ほむら「志筑仁美と会長選挙」 (50)


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chapter1

「ほむらさん。私、生徒会選挙に出ようかと、思っていますの」

 時間割の隙間休みに突如そう宣言された。
 発言の主は志筑仁美。私の数少ない友人の一人だ。

 ぼんやり、思考。空白。
 訂正しようか、わたし唯一の『普通』の友達だ。

「そうなの、頑張って。志筑ならきっと当選すると思うわ」

 成績優秀、才色兼備、お上品で人当たりも柔らかい、他人と寄り添って人と歩く。
 自然と人と歩調を合わせることが出来る彼女にとって、他人の上に立つというポジションは至極当然と思えた。

「他人事みたいに言わないでくださいまし」

「志筑あなたなら間違いなく当選するでしょ?」

 仁美の言葉の真意が分からずに、思ったことを繰り返す。

「ですから、ほむらさんに後見人をお願いしようと――、」

 瞬き、空白。
 逡巡の後、発声。

 口は開くが、音が喉を通らなかった。
 理由は単純、驚き。


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「そんなに、驚くことですか?」

 口を開いたまま、丸ごと一分。

「なんで、私なのよ。もっと得意な人が人脈にいるでしょう。あなたの場合」

 私としては正鵠。

「酷いじゃありませんの。私とあなたの仲でしょう?」

 そう言う問題じゃないでしょうに。
 然り、仁美の言葉もまた事実。けれど、勘違いの可能性も拭えず、聞き返す。

「志筑って実は友達少ないわね」

「どの口が、ですわ」

 間髪入れず回答。

 言葉に悪戯っぽいウィンクが重なる。
 近くにいた男子の集団からざわめきが生まれた。

「放課後までに考えておくわ」

 少し、意地の悪い笑みを返す。
 互いに視線を交わし、笑う。

「期待してますわ」

「どうしようかしらね」
 互いに軽口。


「それでは、そろそろ授業が始まりますので」

 仁美はそう言って、自身の席へと戻っていく。
 その様子を見て、私たちを遠巻きに観察していた人たちがいとも自然に視線をそらして、始業の準備を始めだした。

「全く仁美ったら、モテるんだから」

 つい、ため息交じりに呟いてしまう。
 直後、始業を知らせるチャイムと共に教諭が扉を開いて入ってくる。
 

 
 一日分のタイムテーブルを時間通りに手続して、ようやくとホームルームが終了した。
 私は待っていましたと言わんばかりに、決まりきった答えを用意して、志筑仁美の元へと向かう。

「それから、志筑さん。先生からお話があるのでこの後職員室に来て下さーい」

 向かうのだが、私と仁美のコミュニケーションを阻止せんとばかりに早乙女先生から呼び出しが入る。

「はい、先生」

 はっきりとした仁美の声が、しんと教室を打つ。
 張りがあり、けれど弾力に富んだのびやかな声が瞬間の静寂をもたらす。

 知っている。私はこの声色の理由を知っている。
 私にとって最も大事な人が本当の意味で覚悟を決めたときに顔を出した声色だ。

 彼女にとって、この世界で最も親しかった人が人を引っ張っていくときに出していた声だ。
 そうか、やっぱり志筑仁美は親友だったんだ。彼女の記憶にはない、一人の少女、まどかの面影が脳裏をかすめる。

 気づけば、仁美が私の前に立っていた。

「志筑、どこで待っていればいい?」

 我に返った私は声をかける。

「すぐに終わると思うので、ご一緒していただけません?」

 短い沈黙、のち困ったような表情で掌を頬に当てて首を傾げる。

「寂しがりね」

「もう、失うのはごめんです」

 わずかに真剣な色を帯びた言葉が反芻。
 多分、わたしたちはお互いに違う人の面影を見ているのだろう。

「志筑……、」

「ほら、いきますわよ。ほむらさん」

 私の手を取り、引っ張るように進む仁美には儚げな無邪気さが見え隠れした。


 私と仁美は二人で廊下を歩く。
 手をつないだまま、けれど黙して進む。お互いに口を開かないが、決してこれは気まずい沈黙などではない。

 この類いの沈黙は、これまでの私があまり経験する事の無かった沈黙だ。

 最も、こういう沈黙を許容できるような相手に恵まれなかったというのも有るだろう。
 マミも、さやかも、まどかだってそういったタイプとは違ったから。

 唯一、杏子だけは沈黙も肯定してくれた。
 けど、そもそも佐倉杏子とそこまで親しくなれた時間軸はほとんどなかった。
 ただ、黙って一緒に歩くのが心地いい。

 多分これは仁美も同じだと思う。
 なんというか、安心するのだ。
 ある意味で、一人の時の気楽さと似ている。
 西に向かって傾き始めた陽の光がガラス張りの廊下に差し込み、煌めく。

「おっ、ほむらと、仁美じゃん。なんだ、こっちにいたのかよ」

 後方からパタパタというかわいらしいオノマトペを纏いながら、杏子が走り寄ってくる。
 私と仁美は足を止めずに振り返る。

「御機嫌よう、佐倉さん」

 いつも通りニコリと微笑む志筑は、だけれど違和を感じさせる。
 いや、この場合は不和というべきか。


「ちょうどよかったわ、杏子。今日はちょっと用があるから先にお願い」

 私はチラリと仁美に視線を送りつつ杏子にそう告げる。

「おー、そーかい。了ー解、了ー解。んじゃ先に帰るなー」

 杏子はくるりと、と翻りながら私たちを追い越して廊下の先へと消えて行った。

「志筑は、杏子のこと苦手かしら?」

 体制を正面へと戻した私たちは杏子が下に消えた階段を上る。
 私の問いに、仁美は沈黙。

「気にせず本音を言って。私も杏子も気にしないわ。むしろはっきりさせておいた方が杏子にとってためになるから」

 人に対しての得手不得手は、気持ちとは裏腹にどうしようもないものだ。
 それに、こんなことでこの子に何かを溜め込んでほしくはない。

「えぇ、その、実は少し。その、佐倉さんは意識的に粗野な振る舞いをしている節がありませんか?」

 躊躇いがちに発語。
 あぁ、なるほど。確かに杏子はそう言う節がある。というか、あれは彼女なりの処世術だ。

「そうね、認めるわ。けど、あれはあの子にとって必要なことだったから――、」

 最も、それは魔法少女としてたった一人だけで生きるための処世術でしかなくて、今となっては不必要なものでもある。
 それに、根っこの部分では仁美と杏子は良く似てる。
 だからこそ、理解に苦しむし苦手意識も持ってしまうのだろう。


