透華「タイが曲がっていてよ」 (154)

咲「えっ…」


今日も普段通りに登校し、普段通りに授業を受け、普段通りに放課後は図書室へ向かうだろう。

そんな日常が繰り返されていき、いずれこの学び舎を去る日が来るのだ。

咲は学校へ向かう通学路で無意識にそう考えていた。


校門をくぐり、校舎へ向かう途中にあるマリア像に祈りを捧げる事も、

この学園に通う者にとっては普段通りの行為であるし、

咲自身も普段通りの日常を無意識に過ごしているに過ぎなかった…。

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龍門淵透華はこの学園の生徒会を担う一員である。

人目を引くブロンズの髪を煌めかせ校内を歩く姿は壮麗であり、

未だ2年生ながらにして纏うその気高さに、心を奪われる学園生は多かった。


特に下級生には大変な人気を博しており、

咲の少ない級友の間にもその評判知れ渡っており、



事実、咲も心を奪われた生徒の中のひとりだった。

透華「タイがまがっていてよ。身嗜みはいつもきちんとなさい」

透華の腕がおもむろに伸び、咲の制服の歪みを直す。

透華「まったく、マリア様がみていらっしゃるわよ」

透華「では、ごきげんよう」

事を済ますと、透華は校舎へと向かい歩いていく。



咲は、何が起きたのか理解するのに時間がかかった。






一瞬の間を置き、状況を把握した咲は慌てて口を開く。

咲「あっ…ご、ごきげんよう!」

咲「あ、ありがとうございます!」



透華はこちらを一瞥したが何も言わず、ただ笑みを浮かべた。



あぁ、あれがこの学園を束ねる生徒会の一人。

紅薔薇様の妹である龍門淵透華様なのだ。







この学園の生徒会は、毎年、生徒間投票で三人が選抜される。

彼女らは薔薇様と呼ばれ、学園中の生徒を惹きつけてやまない。


紅色の薔薇には弘世菫。

黄色の薔薇に竹井久。

白色の薔薇である獅子原爽。


そして菫の妹である透華は、現在姉の補佐として生徒会に所属しており、

来年の紅薔薇候補の筆頭である彼女は、

紅薔薇のつぼみと呼ばれていた。

透華は焦っていた。


菫「なあ透華、黄薔薇のつぼみは既に妹を生徒会に連れてきているし、白薔薇は一年生を妹にしている。」

菫「姉としては急かすつもりはないが、紅薔薇としては、早く孫の顔を見たいところなんだがな。」

爽「そうだぞ〜さっさと見つけちゃえよ透華。お前なら選り取り見取りだろ?」


毎日生徒会でこのように煽られているの
にも関わらず、透華は
自分の妹の事など皆目見当もつかなかったからだ。


誠子「爽様の言う通り、透華なら下級生を入れ食いだろ?まあでも、そんな決め方は良くないか」

淡「そうだよ!姉妹の契りを結ぶなら、許嫁の私とセーコみたいに運命的で繋がりがないとふさわしくないよっ!」

誠子「なにが許嫁だ、ただの幼なじみだろうが」

淡「ひどーい!セーコは私と喧嘩してる時、釣りにもろくに集中出来なくなるくせにっ!」



…もし私に妹が出来たら、あのように他愛もない言い争いが出来る、そんな近しい関係になれるのだろうか。

まるで想像がつかなかった。

透華は焦っていた。



憧「私ってば、あんたのことを見誤っていたみたいね」


咲が教室に入ると中等部からの付き合いである新子憧が声をかけてきた。


憧「まさか私の知らぬ間に、透華様に取り入っているなんて!まっ、新聞部としてはありがたいんだけどねー」


そういって憧が手渡してきた写真には、咲のネクタイを正す透華の姿が写っていた。


咲の一番の友であり、クラスメイトである憧は、この学園の新聞部に属している。


新聞部にとって、生徒会に関する記事は、学園中の関心を集める格好のネタなのだ。


咲「違うよ憧ちゃん!透華様は、ただ私の服装の乱れを注意してくださっただけなの」


咲「ただ、それだけなんだから…」



憧から受けとった写真を眺めた今、あの出来事が現実なのだと、咲は改めて実感する。


心の中でお慕いしているだけだった透華様に、あの時確かに声をかけて頂いたのだ。



憧「ふーん。あの紅薔薇のつぼみ様が、見知らぬ下級生にわざわざ注意するなんてねえ…」


憧ちゃんが怪訝そうな表情を浮かべている。いやな予感がする。


憧「そうだっ!放課後に生徒会へ行きましょ!」


予想の斜め上をいく憧の提案に咲は戸惑いを隠せない。


咲「えっ!まずいよ憧ちゃん!生徒会の方々は今文化祭の準備で忙しいんだよ!」


憧「いいじゃない、たいして時間は取らせないわよ。それにウチの部はあまり評判良くないから、ちゃんと瓦版に載せる許可を貰わないとね」


新聞部は、「少女が一番輝く時期である青春時代を切り取って残しておきたい」という信念をモットーに活動しているためか、

その過激な取材方法に対して悪評が広まっていた。



そして生徒会室とは選ばれし者たちが学園の行事などを執り行ういわば聖域であり、咲の様な一般生徒では、教師からの言伝を報告する時でさえ、


訪問をためらう場所だ。


その場所に、新聞部を連れた最下級生が訪れるなど、想像しただけで肝が冷える。


憧「だからわざわざ許可を取りに行くんじゃない。咲だって、憧れの透華様とお近づきになれるチャンスかもよ」


憧「それにこんな特ダネ、新聞部の期待のホープとして、見過ごせるはず無いもの」












憧は軽やかな足取りで生徒会室へと向かう。


咲は必死に憧を止めようとするが、憧はそれを軽くあしらう。


咲「憧ちゃん!待ってよ!やっぱり迷惑だよ!」


憧「もう、相変わらず小心者ね。咲は毅然とした態度で臨めばいいの。そして開口一番こう言うのよ」


憧「『やっぱり遊びだったんですか!あの時のあの言葉は嘘だったんですか!?』ってねー」


咲「そんな事言ったら洒落にならないよー!」


そんなやり取りをしているうちに、気づけば生徒会室を前にする二人。


憧「まあ冗談はさておき、写真の使用許可を貰うだけだから。嫌そうな顔されたらさっさと諦めて、すぐ帰るわよ」


少し惜しいけどね。憧はそういって生徒会室の扉をノックしようと手を伸ばす。



その時。



憧の手が触れる前に、扉は内側からふいに開いた。

久「まあ透華は家柄も並ではないし、妹探しに難儀することも無理ないわ」


久「上級生ですら気後れするもの。菫みたいに無鉄砲な人が居なかったら、姉すら出来ていなかったかもね」


焦燥る透華の様子を察してか、追い打ちをかける久。


菫「待て久、無鉄砲とは聞き捨てならんな。ただ私は、透華が妹にふさわしいと思ったから選んだまでだ」


菫は不服そうに否定する。


久「やけにムキになるわね。まあ、きっかけ何て些細なことだとは思うけどね」


久「そんなことより透華、例の件。忘れたとは言わせないわよ?」



毎年近隣の男子校と合同で行われる文化祭。そこで催される演劇に、透華はヒロインとして抜擢されていた。


主役にはその男子校の生徒会長である萩原が務めることとなっている。



久「あなたにとってはいい機会じゃない。いくら女子校で過ごしてきたとはいえ、その男性嫌いは異常だわ」


久「あなた達は見知った仲らしいし、適任だと思うけど。」


吊り上りそうになる口角を必死に抑え、久はさらに捲し立てる。


久「もう季節は秋を迎えているのよ。この時期に妹が出来ない二年生に、発言権なんて無いわよね」

追いつめられた透華は、すかさず反論する。


透華「久様。それに皆様方。私は既に妹となる者を見定めておりますわ!」



生徒会のメンバーが目を丸くしてこちらを見る。当然だ。私は普段、人前で語尾を荒げたりはしない。



透華「いまからこちらへお連れしましょう」



そう言って席を立った透華は、完全に自棄になっていた。こんなに考え無しに行動するとは自分らしくない。



しかし、どうしてもあの男と演劇を行う訳にはいかない。



勢い任せに生徒会室の扉を開けた先には、一人の少女が立ちすくんでいた。



扉の開く音に驚き、身をすくめ、こちらをじいっと見つめる少女。


今にも泣きそうな表情だ。


それでいて怯え以外にもいくつかの感情を孕んでいるようだったが、今の透華に読み取ることは出来ない。


素直そうな少女だ。透華はただ、そう思った。



「この娘が、私の妹ですわ!」

憧「あーあ。どーしてOKしないかなー」


帰路につく憧は、自分の少し前を歩く級友に対して悪態をつく。


憧「咲が妹になれば、透華様との交渉もしやすかったのに」


咲「憧ちゃんは私じゃなくて、写真の心配をしていたわけだね」

薄情だなあ。それに憧ちゃんは落ち着きすぎだよ。



ふと、二人は会話をやめ、マリア像へとかしづく。


登下校時にマリア像の前で祈りを捧げることは、この学園の生徒にとってとても重要で、当たり前の日課である。


咲(マリア様。今日は大変な一日でした)


