提督「ドッキリで死んでみる」 (29)
提督の死体が執務室に横たわっている。頭から血が流れ出したことによる失血死。うつぶせた死体の傍らには角を血で赤く汚した「ドッキリ成功!」と赤文字で記されたプラカードが投げやりに転がっていた。
誰が見てもその死の原因は「ドッキリ」にあることは明白であった。提督は「ドッキリ」により死んだのだった。
猩々緋の絨毯を黒く染めた死体は、書類がきちんとまとめられた書斎机の正面でいかにも死体的に両手を上げて突っ伏し指先を力なく丸めていた。花火を見るため夏に改装した大窓は縦滑り式に少しだけ開けられており、そこからふかまった秋の冷たい朝風が室内のフラワーアレンジメントを幽かに揺らしている。朝日が水平線から線的に延びて波頭によって破片のように散らされていた。
整然と日常的秩序を伴う部屋は提督の死を演出するにはふさわしくなかった。もしくは、日常的執務室を演出するには提督の死体という調度品はそぐわなかった。死体と現場は相互にどっちつかずと足を引っ張り合っている。
ダズル迷彩の艤装を扉にぶつけないよう注意しながら入室した榛名は困惑した。彼女の日常の始まり方には二種類あった。一つは執務室に提督がいる場合と、もう一つは執務室に提督がいない場合であり、前者なら提督の指示に従い執務を行い始め、一日が進行していく。
後者、つまり提督が不在の場合、日常の始まり方は謎だった。そこは榛名自身にも知るよしもない暗闇だった。事情はもしかしたら冬眠するクマやカエルにとって冬が存在しないように仮死によって己の時間を停止して再び己を生き返らす機会をうかがっているということかもしれなかった。
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だから、榛名の主観性に基づくなら、日常の始まり方は二種類ではなく、提督が執務室にいる場合の一種類だけである。すなわち提督は毎日しっかり執務室に出頭しており、榛名にしてみればそんな誠実で真面目な提督にある種の尊敬の念を抱いたりしていたのだった。
いかなる時間に赴こうとも執務室の席で書類を整理している提督、いつ休息をとっているのか不思議に思わないでもないが、敬愛すべき優しい提督に指示され仕事を片付けていく、そんな日常こそ榛名の持つ唯一の日常であった。しかし、いまや榛名は第二の異なった日常的始まりに遭遇していた。
「執務室に提督がいた場合」とは、なるほど確かにいつも通りの日常的始まり方だ。しかし、それは厳密に言い直せば「執務室に提督が生きて存在している場合」であり、「執務室で提督が死体としてある場合」は榛名の始まり方からは逸脱していた。
一体何をすれば良いのだろうか。指示はない。なぜなら死人に口はないからだ。生まれて初めて榛名は自己意志に基づいて行為せねばならなかった、それが現在の状況から要請される義務であった。
「榛名、優秀な秘書艦というものは一を知って十を知るようなものだ。提督の仕草や振る舞いや状況に応じて、自分で為すべきことを探さなければならない」
榛名は提督の言葉を頭の中で反芻して、再び状況を確認する。きっと、この状況こそ提督の命令に違いない。命令は口から出る言葉のみとは限らないのだ。水深のあるプールにいる状況なら、それは「泳げ」という命令であり、扇風機が回っている状況なら、それは「涼め」という命令であり、間宮アイスを目前とする状況なら、それは「食え」という命令なのだ。
提督のあたかも死体的な様子、傍に転がる「ドッキリ成功!」のプラカード。これはどのような命令を意味するのだろうか。やはり提督が残す言語的痕跡「ドッキリ」という語が重要に違いなかった。
「ドッキリ成功!」とはこの場合、提督のダイイングメッセージである、なぜなら、何らかの意図がなければ、わざわざ「ドッキリ」によって殺される道理はないからだ。提督が意図的に「ドッキリ」によって殺されることに成功したとするなら、「ドッキリ」の意味について考える必要がある。
榛名は「ドッキリ」の場面に遭遇したのは初めてだが、「ドッキリ」とは何かについて知識はあった。一般的にドッキリとは対象を非現実的特殊な状況に直面させて反応を見る悪戯と考えられている。
非現実的な状況というのが重要であって、観客からしてみれば「どうしてこんな馬鹿げた状況を対象は信じきってあたふたするのか」と人間の愚かさを見て愉快になり、対象もネタばらし後に反省してみれば「確かにどうしてあんな状況を真に受けたのか」と照れ隠しに自虐的愉快さを持つという仕組みだ。
