朝倉「すきのしるしのきす」 (87)
地の文。長さそこそこ。捏造。書き終わり済み。朝キョン。
以上がOKで、お暇な方。お付き合いしていただければ。
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"Kus"
-キス-
Auf die Hande kust die Achtung,
-手の甲は尊敬-
Freundschaft auf die offne Stirn,
-額は友情-
Auf die Wange Wohlgefallen,
-頬は厚意-
Sel'ge Liebe auf den Mund,
-唇は愛情-
Aufs geschlosne Aug' die Sehnsucht,
-瞼の上は憧憬-
In die hohle Hand Verlangen,
-掌は懇願-
Arm und Nacken die Begierde,
-腕と首は欲望-
Ubrall sonst die Raserei.
-それ以外は狂気の沙汰-
「ねぇキョン君、キスして?」
「断る」
僅かなタイムラグすら置かずに自分の口から滑り出た否定に、俺は大きな満足感を得た。
脊髄反射の限界がどれ程の速さなのかを俺は知らない。それに関しては己の無知を恥じ入るばかりだが、きっとこの時の俺の返答はそれをも上回る速度だったのではないだろうかと思う。
ともあれ、人類が到達できる最高速度でもって自分がNOと言える日本人であることを証明できた俺は、空気というか時間というか、とにかくそんなものが止まってしまった文芸部室内に、マグネット製の角行の音をピシリ、と響かせた。
「古泉、お前の番だぞ」
「古泉、お前の番だぞ」
「……えっ!? え……ええ、っと。はい、そう、ですね?」
ポカン、といった擬音がぴったり当てはまる大口を開けて俺と窓の方に視線を彷徨わせていた古泉。
しかし、俺の声にはっと気付いたように将棋盤に目を戻すと、わたわたと角行の射線の上に入った玉将を逃がしにかかる。
こいつの、対局前に嫌味なく玉将を選べる気の遣いっぷりは正直に美徳だと思うが、いかんせん同性からすればあまり面白いものでもない。
加えて古泉自身の容姿だとか、今のように多少取り乱そうとそれが様になる器量なんかが更にその僻み根性に拍車をかける。
だからつい、もうちょっと、こちらに頭を向けた玉を虐めたろうか、という気になってしまう。
「……ちょっと、即答はないんじゃない?」
「うるさい、断るっつっとろーが」
目は将棋盤から離さず、首は目の前の古泉の方向から動かさず、そう答える。
哀れな敵の総大将の今の動きはこちらの想定内。
辛くも角行から逃れたつもりだろうが、追い打ちで置かれた香車の槍、そして次ぐ手である銀将の制空権は彼の動きを確実に制限していく。
そして最終的に、元は彼の部下だった駒達の物量に押し込まれ、大口を開けて待ち構える竜王の顎に捕えられてしまうのは最早想像に難くない。
本当はもっと手っ取り早く退路を断つこともできるのだが、ここはもうちょっとだけ甚振って少しでも外野に対する時間を稼ぎ――
もとい、強者の愉悦を堪能したい。
なにせ古泉に対する数少ないアドバンテージなのだ、偶には優位性を味わってみてもいいだろう。
「キョン君ってば」
「聞き分けのないやっちゃな。あとちょっとで詰みに追い込めるんだ、集中させてくれ」
さて、そのためにはもうちょっと盤面に集中したい。
外野のヤジはシャットダウンしつつ、椅子をひいてもう少し身を乗りだして将棋盤に対する居住まいを正すと、ガタリと窓側からも椅子から立ち上がった音が鳴る。
同時に、バサリと紙の束が置かれたような音も。
先ほど古泉が視線を向けていた方だが、かといってそちらに視線をそらすわけにはいかない。
盤面の戦局はほぼ決まりきったようなものだが、いやいや、それでも油断はできない。
たとえ玉将を守る牙城が崩れようと、今の俺には引けない理由があるのだ。
男の子の意地だとか、サディスト的喜びだとか、詰将棋を楽しむのに似た理知的な探究心だとか、えーと、他にも色々が。
だからそう、これはさっきの言葉に対する時間稼ぎでも何でもなく、一切の余裕と慢心を排除した自己研鑽にも似たもっと高尚に哲学的なプロセスであって――
