結衣「この交差点の向こうに君がいるとしたら」 (60)

ちなつ「結衣先輩……」


その日、私は手紙でちなつちゃんに呼び出された。
放課後、校舎の裏に来てくださいなんて書いてあったら、内容なんて察しはつく。
もちろんちなつちゃんからの好意は前々からわかっていた。
でも、私はそのことについて、全然考えてなんかいなかったんだ。

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校舎裏で待っていたちなつちゃんは、私が来ると緊張した面持ちになった。
真っ赤になったちなつちゃんを見て、少し心配になる。


ちなつ「あの……」

結衣「ちなつちゃん、大丈夫?」

ちなつ「はい……」

ちなつ「結衣先輩!」

ちなつ「知ってるとは思いますけど、私……」

ちなつ「私、結衣先輩のことが好きです!」

ちなつ「先輩、私と、お付き合いしてください!」

ああ、やっぱり。
そう思ったけれど、私はそれに対する答えを持っていなかった。
私は誰のことが好き?
私は誰と一緒にいたい?
そんなこと、今まで真剣に考えたことがなかったのかもしれない。
だから、今すぐ「正解」なんて出るわけがなかった。


結衣「ええっと……」

ちなつ「じゃ、じゃあ、こういうのはどうでしょう!?」

ちなつ「1週間、私と付き合ってくれませんか?」

結衣「1週間?」

ちなつ「はい!ひとまずはそれだけでいいですから」

ちなつ「1週間経ったら、そのときまた考えてくれませんか?」


答えに詰まった私を泣き出しそうな目で見つめながら、ちなつちゃんがそう続けた。
そんな姿を見ていると、ちなつちゃんの気持ちを無下にしてはいけないような気がして、
ただ、顔をあげてうなずくことしか、私にはできなかった。

次の日は、1日じゅうそわそわしっぱなしだった。
自分がそわそわしているのは分かるんだけど、でもどうすればいいかは分からなくて。
京子が先生に呼ばれてるからごらく部はナシとか言っていたので、私はそのまま先に帰ることにした。
ふと、ちなつちゃんを待っててあげた方がいいのかな、とか思ったけれど、
1年生の下駄箱で待っているのはかなり恥ずかしいし、ちなつちゃんがまだ学校にいるかも分からない。

夜の10時くらいになって、携帯が鳴った。
ディスプレイにはちなつちゃんの名前が表示されている。それを見て、胸がドキンと強く打つのを感じた。


結衣「もしもし」

ちなつ「あっ、結衣先輩ですか?今ご迷惑じゃないですか?」

結衣「うん、大丈夫だよ」


ちなつ「先輩、今日の帰りは?京子先輩と一緒でしたか?」

結衣「いや、京子はなんか先生に呼ばれてるとか言ってたから一人だったけど」

ちなつ「そうだったんですか?だったら私がご一緒したのに!」

結衣「ちなつちゃんはあかりと?」

ちなつ「はい、あとは向日葵ちゃんと櫻子ちゃん」

結衣「そうなんだ」

ちなつ「今日はごらく部、なかったですもんね」

結衣「そうだね……」

ちなつ「?」

ちなつちゃんと話していると、胸がドキドキする。そんなことは今までなかったのに。
明日、ごらく部に行って、ちなつちゃんと顔を合わせたら、どうなるんだろう。
ごらく部で挙動不審になる自分を想像してしまう。それよりも……


結衣「明日さ、ごらく部あったらさ」

結衣「あかりと京子にも伝えた方がいいのかな、このこと」


大切な親友の京子とあかりに、隠し事をせずにすべて打ち明けた方がいいのかもしれない。


ちなつ「そうですね……」

結衣「ちょっと恥ずかしいんだけどね」

ちなつ「私も少し恥ずかしいですけど、でも」

ちなつ「やっぱり言った方がいと思います」

結衣「そうだね」

ちなつ「あ、あの、結衣先輩……」

結衣「なに?」

ちなつ「明日も、夜に電話していいですか?」

結衣「いいよ」

結衣「じゃあ、明日は私から掛けようか」

ちなつ「は、はいっ!嬉しいですぅ!」

結衣「今日とおんなじくらいの時間でいいよね。10時とか」

ちなつ「はい、待ってます!」

結衣「それじゃ、また明日」

ちなつ「はい、おやすみなさい」


明日の10時。頭の中でそう繰り返す。
どうして、こんなちっぽけな約束がこんなにも楽しみで嬉しいのだろう。

京子「なあ結衣」

結衣「何だ?京子」

京子「今日はごらく部行くだろ?」


翌日の昼休み、京子にそう聞かれて、一瞬答えに詰まる。
ごらく部の活動が2回流れたから、ごらく部に4人が集まるのは久しぶりな気がする。
さすがに恥ずかしいというか、逃げたい気持ちもあったけれど、ずっと避けているわけにもいかないから。


