真「なごり雪歩」 (17)

 券売機で切符を買ってから気付いた。
去年は入場券だけ買って、このホームに来たことを。

「もう一年か」

 漸く温かくなりはじめた風に、ボクは独り言を浮かべた。
返事をするようにアナウンスがホームに流れた。
ガタガタと電車がホームに滑り込む。
ボクの他にホームに居る人は二、三人だけだ。

 ドアを潜って、窓際の席に腰を下ろす。

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「一年か」

 改めて口にしてみる。
一年間、プロデューサーの下でアイドル活動をこなしてきた。
で、その仕事の出来は我ながら良い線行ってると思う。
最初はアイドルにあんまり良い顔しなかった両親も、
近頃じゃボクの活動をむしろ楽しみにしてくれているようだった。
事務所で他のアイドルが仕事に行くのをぼーっと眺めていたころに比べれば、すごく良い仕事をできている。

 だけど、それじゃ足りなかった。

「雪歩と一緒なら良かったんですけど」

 プロデューサーに一度だけ零したことがある。
彼はちょっと寂しそうに

「僕もそう思う」

と言った。

 雪歩とボクはデュオとして売り出される予定だった。
だった、というのは、実際にデビューする直前にユニットは解消されてしまったのだ。
思わず溜息が出る。

「雪歩、ストーカー被害にあってるらしいんだ」

 プロデューサーはボクにこっそりと言った。
訊くと他のアイドルには話していなくて、知っているのはプロデューサー、社長、小鳥さんだけらしい。

「なんでボクには話したんです」

「メンバーだろ」

 プロデューサーはそう言ってから、付け足した。

「雪歩、アイドルを辞めることになるかもしれないから……君にはあらかじめ話しておくべきかと思って」

 ストーキングされて、どうしてアイドルを辞めなきゃいけないですか。
なんて、訊けなかった。ただ、そうですかと返すのが精一杯だった。

 男性恐怖症の人の気持ちはボクには分からない。
だけど、想像してみて、すごく嫌な気持ちになった。
ただでさえ苦手なのにストーキングされて、しかもそれを忘れてアイドルなんて絶対できっこない。

 雪歩はそれから一月経たないうちにアイドルを諦めて、郊外の親戚の家に引っ越した。

 電話が鳴るのは怖いから、と、雪歩は引っ越し先の住所を教えてくれた。
この一年間、ボクらは手紙で連絡を取り合った。
雪歩の手紙の内容は家のことだったり、その日にあった楽しい事とか、偶に詩を書いて寄こしてくれた。

 真ちゃん、デビューおめでとう。

 アイドル活動についてボクはほとんど書かなかったのに、
デビューとCDの発売が決まって一週間後に来た手紙にはささやかな祝いの言葉が書いてあった。

 この間テレビで観たよ、とか、CD何回も聴いてるよ、とか。
雪歩がそういう手紙をくれる度、ボクは悲しくなった。
悲しくなる度、ありがとうと返事を書いた。

 本当なら雪歩も――

 そう思わずにいられなかった。

 ふと窓を見ると灰色の建物の影はなくなっていて、
クレヨンで描いたような緑色と水色が楽しげに灯っていた。

 一年前の春、雪歩もこの車窓から同じ景色を見たんだろうな。

 一年前の春、ボクはこの景色を見に立つ雪歩を見送った。

「東京で見る雪はこれが最後だね」

 寂しそうに呟く雪歩の髪に、ちらちらと季節外れの雪がくっついた。
それを払ってあげると、雪歩はくすぐったそうに首をすくめた。

 ボクは何か言おうとしていた。だけど何も言えなかった。

 空間を破って、発車を知らせる警笛が鳴った。

「乗らなきゃ」

 雪歩の肩をとんと押した。雪歩は慌てて電車に乗り込んだ。
窓際の席に座った雪歩が、ガラス越しにボクを見ていた。
雪歩の唇がさようならと動くことが怖くて、ボクは下を向いた。

 音が冷え固まって落ちるように、足元で雪が落ちては溶けた。

 終点を知らせるアナウンスが車内に流れて、ボクははっと顔を上げた。
電車が減速して、慣性がボクの背中をシートから離した。

 電車を降りると春のうららかな空気と、雪歩のお父さんがボクを迎えてくれた。

「こんにちは」

 ぺこりと頭を下げると、雪歩のお父さんはその二倍も低く頭を下げた。
そして、無言でホームから出るようにボクを促した。

 その日の昼下がりに、一年ぶりにボクは雪歩に出逢った。
箱の中に眠る雪歩はきれいだった。

 雪歩は去年よりずっときれいになった。

 雪歩に花を捧げた。

 ボクは泣いた。

 今春が来て君はきれいになった。
 去年よりずっときれいになった。

終り
ネタ元は言わずもがな「なごり雪」

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