「なによ、あとちょっともなにも、ここに打っちゃえばそれで終わりじゃない」
突如、意図的に狭めていた視界の外から伸びた白い指が、馬鹿口を開けてお預けのままでいた俺の竜王をひょい、と摘み上げる。
あ、と声を上げる暇もなく盤面に再び着地した竜王は玉将を自らのテリトリーに収め、他の軍勢との連携はあっさりと玉将をその場に磔にしてしまった。
「……詰み、ですね」
たった一手の、それも横槍による決着にもかかわらず、対面の古泉は憑き物が落ちたような表情すら浮かべて俺を見る。
その視線に文句の一つでも言おうと首を動かそうとして初めて、努めて固定していた体の向きを完全に崩されてしまっていることを知った。
お蔭で文芸部室内の状況が良く見える。今、部屋の中心は間違いなく俺だった。
部室に来た時には既にパソコンに噛り付いていたハルヒはこちらに好奇の視線を注ぎ、窓際のパイプ椅子に腰かけた長門は珍しく本から顔を上げ、その眼差しには熱は感じられないまでもこちらをじっと見ている。
朝比奈さんはお盆で覆った口元から、ひゃ~だの、きゃ~だのといった羞恥と興味の入り混じった愛らしい声を上げ、対面の古泉は先の通りだ。
そして
「……朝倉」
「……なによ。キョン君があたしの話、聞いてくれないからでしょう」
もう一つの中心である朝倉涼子は、マグネット将棋盤に指を触れさせたままやや不服そうな、それでもたった一手で盤面を決着に導いたその手腕を誇るような表情を浮かべてこちらを見下ろしていた。
一旦、ここまで。しれっと朝倉がSOS団関係者になっている捏造でお送りします。
次から「」の前に、人名入れます。
お暇でしたら、お付き合いいただければ。
何で足へのキスが狂気の沙汰なのか(憤慨)
皆にひとつ確認しておきたいのだが
明確な殺意を以て刺されるのも、何の興味もなく路傍の小石を蹴り飛ばすがごとく情報連結解除されるのも、ただ単に好奇心で解剖されるのも、それが朝倉涼子さんの手によるものならば等しく全てハッピーエンドで間違いないよな?
朝倉「で、キョン君」
キョン「うるせぇ、断るっつってんだろーが」
何度も言わせるんじゃあありません。
一度でいい事を二度言わなけりゃあいけないってのは、そいつの頭が悪いってことだからだぞ?
とりあえず顔を上げてしまった以上は仕方がないので、パイプ椅子の向きを直して朝倉に向き直る。
動かすついでに間合いを調節する小細工も忘れない。
コイツ相手に限っては、彼我の距離があって悪いということはないだろう。
ましてこんな突飛なことを言い出した日には、尚更だ。
キョン「第一なんだ、いきなりンなこと言いだして」
むぅ、と不満げに唸る朝倉の、とりあえずは動きの起点になりうるだろう肩辺りに注意を払って先を続ける。
メンバー勢揃いの文芸部室の真ん中でこんなこと言い出したんだ、適当なキャッチボールを続けていればいずれ何らかの妨害、すなわち俺にとっての助けが入るに決まっている。
よって今俺がすべきなのは適当な時間稼ぎだ。
一回横やりが入れば、そのまま有耶無耶に出来るハズ。
ハルヒ「いーじゃない。やったげなさいよ、キョン」
キョン「……は?」
そう思っていたところに、思わぬ一言が飛び込んだ。
キョン「ハルヒ、今なんつった?」
ハルヒ「やったげなさいって。減るもんじゃないでしょうに、キスの一回や二回」
パソコンから上げた視線をこっちに向けていたと思えば、今はこちらを一瞥すらせずに手元の本を何やら熱心に眺めながら、SOS団団長こと涼宮ハルヒは何でも無い事のようにもう一度言い放つ。
そんな本どっから出した。
こっちを見て話をなさい、と言いたいところだが、良くない、この流れは非常に、良くない。
キョン「いや待てハルヒ、あのな」
ハルヒ「何よ、ちょっとした実験みたいなもんよ。チュッとやったんなさい、チュッと」
キョン「実験ってお前な」
何故ってこのSOS団なる会合の根本たる涼宮ハルヒその人が、その言葉を発したからだ。
ハルヒを観察するためにいらした未来人と、彼女からデータを取るために訪れた宇宙人と、ヤツを監視するための超能力者。
それらがいるこの空間において、最終決定機関ともいえるハルヒがその結論に至るのは、俺にとって非常に良くない。
良くないどころか、最悪だ。
