「彼女は景色を食事とすることが出来た」 (16)
綺麗な景色を見ればそれだけで腹は満たされた。
太陽の燦々と照り付ける街並みは果物の味、高いところから見下ろす景色は目も覚めるような炭酸飲料。
大きな質量を備えた岩山は食べ応えのある肉だった。
天気のいい日でも悪い日でも、助手席に彼女を乗せて色んな景色を見に行った。
おしゃべりな方ではあったが、景色を見ている間は彼女はじっと黙っている。
いつかの山で見た、夕日に照らされた彼女の横顔が何より美しい光景だった。
たくさん、綺麗な景色を見せたいと思った。
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俺は彼女と一緒に食事をするのが好きだった。
二人とも仕事が休みの日は一人分の弁当を持って遠出をする。
彼女の作ったおにぎりを頬張りながら、二人でじっと地球を見ていた。
景色を見ている間、やっぱり彼女は何も言わないけれど、きっとそれは目の前の壮大な料理をよく味わって食べているのだ。
また彼女は好んで美術館に行った。
展示してあるガラス細工は砂糖菓子の様な味がする。
二人で覗きこむとくにゃりと曲がった姿が写り込んで、彼女は俺の味がすると言って笑った。
よく覚えておけ、それは生涯口にすることになる味だぞ。
おどけると彼女はそうかもね、とまた笑顔になった。
石英彼女の人か?
料理達者だったが、彼女が手料理を口にすることはなかった。
俺が景色を見て腹が膨れないように、彼女がそれらを食べて満たされることはない。
それでも俺に喜んでほしくて、たくさん料理本を買って練習したらしい。
愛しくなって華奢な体を抱きしめると、エプロンから肉じゃがの匂いがした。
俺が好きな、甘めの味付けの肉じゃが。
味見も出来ないだろうに。
景色を食べる彼女が好きだ。
俺の為だけに料理してくれる彼女が好きだ。
たくさん色んな所に連れて行ってやらなければいけないと思った。
更に深く抱きしめると彼女は苦しいよ、と笑いながら俺の肩を叩く。
急にどうしたの、と聞かれたから、胃袋を掴まれたんだよと答えた。
彼女ははたと離れて数秒間俺と見つめあうと、黙って唇を重ねてきた。
今度は俺がどうしたのと聞くと、私も胃袋を掴まれたんだよ。
あなたの味がする。
そうして二人でまた笑顔になって、ずっと抱きしめあっていた。
お互いに諍いを好まない性格だったが、一度だけ大きな喧嘩をやらかしたことがある。
きっかけは写真だった。
彼女は二年前に買ったノートパソコンで、今まで行った場所の写真を眺めていた。
俺が写真の景色でも食べられるのか、と聞くと料理のサンプルみたいなものだから無理、との事。
ああ料理屋の店先でよく見るアレか。
そうそうあんな感じ。実物じゃないと食べられないよ。
ふーん、じゃあ写真撮っててもあんまり意味がないな。
は?どういうこと?
だから……
ハッとした時にはもう遅く、空間には稲妻のような亀裂が走っていた。
やってしまったという後悔が途端に全身を襲い、ぶるるっと身が引き締まる。
聞いたこともないような恐ろしい声で彼女は唸った。
じゃあ何、私に食事させるためだけに出かけてたって言うの。
馬鹿にしないで。
短い言葉は鋭利に心臓に突き刺さる。
急に口の中が乾いて、つばを飲み込むのに苦労した。
馬鹿にしないでよ。
初めて一緒に綺麗な場所へ行こうって言われた時すごい嬉しかったのに。
朝早くに起きて、うきうきしながらあなたのお弁当を作る時、どれだけ幸せだったか分かる?
食べられないなら意味がないですって?
