P「千早の歌声よ、月の裏側から届け」 (60)
"5"
"4"
千早「プロデューサー、いよいよですね」
"3"
"2"
P(カウントダウンが聞こえる。目の前のタッチパネルに発射シークエンスが詳細に表示されている)
P「きっと、何もかもうまくいくさ」
千早「プロデューサー、手を」
P「ああ」
"1"
P(ロケット燃料の噴射の轟音が響く。千早と互いに手を強く握り合った)
"リフトオフ!"
千早「さあ、月面ライブへ、いきましょう」
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1424790507
### 1年前 ###
千早「ようやく、至高の座、手に出来ましたね」
P「そうだなあ……」
千早「プロデューサー、もしかして満足じゃない……?」
P「なんだ、悲しそうな顔して、そんなとこまで身につけた演技力ださなくていいよ」
千早「ふふっ、たまには冗談もいいでしょう?」
P「……一番満足してないのは千早自身だろう」
千早「さすがプロデューサーです。まだ、私は歌の持つ可能性、その全てを探求できたとは思いません」
P「俺もそう思うよ。まだ止まってられない。行く先がある。たとえ、十年経ったって……いや、それ以上の時間が過ぎてもなすべきことは山積みだ」
P「だから、進んで行こう、次のステージへ」
千早「ええ、行きましょう」
-タクシー内-
P「IE〈アイドルエクストリーム〉制覇と千早の誕生日が重なったんだ。みんなお祝いしてくれるよきっと」
千早「改めてこういうことをしてくれるのは……やはり照れますね」
P「みんな千早のことを喜んでくれるんだよ、心底で」
千早「ええ、今ならそういうことを疑いなく信じられます」
P「受賞スピーチ要るよ?」
千早「またですか?会場でももうしたじゃないですか」
P「だって、ねえ。そういうもんだよ。みんなにお礼も兼ねてさ」
千早「確かに。もう私だけの賞じゃないですし……。それに私、みんなに聞きたいことがあるんです」
P「ほう。それはまた、何を?」
千早「みんなの理想のアイドル像を聞きたいです」
P「それは前、春香が言っていた、アイドルとはなにかって話?」
千早「それに近いかもしれませんけど、春香の問いはもっとアイドルの在り方の問題で、私が聞きたいのは個人の持っている理想像なんです」
P「それを聞いてどうすんの?」
千早「今後の参考にしたいっていうのもありますけど、本当はただ知りたいだけなのかもしれません」
P「知りたいだけ……」
千早「ええ、知りたいんです。みんなの考えを。発端は、プロデューサーの言葉、思い出して」
P「理想像の話?」
千早「初めてのミーティングの時に、伺いましたよね、プロデューサーがこの業界に来た理由」
P「そうだな、今でも結構思うけどアイドルって基本的には胡散臭い虚業でさ、それでも二十歳を過ぎてアイドルが好きになったんだよ」
千早「それは確か」
P「彼女は世界中の絶望を全部引き受けたような顔をしてステージに立っててさ。なんとかしなきゃって」
千早「いまその方は?」
P「わからない。この業界に来たら、もしかしてなんて……まあ、少しぐらい思ったさ。お礼を言いたいだけなんだけどさ」
千早「……探しに出たりは?」
P「しないさ。千早をプロデュースしなきゃ……いや、したくてたまらないんだよ。これからも」
千早「今の言い直しは……?」
P「千早……さん?とても怖い笑みを浮かべてどうされましたか……」
P(千早は事務所につくまで口を聞いてくれなかった)
-765プロ事務所-
P「どうした千早、ドアの前で立ち止まって?」
千早「みんなの誕生日が来る度にお祝いしてますけど、いざ自分の番になると……」
P「誰だってそんなもんだよ。でも祝ってくれる人がいるってのはいいことだろ?」
千早「……ええ、本当にそうです」
P「じゃあ入るぞ」
ガチャリ
亜美「兄ちゃん!千早お姉ちゃん!おかえりんこー」
千早「ただいまん…」
P「ただいまんk!!!」
亜美「ガーン!兄ちゃん!なんで千早お姉ちゃんに言わせないの!?」
P「アイドルを守るのが仕事だからな」
律子「プロデューサー、こんな日にいきなりなんてことをいうんですか……」
P「律子もプロデューサー兼業ならそのくらいの覚悟が無いといかんぞ」
千早「……あ、そういう意味ですか」
真美「千早お姉ちゃん、ちょっと気づく遅くない……?」
やよい「千早さん、おかえりなさい!」
千早「ただいま、高槻さん」
やよい「今日はお祝いのパーティーですから、ごちそうに、飾り付けもバッチリです」
貴音「ぱーてぃーの準備はこの通り、滞りなく」
響「貴音、よだれ……」
春香「千早ちゃん、私ケーキ焼いてきたんだよ」
千早「春香、本当にいつもありがとう……!」
小鳥(千早ちゃん、正面から両手で春香ちゃんの肩を掴んで……)
春香「き、急に肩を掴まれちゃうとドキッとしちゃう……かな」
小鳥(こ、これはキマシタワー案件なのでは……!)
