さらり、ふわり、ゆらゆら(39)


入道雲、ひまわり畑、白ワンピの黒髪ロング、海に続く坂道、西瓜、プール、鬱だ……死のう

お盆


女「もう夏が来てしまいましたね」

男「まだ夏なんだね」

 縁側で、二人。


男「結局、いつもと変わらない、去年と同じ夏だね」

女「時間がたって、季節が訪れるだけで、見えないところが変わっているものですよ」

 長く伸びた影。 赤く染まる裏庭。


女「ほら、去年に比べて君は背が伸びましたよ?」

男「うん、君は変わらないね」

 節目がちな横顔、長いまつげが微かに揺れる。



女「そうやってゆっくりと、でも変わって行くものです」

女「気付かなければきっと変わったことすら分からない」


男「わからないような変化なら、変わっていないのと対して変わらないよ」


 相変わらず、君には触れることができない。



女「君は変わりたいみたいですね?」

男「君は変わりたくないみたいだね?」


 風が吹き抜ける。 生ぬるい風。


男・女「それはどうして?」


 風鈴の音だけが少しの余韻を残して。


男「君と居られるように」

女「奇遇ですね。 私も君と居られるようにです」


 ゆっくりと、夕日が沈む。


男「今の僕じゃあいつまでも君と一緒に居れないから」

女「変わってしまった君が、いつまでも私と一緒にいますか?」


 遠くから虫の鳴く声が鳴り始め。


男「なんだか、しんみりしてしまったようだね」

女「去年の夏はこうはなりませんでした」

男「そうだね、やっぱり変わっているんだね」

女「来年の夏は、案外どちらかが居なかったりするんですよ」

 まだ薄明るい空に、不完全な月が浮かび始める。


男「それって? 君は居なくなるの?」

女「私は、私の時間が終わるまでここにいますよ」

女「変わるとしたら君じゃないですね」

 吐息はかすかに震え。


男「僕は君と居たいな。 色々な場所で君と過ごしたい」

女「私は君と居たいです。 色々な君をこの場所で見ていたいから」

 祭の囃子の練習の音色が風に乗ってここまで運ばれる。


男「来年も僕はここに来るよ」

女「来年も私はここにいますね」


 送り火は燐を夜空へと舞わせて。

 赤々とした残光を瞳に写して。



女「では、そろそろ」

男「あぁ、そろそろ」


 1人縁側で空を見上げる。

 居間に戻り仏壇に手をあわせる。


 仏壇に飾られていた写真は、先ほどと変わらない寂しげな笑みを浮かべていた。

坂道


 茹だるような湿気を含んだ熱気が容赦なく肌に纏わりつく。

 汗で額に張り付いた前髪をかきあげながら「昔はもう少し涼しかったんじゃないだろうか?」と思う。 が、自分自身の記憶の正確さには自信が無い。


 もしかしたら、昔の方が暑かったかもしれない。


 日差しが容赦なく照りつける海沿いの道を抜けて、街路樹が両脇に葉を広げている長い坂道に差し掛かる。

 現役の野球少年だった頃のように、一気に登りきる体力はもう無い。

 少しだけ体力に衰えを感じる肉体を労う為に、古びた商店のベンチに一度腰掛ける。


男「寄り道、だな」




女「はぁ、はぁ、はぁ」

 ひとりの女性がひたすらに住宅地を走る。

 顔の必死さからいって、只の遅刻などでは無さそうだ。

 迷子になった、おいていかれそうな子供を連想させられる悲壮感のある顔。

年の割に幼く見えるその顔立ちがそれをよりいっそう際だたせていた。

女「お願いだから間に合って」


男「思えばあいつはよく時間ギリギリにならないと来なかったな」


 そう呟き、坂道を登り始める。

 数年前までは、自転車の二人乗りでこの坂道を登れたというのに、今は休み休みでなければ上りきれるかさえ怪しいというのは情けない話だと思う。