咲(出来ましたら、速やかに平穏な日々をお返しください)


祈りを終え、再び歩き出そうとする二人に校舎から歌声が響いてくる。


憧「『マリアさまの心』ね」


咲「…昔からずうっと不思議に思っていたんだけど」


何故なのだろう。


咲「青空、樫の木、鶯、山百合。そこまでは解るんだけどね。マリア様の心を美しいものに例えてるんだって」



咲は先ほど生徒会室で起きた出来事を思い返していた。




咲「どうしてサファイア何だろう」

淡「はい!どーぞっ」

淡「ストレートでいいよね?砂糖とミルクの置き場所分かんないし!」


咲「う、うん。ありがとう」


咲(大星淡ちゃん。たしか黄薔薇のつぼみである誠子さまの妹だ。)


テーブルを挟んで対面に座る菫が口を開く。


菫「咲ちゃん。と言ったかな?」


咲「は、はい!」


菫「よければいつでも気軽に生徒会室へ顔を出してくれ」

菫「君は透華の妹だということだし、私達のとっても大切な仲間なのだからな」


久「へえ。透華の言うことを真に受けるわけ?明らかに様子がおかしかったようだけど」

菫の隣に座る久は不敵な笑みを浮かべる。


菫「久。透華が決めたのなら、我々が口をはさむ事ではないだろう」


咲「あっあの…」


状況を掴めない咲に、隣りから小さく声が届く。


透華「あなたは黙っていなさい」



爽「まあまあ、そんな下級生をいじめてやるなよ」


爽「困った咲ちゃんの顔を見ているのは楽しいんだけどさ」



傍から見ている分にはね。笑いながら語る爽に菫と久も釣られて笑う。


憧「はいっはーい」


爽「おっなんだい?新子憧ちゃん」



挙手をした憧に爽は尋ねる。



憧「あら、お見知りおきとは光栄です。爽様」


爽「咲ちゃんはともかく、あなたの事を知らない人は学園にいないと思うぞ」


瓦版読むの、いつも楽しみにしてるんだ。爽は笑いながら言う。


憧は笑みを返し、続ける。


憧「恐れ入りますが、私には話が見えません」




菫「ああ、そうだろうな。すまない」

菫「実はだな…」


咲(菫様の話によると、今年の学園祭で、生徒会は透華様をヒロインに据えて、シンデレラを上映するらしい)

咲(そのこと自体には何の問題も無いみたいだけれど)

咲(透華様は王子の役をてっきり誠子様がやるものだと思い込んでいたみたい)


誠子「私は初めから、練習時だけの代役って聞いていたけどね」


淡「セーコは男前だからねー!透華様が勘違いするのも無理ないよっ」


咲(たしかにそうだけど、淡ちゃんは怖いもの知らずだね…)



透華「私の居ない所で話を進めていたのですね」


菫「仕方ないだろう。男子校との打ち合わせの時には、いつもお前は何かにつけて避けていたじゃないか」


久「男嫌いも程々にしないから、こんな目にあうのよ」



憧「しかし何故、透華様が演劇の配役に難色を示すことと、咲を妹にすることが繋がるのでしょうか?」

腑に落ちないといった表情で憧は尋ねる。


由暉子「それには私が説明しますね」


ふきゅっ。


不意に聞こえてきた声に、それまで薔薇達を前にしても毅然とした態度であった憧の口から声が漏れる。


憧「由暉子さん!驚くから急にしゃべらないでよねっ」


由暉子はすみませんと苦笑すると、咲と憧の間に入り小さく手招きする。

すかさず聞き耳を立てる咲と憧に、二人が訪れる直前の出来事を、透華の気に障らぬように小声で簡潔に話した。


そんな由暉子のさりげない仕草に、咲は好感を持つ。


咲(この人が一年生ながらにして、白薔薇様の妹である真屋由暉子さん)


咲(さすがにしっかりした人だなあ)

由暉子「咲さん達が来る前に、一悶着あったんです」

由暉子「妹一人作れない透華様には、発言権は無いとか仰って。薔薇様方が強引に話を進めて…」

由暉子「そして啖呵を切った透華様が席を立って部屋を出るときに…ね?」


なるほど、それでいきなりあんなことを。


爽「わらしべ長者じゃないんだからさっ」


透華様はシンデレラ役を降りたいばかりに、今日出会ったばかりの私を妹に。

そして何故降りたいのかと言えば、その理由は…、


爽「それにしても本当に飽きないねー」

咲「えっ?」


ふいに声をかけられた咲は、今の状況を頭の中で整理している最中だった。


爽「百面相してたよ。可愛くて大変よろしいっ」

咲「あっ…うぅ…」


しまった。顔に出ていたのか。

菫「いい加減にしろ、透華。」

咲の困った様子を見かねて、菫は口を開く。


菫「お前にあまり適当な行動をされては、お前の姉である私の品位まで疑われてしまう」


透華「咲のことなら心配ありませんわ。私が責任をもって、ずっと咲の面倒を見ていきます」

透華「私が教育して、咲を立派な紅薔薇に育ててみせますわ」


菫「思いつきで行動するのはやめにしろと言っている。大方、今まで咲ちゃんの名前すら知らなかったのだろう?」

菫「お前の軽はずみな行動で、咲ちゃんにも迷惑がかかるのだぞ」


透華「それは…」


透華は口を紡ぐ。その時。


憧「ちょっと待って頂けますか」


憧が二人の会話へと割り込む。目を閉じ、口角は吊り上っている。この表情を、咲は知っている。


憧「咲は透華様を訪ねてここへ来たんです」


憧ちゃんがこんな顔をする時、決まって私に悪戯をするんだ。

菫「咲ちゃん、それは本当なのか?」

咲「はっはい…」

憧「ここに証拠もありますっ」


憧は、すかさず例の写真を菫へ手渡す。


咲(あ、憧ちゃん!?)


菫の両端から、爽と久が写真を覗き込む。


爽「おーなるほどなー」

久「つまり、二人は以前から知り合いだったってわけね」


写真を見た菫は少し思案し、目の前の咲と透華を見る。


菫「これは失礼をした。」

意図せず好転した状況に呆然とする透華は、次いで、菫に手渡された写真を確認する。



透華「いつ、会ったのかしら…」



思わず呟いてしまうが、幸い隣に居る咲の耳にしか届かない。


その声に咲は小さく苦笑する。


咲(今朝の事も憶えてらっしゃらないよ…)

そして気付く。愚かな自分に。


咲(当たり前だよ)



咲は自身を諭す。馬鹿だな、私は。



透華様は学園の有名人だ。その華麗で優雅な佇まいは、多くの生徒の目を奪う。



現に私の狭い交友関係の中にだって、彼女をお慕いしている人はたくさんいる。



私みたいな地味な下級生なんて忘れて当然だ。当たり前じゃないか。




だけど心のどこかで、ほんの少しだけ、期待をしていたんだ。






透華様は憶えてらっしゃらないんだ。

咲の胸中を知る由もない透華は、この好機を見逃すはずが無い。


透華「ご覧になってお分かりかと思いますが、私と咲はごく親しい関係ですわ」



これまで事態を思い見ていた菫は、ついに決定を下す。



菫「…いいだろう。二人の関係を認めよう」


透華「お姉様…!」


菫「ただし、だ」





菫「シンデレラの降板までをも認めたわけではない」

透華「なっ、約束が…」


思いがけない言葉に反射的に抗弁する透華を、菫は静かに言い詰める。


菫「それはお前が勝手に喚いていただけの事だ。」

菫「そもそもだな。今更役の変更だなんて、お前は学園祭をどうするつもりだ」


透華「っ…」


菫「次期紅薔薇となるであろうお前なら、理解できないはずはあるまい」



反論に窮する透華は、軽く奥歯を噛みしめる。



透華「…帰りますわ」

菫「待て」


ひとつ確認させてもらおう。菫は透華を逃がさない。


菫「お前にとって、咲ちゃんは何だ?」




菫「今でもお前は咲ちゃんを妹だと。そう思っているのか」

咲(あはは…当然の疑問だよ)

咲(望みが断たれた透華様にとって、もはや私は必要ない)



透華様との繋がりは、もう無い。



笑顔を取り繕う咲。しかし透華は意外な言葉を発する。




透華「もちろんですわ。咲は私の妹です」

語気を強め、透華は続ける。


透華「お姉様。私を侮辱なさるおつもりですか?」


透華「それではまるで、利用するためだけに、咲を妹にしたみたいではありませんか」

咲(…えっ?)



