千早「私の答え」 (31)


 春香が死んでから、もうすぐ1日が経つ。



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 不思議なことに、私は春香が死ぬということを、どこかで理解していた。
 2日前のあの相談から、このままでは春香が死んでしまうという認識はできていた。

 ただ、動けなかった。だから、春香は死んだ。

「千早ちゃん」


「っ……は、ぎわらさん」

「ごめんね、驚かせちゃったかな」

 驚いた。その薄くて消えそうな私を呼ぶ声が、春香に似ていたからだ。
 萩原さんは私の横に座った。

「あのね。お葬式の日程、決まったんだって」


「そう……」

「さっき、律子さんからメールが来たんだけど……千早ちゃんは見てない?」

「……ごめんなさい」

「き、気にしないで!」

 携帯電話の操作の仕方は、春香に教えてもらった。
 メールを見ようとするだけで、彼女のことを思い出す。なんとも、弱い。


「明日の、夜。落合の小さな会場で、芸能人は呼ばないって」

「家族葬なの?」

「ううん。私達……765プロのみんなは、居て良いみたい」

「……ねえ、萩原さん」

「え?」


「萩原さんは、強いわよね」

 何を言っているんだろう、という瞳で見つめられる。
 さっきまで浮かべていた薄い微笑みは、やっぱり無理をしていたもの?

「強くないよ。今回のことは、多分まだ実感が無いんだ」

「実感?」


「うん。だって、私はまだ『こうだったらいいな』って、思っちゃってるから。
 春香ちゃんが、ひょっこり給湯室から顔を出して、照れ笑いをするって」

「……」

 そうだ、と言って萩原さんは立ち上がった。
 ぼーっと彼女の一挙手一投足を見ていると、たずねられる。

「コーヒー、作るね。お砂糖は?」


「ふたつ、お願いできる?」

「はぁーい。ちょっと待っててね」

 ゆっくりと給湯室に歩いて行く萩原さんを、ソファに座ったまま目で追っていた。
 液晶テレビの電源を入れてみようと思ったが、別に番組を見て気を紛らわしたいというわけでもない。

 いつもお茶を淹れるとき、必ず鼻歌で誰かの曲のメロディを奏でている萩原さんは、静かだった。


 無音。雪が積もって、溶ける少し前のような、空気だけが伝わる室内。
 萩原さんがテーブルにコーヒーカップを置いてくれる。

「もう、お砂糖は入れてあるからね」

「ありがとう」

 スプーンでかき混ぜながら、コーヒーにも春香の幻影を追い求めた。


 私はコーヒーを飲むとき、必ずお砂糖ふたつを入れるからね――って。
 あの時の春香の言葉が、そのまま脳内にリフレインして、止まらなくなる感じ。

 反響していた言葉は、やがて春香というひとつの存在に変わっていく。
 ホットコーヒーだから、やけどをしないように息を吹きかけて、少し飲む。

「……にがっ」

「だ、大丈夫?」


「ごめんなさい、大丈夫」

「千早ちゃん、コーヒー飲めなかったっけ」

 飲めない。人生でコーヒーを飲んだ回数も、片手で数えられるほどだった。
 春香は最近、具体的に言うと半年ぐらい前から、カフェオレだとかブラックだとか、コーヒーを嗜んでいた。

「……春香の真似をしてみたの」


「春香ちゃんの?」

「ええ。春香が亡くなる2日前、私……相談を受けたのよ」

「相談……? それって、どんな?」

「……アイドルのこと、かしら」


 あいまいな言葉でなんとなく濁してしまう。

「春香ちゃん、なんて言ってたの?」

「――歌うのがつらい、って」

 歌うことが好きな私は、結局その悩みにたどり着くことはできなかった。
 春香を、殺してしまった。


「つらい?」

「……春香、少し前からボーカルレッスンの先生を変えたの」

「そうなの……?」

 私は海外レコーディングのタイミングで、ボーカルの専門知識を持っている人に先生を変えた。
 今までの先生に不満は何一つ無かったけれど、さらに高みを目指すために、私は自己への合格基準をあげた。


