提督「夏の磯波は跡を濁さず」 (17)
磯波にとって夏とは個人的に実感のわかないものであった。
しきりに喧伝される夏といえば、真っ赤な太陽、蝉の鳴き声、穏やかな風に、山川海といった自然の風景である。
しかし、磯波にとって夏と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、カーテンを締め切った部屋を隅まで照らす蛍光灯、階下からかすかに聞こえてくる高校野球のテレビ音声、冷房の人工的に透徹した風、目の前に真っ白のまま開かれた日記帳。それは夏の課題であった。
磯波にとって他の課題は簡単であったが、この日記というものだけはどうしようもなく苦手であった。「夏の思い出」なんてものを磯波は持たなかったためだ。
世間のいう「夏」と磯波の思う「夏」の間には単語一つとは思えないほど豊かな相違があり、磯波は誰かが「夏」と言うのを聞いても、どこか空虚で概念的にしか理解できなかった。
自分の実感を頼って夏という言葉を充実させれば良いと考えたことはあるが、てんでダメ。磯波自身が間違っているのであって、世間一般の方が正しいのだろうという意識がどうしてもそこにはあった。
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磯波は「典型的な夏」というものを過ごしたことがなかった。「磯波の夏は夏ではない」。普通そうした季節経験というものは個人的感性を優先するものであるが、磯波にはそれが出来なかった。
磯波には自分よりも世間一般の方が「個人的」だと感じられた。磯波にとって自分とは何かふわふわした実体のないものだった。
新作のパンを買ってみて一口かじった時、磯波が「まずい」と思っても、テレビが「今大人気のパン! そのお味は?」「おいしい!」と映していたりしたら、磯波は「ああ自分の味覚が間違っているんだな」と漠然と考えた。
磯波には自信というものがなかった。「世間はこれを美味しいと言うけど、個人的にはすごくまずい。テレビは嘘を言っているんだ」という小さな断言さえできないほどになかった。
性格は内気。学校の通信簿の人物考査の欄には「温厚な人柄、問題を起こさず、思慮深い」と評価されるのが常であったが、それは磯波が余りに内気で目立たないため、担任が苦し紛れに見出した文句であることは分かりきっていた。磯波は「思慮深かさ」を前面に出すほど自信家ではない。
そんな磯波が今の仲間と出会えたことは本当に幸運であった。
艦娘への適性が発見され、「是非、艦娘に」と誘われた。何分自信のない磯波は相手の期待の眼差しを拒絶することができず、曖昧に答えた。答え続けた。すると、あれよあれよと言う間に鎮守府に配属されていたのだ。
これからどうしようと溜め息をついていた時に出会ったのが、今の友人たちである。同型で、同室だ、仲良くやろうと手を差し伸べてくれた。彼女らにとっては何気ないほとんど習慣的な行いだったのだろうけど、一寸先が闇の暗い想像に押しつぶされていた磯波にとっては大きな救いであった。
いかにも運動が好きそうで快活な娘、気難しそうだけど芯の強い娘、優等生それも磯波のようにおこぼれではない、洗練された佇まいの娘、何事にもやる気のない娘。最後の娘には少し親近感を覚えたけれど、彼女の堂にいった無気力を目の当たりにして、自分と少しでも同類と考えたことに思い上がりも甚だしいと恥じ入った。
そして、そんな個性的な彼女たちを上手くまとめるリーダー的な娘。彼女が一番初めに磯波に声をかけてきてくれたのだ。
磯波はその夜密かにベッドを抜け出して白紙の日記帳を開いた。艦娘になってしまえば、日記の課題なんてもはや実行義務のないものであったが、磯波は日記を書きたかったのだ。
テレビか何かで聞いた「感動的なことがあった人はね、日記を書きたくなるものなんですよ」という根拠無き主張に従ったのだ。磯波は少しキザったらしい振る舞いだなと思ったが、自信のない磯波は素直に筆を進めた。
『今日、鎮守府に配属された。部屋のみんなはとても優しかった』。これだけで終わってしまった。磯波は日記を書き慣れていなかった。いやいや、流石にもっと何か書かないと。夜中にこっそり抜け出して書いた内容というのが、これっぽっちというのは恥ずかしい。
自分がどう感じたかを書くべきじゃないか。書き終わった部分の最後に小さく『嬉しかった』と付け加えた。終わってしまった。いやいや、感激して日記を書こうとしたのに、その感動部分がこれだけなのは流石に釈然としない。
