姉「もしかして男くんはお姉ちゃんのことあんまり好きじゃない?」(88)


がちゃ

姉「よっす!」

男「うん」

姉「『うん』って、テンション低いね男くん」

男「ノックもせず部屋に入ってきた姉ちゃんがいきなり『よっす!』って言ったら誰でもこんな感じになると思う」

姉「そんな方程式が成立したらお姉ちゃん悲しいよ」

男「うん。……ええと、何しに来たの?」

姉「いやあ、台風が来てて外に出るの怖いし、男くんの部屋で借りてきた映画でも見ようかと思ってね」

男「映画館に行ったほうがいいんじゃないの」

姉「いや、だから台風が来てるんだって。聞いてた?」

男「うん」

姉「それとも『このババア映画館へ向かう途中に台風で吹き飛べばいいのに』って思ったとか?」

男「まあ、多少は」

姉「怒るよ?」

男「ごめんなさい」


姉「仕方ない、許してあげよう。代わりにいっしょに映画見ようね」

男「最初からそのつもりで来てたくせに」

姉「さあさあ、リモコンを早く出しなさい」

男「はい」

姉「ありがと」

男「映画って、なに見るの?」

姉「元気の出る映画だってさ。ほのぼの感動作」

男「なんてタイトル?」

姉「ええと、ダンサー・イン・ザ・ダーク?」

男「ああ、うん。ダンサー・イン・ザ・ダークね、うん」


姉「知ってるの?」

男「パルム・ドール受賞作ばっかり見てた時期があったもんで」

姉「パルム・ドールってなに?」

男「カンヌ国際映画祭の最高賞」

姉「ふうん。男くんには相当暇な時期があったんだね?」

男「うるさい」

姉「じゃあ、これ見たことあるの?」

男「一回だけ」

姉「おもしろい?」

男「どうだろう」

姉「元気出る?」

男「まあ、ミュージカル映画だし、3パーセントくらいは元気になるんじゃないかな」

姉「わくわく」


20分後

男「……」

姉「……」

男「……」

姉「……ねえ」

男「なに」

姉「これほんとうにほのぼの感動作?」

男「いや、ぜんぜん違うけど」

姉「えっ?」

男「うん」

姉「いや、『うん』じゃなくて」


さらに2時間後

姉「……えっ? 終わり?」

男「元気出た?」

姉「いや、ぜんぜん。聞いてた話とぜんぜん違うんだけど……」

男「なんて聞いてたの」

姉「『弱視の女性と息子との日常を描いたほのぼの感動作!!』って」

男「誰が言ってたの?」

姉「友だちが」

男「ふうん」

姉「だまされた?」

男「かもね」

姉「なんかショックだよ。だまされたことよりも映画の内容がショッキングだよ」


姉「はあ……」

男「どしたの」

姉「憂鬱さね……」

男「なんで訛ってるの」

姉「方言でしゃべると女子力高そうに見えるじゃろ……」

男「そうかな。ていうか女子力高いってどういう状態なんだろう」

姉「方言を話すことと、魚を三枚におろせることに決まっとるじゃけん……」

男「えっ? そうなの?」

姉「えっ? ちがうの?」

男「いや、知らないけど。姉ちゃん、魚三枚におろせるの?」

姉「修行中」

男「じゃあ女子力低いの?」

姉「せやねんなあ……。うちまだまだやねんなあ……」

男「ふうん」


男「前から気になってたんだけどさ、女性はいつまで女子なの?」

姉「どういうこと?」

男「いや、女子会ってあるじゃん」

姉「うん」

男「30代でも40代でも女子会とか言う人がいるじゃん。それってどうなんだろうって」

姉「『おじさんの心はいつでも少年のままだよ』ってやつとおんなじだよ。心はいつまでも女子だよ」

