男「宇宙人に会った」 (18)
彼女は川原に立っていた。
そばにはセロハンと色とりどりの画用紙で組み立てた、UFOが一台。
煙を吐き出して、小学生の工作のような船体を汚していた。
俺は関わりあいたくないのに、彼女の方を見た。
頭が痛くなるような真っ白な服は、なにかの作業着のようだ。
銀色の長い髪が、風でフワフワ揺れていた。
「こんにちは」
彼女は俺を見て、俺に語りかけた。
逃げれば良かったものを、俺は懐かしい人を見るように彼女を見た。
空はまだ日がのぼっておらず、辺りを青白く染めている。
彼女は当たり前のように、俺のそばに歩いてきた。
「帰りましょう、あなたの家に」
にこりともせず、冷たい目のまま彼女は俺の隣にきた。
俺はなにも喋れなかったので、ただ彼女を受け入れた。
今の俺には、彼女は天使にも悪魔にも見えた。
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ひんやりと冷たいフローリングに、足を下ろす。
素足でぺたぺたと歩く俺は、彼女を連れて自宅に帰ってきていた。
そういえば、彼女は靴を脱いだのだろうか。
見てみると、白い華奢な足が作業服の下にのぞいている。
そっと振り返ると、玄関には真っ白な靴が並べられていた。
「まずは、甘いコーヒーを飲みましょう。
そして、ゆっくり布団で寝てください」
「その前に、一応聞かせてください。
あなたはなんなんですか?」
「私は宇宙人です。惑星D375と呼ばれている星から来ました」
「聞いたこともないですね」
「B612の王子のことはご存じでしょう。
私はあの方とお話ししたことがあります」
「そうですか。それは羨ましい」
俺はヘラヘラ笑いながら彼女を見た。
彼女は宇宙人らしく、感情を一切感じさせなかった。
このまま会話をしてもよかったのだが、俺はとても疲れていたので、彼女の指示に従ってコーヒーを飲んだ。
「コーヒーは、眠れなくなる飲み物なんですよ」
「でも、あなたが好きな飲み物でしょう」
砂糖とミルクをたっぷり入れて、甘ったるくなったコーヒーをゆっくりと飲み干した。
ブラウンのなめらかな長座布団を布団として使っていたので、いつも通り足を思いっきりはみ出させながら、俺は枕に頭を預けた。
「おやすみなさい」
すぐ隣から人の声が響く。
いや、今のところ人かどうかも分からない。
けれど、俺はぼんやりと目を閉じた。
コーヒーが夢のふちで、俺を現実に引き戻すのを諦めたようだった。
次の日、目を覚ました俺は隣でたたずむ彼女の姿を見つけた。
微かにさしこむ朝日の光を受けて、彼女の髪はキラキラと輝いていた。
俺は少し見とれていたのだろうか。
視線に気がつき、彼女は俺に言った。
「朝日が綺麗ですよ」
重い体を座布団の上でひねり、俺も窓の外を見た。
見るはずのなかった太陽がキラキラと輝いている。
俺は馬鹿馬鹿しいと思った。
「太陽なんかどうでもいいじゃないですか。
あんなの燃えてるだけですよ」
「でも、あなたは朝日が好きでしょう」
俺はなにも言い返せなかった。
もうそろそろ仕事の時間だ。
俺は朝食の準備を始めることにした。
「今日は休んだらどうですか?」
「きっと、今日休んだら二度と行こうと思えなくなります」
一応、器を二人分用意して、一応飯を盛り付けた。
驚くことに彼女は食事を始めた。
空になった器を左手に、俺は自分の腹をじっと見る。
今の俺には、なにもわからなかった。
「行ってらっしゃい」
俺を見送る彼女に微笑みなはない。
なのに俺は酷く安心して、自分が情けなくなった。
職場から支給された透明なビニールのカバンの中身は、今日もぐちゃぐちゃだった。
俺がたどり着いたスーパーの中は、じんわりと蒸し暑く、来店した客が文句をつけるほどだった。
空調の設備はあるものの、社員は金をけちり、しわ寄せは俺みたいな下っぱに回ってくる。
だからどうしたと言うわけでもない、いつもの日常だ。
俺はこの年になっても定職につかず、スーパーでレジ打ちと品出しを続けていた。
「いらっしゃいませ」
今日も店の中は灰色で、商品の色鮮やかなパッケージは、色を生ぬるい湿気に溶かしてしまったようだ。
客はこの店にそれほどの期待はしてない。
俺も、なにも期待などしていない。
