のび太「さて……今日も仕事か……」 (44)
街の一角で、俺はタバコに火をつけた。
吐き出せば白い息が広がる。煙のせいなのか、それとも寒さのせいなのか。その息は、やけに白かった。
この仕事は好きじゃない。
闇の底を這うような、決して日の光を浴びることのない毎日。様々な思惑や憤怒や恨み辛みといったダークな感情が幾重にも積み重ねられ、形となる仕事。
それでも俺には、これしかなかった。これしか出来なかった。
ただ一つだけの、誰にも負けない特技。誰にも真似できない技。
仕事では、俺は決して本名を名乗らない。命がいくらあっても足りやしない。
この時は、野比のび太という人物はいなくなる。
そして、“N”という殺し屋が、静かに動いていた。
「おやようN。外は寒いな」
スピーカーモードした電話から、男の声が響く。
加工しているのか、無機質な機械のような声だった。もっとも、俺もまた声を加工してはいるが。
「以前の依頼は、よくやってくれた。クライアントも満足していたよ。さすがは、業界最強と呼ばれるだけのことはある」
「お誉めの言葉、ありがとう。だが世間話はあまり好きじゃない。さっそく次の依頼を聞こうか」
「なるほどな。やはり君はプロだ」
スピーカーからは、男の微笑が聞こえていた。
「――では仕事の話だ。金賀優一郎を知っているか?」
「……名前だけ、な。確か、不動産業最大手の会社の代表だったが……」
「その通りだ。その者の持つ土地を欲しがってる輩がいてな。その輩からの依頼だ。
――金賀を、消してほしいんだと」
「ほう……。また、ずいぶんとデカイ獲物だな。金賀と言えば、確か裏側との交流も深い人物だったはずだが。それなりの報酬は期待出来るんだろうな」
「それはもちろんだ。おそらくは、バックに“カタギではない輩”もいるような相手だ。並の奴では返り討ちされるからな。
だからこその、Nへの依頼だ。クライアントは、君に大きな期待をしてるんだよ」
「そんなことはどうでもいい。報酬の件を聞きたい」
「報酬は頭で2000万。始末すれば、更に5000万出すそうだ」
「結構だ。さっそく仕事にかかる」
「……N、君にはいつも驚かされる。君は、恐怖を感じないのか?失敗すれば、君の命はないのだが?」
「恐怖なんてのは、いつもある。ただ、そんなものを表に出したところで、何の役にも立たない。“ケツ拭き紙”の方がよっぽどマシだ」
そして俺は、掛けていたコートを羽織る。内側の自動式拳銃は、ガチャガチャと音を鳴らしていた。
「とにかく、報酬はいつもの口座に入れてくれ。――“7000万”、一括でな」
そして俺は……いや、殺し屋“N”は、街へと解き放たれる。
白い雪は、まるで行く手を阻むように、深々と舞い降りていた。
酉付けとく
それから、ひたすらに金賀の会社の前で張り込んだ。
奴の出勤時間、帰宅時間、外出時の服装、車両……様々なものをチェックする。
最強の殺し屋と呼ばれてはいるが、その実俺は、怖がりだ。だからこそ、こうして相手の行動を徹底的に把握し、ただ一度のチャンスに全てをかける。
一撃必殺……それが、Nの代名詞でもある。
注意深く様子を探る日々。
そして、決行の日を迎えた。
その日は雨だった。
降りしきる雨粒は、容赦なく体温を奪い去る。既に日は沈み、辺りは薄暗い。その中に溶け込むように、黒い傘をさし、ただその車が到着するのを待った。
この日金賀は、別の企業のお偉いさんと会食をすることになっていた。そこは老舗の料亭であり、人里から少し離れている。
つまりは、人目も少ないということ。
「……来たか」
遠くから車のヘッドライトが近付いて来た。
俺は高鳴る鼓動を抑え、深呼吸する。未だに、決行する直前はいつもこうだ。
ブレーキ音が鳴り、車は停まる。と同時に、俺は木の影から歩き始めた。
最初に車から降りてきたのは、助手席の男。スーツを着て、辺りを見渡す。
そして傘で雨を防ぎながら、左後部のドアを開けた。
中から出てきたのは、中年の男性――間違いない。金賀だ。
運転手もまた車から降り、歩く金賀に頭を下げる。
行くか――。その言葉が頭の中に浮かぶと、それまであった緊張はどこかに消え去った。言うなれば、無。何も思わず、何も気にせず。
俺はただ、対象に声をかける。
「――……金賀、優一郎だな?」
その言葉に、金賀は足を止め俺の方を振り返る。付き人もまた俺に気付き、あからさまに警戒しながら睨み付けてきた。
「……誰だね、君は……?」
「名乗るほどの者じゃない。ただ、あんたに用があってな」
「私に?アポはとったのかね?」
「アポなんてのは知らない。――死刑宣告じゃあるまいし、死にゆくあんたにそんなものはいらないだろ?」
「なっ――!?」
「貴様!殺し屋か!?」
俺の言葉に反応し、付き人達はいち早く懐に手を入れる。
だが“何か”が取り出される前だった。俺は銃を抜き出し、素早くトリガーを二回弾く。
「ぐわっ!」
「がはっ!?」
ターンという高く思い音が連続で響くや、男二人は泥水だらけの地面に倒れこむ。
硝煙の香りが、雨の中に混じっていた。
「……急所は外した。目標以外には、興味ないんでね
「……!」
瞬く間に倒れた付き人を見た金賀は、その場で震え始めた。
「さて、金賀優一郎。そろそろ終わろうか」
「ま、待ってくれ……!」
金賀は雨の中、土下座を始める。
「金ならいくらでも払う!だから、見逃してくれ!」
「……」
「君も誰かに雇われてるんだろ!?いくら欲しい!?1億か!?10億か!?
