安部菜々「Hello, world!」 (34)
もうダメって思ってから、割となんだかやれている。
死にきれないくらいに丈夫で、なんだかちょっと恥ずかしい。
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『まるで虹のネックレス まばゆい絆……』
346プロダクション、サマーアイドルフェス。
雨上がりのステージの上、大団円となるアンコールの曲を歌い輝くアイドル達の姿を。
「菜々ちゃーん、アイスコーヒーとナポリタン、三番テーブル!」
「あ、はーい! 今行きまーす♪」
安部菜々は……俺の担当アイドルは、カフェに置かれた小さな社内用テレビで眺めていた。
目が覚めると、くすんだ天井と使い古した毛布が視界に入った。
ひどく頭が痛かった。昨日の酒が残っていたのか……と考えて、居酒屋でやけ酒をしていたのを思い出す。
どうやって帰ってきたのかすら定かではなかったが、起きようとして足首が痛むのがわかった。
寝ている頭をインスタントのコーヒーで叩き起こし、惰性でスーツに着替える。
洗面台で顔を洗ってヒゲを剃り、ちゃぶ台に広げっぱなしになった資料を見て……
昨日のやけ酒の原因を思い出し、俺はひどく憂鬱な気分に陥った。
傍らには、安部菜々のデビューシングルと、タイアップしたスマホゲーのマスコット。
昨日社員に配られた資料には、アイドルの路線変更が告知されていた。
希望、でも指示、でもない。
美城常務からの、一方的な通告だった。
地下アイドル、安部菜々。
俺は小さなステージで踊る彼女に可能性を見出し、新設されたアイドル事業部へと勧誘した。
その時の菜々の表情を、俺はずっと覚えている。
恋みたいなものだった。
彼女を必ず、トップアイドルにしてやろうと思った。
だが、彼女は順調にアイドルとしてデビューすることはできなかった。
立ち上がったばかりでノウハウの揃っていない部署。寄せ集めのスタッフ、その中での足の引っ張り合い。
高垣楓に続くアイドルをなかなか世に送り出せず、ついには部署内の妨害で一人のアイドルが事務所を去る事件が発生。
若い有望なプロデューサーが出社を拒否する事態にまで発展し、気がつけばアイドル部門はお荷物部署と化していた。
十時愛梨や輿水幸子らのデビュー。
平行して他部門が制作する雑誌、番組などにアイドルを挟み込むことで、どうにか採算を取っている状態。
アイドルの自主性に任せる、といえば聞こえはいいが……デビューすらできていないアイドルが大半。
だから、美城常務が日本に呼び戻され、アイドル部門内の全プロジェクトが一旦白紙になったのは、仕方のないことではあった。
菜々がCDデビューできたのは、常務が帰国する一ヶ月ほど前……
ちょうど、シンデレラプロジェクトが軌道に乗り始めた時期のことだ。
菜々が起死回生の切り札として作り出した「ウサミン」という強烈なキャラクターは、
ソーシャルゲームの広報の目に止まり、イメージキャラクターに抜擢された。
それまでロクな仕事も与えられず、あろうことかカフェでバイトまでさせていた……
そんな中で、CDデビューは俺にとっても、菜々にとっても大きな変換点だった。
少しずつ、露出が増えていく……ここから。
そう、ここから菜々の快進撃は、伝説は始まるはずだった。
今頃、菜々は会議室に呼び出されているだろう。
俺は結局……直接俺の口から、菜々に説明することはできなかった。
デビュー曲となったコミックソングはおそらく、常務の求めるものではない。
アイドル・安部菜々としての存在は、全てが白紙になるだろう。
再起できるかどうかは怪しい。アイドル部門が抱えるアイドル候補は百名以上。
常務の求めるアイドルから優先的に出番を与えられるなら、ゼロから安部菜々を作りなおすしかない。
……そんな残酷な宣告、俺の口からできるはずがない。
職場に着いても、することがあるわけでもなかった。
オフィスは閉鎖、営業しようにもアイドルの方向性はプロデューサーには決められない。
こんな状況でプロデュースもクソもあるか……とは思うが、
こんな状況になるまで成果を出せなかったのもまた、事実だった。
つまるところ、俺は……無能なのだろう。
誰も安部菜々のことを知らない世界で、迷子にでもなった気分だった。
「あれ、プロデューサーさん? おはようございます!」
菜々に声をかけられたのは、そんな風に社内をうろついている時だった。
「……菜々?」
腕時計を確認する。上司たちからの通告は、すでに受けているはずだろう。
俺は……言葉に詰まった。
言うべきことはいろいろあったが、ひどく喉が震えていた。
「どう、したんだ。今日は、バイトじゃなかったか」
「あ、それは夕方からなんですけど……それまで少し、レッスンでもしようかなって」
「……レッスン?」
「はい。ナナ、アイドルですからね! レッスンしてないと、落ち着かないんです!」
そう言って、菜々は笑った。