焦りを感じて周りを見渡してみれば案の定、長門は先ほどとミクロン単位も変わらぬ姿勢で静観に徹しており、朝比奈さんは理性と使命の狭間で迷ってらっしゃるのか、おたおたとハルヒ、朝倉、俺の三人の間に視線を彷徨わせていらっしゃる。
そしてほぼ唯一、抑止力として期待が持てた古泉すらハルヒの発言の真意をつかみかねているのか、僅かに開いていた口を噤んでしまった。
なんだこの空気。
まるで俺が朝倉にキスしなければいけないような、そんな流れというか圧力というか、無言なうちにそんなモンで部屋が満たされつつある。
こんな雰囲気に晒され続けるなら合コンよろしくキスコールでも連発された方が笑って流せるだけまだマシだ。
や、参加したことなんかないが。
キョン「いや、お前らなぁ――っ」
朝倉「キョン君」
ともかく、断固拒否だ。ただそれだけをはっきりと口にしようとした俺を、朝倉が呼ぶ。
朝倉「――そんなに、イヤ?」
断固の、だ、の形で口が固まる。
軽く顎先に指を当てた朝倉の姿に。
さっきからなんなんだ、コイツは。
人があえて逸らした視線を、悉くその見ないようにしていた部分にピンポイントに誘導しおってからに。
流石宇宙謹製と賞賛したくなる整いすぎた指が、ピンク色で薄い艶やかな唇を指差すように添えられている。
少しだけ湿っているような質感、朝倉が喋る度に動く様はその柔らかさを示すようで、自分の喉が勝手に音を鳴らしやがったのが嫌でも分かる。
やめろ俺、想像するな。
朝倉「そこまで嫌がられると、あたしとしてもちょっぴり傷つくんだけど……」
ぶんかぶんかと頭を振り、要らぬ妄想を振り払う俺に、朝倉が一歩近付く。
違う、嫌だとかそういう問題じゃない、根本的な部分が間違っているんだ、朝倉よ。
朝倉「違うって何が?」
俺の言葉に朝倉は、心底わからない、といった表情で首をかしげる。
その肩口の向こうでハルヒも同様の表情で片眉を下げた。
キョン「いや、何が? じゃなくてな」
体面だ。
もっと言えば倫理観の問題だ。
この際分かりやすく言っちまおうか、要は単に恥ずかしいんだ。
朝倉「だから、恥ずかしいって何がよ?」
ここまでくればもう必死だ。
朝倉が更にきょとんとした顔でもう一歩こちらに近づくが立ち上がる暇も惜しんで椅子を引き摺ってただ距離を取る。
説得する方が先だ。
キョン「ええい、わからんやっちゃな」
が、朝倉の行動が予想外に早かった。
もう少しあると思っていた間合いを、朝倉は伸ばした腕で埋めてくる。
俺の頬に向かって伸ばしてきたようなその軌道に、いよいよ俺の妄想の光景が現実味を帯びてきたような気がして、それを避けんと思い切り体を仰け反らせ
キョン「俺は公衆の面前で軽々しく人様のくちび――」
朝倉「ほら、別にどこだっていいんだからさ、ちゅって、さ」
そのまま掌まで広げて、体の前面を大きく開いた朝倉の姿とその言葉に、俺はバランスを失ってそのまま椅子ごと仰向けにひっくり返った。
キョン「――痛ってぇ」
みくる「わわわ、キョ、キョン君、大丈夫ですかぁ!?」
ガッチャン、との大きな音に、事の動向をうかがっていた朝比奈さんが、一瞬の間をおいて古泉も俺の方に駆け寄ってくる。
どこでも。
どこでもって何だ。
どーゆー意味だ。
ハルヒ「ちょっと何してるのよ、鈍臭いわねぇ」
朝倉「……大丈夫? 痛そうだけど」
長門「勢いはそれほどでもなかった。頭部も、床面には打ち付けられていないから心配はいらない」
そして少し離れてもうちょっと冷静なメンツ三人。
特に長門、流石よく見てやがるな。
最近体育の柔道の時間に習った受け身の要領でとっさに顎を引いたのが良かったらしく、後頭部には痛みは無い。
お蔭で天井よりちょっと低くなった視界に、俺が倒れた時と寸分違わず未だに両手を広げて立っている朝倉が良く見えた。
朝倉「ところで、くちび……何?」
キョン「なんでもねぇよ」
朝倉の疑問にそう返して俺は今度こそ、ゴチン、と木目張りの床に頭を落とした。
ブツ切りにして申し訳ないですが、お時間の都合で、今日もこの辺りで。
だ、だから「お暇な方」って注釈を、始めにしたじゃないですか。(震え声
今日、もう一度中断して、明日で終わらせます。よろしくお願いします。
であ、再開。
まずは、だ。
思い返せばそもそもコイツの発言が衝撃的過ぎて、好奇心の源の詮索を忘れていた。
