魔王「それとも。まだ私が魔王だって信じられない?」
勇者「……この禍々しい魔力、まちがいなく魔王のそれだ」
魔王「私もあなたが勇者だって本能的にわかる。
そしてそれは、あなたも同じようね」
勇者「だけど、どうして? なんで魔王が人間のすがたを?」
魔王「そんなに私の見てくれが重要?」
勇者「当然だ。魔王が人と寸分変わらないすがたをしてるなんて」
勇者「そんな話、聞いたことがない」
魔王「やっぱり人間ってなり形にこだわるのね」
勇者「……」
魔王「腰が細いほうがいい。足は小さいほうがいい」
魔王「人間の女ってたいへん。私だったら耐えられないわ」
魔王「まあ、容姿にこだわるのは人間だけじゃないけど」
勇者「魔王が人間について語るなんて、滑稽だな」
魔王「滑稽、ね。滑稽なのはあなたでしょ?」
勇者「なに?」
魔王「自分がなぜ旅をさせられているのか。
自分がなぜ魔王をたおさなければいけないのか」
魔王「あなたは考えたことがあるの?」
勇者「なにが言いたい?」
魔王「勇者と魔王の争いは仕組まれていた」
魔王「人間によってね」
勇者「……」
魔王「『なにを言ってるのかわからない』って顔ね」
勇者「さっきからお前はなにを言ってる?
人間がそんなことをする理由が――」
魔王「あるのよ。人間には。
勇者と魔王の争い。それを仕組む理由がね」
勇者「僕がお前の言葉を信じるとでも?」
魔王「あなたは、すでにヒントを見つけてるのよ」
魔王「そして答えなら目の前にある。勇者、あなたの目の前にね」
勇者「目の前?」
魔王「そう。人のすがたをしながら、魔王である私」
魔王「この私の存在が、すべてを証明する答えなのよ」
勇者(そもそもこの女は)
勇者(パーティーを失った僕のために、派遣された尼僧じゃなかったのか?)
勇者(その女が魔王だった?)
勇者(なのに、どういうことだ?)
魔王「さて、振り返ると言っても。
全てを振り返っていたら時間がもったいない」
魔王「重要な部分だけを、切り取っていきましょ」
◇
勇者「あなたが派遣された尼僧、ですか」
尼僧「お会いできて光栄の至りでございます、勇者様」
勇者「そんなふうに畏こまらないでください」
勇者「僕はあなたの想像してるような勇者じゃないだろうし」
尼僧「たしかに。私の想像していた勇者様とは、かけはなれてますわ」
尼僧「顔色もパンみたいです」
勇者「……朝の顔はいつもこんな感じです」
勇者「そんなことより、今後の旅のことについて話をしたい」
尼僧「あっ、その前にコーヒーの注文してもいいですか?」
勇者「……どうぞ」
尼僧「勇者様も眠気覚ましのために、飲んでは?」
勇者「コーヒーは甘いものがないと飲めないんで、ミルクなら」
尼僧「奇遇ですね」
尼僧「私もコーヒーは、必ず甘いものと摂取するようにしてます」
勇者「はあ」
尼僧「そのほうが、コーヒーのうまみも引き立ちます」
勇者「……朝から食事の話はしたくないです」
尼僧「あら。これは失礼」
勇者「今後の旅の話をしましょう」
勇者「魔王討滅の旅はあまりにも過酷です」
尼僧「そうらしいですわね」
尼僧「勇者様一行の旅の記録、『冒険の書』を何冊か拝読したことがあります」
尼僧「ですが。実際のそれとは、ずいぶんちがうようで」
勇者「しょせん『冒険の書』は娯楽。現実とはちがいます」
勇者「歴代の勇者で、教会送りにならなかった者は誰ひとりいない」
尼僧「勇者様だけでなく、その勇者様のお仲間もでしょう?」
勇者「はい。それぐらい旅は過酷なんです」
尼僧「旅が過酷であることは、重々承知していますわ」
尼僧「勇者様の仲間のうちのふたりが、
教会どころか、あの世に送られていることもね」
勇者「……」
尼僧「死からよみがえるというのは、いったいどんな感覚なんです?」
勇者「どうしてそんなことを聞くんですか?」
尼僧「死から逃れることは、私もできないので」
尼僧「普通は死んだら死ぬしかないんですよ、どんな生物も」
尼僧「あなたたちを除いて、ね」
勇者「……あの感覚を言葉で伝えるのはむずかしい」
魔王「なぜ私がこんな人間じみた容姿をしてると思う?」
勇者「死んでから意識が戻ったときは、
自分のからだが自分のものじゃないみたいで」
勇者「絶えず、違和感がつきまとう」
勇者「しいて言うなら、魂が肉体にとまどっているような感覚です」
尼僧「なるほど」
尼僧「神と契約した勇者様一行は、
肉体の一部があれば、魂の復活が可能と言われてます」
尼僧「しかし、魂のありかである肉体がなければそれも不可能」
尼僧「戦士様と賢者様は、肉体の一部すら残らず亡くなったそうですね」
尼僧「勇者様の魔術のせいで」
勇者「……僕は自分の魔力をまともにあやつることができません」
勇者「剣の腕なら誰よりも優っている自信はあります」
尼僧「自慢ですか?」
勇者「自慢です、幼少のころからずっと訓練を受けてきた」
勇者「勇者になるために」
尼僧「けれど。魔術の才能に関してはまるっきりなかった、と」
勇者「簡単な魔術だったら、問題はないんですが」
勇者「膨大な魔力を必要とする魔術になると、とたんにダメになる」
尼僧「魔王城に近づくほど、魔物は手ごわくなりますものね」
勇者「ええ。剣術だけではもはや、魔物に太刀打ちできない」
尼僧「そして、いよいよ魔術が必要な状況になった」
尼僧「ところが、使ってみたら暴走して仲間を殺めてしまった」
尼僧「しかも、塵ひとつ残さず」
勇者「僕のせいで、あのふたりは……」
尼僧「勇者様、もうひとつお聞きしてもよろしいですか?」
勇者「なんでしょうか?」
尼僧「どうして魔法使い様を殺さないのですか?」
勇者「え?」
尼僧「魔法使い様は、現在この街の医療機関で治療中なんですよね?」
尼僧「治療に時間をあてるなら、教会で復活させたほうが手っ取り早い。
それに、魔法使い様の苦しむ時間も減りますよ?」
勇者「神に仕える身で、よくそんなことを言えますね」
尼僧「今は国に仕える身です」
尼僧「もう一度聞きます。どうして殺さないのですか?」
勇者「……」
尼僧「……このことは、とりあえず保留にしましょう」
勇者「僕は……」
尼僧「勇者様?」
勇者「いいえ、なにも」
尼僧「そういえば最近は、
教会による魂の救済を、命を弄ぶ所業と批判する知識人が増えてるとか」
勇者「『新教会人』たちのことですか?」
尼僧「そうそう、それです」
尼僧「神と契約してる勇者様たちにたいして、
そんな批判をするのも、的外れな気がしますけど」
尼僧「そんな批判をなさるぐらいなら、
もっと批判すべきことがあると思いますし」
勇者「批判すべきこと?」
尼僧「勇者様たちだけに、魔王殺しの旅をさせていることです」
勇者「それは……」
勇者「それは、仕方ないことです」
尼僧「仕方ない? なぜ?」
尼僧「国が兵力を注ぎこめば、魔王を滅ぼすことは不可能じゃないでしょう」
勇者「あなたの言うとおり、不可能ではないかもしれません」
勇者「でも、そうすることによる被害の規模は、はかりしれません」
勇者「魔王だけが人類の敵ってわけでもない」
勇者「人びとの生活をおびやかすのは、むしろその魔物たちです」
尼僧「つまり。街を守ることに兵士を割くから、
魔王討滅には回せない、と」
勇者「それだけじゃありません」
勇者「小規模ながら、人間どうしの戦争だってある」
勇者「だから僕たちだけで、魔王をたおすしかないんです」
勇者「僕からも質問いいですか?」
尼僧「ええ、ぜひ答えさせてください」
勇者「あなたは勇者とその仲間を、
どういうものと、とらえていますか?」
尼僧「あやつり人形」
勇者「……はい?」
尼僧「ああ、ごめんなさい」
尼僧「アレです。窓から広場が見えますよね?
