P「特別な一杯」 (23)
「暑いなぁ…」
まだ765プロに来て数日。
慣れない仕事にひたすら頭を下げる毎日。
最近じゃ人にぶつかれば反射的に頭を下げてしまう。
そして、夏が訪れれば、外回りがかなりきつくなる、というのも分かった。
まだまだ売れない事務所ということもあり、節電の為ほとんどクーラーは点けずに扇風機と団扇のみで乗り切るつもりだ。
意気揚々とプロデューサーになったのは良い。
だが、入ったのは売れない事務所。
はっきり言って俺には早速辞めたい、という思いが芽生えていた。
何て意気地の無い奴なんだろうと自分でも思う。
最近の若い奴は、とか言われるんだろうが、実際体験してみるととても大変なものだと分かる。
そもそもやりたくて始めた訳ではない。
大学卒業間近、就職先も決まらずアテもなく街を歩いていた所を初老の男性に呼び止められ、ここを紹介された。
というより、その人の会社だった。
これはやった!と思った。
会社の社長に気に入られるなんて、エリート街道まっしぐらじゃないかって。
そういう風に思っていた。
しかし現実は残酷で。
わがままで自分勝手でうるさい子供達に囲まれる日々だった。
俺だって、やりたくてやってる訳じゃない。
日が照りつける中、汗をかき、あの子達の為にひたすらお礼と、口うるさい程の申し訳ございません。
そして、いつものように迷子のあずささんを迎えに行った時、ついボソッと呟いてしまった。
「そんな顔でごめんなさいだなんて言われても…」
自分としては、軽口を叩いたつもりだったが、彼女には違ったようだ。
涙を流して、ひたすら謝るあずささん。
あずささんにそんな気が無いのはさらさら分かっているが、日中女性が涙ながらに何度も頭を下げるというのは、第三者から見れば、やはり酷く見えるのは俺であって。
全く、世の中は不公平だ。
俺には夢なんて無かった。
いや、あったけど高校に入った頃には大学に入る事が夢になっていた。
俺が入った大学は、都内でも有名な私立大学。
そこに入れば、自ずと何処かが雇ってくれるなんて考えてた俺が馬鹿だったよ。
今となっては、売れないアイドルのプロデューサー。
仕事が無ければ、必然的に給料は無しだろうし、このままでは暮らしていけない、と思った。
そしてあずささんとの事件があった後、子供染みたプライドだが、俺は辞表を社長に提出した。
せめて嫌われて終わるなら、最後に迷惑をかけてやろうと思ったのだ。
社長も頼むから辞めないでくれと言うだろう。
それを跳ね除けて我慢できない、辞めてやると言ってやるのだ。
これなら、小さな、ゴミのような俺のプライドも守れる。
だけど、社長の言葉は全く予想に反するものだった。
「そうか…残念だね」
…あれ?
おかしいな。
俺の脚本では、ここで社長の泣きが入るはずだが?
「じゃあ、退職の手続きについてだけど…」
「え、あの、社長?」
「おーい!音無くん!」
「あ、ちょっと!いや、何でもありません!!」
すると、社長がふふ、と笑い、音無さんに「何でもないよ」と言った。
危なかった。
あれ、何で俺、危なかったなんて思ったんだ?
…自分の事を、一番理解してるのは自分、だと思う。
俺はきっと、恥ずかしくなったのだろう。
入ってひと月足らずで、しかもアイドルにいらない口を叩いてしまった程度でやめるだなんて、口に出来ない。
社長は男だし、小さな事務所の老人だ。
これから関わらなくてもいいと思ったが、何故か女の人には恥ずかしいと感じた。
やはり、俺のプライドというのは、ゴミ屑のようだ。
そして、そのゴミ屑を、社長はよく理解していたようで、俺を見て笑っていた。
馬鹿にされているのは、よく分かった。
いや、馬鹿にしているというか、若いねぇと言いたいのだろう。
赤の他人に、心を見透かされるのは、ほんとに恥ずかしいものだ。
すると、社長がゆっくりと腰を上げる。
「音無くん、今日はもう上がりだから。
私は今日は彼と食事に行くから、鍵は閉めなくていいよ」
社長が音無さんにそう告げる。
食事と聞いて、何処に行くのだろうと思ったら。
下のたるき亭だった。
鍵閉めなくていいというのはそういうことか。
逃げようと思えば逃げられる。
帰る、と一言言えばいいだけだ。
だけど、言葉が出なかった。
もう、逆らえる気がしない。
彼はゆったりとした挙動でたるき亭に入り、いつもここで食事するんだと話しそこに座った。
そして、メニューを俺に渡し、好きな物を頼んでくれ、と一言。
「…じゃあ、とりあえず生で」
「そうだね、私もそうしようかな…おーい!生中2つ!」
そして、酒がくる間、社長が少しだけ話をしてきた。
「…君は、まだ765プロを信用していないようだね」
「え?」
何を言い出すのか。
信用なんてできる訳ない。
売れないアイドル事務所のどこを信用しろというのか。
「私はね、互いの信頼関係こそが、成功への道だと思っている」
「…」
「それは、今の君には、最も重要なものだ。
君には、アイドル達を信用する思いが無い」
何を言っているのか。信用以前に、ちゃんと仕事はしてるじゃないか。
汗水垂らして走り回って。
何が足りない?
働いて金を貰うだけの何処が悪い?