みくる「なるほどぉ、そのフランツ・グリルパルツァーなる劇詩人の」
朝倉「そそ、『接吻』っていう作の中での一節なんだけどね」
みくる「へぇ~。キスする場所で意味が違うんですね」
朝比奈さんが先ほどハルヒがパソコンの前に座りながら熱心に読んでいた本を、朝倉の説明を貰って眺めている。
要は何ちゃらいう詩だかの内容を真に受けて心理テストみたいなもんを俺に対して試みようとしていたらしい。
まったくはた迷惑な。
起こしたパイプ椅子に浅く腰掛け、両腕と首を重力に任せるがままだらりと弛緩させて天井を仰ぎ見る俺を古泉が覗き込む。
古泉「お疲れですね」
キョン「そりゃ、あれだけ人の話聞いてくれなければ疲れもするわ。誰かさんの助けも期待してたってのに」
古泉「それは大変申し訳ありませんでした」
そう言って古泉は、珍しく本当に申し訳なさそうに眉根を下げながら、頬を軽く掻いた。
まぁ、別に懸念してたこと自体は俺の勘違いだったからいいけどな。
古泉「そういって下さると助かります。……それで」
どうするんですか、アレは。と言い、古泉は熱心に本の文章を眺めている女子四人を視線だけで示す。
古泉「あそこまで盛り上がっては、今度こそ僕がお手伝いしても止まりそうにないのですが」
キョン「あー……」
とりあえす一時的に落ち着いてはいるものの、根本的な問題は未だ解決はしていないのだ。
俺が転倒した際に、朝比奈さんが朝倉とハルヒの、事を正確に理解してそうな二人を俺から引き離してくださったおかげで今の小康状態があるだけで遠からず朝倉はまたキスをさせようとするだろうし、ハルヒもさっきの流れ通りそれを肯定するのだろう。
……するのだろうが。
キョン「……まぁいいかな、と」
古泉「は?」
キョン「や、まぁいいかな。と思っちまってさぁ」
そもそもが、一般的なイメージである(と信じたい)キスの方を想定していたため、自分の中でのハードルが下がった今、しちまってもいいかなと言う気になってしまっている。
どこでもいい、という気楽さと、どんな結果であろうとも連中は真面目に考えまい、という考えも、その気を手伝っている。
古泉「まあ、あなたがいいのなら僕としては別に止める理由もないのですが……」
若干納得しかねる様子で、古泉は肩を竦める。
無理もないだろう、正直、自分でもらしくないと思う。
キョン「心配してくれるのはありがたいがな、俺にだってちょっとした――」
朝倉「さぁって、と」
困惑顔の古泉そっちのけで朝倉の声が、俺の言葉を遮った。
あちらは朝比奈さんへの説明を一通り終えたようだ。
とはいえ、漏れ聞こえてきた範囲では解説が必要な内容でもなかったようではあるし、もちろん、どこのキスが何を意味するのかは連中としても最大の関心点だったようで、残念ながらこちらへ情報は漏れては来なかった。
朝倉「それじゃ、そろそろ準備はいいかしらー?」
インターバルをおいてあげたんだから、と言わんばかりな喜色満面さで、SOS団女子組に見送られた朝倉がこちらに歩み寄ってくる。
本当にいいのか、と朝倉と俺を交互に見る古泉を目で制して、俺は両手を広げて見せた。
キョン「お前の好奇心には恐れ入った、降参だ。俺も腹を括るよ」
朝倉「別にそこまでの大事じゃないのよ。単に面白そうだ、ってだけだしね」
犬歯を強調するような、唇の片方だけを捻り挙げた笑みを浮かべ、両手を擦りあわせながら朝倉が迫る。
実に、本当に実に楽しそうなその表情を見て、ふと、ある光景が記憶野を過ぎる。
『――あたしはもう飽き飽きしてるのね』
記憶の中の彼女は、そう言って笑う。
あくまで瞳は閉じないで。
口元に笑みを浮かべても、片時であろうとも目を離さずに対象を観察せんと、大きく目を見開いている。
そんなこいつが。
そんな、だった、こいつが。
朝倉「にしたって、やけに素直に諦めたじゃない? まぁ、何に抵抗してたのかはわかんないけど」
キョン「俺にも思うところがあったわけだ。さんざ引っ張って、悪かったな」
朝倉「ふーん。まあ、いいけど」
どうしようもなく楽しそうに、笑うようになったじゃあないか。
迫る朝倉の後ろでは、好奇の目が三対。
朝倉と俺の間には、状況の成り行きを心配はしているものの、それでも興味深そうな色を浮かべた目が一対。
そして眼前の朝倉は、いつかのそれとは異なり目尻を下げた笑い顔で大きく腕を開く。
