【モバマス】森久保乃々「夢の向こうまで」 (22)




「……の、乃々ちゃんは…どうして、アイドル……やめないの…?」



純粋な疑問。


その言葉は、私に投げかけられて当然の一言で、何の不思議もない一言。
私を少しでも知っているような人なら、自然と浮かんでくる、言われて当然の一言。
数日前の私なら、数週間前の私なら、数か月前の私なら、ほんの少し前の私なら。
いつものように、狼狽え、戸惑い、誤魔化し、逃げていただろう。


でも、今は違うから。昨日の私とは違うから。
胸を張って、こう言えるんだ。



「―――



―――――――――――――――
――――――――――
―――――




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「おはようございます……」



視線を下に下げ、小さな声で挨拶をしながら、事務所の扉を開ける
扉の向こうは決して大きいとは言えない事務室で、いつもと同じ光景が目に入る
散らかったデスク、黒いホワイトボード、来客用のソファーに、ファイルだらけの大きい棚


音を立てない様に、静かな足取りでその中を進む
少し奥に入ったところで、いつもの男性が声を掛けてくる



「おはよう、乃々」



パソコンの前だけは整理されている、デスクの前に居座るスーツ姿の男性
私のプロデューサーさん


声を掛けられ、少し遅れて返事をする



「……あ、お、おはようございます…」





相変わらずのたどたどしい挨拶に、自ら嫌悪感を抱く
視線を合わせることも出来ないのか、もう少しでも大きい声を出せなかったのか
今更考えても仕方ないような後悔が、胸の中に奔る



「ああ。それじゃ、今日のスケジュール――――」



そんなことを考えている内にプロデューサーは、今日私がやるべきことについての説明を始める
後悔をしてても仕方ない、聞き逃さないようにちゃんと話を聞かないと





プロデューサーの説明が終わる
聞き逃しが無いか、問題点や気になる箇所がないかを確認される
私は一つ一つに拙い返事をし、何とか今日のスケジュール確認を終えた


それを確認した私は、いつもの一言を放つ



「……あの、お仕事……行きたく、ないんですけど……」





お仕事には行きたくない
それは私の本心で、包み隠さずいつもの通りに伝える
雑誌のインタビューも、バラエティの撮影も、音源の収録も


行きたくない


本当は此処にだって、来たくは無かった
学校から直帰して、自分の部屋で、布団に篭りながら好きな少女漫画を読んだり、そのまま寝ちゃったり
華やかな舞台じゃなくって、静かな場所で寝ていたかった


それでも此処には来るしかなかった
来るしかないから来た
それは偽りじゃなくて本当の気持ち


それでも、返される言葉はいつもと同じ



「だめ。今日はレッスンに軽い仕事だけだから、頑張れ」



うん、いつも通り。当たり前だ
ただ、『行きたくないから』という理由だけで仕事を休ませる訳はない


そんな上司なんてどこにもいない
私が同じ立場でも、それで帰すような真似はしないだろう


「……わ、分かりました…」



納得のいかない了承を、いつもの通りに吐き捨てる







抵抗しても、どれだけ駄々をこねようと、結局はお仕事に行くことになる
だから諦め了承の返事をして、振り返り視線を下げ、重い脚を動かしてソファーに座る
これがいつもの光景
嫌々事務所に来て、いつもと同じやりとりをして、辛いままお仕事をする


そんな日常を繰り返している内に、私の中には疑問が生まれた



『本当に嫌なら、逃げ出しちゃえばいいのに』



そんなことを思い始めたのは、今ではなく、最近でもない
私がアイドルになってから、毎日、毎晩、ずっとそう思ってきた


それでも逃げ出さない理由は、自分でも分からない
嫌なのに、嫌なのに
逃げ出しちゃいたいのに、私はアイドルを続けている





そもそもアイドルになったのは、私の意志からじゃない
両親が勝手に応募して、いつの間にかアイドルになっていた
最初の内は反発もした


『どうして勝手に』


いつもそう言っていた


両親は私を溺愛しているようで、可愛い子には旅をさせよと言わんばかりに応募したらしい
そのせいで、私はこんな日常を送ることになっている
ここで知り合ったお友達もいるけれど、頼れる人もたくさんいるけれど
皆と一緒にいるのは、とても楽しいけれど
それでも嫌な気持ちは変わらない