ほら、人形師がマリオネットをやってます」
勇者「だから、なんですか?」
尼僧「はじめて見たので、すごく惹かれちゃって」
勇者「僕はあんなものに、興味をもてません」
尼僧「あら、残念」
尼僧「……勇者様の質問の答えですが、『英雄』でしょうか?」
勇者「英雄か。僕も最初は、そんな甘っちょろい考えをもってました」
尼僧「では、ちがうと?」
勇者「僕はこう考えます、暗殺者だと」
尼僧「暗殺者なのに勇者様一行が旅に出たことは、
国民には大々的に伝えられてるんですね」
尼僧「下手したら、魔物たちも小耳に挟むかもってレベルで」
勇者「……あくまで、たとえです」
尼僧「あら。ちょうどコーヒーが来ましたね。んっ……」
勇者「なにをしてるんですか?」
尼僧「かおりを堪能してるんですよ。ああ、すばらしい」
勇者「かおり、か」
尼僧「とても素敵なかおりだと思いません?」
勇者「……よくわかりません、僕には」
◇
尼僧「これからどうなさるつもりですか?」
勇者「とりあえず、道具屋で薬の類を購入します」
尼僧「道具屋で、扱ってる物で役立つものがあるんですか?」
勇者「どういうことですか?」
尼僧「勇者様と会うまでに、私もいくつか街の道具屋をたずねてますけど」
尼僧「戦闘中に使えるものはなかったはずです」
勇者「表向きには、僕たちが使う物は販売されていません」
尼僧「勇者様たちしか、購入できない物があるってことですね」
勇者「そういうことです」
勇者「傷口を一瞬で直せたり、解毒を数秒で終わらせたりできる薬が、
世に出回ったら、確実に世の中は狂います」
尼僧「病院や癒しの術の使い手が、損をしますものね」
尼僧「しかし、どうやって勇者様であると店主に証明を?」
尼僧「なにか証明できるものがあるってことですよね?」
勇者「……あなたは、質問をするのが好きなんですね」
尼僧「あ、ごめんなさい。知りたがりなんです、私」
勇者「店に行けば、すぐにわかりますよ」
つづく
◇
店主「うちで扱ってる道具は、ここの物ですべてだ」
店主「購入する品が決まったら、声かけてくれ」
勇者「ありがとうございます」
尼僧「なるほど。勇者様はその右腕の刺青で、
自分が勇者であると証明するんですね」
勇者「ええ。この刺青は、魔力によって彫られた特別なものなんです」
尼僧「そして、ここが勇者一行しか入れない場所」
尼僧「回復薬の類だけでも、様々なものがありますね」
尼僧「……ここの薬で魔法使い様の傷を、癒すことはできないのですか?」
勇者「この手の薬には、副作用があって。
しかもその副作用が、完全には判明してないんです」
尼僧「つまり、重症を負ってる魔法使い様には使うわけにはいかない、と」
尼僧「へえ。これは魔物を寄せつけなくする聖水」
尼僧「こっちは、逆に魔物を引き寄せる香水」
勇者「魔物を引きよせるものについては、正直使いどきがわかりません」
尼僧「……おどろきました」
勇者「え?」
尼僧「すでに魔物の対策として、ここまでのものが開発されてるなんて」
勇者「魔物の研究も年々進んでますし、
おどろくことでもないと思いますけど」
尼僧「……魔物とはいったいなんなのでしょうね」
勇者「?」
尼僧「疑問に思ったことはありませんか?」
勇者「なにを?」
尼僧「魔物という存在についてです」
尼僧「犬や猫といった動物でもなければ、虫でもない。まして人間でもない」
尼僧「彼らはいったいなんなのか」
勇者「僕に聞かれても困ります」
尼僧「勇者様は魔物をどういう存在だと、とらえてますか?」
勇者「人類の脅威です」
尼僧「即答ですね」
勇者「当然です。人々にとっての共通認識ですから」
尼僧「じゃあ逆に、魔物にとっての人類は?」
勇者「……知りません」
尼僧「すこしは考えてくださいよ」
勇者「余計なことを考えてる時間はないんです、僕たちには」
尼僧「なるほど。勇者様はそういう感じの人なんですね」
勇者「……なんですか、その目は」
尼僧「勇者様がどういう人か、ちょっとわかってきました」
勇者「あなたのことも、あなたの考えてることも、僕にはよくわかりません」
尼僧「あらまあ、それは残念」
尼僧「ところで」
尼僧「この聖水を用いれば、魔物に遭遇することなく旅ができるのでは?」
勇者「もちろん、不可能ではありません」
勇者「でも、聖水は魔物を寄せつけない強力な薬品です」
勇者「使用者である僕たちも、それ相応の影響を受けてしまいます」
尼僧「便利な道具にも一長一短があるわけですね。ふうむ」
勇者「ずいぶんと熱心に道具を見てますけど、なにか気になることでも?」
尼僧「……ああ、ごめんなさい」
尼僧「はじめて見るものに、すぐ夢中になってしまうんです」
尼僧「私の悪い癖です」
尼僧「その顔は、あまり共感してもらえてないようですね」
勇者「……今は考えられないんです、魔王をたおすことしか」
尼僧「勇者様って真面目だってよく言われません?」
勇者「急になんですか」
尼僧「思ったことを口にしただけです」
勇者「真面目というか。
つまらないヤツだとはよく言われます」
尼僧「ああ、たしかに。
って、ごめんなさい。ついうっかり」
勇者「べつにかまいません」
勇者「面白みのない人間だって自覚はあります」
◇
尼僧「次へ向かう場所は決まってるのですか?」
勇者「この街を抜けて、山を下って迂回したとこに集落があります」
勇者「まずはそこを目指します」
尼僧「ずっと気になってたんですけど」
尼僧「勇者様は、魔王の根城がどこにあるかを把握されてるのですか?」
勇者「えっと……これを見てください。国から特別に支給されたものです」
尼僧「地図帳ですね。中身を拝見してもよろしいですか?」
勇者「どうぞ」
尼僧「……すごい。ここまで精密な地図があるなんて」
尼僧「魔物の生息地、街から街への最短ルートなど、事細かに記載されてますね」
勇者「この地図のおかげで、ここまではどうにかたどり着くことができたんです」
尼僧「つまり、言ってみれば。
この地図は先代の勇者たちの、旅の足あとってわけですね」
勇者「まあ、そういうことでしょうね」
尼僧「だったら、賢者様と戦士様の死は回避できたのでは?」
勇者「それは……」
尼僧「わざわざ危険な魔物が潜む場所へ、おもむいたのですか?」
勇者「危険をおかしてでも、手に入れる必要があったんです」
尼僧「なにを?」
勇者「魔王をたおすための『勇者の剣』です」
尼僧「……『勇者の剣』?」
勇者「詳細は僕も知りません」
勇者「言い伝えでは、剣でありながら剣の形状をしてないそうです」
勇者「勇者の力を持つもの意外が触れれば、牙をむく危険な代物」
勇者「僕が知らされているのは、この情報と剣がある場所だけです」
尼僧「……それは、どこにあるのですか?」
勇者「この街から数キロ離れた洞窟です」
尼僧「その剣は絶対に必要なのですか?」
勇者「記録が正しければ、すべての勇者がその剣をたずさえて魔王へ挑んでます」
勇者「そして例外なく、その剣と勇者の前に魔王は殺されている」
勇者「そう、本来なら剣は手に入れなければならない」
尼僧「……また洞窟に挑むのですか? 『勇者の剣』のために」
勇者「……」
尼僧「私は他の手段を考えるべきだと思います」
尼僧「今の状態では、無意味に同じことをくりかえすだけです」
勇者「……そう、ですね」
勇者「『勇者の剣』についてはいったん保留にします」
尼僧「魔法使い様のことも、考えなければいけませんしね」
勇者「……魔法使いは、教会に送ったほうがいいかもしれません」
尼僧「どうしたのですか、やぶから棒に」
勇者「……」
勇者「僕とあなただけで、魔王に勝てるわけがない」
勇者「まして、剣が手に入らないならなおさらだ」
尼僧「だから魔法使い様を殺す、と」
勇者「……自分でも最低だと思います」
勇者「でも。これしか手段が浮かばないんです……!」
尼僧「魔王討滅のパーティーに参加するには、国王の許可がいる……」
尼僧「今から新たな人員を補充しようとすると、
時間がかかりすぎるってことですね」
勇者「そういうことです」
尼僧「空間転移の魔術などがあれば、またちがってくるのに」
勇者「あの術は使えませんよ」
勇者「時空移動の術は、大賢者クラスでようやく会得できるもの」
勇者「戦争の様相すら一変させる危険な術です」
尼僧「たしか、その術も国宝陛下の許可がいるのでしたっけ」
勇者「そうです」
尼僧「魔王をたおすのにも、様々な制約がついてまわるのですね」
勇者「国の、いや、人類の命運がかかってるんだから仕方がありません」
尼僧「しかし、そうなるとやはり魔法使い様を……」
勇者「……」
尼僧「また顔色が悪くなってません?」
勇者「気にしなくていいです」
尼僧「気になるから指摘したんですよ」
尼僧「魔法使い様よりも先に、勇者様が教会送りにされたりして」
勇者「……」
尼僧「そういえば、教会ってあれですよね?」
尼僧「なんだか人だかりのようなものが、できてますけど」