「それなのに、佐倉さんは誰に対しても公正に向き合っています。私にとってそれは、少し眩しすぎるんです」

 階段を上り切り、もう一度廊下へと踏み込む。

「それはきっと、杏子にとっても同じだと思うわ」

 影を知っているか、知らないか。
 泥をすすったことがあることを羨ましいとすら思える高潔さ。
 恐らくそれこそが、この少女が魔法少女たりえない資質なのだろう。
 自分に酔わない。境遇に甘えない。ただ、前に進むために出来ることから積み上げる。

「だからこそ、私は二人とも好きなのよ」

 そう微笑んで、開け放された職員室の扉の中へ仁美の背中を押しこんだ。


職員室の壁に背を預け、ガラス張りの廊下から傾いた太陽を眺める。

《キュゥべえ。今日の瘴気分布は?》

 テレパシーで呼びかける。ふっ、と足元に白い姿が現れる。

《比較的穏やかだね。
だだし、南東側密集路地付近と、中央道大型交差点近辺、それから北側住宅区域の一画に瘴気の谷間が出来そうだ。
膨張瘴気の影響は今のところ感じられないから、断言できないけれど、魔獣が出てくるとすればその三か所が中心だろうね》

 こいつの言葉を受け、見滝原の地図を頭に作る。
 また、随分と厄介な出現予測ね。

《厄介ね。もしも三か所に魔獣が同時発生したら戦力を分断せざるを得ないわ》

《君たち三人の実力ならば別れて戦っても魔獣を殲滅できるはずだ》

 見解の相違。

《私たちがどれだけ強くなろうとも不測の事態は起きるのよ》

 そう、巴マミが油断してお菓子の魔女に喰いちぎられるように。

《出来るだけリスクを減らしたいって考えは理解できるけどね。
けど、効率を考えたらあまり割に合わないことはしない方がいいんじゃないかい?》

《そうね。その考えは最もだけど、少なくとも私たちは効率のために共同戦線を張っているわけじゃないのよ》

 淡と、言葉を交わす。


 不本意だが、私が最も遠慮せずにコミニュケーションをとる相手はこいつらだと思う。

《マミも似たようなことをよく言っているよ。全く、よく分からないなぁ》

《やっぱり、お前たちってそういうやつよね》

 私たちはそこで、会話を打ち切った。
 理由は明白。職員室の扉が開いたからだ。

「お待たせしましたわ」

 特に、変わった様子は無い。ということは、

「また表彰かしら?」

「えぇ。華道の品評会で優秀賞を頂いたので、その表彰をしていただけるそうです」

 流石、お嬢様だ。習い事の格が違う。

「流石ね。今学期でもう三度目でしょう?」

「ふふ、実は五度目ですわ」

 笑いながら訂正された。本当にただ訂正されただけで、他意も下心も感じられなかった。

「あら、そうだったのね。まぁ、おめでとう」

「どうも、痛み入りますわ。それじゃあ、帰りましょうか」

 言葉に対して、肯定。
 私たちは道を戻り、通路を抜けて階段を下る。
 そして、昇降口から校舎を後にする。



行間


 赤味が強くなり始めた太陽を望む。
 時は夕暮れ、思いは待ち人。

 不意に笑みが零れた。嗚呼、これは格好がいいわ。絶対、絵になってる。

 ほら、校門をくぐる生徒の何人かは私に視線を注いでいるもの。
 ここらで一つヒーローっぽい格好いいポーズでも決めましょうか!

 オリジナルの決めポーズをとろうとした矢先に、待ち人現る。
 あら、残念。お披露目はまた今度ね。

「おーっす、『マミ先輩』。お待たせ」

 パタパタと、佐倉さんが一人で駆け寄ってくる。

「あら、暁美さんは?」

「ちょいと野暮用だとさ、先にやっててくれって」

 うふふ、これはスキャンダラスな匂いがするわね。

「あんたってさ、ほんと残念だよな」

「藪から棒に何を失礼な」

 もしかして、顔に出ていたかしら。

トリップバイバイしようと思ったが見滝原クエストは好きだった
期待


「大方、『イケナイ匂いが!』とか考えてんだろう?」

 私はとっさに頬を両手で押さえる。弛緩しているであろう表情を支えるためだった。

 そんな私の様子を見て、佐倉さんはヤレヤレとため息をついた。

「まぁ、マミがどんな妄想をしようと自由だけどさ。野暮用のお相手は有名人の片割れだよ?」

 見滝原中の有名人といえば、美少女転校生暁美ほむらと、完璧優等生志筑仁美だ。

「志筑さんと?」

 今は亡き二人の共通の友人、美樹さやかを思い起こす。

「似てるようで、全然似てないんだよな。あの二人」

 何の気なしに佐倉さんが呟く。

「私と佐倉さんみたいじゃない」

「いや、アタシらは似てないし、似てないよ」

 即答だった。ぬぅ、もう少し考えてくれてもいいじゃないの。

「まッ、こんなところで、くだをまいていてもしょーがないし、早く行こうぜ」

 あっけらかんと、佐倉さんは放つ。

「そうね。キュゥべえ、行くわよ」

 私が名を呼ぶと、ヌルリと白い生き物が姿を現した。

《今日は谷が三か所出来てるよ。場所は――――、》
                           paragraph.