 が、仕方がない事だった。


 振り返ると海が見えた。


 心臓と肺が一斉に抗議している。

 当たり前だ。

 今までの人生で運動らしい運動などほとんどしたことがないのだから。

 しかし、それでも歩みを止めるわけにはいかなかった。

 少しずつ離れていく海を背に、彼女は急勾配の坂道を走る。

 一歩踏み出す度に足の指が痛む。

 走ることには適さないミュールを履いていた所為で、細い指先に赤い痕ができていることに気づいた。


 痛いほどに鼓動を強める心臓と、それに加えてズキズキと疼く足の指先。


 だが、歩みは止まらない。

 よりいっそう強まる。


 視線の先には、自分が半生を過ごした白い建物が建っていた。


男「ふぅ、もう少しかな」

 坂の半ばあたりに差し掛かった所で呟く。


 木陰の歩道は涼しげな風が吹き抜けて爽やかな気分にさせた。


 葉のすれる音と、蝉の鳴き声以外の音が世界から消えてしまったような感覚に陥る。


 先程までの暑さはもう無かった。


男「さて、そろそろ行くか」


 足に力を入れて再び歩き出す。


 貴方は何処に向かっているの――?



 耳に良く馴染む優しい声。

 どこからともなく、最愛の人だった彼女の声が聞こえてきた。

男「何処に、か、アンタに会いたいからこうして歩いている筈なんだけどな……、いっこうに会える気がしない」



 妄想だと自分では理解している。

 それでも、彼女の声には答えてあげたい。


 脳裏に彼女との思い出が鮮やかに浮かび上がる。


 そうか、そうだな。会いに来たんだ。





 ここじゃないな――。


 見知らぬ天井が、あった。


 瞳が天井を映している事で、自分が目を開いているという事と、ベッドに仰向けで寝ている事を理解する。

 場所は病院の個室だった。


 木が擦れる鈍い音で、病室の入り口に目をやる。


 そこには、育ちの良さそうな、如何にもお嬢さん、といった感じの女性が方を上下させて立っていた。

 余程急いで来たのであろう。
 吐く息は荒く、全身がじっとりと汗ばんでいた。



「ただいま」


 泣き出しそうな表情をした彼女をみて、自然にこんな言葉が零れた。


女「貴方って、本当に馬鹿よ」

 彼女の頬に一筋、汗とは違う雫が混じる。

女「おかえり」

 窓の外を見ると、海が見えた。

 その果ては、空との境界線が曖昧になり一つになっている。

 そんな突き抜けるような蒼に浮かぶ純白の入道雲。

「ただいま」


 誰に言うでもなく、もう一度その言葉を呟いた。




 ――神様って、居ると思いますか?

 七月の暑い日。 少女は言った。


 田舎とも都会ともいえない、強いて言うなら蝉の声が少しうるさい住宅街の一角を通りながら、僕はそれに対する返事を考える。


 でも、結局僕はそれに対して「んー」と悩むふりをするだけ。 

 悩んだふりをするのはそうしないと彼女がすねるから。

 ならばなぜ、しっかりとした答えを返さないか。

 それは彼女の望んでいる事を答えてあげられそうにないから。


 ――神様って、居ると思いますか?

 七月の暑い日。 少女は言った。


 田舎とも都会ともいえない、強いて言うなら蝉の声が少しうるさい住宅街の一角を通りながら、僕はそれに対する返事を考える。


 でも、結局僕はそれに対して「んー」と悩むふりをするだけ。 

 悩んだふりをするのはそうしないと彼女がすねるから。

 ならばなぜ、しっかりとした答えを返さないか。

 それは彼女の望んでいる事を答えてあげられそうにないから。


 ――神様って、居ると思いますか?