勇者「ひょっとすると、洗礼式かもしれません」
尼僧「幼児洗礼ですか」
尼僧「洗礼、ね」
勇者「どうかしましたか?」
尼僧「洗礼式を見るのはそういえば、はじめてだなって」
勇者「でも、洗礼そのものは確実に受けてるはずです」
勇者「洗礼を受けるのは、国民の義務のひとつになってますし」
尼僧「……勇者様、がんばらないといけませんね」
勇者「なにがですか?」
尼僧「だって、がんばらないと」
尼僧「あの教会で受洗した子どもたちの未来も守れませんよ?_」
勇者「未来を、守る……」
尼僧「なにか私、へんなこと言いました?」
勇者「え?」
尼僧「勇者様、なんだかキョトンとしてます」
勇者「そうじゃないんです」
勇者「魔王をたおすことは人々の未来を守ることにも、つながるんだって」
勇者「あなたに言われて、今気づきました」
尼僧「……勇者様って、魔王をたおすことしか考えてないんですか?」
勇者「勇者の存在意義は魔王をたおすことだって、僕は考えてたので」
尼僧「じゃあ聞きますけど、勇者様は魔王をたおしたらどうするんですか?」
勇者「……」
尼僧「……まさか、まったく考えがないんですか?」
勇者「その、まあ」
尼僧「呆れて物も言えないわ」
尼僧「真面目をとおりこして、ただの思考停止じゃない」
勇者「この旅をはじめるまでは、
魔王をたおしたその先について考えたことあります」
勇者「でも、今は魔王をたおしたその先のことなんて……」
尼僧「……」
勇者「それに、魔王をたおしたあとの勇者については、
記録を探っても見つからないんです」
尼僧「冒険の書にも魔王をたおすまでのことしか述べられてませんね、そういえば」
尼僧「でも自分のことなんだから、他人のことなんて関係ないじゃない」
勇者「あなたの言うとおりです」
勇者「でも、勇者である僕の使命は魔王をたおすことだ」
勇者「与えられた役割も果たせない存在が、
未来のことについて考えるなんて、虫がよすぎます」
尼僧「それは本気で言ってるの?」
勇者「冗談は苦手です」
尼僧「……そう」
勇者「……あの、どこへ行くんですか?」
尼僧「ちょっとひとりにさせてください」
◇
勇者(そうして、尼僧との邂逅から二日が経過した)
勇者(このあいだに彼女は、街を回っていたみたいだが)
勇者(体調を崩して眠れもしないのに、ベッドで眠っていた僕は)
勇者(彼女がなにをしていたのか、なにも知らない)
勇者(そして今日、唐突に彼女が僕の腕を引っ張って街を飛び出した)
勇者(街道をぬけ、森の奥へと進むと尼僧はおもむろに取り出した)
勇者(魔物を引きよせる香水を)
勇者「なにをやってる……?」
尼僧「ああ、もう演技する必要もないと思ってね」
勇者「答えになってない! なんでそんなものを!?」
尼僧「証明するためよ」
尼僧「私があなたの宿敵である魔王だってことをね」
勇者(目の前の女がなにを言ってるのか、理解できない)
勇者(そして困惑する僕を、気づけば大量の魔物たちが囲んでいた)
尼僧「一瞬よ、きちんと見てなさい」
勇者(尼僧の宣言どおりだった)
勇者(突如地面から現れた氷の突起が、一瞬で魔物たちを串刺しにしていた)
勇者(同時に本能で理解した)
勇者(目の前にいるのは、人間じゃないと)
勇者(目の前にいるのはまぎれもない、魔王であると)
魔王「ほんのわずかな期間とはいえ、騙していてごめんなさい」
魔王「私が魔王よ」
勇者(たしかに肌に突き刺さる魔力は、魔王のそれだった)
勇者(だけど、なぜかその魔王は魔物のすがたをしていなかった)
勇者(かぎりなく人に近いすがたをしていた)
◇
魔王「さて、ここまで簡単に振りかえってきたけど」
勇者「これでなにがわかるっていうんだ」
魔王「だから。これから私が説明してあげるって言ってるの」
勇者「……」
魔王「人間が、勇者と魔王の争いを仕組んだわけをね」
つづく
魔王「そもそもあなたは、腑に落ちないと思ったことはない?」
魔王「勇者と魔王の争いは、なぜ繰り返されているのかって」
勇者「決まってる、お前たちが存在するからだろうが」
魔王「そのとおり」
勇者「……認めるのか」
魔王「そう、あなたの言うとおり。だから、おかしいのよ」
魔王「どうして魔王が復活してしまうのを、人間は止めないの?」
勇者「それは……」
魔王「そもそもあなたは、腑に落ちないと思ったことはない?」
魔王「勇者と魔王の争いは、なぜ繰り返されているのかって」
勇者「決まってる、お前たちが存在するからだろうが」
魔王「そのとおり」
勇者「……認めるのか」
魔王「そう、あなたの言うとおり。だから、おかしいのよ」
魔王「どうして魔王が復活してしまうのを、人間は止めないの?」
勇者「それは……」
魔王「この香水のように魔物をひきつけるもの」
魔王「一方で、魔物を寄せつけない聖水なる薬品もあるわね」
魔王「こんなものを作れるのは、人間が研究を重ね、
魔物についての知識を深めてきたからでしょう?」
魔王「それなのに、魔王復活に関してはなんの手も打たないの?」
勇者「そんなわけがない」
勇者「なんらかの対策は講じられているはずだ!」
魔王「たとえば?」
勇者「それは……」
魔王「私が国王の立場だったら、そうね」
魔王「魔王を殺したあとで、その土地に聖水をバラまいてみるわね」
勇者「そんなことをしたら……」
魔王「もちろん。聖水は強力な薬」
魔王「その土地に悪影響を及ぼすことは、目に見えてる」
魔王「でもだからって、放置する理由にはならないわ」
勇者「放置してるんじゃない……!」
勇者「魔王城には魔王だけじゃない、凶悪な魔物たちが大量にいる」
魔王「だから?」
勇者「迂闊に手は出せない」
魔王「そうかしら?」
魔王「魔王討伐の部隊をきちんと編成して、しかるべき対処をすれば、
決して不可能ではないと思うけど?」
勇者「お前が言うほど簡単な話じゃない」
勇者「それ相応の犠牲は避けられない」
魔王「けれども。そうすることで、人類は自分たちの脅威を取り除くことができる」
魔王「魔物たちの縄張りを手中におさめることもね」
勇者「……」
魔王「あなたって、思ってることがすぐに顔に出るタチなのね」
勇者「なに?」
魔王「あなたも奇妙だとは、思ってたんでしょ?」
勇者「……だまれ」
魔王「この勇者と魔王の戦いというのは、どうにも奇妙な点が多い」
魔王「魔物、そして魔王は人類の脅威だなんて言われているけど」
魔王「あなたは、それを実感したことはある?」
勇者「あるに決まってるだろ。現に僕は旅で……」
魔王「ごめんなさい、言いかたが悪かったわね」
魔王「魔王討滅の旅に出る前。
あなたの街は、魔物の襲撃を受けたことはある」
勇者「……おそらく、ない」
魔王「ないんだあ?」
勇者「なんだその顔は?」
魔王「べつに」
勇者「……街には警備兵がいるし、魔物対策はきちんとされてる」
勇者「魔物たちだって、そうやすやすと手を出すことはできない」
魔王「ふふふ」
勇者「なにがおかしい?」
魔王「魔物は人類の脅威、だったかしら?」
魔王「人類の脅威なんて言うわりには、
ずいぶん人間にとって都合のいい生物じゃない、魔物って」
勇者「魔王。お前にはわからないかもしれないが、魔物は……」
魔王「襲われれば危険、そう言いたいんでしょ?」
勇者「……」
魔王「整備が行き届いていない場所だと、魔物もかなりいるわね」
魔王「でもね、そんな場所ばかりだったら人類はやっていけないわ」
勇者「そんなことはわかってる」
魔王「わかってるのかしらね」
魔王「じゃあこの地図を見てくれる?」
勇者「これは、国から支給されるものじゃないか」
勇者「なんでお前がこれを?」
魔王「私もいちおうは国の遣いなんだから、もってて当然でしょ?」
勇者「……今さらこんなものを見る必要はない」
魔王「いいから見て」
勇者「なんのために?」
魔王「生真面目なあなたなら、見れば気づくはず」
勇者「こんなものを見たところで」
勇者「いや、これって……」
魔王「気づいた?」
勇者「僕がもらったものと、中身が……」
魔王「そう、あなたと私の地図は内容がところどころちがうのよ」
魔王「あなたのほうの地図は、魔物が出るルートばかりを、
わざと通るように仕向けられていた」
勇者「な、なんで……」
魔王「過酷な環境や死と常に身近にある極限状態に晒されるだけで、
人間はわずかな時間で成長できる」
魔王「まして、勇者ならその成果は常人のそれとは比較にならないわ」
魔王「あなたたちを過酷な環境に置いておくために、
その地図は支給されたのよ」
魔王「さらに、もうひとつ」
魔王「『勇者の剣』についても同じ」
勇者「『勇者の剣』?」
魔王「あの言い伝えも嘘、欺瞞よ」
魔王「魔王をたおすためのキーアイテムなら、当然手元に残しておくべきでしょ」
魔王「あなたたちを危険に晒すために、嘘をでっちあげたのよ」
勇者「……おかしい。おかしいじゃないかっ」
勇者「勇者は魔王をたおさなければいけない」
勇者「それなのにこれじゃあ……」