菫「結構」


強張った菫の顔が綻ぶ。


菫「ここで彼女を捨てるようならば、私もまた、お前と姉妹の縁を切っていただろう」



久「あなたは相変わらずお堅いわね」


いつもそんなんじゃ、肩が凝るわよ。飄々とした態度で、久は言う。



久「ところで透華。もう咲にロザリオはあげたの?」



咲(ロザリオ…)


それは姉妹の契約の証。


咲(それを受け取れば、私は正式に透華様の妹になる…)


つくづく自分が嫌になる。燻ぶる想いを消せずにいる。


透華「いえ、まだです。ですが」


咲(透華様…駄目です…)

咲は自分に嘘をつく。




透華「御希望ならば、皆様方の前で姉妹の契りを結びましょう」

咲は透華に促され、席を立つ。


透華はロザリオを取り出し、そのまま咲の首へ手を伸ばす。


咲「あっあの…」


透華「動かないで、咲。」




これで良いのだろうか。




咲(このまま妹になってしまって、本当にいいの…?)



由暉子「お待ちください」

その声は、皆の注目を集める。


由暉子「透華様もお姉様方も、大切なことをお忘れになっていませんか?」

由暉子「咲さんのお気持ちです」



咲(私の、気持ち…?)



久「咲がロザリオを受け取らないとでも?」


由暉子「そうは申しません。しかし、一応お気持ちを聞くのが筋かと」


淡は由暉子に賛同する。


淡「なるほどねー。例え紅薔薇のつぼみからの申し出でも、振っちゃう可能性はあるわけだっ」


ユキコみたいに。無邪気な笑顔を向けられ、ばつが悪い由暉子。



咲(だけど、私は…)



憧「だけど、咲は透華様の信奉者よ?」


爽「だろうねー」


爽の顔は自信に満ちている。


爽「咲ちゃんを見てたらさ、透華のファンだってすぐに分かるよ」


ふむ。菫はうなずく。


菫「なんにせよ、確かにその必要はあるな。万が一、ということもある」


菫「透華が君を妹にしたいそうだが、君はロザリオを受け取る気はあるのか?」



菫の問いに、咲は応える。








咲「やっぱり私、透華様の妹にはなれません」




伸ばしかけた手をそのままに、透華は尋ねた。


透華「…何故。と聞く権利位、私にはありますわよね?」


久「透華の本性を知って、嫌いになった?」


悠然と、場は静かに流れていく。


咲「嫌いだなんて!そうじゃなくて…」

咲「上手く説明できないんですけど…ファンだからって、必ずしも妹になりたいかというと、そうではないかと…」


咲は必死に言葉を紡ぐ。


咲「ファンにはファンなりの…プライドは…あるわけで…」


咲の答えに、各々が逡巡する。



菫「どちらにせよ、またしても透華は振られたわけだ」

菫「今年の一年生は、なかなか肝が据わっている」


爽「あはは。可哀想な透華っ」

爽「番狂わせの二連敗ってわけだ」


彼女は努めてこの場を楽しむ。


透華「可哀想とおっしゃるなら、シンデレラの一件をどうにかして頂けないかしら」


誠子(透華の奴、相当いらだっているな)



咲を後目に、話が進む。



咲「あっあの…」


弱々しい声に、透華は言い放つ。





透華「あらあなた。まだいらしたの?」

憧(うわあ…きっつー…)


しかし咲は憧の予想に反する。


咲「あの…その男子校の方にお願いして、今回は遠慮して頂くわけには…」


それは透華も同様だったようで、軽く目を見開く。


菫「君は今頃になって、透華を助けようと言うのか?」


だって!咲は思わず荒げる。


咲「透華様にちゃんと伝わっていなかったのは、皆様方にも責任が!」

透華「お黙りなさい!」

怒号に咲は怯む。


咲(あっ…)



しまった。



透華は咲へと歩み寄り片手を伸ばす。


それに対し、憧は座る椅子に手をかけ、立ちあがろうとする、が。


透華は慈愛の瞳を以て、咲の肩に手を置いた。


透華「私のために言ってくれている事はわかっていてよ」

透華「でも、お姉様方を非難しないで」


透華の優しい声。今朝と同じだ。




菫「そうだな…」


観念した様子の菫はため息を吐く。


菫「このまま無理やり男子とダンスをさせるのもな…」


久「後輩が納得出来ない事を強要するのは、生徒会の在り方では無いかもね」


菫「だが、今更変更するのは…」



停滞する空気を、爽は良しとしない。


こんなに面白そうな事、見逃してなるものか。



爽「ひとつ、賭けをしよう」

笑みを隠さず、爽は続けた。


爽「頭ごなしにシンデレラの役をやれっていうのは、咲ちゃんの言うとおり、フェアじゃない」

爽「だから透華にチャンスを与え、納得させた上で罰ゲームをやって貰うんだ」


どうだ?爽は透華をまっすぐ見る。


誠子(見え透いた釣り針だなあ)

だけど、透華の性格ならきっと…。



透華「その勝負に私が勝ったら?」



ほら、ね。



爽「もちろん役を降りていいさ。今度こそ約束するよ」


透華「わかりました。それで、その賭けというのは?」




爽はさらに笑みを深める。



爽「透華が咲ちゃんを妹に出来るかどうか、だ。」

周囲の反応なんてお構いなしだ。

爽「期限は、そうだなー。学園祭の前日ってことで!」

爽「一度断られた相手に、ロザリオを受け取らせるのは至難の業だぞー?」


咲は茫然と爽を見つめていると、視線に気づかれたのか声をかけられる。


爽「おっと。ひとつ忠告するけど、透華を庇おうとして、その気が無いのにロザリオを受け取るのはやめときなよー?」

爽「咲ちゃんがOKしたらシンデレラの役に穴が空く事になる。その時は咲ちゃんが代役を務める事になるんだからね」

爽「だってロザリオを受け取った時点で、あなたは透華の妹」


お姉様の穴埋めをするのは、妹の役目だろ?



爽の表情は、今日一番に輝いていた。





憧「そんな事、疑問に思ったことも無いわよ」


咲「あはは…私だけかな」


一蹴された咲は苦笑し、マリア像を見つめる。


咲(それにしても)

とんでもない事になった。今日は色々起こりすぎだ。そしてその原因の一端は…。


憧「それにしても、爽様って良い仕事すると思わない?きっと私と馬が合うわね」


咲「やめてよ憧ちゃん。私の身がもたないよ…」


明るい憧とは対照的に、咲の頭には不安しかない。


咲(明日からどうなっちゃうんだろう…)


憧「まあ、さすがに今日は私も疲れたわ。さっさと帰りましょ」


咲「うん、そうだね」


再び歩き出そうとした時、唐突に声がきこえた。


咲に休まる暇はない。



透華「お待ちなさい」

振り返ると、そこには先ほど生徒会室で別れたはずの透華がいた。



風になびく長い髪。



透華「おぼえていらっしゃい」



自信に満ちた、端正な顔立ち。



透華「私、必ずあなたの姉となってみせますわ」

ではごきげんよう。透華は足早にその場を立ち去る。



次第に小さくなっていく後ろ姿。



それら全てから目を離すことが出来ない咲は、思い出していた。



マリア様のこころ それはサファイア

私たちを飾る 光るサファイア。 







咲は憂鬱な気持ちで朝を迎えた。


気が進まないせいか、いつもより仕度に時間がかかる。


京太郎「なにやってんだよ咲。早く朝飯食わないと遅刻するぞ」

咲「京ちゃん!部屋に入るときはノックしてってば!」


須賀京太郎は咲と同学年で従姉弟である。

彼は現在、家庭の都合で、咲の家に居候していた。


咲(そういえば京ちゃんは…)

学園祭を合同で行う男子校に、京太郎は在籍している。


咲「ねえ京ちゃん。学園祭で、そちらの生徒会長を招いて劇をやるんだけど」

咲「生徒会長ってどんな人なの?」


京太郎「どんな人って言われてもな。あー…。俺はあの人ちょっと苦手だな」

京太郎「かっこよくて、成績も良くて、家柄も良い。あんな完璧超人、とっつき辛いぜ」


咲「あはは…」



まるで透華様みたい。


咲(噂が広まるのは早いもので)

咲(昼休みになる頃には、高等部に私が透華様を振った事を知らない人は居なかった)