ただ俺は時間をやり過ごし、生きていくために金を稼ぐだけだった。
「ポイントカードはお持ちでしょうか?」
何度繰り返したか分からない言葉は、昨日と代わらず温度がなかった。
なにもかも、昨日と今日に差はなかった。
どうせ、世界なんてこんなものだ。
俺がなにを思おうと、なにをしようと、視界に映るものはうすぼけた灰色で、なにも代わり映えはしなかった。
所詮、俺はなにも望んではいないのだけど。
家の扉の下の鍵を開けて、上の鍵穴にも鍵を差し込んで回した。
別に盗られたくないものがあるわけでもないのに、俺は習慣で鍵を二つかける。
そして、雨の日なんかはその使い勝手の悪さにイライラしながら、二つの鍵を開けていた。
扉を開けると、今朝と同じ姿で彼女が俺を出迎えた。
「おかえりなさい」
何年ぶりかに聞いた言葉に、俺は妙な感情を覚える。
嬉しいのか、それとも馬鹿馬鹿しいのか。
俺は分かりたくなかった。
「まさか、まだいるとは思いませんでしたよ」
目に映るものは、相変わらず灰色だ。
なのに、彼女の白さだけは、その中で一際輝いていた。
「私はあなたを一人にしたくないんです」
彼女の下らない言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。
一人にしたくないだって?
「僕は今でも一人ですよ」
彼女はなにも答えず、俺を奥へ先導した。
五千円で買った、小さなプラスチックのテーブルに野菜炒めが乗っている。
ふと気がつくと、荒れ放題だった部屋の中も綺麗に片付けられているようだ。
なんて準備のいいことだろう。
俺は笑うしかなかった。
「どうぞ。召し上がって下さい」
言われなくても俺は炊飯器から米をよそって、野菜炒めに箸をつけた。
向かいで彼女も野菜炒めを食べ始めた。
なんでもない料理のはずなのに、身に覚えのない味付けで、俺はイライラした。
「出来るだけ早くいなくなって下さい」
風呂上がりにハンドタオルを頭に巻いて、俺はそのまま座布団に寝転んだ。
髪を乾かすのは明日でいい。
そう言えば、彼女はどこで寝ているのだろう。
壁の方に目をやると、彼女は壁に背を預けて外を見ていた。
俺も窓の外を見ると、月がぽっかりと浮かび、夜空に丸い穴が空いたようだった。
俺は彼女に布団も貸さないまま、重たいまぶたをそっと閉じた。
明日も俺はバイトだった。
彼女はいつまでウチにいるつもりなのだろう。
そう言えば、あのUFOはどうなったのだろうか。
彼女に見送られた俺は、何気なく川原に足を運んだ。
だが、そこにはもうなにもなかった。
誰かが処分したのか、最初からなにもなかったのか、俺にはどうでもいいことだった。
少し遠回りになった道をだらだらと歩きながら、俺はバイト先へと向かった。
「おはよう」
パートのおばちゃんが、俺にいつも通りの笑顔を向ける。
俺もいつも通り笑った。
「おはようございます。今日も暑いですね」
「そうねー。食中毒には気を付けなさいよ。
今の季節、なんでも腐っちゃうから」
「はい」
会話はそれで終わる。
特に変わらない日常の中で、俺はまたねずみ色の世界を見ていた。
あそこにいるカップルには、この世界は色鮮やかに見えるのだろうか。
あっちで走り回ってる子供の親は、ママ友とのお喋りが楽しくて仕方ないのだろうか。
俺は、ただ羨ましいなと思った。
「袋の代金、五円頂きます」
袋もお金がかかるの?と客は渋い顔を作る。
俺は心底申し訳なさそうに頭を下げた。
こうして謝っている時間が、一番生きている実感があった。
情けない人生だ。
また、鍵を二つ開けて玄関で靴を脱ぐ。
出迎えた彼女は、やっぱり真っ白だった。
「ご飯が出来てますよ」
いつの隙に用意したのだろう。
しかし、そんなことはどうでもいい。
俺は親子丼を平らげた。
味はうまくもなく、まずくもなく、とてもどうでもよかった。
「あまりちゃんとしたものを作らないでくれますかね。お金がないんですよ。
言っても無駄だろうけれど」
彼女はなにも答えず、甘ったるいコーヒーを差し出した。
俺はぼんやりとそれを飲みながら、彼女の赤い唇を見た。
口紅でも塗っているのか、白い肌に差し色のような赤さがくっきりと浮かんでいた。
キスでもしてみようかと思い、俺は彼女を捕まえた。