 七月の暑い日。 少女は言った。


 田舎とも都会ともいえない、強いて言うなら蝉の声が少しうるさい住宅街の一角を通りながら、僕はそれに対する返事を考える。


 でも、結局僕はそれに対して「んー」と悩むふりをするだけ。 

 悩んだふりをするのはそうしないと彼女がすねるから。

 ならばなぜ、しっかりとした答えを返さないか。

 それは彼女の望んでいる事を答えてあげられそうにないから。


 彼女は不満げに頬を膨らませる。

 その姿をみて愛おしいと思う反面、次の瞬間には酷い自責の念に駆られた。

 彼女は。

 血の繋がった実の妹なのだから。


 じんわりと汗ばむ生地の悪い安価のtシャツのいやな感覚を背中に感じながら、空を見上げた。

 何層も重なり、立体的な陰を作る入道雲。 それはその大きさと白さだけで目が痛くなるほど見事で。

「アイス、溶けちゃいますね」


 妹は先ほどまでの話題から切り上げて、僕の手で揺れるコンビニの袋に目を遣った。


 僕は、アスファルトに色濃く影を落として揺れているそれを見て「そうだね」と軽く返す。

 我ながらつまらない返答だとは思ったが、やはりそうとしか返せないのだから仕方がないと思う。

「やっぱりお兄ちゃんはつまらない人ですね、がっかりしました」

 妹に落胆されるのは慣れているが、それでも自分の言葉のポキャブラリーのなさに辟易する。


「そこに公園があります」


 住宅街が途切れた所に小さな公園が確かにある。だけど、それは言うほどの事ではない。 この辺りに住んでいれば誰でもわかる事だ。

 妹はやはり不満げだった。


「お兄ちゃんはやっぱり鈍感です」


 妹は、僕の手からコンビニの袋を奪うと駆けだした。

 向かった先は話題になっていた公園。 

 ここでやっと妹の言いたいことが理解できた。

 彼女は公園でアイスを食べたかったのだろう。

 確かにアイスを食べるなら融けていない方がよい。


「そこのベンチに座りましょう」
 誰も居ない公園の丸太を模したベンチに腰掛けてアイスを袋から取り出す。

 誰も居ない公園はそこだけ世界に取り残されたように静かだ。


 隣り合って、作りの荒い木製のベンチに腰掛ける。

 吐息の音が微かに聞こえ、身じろぎすれば肩が触れ合うほどの距離。


 tシャツの薄い布越しの妹の肌はじっとりと湿っている。


 妹も汗をかいていた。



 汗ばんだうなじ、中学生にしては幼い体つきに張り付くtシャツ。

 むせかえる様な夏草の臭いの中、風が吹きぬける。

 妹の匂いがした――

 汗と体臭と石鹸が混じったようなその匂いが鼻腔を刺激し、後頭部辺りから意識がぼんやりと濁りだす。


 思考が止まり、ぼんやりと、遠くで揺れる陽炎を眺めながら。 僕は妹の匂いに充てられていた。

「アイス、融けてますよ」

 怪訝そうな妹の声で我に返る。

 そして今日二度目の自己嫌悪。
 本当に病気だ。

「大丈夫ですか? 暑さで頭がやられたんじゃ……」

 下から覗き込む妹と目が合った。

 あわてて逸らそうとして視線を泳がす。

 一瞬だけ胸元に目がいくと、僅かに空いたtシャツの胸元から妹の下着が見えた。

 肉付きの悪いくっきりとした首筋と鎖骨、そしてその下の僅かな膨らみを包む、飾り気のない鼠色のスポーツブラ。



 頭で色々と否定しても下腹部に集まりだす血液と唾棄すべき劣情。


「いつも変ですが、今日はいつもに増して変です、本当に大丈夫ですか?」


 妹の言葉に対してなんとか「大丈夫だよ」と答えた。

 いくらなんでもこれだけは駄目だ。 絶対に。

 自分に何度も言い聞かせる。

 暑さで頭がうまく働かないのも原因かもしれない。

 帽子をかぶってくれば良かった。

 不快な冷たさで額に張り付く前髪をかきあげて思う。


