穂乃果「海を照らす太陽」 (28)
――プロローグ
「道場の戸締りは心配なかったなー」
一人呟いてみたものの、穂乃果の声は暴風と大雨によって掻き消される。
油断すると横から吹き付ける風に傘を奪われそうになり、両手で押さえつけた。
「おっとと」
飛ばされはしなかった代わりに、傘はボスっと音を立てて壊れたパラボラアンテナのような状態にされてしまった。
秋の冷たい雨が全身に叩きつけられ、
「台風どっかいけ~っ!」
と叫んでみたけど、口の中に思い切り雨が入るだけだった。
風邪をひいて部屋で待ってる海未の為にも早く戻りたいけど、着替えを用意してないので一度家に帰る方がいいかな?
でも、先に海未にそのことを告げた方がいいよね。
スカートのポケットを叩いてみても携帯電話は海未の部屋に置きっぱなし。
急いで帰って素早く帰ってくれば大丈夫。傘は無意味だからカッパと長靴の最強装備で戻ってこないと!
家が近いからこそ出来る荒業を選択し、穂乃果は視界が悪い中一歩目を踏み出した……。
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――海未の部屋
「……穂乃果」
普段の張りのある声とは打って変わり、とても弱々しい掠れた海未の声。
「お水飲む?」
「いえ、それよりもう遅いですから」
体調が思わしくない中で休まずに乗り切った学園祭。
その代償が今の海未の現状。
熱が三十九度を前後して、朝から食欲も沸かない。
昨日まで両親は京都に行っていて、今日の昼には戻ってくる予定が、台風の急な路線変更により新幹線が止まり戻れず。
最悪の状況の中、穂乃果の電話が入って現状を知ると直ぐに飛んできてくれた。
弱っている海未の代わりに、園田家掛かり付けのお医者さんに訪問してもらって薬を受け取り、道場や家の戸締りの確認。
海未の為にお粥を作って食べさせ、薬を飲ませると汗だらけの体を拭って、着替えさせた。
寝ている間もずっと海未の額に置かれたタオルを絞って、看病している。
外の風が次第に大きくなり、今は雨音よりも激しい音をたて今回の台風の強さを教えている。
現時刻は午後八時半。
「帰った方がいいですよ」
「もうっ! 海未ちゃんってば何言ってるの? まだ熱が引く気配もないんだよ?」
擬音で「プンプン」とわざと言いながらも、穂乃果は怒ってますアピールをする。
「ですが、台風が今より激しくなっては帰れなくなってしまいます」
「お腹の中から一緒のスーパー幼馴染が苦しんでるのに、一人残して家に帰るなんてことする筈がないじゃん!」
今度は割りと本気で怒気を孕んだ声が出ていた。
「おばさんもおじさんも帰ってこれないのなら、穂乃果が明日までずっと一緒だよ」
「穂乃果に風邪がうつってしまいます」
「穂乃果は大丈夫だよ。もう何年も風邪ひいてないからね!」
「それは理由になってません」と言いかけて、海未の口の中で溶けて消えた。
こんな風に言い出した穂乃果を止められないのを誰よりも知っているから。
「困ったことがあったら何でも遠慮せずに言ってね」
「……はい」
普段は穂乃果の陰日向になっている海未が今日は逆。
その感覚が少し懐かしく、そしてくすぐったくもあった。
思えば昔は穂乃果に手を引かれ、色々な場所に行ったり、色んな人に声を掛けたりしました。
引っ込み思案で口下手だった私だけでは経験することも出来ない世界。
すべてが良い思い出ということは当然なく、泣くこともあれば不安で一杯になったこともあります。
逆に穂乃果が泣きながら走って行ってしまい、置いていかれたこともありました。
「直ぐにタオルが温くなっちゃうねー」
熱に犯されながら回想していた海未の額のタオルを取ると、穂乃果が水に浸して絞り、
「さっきと余り変わらないかな?」
タオルではなく、海未と共に成長してきたその手が額に当てられた。
「冷たくて気持ちいい――」
熱い息と一緒に思わず漏れた言葉。
「薬が早く効いてくれるといいんだけどね」
心配しながらも、自分の手の冷たさがなくなるまでタオルに変えず手を当てたままでいる。
「この台風が海未ちゃんの風邪も吹き飛ばしてくれたらなー」
「くすっ。台風にそんな力はありません」
「人に迷惑ばっかり掛けるんだから、それくらいサービスしてくれてもいいのに」
自然現象に文句を言ってもどうにもならないのは分かっているけど、愚痴らずにはいられない。