多くの生徒が、教室の外から咲を覗きに来ている。


憧「言っておくけど、私じゃないわよ」

咲が問い詰めるより前に、憧は答えた。


憧「こういうのは参加するよりも、見ている方が断然面白いもの」

憧「まあしかし、えらい騒ぎになっちゃったわね。昼休みの間は教室に居ないほうがいいかもよ」


確かにこれでは休まらない。その視線や声が、正直煩わしい。


どうしたものかと思案する咲は、不意に肩を叩かれる。


由暉子「よろしければ、お昼ご一緒にどうですか?」

咲「由暉子さん!?」

由暉子「さあ、早くお弁当を持って。」



由暉子は咲の返事を待たずにその手を取り、半ば強引に教室から連れ出した。



草木が生い茂る校舎裏。並んで腰をかけ、昼食を共にする。


咲「いつもここでお弁当を食べているの?」

由暉子「ううん、季節限定。春と秋のお天気のいい日だけ」

由暉子「夏は桜の木に毛虫が湧くからちょっと…ね」

由暉子「だけど、あと少ししたら銀杏がたくさん落ちてくるから、それは楽しみ」

そう由暉子は咲に微笑む。まるでお人形さんみたい。


咲(意外だな。話してみないと分からないものだね)


咲は釣られて笑う。

咲「由暉子さんは変わっているね」


由暉子「そうかな。銀杏って踏んでぐちゃぐちゃにならなければ、そんなに臭わないんだよ?」

だから皆が通るいちょう並木は悲惨なんだけれど。


咲「もしかして、潰れてない銀杏を持って帰ったりする?」

由暉子「当たり。銀杏とか百合根とか大豆とか、そういうの大好きなの」

咲「やっぱり。由暉子さんって面白いな」


由暉子「咲さんも同じだよ」


お近づきになれてよかった。由暉子は桜の木を見上げる。


咲「由暉子さん…。聞いてもいいかな?」

由暉子「なに?」



咲「由暉子さんは…、どうして透華様の申し出を断ったの?」












少し考えてから、由暉子は口を開く。


由暉子「透華様は、私では駄目だと思ったの」

由暉子「逆に私も透過様では駄目」


咲「それはどうしてかな?」


由暉子「もちろん透華様の事は好きだけれど、私達は相手に求めるものが違う…」

由暉子「だから与えられるものも違うんだ」


咲「うーん…。難しいね」


由暉子は小さく笑みを浮かべる。

由暉子「透華様も仰ってた。言いたいことは分かるけど、具体的じゃないって」


やっぱり咲さんと透華様は、きっと…。



由暉子「透華様ね。私の時より咲さんに断られた時の方がショックが大きかったと思うな」

咲「えー…。そうは見えなかったけどなあ」

由暉子「あの方は負けず嫌いの天の邪鬼だから。本当に悔しい時は澄ましているの」


咲は透華の顔を思い返す。



由暉子「咲さんは、どうして妹になれないって言ったの?」




少し遠くから、休み時間の終わりを告げるチャイムが聞こえてきた。



咲「ごきげんよう」


放課後。音楽室の清掃を終えた咲は、掃除日誌を書くため、クラスメイトを先に帰宅させる。

ようやく一人で落ち着く時間が訪れた。


咲(ちょうど良かった。少し、帰る時間をずらさないと)

じろじろ見られるの、嫌だもの。



日誌を書き終えると、咲はピアノの前へ座り、ぎこちない手つきで鍵盤を叩く。


咲(あれは生徒会主催の一年生歓迎式の時)


礼拝堂に集められた一年生の前で、透華様はピアノの演奏をしてくださった。



咲(あの時だ…)


大勢の前で、ピアノを演奏する透華。咲は心を奪われた。


その凛々しい姿は今でも鮮明に思い出せる。


咲(なんて、美しいんだろう)





一人きりの音楽室で感傷に浸る咲。突然背後から鍵盤へと手が伸びてくる。




咲「うわあぁー!!?」

透華「なんて声ですのっ!」

透華「これではまるで、私が襲っているみたいでしょう?」



振り返るとそこには。


咲「透華様!おっ音も無く背後から現れれば、誰だって悲鳴をあげます!」


咲の問いかけに対し透華は何も言わず、もう片方の手を咲の肩に乗せる。


透華「弾いてごらんなさい」

先程のように。咲は戸惑ったが、言われるがままに右手を動かす。

咲の指の拙い動きに、透華は左手で合わせる。




咲(すごい…。透華様と連弾してるよ)



咲は分かっている。

こんなものは連弾とは呼ばない。

透華様のメロディーに、私の単音がただ乗っかっているだけ。



この演奏はまるで、私達そのものだ。




咲は鍵盤から手を離した。

咲「やっぱり駄目みたいですね。透華様にはついていけません」

咲はそう自嘲した。


透華「そうかしら?とても気持ち良く弾けていましたわよ」


透華はピアノを閉じると本題に入る。


透華「そろそろ行きましょう」


咲「えっ?」


透華「これから学園祭までずっと、放課後はシンデレラの稽古に付き合って貰いますわ」

透華「あなたは私、つまりシンデレラの代役なのだから。練習するのは当然でしょう?」


咲「それは、私がロザリオを受け取った時の話なんじゃ…」


透華「受け取らないという確固たる自信があるから、咲は練習には出ないつもりかしら?」


咲「いえ…そういう訳では…」


透華「私は出ますわ。咲を妹にする自信があったとしても」

絶対と言い切れることは、世の中にそう多くは無い。


透華「本番で無様な姿を晒すよりはマシですわ」


咲(透華様には覚悟があるんだ。だけど私は…)



うつむく咲の髪の乱れを、透過の指が優しく正す。


透華「確かに、あなたにはあなたの考えがあるのでしょう。強制はするつもりはなくてよ」

透華「ですが、私が練習するところを、あなたには見てもらいたいわ」


咲「はっ…はい」

透華の真っ直ぐな瞳に、咲は無意識に返事をする。




透華「あの写真…。昨日の朝撮られまして?」






透華は咲の乱れたタイを直す。

透華「いま、思い出しましたわ」


聞きたくない事を、咲は確認せずにはいられない。


咲「写真をご覧になった時には、やはり、思い出されなかったんですね」

透華「ええ。いつの事なのかまでは」


咲(大丈夫。解りきったことだ)



透華「では、咲とは本当に、昨日初めて出会ったのですわね」

透華「思い出して、すっきりしましたわ」

咲の気持ちとは裏腹に透華は笑みを浮かべる。


咲「透華様は…。覚えきれないくらい、下級生のタイを直してあげているんですか?」


その言葉に、透華は自分の記憶を辿ってみた、が。

透華「滅多に…、いえ。ほとんどそういうことはしませんわ」

透華は昨日の自分に疑問を持った。



透華「どうしてあの時、そんな気になったのかしら…?」

咲は透華を追い稽古場へと向かう。



透華「朝は弱くて、頭の中がぼんやりしていたから。無意識に呼び止めたのでしょう」

きっと…。そうに違いない。

透華「だからすぐに思い出せなかったのですわ」



すると、向かい側から教員が歩いてきた。


咏「おやおやぁ?」


咲「あっ三尋木先生」

透華「ごきげんよう」

透華はすかさず礼をする。


咏「はいごきげんようっ。相変わらずお堅いねぃ」

咲「先生は軽すぎます…」

咏「いや知らんし。って、君が例の…。へー、つまり噂は本当だったんかな?」


にやついた顔で咲の顔を覗き込む。



咏「あれ?けど紅薔薇のつぼみは、この子に断られたんだよね?なんで一緒にいるのさ?」

わかんねー。先生はそんなことを言いつつ思索しているようだ。とても楽しそうに。


咏「本当はOK出してたー。とか?」

いや違うな。もっと、他の何かが…。



咲「え、ええっとですね…それは…」

透華「お騒がせして申し訳ありません。私達の事は、ご想像にお任せいたしますわ」


透華は咲の言葉を遮り、毅然とした態度で答える。


透華「では、失礼」


そのまま一方的に会話を済ませると、咲の手を取り再び歩き出した。

透華「余計な事は言わなくてよろしくてよ。こちらが反応すればするほど噂とはこじれるものですわ」

透華「弁解すべき事は小出しにせずに、周囲に聞く態勢が整った時に一度だけハッキリと言えば全て済むのです」

透華「騒いでいる間は柳に風でしてよ」


咲「はい…」

だけど…

透華様のように堂々と先生を言いくるめるなんて、普通の高校生には出来ない芸当だと思います。

爽「おっ、やっと来たか」


透華に連れられた咲は稽古場である体育館へと着く。

そこには見学に来ていた薔薇様方に加え、劇に参加する生徒たちが稽古に取り組んでいた。

見たところ、皆上級生のようだ。


透華「遅れてしまい、申し訳ありません」


誠子「多少は構わないさ。じゃあ早速やろうか」

誠子がそう言って手を差し出し、透華はその手を取る。

その様子を見た一人の生徒が劇で使用するであろう曲を流すと、ダンスの練習がすぐさま始まった。




邪魔にならぬよう、壁際でその光景を眺める咲の瞳は自然と輝く。


咲「わあ…!透華様と誠子様のダンスだ」

さすがに画になるなあ。


菫「咲ちゃん」

咲と同じく見学にきていた紅薔薇が咲を手招きする






咲(うぅ…昨日の今日とはいえ、落ち着かないよ…)


