 この事件はいち『ファン』による凶行と当時は片付けられたが……ぼくはこの『ファン』と言うもの、そしてその『ファン』を引きつける『偶像』が生み出した『力』には、心底感心してしまったのだ――。

 ある種これは宗教に通じるものがある。一つの『偶像』に対し異常な執着を見せ、それを崇拝することで人は時に異常な『力』を発揮することがあるのだ。

 そう言う意味では、漫画の『神様』と言われる彼も、そのような輩を引きつける『強さ』を持っている筈だと、ぼくは考えている。

露伴「おまけに『手塚治虫』は日本漫画界の立役者として、NHKを始め、至る所で何度もドキュメンタリーが作られている。ぼくも何度か見たことがある。つまりは『調査されまくってる』ってことだ!」

編集「ええ、まあ。僕も何度か見たことありますが」



露伴「言ってはなんだが、いち『漫画編集者』、しかも入社六年目のきみが、そんな『神様』の秘密を知れるってのは信じ難い。よしんば、その『病院』が実在していたとして、そこまでは信じよう。けれど、あの『物語』が『ノンフィクション』と言うのは、より信じ難いよ」

編集「成る程……確かにその考えには、『納得』です。僕もこの話を他人から聞かされたら信じられませんねェ~……」

 そう言って彼は注文したオレンジジュースを、音を立てながら飲み、すぐさま空っぽにした。僕も少し冷めた珈琲に口を付ける。

編集「あ、無くなっちゃった。スイマセェ~ン、お代わりお願いしまァーす」

露伴「飲むのが早いな」

編集「……で、話を戻しますけど……これ、『本当』なんですよッ、露伴先生!」

露伴「あのねェ~……じゃあその話が『本当』だとして、どこにその『根拠』があるんだい? そうでなけりゃ、いち『ファン』の妄想に過ぎない。読者はバカらしいと早々に見切りをつけるぜ」

編集「いいですか、露伴先生。確かに『手塚治虫』は有名すぎる漫画家……連載作品はほぼ全てが大ヒット、未来永劫この世界で語り継がれる、まさに『神様』……そりゃ散々彼については『調べられてる』でしょう。けどね、この世には、いくら『有名』でも、『調べ尽くされてないもの』が数多くあるんですよ」

露伴「ホウ……例えば?」



編集「例えば『ピラミッド』なんてどうです? 世界で最も有名な世界遺産ですが、建造さえてから何千年も経っているのに、未だにその建造方法はハッキリと分かっていない。『ストーンヘンジ』、『モアイ像』、『アステカ文明』……この世には、有名でも謎が多いものが計り知れないッ! それも、国単位で捜査しているのにも関わらずですッ!」

露伴「おいおい、そりゃ『オーパーツ』の話だろ? そんなのは『月刊ムー』にでも語らせておけばいい……重要なのは、『根拠』だよ、三浦くん。キミは、何の『根拠』があって、あの物語が『ノンフィクション』だと言っているんだい?」

編集「いえ、厳密には『ノンフィクションかもしれない』……ってことなんですけど」

露伴「じゃあ九割九分九厘嘘だろうな。眉唾ものだ、『リアリティ』が無い、下らない都市伝説だ」

編集「そうですねェ~、今の段階じゃあ何も言えません」

編集「ですから、露伴先生、この『物語』が、『フィクション』なのか、はたまた『ノンフィクション』なのか、調べてみる気はありませんか? ――気になるでしょう? あの、『好奇心旺盛』で知られる漫画家、露伴先生なら……」

露伴「…………」


 ――――――――――――
   ――――――――――
      ―――――――




露伴「『六指野病院』……驚いたな、まさか本当にあるとは」

 渡された地名と道筋を記した『地図』を片手に、ぼくは今、『六指野病院』と言う、この緑に囲まれた小さな病院を前にしている。

露伴「成る程、確かにネットで記されていたように、『緑に囲まれた病院』だ。『手塚治虫』は『いばら姫』から物語の着想を得たを史実にはあるが、まさにあの『病院』が、その『いばらのお城』って訳か」

 渡された地名を記した紙には、たしかに『六指野病院』と書いてある。映画では病院が建設された場所を『武蔵野』と言っていたそうだが、これはこの病院の名前をもじったものなのだろうか? それにしては……。

