男「好きって、なんなんでしょうね。」(28)

 電球さえもまともに点かない小さな部屋で、俺は一人の女性と一緒に好きな人について真剣に語り合っていた。

「だからそうじゃないじゃん! ここでそれ言うの?」

 少し怒り気味で食い入るように俺の事を見つめているのが、友人であり先輩であり相棒でもある川無(かわなし)瑠夏(るか)である。
 小さい顔に、まるで神自らが造形したのではないかと疑わせるほどに整った顔。しかし今は自身一番のチャームポイントである大きなタレ目をこれでもかというほど吊り上げて俺を睨んでいる。

「そんなこと言われてもですね……これに合う言葉が見つからないと言いますか……」

 少し俯きながら聞き取れるか聞き取れないか位の小さな声で反論する。

「まさか私が悪いっていうの? 澄人のために徹夜してまで考えてきたのよ!?」

「瑠夏先輩のためでもあると思うんですけども……」

 ちなみに澄人と言うのは紛れもなく俺のことである。

「もういいわ。一回通してみればこれの良さが分かるわよ」

 若干ふてくされたようにそう吐き捨てる相方。

 そう。今俺達は漫才研究会の部室で「好きな人」というお題で作ったネタについて真剣に討論しているのだ。

「わかりましたよ……じゃあ通しますね」

 渋々椅子から立ち上がり、瑠夏先輩が徹夜で仕上げてきたという台本に目を通す。

(えー。最初のセリフは、っと)

 俺のセリフだ。

『好きってなんなんでしょうね?』

 次は瑠夏先輩のセリフ。

『多分こうやって人を殴ることかなあ!』
「痛い! です!」

 本当に殴ってきやがったこの女……。
 しかし今はそんなことに気を取られている暇はない。

 次は俺のセリフ。

『それ許されるの美少女ツンデレキャラだけです! あと先輩はツンデレでもなんでもないです!』

 自分で自分のことをよくわかってるじゃないか。そうさあなたはツンデレじゃない。ただのツンツンである。

『べっ別にあんたの為にやってるんじゃないんだから!』

『いきなりツンデレっ子口調になってもやってる事が真逆ですから! 無理ですから!』

 とまあこんな具合にトントンと練習は進んで行き、気づけばもう当たりは真っ暗になっていた。

 学校指定の下校時刻なんぞあってないようなもので、生徒が学校内に残っているのに帰らせようともしない。いや、俺達に気づいてすらいないだろう。

「ねえ澄人」

 いつになく真剣な表情で見つめてくる瑠夏先輩にたじろぎながらも、しっかりと返答する。

「なんですか?」

 部屋が揺れた気がした。まるで何かが起こる前兆のように。まるでそれは漫画や小説のように。

「あした、私達の引退ライブだよね」
「まあ、そうなります、ね」

 明日が終われば俺達のグループは即解散。なにせ先輩は3年。もうすぐ進学か就職かという、人生で1、2回くらいの重要な決断に迫られるのだから。

 だから、引退という都合のいい名目で学校側が強制退部させ、勉強に専念させようとするのだ。

 そうなってしまえば俺が瑠夏先輩と漫才をすることもなくなり、接点も減り、ついには会わなくなるなんてことにもなってしまうかもしれない。

 俺は、この件についてどう考えてるのだろう。

 さみしい。などではない。自分でも気づけない重要な、それこそ受験などよりももっと人生の本質に関わってくるような、そんな重要な気持ち。

 これが一体なんなのかは、まだ人生を16,7年しか生きていない俺には到底理解できない。

「これが終わったら、私た」


「どうにもなりませんよ」


 遮る。

 瑠夏先輩が次に出す言葉なんて簡単に予想できた。
 辛い現実。
 受け止めたくない。
 せめてその時までは楽なこの空間に、この宙に浮いたような軽い感覚を楽しみたいのだ。