言われるがまま移動した咲は、紅薔薇と白薔薇に挟まれる格好となった。


そんな咲を知ってか知らずか、菫は腕を組み稽古を眺めたまま語る。


菫「なかなかのものだろう?今日初めて合わせたにしては」

咲「えっ初めて!?」

驚いた咲は菫へと視線を移す。


菫「ダンスの初歩は授業で習うからな。それに透華は正真正銘のお嬢様だから、社交ダンスくらい踊れて当たり前なんだよ」

そんな様子の咲に、菫は微笑みながら答える。

菫「誠子は持ち前の運動神経でダンスを覚えたようだが、まだまだ甘いな」

その直後。誠子は透華の足を踏んでしまい、二人は軽くよろける。


ほらな。菫は得意気に笑う。


菫「透華は五歳の時からバレエを習っているし、英会話やピアノ。茶道や華道。皆一通り出来るんだ」

菫「中学の時までは、毎日何かしらの家庭教師が来ていたらしい」


菫は説明するように続ける。


咲「なんだか別の世界の話みたい…」

思わず咲は独り言の様に呟く。


菫「だろう?私なら息が詰まってしまうよ。だから全部辞めさせたのさ」

菫「いや、辞めざるをえなくしたと言ったところか。生徒会の雑用に引っ張り回したからな」

私の妹になったから。


菫「透華は根が真面目だから期待に応えてしまう。だからこそ息抜きが必要だとは思わないか?」

咲「なんとなく…」

菫「それでいいさ」


戸惑う咲の顔を見た菫は笑みを浮かべる。



咲「でも…」

咲はずっと疑問に思っていた。




咲「頻繁にダンスを踊っているのなら、今更男の人が相手だからって嫌がるものでしょうか?」

菫「ふむ…」


菫は咲に同意する。


菫「実はそれが腑に落ちなくてな。透華にとってはたかがダンスだ」

菫「あれ程までに拒絶するから、我々も理由が知りたくてな。すぐには降板を許さなかったんだが…」


菫は咲に目をやる。


向けられたその表情に、咲は見慣れていた。昨日から特に多い。



菫「どうやらもっと面白い事になったな」

菫「宮永咲という、スパイスが加わって」




こんな表情に対して咲は、苦い顔を浮かべるしかないのだ。


咲(紅薔薇様も、こんないたずらっ子みたいな顔したりするんだ…)




菫「白薔薇の言う通りだ」

咲「えっ?」





菫「咲ちゃんは考え込むとき、百面相するんだな」





菫はそう笑うと、ちょうど音楽が流れ終える。


菫「さてと」

菫「透華。最初の立ち位置についてなんだが…」

すかさず菫はその場を離れ、稽古の指示を出すためその場を離れる。


咲(さすが紅薔薇様だ。見るべきところはちゃんと見てるんだ)


菫の切り替えの早さに思わず感嘆する。

爽「さーきちゃんっ」

間もなく、咲は突然髪を弄ばれる。


咲「爽様!?」



爽「ダンスできる?てか踊ろう!」






咲「ええっ!?無理ですよ!ダンスだなんて…」

この人には度々驚かされる。




爽「あれ~?なあ久、ダンスの授業って2年になってからだっけ?」

久「ええ、確かそうだったと思うわ。たぶん」

爽「へぇ~、まあいっか。じゃあ教えてあげよう」



咲「…へっ?」



咲を置き去りに話が進む。




爽「ほーら。おいで」


爽に腕を取られ、あっという間にダンスをする流れになる。


爽「咲ちゃんは、へっ?とか、はっ?とか、えっ?が多いねっ」


そう笑いながら、爽は強引に踊る態勢を整える。


咲「ちょっ、爽さま!」

爽「ワルツだから、三拍子ね。はいっ1、2、3。1、2、3…」


ダンスの経験など無い咲は、為すがままたどたどしく踊る。

咲「わわっ!」

爽「腰引けてるよっ。下見ないでっ」

爽はお構いなしにダンスを続ける。

爽「1、2、3…。ほらっ足踏んだっていいからさ」



その様子は、体育館に居る皆の注目を集める。


爽「おっと。まずいまずい」



爽は今日も、笑顔に溢れている。





爽「こんなんじゃ、咲ちゃんに二股説が流れちゃうかなぁ~」


爽はおもむろに手を挙げる。

爽「はーい!それでは皆さんに新しいお友達を紹介しまーす!」

爽「宮永咲ちゃんです!今日から稽古に参加するから、仲良くしてあげてくださーい!」

咲「ええっ!?」

咲は思わず声をあげるが、先程の指摘を思い出し、すぐさま両手で口をふさぐ。



爽「ただ見学だけじゃつまんないだろー?それに、いざという時のためにダンスを覚えとかなくちゃね?」



咲「爽様は、私が透華様に落されない方に賭けたんじゃ…?」

思わず咲は苦笑する。



爽「えへへっ」

爽の白い歯が眩しい。



爽「ほら誰か!咲ちゃんと組んでやって!」

言うと同時に爽は咲の背中を押しだした。






咲「わあっ!」

突然皆の前に放り出された咲は困惑する。


練習に参加している生徒たちも同じようで、場がざわつきだす。


咲はその空気に耐えられず、うつむいてしまう。


久(だいぶ緊張しているみたいね。上級生ばかりだし無理もないか)


咲の手は震えていた。


誠子「じゃあ私とやろっか」

そんな様子を察して、誠子は咲に声をかける。


咲「えっ!でも誠子様は透華様と…」

誠子「平気さ。私は大役だから本番じゃお役御免だし」

誠子「咲ちゃんとペアを組んでも問題なし。さあっ」


誠子は咲に手を差し出し、練習が再開される。



ぎこちない動きで踊る咲の視界に、一人で音に合わせて優雅にステップを刻む透華が映る。


咲(わあ…)

誠子「よそ見しないっ」

咲「あっすみません!」


誠子「ふふ。透華が気になるみたいだね」

誠子は優しく問いかける。


咲「いえ…。ただ、私とはあまりに違うから…」


咲はもう一度透華に目をやる。

咲「っ!」

こちらを一瞥した透華と目が合い、咲は反射的に誠子の手を振り払う。


咲「あっ…あの!私忘れ物をしたので!失礼します!」

誠子「えっ!咲ちゃん!?」


咲は焦って挨拶を終えると、駆け足で体育館を後にした。



下校の準備を済ませた咲は、下駄箱で靴に履き換えていた。

優希「咲ちゃん!今帰りか?」

咲「優希ちゃん…」


彼女は私のクラスメイトで仲が良い。テニス部の練習の合間だったのか、手にはラケットを握っている。

咲(だけど今はあまり会いたくなかったかも)


優希「そういえば聞いたじぇ!いったいどうなってるんだ?」

咲「な、何がかな?」

我ながら白々しい。


優希「ダンス部のやつらが話してたんだじぇ!咲ちゃんが生徒会主催の劇に出るって!」

咲(優希ちゃんはとても良い子だけど、少しミーハーなところがあるから)


咲「出るっていっても、目立たない所でダンスを踊るだけなんだよ」

優希「でもお相手は誠子様なんだろ?」

咲「うん…まあ、ね」

優希「やっぱり本当だったんだ!すごいじぇ咲ちゃん!」


無邪気な優希の視線が咲には苦痛だった。




「ごきげんよう!」

咲は突然、三人組の生徒から声を掛けられる。



咲「ご、ごきげんよう…」

咲(たしか同級生の…)

名前は知らないが見かけた事のある顔だ。


「私達、ちょうど咲さんのお噂をしていましたのよ!」


あっという間に取り囲まれてしまう。


咲「は、はい…?」


「この際はっきりお聞かせ願えないかしら!?」

「透華様のお申し出を、お断りになったって本当!?」

「なのに、どうしてご一緒に行動なさっているの!?」


嬉々として訪ねてくる彼女らに、ただたじろぐ。


「咲さんは、生徒会のグループの中でどのような役割を果たしていらっしゃるのかしら?」

「どのお姉様の事が一番お好きなの?」



生徒会に関わってしまった以上。このような事態は想定できたはずだ。





咲(こんな時、透華様だったら…)

先程の透華の言葉を思い返し、咲は小さく深呼吸をする。


咲(大丈夫)



咲「皆さん。お騒がせしてすみません」

咲「わ、訳あって生徒会の劇を、お手伝いすることになりました」

咲「生徒会の方々にお声をかけていただくのは、そういった理由からなんです」



「じゃあ、透華様の件は?」


咲(…透華様)

咲(こんなとき、透華様だったら…)



「透華様が妹にって仰ったのは本当!?」

「咲さんは、それをお断りしたとお聞きしたのだけれど」



咲(透華様だったら…)




優希「それはただの噂だじぇ。なあ、咲ちゃん?」


咲「…」 



咲(透華様だったら)




咲「ご…ご想像に…」




透華様だったら?