結衣「……ああ、行くよ」

京子「よし!」


ごらく部の部室に着くとすぐに、京子がいそいそと横になる準備を始めた。


結衣「いきなり寝るんか」

京子「いやー、今日あったかいからさ」

結衣「宿題でてるんだからやれよ」

京子「だいじょーぶ、私にはいつも宿題を見せてくれる結衣という唯一無二の存在が」

結衣「見せんぞ」

京子「そっかー、じゃあ仕方ないね……」

結衣「いや、だから寝るのかよ」

京子「だって今日あったかいからさ」

結衣「それはさっき聞いた。もうすぐちなつちゃんたち来るぞ」

京子「うーん」

京子「結衣?」

結衣「ん?」


自分から話しかけておいて、京子は何も言わない。相変わらず適当な奴。


結衣「なに?」

京子「その、結衣……」


京子が何かを言いよどんでいる間に扉が開いて、あかりが入ってきた。
ちなつちゃんの姿を探したけれど、どうやら一緒ではないらしい。

あかり「京子ちゃん、結衣ちゃん、もう来てたんだ」

京子「なんだ、あかりか。ちなつちゃんは?」

あかり「おトイレ寄ってるだけだから、もうすぐ来ると思うよぉ」

結衣「そうなんだ」

あかり「京子ちゃんと結衣ちゃんは何してたの?」

京子「寝てた」

結衣「京子だけな」

京子「今日は授業中あんま寝れなかったからさー」

あかり「あはは、授業中は駄目だよぉ」

もう一度扉が開く音がした。


ちなつ「お、おはようございます」

京子「おお、おっはよーちなちゅ!」

あかり「ちなつちゃん、もう午後だよ?」

ちなつ「うん」

ちなつちゃんが部室に来て、少し緊張が襲ってきた。
別にちなつちゃんに対して緊張してるってわけではないけれど、
でも、付き合い始めたという事実には向き合わなきゃいけないような気がした。
ちなつちゃん自身は、1週間でいいから、なんて言ってはいたけれど、期限付きで付き合うのは失礼すぎるし、
何より私自身、ちなつちゃんと付き合い始めたという事実にドキドキしている。
私とちなつちゃんが付き合い始めた。
もしかしたら、このことは二人の秘密にしてしまえばいままで通りのごらく部が続くかもしれない。
でも、大切な幼馴染の、京子とあかりの前で、嘘をつくことなんて、不器用な私には絶対にできない。

あかり「今日はなにする?」

京子「んー、そうだなー」


うん。言わなきゃ。
ちなつちゃんの方をちらりと見る。
それだけで言いたいことは伝わった気がした。ちなつちゃんが小さくうなずく。


結衣「あのさ、皆に話しておかないといけないことがあるんだ」

京子「なになに?私が美少女だってことについて?」

結衣「んなわけないだろ」

京子「何だと!?私以上の美少女がいるっていうのか!?」

ちなつ「もう京子先輩、ちょっと黙っててください」

結衣「その、私とちなつちゃん、さ」

結衣「付き合い始めたんだ」

京子「……うぇっ!?」

ちなつ「おととい、私が告白して、結衣先輩がOKくれたんですぅ!」

結衣「あれ、あかりは驚かないの?」

あかり「えへへ、あかり、実はもうちなつちゃんから聞いてたんだぁ」

ちなつ「言ってませんでしたっけ?」

結衣「いや、聞いてないと思うけど……」

ちなつ「あれ?そうでしたか?」


なんだかちょっと拍子抜けしたけど、まあ、あかりとちなつちゃんは仲良いし。
京子のほうを見ると、目があった。

京子「はぁー、ちょっと前までおしめしてた結衣ちゃんも、もうお年頃なのねえ」

結衣「何だそれ」

京子「綾乃たちにも言いふらしに行こーぜ」

結衣「なっ、別にそこまでしなくてもいいだろ」

京子「おっ、照れてる照れてる」

結衣「やめろ」ビシッ

ちなつ「京子先輩はあいかわらずだね」

あかり「そうだね」


いつものようにおどけてみせる京子に、少しほっとした。
ただ単に、私とちなつちゃんの関係が少しだけ変わった、そんな風に受け止められて、
ようやくちなつちゃんと付き合い始めた実感みたいなものが沸いてきたように思える。