 そんな我侭な後輩なんだよ。俺っていうのは。

 暗い雰囲気を包み込むように瑠夏先輩は笑った。

「ふふっ。なあーに心配してんのよ。こういう『アドリブ』に対応できるよーになったら一人前だなあ!」

 それは、優しい嘘。
 いや違う。
 本当の話だ。全部ぜんぶほんとうのこと。

 明日のライブ、楽しみだ。

 こうして俺達はそれぞれの帰路についた。


「おはようございます」

 漫才研究会の部室の扉を開きつつ、既に中に居るだろう瑠夏先輩に向かっての挨拶。
 部室で交わす挨拶は確実にこれが最後になるだろう。なぜだか感慨深い。

「おはよー。セリフ覚えてきた?」
「ばっちりです」

 完全に頭の中に記憶してある。
 瑠夏先輩が俺のために作ってくれる最後の台本なんだ。覚えてこないはずがない。

「最後に言わせて」

 そこで一旦言葉を切り、息を吸い込む先輩。

「今まで、ありがとね」

 それは、人生で初めてのありがとうだった。
 この言葉の裏にはもっと多くの言葉が、言葉では到底表すことなんてできっこないほどの言葉が隠れているのだろう。
 もう2年も一緒に過ごしているんだ。先輩が今何を考えているかなんて酸素を吸う位に簡単にわかる。

「こちらこそ、ありがとうございました」
 そしてこう付けたそうじゃないか。
「最後じゃ、ないですけど」

 それはそれは小さい声で。
 まるで、いや自分に言い聞かせるように吐いた言葉。自己暗示の言葉。気休めの言葉。
 けれど、今の俺に必要なその言葉。

「さあーて。どかんとでっかい笑い声響かせてやりましょう! 瑠夏先輩!」

 拳同士を付き合わせ、互いにはにかみ合う。
 鼓動が伝わる。神経がつながる。
 そうさ俺達は漫才師なんだ。二人で、一つの。

 覚悟を固め、舞台へと移動する。

「大ウケでしたね」

 舞台で漫才を終えた俺達は、道路が夕日に染まる時間帯に公園に来ていた。
 二人でブランコを漕ぎながら、時間を過ごす。

 キィ。とブランコが揺れる音だけが響く。
 この公園には他の子供たちもいるはずなのに、なぜか俺たちだけが隔離されたかのように周りの音は皆無だった。

 いや、俺の心臓の音にかき消されているといったほうが正しいのかもしれない。

「そうだったね」

 嬉しそうに、でもどこか悲しそうに。先輩はつぶやく。

 さあ覚悟を決めようじゃないか。
 俺も男だ。やるときはやるさ。

 覚えてきた先輩以外の、初めて俺が書いてきた台本(ネタ)。
 瑠夏先輩に、見せつけてやろうじゃないか。

「好きって、なんなんでしょうね?」

 始めよう、本番を。
 舞台ではできるはずもかかったもうひとつの本番を、この公園というステージで。
 めいいっぱい舞ってやろう。

「た、多分。こうやって人を殴ることだろうな」

 俺の肩を叩く先輩の腕はか弱い。口は強くても女の子なんだなと痛感させられる。

「それ許されるの美少女ツンデレキャラだけです。あと先輩はツンデレでもなんでもないです」

 戸惑う先輩。
 未だに意図がつかめていないみたいだ。

 けれども先輩は台本通り、俺の描いた理想の台本通りにあのセリフを言ってくれる。

「べっ別にあんたのためにやってる訳じゃないんだから……」

「違います」


 瑠夏先輩が用意した台本とは違う展開。全くと言っていいほどに異なる展開。

 しかし、俺の用意した台本通りの展開。

「俺、知ってます。いつも俺のために動いてくれていたこと。あんまり面白くないギャグを考えて俺の持ちネタにしてくれたこと。思い出せばもっとあります」

「な、何言ってるの? これ、漫才だよね?」

 そうさこれは漫才さ。
 俺が考えた最高の漫才。最高のストーリー。

「ええ! 漫才ですよ!」

 笑ってそう言ってやる。

 そしてここから後は俺の独壇場だ。
 予想以上にうまく事が運びすぎて笑みがこぼれる。

 残ってるのはあと3個の俺のセリフだけ。

 さあーて。こんな茶番は終わりだ。締めに入るとしよう。

「せんぱいいいましたよねー! アドリブに対応できたら一人前って!」

「先輩出来てませんよ!!」

 そして漫才には欠かせない最高のオチが待ってるんだ。

「だから、俺と一緒に一人前目指しませんか?」



 答えなんて聞かなくたって分かってる。

 最後の台本なんて、俺達にはいらない。

 この人と歩む人生を、最高で最初で最後の台本にすればいいんだから。

おしまい。

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