この場合、仕掛け人は提督で対象は榛名ということになるが、問題は最初からネタばらしのプラカードが置かれているという事実だった。つまり、このドッキリにおいてはドッキリのエンターテイメント性の中核である「対象のあたふた」を度外視しているのだ。
仕掛けと同時にネタばらしというドッキリに何の意味が。榛名はいつか見たメロドラマを思い出した。女が恋仲である男の持つカバンにおもちゃの蛇を忍び込ませて、男が驚くと女はチラリと舌を出すシーン。
ドッキリには親しい間柄において関係を盛り上げる小さな悪戯的用法があるに違いなかった。この線で考えるならば、提督は榛名と「親しい関係」にあるということになる。榛名は感激した。提督がそのように考えていてくれるなんて。
「このドッキリは私たちの関係を深めるための手段なのですね」榛名は判断する。状況の意味が固定されると、そこを足がかりに榛名が今何をなすべきか自ずと明らかになった。
結婚。それ以外ありえなかった。
なぜなら、以前にはなかった親しさで榛名が愛を囁いたとしても、提督が死体である限り死体には耳もないのだから、感情的な共感によって関係を深めることは困難に思われ、残された道としては、形式的な関係の深まり、すなわち結婚以外に他はないからだ。
提督は死体となることによって、榛名にプロポーズしたのだ。榛名は提督の沈黙の中に筆舌に尽くし難いほど強く愛を意識した。教訓的真理として「沈黙は金」と言われるけれど、まさに沈黙のプロポーズこそがこの世で最高のものに思われた。「金がこの世で最もものを言う」のだから、三段論法的に「沈黙こそ最もものを言う」と言えるはずだった。
榛名は提督の冷え切った唇からこの世のものとは思えないほど情熱的な愛の告白を受けたに違いないと考えた。
榛名は書斎机の引き出しをダズル迷彩の艤装をバールのように用いてこじ開ける。ケッコンカッコカリの書類を取り出し、名前欄に「提督」と「榛名」と丁寧に綴る。印章が必要らしかったが、印鑑が見当たらないので、提督の親指を傷口に添えて血判させた。死人に意志はないので、榛名が全ての意志であった。
榛名は左手薬指にはめた指輪をうっとりと眺めた。婚約の証である指輪は榛名の方だけがつければ良い。鎮守府では重婚が認められていた。提督は何人も妾を持つことが許され、それが好ましいことだとさえされる一方で艦娘達は一途に操を立てなければならなかった。
提督と艦娘の関係は非対称的であり、それを「性的搾取」であると糾弾する社会運動もあったようだが、艦娘たる榛名にとっては提督と「常に一緒に」いるという日暮しであるのだから、「重婚は不誠実だ」と主張されても、己に関わる問題だという実感はありえなかった。
「現在の艦娘の待遇は奴隷的であり、彼女達の人権が保護されているとは言い難い」。どこの誰が言いだしたのか。少なくとも艦娘ではない。実際、艦娘達は「艦娘の社会的地位の向上を唱える運動」についての報道を「草原を跳ね回るうさぎに選挙権を与えるべきか否かの裁判」に関するのと同程度の物珍しさと無関心さで聞いていたのだった。
むしろ榛名にしてみれば、この非対称的な関係性こそ現状都合の良いものだった。なまじ対等な関係となると結婚するにしても「双方の合意」なんて面倒な手続きが必要となるが、提督と艦娘の関係ではそれは必ずしも必要ではなく、「一方の合意」、つまり提督が艦娘に命じるというだけで婚約は成立する。
今、榛名は指輪をはめている。この事実を第三者が説明しようとするなら、婚約の主導権は完全に提督側にあるのだから「提督が榛名に婚約を申し出た」と原因を措定しなければならない。この非対称的関係性ゆえに榛名は提督からプロポーズを受けたとみなして良いのだった。
すなわち。提督は確かに既に死体であった。しかし、榛名が指輪をはめたことにより、法的事実世界において停止条件説的に死体である提督に対して遡及的に「榛名に愛の告白をする意志」が発生したのだと考えてよい。
死してなお中絶されることのない原液的な愛の関係に榛名は酔った。「双方の合意」なんぞに頼り、「死が二人を分かつまで」という宣誓で結ばれる軟弱な関係では決してない。榛名は今の私たちの関係こそ愛の最も理想的な形であると信じて疑わなかった。
提督との愛に陶酔する榛名はそのうち内心だけで処理しきることが出来ないほど己の情熱を大きくしてしまい、仕草に落ち着きのなさが現れる。それは良人に何か尽くしてやりたいという女的欲求を喚起させた。尽くすことによっていかんともしがたい愛の膨張を抑えようというわけだ。