何て心の中で思っていても、私は行動に移さない
何故かは分からない


逃げ出しちゃえばいいのに、逃げ出しちゃえばいいのに


何度も、何度思っても
私は逃げ出さない
それが分からない、矛盾している
分からないから、理解出来ないから、放っている


………そんなことを考えていると、もう時間だ



行かなきゃ





偽りに煙る街の騒めきに、気が滅入る


レッスンが終わって、たどたどしい別れの挨拶を終えた私は、事務所の外へ出ていた
日はもう落ちていて、空には瞬く星と半分だけの月
人の群集に混じり鳴り響く、甲高いカラスの鳴き声


帰りの電車に乗って、窓の向こうに映る街を眺める


特に何も考えず
半分意識は無くなって、今私は夢の中にいるんじゃないか、何て錯覚を始める
けれど、イヤホンから頭の中に流れ込むいつもの音が
私を今に留める





次の日も


その次の日も


週を跨いでも


カレンダーが捲られても



私の頭の中はずっと同じ



行きたくない、帰りたい
行きたくない、帰りたい
行きたくない



どうして、行くんだろう
どうして、逃げ出さないんだろう
どうして、





いっそ、逃げてみようか



一度実行してみれば、少しは変わるんじゃないだろうか





行動に移るのは早かった
今日の私はいつもと違った
きっと、限界が来たのだろう
心の隅っこからいつもと違う、私のものではないような、勇気と言えないような勇気が溢れて止まらない


逃げよう



そう思ったら、もう既に動いていた
朝、事務所前で目先を右にやる。合わせて身体をそっちに向けて、ひたすら歩き続ける
数分も歩けば、そこはもう知らない場所で、新鮮な景色に前を向きながら歩く



錆びた自販機、昔ながらの駄菓子屋
元気に足を動かし中へ入る数人の子供達
皆で笑いあいながら、両手にたくさんのお菓子を抱える


蒼い川、盛り上がる碧の丘
カップルらしき青年と少女が、身を寄せ合って水を眺めている
少女が笑うと、青年も笑った


小さな公園、複数の遊具
人っこ一人いない寂れた公園
私はその公園を前に立ち止まり、振り返ることなく足を踏み入れた





もう、お日様も落ちかけていた
一人ベンチに腰掛けて、人も通らない草木で満ちた通りを眺める


プロデューサーさん、怒ってるかな
今日のお仕事、どうなったかな
皆に迷惑、かけちゃったかな


今更な後悔が押し寄せてきて、胸が苦しくなる
指先が熱くなり、視界は狭まって、躰が強張る


どうしよう
どうしよう


頭の中に謝罪の言葉を連ねる。出てくる言葉は皆同じ


ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい


それしか思い浮かばない、それ以外にいうことがない、何も分からない
熱い、熱い、目が熱い




「ごめんなさい……」




目からは雫が、口からは音が、一緒に堕ちた





「乃々」



顔を上げる
いつもの声、いつもの格好、いつもとは違った顔
冷静な顔で、それでいて険しい表情をする、私のお父さんだ
隣には、今にも泣きだしそうなお母さんもいる


声は出なかった
口から漏れるのは嗚咽だけで、瞳からは涙も溢れる


お父さんとお母さんが近づいてきて、隣に座った





炸裂音


お母さんが右手を上げ、私の頬を叩いた
でも、痛みが来るより先に、お母さんの温かみが私を包む


お母さんは私を叩き、そのまま抱きしめた
強く、強く、抱きしめた





「Pさんから連絡があった。どうしてこんなことをしたんだ?」



「…………わ、わから、ない……から…」



お父さんは黙って私の話を聞いている
とても聞きやすいとは言えない、嗚咽混じりの涙声を、ただただ黙って聞いている



「………どう、して…アイドル、やめない、のか……」


「にげたい、のに……にげないのも…」


「いや、なのに……いやなのに……わかんない……」



嗚咽が強まる
視界は遮られ、世界が歪む





「乃々は、期待に応えたいんじゃないのか」



期待



期待?誰の期待?