あかり「あのね、あかり、櫻子ちゃんにツイスターゲーム借りたんだ」

結衣「ツイスターゲーム?」

京子「へー、さくっちゃん、いいもの持ってんじゃん」

ちなつ「あかりちゃん、荷物多いと思ってたらそれだったのね」

あかり「うん、みんなでやろうよ」

結衣「そうだな」

京子「ふふん、このツイスター無敗の女歳納京子に勝てるかな?」

あかり「へぇー、京子ちゃん、そんなに強いんだぁ」

結衣「京子、やったことあんの?」

京子「ないよ?」

あかり「ないのっ!?」


その後、私とちなつちゃんの話が出ることはなかった。
もしかしたら私たちに気を使っているのかも、とは思ったけれど、京子もあかりも全然そんな雰囲気はなくて、
いつも通りの心地よいごらく部がそこにあった。
変わったのは、多分私だけ。
ちなつちゃんに近づくと、妙に胸がドキドキするようになった。
こんな経験はいままでは無くて、これが恋愛ってものなのかな、なんて思いながら、
一人だけふわふわした気持ちで放課後を過ごしていた。

その日の帰り道、京子と一緒になった。


京子「結衣ん家寄ってっていい?」

結衣「ダメって言っても来るんだろ?」

京子「だってまだラムレーズンが残ってるからねー」

結衣「夕飯は?」

京子「んー、夕飯はいいや」

家に着くと、京子が先に私の部屋に入り込み、何も言わず冷凍庫を開けた。


京子「おおー!ラムレーズン!」

結衣「……」

京子「結衣は食べないの?」

結衣「私はいいや。夕飯食べられなくなるし」

結衣「京子はよく食うよな」

京子「ラムレーズンは別腹だからね」

結衣「だったら夕飯の後に食えよ」

結衣「……なあ、京子」

京子「ん?」

結衣「私さ……どうすればいいのかな」

京子「……何が?」

結衣「いや、ちなつちゃんとのこと」

京子「好きにすればいーじゃん」


私の質問は雑に切り捨てられてしまった。
まあ、京子だから仕方ないんだけど、こっちは勇気を出して聞いたってのに。

結衣「だからさ、どういうのが恋人らしいのかとか、そういう……」

京子「んー……」

京子「じゃあ、デートにでも誘ってみれば?明日休みだし」

結衣「デートか……」

京子「まあ映画行ったり、買い物したり、その辺が定番っしょ」


休みの日にデートする。確かに、言われてみればそれが一番普通の恋人像だ。
当たり前のことが見えていなかった自分に愕然とする。

結衣「ああ、そうだな」

京子「でしょー?京子ちゃんの完璧なアドバイスに恐れ入ったか!」

結衣「ありがとう、京子。誘ってみるよ」

京子「よしっ、完食!それじゃ私、そろそろ行くわ」

結衣「あれ、もう?」

京子「夕飯食べに帰んなきゃいけないからねー」


そう言って、京子は足早に帰っていった。せわしないやつだな。
でも、京子のお蔭で少しだけ「恋人」のイメージが沸いてきた気がする。
帰路についているであろう京子に向けてもう一度、心の中でありがとうと言った。
座布団に座って、さっき言われたことについて考える。
デート、か。
そう独り言をいうと、ごらく部にいたときの、妙なドキドキがぶり返してきた。
ちなつちゃんとは、1回二人で映画見にいったことがあったっけ。
また映画っていうのもつまらないから、今度は買い物に誘えばいいかな。
夜にちなつちゃんに電話する約束のことを考えると、ドキドキの速度が増したような気がした。

夜の10時を回ったくらいにちなつちゃんに電話をかけた。
ちなつちゃんはどうやら待っていたようで、ワンコール目で電話がつながった。
少し雑談をしてから、本題を切り出す。


結衣「ねえ、ちなつちゃん」

ちなつ「なんですか?」

結衣「ほら、明日休みだから、どこか遊びに行こうよ」

ちなつ「え、デートですか!?」

結衣「うん、ちなつちゃん、どこか行きたいところ、ある?」

ちなつ「えっと、私は結衣先輩と一緒ならどこでも……!」

結衣「うーん……じゃあ、買い物にでも行こうか。服見たりとか」

ちなつ「はい!」

結衣「あ、明日予定とか無い?」

ちなつ「もちろんです!結衣先輩とのデートなら毎日だっていいですぅ!」

結衣「あはは、じゃあ、明日の10時に、駅に集合でいい?」

ちなつ「わかりました」

結衣「それじゃ、おやすみ。楽しみだね、デート」

ちなつ「おやすみなさい、結衣先輩」


電話を切って、ふぅ、とため息をつく。なんだか充実したため息だった。
目を瞑って心臓の音を聞く。やっぱりいつもより鼓動が早いみたいだ。
きっと、これが恋ってものなんだ。