榛名は提督の死体が彫刻像の如く冷え切っていることに気付いた。このままでは風邪をひいてしまう。体を温めるには布団。いや、その前に血液がそこらに飛沫して汚れているし、提督の顔も血みどろだから掃除から始めないと。
榛名はクレンザーと激落ちくんスポンジを用意して、血を拭き取り始めた。猩々緋の高級絨毯にクレンザーをまぶし激落ちくんでこする。せっかくの色合いも損なわれると覚悟の上だったが、提督の血色は猩々緋に無事溶け込んでくれた。
プラカードの角を洗うと「ドッキリ成功!」の赤文字も少し落ちてしまい榛名は焦ったりした。しかし、それはまだ些細な問題であって、一番の問題は榛名が提督の顔を激落ちくんでこすった時に起こった。
提督の表情が落ちてしまった。正確には提督の顔が落ちてしまった。目のあった場所は眼裂さえなくなり、鼻部分の隆起は真っ平らになってしまった。口に関しては最初から死人に口無しだったので気にする必要はない。
榛名は無貌となった提督を見て狼狽した。最近の掃除用品がここまで肉体の識別性を損なうものだとは考えていなかったのだ。指紋を薬品で焼き消すなんてことはドラマなどではそれなりに親しいシーンではあるが、顔ごと消すとなると。
確かに現状では顔無しは最も目立つ特徴であるかもしれないが、それは一時的なものに過ぎないのは明白である。クレンザーと激落ちくんで落ちる程度のものだ、人が考えるより顔なんてものは人間の同一性にとって案外どうでも良いものなのかもしれない。
そうだ。顔なんてどうでもいいじゃないか。私と提督は愛で結ばれている。ラブ、イズ、ブラインド、「愛は盲目」、愛においては外見の識別標なんて考慮するべきではない。私は提督がどうなろうとも愛している。それが全てだ。榛名は提督が無貌となったことに一瞬でも動揺してしまったことを深く恥じ入った。
榛名は盲縞の布団を絨毯の上に敷く。提督を寝かせるにあたり制服の上着を脱がせる必要があったので、榛名は慣れた手つきで制服の前ボタンを外していく。男の服を手間取らず脱がすことができるという事実は必ずしも榛名が男を脱がせることに熟練しているということを意味しない。
それはきっと習慣の延長に過ぎない手際だった。ボタンの掛け合わせ部分において、紳士服はボタンが右手側にあって留めると左襟が前になり、婦人服は反対にボタンが左手側で留めると右襟が前になる構造を持つ。その理由はもっぱら女の服が他人に着せられたり脱がされたりする運命にあるからだった。朝メイドに着せられた服は夜の寝室において男に脱がされることで効果を発揮した。
女の服飾は委ねるように投げ出され受動的であるように運命づけられてきた。しかし、女にも能動性の獲得が期待されるようになり、女が自ら服を着脱するようになっても、服飾の構造に変化はなかった。精神が変わろうとも環境がそれに追いつくことがないというのはよく知られるところである。
瞬足と鈍足の二人三脚は互いに足を引っ張り合い、互いの利点である先進性も堅実性も食い合いもたつくのであるが、それに慣れてくると奇妙な技術が磨かれてくる。榛名の手つきはまさにそれであった。本来受動的な服を能動的に着るように慣らされた榛名にとって本来能動的な服を受動的なものとして脱がせることは造作もないことであった。
だから、榛名が提督の服を滑るように脱がしたからといって、それは時代的技術であるかもしれず、榛名に淫乱の気質があったり発情したりしたと考える必然はないはずだった。
しかし、そのような精神と状況の食い違いによって習得を余儀なくされた技術というものは、その出自が余りに生活の無意識に溶け込んでしまっているが故に、多くはその熟練の理由を知ることが出来ない。
そのため、提督の服を余りに手早く脱がせてしまったという事実を説明するのに、榛名自身「私はきっと提督の死体に情欲したからこそ、こんなに急ぐように脱がせたに違いありません」と原因を錯誤してしまったのは仕方のないことでもあった。
榛名は提督を盲縞の布団に寝かせると、ダズル迷彩の艤装を絨毯の上に落とした。重たい金属音が執務室の中で解放的に響いた。次に着物の襟に指をかけた。左襟が前なので左手の方から襟を肩の後ろに回す。すとんと重力に従い簡単に着物は脱げ落ちた。赤いスカートもファスナーを少し緩めると同様にすとんと落ちた。
黒いオーバーニーブーツも脱ぎ捨て裸足になり、純真無垢な白い下着姿となると提督に添い寝するように布団の盲縞を波立たせた。提督の胸元をワイシャツ越しにしばらく撫で回すと、噛み付くように小さなボタンを一つ一つと一息もらしながら、ゆっくり開けていく。