磯波は唸った。何かを書かなければと唸った。ちょっとだけ自分の通信簿を書かなければならなかった担任の苦労を知れた気がした。
時計の長針はいつの間にか一周していた。こんな短い文章だけでどれだけ時間を費やす気なのだとあくびをする。眠い。最初の情熱はどこへやら、今や日記は面倒なものになっていた。
嘘でもいいから、適当に書いて文字を埋めよう。怠惰という魔力にすぐさま取り憑かれ、磯波は内心を引っ掻き回した。何かないのか。何かないのか。そして、見出したものを片っ端から書いていった。
記述は乱れているが大枠としてはこんなところであった。『私は彼女たちを羨ましく思う。みんな私にはないものを持っている。だけど、この思いは嫉妬ではないと思う。嫉妬というのはそれを欲しているからこその感情だけど、私は彼女たちと同じになろうとは思っていない。映画スターに羨望を向けることはあるけれど、嫉妬を抱かないのと同じことだと思う』
磯波は自分の書いたものを読み返して少し驚いた。演劇的で誇張的に書こうとしたのだ。嘘を書こうとしたのだ。しかし、どういうわけかその嘘の文章は読めば読むほど、自分の心情を表しているようだった。
磯波は安堵した。自分が彼女たちのことを妬ましく思って裏で憎悪しているのではなく、率直に尊敬の念を抱いていることを確認できたからだ。自分の心情さえ断定できなかった磯波であったが、文章にそれが表現されると、すんなりと自分の感情であると決断できたのだった。
その夜、磯波は興奮で眠ることができなかった。その興奮は友人ができて一先ず明日からの生活に不安を覚える必要がないという安堵からではない。磯波は日記によって初めて自分の姿に形を与えることが出来た気がした。
磯波は顔や肉体の造形の確認を鏡で行うように精神や感情の造形を日記で行ったのだ。
「磯波、君は友人のことを疎ましく思っているんじゃないか」という意地悪な質問に、以前の磯波ならば「そんなことはありません」と答えるにしても弱々しい響きであっただろうが、今の磯波は同じ言葉でもはっきりと答えることができた。
磯波に僅かな自信がついた夜であった。
次の日からは出撃や遠征三昧で毎日がとても忙しかった。まだ発足されたばかりの鎮守府であったから、戦果を稼ごうと全体の空気が張り詰めていた時期であった。
遠征は長い間立っていなければならないし、出撃には戦闘の緊張感があった。慢性的な疲労と瞬間的な疲労のどちらが良いかというのは、まだ互いに馴染みきってはいない艦娘たちにとって共有できる良い話題であった。
磯波は遠征の疲労の方が好きであった。長距離の移動後に資材を引きずって切り返してくるのはただでさえ退屈で疲れることであったのに、更に夏の大海原は太陽を写し取り、そこを行く艦娘は上からも下からも太陽に炙られる羽目になる。艤装に冷却装置があるとはいえ、空も海も青く、その中に浮かぶ二つの太陽という情景は汗を吹き出させた。それでも、戦闘よりかはお気楽なものであった。
磯波は駆逐艦には遠征好きが多いのだと勝手に考えていたが、仲間たちの大半は出撃を選んだ。磯波と意見を共にしたのは、あの無気力な娘だけであった。他の娘達には遠征というのは補欠っぽく見えたらしい。「やっぱり戦前に出て、敵を倒してMVP。これが艦娘の華よね」
遠征派の二人は特にそれに意見を戦わせようとはしなかった。しかし、この中で目立ちやすい娘達全員が出撃を望んでいるという事実は、傍からみると、まさに磯波達も含めた全員がそれを望んでいるかのようになってしまい、そこまで闘志があるのならと、磯波の出撃回数までもが増えたのは少し苦い思い出だった。
磯波は日記を書き続けていた。辛いことがあったときは文量も増えた。磯波は日記のことを思い出すたびに背筋がピンと伸び、頑張ろうと奮起した。
冷笑的な字引には日記とは「生活の中で、自分に恥ずかしくないことだけを記録するもの」とあるが、磯波にとって日記は「記録の中で、自分に恥ずかしくならないように生活させるもの」であった。
生活の動機付けのために書くような日記は長く続いた。友人と喧嘩した時も日記と相談したものだ。磯波が喧嘩なんてと思うが、気の強い娘が自分のやりたいことを何も持たない磯波にじれったさを感じたのが原因であった。
「あなた、本当にそれでいいの? 出撃が嫌なら司令官に私からも言うけど」「え、えっと、私は大丈夫だから」。最初は善意からの提案だったものが、磯波のいじらしい態度に間接的なSOSを見て取るしかできないことに相手は徐々に頭に血が上ったようだった。
