岡崎泰葉「あの日の手紙と私と未来」 (32)
自分の家の最寄駅よりも、事務所の最寄駅の名前を告げるアナウンスのほうがほっとするような気持ちを感じるようになったのはいつごろからだったのかな。
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目深にかぶった帽子を目元のほうへ引き下げながら、マスクの下で口元が綻んでしまうのを感じた。
勿論、自分の家が落ち着かないというわけではない。
むしろ今の事務所へ入り、アイドルとしての活動を始めるようになってからは家族と仕事の話やプロデューサーの話、同じ事務所に所属するアイドルたちの話をできるようになった。
家が、あたたかくなったような気がする。
仕事の合間、勉学の合間に寝るための場所というような認識などとうに忘れてしまったくらいで。
「△△ー、△△です…●●線お乗換えの方は……」
いけない。
考え事をして電車を降り損ねてしまっては本末転倒、打ち合わせに遅れてしまう。
制服に身を包んだ泰葉は、教科書と台本の入ったかばんをぎゅっと握りしめて足早にホームへ降り立った。
相変わらず混んでいるこの駅。
この狭苦しい場所を行き来する人の中で、いったいどれくらいの人が自分のことを知っているんだろう。
かつての「子役・岡崎泰葉」だったら、このような人の波のなかできっと迷ってしまっていた。
怖がっていた。
大人の目を、テレビを、雑誌を怖がって、いつもマネージャーの理想の自分でいようとして……そのせいでお仕事がどんどん減っていったであろうことも、今ではわかる。
けれどあの当時はそんなふうには考えられなかった。
――…私が駄目だから。だからお仕事が来ないんだ。私はちいさい頃からこの光り輝く世界に……ううん、この薄汚れた厳しい暗闇に慣れているはずなのに。お母さん、お父さん、マネージャー、ごめんなさい…――
そんなことを考えては自分で自分の首を絞めるように生きていた。
そうしてまた、着せられた衣装のまま立った舞台で出会ったのが、今のプロデューサーさんだった。
懐かしいな。
その当時まだ新人だったプロデューサーさん。
いまでもそのときから3年ほどしか経っていないのだから、まだ新人と言われてもおかしくないのだけれど。
当時プロデューサーさんがプロデュースしていたアイドルに無残にも負けた私の手を握って、「どうか俺の事務所に来てくれ!君をもっと輝かせてみせるから!」だなんて。
けれど、そんな必死な表情で私の目をまっすぐに見つめてきた大人になんて初めて出会った私は、いとも簡単に事務所の移籍を許してしまった。
「そんなうまい話はない」
「もうあなたなんて先が見えてるのに」
「いっそ芸能界なんてやめて……」
前のマネージャーはぐさりぐさりと鋭い言葉を投げつけてきたけれど、そのナイフを掻き消すようになかば無理やり事務所の扉から逃げ出した。
『プロデューサーも私を信じてくれますか?』
この人ならきっと、私を輝かせてくれる。
そんな理由のない確信があった。未来を信じたかった。
だから私はプロデューサーさんを信じたのだ。
同じように、プロデューサーさんも私を信じてくれたら、という希望を込めて、手を握り返した。
昔の事を思い返しながら道を歩いていたら、いつの間にか事務所の前まで着いていた。
大きな自動ドアを抜けて、エレベーターに乗る。
今日は次のドラマの打ち合わせ……もう、プロデューサーさんは来ているだろうか。
主演の周子さんも来ているかもしれない。
私には学校があるのだから仕方ないとはいえ、誰かが事務所で待っているという状況にはまだ慣れていない。
いつものように扉を開ける。プロデューサーさんの淹れた珈琲の香りが鼻腔を擽って、
「泰葉!おめでとう!」
「きゃっ!?」
パンッと鳴り響くクラッカーの音。私の髪の毛に、クラッカーから飛んできて紙が引っ掛かる。
「なんだ、プロデューサーさん……驚かせないでください。というか、おめでとうって……何かありましたか」
総選挙の結果はとうに出ているし……それで祝うべくはむしろ周子さんのほうだろう。
誕生日はまだ2か月ちかく先だ。
何かお仕事が決まったくらいならば、こんなふうな祝われ方はしないだろうし……。
「何かって……泰葉のデビュー日だぞ!デビュー日!今日は5月14日なんだから」
「……?私がモデルデビューしたのは冬ですし、ドラマに出たのも夏でしたよ」
「違う、違うって。俺が泰葉をスカウトして、うちの事務所に入って、それでうちの事務所のアイドルとして初めて舞台に立った日が今日、5月14日だ」
「そんな……デビューというほどのことではないんじゃないでしょうか。そもそも私自身はまったく覚えていなかったし…祝われていいものか、ちょっと戸惑っていますよ」
「だろ?じゃあ俺から見た泰葉のことも知ってくれ。記念すべき日なんだ」
「はあ……わかりました。素直に祝われることにします。ありがとうございます、プロデューサーさん」