 春香がなぜ先生を変えたのかは分からない。
 知らないトレーナーだったし、彼女の弱点だった音程を克服する何かを持っていたのかもしれない。

「その先生と、うまく合わなかったみたいで」

 プロデューサーにも、誰にも相談できなかったことを、私は2日前に聞いた。
 歌うことが楽しくない、やめてしまいたい、もう何もする気になれない。


 春香をそこまで追い込んだ、そのトレーナーを私は恨んだ。
 彼女の元気で優しいという取り柄を、ここまで奪ってしまう人がいるものだろうか。

「でも、春香が一番悩んでいたのは、歌のこと」

 そう、歌のことだった。
 春香は追い詰められていたんだと、分かっていた。


「……答えがでないと、私は死んじゃうかもしれないって」

「そんなこと……」

「萩原さんなら、答えられたのかしら」

「え?」

「春香にとって『歌うこと』って、何だったと思う?」


 萩原さんは何も喋らない。徐々に淋しげな表情になって、

「分からないよ……そんなの、春香ちゃんにしか」

「私も、そう思った」

 でも彼女は、自分で答えを出せなかった。
 自分自身で出さなきゃいけない答えを、他人の回答に委ねていた。


 春香は笑いながら、いっそのこと死んじゃおうかな、と言った。
 私は無我夢中になって、春香の頬を引っ叩いて、抱きしめた。

 彼女をそこまで追い詰めていた呪縛を消してあげたかった。

「春香が死ぬまでに、私が答えられたら良かった」

「無理だよ、千早ちゃん。結局誰が何を答えても、本当の回答は春香ちゃんが持ってるんだから」


「……応えてあげたかった。春香に」

「春香ちゃん、自分を追い込みすぎたのかな」

 春香は、自分から逃げない。
 逃げることは時には正当な勝負になる。

 それが結果として、彼女を苦しめてしまった。


 歌いたい、演技をしたい、踊りたい。
 私達みたいなアイドルはこの中のひとつは絶対に胸に秘めている。

 春香の『歌いたい』が、春香自身にも見えなくなっていった。
 私にもそれを汲み取ることは出来なくて、彼女は死んだ。

「……春香の歌は、伸び伸びとした雰囲気と、底抜けの明るさが作ってるんだと思う」

「え?」


「春香っていう存在がアクセントになって、歌に深みを出している」

「……それが、春香ちゃんの歌?」

「今になって……遅すぎるけど、そう思ったの」

 あまりにも遅い。春香はもう居ないから、歌を聞くことも出来ない。
 CDの中に居続ける彼女の声だけ、ずっと。


「……千早ちゃんは、強いね」

「強くなんかないわ」

 春香と過ごした全ての時間が、鎖のように身体を縛っている。
 彼女がどこにも居ない今、思い出は錆び付いて、私を拘束する。

 記憶の中で永遠に生き続ける春香は、寸分違わない笑顔を見せてくれるんだろう。


「さっきの、春香の歌について……あれが2日前に出てきたのなら、何か違っていたかしら?」

「分からないよね、でも……もしかしたら、私の横に春香ちゃんが座っていたかも、しれないね」

 ……萩原さんは、ただ一点、目の前を見ていた。
 悩み苦しんで死ぬなんて、あの娘には勿体無さすぎたのだ。

 私は苦いコーヒーをすすりながら、力不足を悔やんだ。


 うまくなりたい。もっと歌って、踊って、輝きたい。
 春香とのデュオでオーディションに負けた時、彼女がそう言っていたのを耳にしたことが有る。

 うまくなろうとして、スランプになって、壁に進路を阻まれた。
 春香がそうなって、死んでしまったなら、私は彼女の分まで、輝いてみせる。

「お砂糖、溶けちゃった」

 それが、春香に答えを用意できなかった私からの、せめてもの罪滅ぼしになるはずだから。


 中村繪里子さんのツイートを見て、春香と重なりました。
 お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。

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