P「千早……」
千早「なんですか、プロデューサー」
P「そういうのは、あまり……うーん、別にいいんだけどさ」
千早「どういことですか?」
あずさ「つまり、プロデューサーさん、春香ちゃんにやきもち焼いてるのよ」
律子「異性のアイドルに嫉妬するって一体どういことですか……」
P「醜いが……認める。そして開き直る。だから春香、千早とイチャイチャするな」
春香「ええっ!?私に言われても……」
P「絶対に張り合えないからこそ、そういう感情が浮かんだりもするんだ。察してくれ」
伊織「こんな奴とよく一緒にやってけるわね?」
千早「そうね、本当、なんで一緒にやっていけるのか不思議だわ」
雪歩「それでもうまくやっていけるってことは……」
真「それってつまり?」
美希「相性がいいってことなの」
亜美「相性がいい……ミキミキ、イミシンだねぇ……」
真美「兄ちゃん!アイドル最大のタブーっしょ、それー!」
P「バカモン、そんなことするかっての」
千早「ええ、プロデューサーにそんな勇気ありませんから」
真「いうねぇ、千早……」
貴音「ただ、それは勇気というよりは、蛮勇かと」
律子「……本当に無いんでしょうね?」
響「もしかして律子もやきもち焼いてるのかー?」
P「のか?」
律子「……」
伊織「ちょっとアンタたちこれマズいわよ」
雪歩「伊織ちゃん、どういうこと?」
伊織「律子の怒り爆発までは段階があって……まず床を見て……」
貴音「体を震わせてどうしたのですか、律子?うつむいて、まさか悪寒が……」
伊織「そう、怒りに震えるのよ」
美希「いままさに震えてるの」
伊織「で、天を仰いで……」
あずさ「あらあら律子さん、天体観測ですか?でもここじゃ天井しか見えませんよ」
伊織「怒りの対象を見据えて、メガネがキラリ!」
真美「律っちゃーん、兄ちゃんを熱い目で見てどしたの?」
伊織「そして爆発!」
律子「……プロデューサー、後で話があります」
亜美「その場で怒らないで呼び出しなんて、一番ヤバいパターンっしょ……」
やよい「あのー、みなさんもしかして、大人のお話してますか?」
真「大丈夫、やよいは気にしないで……」
春香「と……ともかく、パーティーを始めようよ!」
小鳥「じゃあ、みんなにクラッカー配るわね」
……
P「ほぼ毎月誕生会やってるけど、全員が揃うのは何ヶ月ぶりだか」
雪歩「でも、揃うときにはみんなぴったり揃いますぅ」
貴音「真、団結力の賜物といえましょう」
春香「今日は楽しい夜になりそうですね」
小鳥「みんなクラッカー持ったかしら」
P「大丈夫そうだな。……千早」
千早「はい」
P「IEを制覇した感想は?」
千早「正直、あまり実感が湧いてなかったんです。でもこうしてみんながお祝いしてくれると……」
伊織「やっと確認できたってとこかしら?」
千早「ええ、その通り。みんながいてくれてよかったわ。心からそう思うの」
響「そんなこと言われると照れるぞ……」
千早「堅い話は抜きにして、みんな、これからもいっしょに遥かな高みを目指しましょう!」
P「じゃあ、祝砲だ!」
パン!パン!パン!
「「「お誕生日おめでとう!IE制覇おめでとう!」」」
……
亜美「千早お姉ちゃんおめでとう!」
千早「ありがとう亜美、竜宮小町、忙しいんじゃないの?」
伊織「ぼちぼちって感じかしら。まあ千早にはかなわないわよ」
あずさ「千早ちゃん、毎日ひっぱりだこだものね」
律子「プロデューサー、少しは千早をいたわってくださいよ」
P「たるき亭ってオードブルも作ってくれるのか。ピザも結構いいやつじゃないか。律子、ビールビール」
律子「……まったくこの人は食い意地はって」
千早「プロデューサー、ビールでいいんですか?」
P「とりあえず、飲めればなんでもいいよ」
春香「へー、千早ちゃん、プロデューサーさんの好きなお酒とか知ってるんだ。甲斐甲斐しいなあ……」
伊織「あまり報われていないようだけど」
……
真「千早、どうだった、IEのステージは?」
美希「緊張した?でも千早さんって全然緊張しなさそうなの」
P「千早ならブルブル震えてたぞ」
千早「緊張していたのは否定しませんけど、ブルブル震えてたのはプロデューサーじゃないですか!」
伊織「なんでアンタが震えてるのよ……」
P「ふ、震えてないし!」
千早「『千早どうしよう、大丈夫かな……』って私に聞いてどうするんですか、もう……」
貴音「それほどまでに緊張されていたのですか、プロデューサー」
やよい「プロデューサー、千早さんをちゃんと支えてあげてください!」
P「いや、千早の緊張を俺が受け持って代わりにだな……」
響「ちょっと見苦しいぞ……」
千早「それでも結果は出たのだから、問題ないですよ。それよりも、今日はみんなに聞きたいことがあって」
伊織「どうしたのよ、改まって」
千早「なんていうか、みんなのアイドルの理想像を聞きたくって……」
真美「それって前にはるるんが話してたやつ?」
春香「ええっ、私そんなこと言ってたっけ?」
美希「ミキはやっぱり、キラキラしてないとなーって思うな」
千早「それは美希の目標?」
美希「そうだけど、やっぱりアイドルってそうでなくちゃ……って」
伊織「私は、自分がアイドルそのものでなくちゃーって思うわ。私のなるものが常にアイドルの理想像じゃなくちゃって」
亜美「あれー、いおりん、お家の人を見返すんじゃなかったっけ?」
伊織「それは過ぎたことよ。もう私は、自分がアイドルであること以外考えられないの。だから誰かを見返すなんてもういいのよ」
真「竜宮小町のリーダーは伊達じゃないってことだね」
千早「自分が、常に理想像……。それはしんどいかもしれないわね」
伊織「あら、千早にしては弱気じゃないの?」
千早「アイドルは持続可能でないとって、前にプロデューサーが教えてくれたから……」
P「あー、そんなことも言ったっけかな」モグモグ
千早「……食べてから話してください」
P「すまんすまん」
小鳥(プロデューサーさん、骨抜きにされすぎじゃないかしら……)
P「資本を投入すれば、一時のブームはある程度つくれるかもしれん。だけど、本人に実力がなければ何年もアイドルを続けていくことはできない」
伊織「確かにそれは一理あるわね」
P「売り出し方、タイミング、ニーズ、そういうのも重要だ。全てを兼ね揃える真のアイドルになって欲しいってことだ」
P「でも、伊織の常に理想像を目指すって方法は良いかもな。人それぞれ理想像があるかもしれんないけど。ある意味千早よりストイックか?」
千早「……私が他人からストイックだって言われる対象は歌に対してですからっ」
P「……なんか怒ってる?」
千早「怒ってません!」
響(あずささん、これって痴話喧嘩?)