男「姉ちゃんも?」

姉「もちろん。ていうかわたしまだ20になったばっかりだし」

男「いや、でも20じゃん。成人じゃん。それでも女子なの?」

姉「うん」

男「そうなんだ」


姉「映画終わっちゃったし、つぎはなにをしようかなあ」ゴロゴロ

男「用がないんだったら部屋に帰ればいいのに」

姉「えー。男くんもどうせ暇でしょ?」ゴロゴロ

男「どうせって。まあそうだけどさ」

姉「だったらお姉ちゃんの暇つぶしに付き合ってよ」ゴロゴロ

男「もう2時間も付き合ったんだけど」

姉「一日は長いんだよ。特に日曜日の午前は時間が経つのが遅い」ゴロゴロ

男「だからって朝から俺の部屋に来てごろごろしなくても」

姉「ほかに行くところがない」

男「自分の部屋で寝てればいいんじゃないの」

姉「冷たい。男くん、スーパー冷たい。ドライアイスみたい」


男「ドライアイスでもなんでもいいけどさ、もうお昼だよ」

姉「えっ? お昼にドライアイス食べるの?」

男「誰もそんなこと言ってないよね?」

姉「『ドライアイスでもなんでもいい』って」

男「『お昼ごはんはドライアイスでいい』とは言ってない」

姉「だよね。びっくりしたよ」

男「こっちがびっくりするよ」

姉「なに食べるの?」

男「うーん、カップ麺かなあ」

姉「作ったげようか?」

男「カップ麺を? 百福さんみたいに?」

姉「ちがう。お昼ごはんを」


男「姉ちゃんって料理できるの?」

姉「修行中だよ」

男「やっぱり料理も女子力につながるの?」

姉「5パーセントくらいは、たぶん」

男「得意料理は?」

姉「オムライス」ドヤァ

男「そんじゃあきょうはなにを作ってくれるの?」

姉「それは冷蔵庫の中を見てみないことにはなんとも言えないね」


姉「チャーハン作るよ!」

男「チャーシューもベーコンもハムもないけど」

姉「お肉はウインナーで行くよ!」

男「パラパラにできるの?」

姉「炒める前に卵とあったかいご飯を混ぜておくといいって陳さんが言ってた」

男「ふうん。俺にはよく分かんないけど、がんばって」

姉「手伝ってくれたりしない?」

男「俺なんかが手伝っても邪魔だと思うけど」

姉「そんなことはないよ。玉ねぎだけ切ってほしいなあ」

男「玉ねぎ切りたくないの?」

姉「カエルの天敵ってなんだと思う?」

男「はあ? うーん……ヘビとか?」

姉「お姉ちゃんの天敵ってなんだと思う?」

男「……玉ねぎ?」

姉「せいかい。さすが男くん。お姉ちゃんマスターだね」


姉「はい、玉ねぎ。わたしはそれ以外を切るから」

男「どんなふうに切ればいいの?」

姉「どんなふうって、ふつうにどうぞ。ご飯と同じくらいの大きさにね」

男「わかった」ザクザク

姉「いや、まずは皮を剥こうよ」

男「……」ペリペリ

姉「ふつう玉ねぎって皮剥いてから切らない?」

男「玉ねぎの常識なんか知らん」ペリペリ


男「剥けたから切るよ」

姉「洗ってからね」

男「……」ジャー

姉「洗えたら切ってね」

男「……」ザクザク

姉「……」ジー

男「……」ザクザク

姉「あっ……」

男「なに」

姉「いや、左手をね、こう、猫の手みたいにして玉ねぎ持ったほうがいいよ」ニャー

男「なんで?」

姉「学校で教わらなかった? 指切っちゃうよ?」

男「……」ザクザク


男「いつまで見てるの?」ザクザク

姉「男くんがまさかの料理できない男だったから心配で」

男「だいじょうぶだって。どんと来い」ザクザク