 夕刻、と言えるほど日は落ちてはいない。
 けれど初夏という季節を鑑み、現在時刻と照らし合わせてみればやはり表現としては夕刻。

 落ち着いた雰囲気を醸し出す個人経営の喫茶店。
 落ち着いた色合いの内装に、ややレトロな風味を想起させるテーブルとカウンター。

 フワリ、と鼻をくすぐる挽きたての珈琲の香り。それに少しだけ混ざるややキツイ油とケチャップの匂い。

 私と仁美とのお気に入りの一つだった。

「さて、注文も済みましたし、お返事をお聞かせ願えますか?」

 運ばれたカモミールティを上品に啜りながら、志筑が尋ねる。
 回答は決まっていた。決まりきっていた。

 けれど、やはりそれが自分に相応しいのかどうかは分からなかった。

「あなたのお願いなんて珍しいこと、私が断れるわけないじゃない」

 仁美はあまり頼みごとをしない。それが誰であれ、だ。
 なんとなく、それが気になって理由を訊ねたことがあった。
『そう言う家訓なんですの。まずは物事を解決する地力を養う。その上で人を扱う技術を磨け』
 それが彼女の弁だった。頬に手を当てる、お決まりのポーズと困った表情を私は良く覚えている。

「というか、ようやく人を扱う技術を磨く段に入ったのね」

 つい、ポロリと口から零れ落ちた。


 瞬間、静寂。

 カラカラと回るシーリングファンの音が妙に耳に馴染む。
 志筑がゆっくりと首を横に振るう。

「嫌ですわ。私とほむらさんは、対等な友人関係じゃありませんの?」

 カップとソーサラーが僅かに擦れる音が小さく木霊した。
 凛と、真っ直ぐな仁美の視線が私と交錯する。

 中学生という枠からは逸脱しているであろう、芯の強さだ。
 もっとも、私自身も人のことをは言えないが。何せ、その視線を正面から受けて身動ぎもしなかった。

「えぇ、そうね。だからこそ私はあなたと、志筑とは馴れ合いみたいな関係になりたくない」

 例え私がいつ消えてなくなってしまうか分からなくとも。
 例え私が秘密をいくつ持っていようとも。
 例え、例え例え。

 頭の中にifが溢れる。慟哭、とまではいかないけれどジワリと胸が痛んだ。
 そんな私とは裏腹に、志筑は数度の瞬きの後にほっと息を吐く。

「そうでしたわ。あなたはそういった人でしたわね。心配して損しましたわ」

 手元にある器から、オレンジ味のマドレーヌを掴み、口へと運ぶ。

「あなた、私をなんだと思っていたのよ」

 私にとってのあなたと、あなたにとっての私はきっと剥離があるでしょうけど、それは仕方のないこと。
 自分と同じを相手に求めても仕方がないもの。


「ふふ。いいえ、やっぱりほむらさんはほむらさんだったなと、安心しましたの」

 志筑は笑う。子供っぽく、年相応に。

「だから、勝手にいなくならないでくださいまし」

 哀願。やはりなかなか、割り切るのは難しい。

「大丈夫よ。私は強いわ」

「もう、茶化さないでくださいまし!」

 笑う、お互いに顔を見合わせて。


 そして、瘴気の渦が急速に膨れ上がるのを感じた。


「それより、志筑。時間は平気?」

 ちらりと、店内の時計へと視線を移し、問う。

「まぁ、もうこんな時間なんですわね。ごめんなさい、急ぎます」

 仁美はお上品に慌てて鞄から財布を取り出そうとする。
 私は手でそれを制して、促す。

「今日は私が出しておくわ。次の時はお願いね」


 ハッと、表情を崩して会釈。
 流石、素早い判断だ。志筑のこういうところは見習いたいと素直に思う。

「ありがとうございます。それじゃ、お先に失礼しますわ」

 店内を気取られない程度の早足で抜け、店を出ると脱兎のごとく駆け出した。

「流石、足も速いわね」

 飲みかけの珈琲を一息で喉の奥に流し込み、伝票を掴む。

「お勘定お願いします」

 レジで代金を清算してもらい、私はゆっくりと店を後にした。

 瘴気を含み、不安を駆るような迅風が抜ける。

《キュゥべえ》

 それを正しく認識した私は小さな使者を呼びつける。

《やっとかい。ほむら》

 待ちくたびれた、と言わんばかりな風姿で現れた。

《発生個所は二点で合ってるかしら?》

 距離がやや離れているために感知に自信がない。
《そうだね。南東側密集路地付近と北側住居区域の二点だ。
マミと杏子は南東側で、既に戦闘行動を開始しているよ。合流するのかい?》


