橘ありす「ハイエースと私」 (27)


「いい車だったのにな……」


 Pさんはそう呟きながら、ハイエースのボンネットを叩きました。丸みを帯びたそれは打たれて響き、コンコン、と軽妙に音を立てました。


「売っちゃうんですよね」


「ああ。送迎にはもう使えないからな」


 つい最近のことです。女性がハイエースで誘拐されるという事件が起きました。


 私のいる346プロは世間体を考慮し、アイドルの足として機能しているこの車を買い換えることにしました。


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「……もし、私が二十歳だったりしたら、この車はここにいられるんですか」


 無理だってわかっていても、聞かずにはいられませんでした。


「アンダーティーン層の穴が抜けたら、新しくスカウトをするだけだ。……結局、仕方がない」


 グチっぽく吐き捨てて、Pさんはドアを開けました。ハンドルの真横に掛けられたキャラ物のアクセサリーー女子小学生に人気らしいマスコットの『がんがんれおん』を取り出しました。暑苦しい笑顔がチャームポイントの、タンクトップを着た傷だらけのライオンのキャラクターです。……私の趣味じゃありません。雪美さんや薫さんが、『がんがんれおん』の文房具を使っていたから知ってただけです。


「なんでそんなの、車についてたんでしょうか。……Pさんの趣味ですか?」


「この車、会社の持ち物だから……、前に使ってた人がくっつけたまま、忘れちゃったんだろう。俺がこいつに乗った頃からくっついてたし」


「貰っちゃうんですか」


「ン。交通安全の御利益がありそうだし、何より可愛いしな」


「信じられません。らんど君の顔が可愛いなんて」


 つい、『がんがんれおん』の公称ニックネームを呼んでしまいました。


「……調べたワケじゃないです。薫さんがそう呼んでただけで」


「聞いてないぞ」


 Pさんの口角が持ち上がりました。……完全に失敗です。気になって自力で調べたのだと、きっと悟られたでしょう。小さな恥ずかしさがネズミ項のように増大し、たぎる血となって頭に上りました。Pさんは私を哀れむように見てから、大きな身体をオフィスに向けました。


「俺はこのあと、査定の電話だが……ありすはどうする?」


「もう少し、車を見てていいですか」


 Pさんは「汚すなよ」とだけ言って、ペットボトルの紅茶を寄越して、オフィスに戻っていきました。

大きくて、しかし寂しそうな背中を見送ってから、ハイエースと向き合いました。


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  寒さで手が悴んでいても、キャップのギザギザが摩擦を生んでくれるから、ボトルは簡単に空いてくれました。中身の紅茶からは、柑橘の香りがする。


「んくっ……」


 冬場だからって、温かい物を飲まなきゃならないルールはありません。だから私は、アイスのアールグレイを飲みました。一息でボトルの半分を飲み干したのは、半ばヤケ飲みだったからです。


「あなたは何も悪くないのにね」


 キャップをしめて、ハイエースのライトを撫でました。手にすすがついたけど、かまわず撫でさすります。泣く子をあやす様にです。


 人の脳は三つの点を顔と認識する。その説はまったく正しいらしく、現に私はハイエースに人間を重ねていました。


 気が優しくて力持ち。大きな身体に相応しく、器量が広くておおらかな性格。……でも、皆に嫌われている。私にとってハイエースとは、そんな人格でした。


 人間の都合で使いつぶされるのが道具の本懐であるのなら、ハイエースは文句ひとつ言うことなく売り飛ばされるでしょう。光の灯らない無言のライトは、そんな寡黙さで私の哀れみに返事をしました。


「あなたは口があったら、持ち主に、犯人になんて言いたいですか」


 バックドアに移動し、顔を押しつけます。


「教えてくれないってことぐらい、わかってます。でも、私はあなたの代わりにそれを言いたい。あなたは何も悪くないんだって言いたい……」


 バックドアを開けて、後部座席に抱きつきました。ざらざらしてて、少し冷たい。けれど、芯には温かさがある、慣れ親しんだクッションです。


このクッションは、ハイエースは、私をずっと見てくれた。


 車内で台本を読んで車酔いし、あわや大惨事になりそうになった時も。


 名前を小馬鹿にされて、ありすが日本人の名前で何が悪いんだ、私は日本人だと、唇を噛みしめてすすり泣いていた時も。


 全てを見てくれたこの車は、私を外の世界へ連れてくれる魔法の靴であり、自らの半身そのものでした。


(でも、さよならしなきゃなんだ)


 手元の紅茶を車内でこぼし、クリーニングの時間を稼ごうかと思いつきます。……やめました。洗車代が査定から差し引かれるだけだからです。


ドアをしめて、車の匂いにこもりました。私だけが使ってた車じゃなくて、346プロが女所帯だったからか、ほんのりと甘い香りがする。それがちょっとだけ息苦しいけど、不快ではありませんでした。


 もう、半分の身体と出会えない。現実が体幹からバランス感覚を奪い、身体をクッションに押しつけさせました。手足は私のものじゃないみたいに震え、自分の体重で押さえ込むのでやっとになりました。