次の日、約束の10時ちょうどに駅に着くと、ちなつちゃんはもう来ていた。
私の姿を見つけると、満面の笑顔になった。チェックのワンピースを揺らしながら、私に駆け寄ってくる。


結衣「おまたせ、ちなつちゃん」

ちなつ「いえ、私も今来たところですぅ!」

結衣「ちなつちゃん、服可愛いね」

ちなつ「そ、そうですか?」

結衣「うん、似合ってるよ」

ちなつ「えへへ」

結衣「じゃあ、行こうか」


変に思われないかな、なんて思いながら、なるべくさりげなくちなつちゃんの手を取った。

結衣「あ、ここ」

ちなつ「あ……」

結衣「こないだ、この辺通りかかった時に見かけたんだ」

結衣「ちなつちゃん、こういう感じ好きそうかなって思ったんだけど」


どこに行こうかさんざん考えて、選んだ服屋。
入ったことはなかったけれど、可愛らしい服がたくさんあるな、と思っていた。
きっとちなつちゃんの趣味に合うんじゃないかな、と思って。

ちなつ「え、は、はい!すごく素敵です!」

ちなつ「でも、結衣先輩はここでいいんですか?」

結衣「ん?まあ私が着れるような服もあったら見てみるよ」


ちなつちゃんの顔が少し曇った気がした。
確かに私っぽい服はあんまりないかもしれないし、私に気を使ってるのか、あるいは―


結衣「あれ、もしかしてここ来たことあった?」

ちなつ「いえ!そんなことないです」

結衣「そっか。あ、ちなつちゃん、こんなの似合うんじゃない?」

ちなつ「あ、それ可愛いです!」

ちなつ「結衣先輩は……」

ちなつ「あ!これはどうですか?」

結衣「うーん、私にはちょっと可愛すぎるんじゃないかな?」

ちなつ「確かに結衣先輩はもっと大人っぽい服のがいいかも……」

ちなつ「でも、結衣先輩ならどんな服でも着こなせます!」

結局何も買わなかったけれど、ちなつちゃんと交互に服を当ててみたり、
アクセサリーをつけてみたりと、なんだかんだで凄く楽しい時間だった。
ちなつちゃんが腕時計をちらりと見る仕草が目に入った。私も時計を確認すると、もう12時過ぎだった。


結衣「そろそろお昼にしよっか」

ちなつ「はい」

結衣「ちなつちゃん、何食べたい」

ちなつ「結衣先輩と一緒なら何でも……!」

結衣「あはは、あ、この辺レストランとか多いんだね」

ちなつ「ほんとですね」

結衣「色々あるみたいだよ。おそば屋さんとか、イタリアンとか……」

ちなつ「お、おそばにしましょう」

結衣「うん、いいよ。……なんか渋いチョイスだね」


お蕎麦なんて、ちなつちゃんにしてはちょっと意外な気がしたけれど、そんな一面を見れたことも嬉しく感じる。
やっぱり私、ドキドキしてるな。

結衣「それじゃ、ちなつちゃん」


駅に着くと、もじもじするちなつちゃんに声を掛けた。
ここからの帰り道は、私とちなつちゃんで違う道になってしまう。
少し名残惜しかったけれど、私にはこれ以上ちなつちゃんを引き留めるアイディアはなかった。
ちなつちゃんに背を向けて歩き出す。


ちなつ「結衣先輩っ!」


後ろでちなつちゃんが叫ぶようにそう言った。
びっくりして振り返る前に、ちなつちゃんが私の腕に抱きついてくる。


ちなつ「結衣先輩……」


ちなつちゃんは、今まで見た中で一番の真剣な表情をしていた。
近くで見るちなつちゃんの瞳はすごく綺麗に見えて、だから私はちなつちゃんに身をゆだねた。

ちなつ「ゆ、結衣先輩、今日は楽しかったです」


腕をほどいて、ちなつちゃんはそう言った。
あれ、絶対キスされると思ったのに。
一瞬ぽかん、としてしまったけれど、熱くなった顔で取り繕う。


結衣「え、ああ、私も楽しかったよ」

ちなつ「先輩、それでは!」


そう言い残して、ちなつちゃんは逃げるように帰っていった。
私はそこに立ち尽くして、夕日に赤く染まったちなつちゃんの後姿が遠くなるのをずっと眺めていた。

家に一人でいると、最後に見たちなつちゃんの表情が浮かんできてしまう。
怪訝そうな、曇った顔。それがどうしても頭から離れない。
日曜日は一日中そんな感じで、何も手に付かなかった。
ちなつちゃんから連絡があるかも、と思って家にいるときも携帯を持ち歩いていたけれど、結局電話もメールも来なかった。
私といて楽しくなかったのかな。
何か悪いことをしてしまったのかな……
そんな疑心暗鬼は、1秒ごとに強くなっていった。

