陸奥「女磨き」 (16)
潮の香りが流れ込む夕方前の鎮守府。
朝から仕事をしていた艦娘たちが夜組と交代する時間。
8時間(内、休憩1時間)×3で24時間を回していくわけだけど朝組は引き継ぎをするだけだから気が抜けちゃって、これからの予定を色々とおしゃべりしていたの。
私も今日は朝組(0800から1600まで)だったから、ちょっとお買い物をしようなんて考えていたの。
これが夜組だと時間が時間だからお買い物しづらいのよね。だってお昼を食べた後にお買い物をしたら、その後にすぐお仕事よ? ゆっくりしていられないわ。これってなんだか損した気分になるじゃない。
いっそ泊まり組くらい遅くの出勤だと気にならないんだけれど……でも、夜更しはお肌の天敵なのよね。お肌のケアしっかりしないと。
こういう時はふだん化粧っけのないあの娘たちがちょっと羨ましくなっちゃうわね。そういうの気にしなくてもいいんですもの。
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お化粧。そう……今日のお買い物では秋の新作リップを探そうと思うの。今年のトレンドはチョコリップ!落ち着きのある上品なチョコレートカラーがこれからの季節にピッタリだそうよ。
確かに葉っぱが鮮やかな赤や黄色に色づく秋にはあまり主張の強すぎる色は止めた方がいいかも。自然に溶け込む……というか。それに私の髪の色も茶色だし。
でも、あえてのローズリップもどうかしら?
赤系の色で唇を目立たせて、提督の視線は私の艶やかな唇にく・ぎ・づ・け! 我慢できなくてキスしたくなっちゃうかも!
もしそうなったら私、胸の火薬庫に火がつくどころじゃないかも。バーニング・ラブとはよく言ったものね、うふふふ……。
提督はチョコリップの上品な甘い唇とローズリップの情熱的な唇のどちらが好きかしら? それとも自然なピンクリップ?
あらあら。困ったわ。どれが良いか分からなくなってきたわね。
こういう時は本人に聞くのが一番よね? ちょうど提督も今日は朝組だしリップ選びにつき合ってもらおうかしら。
なんて思っていたら、向こうから白装束と軍帽をバッチリ着こなしている軍人さん……あらあら、提督じゃない。
会いに行こうとしたら提督の方から来てくれるなんて。もしかしてこれって運命?
………………あら? あらあら?? あらあらあら???
提督、一人じゃないみたい。提督の隣には、流れるような長い金色の髪と宝石のようにキラキラとした青い瞳をした女の人が……。
「来日して間もないだろうけど早くここに馴れてくれ。大丈夫。ここの皆は全員いい人だし優秀だから」
「優秀ね……貴方はどうかしら。私を扱うという、その意味を分かっていて?」
「もちろんだ。君があちらではとても名のある艦娘なのは知っている。だから俺も全力を尽くそう。俺の価値は君自身で見定めていってくれ」
「Gut……上出来よ」
女の人は満足そうに笑ったわ。すると提督も小さく笑うの。
提督はそのまま鎮守府の案内をするのか、新しく来た艦娘を連れて私の横を通り過ぎっていったの。
あら。あらあら。この陸奥を無視するなんて……あらあら!!!
私、なんだか急に腹が立ってきて提督の後を追って何か言ってやろうと振り返ったの。
すると私の瞳には並んで歩く白い男の軍人と灰色の女の軍人の背中が映ったの。
ああ……悔しいけど様になっている。付け入る隙がない。
ちょっと、いや……かなりショックね。
私、自分にけっこう自信があるのよ。提督に追いかけてもらえるように女磨きだって欠かさないし。
制服が制服だからウエストラインの維持はしっかりやっているし、手袋で隠れてしまっているけれど爪のケアだって忘れないわ。
それに提督の視線だって意識してどんなポーズをすれば自分を綺麗に魅せれるかだって研究しているのよ。
私の写真もそうなんだけど、こう……キュッと脇を閉めるの。そうすれば幅が狭まって自然と細く綺麗に見えて女性的でしょう? これ、お休みの日に旅行にいった時に泊まった宿の品のいい女将さんの姿勢で気がついたの。
でも、提督は私のこんな努力も知らずに新しくやってきた艦娘にご執心!! まったく失礼しちゃうわ!