しかし、顔は変わらず無表情のままで、俺は馬鹿馬鹿しくなって手を離した。
彼女は何事もなかったかのように、窓の外を眺めていた。
次の日、早くに目を覚ますと彼女は昨日と同じ姿勢で、壁に体を預けて空を見ていた。
「眠ってないんですか?」
「眠りたくないんです。寝たら、あなたがいなくなってしまうから」
大げさな返事はなにを意図したものか分からない。
俺がいなくなれば自分も消えてしまうから、心配しているのだろうか。
「身勝手な人ですね。もうそろそろいいでしょう。
出ていって下さい」
この会話になにも意味などない。
彼女は戻ろうと思えば、いつでも俺の前に現れることができるのだ。
しかし、彼女は丁寧に頭を振った。
「いい加減にして下さい。迷惑です」
「私は、あなたを一人にしたくありません」
「言ったでしょう?僕は今でも一人ですよ。
今までも、これからも僕は一人です」
「いいえ。あなたが孤独になったから、私は来ました」
「はい?」
「あなたはご両親に愛されていました」
この何日かで、彼女は俺の心の隙間に潜り込んでいた。
そのことに今更気がついて、俺は彼女を睨み付けた。
「アンタになにが分かるんですか。
それとも全てお見通しなんですかね、やっぱり」
「いいえ。しかし、これだけは言えます。
お父様やお母様や妹さんに、あなたは愛されていました」
「……バカなことを言わないでください。
僕だけ生きているからですか?
それを愛と言うなら、そうなのでしょうね」
「違います。あなたは本当に愛されていた」
「ふざけるなよ。しつこいんだよアンタは。
俺の父親は家族を殺したんだぞ。
俺だけを残して、みんな死んだ。
父親も死んだ。生き残ってるから俺は愛されてなきゃいけないのか?」
「そうです」
「なにをバカな……」
「しかし、今はあなたは孤独です。だから、私は会いに来ました」
どこかのアホなオウムのように、彼女は下らない言葉を繰り返した。
あの馬鹿げた鳥の方がまだマシかもしれない。
あの鳥は言葉の意味を理解せず喋りまくっているだけだろう。
俺はにやけながら、核心をついた。
「アンタは俺の見てる幻覚なんだぞ。
なのに、なんで俺の意思に反したことを言うのかね」
「確かに私は幻かもしれません。
あなたも、私が見ている幻かもしれません」
「へへっ、ならさっさと俺を消し去ってくださいよ。
これ以上、俺を苦しめてどうしたいんです?」
「あなたとずっと一緒にいたい」
「俺は幻覚と話す毎日はごめんだ」
「大丈夫です。私はもうすぐ居なくなります。
あなたに会うことは二度とないでしょう」
面食らった俺に、彼女はぽつりと語りだした。
「私は、昔は頭が良かった。
服装にも気を使って、今より綺麗だった。
だけど、私は人間じゃなかった」
太陽の光を全てはねかえし、まぶしく輝く彼女を前に、俺はかすかなめまいを感じた。
彼女はそのまま昔話を始めた。
「私は両親に愛されていました。
望むものはだいたい手に入ったし、特に不満はなかった。
なのに、とてもむなしくなったんです。
なぜ生きているのか、私には分からなかった」
なぜ、俺はこんな幻の女の話なんかを真剣に聞いているのだろう。
本当に馬鹿馬鹿しい。
「私は生きている刺激を求めて、犯罪を繰り返しました。
だけど、自分を傷つけている内はまだ良かった。
私は欲しくもないお金を盗むために人を刺したんです。
その人は死にました」
無表情な仮面はピクリとも動かず、俺の方が辛くなってしまい、視線を窓に移した。
ガラスには小さな虫がまとわりつき、ごちゃごちゃと動き回っていた。
「私は何年もかけて自分のバカさに気づき、何年もかけて更正しました。
やっと両親に謝れるはずだった。
ですが、私の刺した相手の遺族が私の両親を襲いました。
母は死に、父は未だに目を覚ましません。
私は、その遺族に私こそ殺されるべきだと思った」
「じゃあ、なんでウチにいるんです?」
「私はあなたにも恨まれなくちゃいけない。
きっとあなたは覚えていないでしょうが、私は昔に両親と地球に遊びに来たことがあります。
その時に、私はあなたと会った」
「まさか……二十年前のことか?」
「ええ」
「……この野郎!!」
俺は彼女の胸ぐらをつかみ、力一杯壁に押し付けた。
「あのとき両親は離婚寸前だった!