咲「…透華様が」



咲「透華様が…本気で私なんかを妹に選ぶわけ、ないじゃない…!」





遠くから見つめているだけのほうが幸せだった。


咲(そうしたら、気持ちとは反対の事をせずに済んだのに)




好きだから。


透華様を好きだから。



たまたま近くに居た誰かでは、悲しすぎるから。






咲「どうして透華様にはそれがわからないの…!」









咲「はぁ…」

咲(人前であんなに泣くなんて、いつ以来だろう?)


由暉子「咲さん?どうかしたの…?」

咲「ううん!何でもないよ。あはは…」


咲は由暉子と過ごす時間を気に入っていた。


彼女は空いた時間があれば、ここで過ごすことを日課としていたし、咲は休み時間に周囲が騒がしくなる事を好まなかった。

二人は必然的に昼食をともにするようになっていた。


咲(優希ちゃんも心配してくれてたし、申し訳ないよ…)


あの後。泣きじゃくる咲を見て、さすがにあの三人組の生徒も困惑していたようだが、優希が上手く取り繕ってくれたのだ。




由暉子との時間は静かだ。元々おとなしい性格の咲にとって、それはとても心地がいい。





憧「あっいたいた!」

憧「こちらです。透華様」





由暉子との時間は静かだった。

咲「透華…様?」


憧に連れられ、透華がこちらへ歩いてくる。


そのまま咲の前に立つと、透華は手に持っていたものを差し出す。


透華「咲。これを」

咲「シンデレラの…台本?」


透華「蛍光ペンで印を打っておきましたわ。ピンクはシンデレラ、ブルーは姉B」

咲「姉B?」

由暉子「シンデレラのいじわるなお姉様ですね」


透華「あなたがシンデレラをやらない場合は、その役をやっていただきたいの」


終始微笑みを浮かべる透華。その申し出を断れるはずが無い。


咲「はい…」



透華「それにしても…。何故こんなところでお昼ごはんを食べていますの?」


憧「咲は昼休みに教室が慌しくなる事を避けているみたいです」


透華「そう…」

咲の状況を察してか、透華は軽く目を伏せる。が、すぐさま自信に満ち溢れた笑顔を取り戻す。





透華「咲。ロザリオを受け取りなさい」





透華「そうすれば私が矢面に立ち、咲の代わりに噂を払拭して差し上げますわ」

咲「えっ?」

見慣れていた、あの堂々とした顔で透華は言い放った。


透華「その気になったのでしたら、いつでもどうぞ」


ではごきげんよう。透華は満足げにその場を立ち去る。


憧「あっ、透華様!」

憧「…あーあ。学園祭であの写真を使う許可を頂くつもりだったのに」


咲(なるほど。そういうことか)


由暉子「仕方ないわ。透華様は桜もいちょうもお嫌いだから」


咲「そうなんだ…」


由暉子「だからね、驚いているの」


咲「えっ?」



由暉子「よくここまで咲さんの事を探しに来たなあって」




咲は一人で食器を洗う時間が嫌いではない。





舞台の稽古は、薔薇達の指揮の下で行われる。

彼女らは一度生徒会室に集まり、稽古の流れについて話を詰めてから体育館へと向かう。




だから咲は、放課後の稽古が始まるまでの時間を生徒会室で過ごすようになっていた。


生徒会室で使用するティーセットを洗う事は、生徒会に所属する一年生の主な仕事だ。

生真面目な性格である咲は、新人である負い目もあり、誰よりも早く生徒会室へ足を運ぶ。

皆が来た時にすぐお茶を出せるよう、仕事を済ませておくのだ。



咲「あの…」


咲「質問してもいいですか?」



つまり。咲がティーセットを洗う間は、一人でいるはずだった。





爽「んー?難しい質問は嫌だな!」

咲「なぜ…白薔薇様は、由暉子さんを妹に選んだんですか?」

爽「えっ?」


咲が知る限り常時笑みを浮かべている爽は、一時、不思議そうな表情を浮かべる。


爽「難しくはないけど、珍しい質問するねー。そんなこと、普通は誰も聞かないよ」

咲「それは…きっと選ばれて当然みたいな人だから…」


咲(由暉子さんは気品があって、綺麗で、とてもしっかりしている)


私とは正反対だ。



爽「ずいぶん弱気みたいだねー?」

爽は普段通りの表情に戻っていた。



咲「だって、私は『わらしべ』ですから」

爽「なにそれ?」

咲「白薔薇様が仰ったんです!」



咲「透華様にとって、私は出会い頭に掴んだわらしべだって」


爽「あはは!そうだった」

咲「もうっ!」


咲(相変わらず、いつも楽しそうだなあ)


なんて無邪気な笑顔なんだろう。



爽「しかし、我ながら上手いなー」

爽「わらしべ。いいじゃん?」

咲「どこがですか!」




爽「透華が、ずうっと握ったままでいるところ」

咲が淹れた紅茶を一口飲む。

爽「由暉子のような人材は、生徒会のために活かすべきだと思うだろー?」

咲「それは、さっきの質問の答えじゃないですよね?」

爽「白薔薇として答えるなら、そうだぞ?でも、個人的には別の理由があるけど」


それは秘密。


爽は一息ついて、咲を見つめる。


爽「私の見立てだと…由暉子の方が咲ちゃんを羨ましく思っているんじゃないかなー?」


咲「また変な事を言って!だいたいどうしてそう話が飛ぶんですか!」

咲(まったく…この人は!)

私をからかって、楽しんでいるんだ。



爽「それはね…?」


爽は立ち上がると、おもむろに後ろから咲をやさしく抱きしめ、耳元で呟く。





爽「咲ちゃんの…可愛い百面相が見たいから」


咲「ちょっ!爽様!?」

爽の行動に咲は慌てふためく。

同時に扉の開く音が聞こえる。


爽「おっと。長者が来たからおしまいっ!」


咲「長者…?」

咲は爽の言葉に我に帰ると、音が鳴った方へ振り返る。




透華「…」

透華「随分と、楽しそうですこと…」

爽「やだなー。透華が入ってくるのが見えたからサービスしたんだぞー?」

透華「…」


透華の気迫に動じず、爽はいつも通りだ。


この状況はまずい。咲は肌で感じ取る。

咲(爽様は何で笑っていられるの…!?)

咲(とにかく、なんとかしなきゃ…!)



咲「えぇーっと!…。とにかくカップを洗わないと!」

咲「そろそろ皆さんが来られる時間だしっ…」


爽「咲ちゃんは良い子だねー」

咲の思惑を察してか、爽は飲み干したティーカップを手に取る。


爽「透華を嫉妬させてあげたよ?」

シンクにカップを置く間際、透華に聞こえないよう小さな声で、咲へ語りかける。


咲「えっ?」

爽「さてっ!私は外の様子でも見てくるかな!」


爽は足早に生徒会室を後にする。咲と透華は残された。


透華「…」

咲「…」


生徒会室は沈黙に包まれる。

誤解を解かねばと思いつつ、咲は声を発することが出来ない。





透華「…『私は、赤いビロードのドレスを着て行くわ』」

咲「!」

咲(この台詞…!)