「お母さんと、お父さんの期待に」





あぁ


そういうことなんだ


私は、二人の期待に応えたかったんだ
抱えさせられた期待に
二人の為に、二人を落胆させないように、私はアイドルを続けていたんだ
だから逃げたくても、やめたくても、二人のことが大切だから、二人を失望させない為に、アイドルを辞められなかったんだ





「最初に言ったな、辞めたかったら辞めてもいいって」


「でも、お前は今もアイドルを続けている」


「俺達の期待に応える為に、頑張っている」


「無理に頑張っている」


「ごめんな」


「無理にやらせて、ごめん」


「お父さん達が、身勝手すぎた」


「期待に応えなくったっていい」


「辛かったらやめてもいい」


「乃々に任せる」



私は


私は……





私は、辞めない
アイドルを続ける


二人の期待に応える為に
私を生んでくれた、二人の為に


期待に応えて、恩返しをする
それが、子供の責任だと思うから


包み隠さず、本心を伝えた





「そうか」



「分かった」



お父さんが、私を抱きしめる
ゴツゴツとした大きな手が、頭に触れる
大きな体と長い腕で、お母さんと一緒に私を包み込む
それはとても安心できて、とても幸せだった


私はもう泣いていない
今、全てに納得できたから
ただ、ただ


二人の暖かさに、優しさに、愛に包まれて




暮れ行く空、からかう風
二人の手は冷たいけど


放さないで、歩いていたい




一人じゃない


一人じゃない






―――――
――――――――――
―――――――――――――――



「―――皆の、ため、です」



お昼休み、学校では唯一の友人である同級生と食事をしていたら、そんなことを聞かれた。
似た者同士は惹かれあうのか、私にとても似ていて、内気な娘。
友人と言うほどにコミュニケーションを取っている訳ではなく、一緒にいても話すことは滅多にない。
でも一人じゃ寂しいから、食事はいつも一緒に食べるような、そんな仲。

そんな友人が、珍しく質問を投げかけてきた。





「……そ、そっか…」



「……はい…」



「……お、応援…!してる……から」



「………ふふっ……ありがとう、ございます」





『どうしてアイドルをやめないのか』



今の私には、その理由が明確に分かっていた。


お父さん、お母さんの期待に応えるため。


でも、今はそれだけじゃない。


プロデューサーさん、ちひろさん、トレーナーさん、事務所の皆……そして、私のファン。



全ての期待に応えるために、私は頑張る。
今でもお仕事は辛いけれど、レッスンは大変だけれど、人と話すのは苦手だけれど。
それでも、それでも。



お仕事を終えたら、プロデューサーさんが褒めてくれて。
事務所に帰れば、ちひろさんが出迎えてくれて。
携帯を見ると、輝子さんや美玲さんからの連絡が入っていて。
笑いながら、一緒に帰って。
家に着けば、お母さんの声が聴こえて。
そして、お父さんが帰ってきて、三人でご飯を食べて。
一日を終える。



辛くて、大変で、嫌だけど。
それでも、少し幸せだから。



いつもと同じセリフも、少し笑って言えるんだ。


皆と、私の幸せの為に、私は頑張る。
この夢みたいな世界を、私は生きる。




夢の向こうまで、私は旅を続ける。
皆を連れて。





おしり
本日はアニメ第8話だ!皆丸太は持ったな!行くぞォ!
前作です
【モバマス】幸子「フフフ……驚かせてあげますよ!」
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