 病院の前には随分古びた表札が掛けられていた。それなりに大きい病院に見えるのに、整備などをしていないのだろうか、所々に汚れが見える。

露伴「しかし『不思議』だ。これだけ大きな病院であり、地名もただ漢字を変えただけ。見る人間が見れば、すぐにこの病院が作中出て来たものだと分かりそうだが……」 

『ガラスの脳』で描かれた病院は、『緑に囲まれた』と言う特徴がある。少しでもあの作品を知っていれば……いや、これだけピッタリ当てはまる場所、もしあの話が本当だとすれば、見る人間が見れば、すぐにあの作品を連想出来そうなのだが……。

露伴「しかしこの辺りの人間にそのことをそれとなく尋ねてみても、知ってはいないようだった(もちろん『ヘブンズ・ドアー』も試したみた)……。やはりあの編集者の妄想だったか……」

 改めて緑の中にそびえ立つ病院を眺める。外観自体は何の変哲も無い、古びた病院だ。

露伴「……? しかしなんだ、あのヘンに飛び出ている壁のような部分は?」




 病院の端に、よく見ると部屋一つぶんくらいの縦横比でコンクリートがせり出ていた。しかしその部分には窓も無く、実に無駄な箇所に見える。

露伴「エレベーターがあるわけでもなさそうだが……増改築に失敗したのか?」

 それ以上には特に不明な点も無く、ぼくは思わず溜息をついた。

 よくよく考えたら、原作ではこの病院自体の外観がどうとも描かれていなかったな。たしか名前も『労災病院』なんて言って、いかにも取って付けたような名前だった。

露伴「インターネットではあたかも病院自体が神秘の空間のように紹介されていたが……おそらくは映画にする際の追加要素って所だろうな。……『手塚治虫』がこの病院をモチーフにしたと言うのは真実かもしれないが、おそらくはそこ止まりだろうな。常識的に考えて、『ガラスの脳』なんて実在するわけない」

「あら、そうかしら?」

露伴「……?」

 どことなくミステリアスな声に釣られ振り返ると、そこには一人の『女性』が居た。よく見ると『看護師』の衣装に身を包んでいる。どうやらあの病院の人間のようだ。

 それにしてはかなり若く見えたが、どうやらこの病院の院長の娘だと言う。ツイていた。この病院について、もう少し話しが聞けるかもしれないと思い……ぼくは彼女に挨拶をした。



「へぇ~、お兄さん漫画家なの? すっごぉ~い」

露伴「…………」

 しばらく観察していたが、そう言う彼女の姿は、まさしく十代の女の子の反応そのものだった。先程一瞬見せたあの『ミステリアス』な雰囲気はなんだったのか……。少々がっかりした。『独特』な空気を持つ人間は、新しいキャラクターの『アイディア』になるかもしれないと思ったのだが……。

 念のため『ヘブンズ・ドアー』も使用してみたが、彼女の『記憶』からは、それ以上の情報は得られなかった。院長の娘、名前は友美。スリーサイズは……(これ以上は無駄な情報だな)。

露伴「『ヘブンズ・ドアー』を解除……、今のことは忘れる……と」

 ◆

露伴「……で、きみは何だってあんなことを言ったんだい?」

友美「あんなこと?」

露伴「『ガラスの脳』だよ。ぼくがそう言ったから、きみはそう声をかけてきたんだろう?」

友美「ああぁー、そうそう、『ガラスの脳』ね。だって私、そう言うロマンチックなお話だぁーい好きなんだもん」



露伴「きみは『ガラスの脳』の話を知っているのか?」

友美「ええ、『手塚治虫』の描いた傑作でしょ? たった五日間しか生きられない少女を中心にした究極のラブストーリー……。私もあんな風に愛されてみたいわ」

露伴「たった五日間しか生きられなくてもかい? ぼくはお断りだね、まるで蝉じゃあないか」

友美「お兄さん、漫画家なのに夢がないね」

露伴「夢があるからこそ、ここに来たのさ。……もっとも、院長の娘であるきみがその程度の認識なら、やはりあれは眉唾物だったようだな。折角の取材も、ここで終わりだ」

友美「何を探しに来たの?」

露伴「言っただろう、『ガラスの脳』さ。あの物語が『ノンフィクション』だと言ってきた者が居たんでね……調べにきたが、無駄足だったみたいだ」

友美「あら、どうしてそれが『存在していない』と言い切るの?」

露伴「おいおい、確かにぼくはここに『それ』が事実がどうか確かめに来たがね、逆に『存在している』方がおかしいだろ。『院長の娘』であるきみなら、ひょっとして……と思ったけどね。残念ながら全く知らないみたいだしな」