姉「男くんも立派になって……。お姉ちゃん泣けてきたよ」

男「それは玉ねぎのせいじゃないかな」ザクザク

姉「男くんも泣いてる。誰だ泣かせたのは」

男「玉ねぎ」ザクザク

姉「えいっ」パシャッ

男「なんで写真撮るの」

姉「明日みんなに男くんの泣き顔を見せてあげようっと」

男「やめろ」


男「玉ねぎ切れたよ」

姉「おめでとう。これで男くんも女子力アップだよ」

男「あとはもう知らん」

姉「よし。じゃあいまからウインナー切るよ!」

姉「でーでーでーででーでーでーでー」

男「なにそれ」

姉「お料理BGM」

男「それ必要なの?」

姉「もちろん」

姉「きづかれーなーいでーとどーめーをーさーす」トントン

姉「どのじーだーいもーいーきのびてーきたー」トントン

男「容赦ないね」


姉「でけたよ。あっ、チャーハンできたよ!」

男「べつに言い直さなくても」

姉「へいお待ち」コトン

男「いい匂い」

姉「おいしそう?」

男「匂いと見た目はおいしそうだけど」

姉「食べてみてよ」

男「言われんでも食べるわい」

姉「おっ、方言で女子力上げていく感じだね?」

男「いや、ぜんぜん違うけど。そもそもいまのって方言なのかな」


男「うまい」モキュモキュ

姉「ほんと? よかった」

男「なんか悔しい」モキュモキュ

姉「なにゆえ?」

男「わからないけど悔しい」

姉「料理、教えたげようか?」

男「いらない」

姉「拗ねてる」

男「拗ねてない」


* 昼食後


姉「13時だよ」

男「うん」

姉「なにする?」

男「自分の部屋に帰るって選択肢はないの?」

姉「?」

男「なにその『は? なに言ってんだこいつ?』みたいな顔」

姉「だって、部屋に戻ったってゲームしかやることないし」

男「すればいいじゃんゲーム」

姉「ボスに勝てないの。ゼロシフトだけじゃやってられないよ」

男「知らないよ」


姉「あっ、そうだ。将棋しようよ、将棋」

男「なんで将棋」

姉「ちょっと前に友だちの家で三月のライオンを読んだの」

男「ゲームしたり漫画読んだり映画見たり料理したり、大変だね」

姉「流されやすい性格なもんで」

男「誰かから影響されてるんだ?」

姉「そうそう、いろんな人から。さあ、将棋盤と駒はどこかな」ガサゴソ

男「たぶんそっちの引き出しの中だと思うけど」

姉「どれどれ」ガラガラ

姉「ほんとだ、あったよ」


姉「ほこりまみれだね」フー

男「家だと将棋なんて誰もしないからね」

姉「むかしはよくやったのにね。わたしと男くんで」

男「そうだっけ」

姉「男くんそんなに強くないのに負けると拗ねたよね」

男「オボエテナイナー」

姉「そのくせ半泣きで何回も挑んできたよね」

男「もうこの話やめよう。おねがいだからやめて」


姉「どうする?」

男「どうするって、将棋を指すんでしょ」

姉「こういうのはどうだろう?」

男(いやな予感がする)

姉「負けたほうが、勝ったほうの言うことをなんでもひとつ聞く」

男「却下」

姉「即決? なぜ?」

男「どうせ負けるし」

姉「あれはもう何年も前のことだし、いまはどうなるかわからないよ?」

男「いやなもんはいやだ」


姉「でも考えてもみてよ」

男「なにをさ」

姉「男くんが勝ったらさ、お姉ちゃんにあんなことやこんなことを要求できるわけだよ」

男「色気が微塵もない姉ちゃんにそんなこと要求したって仕方ないと思う」

姉「えっ、色気って。なにを要求するつもりだったの?」

男(こいつ……)

