和「咲さんと過ごす特別な日」 (41)
9月下旬。
最近お互い忙しくて顔を合わせることのなかった咲さんから電話がかかってきた。
電話自体珍しい、なんて思いつつも着信とともに知らせたその名前に脈が少し早くなる。
和「もしもし」
咲『あ、和ちゃん?』
耳元で聞こえてきたその声に顔が緩む。
声が聞けるだけでこんなに嬉しい。
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和「どうしたんですか、珍しいですね」
咲『ん?だって来週の土曜日、和ちゃんの誕生日でしょ』
和「え、ああ…そうですね」
咲『まさか忘れてた?』
和「覚えてましたよ。ちょっと前までは」
咲『やっぱり忘れてたんだ』
そう言ってどこか楽しそうに笑う声を聞きながら。
カレンダーに目をやれば確かに週末は私の誕生日で。
そんなことを聞いてくれるなんて。
これは期待してもいいのでしょうか?
咲『でね、もう予定とかあるのかなって』
和「ないですよ。忘れてたくらいですし」
咲『和ちゃんらしいね。―――それでプレゼントなんだけど、何か欲しいものとかある?」
和「プレゼント、ですか?そうですね…咲さんの手料理が食べたいです」
咲『え?』
和「最近ご無沙汰なので、久しぶりに食べたいんです」
咲『そんなものでいいの?』
和「はい」
咲『あ、じゃあウチでゆっくりする?次の日日曜だし用事なければだけど』
和「いいんですか?」
咲『もちろんだよ』
当日は、待ち合わせはせずに直接咲さんの家に行くという話で電話を切った。
突然の電話でまさか私の誕生日のコトを言われるなんて思ってもいなくて。
咲さんに祝ってもらえる……それだけで十分私にとっては最高のプレゼントだ。
私の初恋は咲さん。
高校一年の夏に心をまるごと全部かっ攫われました。
それでも好きな人と過ごせる日々は幸せな反面、
独り占めしたいという欲求も日々募っていきました。
卒業したら大学は別なので、思い切って想いを伝えようと死ぬ気で告白したんです。
卒業式の日、部室で…。
和「今日で卒業ですね」
咲「そうだねぇ」
和「私、もう一つ卒業しないといけないものがあるんです」
咲「…?」
和「好きな人がいるんです」
咲「えっ」
和「三年間その人がずっと好きでした」
咲「…そうなんだ」
和「卒業を機に、言って終わりにしてしまおうと思うんです」
咲「終わりに…していいの?」
和「したくなくても、終わってしまうものですから」
そう私が言えば納得できないという顔をする咲さん。
和「言ってしまわないと、区切りがつかないので言います」
咲「…うん。がんばっ…」
和「咲さん。好きです」
咲「え…」
言った瞬間見開かれる咲さんの瞳。
和「ずっと好きでした」
咲「……私?」
和「はい。お互い大学も違うしこれから会える機会は少なくなりますが」
和「どうかお元気で。……それだけ言いたかったんです。それでは」
私は言いたいことだけを言ってその場を立ち去ろうとした。
―――が。
突然咲さんが私の手首を掴んだ。
咲「待って、和ちゃん。言い逃げはずるいよ」
『言い逃げ』
正しくその通りで私は何も言えず俯いてしまう。
私も咲さんも何も言わず言えず、ただ春というには少し冷たい風が窓から入りこんでくる。
和「突然、すみませんでした」
和「ただの自己満足に付き合わせてしまってごめんなさい。…気持ち悪いですよね」
和「でももう会うこともないですし……だから」
逃げたくて、苦しくて、痛くて。
早くその手を離して欲しいのに、握られた手首は離れない。
和「離して…もらえませんか?」
咲「嫌。この手を離したら和ちゃん、私ともう会う気ないでしょ」
―――あたり。
咲「……私、和ちゃんのことそんな風に見たことないし、今すごく驚いて動揺してる」
知っていたことだけど、咲さんの声で言われると――苦しい。
咲「だけど、このまま和ちゃんに会えなくなるのは嫌だと思ってる。それは間違いないよ」
咲「和ちゃんのことは好き。だけど和ちゃんが思っている好きとは違う」
和「……」
咲「―――だから、取りあえずは付き合ってみない?」
和「………はいぃ!?」
咲「だって、付き合ってみないと分からないじゃない?」
和「意味がわかりません」
咲「和ちゃんの気持ち無視して酷いこと言ってるのはわかってるよ」
咲「だけど付き合ってみたら好きになるかも知れない」