魔王「もう答えはわかってるでしょ、あなたも」
勇者「まさか……」
魔王「そう。勇者と魔王の争いを仕組んだ理由、それは」
魔王「勇者という最強の人間兵器を作ることよ」
勇者「勇者を、兵器に……?」
魔王「自分の国がどうやって発展してきたのかは、わかってるでしょ」
魔王「この国は、あらゆる戦争で勝利を重ねてきた」
魔王「戦争の勝利の裏には、勇者がいたのよ」
勇者「……お前は、勇者が戦争に駆り出されていたっていうのか」
魔王「そうよ。そしてもちろん、そのことが表に出ることはない」
魔王「ときの流れの中で、勇者はひっそりと消える」
勇者「だけど……これだけだったら、仕組んだなんて言えない」
勇者「強くなるために魔物と戦う必要があるなら、それも仕方のないことだ」
魔王「まったく。真面目なあなたは、その事実すら受け入れるのね」
魔王「……でもまあ、これだけだったら仕組んだとは言えないわ」
魔王「ええ。さっきの魔物の話とすこし似てるけど」
魔王「あなたはどうして魔王をたおす旅に出たの?」
勇者「それが、使命だったからだ」
魔王「はぁ、使命か。よくそこまで一貫してるわね」
勇者「なんだその目は」
魔王「べつに。それより次はこれを見て」
勇者「……なんだこれは」
魔王「勇者と魔王の争いの記録の一部よ」
『XXX、魔王と勇者激しく争う。
XXX、新たな魔王と勇者、たたかう。両者の戦いにより集落が滅ぶ。
XXX、魔王と勇者この世に生を受け闘う。死者数百人。
XXX、魔王と勇者復活、街での戦いにより死者数千人。
XXX、何度目の復活か不明、勇者と魔王因縁の争いにより山を消滅させる。
すべての戦いにおいて勇者が、勝利をおさめている』
魔王「この記録を見てのとおり、勇者が常勝だったのは歴史が証明してる」
魔王「魔王も普通だったら、勝てないって気づくと思うのだけど」
勇者「だけど現に、こうして戦いを繰り返してるだろ」
魔王「ていうか、私ってなにか人に恨まれるようなことした?」
魔王「私じゃなくてもいい」
魔王「歴代の魔王がいったいなにをしたっていうの?」
勇者「……歴代の魔王には、魔王城付近の小さな町を破壊したものもいた」
勇者「比較的新しいのであれば、国の要人を誘拐したことだってある」
魔王「ああ、そういえばあったかもね」
魔王「でもそれならそれで、どうして魔王はしなかったのかしら?」
勇者「なにを?」
魔王「人類の脅威なんだし。虐殺ぐらいしていけばよかったのに」
魔王「どうにも中途半端じゃない?」
魔王「私には、勇者が魔王を攻めるための、
理由作りを魔王にさせているように思えるの」
勇者「勝手な解釈、いや。もはやこじつけだな」
勇者「お前の言いかたでは、魔王は人間の言いなりだったってことになる」
魔王「そう言ってるのよ」
勇者「!」
魔王「魔王が勇者との争いを繰り返したのは、逃げられなかったから」
勇者「逃げられないって、どういうことだ」
魔王「魔王には監視がいたのよ、人間のね」
勇者「だからそんなこじつけ……」
魔王「こじつけじゃない」
魔王「証拠なら、きちんとあるわよ」
魔王「言ったでしょう?」
魔王「私がすべてを証明する答えだって」
勇者「……」
魔王「魔物の長でありながら、人間のすがたをした私が、ね」
勇者「どういうことだ?」
魔王「あなたは不思議に思ってたわよね? 私の人間じみたすがたについて」
勇者「それが今の話となんの関係がある?」
魔王「私の父は、その前魔王だった。
私の母はそんな前魔王の監視役だった」
勇者「……なに」
魔王「私はね――魔王である父と人間である母から生まれたのよ」
勇者「なにを、なにを言ってるんだ……!」
魔王「ありのままの事実を話しただけよ」
勇者「うそを言うなっ!」
魔王「そうね。私もうそだったら幸せだったかも」
魔王「……でも。だったら、私のこのすがたはなに?」
魔王「どうして魔王であるはずの私が、人間のすがたをしてるの?」
勇者「……っ!」
魔王「私も父と母がどんな経緯をたどって、
そういう関係になったのかは知らないけどね」
魔王「勇者と魔王の争いは仕組み、
勇者を兵器として使える段階にまでする」
魔王「そして、そのために魔王までもが人間に利用されてきた」
勇者「だけど、どうして魔王は逃げない?」
勇者「いくら監視がいるからって、逃走は不可能ではないはず」
魔王「魔王はどこに逃げても、場所を特定されるようになってたの」
勇者「そんなことできるはずが……」
魔王「できる。あなたにもあるじゃない、右腕の刺青が」
勇者「……刺青? これが場所を特定するためのもの?」
魔王「道具屋の店主に勇者であると証明するなら、刺青は普通に彫るだけでいい」
魔王「わざわざ魔術で施す必要はないわ」
勇者「だけど、どうして僕にまで!?」
魔王「勇者が旅のつらさから逃げ出さないって保証が、
どこにあるの?」
勇者「僕は逃げ出すなんてマネはしない!」
魔王「……わかってるわよ、生真面目なあなたが逃げないってことぐらい」
勇者「……それだけなのか?」
勇者「それだけで魔王は、人間たちに屈したっていうのか?」
魔王「……ほかにも理由があるって、そう言いたいの?」
勇者「ああ」
勇者「僕が魔王だったら、真っ先に勇者を殺しにいく」
魔王「それはできないのよ」
勇者「なぜ?」
魔王「潜在的な能力に関しては、
勇者と魔王はハナから最高値に達してるのよ」
勇者「言ってる意味がわからない」
魔王「魔王である私たちは、最初から自信の能力の扱いを熟知している」
魔王「それに対して、勇者は能力の扱いかたを理解していない」
勇者「じゃあ、僕はもう魔王をたおすだけの力はもってる……?」
魔王「まあ、あなたの場合は魔力の爆弾みたいなものだけどね」
勇者「爆弾……」
魔王「下手に能力の使い方のわからない勇者を刺激すれば……」
勇者「……自分にまで被害が及ぶ可能性があるってことか」
魔王「正解」
勇者「……」
魔王「受け入れられないって顔ね」
勇者「当たり前だ」
勇者「ようは人類と魔物は、裏でつながっていたってことじゃないか」
勇者「僕はたんなるあやつり人形だったっていうのか……」
魔王「……」
勇者「でも……待て」
魔王「まだあるの?」
勇者「ある!」
勇者「もしお前の話が本当だとしたら、
勇者が勇者であると特定できなきゃいけないっ!」
勇者「国中の人間を調べるのか?」
勇者「この国の人口から考えて、そんなことはできないっ!」
勇者「なにより! それを国民に気づかれないで、
実行するなんて……不可能だ!」
魔王「そんなに難しいことでもないわ」
魔王「そうよ、勇者の特定方法を説明してくれたのは、あなたじゃない?」
勇者「そんなわけあるか!」
魔王「覚えてないの、あなたが私に教えてくれたこと?」
魔王「『洗礼を受けるのは、国民の義務のひとつになってますし』」
勇者「!」
勇者「洗礼? 洗礼が勇者の特定手段?」
魔王「幼児洗礼。全国民がごく自然に受ける儀式だし、
それを勇者特定の手段なんて、誰も思わないでしょ?」
魔王「あとは英才教育でもして洗脳すれば、
勝手に魔王をたおしに行く勇者の完成ってわけ」
魔王「あなたみたいな勇者がね」
勇者「そんな……そんなことって……」
魔王「そろそろ納得してくれないかしら?」
魔王「ちょっと気分が悪くなってきたから、宿に戻りたいの」
勇者「待て、待ってくれ!」
勇者「もうひとつだけ、納得いかないことがある」
魔王「……私と話をしていて、
ここまで食いついてくれたのは、あなたがはじめてよ」
勇者「僕の言ったことを覚えてるか?」
勇者「『歴代の勇者で、教会送りにならなかった者は誰ひとりいない』」
魔王「ああ、そのことね。それがなにか?」
勇者「この旅は、人間兵器としての勇者を作るのが目的なんだよな?」
勇者「にも関わらず、すべての勇者が教会送りにされてるって、おかしいだろ」
魔王「記録から考えても。国が勇者を死なすように、
仕向けてるのは間違いないわね」
勇者「戦士や賢者たちのように、復活させられない可能性だってあるんだ」
魔王「なら、発想を逆転させてみれば?」
勇者「逆転?」
魔王「勇者を教会送りにするメリットが、なにかあるのよ」
勇者「僕を死なせて、得るものなんて……」
魔王「……そうね。たとえば、教会に送られてから、
意識が戻るまでにどれぐらい時間がかかる?」
勇者「早ければ一日、遅ければ三、四日はかかる」
魔王「それだけの時間があれば、あなたのからだを
いじくりまわすことも、十分にできるわね」
勇者「……は?」
魔王「まだまだ開発途中の医薬品や回復系の魔術に、
これほど、つかりきった肉体ってあるかしら?」
魔王「……いや、ない」
魔王「それに。勇者のからだを調べられる機会って、そうないわよね」
勇者「そういう、ことなのか……?」
魔王「さらに、もうひとつ。あなたが私に説明した復活の感覚」
魔王「あれも興味深いわよね」
魔王「『死んでから意識が戻ったときは、