私はそのまま一人で行きつけのコスメショップにお買い物に行ったのよ。
途中、道行く人が男女問わずに何人も私のことを見ると振り返ったわ。
私に向けられる羨望の眼差しで自分に自信が湧いてくる。私、やっぱり頑張っているわよねえ。
でも、ショップについた後も試し塗りをしながら色々と考えてしまうの。
私って本当に提督が追いかけてくれる程のいい女なのかしら……って。
提督って涼しげな顔の中に燃えるような情熱を秘めた瞳が印象的でとっても素敵なの。
態度だって固すぎるわけでもなく、かといって砕けすぎているわけでもない丁度いい塩梅。おかげでこっちも気後れしないで気軽に話しかけれるのよ。
そんな素敵で優しい提督だから提督のことが好きな艦娘はとっても多いのよ。しかも皆が皆とっても可愛いし美人。
だから、時たまどうしようもなく不安になる時があるわ。
本当はこんな風に悩まなくてもいい方法を知っているの。
火薬庫が湿気ってしまえば火は燃え上がらないでしょう? 答えは簡単。諦めてしまうこと。
どこか冷めた気持ちで提督と他の艦娘の恋愛を劇でも見るように、観客席で眺めているの。
この胸に抱く想いを固くしまいこんで……そうして提督にとって「特別意識はしないけれど大切な部下である艦娘の一人」に収まってしまえばいいの。
でも、そんなのはイヤ!
私、諦める気なんてちっとも無いわ! 皆の中の一人なんてまっぴらゴメンよ!
提督にとって特別な存在でいたいし、提督には私だけを見ていて欲しいもの。
だから今もこうしてリップを塗って、最高の自分を探しているんじゃない。
うーん……チョコ、ローズ、ピンク……あっ、夕陽のイメージのオレンジ。これもいいかもしれないわ!
ホントどのリップにすればいいか迷ってしまうわね。手にとったリップのひとつを塗って、鏡を見た後についつい自分の唇を提督に見せるように右隣を向いてしまうの。
あらあら……すっかり癖になっちゃってる。それだけ提督と一緒にこのお店でデートしたということかしら。
結局リップはめぼしい色をいくつか買ってお店を出たわ。うぅ……分かっていたけどけっこうな出費をしてしまったわ。
それにやっぱり見てくれる提督がいないと私の方も選びがいがないわね。
目的のものは買えたはずなのに何処か満足感のない不完全燃焼気味。これも提督がきちんと付き合ってくれないからいけないのよ。
宿舎に続く街灯が灯る夜の並木道でそんな風に愚痴をこぼしながら歩いていると「あれっ、陸奥じゃないか」……って今になって提督が現れたの。
提督は帰る途中だったみたいで真っ白な清潔な軍服じゃなくて私服姿。
「あら、提督……今からお帰り? もう新しい艦娘の案内はならさなくていいの?」
本当は会えて嬉しくてたまらないはずなのに、私を無視されたことが悔しくてちょっと刺のある言い方をしてしまったの。私をヤキモキさせたんだから、これくらいはね?
でも、提督は私の言葉の刺なんて気づかないのか……「ん? ああ、案内している内にうちの艦娘の実力を知りたい、なんて言い出してね。軽い模擬戦をさせたんだ。なかなか見物だったよ」と特に変わらず普通に返すの。
少しくらいは慌ててくれたっていいのに残念……ただね、その後に提督ったら「おかげで夕食がまだだけど」って言いながらお腹をさすったの。
そのちょっぴり情けない顔が普段の提督とは違ってなんだか可愛らしくて私、ウキウキしてきちゃったわ。
「あらあら、それなら丁度いいわ。提督、一緒に夕食に行きましょうよ」
私はすかさず提督の側へいくと腕をとって組んだの。提督は一瞬、驚いたような顔をしたけれど直ぐに優しく微笑んで一緒に歩きだしてくれたわ。
「それで提督、何処でご馳走なさってくれるの?」
「そうだな……って、俺が奢るのか!?」
「あら? 鎮守府を束ねる提督殿には部下を労う甲斐性はないのかしら?」
「そういう言い方ズルいなあ…………皆には内緒で頼むよ」
「うふふ……もちろんよ。私とあなたの二人だけのひ・み・つ」
並木道を寄り添いながら歩く二人は恋人のようでとってもロマンチックで……すると提督は私がコスメショップで買ったリップの入った紙袋に気づいたの。
「何を買ったんだ?」
「ないしょ♪ ただ明日の私にはちょっぴり期待していていいわよ!」
ねえ、提督……私、もっと綺麗になるわね。たくさんたくさん女を磨いて、あなたが他の娘たちに目移りなんか出来なくて、私のことしか見えなくなったその時には…………期待しているわよ?
私を本気にさせたからには覚悟してね♪ 必ずおとしてみせるんだから!
fin
仕事いってきます
帰ってきたらHTML依頼しときます
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