和「嫌いになるかもしれないです」
咲「それは絶対にないよ」
和「……どうして」
咲「和ちゃんのこと嫌いじゃないもん」
和「……じゃあ、こういうことされてもいいんですか?」
言いながら私は咲さんの腕を引っ張り、その体を軽く抱きしめた。
咲「……うん。和ちゃんに抱きしめられてると安心する」
和「―――っ!」
そんなことを言われ、思わず顔が熱くなる。
和「……本当に、いいんですか?」
咲「ふふっ。もちろんだよ」
そういうわけで。
咲さんと友達以上恋人未満のお付き合いが、卒業式の日から始まった。
あれから二年弱。
私たちの関係はあまり変わっていない。
ただ、去年あたりから頬や額へのキスを互いにする程度には進んでいた。
10月4日。
大学が終わってから一旦家に戻り、高校時代から何度となく行った咲さんの家へと向かった。
エプロン姿で出迎えてくれた咲さん。
彼女の作るものを食べれるのが本当に久しぶりで、香る匂いだけでお腹がなりそうになった。
咲「和ちゃん何もリクエストしないから、適当だよ?」
和「咲さんが作りたいもの作ってくれればそれでいいんです」
咲「でも、せっかくの誕生日でしょ?」
和「そうですけど、私は咲さんと過ごせるだけで十分です」
咲「っ……!」
咲さんの頬が少し赤くなっていて、照れて可愛いなんて思いながら。
彼女がテーブルに置いた瓶を見て驚いた。
私の視線に気付いたのか、その瓶を手に取り咲さんは口を開いた。
咲「あぁ、これ?和ちゃんの二十歳のお祝いにって買ってきたお酒だよ」
咲「一応店で飲みやすくて軽いの頼んだから大丈夫だと思うけど」
和「ワイン――ですか?」
咲「うん。炭酸ない方がいいでしょ?」
和「ありがとうございます」
お礼を言えば、ふわりと咲さんが笑った。
咲さんの作ったご飯と一緒に頂いたワインは、あっさりしていてとても飲みやすかった。
二回程おかわりをいただけば何だかふわふわと気持ちが良くて。
いつもより表情筋が緩むのが自分でもわかる。
こうして二人で会えたのが二ヶ月ぶりで、私の誕生日を祝ってくれる咲さん。
それだけで嬉しすぎて頬が緩んでしまう。
和「私、お礼に洗い物します!」
咲「お礼とかいいよ、私が洗うから」
和「いえ、こんなに幸せな気持ちにしていただいたんです。お礼しないわけにいきません!」
そう言って椅子から立ち上がれば足元がふわふわしていて、面白い。
和「ふふふ、何だかわかりませんが、ふわふわです咲さん」
咲「和ちゃんそれ酔ってるでしょ。いいからリビングで座ってて」
和「えーっ手伝いますよ」
咲「ひとりで出来るから」
和「じゃあ拭き上げします」
咲「いや、なんか今の和ちゃん危なそうだからいいよ」
少し強い語気で言われてしまった。
怒らせてしまったのでしょうか。
私はただ……
和「ただ咲さんの近くにいたいだけなんです」
咲「ふぇっ!?」
和「――でも迷惑なら仕方ないです。大人しくあちらに……」
言われたようにテレビの前へと移動しようとすれば腕を引かれる。
和「なんですか?」
咲「―――いていいから!」
和「はい?」
咲「いやだから、ここにいていいから。手伝わなくてもいいけど」
和「―――見てていいんですか?」
咲「うん。でも面白くないよ?」
和「面白さは求めてないんで大丈夫です」
咲「そ、そう」
咲さんが背中を向けて食器を洗っていく。
泡だらけの手元を見つつ視界に入る水色のエプロンの腰の結び目。
ひらりひらりと動くその様がチョウチョみたいで思わず指で触れる。
咲「―――なにしてるの?」
食器の泡を流しながらちらりと視線をこちらの寄越すから、笑って返事をする。
和「ひらひらしてます」
咲「……そう。楽しい?」
和「いえ」
咲「じゃあ何で触ってるの!」
和「なんか可愛いですから」
咲「和ちゃん、完璧に酔ってるね…」
咲「そういえば和ちゃん、今日は泊まっていく?」
泊まりの予定はしていないので着替えも何もかもないと伝えれば、あるよと答えられる。
咲「歯ブラシとか予備あるよ」
和「着替えがありません」
咲「私のを着ればいいんじゃない?」
和「いえ、――あの、流石にそれは」
『泊まる』ということは今まで何度かしてきたけれどそれは二人っきりではなく。
必ずそこに優希や先輩たちがいた。
だから私は自制出来るわけで―――。
好きな人と二人っきりで夜を過ごせだなんて、何の修行ですか?