姉「ていうかお姉ちゃんそんなに色気ない? かなしい」

男「弟だからそう見えるだけかもね。他人から見ればあるいは」

男「……まあなんでもいいけど、やるんならさっさとやろうよ」

姉「よっしゃ」


男「参りました」

姉「勝った」

男「こうなるってわかってたのに。こうなるってわかってたのに……」

姉「じゃあ言うこと聞いてもらうからね?」

男「くそう……」

姉「どうしてやろうかなあ、ぬふふ」

男「……」

姉「うーん……」

男「……」

姉「思いつかない……」

男「……保留ということにしておけばいいんじゃないの?」

姉「そうだね、そうする」


姉「一日は長いよ。つぎは何をしようか?」

男「部屋に戻るという選択肢はないの?」

姉「どうしても男くんはお姉ちゃんをこの部屋から追い出したいの?」

男「いや、べつに追い出したいというわけではないんだけどさ」

姉「そうなの? それを聞いてちょっと安心したよ」

男「あっ、そうだ。いいこと思いついた」

姉「なに?」

男「姉ちゃんの部屋でゲームしよう」

姉「うん、悪くないかもしれない」


男「姉ちゃんの部屋って、女の部屋にしては殺風景すぎるような気がする」

姉「男くんは女の子に対して幻想を抱きすぎているんだよ」

男「そうなのかな」

姉「彼女の部屋とか行かないの? あっ、もしかして彼女の部屋はもっと華やかな感じなの?」

男「どうして俺に彼女がいると思うの?」

姉「あれ、いないの?」

男「いない。逆立ちしてもいない。姉ちゃんは? 彼氏いるの?」

姉「いない。でも逆立ちすれば見つかるかもしれない」

男「いないんだ?」

姉「そうなんだよねえ」

男「いままでにいたことは?」

姉「ないんだよねえ」


姉「わたしのボーイフレンドは男くんとガジュマルくんだけだよ」

男「ガジュマル?」

姉「観葉植物。ちっちゃいやつね。美脚なんだよ」

男「観葉植物が友だちって、レオンみたい」

姉「うん。まあよくわかんないけど」

男「そっか、彼氏いないんだ。意外かも」

姉「そうかな?」

男「姉弟フィルターを取り除いてから改めて見ると、姉ちゃんはわりと美人な部類に入ると思う」

姉「褒めてもさっきの約束は失くならないよ。言うことをひとつだけ聞いてもらうからね」

男「くそう……」

姉「でもありがとね。うれしいよ。たとえ嘘でもね」


男「いまのでよろこんでたらいつか男に騙されると思う」

姉「だいじょうぶだよ。わたしを誰だと思ってるの」

男「でも、そういうひとが騙されるんだって。自分だけはだいじょうぶだってひとがさ」

姉「自分だけは事故を起こさないって思ってるひとが事故に遭うもんね」

男「たぶんそんな感じ。それに姉ちゃんはもうすでに一回騙されたし」

姉「さっきの男くんの言葉はぜんぶうそだったの?」

男「いや、ぜんぶが嘘というわけではないけどさ」

姉「どれくらいが嘘だったの?」

男「……2割くらい?」

姉「じゃあ8割は本心なの? うれしい」

男「……この話終わりにしない?」

姉「なぜ?」

男「はずかしいんだけど」


姉「いままで散々はずかしい台詞を吐いてきたくせになにを今更はずかしがってるの?」

男「ぐぬぬ……」

姉「ほかの女の子にもこうやって言ってるんでしょ? 『やあ、きょうもかわいいね』みたいにさ」

男「姉ちゃんは男に幻想を抱きすぎている気がする。あるいは映画の見過ぎ」

姉「そう?」

男「それに俺がそんなふうに声をかけたら、声をかけられた女の子が不登校になる」

姉「さすがにそれは言いすぎでしょ」

男「かもしれない。いや、でもどうだろう」

姉「そこまでひどくないと思うよ、男くん。お姉ちゃんはいいと思うよ。耳とか眉毛とか」

男「ありがとう」


姉「あっ、雨止んでるね。風も弱まってる感じ」

男「もう行っちゃったのかな、台風」

姉「みたいだね。せっかくだから出かけようか?」

男「どこへ?」

姉「うーん、映画館とか? どう? 男くんも来る?」

男「うーん、どうしようかなあ……」

姉「きょうだけは、お金を出したげる」

男「まじ? じゃあ行こうかな」

姉「ちょろい」

男「世の中はお金だってお偉いさんが言ってた」

姉「なんか夢がないよね、そういうのって」

男「俺は夢よりも映画が見たい」


男「そんで、映画館まではどうやって行くの? 電車? バス?」

姉「車で行こうと思う。だからお父さんから鍵借りないと」

男「だいじょうぶなの? 俺、生きて家まで帰ってこれる?」

姉「お姉ちゃんの運転が荒いと思ってるわけ?」

男「いや、だって免許取ったばっかりだし、ちょっとこわいんだけど」

姉「だいじょうぶだいじょうぶ。細心の注意を払って安全運転するから」

男「フリにしか聞こえないんだけど……」

姉「だいじょうぶだって、たぶん」