透華に渡された台本は何度も読み返した。





咲「わ、『私は、いつものスカートでいいわ』」

咲「『そのかわり、金の花模様のマントに、ダイアモンドのブローチを着けるの』」

透華「『お姉様。御髪はこんな感じでいかが?』」


透華は微笑みを浮かべ、咲のもとへ歩み寄る。


咲「『シンデレラ。あなたも舞踏会へ行けたら良いと思わない?』」


正面に立つと、咲の肩に手を置く。

透華「ちゃんと覚えているじゃない」

咲「あっ…」




駄目だ。平静を保てない。





咲(白薔薇様に頭を撫でられても、抱きしめられても…)


こんなに意識はしなかったのに。


由暉子「遅れてごめんなさい。衣装を取りに行っていて…」


生徒会の全員が、劇で使用する衣装を持ってやって来る。


久「あら。お取り込み中だったかしら?」

咲「い、いえっ!劇の稽古をしていただけです」


皆から微笑ましい視線を感じる。


久「今日は衣装合わせと立ち稽古だから、向こうの生徒会長も来るわよ」

菫「ちゃんと言っていただろう?透華にも参加してもらうぞ」


透華思わず顔をしかめる。


久「そろそろ迎えに行かないと」


爽「それじゃあ、咲ちゃん行ってきてくれないかな?萩原さん正門に居るはずだから」


咲「わかりました」

生徒会室を出た咲は、無意識に駆けだす。


咲「あっ、…と」

咲(慌てちゃ駄目だ。銀杏踏んじゃうし…)


校門に目をやると、そこには一人の男子生徒が立っている。


咲「あの…失礼ですが、萩原さんですか?」


萩原「生徒会の方ですか?初めまして、萩原です」


萩原「本日は宜しくお願いします」

咲「もう大学の入学が決まっているんですか」

咲「いくら付属校とはいえ、成績優秀者しか無試験で合格出来ないんですよね?すごいです」

萩原「いえ、そう大層な事ではありませんよ」


咲は萩原を来客用の玄関へ案内する。


咲「あの、こちらで少々お待ちいただけますか?私は上履きに履き替えて参りますから」


そう言い残し、咲は萩原と離れ、自らの下駄箱へ向かう。



咲(文句のつけようの無い王子様なのに)

咲(シンデレラには嫌われているんだ…)




咲の視界に一瞬人影が写り込む。


咲「あれっ?透華様?」



咲(気のせいかな…?透華様は生徒会室に居るはずだし…)



咲は萩原を連れ、生徒会室を訪れる。



しかし、そこに透華の姿は見当たらなかった。

萩原「お招きいただき、ありがとうございます」

萩原「とても素敵な場所ですね」


萩原は生徒会の面々に丁寧に挨拶をする。




爽「どう思う?」

咲「へっ?」

ふいに耳元で、小さな声で語りかけられる。


爽「生徒会長だよ。客観的に見てさ」

咲「どうって…。客観的だったら、かなり良い線いってるんじゃ…?」


爽「透華の相手として不足は無い、と?」

咲「えっ?」





実はね。周りに聞こえないように、咲の耳元に手をかざし、爽は続ける。


爽「今回の劇にはさ、裏の目標があるんだ。」

爽「透華の男嫌いを克服するっていう、ね」


爽「透華の家庭って複雑でさー。お爺様もお父様も、外に女の人を囲っているんだ」


咲「…。男嫌いになるには、それなりの理由があるんですね…」






萩原「そう言えば…シンデレラは?」


久「先に体育館に行くって、出て行ってしまって…あはは」


咲(…!)

咲は思わず生徒会室を後にしようとする。


爽「咲ちゃんっ?」


咲「あのっ…、私も先に行ってます!」



咲は生徒会室を出ると、足早に体育館へ向かう。




咲(さっき見かけたのは、やっぱり透華様?)


咲(まさか…。帰った!?)

咲は息を切らしつつ、体育館へと辿り着く。

咲(下駄箱に上履きがある…!)

はやる気持ちを抑え扉を開けると、ステージに腰掛け、うつむく透華が目に入った。



咲「透華様…。帰られたんじゃなかったんですね」

透華「どうして?」


弱々しい声が返ってくる。


咲「先程、外に居る所を見かけたので…」

透華「…。私ではありませんわ」

咲「そう、ですか…」



咲はおもむろにステージに腰掛け、透華の隣に座る。




透華「スカートが汚れますわよ」


咲「だったら、透華様は?」





透華「いま、気がついたんですもの」



目を見合わせる二人。


思わず笑みがこぼれた。

透華「居ましたわ」

咲「えっ?」


透華「先程あなたが私を見かけた場所に」


どうして?咲が言葉を発する前に、透華は理由を話す。


透華「先に、姿を見てやろうと思いましたの」

咲「それだけ…?」


透華「ただ、相手より先に見たかった。それだけっ」


自問するかのように言うと、透華は勢いよくステージを降りる。



透華「よろしくて?確かにあの生徒会長と踊るのは不服ですわ」


透華はまっすぐ咲を見つめる。



透華「だけど、逃げたら負け!」



透華「そして私は、負けるのが大嫌いですわ!」



咲はその力強い瞳に言葉を失う。



透華「皆が来るまで、ダンスの稽古をして差し上げますわ!」

透華は強引に咲を引き寄せる。


咲「ええっ!?いいですいいです!」

透華「駄目ですわ!」



為すがまま、咲は透華とステップを刻む。




透華「リズムは憶えても、まだなめらかに踊れないでしょう?」

緊張しないで?透華は優しく咲をリードする。



咲「そんなこと言われても!」

透華「考えなくてよくてよ。身体が憶えているままを信じて任しなさい」

焦らないで、笑って?



透華「さあ。1、2、3。1、2、3」


咲は透華の言うとおり、懸命に踊る。




透華「そう!素敵になってきましたわ」



咲は堅実に努めつつ、浮足立っていた。




咲「ダンスって、こんなに楽しいものだったんだ…!」


透華「本当ですわ。私も知らなかった」




二人は皆が来るまでの間、踊り続けた。

体育館に集まった生徒会と萩原は、本番の衣装を身に纏っていた。

どうやら今日は他の面子は参加しないらしい。



透華「『初めまして』龍門渕と申します」

宜しくお願い致します。透華は手短に挨拶を済ませる。


萩原「…。こちらこそ、宜しくお願い致します」


菫「さあ、お前たちも着替えるぞ」


透華「はい。行きましょう、咲」

咲「はい」



菫達に連れられ、咲は更衣室へ向かった。

咲「わあ…!」


透華のシンデレラ姿に咲は見惚れる。


久「そろそろ準備できたかしら?」

透華「胸元が、少し開き過ぎでは?」


久「少しくらいサービスしなきゃ」

透華「いったい何のサービスですの?」



そりゃあ、久はにやける。

久「透華ファンに一番美しい姿をプレゼントっ」

久「ねえ咲?今のままが良いわよねえ?」

咲「はいっ!もちろんです!!」



透華は不服そうに呟く。

透華「あなたが着るかもしれませんのよ?」


菫「確かにな。うーん…。咲ちゃんには少し大きいかもな、少し小さめのを探すか」


透華「待ってください。どちらがシンデレラを演じるかはまだ決まっていません」


透華は衣装を脱ぎ、咲へ手渡す。








久「あら?咲も可愛いじゃない」

咲「そ、そうですか…?」


咲は一時的に、透華と衣装を交換する。



菫「だが、これは…」

久「うーん…」


二人は咲の、ある部位を凝視する。



咲「うっ、うぅ…」








咲が演じるシンデレラは、胸元が開き過ぎていた。









菫「1、2、3、1、2、3…」


衣装を身に纏い、ダンスの練習が行われる。


咲は誠子と組み、透華は萩原とダンスを踊っていた。







曲が流し終えるとともに、透華は萩原から離れ、その場を後にしようとする。

しかし透華は腕を掴まれ、引きとめられる。


誠子「透華。さすがに失礼だぞ。それに、そんな顔じゃ観客が引くよ?」


透華「…本番ではちゃんと笑いますわ」


そう誠子を睨みつけると、透華は手を振り払い、体育館を後にする。


咲(あっ…!)