大切な幼馴染が目の前で苦しんでいるから。
冷たさを失った手をどけてタオルを置きながら、穂乃果を不安が襲った。
「本格的に風が酷いけど、道場の戸締りきちんと出来てたかな?」
「道場ですか?」
「家の戸締りは完璧だったんだけど、道場の方がちょっと心配かも」
一度でも心配すると、確認するまで安心出来ないのが人間の性。
「ちょっと確認してくるよ」
「こんなに風邪が吹いてるんです。今外に出るのは危険です」
「大丈夫だよ。それにお外って言っても庭先だもん。平気平気っ」
心配する海未を他所に、お気楽に返事を返す。
「おばさんとおじさんに海未ちゃんと家の安全は大丈夫って連絡入れたからには責務を果たさないとね」
「そんなものより穂乃果の安全の方が大事です」
安心させるように満面の笑顔でピースサイン。
「海未ちゃんの穂乃果は台風なんかじゃ何ともないってば」
海未ちゃんの《幼馴染》ではなく海未ちゃんの《穂乃果》という言葉が海未を無言にさせた。
そこに深い意味がないとは知っていながらも、心を覆う恥ずかしさを拭うことは出来ない。
いえ、深い意味が実は隠されているのかもしれない。
思わず心の奥底から生まれる疑惑と格闘する海未の頭を優しく撫でると、穂乃果が立ち上がった。
「それじゃ、道場の戸締りを確認してくるね」
「気をつけて」
「うん!」
穂乃果は手を振って「いってきま~す」と元気な声と少しの残り香を置き土産に部屋を後にした。
「……行ってしまいました」
本来なら一人で乗り越える筈だったのに、いざ穂乃果が傍に居てくれると安心してしまう。
常に太陽のような笑顔と元気で周りの人を照らす幼馴染。
「スーパー幼馴染でしたね」
自分の中に生まれた言葉を、口にして訂正する。
その理由は一人で居ることの寂しさを紛らわす為。
午前中はまだ起き上がれた体も、熱が続いて体力を奪われた今は起き上がることも難しい。
もっと詳しく言えば、首を動かすのも厳しい。
「……」
時を刻む音は聞こえてきても、今が何時なのか聞く相手が居ないので知ることが出来ない。
穂乃果が部屋を出てどれくらい経ったのかも分からない。
刻む時間が長くなる程に不安が積もっていく。
「もしかしたら穂乃果に何かあったのかも」
庭にある松の木の枝が風で折れ、穂乃果の頭にぶつかって今も雨の中で倒れているのかもしれない。
もしくは、台風に乗じて入り込もうとしていた泥棒と遭遇して!
「穂乃果っ!」
関節が悲鳴を上げるのを無視して、両肘に力を入れて上半身をゆっくりと起き上がらせる。
急ぎたいのにその思いに反比例して動きは鈍い。
「うぅっ――」
父に渾身の面を決められた時に似た痛みが走った。
それだけではなく、呼吸をする度に肺が焼ける様な痛みも訴える。
このまま体を倒してしまえば楽になれる。
そんな誘惑は穂乃果を心配する海未の前では意味をなさない。
「待ってて、穂乃果」
体を支える筈の足に力は入らず、それでも両手の平を布団について無理やり体を立ち上げようと試みる。
足よりは力が入るとはいえ、起き上がることが出来ない。
「どうして、ぐっ……んっ!」
力を入れようとしても言うことを聞いてくれず、そのまま荒い息に痛みを感じながら視界が揺らぐ。
「……うっ、うぅ」
悔しさから涙が零れ落ち、幾つもの呻きが漏れる。
守りたい存在に守られるだけではなく、大切なのに今という瞬間に駆け寄ることも出来ない。
「ひっぐ、ほのかっほのか!」
涙に濡れるその声は、求める相手の耳に届いた。
「海未ちゃん! どうしたの!」
襖を開けて入ってきた穂乃果が、泣いている海未に気付くと鞄を投げて直ぐに駆け寄ると、その体を抱き締める。
不安に支配されていた心は、その温もりを感じる嘘のように安寧を受け入れた。
まるで二人は元々一つであったかのような安心感。
込み上げる涙すらも乾かしてしまう太陽の魅力。
「穂乃果……無事だった」
「うん、遅くなっちゃってごめんね。傘が壊れちゃって着替えを家に取りに戻ってたから」
「きちんと言っておくべきだったよね。海未ちゃんごめんね。心配させちゃってごめんね」
海未は抱き締められたまま、小さく甘えるように「ううん」と答えた。
小さい頃のような海未の反応に、思わず笑みが生まれる。
「穂乃果はずっと海未ちゃんの傍にいるから安心してね」
昔も今も変わらない長くて綺麗な黒髪を梳いて、未来も変わらない想いを告げた。