姉「べいびーゆーきゃんどらいぶまーいかぁー」

男「運転うまいね」

姉「せんきゅー! いぇさいごなびーあーすたー」

男「道も空いてるし、これなら事故の心配もなさそう」

姉「べいびーゆーきゃんどらいぶまーいかぁー、あんめいびいあいうらーぶゆー」

男「……これなんて曲? なんかすごいレトロな感じだけど」

姉「ドライヴ・マイ・カー。ビートルズの」

男「ああ、ビートルズ。どうりで」

姉「びーびーぷびーびーぷいぇー」


姉「映画館に着いたのはいいけど、なにを見ようか?」

男「べつになんでも」

姉「あれは? 男くんの好きなパルム・ドールは?」

男「べつに好きというわけでは……まあいいや」

男「去年のパルム・ドール受賞作が今やってるはずだけど、この映画館じゃ上映してないんじゃないかな」

男「上映してたとしてもいまは見ないけどさ」

姉「なんで?」

男「えっ、いや、ほら、ええと、またダンサー(以下略)みたいに暗い内容だったらあれだし」

姉「パルム・ドールっていうのはダンサー(以下略)みたいな話ばっかりなの?」

男「ばっかりではないけど、まあ、ちょっと偏ってるというか、そんな感じじゃないかな」

姉「ふうん」


姉「じゃあ何を見ようか」

男「姉ちゃんの好きなやつで。ていうかふつう『これを見る』って決めてから映画館に来るよね」

姉「じっとしていられない性格なもので。マグロみたいなもんだよ。止まったら死ぬ」

男「だからってこんな無計画。マグロでももうちょっと考えてるよ」

姉「ちょっと黙ってて男くん。そんなのだから彼女ができないんだよ」

男「いやそれは関係なくね?」

姉「冗談だよ。そんなにムキにならなくてもいいじゃない」

男「ぐぬぬ……」


男「……なに見るか決まった?」

姉「決まったよー。あれにしよう」

男「じゃあさっさとチケット買おう」

姉「そしたらポップコーンを買おう」

男「……もしかしてポップコーン食べたかっただけなの?」

姉「男くんと映画が見たかったの」

男「へ、へえ」

姉「嘘だよ」

男「ああ、そう」


姉「だまされた?」

男「まんまと」

姉「でも7割くらいは本心だよ」

男「ちょっとうれしいかも」

姉「いまのも嘘だよ」

男「ああ、そう」

姉「男くんも、いつか女に騙されるかもね」

男「これからはもうちょっと注意深く生きることにするよ」





男「おもしろかったね、映画」

姉「そうだね。ポップコーンもおいしかったし、お姉ちゃんは大満足だよ」

男「映画始まる前に平らげちゃうのはどうかと思うけど」

姉「手が勝手に動くんだよね」

男「姉ちゃんの身体の中にはポップコーン好きのハリガネムシでもいるんじゃないの」

姉「きもちわるいこと言わないで」


男友「お?」

男「うわあ」

姉「どしたの?」

男「鬱陶しいやつに見つかった」

姉「誰?」

男「知り合い。あれ、まっすぐこっちに歩いてくるあれ」

姉「ああ、あの男の子。なんかうれしそうだね」


男友「おっす。こんなところでなにしてんだ」

男「なにって、映画見るに決まってるじゃないか。そっちこそなにしてんだ」

男友「映画見に来たに決まってるだろ」

男「ひとりで?」

男友「いや、友だちとふたりで。お前は?」

男「俺は、ええと、姉ちゃんとふたりで」

男友「姉ちゃん? お前シスコンなの?」

男「なんで姉ちゃんといっしょに映画見に来てたらシスコンになるんだよ」

男友「いや、だって高校生だぞ、お前」

男「だからなんだよ、そんなの関係ないだろ」

男友「まあいいけどさ。お前の姉ちゃんはどこにいるの?」

男「ここ」

姉「どうも、姉ちゃんです」

男友「えっ、あっ、どうも」


男友「……なあ、男。ちょっと話があるんだけど」

男「それ長くなる?」

男友「40秒で済む。だからちょっとこっちに来てくれ。頼む」

男「ということらしいから、ちょっと行ってくる」

姉「うん。ここで待ってるからねー」


男友「あれ、ほんとうにお前の姉ちゃんなの?」

男「そうだけど」

男友「こんな冴えないやつとあんなかわいい人が同じ人間の腹から生まれてくるとは思えない」

男「姉ちゃんと母さんに謝れ」

男友「お前シスコン兼マザコンなの?」

男「家族のことをばかにされたら誰だって気分悪いだろ」

男友「ばかにしたつもりはなかったんだけど」

男「……なに? わざわざそれを言うためだけに俺を連れてきたの?」

男友「いや、そうじゃなくて、お姉さんを紹介してくれ」

男「やだよ。どうしても仲良くなりたいんだったら自分から話しかけろよ」


男友「メールアドレスだけでも教えてくれない?」

男「直接訊けよ」

男友「そんなハードル高いことできねえよ」

男「メールアドレスだけでもって、個人情報流出だとか言われそう」

男友「誰に」

男「姉ちゃんに」