しかも誕生日にいきなり我慢大会開催とかどういうことですか?
酔った頭でもそれはダメだとわかる。
和「―――ダメです。帰ります」
咲「どうしてダメなの?」
そっと私の手を撫でてくれる優しい咲さんの指に…胸が苦しくなる。
どうしてって、決まっているじゃないですか。
咲「和ちゃん酔ってふらふらでしょ?」
咲「それに明日用事無いって言ってたじゃない。何の問題があるの?」
和「―――問題なんてありすぎます」
咲「何処に」
和「……」
本当にわからないって顔で言う咲さんの表情に胸が締め付けられる。
そんなことだから――…
咲さんが私を好きじゃないから。
……いえ。友達としては、こうして祝ってくれる程度には好きでしょうけど。
それ以上に見てもいないのに、自分を好きだと言っている人物を泊めようなんて――
和「忘れてしまったのならいいんです」
咲「え?」
和「だから、私は帰ります。…お料理美味しかったです、ご馳走様でした」
それだけ言って立ち上がろうとしたのに、咲さんが手を離してくれない。
和「咲さん?」
咲「ちゃんと私が納得する理由を言ってよ」
和「……じゃあ聞きますが、咲さんはなぜそんなに私を泊めたがるんですか?」
疑問を口にすれば、咲さんの頬が朱に染まる。
なんですかその反応は……
期待、しちゃうじゃないですか。
もしかして…って。
咲「それは……」
それだけ言って口ごもる咲さん。
ああ、大した理由があったわけじゃないのだろう。
少し上がった体温がスっとさがっていく。
バカなことを一瞬でも考えてしまった。
少しでも、もしかしたら咲さんも―――…なんて。
和「―――言えないのならいいですよね。帰ります」
もうここには長く居られない。
一瞬想像した幸せは妄想でしかなくて。
ちょっとふわふわするけど、寒い中を少し歩けば酔いも覚めそうだ。
咲さんの手を私の手から外し、もう一度御馳走様でしたとお礼を言い立ち上がる。
置かせて貰っていた上着を身に付け、バッグを肩にかける。
和「それじゃ、咲さん……」
最後まで言いかける前に、自分の携帯がテーブルに置いたままなのに気づく。
手を伸ばそうとすれば、その前に咲さんがそれを手にした。
取ってくれたのだと思い手を伸ばしたのに、携帯は私の手に戻ってこず。
咲さんはいきなり電話をかけ始めた。
和「ちょ、咲さん!?」
咲「もしもし、夜分すみません宮永です。いつも和ちゃんにはお世話になってます」
咲「いえ、こちらこそ。あの、今日家に和ちゃん泊まってもらってもいいですか?」
咲「――ええ、そうなんです。――ありがとうございます。はい、代わります」
言葉も出ないまま、渡された携帯を耳にあてれば母の声。
およそ想像は出来ていたものの、まさか本当に家に電話かけていたなんて!