開いた隙間から指先を滑り込ませる。ぞっとするほど冷たかった。冷気は指先から上腕を伝い背筋を流れてつま先をぎゅっと縮め込めた。榛名は上腿を交差するようにして腰をくねらせる。それは提督の冷たさに不気味さを覚えたわけではなく、冷たい炎で暖をとろうとしたような観念と事実とのズレに驚く肉体的反応に過ぎなかった。
しかし、また榛名がその冷たい生命としての提督にある感激を覚えたのも事実ではあった。マネキンのような無関心に起因する人工的冷たさではない。擬死的な冷たさ。生を中断し己を完全に委ねるような冷たさ。完全な委託。絶対的信頼の証。女性的庇護欲を刺激された榛名はしばらく死体に向かって己の肉体を擦り付けるように蠢かせた。
そのうちベルト金具のかち鳴りが耳障りに思え、またズボンによって榛名が提督に絡めようとする脚の動きも阻害されるので、榛名は布団に潜り込み、指先を提督の下腹部に回す。布団の中は暗く、頼られて鋭くなる聴覚には榛名一人の息遣いと衣擦れの音が大きかった。
金具を外しズボンのボタンも外すと、榛名は片脚を布団の中で膝頭が自分の胸にあたるぐらい大きく折り曲げた。そして足の親指と人差し指でズボンと下着のウエスト部分を摘んで引き下げる。そして、ある程度空間を確保すると提督の股下へ踵まで入れ込んで一気にずり下ろした。布団の足元からズボンが飛び出す。
榛名は提督に半身を乗せるようにして、提督の股下に自分の太ももを差し込んだ。冷たさで縮こまった陰茎と陰嚢がももに触れるのを感じる。鼠径部あたりを陰毛にくすぐられ、腰を上下すると固い毛が擦れる音。榛名のものだった。身悶えしているうちにいつの間にか下着も脱いでしまっていたようだった。
榛名は提督の腕を人形遊びでもする如く自由に曲げて遊んだりし、次に榛名は内ももで提督の陰嚢をぐいと押し込んだ。ぐにゅりと逃げるような感触。普通の男性なら痛がって榛名を叱責するところだが、死体である提督は寛容にもその粗相を許しきっている。榛名は肉体に過負荷を与えることに愉悦を覚えた。
しばらく嗜虐的母性を満足させるべく榛名は性的遊戯にふけっていたが、そのうち落ち着きを取り戻してくる。なぜなら、死体には生殖能力がないので、榛名と提督の状況はいつまでたっても遊戯の領域を超えることがなかったからだ。
また提督の精神状態も冷静さの要因であった。広く死者に認められる精神的症状の特徴として完全な無気力と感情の平板化に伴う徹底的な沈黙が挙げられる。どれほど挑発的な言葉を治療者が放とうとも無関心は持続する。死の状態は最近の研究において「全知全能の存在との受動的な結合という性的な願望と関係がある」と考えられており、榛名にとって全知全能を演ずるのは少し重荷であった。
そもそも榛名の行為自体が充足理由律に基づいて錯誤的に生み出された形式的な性欲によって動機づけられていたのだから、実際その遊戯に熱中し続けることは不可能であった。
榛名は提督の反応を欲していた。確かに提督が死体であるということによって、榛名は提督と結婚でき、また一種の性的愉悦も覚えたけれど、死の重たい沈黙には榛名を否定するような拗ねた攻撃性が含まれているようにも思えて、榛名を不安に陥らせようとする。
榛名は己の悪い部分を改めようと反省する。今まで榛名は受動的に過ぎたのではなかろうか。榛名は「ドッキリ」というものは仕掛け人が対象の様子に満足すると、仕掛け人の方から「ドッキリ成功!」と宣言するものだと考えていた。
もしかしたら、対象である榛名の方から仕掛け人である提督に「ドッキリ成功!」と伝えなければいけないのではないか。というのも、提督がこの「ドッキリ」で意図したであろう榛名との親密さの向上は既になされたのだから、後は宣言が残るのみである。考えてみたら、死人には口がないのだから宣言する方法がないと今更ながらに気づく。
問題はどのようにして仕掛け人に「ドッキリ成功!」と伝えるかであった。死人には耳もないのだから、ただの発言では不十分であることは明白である。そして、ここで通常予想されるであろうことは榛名が問題を解決しようと何かしらの伝達手段を考え出すということである。
しかし、純愛を貫こうとする榛名は「ドッキリ成功!」と榛名自身が宣言する行為の意味に不穏なものをみとめた。私が「ドッキリ成功!」と完全に宣言した時、それはこの死体の状態である提督を否定しているのではないか。純愛とはいかなる状態であろうとその対象を愛することではなかったのか。