あずさ(そうみたい……。でも喧嘩するほど……)
律子(喧嘩するほど仲が良いっていうかちょっとマンネリ感も入ってますね、これ……)
真「それにしても理想像かぁ……」
雪歩「真ちゃんはなにかあるの?」
真「前は可愛い服を着たいって言ってたけど、今は必ずしもそうじゃないのかなって。……いや、着れる仕事があるなら着たいですよ、プロデューサー?」
P「……察してくれ」
真「ですよね……。でも、結局、みんなから求められる形こそがアイドルの理想像じゃないのかなー」
雪歩「それで、真ちゃんはつらくなったりしない?」
真「せめて事務所だけでもお姫様扱いはして欲しいかなー」
P「俺の方を見てどうした。俺がそんなことしたって大してうれしくもないだろ?」
真「そうかもしれないですね。もうちょっと頼りがいのある男の人のほうが……」
P「その判断は正しいと思うぞ」
千早(……)
真「(千早に睨まれてるような……)ともかく、ファンの子たちの前にいるときに、アイドルのボクが現れるってイメージですね」
千早「自分自身が理想像になる場合もあれば、理想像にされる場合もあるってことね」
P「律子はどうなのさ」
律子「私ですか……。アイドルの理想像って、私はもともとプロデューサー志望だから、その視点かも。……日常に潤いを与える人かしら」
伊織「律子ならちょっとマニアックなファンにも応えてあげられるものね」
あずさ「何か、共感してくれたり話題を共有してくれるひとがいいのかもしれないわね」
律子「世知辛い世の中だから、共感したいのよ、みんな。もちろん私も含めて」
千早「律子は、ステージに立つとき、みんなと共感することができるの?」
律子「そりゃ、あたりまえじゃない」
千早「……そうよね。あたりまえよね」
P(うーん、千早、やっぱり……)
P「亜美と真美はどうなんだ?」
真美「んー、よくわかんないけどー」
亜美「面白いのが一番!」
真美「って、真美たちなら言いそう?」
P「……昔ならそうかも」
亜美「おっ、兄ちゃんクーン、尖いねぇ」
やよい「じゃあ、亜美と真美はどう考えてるの?」
真美「答えは……『毎日、楽しく!』」
響「二人にしてはずいぶん普通じゃない?」
真美「ひびきん……毎日を楽しく生きるのは、ターイヘンなんだよ、わかるかい?」
亜美「前、握手会に来てくれたおじさんが『毎日ありがとう』って泣きながら言ってくれたんだよね」
真美「その時はよくわかんなかったけど、シャバウマのように働く兄ちゃんを見てたらなんとなくわかったんだよね……」
貴音「はて、出所した馬のことでしょうか……?」
P「ボケにボケで返さんでいい……」
亜美「オトナって大変だなーって」
真美「真美たちが頑張ってみんな頑張れるならそれが毎日続けばなーって思うのだよ……」
千早「なんだか珍しく良い話風にまとまりましたね」
小鳥「あのー、みんな?盛り上がってるところ申し訳ないけど、春香ちゃんのケーキ切ったから食べましょう?」
P「おー、音無さん、気が利く!さすがお嫁にしたい765プロメンバー、ナンバー1だけありますね!」
律子(小鳥さん、グッと親指を立てていい顔してるけど、あとで愚痴を聞くのは私とあずささんなんですからね……)
あずさ(プロデューサーさんわざと言ってるのかしら……?)
千早「あのプロデューサー、私は……どうで……」
P「千早の誕生日パーティなんだからいっぱい食べろよ?甘いもの嫌いじゃないよな?」
千早「はぁ……」
P「どうしたの」
千早「なんでもないです。甘いものは人並みに好きです。春香が焼いてくれたものならとても好きです」
春香「千早ちゃん、いっぱい食べてね?」
千早「ええ、いただくわ」
……
千早「前に春香が教えてくれたことだけど」
春香「私が千早ちゃんに教えることなんってあったけ?」
千早「本当に春香に教わることばかりよ」
春香「アイドルランクがまだ低い私でも?」
千早「私のアイドルの理想像は春香かもしれないから」
春香「ええっ、私なんて理想にしちゃだめだよ……」
千早「……でも、これは単なる憧憬ね。しかもたちの悪い、到底なり変われないものに対する憧れかしら」
春香「でも、私だって千早ちゃんに憧れてるんだよ」
千早「ありがたい言葉ね。それが春香の持つ強さなんだわ。他者とつながること」
春香「それを難しいと思うの?」
千早「いくら765プロのみんなが近くにいても、プロデューサーがいても。私、未だにステージが……」
春香「でも、千早ちゃん、ステージに立ててるよね?」
千早「それが問題なの。ステージに立って歌う私は……ごめんなさい、気持ち悪く思わないで……まるでなにかに取り憑かれてるみたいなの」
春香「確かに、歌ってる千早ちゃん、鬼気迫ってるけど」
千早「自分の喉が勝手に歌ってるみたい。私自身は怖がりながらそれを傍観しているの」
春香「千早ちゃんはそれで大丈夫なの?」
千早「今は大丈夫、多分だけど……。でも、将来はわからないわ。だから克服したいの」
春香「それでみんなの理想像を聞いてたの?」
千早「ええ。自分の確固たる理想像に向かえば、それで克服できるかもって……。だから春香の理想像も聞きたいの」
春香「私の理想像は……」
千早「やっぱり、前、教えてくれたみたいに、"みんな"で進むこと?」
春香「それはあるかも。でもそれは、私にとってのアイドルの理想像じゃなくて、私自身の理想像かも」
千早「天海春香という人間としての理想像?」
春香「うん。私たちは、アイドルである以前に一人のにんげ……」
千早「どうしたの?」
春香「ううん。なんだか……もしかして、人間である前にアイドルなのかな、なんて。ちょっと冗談きついかな?」
千早「……私がストイックなんて呼ばれて、まるでピエロね」
真「あっ、また二人でいちゃついてる!プロデューサーこっちですよ!給湯室!」
千早「ちょっと真……!」
P「千早、ちょっと話がある」
千早(プロデューサーは真面目そうな顔をしていて、少なくとも春香と二人で話していたことを咎めるものではありませんでした)
-数分前-
P「千早、お酒ー……っていない……」
トゥルルルル……
やよい「音無さん、電話ですよー」
小鳥 はーい、今出ますよー
小鳥『765プロダクションです』
小鳥『はい、初めまして……はい、おります。ただいま代わりますので少々お待ちください』
雪歩「初めての人から電話がかかってくるなんて珍しいですぅ」
P「なんかそれちょっとアレな言い方だな……」
小鳥「プロデューサーさん、なんでも宇宙開発機構の方らしくて」
響「プロデューサー、そんなところに知り合いがいるのか?」
P「いや、全く心当たりがないが……音無さん、変わります」
P『お電話変わりました、プロデューサーです』
P『……』