 世の中には眉唾物と言える、『都市伝説』がいくつもある。死んだ人間の『脳』や『遺体』に関するものであれば、有名なのが『夏目漱石』や『ウォルト・ディズニー』の噂だろう。

 『夏目漱石の脳』は東大で冷凍保存されていると言われ、『ウォルト・ディズニーの遺体』は、フロリダのディズニーワールドの地下に眠っていると言われている……。

 そのように、もしかしたらあの『由美』の『脳』も、実はこの病院に保管されているのでは無いかと思ったのだが……。

露伴「やはり存在してはいないようだな。念のため、きみの父親に話を聞いておきたいが……」

友美「パパは今忙しいって。ママは昔に死んじゃったみたい」

 それは勿論知っている。この少女、友美の父親は現在診療をしていて、母親は友美が生まれると同時に死去したと『書いてあった』。

露伴「じゃあ仕事が終わるまで病院内を見学させて貰うよ。流石に手ブラでは帰りたく無いからね」

友美「勝手にするといいけど、風邪引いてもしらないわよ。病院内はウィルスの宝庫なんだから」



 ◆

 病院内を覗いてみたが、なるほど、特筆すべき事柄は無いな……。

 田舎にしては大きいが、特に目立った部位も無ければ、オカルトめいた気配も無い。何の変哲も無い、『普通』の病院だ。三階建て、個室の数はそれなりにある。が、それまでだ。作中でも病院自体には特にこれと言った特徴は無かったな、とぼんやり思い出した。
 
 作中で『由美』が入院していたのは何階の何号室だったかな。それともそのような描写はもともと無かったのだろうか。

 あの作品を読んだのも随分昔だ、端々に記憶が蘇るが、あまりよく覚えていない。

露伴「ム……降り出して来たな」

 ふと窓の外を見やると、雨が降り始めて来ていた。天気予報は晴れだと出ていたのだが、外に居ないで助かったと言う所かな。しかし傘を持って来ては居ない。この『取材』が終わる前にやんでくれればいいのだが……。
 
 まあいざとなったら受付に理由を話せば傘の一本くらい貸してくれるだろう。尤も、『ノンフィクション』と言う確信が得られなければ、もう二度とここに来るつもりはないから、多分借りパクすることになるだろうが。

 しとしとと降り続ける雨に、ふとまた漫画のシーンが頭に蘇った。




露伴「そう言えば、作中でも『由美』が目覚めたのは、『雨』の日、『雷』が落ちた直後だったが――」

 そこで、ピシャァン! と一閃のもとに雷が落ちる。まるでぼくの言葉に反応したかのようだ。数秒後に、落雷の音が耳に届く。雷雲はまだ遠くにあるようだ。

露伴「……『偶然』、だな。この病院に、まだ『由美』が眠っているとしたら、今ので目を覚ますのかもしれないがね」

 あの『雷』はなんだったのだろう。純愛を描いたストーリーにしては、おどろおどろしい『雷』の後に目を覚ますと言うのは、いささか不気味でそぐわない演出ではないか?
 
 雷で目覚めるのは、本来ならお姫様ではなくフランケンシュタインだろう。『手塚治虫』は何を思い、あのシーンを描いたのか……。

「『由美』……を、探しているのですか?」

露伴「――ッ!」

 バッ、と後ろを振り返る。電灯が一部古くなっているのか、薄暗い廊下の向こう側から、そう尋ねる声が聞こえた。

 ピシャアアン! また雷がなる。雷光が質問者の姿を照らし出した。まるで映画のワンシーンのようだが、これではラブストーリーではなく、サスペンスかホラーだな。

「もし、知りたいのなら、こちらへ、どうぞ……」




 ドクン、ドクン、と鼓動がなる。恐怖ではないッ! 喜びによる鼓動だッ!

(やったッ! やったぞ! ぼくはツイているッ! この先に『何があるのかはサッパリ分からないが』ッ! 『何か』があるッ! それは確実だ!)

 漫画家として、そして仕事柄、いくつかの『奇妙』な事件を経験したぼくの直感が告げていた。間違いなく――この先に何かが存在する!