例えばお金持ちの状態である時だけ対象を愛して、一度対象が貧乏の状態に陥るやいなや愛をやめるのは純愛ではないはずであり、また若く張りのある容姿の時だけ愛して、老いて渋紙のようなしわくちゃの容貌になると見向きもしないなんてことも当然純愛ではないはずだ。
性格についても同じである。一般的には「彼の優しい人格に惹かれて、愛の関係を育んだ」などと言えば純愛扱いされるようだが、条件節があるということは「優しくなければ、愛さない」と暗に述べたも同然で、それは金銭や容姿を条件とする愛の構造と同型であり、愛さないという世界の可能性がある限り純愛ではない。
純愛とは対象のあらゆる状態を度外視して愛すことであり、状態条件に左右されて「椅子に座った提督は好き、立ち上がった提督は嫌い」などと言っている内は純愛ではないのだ。対象から環境、肉体、精神という経験的要件を全て捨象しても愛することができなければならない。つまり、究極的にはその人生において対象に出会うことがなかったとしても、その対象を愛するということこそ純愛の唯一の成立条件なのだ。
不純な愛は対象をよく知ろうと欲して、その過程で愛に値するものとしないものとをふるい分ける、愛する故に憎しむというアンビバレンスはここで生まれる。不純な愛に関する洗練は基準を徐々に厳しくすることでなされていく。そして、しまいには基準をクリアするような愛に値する対象は砂粒程度になるという結末を迎え、「愛に値する対象が無い」と嘆く羽目になるのだ。
無対象を愛する純愛にそのような破局の心配はない。ただ困ったことには、榛名が提督を純粋に愛する時、その対象である提督とは何者かが不明になるという問題を抱えざるをえなかった。
榛名は布団から出た。大窓からはいまだ朝日が執務室に差し込んでおり、榛名の裸体を黄色く照らし出した。花火を見るため夏に改装した大窓は縦滑り式に少しだけ開けられており、そこからふかまった秋の冷たい朝風が室内のフラワーアレンジメントを幽かに揺らしている。提督の死体を発見した時から既に相応の時間が経過したはずだったが、榛名が操作したところ以外の状況は何も変わっていなかった。
少し変に感じた榛名は窓から裸体が丸見えになるのも構わず、大窓の縁に手を掛けて大きく押し開けた。途端に風はやみ、朝日は閉ざされた。空と海は真っ黒だった。何かに染められたという風ではなく、完全に空と海は非物質的で観念的な黒色に置き換えられている。鎮守府の埠頭や桟橋がそこにめり込むように存在を主張し、普段は味気ない灰色の港倉庫の風景が明度彩度の高さで最も目立っている。
空と海に成り代わった黒色はただ黒いだけではなく「NO DATA」という赤文字を浮き彫りにしていた。「NO DATA」の赤文字は一つではなく列を作るように並び、見えないノートの罫線にでも沿うようにして何列にも平行に横並びしている。
また、空と海は同じ「NO DATA」であるにもかかわらず、溶け合うことはなく、各々の「NO DATA」の方向を貫くため、襟を合わすようにして「NO DATA」の文字列は互いに逆向きに重なり合い、そのズレ部分が黒い海の果てに主観的輪郭としての水平線を形作っている。
客観的には実在しない真っ黒な水平線の境界に榛名は魅入った。「NO DATA」、情報量ゼロの存在に境界があること、「NO DATA」の空に「NO DATA」の海と個別化が可能であると示す景色に榛名は何か感じ入るものがあったのではないか。
世界の大部分である空と海が「NO DATA」と無化してしまったことは世界という存在にとって大変な危機であるのだから、榛名は焦燥や絶望を持つべきであったのかもしれない。しかし、榛名は提督を純粋に愛する純愛者であって、それ故に世界の滅亡をそれとなく喜ぶ気持ちが大きいのは否めない事実であった。
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」「どうして世界は、つまり何を意味するにせよ具体的対象があるのか」という問は世界が存在する必然性の根拠を尋ねる。これに対する解答は次のように考えることもできよう。
無の不可能を証明することが同時に存在の必然を証明するのだから、解答は確率的に無の世界がほとんど不可能であることを証明すればいいはずである。「なぜ何かがあるのか」という問はあらゆる考えられるべき世界において、どうして無の世界が現実となるのではなく、何か対象を持つ世界が現実となっているのかを問うている。
世界を区別するものは「今日は晴れた」「猫が机の下にいる」などの命題で、ある世界では真で別の世界では偽となるような命題による。だから、そのような命題の組み合わせを無数に考えられる有の世界では可能性として世界は無限に多くある。