 私が今いるのは、北側住居区の真西。

《合流するまでに最短ルートを通って三十分弱、といったところかしら?》

《まだ、比較的日が高いからね。派手に動けない分も加味すれば三十五分といったところだね》

 だとするならば、選ぶべきは決まっている。

《住居区の方なら五分で着くわ、だからまずはそっち。巴さんたちについている個体からその旨伝えておいて頂戴》

《全く、君は本当に自分勝手だね》

 私が選ぶのは常に一つ。
 あの子が、まどかが望んだ世界を守ること。

 ただ、それだけを抱えて戦う。
 それが、それだけが私の理由。

《なんとでも言いなさい》

 インキュベーターを肩に乗せ、疾走する。

 時刻は夕暮れ、太陽は中々に赤い。向かいを見れば夕闇が迫上がる。
 ここから先は私たちと魔獣の時間だ。


 一歩、足を踏み入れる。
 耳に強烈なノイズが走り、空間がうねる。
 世界が、黒に塗り上げられる。

 私はすぅっと、大きく息を吸い込んだ。

《再三言っていることだけどね。此処は魔獣たちの領域だ。
瘴気を中和するための魔法を使わずに大きな呼吸をすることは避けた方がいい》

 全く、小うるさい。
 吸い込んだ瘴気の濃度を体内で算出する。

《こっちも何度も言っているでしょう。体の中に瘴気を吸入しておくと『翼』が安定するのよ。
切り札を隠しておくのは戦いでは常套手段でしょう?》

 大体、二割強といったところね。
 インキュベーターの頭を片手で吊し上げ、私は中和結界を展開する。

「暴食、貪欲、堕落。罪ト罪トデ邪ヲ祓エ」

 最も出番の多い三層中和結界だ。

《いつも思うのだけど、そう唱える必要はあるのかい?》

 足を開き、つま先で円を描くようにクルリと一回転。
 跳躍、着弾。先ほどまで私がいた場所が黒く焦げる。

 歪なほどに黒い世界で私は魔法少女へと成り変わる。

《イメージの補強よ。知っているでしょう?治癒だとか障壁だとかの魔法は苦手なのよ》


 二階建ての屋根へと着地。そのまま空を掴むように左手を振る。
 魔法で弓を召喚する。

 色調は黒紅。役割は守護と制圧。
 あの子から受け継いだ二つの能力(ちから)のうちの一つだ。

《キュゥべえ、索敵感知を。撃ち漏らしと死角を潰して》

《分かったよ。全く人使いが荒いなぁ》


 向き直り、弓を構える。
 蠢く魔獣の一団へ向けて一射。

 矢の行方を見届けず、跳ねる。
 弓を構えながら、『前方』へと躍動。

 正面から魔獣の熱線が飛来する。
 弓自体に魔力を通し、手首を返すことで叩く。勢いを殺さぬためにそのまま跳躍。
 正面には電柱。これを思い切り蹴りつける。

 瞬間、静止。

 崩れた体制のまま魔力の矢を五本つがえ、掃射。

 弓に隠された二つの仕掛けの内の一つを解放。
 上部の末弭から、紅紫の花が咲く。魔力で出来た花は、矢を抜き去りその射線上に砂時計の魔法陣を描き出す。


 矢の先端が、魔法陣を突き破る。直後、膨張。
 五本の矢が無数の花弁となって魔獣を蹂躙する。
 魔獣が呻く。正確にはそう言う動作をしただけに過ぎないらしいが、知ったことではない。

 傷ついた魔獣たちの正面へと着地。
 魔力を込めた弓を一振り。
 紅紫の花が正面に陣取っていた魔獣たちを一掃する。

「ふぅ」

《ほむら、円形二百に魔獣三百パーセントだ。瘴気の渦が止まる気配もない。まだまだ増えるよ!》

 聞き、思わず息を吐きだす。

「全く、とことんまで瘴気が濃いわね」

 自然と弓を持つ手に力が入る。

《向こうの状況は?》

 こちらがこの様子ならば、あちらも同様だろうとは思うが確認をとる。

《こちらと同様瘴気の渦が止まる気配はないね。
けれど、二人が上手くやっているおかげで収束予測が立ってるよ。二十分以内には殲滅が完全に完了するはずだ》

 ふぅん。やっぱり、あの二人は頼りになるわね。
 それにしても、あと二十分ね。だとすれば早くとも一時間以内には合流できるのかしら。


《こちらの瘴気の渦が枯渇するまで、最低どれくらいかしら?》

《魔獣の量が飽和状態だからね、恐らく一時間は流出が止まらないだろうね》

《なら、魔獣の量を一気に減らせれば?》

《あの力を使う気かい?魔獣を今の半分まで減らせれば二十分くらいは早く収束してくれると思うよ。断言はできないけどね》

「上等よ。出し惜しみする理由がないわね」

 私は言葉と共に結んだリボンを撫でる。

 まどか、私に力を貸して。

 赤いリボンに魔力を込める。すると、まるで呼吸をするかのように仄かに赤が滲み発光する。
 瘴気の指向が変動する。渦巻き、放射状に広がり続けていたそれが、私へと吸い寄せられる。

《ここら一体の魔獣に気づかれたみたいだ。来るよ!》

 キュゥべえの珍しく力のこもった声が頭に響く。

「ハッ、さっきも言ったでしょう?上等よッ!二人が来るまでの時間稼ぎなんてヌルイことは言わないわ。
全部まとめて潰してあげる!」


 啖呵を切るように右手を振り抜く。あの子に貰ったもう一つの能力(チカラ)へと手をかけた。

 背に魔力と瘴気が集中。

 羽が、舞う。

 体の中で魔力が漲り、瘴気が爆ぜる。

 膨らむ、膨らむ、膨らむ。

 私という小さな器から極限まで膨張した『力』が噴き出す。


 背中から両翼が顕在した。


 すべてを照らし、眩く純白。
 すべてを喰らい、蠢く漆黒。

 その二つが強引に混ざり合った双翼が世界を塗り替える。
 四メートルほどの大きさを誇る翼を羽ばたかせる。
 確かに空を裂いたはずのそれは、だけれど音もなく私の体を宙へと運ぶ。