P『はい、えっ……千早を月に!?』
……
P「とりあえず今日はお開きだな」
律子「もう時間も遅いですしね」
小鳥「もうのめま……ひぇ」
やよい「大丈夫ですか、音無さん……」
伊織「やよい、小鳥みたいにだけはなっちゃだめよ」
P「千早」
千早「はい、なんでしょう」
P「さっきの件については改めて会議したい。予定が決まったら連絡するよ」
千早「どうやら簡単な話ではなさそうですね」
P「まあ、ぱっと聞いたところ悪い話ではなさそうなんだが。頭の隅にでも入れといてくれればそれで」
千早「月……ですか」
P「先方は水瀬重工のつてがあってとのことだが」
伊織「私はそんなこと聞かされてないわよ」
P「さっきのは、向こうの重役からの電話だった。半分ぐらい政府機関みたいなところからわざわざ芸能プロダクションに連絡するんだからよっぽど千早に頼みたいんだろうな」
伊織「またどういう意図があるのかわかったもんじゃないわ」
P「最終的には千早や社長と相談して決めていくよ。伊織にもなにか聞くことがあるかもしれないから」
伊織「そうね。水瀬の内の話ならだいたいは探りを入れられるから、任せなさい」
千早「水瀬さん、そういってくれて嬉しいわ。ありがとう」
小鳥(これは……ちはいおの予感……)
P(……それはそれでイケますね)
-帰路-
千早「本当に私は恵まれていますね」
P「みんなが祝ってくれたこと?」
千早「もちろん、それもありますけど」
P「最終的にいっつも誕生日会だっていうのを忘れてみんなで騒いでるんだけどな」
千早「仲間と心から思えるひとたちがいれば、本当はそれだけでいいのかもしれませんね」
P「そう言ってくれるなら日程調整したかいがあるよ」
千早「こうやってわざわざ駅まで送ってくださる方もいらっしゃいますし」
P「うちの大切なアイドルになにかあったら大事だからな」
千早「……そうやって、照れ隠し」
P「そう捉えても構わんさ」
千早「それにしても、月ですか」
P「月面基地ができるって話は聞いてたが」
千早「案外、そういうのを作る人ってロマンチストなのかもしれませんね」
P「そうだなあ。それもあるけど、えもいわれぬ欲望に動かされているイメージだ」
千早「それは、なんだか、共感できます」
P「……千早にとっての歌かな」
千早「その通りです。否応無く、かかわりざるをえない」
P「健全な思考だと思うよ。そういう人が、色々なものを遺していく」
千早「なんだか気が遠い話でもありますけど」
P「そんな姿勢が気に入られたのかもな」
千早「そうであれば光栄ですけど」
P「……科学が発展するほど、歌が必要なのかも」
千早「そういうものなんですか?」
P「人間、全てが理性的なら、あらゆる問題があっという間に解決するよ」
千早「でも、それは悲しい世界のようにも思えます」
P「つまらん世界だと思うよ。千早の歌も聞けなくなるだろうし」
千早「歌は人の感情を補えるものかもしれませんね。そうありたいとも思います」
P「じゃあその手助けができるように頑張るよ。馬車馬だし」
千早「馬がいなければ馬車はただの車輪つきの小部屋です。プロデューサーがいなければどうしようもないです」
P「そういってくれるならプロデューサー冥利に尽きる」
千早「……ふふっ」
P(そういって千早は押し黙ったと思ったら、控えめに小指を差し出した。それに応じて俺は優しく小指を絡め、すぐに離した)
P「月の話は少なくとも一年後だ。当面は目の前の仕事に全力をだそう」
千早「もちろんです!」
-翌週・765プロ社長室-
律子「どうもこうもないですよ。反対の意見しかありません」
P「それまた、なんで?」
律子「いくら宇宙旅行の技術が発達しているからって、飛行機にのせるのとはわけが違うんですよ!?」
P「先方は安全だと言ってるし、実績もある」
律子「アイドルを守るのがプロデューサーの一番の目的でしょ!?」
P「それなら飛行機だって重大事故につながることもあるだろ!?」
社長「まま、二人とも落ち着いて」
P「……そうですね、少し冷静にならないと。すまん律子」
律子「いえ……。でも反対の立場であることは曲げませんよ」
千早「あのー……」
律子「千早がどうやっても行きたいことなんてみんなわかってるのよ。少なくても私はそれを止めて冷静になってもらわないと」
P「絶対に行きたがるのは確かに」
千早「行動パターンを読まれるのは少し癪ですけど……」
P「ただ、今回の待遇は本当に破格だ。国家的プロジェクトのようだし」
伊織「……それについては色々私から説明したほうがよさそうね」
千早「水瀬さん?」
P「あれ、いたの?」
伊織「プロデューサーが頼りなさそうだから、この伊織ちゃんが直々に情報を仕入れて来たのよ」
P「おお、流石伊織お嬢様。持つべきものは金持ちの友達だな」
伊織「もうめんどくさいからスルーするわよ。確かに今回の話は色々なお上の話が絡んでいてめんどくさいわ。だけど言えるのはロケットがかなり安全だということよ」
P「それまたなんで」
伊織「パパにも頼んで調べてもらったわ。少なくても飛行機よりは安全って」
千早「本当なの水瀬さん!?」
伊織(千早、歌に関しては本当に子供みたいな笑顔をするのよね)
伊織「ええ、水瀬グループの威信にかけて安全に運行させるって」
千早「律子、お願い。私、どうしても……」
律子「私がいくら止めたって行くんでしょう?」
千早「……そうね。でも、765プロのみんなから許可をもらいたかったの。私はみんなの代表として行くつもりだから、どうしても……」
律子「……」
律子「……わかったわ。お願いするわ、千早。765プロの代表として」
千早「律子……本当にありがとう……」
P「社長、どうでしょうか」
社長「では、君に一任しよう」
P「本当ですか!?」
社長「……と、いいたいところだが」
千早「……だめですか、社長?」
社長「如月君、月にはなにがあると思うかね。この仕事には高いリスクがある。それを上回るものを得られないのでは、月にいくのは損だろう。まずはそれを見つけなさい。宿題だよ」
千早「……わかりました。必ず社長が納得いく答えを見つけます」
社長「もちろんギャランティーなんてささいなものじゃだめだぞ。こういうことを言うと、律子君に怒られそうだがね」
律子「その通りです、社長……」
社長「プロデューサーともいっしょに考えたまえ。……もちろん君が賛成であれば、という話だがね」
P「わかりました、社長」
-給湯室-
千早「なんとか律子は説得できましたね」
P「ああ、な」
千早「……もしかしてプロデューサー、私に反対なんですか?」
P「いや、そんなことはない。ただな、社長がどういう意図なのか」
千早「……プロデューサーもいっしょにきてくださるんですよね?」