しかし、無の世界は一つである。なぜなら複数の無の世界を考えるには、無の世界のうち一方では肯定され他方では否定されうる命題がなければならないが、しかもそれは具体的対象を欠いた命題でなければならず、そのような命題は不可能であるからだ。無は他の無と区別出来ない。そして、無限に多くある世界のうちで無の世界がたかだか一つしかないのなら、無の世界が現実となる確率はゼロとみなしてよい。
吹雪型と早霜の人?
世界存在の必然性が無の単一への収束に基づくというのなら、榛名の純愛と世界の存在はトレードオフの関係にあると言えた。榛名の純愛対象たる提督はもはや全ての状態属性を抽象された何者か『X』であり、それは何ものも含まない無であるべきだった。
もし『X』に何かがあるというなら、愛は所詮その何かを条件的に愛しているに過ぎない。榛名が純粋に提督を愛す時、それはもはや提督を愛していては純愛足り得なかった。提督の肉体、精神、環境、記憶、思い出といったあらゆる属性が欠落しようと反転しようと愛すること、それが榛名の決定した究極の純愛である。
しかし、榛名が愛する無は提督を抽象した後に残る空虚『X』ただ一つである。抽象すれば全ては無に帰すからといって、榛名の純愛が『X』以外のものにまで及ぶはずもない。純愛は一途であるものだからだ。
そのため、榛名にとって『X』が他の無と区別されなければならないのは当然であり、無の個体化こそ榛名の純愛を可能とする絶対的条件であった。榛名は己の純愛を貫くためになら、世界存在の必然性なんてものは放棄して構わなかった。いや、むしろ世界存在の必然性を否定するために世界が無に帰れば良いとさえ考えていた。
無の区別不可能性に基づいてその存在の必然が保証された世界が無化するということは、無が区別できることの証左となり榛名にはとても良いことのように思われた。榛名にとって世界の破滅こそ純愛への希望であった。
世界は「NO DATA」の黒色に押しつぶされ全てが無かったことになろうとしていた。榛名は大丈夫だった。純愛は全てを無かったことにしても生き続ける。むしろ、無の世界においてこそ純愛は最も輝く。提督と榛名を空虚にした後に残る『X』。全てを脱ぎ去り丸裸になった『X』。最も純粋な裸体『X』同士を重ね合わせることで卑俗な性を超越した彼岸にある最高のセックス、ただ純粋運命によって結ばれた純愛関係を目前にして榛名は全てを良しとした。
おわり
今まで書いたドッキリスレは読者の反応が余り良くなかったので、今回の筋書きとして「提督がドッキリして、ネタばらしして、対象艦娘と仲良くなって、結婚して、性関係を結び、対象艦娘が世界を敵にするほどの純愛に目覚める」というテンプレートを採用してみた。
細かい所を抜けば比較的親しみのある展開になったはず。
ドッキリスレ
提督「なに? RUCKだと?」
提督「なに? RUCKだと?」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1433516717/)
提督「夕ヌキ」
提督「夕ヌキ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1437473182/)
>>18
ジュブナイル系で幾つか書いたことがあるから、これらだったらその人です。
提督「深雪、夏の太陽に照らされ淡雪を知る」
提督「深雪、夏の太陽に照らされ淡雪を知る」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1438173185/)
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提督「夏の磯波は跡を濁さず」 - SSまとめ速報
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提督「紅炉の上に早霜」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1441813806/)
他にもこの系統だと以下。最後は少しズレるけれど。
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提督「如月の深海にて睦月は盲目」 - SSまとめ速報
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