 巨大な魔獣の頭を眼下に収めた私は状況を俯瞰する。


 展開された魔獣の結界の中には辺り一帯の住宅街を飲み込んでいるようだった。


《測量をお願い》

 規格外に正確な答えを瞬時に割り出すことのできる宇宙人に問う。

《精度は?》

《概算で、キロメートル未満は切り捨てで》

 ウヨウヨとこちらを目指し点滅を繰り返す魔獣を眺めながら指定する。

《直径四キロメートル、だね》

《円形なのね》

《肯定するよ》

 私とキュゥべえの確認作業を邪魔するように下から魔獣の熱線が照射された。
 翼の羽ばたきでそれを一蹴しつつ、降下。

 目視で眼下の魔獣の一団を確認する。数は約十五。
 自重に任せた自然落下で魔獣へと近づく。その間に迫りくる熱線は矢での迎撃で事足りる。

 着地。それと同時に弓を持たない右腕を持ち上げ、無造作に振り下ろす。
 翼を呼応させ、無数の羽を見舞う。

 肉を切る鈍い音と、湿った衝突音。それから石を割るような打突音。
 衝撃のようなそれらが轟く。


 砂埃が辺りを包み込んだ。
 右手を払う。動作に応じ、翼が巻上げられた砂粒を振り払う。

「他愛ないわ。次!」

 力を込め、一歩。
 左足がアスファルトで舗装された道路を踏み抜いていた。
 体が突風のように宙を舞う。

 翼で姿勢を制御し、疾駆。

《この瞬間だけは君が世界で一番早い生き物だろうね》

 速力と風力で耳をはためかせるキュゥべえがそう嘯く。
 たかだか一歩で六メートルを進むことのどこが凄いのだろうか。

《口を慎みなさい。うっとおしいわ》

 さぁ、ここからは一方的な蹂躙よ。
 黒と白を纏った翼が、巨大な魔法陣を描き出す。

 それは、魔獣の世界を終わらせる魔法だ。
 きっと今、私は笑っているのだろう。



行間



 夢。ぼんやりと明滅致します。

 さやかさんが段々と壊れていく、そんな夢。嫌ですわ、夢だとわかっていても、そんなのは嫌ですわ。

 もう一人。もう一人?

 私、私が二人を傷つけた?

 なんで、何のために?

 私のため、きっと私のため。

 私の欲望のために、私は二人を傷つけたんですわ。

 嫌だ、私ってばなんて浅ましいんですの。

 二人を傷つけてまで手に入れようとした欲望は、なんですの。

 私はもう持っている?

 分からない、分からないんですの。

 ただ、寂しいのは嫌です。

 切ないのも、嫌です。



 一人ぼっちは恐ろしいです。

 私を、ありのままの私を見て、受け入れてくれるお二人。

 二人が居なくなるなんて、耐えられない。

 堕ちる。

 感情がマイナスに堕ちる。

 夢。ぼんやりと壊滅。

 仄かに漂う懺悔の意識。何が、何が何が何が。

 一体。私は一体何を失くしてしまっているのでしょうか。

 夢だから、問いかけは無意味に泡と帰す。

 知りたい、だけど。

 知りたくない。

 だから、手を伸ばしたら、二人じゃない誰かが捕まえてくれました。



 その手は誰の手?



                           paragraph.


 羽ばたき軽やかに、着地。

 辺りの瘴気を探知。終了。結界が解れ、相違が元の世界の物へと還る。

《お疲れ、ほむら。グリーフシードはちゃんと回収したかい?》

 いつの間にやら私の肩からいなくなっていたインキュベーターがひょこひょこ、と姿を現す。

「問題ないわ。それより、二人の方はどうなったの?」

 キュゥべえへと問いかける。直後、視界の端で攻撃の予兆を捉えた。


 ッ!


 弓の胴で受け止める。
 襲撃者の姿をはっきりと目に映す。

「巴マミィ!突然何をするのよ!!」

 正体は同業者で先輩の巴マミだった。

「全く、危ないじゃない。いきなりこんなことを」

 正義のヒーローっぽいキックポーズから一転。
 私の弓を蹴りつけての跳躍、そして見事な着地。惚れ惚れするほどに流麗で完成された動きだった。


「全く!危ないはこっちのセリフよ!!どうして、私たちが合流するまで足止めに徹しなかったの!?
何かあってからじゃ遅いっていつも言ってるのはあなたの方でしょう!!少しは省みたらどうかしら?」

 確かに無茶をしがちなこの人に対して私と杏子はそんなことを普段から言っているっけ。

「仕方なかったの。今にも巻き込まれそうな親子が」

 白々しく適当なことを言う。
 巴さんの目がキッとつり上がった。

 マズイ。速攻で嘘だとばれた。あぁ、完全に火に油だわ。もっとも、私が悪いのだけれど。
 そう、だからこれは確信犯だ。私はこれが正しかったと確信している。

「うふふ、お仕置きが必要みたいね」

 マミの傍らに鬼が見える。マミに寄り添い立つ、赤い業火の鬼だ。きっと上級に違いない。

 なんて現実逃避をしていると、佐倉杏子が姿を見せる。

「おいおい、マミ落ち着けよ。ほら、さ。こいつがこんなことするのは初めてじゃんか。
だから、大目に見てやれって」

 マミの形相を見て慌てて宥め始める。
 私はシレッと、その様子を傍観していた。

「ほら、あんたもさ、強情張ってないでささっと謝っとけって」

 杏子の言葉はもっともだ。間違いなくマミのいい分が正しいし、私が謝るのがおさまりが良いに決まっている。
 でも、首を横に振った。


「私は自分の判断が正しかったと信じてるわ。私の信念に従って、判断した。だから絶対に謝らないわよ」

 腕を組んでの高らかな宣言。
 我ながら思う。なんというふてぶてしさだろうか。
 そして、二連の拳骨が飛んできた。

「痛いじゃない。二人とも何するのよ」

 頭を押さえつつ反論。
 ため息をつきながらの杏子の言葉が耳に届く。

「ったく、ちっと痛いだろうけどさ。それで手打ちにしてやるよ」

 似たような調子のマミの声が繋がる。

「本当に、いつからこんな子になったのかしら?初めて会ったときはあんなにかわいらしかったのに」

 おさげと眼鏡は忘れなさいよ。

「たまにはさ、おさげと眼鏡の懐かしいスタイルでもしてみなよ。ちっとはかわいげが出るんじゃねーの?」

 ケタケタと笑いながら杏子にそう言われた。
 一瞬、心を読まれたのかと本気で疑る。が、まぁ杞憂だし無意味だ。

「成長したのよ。せ・い・ちょ・う!」

「成長というよりは、鈍化じゃないかしらね?」

 マミの言葉に頻りに頷く杏子。む、むかつくわね。

「ふ、ふんだっ!杏子にはもう勉強教えない!」

「ちょっ、たんま、たんま。拗ねるなっての!!」

 まるではかったようなタイミングで私たちは笑いあう。

                           end over.