一方的に告げられた、命令のことなんて、なんでもないかのように。
或いは、俺に心配をかけまいとしているのかもしれない。
その優しさが、俺には痛かった。
怒ってほしかった。罵ってほしかった。
お前が無能なせいでアイドルとしての私はおしまいだ、とでも言ってほしかった。
だから、俺の口から漏れ出た言葉は。
「……辞めちまうか、このプロダクション」
「そうですね、辞め……って、えぇ!?」
本心でもあり、逃避でもあった。
それを実行に移せない程度には、俺は凡人だったのだ。
「冗談だよ。頑張れ菜々、今度のリズモンのイベント用に体力は残しておけよ」
「はーい♪ リズモンは最後のイベントでしょうから、張り切っちゃいますよ!」
……俺は、何も言わなかった。
じゃあ、とエレベーターホールに向かう俺を、
「プロデューサーさん!」
菜々のよく通る高い声が、呼び止める。
「……一緒に、トップアイドル目指しましょうね!」
「……当たり前だろ」
振り返らずに、俺はそう呟いて手を振った。
そうして……リズモンのイベント当日。
イベントといっても、大したことをやるわけじゃない。
イメージキャラクターとしての衣装でステージに上がり、ゲームの宣伝をするだけ。
タイアップ先との仕事とはいえ、仕事である以上は上からの指示は絶対だ。
いわゆるバラエティ路線のキャラクターとしての安部菜々を、出すわけにはいかない。
そんな説明をしている時の俺は、いったいどんな顔をしていただろう。
その後のプランも提示できないまま菜々を現場へと送り出し、俺は喫煙所に篭っていた。
……菜々は結局、俺に対して何も文句を言わず、いつも笑っていた。
喫煙所のドアが開く。
入ってきたのが蛍光グリーンのスーツだったのは、少し意外だった。
「なんだ。喫煙者だったのか、千川」
「……どうして、仕事について行ってあげないんですか」
俺の質問には答えず、千川は能面みたいな顔で俺を睨んでいた。
ため息の代わりに紫煙を吹き出して、半分以上残ったタバコをもみ消す。
「ついてってどうすんだよ。明日からお前は仕事なくなるけど頑張れよ、とでも励ませばいいのか?」
少し背の低い千川が手を振りかぶるのはよく見えていたが、俺はされるがままにした。
パシン、といっそ気持ちのいい音が喫煙所に響く。
体勢を崩して壁にもたれかかった俺の胸ぐらを、千川の小さな手が握っていた。
「あなたは……!」
「っ……俺は菜々やお前が思ってるほど有能じゃあない!」
「自分が育てたアイドルがアイドルとして死ぬ姿を、俺に見届けろっていうのか!?
アイドルが望んだわけでもない、上の命令で決まった一種の強制引退だ! 冗談じゃない!
そもそも菜々は、パートナーが俺じゃなけりゃあとっくにトップに立ってんだよ!
ウサミンに拘らなくったってデビューはできたし、
ウサミンのままだって実力で常務を黙らせることだってできたはずなんだ!
それがどうだ、俺も菜々もどうにもできずにこのザマだ!
なあ、笑えよ千川、俺は無様だろう?
ジタバタもがいて、それでも何もできない俺を見下すのは……楽しいか……?」
尻が冷たくて、それでようやく、自分が床にへたり込んでいるのに気づいた。
千川は、俺を見下ろす。
照明が逆光になっていて、その表情はよくわからない。
「ダメなんだよ……俺じゃあ菜々を、トップアイドルにはしてやれないんだ……」
「プロデューサーさん。だったら尚更、あなたは彼女のステージに行くべきです」
千川は……そう言って、俺の手を握った。
「あなたがつらいのなら。菜々さんのファン一号でもあるあなたが、悲しいなら。
菜々さんだって、つらいに決まってるんです。悩んでいるに決まってるんです。
無能だなんだと自虐してる暇があるなら、そばにいてあげるのがプロデューサーの仕事ですよ。
そしてそれは、プロデューサーさんだけができる仕事です」
だってあなたは、菜々さんのプロデューサーなんですから……と、千川は笑った。
「トップアイドルに育てられないからって、営業がうまくいかないからって……
あきらめないでください。あなたのアイドルと、ちゃんと向き合ってあげてください。
私はアイドルが大好きです。でも、彼女たちを導けるのは、プロデューサーさんたちだけなんです」
手を引かれて、立ち上がる。
きっと俺は、ひどく情けない顔をしていたことだろう。
「……後で酒でも奢るよ」
「礼は後です。タクシー、呼んでありますから」
……こいつには勝てないな、と思う。
アイドルの味方でいてくれるのが、今はありがたかった。
千川の用意したタクシーに飛び乗り、会場へと向かう。
ゲームショーに立ち並ぶブースの一角。
「ミミミン、ミミミン、ウーサミンっ!」
人波の中で、俺は戸惑う菜々の姿と、ウサミンコールを認識していた。
制服にネコミミをつけた少女。
その姿には見覚えがあった……シンデレラプロジェクトの、メンバー。
少し前、菜々の働くカフェで立てこもり事件を起こしたアイドルだった。