「貧弱なんですから無理したら倒れちゃいますよ」


 妹が元の体勢に戻りほっと一息。 

 しばらくは無言でアイスを食べる。


 僕はこの沈黙を気まずいとは思わない。 むしろ心地良いとさえ思う。
 話さなくても気まずくならないのは兄妹だから、二人の距離がちょうど良いから。

「お囃子が聞こえます。 近くでお祭りでもあるんでしょうか」


 沈黙を破り、妹は誰に言うでもなく呟いた。

 僕は「行きたい?」と訪ねる。

「一人でいっても退屈なだけです。 お祭り事態そこまで好きでもありませんし」

 妹はそれに対して素っ気なく答えた。


 思い切って「一人が嫌ならついて行こうか?」と言ってみた。


 妹も年頃なので、こんな兄を連れてお祭りを回るのは嫌だとは思うけど。



 でも妹は、実は祭りの類が好きなハズだ。 小さい頃は嬉しそうに回っていたし。 屋台から屋台へ、人混みを縫うように連れ回された事もある。

 なにより、僕が彼女と一緒に居たかった。

「お兄ちゃんと……ですか……」

 妹の声のトーンが一段下がったのがハッキリとわかった。

「私に気を使っているつもりですか?」


 否定する。 僕はただ妹と祭りに行きたいだけだ。

 むしろ、気を使ったふりをしてあわよくば一緒に祭りを回ろうとする僕はやはり最低だ。


「嘘です。 お兄ちゃんは私に気を使っているだけなんでしょう」

 否定する。 「一緒にお祭りに回りたいだけだよ」と。


 妹は、節目がちに僕を横から睨む。


「優しいんですね」


 ふてくされたような妹に僕は「お兄ちゃんだからね」とだけ答えた。


「私は、神様って居ると思います。 しかもとびきり性格の悪い」

 妹が急に言う。


 だってこんな人がお兄ちゃんなんだから――



 妹の言葉は、うまく聞き取れないまま風になって消えていった。

「お兄ちゃんがどうしてもお祭りに行きたいのなら、私が仕方なくつきあってあげます」

 そう言うなり、妹を走り出す。 公園の出口まで走り、一度止まり、振り返る。

「早く帰って支度しますよ。 全く鈍くさいですね、お兄ちゃんは」

 妹の声で急いで立ち上がる。


 遠くから、夏の始まりを告げるお囃子が聞こえてきた。

向日葵




 ある夏――



 いつものように向日葵は咲いていました。

 照りつける真夏の太陽を真っ直ぐに見上げて。


 その向日葵を真っ直ぐ見上げている独りの幼い少女。


「貴方おおっきいのね」


 ある夏――


 いつものように向日葵は咲いていました。

 いつもより暑い夏です。
 向日葵は照りつける真夏の太陽を真っ直ぐ見上げています。


 そんな向日葵を見上げる年頃の少女。


「貴方に少しは追いついたかしら?」


 ある夏――

 向日葵はいつもの場所に咲いていました。


 今年は少し寒い夏でした。

 どんよりとした雲の向こうにある筈の太陽を、真っ直ぐ見上げています。


 そんな向日葵を節目がちに見上げるひとりの女性。


「サヨナラ、元気でね」


 ある夏――

 辺りにはビルが建ち陽の光は殆ど届きません。


 けれど向日葵は太陽がある方向を真っ直ぐに見上げています。

 そんな向日葵を見上げるひとりの老婆。

 「この辺はすっかり変わってしまったね。なのに貴方は変わらないわねえ」

 幼い少女がやってきました。

「おばあちゃん、なに見てるの?」

「古くからの友達だよ」

 幼い少女は向日葵を真っ直ぐ見上げました。

「貴方おおっきいのね」


 きっと来年も、そのまた次の年も、向日葵はいつもの場所に咲いていることでしょう。

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