start up.
chapter2

 志筑に相談されてから一週間が経過した。

 その一週間はほぼ連日魔獣が大挙して押し寄せ、彼女との時間が取れないまま過ぎていってしまった。

 最も、仁美自身も何やら忙しいらしくお互いに時間が作れなかったと言ってしまってもいい様子ではあったのだけれど。
 そして、ようやくとお互いの時間の都合が噛み合った。

 机を挟んで私と仁美とは顔をつきあわせる。

「それで、具体的に私は何をすればいいのかしら?」

 前回聞けなかった、具体的な行動を話し合うためだった。

「ほむらさんにお願いしたい仕事は二つですわ。一つ、私と一緒に広報活動をすること。そして、もう一つは――。」

 仁美はそこで一度言葉を区切る。
 小さく、吐息。覚悟を決めたように滑らかに発声。

「投票前の後見人演説、ですわ」

 轟き、雷が私を貫いた。あくまで、比喩だ。

「演、説ッ。だと……?」

「なんですの、その変な驚き方は?その、あまり人前に立つのは得意じゃないのは承知していますのよ?
ですけど、こればっかりは是非ほむらさんにお願いしたくて……」


 俯き加減で我が儘を言っているのは百も承知だ、とでも思っているであろう仁美がなんだか、とても面白く思えた。

「冗談よ、驚いたのは本当だけれど。やるわ、元々そういう事もあると思っていたもの」

 私が笑いながらそう答えると、志筑仁美はガタっ、と勢いよく立ち上がる。
 何事かと思い、思わず怪訝な視線を送る。

 うっすらと、頬が朱を帯びている。心なしか呼吸も荒い、というよりは鼻息が荒いと称すべきか。

 瞳は潤んでいて、カッ、と瞳孔が開いているようだった。
 その様子を見て、思わず辺り一帯に簡易的な瘴気探査をかける。

 反応は、なし。
 どうやら、魔獣の仕業ではないらしい。ということは――。

 いつもの病気(アレ)か。

「良いですわ。ほむらさん、今のは凄く凄くッ、グッときますの。
ちょっと大げさに驚いた振りからの浅く笑いつつ余裕を示す、その一連の流れは、fantastic!!」

 思わず、頭を抱える。まっとうな動作として、だ。
 なんでよ、なんなのよ。今のどこにこの子のスイッチの入る要素があったのよ。

 丁寧に説明してくれてるけど、何がそんなにいいのか全く分からないわよ。

「ハッ!?」

 どうやら戻ってきてくれたらしい志筑は目を泳がせつつ、口を手でふさいで着席する。


「やってしまいました。またほむらさんにお恥ずかしいところを」

「まぁ、なんていうか今更よね。流石に」

 思ったことがすんなりと口をついて出る。

「そ、そんなぁ。もしや、もしや私のイメージが崩れ去っていきますの?」

「むしろ、むしろそんなイメージしか最初からないわよ?」

 そう口にした瞬間、思った。しまった、と。これじゃあ追撃してるじゃないか、と。

「はぅぅ!なんてことですの。
そんな、ほむらさんは最初っから私のことを時々トリップする変な人くらいに思っていたんですのね!!」

 妙に芝居ががった仕草でヨヨヨと泣きながら、仁美は目元を拭う。勿論、涙などついてはいない。

「そんなことはないわよ?ただ、」

 私がそこで言葉を切ると、志筑は同じように「ただ?」と繰り返す。

「ただ、ちょっと変わったお嬢さんだなぁって」

「ぐふぅ!!」

 あっ、止めを刺してしまった。

「うぐぅぅ。きょ、今日はこのくらいで勘弁して差し上げますわ。うふふ、ふふふ。
そろそろ、習い事の時間ですので詳しい打ち合わせはまた明日にでも」

「相変わらず、忙しいわね。じゃあ、また明日」

 もうそんな時間なのか、と思い時計を確認する。


 時刻は四時四十五分を示していた。

「それでは、ごきげんよう」

 立ち上がり、志筑がニコリと微笑みながら会釈をくれた。
 私はそれに応えるべく、努めて笑顔で手を振る。

「志筑、あんまり私の言葉を真に受けないでね?」

「ふふ、まったくほむらさんは、いけずですの」

「あっ、私も帰るのよ。昇降口まで一緒に行きましょう?」

 慌てて立ち上がって、仁美の後を追う。このまま一人でここにいても仕様がないじゃない。

 私たちは揃って、教室を後にした。


行間


 最近、ほむらの奴が妙に忙しくしてる。
 いやさ、元々必要もないのに爆弾自作したりとか、訳の分からないことしてるような奴だけど、それとは別で何かをしているみたいだ。

 あまりにもゴタゴタと忙しくしている様子に耐えかねたアタシはほむらに疑問を投げかけた。「なにしてんだ?」と。
 ぼんやりと、少しだけ思案してからほむらが口を割る。まっ、別に隠していたわけではないのだろうけどさ。

「志筑仁美が、生徒会長に立候補するのよ。だからそのお手伝い」

 あぁ、なるほど。それで最近妙に一緒にいることが多いわけか。

「ふぅん。大変だな。無理すんなよ?」

 こいつも、マミの奴もほっとくと大概無理しすぎるんだ。
 面倒だけど、アタシがブレーキかけてやんないと。

「お世話様。でも、大丈夫よ。このくらいなら全然、全然問題ないわ。あの頃と比べれば、へのかっぱ、よ」

「だああぁぁ!!もうっ!
そうじゃなくって、アタシもマミもあんたのこといつだって気にかけてるし、心配だってするっ、つってんだよ!!馬鹿」

 あぁ、もうなんでコイツはこういう風に恥ずかしいこと言わせるんだよ!!