「約束、ですよ?」
「うん! 海を割れる神様にだって穂乃果と海未ちゃんの仲は引き裂けないよっ」
「そうかもしれませんね」
抱き締められているので穂乃果には見えないが、海未にも笑みが生まれた。
「そうそう、着替えと一緒に桃缶貰ってきたんだけど食べる?」
「……いえ、安心したら眠くなってしまいました」
「そっか。じゃあ、桃缶は起きてからだね」
赤ちゃんを寝かせるように優しく海未の体を布団に倒す。
泣いた跡が少し残る頬をタオルではなく、自分のポケットからハンカチを出して拭った。
「あ、襖開けっ放しだと寒いよね」
立ち上がろうとした穂乃果の手を海未が掴む。
「大丈夫です。だから、眠るまではずっと私の傍に居てください」
「うん、分かったよ」
その返事に安心して掴んだ手を離すと目を瞑る。
「ね、海未ちゃん。穂乃果がいい夢をみれるおまじないしてあげようか?」
「おまじない?」
「うん、と言っても穂乃果が考えた海未ちゃん専用のおまじない。だから効果の保障は出来ないけど」
どこか照れたような穂乃果の言葉。
自分専用と言われて拒む言葉なんて出る筈もなく、海未は「是非、お願いします」と提案を受け入れた。
「分かった。そのまま目を瞑っててね」
額に張り付く海未の前髪を上げて、顔を近づけ――。
「ちゅっ」
汗の浮かぶ額に唇を落とし、三秒間心の中で数える。
唇から伝わる熱い体温と汗特有の味。
でも、それは他ならぬスーパー幼馴染のものであれば不快な思いは微塵も沸かない。
それどころか、どこか温かい気持ちすらする。
世界と切り離された二人だけの三秒。
普通の時間では一分は経っていたけど、穂乃果の唇が離れる。
「……わたしのたいよう、ほのか」
海未が小さく囁くと、そのまま眠りについた。
濡らしたタオルの水絞り、キスをしたその額にそっと置く。
「海未ちゃんがいい夢をみられますように」
聞く者がいれば魅了するような優しい声。
「……すー……すー」
おまじないが叶ったのか、海未は熱に犯されながらも穏やかな寝息をたてていた……。
――エピローグ 一週間後...
「……ほむぅ」
弱々しい掠れた穂乃果の声。
「そんな鳴き声をしても治りませんよ」
ベッドで横になっている穂乃果の傍に居るのはスーパー幼馴染の海未。
「学園祭に台風。色々と過ぎたと思って油断しちゃったのかなー」
「いえ、原因は間違いなく私です」
「それはないよ。海未ちゃんが熱を出したのは一週間も前じゃない。だから海未ちゃんが原因じゃないよ」
自分の責任だよとアピールするけど、海未は聞く耳を持たず。
「風邪は大体一週間前後の潜伏期間を経由してから発症するんです。ですから、今穂乃果を苦しめてるのは私の所為です」
キッパリと言い切られて反論の言葉を諦める。
そうか、今自分の中で暴れてるのは海未の中に居たウイルスなんだ。
そう考えると苦しいけれど、不思議と嫌な気分はしなくなる。
「太陽と海は繋がって見えるから、うつっちゃうのは仕方ないね」
「馬鹿なことを言わないでください」
なんて口では言いながら、海未の頬が少し緩む。
「穂乃果はμ'sのリーダーなんですから。早くよくなって皆に笑顔を見せましょう」
「うん。プリン食べていいのはいいけど、喉痛いのは辛いからね」
三十九度の熱が出ていてもプリンを食べられる元気がある。
あの時と違って、穂乃果には家族が居る。
それでも、海未は告げる。
「許可は出ているので、今日はずっと穂乃果の傍に居ますから」
「えへへ……それは嬉しいな」
「ふふっ。そんなことで喜ばないでください」
穂乃果の頭を撫でて、もう寝るように言葉なく伝える。
「……海未ちゃん、おやすみなさい」
「眠る前に一ついいですか?」
「なぁに?」
一呼吸置いてから、覚悟を決めて海未は言う。
「穂乃果専用の元気の出るおまじないがあるんですが、どうしましょうか。効果は保障出来ます」
「海未ちゃんの保障付きならお願いしちゃうね」
にっこりと笑ってから穂乃果は目を瞑る。
指示される前に目を瞑ったのは、自分のおまじないと同じことを返されると思ったから。
海未は絞ったタオルを穂乃果の目に被せる。
「これが私の穂乃果を元気にするおまじないです」
熱い呼吸をする穂乃果の口へ、自らの唇を近づけた――。 おしまい
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