その写真は……
彼女の瞳はもう潤んでいた。
その写真は、私の幸せそのものなんだよ。
あなたと一緒に見られたらどんな景色でも良かったんだよ。
ずっと目を瞑ってても幸せだったんだよ。
なのに。
堰を切ったように感情が溢れ出て、とうとう彼女は床にへたり込んで泣き出してしまった。
ごめん。
もう二度とあんな事言わないから。
許してくれ。
彼女が今までどうにか自分の中に押し込めていたものを、俺は簡単に破壊してしまったのだ。
彼女はずっと苦しそうに嗚咽を漏らして、両手で顔を覆っていた。
その日は一度も喋らずに、別々の布団で寝た。
次の日に二人とも早起きしたのは、山に登る約束をしていたからだ。
頂上で一緒に食事をとるために。
でもこの約束だって、俺が彼女に食事させるためだけに取り付けたものだったのかも知れない訳で。
俺は自分のエゴが見えてくるようでたまらなく恥ずかしかった。
今すぐ別の場所に行こうとか、今日は止めにしようとも言える勇気が出なくて、気が付いた時には車に乗り込んでいた。
昨日と同じく会話はない。
寂しい車内に不似合いなJポップが、小さな音量で流れていた。
ちらりと助手席を見る。
凛とした表情で遠くを見つめる彼女は、怒っているとも呆れているとも分からなかった。
すぐに前を向いて、手持無沙汰になってBGMの音量を上げた。
音が大きくなって驚いたのか、彼女は少しだけこっちを見て、またすぐ前に向き直ってしまった。
会話はやはりなかった。
無言で山道を登るのは、呼吸以上の息苦しさがある。
斜面を滑り落ちそうになる彼女を黙って支え、急な場所では黙って手をつないだ。
でも助けても助けられても彼女は出来るだけ俺の方を見ないようにしていたし、俺もそんな彼女を見ていられなくて目を背けた。
途中で自生していたアケビの話も、前登った時に見たのと同じ鳥がいた話も出来ずに、改めて昨日の俺の罪深さを知る。
今まで喧嘩なんてなかったから特に堪えたのかもしれない。
それでも登っていけば何か変わるんじゃないかと期待して、黙って足を前に出す。
彼女も俺と同じ心境で居てくれていないか。
そう期待するのは俺の、気の使えない部分だ。
そうして頂上に着いた。
もう日は傾いていた。
瞬間。
景色がぶわりと広がって見えた。
見渡す限り俺達より高い場所にあるものは何もなくて、沈みかけた太陽は山々を照らす。
さっきまで登っていた暗い道は、明るく染め抜かれている。
色々話したかった道中の話題たちは皆一様にオレンジになって、じき夜になるのを待っていた。
綺麗だった。
ざあ、と耳元で音がして前から風がきた。
彼女の細い肩に、風になびいた黒髪がかかる。
ああ太陽光だと茶髪に見えるんだった、そんな事を思い出しながら髪を後ろに流すと、彼女と目があった。
「綺麗だね」
彼女は初めて口を開いた。
一番美しかった横顔を思い出した。
「……綺麗だな」
彼女の口から景色の感想を聞くのは初めてだった。
景色を見るときはいつも黙っていたから。
しばらく見とれていると、彼女が横から包みを差し出してきた。
「お弁当食べる?」
「……ああ」
彼女とまた喋れたことが嬉しくて、彼女が綺麗だと言ってくれたことが嬉しくて、俺は思い切りおにぎりを頬張った。
「美味しい。ありがとう」
そう言うと彼女は俺の手をぐいと引き寄せて、おにぎりにかぶりついた。
驚いて呆けている間に、口元に付いた飯粒まで食べてしまった。
もぐもぐと口を動かしながら彼女は笑う。
「えへへ、美味しいね」
味はきっと分からないままだろう。
でも彼女がおにぎりを美味しいと感じたのは、俺がこの景色の美味を味わっているのと同じだろうと思った。
嬉しくなって、言った。
「景色がうまい」
「おにぎりが美味しいよ」
「両方美味いな」
「そうだね」
二人でずっと美味しいね、綺麗だね、と言いながら日が沈むのを見た。
行きに話したかった分を取り返しながら、山を下りる。
いつかの幸せな会話。
「なあ」
「んー?」
「美術館でさ、ガラスに俺が写り込んだ時とかさ、俺の味がするって言ってたじゃん?」
「アハハ、あー、そうだね、する」
「俺って何味なん?」
「んー……あんまり美味しくないの」
「え、俺まずいのかよ」
「あ、違うの、マズい訳じゃないの。うまく言えないけど」
「食べ物だったら多分、お米かな」
「そうか」
彼女は景色を食事とすることが出来た。
おしまいです。見てくれた人ありがとうございました。
>>3
そうです、石英の者です
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