 ちくしょう、もう顔が熱い。


「うん。ありがとう」

 暫しの沈黙のあと、目を伏せて短くそう呟かれた。
 言われて照れるなら、察してくれよ。頼むからさ。

「顔、真っ赤だぞ?」

「お互いさまよ」

 茶化したら言い返された。全くその通りだよ。

「誰のせいだ、だれの!」

「あっ、そうそう。志筑があなたのこと苦手だって言ってたわよ」

 シレッと、露骨に話題をそらしてきやがった。

「そりゃそうだろ。あっちからしてみればアタシの存在はちょっと、なんていうか。うーん、面白くないだろ?」

 アタシがそう言うと、ほむらは額に手を当てて、考える。

「そこを、どれだけ引きずってしまっているのかは分からないわ。
だけど、志筑は、志筑仁美は佐倉杏子と対等な目線で、正面に立って向き合いたい、って思ってるんだと思う」

 ゆっくりと、考えをまとめるみたいに言葉を紡ぐ。

「んー。努力はしてもいいけど、多分無理だろ?」

 なんつうか、あれはあれでやっぱり面倒くさい考え方だ。


「そうね、私もそう思うわ。だけど――、」

「分かってるつもりだよ。あんたの言いたいことも、仁美に対する感情も」

 本当に、コイツは不器用だな。

「えぇ、ありがとう」

 ったく、なんでこんなときばっかり素直かねぇ。

「まっ、きにすんなって」

 さてと、そんじゃあたしはマミのところにでも行ってこようかね。

「杏子、マミのところに行くのでしょう?それならこれ持っていきなさい」

 ほむらは小さな小包を投げてよこした。
 アタシは思わず怪訝な表情を作る。

「ラズベリーリーフの茶葉よ。ちなみに酸っぱくないやつよ。
本当は自分で渡したかったんだけど、ちょっと準備があるから」

「マミも最近ほむらが来ない、って寂しがってるよ」

「こっち、終わったらお茶のみに行くわよ。だからちょっと待っててって言っておいて」

 ほむらからの言伝を携えてアタシはドアを開く。
 穏やかな瘴気は珍しくアタシたちに休みをくれたみたいだった。


                           paragraph.


 心地よい早朝の風が頬を撫でる。
 しっとりとしていて、だけれどツンと澄ましたようなこの感覚が思いのほか気に入っていた。
 投票日まであと四日。それが終わってからも早起きをしてもいいかな、などと考えながら、人通りの少ない通学路を進む。
 けれど、自分の考えをゆっくりと否定せざるおえなかった。何故ならば、魔獣を狩るために多少遅い時間に家に帰ることも少なくないのだから。

 嘆息。少し肩を落としつつ、だけれどそうも言っていられないので気を取り直して顔を上げる。
 そこには見知った顔が映り込んだ。

「おはようございます」
「えぇ、おはよう」

 早朝だというのに眠さを感じさせない凛とした佇まいの志筑仁美がそこにいる。

「朝も強いなんて、あなたって本当に完璧よね」

「そんなことありませんわ。それにしてもほむらさんは眠そうですわね。結構朝は強いのかと思っていましたのよ?」

 普段ならば早起きする位何ともないのだけれど、魔獣狩りの後はやっぱりこたえるものなのだ。

「ちょっと、ここ最近忙しくって。少し、寝不足気味なのよ」

「それならもっと早くに教えてほしかったですわ。明日っからは私一人で朝の選挙活動に勤しみますわ」

 止まっていた足を学校へ向けて動かしだした私へと志筑はそんな戯言を投げつける。
 善意で言ってくれているのはもちろん、分かる。だけれど、そんなのは私の矜恃に反するのだ。

 だって、私は好きで志筑の友達をしているし、好きでこうして早起きしているのだ。
 だからそういう事を言われるのは、善意だとわかっていても腹立たしい。


「いいえ、私は明日もちゃんと早起きしてあなたと一緒に選挙活動するわ」

「無理なさらないでください。私のためにほむらさんが体調を崩したら元も子もありませんわ」

 分かっていない。本当に全っ然、分かっていない。

「いいえ、私の体調なんてどうでもいいわ。私がなんであなたと一緒に早起きしているかわかってる?」

「それは、私が後見人を頼んだから……」

「違うわよ。確かにきっかけはそれだけど、全然違うわ。
私はね、志筑仁美の友達として、好きで一緒にいるのよ。私が手伝いたいと思ったから手伝ってる。
だから、絶対に期間が終わるまでは早起きするし手伝いもするわ」

 私は短い通学路を通り抜けて学校の校門を跨ぎながら仁美にまくしたてる。正直ちょっと恥ずかしい言葉を、だ。

 そして案の定、志筑の赤く染まった顔には照れ笑いが浮かんでいた。

「その、えと。なんと申したらよいか。ここは、そうですわね。ありがとうございます」

「分かればいいのよ。ほら、早く準備するわよ」

 下駄箱に靴をしまいつつ、少しだけ急かす。昨日よりも少しだけ時間がずれこんでいるからだ。
 早い生徒はもうそろそろ校門を通り抜ける頃合だろう。

 パタパタと足音を鳴らして教室へと駆けこんだ私たちは、荷物を置いて階下へと戻る。

 廊下の窓から見た校門にはまばらに人が入ってくるのが見える。
 それにしても、他の候補者たちは選挙活動しなくてもいいのだろうか。

 廊下に張り出されているポスターも志筑の物だけにしか見えない。
 朝の挨拶にも、放課後の広報も一切様子が見られないような。まあ、気にしても仕方がないか、そう思い直して私は志筑と一緒に登校してくる生徒たちに朝の挨拶を開始した。


 体育館の壇上で選挙管理委員の委員長が短いスピーチをしているのが目に映る。

 それが終わったら、次は私が演説をする番だ。

 それにしても、トップバッターなんてついてない。
 いや、でもどこかの誰かの素晴らしい演説の真後ろでハードルが上がった状態でやらないといけない、なんて自体よりはよっぽどましかもしれない。