月曜の登校の時もちなつちゃんとは別だったし、放課後になるまで1度も顔を合わせなかった。
学年も違うしそれ自体は別に珍しいことではないんだけど、一昨日のことがあるから色々と勘ぐってしまう。
6時間目が終わるチャイムが鳴り終わったことにも気づかなかった。


綾乃「船見さん?」

結衣「ああ、綾乃、どうかした?」

綾乃「どうっていうか、なんか今日1日ずっとぼーっとしてるように見えるわ」

結衣「そ、そうかな」

千歳「せやなー、船見さんらしくあらへんで」

京子が近づいてくるのが見えて、話題を逸らした。


結衣「二人とも今日も生徒会?」

綾乃「ええ」

京子「綾乃もごらく部遊びにくればいいのに」

綾乃「わ、私はそんなことしてられないわよ」

綾乃「生徒会副会長なんだからっ!」

千歳「まあたまには遊びに行きたいとは思うんやけどな」

千歳「最近ちょっと忙しいねん」

京子「なんだー」

結衣「まあ、仕事が落ち着いたらしたら遊びにきてよ」

京子「そうそう!いーでしょ?綾乃―」

綾乃「そ、そういうことなら仕方ないわね……」

京子「じゃあ明日な!」

綾乃「急すぎるわよ!」

綾乃と千歳と別れて、ごらく部に向かう。
京子がぽつりぽつりと口に出す雑談を適当に受け流しながらも、頭の中は一昨日のことでいっぱいだった。


結衣「一番乗りだったみたいだな」

京子「……ちなつちゃん?」

結衣「えっ?」


何気なく口をついて出た一言に、京子が食いついてくる。
ちなつちゃんと会えるのを楽しみにしていたのは確かだけれど。
京子が座布団を出して座った。その向かいに私も座る。
そのまま京子は何も言わずに、その辺に置いてあった漫画を読み始めた。
何か意外な感じだ。てっきりちなつちゃんのことでからかわれでもするのかと思ったのに。

じゃあ何で「ちなつちゃん?」だなんて聞いてきたんだろう?
そんなことを考えていると、ちなつちゃんとあかりがやってきた。
ちなつちゃんは目を伏せてばつが悪そうにしている。やっぱり一昨日のことを気にしているのかな。
私は気にしてないよ、と伝えたくて、ちなつちゃんに笑いかける。
それをみたちなつちゃんの表情が、少し明るくなったように見えた。