自分のからだが自分のものじゃないみたいで』」
魔王「『絶えず、違和感がつきまとう』」
魔王「『しいて言うなら、魂が肉体にとまどっているような感覚です』」
勇者「なにが……なにが言いたい?」
魔王「仮に腕が丸ごと切断されたとして、
それはいったいどうやって治すの?」
勇者「それは……」
魔王「神との契約は、死へ向かう魂を肉体に戻すことの許可だけのはず」
勇者「……」
魔王「あなたのからだ――それ、本当にあなたのからだ?」
勇者「あ、ああぁ……」
魔王「まあでも、これには証拠はない。邪推ってヤツなのかもね」
勇者「じゃ、じゃあ今の教会の話は……」
魔王「私のただの想像」
魔王「でも、からだをいじくりまわしてる可能性は高いわ」
勇者「……なにを根拠に言ってる?」
魔王「やっぱり」
勇者「?」
魔王「あなた、さっきからこのニオイに気づいてないんでしょ?」
勇者「ニオイ? ニオイなんてしてないぞ」
魔王「私が魔物を引きよせる香水を使ったの、見たでしょ?」
魔王「あまりにもニオイがキツすぎて、気分が悪いのよ」
勇者「!!」
魔物「あなたの嗅覚は、とうの昔におかしくなってるのよ」
勇者「……僕の鼻が?」
魔王「はじめて顔合わせをしたときから、
そうじゃないかとは思ってた」
魔王「『とても素敵なかおりだと思いません?』って、
コーヒーのこと聞いたの、覚えてる?」
勇者「なんとなくなら」
魔王「焙煎したコーヒーのニオイよ」
魔王「鼻がつまってても、まずわかる」
魔王「なのにあなたは『よくわかりません、僕には』って答えたのよ」
勇者「……」
魔王「あなたの嗅覚はとうの昔に機能を失ってたのよ」
魔王「その原因が魔術か薬か、あるいは肉体をいじられたことなのか」
魔王「そこまでは判然としないけどね」
勇者「僕は……」
魔王「ここまでの話を聞いて考えてほしいんだけど」
魔王「あなたは私を、魔王である私を殺そうとするの?」
勇者「…………僕は、勇者だ」
勇者「勇者は、魔王をたおさなければいけない」
魔王「どうして? それが使命だから?」
勇者「そうだ! 僕がお前を殺すこと、それは望まれたことだ……!」
魔王「そう。じゃあもうひとつだけ、いいこと教えてあげる」
勇者「……」
魔王「私はね、ある方にたのまれたのよ。あなたを殺すことを」
魔王「あなたの国の王にね」
勇者(頭が悲鳴をあげそうになっていた)
勇者(次々と襲ってくる受け入れがたい現実)
勇者(足元がしずむような感覚。呼吸が勝手に浅くなっていく)
魔王「魔王をたおせない勇者」
魔王「魔力を満足に扱えない勇者」
魔王「仲間すら殺してしまう勇者」
魔王「戦争の兵器になりえないあなたは、切られたのよ」
魔王「だから、私が駆り出された」
勇者(僕の意識はそこで途切れた)
勇者(ある意味、それは救いだったのかもしれない)
勇者(わずかな時間でも、なにも考えないですむから)
つづく
つづく
◇
勇者(昔の夢を見ていた)
勇者(物心つくころには、自分が勇者だという自覚はあった)
勇者(魔王をたおすために、ひたすら訓練に明け暮れる毎日)
勇者(勇者として周りの期待を背負い、それに応えるために生きてきた)
勇者(僕だけじゃない)
勇者(魔法使いや戦士たちだって)
勇者(それなのに)
魔王「あら。思いのほか、早く起きたのね」
勇者「お前っ……!」
魔王「そこまで警戒しなくてもいいじゃない」
勇者「ここは……宿か」
魔王「勇者っていいわね」
魔王「ここもタダで借りられるんでしょ、勇者の特権で」
勇者「お前には関係ないこと」
魔王「関係なくはないわ」
魔王「私もあなたの肩書きでここを借りてるし」
魔王「ついでに意識を失ったあなたを、ここまで運んだのは私なのよ」
勇者「……」
魔王「なんでにらむのよ」
勇者「どうして僕を殺そうとしない?」
魔王「どうしてあなたを殺さなきゃいけないの?」
勇者「勇者は魔王にとって、宿敵じゃないのか!?」
勇者「お前なら、僕を殺すことなど容易だろ!?」
魔王「説明したはずよ。勇者と魔王の争いは仕組まれていたって」
魔王「私個人に、あなたを殺す理由は一切ない」
勇者「だけど! だけど僕は……!」
魔王「……勇者が存在して、魔王が存在しなかったことはない」
魔王「魔王が存在して、勇者が存在しなかったこともない」
魔王「そういう意味で、私たちの間には因縁とも呼ぶべき縁がある」
魔王「でもだからって、殺し合う必要性はどこにもない」
勇者「だがお前は陛下から、僕を殺すように命令されたんだろ?」
魔王「そういえば、まだ話してなかったわね」
魔王「あなたの暗殺を受けるまでの経緯は、長くなるから省くけど」
魔王「あなたを殺すことの目的、それはわかってるでしょ?」
勇者「……出来損ないである僕が死ねば、新たな勇者が生まれる」
勇者「魔力をきちんと扱えない僕では、魔王をたおすことも。
まして戦争の兵器として利用することもできない」
勇者「だからお前が駆り出された」
勇者「……僕を殺すために」
魔王「正解」
魔王「だけど、私は最初からあなたを殺すつもりなんてない」
勇者「魔王のくせに」
魔王「ふふっ、なんだかあなたって野良猫みたい」
勇者「……」
魔王「……ちがうわね。飼い猫のほうが正解ね」
勇者「どうでもいい、そんなこと」
魔王「たしかに。どうでもいいことね」
勇者「……殺さないと言うなら、僕をどうするつもりなんだ」
魔王「きちんとした計画があったわけじゃないの」
魔王「とりあえず話してみる、決めてたのはそれだけ」
魔王「どうしてほしい?」
勇者「それ以上近づくな!」
魔王「……取りつく島もないとは、このことね」
魔王「じゃあ逆に聞くけど、あなたはどうするの?」
魔王「今のあなたでは、私は殺せない」
魔王「さらに私はあなたを殺すつもりもない」
魔王「ねえ、あなたはどうするの――勇者」
勇者(『あなたはどうするの?』)
勇者(国を守るために。魔王をたおすために、今まで生きてきた)
勇者(だが、勇者と魔王の戦いの歴史は仕組まれたものだった)
勇者(僕の存在意義は失われた)
魔王「自分の生き方がわからないのね」
勇者「……」
魔王「魔王をたおすこと、そのためだけに生きてたから」
勇者(魔王の言うとおりだった)
勇者「殺すと言うなら、殺せばいい」
勇者「どっちにしても僕はもう、どうすることもできない」
勇者「魔王、お前の言うとおりだ。僕は生き方がわからない」
勇者「死ななかったとしても、
それは死んでるのと変わらない」
魔王「だったら……」
勇者「?」
魔王「だったら、今から食事をしましょう」
勇者「……誰と?」
魔王「決まってるじゃない、私とよ」
勇者「誰がお前なんかと」
魔王「勇者であるあなたは、死んだも同然」
魔王「勇者でないなら、
魔王と食事しても罰は下されないんじゃない?」
勇者「なんで今さらそんなことを」
魔王「魔王である私と、いっしょにご飯を食べてほしい」
勇者「……どうでもいい。勝手にしろ」
魔王「決まりね」
◇
魔王「乾杯……って、あなたはしないわよね」
勇者「……」
魔王「それに、アルコールの摂取も」
勇者「アルコールを飲むと、注意散漫になる」
魔王「そのかわり、気分がよくなるのよ」
勇者「僕には酒は必要ない」
魔王「この世界で、もっとも必要な人だと思うけどなあ」
勇者「だまれ」
魔王「だまらない。
食事は談笑を交えたほうがおいしいもの」
勇者「よくそんなにテーブルに料理を並べたものだな」
魔王「あなたは食べないの? せっかくの料理が冷めるじゃない」
勇者「……お前は、本当に魔王なんだよな」
魔王「なにが言いたいの?」
勇者「お前は僕よりも、よほど人間じみてるように思える」
魔王「人間のくせに、食事を楽しめないあなたよりは、そうかもね」
勇者「……もうずっと、口に含んだものの味はわからない」
勇者「旅のはじまりから、月日を重ねるごとに。
料理の味は曖昧になっていった」
勇者「それは僕だけじゃない」
勇者「口には出さなかったけど、戦士たちもそうだったと思う」
勇者「正直、ありがたかった」
魔王「なぜ?」
勇者「食料に困窮したときは、虫や魔物を食べるしかない」
魔王「そういえば、あなたたちは、
それらの調理の知識も叩きこまれてるのでしょう?」
勇者「旅に出る前に実践して、かなりの魔物を食してる」
魔王「猪や豚に酷似した魔物だったら、それほど苦じゃないけど」
勇者「訓練生の中には、ここで脱落するものも少なくない」
魔王「訓練を脱落した人はどうなるの?」
勇者「脱落したとは言え、皆優秀な人材だ」
勇者「騎士団に所属する者もいれば、
神父として教会を守る役目につく人もいる、様々だ」
魔王「意外」
勇者「意外か?」
魔王「ちがう。あなたが私の質問に、あっさりと答えてくれたことよ」
勇者「……飼い猫だって、家を出れば野良猫になる」
魔王「ふふっ、それはどういう意味?」
勇者「意味はあるけど、教える義理はない」
魔王「あら、残念」
魔王「おいしいものを、おいしいと思えないのは不幸よ」