 それに、この演説自体にはちょっと自信があるつもりだ。何せ、志筑仁美は凄い。それは確かなことなのだから。

「それでは最初の立候補者です。志筑仁美さんお願いします」

 委員長に仁美が呼ばれる。もっとも、所属と名前を紹介したらバトンがすぐさま私に回ってくるわけだけれど。

 簡単に、本当に簡潔に志筑は自身の自己紹介を済ませてしまう。
 もう少しゆっくりしてくれてもよかったのに、などと思いつつ一度深呼吸を挟む。

 キリっ、と顔を上げて背筋を伸ばす。

 一歩、また一歩。そして、マイクの正面に立つ。

 ぐるり、と館内を見回す。茶化す様に笑う杏子と、真剣な様子でこちらを望むマミの姿が見つかった。
 本当に、憎たらしいほど普段通りね。


「初めまして、志筑さんの後見人演説をさせていただく暁美ほむらです。

本当ならば季節の挨拶から始めるのがいいのかもしれませんね。

ですが、割愛させていただきます。それよりも、早速始めさせてもらいたいと思います。

本当ならば、彼女がどんなに優れた人物なのかをお話しすべきなのかと思います。

どうして、ああいった公約を掲げているのか、だとか、彼女はそれをどのように達成するビジョンがあるのか、

だといったことも話すべきなのでしょう。けれど、私はそれを話しません。

まぁ、志筑はこの学校では有名人ですし、今更その資質を問うまでもないと、そうも思っているのは事実なんですが、

それ以上に皆さんに志筑仁美という人を知ってほしい。

そう思ったので、私は公約について話すことを放棄します。

始めに断っておきますが、志筑仁美は強い人間です。それ故に弱者の気持ちは分からないかもしれません。

だけれど、いえ、だからこそ、彼女は人の上に立つべき人間です。

私と、志筑の組み合わせを見てもう一人を連想した方は多いかと存じます。

そうです、今学期に他界した美樹さやかさんは私たちの共通の友人でした。


特に志筑とは付き合いが長く、親友と言って差し支えない間柄だったと記憶しています。

知らせを受けた当初は、第一に困惑、そして、それが真実だということを聞かされるうちに恐怖と疑問が渦巻きました。

それはそのすぐ後に会った志筑も同じだったようで街でばったりとであった彼女はひどく目を腫れさせて、茫然自失といった様を呈していました。

そして私の顔を見るや否や抱き着いて声をあげて大粒の涙を溢し始めました。

ただ、ひたすらしゃくり上げる彼女の姿になすすべなくただ胸を貸すことしか出来なかった。

何も声をかけることが出来ない自分に腹が立ったのをよく覚えています。

それで丁度日が傾いてきた頃合にようやく志筑は落ち着いてきたようで、涙を自分で拭いながら私の正面に向き直ります。

それで、私の手を握って彼女はこう言いました。

『さやかさんのために、私これ以上は泣きません。彼女のために笑って幸せになりますわ』。

短い時間で悲しみを乗り越えるその姿を見て、私は驚きました。

人っていうのはこんなにも強くなれるものなのかと。

だけれど、志筑は今でも時々寂しそうな表情を映します。きっと、知っているのです。

手向けの花は涙よりも笑顔がいいと。

そんな強くて優しい彼女こそ人の上に立つべきだと、私はそう信じています」


 たっぷりと時間をかけて演説を終えた私に向かい段下の生徒たちから拍手が送られてくる。
 だけれど、その拍手に耐えかねたは私は一言だけ、告げる。

「その拍手は、志筑仁美に向かってお願いします」

 響いたその言葉に一瞬だけしぃんと拍手が鳴りやみました。

 直後、反響に反響を重ねるような盛大な拍手が巻き起こる。
 普通では考えられないような時間をかけて、拍手が収束していく。

 ちゃんと、聞き手に伝わったのだろう。それが少しだけ嬉しくて、ふっと目頭が熱くなってきた。
 だけれど、こんなところで涙なんて見せたくなくて、私は早足に舞台を降りる。

「はい、素晴らしい演説をありがとうございました。立候補者は以上になりますね。
一応、この後教室に戻って投票してもらいます。それでは、一先生から順番に教室に戻ってください」

 やや、涙声で委員長がそう口にする。

 私は思わず「え゙っ」という、言葉を発してしまった。

 立候補者は志筑一人だけ?

 それじゃあ、私が演説した意味は? というか、それだとただ恥ずかしい話しただけになるんじゃ?

「志筑、あなたは知っていたの?」

「えぇ、知っていましたわよ? だから、朝の挨拶運動も無理なさらないでといったのですけど……。
もしかして、知りませんでしたの?」


「知ってたら、もっと適当にそれっぽい演説したわよ」

「うふふ、まさかほむらさんにあんな風に思われていただなんて、知らなかったですわ」

 仁美は嬉しそうに、笑う。なんだか、憎たらしい気がしてきた。

「それで、志筑。私もそろそろ仁美って呼んでもいいかしら?」

「そうですわね。あんなに心のこもった演説をされたんじゃ受け入れざるおえませんわね。
少し名残惜しいですけれど」

「どうして私があなたのことを志筑と呼ぶことにそんなにこだわるのよ?」

「いえ、単純にそういう風に苗字を呼び捨てされることってあんまり経験がないんです。だから、その、新鮮で。
あとほむらさんの声で志筑って呼んでもらうとちょっと素敵な響きに聞こえるので」

 やっぱり志筑仁美は変人だ。私はそう、理解した。理解したが、まぁ良い友人なのには変わりはない、か。



 後日、発表された投票結果には見た事の無いほどの高さの赤いラインと大量の花弁が貼り付けてあった。

終わり

改変後ほむ仁増えろ。

乙。また投下ペース速いな。
バッドエンドじゃなくてよかった。

違和感しかない

乙。
二人の距離感が読んでて気持ち良かった。
短編で読みやすかったのもある。


お互いの呼び方とか違和感があったけどよかったよ


中々面白かった

乙もうちょい見たかったな

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年03月30日 (月) 14:59:51   ID: UJk2gTBn

「逡巡」?でもしやと思えばやはり「濡れてる」の人だった
はまらない人にははまらないが、おれこの人のキャラ理解好きだわ

ほむほむ一人称もっとやって

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