今更家に帰りますなんて言えば、喧嘩したのかと思われてしまうだろうから。
母には泊まると言うしかできなくて…。
何を考えているのかと、通話を切った携帯をバッグに押し込みながら咲さんの方を見れば。
なぜか嬉しそうな顔をしていた。
和「―――家に帰れなくなったじゃないですか」
咲「自分で言ったじゃない。私の家に泊まるって」
和「それは咲さんが最初にお母さんに言うから!」
咲「そうだね」
和「そうだねじゃないですよ!」
咲「そんなに怒らなくても…なんでそんなにうちに泊まるのが嫌なの?」
不満げに聞いてくる咲さん。
本当にあなたは何も分かっていないんですね。
和「―――好きな人の家にふたりっきりで一晩なんて気が気じゃないんです!」
和「咲さんは忘れてるかもしれないですけど、私は今もあなたが好きなんですから!」
もう泊まるなら、どうにでもなれという気持ちで私は上着を脱ぎ捨てた。
和「布団、貸してください」
咲「一緒に寝ればいいじゃない」
何でもない風にサラッと言われたその言葉。
本当に馬鹿ですね咲さんは。
ちょっとその鈍さに苛立ちます。
和「一緒に寝れるわけないじゃないですか!」
和「咲さんは片想いの相手と一つのベッドで寝れるんですか?私は出来ませんよ!」
咲「私も出来ないよ」
和「じゃあ私の気持ちを察してくれればいいじゃないですか!」
咲「だから一緒に寝ようって」
和「―――っ」
話があまりにも通じなくて怒りで顔が熱い。
和「本気でバカですよね!私はあなたが好きだって言ってるんです!」
咲「知ってるし、忘れてないよ。忘れるわけない」
和「じゃあ、どうしてそんな酷いこと言うんですか?私の気持ちを知っておいて……」
和「好きな人のベッドで好きな人と一緒に寝るなんて、ただの拷問です!信じられない」
咲「なにが拷問なの?」
和「血圧上がって心臓発作で死んでしまいます!」
咲「なんで」
和「なんでって、私は咲さんといるだけでこんなにどきどきしていて、それが、近くて、ひと晩とか――無理ですっ!」
咲「――あ、ホントだ」
そう言って私の背中に腕を回し、抱きしめられる。
咲「すごいバクバクしてる、和ちゃんの心の音」
和「―――分かったらさっさと離してくださいっ!」
咲「いや」
和「いい加減にっ」
咲「―――だって、私も和ちゃんが好きなんだもん」
和「………え」
咲「片想いの相手と同じベッドはダメだけど、両想いならいいんでしょ?」
和「……何、言ってるんですか」
咲「え?和ちゃんが好きって」
和「ふざけるのも大概にしてください」
咲「ふざけてなんかない」
咲「和ちゃんだから。…和ちゃんにしか、好きだなんて言わないよ」
和「え」
咲「ちゃんと口にはしなかったけど、それなりに態度には出してきたつもりなんだけどな」
ぎゅっと抱きしめられた胸から聞こえる鼓動は私のものと同じくらい早くて。
――――それって、本当に?
和「……咲さん」
顔を上げれば、頬を赤くした咲さんがいた。
その顔にたまらなくなって、私は咲さんに顔を近づける。
咲さんはそっと目を閉じた。
ふにゅっと唇に触れる柔らかい感触。
和「咲さん、好きです」
咲「私も和ちゃんが好き。だからもう帰るなんて言わないで」
和「……はい」
そのまま私たちはしばらくの間抱きしめ合った。
咲「私…和ちゃんが好きだって気づいてから、ずっと我慢してきたんだ」
咲「絶対和ちゃんの誕生日に言うんだって決めてたから」
和「……はい。私もずっと我慢してきました」
そう言って、咲さんの頬にキスをする。
和「そういうことなら一緒に寝ましょう。咲さん」
咲「うん、和ちゃん」
和「いえ、今日はまったく眠れないかも知れませんね」
咲「え?それってどういう…」
和「想いが通じ合った恋人同士がすることと言ったら、一つしかありませんよね?」
ねぇ、咲さん―――
耳元でそっと囁いたら、咲さんの顔がさらに真っ赤になった。
咲「そ、それはまだ無理!」
和「無理じゃないです」
和「二十歳になったお祝いに、咲さんをください」
咲「う……」
――いいですよね?
その言葉に咲さんが観念したように赤い顔でこくりと頷くから。
私は再び、咲さんにそっと顔を近づけた。
カン!
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