P「そりゃ当たり前だけど」
千早「では社長のいうとおり、いっしょに考えましょう」
P「そうだな。じゃあコーヒーをいれようか」
千早「ええ。とびっきり酸っぱいのを」
千早「そもそも、私は月で唄うつもり満々でいましたけど、唄えますよね?」
P「向こうはとりあえず月面基地のPRをしてくれば後は好きにしていいってさ。協力は惜しまないって」
千早「それが最大の懸案事項だったので安心しました」
P「"月面ライブ"だな」」
千早「お客さんはどうしましょう?」
P「直接見られる人はいないだろうなあ。衛星中継しようかなと」
千早「なるべくたくさんの人が見られるといいです」
P「色々な国で見られるように手配するよ。バックアップはあるし、みんなが頑張ってるおかげで765プロの資金は潤沢だし。そもそも月面ライブなんて前代未聞だから単純にTVショーとして売り込めるよ」
千早「プロデューサー、あと、たくさんの人に聴いてもほしいんです。ラジオかなにかで」
P「それも考えていたよ。ラジオなら比較的簡単に受信できるし」
千早「……なんだかわがまま言ってすいません」
P「千早が、いい歌を唄ってくれれば、苦労した甲斐があるよ」
千早「わかりました。……案外いつも通りですね」
P「そうかもな。本当に大変なのはいっつも本番だけど」
千早「確かにそうですね。そう思うと気は楽かもしれません。未来の自分に任せてみます」
P「そういう冗談もきけるようになったけど、毎日気負ってるのが千早だから、なるべく俺を頼ってくれよ」
千早「ふふっ、わかってます」
P「社長への回答はまた今度考えよう。遅いし、駅まで送るよ」
千早「はい。すぐに準備します」
-帰路-
千早「月、出てます。きれいですね」
P「そーだなー……」
千早「……」
P「なんでムッとしてんの」
千早「……まあ、なんでもいいですけど」
P「また、むくれて…… 」
千早「本当にあそこに行けるんでしょうか」
P「たちの悪い冗談じゃなければな」
千早「一体、何があるんでしょう」
P「ウサギでもいるかな」
千早「なんで、いつもウサギが見えるんですかね?月の裏側はどうなっているんでしょうか?」
P「自転と公転が同期してるからな。潮汐力で」
千早「なんだか大人の答えですね」
P「千早だって歳不相応に大人だろう。いい意味でさ」
千早「そういってくださるのは嬉しいですけど、少しさみしいですね」
P「……月の裏側なんて無いのかもな」
千早「そういう答えですよ、仮にもアイドルプロデューサーなら……」
P「仮じゃないがな」
千早「そうでしたね……」
千早「……」
千早「世界中に私の歌、届くんでしょうか」
P「届かさせるよ」
千早「私のひとつの到達点かもしれません」
P「IE制覇だけでは終われないからな」
千早「でも世界中に歌を届けたあとは何をしたらいいんでしょうか」
P「……そのときに考えればいいさ。おのずと見えてくるよ」
-後日・屋上-
千早「今日は、満月……」
千早(あれから結局、社長を納得させられそうな答えはだせず、私は仕事終わりに事務所に寄って屋上から月を眺めることが増えました)
千早「いったい、どうすればいいのかしら……」
千早(すると階段を足で叩く音が聞こえました。錆びて重くなったドアが開き、私はそちらを向きました)
千早「四条さん……」
貴音「奇遇ですね千早」
千早「事務所に用事がありましたか」
貴音「いいえ、特には。しかし、満月の夜には必ずここから月を見上げることにしているのです」
千早「満月は特に綺麗ですしね」
貴音「ええ。遠くからみる月は本当にきれいです」
千早「近くで見るとどうなんでしょうか」
貴音「私もそれを知りたいところですが、人づてに聞いたことで良ければお話ししましょう」
千早「聞きたいです、その話」
貴音「月面に広がるのは荒涼とした岩の大地です。精気はなく、辛うじて凍った水があるのみです」
千早「写真か何かでみたことはあります」
貴音「しかし、月には人の失った何かがあるのです。太古に地球と月は離れ離れになってしまったのです。月は、私達の片割れでしょう」
千早「失ってしまったもの……?」
貴音「如月千早、あなたなら月に行けばきっと感知できるでしょう。なぜなら……」
千早「……」
貴音「いえ、これはとっぷしぃくれっと、でした」
千早「……生殺しですね」
貴音「実際に行けばきっとわかるのですから、あえて言葉にする必要はありません」
千早「ところで前に聞き逃しましたけど、四条さんのアイドルの理想像は……?」
貴音「月の表側、でしょうか。昼にも本当は存在しているはずのものです」
千早「でも、夜にしか見えないなんて悲しいですね」
貴音「夜の帳が下りたあとにだけ輝くのもまた乙なものです」
千早「確かにそうかもしれません」
貴音「……千早、表裏は時として一体です。それをゆめゆめ忘れぬよう」
-翌日・車内-
P(あずささんとやよいをラジオ局に送迎しているのだが)
あずさ「プロデューサーさん、千早ちゃんの件は進んでますか?」
P「少しずつ、といった感じですね」
やよい「お月様まで行けるなんて想像できないです」
P「それが、社長の許可がまだで……。ちゃんと月まで行くだけの理由を見つけてこいと」
やよい「たくさんお金かかりそうですから、重要です!」
あずさ「見つかりそうなんですか?」
P「千早と話し合って、みんなにも色々聞いて回ってるところですよ」
あずさ「大変そうですね。私なんて目の前のことで手一杯ですから大したアドバイスはできませんね」
P「目の前のことに集中するのはとても大切ですよ。それが未来につながりますから」
やよい「未来ですかー。全然想像できないかも」
あずさ「でも、みんな未来に向かっているんですものね。やよいちゃんも、千早ちゃんも、プロデューサーさんも」
P「あずささんも、ですね」
やよい「それならいっそ、ずーっと先の未来を目指しましょう!」
P「ずっと先の未来かー。もっと、ずっと、ずっと先の……」
-同日・都内テレビ局-
響「千早、雪歩、おつかれさま!」
雪歩「おつかれさまですぅ!」
千早「おつかれさま……。あの二人に折り入って相談が」
響「もしかしてこの間のこと?」
雪歩「月に行く話かな?」
千早「ええ、それに関連してて。二人のアイドルの理想像を聞きたいのだけど」
響「千早の誕生日の時に話してたよね。それを聞いてどうするの?」
千早「社長から宿題を出されて、月に行ってどうしたいのかって。その参考にしたいの」
雪歩「参考になるかはわからないけど、私は、なりたいものになるため、かもしれないですぅ」
千早「男性嫌いを克服した自分にってことかしら?」
雪歩「それもあるけど、ちょっとややこしくなるけど、それが結局アイドルになるってことだと……」