男友「それくらいどうってことないって。な? ここはひとつ、大事な友だちが困っていると思って」

男「」イラッ

男友「頼む!」

男「わかった、わかったよ」

男友「サンキュー!」

男「いちおう姉ちゃんに教えてもいいか訊いてくるから、待っててくれ」

男友「おう」


姉「話、終わった?」

男「終わった。だからさっさと帰ろう」

姉「そうだね。もうけっこういい時間だし、帰ったらちょうど夕飯かな」

男「あんまりお腹減ってないけどね」

姉「ポップコーン食べ過ぎ」

男「姉ちゃんに言われたくない」


姉「男くん。さっきの子、嫌いなの?」

男「なんでそう思うの?」

姉「なんかめずらしくツンツンしてたというか、苛々してたように見えたから」

男「そうかな」

姉「男くんって顔に出るタイプの人だからね」

姉「たのしくない時は目がしょんぼりするかきゅっとなって、口元だけで笑うんだよ」

姉「あと言葉遣いもちょっと荒かったし」

男「気がつかなかった」

姉「わたしは男くんよりも男くんのことを知ってるからね」

男「そんなことはないと思う」

姉「どうだろうね?」


男「さっきのあいつ、姉ちゃんのメールアドレスを知りたがってた」

姉「教えたの?」

男「教えてない」

姉「個人情報流出とかだったらお姉ちゃんちょっと怒ってたかもよ」

男「でしょ。あと、あいつと関わってほしくないし。それに、あいつと話してるとなんか……」

男「ずけずけと深いところまで入ってきて、好き放題荒らされてるみたいな感じがしてさ」

男「大して仲良くもないのにこういう時だけ友だちとか言って、気分が悪いからさっさと切り上げてきた」

姉「男くんもややこしい時期なんだね。思春期?」

男「自分でもよくわかんないから俺よりも俺のことを知ってる姉ちゃんの想像に任せる」

姉「まわりくどいというか、素直じゃないなあ」


* 夕食後

がちゃ

姉「よっす!」

男「よっす」

姉「コンビニ行こう! スーパーでもいいよ!」

男「なんで」

姉「お酒を買いに行くのさ!」

男「だったら俺は行かなくてもいいんじゃないの」

姉「男くんはわたしに夜道をひとりで歩けって言うんだ?」

男「車あるんじゃないの?」

姉「お父さんが乗って行っちゃったからないよ」

男「父さんどこ行ったの?」

姉「さあ、お母さんといっしょに出かけたけど」

男「ふうん。もしかするとあれかな」

姉「あれだろうね、たぶん」


男「お酒って、姉ちゃんが飲むの?」

姉「そうだよー」

男「へえ、お酒飲むんだ。知らなかった」

姉「普段はそんなに飲まないけど、たまにはいいかなあと思ってね。男くんも飲む?」

男「いや、未成年だし」

姉「そんなんだから彼女ができないんだよ」

男「姉ちゃんだっていないじゃん」

姉「いや、でもお姉ちゃんにはそろそろ素晴らしい出会いが訪れるような気がする」

男「ああ、そう。そう言われると俺もそんな気がしてきた」

姉「さあ立って、財布持って」

男「分かったからちょっと待って」


姉「むしむしするね、外」

男「こんな時季の雨上がりだし、こんなもんじゃないの」

姉「あづい。アイス食べたい」

男「買えばいいじゃん」

姉「お酒も飲みたい」

男「両方買えばいいじゃん」

姉「どっちか買ってくれたりしない?」

男「アイスなら」

姉「ハーゲンダッツ?」

男「ガリガリ君」

姉「ケチ。そんなんだから彼女できないんだよ」

男「そうかもね」


姉「コンビニって思ってたよりも遠いね」

男「こんなもんでしょ。普段から車やら原付きやらで移動してるとそう思うようになるんじゃないの」

姉「脚が棒になって暑くて身体が溶けそう」

男「溶ければいいと思う」

姉「メールトーとーけーてーしーまーいーそー」

男「夜道で唄うと変質者に間違えられるから気をつけたほうがいいよ」

姉「職質された時に男くんを指差して『この子に唄えって言われました』って言ったらどうなるの?」

男「アホな姉弟だなあと思われるだけなんじゃないの」


姉「ねえ、ほんとうにガリガリ君しか買ってくれないの?」

男「財布が氷河期なもので」

姉「嘘ばっかり」

男「じゃあハーゲンダッツにする」

姉「さすが男くん」

男「映画代を出してもらったし」

姉「2つほしいなあ」チラッチラッ

男「じゃあ3つ買おうかな」

姉「おっ、なんかワタナベくんっぽい返しだね。男くんもアイス食べるの?」

男「食べない」

姉「ありがとさん」


姉「メールトーとーけーてーしーまーいーそー」

男「アイスが」

姉「そうそう。でもちょっと溶けてるくらいがちょうどいいよね」

男「ガリガリ君とかの棒アイスだともう悲惨なことになる一歩手前だけどね」

姉「棒アイス。……忘れはしない、あれはわたしが10歳の頃だった」

男(なんかはじまった)