いくらでもいい!だから、助けてくれ!!」
必死だった。さっきまでとは違い、プライドを投げ捨てて、ひたすら命乞いをする金賀。
こんな光景は、見飽きていた。
「……あんたの命は、金で買えるのか?」
「……え?」
「あんたの命は、金で買えるのか?」
「あ、ああ!いくらでも出す!!」
「そうか……。悪いな。そんな一時的な言葉に、いちいち反応してられないんでな。あんたに恨みはないが、俺のために死んでもらうさ
そして俺は、銃口を向けた。
「――っ!?」
「金はいらない。言葉もいらない。
――祈れ。今のあんたに出来るのは、それだけだ」
「う、うわあああああ……!!」
金賀は立ち上がり逃げ始めた。暗闇の奥へ。もつれる足は、何度も彼の体を転ばせる。それでも、彼は走り続けた。
……だが、その先に光はない。どこまでも深い闇。どこまでも冷たい雨。どんよりとのしかかるそれらが、彼を待ち構えていた。
「……悪いな」
雨音の中、呟いた。
そして俺は、ただ静かに、トリガーを引いた――。
数日後、俺はとある居酒屋にいた。
そこで、懐かしい面々と会うことになっていた。
「ようのび太!久しぶりだな!」
大柄な男が、俺に気付き手を振る。
「相変わらずぱっとしない顔してんな!のび太!」
狐顔の彼も、続いて声をかけてきた。
「ああ、ジャイアン、スネ夫。久しぶり」
「なんだよなんだよ。高校の時と全然変わってないじゃねえか」
「ジャイアン、それ、ジャイアンもだよ」
「うるせえスネ夫!余計なこと言うんじゃねえ!」
子供のころから、見慣れた光景だった。
それでも、彼らは嬉しそうだった。大人になり、こうして顔を合わせることは少なくなった。久々に会うこの時は、何よりもかけがえなく思えてしまう。
……まだ俺にも、こんな人の心が残っていたようだ。
「――のび太さん」
ふと、後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこには彼女がいた。とても綺麗になった、よく知ってる姿。
「……久しぶり、しずかちゃん」
「のび太さんも。久しぶり……」
彼女は、優しく微笑んでいた。
「ジャイアン、仕事はどうなの?」
ビールを飲みながら、スネ夫はジャイアンの方を見た。
「ああ、順調だよ。この前もイベントがうまくいったし」
「そうなんだ。でも、音楽プロデューサーも大変だよね」
「まあな。作詞作曲も楽じゃないし、グループもまだまだマイナーだからな。でも、いつか絶対トップにしてやんだよ。それが俺の夢だな」
「へえ……なんか凄いね」
「そんなことねえって。そういうスネ夫だって、会社経営大変だろ?」
「うん、まあね。親の会社引き継ぐのも出来たけど、それじゃあ面白くないしね。自分で立ち上げて、成功する。
それこそ、最高の親孝行だと思ってるし。業績も右肩上がりだし、上々だよ」
二人は、それぞれ立派に歩いていた。
片や新進気鋭の音楽プロデューサー。片や若くして創立した会社の社長。
眩しく輝くような仕事。人々から注目され、尊敬の眼差しを受ける。
(……まったく、俺とは正反対だな)
そう思いながら、目の前のウイスキーを飲み干した。
「のび太さんは、何してるの?」
ふいに、しずかが聞いてきた。
「おr……僕?」
「ええ。どんな仕事?」
「……ただの、雇われだよ。依頼を受けて、ただこなすだけの毎日さ」
「自由業?」
「どうだろ。よく分かんないかな」
「よく分からない仕事なのか?」
俺としずかの間に、ジャイアンが割って入る。
「やることは単純なんだけど……まあ、面白くはないかな」
そう話ながら、俺はタバコに火をつける。
「……」
スネ夫は、俺の顔をまじまじと眺めていた。
「……?スネ夫?」
「いや……のび太さ、雰囲気、変わったよな」
「……え?」
「ああ、俺も思った。何て言うか、スゲー大人になった感じだな」
「そうかな……。まあ、この年になれば色んなもの見るしな。綺麗なものばかりじゃない。もっと深い、どす黒いものもな。
僕の場合、仕事柄そういう暗い部分に対面する機会が、人より“ちょっとばっかし”多いんだよ。
だから、余計老けるんだろうな。きっと」
少しだけ、愚痴を溢したのかもしれない。
普段は仕事を悟られるようなことは口にしない。だが今日は、飲みすぎたみたいだ。
それに、俺の中のフラストレーションも、そこそこ溜まっていたのかもしれない。
どちらにしても少し無防備過ぎた。
今後は気を付けるとしよう。
「……のび太さん、仕事っていったい――」
「――ごめん!遅くなったね!」
しずかの言葉を遮るように、俺達の席に、そいつはやって来た。
仕事帰りなのか、スーツを着ていた。世間一般的に見れば、イケメンと呼ばれる男だろう。
その証拠に、仕切りカーテンの隙間から、他の女性客がそいつに見惚れていたのがわかった。
もっとも、俺達の席に繰る奴は分かっていた。
今日集まる人数は、全部で5人。
俺、しずか、ジャイアン、スネ夫……そして――
「遅かったじゃねえか!出来杉!」
「待ってたぞイケメン!」
ジャイアンとスネ夫は、彼――出来杉に声をかける。
出来杉は、少しだけ照れながら席に座った。
このSSまとめへのコメント
乙!おもろかったぞい