響「それ、自分もわかるぞ。ハム蔵たちを養って、ダンスもいっぱい踊って、やりたいことがたくさんあるさー。だから、アイドルになりたい!」
千早「自分の理想になるために、理想のアイドルになる。その方法は、アイドルになること……」
響「なんか……ややこしくなったね」
雪歩「ごめんね、千早ちゃん」
千早「……いいえ、二人共、ありがとう。色々浮かんできたからプロデューサーと話してみるわ」
-翌日・午後・765プロ事務所-
P「すまん千早、わざわざ仕事の合間を縫ってもらって」
千早「いいえ。宿題を片付けないとだめですから」
P「コーヒー淹れといたよ」
千早「ありがとうございます。人が淹れてくれたものは美味しいんですよね」
千早「それで、プロデューサー、どうでしょうか」
P「そうだな、少し浮かんで来たよ。未来を目指したものにしたい。そのために月に行くんだ」
千早「奇遇ですね。私もそういうことを考えていました」
P「俺は、ずっとずっと未来のことを考えている。今、生きているひともみんな死んで、地球もなくなってしまうような遠い未来の話」
千早「ずいぶん壮大ですね。そんなテーマで私達に一体なにができるんですか?」
P「月の裏側から、千早の歌を放射する。電波は宇宙が死ぬまで永久に飛んで行く」
千早「そんなもの一体だれが聞けるんですか?」
P「わからない。どっかの宇宙人が受信するかも、なんてな。テクノロジーが進んだ人間の子孫が受信できるかも」
千早「……面白いかもしれませんね」
P「何より、千早が歌っていた証になる」
千早「私の案ですけど、開催日は私が未来に進んでいく日にしたいです」
P「……誕生日か」
千早「はい。呈示されていた日程を鑑みれば問題ないかと」
P「よし、わかった。社長にはこの方向で提案しよう」
千早(私とプロデューサーの考えをまとめて、社長に伝えると、案外すんなり承認してもらえました)
千早(最初から、考えさせるために宿題を設けたのか、それとも案が気に入ってもらえたのかはわかりません)
千早(関係者での話し合いは進んで、内容や日程はほとんど私達の提案した通りになりました)
千早(月日はあっという間に流れ、日常の業務から、月面ライブの準備をすることが段々と多くなっていきました)
### 1年後 ###
-2月・種子島宇宙センター-
P「発射は予定通り明日の午後だ。質問ある?答えられなかったら聞いてくるよ」
千早「今のところ特には」
春香「はいはーい!月まではどのくらい時間がかかるんですか!?」
P「妙に興味があるんだな春香」
春香「なんたって、千早ちゃん見送り番組の特別レポーターを任されてますから!」
千早「みんなが東京から見送ってくれたのも嬉しかったけど、春香が来てくれて本当に心強いわ」
春香「えへへ、任せてよ!」
P「所要時間は片道で100時間程度だ。長いと思う?」
千早「意外に短いですよね」
春香「千早ちゃんは知ってたの?」
千早「さすがに自分が行くんだし、何度も話し合いをして、予定は頭に入ってるわ」
春香「私には詳細を聞いてお茶の間に届ける役割があるから色々聞かないと……」
P「他に質問は?」
春香「とりあえずは大丈夫です」
P「じゃあ、春香は打ち合わせ通り、生中継の出演を頼む。俺と千早は最終打ち合わせに行ってくるから」
春香「わかりました!晩御飯は一緒に食べましょうね」
千早「春香、頼むわね。春香が私のことを話してくれれば色々と安心だわ」
春香「たくさんのひとに千早ちゃんの歌を聞いてもらえるように私頑張るね」
-夜・宇宙センター宿舎-
千早「春香、遅れてごめんなさい」
春香「待ってたよー。えへへ、お腹ペコペコになっちゃった」
千早「打ち合わせが長引いて……プロデューサーはまだかかるみたいだから先に行ってくれって」
春香「じゃあ、お言葉に甘えて、食べちゃおうか」
千早「ええ。そうしましょう」
春香(夕食は打ち上げのスタッフさんや搭乗員の方のためのもので、バイキング形式でした)
春香「あれ、千早ちゃん、あまり食欲ない?」
千早「私はもともとそれほど食べないほうだけど。知ってるでしょう?」
春香「知ってるからいつにもまして少ないって思うな」
千早「やっぱり見抜かれるものね。さすがに緊張してきたの。さっきまでは色々打ち合わせで張り詰めていて食事のことも忘れてたわ」
春香「それって私との約束も忘れてたってこと!?」
千早「……ごめんなさい」
春香「……えへへ、冗談。怒ってないからね」
千早「よかった。春香と喧嘩していくなんて心残りにも程があるわ」
春香「いまさらそんなことで怒らないよー」
春香「理想のアイドル像は固まった?」
千早「それが、正直まだなの」
春香「でも、貴音さんが色々教えてくれたんだよね」
千早「ええ、よくわからなかったけど」
春香「……見つかるよ、きっと」
千早「見つけられれば、ライブもうまくいくと思う」
春香「やっぱり、千早ちゃんは歌なのかな」
千早「歌の中に理想像を見つけられれば、本望だわ」
春香「きっとそれはただ単に唄うことだけじゃないんだよね?」
千早「それだけだと、昔の私と同じね」
春香「大丈夫、プロデューサーさんもいてくるから」
千早「そうね。それに、765プロのみんなと、積み重ねてきたことを信じているから」
千早「明日は早くから準備があるから会えないまま出発するわ」
春香「私も朝からテレビ中継に出るから」
千早「……春香、ありがとう」
春香「ええっ、嫌だよそういうの」
千早「いいえ、これからも一緒に頑張って行きたいから。一応」
春香「……そうだね。じゃあ私も。千早ちゃん、ありがとう。打ち上げ、最後まで見守るからね」
千早「心強いわ、本当に」
春香「……じゃあ、個室に戻るね。おやすみなさい、千早ちゃん」
千早「おやすみ、春香」
春香(本当は、一緒に眠りにつきたいな、なんてことを思っていました)
春香(でも、話がとまらなくて、明日に響くのはまずいので、一人で寝ようと思います)
春香(それに、もしかしたら、プロデューサーさん……)
-翌日・宇宙センター発射場-
春香(報道の人たちがカメラを回す中、私はシャトルのついたロケットを見つめていました)
春香(もう間もなく、千早とプロデューサーさんが飛んでいきます)
春香(私は単純に、千早ちゃんが、色々なしがらみから離れたところで、どう歌うのかワクワクしていました)
春香「きっと、素敵な歌を唄うんだよね」
"5"
"4"
春香(私も千早ちゃんの歌に魅せられた一人なんだなーって思いました)
"3"
春香(プロデューサーさんと、同様に)
"2"
春香(でも、なによりも二人が無事に帰ってくることを祈っていました)
"1"
"リフトオフ!"