朝倉「それじゃ、お待ちかね。足でも手でも首でも顔でも。どこにチュッてしてもいいからねー」
場の流れは、さっきと雰囲気が違うものの、すっかり俺が朝倉にキスする流れとなっている。
もちろん、俺も承諾はしたものの、流石にちょっと、少しだけイラッとする。
――全く、人の気も知らないでコイツは。
口付ける個所はもう決めた。
そこに手を伸ばす前に、古泉にさっきの言葉の続きの意味を持たせて少し視線を投げる。
そう、俺にだってちょっとした心積もりがあるんだぜ。
朝倉には絶対に分からない。
俺だって、あの時まんまと手紙で誘い出してもらった時とは違うのだ。
いつだってお前の好奇心通りに動いてやると思うなよ。
キョン「それじゃ、お許しも出たことだし、ちょっと失礼して……」
そして古泉から視線を切り、わざと大仰な台詞と動作でゆっくりと右手を伸ばす。
一瞬疑問の色が濃くなった古泉には申し訳ないが、あまり説明してやる気はない。
好奇の熱が一層強くなった室内で、俺は伸ばした右手で――。
ちょっと早いですけれど、切りがいいので、この辺りで失礼します。
明日で終わりの予定です。お暇でしたら、お付き合いを。
ちょっとだけ再開。
この後、いったん切って、夜で終わらせます。
朝倉「……んっ」
一瞬、唇を離すかすかな粘着音に交じって朝倉の声が漏れたのは気のせいだろうか。
ともかく、俺は握手するような形で支えていた朝倉の左手を放す。
なるべく恭しく見えるように、わざと大げさに振る舞った。
他者の目から見てうまくいったかはわからないが、概ね思い通りにできたのでは、と思う。
緊張をいったん抜く意味で一つ息を吐いて顔を上げてみると、大体予想通りの。
古泉「手の甲、ですか……?」
キョン「まあ、その辺りを狙ったつもりだが」
先ほどの視線の意味もまだ呑み込めていないだろう古泉を筆頭とした、そこそこ意外そうな表情を浮かべた面々がこちらを変わらず凝視していた。
キョン「で、手の甲だったらどんな意味があるんだ?」
長門「手の甲は、尊敬の意味」
本当に珍しく、先ほどから膝に乗せた本を閉じて完全に観戦モードに入っていた長門が答える。
続いてハルヒが先程、朝比奈さんと一緒に見ていた本を手元に引き寄せ、それに補足をする。
ハルヒ「ちなみに他の部分だと、額で友情、頬は厚意、唇は愛情、瞼の上は憧憬、掌は懇願で腕と首は欲望。その他の部分だったら狂気の沙汰、って続くみたいねー」
もしそんな部分にキスしだしたら付き合い方考えるとこだったわー、と言ってかんらかんらと笑うハルヒに一瞬ギクリとする。
キョン「……そんな部分って、例えばどんなだよ」
ハルヒ「んーとね、例えばー……おへそとか?」
キョン「何てこと考えてやがるんですかお前は」
みくる「まあまあ」
コイツは、真昼間から俺が女生徒の制服をめくった挙句にそこに頭を突っ込む姿を想像して笑っとったのか、なんて奴だ。
こっちこそ付き合い考えちゃいますが、と頭を抱える俺の前に、やけにすっきりした顔の朝比奈さんが湯呑を置く。
みくる「なんにせよ凄くイイ感じでしたよ、キョン君。まるでお姫様にするみたいでした」
にっこりと笑う朝比奈先輩に、ええ、そんな感じを意識しましたから、と返す。
オーストリアのグリルパルツァーさんがどのような感性をお持ちだったのかまでは教養不足の俺にはわからないが、少なくとも劇作家なんていうフィクションに関わる仕事をしていたのならば、手の甲はそれに沿った意味を持たせているのでは、と巡らせた考えはあながち間違いでもなかったらしい。
朝倉「んー……」
ともかく、目論見通り事は運んだようだ。
やはり連中、よっぽど突飛な結果でさえなければ星座占いだとか以上の興味は持たなかったらしい。
何だかんだの押し問答をしている間に時間だけは過ぎていたらしく、空はすっかり茜色。
時間が時間だけに各々が退校準備に動き出している。
俺が口付けた個所をじっと見続けている、もう一人の渦中の人物であった朝倉以外は。
キョン「何難しい顔してんだ、お前は」
せっかく淹れていただいたお茶だ、帰宅の準備ももう鞄を持って文芸部室を出るだけだしせめてゆっくり味わおうと、パイプ椅子に腰かけながら湯呑に口を付ける。
キョン「単に面白そうだ、ってだけの動機で動いたわりに、やけに真剣に考え込んでるじゃないか」