魔王「ひもじい思いをしてつらいのは、人間も魔物も同じ」
勇者「人間と魔物が同じ?」
魔王「そうよ、空腹が最高の調味料であるのも、
満腹が最高の贅沢であるのもね」
勇者「……お前はなんなんだ」
魔王「なにが?」
勇者「お前の言動は魔物のそれには思えない」
勇者「そのすがたのせいか?」
魔王「……」
魔王「わからない」
魔王「今でも私は、自分の存在がよくわからないの」
魔王「私は魔王として生を授かってるわけじゃないし」
勇者「……そうか、お前は魔王と人間の子ども」
勇者「だから、最初から魔王だったわけじゃないのか」
魔王「私が魔王の力を自覚したのは、父が前勇者に殺されてから数日後」
魔王「唐突だった。なんの前触れもなく、私の力は覚醒した」
魔王「同時に理解した、自分が魔王になったのだと」
魔王「……なつかしいわね」
魔王「私は生まれたときは、ごく普通の女の子だった」
魔王「勇者。あなたは魔物の長の戸惑う顔、想像できる?」
勇者「したくもないな」
魔王「父が私をうかがう顔は、いつも困惑していたわ」
魔王「『いったいどうすればいいんだ?』って顔に出てた」
魔王「父が私にどう接していいのか、
子どもながらに、必死に考えてるのはわかってた」
魔王「三人で食事してるときも、
父が私に話をするときは、いつも母を経由してた」
魔王「だから、ほとんど母が私の面倒を見ていた」
勇者「お前は人間のように育てられたのか」
魔王「私の存在は、ごく一部にしか知られてなかった」
魔王「深窓の令嬢として、大事にひっそりと育てられたのよ」
勇者「だが、前の勇者にお前の父親はたおされた」
魔王「ええ。勇者との戦いの前に、父は私と母を逃した」
勇者「じゃあ、お前の母親は……」
魔王「死んだ」
勇者「え?」
魔王「魔王の力に目覚めたとき、魔力の奔流が母を飲みこんだ」
魔王「ひとりになった私が考えたのは復讐だった」
魔王「父と母。ふたりを殺した勇者へのね」
勇者「……」
魔王「魔王城で父に仕えていた魔物たち、彼らも引き連れて、
勇者と人間たちへ復讐しようとした」
魔王「彼らが自分に協力してくれることは、微塵も疑わなかった」
魔王「けど、そんなわけないのよね」
魔王「魔王の力をもっていても、容姿は人間そのもの」
魔王「魔物たちは協力どころか、私を襲おうとする始末」
魔王「子どもの私には、どうしようもなかった」
魔王「だからしばらくして、私は魔王城を去った」
勇者「それから、お前はどうした?」
魔王「人間として生きることにしたのよ、こんなナリだしね」
勇者「うまくいったのか?」
魔王「いくと思う?」
勇者「無理だったんだな」
魔王「……私は魔王の力があるだけで、箱入り娘にすぎなかった」
魔王「それでも運がいいことに、あるシスターに拾ってもらえたの」
魔王「人としての私は、幸先のいいスタートを切ったと思う」
魔王「もちろん。慣れない集団生活に戸惑ったりもしたけど」
魔王「ところが、私の新しい生活は三ヶ月で終わりをむかえた」
魔王「ある日、ひとりの同僚が体調不良をうったえた」
魔王「吐き気や目眩、
やがては嘔吐を繰り返すようになり、そこで理解した」
魔王「原因が自分にあるってね」
勇者「それで、逃げたのか?」
魔王「ええ。私以外、ほぼ全員が体調を崩したんだもの」
魔王「疑惑の目が自分へ行くことは、
箱入り娘でも察することはできた」
勇者「どうしてそんなことに?」
魔王「私の魔力にあてられたからでしょうね」
魔王「今ではだいぶコントロールできるけど、同じ環境にいた人間は、
どうやら似たような症状になるみたい」
魔王「人と長くは、いっしょにいられないのよ」
魔王「そのあとは、色んな街を転々としながら旅をしてきた」
魔王「様々な景色を見てきたわ」
魔王「頂上から望める山の勇姿」
魔王「世にも美しい地下水脈」
魔王「陽を浴びてかがやく大海原」
魔王「景色との出会いは、ある意味、このすがたのおかげかもね」
勇者「……人間としても、
生きることができなかった結果じゃないのか」
魔王「そうね、でも、そのおかげで地図と魔物の違和感に気づけたのよ」
魔王「困ったことはそれだけじゃなかった」
勇者「……」
魔王「月日を追うごとに、
自分に対する違和感のようなものが、強くなっていくの」
勇者「違和感?」
魔王「からだとこころが、一致していないような違和感」
魔王「まるで、入る『容れ物』を精神が間違えてるような」
勇者「……」
魔王「そう、今でも私はずっと自分がわからない」
魔王「ずっと考えてる。でも、答えはどこにもない」
魔王「ねえ、わたしはなに?」
勇者「僕がその質問に答えることはできない」
魔王「……この際だから、言ってしまうけど」
魔王「私があなたに会いたかったのは、
自分がなにものか知りたかったから」
勇者「……」
魔王「あなたに会えば、自分がなにか実感できる気がした」
魔王「魔物なのか、人なのか。ひどく曖昧な存在である私」
魔王「こんな私の対になる存在、それがあなただった」
勇者「……ひとつだけ、聞いてもいいか?」
魔王「聞いてもいいか、ね。ふふっ」
勇者「なにがおかしい?」
魔王「嬉しいのよ。あなたの言葉が、すこしだけ優しくなったから」
勇者「意味がわからない」
魔王「わからなくていい。それで? 質問は?」
勇者「自分がなにものかわからないというのは、どんな感覚だ?」
魔王「……一言ではあらわせない」
魔王「でも。あなたのおかげで今、
人のすがたをした魔王は、自分が魔王であると実感できてる」
魔王「そして、そのことを嬉しいと思ってる」
勇者「なにがおかしい?」
魔王「嬉しいのよ。あなたの言葉が、すこしだけ優しくなったから」
勇者「意味がわからない」
魔王「わからなくていい。それで? 質問は?」
勇者「自分がなにものかわからないというのは、どんな感覚だ?」
魔王「……一言ではあらわせない」
魔王「でも。あなたのおかげで今、
人のすがたをした魔王は、自分が魔王であると実感できてる」
魔王「そして、そのことを嬉しいと思ってる」
勇者「なにがおかしい?」
魔王「嬉しいのよ。あなたの言葉が、すこしだけ優しくなったから」
勇者「意味がわからない」
魔王「わからなくていい。それで? 質問は?」
勇者「自分がなにものかわからないというのは、どんな感覚だ?」
魔王「……一言ではあらわせない」
魔王「でも。あなたのおかげで今、
人のすがたをした魔王は、自分が魔王であると実感できてる」
魔王「そして、そのことを嬉しいと思ってる」
魔王「……人間は容姿にやたらこだわる、か」
勇者「腰周りの細い女がいいとか、そういうのか?」
魔王「そう。女性たちは皆、主体的に美しくあろうとする」
魔王「でもね、あれほど滑稽なこともないのよ」
魔王「美的規範なんてものは、権力者の性的趣向が社会に浸透した結果」
魔王「アレは結局、『主体的にやらされている』にすぎない」
勇者「『主体的にやらされている』か。奇妙な表現だ」
勇者「だけど。お前が今話したことは、
勇者と魔王についても、当てはまるのかもしれない」
魔王「社会にいつの間にか根づいてるって点では、まったく同じよ」
魔王「そんなふうに考えていくと、自分の意思で行動してる存在なんて、
この世にはいないのかも」
勇者「……自分の意思で行動、か」
勇者「お前は魔物さえも、自分の意思で生きていないっていうのか?」
魔王「以前も言ったけど、魔物は存在そのものが奇妙」
魔王「人類の脅威と呼びながら、国は彼らを駆逐しようとしない」
魔王「仮に彼らが脅威だとしたら、人間の街はとうの昔に崩壊してるはずよ」
魔王「数でも、膂力でも魔物のほうが人間にまさってるんだし」
勇者「聖水を使ってる可能性は?」
魔王「聖水やその類が使われてる可能性も、人体への影響から考えると低い」
魔王「道具の開発の進行に対して、彼らに関する論文は極端に少ない」
魔王「魔物に関して、この国がなにかを隠してる可能性は十分にあるわ」
勇者「……」
魔王「もっとも。証拠がない以上、現段階では私の妄想にすぎないけどね」
勇者「妄想を語るな」
魔王「転がらない疑問を転がすのが好きなの、私は」
魔王「ついでに。誰も考えないようなことを考えて、
時間を無駄にするのもね」
勇者「……僕はお前のことを理解できそうにない」
魔王「なら、私があなたを理解してあげる」
勇者「……は?」
魔王「あなたのことを、私に教えてほしい」
勇者「教える? なにを?」
魔王「なんでもいい。あなたって人について、私に教えて」
勇者(自分について語る)
勇者(そんな経験は、僕にはほとんどなかった)
勇者(人に聞かせるようなことなんて、僕にあるのだろうか)
勇者「……」
魔王「そんなに答えるのがイヤ?」
勇者「いや……」
魔王「そう、ずいぶんと嫌われたものね」
勇者「いや、というのはそういう意味じゃない」
魔王「?」
勇者「答えられることがなにもないんだ」
勇者「僕は魔王をたおすことしか知らない」