春香(耳をつんざくような大きな音がしました。ロケットは白い筋を引いて力強く飛んでいき、やがて目では見えなくなりました)
春香(それでも、私はしばらく空を見続けました。雲ひとつない、胸がすくような快晴でした)
春香「いってらっしゃい、千早ちゃん、プロデューサーさん」
すいません、また今日中に続き書きます
-シャトル内-
P「無事に、地球の重力からはほとんど脱したよ」
千早「それでも随分快適なんですね。無重力になるのかと思ってました」
P「擬似重力が働いているらしいから」
千早「月に着いたら重力は六分の一ですね」
P「千早のBMIがますます目減りするな」
千早「やっぱり、歌うには体重を増やす努力をしたほうがいいんでしょうか」
P「そりゃそうだろけど、アイドルとしては……なあ?あと個人的にもねえ」
千早「そう仰るならそのままにしておきますね」
……
P「月面基地の会場の資料みた?」
千早「ええ。ガラス張りで背景は地球……」
P「窓ひとつ作るのも大変だって言ってたのに相当、力入ってるな」
千早「でも、これ以上のロケーションは考えられません」
P「その通りだな。セットリストは、用意した通りで大丈夫?」
千早「ええ。何曲もできないですけど、プロデューサーと話して決めたので大丈夫です」
P「船外のカメラも見られるみたいだけど」
千早「向こうに着いてからにしましょう、地球を眺めるのは」
P「そうだな。それがいいよ」
千早「それよりも、思ったより快適な居住空間ですね」
P「ああ、音楽も聞けるし、コーヒーも飲める」
千早「なんだか映画みたいです」
P「『2001年宇宙の旅』とか」
千早「古い映画ですね。あれはたまたま見ましたけど……正直退屈でした」
P「結構、難解だしな」
千早「難解さなら、『惑星ソラリス』の方が好きですね」
P「またずいぶんマイナーなやつを持ってくるなぁ」
千早「抽象的で、人の内面が直接ぶつかり合って喋っているみたいです」
P「映像も良いんだよな、わけがわからなくて」
千早「……さすがに眠くなりましたけど」
P「気持よく寝入れるよ、あれは」
千早「……歌も、直接心に作用するのかもしれませんね」
P「そうかもしれないけど、じゃあ、直接届かないものってなんだ?」
千早「言葉、ですね……持論ですけど。口にした途端、悲しいほど陳腐になってしまいます」
P「同感だな。明示することでむしろ曖昧になってしまうのかな」
千早「だから、私は歌うのかもしれません。歌は本質的に言葉ではありませんから」
P「音の羅列かな。メロディに言葉が内包されてるってことか」
……
千早「プロデューサー、少し唄ってもいいですか?」
P「ああ、聞きたい」
千早「では……」
P(千早が唄ったのはデビュー曲のショートバージョンだった)
P「何度も練習に付き合って聞いたのを思い出したよ」
千早「当時は思ったように唄えませんでしたから」
P「そうか?昔からうまかったと思うけど」
千早「技巧の面ではそれほど変わらないかもしれません。年月を経た分だけ上達はした気がします。ですけど、一番違うのは心持ちです」
P「昔は、良くも悪くも頑なだったな」
千早「本当に、その通りです。でも、それだけでは足りません、頂まで登りつめるには」
P「いったい何が足りないんだ」
千早「私は、他者とつながることだと思います。それが、まだできていません。自分はまだ自分自身を傍観している気がするんです」
P「あれだけたくさんの観客の前で唄ってるのにか?」
千早「むしろ、人がいて、集中するほど、です。だんだんと、唄っている自分を眺めている気分になってくるんです」
P「それは悪いことかな?」
千早「傍観者であるかぎり、みんなと共感はできないような気がします」
P「じゃあ、今回はどうだろうな。目の前にはスタッフしかいないだろうが、観客は大勢だ」
千早「そこで、新しいものが見つからないと……、いえ、見つけないと」
P「俺に何かできる?」
千早「見守っていてください。それが一番です」
P「……ライブの度に思うが、本番に自分の無力さを感じるよ」
千早「それぞれの役割がありますから」
P「そうだな。俺は春香になれないからな」
千早「……ぷっ!ふふっ、それは面白い考えですね」
P「ははは!そりゃ良かったよ。せめて最高のセッティングとバックアップ体制を整えるよ」
千早「わかりました、お願いします」
千早(それからプロデューサーといろいろ話して、眠って、時間は過ぎていきました)
P「……もうこんな時間か」
千早「擬似重力がもう切れますね」
P(コンソールを覗くと、カウントダウンが始まっていた)
"3, 2, 1, 0"
P「段々……軽くなってきてないか?」
千早「ええ、体が、軽く……」
P「擬似重力がきれるとまもなくランディングだ。準備してくれ」
千早「はい……ふふっ、見てください、プロデューサー」
P(千早は軽く跳ねてゆっくりとバク宙をしてみせた)
P「おお、真顔負けだな」
千早「ふふっ、面白いですね」
P(……これだけ無邪気に笑う千早を見たのは初めてじゃないか?)