朝倉「ん、別に大したことじゃないんだけどね」
歯切れ悪く、視線を落としたままの朝倉が、若干言いよどみながら言葉を継ぐ。
朝倉「……ねぇ、キョン君は『接吻』の事は今日初めて知ったのよね?」
キョン「そうだが?」
何を言い出すのかと思えば。
知ってたとして隠す理由なんぞないだろうに。
朝倉「そうなんだけどさ。……流石に唇だとか頬っぺたは期待してなかったけど、なんかキョン君に尊敬されるようなこと、したっけ? って思って」
キョン「そんな事か」
つーか、その自覚は委員長としてどうなんですか、朝倉さん。
や、別に委員長はクラス全員に尊敬されてなきゃ選任されないわけじゃないから、別に悪くはないんだが。
キョン「直感で選んだんだ、そこに意味求められても、困るがな」
朝倉「んー、その割にはさー」
俺の、矛先をぼやかした返答に朝倉はもう一度眉を顰める。
朝倉「いざキスする段に、躊躇いがなかったのがちょっとだけ気になってね」
キョン「……なるほどな」
引っかかってるのはそこか。
空になった湯呑を持ち、さっとパイプ椅子を立つ。
律儀にてこてことついてくる朝倉に、本当にこいつの行動原理は好奇心一色なんだな、と感心する。
キョン「大した事じゃない。一回間を置いたろ、あの時考えといたんだよ。どうせもう一回やらされそうになるだろうから、ってな」
朝倉「何だ、そっか」
極力短いやり取りになるように意識し、ついでにしっかりと時間をかけて湯呑の水気を切って所定の位置に収める。
キョン「満足か?」
朝倉「うん、十分」
にっこりと笑って俺のカバンを差し出す朝倉からそれを受け取ると、ちょうど狙い澄ましたかのようなタイミングで退校を促すチャイムが鳴った。
ハルヒ「あんた達ー。鍵、閉めるわよー」
朝倉「うん、わかった」
朝倉がハルヒの方を向いた隙に、もう一度短く息を吐き出す。
全くコイツときたら、たまーにハルヒ並の勘の良さを発揮してくるから困りものだ。
ともかく、わかりやすい帰着点を与えて納得させるといった捌き方は、これまでの付き合いから何となくわかってきたが、いざもっと深刻な場面になったら、どうしようか、とも思う。
努めて、そんな場面に出くわさないようにするしか今のところ対処策がないのが厳しいところだが、ともかく。
キョン「……今日はもう、帰るか」
朝倉「そうしよっか」
なんだか疲れた。
俺の隣でその大元たる朝倉が笑うが、もう今日はコイツと話すのはちょっと御免こうむる。
頭が痛くなって、かなわん。
最後である者の務めとして、朝倉と分担して戸締りなんかを軽く点検し、部屋を出る。
既に差し込んであった鍵をくるりと回して施錠を確認した後、一足先に昇降口に向かっている面子を追う。
朝倉「ねね、好奇心ついでにもう一個」
キョン「あん?」
なるべく言葉少なに、と思っていたが、宇宙人の好奇心は底を知らないらしい。
後から追いすがって、俺の鼻先に指を一本、添えるように立てた朝倉が聞く。
朝倉「もし、『接吻』を事前に知ってたら、キョン君はどこにキスした?」
キョン「……たら、れば、の話に意味はないだろ。まぁ、ただ」
朝倉「ただ?」
手の中で文芸部室の鍵を弄びながら少し考えるが、すぐに答えは出る。
恐らく、同じ場所を狙って、同じように振る舞っただろう。
俺も大概、面倒くさい性格をしているしな。
キョン「唐突にこんな事を思いつくところは正直、尊敬に値するよ」
そして頭頂に、押し付けるような軽い手刀を見舞われた朝倉は、なんか馬鹿にされてる気がするんだけど、と頬を膨らませた。
一旦区切り。あと10レスくらいでしょうか。
お付き合いいただければ。
再開しますー。
よろしくお願いします。
旧校舎にて活動を行っている分、片付けの比較的早い文化部と、先程のチャイムから片付けを始める運動部の間隙を縫った帰宅らしく、人があまりいない、行きは辛くて帰りは楽な北高の坂を六人揃って下る。
前方で固まり何やらか話す女子組に交じる気にはならず、隣にいる古泉に何となく歩調を合わせながら緊張とか疲れとかを丸ごと吐き出そうと、深く息を絞り出す。
古泉「他人事だと思って、と怒られるかもしれませんが」
キョン「うん?」
古泉「正直なところ、ちょっと面白かったですよ」
キョン「そりゃどうも、光栄だね」