勇者「そうだ。つまらないヤツなんだ、僕は」
魔王「じゃあ、つまらないあなたについて教えて」
勇者「……」
魔王「ダメ?」
勇者「……えっと、猫」
魔王「ねこ?」
勇者「むかし、猫を飼っていたことがある」
魔王「続けて」
勇者「間違えて、外に出したまま一日放置してしまった」
魔王「……そう」
勇者「猫はいなくなっていた」
勇者「でも、また一日したら帰ってきてくれた」
魔王「……おわり?」
勇者「……それが、嬉しかった」
魔王「そう、今度こそおわり?」
勇者「うん」
魔王「……あなたって、話すのが極端に下手なのね」
勇者「……」
魔王「でも、ありがとう。私に話をしてくれて」
勇者「べつに」
勇者(『僕の話を聞いてくれてありがとう』)
勇者(なぜかそんな言葉が、ぼんやりと浮かびあがった)
勇者(そう言ったら、目の前のこいつはどんな顔をするだろう)
勇者(本当にわずかだけど、気になった)
勇者(だが、それより考えるべきことがある)
勇者(魔王をたおす期限は決められている)
勇者(それも今の僕には関係ない)
勇者「これから、僕はどうするか」
魔王「……魔王をたおしにいくのは?」
勇者「冗談を言ってるのか?」
魔王「冗談は得意じゃないの、あなたよりはマシだろうけど」
魔王「魔王は私。でも、魔王城にもうひとり魔王はいる」
勇者「お前も知っているはずだ」
勇者「魔王と勇者は、この世にひとりずつしか存在しないことぐらい」
魔王「でも、魔王城に魔王はいる」
勇者「……」
魔王「行けば、私の言葉の意味はわかるはずよ」
勇者「……」
魔王「いっしょに行きましょう、勇者」
勇者(そう言って魔王は、僕へと手を差し伸べた)
勇者(無論、僕は彼女の手をとろうとはしない)
勇者(だが、ほかに選択肢も思いつかなかった)
勇者(結局僕は、彼女の提案にのることにした)
勇者(この会話から三日後)
勇者(僕と魔王は、魔王城へと足を踏み入れることになる)
つづく
次回の更新でこのssは終わり
◇
勇者「この魔法陣で、魔王城までいけるんだな」
魔王「本来、魔法陣は時間をかけて構成するものだから、
私のは、せいぜいもって一日」
魔王「それより、あなたは大丈夫なの?」
勇者「なにが?」
魔王「この二日間、ひとりにしてくれっていうから、
あなたの言うとおりにしたけど」
勇者「どうしても、ひとりで考えたいことがあった」
勇者「それだけだ」
魔王「あなたって、人恋しいって思ったことがなさそう」
勇者「お前はあるのか?」
魔王「ないと思う?」
勇者「聞いてるのは僕だ」
魔王「先に聞いたのは私」
勇者「……」
魔王「ひとりではもう耐えられない、そう思うことは誰にでもある」
勇者「魔王でも、そんな感情を抱くんだな」
魔王「人間じみてるのは容姿だけじゃないのか」
魔王「そう言いたいんでしょ?」
勇者「……よくわかったな」
魔王「顔に出しすぎなのよ。そして、ハズレ」
魔王「ひとりで生きていけないのは、
命あるもの、すべてに当てはまること」
魔王「誰かにそばにいてほしい」
魔王「そんな夜が訪れることもあるでしょ、猫の飼い主さん?」
勇者「……」
魔王「……まあ、無駄話はこれぐらいにしておきましょう」
勇者(魔王がそう言うと、魔法陣が真っ白にかがやいた)
勇者(光に飲みこまれたと思ったときには)
勇者(すでに景色は変わっていた)
勇者「……ここが魔王城?」
魔王「『魔王城』なんてものは名称でしかない」
魔王「建物の性質的には宮殿といったほうが正しい」
勇者「この魔王城、いつごろつくられたんだ?」
魔王「私が生まれるよりはるか前、ってことしか知らないわ」
勇者「それぐらいは僕でもわかる」
魔王「そんな、怒って言わなくてもいいでしょ」
勇者「……怒ってはいない」
魔王「魔王城が建造されるようになったのは、
魔王と人間につながりが生まれてから」
勇者「馬鹿でかい城だ。なんでこんなものを」
魔王「大量の魔物を抱える場所でもあるからね」
勇者「……息苦しい。それになんだか、からだが重い」
魔王「この建物全体に、魔力が張り巡らされてるのよ」
勇者「もうひとりの魔王はどこだ」
魔王「その扉の向こうにいる」
勇者「この先に……」
勇者「――っ!」
勇者(天井にまで届きそうな扉を開いた先には、巨大な空間が広がっていた)
勇者(腐敗した魔物や人間の死体が、大量に転がっている)
勇者(嗅覚を失った僕には、この空間の死臭はわからないけど)
勇者(そして。最奥で『魔王』が、小さな椅子に腰かけていた)
勇者(『魔王』は、僕の隣にいる魔王にそっくりだった)
勇者(ただし、顔立ちだけだ)
勇者(よく見れば、その容姿は魔王よりもずいぶんとおさない)
勇者(焼けただれた赤黒い肌は、ところどころ腐敗している)
勇者(猛禽類を思わす巨大な翼も、血まみれになっていた)
勇者(手足も人間のそれじゃない)
勇者(少女は、人間とも魔物ともいえないすがたをしていた)
勇者「なんなんだ、この場所は」
勇者「それに、あの椅子に座っているのは……」
魔王「構えなくても大丈夫よ」
魔王「深い眠りについてる。すぐには起きない」
勇者「この死体たちは?」
魔王「おそらく、彼女に挑んで返り討ちにあったんでしょうね」
勇者「これがお前が言っていた『もうひとりの魔王』か」
魔王「そう。つくったのよ、私が」
勇者「つくった?」
魔王「母を失った私が、次に考えたのが復讐だった」
勇者「だけど、それは……」
魔王「そう。話したとおり、魔物たちにそっぽ向かれて頓挫した」
魔王「私はひとりぼっちだった」
魔王「子どもだった私は、次にどうしたと思う?」
魔王『ひとりではもう耐えられない。そう思うことは誰にもある』
勇者「……つくろうとしたんだな、自分の仲間を」
魔王「正解」
勇者「だけど、これって……」
魔王「ええ。私の思惑は成功にはいたらなかった」
魔王「魔王城へと、続く道は一般人は立ち入り禁止されてる」
魔王「それでもね、人がこの城に紛れこむことはある」
魔王「もちろん、彼らは一瞬で魔物たちに殺される」
魔王「私はその死体を使ってね」
魔王「自分と同じ存在をつくることを思いついた」
魔王「死体に私の魔力を流しこむと、
どういうわけか、私そっくりのからだが生まれるのよ」
魔王「結局は成功しなかったけど」
魔王「私の魔力を注がれた肉体は、三日もしないうちに、
もとの形を保てなくなってしまう」
魔王「魔物を使うキメラ的方法もためした」
魔王「でも、死体がいたずらに増えるだけ」
魔王「あの子の肉体が崩れていくのを見て、ようやく無駄だと悟った」
勇者「こいつからは、お前と同様、すさまじい魔力を感じる」
勇者「こんなのが城の外に出たら……」
魔王「彼女は、ここから出られないの」
魔王「一定以上の魔力を絶えず供給されていないと、
形を保つことができないから」
勇者「不完全な存在ってことか」
魔王「そう。不完全な私がつくった、不完全な子」
魔王「おさない私が、ひとりぼっちの世界を壊そうとした結果」
少女「……ぅ」
勇者「!」
魔王「大丈夫。勇者はなにもしなくていい」
少女「ぁ……ぁあ……」
魔王「ごめんね」
魔王「私のわがままで勝手に生んで」
魔王「私のわがままで、勝手に殺すことになって」
少女「ぁぁぁ……」
勇者(魔王が頬に触れる)
勇者(そうしてから、ずいぶん長い時間がたったように思える)
勇者(不意に少女の輪郭を淡い光が包んだ)
勇者(やがて抜け落ちるように、彼女のすがたはあっさりと消えてしまった)
勇者「終わったのか?」
魔王「そう、終わったのよ」
勇者「……今、ひとつ思いついたことがある」
魔王「なに?」
勇者「お前は言ったな」
勇者「魔物は人類の脅威でありながら、
人間にとって都合がよすぎる存在だと」
勇者「実は魔物のほとんどは、とっくに人間の手に落ちてる」
勇者「それどころか、魔物の中には人間によって生み出されたものも、
数多くいるのかもしれない」
勇者「お前がやったように」
魔王「言ったはずよ。証拠はどこにもないって」
魔王「だけど。今後のあなたの行動しだいで、真実は顔を出すかもね」
勇者「……そのとおりかもしれない」
魔王「『魔王』はもう城にはいない」
魔王「この先。あなたはどうするの、勇者」
勇者「なにを言ってる?」
魔王「え?」
勇者「まだ僕は魔王をたおしていない」
勇者(一瞬だった)
勇者(僕の剣は、魔王の腹を容赦なく突き破った)
勇者(大量の赤い血が石畳の床を濡らす)
魔王「ぐぅっ……ううぅぅっ……」
勇者「信じられない。そんな顔だな」
勇者「それは、僕がお前に剣を向けたからか」
勇者「それとも、僕が『勇者の剣』をこの手に握っているからか」
魔王「なん……なん、で……」
勇者「『勇者の剣』については簡単な話だ」
勇者「お前の嘘を見抜いただけのこと」
勇者「勇者と魔王の争いについて、お前は僕に説明した」
勇者「内容に嘘はなかった」
勇者「お前はたしかに真実を伝えようとした」
勇者「『勇者の剣』のことだけをのぞいて」