「…正直、君はアイドル達の事を見下しているんだろう?」
「!?」
「売れないアイドルと、心の中でそう、思っているんじゃないかね?」
「それは…」
「いくら良い言葉で取り繕ったとしても、君の心にその感情があれば、それは自ずと相手に伝わる。
君は確か、優秀な大学を出たそうだがね、社会は君が思っている以上に頭が切れるんだ。
ただの勉学では計れないものがあるんだよ…お、ビールが来たねぇ」
「…じゃあ、乾杯、で」
「…その前に、君はお酒を飲んだ事はあるかな?」
「大学のサークルで、少し…」
「それじゃあ、ただ飲んでるだけだ。
同じビールでも、汗水垂らして走り回って、喉もカラカラになった時に飲むビールは、格別だよ?」
「…?」
「じゃ、乾杯!」
「…!~!!うっめええ!!」
「はっはっは!そうだろうそうだろう!」
「!?」
「君が苦労しているのは、みんな、分かっているよ。
…ただ、恥ずかしくて言えないだけさ。
だからみんな、文句一つ言わずついてくるんだ。
…今日、あずさくんとの事は本人から聞いたよ?」
やばい。
言ってしまったのか、あの人は。
「…あずさくんは、言っていたよ。
君に謝りたいって。嫌われたくないってね」
「え…?」
「こんなあずさくんが、君を嫌うと思うかね?信頼を失うと思うかね?」
そんな、あの人は、そんな反省していたのか。
俺みたいな奴の一言で?
ただの嫌味なのに?
「いくら君が彼女らを売れないと言っても、君の努力は見ているんだ。
だから、あんなに反省したんだよ。あずさくんは」
「そんな…」
「彼女達は、ちゃんと準備ができているようだよ?
…君の方は、どうなのかな?」
その時俺は、全てを悟った。
仕事とは、結果論が全てではない。
たとえ結果が良くても、内容が悪いものなら、次は失敗するかもしれない。
そして、良い内容にするには、互いの信頼関係。
つまり、仲間だ。
あずささんはこんな俺にひたすら謝ってくれた。
だが俺はどうだ?
やれプライドだの、嫌われただの。
「君のような若者は、たくさんいるさ。
けれど、君には可能性を見出す事が出来た。
…だから、連れてきたんだよ」
「社長…」
「それに、まだ仲直りもできていないだろう?…おーい!あずさくん!」
社長の声とともに、たるき亭の奥から、あずささんが出てきた。
「あ、あずささん!?」
「プロデューサーさん…ごめんなさい」
あずささんは、ひたすら暗いままだ。
昼のあの時のまま。
どうしよう。恥ずかしくて言葉が出ない。
すると、あずささんが口を開いた。
「私、もうご迷惑かけません。だから、だから辞めないで下さい!」
…ああ。
俺はなにやってるんだ。
女の人にここまで言わせて。
もう、プライドなんか捨てちまえ。
女の人をここまで泣かせておいて、そんなもの持つ資格は無いんだから。
「…あずささん!!」
「はいい!!?」
俺はあずささんに近づき、渾身の、人生初土下座をやってみせた。
「すいませんでしたぁ!!」
「ぷ、プロデューサーさん!ダメですよ!悪いのは私なんです!」
「違うんです!俺のあの一言は、何も心もこもってない一言だったんです!ただのわるくちだったんです!!」
「プロデューサーさん…」
「プロデューサーさん、顔、あげて?」
あずささんの声に応じ、顔を上げると、あずささんの小さい拳が俺の頭にポン、と置かれた。
「じゃあ、これでお仕置き終わり、です♪」
「あ、あずささん…?」
あずささんは、俺をやさしく起こし、一緒に席に座った。
あずささんの顔が、心なしか赤い。
ああ、そういえば店の中だった。
「ゴホン!…あー、ビールが温くなってしまったようだね。
新しいのを持ってきてもらうかね」
「は、はい」
「じゃあ、すいません。三人分追加でお願いするよ」
「あ、あの社長、もしかしてですけど、俺の考えてた事、全部分かってました?」
「?そうだねぇ…まあ、若い頃は皆そうということさ!はっはっは!」
…この人、こうなることも分かってたんだな。
「…で、どうかね?続けてくれるかね?」
隣のあずささんがじーっと仔犬のような目で見てくる。
はは。決まってるじゃないか。
「…続けます、続けさせて下さい!!」
すると、社長はさっき俺から手渡された退職願を懐から出し、ビリッと破った。
「…!プロデューサーさぁん!!」
「うわっぷ!あずささん、その、む、胸が、胸が!」
ほんと、こんな人達、売れない訳がないのに。
きっと売れるはずだ。
これからは俺も、信頼する。
だから、成功するさ。きっと。
「じゃ、改めて、乾杯しようかな?」
「あ、そうだ、あずささん!」
「はい?何でしょうか?」
「ジョッキを持って、腰に手を当ててこっち向いてもらっていいですか?」
「は、はい。こうでしょうか?」
「「!!?」」
「いや~まさかあれが三浦あずさ大ヒットの第一歩になるなんてなぁ…」
「もう、あなた!その話はやめて下さい!」
あずさが腰に手を当ててジョッキの代わりにおたまを持っている。
そのポーズ、好きなんじゃないか?
「こ、これは、やりやすかっただけです!」
へぇー。そっか。
「なぁあずさ。俺の事は好き?」
「?当たり前じゃないですか?」
こりゃあ、売れますわ。
終
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