ちなつ「お茶淹れますね」

京子「私マンゴースムージーなー」

ちなつ「ありませんよそんなの」


お茶を淹れに部屋を出ていくちなつちゃんの後姿をぼんやりと眺めていた。
ちなつちゃんに話したいこと、沢山あったはずなのに、何故か今は気恥ずかしいような感じがした。

京子「ラムレーズン食いてー」

結衣「京子はそればっかだな」

京子「プリンでもいいよ」

結衣「生徒会に貰いに行こうとか言うなよ」

あかり「そういえば最近、杉浦先輩も池田先輩も、そんなにごらく部に遊びに来てくれないよね」

結衣「そうだね、生徒会、忙しいみたいだから」

京子「おっぱいちゃんとちっぱいちゃんも見かけないしなー」

結衣「古谷さんと大室さんはクラスではどんな感じ?」

あかり「相変わらず元気だよぉ」

ちなつ「お茶が入りましたー」


ちなつちゃんが部室に戻ってきた。お茶のいい香りが辺りに漂う。
普段は使わない来客用の湯呑を持っていて、ちょっと気になってしまった。


あかり「わぁい、ちなつちゃんありがとう」

結衣「あれ、今日はいつもの湯呑じゃないんだね」

ちなつ「えっと、気分転換ですよ、気分転換」

京子「綾乃とか千歳とかが来たときにしか、それ使わないもんな」

京子「今日もツイスターゲームやる?」

あかり「ごめんね京子ちゃん、もう櫻子ちゃんに返しちゃったんだぁ」

京子「てことは今は生徒会にあるのか」

あかり「そうだと思うけど」

京子「よしっ、乗り込むか!」

結衣「おい」

結衣「ていうか宿題出てただろ?」

ちなつ「そういえば、私たちも宿題結構あるよね」

あかり「早めにやっちゃおうか」

ちなつ「うん」

京子「しょーがないなあ、今日はとりあえず皆で宿題やるか」

カバンから教科書を取り出していると、珍しく京子が宿題をやる気になっていた。


ちなつ「珍しいですね、京子先輩がそんなこと言うの」

京子「そう?」


ほら、やっぱり皆同意見じゃないか。
教科書を開くと、あかりの視線を感じた。


あかり「ねえ結衣ちゃん、ここ教えて?」

結衣「ああ、ここは現在進行形になってるから……」

京子「ちなつちゃーん、お茶おかわりくれー」

ちなつ「それくらい自分でやってくださいよ」

あかり「あっ、じゃあ、あかり持ってくるね」

京子「おお、さすがあかり」

あかり「えへへ、あかりもお茶もう1杯飲みかったんだぁ」

あかり「みんなの分、持ってくるね」


そう言って、あかりが出て行った。
そういえば、せっかく入れてもらったのにまだお茶に口をつけていなかった。
一口すすって湯呑を置くと、妙に空気が重いことに気づいた。

京子「……」

ちなつ「……」

結衣「……」


あかりが居なくなって、突然会話がなくなったみたいだ。
あの京子でさえもノートをぺらぺらめくりながら宿題に向かっている。
ちなつちゃんは、やっぱり昨日のことを気にしてるんだろうか。
京子が変に大人しいのも、私とちなつちゃんの間のこの空気に関係があるのだろうか。

あかり「お待たせ~」

京子「おおサンキュー」

あかり「はい、ちなつちゃん」

ちなつ「うん、ありがと」

あかり「結衣ちゃん」


戻ってきたあかりが、私にお茶のおかわりを差し出した。
内容なんて無いような話だけれど、それでもあかりがいると会話が生まれるみたいだ。


結衣「ああ、ありがと、あかり」

あかり「熱いから気を付けてね」

結衣「大丈夫だよ、これくらい」

ちなつ「あ、私ちょっとトイレ」


ちなつちゃんが席を立つ。
扉を出て姿が見えなくなったとき、ちらっとちなつちゃんを追いかけようかと思った。
昨日のことを気にしてるのか、とは二人きりじゃないと聞けないから。
逡巡していたら、京子が口を開いた。


京子「ねえ」

結衣「ん?」

京子「私は……」

あかり「京子ちゃんは、京子ちゃんのしたいことをすればいいと思うんだ」

えっ?どういうこと?
驚いてあかりの方を見る。あかりはいつものニコニコした表情じゃなくて、真剣な目をしていた。


結衣「あかり……?」

京子「私もトイレ」


京子がすくっと立ち上がる。あかりと同じように京子も真剣な表情をしていた。
さっきのあかりの言葉の意味が、どうやら京子には通じているらしい。

京子が出て行って、部室に私とあかりの二人だけになってから、あかりに尋ねた。


結衣「あかり、さっきの……」

あかり「ん?なあに、結衣ちゃん」

結衣「京子に言ったこと」

結衣「あれ、どういう意味?」

あかり「どういうって……そのままの意味だよぉ」

結衣「じゃあ、京子のしたいことって?」

あかり「それは……」

結衣「京子、明らかにちなつちゃんを追いかけてったけど」

結衣「あかりは知ってるんじゃないの?」

あかり「……」

結衣「あかり?」

あかり「……結衣ちゃんらしくないよ」


あかりはまだ真剣な目をしていた。


結衣「えっ?」

あかり「あかりの知ってる結衣ちゃんはね」

あかり「いつも優しくて、みんなのことをよく分かってて」

あかり「頭も良いし、何でもできるし……」

あかり「それに、京子ちゃんのこと、一番理解してあげてたはずだよ」

結衣「それ、どういう……」

あかり「ちなつちゃんのことだってそう。もちろん、あかりのことだって」

あかりに気おされて、何も言えなくなった。
要するに、あかりは普段の私なら京子が出て行った理由も分かる、と言いたいのだろう。
でも、そんなわけないじゃないか。私と京子は長い付き合いだけれど、何でも分かるだなんてことはないし、
同じだけ長い付き合いのあかりが今目の前で言っていることの真意だって分からないのだから。
考えがまとまらないまま、あかりをちらりと見る。
あかりは湯呑の口を指でなぞりながら、私を見つめていた。