 そうして身が、意識がクッションに沈む中で、夢と悔しみの体験がーーハイエースと共有した思い出が、何度も何度も反芻されました。


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「ついたぞ。収録、期待してる」


 キキッ、と、タイヤが地面を擦る音に揺さぶられ、夢から目が覚めました。運転席のPさんが、後部座席の私にヒラヒラと手を振っています。


「……また、見ちゃった」


 これで何度になるだろう。眼の周りの涙を拭おうとしたけれど、涙はすでに乾いていました。


「よく寝ていたな。疲れてるなら、あと五分くらいは休めるが」


「別に、疲れてなんかいません。この車が揺れるのがいけないんです」


 呆けた脳味噌に酸素を送り込むべく、肺いっぱいに空気を吸い込みます。新車の不快なプラスティック臭が鼻腔を刺激して、むせました。


「わからん話じゃないな」


Pさんはキーを引き抜き、降りる支度を始めました。私はその広い背中に、質問を投げかけました。


「あの車、どうなったんでしょうか」


「国内で捌けたか……あるいは、国外かもな」


「国外?」


「ああいう頑丈な車は、過酷な環境でも走ってくれるから、引く手あまたなのだとさ」


 シートから降りたPさんを尻目に、私の意識はハイエースに飛びました。


 無菌状態の真白の砂漠を、オーロラの万華鏡が照らす酷寒地獄を、大地を焦がす灼熱のサバンナを、猛烈な湿気と生命が息吹く密林を走るハイエースの姿が、脳裏に浮かびました。

 誰の偏見にも苦しめられず、自らを必要としてくれる人に向けて、自分の力を証明し続けているはずです。使いつぶされることがマシンの本懐ならば、あの車はなにより幸せなハイエースかもしれません。

 そうやって活躍するハイエースを想ううちに、私は走ってる車じゃなく、ハイエースの見る極限環境を夢想していました。それは、運転席に座る私の視点であり、私自身がハイエースと同化することでした。

(私は、ハイエースに自分を重ねていたんだ)

 ふと、そんな考えが胸をよぎりました。……私はハイエースの人格ほどに大らかじゃないのに、何となく納得できました。


 きっと私は、ハイエースのような大人になりたいのかもしれない。私は、理想の自分を車に見ていたんです。


 大きな陰がバックドアを開けて、私の前に入ってきました。


「その量の付箋なら、現場で質問出来そうだな」


 Pさんは私の手元にある、ガチャック留めの資料を指さしました。資料の表紙には『アニメがんがんれおん 天刻篇』と大書されてます。


 Pさんが企画した、私と『がんがんれおん』のタイアップについての資料です。


「はい。歌の最初の『負けないぜ♪』が三回続くところの強さは、どれくらいがいいのか、これの説明だけだと不明瞭で」


 Pさんは同意を示す相づちを打って、深くため息をつきました。


「作詞作曲をやる人って、本当にフィーリングで書いちゃうものな……」


「それを読み解くのだって、歌う側の仕事です」


胸を張って答えます。


「頼りになるな」


 Pさんはフフンと、まるで自分の子の成長を喜ぶように、誇らしげに笑って降りました。私もシートから降りようとして、しかし身体がふらつき、クッションに倒れ込みました。


「大丈夫か」


「ただの寝起きです。……あれ」


 寝ころんだ私の目線の先には、ハンドルがありました。その脇には、タンクトップを着たライオンのキャラクター・アクセサリが飾られてました。


「らんど君か? 交通安全の御利益を目当てに、再利用してるんだ」


 Pさんは口と手を並行して動かし、私の荷物を持っていこうとしました。でも、もう大丈夫だと断りました。らんど君の暑苦しい笑顔が、遠い所にいるハイエースが私に送ってくれた激励なんじゃないかって、想像出来たからです。勘違いや思いこみであろうと、絆の実感が活力を生んでくれました。


「心配させてすみません。先に行って下さい。締めておきますから」


 Pさんはそれを許し、キーを貸してくれました。


 車をいったん降りて、それから運転席に座りました。目線がいつもより高くて、宙に浮いたような不安を感じたけれど、おぞましさよりも好奇心が強くなりました。


(私も運転してみたいな)


誰を乗せるのか、何処へ向かうのか。それを決めることは出来てないけど、そんな夢が生まれました。その時一緒になる車は、ハイエースじゃないかもしれない。けれど、


(過酷な自然に負けない、あなたみたいになりたい)


 未来の指針として、車が私の光になって照らしてくれると、信じるようになりました。


「私だって負けません。私の名前は、私の名前です」


 だから、見守っていて。その二の句は省略して、らんど君に笑顔を送りました。らんど君を真似た、出来るだけ暑苦しい笑顔です。サムズアップするらんど君の笑顔が逆光に照らされて、より輝いて映りました。


 そうやってらんど君を十秒ほど握りしめてから、運転席を降りて、車に鍵をかけました。真冬の枯れ木の風情を楽しむよう心がけながら、煉瓦で作られたスタジオの階段に足をかけました。 <了>


ありすが「負けないぜ!ガンレオン」を熱唱する夢を見たから書きました。



依頼出してきます

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