俺が宇宙人に会ったなんて言わなければ、二人は別れてたんだ!
そのまま何年もいがみ合って、妹まで巻き込まれることもなかった!
妹まで死ぬことは無かったんだ……!」
彼女はなにも答えずに目を伏せた。
初めて表情を見た気がした。
「俺は今更恨みなんて抱えたくなかった……!
なんで会いに来やがった!」
「……あなたが死んでしまいそうだったからです。
私はあなたを死なせたくない」
「ふざけるな!」
俺は彼女を殴り付けた。
それと同時に手が小刻みに震え出す。
自分の姿と、父親の姿が被った。
「申し訳ありませんが、私はあなたに殺される訳にはいきません。
それに、私はそろそろ行かなくてはいけません」
「……」
「さようなら。
最後にあなたと会えて良かった」
彼女は震える俺を取り残し、鍵を開けて外に出た。
外からはなにかの機械の作動音が聞こえて、すぐに消えた。
俺は、宇宙人に会ったのかもしれなかった。
何日かバイトを休んだ俺は、ふとそんなバカなことを思った。
食に興味のない俺は、彼女が作った料理の味すら思い出せない。
彼女がこの部屋にいたという痕跡はなにも残っていなかった。
五歳の頃に、彼女に会ったと言う記憶もあやふやだ。
きっと全て幻だったのだろう。
なのに、俺はずっと泣き続けた。
妹の骨を見た時ですら泣けなかったのに、俺はこんな下らないことで涙を流し続けた。
今、生きてるかどうかすら分からない。
泣いて泣いて泣きつかれた俺は、寝心地の悪い座布団で寝た。
ふと気がつくと、部屋の中は真っ暗で、俺は耐えられなくて電気をつけた。
照らされた部屋に、あの白い作業着は見当たらない。
俺にどうしろと言うのだろう。
俺はまた泣いた。
しかし、いつまでもバイトを休んでいる訳にはいかなかった。
数日後、俺はぼんやりしたままスーパーへ向かった。
「おはようございます」
いつも通りに笑う俺を、パートのおばちゃん達は驚いたような顔をして取り囲んだ。
「一体なにがあったの?こんなに何日も休むなんて」
「具合が悪いんなら、無理せず言ってね。
ちょっとぐらい休憩してても大丈夫よ」
なんで、こんなに優しい言葉をかけてくれるのだろう。
俺にはそんな価値はないのに。
気がつくと俺はまた泣いていた。
喋れないほど泣く俺を、仕事が始まってるのにパートの人たちは気にかけてくれた。
俺はやっと日常に戻ってきた気がして、しばらく泣き続けていた。
アパートに帰った俺は、おばちゃんから貰ったカップ麺を作って食べた。
部屋はとても静かだ。テレビさえこの部屋にはない。
俺は塗装が剥げて、ボタンが取れかかった携帯を取り出した。
このご時世に二つ折りの携帯を持ち歩く俺は、その携帯に保存された写真をいつか見ようと思っていた。
そしてフォルダを選び、ある写真を震える手で開いた。
そこには、妹が楽しそうにわたあめを食べている姿が写し出されていた。
誕生日ケーキのろうそくを吹き消している姿も残っていた。
俺はまた泣いて、携帯を閉じた。
ふっと、鍵を一つしか閉めていないことに気がついたが、そんなことはもうどうでも良かった。
ー終わりー
普段こういった内容のものは恥ずかしいので書かないんですが、なんとなく書いてみました。
勇者「ゴキブリ勇者」
三代目「ナルトはお前に任せる」
というのも書いたことがあります。
良かったらどうぞ。
あとdoradorayaki616というアカウントでツイッターやってます。
良かった話しかけて下さい。
読んでいただき本当にありがとうございました!
レスありがとうございます!
家出中というか、新しい家を見つけました。
母ともある程度和解して、実家と新居の両方でぼんやり過ごしてます。
心配かけてすいません。
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