露伴「失礼ですが――あなたは?」

 薄暗い廊下の中、ぼくの前をあるく男性に目をやる。白衣を着ている。ここの医師だろうか。

 男性はゆっくりと振り返ると、まるで生気の無い目でぼくを見た。

 年齢は五十歳ほどに見えたが、その生気の無さが、彼の年齢をさらに上のように感じさせた。

(あれじゃあ診察された患者がもっと具合が悪くなるんじゃあないか?)

「私は……長沢雄二、この病院の院長です」

露伴「院長だって!? な、ならあなたは……」

院長「ええ、先程娘の友美に会われたんでしょう? 娘が、『由美』について探している方が居ると言っていたのでね」

露伴「…………」



 カツ、カツ、と薄暗い病院の廊下に、二人分の足音が響く。廊下の突き当たりにあった、『STAFF ONLY』の扉に長沢院長が鍵を入れる。ギィイ、と外観に似つかわしく無い音が響いた。

院長「この病院は三階建てですがね、実は『地下室』があるのです。けれど、その地下室に行く為にはこうして……」

 長沢院長の姿が扉の向こうに消える。ぼくも慌てて後を追った。

院長「三階の、この扉から続く階段で下りるしかないのです。『奇妙』な造りでしょう? この病院の『外観』に、何か『違和感』を覚えませんでしたかな?」

露伴「――……!」

 あの妙な突起は、この階段の部分だったのか。しかし、何故そんな妙な造りをしたんだ? ぼくの問いに、長沢院長はこう答えた。

院長「かつて、『由美』が眠り続けていた部屋は、315室でした。この病院の最上階、そして、今私たちが通り過ぎて来た、一番端の病室です」

露伴「……! やはり『由美』は実在したのか!?」

院長「ええ、そして今もこの六指野病院の地下で、眠り続けているのです」

露伴「な、何だってッ!?」



院長「『遺言』です。この病院に『雷』が落ちる時、尋ねて来る人間が居れば、それは『由美』に会わせるに相応しい人間だと……」

露伴「『遺言』……だって?」

院長「着きました、ここが六指野病院の地下……『由美』の眠る場所です」

 長沢院長が両手で扉を開ける。その瞬間、部屋のむこうから、まばゆい光が飛び込んで来た。

露伴「な、なんだ、これは……こ、これが『由美』だとッ!?」

院長「ええ、『神様』の作り出した物語のヒロイン……『長沢由美』の『ガラスの脳』です」

 部屋の中はよく見えなかった。それはその部屋の中心に安置されていた『脳』が、まばゆい光を発していたからだ。だが、おかしい。ただの物質がこんな『光』を放つものなのか!?

露伴「こ、これは……作り物、なのか?」

 おそるおそる、その『脳』に近づきながらぼくは尋ねた。間違い無い、光を放っているのはこの『脳』だ。この『脳』事態が光を放つ源となっている!

院長「いいえ、これこそが『由美』。彼女、そのものです」



露伴「馬鹿なッ! じゃあ、あんたはこれが本物の『脳』で……『由美』は脳だけここに今も生き続けているって言っているのかッ!?」

院長「驚くことはないでしょう。露伴先生、あなたも、そんな『奇妙な』体験を、いくつもしている方なのですから……」

 ドクン、と鼓動がなる。これは『喜び』じゃあないッ! 『焦り』、『恐怖』のサインだ! 

 何か、何か引っかかるぞ。ぼくは何か『重大なミス』を犯している! 気付くべき、重要な問題を見逃しているんじゃあないかッ!?