勇者「そもそも、お前の説明にはあきらかに足りない部分があった」
勇者「洗礼をすることで勇者を探し当てる、それはいい」
勇者「問題は、どうして洗礼で勇者が判別できるのか、だ」
勇者「それに思い至ったとき、お前の嘘に気づいた」
勇者「『勇者の剣』が本当に存在するなら、手放すわけがない」
勇者「それがお前の言い分だったな、魔王」
勇者「手放さざるを得なかったんだよ」
勇者「あの剣は勇者判別に使うんだからな」
勇者「『勇者の剣』は、僕が賢者と戦士を死なせてしまった洞窟にあった」
勇者「いや、正確には洞窟じゃない」
勇者「巨大な地下水脈の一部だった」
勇者「『勇者の剣』は剣でありながら、その形状は剣にあらず」
勇者「僕が触れるまでは、あの剣は単なる水でしかなかった」
勇者「洗礼に使われていた水は、『勇者の剣』の成分が含まれていたものだった」
勇者「もちろん、地下水脈は全ての街に行き渡ってるわけじゃない」
勇者「おそらく空間転移の魔法陣が、安全な場所に設けられてるはずだ」
魔王「だけど……あな、たは……ど、どうやって……まも、のを……」
勇者「魔物をたおせない僕が、どうやって洞窟を進んだのか」
勇者「その方法を説明してくれたのは、お前だよ――魔王」
勇者「自らが魔王だと、お前が僕にあかしたとき」
勇者「お前は僕の前で、例の香水を使って魔物たちを引き寄せた」
勇者「それと同じことをした」
魔王「!」
勇者「魔物を引き寄せて、そのスキをついて洞窟を進んだんだ」
勇者「もちろん、大量の回復薬を使うハメになったけど」
勇者「お前のおかげで、あの道具の使い方がわかったよ」
勇者「そして。この剣があれば、僕はお前をたおせる」
魔王「わか……わからない……」
勇者「……」
魔王「なぜ……なぜ、あなたは……利用されて……まで……」
勇者「お前は生まれてからずっと、自分の存在がわからないまま」
勇者「自分がなんなのか、その答えを求めてさまよってきた」
勇者「そんなお前を、僕は理解できない」
勇者「僕は生まれたときには勇者だった」
勇者「お前をたおすためだけに生きてきた」
勇者「たとえ肉体が変わっても、朽ち果てても、それは変わらない」
勇者「僕が勇者であることは、魂に刻まれている」
魔王「飼い猫は、いつまでも……飼い猫、なのね」
勇者「猫には帰巣本能がある」
勇者「追い出されても、帰ってくる場合がある」
魔王「ざんねん、ね……」
魔王「もぅ、すこし。あなたと……おはなし……した、かった……」
勇者「僕にはお前と話したいことはない」
魔王「ふふっ……最期に……おしえて」
勇者「なんだ」
魔王「もし……あなた、が……勇者じゃなかったら……」
魔王「もしも、わた、しが……魔王じゃなかったら……」
勇者「お前は魔王だ」
勇者「そして、僕は勇者だ」
勇者(『勇者の剣が』で、魔王のひたいを貫く)
勇者(そして、次の瞬間)
勇者(目の前で、魔王のからだが爆ぜた)
◇
勇者「これが、おおまかな旅の内容だ」
魔法使い「……とりあえずは、これで魔王はいなくなったんだね」
勇者「……」
魔法使い「勇者」
勇者「なに?」
魔法使い「勇者は自分の使命を全うしたんだよ?」
魔法使い「しかも、たったひとりで」
魔法使い「すこしは胸張っていいと思う」
勇者「ひとりになったのは僕のせいで、胸を張れることじゃない」
勇者「僕が暴走しなければ、賢者も戦士も死ぬことはなかった」
勇者「魔法使い、きみにも……」
魔法使い「勇者っ。勇者は設けられた期限内に、きちんと使命をはたした!」
魔法使い「戦士や賢者のことは残念だったよ」
魔法使い「でも。旅に出るときに、私たちは死ぬことは覚悟してた」
勇者「……それは勇者と魔王の争いが本当だったら、の話だ」
魔法使い「え?」
勇者「いや、なにもだ」
勇者「……魔法使い、ひとつ質問いい?」
魔法使い「ん?」
勇者「どうして魔王は、魔王城で勇者と戦うんだと思う?」
魔法使い「んー、勇者の話から推測すると」
魔法使い「魔王城は、魔力あたり一面に敷かれてたんでしょ?」
魔法使い「たぶん、魔王が城から魔力を供給できて、
戦いに関して有利だったから……かな?」
勇者「なるほど」
魔法使い「間違ってる?」
勇者「どうしてそう思う?」
魔法使い「顔に書いてある」
勇者「……僕は本当にすぐに顔に出るらしい」
勇者「魔法使いの言ってることは、的外れってわけじゃないと思う」
勇者「だけど、僕はあえてこう考える」
勇者「勇者と魔王の戦いの被害を、最小限におさえるため」
魔法使い「被害をおさえる?」
勇者「不完全な勇者と不完全な魔王」
勇者「僕らの戦いでさえ、あの城のほとんどは全壊した」
勇者「それでも」
勇者「魔力よって堅牢なつくりになっていたあの建物なら、
被害をあの空間内でおさえることができる」
魔法使い「……つまりそれって、どういうこと?」
勇者「そのままの意味だ」
魔法使い「よくわかんないんだけど」
勇者「……やっぱりこの話も忘れて」
魔法使い「まあでもさ。やっぱり勝つのは勇者だね」
勇者「……」
魔法使い「これから先も、新しい魔王が現れるかもしれない」
魔法使い「でも、新しい勇者がまたたおしてくれるよね?」
勇者「……」
勇者(僕の予想では、いずれ勇者と魔王はこの世界から消える)
勇者(どっちか、あるいは両方)
勇者(あの資料に書いてあったこと、あれにはある法則があった)
『XXX、魔王と勇者激しく争う。
XXX、新たな魔王と勇者、たたかう。両者の戦いにより集落が滅ぶ。
XXX、魔王と勇者この世に生を受け闘う。死者数百人。
XXX、魔王と勇者復活、街での戦いにより死者数千人。
XXX、何度目の復活か不明、勇者と魔王因縁の争いにより山を消滅させる。
すべての戦いにおいて勇者が、勝利をおさめている』
勇者(時代が新しいものになればなるほど、争いの規模が大きくなっている)
勇者(もし、このまま勇者と魔王の争いが繰り返されれば)
勇者(いずれは国、いや、世界さえ巻きこみかねない)
勇者(さらに)
勇者(国は勇者のからだを、教会を利用して調べていた)
勇者(あの資料はだいぶ古いものだった)
勇者(本来の力をもった、近代の勇者と魔王)
勇者(このふたりが争ったときの規模は、計りしれない)
勇者(国が魔物開発にさえ、手を出してるのだとしたら)
勇者(そのうち、つくってしまうかもしれない――勇者を)
勇者(そうなれば、本物の勇者など……)
魔法使い「勇者?」
勇者「え?」
魔法使い「急にだまらないでよ」
勇者「……ごめん」
魔法使い「もうっ。なに話そうとしたか、忘れたじゃない」
勇者「それは知らない」
魔法使い「まったく。この状態じゃ、先が思いやられるね」
勇者「……魔法使い。魔法使いはこれからのことは、考えてる?」
魔法使い「……!」
勇者「そんな、目を見開くような質問だったか?」
魔法使い「いやだって、勇者って他人に興味ないでしょ」
勇者「……」
魔法使い「正直、今日のお見舞いも意外だったんだよね」
魔法使い「勇者、ちょっと変わったね」
勇者「……」
魔法使い「それはさておいて、私はとりあえず退院したら、
もっと魔術の勉強をしようと思う」
魔法使い「きっと私の魔法は、人々の役に立つだろうし」
勇者「……魔法使いなら、きっとできるよ」
魔法使い「気持ちこもってないなあ」
勇者「そんなことはない」
魔法使い「それで?」
勇者「なに?」
魔法使い「なに、じゃなくて勇者はどうするの?」
勇者「しなければいけないことは、もう決まってる」
魔法使い「どういうこと?」
勇者「近いうちに、僕はまたこの街をはなれる」
魔法使い「ど、どうして?」
勇者「これ以上は話せない」
魔法使い「……国絡みのことってわけね」
勇者「うん。それから、そのこととはべつに、
やっておきたいことがある」
魔法使い「やっておきたいこと?」
勇者「書き残しておきたいんだ、今回の旅のことを」
勇者「それを、できればきみに受け取ってほしい」
魔法使い「旅の記録はまじめな勇者のことだから、
とっくに提出済みでしょう?」
勇者「それとはべつに書くんだよ」
勇者「僕だけの『冒険の書』を」
勇者「僕は魔王をたおすだけしか能がない、愚かなヤツだ」
勇者「だけど、そんな僕でも残せるものがある」
魔法使い「……本当に変わったね、勇者」
魔法使い「でも、感性を楽しみにしてる」
勇者「うん」
勇者「そろそろ帰るよ……早くよくなるように祈ってる」
魔法使い「言われなくても」
勇者「……もし僕が変わったっていうなら、それは『彼女』の影響だ」
魔法使い「彼女?」
勇者「うん。おそらく僕には一生『彼女』のことは、
理解できないだろうけど」
勇者「勇者である僕には」
魔法使い「……勇者はその彼女のことを、どう思っていたの?」
勇者(僕は魔法使いの質問には答えなかった)
おわり
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