姉「家の中にいても蝉の鳴き声がじいじいと聞こえてきて」

姉「外に立てば全身の穴から汗が噴き出すような猛暑日のことだった」

男「うん」

姉「あの日わたしはおばあちゃんの家でオレンジ味のアイスを食べていた」

男「うん」

姉「オレンジ味のアイスはわたしの大好物だった……あの事件が起こるまでは」

男「長い前置きは好きじゃない」

姉「でもいまのよくなかった?」

男「いや、全然」


男「姉ちゃんの話が長いからもう家に着いちゃったよ」

姉「まだ大事なところを話してないのに」

男「姉ちゃんが酔っぱらってから聞くよ」

姉「酔っぱらったお姉ちゃんをナメないほうがいい」

男「そんなに酒癖悪いの?」

姉「見てからのお楽しみということで」

男「ちょっとこわいんだけど」

姉「お風呂入った後、耳の奥から手ェつっこんで奥歯ガタガタいわしたるで!」

男「お手柔らかに」


* 入浴後


姉「アイスを食べるべきか、お酒を飲むべきか、それが問題だ」

男「アイスは明日でもいいんじゃないの」

姉「でもせっかく男くんが買ってくれたんだし」

姉「それに、早く食べないとお母さんに食べられちゃいそう」

男「名前でも書いとけばいいんじゃないの」

姉「そうしようっと」キュッキュッ

男「そうまでして食べられたくないんだ」

姉「男くんがわたしに買ってくれたからねー」


姉「男くんもなにか飲まないの?」

男「ポンジュース」

姉「持ってくるねー」

男「いいよべつに、自分で行くから」

姉「まあまあ、アイスのお礼だって」

男「映画のお礼のアイスなのに、それにまたお礼されても困るんだけど」

姉「またアイス買ってくれればいいよー」

男「それはなんか納得いかない」


姉「ポンジュースは冷蔵庫に入ってなかったよ」

男「うん」

姉「でも炭酸バージョンが入ってたから持ってきたよ」

男「ありがとう」

姉「さあだらだらするぞー、なんかおもしろいテレビ番組やってないかな」

男「日曜洋画劇場とかは?」

姉「なにやってるの?」

男「さあ」

姉「どれどれ」ポチポチ

男「これは洋画じゃないパターンのやつだ」

姉「邦画?」

男「うん」

姉「そっかあ。まあなんでもいいや」


姉「んん」チビチビ

男「おいしいの? お酒って」

姉「飲む?」

男「どうしようかな」

姉「お姉ちゃんもすなる飲酒といふものを、男くんもしてみむとてするなり?」

男「なにそれ」

姉「土佐日記の冒頭らしき何か」

姉「いやまあそんなことはどうでもいいんだよ。飲む? 飲まない?」

男「うーん、やめとこうかなあ」

姉「真面目か!」

男「姉ちゃんに言われたくない。姉ちゃんだって成人するまできっちり飲まなかったくせに」

姉「真面目だ!」

男「はいはい」


姉「小腹が空いた」

男「お酒とアイスのついでに何か買っておけばよかったのに」

姉「ホタルイカが食べたい。辛子酢味噌で」

男「なんか女子大生のチョイスにしては渋い気がする」

姉「いや、こんなもんでしょ」

男「そうなんだ?」

姉「そう。勉強になったね。だから男くんも彼女ができたらホタルイカを辛子酢味噌で食べさせてあげるといいよ」

男「わかった。いや、たぶん彼女はできないだろうけど、もしかしたら何かの役に立つかもしれないから覚えとくよ」


姉「気分がよくなってきた。ゲッティング・ベターだよ。いつげってぃんべったろーうざたーむ」

男「あんまり変わってないように見えるけど」

姉「そう? 顔赤くなってたりしない?」

男「たぶん」

姉「ほんとう? もっと近くで見てみてよ」

男「近くで見たって変わらないと思うんだけど」

姉「いいからいいから」グイグイ

男「痛い痛い、ひっぱらないで」


姉「うわっ、男くんの腕太いね」ベタベタ

男「姉ちゃんのが細すぎるだけなんじゃないの」

姉「手もごつごつだ」ギュッギュ

男「なんで揉むの」

姉「やわらかくしてあげようと思って」ギュッギュ

男「どうもありがとう」

姉「うん」スリスリ

男「こ、今度は何?」

姉「手の甲に頬ずりするのが好きなの。これは良い手の甲だ」スリスリ

男「そ、そうなんだ」


姉「でもお姉ちゃんは男くんの耳がいちばん好きだなあ」

男「耳、耳ねえ……」グニグニ

姉「かたちが良い。触り心地もいいし、耳たぶもやわらかい。だからピアスなんかぜったいにやっちゃだめだよ」

男「よくわからん」

姉「ふー」

男「うへぇ」

姉「ぺろぺろ」

男「ぬわああ」


男「酔っぱらってるね」

姉「そうかな? 顔赤い?」

男「いや、顔はあんまり赤くないけどさ」

姉「どっかおかしい?」

男「かなりボディタッチが増えたと思う」

姉「いや?」

男「いやではないけど、外で飲む時は気をつけたほうがいいと思う」

姉「わかったよー」


姉「もう1時間もすれば月曜日だねえ」

男「憂鬱さね」

姉「んだんだ、わや憂鬱だべ」

男「わや?」

姉「『すごく』とか『とても』って意味」

男「その都道府県民じゃないのに方言をおぼえる必要ってあるの?」

姉「それを言っちゃあおしまいだよ男くーん」ガバッ

男「うわっ、抱きつかないで」

姉「男くんの背中は大きいねー」

男(姉ちゃんの胸も大きいねー)