P(重力もしがらみもここでは断ち切れているといいんだけど)
千早「プロデューサー!受け止めてください!」
P「っておい!俺に飛びつく気か!」
P(二体が、互いに捕まることで、ひとつとなる)
千早「空中浮遊……完全に無重力になりましたね」
P「本当にソラリスだな。でも、もう少しで月の重力が働くよ」
千早「……今、私は自分自身な気がします」
P「良かった。それだけでも、ここまで来たかいがあるよ」
-2月25日・月面ライブ当日-
P(月面基地へのランディングも問題なく成功した)
千早「プロデューサー、早く会場を見に行きましょう!」
P「わかったわかった、はしゃぐな!」
千早「軽くて歩きづらいですね……」
……
P「ここだぞ」
千早「ずいぶんと大仰なゲートですね……あ、開きました」
P「……!」
千早「これが月面……」
P「資料にあった通り、窓の格子以外はガラス張りだな。天井は半球状のドームだし」
千早「四条さんが言っていた通り、一面岩だらけ……でも、遠くに、見えます……地球です」
P「ああ、すごいな……これは」
P(しばらくは言葉も交わさず景色に魅入っていた)
千早「プロデューサー、早速リハ準備しましょう。時間は限られてますから」
P「ああ、唄ったらとんぼ返りだしな」
P(千早は、そっと俺の指に、千早の指を絡めた)
千早「プロデューサー、地球がきれいですね」
P「ああ、本当に」
P「音響や撮影、放送はほとんど自動化されている。自由に動いていいってさ」
千早「思い通りに動くのは至難の業ですけど」
P「まあ、もともと千早はダンスがそんなに無いから丁度いいだろ」
千早「たまには自分のステージのスタイルに感謝しなきゃだめですね」
……
P「オケお願いします」
千早「お願いします」
P(曲が流れて千早が唄い始める)
P「ああ、確かに……。千早が言うのはあの眼か」
P(誰も寄せつけずに、皆を惹きつける、あの眼だ)
P(だが、それの何が悪いのかは、検討がつかなかった)
P(千早の主張にも一理あるが、ステージを降りると、あんなにも笑えるのだから)
千早「どうでした、プロデューサー?」
P「……また傍観者になったのか?」
千早「そうですね、少し」
P「玲音に言われた言葉、覚えてる?」
千早「『ハーメルンの笛吹き』ですか?」
P「……聞いたとき、千早が昔くれたメールを思い出したよ」
千早「それってセイレーンのことですか」
P「……千早の見つけるべきものはそれじゃないかな。共感にもいろいろあるってことだよ」
千早「……観客を引き連れていくことはそれほど罪深いのでしょうか」
P「わからんな。悲劇的な結末を予見しながら喜んでついていく人もいるだろうし」
千早「そんなどうしようもない人、いるんですか?」
P「いる。少なくともここにひとり」
千早「……わかりました。答えは、本番で出します。私が思ったように唄います」
P「ああ、俺は地獄だろうがついていくよ」
P「本番まであと3分だ」
千早「じゃあ、プロデューサー、いつものあれ、やりましょう」
P「あれってなんだ?」
千早「掛け声に決まってるじゃないですか」
P「いやいや、あれはアイドルがやるもんだろ」
千早「でも、あれが無いと私、気合が入らなくって。いつもはみんなからパワーもらってますけど」
P「……じゃあ、俺がみんなの代わりに」
千早「お願いします」
「「765プロ、ファイトー」」
「「オー!!」」
千早「では、行ってきます!」
P(俺はその後ろ姿にふと既視感を覚えた)
P(そして、本番が始まった。リハ通りオケが流れ、千早は眼を見開いた)
P「そうだ、あの眼……」
そうか、全ての絶望を背負っていたアイドル、俺がこの業界を志した動機
時間の整合性は無いが、あれは千早だったんだ、そう認識していいんだ
ハーメルンの笛吹きがなんだ、千早はセイレーンでいいんだ
そそのかされて引き連れ回されて、ようやく共感できるやつだっているんだ
まやかしでなく、それが千早の真の力だ
そして、何よりも、
「俺を連れて行ってくれ、千早……」
そう口にした矢先、全身の力が抜けてゆっくりと倒れた
耳に入るのは千早の歌だけだった
天を仰ぎ、広漠な宇宙に吸い込まれていく気がした
星々の太古よりの輝きが次第にぼやけて、ついには消失した
P(起きると、俺は千早の膝の上に頭を乗せて寝ていた。千早の心音が聞こえる気がした)
P(千早は、俺の顔をのぞきこみ、手のひらを俺の甲にかぶせて指をからませた)
千早「滞り無く、終わりましたよ」
P「本番中にプロデューサーが倒れるなんて、申し訳ない」
千早「いえ、大丈夫で何よりです」
P「……ここは、気持ちが良いほど孤独な場所だな」
千早「ええ、本当に」
P「なあ、千早、ここで、暮らさないか」
千早「……」
P「ここなら、歌わなくったっていい」
千早「意図はわかりますけど、それはできません」
P「……知ってる。不可分だ、千早と歌は」
P(千早は歌うことを課せられている。本当はその呪縛を解いてやりたかった)
千早「でも、辛うじてあなたがいるから、唄っていけます」
P「もう俺がいなくても唄っていけるのだとばかり思ってたよ」
千早「それならあなたをここまで連れてきませんよ」
P「……よかった」
千早「帰りましょう、プロデューサー。765プロに」
P「千早」
千早「なんでしょう」
P「もし千早が、真空に……救いようのない孤独に曝されたらどうする」
千早「……死んでしまいますね」
P「そりゃそうだろうけどさ。もしかしたら千早なら歌い続けるのかな、なんて」
千早「でも、空気がなければ音が届きませんよ」
P「……電磁波で唄い始めるんじゃないかって。さっきまで月の裏側から放射してた電波みたいに」
千早「ふふっ、また冗談。それに買いかぶりすぎです」
P「案外本気なんだがな……」
P(……それ程に如月千早は歌に魅入られている)
P(だから、骨に還る日まで千早を支えるしかない)
P「そうだ、まだ言ってなかった。誕生日おめでとう、千早」
千早「ありがとうございます。できれば、来年もお願いします。ずっと、その先も」
終幕
-帰還・船内-
P「千早、このクラシックは何?」
千早「ボロディンのロ短調……ですね」
P「本当によく知っているなー」
千早「……『ダークサイドオブザムーン』」
P「え、ピンクフロイドのアルバムだっけ?曲聞きたい?どうした?」
千早「良いアルバムだと、ジュリアから教わったんです」
P「……」
P「ジュリアって誰?」
P(千早は神々しい笑みで、俺の手を握った)
千早「……ふふっ、そうですね。教えてあげません」
P「意地が悪いな」
千早「ともかく帰りましょう。みんな、が待っているところへ」
了
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