探り探り話す古泉にひらひらと手を振って、別に何を言われようと気にしない意を示す。
あちらもそれを汲み取ってくれたようで、いささかほっとした様子で話を続けた。
古泉「にしても、本当にご存じなかったので?」
キョン「……なんだ、朝倉との話、聞いてやがったのか」
とはいっても、あんな狭い室内だ、聞えて当然だし別に咎める訳でもない。
それにしても、普段の俺はそんなに何も考えてないように見えるのだろうか、たまにスムーズに事を運ぶとこれかと思うと、日頃の自分の行いをちょっと省みたくもなる。
キョン「知らなかったよ、ホントだ。お前も疑り深い奴だな」
古泉「いや、失礼。性分と言いますか、どうも」
キョン「第一、知ってたとして隠すメリットはないだろう。それに朝倉も言ってた行動に迷いがなかったってのは、俺としては根拠が薄いように思うがね」
古泉「ええ、ですから僕は、知っていたから行動に迷いがなかった、ではなく、知らなかったけれど行動に迷いがなかった、だと思うんですよ」
キョン「何だそりゃ」
古泉「つまりあなたにとっては別に、手の甲にキスする事に対して『接吻』がどんな意味を説いていようと関係なかったのではないでしょうか、と思うのですが」
いつぞや、俺に俺が巻き込まれつつある現状を説明した時のように、生き生きとした表情で古泉は続ける。
一瞬、何でそこまで、あんな事、でスルーできるような事にここまで拘るのか、とも思ったが、コイツの言うとおり性分なんだろうと納得する。
前を歩く四人に聞えないように声を潜めて話している辺りも、別に自分の中で落としどころを見つけられればそれでいいからなのだろう。
キョン「まあ、そんな考えも面白いとは思うけどな」
仕方ないからもう少し付き合うことにする。
あまり抑止力にはならなかったとはいえ、それは結果だけを見ればの話で、あの場にいたメンバーの中で唯一、古泉は味方っぽいことをしてくれた。
バッサリ切ってしまうのも、さすがに不義理が過ぎる。
キョン「それにしたってやっぱり弱いと思うね。別に俺はあの場にあってどこにキスしようがどうでもよかったんだ、躊躇う理由も無いだろう」
古泉「ええ、確かに。それでも構わないのですが」
これ以上ないほどの理由だと思ったのだが、古泉はなおも食い下がってくる。
腑に落ちない点が二つある、と。
古泉「それまでの狼狽えっぷりとは打って変わった態度、そして僕に言いかけた、俺にだってちょっとした、の後の続く部分です」
あー、しまった。
それがあったか。
表情を気取られないよう、焦点の合わせない視線を前方に向け続けながら内心臍を噛む。
別に古泉としても世間話の域を出ていないんだろうから黙秘を通してもいいんだがな、と唇をへの字に結び、どうしたもんかとゆっくり考えを巡らせるが、古泉としては沈黙を好機と見たようだ。
古泉「つまり、貴方は例え『接吻』の意味を知っていようと手の甲にキスをしたのでは、もっと言ってしまえばあれは貴方自身が何かの意味を込めて手の甲に口付けを――」
みくる「古泉くーん」
いよいよクライマックスに近づく古泉の言葉を、安穏とした声音が遮る。
声の元を探ると朝比奈さんがいつもの柔和な笑みを浮かべながら、先頭集団からこちらに歩を向けていた。
古泉「あ、はい、何でしょう」
みくる「涼宮さんが呼んでましたよ、何でも今週末の活動について何とか、とか」
古泉「分かりました、ありがとうございます」
軽く肩をこけさせた古泉は、憑き物が落ちたようにこちらに少し申し訳なさそうな顔を浮かべて歩を早め、ハルヒ、長門、朝倉が談笑する集団に追いついていった。
別に気にするな、お前としても世間話の延長線上だったんだろうし、それに多少熱くなっちまったからってこっちに何の実害があったわけでもない。
ない、が。
全く、皆が皆、人の事に関心を持ちすぎではないのか。
この分だと長門あたりも腹に何かの考えを持ってるんじゃなかろうか、と邪推してしまう。
唯一の良心は、古泉がいなくなった俺の隣を、前の集団に戻るでなく歩いてくださっている朝比奈さんか。
そんな具合にしばしの休息に浸って坂を下る俺に、朝比奈さんはにっこりと笑いかけた。
みくる「指輪の予約、ですか?」
キョン「はい?」
そのお顔は、さっき見たのと全く同じやけにすっきりとした、しかしどこか含みを持たせた笑顔で、いかにも先輩然とした雰囲気を湛えていた。