「そうそう、それでいいんだよ……っと。渡さなきゃいけないものが、いくつかあるんだ」
「ん?なんですか」
「えーと、まずはこれ。ケーキ。チョコケーキな。すまん、予約とか出来てなかったから小さいやつだけど…ちゃんとプレートもつけてもらったぞ」
「えっと…ってこれ、おたんじょうびおめでとうのプレートじゃないですか。まだ2か月先ですよ」
「細かいことは気にするな!いいんだ、俺のアイドル岡崎泰葉の誕生した日なんだから間違ってない!」
「ふふ、わかりました。でもプロデューサーさんのアイドルじゃなく、ファンのみなさんのアイドルです」
「はあ、泰葉は手厳しいな……っと。一番大事なもの渡さなきゃな。ほい、これ」
「ん……?これ、なんですか?」
「ファンレター。デビューおめでとうっていう、ファンレター」
「ファンの方からですか?差出人は……って、裏に書いてあるのプロデューサーさんの名前じゃないですか」
「そう。差出人は俺。俺からのファンレター」
「プロデューサーなのに、"ファン"レターですか……ふふっ」
「俺は泰葉の最初のファンだからな」
「でも、水を差すようで悪いですけれどモデル時代からのファンの方だっていらっしゃいますよ」
「モデル時代は、確かにな。でも俺は、泰葉のプロデューサーになるより先に、泰葉のファンになったんだ。それで、俺がアイドルとして輝かせてやりたかった。だから、"アイドル・岡崎泰葉"の最初のファンは、俺。ってこれ手紙にも書いたのに言っちまったよ」
「最初の、ファン……」
あの日を思い出す。プロデューサーさんの目を、握られた手の強さを、思い出す。
「プロデューサーでこんなこと言うのはアウトかもしれないし、そもそもこんなんだから未だにヒヨっ子扱いなのかもしれないけど……俺は誰よりも泰葉のファンだって自負してるよ。だからこそ、あの日泰葉を必死にスカウトしたんだ。あのときの俺はプロデューサーよりむしろ、一目惚れしたファンみたいなもんで……あ、一目惚れって変な意味じゃないぞ」
「大丈夫です。わかっていますから。懐かしいですね、あのときのプロデューサーさんの必死な顔……もうあのとき以来、あんな必死な表情は見ていないんじゃないかってくらいで。ふふっ」
「あー、それ言われると何だかむず痒いもんがあるな……」
「意地悪言ってごめんなさい。このファンレター……大事にします」
「……おー。最初のファンからの手紙だぞ。きっとお守りになる」
「お守り……そうですね。私、モデル時代にはじめて頂いたファンレターもちゃんと取ってありますよ」
「へー!どんなこと書いてたんだ、それには」
「といってもまだ子どもでしたから……覚えられるくらいのものですよ。“やすはちゃん はじめててがみをかきます おしごと おつかれさま! これからも おうえん しています”って。全部、ひらがなのファンレター」
そう、だ。
私はモデルをしていた頃、大事にしまったファンレターをよく読んでいた。
どうして忘れていたんだろう。
仕事で疲れたとき、お仕事がうまくいかなかったとき。お手紙を読んでは、頑張ろうって思い直していて。
なんだかこんな話、未央ちゃんがしていたっけ。
ファンからもらったアンケートで、自分の道が間違ってなかったって思えたって……。
「ん?泰葉、どうかしたか?」
「あ、いえ……少し、昔を思い出していて。プロデューサーさんからファンレターを頂いて、いろんなことを思い出しました」
初めの頃は、ファンレターで頑張ろうって思えていたんだ。
けれど、その数が減って…ときどき、酷いことを書かれたものも混ざり込んでいた。
マネージャーが取り除き忘れたのだろうから、きっと本当はもっとたくさんあったはず。
そうした頃から、あんまりファンレターを読まなくなって。
机の引き出しに押し込んで……記憶と一緒に。
「このファンレターは、家に帰ったらじっくり読ませていただきます。暗記するくらいに」
「やめてくれよー、昨日酒飲みながら書いたモンだし……いや、別に酔っぱらった勢いとかじゃないんだけど。恥ずかしくてさ、ちょっとだけ」
「はい。わかりました。大事にします」
今日帰ったら、久しぶりに引き出しをあけてみよう。
アイドルとしてデビューした私の大切な記念日に、かつての私と会ってみたくなった。
ちいさい私は、今の私を見てどう思うだろう。
こんなに未来を信じている私は、輝いて見えるだろうか。
「プロデューサーさん。ひとつ、聞きたいことがあるんです」
「おー。どうした?」
「……プロデューサーも、私を信じてくれますか?」
「……はは。当たり前だろ?泰葉は俺のプロデュースする、最高のアイドルなんだからな!」
終
短いですが終わります。
初めてのSSで緊張しておりましたが、
無事に泰葉のデレマス初登場日を当日中に祝えて良かったです。
読んで頂き、ありがとうございました。
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