素直な娘だった。きっと磯波が助けを求めれば、すぐさま行動に移すような娘だった。だからこそ、磯波が何も言わない限り助けることができなかった。素直な娘だったのだ。
自分には磯波が無理をしているように見える、でも当の磯波は助けを求めてくれない。助けたいと思うが、こっちで勝手に行動を起こすこともできない。板挟みに陥ったその娘は、そもそもこの事態を自分に引き起こした磯波に非があると思い至ったのである。
磯波は出撃に対して嫌な感情を持っていなかった。しかし、良い感情もなかったのは否めない事実であって、どこかで嫌々な雰囲気を出して、彼女の気分を害していたのかもしれないと反省した。
磯波は謝るのを得意としたが、今回はただ謝ったところで許してもらえるものではない。むしろ、余計にその態度が気に入らないと火に油を注ぐ結果になるだろう。
磯波は日記を開いた。何をするべきか明確にするためであった。以前の磯波ならば参照にするのはテレビや小説だったが、今の磯波は日記を世間として参照にしていた。日記を書くのは磯波なのだから、世間というのもおかしなことだが、磯波は自分の主観を客観から通してしか断定できなかった。
『仲直りしたいと思う。そのためには謝らないと。でも、それだけだとダメ。ちゃんと問題を解決しないと』。そのためには助けを求めない理由が必要だった。『私は確かに戦闘が嫌だけど、艦娘になったからにはきちんと慣れていかないとダメだと思う』。磯波は自分にはちょっと高尚すぎる動機だなと思った。こんな信念なんて考えたこともなかったのだ。
磯波は書いた日記をしばし眺めた後、走り書きで乱暴に『彼女は頑固者だから、意味ないかもしれない。それなら縁を切ろう』と書き足した。磯波は嘘だと思ったし、日記もまた嘘だと言っているようだった。
蛇足で日記に必要のない記述であったが、磯波には必要だった。いくら目標とその手段が分かっても、それを実行にするには勇気が必要でそのために「失敗してもまあいいや」という感情を欲した。
磯波は翌朝すぐに謝りにいった。相手も「昨日は感情的になりすぎた私も悪かったわ」と言ってすぐさま仲直り出来た。何のこじれもなく拍子抜けするほどに日常的な仲直りであった。
磯波は日記を書き続けた。日記は過去の記録ではなく、現在の自分を整理したり、未来のなすべきことを指し示すものであった。磯波は日記を書くときに自己を充足できた気がしていた。
日記は磯波を主人公とする物語の様相を見せてきており、磯波はそれを事実にしようとした。そのうち、磯波は日記の磯波がもう一人いるんじゃないかとも思えてきて、磯波はその日記の中で豪気で大胆な活躍を見せる主人公を「磯波さん」と呼んで親しみを覚えだした。
磯波が日記の筆を取ることがまばらになるのはその頃からである。理由は簡単で、磯波の日記は現在や未来のためであって、それは「磯波さん」を主人公とする小説ではなかったからだ。
磯波の日記は後で読むためのものではなかった。だとすると、わざわざ日記を書かずとも、頭の中で感情や行為を算出すればいいんじゃないかと最適化が行われるのは時間の問題だった。
磯波は長い時間をかけて、当たり前のことを知ったのだ。磯波はみんな自分のことを正確に知っているのだと思っていたけど、日記を書くという行為を経て分かったのだ。みんな自分の姿を知らない、だから適当にこうだと自分を造り上げているのだと。磯波はようやく乱暴な自己認識のやり方を覚えたのだった。
日記は「磯波さん」が戦争を終わらせ世界平和を実現したところで完結した。気がつくと地球が太陽の周りを一周していた。こんな突拍子もない物語を作るのにどれだけ時間を費やせば気が済むんだと笑った。
磯波は鎮守府近くの砂浜を裸足で歩いていた。あの仲直りから一番仲良くなった娘が前を歩いている。水平線には赤く大きな太陽が沈もうとしていた。夕暮れ時とはいえ、夏の砂浜は裸足には熱すぎるので、二人共波が押して引く砂色の濃い所を歩いていた。
「磯波、あなたって変わったわよね」。出し抜けだったが、磯波もそうかもしれないと思った。この海辺の散歩は磯波から誘ったものだった。昨年の磯波ならば、考えられないことである。
「確かに誘いには驚いたわ。でもね、それはそうだけど、私が言いたいのは磯波って何か変わったわよねってことよ」「何かって何? 分からないよ」「私にもわからないけど」「だったら私にもわかるわけないよ」「それもそうね」