みくる「場所。左手、薬指、でしたよね?」
しかもそれに付属した言葉はまさに俺が先程考えを巡らせた個所そのもので。
キョン「……え」
みくる「あれ、もしかして違いました?」
本当に驚いたときは実際に開いた口が塞がらなくなるんだな、と思い知った。
そんな俺の間抜け面で、朝比奈さんはちょっとした錯誤に陥ってくれたようだが、ぱくぱくと口の開閉を繰り返すだけの俺を見て、やはりご自身の考えは間違っていないと思い直したご様子。
キョン「……なんで」
絶対、バレないと思ってたのに。
あの場の流れの結論は確実に『接吻』に収束していただろうし、実際、ハルヒと朝倉はそれで考えに決着をつけた。
長門は何も言っては来ないが、それでも恐らく俺の意図まではわかっていないだろうし、最も情報を持っていた古泉だって確信はなかっただろうに、何故朝比奈さんがこんなに確信をもって、しかも。
しかも、正解を射抜いてくるのか。
みくる「ふふ、禁則事項ですー。って言いたいところですけれどね、あたしも女の子ですから」
昔の誰かさんが遺した意味より、少なくともあたしにとってはよっぽどわかりやすかったですよ? と朝比奈さんは続けた。
キョン「……その答えは、文化が違う長門と朝倉にはともかく、ハルヒに失礼じゃないですか?」
みくる「あら、そうかも」
女の子だから、そう言われちゃあ、お手上げだ。
精一杯の俺の返しに朝比奈さんはころころと笑う。
前を見れば人の気を知らない宇宙人が一人、雑談に花を咲かせて笑っている。
あの能天気さを見ていると、なんでよりによってあんな奴に、と思わなくもないが。
みくる「でも一応、理由を聞いても構いませんか?」
キョン「……まあ、我ながらびっくりするくらい意外に大した理由も無いんですけど」
多分、某国民的青狸の映画版におけるガキ大将に対する感情に近い、と言ったら納得していただけるだろうか。
ヤツが『帰国』して以来、警戒の意味を込めて目を離さずにいたら知らずにいた色んな面を知って段々と、というのが大方の理由だろうと思う。
それでも一度自分にナイフを突きつけた相手に、というのは驚くほど平凡すぎて自分の頭ながらおめでたすぎるとは思うが。
みくる「そうですか」
それでも朝比奈さんは、そんなトんだ言い分にも、その一言のみで、
みくる「でも、なんかロマンチックですよね。……いいなぁ、朝倉さん」
そしてそれ以上を詮索するでなく咎めるでなく、ただ見守るように、加えてほんの少し羨ましそうに目を細めた。
その様を見て、ああ、やっぱり先輩なんだな、と失礼ながら少し感心してしまう。
朝倉「おーい、キョン君、朝比奈せんぱーい。今度の週末の打ち合わせだってさー」
物思いにふける暇もなく、振り返った朝倉が俺達を呼ぶ。
キョン「いや、下校中にやらずに、活動中にやろうぜ、それは……」
ハルヒ「いーから来なさい、命令よー」
キョン「はいはい……」
仕方ないから行きましょうか、と朝比奈さん。
仕方ないですからね、と俺もそれに続く。
朝倉「キョン君、早くー」
朝倉が大きく左手を上げて俺を呼ぶ。
その左手が夕日に被り、まるで宝石みたいに輝いて見えた。
そういえば尊敬と誤解させたものの、朝比奈さんに看破されたように俺が口づけたのは厳密には左手の薬指。
『接吻』になぞらえるなら、狂気、に分類されるのだろうが。
まあ、狂気にだってとり憑かれるってもんだろう。
危なっかしくて目が離せない、一度ならず二度までも俺を殺しかけた宇宙人。
朝倉「キョン君ってばー」
キョン「はいよー」
理由は退屈だったりだとか、それがアイツの役目だったりだとか色々だったが、そいつが今、自分の意志であんなに楽しそうに笑えてるんだから。
お粗末様でした。お目汚し、失礼しました。
朝キョン楽しい。
各キャラクターの性格とかが違ってないかとかだけが心配です。
文章も軽く推敲しつつ進行しましたが、ところどころ誤字脱字やらで間違ってはいると思いますし、おまけに変に理屈っぽくてすみません。
つっても、朝キョンが楽しかったので個人的には満足です。お付き合い、ありがとうございました。
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