あかり「今の結衣ちゃんに、一番大切な人って誰?」

結衣「一番って、そんな……」

あかり「やっぱりちなつちゃん?」

結衣「……そう、かな」

あかり「じゃあ、ちなつちゃんは……」

結衣「ちなつちゃんは?」

あかり「……ううん、結衣ちゃんは、ちなつちゃんの気持ち、分かってあげてる?」


ちなつちゃんの気持ち?
そんなの……

結衣「当たり前だろ」


そうは言ったけれど、ちなつちゃんの気持ちは私には分かっていない。
一昨日、逃げるように帰っていってしまったことも、昨日連絡をくれなかったことも、
今日の少しよそよそしい態度も。


あかり「そっか」


あかりの言い方はまるで私を試すように聞こえた。
……あかりの方こそ、あかりらしくないじゃないか。
そう心の中でつぶやく。
京子に意味深なことを言ったり、私を責めるみたいような言い方をしたり、全然あかりらしくない。
その理由も、やっぱり私とちなつちゃんが付き合いだしたことにあるのだとしたら……

あかり「あっ、ちなつちゃん、戻ってきたみたい」

結衣「あかり」

あかり「ん?」

結衣「あかりは何で、ここまで私やちなつちゃんのことを気にかけてくれるんだ?」

あかり「……分からないけど、みんなのためになれたら嬉しいから」


何故だか、はぐらかされたようには思えなかった。
それは、あかりがいつものふわっとした笑顔に戻ったからかもしれない。
目の前にいるのは、いつでも真っ直ぐで素直で優しい、私の良く知るあかりだった。
さっきの京子にかけた言葉も、私には分からないけれど、多分あかりが京子を思いやった結果なんだろう。
私にいつもと違うキツい口調で言ったことも、きっと私のためを思ってのことだ。
あかりはいつだって、そういう子だったから―


結衣「あかりが幼馴染で良かったよ」


そんなあかりの伝えたいことが分からない自分がもどかしい。

ごらく部からの帰り道は、家の方向が同じだからどうしたって京子と一緒になる。
ちなつちゃんを追いかけて行ってからの京子は、全然はしゃいでいないというか、
ずっと目の奥の方が真剣で、はた目から見たら怒ってるような、そんな感じだ。


結衣「なあ、京子」

京子「んー?」

結衣「……いや」

京子「何だよ、言えよ」


その理由を聞きたいけれど、京子の様子を見ているとひるんでしまう。
京子に促されて、ようやく聞く決心がついた。

結衣「さっきの」

京子「さっきの?」

結衣「さっき、京子があかりに言われてたこと」

結衣「あれ、どういう意味?」

京子「さあ?」

結衣「さあ、じゃなくて、」

京子「何でそんなこと気にするんだよ」

結衣「何でって……」

京子「結衣はちなつちゃんのことだけ気にしてたらいいだろ」

その言葉を聞いた瞬間、何故かカッと頭に血が上った。
最近では全然感じていなかった衝動。


結衣「京子!」

結衣「京子は何があったって私の大切な幼馴染なんだよ!」

結衣「大切な友達なんだよ!」

結衣「だけど……だけど、分かんないんだよ」

結衣「京子のことも、私自身のことも……」

京子「結衣……」

結衣「ちなつちゃんのことも、あかりのことも、最近全然分からなくなって」

そこまで一気に口に出して、ようやく気付かされた。
私、何も分かっていない。
ちなつちゃんと付き合い始めてからだ。自分のことも人のことも、何一つ見えていなかったってことに
無意識では気づいていたのかもしれないけれど、ようやくはっきりと理解できた。
あかりがあんなことを言うのも、今の私を見てたら当然かもしれない。
だって、本当に、何も分からないんだ。
だから私は目の前の京子にすがることしかできなかった。


結衣「……私、どうすればいい?」

京子「私は、結衣も結衣のしたいようにしてほしいし、ちなつちゃんにもそう言った」

京子「あかりが言ったのはそのまんまの意味だよ」

結衣「なんでわざわざそんなことを?」

京子「あかりは、私たちが皆、自分に素直になってないって気づいてたんじゃないかな」

京子「だから、私は私のしたいようにすることにした」

京子「自分勝手に生きることにした」

京子「私は結衣に言いたいことがあるんだ」


何だろう、その時私は予感めいたものを感じていた。


結衣「それが京子のしたいことか?」

京子「うん」


当たり障りのないことを聞いて京子の「言いたいこと」を先延ばしにしたところで、
それを告げられるのが数秒遅くなるだけのことだった。
私は口をつぐんで、京子の目を直視する。