姉「耳ぺろぺろ」

男「だああああ」


姉「ぬふふ」

男「なにニヤニヤしてんのさ」

姉「いやあ、たのしいなあと思って」

男「お酒ってこわい」

姉「でも、こうやって男くんの部屋でお酒を飲む回数ももうあとちょっとかもよ」

男「なんで?」

姉「わたしが誰かと結婚したら、ここを出て行くかもよっていう話」

男「ああ、そういう。相手もいないのにそんなこと言って」

姉「すぐに見つかるさー」

男「だろうとは思うけどね」

姉「おー? きょうはあったかいねー男くーん」ペシペシ

男「うん、おでこ叩かないで」ペシペシ


姉「そろそろ寝ちゃおうかな、ねむい……」

男「おやすみ」

姉「やっぱり男くんは男くんだった。冷たい……」モゾモゾ

男「いやいやいやいや、なんで俺のベッドに潜り込んでるの?」

姉「ねむいから」

男「自分の部屋で寝てよ」

姉「遠いもん」

男「この部屋を出て向かいにある戸を開ければいいだけなのに何が遠いんだ」

姉「いや遠いよ、果てしないよ。だからいっしょに寝ればいいよ。べいびーかもん!」

男「それはいろいろとまずいと思う」

姉「なにゆえ? 姉弟だし、そういうことは大して問題ではないと思うけど」

男「いや、さすがに姉弟でもそれはちょっと……」

姉「あっ、顔赤い。ポンジュースで酔ったの?」

男「だいたいそんな感じ」


男「とにかく自分の部屋に帰ってよ」

姉「いやじゃー、いやなのじゃー」

男「だったら俺はどこで寝ればいいのさ」

姉「だからいっしょに寝ようって言ってるのにー」

男「姉ちゃんがそこで寝るんなら俺姉ちゃんの部屋のベッドで寝ていいかな」

姉「それはだめだー」

男「はあ……」

姉「男くん、まさか忘れたわけじゃないよねー」

男「はあ? 何を?」

姉「将棋。負けたら言うこと聞いてくれるんだったよねー」

男「あー、そういやそんなこともあったかなあ……」


姉「言うこと聞くよね? そういう約束だもんね?」

男「そうだけど……ほんとうにいいのかなこれ。やっぱりまずいでしょ」

姉「本人がいいって言ってるんだからいいんだって」

男「まあ、姉ちゃんがそう言うのなら……。でもせっかくの約束をこういうことに使うのはもったいなくないかな」

姉「いま言っておかないと忘れちゃいそうだからねー」

男「そのまま忘れてくれればよかったのに」

姉「酔ったお姉ちゃんをナメないほうがいい」


男「じゃあ、し、失礼します」モゾモゾ

姉「まあこれ、元々は男くんのふとんだけどねー」

男「……あー、やっぱりだめな気がする!」

姉「逃がさんよー」ガシィ

男「あー」

姉「耳ペロ」

男「うひい」

姉「身体おっきいねえ」ペタペタ

男「ど、どういたしまして?」


姉「よきかなよきかな」

男「もしかしてこのまま寝るの? 後ろから俺に抱きついたまま?」

姉「うん」

男「お酒ってこわい」

姉「男くんの背中すき。よくきょうはよく眠れそう」スリスリ

男「そういうもんなのかな。俺は眠れなさそうなんだけど」

姉「男くんは好きなひとが近くにいるといい気分にならない?」

男「どうだろう。よく分かんない」

姉「もしかして男くんはお姉ちゃんのことあんまり好きじゃない?」

男「そんなことはないよ。でもそれとこれはべつの話だと思う」

姉「愛と性欲の違いみたいな話?」

男「そうそう、まさにそんな感じ」


姉「電気消していい?」

男「うん」

姉「んん、暗い」スリスリ

男「そりゃね」

姉「男くん、お父さんの匂いとそう遠くない匂いがするね」スンスン

男「うそ、ほんとうに? ちょっとショックかも」

姉「加齢臭とかじゃなくてね、なんか近い感じがする」

男「いまの加齢臭ってワードを姉ちゃんの口から聞いたら父さんはすごく落ち込むだろうね」

姉「うっかり言わないように気をつけるね」


姉「んん」スリスリ

男「そんなに頬を擦りつけたら匂いがうつるかもよ」

姉「ないない」スリスリ

男「どうかな」

姉「ないでしょー……」スリスリ

男「……もしかしてかなり眠かったりしない?」

姉「うーん……」スリスリ

男「……おやすみ」

姉「おやすみー……」


* 朝

姉「」zzz

男「」zzz

姉「」zzz

男「……んん」

男「はっ」パッチリ

姉「んんう……」zzz

男「……」

姉「んふう……」zzz

男「はあ……」


母「おーい? 男ー? 起きろー」コンコン

男「えっ」

がちゃ

母「あっ、起きてる。めずらしい。ところでねえ、お姉ちゃんが部屋にいないんだけど……」

男「ええと、うん、まあ……」

母「えっ、誰その子。彼女?」

男「いや、その、姉ちゃんだけど……」

母「えっ。あっ、ほんとだ。……いやいや、ちょっと待って。あんたまさか……」

男「いや、ちがうんだって」


母「ああ、うん、だいたいわかった、うん」

男「なんで後退りするのさ。たぶん母さんはなんにもわかってない」

母「だいじょうぶだいじょうぶ、ちゃんと分かってるから。母さんはあんた達の味方だからね、うん」

男「ちがうって言ってるのに……」

母「ええと……。あー……」

男「はあ……」

母「……末永くお幸せに?」

男「ちがう!」

姉「むうう……」zzz


おわれ

世界の合言葉は姉スレ

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