咲はとっさに透華の後を追おうとするが、その足を止めてしまう。


咲(今私が行っても、邪魔なだけかも…)




悩む咲の背中はふいに押し出される。




咲は振り返ると、笑みを浮かべた誠子がうなずいた。

透華は体育館裏に居た。

駆け足で出て行ったためか、少し息が上がっている。


咲「あの…」

咲「私に何か出来る事があれば…」

透華「では、ロザリオを受け取って」


間髪いれずに透華は返す。


透華「咲に頼みたい事があるとすれば、それだけでしてよ」


咲「そんなに…嫌なんですか?」


透華「嫌です」

透華は冷たい声で断言する。



萩原「透華様」

萩原「少し、話があります」



透華「…咲。あなたは戻りなさい」


咲「でも…!」


透華「いいから行きなさい!」


咲「…はい」


透華は萩原を連れ、その場を後にする。


その様子を見ながら、咲は皆が残る体育館へ引き返した。

誠子「透華は?」


咲「あの…、萩原さんとお話があるって…」


久「主役の二人が居ないんじゃ、稽古にならないわね」


菫「まあ、少し待とう」










それからしばらく。


二人は帰って来なかった。

誠子「戻って来ないなあ…」

淡「このままバックレちゃうんじゃない?」


菫「透華はそんな奴じゃないさ」

久「まあ、そうね」


誠子「私、探してきます」


咲「あ、あのっ!私が!私が探してきます!」


菫「それなら手分けして探そう」



いいな?菫の問いに答え、皆、透華を探しに向かう。


当然、咲も探しに行こうと駆け足に体育館を後にしようとする。
















そのとき、ふいに背後から抱きしめられた。



こんなことを私にする人は、一人しか知らない。

咲「爽様っ!こんな時に!」

爽「透華を、好き?」


咲「っ!」


いきなりの問いに咲は言葉が出ない。

しかし答えは出ている。当たり前だ。



解りきった質問をした爽は、咲の頭をなでる。



爽「…ありがとう。私も透華が好きだよ」

爽「紅薔薇も黄薔薇も誠子も。たぶん淡と由暉子もね」



だけど。


爽「まあ…。しっかりして見えても、皆たかだか高校生だからなー。ビビってんだよ」


爽「なにがあったのか知るのが怖い。暴いちゃいけないような気がするのさ」



だけど咲ちゃんは。




咲「…。私も行かなくちゃ、透華様を探しに!」



爽「ちぃっ!」

校内を駆ける爽は足を取られる。


爽「忌々しい銀杏だなっ!」



透華「やめてっ!離しなさいっ!」

すると透華の叫び声が聞こえてきた。


咲「透華様っ!?」


爽「あいつっ!透華には手を出さないと思ってたのに!」



慌てて二人が声のする方へ向かうと、萩原が透華の腕を掴んでいた。



爽「何してんだ!透華から手を離せっ!」



騒ぎに気付き、他の生徒会の者も集まってくる。


萩原は観念したのか、透華を解放した。




誠子「透華っ、大丈夫か?」

透華「ええ…」



爽は萩原を睨みつけたまま、指示を出す。


爽「咲ちゃん。守衛さん呼んできて」




咲「いえ…。行けません」

咲「透華様が、困るから」

透華「…どうして、そう思うの?」


咲「顔に、そう書いてあります」


透華「そう…」


透華はその言葉にうつむく。



萩原「透華様…」

透華「いえ…。私が説明しますわ」




透華「お騒がせして、申し訳ありません」

透華「少し…言い争いになってしまっただけです」


透華「萩原は、私のお父様の使用人なの」

それだけではなくて…。透華は続ける。



透華「私の婚約者でもあるの」

咲「こっ!こん!?」


萩原「ですので私達は、芝居でなくともこういった事は出来るのです」

萩原は透華の肩を抱く。


萩原「そして、それ以上の事も…」


萩原は透華に顔を近づける。


咲「あっ…。わあっ!!」



咲はとても見て居られず、顔を覆う。


と同時に、

ぱんっ!と小気味良い音が響く。


透華が近寄る萩原の顔をはたいた音だ。




透華「調子に乗らないで下さいまし!」


透華は逃げるように駆け足でその場を後にする。



萩原「透華様!」


萩原は透華を追おうとするが、爽に制止される。






誰よりも早く、咲は透華を追いかけていた。

咲は透華を追いかけた。

その姿はもう見えなかったが、咲には何故か確信があった。



普段は、一般の生徒は滅多に訪れない場所。




咲が温室へ入ると、一人の生徒がベンチに腰掛けていた。


透華「…誰?」


咲「咲です」


咲はその勢いのまま透華の隣に座る。




咲(…。駄目だ。どうしたらいいかわからないよ)


私じゃ、何もしてあげられない。




咲(やっぱり、ここは皆を…)



咲が席を立とうとすると、左肩に負荷がかかった。


透華「いて…ここに」


弱々しい声が聞こえる。




透華「居て…!」


透華は涙を流していた。

透華は咲に抱き寄り、嗚咽をもらして泣き続けた。


咲(透華様…)


透華は咲の胸に顔を埋め、声を必死に殺そうとしながら、涙を流し続ける。




咲「透華様…」




私に出来る事。あるじゃないか。





咲「透華様。私にロザリオを下さい」

咲は透華の後頭部を優しくなでながら、そう言った。





透華「嫌よ…!」

透華は泣き声で即答する。

咲「どうしてっ!?」

咲は思いがけぬ返しに同じく即答する。





どうしても。透華は涙を浮かべたまま、顔を上げる。

透華「気が変わりましたわっ」



涙をぬぐい、背を伸ばし、いつものように振舞おうとする。

透華「ハギヨシ…、萩原はね。私の事なんか好きではないの」

透華「でも私は一人娘だし…。彼には龍門渕グループを引っ張っていくだけの力がありますわ」


透華「親もこの結婚を望んでいる…」


透華「だから、彼は私と結婚すると言うのですわ」


透華「でも、私は…」




咲「好きだったんですね」

萩原さんの事。


透華は、はっと目を見開く。




咲「好きな人に。好きでもないのに結婚するって言われたら…」



咲「そんなの、辛いですよね」

透華は理解した。

咲が何故自分を拒んだのかを。


透華「…聞いてくれて、ありがとう」

透華「これは懺悔と一緒。誰にも言えなかったから辛かった」


でも、もう大丈夫。その顔は清々しい。


咲「それでも透華様!ロザリオを下さい!」


咲は必死に懇願する。透華は優しくそれを拒否する。

そして、笑みを浮かべたまま立ちあがる。


透華「私に、戦わせて下さい」

透華「もう逃げたくはありませんわ」


透華は温室の花々を紹介するように手を広げる。


透華「咲は気付いていて?この温室にある半分以上は薔薇なのですわ」


その中でもひと際目立つ薔薇に、透華は手を向ける。


咲(綺麗な色…)


透華「これが、ロサ・キネンシス」



透華はその紅い薔薇について、咲に説明した。


咲はその花が四季咲きであることを、生涯忘れる事はなかった。








学園祭は終わった。



咲は後夜祭のキャンプファイヤーを、遠くから、腰をおろして見つめていた。


咲「終わっちゃった…」


自分のタイを触れる。ここ数日の非日常が終わり、明日からはまた、いつも通りだ。


咲(もう、生徒会室に行く事も無いかな)


フォークダンスを踊る生徒たちの笑い声を聞きながら、ぼんやりと物思いに耽る。


咲(透華様と、お話しすることも…)


だから咲は背後から肩を叩かれると、いつも通りに驚いた。



透華「探しましたわ」



咲「あっ」

背後に立つ透華を見ると、咲はすぐさま立ちあがった。


咲「舞台の成功、おめでとうございます」

咲「とても素敵でした。透華様のシンデレラ」


透華「気がつきまして?」

咲「えっ?」

透華「私、ダンスの時に、ハギヨシの足を三回も踏みつけてやりましたわ!」

咲「ええっ!?」


咲は透華の言葉に驚いたが、その自信満々な表情を見ると、笑いが堪え切れなかった。

透華も咲につられてか、声をあげて笑う。



一通り笑い終えると、透華はうつむき、本題を切りだす。


透華「…いま私が笑っていられるのも、咲のおかげ」

咲「えっ?私は何も…」


透華「少し、付き合ってもらえまして?」






咲は言われるがまま、透華の後ろについていく。

咲(どこに行くんだろう?)

いつもと違う暗い校内を二人で歩く

咲(…綺麗な満月)



しばらくして透華が足を止めた。


咲(ここは…)

あのとき、初めて透華と声を交わした場所。

咲(マリア様の…)



透華は自らの首元に手をやると、ネックレスを外した。

透華「これ…」

振り返り、それを両手で差し出す。

透華「咲の首に、かけてもよろしくて?」


うつむく咲に、透華は続ける。


透華「賭けとか、同情とか。そんなものは無しですわ」

透華「これは神聖な儀式なのだから」

咲は目を見開き、顔をあげる。


ロザリオを持った透華は、微笑みを浮かべていた。



咲「はい。お受けします」

ありがとう。そう言って透華は咲の首にロザリオをかけた。

心地良い重みを感じる咲の耳に、歌声が聞こえてくる。

おそらく後夜祭の生徒達だろう。

咲(これは…)

咲「マリアさまの心…」



透華はその歌を聴き、呟く。


透華「ずっと思っていましたけれど…」


透華「どうしてサファイアなんですの?」



咲「えっ?…ふふっ」




咲(私が、紅薔薇のつぼみの妹になった夜)

咲(月と、マリア様だけが、私達を見ていた)


おしまい

有珠山ミッション系ぽいし、爽がモテモテなので思いつきました。

ss初めてでしたが楽しかったので暇な時続き書きたいです。

読んでくれた方々ありがとうございました。


このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年05月13日 (水) 09:02:44   ID: leStFM6L

マリア様がみてるですか?

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