結衣「……」

京子「私は、結衣が好き」

京子「いつからかなんて分かんないけど、多分ずっと前から」

そう言い終わって、京子は私に背を向けた。肩が震えている。


京子「結衣も、自分勝手に生きろよ」


京子はそう言いながら来た道を戻っていく。
私は、ただただ呆然と、そんな京子を眺めていることしかできなかった。

その日は布団に入っても全然眠れそうになかった。
京子が私のことを好きだと言ったこと。
あかりにちなつちゃんの気持ちを分かっているのかと聞かれたこと。
それが頭の中をぐるぐる回って、どうすればいいのか全然結論が出そうにない。
「今の結衣ちゃんに、一番大切な人って誰?」と言うあかりの声。
「結衣も、自分勝手に生きろよ」という京子の声。
分からない、と口の中で言う。私には、誰が大切で、何がしたいのか、それが分からない。

あれ……?
ふと気づいた。分からないってことは、私は、ちなつちゃんが大切だと言えていないんじゃないか。
ちなつちゃんと会いたい、付き合っていたいということを望んでいないんじゃないか。

ぎゅっと目を閉じて、もう一度開く。天窓から半分欠けた月が見えた。
そういうことなんだよな。
きっと私は、恋に恋をしていたんだ。
恋をするには子供過ぎたから。
周りの人たちのことも、ちなつちゃんのことさえも目に入らずに、
ただ「恋をしている」っていうことにだけ浮かれて、ふわふわした気持ちでいたんだ。

同時に、あかりにちなつちゃんの気持ちを分かっているかどうか聞かれた理由がおぼろげに分かってきた。
ちなつちゃんがデートのときに複雑な表情をしていたことも、ごらく部でいつもと様子が違ったことも。
きっと、ちなつちゃんも同じだったんだ。
私と同じで恋に恋して、そしてそれに私より一足早く気づいてしまった。

もしかしたら、この1週間は子供な私とちなつちゃんが大人になるためにあったのかもしれない。
明日でちょうど1週間になる。忘れていたけれど、この恋は1週間の期限付きだったことを思い出した。
1週間経って私が出すべき結論は、ひとつしかない。
言いづらくても、言うしかない。
私のためにも、ちなつちゃんのためにも、京子やあかりのためにも。

私は、今日限りで恋に恋するのをやめにしよう。

知らず知らずのうちに京子のこともちなつちゃんのことも傷つけていたことにようやく気づいたけれど、
この先のことは分からないし、どう謝ればいいのかもどう解決すればいいのかもまだわからない。
京子の気持ちににだって何も返事はできない。今、中途半端に答えを出したところでこの1週間の二の舞になるだけだ。
だから、これからずっと、私は恋というものに、自分の気持ちというものに向き合っていかないといけないんだろう。
私がいつか大人になって、恋というものが何なのか分かるようになるまで、ずっと。
今しなくちゃいけないのはただひとつ、これが恋じゃなかったと認めること。
そう言いたかったんだろ?あかり。
半月に雲がかかって、月明かりに照らされていた部屋が僅かに暗くなる。
ちなつちゃん、京子、ごめんな。私がこんな子供で。
目を閉じると、やがて穏やかな眠りが訪れた。

朝、いつもの時間に目覚ましが鳴った。
顔を洗い、朝食を作り、制服に着替える。
普段と全く変わらないペースで支度をしていたはずなのに、家を出る時間は10分も早かった。
はやる気持ちを落ち着けながら、学校への道を歩く。
急いだって学校に来ているかどうかも分からないのに、どうしても早歩きになってしまう。
ようやく私は本当のことに気付けたから、それを少しでも早く伝えないといけないと思った。
それに、今日の放課後までそれを持ち越したくなかった。一段落付けてからごらく部に行きたかった。
これは私のワガママかもしれないけれど、私はあのごらく部を望んでるんだ。必要としているんだ。

遠くにぼんやりと人影が見えた。
ちなつちゃん?
駆け足でその人影に追いつこうとする。
だんだんはっきりと見えてきたその人は、まぎれもなくちなつちゃんだった。
ちょうど交差点にさしかかる手前で、信号が赤に変わる。
私は仕方なく足を止めた。


「ちなつちゃん!」


そう叫んだけれど、走り出した車の波にのまれてちなつちゃんの耳にまで届いたかは分からない。
ひっきりなしに通る車に隠れて、ちなつちゃんがまだそこにいるのかどうかも定かじゃない。
聞こえていたら。立ち止ってくれていたら。
……いや、ちなつちゃんが気づいていなくたって私が追いかければいいんだ。
私の今の率直な気持ちを伝えるために。恋に恋をしていた自分自身に別れを告げるために。
そして、この1週間、たった1週間だけど楽しかったよ、とも。

この赤信号が青に変わったら、きっと私たちは前に進める。



おわり

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