彼女がこの場にいるということは恐らく、あいつも来ているのだろう。
「……菜々」
俺の呟きが、聞こえたとは思えない。
だが、菜々は俺を見た。目を合わせて……決意したように、小さく頷いた。
「ピピピ! ウサミン星より、電波受信!」
ああ……ああ。
思い出した。
俺は、安部菜々のそんな不器用なところに惚れ込んで、スカウトをしたのだ。
誰よりもアイドルが好きで。誰よりも、ファンとともに楽しみたいと願う……
「メルヘン・チェーンジ!」
「……やはり、いらしていたんですか」
深みのある、低い声。
振り返らずとも分かる。アイドル部門の、エースといえる存在。
「……うちのアイドルが、世話になったみたいだな」
「いえ、私は何も。前川さんと、安部さんとの間で解決した問題ですから」
根本的な問題は何も解決していなかったが、それでも、彼はそう言った。
……十二時の鐘が鳴る。
俺が安部菜々にかけたウサミンの魔法が、解ける……
俺が見つけた、俺を信じてついてきたアイドルを、俺の手で。
「……なあ。お前、常務から裁量権与えられてんだろ。
企画を進めるために、事務所のアイドルはある程度好きにできる」
「はい。そうですが……?」
タバコを咥える。口から離して、一度だけ大きく深呼吸をした。
「俺は、お前を見殺しにした。追いつめられていくお前に、何もしようとしなかった。
自分の手は汚さず、目の上のたんこぶが消えて喜んでいた、最低な男だ。
……無理を承知で、お前に頼みがある」
「それで? 彼が彼女を導いて、輝くステージの上に連れて行くのを、あなたは指を咥えて見てるだけ、と?」
「……辛辣だなあ、おい」
苦笑しながら、俺はウーロンハイを煽った。
俺の酒に付き合ってくれる事務員は、不服そうに頬を膨らませた。
あのイベントの日から数日後。
安部菜々は、シンデレラプロジェクトに出向、という形を取っている。
俺の部署から移籍することで、上からの方向性の強要は無くなる、という算段だった。
問題は、あいつの舞踏会が、ひいては個性を伸ばすという方向性が成功するかどうかだが……
正直なところ、管轄外の俺がその件に関してできることなどほとんどなかった。
「なあ、千川」
「なんですか?」
「俺は、無能だと思うかい?」
「……私がその質問にはい、と答えたら、あなたは彼女を諦めるんですか。見捨てるんですか」
千川は、どこまでも不機嫌らしかった。
いつもは能面みたいに張り付いてる営業スマイルは消え、代わりに眉間に皺が寄っている。
「別に俺だって、納得はしてねえよ。だけどな、俺もサラリーマンだ。
常務の言ってることだって全部が全部間違ってるとも思えねえし、
会社の商品持ちだして独立なんてしたら何が待ってるかも分かってる」
「だからって……」
「退くも地獄、進むも地獄……だが、菜々の方向性を維持する方法はある。
そして菜々はその道を選択した……無能は無能なりに、どんな手を使ってでもあのプロジェクトを守ってやるさ」
「プロジェクト、の方はそれでいいとして……菜々さんは、どうやって守る気ですか。
舞踏会が終わって、シンデレラプロジェクトの魔法が解けたら……」
追加の生を注文しながら絡んでくる千川に、俺はタバコに火をつけながら答えた。
「さあな……石油でも掘り当てて、菜々を買って独立するしかないかもな」
イベントが終わった次の日、菜々と交わした言葉を思い出す。
俺は、菜々にそれまでの無能を詫びた。
顔もまともに見られず、ひたすら土下座をしていた。
「顔を上げてください、プロデューサーさん」
菜々は、困ったように笑っていた。
しゃがみ込んで、俺の手を握っていた。
「地に足はついていないけれど。未来なんて見えないけれど。ナナは、ここにいます。
ナナがここにいるのは、プロデューサーさんが見つけてくれたからなんです。
あなたのおかげで、ウサミン星は光り輝いた。
ウサミンをとるか、アイドルをとるかで悩むこともできた。
プロデューサーさんが思っているよりもずっと、プロデューサーさんは強い人ですよ」
それから、半年。
街頭のパノラマビジョンには、菜々が前川みくや多田李衣菜、木村夏樹と一緒に映っていた。
俺が見つけ出した星が、まだ輝きを失っていないなら。
俺もまだ、死んだふりをして生きていくなんてことはできない。
俺には守るものがある。
ヒーローなんかには、魔法使いなんかにはなれないけれど、だからって諦めてもいられない。
見慣れた知らない景色の中で、俺は迷路の終わりを、ウサミン星を目指して走り続ける。
終わり。
ttps://www.youtube.com/watch?v=rOU4YiuaxAM
トリップつけ忘れたけどまあバレバレだろって気はしますねはい。
このSSは私の中であの展開に言い訳をつける/整合性を取るための二次創作です。
他の方に迷惑かかってもアレなので一応
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