「そういえば、もうあれは書いてないの?」。日記のことだ。「あれ」と曖昧に濁したのは内容が荒唐無稽な物語であったからだ。磯波がノートに書いているのを見て興味を示したようだったので、唯一見せてあげたのだ。唯一というのは仲が良いというのも理由だが、それよりも笑われたのでもう誰にも見せないと心に決めたことが大きかった。結果的な唯一だった。
「どうせ私には文才がないから、もう書く気はないかな。笑われたくないし」「だから、あれは内容を笑ったんじゃなくて、大人しそうな磯波があの内容を書いたことにギャップがあったから笑っただけって言ったじゃない」「一緒のことだと思う」「磯波が小説書いたら面白いと思うわよ」「本気で言ってるの?」「私はいつも本気よ」
いい加減なことを。初めて彼女と会ったときは、気が強そうでしっかり者だと印象づけられたけど、こうしてくだけた態度を見ると憧憬も消え失せた。小さな溜め息は「それでいいじゃない。友人から尊敬なんてされても困るだけだわ」と満面の笑みで返された。
「物語なんて書く気はないよ」「どうして? あれ結構面白い話だったわよ?」。磯波は言葉に詰まった。「磯波さん」の活躍を面白いと言ってくれるのは嬉しい。「磯波さん」を通して磯波自身も認めてもらったような気がするからだ。承認には麻薬的な陶酔があって、もっともっとと抗いがたい欲求もある。
「それなら続ければいいのに」。書けないということはない。磯波も日記と言いつつ、終盤は悪ふざけをして、派手な展開を綴っていたのだ。それを面白いという彼女を喜ばせるぐらいのものはできるだろう。
でも、磯波が日記を書き続けたのは磯波の現在のためであった。曖昧な自分自身を救い出すためのものであった。奇妙な星の巡りで、もしその書いたものが誰かに評価されるなんてことがあったら、磯波にとってそれは不相応に過剰な像を得ることになる。磯波には想像するだけで窒息する思いだ。
「私には文章や感性以前に作家としての才能がないから」「ふーん。まあ、私も強くは言わないわ。だって『頑固者で何を言っても意味がないから、縁を切ろう』なんて磯波に思われでもしたら大変だものね」「え、え? だ、だからあれはあの日記の中の話であって!」
結局のところ、あの日記は過去の事実記録だったのか、「磯波さん」の大冒険譚だったのか、磯波自身にもわからなかった。冒頭部分は確かに磯波自身の記録のような気がするけれど、最後まで読むと全て「磯波さん」の叙述だったようにも思える。走り書きの『縁を切ろう』という箇所は磯波自身の感情だったか、「磯波さん」の豪胆な物怖じしない性格のためであったか、よく分からない。
「冗談よ。そんな深刻な顔しないでよ」と彼女は立ち止まり言った。磯波は何だか安心すると笑いがこみ上げてきた。彼女も綺麗なつり目を細めて涼やかな笑みを浮かべた。確固とした事実のようなものを冗談と捉え直すことには、硬い扉をこじ開けたような解放された愉快さがあった。
今も磯波は夏と聞いても空疎な理解しか持たない。たとい、現在、赤い夕焼けに照らされた海の波打ち際で、足首をぬるく冷ましながら、友人と向かい合って笑い合うという「典型的な夏」を生きていたにしても、磯波の夏は空虚で概念的であった。
また自信がついたということもなかった。いまだに決断を迫られるとおどおどしてしまい、彼女を怒らせてしまうこともある。
磯波は空っぽの感じをいつも自分に持っていた。変わらない。何が変わったのかというと、以前の磯波ならば、それに嫌な感じを持っていたが、今の磯波はそうは思わず、むしろふわふわした無実体的な生き方を受け入れていることだ。
磯波は「磯波さん」から自信を教わったのではなく、自信のない自分を肯定することを教わったのだ。「磯波さん」はもういない。役目を果たしたから。いや、もしかしたら磯波こそが「磯波さん」になっているのかもしれない。
「磯波の夏は夏ではない」。それでいい。それこそ磯波の夏であった。空虚だが虚しいとは思わなかった。空のグラスがあってこそワインやビールやミルクが飲めるように、磯波の夏もカラフルな透明色だったのだ。
少し肌寒くなった。「さあ、帰りましょうか」と彼女は引き返した。磯波も反対せず素直に従った。やってきたときの足跡は既に波にさらわれ消えていた。再び砂浜に足跡をつけながら二人は帰っていく。そして、二人分の長い影が立ち去った後は、その足跡も柔らかい磯波に揉まれて静かに消えた。
おわり
前スレ
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