露伴「……『長沢雄二』、だと?」

 そうだ。

露伴「そうだ、あんたは長沢雄二だと言った! そして、物語に登場するヒロインの名は長沢由美……まさか、まさかお前はッ!」

院長「お気付きになられましたか、露伴先生」

 長沢院長が――長沢雄一の血族がそう薄く笑みを浮かべた瞬間、ぼくは彼の頭に手を置いた。

露伴「貴様、目的は何だッ! 『ヘブンズ・ドアァァァーーーッ』!」




 長沢院長の顔が『本』になり、その人物のプロフィールが展開される。
 
露伴「『長沢雄二、長沢雄一の孫。長沢雄一の遺言により、この場所に由美を補完し、管理する』」

露伴「『この場所に訪れる者の資格は三つ』!」

露伴「『一つ、この場所へ【物語】を読み訪れた人間であること』!」

露伴「『二つ、この場所に【雷】が落ちた日に訪れた人間であること』!」

露伴「そ、そして三つ目は……!」

露伴「『【美しい出来事】! より多くの経験を積んでいる人間であること』だと!?」

露伴「つ、追記があるぞ! 『また、かの【神様】の【物語】に敬意を評し、同種の仕事を掲げる人間を、最優先事項とする』ッ!」

露伴「……ま、マズいぞ。凄くマズい! 何がマズいかだって、長沢雄二ッ! 『コイツは何も知らない』ッ! ただ『長沢雄一』の『遺言』のまま、ここに人間を連れて来ているだけだッ! そして――『その人間の顛末が一切記されていない』ッ! なら、この後、ここを訪れた人間はどうなるんだ畜生ッ!」

 後ろを振り向く。そこに君臨する『ガラスの脳』は、今尚目映い光を放ち続けている。




露伴(死んで尚生き続ける『ガラスの脳』……まさか『スタンド能力』か!?)

露伴「……終わりがないってのは一番厄介だ。オチの無い話ほど詰まらないものは決して無い。『由美』、お前の目的は何だッ! 見せて貰うぞッ!」

 叫び、『ガラスの脳』へと手を伸ばした瞬間、突然目の前の景色が変わった。

露伴「こ、これは……ッ! 間違い無いッ! ぼくが以前訪れた『イタリアのヴェネツィア』ッ! 旅行でみたあの時の景色だッ!」

 水の都と言われる美しい街並! 八日間の旅行期間のうち、ぼくは主要な場所はあらかた見学したが――何故、この景色が映っているんだッ!?

露伴「『記憶』……なのか? まさか、ぼくと同じ、『記憶』を読む『スタンド能力』ッ!」

露伴「だ、だとしたらマズい! 決定的にマズいぞッ! まさかここを『訪れた人間の顛末』が描かれていないのは――ッ!」

 その瞬間、イタリアのヴェネツィア。美しい景色の中――サン・マルコ広場の中心で、一人の『女性』がこちらに向かいゆっくりと微笑んだ。

 『彼女』はただ、一言だけを口にした。

「綺麗……」

 ――――――――――――
   ――――――――――
      ―――――――



露伴「申し訳ないけど、傘を借りることは出来るかな? 急な雨だったけど、すぐに戻らなくちゃいけないんだ」

受付「ああ、構いませんよ」

 渡されたビニール傘を開き、病院の入り口を出る。もう一度、六指野病院へ振り返った。

露伴「『ガラスの脳』……か」

 作中で、『由美』の『脳』はそう記されていた。穢れをしらず、夢のような五日間を過ごしただけの彼女の『脳』は、その美しさに溢れていたと言うが……」

 あの時、ぼくの『記憶』の中で見た彼女は『由美』だったのだろうか。

 この世の美しさだけを求めた『脳』は、訪れる人間の中にある、『美しい記憶』の一旦を垣間見るだけを目的に、これからもあの地下室で、眠り続けるのだろう。

 それは、果たして『由美』が求めたことだったのか、それとも、たった五日のために生まれ落ちた『由美』を哀れんだ、『長沢雄一』が、託したことだったのだろうか。

 結局、それは何も分からずじまいだった。



 かの『神様』が、如何にしてこの場に辿り着き、あのように美しい物語を書き上げたのか。

 医師の資格も持ち合わせた手塚治虫は、果たして『由美』に、どのような『記憶』を見せたのだろう。

 ……ま、分からないことを突き詰めても仕方無いか。

 あの時ぼくの記憶を見た『由美』の脳は、一瞬、ほんの一瞬だが、虹のような輝きを放った。

露伴「残念だったのは、あの『脳』に『ヘブンズ・ドアー』を使えなかったことか。どんな記憶が記されていたのか、気にはなったが……」

 まあ、あの虹色の美しさと、かの『神様』に敬意を払い、この出来事は、ぼくの胸の中に閉まっておくことにしよう。つまりは、あくまでもフィクションってことだ。


露伴「あっ! この傘……穴が空いてるぞ、クソったれめ……今からでも別の傘を貰って来ようかな……」


 

 岸辺露伴 六指野病院へ行く ――取材終了


終わりです。拙いお話でしたが、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom