少女「有言実行、しましょうか」 (235)

嘗てエターなったものの再投稿。
既に完結済み。よってハイペースの投下になると思います。

また、SSwikiも引き続き活用していきたいです。
キャラビジュアル、設定等適宜載せていくつもりですので、
作者の自慰でも構わないかたは見ていってください。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1397739824


少女「有言実行、しましょうか」

先輩「いや、だから、忙しくてできなかったんだって」

少女「それとこれとは無関係です。先輩、あなたは『やる』と言ったのです、確かに。『やる』と」

少女「発言には責任が伴い、有言には実行を以て為す。それが当然のルールじゃありませんか」

 放課後の図書室、異性の先輩とふたりきり。字面だけで見れば心躍るシチュエーションも、なんてことはない。単に私がこの愚鈍なクソの後始末をさせられているだけなのです。
 この排泄物野郎、自ら今日までに図書室の第二書庫の整理を済ませておくといいながら、まだ半分も手を付けていないという。実に愚かです。実に無責任です。

 先輩はあからさまに不機嫌な顔をしている。どうせ、「なんでここまで言われなくちゃならないんだ」といったところでしょうか? これだから私は参ってしまうのです。責任感の無い排泄物野郎には。

 まぁ、だけれど私も鬼ではないです。それに少し私が早とちりしてしまっている可能性だってあります。先輩のこの不機嫌な顔は、もしかしたら私の言ったことが見当違いだったせいなのかもしれません。

少女「あぁ、そういうことですか、先輩。先輩は約束を違えるつもりはなかった、と。すいません、勘違いしてしまって」


先輩「は?」

 よくわかっていない顔をされてしまった。これはディスコミュニケーションですね。困った。
 仕方がない。もっと噛み砕いて言おう。

少女「先輩は今日までにやるつもりだったんですもんね」

先輩「あ、あぁ。だけど、忙しくて」

少女「いやいいんです先輩。わかってますから」

先輩「それなら――」

少女「先輩はこれからやるんですもんね」

先輩「……え?」

少女「そうですよ、先輩が約束を違えるはずなんてなかったのに、私、早とちりでした。先輩のことを信じてませんでした」

少女「現在時刻は19時26分。あと4時間34分は、今日です」

少女「さぁ。今日中に、終わらせてくださいね?」

――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――

 そろそろ日付が変わる。全く、ただ黙って他人の仕事を見てるだけというのも、案外疲れるものです。それにこんなに遅くなってしまった。
 勿論私が手伝えばあと一時間は早く終わったのでしょうけど、有言実行は守らなければいけません。第二書庫の整理は「先輩が」やるのであって、「私が」やってはいけないのです。そこは超えてはならない責任の一線ですから。

「いやぁ、きみ、凄いねぇ」

 足元から声が聞こえて、思わず私はそこへと視線を向けました。
 ……ぬいぐるみが落ちてます。
 白くて柔らかくてもこもこの、猫と兎を足してメレンゲを流し込んだ感じの、摩訶不思議なぬいぐるみ。それが私を見ながら喋っているのです。
 珍しくもありません。最近は喋るぬいぐるみもたくさんあります。誰かが落としたのでしょうか。

「ちょっと、無視しないでよ!」

 慌てて喋るぬいぐるみ。妙に精巧ですね。

 と、そのぬいぐるみが急に浮かんで、私の目の高さまでふわっとやってきました。
 なに、これは、どっきり?

「話聞いてよ。大事な話があるんだ」

 ぬいぐるみは、アニメのキャラクターみたいな声でそう言いました。

少女「……」

 とりあえず引っ掴んで、カバンに押し込みます。もがもが言っているのを見て見ぬふりして、知らんぷりをして、そのまま私は帰路を走りました。全速力。
 もし家に帰ってもあのぬいぐるみがいて、喋るのであれば、これは現実です。ぬいぐるみが喋らないのであれば、耳鼻科に行きましょう。ぬいぐるみがそもそもなければ、精神科です。


 家に帰ってお母さんの追求も上の空でかわし、足早に自室へと滑り込みます。ドアを閉め、鍵も閉め、セーラー服のままカバンごとベッドの中にダイブ。かけ布団の中で携帯電話の明りを頼りにぬいぐるみを引っ張り出しました。
 首根っこを掴んだそれは確かにぬいぐるみでした。大きさは三十センチに満たないくらい。肌触りは独特で、なめらかです。くたっとしていて喋る様子はありません。

 その状態のまま、待つこと暫し。二十秒たってもぬいぐるみは動かず喋らないので、私はついに耳鼻科の受診を決意しました。精神科はそのあとでいいでしょう。

 ベッドから飛び起き、ぬいぐるみを壁に投げ捨てました。ふぎゃ、と声がして、地面に落下します。
 ……ふぎゃ?

 ぬいぐるみは、やはり浮かび上がって、首のあたりを押さえながら私の眼前へと向かってきました。

「き、きみは、ボクをなんだと思っているんだい!」

 ぬいぐるみに怒られました。意味が分かりません。ぬいぐるみはぬいぐるみであり、ぬいぐるみ以外の何物でもないのです。

少女「え、ぬいぐるみじゃないんですか?」

「違う! ボクは広域派遣第三隊十六支部の……いや、きみにいってもわからないか」

「ボクの名前はムム。とある星から派遣されてきた……ま、きみたちにわかりやすく言えば、宇宙人ってことかな」

 うちゅうじん。
 ウチュウジン。
 宇宙人。あ、やっと変換ができました。

 何言ってるんでしょう、この薄汚れたぬいぐるみは。


 いや、待ってください。これは確かに現実なのです。図らずとも私自身がさっき考えたように。とはいえ発言した言葉に責任は持たなくてはなりませんが、思っただけでは責任は発生しません。落ち着きましょう。

ムム「ボクの任務は参加者集めなんだ。で、きみに白羽の矢が立った」

少女「参加者?」

ムム「そう。この星の住民を対象に、ボクたちの星ではいま賭けが行われてる。10人が殺しあって、誰が生き残るかを当てる賭け。それに参加してくれないかい?」

少女「愚かなんですか?」

 おっと、本音が口をついてしまった。
 機嫌を損ねるかと思いきや、案外ぬいぐるみは平気そうな顔をしていました。そもそもこのぬいぐるみ、張り付いたような笑顔を浮かべるばかりで、表情変化が全くないんですが。

ムム「いや、気持ちはわかるよ。いきなり殺し合いだとか言われて参加するはずもない。けど、賞品のことを聞いたら、ちょっとは考えてくれるんじゃないかな」

少女「賞品?」

 なかなか食指を働かせる言葉です。

ムム「なにもきみたちにただ働きしてもらおうってんじゃないよ。優勝者には、与えられた能力を継続して使える権利と、なんでも好きなことを叶えてもらえる権利が与えられるんだ」

少女「能力?」

 今度はうさんくさい言葉が飛び出してきました。このぬいぐるみ、もっと手順を踏んで説明できないんでしょうか。愚図め。


ムム「殺し合いっても包丁とかでやるわけじゃない。ま、そういう方法もできるけどね」

ムム「メインはきみたちの生き様だよ」

少女「生き様?」

 さっきから私、鸚鵡返ししかしてない気がします。でも仕方がありません。このぬいぐるみ、トチ狂ったことしか喋らないんですから。

ムム「概略はこうさ。生物には大なり小なり生き様ってのがあるだろう? ボクたちは独自の技術として、その『生き様』を能力として抽出する技術を持っている」

ムム「きみたちにはそれを武器として戦ってもらう。で、優勝した暁には、その能力はきみに定着させてあげるし、それとは別に願い事をなんでもひとつ叶えてあげよう」

 なんでも。なんでも、なんでも、か。
 それは実に魅力的だと、私、思います。それが文字通り言葉通りの「なんでも」であるならば。

少女「本当に『なんでも』なんですか?」

ムム「ボクは地球外生命体だよ。この星より技術はずっと進んでる。恐らく、きみが想像できるようなことなら『なんでも』だね」

少女「地球を滅ぼすことも?」

 今まで得意げに喋っていたぬいぐるみが、ここで初めて、怪訝そうな顔をしました。そんな顔もできるんですね。

ムム「……そうするつもりなのかい?」

少女「まさか。それができるなら、何だってできると思っただけです」

ムム「大丈夫だよ、可能さ」

少女「安心しました。じゃあ、いいです」

少女「私、参加します」


 きっぱりと言いました。その瞬間、ぬいぐるみが邪悪な笑みを浮かべたのを、私は見逃しませんでした。
 このぬいぐるみ、先ほど確かに「白羽の矢が立った」と言いました。ということはつまり、あらかじめ私を狙い撃ちにしに来たのでしょう。当然私に関しての調査は済ませてあるはずです。
 だから、私がこのゲームに参加するのも、御見通しだったはず。

 全く、茶番です。

ムム「わかった。じゃあ、早速きみに能力を与えよう」

少女「私はどんな能力になるんですか?」

ムム「それはその時になってみないとわからないね。ボクたちが有しているのは技術だけだ。与えてから先は領分じゃない」

 結構適当なんですね。つまり殆ど博打みたいなもの、というわけですか、

ムム「じゃあ行くよ」

 そう言って、ぬいぐるみの瞳から、光が発せられました。
 それは私の全身を包み、心の奥底まで入り込んだかと思えば、何かを抜き出していきます。奪い取られたというわけではなく、場所が移動したような、そんな不思議な感覚でした。

ムム「――おしまいだ」

ムム「能力名は『有言実行』」

ムム「叶える願いは?」

 また、茶番です。わかっていても私は答えます。手のひらに爪が食い込むのを感じながら、怒りを抑えながら。

少女「この世から嘘を消してください」

――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――

ムム「嘘、嘘か。嘘ね」

少女「恣意的に捻じ曲げられても困るので、付帯しておきます。『嘘を消す』の定義について」

少女「『嘘を消す』とは、人が本当のことしか言えなくなることを指します。もしくは、口に出したことを実行しなければいけない何らかの外力を働かせてください」

少女「可能なんでしょう?」

ムム「可能だね」

 多少は考えると思っていましたが、あっさりとぬいぐるみは言いました。

ムム「嘘の定義にもよるけど、口に発した時点では嘘でなくても、結果的に嘘となることは多々ある。叶うかたちはボクにはタッチできない。多分後者、外力が働くことになるだろうね」

少女「なんでもいいです。結果が同じなら」

ムム「それならいいや。少なくともきみの望んだ結果は得られると思うよ」

少女「『と思う』じゃ困るんですけど」

ムム「はは、ごめんよ。訂正しよう。望んだ結果は得られるよ」

ムム「きみが優勝した暁には、だけど」


少女「九人を殺せばいいんですよね?」

 九人。多いのか少ないのか、いまいち実感しにくい人数です。私のクラスが三十四人で、その四分の一……そう考えると案外多いような気がしましたが、何も全員私が殺さなければいけないわけでもないのでした。
 最後の一人になればいいということは、畢竟、引きこもっていたほうが有利。でもきっとその考えには全員が思い至ります。すると誰も死なない……なんというジレンマでしょうか。

ムム「そこについては安心していいよ」

 きっと私の心を読んだのでしょう、ぬいぐるみは机の上にすとんと着地して言いました。プライバシーもへったくれもありゃしませんね。

ムム「自然と引き合うようになってるんだ。意図しなくても、企図しなくても、出会ってしまう。戦ってしまう。そういう引力が、働くようになってる」

ムム「だから安心していいよ」

 その安心はつまり「安心して殺しあえばいいよ」ということです。言葉の包含している意味が曖昧模糊とした中に沈んでいるこの不思議現象を誰かどうにかしてください。

少女「……」

ムム「どうしたんだい?」

少女「嘘、ついてませんよね」

ムム「ボクが? はは、どうしてボクが嘘をつかなきゃならないんだよ」

少女「……そうですね」

ムム「安心していいよ。きちんと約束は果たす。優勝者には、能力の授与と、願いをかなえる権利がちゃんと与えられる」

少女「有言実行してくださいね」

ムム「大丈夫だって。しつこいな」

ムム「それにしても、きみのその『生き様』。一体源泉はなんなんだい?」

ムム「随分とどす黒いものを感じるけど」


 吐息がどす黒いぬいぐるみに言われたくはないです。けれど隠すほどのことでもないでしょう。
 そもそも、こいつら、絶対知ってる。またまたの茶番だ。
 悪趣味なクソめ。

 意識してそっけなく私は言葉を出しました。

少女「大したことじゃありません」

少女「ちょっと、父さんが詐欺にあいまして」

 借金こさえて一家離散。
 ただそれだけです。

ムム「そうか、大変だったんだね」

 嘘つけ。あなた、どう見ても人の苦悩を理解できないツラをしてるじゃないですか。

少女「ちなみに、もう私以外の九人は選出されてるんですか?」

ムム「そうだね。きみが最後の一人ってことになるかな」

少女「で、私の能力……有言実行、ですか? これの効果って、」

 めぎめぎめぎめぎごりごりがっしゃん

 と、私の家の壁を突き破って、何かが。

 漆喰やコンクリ片やガラスや壁紙や夜の冷たい空気が。

 私に向かって突っ込んでくる――突っ込んで来た!?

 同時に何かが伸びてくる。大音響に耳をやられながら、勢いに足を取られながら、後ろに転がりながら、私はそれでも突っ込んでくるそれらの元凶を捉えようと眼だけは決して閉じない。


 赤いブルマと白いスニーカーが、蛍光灯の光に映えていました。
 時代錯誤すぎるそれを身に着けているのは一人の女の子。ポニーテール。体操服。羽織っているのは臙脂色のジャージ。胸元には大きく名前の刺繍。
 何を考えてるんでしょうか、今、時刻は日付変わりかけてるんですけど?

??「あっはー!」

??「やべってこれ! やべってこれ! やりすぎっしょあたし!」

 ようやく宙を舞っていた漆喰やコンクリ片やガラスや壁紙や夜の冷たい空気が部屋の中へと落下する。奇跡的に私は無傷で、だけど息ができない。全然大丈夫じゃない。

??「こんばんは! あたしの名前は『猪突猛進』!」

 やたらハイテンションな体操服は、頭がおかしいんじゃないかと思うほどの大声でわめき散らします。
 その間に私は包丁やナイフと言った、とりあえずさくっと殺せそうなものを探しましたが、残念、見つかりませんでした。帰りにコンビニで買っておけばよかった。

体操服「とりあえず死んでよ!」

少女「いやです」

 体操服が一歩を踏みだ――すっ!?

体操服「全然遅いよ!」

 眼前に日焼けした膝が迫っていました。速い、というか、速すぎる! 人間の速度じゃない!
 回避は間に合うはずもありません。顔面と膝がキスをして、鼻がくしゃりと音を立てて変な方向へと曲がります。そのまま床を転がって、本棚に激突。後頭部を強打。

 鼻血で呼吸ができない。犬のように「はっ、はっ」という浅く速い呼吸。


 視界に白い運動靴が映りました。見上げれば、蛍光灯を背景に、体操服が影に覆われて私を見下ろしています。
 そうして、クラウチングスタートの体勢を取りました。

 逃げないと、早く、逃げないと!

 踏込で部屋の床がぶち抜かれる音が聞こえて、膝が私の側頭部を強か打ち据え――

少女「ぐ、くっ、ぅ!」

 頭の中で嫌な音が響きました。弔鐘が鳴っています。けど、だめです。こんなあっさりとやられたら、出落ちもいいところじゃないですか!

 迫る絶対の暗闇の中、お父さんの名前を呼んでも、決して返事は帰ってきません。わかっています。お父さんは死んだのですから。
 そして、会いに行くのはもうちょっと後でも、怒られやしないはず。

体操服「どこまでも真っ直ぐに! あたしはきみを、踏み潰す!」

体操服「猪突猛進!」

 体操服はまた突っ込んできました。最初の一歩からフルスロットル。
 膝蹴りをなんとか避けます。体操服がそのまま部屋の壁に突っ込んで、粉々に砕きつつ反対側へと吹っ飛んでいきました。
 そうして、落下。

少女「は?」

 馬鹿なんですかあの女。いや助かったのは事実ですが。


 とはいえあの速度を鑑みるに猶予はあってないようなもの。私は咄嗟に部屋から武器になるようなものを探して、壁材に紛れて落ちていた彫刻刀を手に取ります。

 ぶち壊した壁を再度突き抜けて、体操服が部屋へと飛び込んできました。彼女の体や顔には沢山傷ができています。壁に突っ込んだときのものなのでしょう。

体操服「あっはー! やりすぎちゃった!」

少女「人んち壊すのもいい加減にしてくれませんか」

 軽口を叩きますが、実はけっこうぎりぎりです。顔も、頭も、痛いのです。

体操服「ごめんね! あたしってば、ほら、融通が利かないって有名だから!」

体操服「でもいいんだ! 曲がらない、止まらない! それがあたし!」

体操服「足を止めるくらいだったら死んだ方がマシなのさっ!」

 そう高らかに宣言して、体操服はまたもクラウチングスタートの体勢を取りました。またあの、フルスロットルの初速がやってきます。
 さすがに、もう二度と喰らいたくはありません。三度目はきっとないでしょう。死んでしまいます。

 けど、運動不足なこの体で、あの速度におっつくのは到底かないません。

少女「文字通りの、猪突猛進」

 曲がらない、止まらない。
 まるでかっぱえびせんの親戚ですね。
 ま、あいつはフォルムこそなかなか曲がってますけど。

体操服「よーい!」

 来るぞ、来るぞ、来るぞ!

体操服「どん!」

 膝が顔面に、


 大きく顔が打ち上げられ、思わず彫刻刀は取り落とし、破壊された天井と、そこからちょっとだけ見える星空が、いや、違って、

 視界がちかちかする!

 けれど!

 星が瞬いているのか、それとも意識が瞬いているのか判然としない中で、それでも私は、体操服の足を確かに捕えた。
 捉えることはできなくても。
 運動不足のこの体でも。

 ゼロ距離ならば。

 体操服は当然止まりません。否、止まれません。そのまま先ほどと同様に壁の向こうへと、私を連れて落下していきます。
 アスファルトは硬いですが、骨が折れることなく、なんとか着地。

体操服「あっはー! しぶといねぇ、びっくりだ、あたし!」

 私を見下ろしながら体操服が言いました。私は依然として足に縋り付いています。けれど、最早握力腕力ともに微弱。蹴り一発で弾き飛ばされます。
 でも、いいんです。

少女「発言には責任が伴い、有言には実行を以て為す」

 自分でもびっくりするくらい冷たい声でした。

少女「有言実行、しましょうか」

体操服「一体何を言ってるのかなっ!」

少女「さっきあなたが言ったことじゃないですか」

少女「『足を止めるくらいだったら、死んだ方がマシ』」


 体操服はそこでようやく、胸を押さえました。「ぐ」と短く小さな呻き声を上げて、そのまま膝から頽れます。

少女「足、止まってますよ」

体操服「な、まさか、そん、な」

 そうして体を投げ出すように倒れこんで、息絶えました。

 私の能力――『有言実行』
 相手に、言ったことを実行させる。
 感覚でわかりました。これが私の生き様なのです。つまるところは。

ムム「お疲れ様」

 ぬいぐるみが、今までどこにいたのか、上空から颯爽と降り立ちました。表情の起伏の少ないそのふちゃっとした素材が、けれどどこかニヤニヤしているように見えて、ほんのちょっとだけ、家の破壊に巻き込まれて[ピーーー]ばよかったのに、と思いました。

ムム「残り九人だね」

少女「やばいくらい痛いんですけど」

ムム「しょうがないよ、殺し合いなんだから」

少女「この体操服、頭おかしかったです」

ムム「そりゃ殺し合いに乗るんだからね。大なり小なり頭がおかしいに決まってるさ」

少女「つまり、あと八人も頭のおかしい人が出てくるわけですか」

 もしかして真っ当なのは私だけなんじゃ?

少女「というか、私の怪我と、私んち、どうしてくれるんですか」

 やせ我慢にも限界があるんですが。

ムム「それについては、ま、一晩でなおしておくよ。騒ぎが大きくなって困るのはボクたちもだからね」

ムム「とりあえず、お疲れ様」

 労いの気持ちがどこまでも空虚な言葉を吐いて、ぬいぐるみは姿を消しました。


少女「早くなおして欲しいものですけど」

 体も、部屋も。

 随分と風通しのよくなった我が家を見ながら、私はぼやきました。

――――――――――――――――――――――

 『猪突猛進』物部貨物、死亡
 残り九人

―――――――――――――――――――――――


 大きく伸びをして、激痛に思わず屈んでしまいました。声も出ない、とはまさにこのこと。全身が痛くてどこが痛いのかわからないくらいです。

 唐突に、闇夜にあって一際大きく着信音が鳴り響きました。私のものではありません。ということは、この体操服のものでしょうか。

 ぴりりり、ぴりりり。

少女「……」

 ぴりりり、ぴりりり。

少女「……」

 ぴりりり、ぴりりり。

少女「しつこい!」

少女「深夜なんですから、さっさと諦めてください!」

 電源を切ってやろうとジャージのポケットに手を突っ込んで、取り出したガラケーを開きます。
 相手の名前を見て、電源ボタンに伸びていた指が止まりました。

 『天網恢恢疎にして漏らさず』

少女「……」

少女「怪しすぎる……」

 普通の人間がアドレス帳につける名前じゃない。


 まだ着信は鳴っています。まるで私が出るのを待っているかのように。

少女「『天網恢恢疎にして漏らさず』」

 呟きました。言葉の意味は分かります。そしてそれが、誰かの生き様であろうことも、なんとなく想像がつきました。

少女「もし私の想像が的中してるなら、それは最悪で――同時に、どうしようもないってことですね」

少女「しょうがありません。通話をぽちっと」

??「こんばんは」

 女の声でした。理知的な感じがします。それほど年が離れているようにも感じません。

少女「……こんばんは」

??「や、まさか『猪突猛進』のやつがやられるなんて思わなかったよ」

少女「……そりゃどうも」

 この明らかな黒幕スメル。そして『天網恢恢疎にして漏らさず』。けど私の体には今のところ異常はありません。語義どおりの因果応報、そういった能力では、ないのかな?

 猪突猛進――体操着が死んだことを知っているということは、近くから見ているか、もしくは能力で知ったのでしょう。後者っぽいですがミスリードを誘っているだけの可能性もあります。油断はできません。


少女「それで、『天網恢恢疎にして漏らさず』さん、どうして電話を」

??「ん? 私の生き様を知ってるの?」

 ビンゴ。唇を舌で湿らせます。途端に緊張が湧きあがってきました。あちらはこちらを知っていて、こちらはあちらを全く知らない。この情報アドバンテージは、恐らく、重大です。
 なんとかしなければ。

 とりあえず探り探り行くことにしました。

少女「携帯の画面に表示されていたので……」

??「マジか。あんにゃろう、ぶっ[ピーーー]。って、もう死んでたっけ」

??「あー、それで、『どうして電話を』? や、対した理由はないんだけどね。ただ一応、挨拶しておこうと思って」

??「このゲームに生き残る身としてはさ」

少女「ほう」

 言いますね。嘯く、と言ってもいいくらいには。

少女「残念ですが、そこだけは譲れません。私にも願いがありますから」

??「うん、わかっているよ。それじゃ、明日も朝早いし。おやすみ」

 それだけ言うと一方的に切られました。本当に何の目的もないかのように、あっさりと。
 わかりません。意図が掴めません。いや、意図を見出す方が無意味なんでしょうか。

 ぬいぐるみが言っていたことを思いだします。大なり小なり頭がおかしい。確かにそのようです。

 リダイヤルする気にはなりませんでした。私は念のためガラケーを逆パカして、その辺に放り投げます。

 思わず欠伸が出ました。ああ眠い。

――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――

 眼が覚めたら激痛は消えていました。崩壊した我が家も元通り。あのぬいぐるみは約束を違えることはなかったようです。有言実行、さすがですね。
 まさか全てが夢だったのではと逡巡します。手を繰り返し、ぐーぱー、ぐーぱー。

 私の能力は体操服のように単純ではありません。確かめようと思ってもすぐに確かめられるものではない。あのぬいぐるみ――ムムと言いましたか。あいつは昨日とは違って私のそばにいませんでしたから、実感も当然湧かないのです。
 だから、どっちつかずの気持ちを抱きながら、朝ごはんの並んだテーブルに着きます。トーストと目玉焼きに、昨日の残りの筑前煮が並んでいました。あと麦茶も。

 お母さんは少し疲れた顔をして私を出迎えてくれました。きっとパートが忙しいのでしょう。
 高校を卒業すれば私も働くよと言っているのに、今どき大学くらい出ておかなきゃと言って聞かない強情っぱりです。娘としては嬉しいやら気を使うやらで複雑な気分。

 腕によりをかけた朝食を美味しく胃の中に納めて、私はセーラー服に着替えます。最近また胸が大きくなったような……下着を買い代えるお金だってばかにならないのに。

少女「いってきまーす!」

 元気に挨拶をして私は家を飛び出しました。

 学校はいつもと変わらずそこにあります。当然です。登校して学校がなかったら、それは夢か、もしくは戦時中です。
 とはいえ昨晩の出来事が夢でないのなら、私は絶賛戦時中みたいなものでしょう。片足どころか両足を突っ込んだレベルで。後悔はしていませんし、死ぬことも……怖くないと言ったら嘘になりますけど。
 ただ、リターンを得るためには相応のリスクを得なければならないことも事実。この世から嘘を消し去るという目的のためには、命を懸けるだけの価値があります。


 静謐な空気を味わいながら、私は教室の扉を開きます。HRの十分前。これが私のいつもの登校時刻なのです。
 ん?
 静謐な空気?

 おかしくないですか?

少女「十分前でこの静けさって――!」

 僅かに開いた扉の隙間へねじ込む様に、机や椅子や、その他もろもろが飛来します。私は反射的に扉を閉めましたが、思ったより飛来してくるそれらは威力があったようです。扉ごと吹き飛ばされました。
 後頭部を強か打ちつけます。痛みより熱が生まれました。けど、これくらいじゃあ死にません。

 死ぬわけにはいかないのです。

??「矮小な人間としては、中々の反応速度ぞ!」

 吹っ飛んだ扉の向こうに教室の中が見えました。積み重なった「人らしき何か」と、その頂点に腰かける黒マント。
 ……黒マント?

 紺色ブレザーに複雑な意匠の金色アクセサリ。そして黒マント。髪の毛は白銀で、一部分に青のメッシュが入っていて、瞳が赤と灰色のオッドアイ。まるで二次元の世界から抜け出してきたその風貌に、私は暫し、思考が停止します。
 
黒マント「ここは常しえの魔境! 我が異能を以て塵と化すがいいわ!」


 黒マントの目が妖しく光りました。黒い光を放って、同時に椅子や机が同様の光を帯び、がたがたがたっと持ち上がります。触れることなく。

少女「サイコキネシス……?」

黒マント「ち、違う! これは我が異能、『黒光纏いて優雅に踊れ』(ブリュンヒルデ・ノワール)だ!」

 ぶりゅ……?

少女「いや、どう見てもサイコキネシスなんですけど」

黒マント「我を愚弄するか貴様ッ!」

 椅子や机が私に向かって飛んできます。横っ飛びでそれを回避すれば、窓ガラスをぶち破っていきました。
 しかし、落下はしません。
 一度外に飛び出したそれらは滞空し、今度は外から中へ、またガラスをぶち破って私へと突撃してきます。

少女「くっ!」

 なんとか寸前で避けます。壁に叩きつけたそれらは、しつこいことにもそもそと動き、浮かび上がりました。あの黒マント、言動と風貌こそイカれてますが、能力だけはシンプル・イズ・ベストですね。うぜぇ。
 けれどどうして私の身元が? いや、もしかしたら無差別に襲っているだけなのかもしれませんが、それにしたって私の学校へ乗り込んできたのは事実。一体どこから情報が漏れているのやら。

 そこで私は昨日の電話の主を思い出します。『天網恢恢疎にして漏らさず』。考えられるのは今のところあいつしかいませんが、果たして。

 それにしてもこの静けさです。人っ子一人の気配すらありません。いや、もともと気配なんて読めませんけど、なんにしても、夢じゃなかった。

 夢じゃなかった!


 だとしても問題は解決されません。どう考えても私の「有言実行」はこういう事態に対処できるような能力ではないのです。とにかく会話をして、言質を取らなければ。

 椅子の脚が私のセーターの襟を掠めて行って、思わず前につんのめります。椅子はようやく壁に激突して大破しましたが、私を今追ってきているのは、もう一つ。
 そうです、机です。

 なかなかの質量をもつそれを私の運動神経と体勢では避けきれません。両腕でなんとか頭だけは守りますが、勢いに負けてリノリウムの床をごろごろ転がっていきます。
 机は床に落ちたまま動きません。距離が離れたからなのか、時間が経過したからなのか、わかりませんがこのチャンスを逃すつもりもありません。すぐさま立ち上がって走り出します。

 階段を下りて、下りて、とにかく下の階へ。
 外に出ればさすがに追いきれないでしょう。

「闇に呑まれよ」

 闇と言うのは名ばかりで、私に向けて振ってくる大量の机、机、机。
 私の影が机の影にすっぽりと飲み込まれて、瞬間、ひときわ強く地面を踏みしめました。このままでは圧死確実。

 形容しがたい音が響いて、なんとか直撃こそ避けましたが、左足が机の脚と脚の間に挟まれて身動きが取れません。少しも動かない私の足首。机がぎちぎち皮膚に食い込んで、もがいた指が地面に跡をつけます。

 一体どこから? 顔だけ動かして周囲を窺えば、先ほどまで私がいた三階から、黒マントは机に腰かけたままふわふわと降りてきていました。そういう使い方もできますね。当然。
 思いつかなかったこちらのミスです。


 黒マントは呵呵大笑として、そのオッドアイで私を見ました。

黒マント「うひゃひゃひゃ! 俗人としてはよく堪えた方よ! が、しかぁし。我の『黒光纏いて優雅に踊れ』の前では、何人たりとも逃げることは叶わん。無駄無駄無駄ァ!」

 明らかに常人離れした風貌と口調の黒マントは悠々と私に近づいてきました。私を能力者だと気付いているのか、いないのか……それが生死を分ける境目でしたが、今の言葉を聞いている限り、気づいていないようです。
 これは好都合。というか、これが千載一遇のチャンスです。

 ざく、と砂を踏みしめる音が聞こえました。眼球だけを動かしてそちらを見れば、女生徒が一人、短く悲鳴を上げて後ずさっています。

 見たな、と黒マントは小さく呟きました。

少女「逃げ――!」

 私の言葉より早く、椅子が彼女の頭にクリーンヒット。そのまま昏倒し、ピクリともしません。

黒マント「『黒光纏いて優雅に踊れ』」

 光が椅子と机を包んで、そのまま、落下。
 金属と金属がぶつかる音にまぎれて、とても鈍い、いやな音が聞こえました。

 じわりじわりと血だまりが広がっていきます。
 そして、山となった椅子と机の向こうに、揚々と登校してきた生徒が何十人といました。

 そこから先は地獄絵図。机が乱舞し、椅子が血に染まる、この世のものとは思えない光景が広がります。逃げ切れる生徒は誰もいません。いたとしても、椅子に飛び乗った黒マントが、猛追するのですから。

黒マント「うっひゃひゃひゃひゃ! 笑いが止まんないわ! 全員、全員、死んじゃえばいいんだ、そうだ、私を馬鹿にしやがって、どいつもこいつも、くそどもがっ!」

 いわゆる「普通の」口調で黒マントは狂ったように罵声を浴びせかけます。
 そうして一息ついたのでしょうか。彼女は大きく息を吸って、吐いて、すっかり静まり返った光景に背を向けて、私に直ります。

黒マント「安心するがよい。貴様もすぐに、友人のところへと送ってやろうぞ」

少女「言いましたね?」

 口の端が吊り上るのがわかります。

少女「――有言実行、しましょうか」


 超常の光が私を中心に満ちました。それは机と椅子を包んでいた黒光を打消し、下敷きになっていた私を吹き飛ばします。
 どこへ? ――当然、友人のところへ。
 即ち、私の教室へ。

黒マント「どういうことよ!?」

 素が出てますよ。

 私は振り落とされないように机の上に座って、そのまま玄関、階段、踊り場、廊下を経て、教室の前で急ブレーキ。そして着地。
 同時に机が落下しました。有言は実行されましたので、そうなったのでしょう。

黒マント「うひゃひゃひゃひゃ! そうか! 貴様も我と同じ力の持ち主だったのか! あの女め、胡散臭いと思っていたが、従った甲斐があったというものだ!」

少女「あの女?」

黒マント「冥土の土産に教えてくれるわ! この学校に能力者がいると密告したやつがいる。我の携帯に勝手に電話をかけてきた不届きものだ。怪しかったが、ふん。間違いではないらしかったな」

少女「『天網恢恢疎にして漏らさず』」

 呟けば、黒マントの表情にぴくりと動きがありました。

黒マント「ほう、知っているのか」

少女「まぁその程度ですよ」

 と軽口を叩きながら、浮かぶ机に腰かけた黒マントとの距離を私は測ります。同時に、ここを切り抜ける方法も図って、悩む。うーむ。逃げ場がない。


 私の背後は教室で、死体が山と積み重なっている。ここは三階で飛び降りても死にはしないだろうけれど、脚は折れるだろう。そして追いつかれて死ぬ。結局死ぬのだ。
 ならば真正面、この黒マントを何とかするしかほかに方法はない。

 やはりこうなるのか。

 私の生き様を使って。

黒マント「今度は油断せぬぞ。『黒光纏いて優雅に踊れ』!」

 机が、椅子が、がたがたがたんと音を立てて、私に!

 向かってくる!

 四方八方逃げ場なし。当然死角もあるわけなし。けれど命も失いたくはなし。私はとにかく一直線に黒マントへ躍り掛かりました。スカートから取り出したカッターナイフを右手に持って。
 自分を巻き添えに私を[ピーーー]か? それとも能力、ぶりゅなんとかを一旦解くか?

 さぁどうする!?

黒マント「猿の浅知恵が通用するかっ!」

 私の右手が光り輝き、同時に激痛が走って、カッターを取り落としました。
 輝いていると思ったのは気のせいでも何でもありません。ガラスの破片が、大量のガラスの破片が私の右腕にびっしりと突き刺さっているのです。
 暖かい血が、ぱたたたたっと音を立てて、床に滴っていきます。

 激痛は一瞬でした。けれど、代わりに襲ってきたのは、あまりある熱。
 焼けるような灼熱感が右手を中心に脈動していきます。


 壁に激突する机や椅子には巻き込まれずに済みましたが、躍り掛かった私は黒マントに一蹴されます。腹を殴られて朝食を戻しそうにすらなりました。

 ガラスの破片は黒光に覆われています。
 こいつ、操れるのは椅子と机だけじゃ、ない?

 隠してやがりましたね。謀ってやがりましたね。苛立ちはありますが、しかし黒マントは嘘は言っていないのです。何も言っていないだけで。
 それなら私が責める謂れはありませんでした。それが唯一の私の生き様ですから。

 力の入らない右腕にこそ力を籠め、四つん這いの姿勢から一気に飛びかかる!

少女「――!」

 熱を脚に感じました。

 転倒。

少女「ぐ、う、あっ!」

 見る必要すらありません。私はガラスの破片を無視して、再度カッターを握り締めます。これで頸動脈を掻き切れば。
 掻き切るしか。

少女「ない!」

黒マント「しつこい」

 カッターが黒光に覆われて。
 すっぽぬけて。

 私の喉へと――!

 嫌な音が眼に入らない位置から聞こえてきました。やや遅れて、視界を赤色が染めていきます。


 おとうさん。

 死ぬわけにはいかないのです。いかないのです。いかないのです!
 だって、このままじゃ、お父さんが。
 
 報われない!

 親友に騙されて、身ぐるみはがされて、にっちもさっちもいかなくなって!
 事故だなんて嘘でしょう!
 あんた、自分から飛び込んだんでしょう!?

少女「――」

 叫びは口から出ていきません。唇は動いても空気が血液と一緒に喉から漏れていくばかり。ごぼりごぼりと不快な音の発生源は、きっと私なのです。

 地面に倒れ伏しました。ぬちゃり。手に伝わる感覚。降る雨。鉄のにおい。ひたひた近づく誰かの足音。私は多分、その名前を知ってます。

 せめて何かを握り締めようとしたけれど、血を失いすぎた体にはそれさえも遠くて。

 あぁ。

 有言実行、したかったなぁ。

―――――――――――――――――――――

『有言実行』有田稀有、死亡
残り8人

―――――――――――――――――――――


 私は汗を拭った。一瞬だけひやっとさせられたものの、万事問題はない。当然だ。だって私は選ばれし者で、他のやつらとは格が違うんだから。
 ま、まぁ、この眼鏡も選ばれし者なんだろうけど、その中でも私は一流なのだ。

 最初は殺し合いと聞いて怯えていた気持ちがなかったわけではない。けど、やっぱり私は一流だ。格が違う。だってほら! こんなにも容易く、あっさりと、もう一人殺してみせた!
 これは私が特別だって証拠に他ならないでしょ!

 ……いったい誰に主張しているんだかわからなくなって、なんとなく頬を掻く。既に1人死んでいると聞いたから、自分を入れてあと八人。七人殺せば優勝だ。
 この能力と、なんでもひとつだけ叶えてもらえる権利。具体的には決まっていないけど、抽象的にはあの宇宙人へ伝えてある。

黒マント「全員が私に従えばいいんだ」

 思わず口調が元に戻った。あぶない。咳払いをして口元を拭う。

黒マント「全員が我に従うべきなのだ」

 『黒光纏いて優雅に踊れ』があれば、殆どの人間は私に従うだろう。ちょっと暴力をちらつかせれば、誰だってホイホイということを聞いてくれる。けど、私が望むのはそんな上っ面の服従ではない。
 心の底からの服従。尊敬。

 さんざん馬鹿にしてくれたクラスメイトや教師や親や、その他もろもろ全て、私の前に傅くべきなのだ。
 靴を差し出せば爪先を舐め、行く先に水たまりがあれば自らが寝そべり橋となる。そして、私のために生きていられたことを、今生の喜びと感じるような人間に作り替えてやろう。

 笑いが零れるじゃない? 凡人の人生を歩むくらいなら、私の礎にでもなったほうが万倍マシってもんでしょ。

ムム「随分と派手にやってくれたものだね」

 どこにいたのかムムがふわりと降り立つ。相変わらず表情が読めないやつだ。困った感じのことを言っていても、全然困った雰囲気を出していない。
 ムムの眼前には積み上げられた死体がある。学校の誰かが能力者らしかったから、とりあえず全員殺してみたのだ。案外手間で、疲れたな。


 大きく伸びをして目頭を指で押さえる。この能力は私にぴったりで気に入ってるんだけど、眼精疲労が欠点。あと、やっぱり机や椅子は格好悪い。もっと似合う何か――例えば煌びやかなナイフとか漆黒の針とかじゃないと。

黒マント「貴様がやれ。それくらいは責任の範疇だろう?」

ムム「宇宙人遣いが荒いなぁ」

黒マント「相互利益と言えど、こちらは手伝う立場ぞ。構わんだろう」

ムム「まったく。あんまり頼られても困るよ」

黒マント「能力を我に寄越したのは貴様だ」

黒マント「生き返らせなくとも構わんぞ? 魂は我の糧となった。彼奴らも至上の歓喜に震えているだろう」

ムム「……たまに、地球人の行動原理がわからなくなるね」

黒マント「ふん。いらぬ世話を焼くな。それは貴様の本分ではなかろ」

ムム「わかったわかった」

 ぬいぐるみはふにゃりと着地して、体内から光を放つ。それは椅子を、机を、壁を、全てを貫通して、教室と言わず学校全体を包みだす。

ムム「流石に大規模な行使は時間がかかるよ」

黒マント「興味はない」

 どうせムムがなんとかしてくれるなら、私が考える必要はなにもないのだ。

黒マント「私――っと。我はそろそろ帰るとする」

 帰路につきながら私は思う。もう学校には行きたくない。今から行っても遅刻確定で、あの愚かで、愚鈍で、愚昧な、なんだ、その、とにかく頭の悪いあんな下等なやつらから笑われるなんてのは堪えられない。
 頭が悪いくせに群れるのだ。いや、頭が悪いからこそ、だろう。一人じゃ生きてられないから。底辺校に通う屑のくせにそういった部分だけは知恵が回る。本能か?


 それか、言葉をすぐに翻すけど、逆に学校へ行ってみるのもいいと思った。あいつらは私のことを知らない。お前らなんてすぐに殺せるんだ――そう思いながら授業を受けるのは、きっと爽快な気分だろう。
 なんなら実際に虐殺してみせたっていい。どうせあの宇宙人が何とかしてくれるのだから。

 あぁ、気分がいい。
 世界はどこまでも広がっていて、誰もがちっぽけな存在の中で、私は、私だけが、唯一無二だ。
 だから全員死ね。

 私を敬え。崇め奉れ。尊敬しろ。
 平伏して、唾を顔面で受ければいいんだ。

 思いついて駅前へと向かうことにする。途中にあるアーケード街は地下と地上の二本立て。狸小路と呼ばれるそこの奥まったところに私の目当てはある。
 刃物屋「ふじよし」。これまで私には買えなかったけれど、今の私には力がある。見たもの全てを意のままに操る邪気眼――『黒光纏いて優雅に踊れ』。椅子と机じゃ格好悪いし、そもそももっと持ち運びに便利なものを用意しないと。

 ムムは言った。能力者は惹かれあうと。意図せずとも、企図せずとも。
 ならば準備をして困ることはない。いつ見つかるか、見つけるか、わからないのだから。


「お、銀島じゃーん!」
「なに、なに、なにやってんの」

 私の名前を呼ぶ声がして、思わずそちらを振り向いてから「しまった」と思った。
 同じクラスの不良だ。汚らしい髪の毛と肌の色で、どぎつい紫の口紅、ラメラメしいアイシャドウ。そんなに人間を辞めたいんだったら屋上から飛び降りたほうが早いのに。

黒マント「どうせ骨格も性根も歪み切ってるんだから」

 口に出た言葉は二人には聞こえなかったみたいだ。けど、関係なしに近づいてくる。下品な大股で。

不良A「サボりなの? うは、悪ぅい!」
不良B「それとも、なに、なんだっけ。アレ」
不良A「あぁ、アレ?」
不良B「そそ。アレアレ」

 頭の悪い会話してるんじゃねーぞブタが。

 ブタは汚い言葉を吐き続け、最終的に言った。

不良「「オタク趣味!?」」

 そうしてまた下品な声でぎゃはぎゃはと笑う。
 私の髪の毛――白銀のウィッグを掴み、地面に投げ捨てる。白銀の毛髪が地面に散らばって、まるで蜘蛛の巣みたいにも見えた。
 天パ気味の髪の毛が露わになって、私はなんとなく、別に全然意味はないんだけど、体を縮こまらせて視線を逸らす。その先には刃物屋「ふじよし」。

不良A「なになに、その反抗的な目ェ」
不良B「っていうか、金くんね?」
不良A「ウチらマジ最近金なくてさぁ」
不良B「ね、いいじゃん。友達でしょー、銀島ちゃぁん」

 私があまり反応を返さないことをどう思ったのだろう。二人はさらに近づいてきて、両側から挟み込むように顔を覗き込んでくる。


不良A「最近付き合い悪くない?」
不良B「あんたが真人間になれるよう、ウチらが手伝ってやってんじゃん」
不良A「そーそー。友達料金ってやつでさぁ」
不良B「金がねぇならウリでもやって金稼いで来いや!」

 踵の踏み潰された、裸足で穿かれて水虫の温床になっているであろうローファーが、私のつま先をぐりぐりとやる。

不良A「ま、あんたみたいなキモオタ、誰も買わないと思うけどね」
不良B「顔も体も性格も、いいところひとっつもないもんね。ぎ、ん、じ、ま」

 ブタらの手が私の肩にかかる。
 私の体に。
 薄汚い手で! 下等な生物が!

黒マント「触るな!」

 ガラスの砕ける音と鈍い音がした。一拍だけ間をおいて、ごとん、と赤に塗れたモノが足元に転がる。
 手首から先だ。

 うぎぃいいいいいいいやああああああああ!
 耳を劈くブタの声。心も顔も醜けりゃ、声まで醜いとは実に、実に救いようがない。

黒マント「『黒光纏いて優雅に踊れ』」

 ガラスを突き破って包丁が、ナイフが、夥しくブタの体に突き刺さっていく。そのたびに一際高い鳴き声をあげて、地面にスタンプを押しながら転げまわる。屠殺のシーンを思い出した。
 残るもう一匹は腰を抜かして立てそうになかった。じわりじわりと地面に広がっていく、血ではない染み。失禁したのだ。ガキか。

 汚い。
 死ね。


 輝く包丁がブタの頬から入って眼窩から抜けていく。「ぐえ」だの、「うぼえ」だの、おおよそ人間らしくない断末魔を上げて、地面にそのまま突っ伏する。

黒マント「どいつもこいつも私をバカにしやがって! どいつもこいつもっ!」

 血がついてしまったウィッグをさっと拾い上げ、小脇に抱えながら、そいつらの頭を踏みつけた。何度も、何度も、何度も!
 息が上がる。そして私は颯爽と踵を返す。ついでにマントも翻す。当然周囲はざわついていて、ついには警察の姿も見えてきた。ムムが何とかしてくれるとはいえ、とりあえず逃げなければ。

 いくつの路地を曲がっただろう。この都市にはスラムこそないが、それでもやっぱり、治安の悪いあたりは存在する。大通りから離れた薄暗い路地。そこはどうしても、悪いものを呼び寄せる。

金髪「お嬢ちゃん、こんなところへ、何しに来たの?」

 血飛沫のついた顔で金髪の男は言った。立ち上がると同時に、金髪が今まで胸ぐらを掴んでいた別の男が、力尽きて地面に倒れ伏す。
 喧嘩――いや、傷害致死。その現場に出くわしてしまったようだ。
 男は顔についた赤いものをぺろりと舐めた。私は僅かに後ずさる。何か、危ない。危険な気がする。なんだこれ。この男。

黒マント「まさか、能力者……?」

金髪「俺様の餌食になりにきたのかなぁあああああっ!?」

 金髪が飛びかかってきた。速い。躊躇がない。
 包丁とナイフを展開――しかし怯まない。

金髪「喰わせろぉっ!」

黒マント「ちっ!」

 舌打ちをして後ろに跳ぶ。足元には砕けたレンガがちょうど二つあった。それに飛び乗って、地面を滑るように高速移動。
 同時に包丁を投擲する。距離はそこそこ離れているが、まだ効果圏内!


 ざく、ざくと鈍い音。包丁が二本、金髪の腕に突き刺さっている。血は腕を伝って地面へ滴るけれど、金髪は突進を続けてくる。こいつ痛覚がないの!?

??「悪、即、ざぁあああああああんっ!」

 喊声が聞こえた。
 私の足元に影が落ちて、同時に人も落ちてきた。

 茶色い棒――木刀が真っ直ぐ地面に突き刺さり、軌道上に存在したありとあらゆる物を一刀両断にする。勿論それは腕すらも例外ではない。
 鮮血がビルの外壁を濡らした。金髪の左肘の先が音を立てて落下し、振りまいているのだ。
 金髪は消えた左ひじから先をぼうっと見つめていたが、やがてにやりと笑った。

金髪「まぁた邪魔しにきやがったか! 『悪即斬』!」

 「悪即斬」と呼ばれたのは詰襟姿の少年だった。情熱的な顔つきで私を一瞥すると「早く逃げろ」とだけ呟いて、木刀を構える。

詰襟「何故人を殺す」

金髪「なぁにバカ言ってんだバーカ! 所詮この世は『弱肉強食』だろうがよ!」

詰襟「ブレないな、てめぇも」

金髪「ぎゃはっ! てめぇに言われたか、ないぜぇ!」

 両者が同時に飛び出した。
 私の脳裏には、「能力者同士は引き合う」という言葉がリフレインしていて。

 だからこう思うのは決しておかしなことじゃない。寧ろ当然のことだと言えるだろう。

黒マント「よっしゃ、殺そ」

――――――――――――――――――――――

残り八人

――――――――――――――――――――――

一旦ここまで
saga入れ忘れてピー音入ってしまいました。すいません。

とりあえず前スレで投下した分までは本日中に投下予定です


金髪「ぎゃはっ!」

 片腕の金髪はやはり痛覚などないみたいに木刀へ立ち向かう。というか、互角以上の戦いを演じている。
 一撃は木刀の方が大きいのだろうけど、金髪の武器はその全身で、打撃以外にいくらでも細かな動きができる。木刀を掴んで捩じる動きが入るだけで詰襟には不利だった。

 眼にもとまらぬ速さの斬撃。本来木刀で物なんて切れないだろうに、きっと能力のためなんだろう、詰襟の持つ木刀はコンクリートすら容易く切り裂く。
 流石に金髪も太刀打ちできないと踏んで、一歩下がった。

 私はそんな二人の戦いを、一旦去ったふりをして、レンガに腰かけた状態で上空から見ている。決着がついて疲弊しきったところを狙うのだ。

黒マント「漁夫の利、漁夫の利。くくっ」

 笑いが零れる。あのまま戦いに巻き込まれていれば危なかったけれど、詰襟のおかげでスムーズに撤退することができた。彼には感謝しなければならない。

詰襟「この狂人め」

金髪「はぁっ!? 俺のどこがイカれてるっつーのよ!」

 木刀をいなして金髪はさらに一歩後退する。
 足元には、先ほど彼が殺した男性が転がっている。

 それの手首を掴んで持ち上げた。

詰襟「やめろ」

金髪「いやだね」

金髪「弱肉強食。所詮この世は、こんなもんだろぉ!」

金髪「いただきまぁす!」

 びりびりびり、と金髪の上着が裂けて。
 ぐぱぁ、と金髪の腹が割れて。
 がぶり、と死体に喰らいついた。

 ぼき、ぼき、ぼき。
 ごきん。
 ごっくん。


 咀嚼の音だけで耳がおかしくなりそうだった。精神が病んでしまいそうだった。あの口――あんな口、あれが能力でなくて一体なんだっていうのか。
 おぞましい。

 思わず胃の中身を戻しそうになって下を向けば、詰襟が金髪に切迫していた。唸る木刀。それをひらりひらり回避する金髪。

詰襟「この人殺しめ」

金髪「だから弱肉強食だろぉ? お前だってそうだ。あの宇宙人の口車にまんまと乗せられて」

金髪「俺を殺さなきゃ願いは叶えてもらえねぇぞ」

金髪「俺を殺さなきゃ、俺がお前を殺しちまうぞぉおおおおおっ!?」

 一際大きく声を上げて金髪は突っ込んでいく。なぜだか左腕は再生していた。先ほどの行い、カニバリズムが無関係だとは思えない。きっとそういう能力なのだろう。

黒マント「ふむ。随分と悪趣味なことよ」

 だいぶ落ち着いてきた。平常心、平常心。口調もほら、元通りだ。

??「実にその通りだと思うけど」

 炸裂音。

 空気を震わせる乾いた音が響いて、僅かな遅れもなく、私の右手の薬指と小指が跡形もなく吹き飛んだ。
 痛みはない。代わりにただ焼ける感覚だけがあった。

黒マント「――――ッ!?」

 そして今更やってきた激痛が、が、うぁ、んんんんんっ!


 歯を必死に喰いしばっても隙間から空気が、声が、漏れていく。涙も目じりに溜まる。痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい

黒マント「ぐ、ぅううう、が、あぎ、っ!」

 バランスを崩してレンガから足を踏み外した。
 やばい。

黒マント「『黒光纏いて優雅に踊れ』ゥウウウウ!」

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!
 幸い下にはポリバケツやらごみ袋やらがある! 金髪と詰襟に見つかっちゃうのはしょうがないけど、それで、なんとか!

 衝撃が体を襲った。臭気が鼻を衝いて思わず顔を顰める。腐った汁がマントやらブレザーやらに染み込んで、泣きたくなる。
 指の先は吹き飛ばされたはずなのにじんじん痛んで私を苛んだ。でも今の私にはいい気付けだ。ぽかんとしている金髪と詰襟を尻目に、私はマントの裾を引き裂いて、腕をきつく縛っておく。

 存外思考は回った。誰だ。誰が私を。どこから狙った。攻撃手段は。
 とにかく動かなければ。こちらはまだ相手の場所も掴んでいない。一旦退いて、相手の出方を窺わなければ二の舞になる。まずは敵を炙りださずして始まらない。

黒マント「くっ、我が、こんなっ」

 ポリバケツの蓋に飛び乗って、そのまま猛烈な勢いでその場から去る。人気の多い通りに出るが気にするものか。寧ろいい壁にすらなってくれるだろう。

 あたりを見回す。どこだ。どこにいる。どこから私を狙ってる!?

 私の能力には射程範囲がある。これより外から狙われては絶対に太刀打ちできない。敵がこの能力の詳細を知らないのがせめてもの救いだろう。おびき寄せて、必ず殺す。
 最後に勝つのはこの私だ。
 全世界が私にひれ伏すのだ。


黒マント「……どうだ?」

 蓋に乗ったまま空を飛んでどれくらいがたっただろう。撒こうと蛇行してきたから、直線距離ではそれほど遠くまで来ていないと思う。それでも五分くらいは能力を使いっぱなしだ。流石に眼も、疲れた……。

 私はとあるビルの屋上に着地した。能力を解除して蓋を地面に落とす。重心を預けていたものだから、そのまま尻もちをついてしまった。
 だいぶ疲れている。眼精疲労だけじゃなくて、全身に気怠さが感じられた。
 頭が痛い。

黒マント「ちょっと、酷使しすぎた、かな」

 この頭痛が敵の攻撃だとは思えなかった。

 とりあえずここでしばらく休もう。そうしたら家へ帰るしかない。閉じこもるのは趣味ではないし、負けた気がして癪だが、相手の姿がわからない以上打って出るのは愚策だろう。
 漫画とかラノベだったら、もっと軽々追っ手を撒いて、逆に敵の背後をとったりもできるんだろう。憧れていたその世界に入門こそしたけれど、境地には遠い。

 二次元の世界はいい。憂世を忘れさせてくれる。嫌な親、教師、クラスメイト。あんな邪悪な存在は物語の世界には存在しない。
 これはきっと可哀そうな私へ神様がくれたプレゼントなのだ。そして、優秀な私は全人類を統べる権利があるというメッセージで。

 包丁を確認する。どさくさの中でもちゃんと持ってきていた。偉いぞ私、と自分を鼓舞する。
 その数四本。少し心許ないが、まぁしょうがない。能力で持ち運ぶのにも限界がある。

黒マント「そろそろ、限界、かな」


 指が二本消えてしまったことのショック、そして体のバランスの喪失は著しい。ぐちゃぐちゃになった肉と骨が付け根にぶら下がっていて、正直見ていられないくらいだ。

 痛い、痛い、痛い。気を抜いたらまた涙が出てくる。深く呼吸をして、落ち着けなければ。

 カラーコンタクトを外す。ずれてしまって視界がおかしい。折角ネット通販で買ったブレザーも、マントも、ごみのにおいがついてしまった。洗ってとれるだろうか。

 私の大好きな能力バトルの漫画。主人公は銀髪赤眼の闇剣士、ブリュンヒルデ・ノワール。能力名にもなっているそれだ。
 日本刀を武器にする彼女と同じ能力にはならなかったけど、こんな漫画みたいな展開を私は望んでたんだ。しかも願い事をかなえてくれるおまけつきなんて、大盤振る舞いもいいところじゃない?

 疲れもだいぶ取れてきた。立ち上がって、スカートについた砂埃を払った。屋上はやっぱり静かで、私の心を落ち着かせてくれる。

黒マント「万事問題はない。『黒光纏いて優雅に踊れ』は無敵だ」

黒マント「誰だって黙らせてくれるわ。そして我が勝ち残る」

黒マント「すべての人類に、眼に物見せてくれようぞ」

 居丈高にそう宣言する。唯一それだけが心の支えだから。

 炸裂音。

黒マント「――が、ぐぅ、っあ!?」

 衝撃で体が持ってかれる。後ろから前に貫かれる形で、左肩が爆ぜた。
 視界がちかちかする。

 どこへ行ったよ! 私の左肩!
 なんで、こんな、痛いなんて……!
 体の一部が欠けてしまうだけでこんな痛いだなんて、誰も教えちゃくれなかった!


 けど、どうやってこっちの居場所がわかったっての!? 空飛んできたのよ、こっちは。くそぉ!

 呼吸が浅い。脂汗が滲んでいる。体が発するアラートがうるさくてうるさくてたまったものじゃない! 従えるんだったら私だって従いたいよ!

黒マント「後ろから、前……!」

 歯を喰いしばって振り返る。

 敵は後ろ!

 炸裂音。
 今度は右の耳が弾け飛ぶ。

黒マント「っつ、がぁあうう……!」

 ボロ雑巾のようになった外耳が地面にへばりついた。ともすれば消失した耳に意識が向いてしまうのを、息を吐いて、眼を見開いて、必死こいて敵の姿へ焦点を定めようとする。
 涙で視界が歪む。ブタどもに殴られたときだって、蹴られたときだって、こんなに痛かったことはなかった。

 背後――少し離れたもう一つのビル、その屋上の鉄扉が音をたてて閉まり始めていた。そして階段を下りる音が、僅かに反響して耳に届く。
 逃げた。その答えに辿り着くのは一瞬だ。

黒マント「逃がすか! 追いついてぶっ殺してやる!」

 ポリバケツの蓋に飛び乗った。血が頬を伝い、肩を伝い、地面に点々とした血の跡がつく。腕を動かすたびにびりびり痛み、灼熱感もまだ相当あるけど、失血はそれほどでもないのが唯一の救いだった。
 とりあえず失血死、ということは当分考えなくてもよさそうだ。まずは襲撃者を殺す。そのあとゆっくり治療はすればいい。
 よし。


 問題はまだ相手の姿かたちがわからないことと、能力。
 こんなとき二次元のキャラだったらどうするだろう。ブリュンヒルデ・ノワールだったら? それは当然任務遂行だ。華麗に追いつき、裏をかいて、余裕綽々の大勝利。うん。私にだってそれしかないよね。

 指とか、肩とか、耳とか、こんなものは名誉の負傷だ。

黒マント「多分、あっちの能力は銃撃」

 激痛を紛らわすためにぶつぶつ呟く。

黒マント「炸裂音は、きっと、多分、銃声だ。聞いたことないけど」

黒マント「あの詰襟みたいに、物を強化する力? それとも銃の具現化か?」

黒マント「けど、それを可能にする『生き様』……」

 まぁ私の『黒光纏いて優雅に踊れ』だってサイコキネシスを望んだ生き様じゃないし、そのあたりは字面とか、語感とか、だいぶ自由な解釈がされているんだろう。

 銃撃は、最初は指、次に肩、最後に耳を狙った。それを必然だと片付けるつもりはない。狙うなら当然頭だ。つまり、自然に考えるならば、敵は銃撃自体には慣れていないのだろう。
 けれど次は。思考する。段々と狙いはあってきている。耳の次が眉間でない保証はどこにもない。勿論私が動いていればその限りじゃないんだろうけど。

 ビルに突入した。テナントが小さなデザイン事務所一件しか入っていない、殆ど廃ビルみたいなものだった。警備員やら利用者にも殆ど出合わず、敵を捜索する。
 物陰は少ない。天井も低いし。そもそもフロア面積が小さい。銃撃の心配が少ないのはありがたかった。


黒マント「逃げられたか?」

 だとしたらどこへ。屋上から去るのより、私がビルに突入するほうが圧倒的に早かったはずだ。入り口以外に出入りできるところは……、
 非常口!

 緑色のランプが点灯している鉄扉、それを開けるのさえ億劫で、私は『黒光纏いて優雅に踊れ』を使ってぶっ飛ばす。外には赤錆びの浮いた鉄階段があった。上の階を見れば鉄扉が開いたままになっている。
 下には? ――人影がない。

黒マント「逃げられた! くそ!」

 いや、逃げられたと言ってしまうのは語弊がある。相手はこちらを依然として窺っているかもしれないのだ。まだ安心はできない。

 炸裂音――火花――階段の手すりが爆ぜる。

 ほら! やっぱりまだ逃げていなかった!

黒マント「どこだ!」

 また屋上か!?

 蓋に飛び乗ってそのまま空中へ。殆ど垂直に地面へ落下し、私は人ごみに紛れるべく、大通りへと走っていく。
 私の怪我と臭いにすれ違う人が顔を顰め、怪訝な表情を作っていくが、そんなことはお構いなしだ。どうせ肉壁なのだから。
 それにしても、経験から言って、歩みを止めるのは愚行以外の何物でもないと思った。敵は隙あらばこちらを射殺しようとしてくる。このあたりの地理を熟知しているのか、器用に隠れ、逃げながら。


 何も準備の無い私は不利だ。
 それでも、私は負けない。ブリュンヒルデ・ノワールの名にかけて。

 とにかく、このまま人ごみに紛れて地下へと入ろう。高低差がないだけでもだいぶ気にする箇所は減る。にらみ合いになるのかもしれないけど、その時はこちらが逃げればいい。機動力は私の方が絶対に上なんだから。

 と、スマートフォンが鳴った。警戒を絶やさないように意識しながら応答する。

??「や、元気?」

黒マント「あんた……!」

 私に、嘗て能力者の居場所を一方的に教えてきた、目的不明の妖しい存在。
 『天網恢恢疎にして漏らさず』。
 今、なにしに電話を?

黒マント「……要件はなんだ」

??「なんだ、って言われても。困るね」

黒マント「我は今取り込み中だ。冷やかしなら切る」

??「あぁ、ちょっと待ってよ。言いたいことがあるんだ」

 また能力者の居場所を教えてくれるのか? それなら狙撃者の居場所を教えてくれ。切実にそう思う。

??「きみ、やりすぎだよ」

黒マント「え?」

??「一般人を巻き込みすぎ。最悪だよ」

??「もうちょっと踊って欲しかったんだけど、お役御免だ」

黒マント「何を言っている」


??「あれ、わからない? 底辺校なだけあるね。頭が悪い」

 いや、わからないはずがない。嫌な予感がしたのだ。そちらに脳のリソースがとられて、うまく考えられないだけなのだ。
 ずっと私は手のひらの上だったのか?

黒マント「狙撃者をけしかけたのはお前かっ! 『天網恢恢』!」

 用済みになったから。
 真偽はともかく、与えられた情報を元手に襲う類の人間がいることは、なにより私が一番よく知っていることじゃないか!
 斡旋者、仲介人、死の商人。『天網恢恢疎にして漏らさず』を喩えるならこんなものだろう。

 怒りがふつふつと沸いてきた。馬鹿にしやがって。

黒マント「てめぇも私を馬鹿にしやがって!」

??「違うよ」

 極めて愉快そうに天網恢恢は言った。

??「私が、狙撃者だよ」

??「ちょっと顔を上げてごらん」

 ちょうど信号機を渡りきったところで、青から赤に変わったところだった。
 見上げれば、一階にコンビニが入ったアパートがあって、その屋上に、

 携帯電話を持った、女子が。

 ライフルのようなものを持った、女子が。

 私と視線を合わせると、手を振った。

黒マント「『黒光纏いて優雅に踊れ』ゥウウウウ!」


黒マント「その余裕が、貴様の死因だ!」

 私は跳んだ。三階建てのアパート。普通ならばなにしたって間に合うはずがない。けれど私は普通じゃない。銀髪赤眼の闇剣士なのだ。

 ここは外。屋外。人通りの多い大通り。真昼のオフィス街。
 視界いっぱいに無機物があふれてる!

 車を!
 十台まとめて、ぶっ飛ばす!

 発破解体もかくやと言わんばかりの轟音が響いた。アパートの外壁が無残にも崩れ落ち、土埃で煙幕ができる。
 これなら銃撃だって意味を成すまい。

 同時に私はベンチに飛び乗った。それを浮かせて、猛スピードで屋上へと突っ込んでいく。
 包丁を展開。

 煙幕を潜り抜けながら、私は先ほどの女子に切迫する。天網恢恢疎にして漏らさず。この距離なら銃撃の方が早いと踏んだのだろうが、それは大きな勘違いだ。
 私だっていくつもの修羅場をくぐっている。そう簡単にやられはしない。

??「なっ!?」

 銃撃が来るよりも先に刃を煌めかせた。先手必勝。あっちの能力の全貌がわかっていない以上、時間をかけるのは愚策だろう。
 ざく、ざく、ざく、ざく。包丁が四本、全て、確かに突き刺さる感触があった。体を食い破って切り刻む鋼の刃たち。念には念を入れて、さらに追加で頸動脈、腹、胸に深々と押し込んでおく。

 がひゅ、がひゅ、という空気の抜けていく音だけが聞こえて、それもやがて静かになった。
 
 ほら! やっぱり私が一番強いんだ! ブリュンヒルデ・ノワールに敵なんていない! 原作通りじゃん!

??「もうそういうのいいから」

 背骨から臍にかけて衝撃が走った。
 四肢の自由が不意に効かなくなって、思わず地面に倒れこむ。受け身もできない。手も付けない。顔面から地面に倒れて、なんだこれ、なにこれ、どういう、え、なにこれ!


 地面を舐めた舌が鉄くさい。これは誰の血だ? 天網恢恢の血? そうじゃなかったら、いや、そんなはずはない。じゃあ、でも、なんで私は動けないの?

 遅れてお腹が爆発した。

黒マント「うぐぃいいいいあああああがああああががががああああぎぃいいやああああああああああああ」

 やだやだ痛いこれなにこれこれなに痛いこれこれ!
 声が続かない息が続かないけど心が! 神経が! そうしないと焼き切れる!?

 のたくってものたくっても前に進まない! それに、どうして!? 脚が動いてる感じ、全然しないんだけど、なんで、なん、あああああああああああああああああ!

 おかしい!
 おかしい!
 こんなのって! 知らない! おかしい!



 漫画でもラノベでも、誰も怪我なんて痛そうにしてなかった!



 やだ! やだ! 嫌だ! そんなの、こんな、だってこれ、怖い!
 死にたくないよ!

 死にたくないよ!

 なんで私ばっかりこんな目にあうの?
 私何も悪いことしてないのに。

 やだ、やだ、やだよ。
 誰か。

 たすけ、

 たす、あ、

 なんで?

――――――――――――――――――

『邪気眼』銀島路銀、死亡
残り7人

――――――――――――――――――

 あたしは二つの死体の片方、ライフルのモデルガンを抱えた、包丁で滅多刺しにされている女の子に歩み寄った。
 財布から福沢諭吉を五枚取り出して女の子の傍らに放り投げる。

 ひらひら揺れて、血の池に落ちた。

 言ってた報酬の五万円。あの世までお金は持っていけないって言うけれど、地獄の沙汰も金次第とも言うから、せいぜい有効活用してほしいと思う。間違ってもあたしを呪ったりはしないでね。
 ちょっとお金を掴ませて、身代わりになってもらっただけでこの結果だ。やっぱり他人なんてちょろいもんだ。

 風が吹いて、あたしのぼさぼさの髪をさらにかき乱す。
 寝癖を手櫛で直そうとしたけどうまくいかない。天パで髪質が硬いから本当に困っちゃう。鏡を見るたびに、まるでもっさりした猫みたいだと思うもの。

 腕章、スカジャン、ハーフパンツ。いつもの格好は心が安らいで、これが日常の延長線上であることを教えてくれる。でもそれでいいのだ。そうじゃなきゃ、こんなのただの悪夢じゃない。

 あたしは一度腕章のずれを直し、大きく息を吸って、吐いた。
 大きく腕章に書かれた「報道」の文字。今日も世界はこんなにハチャメチャだから、私の出番も、能力も、大いに盛り上がるってもんでしょ。

 天網恢恢疎にして漏らさず。
 神様の目と耳は、決してどんな情報も逃さない。
 光景も。物音も。感情だって!

 あはっ!

腕章「残り7人」

 あたしは呟いた。開始二日でもう三人が死ぬなんて、予想以上にペースが速い。まぁけしかけたのはあたしなんだけど、やっぱりちょっとは罪悪感もあるかな。
 この能力さえあれば情報戦はいくらでも制することができる。そして情報さえあれば、いくらでも金は手に入るし、武器だってほらこの通り。本物の猟銃だよ?


 使い方もまた能力で分かったけど、頭と体は繋がっているとはいえイコールじゃない。理解と感覚にはだいぶブレがあった。だからこの『邪気眼』を倒すのにも時間を喰っちゃったのだ。

 けど流石に腕が痛い。手首も痛い。痛いっていうか、激痛。骨折してないよね? これ。
 思ったより猟銃の反動はやばかった。簡単にはいかないもんだ。邪気眼じゃあなくても、漫画やアニメとはわけが違うなって実感したよ。

ムム「やぁ、お疲れ様」

腕章「お疲れ様」

ムム「まったくもう大変だったよ。散々散らかしてくれるんだもんなぁ」

 まったく大変そうじゃない顔でムムは言った。表情が本当にあるのかはわからない。この宇宙人にもあたしの能力は通じるから、大変なのは本心なんだろうけれど、信じられない気持ちもまたある。
 散らかしたのは死体やら車やら色々だろう。邪気眼もそうだし、弱肉強食も、悪即斬も。あいつら全員周りを顧みないキチガイなんだから。

 あいつらを観察しているとどうしたってあたしの頭も痛くなる。ハチャメチャは嫌いじゃないけど、あいつらはハチャメチャすぎる。やりたい放題は無節操で嫌いだ。情報が錯そうして整理の余地もない。
 そう、情報。私にとってはそれが全てで、世界にとってもそれが全て。

 情報を制する者は世界を制する。つまり、あたしが世界を制するというこの完璧な論法。

 大きく伸びをした。近くでパトカーのサイレンが鳴っている。ムムに目配せをすると、彼――彼女?――は尻尾を一振り、あたしを一瞬で近くのコンビニへと送ってくれた。
 どうせなら学校まで送ってくれればいいのに。学校を抜け出しているから、なるたけ早く戻らなければまずいのだ。これでも優等生でとおっているわけだし。


ムム「そう言わないでくれよ。この瞬間移動だって、『邪気眼』をなんとかしてくれたお礼みたいなものなんだからさ」

腕章「そんなに困ってたの?」

ムム「困ってたっていうか……現地人の記憶なんていくらでも操作できるんだけど、手間ではあるからね」

ムム「まぁ、これくらいやってくれたほうが、観客ウケはいいんだけどさ。難しいところだよ」

 ぬいぐるみに似た宇宙人も、すっごいサラリーマンをしているみたい。なんだか面白い。
 おっと。もう学校を抜け出してから一時間以上が立っちゃったことに、あたしは遅ればせながら気が付いた。これはまずい。国語はサボってもいいけど、数学は授業を聞かないとおいてけぼりだ。

 ムムを見た。だけど、二度はないよと言わんばかりにそっぽを向かれ、姿を消された。まったく融通の利かない宇宙人ですこと。

 そうして学校まで走って、辿り着いた時には昼食時間に差し掛かっていた。仕方がない。数学のノートを誰かに見せてもらおう。
 肩をぐるりと回した。ふぅ、これで少しはリラックスできる。

 能力者の気配も1つだけになったことだし。

 あたしは能力者の存在を感知することができる。とはいっても、そんなに細かくはわからない。あたしを中心とした半径数キロ以内にいるかいないか。いるならどれくらい近くにいるか、その程度。
 だから今日も「邪気眼」を追跡することができたし、「弱肉強食」と「悪即斬」の戦いを観察することもできた。

 結果的にはあたしが「邪気眼」を殺してめでたしめでたし。「弱肉強食」と「悪即斬」にも意識を向けていたけど、どうやら弱肉強食が逃げる形で終わったらしい。あの二人も本当にトムとジェリーなんだから。


 ま、あの二人はきっと大丈夫。「悪即斬」は性格的に自分から戦いを挑んではこないし、「弱肉強食」の凶行は「悪即斬」が止めてくれる。
 目下の問題は、今感じている一つの気配だ。

 あたしの学校にはもう一人能力者がいる。
 それが誰かはわからない。

 一通り探し回ってはみたけれど、「邪気眼」のように往来で能力をぶっぱなすバカはそうそういない。尻尾を掴むことさえできなかった。
 今のところ目立った動きがないといって安心はできないだろう。逆にいつこちらが標的になるかもわからないのだから、警戒はするに越したことはない。

 けれど、どこかにいるのだ、必ず。どこかには。

 少しだけ肌にピリピリしたものを感じながら、こっそりと校内へと入っていく。保健室の扉を開け、「すいません、頭痛いんですけど」。

 熱を測らされる。当然あるわけないけど指示には従わないと。ソファに腰かけながら、僅かに思索を巡らせた。

 残りは七人。そのうちあたしが知っているのは「弱肉強食」「悪即斬」だけ。不明は四人で、そのうち一人があたしの学校にいる。

腕章「厄介だなぁ」

 学校に能力者がいるのであれば目立つ行動は避けたい。けれど、情報を入手し先手を打つためには、行動はどうしたって必要になる。
 あたしの能力は全く戦闘向きじゃない。裏をかき、欺いて、反撃の暇を与えずして勝たないと。

 携帯電話をこっそりと開く。アドレス帳に記載された「悪即斬」から「猪突猛進」までの名前の中に、もう手駒として使えそうな能力者はいない。そろそろ自ら動く頃合いなんだろうけど、度胸が出ないのはたぶん、あたしの悪癖だと思う。


 電子音が脇の下から聞こえてきた。熱の有無を聞いてきた保健医に、問題ないことを伝えて部屋を後にする。同時に四時間目終了のチャイムが鳴った。
 タイミングよくお腹も鳴った。

 どうやら、人を殺した後でもお腹は空くものらしい。

―――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――

 六時間目の終了を投げるチャイムが響いた。歴史の教師は板書を辞め、教科書を一瞥してから「次回はこの続きからやるぞ」とだけ言って、鷹揚に教室を後にする。

友人「体調大丈夫?」

 友人が聞いてきたので私は頷いて胸を張る。夜更かしが祟ったかな、なんて嘯いて見せたりもした。

友人「ね。なんか甘いもの食べたくない?」

腕章「またパフェ?」

友人「うん!」

 大きく友人は頷いた。女の子らしい私服がひらひらと揺れる。あたしのスカジャンとは大違いだ。

腕章「太るよ」

友人「食べても太らない体質だから」

腕章「こないだ体重増えたって言ってたのはどこのどいつだ」

友人「あれはおっぱいのぶんだし!」

腕章「そうだったっけ」

 あたしは手帳を見て、

腕章「あぁ、そうだね。CからDに……」

友人「具体的に言わなくてよろしい」

 チョップが一発。ぐえ、と大袈裟に声を出してやった。
 周囲の男子生徒が聞き耳を立てている。うーん、やっぱり気になるものなのかな? 男の子としては、おっぱいとかは。

 話を切り替えるために咳払いを一つ。


腕章「でも、ごめんね。あたしこれから部長会あるからさ」

友人「あ、そっか。頑張ってね!」

腕章「勿論!」

腕章「弱みをちらつかせれば、誰だって一発だよ!」

友人「あんたが言うと嘘に聞こえないから」

 笑う。

 あぁ、やっぱりいいなぁ、友達って。
 うん、再確認。

 他愛ないやりとりこそ宝石のように眩しくて、衒いの無い、ましてや虚偽なんてあるはずない、そんなコミュニケーションがあたしの理想。
 相手のことを知って、あたしのことも知ってもらって。

 情報を共有して。

 プライバシーなど存在しない。

 隔てるものなど介在しない。

 肉体と肉体の境界線は肌で、それはあたしたちが生物である限り逃れられない、越えられない宿命だけど。
 情報は。データは。
 共有できる。わかりあえる。隠し事のない平和な世界を、構築できる!

 完璧に情報の公開された世界をあたしは作ろう。

腕章「じゃね。ばーい」

友人「ばぁい」


 軽く手を振って、向かう先は会議室。
 扉をスライドさせると生徒会の面々が既に座っていて、長い机に椅子が全部で十五個。生徒会五人、プラスで公認部活動の十人ぶん。

会長「やぁ、道山くん」

 気障ったらしい声と口調で、真っ先に生徒会長が声をかけてきた。あたしははっきり言ってこの男のことをいけ好かなく思っているので、誰にも聞こえないように小さく鼻を鳴らし、早口で「こんにちは」と言った。
 さらに腹立つことに、この男の席、あたしの席の真正面なのだ。
 こいつがもし能力者なのだとしたら、あたしは殺すのを一秒たりとも躊躇わないだろう。

 会長を挟む様に副会長と会計。両端に書記が二名。会計以外は全員男。眼鏡率がやたらに高くて、一分に一回は誰かしら眼鏡をクイって上げる。顔にあってないんじゃないのって心配になるくらいだ。
 というか、この部長会、あたしと生徒会会計以外は全員男子だった。男女比実に15:2である。

 既に部長はまばらに来ていて、吹奏楽部、放送部、文芸部といった文化系が主だった。野球部、サッカー部、バスケ部などの運動系はまだ現れてない。

 そうこうしてから約十分後に全員が席へと着いた。ずらりと十五人。全員がそれなりにきちっとした表情をしている。
 それもそのはず。生徒会と各部の部長が集まるこの部長会、今回の議題は各部活の活動予算についての異議申し立てだからだ。

 先週活動予算が生徒会会計の手から配られ、実績、活動内容、部員数に応じて増減した数値が行き渡っている。我が新聞部は横ばいだったけれど、野球部はそれなりの額が減らされていて、反対に吹奏楽部は増えている。
 その他もろもろ、気に食わない人が出るのは仕方がない。意見を聞き、会計が説明するのがこの時間だ。きちっとした表情も、ぴりぴりとした空気も、当然と言えば当然。

会計「では、部長会を始めます」


会計「本来であれば司会進行が副会長、議事は会長が行うのですが、今回は予算に関する部長会ですので、会計の私が取り仕切ります」

 会計はいつもと変わらない目つきの悪さでそう言った。
 胸元に輝く懐中時計はおしゃれのつもりなのかもしれないけど、寧ろ彼女にこそ眼鏡を誰か与えるべきだろう。

会計「まず、事前に異議申し立てをしていた野球部から。部長、発言してください」

野球部「単刀直入に言うけど、なんで俺たちの予算が減らされてるわけ?」

 怒気を隠さずに坊主頭の部長は言った。いや、主将って言ったほうがいいのかな。

会計「実績がありませんから。以上です」

 一刀両断だった。快刀乱麻だった。まさにすっぱりと、一秒の思考の時間すらなく、会計は主将を睨みつける……いや、単に一瞥しただけかも。
 主将は一瞬だけ激昂の様子を見せたが、流石に自制した。大きく深呼吸をして、尋ねる。

野球部「それだけか?」

会計「それだけです」

 すっぱり。ばっさり。

野球部「そんな理由で――!」

会長「『時は金なり』」

 ついに主将が激昂しようとしたその時、ぼそりと会長が呟いた。

会長「会計はきみたちの実績を理由に予算を減額の提案を出した。そして、生徒会も先生たちも、それを承認した。わかるかい、キャプテン、この意味が」

野球部「にしても、一方的過ぎる」

会長「そういうことじゃないんだ。そういうことじゃないんだよ」

 まるで子供に言い聞かせるような生徒会長。


会長「スポーツと言うのはそういうものだろう? だから、『そういうことじゃあ』ないだろう?」

会長「きみたちは実績を出しさえすればいい。そうすれば、減額は今年いっぱいでおしまいだ」

 いやな空気が流れる。ただし、その空気は部長側にのみ蔓延していて、あちらとこちらでは大きな距離の隔たりが――断絶が存在しているように感じられた。
 これは予算のやり取りじゃないのだとあたしは今更ながらに気が付く。パフォーマンスだ。生徒会に、今更予算を変更するつもりなんてない。あたしらの意見を聞き入れるつもりなんて、はなからありゃしない。

 実績を出せと言い続けるだけでいいのだ、あちらは。ぐうの音も出ない。野球部が五年連続一回戦で負けているのは事実なのだから。

会長「『時は金なり』」

 会長はもう一度繰り返し、手を組みなおす。

会長「時間を使いすぎると後がつかえる。野球部も、早く練習したいだろう。実績を出すために」

 「実績」をことさらに強調して、生徒会長は言った。
 主将はしぶしぶという風に、けれど自制は果たしたらしく、引き下がる。
 会長が会計に目配せをした。会計は頷き、胸元の懐中時計を見る。

会計「『時は金なり』。至言ですね。では、ほかの部活動、何かありますか?」

 当然、返事はなかった。

―――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――

後輩「先輩先輩せんぱーい!」

 新聞部の部室を開ければ、大声ととも後輩が突進してきた。ポニーテールがぴょこぴょこ跳ねる。全くいつもどおりうるさくてかわいい後輩だ。そして我が新聞部唯一の部員でもある。
 いや、幽霊部員ならたくさんいるので、彼女が唯一というには語弊がある。幽霊部員の対義語……生存部員? 人間部員? どちらもクリティカルじゃない気がするけど。

 とにかく、いまこの新聞部を回しているのは、あたしと後輩の二人だけ。気は楽ではある。たまに手が足りないくらいで。

後輩「どうでしたどうでした!? 部長会議」

 後輩はやたらめったらに言葉を繰り返す癖がある。慌てているのではなく単純に好奇心が旺盛なだけなのだ。そしてそれは、報道に携わる者として何物にも代えがたい才能であるとあたしは思う。
 小さく「まぁ、ね」と唇を湿らせ、大した進展もなければ後退もなかったことを伝えた。我が新聞部は存続し、例年通りに部費も降りる。

 後輩もどうやら気になっていたようだ。安堵の表情であたしよりもある胸を撫で下ろし、すぐに眼を見開く。

後輩「じゃ、じゃ、安心したところでフィールドワークにいきましょうよ!」

腕章「フィールドワーク? あてはあるの?」

 今日はフィールドワーク――調査も取材も予定がない。だのに後輩がこう言いだすということは、恐らく新しいネタを掴んだのだ。もしくは興味ある出来事が。


後輩「都市伝説ですよ、都市伝説!」

腕章「都市伝説ゥ?」

 つい怪訝な声が漏れてしまった。高校生になってまで都市伝説とは。
 あたしたちはジャーナリストであって、ゴシップ記事を専門にするようなフリーライターではないのだ。そのあたりの矜持を忘れてはならない。都市伝説は、どう考えてもゴシップ寄りだ。

 けれど後輩はあたしのそんな反応を予想していたようで、手を大袈裟にぶんぶんと振り、「違うんですよぉ」と叫んだ。

後輩「ただうさんくさいだけじゃ先輩には言いませんよ。実際にあるんです、そこ」

 言い切った後輩に眉を顰める。内容の真実如何ではない。表現の仕方にだ。

腕章「……あんた、事前調査した?」

後輩「もちろん!」

 やっぱり。
 都市伝説につきものの「友達の友達」からの伝聞ではなく、後輩は断言した。こいつは無責任に断言しない。まったく、勝手に動いて……。
 けど、都市伝説が実在した。幽霊の正体見たり枯れ尾花とは言うが、枯れ尾花であったと発表するだけでも、なかなか有意義なことではないか。

腕章「どの都市伝説?」

後輩「『進めない門』です」

 わが町の都市伝説は、確認されているだけで五つある。


 とあるビルとビルの隙間に存在するという『二つの太陽』。
 深夜に這い出るという『マンホールの住人』。
 全身を原色に彩った『鮮烈な彩人』。
 コンビニやファストフード店にやってくる『ゴリラのライダー』。

 そして、入ったけれども屋敷に辿り着けない、『進めない門』。

腕章「……」

 あたしは手帳をめくった。そこには様々な情報が載っていて、『進めない門』についてのそれも、当然ある。
 町はずれに広い敷地を持った大きな屋敷がある。誰が住んでいるのかは誰も知らない、古ぼけた屋敷だ。そこに遊び半分で忍び込んだ学生たちがいた。けれど、いくら進んでも進んでも、彼らの位置は門から離れることはなく……。

腕章「二週間前、か」

 この都市伝説がまことしやかに囁かれ始めたのが二週間前。そのタイミングに、あたしは心当たりがあった。

 十人の能力者。実際に見たぶんであれば、様々なデータをあたしは読み取れる。そのデータの中には彼らがいつ契約を結んだのかも含まれている。

 あたしが能力者になったのがちょうど十日前。猪突猛進が一週間前、弱肉強食も一週間前、悪即斬が二週間前、邪気眼が四日前、有言実行が昨日。残りの面子も恐らく大きな差はないだろう。
 この符合。
 杞憂ならいい。が、果たして……。

後輩「先輩?」

 顔を覗き込んでくる。もしかしたらあたしは酷い顔をしていたかもしれない。

腕章「いや、なんでもないわ」

 あたしは左腕の腕章を引っ張って、後輩に強く見せつける。

腕章「新聞部、出動しましょうか」

―――――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――――

 そのまま直帰するため、鞄の類は全部持って、あたしたちは件の『進めない門』へと向かっていた。町はずれの屋敷。あたしも場所だけは知っている。確か、大きくて古い日本家屋があったはずだ。
 オカルト好きの間ではそこそこ有名なのに、どうしてさほど話題になっていないのか。それもまた怪しい。まるで何らかの力が働いているかのようじゃないか。
 例えば、宇宙人とか。

腕章「それにしても、あんたはどうしてここに」

後輩「いや、前から気になってはいたんですよ。けど、どうにも気がむかなくって」

後輩「こないだです。道に迷ったら偶然この辺に出て。だから」

 怪我の功名と言うやつか。

腕章「で、どうだった」

後輩「やっぱり戻されました」

 信じられない、と言う風に後輩は言った。

後輩「門は和風の門でした。木造りの。鍵はかかってなかったんで、あれだと思いましたけど、こっそり開けて入っていったんです」

後輩「敷地は草がぼうぼうで、石畳が家の入口まで点々とあって……で、一歩踏み込んだら、外でした」

腕章「外?」

後輩「はい。一歩踏み込んで、気づいたら、門の外に向かって一歩踏み出していたんです」

腕章「……」


後輩「で、音がして、門が閉まりました。自動で。おかしいんですよ。風もなかったし、開くときはわたしが開けたのに」

腕章「もう一度試した?」

後輩「二度と開きませんでした。固くて重くて、諦めて、今に至ります」

腕章「ふーん……」

後輩「や、やっぱりですよね。やっぱりおかしいですよね!」

 そうだ、あまりにもおかしい。現実的ではない。
 もしかしたら屋敷の主が現実的ではない酔狂な趣味を持っていて、肝試しに来る人間を驚かせようと思って仕掛けた何らかの装置があるのかもしれないが、それこそ能力者の存在と同じくらい有り得ない話だろう。

 が、あたしは有り得ないことを体験している。簡単には切って捨てられない。

 いや、目下のところ、問題は別のところにあって。

 能力者の反応が二つ。
 学校から遠く離れたこの町はずれにおいて、二つ。

 まだあたしが会ったことのない二人。

 学校にいた能力者ではないはずだ。でなければ先回りされたことになる。屋敷の主が能力者だとしても、あと一人、どこかにいる。
 どこにいる?

後輩「どうしました? 怖い顔して」

腕章「ちょっとね。気になることがあって」


後輩「なんですかなんですか、水臭いなぁ! わたしたちの仲じゃないですか!」

 まぁ、いろいろとあるのよ。
 そう言おうとしたとき、あたしの視界を真緑が横切っていった。

 思わず振り向く。
 緑色の髪の毛。緑色のパーカー。緑色のスカート。緑色のソックスに、緑色のスニーカー。サイドについている大きな花の髪飾りだけが、唯一煌びやかな色を主張していている。そんな、鮮やかな原色の緑を全身に身に纏った女がいた。
 当然後輩も振り向いていて――こちらの反応に気付いたのか、その原色の女もまた振り向いた。

 当然のように、緑色の口紅をしている。

 溌剌としている、と思った。

 猪突猛進のような溌剌さとは毛色の違う、この世の物事全てが最終的にはうまくいくと信じきっているような、どこまでも澄んでいる――澄みすぎている、気持ち悪いほどに。
 だめだ、混乱している。
 こっちを見るな。その澄んだ瞳であたしを見るな!

後輩「都市伝説……」

 鮮烈な彩人。

 彩人は後輩を見て、あたしを見て、にかっと笑った。

彩人「今日のおとめ座は、二位」

後輩「は?」

彩人「金運、三ツ星。恋愛運、五つ星。健康運、五つ星」

後輩「先輩、この人なんか、おかしいです」

彩人「ラッキーアイテムはシュシュ。ラッキーカラーは緑色」


後輩「ね、先輩、先輩? 先輩!」

 後輩があたしの手を引く。
 邪魔だ、やめろ。早くあんたはどっかに行け。お願いだから。巻き添えになるから。そんなの嫌だから。
 思っていても、口からは出ない。意識は全て彩人の一挙手一投足に向けられている。

後輩「早くいきましょうよぅ! この人、なんかおかしいですっ!」

彩人「『今日は頑張って遠出してみましょう! 思わぬ出会いが待っているかも!』」

後輩「せんぱいぃっ!」

彩人「ほうら、やっぱり!」

 彩人は叫んだ。

彩人「私ってばツイてる!」

 ブレーキ音が耳を劈く。
 車が、自家用車が、黒く塗装された鉄の塊が、

 こっち目がけて!
 突っ込んでくる!

腕章「くそっ!」

腕章「天網恢恢疎にして漏らさず!」

腕章「今、この状況で、あたしが最も無事な路を示せ!」

 能力を発動。視界が僅かに暗転し、突如として視界の中に光が迸った。それは光の路となって、あたしがこれからどう逃げればいいのか、その経路を指し示す。
 微かに速度の遅れた世界の中で、あたしは必死に、その光を辿っていく。一歩、二歩、三歩。確実に地面を踏みしめて。


 なんだ。なんだこれ。一体全体なにがどうなっている。
 車が突っ込んで来た――それはわかる。それにしたってタイミングがよすぎやしないか。絶妙に彩人を避けて、あたしだけを轢殺するこの角度。
 邪気眼と同じようなサイコキネシスか? けれどそれなら、ブレーキ音がするのは聊か理解に苦しむ。事実邪気眼が車をぶん投げたときはブレーキ音なんてしていなかったはずだ。

 眼前から圧を感じた。能力を信じきっているあたしは決して慌てない。この光の路を辿っていけば、少なくとも死ぬことはない。とはいえ、まずはこの窮地を脱することが先決。
 敵の正体はおいおいわかる。だって、あたしの前ではプライバシーなんて存在しないから。

 ごう、とあたしの背中を車と風が掠めて行った。途轍もない衝撃音と破砕音のデュエット。車は門に突っ込み、自身も、門も、大破させる。

 能力を起動し続ける。範域内の全ての人、物の動き、おかしな能力、全てを情報として収集。どんな動きにも対処できるように、真っ直ぐ彩人を見て。
 おかしいな、と思った。
 あたしの手を引いていた、あの小さくて暖かい手のひらが、やたらに重く感じられたから。

 息を呑んだ。

 見るのが怖い。

 足元に滴る粘つく液体。これはなんだ。
 ガソリンか?
 それとも――


彩人「二位の私に勝てるかな!?」

 きんきん声で彩人は叫んだ。こちらの目を覗き込むように、その澄んだ瞳が見開かれている。
 同時に流れ込んでくる、こいつの全て。

腕章「絶対に許さない! 『棚から牡丹餅』!」

彩人「なんで私の名前がわかるのかな? そういう能力? なのかな!?」

 彩人――本名、福留大福。十五歳の高校一年生。能力は『棚から牡丹餅』。
 住所、携帯電話の番号、その他もろもろのパーソナルデータ、全てが脳内に流れ込んでくる。が、いったんすべてをカット。いちいち処理してらんない。まずは逃げるかこいつを殺すか!

 いくらあたしの能力を以てしても、わかるのは能力名までだ。能力そのものは範疇にない。だから、まず見抜く。想像する。考える。敵が持っている、敵の力を。

腕章「とりあえず死ね」

 あたしは荷物の中から――一見すれば竹刀に見える袋の中から、手慣れた動作で猟銃を素早く取り出した。
 彩人の顔が引きつる。

彩人「え。どうしてそんなの、持ってるのかな?」

腕章「パクったのよ」

 口数少なめに教えてやる。
 あたしは射撃体勢もそこそこに、照準すらたいして合わせず、あっさりと引き金を引いた。
 振動と衝撃が手首から肩、肩から全身へ拡散する。大きく跳ね上がるあたしの右腕。炸裂音が鼓膜を震わせ、使い物にならなくなった。


 銃弾は逸れていった。彩人は流石に銃を見て分が悪いと判断したのか、迷いなく後ろへ逃げ出す。

腕章「逃がさない。逃げらんないわ」

 最早彩人はあたしにインプットされた。範囲内に彼女がいれば、あたしは絶対に見逃さない。追いかけっこの始まりだ。
 駆けだそうとして何かに躓き、盛大に地面へ叩きつけられた。咄嗟についた手のひらが擦れてひりひりと痛む。苛立ちの募る、涙が滲むような痛みだ。

腕章「っく、なんなのよ、もう!」

 見ればスニーカーの紐が解けていた。どうやらそれを踏んで転んだらしい。
 あぁ、もう。腹が立つ。なんでこんなときに。

 そこでようやくあたしは周囲がざわつき始めているのに気付いた。そりゃそうだ。車が家に突っ込んで、しかもあたしは猟銃をぶっ放しているのだから、どう考えたって穏便ではない。
 近づこうとする者さえ皆無だけれど、それでも野次馬根性だけは一流で、遠くから携帯のカメラでぱしゃぱしゃやっているのが何人もいる。これはまずい。顔を映されるわけにはいかない。

 そのうちに遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。くそ、誰か通報したな。当然か。
 けどここで捕まるのはまずい。無根拠にあの宇宙人がなんとかしてくれると信じられるほど、あたしはあの宇宙人を信頼しちゃいない。

 靴紐を結ぶのさえほどほどにして、でも人ごみをかき分けて出ていく気もさらさらなくて、あたしはとにかく逃げ道を探す。こんなところで終わっていられない。あたしの理想の世界のために。
 ステップを踏もうとした左足が地面から離れない。また靴紐を踏んだのだと気付いたときには、あたしはまたつんのめって、地面に倒れこんでいた。
 がしゃん、と猟銃が音を立てて地面に転がる。あたしは慌ててそれを拾い上げた。暴発でもされたらたまらない。


 と、あたしはそこで、自分が門の内側にいることに気付いた。
 気づいてしまった。
 と言うべきだったかもしれないけれど。

 門は大破していた。自動車によって。だから、あたしが足を踏み入れることは難しくはない。
 けれど問題はそのあとなのだ。あたしの推論が間違っていなければ、ここには――ここにも、能力者が。

 ふと屋敷を見上げれば、窓の奥、僅かに開いたカーテンの隙間から、こちらを見ている人影があった。思わず猟銃を上げると、その人物はさっと屋敷の奥へと消えていく。

 見られている。
 はっとした瞬間に走り出していた。行く当てなどなくても、じっとはしていられない。

 ぼうぼうに伸びた草を踏みしめて走る。左耳はその音が聞こえているけれど、右耳はいまだ不完全。午前とは違って耳栓をしていないからだ。
 木陰で立ち止まってあたりを窺う。さすがに野次馬も屋敷の敷地内へとは入ってこなかった。もしくは、入れないだけなのかもしれなかった。

 そう、あたしは入れる。入れた。事実として。
 これは何を意味しているのか……簡単だ。都市伝説が本当なのであれば、家主があたしを招き入れたからに他ならない。理由は、それこそ考えるまでもないだろう。

腕章「簡単に殺されたりはしないけどね」

 あたしの能力は戦闘向きではない。だから、とにかく逃げることに専念しなくちゃだめだ。わかってる。うん、思考は明瞭。オーケー。
 逐一平静の確認を取って、あたしは硝煙くさい袖で顔を拭った。

 この敷地内に入れないのと同様、この敷地内から出られない可能性もある。それは当然いずれ試すつもりだったが、まずは現状の確認からで問題あるまい。
 幸い、まだ敵に動きはないようであったし。


 あたしの能力の範囲内に感知できる能力者の数は二。つまり、この屋敷の主と、先ほどの彩人。
 助けを呼べば来るだろうか。例えば悪即斬。いや、屋敷の主が悪であるならまだしも、何もない状態では加勢をしてはくれないだろう。最低限、あの正義バカが屋敷の主を「悪」と認定してくれなければ。
 弱肉強食は猶更駄目だ。あいつを呼んだところで来ちゃくれないだろうし、来ても結局あたしが襲われるのが眼に見えている。

 猪突猛進も邪気眼も死んだ。手駒はもうない。
 まさかムムが助けてくれるはずもない。やはり、どうやらあたし一人でなんとかしなくちゃならないらしい。

 漆喰に固められた囲いに向かって猟銃を向け、跳弾は心配だったが、そのまま引き金を引く。またもや両腕が弾け、今度は体ごと跳んで尻もちをついた。
 囲いには穴こそ開いたけれどびくともしていない。力技ではやはりだめだ。

 方法は二つ。家主を殺して悠々と出ていくか、何とかしてこの敷地内から出るか。

 正門は論外。いや、もしかしたら案外出られるのかもしれないけど、敵がいるであろう屋敷に背を向けることが恐ろしすぎる。最後の手段にしかならない。
 壁は壊せないことが分かったし、ならば裏口でも探すか?

 壁に背を向け、どこからでも襲撃が来てもいいように心構えをしつつ、あたしはじりじりと裏口や勝手口、壊れた穴がないか探す。結果は何もなかった。ひたすらに漆喰塗の塀が続いているだけだった。
 違和感を覚えるレベルの殺風景さに、あたしは内心で訝っていた。どこまでが能力なのだろうか。それとも、全てあたしの勘違いだったとでも。

 思考が二転三転し、あっちへふらふらこっちへふらふら、まとまりがない。

 と、歩いているうちに、屋敷の玄関が見えてきた。元の場所へと戻ってきてしまったのだ。
 何もないことがわかったことは収穫だったが、それは殆ど徒労と同意義。
 仕方がない、最後の手段を取ろうかと、視線で門を見やって、あたしは唇を噛み締めた。


 門扉が消えている。
 漆喰に塗られた塀が続いていた。

 よく見れば先ほどあたしが銃弾を撃ち込んだ箇所も、いつの間にかすっかりと直っている。
 触れれば、漆喰の破片がぽろぽろと剥がれて落ちて、きれいな壁がそこにはある。

 瘡蓋を思い出した。

 自己修復能力を備えた、まるでこの敷地全てが生き物であるかのようだ。さながらあたしは胃袋に落ち込んできた食料と言ったところか。
 冗談じゃない。

 ぎぃ、と音がした。屋敷の玄関、その扉がひとりでに開いたのだった。

腕章「……入ってきなさい、ってことね」

 明らかに見え見えの罠だった。自ら死地に飛び込む馬鹿がどこにいるか。
 そして、塀は直って門扉も消えたというのに、あたし自身に何ら異変が起こらず、攻撃も受けていないという事実を見過ごせない。きっと敵にもあたしのように能力の範囲があって、それは敷地全体をカバーはしているけれど、あたしを襲えるほどじゃあないのだ。
 あたしを何とかできるならとっくにしているはずだから。

 家におびき寄せるのは、そうじゃないとあちらも手が出せないから。
 まるで我慢比べだ。最終的にはあたしが餓死するのだろうけれど、とり急ぎで突っ込む必要はなくなったと見ていいだろう。

 考えろ、考えろ、考えろ。
 この状況を打破する何かを!

 あたしはこんなところで死んでいられないのだ!

腕章「……」

 そのままどれだけ時間が経っただろう。汗が手のひらを濡らし、猟銃を危うく取り落としそうになって、あたしは立ち上がった。

 そのまま屋敷へと歩を進める。

―――――――――――――――――――――

残り七人

―――――――――――――――――――――

本日はここまで。
現時点が前スレで投下した分です。

続きはまた明日の朝か夜に。


 古ぼけた家だった。木製の扉に真鍮のドアノブ。映画でしか見たことのないドアノッカーまでついている。これ、絶対に指を挟むと思うんだけどなぁ。
 ドアノブは容易く回った。油をきっちり挿してあるのか、予想以上にスムーズに、音を立てない。そのまま引くと、これまた蝶番は軋む気配すら見せない。あたしは警戒を強めながらも屋敷の中へと足を踏み入れる。
 扉が閉まった。電気はついているが、薄暗い。

 がちゃん、がちゃんと背後で音がした。

 背後?

 振り返った先には誰もいない。ただ扉があるだけで、けれどその鍵は閉まっている。チェーンも。
 外そうと思って、止めた。どうせ外れるわけがないのだ。恐らくこれも敵の能力に違いないのだから。
 塀の傷が戻り、門扉も消えた。そしてここに来ての不可解な現象。なるほど、なんとなくだけれどあちらの概要がわかってきたじゃない。

腕章「はっ! まるでびっくりハウスじゃない」

 効果範囲はこの屋敷の敷地内。物質変化……いや、構造変化と言ったほうが、この場合は正しいのかな。

腕章「天網恢恢疎にして漏らさず」

腕章「正しい路を、あたしに示せ」

 だってそうでもしなきゃ、この館を踏破はできない。

 再度扉から振り返ったあたしの眼前に広がっていたのは、階段、扉、廊下……普通の家には当然あるそれら。
 だけど、それぞれ100近くが広がっている光景は、若干鳥肌すら呼び起こす。


 玄関から一気に枝分かれする廊下。そしてそれぞれに二階に上がる階段。いくつもの扉がぱたぱた開閉をしていて、まるであたしを取って食おうとしている幽鬼の類。

 しかし惑わされることなどはないのだ。一条の光があたしの道しるべとなる。それをただ追っていけばいいだけなのだから。

 猟銃を構え、決して油断の無いように、あたしは一歩ずつ廊下の感触を踏みしめながら歩いていく。空気はひんやりとしていてまるで温かみがない。本当に人が住んでいるのか疑わしくなるほどに。
 ここは既に敵の敷地内で、それは体内であることも意味する。足を止めねば消化されるだけ。そんなのはごめんだ。

 と、光が止まった。あたしは一瞬目を見開いて、大きく深呼吸をする。

 廊下は依然続いている。左右に開閉をしている扉。天井には蛍光灯。背後は……壁ができている。行き止まりだ。
 なるほど。いくらでも構造を変化させられるから、光も迷うか。なんて厄介な。

 だけどおかしい。敵の目的がわからない。あたしがやってきたのをわからないはずはないし、だからといってすぐに殺そうとしてこないのも不可解だ。
 もっとこう、入ってすぐに館があたしを圧殺してくるとか、そういうレベルの物騒さを想定したのだけど……どういうことだろう。
 何らかの意図があるのは明らかだ。それとも、誰かを殺したくない? まさか。だったらあの宇宙人の甘言に惑わされなければよかったのに。

 自問自答していても答えは出ない。ポジティブな行動は足を前に動かすだけだとは分かっている。それでも、どうにも頭でっかちになりがちだ。

??「あ、てすてす、もしもし」

 ダウナーな声が降ってきた。


??「聞こえてます、か。聞こえてたら、右手を挙げてください」

 ……どういうこと?
 この声の主が敵であるのには、恐らく間違いはないと思う。能力を使わなくとも想像はつく。けど、どうにも緊張感を欠く。ここであたしにコンタクトを取ることに一体どんな意味が……。

 頭を振って左手を上げる。まずは調査だ。考えるのは、その結果が出てから。

??「違います、よ。右手。でも、聞こえてるんです、ね」

 聞こえている。何より、見えている。
 ……どこから。

 ぽつりぽつりと声の主は言う。

??「とりあえず、謝らなくちゃいけませ、ん」

 息が続かないのか、最後に一呼吸入れてから声の主は喋る。どうにもこのスローペースな喋り方は苦手だった。

??「一番苦しい、の。餓死」

??「あなたはもう、ここから、出られないか、ら」

 全く謝ろうとする気概の感じられない口調だった。感情が希薄すぎる。残滓も見いだせない。

 しかし、だけれど、餓死。
 餓死、餓死、餓死、か。
 そんなのは絶対にごめんだ。

腕章「あたしはあんたを殺すためにここに来たんだ」

 結果的にだとしても。

??「ごめんなさい、無理で、す。わたしは、もう、誰にも、会いたくない」

??「わたしの名前は内村畿内」

??「能力名は『門外不出』」

??「あなたはもう、この敷地からは出られない」

??「それだけで、す。それだけを、伝えたかった、です」


 あたしは返事の代わりに弾丸を壁へとぶち込んだ。大きなひびが入るが、それもすぐに修復されていく。弾丸が飲み込まれるように壁へと沈み込んでいった。

腕章「……」

 そして、大きくため息をつく。

 落ち着け、落ち着け。まずは状況の確認だ。面と向かった状態での戦いなら、思考と経路が読める分だけあたしが有利。けど、現在の状態はそれとは程遠い。緩慢な死があたしを取り巻いている。
 敵――内村畿内というらしい――は墓穴を掘った。彼女はあたしに「餓死」と言ったのだ。つまり、彼女は私を殺さない。もしくは、殺せない。それは考える時間がたっぷりあることを示している。

 考える時間があるのなら、だいじょうぶ。きっと何とかして見せる。

 携帯電話で時間を確認する。時刻は七時半。時間の進みは変わらないようだ。電波はきちんと通じているようだから、外部と連絡を取ることはできるのだろう。

 とりあえず110番してみた。

 もしもしと警官が応答したので、この屋敷の住所と、監禁されている旨を伝える。やおら慌てだした警官に、臨場感を追加するため、「あっ!」と小さな悲鳴を入れて通話を終了。

腕章「これで来てくれるかなぁ?」

 恐らく門扉の前までは警官を寄越してくれるだろう。それから先は……まぁもともと期待してもいない。通話が問題なくできるということがわかっただけでも収穫だ。

 次に壁をノックしてみた。コンコン、と音が響く。どうやら普通の壁材であるらしく、特別に強度が増したりはしていない。と思う。壁材のことなんて詳しくないからわからないけれど。
 強度自体は普通の壁のそれだが、すぐに復活する。破壊して一気に外へと駆けこめば……いや、そもそも壁を破壊できるだけの攻撃力をあたしは持ち合わせていない。

 猟銃の弾丸は貴重品だ。無駄遣いはできない。


 携帯を閉じ、とりあえずということで彷徨することにした。扉を覗けばその奥にはまた廊下。廊下ばかりがつながっていて、部屋などはどこにも見えない。まるであみだくじだ。
 あみだくじなら先に当たりがあるのが前提。だけどあたしの場合、その保障はどこにもなくて。

 実に厄介。

 これももとはと言えば全てあの原色の女――彩人に端を発する。あたしの後輩を巻き添えにしたあの女。どうにかしてここから出て、どうにかして復讐しなければ、腹の虫がおさまりきらない。
 と、光がぐりんと捻じれて、扉の中へと入っていった。その先にはまた廊下があるけれど、ついになにかを範囲内に捉えたか?

 好機だとすぐにわかった。そして、待望のそれをみすみす見逃すほどあたしは愚かじゃない。猟銃を一際強く握りしめて扉の奥へと歩を進める。
 視界が歪んだ気がした。錯覚じゃない。扉の奥は依然変わらず廊下だったけれど、空気が違う。調度品の数も、増えている。例えば階段の手前におかれている電話機。電話帳。花瓶。そんなものはなかったはず。

 窓もないのに廊下は薄暗い程度で済んでいる。これもまた敵の能力のためなのだろう。

 眩暈がした。危なく前後不覚になって倒れそうになるのを、壁に背中を預けてなんとかやり過ごす。ぐわんぐわんと回る視界。……いや?

腕章「これ、か!」

 回転しているのは世界ではない。前後不覚になっているのはあたしではない。
 この廊下が――もっと言えばこの屋敷が、変化している――組み替えられている――構造変化!

腕章「大当たりのあみだくじ、だったってわけか!」

 シェイクと言うよりは最早クエイクだった。扉が消え、廊下が隆起し、壁が迫り、また引き、蠕動運動のようにその形を変えていく。
 壁があたしを押し潰そうとしてきた。

腕章「くっ!」


 僅かにあたしのスタートの方が早い。スカジャンの裾を挟む形で壁が閉じ、同化する。スカジャンもその中にきっちりと埋まっている。
 構造変化はどうやら一端の終結を告げたようで、耳鳴りのするような静寂がいつの間にか戻っていた。目を凝らしてあたりを窺ってみるも、特に動きはない。

 スカジャンを脱いでせめて腕章だけでも取り外す。学校指定のシャツにタイ。少しだけ肌寒さがあった。ただ、それを感じていられるうちが華なのかもしれないけれど。

腕章「光は……」

 存在していた。あたしの前でふよふよと漂い、先導する。しかし動きに迷いがある。あちらこちらふらふらしていて、時折ぴくんと動くも、自信なさげだ。
 そうしたまま歩き続けて数十分。先ほどと同様に、ようやく光が反応した。真っ直ぐに走って光の線を紡ぎ、そのまま右折して扉の中へと消えていく。

 同時にまた床が、壁が、天井が震えだした。即応だ。今まであたしの行動を自由にしていたやつの対応とは思えない。嘘がつけないのか、それとも単純に馬鹿なのか――どっちでもいいけど、わかりやすすぎる。
 そこまで隠しておきたいものなんて容易に想像がつく。当たりのルートだ。

腕章「っ!」

 地面の隆起、そして、天井の沈下。
 前方から飛んでくるのは電話機、電話帳、棚をはじめとしたありとあらゆる家具たち。

腕章「天網恢恢疎にして漏らさず!」

 あたしに、最適なルートを示せ!


 再度光が迸った。あたしは跳んでくる全て、向かってくる全てに一瞥もくれず、ただひたすら光を追って全速前進。
 ばちばち、がちがちと体に何かの破片や角や固いものが当たる。打撲で鈍い痛みが襲ってくる。息を吐き出して止まりそうになるのをこらえ、歯を喰いしばって、根性を見せてやるのだ。

腕章「ぐ、ぅ、はっ!」

 だけどおかしい。顔面に向かって飛んできた掃除機を寸前でキャッチ、手で押しのけながら、あたしは足と同時に頭も動かす。能動的に能力を使って、こんなことができるのであれば、じゃあ初めからこうすればよかったのだ。なぜ今更。
 あたしを見くびっていたわけではあるまい。敵は確かに餓死といった。あたしはそれを、敵がこちらに対して攻撃する能力が欠けている、もしくは低いからだと推論したが、どうやら危害の加え方も心得ているようなのだ。
 なら、どうして。あたしを殺そうとしなかったのか。

 わからない。
 わかる必要のないことだとは思えなかった。二重否定の先に待っているのは、将来への不安。

 それを踏みつけるかのように力強くフローリングを蹴る。

腕章「抜けた!」

 閉じる扉の隙間に足と猟銃を無理やり突っ込んで、体を無理やりねじ込んだ。出るとこが出てなくて嬉しかったのなんて初めてだわ!

 勢いのままもんどりうった。固いものに頭をぶつけ、悶絶する。

 どうやら扉の向こうは部屋になっているようで、そこでは構造変化は起きていないらしい。その理由は不明だが、事実の確認は重要だ。

 どうやらあたしがぶつけたのは椅子の脚らしい。背もたれに手をかけて、体を起こす。


腕章「……」

 気が付けば吐いていた。

 手で口元を覆うのすら忘れていたため、吐瀉物はぼたぼたとあたしの胸元を、腹を、脚を汚していく。胃酸で口の中がぴりぴりする。固形物が鼻の方まで入って息がしづらい。
 だけどやっぱり、そんなものは、目の前の光景に比べたら大したことはないのだった。

 一度咽て、口元を拭い、また直視。
 涙で滲んだ視界の先に地獄があった。


 三つの死体。

 どれもできたてほやほやなのか、臭くもないし、蠅も集っていない。触れば体温だって感じられそうな血色。
 ただ首がない。
 テーブルの上に無造作に転がされている。

 中年男性と中年女性、そして若い女性。年齢はそれぞれ四十代、四十代、二十代といったくらいだろうか。三つの死体はそれぞれソファ、椅子、台所にあって、首がないだけではなく惨殺の限りを尽くされている。
 ナイフで滅多刺し。
 はらわたがはみ出て体中に巻きついており、手の指と足の指には爪がなく、男性器も血まみれ。スプラッタ映画もかくやと言わんばかりの大盤振る舞い。

 なんだこれは。

 なんだこれ。

 これも、敵がやったのか。内村畿内が。


 ぞわり、と鳥肌が全身を駆け巡った。あのやる気のない、生気の無い喋り方からは想像だにできない、惨状だった。

??「あぁ、見られちゃいまし、た」

 今一番聞きたくない――もしくは聞きたい声が降ってきた。相変わらずどこから声が出ているのかはわからない。

 思ったよりあたしの反応は素早かった。クリアな視界を手に入れてから、過剰な動揺を悟られないように天井を睨みつける。

腕章「あんたがやったの?」

??「やっ、た。……そうです、ね。わたしが、やった、んですかね」

 要領を得ない喋り方だった。

??「だって、仕方がないじゃない、です、か。わたし、悪くないです、よ」

 錯乱しているのか? わからない。けれど話を聞いておいて損はないだろう。人を殺しておいて悪くないなどと、どの口が言うのか興味もある。

??「だって、学校に行け、って、言うか、ら」

腕章「……」

??「……」

腕章「え?」

 それだけ?

??「あ、あぁ、そうです、か。やっぱり、わかってはくれないんです、ね」

??「お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、みんなそうでし、た」

??「なんか、わたしには根性が、足らないらしいです、よ」

腕章「だから?」

??「はい、殺しちゃいまし、た」


??「もう、誰にも、会いたくないで、す」

腕章「……最悪」

??「そうか、な。そうなんですか、ね。まぁ、でも、人殺しは、悪いことですか、ら」

??「けど、みんなわかってくれないで、す。いじめられる、辛さなん、て」

??「殺すしか、ないじゃないです、か」

腕章「だってさ」

腕章「聞いてた?」

 おう、と声が響いた。
 あたしのポケット。その中の携帯電話から。

「悪は殺さなくっちゃな」

 次の瞬間。
 外壁をぶち壊し、瓦礫や壁材を巻き込みながら、詰襟に木刀、短髪の少年が盛大な物音とともに突っ込んでくる。

??「な」

 少し。ほんの少しだけ、声の主に感情の色が戻った。

??「どう、いう」


詰襟「だぁからてめぇは人使いが荒いんだっつーの! 一応俺はてめぇの敵だぞ! 躊躇なく助けを求めるんじゃねぇよ!」

腕章「来てくれたじゃん」

詰襟「当然だ!」

詰襟「人殺しは悪! 悪は殺す!」

 それはダブルスタンダードじゃないのか、とは言わなかった。

 電波が通じるならば、いくらでも連絡は取れる。けど、一般人に連絡を取ったところで意味がないのは想定内。ならば参加者を巻き込むしかないんだけれど、あたしの手駒は「悪即斬」と「弱肉強食」しかない。
 後者はあまりにも自由気ままだから――使えるとしたら、前者。

 だけれど「悪即斬」はあまりに融通が利かない。利かなすぎる。ちょっとの口八丁や手八丁では動いてくれないのだ。彼の行動原理は、文字通りの「悪即斬」だけだから。
 確かな悪を彼に提示する必要があった。そういう意味では、ここに死体があったのは僥倖と言うほかない。まさに天の采配とでもいうべきだろう。

 そしてもう一つ。敵の能力が予測通り構造変化であるとするならば、対応しているのは内側だけだ。外側からの攻撃には、恐らく対処できまい。「門外不出」が表す通り、そしてあたし自身体験した通り、入るのは簡単でも出るのが不可能を体現しているのだから。
 内から外には強いけれど、外から内には。

 問題があるとすれば今。内に入ってしまえば、悪即斬すら捉えられかねない。
 この先は最早能力の強さの問題だと思った。断裁する悪即斬の木刀。受け止め、修復する門外不出の家。強いほうが勝つという当たり前の図式。

 どのみちあたしは他に攻略のしようもないし?

 行動しなきゃ死ぬのなら、行動しないと丸損ってもんでしょ。

??「うるさ、い」

 調度品が一斉に浮いた。このあと、どういう軌道を描くのか、馬鹿じゃなければ誰だってわかる。

腕章「敵の能力は『門外不出』! 恐らく、この家の中に限定して、構造変化とサイコキネシス!」

腕章「全部叩き落として!」


詰襟「てめぇほんっと最低だな!」

腕章「でも、最悪じゃない。でしょ」

詰襟「人を殺さねぇ限りは、そうだな!」

 殺してるんだけどね。
 んなこと、口が裂けたって言えやしない。
 詰襟と真っ向勝負して勝てる自信なんかこれっぽっちもないんだから。

 高速で飛来する調度品たちを詰襟は一刀のもとに切り伏せ、叩きつけていく。同時に蠕動する壁。押し潰そうと迫るそれすら、詰襟は木刀を突き立てて動きを止めて見せた。

 いいぞ、いいぞ。やれ。やっちまえ。
 最後に笑うのはこのあたしだ。

 『悪即斬』は詰襟が悪と認定した相手と能力を叩き切る。気に入らない敵を叩きのめす、苛烈で厳格極まりない能力だ。が、あたしに向けられない間、これほど心強い味方もまたいない。

 僅か数瞬の交錯で、調度品は全て砕け散っていた。

詰襟「これだけか?」

詰襟「おい、家主! 殺人犯! どこにいる! てめぇが姿を見せないなら、壁をぶち破ってでも探し当てるぞ!」

 振りかぶって叩きつけた木刀は、砕けながらも家の壁を砕く。開けた今の壁の向こうにあるのは廊下だった。どこまで続いているのか見当もつかない。

 壁と、そして木刀が再生していく。これではまるでイタチごっこだ。やはり門外不出。なるほど門外不出。その名に恥じぬ防御特化とみるべきだろう。強さとしては詰襟と互角といったところ。


詰襟「おい、『天網恢恢』」

腕章「なによ」

詰襟「このままじゃ埒があかん。お前の能力をさっさとつかえ。ナビゲート、できるんだろう」

腕章「……」

 あたしの能力をこいつに漏らしたことなど当然ない。だからこのやりとりは、カマかけか、そうでなければ想定におけるものだ。こいつも一見して脳筋のようで、意外と馬鹿ではないらしかった。
 あたしは今まで何度もこいつや弱肉強食の追撃を振り切っている。怪しまれてもしょうがないか。

 あえて無言で光を展開。どうせ詰襟には見えていないだろうけれど、それでも念のため警戒しながら、光がゆっくりと進む方向へと歩を踏み出した。

詰襟「お前が先を歩け」

 なるほど、警戒も怠らない。あたしが絵図を引いているのではないかと疑っているのだ、この男は。後ろから刺さないという信頼関係など皆無なのだから、当然と言えば当然である。立場が逆ならあたしもそうする。
 否やはいなかった。業腹ながら立場が低いのはあたしだ。いつでも撒いて、そして全てを煙に巻ける準備はしておきながらも、壁を詰襟にぶち壊してもらって部屋を出る。

詰襟「お前のナビゲートはどこまで有効なんだ?」

腕章「……」

詰襟「ま、答えるわけないか」

 もちろん。こちらの手札を軽々しく明かしたりはしないのよ、あたしは。

詰襟「だが、ここの家主、敵、悪……『門外不出』といったか。構造変化とサイコキネシス。お前じゃ対処しきれないな。だから俺に助けを求めた」

腕章「……」

 あえての無言。それが例え肯定を裏付ける言動だとしても。


詰襟「構わん。俺は俺の信念にのっとるだけだ。それから先は、好きにすればいい」

腕章「……そこの壁、砕いて」

詰襟「あいよ」

 壁が大破。
 改めてむちゃくちゃだと思う。

詰襟「……」

腕章「……」

 無言で歩く。あたしが前、詰襟が後ろ。
 黙々と。

 言葉を紡がないのは、勿論あたしたちが決して仲良こよしの関係なのではないということにも起因しているけれど、それ以上に警戒心の表れだ。前後にと言うよりはむしろこの館そのものに。
 直截的に言えば、おかしいのである。敵からのアプローチが何もないことが。

 ここは敵の胃袋の中だ。いくらでも対処の仕様はあるし、攻撃だって自在にできる。あたしらを野放しにしておく意味が分からない。必要性もない。
 どういうことか。どういうことだ?

腕章「距離はわからないのか」

腕章「計測自体はできるけど、無意味。ころころ距離が変わってるから」

詰襟「構造変化、ってことか。厄介だな。全く」

腕章「それでも、少しずつでも近づいてきてるのは確か」

 壁を破壊して、空いた穴がふさがる前に抜けて。

 あたしは家の外に立っていた。


腕章「え? ……は?」

 夜の風がやけに冷たかった。

腕章「どゆこと?」

 応えは、ない。

――――――――――――――――――――――

残り七人

――――――――――――――――――――――

少しだけ投下しました。
また、少しフライング気味ですが、wikiのほうに内村畿内の情報とビジュアルを追加しました。

――――――――――――――――――――――

 壁の穴をくぐれば腕章の姿がなかった。
 まさかと思って後ろを振り向いても、気配はない。

詰襟「……」

 誰もいない。
 逃げたか? 撒かれたか? にしても、嵌められたのだとしたら、気配の消し方が卓越しすぎている。あんなただの女子高生に、そんな真似ができるわけはない。
 となると……。

詰襟「敵、か」

 十中八九そうだろう。ナビのできる天網恢恢と、家を物理的に破壊できる俺。分断するのは当然で、敵の能力を鑑みれば、それは決して難しくないはずだ。

詰襟「さて、どうしたものか」

 目的ではなく手段を、だ。
 とにかくここの家主を殺さなければ気が済まない。殺人、それも尊属殺人など重罪だ。罪はきちんと裁かれなければ。そのために俺がここにいるのだから。
 罪を憎んで人を憎まず? 冗談じゃない。罪も憎むし人も憎む。目には目を。歯には歯を。殺人には殺人を。それが正常の人ってもんだろう。

 悪は即ち切って捨てる。俺にはその力がある。

詰襟「そんな俺に勝てるってのかい」

 小部屋だった。普通の私室だった。それまでのだだっぴろい、無限に続くような――そして恐らく無限に続いていたであろう廊下とは違って。
 炬燵が中心にあって、勉強机の上には教科書、ノート、筆記用具。ノートパソコン。壁にはセーラー服がかかっている。あまりそっけない部屋だった。
 部屋の角にはベッド。そしてそのさらに角に、何かが――誰かが体育座りでうずくまっていた。膝に埋め、腕で抱えた顔から、こちらにじっと視線を向けている。

??「……」


 俺は跳んだ。

 距離は三メートル。歩数にして二歩。
 何が何でも叩き殺す。

 地面が突き出る。ぎりぎりそれを踏み台にしてさらに高く飛んだ。蛍光灯を掴み、引き千切りながら。
 しかし今度はあちらがぎりぎり間に合った。俺の眼前を覆う壁。それを叩き壊した先には、既に敵の姿は忽然と消えている。

??「平和って、概念が、ない、の?」

 背後で蹲りながら少女は言う。不気味な少女だ。暗い部屋の中でもわかる青白い肌、ぼさぼさの髪の毛、三白眼。やせぎすな体は触れれば折れてしまいそうなほどに華奢だが、決して美しいとは俺には思えなかった。

 どの口が平和をのたまうのか。それを言っていいのは正義だけだ。真っ白い心を持っている人間だけだ。

 俺だけだ。

詰襟「お前が『門外不出』か。家族を殺したな?」

詰襟「どうしてお前が殺したかなぞ俺は興味がない。情状酌量の余地など与えない」

詰襟「どうしてお前がここに導いたかもどうだっていい。狂人の戯言など聞くに値しない」

詰襟「悪は即ち切って捨てる」

詰襟「お前に求めることは何もない」

詰襟「覚悟さえもしなくていい」

詰襟「おとなしく俺に!」

 跳ぶ。
 目の前に悪がいる。それだけで胸がドキドキして、心がワクワクして、自然と口角が吊り上る。
 世界のために貢献したという立証が、また一つ得られる。

詰襟「成敗されろ! はっはああああああぁっ!」


三白眼「久しぶり、に、喋るって、いうのに……」

三白眼「あなた、うるさ、すぎ」

 壁から突出した柱が俺を吹き飛ばした。反対側の壁に激突し、体が軋む。

 走り出そうと一歩を踏み出せば床板が抜ける。膝まで埋没する左足。顔から床へ叩きつけられた。

詰襟「姑息な真似をしやがって……」

三白眼「別に、いいじゃん」

 全身のバネを使って飛びかかる。極端な前傾姿勢。三白眼との距離はおおよそ五メートルだが、構造変化を用いる敵の前で、距離を測るという行為は恐らく無意味だろう。
 振り下ろした木刀は空を切り、三白眼の座っていたベッドだけを叩き壊す。
 そのベッドすらも次の瞬間には消失し、俺は扉も窓もない部屋へと閉じ込められていた。

 いや。
 自分の思考が面白くって、つい笑ってしまう。

 閉じ込められるわけがない。

 木刀一閃。大破した壁はすぐに意思を持って修復に入るが、その速度よりも俺の破壊の方が圧倒的に早かった。

三白眼「……むちゃくちゃ」

 三白眼の呟きが聞こえる。どこがむちゃくちゃなものか。これが正義の力だ。

詰襟「神よ! 照覧あれ!」

 この俺の執行を!


 壁から柱が生まれて向かってくる。それを砕いて潜って抜け、合わせて跳んできた机と力比べ。木刀で力任せに横に払う。
 絨毯が俺の脚に巻きついて引きずり倒される。
 みしみしと音がした。

 食器棚が倒れてくる!

三白眼「死、ぬ?」

詰襟「死なねぇよ!」

 勝手に殺すな殺人鬼! 

 木刀を噛ませて隙間を作った。扉が開いて食器の降り注ぐ中をすんでのところで抜け出す。

 柱。

詰襟「しつっけぇんだよぉっ!」

 怒りに任せて薙いだ。頭上から電燈が落ちてくるのを横っ飛びで回避、壁を蹴って三角跳びの要領で一気に距離を詰める。

三白眼「気に、なってた、の」

 三白眼は依然変わらず部屋の隅で、可動式の椅子に座りながらぶつぶつつぶやく。

三白眼「聞き、たかった、の」

詰襟「うるせぇ!」

 椅子が大破。寸前で逃げられた――どこだ、どこにいる。


 縦横無尽に突き出されてくる柱を、意思を持ったかのようにのたくる絨毯を、軽やかなステップで回避していく。
 とはいえ俺にも体力という概念はあった。じっとりと汗が背中に、手のひらに滲んでいく。呼吸も荒い。このまま持久戦を挑まれるとつらいものがある。

 眉間に因った皺などどこ吹く風、三白眼は依然ぶつぶつつぶやき続ける。

三白眼「世界って、そんなに、楽しい?」

三白眼「私には、わからな、かった」

三白眼「努力、しても、だめ、で」

三白眼「うら、やましかった」

三白眼「お父さん、も」

三白眼「お母さん、も」

三白眼「お姉ちゃん、も」

三白眼「古屋のおにーちゃん、だって」

詰襟「何を言っているてめぇ!」

 全くばかばかしい話だった。あまりにも愚かしい話だった。
 俺は一笑に付すことすらせず、くだらなさに辟易して、思わず怒鳴り散らす。

詰襟「この世界は間違いだらけだ! 間違った世の中を正す! それが俺だ!」

三白眼「……話、噛みあって、ない」

 そんなわけがあるか。


 ひたすらに飛来してくる食器類。文房具もそれに加わって、弾丸の嵐に流石の俺もたたらを踏んだ。壁を破壊し一旦外へ避難する――

詰襟「くっ」

――できない。

 部屋の外はまた部屋だ。空間が捻じれている。繋がっている。
 俺の足元で蹲っていた三白眼が、恨めし気に俺を見上げた。

三白眼「世界はとっても煌びやかだって誰かが言ったの。お母さんだったかお父さんだったかお姉ちゃんだったか古屋のおにーちゃんだったか、それとも本で読んだのだかわからないけど」

三白眼「そうなのかなって思ったしそうなんだろうって思った、だってみんなはとっても楽しそうにしてるから。でも私はそう思ったことは一度もなくて、人の目が怖くて、声が怖くて、存在が怖くて、煌びやかな世界は私には眩しすぎて」

三白眼「だから、あぁ――」

 木刀を振り下ろす。

 こいつの唐突な饒舌には構ってられない。

三白眼「死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて」

三白眼「死にたかったのに、でも、死ぬのは怖かったから」

 木刀は突然現れた壁によって阻まれる。
 構造変化、そしてサイコキネシス。
 なかなかどうして、三白眼が遠すぎる!

三白眼「私を殺してもらうしかないでしょ?」


 ここで初めて、この三白眼のことを恐ろしいと――否。不気味だ、と感じた。
 その風貌にではない。ありていに言えば、三白眼の魂が、おおよそ理解の及ばない代物だった。
 こんな地の底に落ちたような人間を俺は見たことがなかった。

 まるで鳥肌の立つのに合わせるかのように、反射で足を前に出す。ぐんと加速する視界。飛来する雑多。瞬きすれば変わる自分の立ち位置。部屋の構造。三白眼の居場所。

 横薙ぎも、振り下ろしも、まったく意味をなさない。

 何度目の攻防だろう。俺は柱の突撃を回避、右足に力を籠める。
 と、床板が抜けた。

詰襟「違う! これはっ!」

 抜けたのではない。ずぶりずぶりと埋まっていく。

詰襟「ここまで、ここまで能力の範疇かよ、『門外不出』!」

三白眼「絶対、出さない、から。だから、こその」

 門外不出。

 外界との隔離。

 絶対防衛圏。

 誰も入れない。誰も出さない。自分も、自分こそがそれでいいから。この世の何とも触れ合いたくないから。
 例え餓死したとしても。

 そこまでの覚悟。

 沈みゆく俺の体。胸まで、床板に飲み込まれている。
 もがけどもがけど手触りはない。

 その中にあってふつふつと怒りが込み上げてくるのは不思議なことだった。


 自問する。

 俺が負けるということは、俺の生き様が負けるということだ。
 悪即斬。この世の悪は、即座に斬って捨ててみせる。だってそうでもしないと腐ったこの世は変えられやしないから。

 生き様が負ける。
 悪の蔓延る世の中になってしまう。

 それでいいのか?

詰襟「いいわけっ、ねえだろうが!」

 尊属殺は大罪だ。ここで悪を見過ごすわけには、いかないのだ。
 だから必ず、

詰襟「今殺す! ここで殺す! てめぇを必ずぶっ殺す!」

 既にとっぷりと頭まで浸かっている。眼は開けているはずだが、周囲にあるのは暗闇ばかりで、何も見ることはできない。
 ただ、右手に握る木刀の感覚だけがあった。
 そして、それだけあれば十分だった。

詰襟「悪ッ! 即ッ! ざああああああああああん!」

 それを力一杯――力任せに、振り抜く。

 切っ先が流れるように暗闇を切り裂いていく。

 空間の瑕疵から先ほどまでいた部屋の内部が顔をのぞかせる。一瞬だけ、絵を描いているようだなと、センチメンタルな感傷に浸った。
 三白眼が口をぱくぱくとさせている。何かを言っているのだろうが、今の俺の耳には届かない。


 自由落下に身を委ね、木刀を叩きつける。

三白眼「……埒外」

 それだけがはっきりと聞こえた。

 突き出る柱と木刀の衝突。そして衝突。さらには衝突。能力によってコーティングされた木刀は、コンクリートの柱と激突したとて刃毀れひとつ起きはしない。
 柱の外周を、螺旋を描きながら向かってくる陶器の類。木刀の風圧ですべて退け、ひた走る。

 ごぐん。異音が耳に響く。
 目の前にいたはずの三白眼がいない――構造変化!

詰襟「俺の生き様は『悪即斬』!」

詰襟「斬れないものなんて、ない!」

 コンクリだって、肉体だって、能力だって。
 俺の生き様をもってすれば、斬れないはずはないのだ。

 だから!

詰襟「そこにいたか!」

 振るった木刀の軌跡が歪んだ空間すらも切り裂いた。

三白眼「なっ――!」

詰襟「てめぇを外に引きずり出してやるよ、『門外不出』!」

 咆哮。俺と三白眼のそれが相まって、空気がびりびりと震える。

 衝撃。俺と三白眼の視線が、切り裂かれた空間越しに相見える。


三白眼「わたしを、死なせろぉおおおおおおおおおおおおっ!」

詰襟「殺す!」

 渾身の力で向かってきた柱を、俺は同じく渾身の力で、地面に向けて叩きつける。
 がら空きになった三白眼。

 決着は、一瞬だった。

 木刀が左肩から胸部までをぐちゃぐちゃにかき乱している。三白眼はベッドに腰掛け、壁に背中を預けた状態で、かろうじて息を残していた。

三白眼「は、はは、こ、これで、しし、死ね、る」

 笑顔だった。この場に会って不釣り合いな笑顔だった。夏休みの宿題を終わらせた子供の顔だった。

詰襟「お前、俺を自殺のダシに使いやがったな」

 三白眼の耳には届いていないようだ。既に絶命している。
 恐らく彼女は勝ち残れればムムに己を殺してもらうつもりだったし、その過程で死ぬことすら本望だったのだ。ただ一秒たりともこの世界にはいたくなかった。
 だから殺傷能力のある俺だけを残した。

 しかし、と俺は思う。柄にもなく。
 こんなメンタルの弱い奴が、たとえ死んだとて、あの世で幸福に暮らせるだろうか。どうせどこにいっても悩んで悩んで苦しんで苦しむに違いない。

 まったく、愚かな。

 とにもかくにも俺の勝ちだ。俺の生き様が勝った。それはつまり、俺の生き様の正しさが証明されたことに他ならない。

詰襟「これでまた一歩、世界が健全に近づいた」

 為すべきことを為せたのだ。
 血に塗れた木刀を拾い上げ、壁を破壊する。術者が死ねば、当然構造変化も解ける。外はすっかり夜だった。

詰襟「外の空気は気持ちいいな」

 自然と呟いていた。

―――――――――――――――――――――――

『門外不出』死亡
残り六人

―――――――――――――――――――――――

本日の投下分は以上になります。
wikiの更新はありません。

―――――――――――――――――――――――

 嫌な予感がした。
 普段はそんなもの一笑に付す俺様でも、避けて通れない日はある。とはいえその正体すらわからないのでは首を傾げるしかできない。
 腕が疲れてきたのでヤンキーの死体を放り投げる。首根っこを掴んだままにするのは重労働だ。

金髪「じゃ、いただきます」

 手と手を合わせて、言う。
 生きとし生ける全てのものに感謝をして。

 ぐぱぁ、と。
 俺の腹が割れ、牙と舌と、ぽっかり開いた暗闇が姿を現す。

 咀嚼。
 嚥下。

 やはり男の方が筋張っていて食べにくい。ただ若い男が一番回復には効果的なんだよな。仕方がない。俺様は決してグルメではないわけだし。

ムム「それが地球人の言う『もったいない』という思想なのかな?」

 ぬいぐるみが喋っていた。
 地球人と言うか、日本人だけだと思うけどな。そう言うとぬいぐるみは「ふむ」と呟いて、わかったかわからないんだかわからない顔をした。きっとわかっていない。
 物わかりのいい俺様は、決してつっこみはしないけれど。

金髪「それで、どうした宇宙人。俺様の前に出てくるなんて、随分と珍しいんじゃ、ねぇか?」

ムム「たった今一人死んだ。残り六人だ」

金髪「六人」

 ずいぶん減ったもんだ。


金髪「本当に、勝ち残った暁には、願い事はなんでもかなえてくれるんだろうな」

 こんな埒外な異能を授けられてなお、いまだに俺様は懐疑的だ。与えられたものは与えられたものとして楽しむけれど、気になるものは気になる。

ムム「当然だよ。ボクたちは嘘をつかない」

 ボクたち、ね。宇宙人全体のことを指しているんだろうか。
 地球人もそんな真っ当な奴らばかりだといいんだが。

金髪「とにかく、頼むぜ」

ムム「あぁ。きみが勝てば、ね」

 短い会話を過ぎて、ぬいぐるみは消え去った。全くうさんくさい存在だった。口車に乗った俺様も俺様だが。

 遠くでパトカーのサイレンが鳴っている。原因は俺様ではないだろうが、逃げるに限る。警察にはお世話になりすぎた。根掘り葉掘り聞かれるのは厄介だ。
 今日補給した分で、特に何もなければ三日は持つだろう。とはいえ、何かあったときのことを考えれば、もう一人くらい食べておきたいものだが……。

金髪「けど、どうやったら敵と出会える? 詰襟野郎みたいに喧嘩を売るにはどうすりゃいいんだか」

 決してこの都市は小さくない。狙った九人と偶発的に出会える確率は高いとは言えないはずだ。
 思考に落ち込みかけた頭脳を引っ張り上げる。あぶないあぶない。

 少し考えて踵を返すことにした。先ほどの嫌な予感もある。ここはその原初的な感覚に従っておくべきだろう。


 と、路地の暗がりから出た瞬間に、横から衝撃が襲ってくる。
 小柄な女だ。名門校の制服を着ている。そいつは走ってきて、俺様にぶつかって、勢いよく手に持った封筒を放り投げる。
 中身がばらまかれていく。

 大量の一万円札だった。

「あら、ごめんなさい」

 軽く謝りながら女は一万円札を拾い集めていく。三十枚はあるだろうか。周囲の人間の好奇の視線が鬱陶しい。
 なんとなく罪悪感を覚えてしまったので、俺様も手伝うことにする。

「どういたしまして」

 目つきの悪い女だった。それでも真面目なふうに見えたし、名門校の制服を着ているから、事実真面目なのだろう。いや、真面目な学生は、夜に大金を持ち歩かないか?
 屈みこんだ女の胸ポケットから何かが落ちた。夜の宵闇の中でもきらりと光る金属色。懐中時計だった。

 女が「あ」と呟く。そうしてこちらを見て鼻をヒクつかせ、

「……」

 首を傾げる。

 なんだ?

「……血の匂いね、これ」

 懐中時計の蓋が開く。時刻は十時三十八分。
 秒針がちょうどてっぺんに差し掛かっている。

 俺様は即座に背後に跳び退いた。
 理由はない。ただ、ぴんと来た。あの厄介な詰襟と同じ雰囲気を、目の前の女からは感じたのだ。
 そして恐らく、女もぴんと来ている!


 頭に衝撃。

 ――っ、! ? ???? !?

 視界が明滅する。赤と白と黒の何かがぼんやりと拡散し、収斂する。痛みはない。ただ熱を帯びている感覚だけがあった。
 顔面から地面に倒れこむ。勢いのままに転がって、俺様はそれでも何とか立ち上がった。側頭部から血が滴っているのがわかる。

 女は金属バットを持って、ゆらりと立っている。

 周囲の悲鳴。逃げていく音。通報されたか? そこまでお人好しはいないか?

 いや。それよりなにより、この女、どこからバットを出した?
 いつの間に俺様の背後に回った?

 読めない。度し難い。全てが胡乱だ。

金髪「っつぅ……」

 指と指の隙間から相手を捉える。ただの女学生だ。不思議なところはない。名門校の制服を着ていて、「時任」というネームプレートが見えた。バッチもいくつか。「3-C」「生徒会」「会計」……。
 女は持ち続けるのも怠いのか、金属バットの先端を地面にこすりながら、悠々と歩いてくる。

会計「『時は金なり』。さくっとあなたをコロコロ殺して、残り六人、終わらせましょう」

金髪「なめられたもんだな」

 能力起動。

 臍の下、丹田から全身に力が漲っていく。ほかほかと暖かい。みちみちと力強い。全身の細胞が活性化し、殴られた頭部も、十分に麻酔が効いている。
 両足に力を込めた。


 コンクリートを踏み砕きながら切迫。俺様は詰襟と違って木刀など使わない。武器などいらない。全てはこの四肢が、五体が、あればいい。
 強化された動体視力が女の表情の変化を捉えた。余裕ぶった表情から驚愕の表情へ。この急加速は想定していなかっただろう。
 金属バットすら容易くへし折り、裏拳が肩口へと激突する。

 ――はずだった。

会計「あっぶなぁ」

 ずん、と衝撃。
 俺様の脇腹にナイフが突き刺さっている。

 からん。からん、からから、かららん。
 金属バットが地面に落ちる。

金髪「あのぬいぐるみは大したことを教えちゃくれなかったが……こりゃわかるわけだ!」

 こんな異質な人間がそばにいれば、そりゃ気づく。気づかないわけはない。
 この広い都市で出会いの偶然を待つのなんて怠くてたまらなかったが、すでに俺様たちはそういう運命のレールに乗せられてしまっているのだろう。業腹だ。業腹極まりない。そして、ゆえに、高揚する。

金髪「お前を殺して俺様は勝ち残る!」

金髪「『弱肉強食』! おとなしく俺様の腹に収まりやがれ!」

会計「名乗りを上げるは敗者のしるし」

会計「喋る時間ももったいない。口を開くな、ド屑が」

「死ぬのはてめぇだ!」
「死ぬのはあなたよ」


 ナイフを抜いて投げ捨てる。『弱肉強食』によって止血と鎮痛は済んだ。体を捩じれば多少の違和感はあるが、ほぼ無視しても問題ないレベル。
 今は俺様の体よりも目の前の敵の方が重要だった。

 地を蹴る。真っ向勝負上等の突進。この軌道は単純で、先ほど見せたとおり。だからあちらの対応も同様だ。
 拳が宙を斬る。そこにあの女の姿はない。

 まただ。どこへ行った。

 ぐっと襟首が掴まれ後方へと引っ張られる。同時に振り下ろされるバタフライナイフの刃を俺様は見逃さない。
 同時に視界をよぎる女の顔。

 刃が俺様の頬を突き破って口蓋すら貫通した。なかなか容赦がない。澱みがない。見てくれはトーシロのくせに、肝が据わっている。
 だがだがしかし!

金髪「ぞえぐあいで、ぼえざばば、だおべばい!」

 口の中で血液がごぼごぼと音を立てる。
 しかしそれも一瞬だ。

 反撃に移るころには女はまた俺様と距離を取っていた。ヒットアンドアウェイ。回復の時間を図らずとも確保できるため、決して相性は悪くはないが、めんどうではある。

会計「超回復……厄介」

 女の能力は破壊力に特化していない。攻防一体だが、能力自体は彼女にしか干渉せず、俺様をどうこうできる部類ではない。攻撃より俺様の回復が早ければ、これは実質完封勝利。
 けれど問題もある。どれだけエネルギーが持つか、ということだ。長引けば有利も棒引きになる。


 考えろ、考えろ、俺様。頭を働かせ策を練る。そんなのは野生動物でもやっている。
 相手の能力、その正体を見極めるのだ。

 考えうるのは三つ。瞬間移動、透明化、そして……時間操作。
 女の能力は「気づいたらいなくなっている」という表現に集約できる。

 当たるはずの拳が空振った以上、透明化ではない、か?
 ならば瞬間移動、もしくは時間操作。

 さて、どうしたものか。

金髪「って、おい!」

 瞬きした瞬間に女の姿が消えている。

 どこだ、どこに、

 まるで蛇のようなしなやかさで女の腕が首へと巻きつく。背後に回っていた女は、こっちの頸動脈を確実に極めてくる!

会計「これならどう?」

 冷静な口調だった。人間味がない。本当に人間か、こいつ。
 ぎりぎりのところで抵抗はできているが、まるで外れる気がしない。女は全身の力を以て俺様に取り付いているようだった。

金髪「ぐ、が……!」

 俺様は後ろに跳んだ。そこにはコンビニが――コンビニのガラスと、週刊誌の陳列棚が、ある。
 首に回された腕越しに女の緊張が伝わる。言外に教えてやっているのだ、能力で逃げないとお前も突っ込むぞと。
 想定通りに女の重さが消える――消えるということは、やはり、透明化ではないということだ。存在そのものがなくなっている。


 俺様はそのままコンビニに突っ込んだ。
 首が切れて血が噴き出す。全身に突き刺さるガラス片。それらが蛍光灯の光を反射してきらきら輝いている。
 客の悲鳴。

 跳ね起きた。

金髪「はっはぁ! どこに行きやがった、クソ女ァッ!」

会計「むちゃくちゃする男だこと」

 いた。電柱のそばで腕組みをしている。随分と余裕じゃねぇか。

 蘇生しつつある肉体がガラス片を押し上げて地面にばら撒いていく。一歩歩くごとに一つ、かちゃりかちゃりと俺様の軌跡が。

金髪「喰わせろぉっ!」

会計「……変態」

 拳はやはり当たらない。即座に消え、そして即座に姿を現す女の攻撃は確かに俺様に命中するも、致命傷とはならない。俺様は一度ステップを踏み、緩急をつけて胸ぐらを捉えにいった。
 それも同様に回避される。石が頭にしたたか打ち付けられた。衝撃に思わず頽れるが、追撃を防ぐために蹴りを放つ。

 足払いが来た。不安定な片足を狙われ、俺様は地面に転がる。無防備な体勢だ。
 受け身を取りながら立ち上がる。同時に、もう一度女の腕が巻き付いてくる。

 クラクションが聞こえた。

会計「は?」

 女が素っ頓狂な声を上げるものだから、俺様は面白くって、ついにやりとした笑みをこぼしてしまう。
 そんな場合じゃないのに。
 トラックが――コンビニの商品を運搬するそれが、こちらに猛スピードで突っ込んできているのに!

 やばいやばいやばいやばいやばい!
 なんだこれ!


金髪「流石の俺様でもぐちゃぐちゃの肉片になっちゃおしまいだぜぇええええ!?」

会計「『時は金なり』!」

 走り出そうとした瞬間には、既に女の姿がない。軽くなって助かった!

 左足がフロントバンパーに激突し、たやすくひしゃげた音を出す。勢いに負けて吹きとばされるが、それでも十分マシだ。命を失うよりは。
 そのままトラックがコンビニの隣、居酒屋に突っ込む。暖簾と入り口などお構いなしに、文字通り大破させながら。

 酷い音がした。

 恐らく中には人がいたのだろう。暖簾が出ていたということは、そういうことだ。

 そして、一瞬にして視界が明るくなる。

 爆発。

 それが引火によるものだとすぐ理解できた。ガソリンか、ガスか、とにかく火種など腐るほどある。爆裂四散した家屋が、トラックが、なにやらぶすぶすと焦げる肉片らしい物と一緒に降り注ぐ。
 彼らは弱かったから死んだのだ。

 弱肉強食。
 現代日本においてそんなことを標榜する俺様はおかしいだろうか? 間違っているだろうか?

 ここは戦場ではないと。
 ここは野生ではないと。
 有識者ぶった大人は、俺様をそう窘めるだろうか?


 けれど俺様は知っている。ここは戦場だ。誰も彼もが蹴落としあい、隙を見ては後ろから刺す、血も涙もないくそったれな戦場なのだ。
 そしてそれを自己責任と言う言葉でごまかし続ける。努力が足りないとか、頑張りなさいだとか、そんな発奮を促す言葉をかけるだけで満足した気になって。

 それでもどうしようもない人間がいることなど夢にも思わず。

 全てが怖くて、ゆえに外に出られなかった少女の苦しみなど、誰もわかってくれはしない。

 ふつふつと怒りが湧いてくる。こんな広範囲の甚大な被害は認められなかった。

 炎で揺らめく世界の中を、鮮やかな緑色が闊歩する。

彩人「死ななかったんですね! あはっ!」

 初対面。それでもこいつのおかしさはわかる。気が違っている。
 どこまでも瞳が透き通っている。まるで世界の汚れを見たことが無いように思えた。

 飛びかかろうとする俺様の頭上から電柱が倒れてくる。電線をぶちぶちを引き千切りながら、正確無比に、俺様へ。

金髪「ちっ」

 避けた先にある肉を踏んだ。思わずバランスを崩す。
 そこへ車がもう一台。

金髪「なっ!」

 回避不可能。強く、強く体を打ちつけられ、宙を舞った。アスファルトに叩きつけられて全身から嫌な音が響く。

 血も激痛も『弱肉強食』でシャットアウト。既に流出した血液だけは止められないため、血まみれの顔面を一度拭って、転がりながら起き上がる。一秒たりとも同じ場所にとどまってなどいられない。
 世界は炎と阿鼻叫喚に埋め尽くされていた。消防車、パトカー、救急車、サイレンがけたたましく耳を劈く。

 その世界の中で、鮮やかな緑色だけが、日常の速度で近づいてくる。


 だめだ。やばい。早く逃げなければ。転戦しなければ。
 頻りに脳が警報を鳴らす。周囲への被害こそ甚大だし、何より、俺様のストックも底を突きつつある。
 しかしそれもうまくいかない。渋滞になった車たちが鮨詰めで、その隙間を縫うこともできない。いくつか事故も起こっている。

金髪「むちゃくちゃだな!」

 それでも。無茶を無茶だと知りつつもボンネットの上に飛び乗り、そのまま車の上をひた走る。

 急な車の発進で足がとられた。バランスを崩して地面に落ちる。そこへ救急車が、

金髪「なん、っだよ、これ!」

 この不幸!

 あまりにもタイミングが悪すぎて――ツイてなさすぎる!

 視線を前に戻せば鮮やかな緑色。彼女自身が俺様を殺すつもりではないようだった。ならばこの一連の不幸、うまくいかなさこそが、彼女の仕向けたことだとでも言うのか。

 舌打ち。泡を食って降りてきた救急隊員の首根っこを掴み、無理やりに腹へと押し込んだ。

 咀嚼もほどほどに嚥下。

警官「ま、待て!」

 警官が発砲してくる。って、発砲!? マジかよ! そんな簡単に拳銃を抜くんじゃねぇ!
 一人が撃ち始めると、連鎖的にほかの警官も発砲を始めた。未曽有の事態に警官も混乱しているのだろう、なんて冷静な判断をしている場合じゃない。流石に頭を撃ち抜かれて再生する保証は俺様にだってない!


「手」

 短い呟きがそばから聞こえた。

「手。とって」

 見上げれば、目つきの悪い女が手を差し出していた。

警官「う、撃てぇえええええええ!」

会計「早く」

 猶予は一秒もなかった。混乱を極めた脳内で、俺様は自然に、素直に、その女の手を取る。

会計「『時は金なり』」

 瞬間、世界が停止した。

 人の動きは止まり、弾丸は空中で固定されている。炎の揺らめきもこの世界には存在しない。ひたすらに静謐な、死の世界。
 唯一のぬくもりが女の指先から伝わってくる。

会計「走って。貯金ももうないから」

 貯金? なんのことだ?
 わからなくとも脚は動く。車の波を乗り越えて、傍の裏路地に入ったあたりで、雑踏のざわめきが戻ってきた。

金髪「……何のつもりだ」

 目いっぱい睨みつける。けれど女は一向に意に介さない。髪の毛を僅かにかきあげ、控えめに「ついてきて」とだけ言うと、すぐに路地の奥へと足を進める。

 出た先はまた別の大通りだった。ファストフードの店に女が入ったため、俺様もそれを追って入る。

 女は冷静だった。フライドポテトとシェイク、そしてフィレオフィッシュをさっさと頼み、受取り、席に着く。
 よくわからないままに見ている俺様を、女は手招きした。

金髪「……何のつもりだ」

 先ほども聞いた気がするが、もう一度。


 女はフィレオフィッシュを一齧りし、シェイクを呑んで一息ついたのか、口を開いた。

会計「助けた恩人に対して、その態度はない」

 こんな変人に人としての道を説かれたくはなかった。

会計「私は時任一時。説明はいらないでしょう、能力者よ。あなたの名前は」

金髪「……古屋懐古」

会計「そう。いい名前ね」

 本当に思ってんのか?

会計「変なものね。さっきまで殺しあっていたあなたと、こうしてテーブルを挟んで談笑しているというのは」

 談笑? 談笑って言ったのかこの女。お前の談笑の定義ってなんだ。

金髪「ここでドンパチ始めるつもりはないってことか」

会計「これだから脳筋っていやね。まぁ、あなたがそのつもりなら、私も受けて立つけれど」

金髪「いや、俺様はもういい。疲れた」

会計「それは同感ね」

 初めて意見が一致したな。

会計「手短に行きましょう。『時は金なり』。あまり浪費していいものじゃないわ」

会計「共同戦線を張らない?」


金髪「共同戦線?」

会計「あらごめんなさい、意味をご存じないなんて信じられなくて」

金髪「知ってるよ! いいから話を続けろや!」

会計「さっきの惨状、見たでしょう? あの緑色……あいつが出てきてから全てが狂ったわ。いえ、あいつ自身が狂ってるから、しょうがないとも言えるのだけれど」

 緑色。鮮やかな、緑。
 都市伝説。鮮烈な彩人。

 あいつも宇宙人に選ばれた能力者なのだろうが、とはいえ、区別もなく災厄を振りまいておきながら平然としている精神構造は、宇宙人寄りなのだとは思う。

会計「私は願いを叶えたいだけであって、人を殺したいわけじゃない。ましてや人を巻き添えにしたいだなんて」

金髪「……そうだな」

 弱い人間こそ守られるべきなのだ。

会計「あんなのがこのさき首を突っ込んでくるようじゃ、死人がいくら出ても足りないわ。かき回されちゃたまらない。だから、ねぇ、古屋さん」

金髪「……懐古でいい」

会計「古屋さんもあの緑色を殺すのに協力してくれるんでしょう?」

 人の話を全く聞く気がないようだった。

 ともかく、共同戦線。俺様とこの女――時任一時で、あの緑色をぶっ殺す。


金髪「妥当、だな」

会計「それは妥当と打倒をかけているの?」

金髪「かけてねぇよ! ちったぁ黙れ! 喰うぞ!」

会計「変態ね」

金髪「しかし、解せねぇな。お前の能力……時間停止さえあれば、あんなやつはなんとでもなるんじゃねぇのか」

会計「……チッ」

 女が小さく舌打ちをした。能力に関しては完全なるカマかけだったが、どうにもうまくいったようだった。
 舌打ちが、自身の能力がばれたことによるものなのか、それとも別の何かを想起したことによるものなのか、それはわからなかったが。

会計「相性は、いいのでしょうね。恐らく」

 女は諦観を多分に孕んだ口調で言った。

会計「あの緑色の能力は、十中八九『相手を不幸にする』。私が時間を止めている最中は、その不幸とやらも働いては来なかったわ」

会計「けど、それだけじゃまだ足りない。一の矢だけじゃだめ。二の矢も、できることなら三の矢まで用意したいくらい」

 女の深い考えは俺様には知る由もなかったが、保険が必要という考えには同意できる。そして、あわよくば、俺様もこの女も漁夫の利を狙っている。
 緑色と、目の前の存在。両方を同時に消せればこれ以上はない。

会計「とりあえず、今後ともよろしく。ここの代金は私が支払っておくわ」

 一万円札を扇のように広げつつ、女はタルタルソースを舌先で舐めとった。

 ……いや、俺様、喰ってねぇし。

――――――――――――――――――――――

残り六人

――――――――――――――――――――――

投下は以上です。

また、wikiのほうに「時は金なり」時任一時のビジュアルを追加し、「弱肉強食」古屋懐古の記載に追加を行いました。
男二人のビジュアルはもう少々お待ちください。

余裕があればまた夜に投下を行うかも?

――――――――――――――――――――――

 這う這うの体で家までたどり着いたときには、既に夜だった。

 『天網恢恢疎にして漏らさず』で確認したところ、能力範囲内にいるのは一人。気になるが仕方がない。くたくただ。とにかく、休まなければ。
 親からはこの時間までどこにいたのとテンプレートなお叱りを頂戴した。それをごまかし、ベッドにダイブ。

 『悪即斬』はどうなっただろうか。『門外不出』は? それもまた気になることであった。
 知りたいことはたくさんあるのに、体がそれにおっつかない。休息を欲している。何よりも。まず第一に。

 日付が変わるまであと三十分。

 吐いた空気は鉛より重たい。

 なぜ自分だけが出られたのか――否。出してもらえたのか、考えても考えてもわからない。それは僥倖で願ってもないことであったが、どこか負けたような気もした。お前には用はないと言われたようで。

 いや、違うぞ、あたし。蛍光灯の明りをぼんやり眺めながら思う。手をかざしてみたり、なんかもしながら。

腕章「生きてる限りは負けじゃない」

 五体は満足。ベッドの感触を十分に味わえる。負けただとか、そんなナーバスになる必要なんてないのだ。

腕章「あ……宿題やってない」

 思い出しながらも睡魔には勝てない。入眠。

友人「珍しいね。報道が宿題やってこないなんて」

腕章「昨日は大変だったのよ、いろいろ」


 本当にいろいろ。
 後輩は死んじゃうし。
 屋敷には閉じ込められるし。

 あたしは口数も少なめに友人のプリントをひたすらに写す。まったく、持つべきものは友達だ。

 しかし、残り六人である。七人から六人。この数字の減少が意味するところは、悪即斬か門外不出、どちらかの死亡に他ならない。
 まさに漁夫の利。あたしの人生こんなにツイてていいのかしらん。

腕章「ツイてる、か」

 鮮烈な彩人――福留大福――『棚から牡丹餅』。
 邂逅は一瞬で最悪なものだった。僅かな時間で読み取れたものは多くはないけれど、ある種の危機感をあたしに抱かせるには十分で。

腕章「無差別は、困る」

 『邪気眼』こと銀島路銀もそうだったけど、あまり派手に騒がれると、あたしとしてはやりにくい。自分の能力を過信しやりたい放題やる輩がとっても苦手なのだ。
 だってあたしは『天網恢恢疎にして漏らさず』。攻撃力はないに等しい。手のひらで踊らせないと勝機も生まれやしない。

 まだ見ぬ二人の能力者もいる。そして片方はこの学校にいる。目下のところ、火急の要件はそちらだろう。どこかでニアミスしている可能性だって大有りなのだ。
 その気になれば同類のにおいを嗅ぎ分けることはできる。ただ、それはやはりある種の怪しさを覚えて初めて気づけるもので、手当たり次第にできるタイプのものでもない。

 ムムは「安心しなよ」と言っていたけれど、安心できるはずなんてなくて。

 考え事をしている間に宿題は写し終わる。友人に礼を言って、チョコレートの一枚でもくれてやると、顔をぱあっと明るくさせて剥きはじめた。甘いものに目がないのだ。

「もしもし」


 顔を挙げれば目つきの悪い女がいた。生徒会会計、時任一時。国立理系の彼女が国立文系の我がクラスに来るのは珍しい光景だ。

腕章「なに」

会計「新聞部さんに印刷お願い」

 そう言ってペラ紙一枚を差し出す。生徒会便りだった。

腕章「そんなの生徒会のコピー機でやんなさいよ」

 この女は苦手だ。口先三寸をのらりくらりとかわしやがるから。

会計「うちの輪転機、調子が悪いのよ」

 輪転機ってなんだ、輪転機って。コピー機って言いなさいよ。わざわざ面倒くさい言い方しよってからに。
 あたしは生徒会便りに目を通した。最近不自然な交通事故が多発しているため、気を付けて下校しましょうというような趣旨だった。こんなの誰が見るんだか。

腕章「まぁ、いいけど。『天網恢恢疎にして漏らさず』、神様もあたしの善行、見ていらっしゃるかもしれないし。ねぇ?」

 含みを持たせた視線を向ける。世の中は持ちつ持たれつ。生徒会とは仲良くしていたほうが、色々特だ。

会計「ありがとう、助かるわ」

腕章「いいってことよ。印刷しといてあげる。昼休みまででいい?」

会計「大丈夫よ。早ければ早いだけいいわ。『時は金なり』。でしょう?」

 あたしと喋る時間も惜しいと言外に語る会計は足早に去っていく。あたしは彼女が完全に消えたのを見送ってから、鼻で笑った。
 何が『時は金なり』だ。ネットワークが発達した現代社会において、時間の価値なんて相対的に薄れているというのに。

 本当に金を生むのは情報だというのに。


 あぁ、情報、情報、情報!
 世界にはあまりにも情報が溢れすぎてる!
 押しとどめることなんてできやしない。情報たちは洪水のように、プライバシーの壁を内から押し続けている。それを法律で縛る人間たちの何という愚かしさよ!

 うふふふふふふふ。

 くははははははは!

 内心の笑いを自重しきれない。友人が気味悪げにこちらを窺っているのを察知し、努めて平静を保つ。
 時計を見る。あと数分でホームルームだ。ぎりぎり宿題は間に合ってよかった。

 と、クラスの男子が窓際に集まって、「なんだあれ」と騒いでいた。

 途端に嫌な予感がする。

 急いで能力を起動――周囲の能力者を網羅。
 その数、三つ。

 三つ――三つ!?
 いつの間に、いや、誰が、くそ、思考がまとまらない。一つはもともといる分。もう一つは「なんだあれ」のぶんだとして、さらに一つは誰――いや、襲撃者に備える方が先なの!?

 教室を飛び出した。この喧騒の中ならばきっとお咎めなどされるまい。

 一階から轟音。
 火の手があがる。

 爆発が起こったのだということは想像に難くなかった。爆発。殺傷力に過ぎる。そしてあたしのデータベースには存在しない。誰だ。まだ見ぬ能力者がやっと姿を現したのか。
 違う、と思考より先に直感がそう告げた。そして、ややあってから、思考が理屈をつけてくれる。


 男子たちは「なんだあれ」と言った。「なんだあれ」。おおよそ人間に対しての呼称ではないそれを、なぜ男子たちは使ったのか。
 侵入者がおおよそ人間とは思えなかったから?

 たとえば。
 たとえば、そう。

腕章「物凄いカラフルだった、とか!」

 幸運を引き寄せる能力者。
 偶然の行動が、結果として最善を招く、だからこその『棚から牡丹餅』。

彩人「やっぱりわたしってツイてる。そう思わない?」

 彩人は、今度は全身がオレンジだった。まるでひまわりのようだ。

 爆炎の中で笑っている。
 頭がおかしい、と素直に思った。

 スプリンクラーも作動しない。壊れているのか、運がいいのか。

 炎があたしのぼさぼさの髪を一層かき回す。それを押さえつけながら、精一杯に笑ってやった。

腕章「ツイてる? あんたが? 冗談でしょ」

彩人「えー? だってわたし、今日の星座占い、一位だったんだよ?」

 甘ったるい声。生ぬるい声。ふわふわと宙に浮いている。

腕章「あんたは今! ここで! あたしに負けるんだから!」

腕章「あたしに会ったのが運の尽きよ!」

彩人「困ったなぁ、もう」

彩人「滑って転んで死んじゃって?」


 爆発の現場は一階の理科室。そこで何かが引火したのだ、「運が悪いことに」。誘爆の可能性は高い。そして、それ以上に、もっとよくない何かが起こる可能性だって。

教師「あ、おいお前ら! 危ないからそこを離れるんだ!」

 消火器を担いだ先生たちがずんどこずんどこやってくる。彼らには悪いけど、ここを切り抜けるための道具となってもらわないと。

腕章「『天網恢恢疎にして漏らさず』」

 能力を起動する。

 確かに彩人は運がいいのかもしれない。それが能力であるのかもしれない。相対的に彼女は幸運で、あたしは不幸に見えるだろう。けれど、それは決して、あたしが絶対的に不幸であることを意味しない。
 あたしの幸運はこの限定されたフィールド。感知の範囲を学校の敷地内に限定すれば、疲労の蓄積は僅少だし、土地勘もある。なにより、

腕章「あたしの手駒がふたっつも!」

 『棚から牡丹餅』以外の能力者。そいつらに片付けてもらおう。

 一階は職員室、保健室、事務室、体育館がある。体育館は使用されていない。事務室には事務員。職員室にいる先生たちは、現在、消火活動のためにこちらへ向かっている。それは見たとおり。
 消火活動に来たのは全部で三名。職員室に二人いて、何をしているのだろう。電話と……避難誘導の準備、かな?

 二階から教室がある。一年生の教室だ。全部で三クラスあって、先生も一人ずつついている。廊下に並びだした。図書館には誰もいない。当然、生徒会室にも。

 三階は二年生の教室。こちらも避難が始まっている。四階、あたしたちの教室がある階も同様に。


 だめだ、こんなんじゃ足りない。上っ面を舐めるような「情報」じゃだめだ。
 もっと、深く、深く。
 全てを知らなければ。

 どこだ! この騒ぎの中で怪しい動きをしている人間は!
 そいつこそが能力者!

「へろー」

 そっと指先が頬を撫でた。悪寒が走り、思い切り後ろを振り向く。
 ごつん。肘に鈍い感触。

会計「っぐあ」

腕章「え? あ、ごめん」

 思わず謝ってしまう。
 目つきの悪い女――生徒会会計。

会計「大丈夫。平気ってことよ」

 そう言って、あたしの肩をがしっと掴み、

会計「さぁ、一緒に怪物退治と洒落込みましょう?」

――――――――――――――――――――――――――

残り六人

――――――――――――――――――――――――――


 は? と新聞部は言った。とても、とっても辛辣な瞳が私を貫いている。こちらの正気を心底疑っている顔だ。その真剣さに思わず涎が出そうなくらい。
 彩人が襲ってくるのは予想外だったけど、そのおかげで能力者が判明したのは僥倖だ。我が校にいたなんてのはさらに予想外。でも、私に有利に運ぶ予想外なら、いくらでも大歓迎。

会計「何がおかしいのかしら。あの彩人は、愛する学び舎を破壊しつくす害虫よ。駆除しなくては」

腕章「は? はぁ?」

会計「えぇそう。あなたにとって私は、私にとってあなたは敵。けれど、『時は金なり』、ここで諍いを起こすのはよくないわ」

腕章「ふざっけないでよ!」

 胸ぐらをつかまれる。スカジャンの薬品臭いにおいが鼻を衝いた。

腕章「あんたが能力者だったなんてオドロキ。共闘だって構わない。けどね、あんた、どうやって移動した?」

会計「……」

 思わず答えに詰まる。何と答えるのがいいか、わからなくなって。
 もちろん答える義理はないし、何より私のクリティカル・ポイントを教えるつもりなどさらさらない。
 それよりも――なぜ、この人は知っているのだろう。私が時間を買い取ったことを。

 千里眼? 『天網恢恢疎にして漏らさず』?
 ふぅん……。


 私を掴んでいる手を払って、唇に指を添える。

会計「企業秘密」

腕章「ばっかじゃないの」

 酷い言われようだわ。

腕章「でも、いいわ。やってやろうじゃない。共同戦線? 上等よ」

腕章「あたしの脚だけは引っ張んないでよね」

 それはこっちのセリフだけれど、ま、許してあげるわ。

彩人「どこ行きましたかー?」

 反響する彩人の声。先生たちが向かったはずだけれど、どうなったのかしら。もしや全員死んだ? 有り得る。
 とりあえず、まずは距離を取らないと――って!

「どうしたんだろ」
「爆発?」
「誰だよ」
「なんか面白い」
「やめときなって」

友人「あ、報道、どうしたの!? 先生探してたよ!」

会長「お前らなにやっているんだ。これは避難訓練じゃないんだぞ」

腕章「え、あの、いや」

 ぞろぞろぞろぞろ。
 前方から、階段を下りてくる生徒たちの群れ! 群れ! 群れ!
 かき分けて進める密度じゃない――「運が悪い」!

 仕方がない。前言撤回には早すぎるけれど、ここを切り抜けるためにはやむなし!

会計「道山さん! 避難経路と被らない場所を教えて! 早く!」

腕章「くっ――反対側! 南階段!」

会計「オーケイ」


 『時は金なり』。

 私は新聞部の手を取って能力を起動する。
 途端、世界の構成要素が一斉に停止。喧噪やしがらみから遠く離れた別世界に、私たちは入り込む。

 道山さんは何事かときょろきょろしていたが、そんな時間すら惜しい。手を引っ張って先を促す。

腕章「時間停止? は。埒外ね」

会計「そっちの千里眼も十分埒外だと思うけど」

 罵り合うのはやめよう。今は口よりも足を動かすべき。

 たどり着いたのは南階段、旧校舎への渡り廊下。旧校舎に一般教室は入ってなくて、図書室と、会議室と、いくらかの部室が見える。当然人の姿も見えない。
 逃げるならここだろうか。変な邪魔も入らないし、被害も極小。
 新聞部も同じことを思ったのだろう。見合って、頷く。

 図書室へと足を踏み入れた。

会計「道山さんもあいつを知っているの?」

腕章「知ってるも何も、あいつのせいで酷い目にあった。後輩も、死んじゃったしね。あんたも?」

会計「えぇ。ドンパチやらかして逃げてきたわ」

 なら話は早い。恐らく、私以上に新聞部は敵のことを「知って」いるはず。あちらが不意の一撃を決められる可能性はないと思っていいだろう。
 相手はこちらをまるきり勘案していない。それが余裕なのか、それとも生来のものなのかは判断しかねた。理屈を立たせなくともよいならば後者のようなにおいはするのだけれど、あの極彩色はどぶ臭くって長時間嗅いでいられない。


 新聞部は臥せていた眼をそっとあげ、私を見た。

 石か、駒か、ぱちんと鳴らす音が聞こえた。幻聴、のはず。

腕章「さて、折角協調路線に入ったのだし、情報公開と行きましょうか?」

 獰猛な笑みだった。

 否やはない。恐らくできない。この女――道山報道、情報に関しての並々ならぬ執着心が見て取れる。全てで負けてもそこだけで負けるわけにはいかない、そんな妄執。
 そして私としても、自ら同盟を言い出した手前、敵とは知っていても情報の開示を行う義理がある。

 初めてこの女に恐ろしさを感じた。
 慎重に、慎重に。

会計「わかったわ。まず、私の生き様だけれど」

腕章「待った」

 すかさず制止が入る。

腕章「そんなものはとっくに知ってるってのよ。あんまり舐めないでくれる? 『時は金なり』」

会計「……」

 やはり、と言うべきだろう。あちらは情報を握っている。そしてそれを隠そうともしない。自分の能力の端きれを交渉材料にし、こちらに無言の圧力を加えてきているのだ。

 けれど同時に、あちらが持っている私の情報もまた、端きれ程度に過ぎないのだという予想もついた。でなければ情報交換など意味はない。

腕章「時任一時十八歳、生徒会会計、叔父との二人暮らしで犬が一匹いて携帯の番号は――なんてのはどうだっていいことなのよ。そんな情報に価値はない」


腕章「あたしが聞きたいのは二点。たったの二点」

腕章「能力。そして、どうして彩人に執着するのか」

腕章「『知ってる』わよ。あんたの執着心は」

 またしても新聞部は獰猛な笑みを浮かべる。

 瞬時に駆け巡る打算。どうする。どうすればいいか。どこまで喋るべきか。そもそもこの女、情報を何に利用しようとしているのか。

 私は大きく肩を竦める。

会計「わかったわ」

会計「私の生き様は『時は金なり』。能力は、『金で時間を買う』よ」

腕章「金で、ね。へぇ。随分と資本主義的」

会計「千円で一秒。それがレート」

 懐にしまってあった懐中時計を取り出す。お母さんからもらった懐中時計。そして、お母さんがお父さんからもらったものでもある。

会計「で、なんで私があいつに執着するのか、だけれど」

 怒りがふつふつと込み上げてくるのを私は隠そうとはしなかった。壁をだん、と叩きつけて、吐き捨てる。

会計「大嫌いなの。ああいう人間」

 取り返しのつかないことなんかない、全ては可逆で、なんとかなる。最後にはきっと必ず何とかなるだろう。壊れた物も、人も、まぁ、大丈夫だろう。
 もしかしたらあの原色は、そんな希望的観測すら持ち合わせてはいないのかもしれないけれど、とにかく。

 時任一時という女は、過去の尊さを知らない人間が何より嫌いなのだ。


 だから私にこの生き様が宿り、能力が宿ったのだろう。
 過去を買い戻すために。

腕章「あいつとの間に何かあった? ……ってわけでも、なさそうね」

会計「えぇ。何もないわ。ただ、あの女がどぶ臭くって、見るのも嫌ね」

 腕章は僅かに沈思黙考していたが、頷く。

腕章「ま、いいわ」

 どうでも、と前後についていそうな口調だった。

腕章「あたしは『天網恢恢疎にして漏らさず』。『情報を得る』という能力よ。この学校の敷地内位なら十分にカバーできる」

腕章「ちなみに聞くんだけど、あんたが時止めてる間にナイフでざくってのはだめなの?」

 それは最もな質問だった。私だって一番初めはそれが可能だと思っていたのだが。

会計「だめね。時間を止めれば、私に触れていないもの全てが止まる。止まったものは動かせない。ナイフを突き立てることなんか無理よ」

 時間停止に巻き込まれないのは私の触れているものだけ。でなければ、私は全裸で動かなければいけなくなる。
 そして時間が止まっているということは不変ということで、それは存在として強固であることを意味している。傷もつかない。弾力もない。凍結した存在。

会計「敵が普通だったら時間を止めて接近、解除して突き刺せばいいんだけれど……なにせ相手があいつでしょう。解除した瞬間に不幸に見舞われて死ぬかもしれない。それだけがね。懸念よ」

 一瞬、本当に一瞬だけ、新聞部が眉を顰めたのがわかった。なに? 私の推察に問題が?
 結局新聞部は何も言わず、「確かに」と呟いただけだ。が、今の対応は私の心の水面に墨汁を一滴垂らす。


 しかし、と私は考える。

 新聞部――「天網恢恢疎にして漏らさず」の能力は、やはりというべきか、予想通りの全知。彼女は学校範囲はカバー可能と答えていて、ならば当然私の仲間の侵入を知覚していないはずはないのだけれど、それを言うつもりはないらしかった。
 どこまで行っても敵は敵、か。

 私の仲間。そう、仲間である。現在、「弱肉強食」には即応できる体勢を取ってもらっている。彼がどこにいるのかの詳細はわからないまでも、学校の敷地内にはいる。

 彼は彼であの原色を打ち倒す策を練っているはずだ。
 彼は彼であの原色を蛇蝎の如く忌み嫌っているから。

腕章「でも、結局あたしらじゃあ肉弾戦を挑むよりほかにない。時間停止、接敵、相手の幸運をなんとか捌いて殺害、ほかに方法ある?」

会計「ないわね。ない」

 だから苦労もするというもの。

会計「どう? 彩人は」

 尋ねると、新聞部は片目を瞑って、

腕章「ゆっくりこっちに歩いてきてる。探してるわけじゃないけど、真っ直ぐに。まったく、なんて幸運だわ」

腕章「現在地、二階水飲み場前。到達予測時間はおよそ三分ってとこね」

 三分か。三分はまだ遠く、そして長い。その時間をまるっと買うには高すぎる。

 だから私は、否、私たちは、先手を打たれる。


 一瞬眩暈かと思った。もしくは勘違いかと。
 前後不覚を覚えて、足元が微動して、不安定さがそこに確かにあって。

 微動はやがて鳴動へと変わっていって。

 ぐらぐらと。
 ぐぅらぐぅらと。

 巨大な地震が――!

 このタイミングで!

 ばさばさと本が棚から落ちていく。揺れる蛍光灯。軋む窓ガラス。固定されていないホワイトボードが滑って壁へと激突した。椅子も、テーブルも、危うい。

 大丈夫だ、落ち着け、地震は確かに脅威の自然災害だけれど、それそのもので死ぬわけではない。気にすべきは建物の崩壊と火事、そして煙。最低限それらに気を付けていればいい。
 最悪、時を止めてでも走れば、きっと。

 ごぐん、と音が体内に響く。
 私たち二人を空間ごと切り取るように、床に、天井に、罅が入る。
 断裂。倒壊。

 床が抜ける。

会計「道山さんっ! 私の手を!」

腕章「わかってんよ!」

 バランスを崩した世界の中で、私たちは手を重ねる。
 途端に時間が停止。一目散に図書室の入り口を目指す。

会計「く! なに、これ!」

 ぐ、と力を籠めても開かないのだ。能力のせいじゃない。とっくに効果は消している。
 だから、ただ単に、扉が歪んだだけ。私たちの運が悪いだけ。

 そして、能力を使用していないということは、崩落のさなかにあるということだ。

腕章「ちくしょう!」

会計「なんとかしないと――」

 こんなところであっさりくたばるのは御免だわ!


 と、不意に力が抜けた。扉がスライドして大きな音を立てる。開いたのだ。
 それは場にそぐわぬ幸運だったけれど、逆に怪しい。彩人の能力下で扉が開くということは、果たしてそれが不幸だという証ではないのか?
 それでも仕方がない。崩落に巻き込まれるわけにはいかない。破壊的な音を響かせている背後から脱出し、廊下で膝をつく。

 地震は過ぎ去ったようだった。静かなものだ。まるで全てが幻想だったかのように。
 だからこそ振り向いた。手抜き工事だったのだろうか、不自然にその一帯だけが歪み、崩れ落ちている。あまりにも「不幸なこと」に。

会計「どういうこと、かしら。調べてくれる?」

腕章「やってる。……はぁん、なるほど」

会計「ちょっと、勝手に納得しないでくれる?」

腕章「二人、戦ってる。彩人ともう一人の闖入者。効果圏内から彩人が離れていってるわ」

 効果圏内――確かに今、新聞部は効果圏内と口にした。それは私がかねてから考えていたことと一致する。
 彩人の能力は決して無限大でも無尽蔵でもない。地球の裏側にいる私たちに効果を及ぼしたりはしない。
 恐らく、視認できる範囲。近づくにつれて私たちの身に降りかかる不幸も並はずれたものに深化していく。

会計「誰が戦ってるのかは?」

腕章「残念ながら、そこまでは」

 本当に残念そうに言った。どうにも演技には見えない。

 とはいえ、一応ポーズとして尋ねはしたが、私は知っている。闖入者の正体を。

 うまくやって頂戴、『弱肉強食』。

――――――――――――――――――――――――

残り六人

――――――――――――――――――――――――


金髪「ったってよぉ!」

 俺様はとにかく逃げ回っていた。一定の距離を保ちながら、迫りくる不幸をなんとか避け、もしくは超回復でやり過ごし、生き延びている。
 近づけはしない。最初に近づいたときは廊下が水で濡れていて滑った。二度目は地震が起こって、三度目は蛍光灯が降ってきた。相手は何もしていないのに、だ!

 俺様がここにいるのは作戦の内に過ぎない。能力者が集まれば、敵は能力によって「幸運にも」俺たちのもとに辿り着くだろうという目論見が、まんまとあたったのだ。
 当たったからにはここで始末する。始末せねば不味い。ただでさえ学校は弱者のたまり場だというのに。

 だが、ここはある意味いい場所でもあった。車が突っ込んでくることもない。逃げる通路も確保しやすい。運の悪さが足を引っ張り続けることは難しい環境なのではないだろうか。

彩人「よく逃げられますねぇ。よっぽど運がいいんですか?」

 のんびりと、ゆっくりと、あくまで長閑な姿勢を彩人は崩さない。一歩一歩を楽しげに、こちらへ近づいてくる。

 生徒は全員避難したらしい。静かな校舎内には声がよく響く。

金髪「こっちゃ精一杯だわ、ボケ」

彩人「精一杯?」

 はて、と彩人が首を傾げる。

彩人「愚かだねぇ」


彩人「そういう行為に一体どんな意味があるのさ」

彩人「運の奔流に立ち向かえると思ってるのかな」

彩人「運命の翻弄に立ち向かえると思ってるのかな」

彩人「ほんと、愚かだなぁ」

 一歩、彩人が踏み出す。
 合わせて俺様は一歩下がる。

 視界が白く染まった。

金髪「っ!?」

 窓ガラスか、鏡か、とにかく何かに反射した陽光が俺様の目を穿ったのだ。気づくのに一秒を要し、次に目を開いた時には既に眼前に橙色が迫ってきている!

 距離が。距離が距離が距離が、

金髪「近ッ!」

彩人「滑って転んで死んじゃって?」

 か弱い力が俺様に加えられる。とん。まさに子供のお遊戯染みた。
 しかし、目の前のこいつは「棚から牡丹餅」。世界のすべてはこいつのために回っていることを疑いやしない狂人。

 遍く事象がこいつの味方。

「『弱肉強食』ゥウウウウウウウッ!」

 ガラスを突き破って飛来してくる黒い影。一瞬の邂逅でそいつは俺様の左腕を喰いちぎっていく。
 激痛と飛沫が視界を蝕む。


金髪「ぐ、くぅ、がはっ」

 必死に喰いしばるが空気は歯と歯の隙間からこぼれ出していく。だが、それよりもまず反転――転戦しなければ!
 ていうか、なんでてめぇがここにいやがる!

金髪「『悪即斬』!」

詰襟「それは俺が正義だからだ」

金髪「っ……このクソが! 脅威を履き違えてんじゃねぇぞ!」

彩人「仲間? いや、敵なのかな? あはっ!」

彩人「『運が悪い』ねぇっ!」

 彩人の哄笑。頭が痛い。

 失った左腕は既に修復が済んでいるが、けれども残りストックをこれでだいぶ消費した。「悪即斬」はだいぶん単調で直線的な攻撃だが、搦め手に割いていない分だけ威力は高い。相性はよくない。

詰襟「何が起こってるかは知らんが、どうせお前が何かをしでかしたんだろう」

金髪「ちげぇよボケ! てめぇの後ろにいるオレンジだ!」

彩人「私はなぁんにもしてないよっ!」

 詭弁だ。そして、なにもしてないからこそたちが悪い・

金髪「いるだけで周囲を貶める、悪魔め」

彩人「あはっ! みぃんな運が悪かっただけなんだよ!」


 「悪即斬」は依然として俺様への警戒を解かない。二対一の構図にはなんとかならずに済んだが、彩人と俺様のどちらかを狙うかと言えば、火を見るより明らか。

詰襟「問うぞオレンジ! お前は悪か!」

彩人「そんなわけないよ?」

 彩人の言葉を受けて、悪即斬がこっちを睨む。あぁもう、この融通利かずの大馬鹿め!

 しょうがない。

金髪「てめぇら全員ぶち殺す。かかってこいやぁ!」

詰襟「上等だ。お前に引導を渡してやる」

彩人「もう、二人とも張り切っちゃって。そういうの意味ないんだってば」

 ばばばば、と羽ばたく音が聞こえた。
 俺様には全くその正体はわからない。「悪即斬」もわからないようで、眉間に皺を寄せながら、音の方向――窓の外へと視線をやっている。

 嫌な予感がした。

 次第に音は大きくなっていって――

金髪「マジかよ」

 校舎内ならば車も突っ込んでこないだろうと予想した己の浅はかさを、今更ながらに後悔する。

詰襟「ヘリッ……!?」

 ヘリコプターが墜落してくる。

彩人「ほぅらねぇっ!」

―――――――――――――――――――――――――――――――

残り六人

―――――――――――――――――――――――――――――――

今回の投下は以上です。
多少長めになりました。ヘリが落ちてくるところで切りたかったので……。

wikiの更新はありません。
野郎どものビジュアルは休日中に仕上げる予定ですので、少々お待ちください。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 地を揺るがす轟音とともに、ヘリコプターが学び舎へと突っ込んだのを、あたしと会計はぽかんとしながら見送った。
 言葉が出てこない。漏れるのは「は?」という間抜けな音だけ。

会計「あったまおかしいんじゃないかしら!?」

 怒声一喝、姿を消した。
 あたしも連れて行ってよ……とは思わない。何せ彼女の行先は戦場のど真ん中。戦闘能力の欠片もないあたしが行ったところで意味がない。無駄な危険は愚の骨頂。こうやって、離れたところから観察するのがあたしの流儀。

 対面する新校舎、その三階に四人。内訳は「時は金なり」「棚から牡丹餅」「悪即斬」と誰か。「棚から牡丹餅」と誰かの戦いに「悪即斬」が割って入った形になったけど、しかし、よく間に合ったものだと素直に感心する。
 それにしても三階に突入って。全く人間離れしている。

 そんな彼を呼びつけたのはあたしなのだけど、怖いくらいにうまくいった。三つ巴ならぬ四つ巴。流石にここまでお膳立てをしたのだから、最低一人、くたばってもらわないと困る。

 生徒の避難は完了しているから、ヘリがいくら突っ込んでも生徒は無事……なはず。今は校庭でぽかんとしているだろう。
 申し訳ないとは思う。ただ、それもあたしが生き残れば、もっとよりよい世界になるのだから、我慢して欲しい。

 ……ん? こっちに誰か来る?

「おーい! 道山!」

 廊下を走ってくるのは優男……腹立たしい顔の生徒会長だった。状況に困惑しているのだろう、焦りが見える。


会長「お前何やってんだ! 先生探してたぞ!」

 お叱りを受ける。責任感の強い男だ。別にあたしらの安否ぐらいどうってことない、というかそんなもの気にしてられる場合じゃないだろうに。

腕章「ちょっといろいろあってね。ごめん。すぐ戻るわ」

会長「勝手な行動は勘弁してくれよほんと、いやまじで」

会長「あと、時任見なかったか? あいつもいないんだよ」

 今ヘリ突っ込んだ場所にいるけど? 答えたかったが堪える。そんなのは面白すぎた。

腕章「いや、ごめん。ちょっとわかんない」

会長「え? でもお前、さっきいたじゃんか」

 さっき――あぁ、そう言えば階段ですれ違っていたか。面倒くさい。

腕章「それが途中でどっかいっちゃったんだよね」

会長「そうか。くそ、探しなおしか……さんきゅ、ありがと」

腕章「どういたしまして」

会長「じゃあな」

 その言い方がなんだか印象的で、首を傾げる。

 あたしのお腹から刃が生えた。

 は?


 はぁ!?

 おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい――

 真っ先に脳裏をよぎったのは、死の恐怖でも生への執着でもなく、ましてや激痛だとか怒りでもなかった。何よりも最初に、「おかしい」と思った。
 絶対的に自信を持っていた能力が――全知が――「天網恢恢疎にして漏らさず」が――捉えきれない、感知できない存在なんて、有りはしないはずなのだ。だからこれは絶対におかしい。

 有り得ない。

 あたしが間違っているのではなくて、世界が間違っている。ルールが間違っている。

 膝を突き、上体を捩じり、血の味が口腔一杯に広がることに頓着せず、刃を持つ生徒会長をとにかく見た。

腕章「ふざ、っけんじゃ、ない、わよぉ……!」

 ようやく遅れて怒りがやってくる。激痛も。
 だけれど、そんなことは最早問題ではなかった。あたしはこいつを倒すために存在しているのではなかった。優先順位は変わりきった。
 あたしは遅かれ早かれ死ぬだろう。そして生死よりも大事な、確固として譲れないものがあるのだ。

腕章「あたしがぁ! 見逃す、情報なんてっ! あるわけ、ない!」

会長「言っていることがよくわからん」

 生徒会長は手に持った刃を振りかぶった。


 そこであたしは初めて、こいつが持っていた刃、あたしの命を奪おうとしている刃が、おおよそこの世のものではない奇怪な造形をしていることに気が付いた。
 まるで炎のようだった。直刀でも彎刀でもない。うねり、たなびき、昇天する炎の様相を呈した武器だった。

腕章「わからなくても結構なのさ! 園田楽園!」

 情報だ、情報だ、情報だ!
 死の淵に突っ立ってても、あたしにゃ知りたいことがある!

 園田楽園十八歳、生徒会長、両親健在妹一人、好きな食べ物は茄子の田楽、生き様は――「連理の枝」!

 まだまだ――もっと!

 なぜだ! なぜあたしはこいつを知らなかった!? なぜこいつはあたしに知られないでいた!? それはおかしい! 理屈が通らない!

 刃があたしのそばを駆け抜けていく。左ひじから先の感覚がない。けれど不思議と痛みもない。欠けた四肢など一顧だにせず、あたしはひたすら生徒会長を見続ける。
 薙ぐ刃。削がれる皮膚。肉。骨。飛び散る血飛沫。全ての攻撃を能力によるナビでぎりぎり避けて、生徒会長のサーバー、情報が詰まった概念的なそれにクラッキング連打。

 口の中が血の味で満ちている。
 知の味で、満ちていく。

 会長はまるでこちらに頓着しない。愛しげに刃を見つめて、陶酔の中で腕に力を込め、それを振り抜くばかり。

 ついに切迫した。鼻と鼻がくっつく距離に至って、当然あたしの腹には深々と刃が食い込むけれど、同時に、解る。

腕章「あぁ……」

 そりゃあ、あたしもわからないわけだ。

 だってあんた、参加者じゃないんだもん。

 自然と笑みがこぼれた。満足、とは言い難いけれど、満腹ではあった。

 気付きを口に出す余裕すらなく、フランベルジュともまた違う禍々しいそれが、振り下ろされてそして

―――――――――――――――――――――――――――

『天網恢恢疎にして漏らさず』道山報道死亡
残り五人

―――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――

「殺し殺して殺しを殺し、死に死に死んで死を死なす」

 俺様はぼそりと呟く。まるでそれが金科玉条であるかのように。
 いや、事実それは俺様の人生だった。生き様ではないにしろ、それの体現であった。

 この世は所詮弱肉強食である。だからとにかく弱者を喰いつくすことだけを考えた。学校になんて最初の数日しか行っていないし、あとはひたすら地下に潜った。そこは胸糞悪い世界で、だからこその心地よさも確かにあった。

 殺し殺して殺し尽くせば、殺人さえも殺しきれると願った。
 死に死に死んで死に尽くせば、死さえも死ぬのだと信じた。

 だからきっと祈りが通じたのだ。俺様の目の前にムムが現れたのは。
 手元まで手繰り寄せた本懐をここで手放してしまうわけにはいかない。

金髪「だから!」

金髪「死んでたまるかクソが!」

 現在落下中。窓ガラスを突き破って、校庭へ。
 流石に四つ巴は厳しい。厳しすぎる。「悪即斬」は俺様を目の敵にして憚らないし、同盟を組んでいる「時は金なり」もこちらの隙を窺っているのは明白。何より彩人が当たりかまわず不幸を撒き散らすもんだから、予測不能の事態が多すぎて。
 俺様を吹き飛ばした致命的な一撃は木刀による殴打だったが、四階からの落下よりは威力は低い。あいつの木刀は能力までも切れるけれど、肉体まではそうはいかない。

 そして四階からの落下すら俺様にとっては修復可能。

 全身が弾けるとともにゆっくりとした痛みが深奥へとねじ込まれ続ける。骨の砕ける音。筋肉の引き千切れる音。重要な臓器が潰れ、血管も千切れた。
 同時に即座にそれを回復。――がしかし、中途でふらりと意識が切れかける。流石に貯蓄も底を尽きたか。


 生徒やら教師やらが軒並み呆然とこちらを見ていて、即ち隙だらけで、俺様の餌と言うことである。

 弱者は守られるべき存在だけれど。
 そのためにはまず、俺様の腹の足しになってくれ。

金髪「いただきまぁす!」

「させないぞ」
「カニバリズム? こっわぁ」
「人間の営為じゃないわね」

 さんざんな言われようだ。お前らに俺様を断罪する資格があるとでも思ってるんだろうか……るんだろうな。

 ぐぱぁ。

 と開いた俺様の腹へ生徒、教師問わず片っ端から詰め込んでいく。
 響く悲鳴と絶叫。校庭へ降り立つ三つの影。

金髪「おいおい、まるで俺様が悪者じゃねぇか」

詰襟「悪は殺す」

会計「邪魔はしないわよ、私は」

彩人「わたしだって戦わないよ? だから勝手に死んで?」

 そうしてまた勃発する戦争。

 木刀の一撃を、金属バットの攻撃を――ってクソ、この「時は金なり」! ちゃっかり俺様も狙ってきやがって!
 回避し反撃しながら俺様の意識は現実の外へと落ち込んでいく。目の前の対処にリソースを割かなければいけないことはわかっていても、それでも。


 古屋懐古は懐古する。

 隣に一家が引っ越してくるらしいと聞いて、あぁやっぱりなと思ったのと同時に、当然わくわくもした。だって隣の立派な更地には少し前から大工さんたちがやってきて、測量をしたり、整地をしたり、基礎をつくっていたりしたから。
 隣に一家が引っ越してきたと聞いて、一も二もなく飛び出すというわけにはいかなかったから、へえそうなんだと親の話を聞き流す振りをしていた。だってがっついたら格好悪いじゃないか。

 そのくせ窓からちらちらと隣を窺ってばかりだった。塀に囲まれた大きな家。結構なお金持ちらしかった。そして、噂では女の子が一人いるらしかった。

 名誉のために言わせてもらえば、それは単なる興味であって、決して下心ではない。
 だから初めて隣の女の子を見たときも、陰気だなと思った程度で、落ち込んだりはしなかった。

 きっと彼女は生まれてきたことが間違いだったのだ。
 それでも、そんな真実は悲しいじゃないか。

 弱肉強食。生まれつき心の弱かった彼女にとって、世界は強い存在で溢れかえっていた。その絶望たるや人語に絶するだろう。
 だから、真実を捻じ曲げるしかない。

 僕が。
 俺が。
 俺様が。

金髪「てめぇらをぶっ殺してよぉおおおおっ!」


 速度に関しては「時は金なり」が数枚上手だ。というよりも時間を止められるのだから速度と言う概念を超越している。彼女は俺様や「悪即斬」にも警戒を払ってはいるが、実際攻撃しているのは彩人だけ。
 そして彩人はその攻撃をなるたけ回避しようと振舞っている。不幸の余波がこちらまで被害を及ぼすが、さしたる問題じゃあない。校庭は何もない分不幸の起きる余地が少ないというのもある。

詰襟「殺人は悪だ。悪は殺す」

 そして、こいつだ。
 こいつは俺様を目の敵にしている。こいつの悪即斬の生き様と、俺様の弱肉強食の生き様とでは、決定的な乖離がある。消して受け入れられない水と油。
 「悪即斬」の望む世界は苛烈な世界だ。正しく生きよ。前を向け。背筋をぴんと伸ばして、倫理に悖るな、人の子ら。それが人間として生きるということだ。獣として生きぬということだ。
 対して、俺様の望む世界は弱者をこそ救う世界である。正しく在ろうとしても正しくなれぬ人間。強く生きようとしても強く生きられぬ人間。俺様はそんな人間をこそ救いたい。

 「悪即斬」はけれど許さないだろう。正しくなれない人間は文字通り切って捨てる男だ、あれは。

 木刀による斬撃をいなす。きっちりと頭部を狙ってくる一撃は読みやすいが、眼前を切っ先が流れてゆく光景はどうにも慣れないものがあった。ストックは十分。数回ならば復活も可能だろうが。

 返す刀を潜り込んで金的。脚で防がれるのをそのまま力づくで押し倒し、木刀の有効射程、そのさらに内側の戦いへともつれ込ませる。
 膝が俺様の頬を強か打った。頬が切れて口の中に血の味が滲む。一瞬怯んだが食らいつき、胸ぐらを掴みながらお返しのグーパン。しかし「悪即斬」も同じことを考えていたようで、図らずともクロスカウンターの形になる。
 衝撃で視界が歪む。ぐらぐら揺れる。

 たたらを踏んでよろめいた先には「時は金なり」がいた。背中をぶつけるようにして止まる。


会計「大丈夫?」

金髪「なんとかな」

会計「そう。それじゃあ」

 姿が消え、次の瞬間には彩人へと躍り掛かっている。金属バットを振り回すが、不幸にも空き缶を踏んづけて転んでしまっていた。

 そんなよそ見をしている間に正義が切迫する。

 木刀の乱打。乱舞。必殺の一打は全て俺様の頭部を狙う。無論そんな単調な攻撃がいつかあたると期待しているバカではあるまい。だから、きっとこの攻撃は、何かの布石のはず。
 と思った傍から、来た!

 振り抜いた瞬間木刀を投げ捨て――幾分か身軽になった体で、こっちに突っ込んでくる!
 身を屈めたその刹那、俺様の視界から「悪即斬」の姿は消失する。ぞくぞくとした焦燥感が湧きあがってくるが、混乱はしない。

 意趣返しだろうか、金的狙いを回避して、カウンターで顔面へと膝を叩き込む。
 驚異的な反射神経で「悪即斬」は顔を逸らした。首筋へめり込んだ膝を、しかし一顧だにせず、脚ごと俺様を掴んで頭突き。
 鼻っ柱が折れた。それでも目を瞑らなかった自分をほめてやりたい。この位置関係では、俺様の視線をこいつは知れない。

 無防備の側頭部に!

 拳を叩き込む!


 視界が翳る。

 感じたのは灼熱感だった。顔面が燃えている。ひりつく感覚。歯も一本抜けた、か?
 血を掻き出そうと舌を動かせば砂を噛んだ。じゃり、と口の中で鳴る。不快だ。
 目の前には中天へと差し掛かろうとしている太陽があって、背中は硬くて、そこで初めて俺様は自分が校庭に倒れていることを悟った。

 こいつ、俺様がわかっていることすらわかっていやがったな……!

 能力を起動。全力で止血、再生。跳ね起きる。

詰襟「埒があかねぇな」

金髪「俺様のせいじゃねぇよ」

 俺様はためを作り、そして一歩前に踏み出す――と見せかけて、

金髪「じゃあな!」

 背後へ飛びずさる。距離にして十メートル先、そこには彩人と、木刀がぶっ刺さっている「時は金なり」の姿。
 勢いのまま彩人を蹴り飛ばす。不幸は今回ばかりは発動しなかった。彩人は校庭を転がって吹き飛び、その間に頽れる「時は金なり」を回収、肩に担いで走り出す。

金髪「時間を止めろ!」

会計「……あと、五秒、だけ、しか」

 鉄くさい吐息だった。五秒だって? かまわん。とにかく一歩遠くへ離れなければ。

 そうして世界が停止する。


金髪「にしても、どぎつい不幸だな」

会計「えぇ、えぇ……」

 虚をつくために「悪即斬」が放り投げた木刀が突き刺さったのだ。死角からの攻撃に、時間停止も叶わなかったに違いない。もしくは残り五秒と関係があったのだろうか。

会計「それにしても、どうして、私を助け、ようと……?」

金髪「俺様一人じゃどうにもならねェからな」

 業腹なことだが。

金髪「まずは保健室か? つっても、怪我の治療なんてできねぇな。どうする」

 どうやら追っ手は撒けたようだった。というよりも、あの二人が戦ってくれていれば、それに越したことは何もない。

会計「職員室……もしくは、教室、どちらでも、いいから……お金を」

金髪「金ェ?」

会計「えぇ……早く」

 意味が解らなかったが言われたとおりにするしかあるまい。

 職員室と各教室を回り、財布の中の金銭を全て奪っていけば、総額では三十万程度になった。そうして「時は金なり」の言うとおりに職員室へと戻ってくる。
 「時は金なり」はよろめきながらも職員室の中央、恐らく校長が座るのだろう席の前で屈みこんだ。そこには金庫がある。

会計「三十万……これで、体の時間を買い戻す、わけには、いかなかった」

 ぶつぶつと呟く内容を俺様は全く理解できない。

会計「私が、買い戻すのは、ここ。これ」

会計「『時は金なり』」

 俺様はその時見た。超高速で金庫の鍵が回ってロックが外れ、次いでダイヤルが回転し、まるで導かれるようにその扉が開くのを。
 中に入っているのは書類の束と、札の束。全部で二百万程度はあるだろうか。小銭の入った袋とケースもある。


会計「『時は金なり』」

 もう一度呟いた。今度こそ彼女の傷が見る見るうちにふさがり……というよりは、血が逆流していく。まるで時が戻っていくかのように。

会計「……」

 静かに眼を開いた「時は金なり」。恐らく大丈夫だとは思うのだが、それは外見からの判断であって、実際のところがどうなのかまでは……。

会計「あいつら、ぶっ殺してあげるわ、マジで」

 冷たく言い放つ。どうやら大丈夫なようだ。

金髪「お前、時間停止だけじゃないんだな」

会計「えぇ、そうよ。ばれてしまった以上は仕方ないけれど、私の能力は時間操作。時間停止なんて温いわ」

会計「ま、より定義に沿って言えば、『時間を金で買う』ということになるんだけれどね」

 時間停止ではなく、時間操作……金庫の時間を過去に戻した、ということか? そして同様にして身体の怪我も治した、と。

 ……強すぎじゃねぇか?

会計「あなた今、強すぎじゃねぇかって思ったでしょう?」

 人の心を読むな。


会計「しょうがないじゃない。だって、なんだかんだ言ったって、この世で一番大事なのはお金なのだもの」

金髪「金ね。金か。ま、一番大事なもののうちの一つではあるだろうな」

会計「一番大事なものが複数あるのは矛盾だわ」

金髪「結局その金を守るためには力が必要だろうさ」

会計「あなたはそういう解釈をするのね。『弱肉強食』」

金髪「あぁそうだ。金よりも、自分自身の力こそが大事だぜ、『時は金なり』」

会計「私はこう考えるわ――力さえも金で買える、と」

「いいや。愛こそすべてだ」

 リノリウムの床をきゅっと鳴らし、こちらへ歩いてくる男が一人。眼鏡をかけた優男風の、と人物評の途中でそれを撤回する。あまりにも現実にそぐわない、禍々しい刃が右手にあったから。

 燃え上がる炎のような刃だった。剣でも刀でもない。柄も鍔も鎬もあるのに、それは確かに刃としか表現できない。

会長「金でも力でもなく、この世で必要なのは愛。それだけだ」

会長「愛こそが世界を救うのだよ」

金髪「……誰だてめぇは。いきなり現れてわけわかんねぇことぬかすんじゃねぇぞ」

会計「……園田楽園。うちの生徒会長よ」

金髪「へぇ、お偉いさんか」

 確かに胸元にはそう書かれたバッチがつけられている。


会計「一ついいかしら」

金髪「なんだ。手短にな」

 視線を目の前の男――生徒会長から逸らさずに尋ねる。

会計「すっごく! すっごく私、今、いやな予感がするわっ!」

金髪「はっはぁっ! そりゃ俺様も同意だぜぇっ!」

 刃がのたくった。

 身を震わせ蠕動するそれ。金属にあるまじき動きは、ただの揺れにとどまらない。

会計「来るッ!」

 一気に刃が伸びて、俺様たちの足元を掬ってくる!

 時間停止はない。使わないのか、はたまた使わないのか。

 跳躍で回避し空中で「時は金なり」を投げ飛ばした。踏ん張りが利かなかったが、なかなかどうしてうまくいくものである。
 こいつは死んだら死んだっきりだ。そして、あの原色を退治するためにも、ここで死なれてもらっては困る。

 幸いにしてストックは十分にあるから、十回程度は殺されても死なないだろう。

金髪「なんだありゃ!」

 わけわかんねぇ。
 刃が生きているかのようにのたくって、意思を持っているかのように襲ってきた。事実だけを抜き出せばそうなのだが――そうなのだが!
 あれが能力であるのは間違いない。けれど、ならば、どういうことだ? どこからどこまでがやつの能力なんだ?

 刃そのものか、それとも無機物を自在に操るのか……試してみるしかない、か。


金髪「おい『時は金なり』」

会計「なによ」

金髪「俺様が突っ込んでやる。マジでやばそうになったら援護しろ」

会計「マジでやばそうってどういう基準よ。頭の悪いこと言わないで頂戴」

金髪「黙れ。行くぞ」

 了解の返事も聞かずに俺様は跳んだ。廊下を駆け、やはり能動的にこちらを狩りにくる刃の煌めきを避け、壁すらも走る。
 たった今俺様の足場だったところが弾け飛ぶ。切り刻まれ原形をとどめることのなくなったそれは、最早ただの粉塵である。それを可能にする攻撃は斬撃と言うのも生ぬるい。

 そしてそれが追尾してくるのだ。

金髪「く、う、ぉおおおおおおおっ!?」

 脚を駆けた窓枠ごと粉砕される。
 廊下を断った刃がそのまま蛍光灯を破壊した。
 右と左と上と下から同時に殺意が迫ってくる。

 左手首が吹き飛んだ。激痛に身が捩れる思いだが、眼を見開いて能力を起動。すぐさま再生される。
 跳ねて刃の上でワンステップ。ぐんと加速をつけ、一気に喉元に迫る。

 しかし喉元に迫ったのは俺様だけではなかった。白刃の切っ先もまた俺様の喉元へと押し付けられている。
 刹那にも満たない時間、刃先が肉を押し、ぷつ、という断裂の音を確かに聞いた。

会計「吹き飛びなさい」

 同時に「時は金なり」が俺様を空中で蹴り飛ばす。先ほどとは奇しくも逆の立場となった。
 俺様の喉から刃が離れる。それは皮一枚を切り裂くにとどまり、命を奪うには至らない。

 そして今、俺様は完全にフリーとなった!

金髪「殺ったッ!」


「『連理の枝』」

 誰かが呟いた。

 ――誰だ?

 常識的に考えて、それは生徒会長しかありえない。しかしたった今聞こえたその声は、生徒会長のものではあり得なくて。
 首を肩に擦り付けるような甘ったるさを包含する、まるで恋に恋する少女の声。

 拳が止まる――否、誰かに手首を掴まれた。

会計「……な」

金髪「ん、だよ」

 呆然。俺様も「時は金なり」も言葉を失している。
 なんたって刃から人の腕が生えているのだ。

 いや、違う。それすらも最早正しいのかわからない。刃は次第に人の形を成していき、最初こそ刃から人の腕が生えたのだと思ったのだけれど、今では人の体から刃が生えているのだと思えてもくる。
 現れたのはセーラー服の少女だった。瞳孔が開いている。死んでいるわけではないが、とにかく目に光がない。

 既に刃は人へと変態を遂げた。

「殴ろうとしたね?」

「殴ろうとしたね? 殴ろうとしたね? 殴ろうとしたね?」

「お兄ちゃんを殴ろうとしたね?」

「花園のお兄ちゃんを殴ろうとしたね?」

「ころころ殺すすすころ殺すころ殺すぶっ殺す」


 ぐ、と襟首を掴まれた感覚。それが時は金なりによるものだと認識した瞬間には、俺様は数メートル背後へと移動していた。

「死ね?」

 少女の体が刃となって、辺り一帯をミキサーにかけた。

 物体は全て粉塵と化す。床や、壁や、天井の粉末によって、二人の姿は視認できない。
 ややあって煙から歩いてくる影。

 仲睦まじく手をつなぎ、寄り添いあう生徒会長と少女。

 少女はにこやかにお辞儀した。依然として瞳に光はない。

「お兄ちゃんに怒られちゃった! だから、挨拶します」

「花園の名前は園田花園。お兄ちゃんの妹で、お兄ちゃんの恋人で、お兄ちゃんの女だよ!」

妹「あと、能力者」

妹「『連理の枝』」

 少女の体が一瞬で刃となった。
 繋いでいた手は柄となり、生徒会長がそれを握り締め、振りかぶる。

 馬鹿な。五メートルは離れてるんだぜ?

 けれど、馬鹿だと思いながらも一笑に付さなかったのは、走馬灯が一瞬脳裏をよぎったからだ。超回復を持つこの俺様が。

「お兄ちゃん」

「大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き」

 刃の軌跡で何も見えない。


 踊り狂う刃はけたたましい愛の呪詛を吐きながら校舎を叩き割った。
 足場が傾いていく。様々なものが切れ目に落ち込んでいく音が聞こえる。

会計「今日はこんなのばっかりねっ!」

 時間停止。俺様たちは瓦礫を駆けあがり、一刻も早く生徒会長と刃へ逼迫した。

 振りかぶると同時に停止解除。俺様と「時は金なりの」同時攻撃。

「花園はお兄ちゃんの矛!」

 刃が愛を呟く。これ以上の愛はなく、これ以上の幸せもないかと言うように。

会長「そして俺が花園の盾」

 少女の体が現れる――同時に生徒会長の体が変態し――二枚の盾となった。

「花園」

「愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる」

 滝のような愛の呪詛を盾が垂れ流す。


 拳も金属バットも全て受け流し、俺様たちはそのまま地面に叩きつけられる。体がみしみしと音を立てて軋む。

金髪「クソッ……タレェッ!」

 ダメージは既に回復しきった。即座に跳ね起き、反撃。
 伸ばした腕を二枚の盾が挟んだ。

 骨の断裂する音が体内に響く。

妹「花園に触れていいのは、お兄ちゃんだけ」

「汚れた手で花園に触るな、下郎」

 大きく振りかぶられた盾が俺様の顔面に叩きつけられた。鼻っ柱が折れる。首が急角度に傾き、危うく頸椎をやるところだった。
 仰向けに倒れるのを無理やり方向転換。勢いのままに後ろへと転がり、四つん這いの体勢をなんとかキープ。視界を追う前髪越しに、狂気のカップルへと視線をやる。

 追撃の様子はない。ついでに、「時は金なり」の姿もない。逃げたか?

 意識を僅かに逸らした間に、盾は優男へと戻っていた。仲睦まじく手と手を取り合って、二人は熱っぽい視線を送りあっている。
 そうしてキスをした。舌を舐めあい、唾液を交換し合う、深いものだった。

金髪「……ガチかよ。気色悪いな」

会長「妹を愛するのがそんなに変か」

金髪「妹は愛でるもんだ。愛するもんじゃない」

会長「妹を愛したわけではない。愛した女が妹だった、それだけだ」

妹「そう。誰も花園たちの仲を裂くことはできないの。お母さんも、お父さんも、先生も。そしてこの世の中だって!」

妹「花園とお兄ちゃんは『連理の枝』! 決して結ばれることのない、悲劇のアダムとイヴ!」

妹「だから、ムムが花園に能力をくれたのは、この世界をエデンにするためなんだ!」


会長「花園には何人たりとも触れさせない」
妹「お兄ちゃんに危害を加えるやつは、誰であろうとぶっ殺す」

 それはチャペルで囁く愛の誓いだった。あまりにも内側に閉じていて、血に塗れてはいるけれど。
 二人の世界はここで完結している。他者を全く必要としない自給自足の完璧な関係。まるでウロボロス。

金髪「……近親相姦は、タブーだぜ?」

会長「知っている」

妹「だから花園は、世界を作り替えるの」

 あの宇宙人によって。
 と、二人は揃えて言った。

 思考を回す。

 二人一組。それはいい。わかった。
 だが能力者が二人と言うのは考えにくい。確かにあの宇宙人は十人と言った。二人が一心同体だから一人としてカウントした、なんて気の利いた冗談はあの宇宙人は言えないだろう。
 ならばどちらかが正式な能力者で、もう片方はその恩恵にあずかっているだけのはず。

 これまでのやり取りを考えれば、妹の方が黒だろうか。

 拳を構える。二対一。能力の強弱はともかくとして、数の多寡は絶対的だ。多ければ有利。それはこの世の真理。
 弱肉強食。弱ければ所詮肉だ。人として生きていくことなんてできやしない。俺様は確かに不利な立場にあるかもしれないが、決して弱者に堕すわけにはいかなかった。


 こつん、こつん。階段をゆっくりと登ってくる音が響く。そして足音に紛れ、硬いものが床に規則的にぶつかっているような音も混じって。
 そう、例えば木刀のような?

「近親相姦は悪だ」

「悪は殺す」

金髪「おいおい……」

金髪「てめぇはお呼びじゃねぇんだよ」

詰襟「誰かが俺を呼ばずとも、正義が俺を呼んでいる」

詰襟「不善を正せと叫んでいるのだ!」

 悪即斬は傲慢に叫んだ。

――――――――――――――――――――――――――――――

残り五人

――――――――――――――――――――――――――――――

投下は以上です。
これで能力者が全員出そろいました。あとは物語をたたむだけです。

最後までお付き合いください。

――――――――――――――――――――――――――――――

 愛は添い遂げるものだとずっと思っていた。思っていたし、思っている。それはこれからも変わらない。ずっと信じて生きていくことだろう。
 そして、愛が添い遂げるものならば、生まれたときから一緒にいた家族にこそ最上の愛が存在するはずなのだ。

 だから、わたしが――園田花園が楽園おにいちゃんを愛したことも、逆に楽園おにいちゃんが花園を愛してくれたことも、まったく問題はなくて、寧ろ当然の帰結と言えた。                                                           

 まぁ、そのために両親は離婚しちゃったけど。
 お前の育て方が悪いんだ――あなただって家庭を顧みなかったくせに――とか、テンプレートな喧嘩の末の離婚。花園に言わせればどっちもナンセンス。愛の深奥をパンピーが理解しようたって無駄なことだよね。

 そもそもきょうだいでセックスして何が悪いの? って聞いても、誰も口をまごつかせるだけで、納得のいく答えをくれなかったし。

 だけど悲しいかな愛の力を以てしても親と言う権力には勝てない。花園とお兄ちゃんは離れ離れ。電車で一時間あれば会える距離なのが不幸中の幸いだったけど。
 それでも不満はたまるのだ。なんで? どうして? 二人の愛が引き裂かれなくちゃならないの? 花園たちが悪いことをした? お母さんたちだって愛し合ったから結婚して、愛し合ったから花園たちが生まれてきたんでしょ?

 わからない。どこが間違いなのかわからない。

「間違っているのはね、世界だよ」

 と、路の傍らに行儀よくお座りしていた人形が、そう言った。
 人形は自らをムムと名乗った。

ムム「やぁ。きみとお兄さんが人目を憚ることなく、誰にも邪魔されることなく愛し合える世界を作る方法があるんだけれど、聞く?」


 なぜ人形が喋ってるんだとかそう言う一切合財は全部無視して、花園はその話に飛びついたのだ。当然でしょ。それくらい、その人形の言った世界には、甘美な響きがあって。

ムム「勝ち残ればいいのさ。さすれば与えられん、ってね」

ムム「見たところきみは中々に禍々しい生き様をしてるみたいだ。いいね。実にいいよ。観客好み、だね」

ムム「参加者は十人。全員殺して最後の一人になれば、なんでも願いをかなえてあげる。それこそ、近親相姦が赦される世界だって可能だ」

妹「参加します」

 と、一も二もなく頷いた。だって二人は悲劇のアダムとイヴ。神様が世界を変えてくださるまで、きっと二人は赦されない。
 だから赦されに行くのだ。虐殺の果てに。

ムム「わかったよ。園田花園、きみの参加を承認しよう」

ムム「生き様は『連理の枝』。能力は――」

 花園がお兄ちゃんの矛に。
 お兄ちゃんが花園の盾に。

 成る、力。
 愛の具現。
 魂の絆。

 なんて――なんて、うってつけ!

 お兄ちゃんに触る人間みんな殺してやるんだから。だって花園はお兄ちゃんのもので、お兄ちゃんの恋人で、お兄ちゃんの女なんだから、お兄ちゃんだってそう。

 お兄ちゃんは花園のもの。
 お兄ちゃんは花園の恋人。
 お兄ちゃんは花園の男。

 この世界に他に誰もいらない。


 花園に言い寄ってくる男はごみくずだ。ビンタ一発かましたら情けなく逃げて行った。お兄ちゃんに言い寄ってくる女は毒婦しかいない。包丁をちらつかせて言うことを聞かせてしまえ。

 この世は所詮愛が全て。歌にだってあるように、必ず最後に、愛は勝つ。

妹「だから、邪魔しないでよっ!」

 いきなり現れた学ラン短髪の木刀男。お兄ちゃんにそれを向けた。お兄ちゃんに危害を加えようとした。お兄ちゃんに敵意を抱いた。
 許せない。

 死ね。

 死んじゃえ。

 殺す。

 お兄ちゃんが飛びかかる。木刀男は木刀を構えて迎え撃った。

 木刀男の能力が、生き様が何であろうと、花園の手数に勝てるはずがない。手足髪の毛全部刃に変化させて、それをただただ振り回すだけなのだけれど、ゆえに回転数だけは超一流。
 一振りで廊下も、壁も、天井も、ぐずぐずの粉々に崩れ去る。

 お兄ちゃんが握った部分から体温が感じられる。それが花園のエネルギー源。愛と言うフィルターが全てを核融合してくれるのだ。

「あははははははははははははっ!」

 愛だ。愛だ、愛だ、愛だ! これが愛の力だ!

詰襟「そうか。それが愛の力か」

 吹き飛ばしたガラス片が木刀男の視界を奪う。それらを全て木刀で叩き落としたとて、一瞬の怯みはどうしようもない。

 お兄ちゃん!

会長「花園」

 愛してる!

会長「あぁ、俺もだ」


 勢い良く振りかぶって、全ての刃を木刀男へと叩きつける。
 銀閃の烈風。数百では足りない殺意の断裂が木刀男を細切れにする。

――はずだったのに。

詰襟「くだらん」

詰襟「近親相姦は悪だ。悪は殺す」

 木刀の一閃が、花園の刃を断ち切っている。

 刃が。
 花園の体が。
 お兄ちゃんに綺麗だと褒めてもらった指先も、つややかだと褒めてもらった髪の毛も、似合ってるよと言ってもらった服も、

 全部ばらばらに!

妹「あ、が、ぎっ!」

 衝撃で変身が解ける。元に戻った体は、手首の先が消失していて、そこから断続的に真っ赤な液体が噴き出していた。
 それがなんなのかなんて、考えたくない。

 大上段に木刀が構えられている。花園は瞬間的にお兄ちゃんを盾に変化させ、その打ち下ろしを無理やり防いだ。

 骨の砕ける音が聞こえる。

 勢い余って花園ごと廊下を滑っていく。リノリウムの廊下は肌がつっぱってとっても痛い。手首の先がないから受け身も取れず、自分の血でずんずん滑ってしまう。
 ようやく止まったのはお兄ちゃんが体勢を立て直したからだ。左手で花園の襟首を掴んで、片膝を立てて木刀男へ視線を向けている。
 よく見れば、左腕が変な方向に曲がっていた。さっきの攻撃のせいだ。

妹「よくも、よくもお兄ちゃんを!」

 撤退の文字などはなからなかった。お兄ちゃんは花園のものだ。花園のものを傷つけた人間など赦しておけるはずがない。捨て置けるはずがない。
 木刀男は今ここで殺す!

 花園たちは同時に飛び出す。体勢を立て直し、廊下の端と端、狙いを容易く定められないように緩急をつけ、同時に飛びかかった。
 木刀の一閃はお兄ちゃんに。一瞬でアイコンタクトを済ませる。刃になろうかと言ったけれど、答えは首を横に振る。


 攻撃をお兄ちゃんはすんでのところで掻い潜った。こっちまで空振りの音が聞こえてきそうなほどの轟音をだ。さすが。

 もちろん花園だってぼけっとしてたわけじゃない。一度警察沙汰になってからは控えてた包丁を、この段になってようやく懐から取り出した。ぐ、と柄に力を籠めれば懐かしの感触がよみがえってくる。

 お兄ちゃんと木刀男が戦っている隙に素早く背後へ回りこむ。詰襟だから首筋がむき出しになってないのが残念だったけど、なんてことはない。包丁は切るものじゃなくて突き刺すものだから。

妹「死ねぇっ!」

 突き出した包丁は空を切り裂いた。え、と思うと同時に、翻った詰襟が視界を一杯に覆い隠して、鼻っ柱に肘鉄が入る。
 顔面の中心部で何かが潰れた音がした。

会長「花園に手ェだすんじゃあねぇっ!」

 お兄ちゃんが手を伸ばしてくる。当然花園はその手を取る。

 瞬間、変化。体は欠けても刃は残っている。お兄ちゃんに仇なすもの全てを切り裂いて、花園とお兄ちゃんのエルドラドを形作るのだ!

 愛だ、愛だ、愛だ!
 これが愛の力だ!
 愛の力の真髄を思い知れ!

 振り回す刃をけれど木刀は根こそぎ掻っ攫っていく。文字通り身を切り裂かれる痛みに苛まれるけど、脂汗がだらだら流れるけど、でも、負けない。負けるわけにはいかない。
 花園の刃は物体を切断する以上に消失させる。木刀だってそのはずなのに、なのに。

「なのに、なんで立場が逆なのよぉっ!」


会長「安心しろ花園。落ち着け。何があっても俺がお前を守る」

会長「俺はお前の盾だ。安心して、あいつを斬り殺せ」

 心の中にぽっと灯がともったみたいに、雲の隙間から太陽が顔をのぞかせたみたいに、一気に体温が上昇する。
 心のエンジンが回る。

妹「わかっ――」

 木刀。

会長「花園ォッ!」

 お兄ちゃんが即座に盾に変身。骨の軋ませる音を響かせながら、それでも全身全霊で花園のことを守ってくれる。
 返す刀で一閃。反射的に、今度は花園が刃へと変わる。

 それまで頭があった位置は虚空になって木刀は空を切る。意趣返しだ。そして反撃の一手でもある。

 脇腹ががらんどう。

 この距離なら外さない! 木刀で断ち切られるより先に、花園の刃が肉にめり込む!

会長「花園! 後ろ!」

 うし、ろ。

金髪「こっちこっちこっちだぜぇっ!」

 言葉が意識を経ずに身体を動かした。木刀男を牽制しながら背後に刃の雨あられをぶちかます。
 先ほどまで戦っていた金髪。それの腹部が爆ぜて飛んで、上半身と下半身に分離する。


 そして激痛。刃の幾本かが木刀で切断されたのだとすぐにわかった。

 それは致命的だった。致命的な隙だった。

 特別に太い一本、左足が切断される。

妹「あ、ぐぁあっ! ぐ、がぁ、はっ、ああぁ……!」

 叫びが声にならない。変身も解けた。目の前には木刀男がいてお兄ちゃんが手を広げて花園のことを庇ってくれているけれど花園たちは連理の枝で連理の枝だからお兄ちゃんがいないと花園は能力を使えないし花園がこの状態じゃお兄ちゃんも花園を使えなくて

妹「お兄ちゃんは、逃げて!」

 だめだ死んじゃうこのままじゃお兄ちゃんまでもが死んじゃう。

 お兄ちゃんはだって能力者じゃなくて花園が能力者だからムムに唆されたのは花園なんだから死ぬ必要はなくて部外者なんだから

会長「俺は、お前の、盾だ」

会長「お前が一秒でも長く生きてくれれば、それでいい」

 今そんな格好いいこと言っちゃだめだよぉ!

詰襟「……相性が悪かったな」

 木刀男は一言、たった一言だけそう呟いて、胸の前で十字を切った。

詰襟「正義を執行する」

 意識を失う刹那、確かに花園はお兄ちゃんと手を繋いでいた。
 死の先が天国でも地獄でも、二人一緒なら、きっとどこでも楽園で、花園に違いないのだと思った。

―――――――――――――――――――――――

『連理の枝』園田花園死亡
残り四人

―――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――
 死屍累々と死体の山。
 校庭に避難していた生徒や教員は、何もなくとも死んでいく。大したことがなくとも死んでいく。
 ばたばたと。

 運が悪いがために。
 不幸であるがために。

 きっと目の前の女は――否、化け物は、己が巻き込んだそれらが実は途轍もなくかけがえのないものであることを知らないのだろう。失くして初めて気が付くということに、気が付いていない。

 いや……この原色にとっては、全てが運の良しあしで決定づけられるものなのだろうか。
 死んでしまった。あぁ、運が悪かったねと。生き残った? そりゃ運が良かったな、と。

 失ったものは戻らない。時間は不可逆性だ。

 あぁ。あの時私にお金があれば。
 有り余るほどのお金があれば。
 私はもっと幸せだったのに。

 買い戻そう。
 買い戻さなくては。

 あの過去を、もっと愉快なものに書き換えないと。

 でなければ、私は――


彩人「ははははははははっ!」

 哄笑。

 運悪く根腐れを起こしていた木がこちらに向かって倒れてくる。木に反応をしている間にも彩人はこちらへと投石。それはどんな見当違いの方向へ飛んで行ったとて、運が悪く私に命中するようになっている。
 距離は縮まらない。勿論「時は金なり」を用いれば一気に近寄ることだってできるけれど、近寄った瞬間に不幸が襲ってきては目も当てられない。

会計「うるさいわね」

 実に、うるさい。

 時間停止。同時に突っ込む。
 渾身の力を込めた蹴りが彩人の脇腹にクリーンヒット。私は運悪く足をもつれさせて転倒するけれど、彩人だって勢いを殺しきれていない。グラウンドを砂まみれになりながら転がっていく。
 立ち上がったのは私の方が早い。それでも、攻撃に移るころには彩人も立ち上がっていて、踵を返して走り出した。

 当然追った。校舎を回り、倉庫の影に消えていく。
 罠かもしれない。不幸が働くかもしれない。一瞬躊躇はあったが、そうしていても始まらないのだ。行くしかない。

彩人「やっぱりわたしって――」

 ぎらりと陽光を反射して輝く銃身が、

彩人「運がいい!」

 灼熱感がまず先にあった。
 僅かに遅れて、鼓膜に突き刺さる炸裂音。


会計「――ぐ、っ!」

 左肩の肉が吹き飛んだ。涙が滲むがそれでも目の前は真っ直ぐに見続けている。
 彩人が猟銃を構えてこちらに狙いを定めている。

 引き金が引かれるよりも能力の起動が早かった。時間の止まった世界を駆け、野球部が片付け忘れていたのだろう金属バットを手に取る。
 ぎりぎりまで近づくと言った横着はしない。残りの金額も余裕があるとは言い難いし、まずはあちらの出方を窺いたい。

 それにしても、天網恢恢! 厄介なものを落としていくんだから!

 照準がこちらを向く。反射的に時間を止め、僅かに体の位置をずらした。一秒に満たない時間でもその効果は絶大で、体のそばを弾丸が二発とおっていく。
 やはり能力を使わなければ弾丸は命中してしまうのだろう。そして弾丸が放たれてからでは能力は起動できない。弾丸の速度は人間の知覚を凌駕しているから。

 ならばどうすればいいか。走りながら思考を巡らせる。

 弾丸が放たれてからは間に合わないが、最初のような不意の一撃でない限り、弾丸が放たれるより先に能力を起動できるのはわかった。弾丸を回避するのに必要な停止時間も。
 いくら相手が幸運であると言っても弾丸が無尽蔵にあるわけでもあるまい。ならばいずれ私に好機は巡ってくるはずだ。チャンスというよりはオポチュニティ。千載一遇のそれを見逃さないようにしなければ。

 けれど、一抹の不安もある。仮に私が弾丸を回避し続けたとして、相手が「私が回避する」ことを前提として、「回避されても命中した」という幸運――私にとっては不幸だが――を実現したら。
 益体の無い考えなのはわかっている。なるようにしかならない。だからやるしかない。
 それでもよぎってしまう不可抗力があるからこその一抹の不安なのだ。


 銃口が向いた。

会計「ちっ!」

 校舎の一部が弾けとんだ。回避行動をとってなければ顔面が割れたスイカみたいになっていたはずだ。猟銃を握るなんてはじめてだろうに。

 ばん、ばん、ばんと連射。残弾はいくつなのだろうか。生憎、銃の知識は私には皆無だ。せめてそれくらいは知っていれば対策も立てられたけれど、仕方がない、とにかく今は逃げに徹する。

彩人「ははははっ! あなたもだいぶ、運がいい!」

彩人「わたしとおんなじだ! おんなじくらい、運がいいね!」

会計「あなたのそれは確かに運かもしれないけれど、私のこれは、実力よ」

彩人「実力ゥ?」

彩人「そんなものは意味がないね。努力だとか、実力だとか、才能だとか、そんなものは押しなべて無価値だよ」

彩人「全てを決めるのは運の良さ。運がいい人間は、何もしなくても、最後には美味しいところが転がり込んでくる」

彩人「『棚から牡丹餅』が落ちてくるのを待ってればいいだけなのさ!」

 なら、私はただ単に運が悪かっただけだと?
 あの辛い過去を、そういうものだから仕方がないよねと受け入れて、甘受して、生きて行けと?

会計「ふざけんな」


 彩人は一瞬あっけにとられた顔をして、舌をぺろりと出した。

彩人「へぇ。あなた、そんな顔もできるんだ」

 どんな顔をしてるんだかわからないけれど、言われっぱなしも癪なので、こう返す。

会計「生まれつきよ」

 ちょっと違ったかしら?

 意思の疎通はなかった。あるわけがない。それでも私たちは殆ど同時に地を蹴る。
 銃声が鼓膜を揺さぶる。刹那だけ時間を止め、体を銃弾が掠めて行く感覚に恐れ戦きながらも、視線は彩人からずらさない。本懐もぶれさせない。
 頬を伝う汗がむず痒い。

 金属バットのグリップを握り締め、力強く叩きつけた。彩人はそれをひらりと回避し、銃口を再度向けてくる。

「とき、とぉおおう……」

 亡者の声が聞こえた。

 いや、そんなわけはないのだ。それは単なる呻き声。
 背後でクラスメイトの女子が倒れているのが見えて、彼女は恐らく流れ弾に被弾したのだろう、腹部を真っ赤に染めている。そして助けを求めている。

 弾丸が放たれた。

 と、気づいた瞬間にはすでにそれは私のあばらを喰いちぎる。


 意識が一瞬で遠のく。体内に響く形容しがたい不吉な音。身体のどこか大事なところが大変なことになってしまったと、一切の具体性は欠いた、けれど焦燥感だけは煽る音。
 破壊力もまた尋常ではない。地面をきっちり踏みしめていたはずなのに、私の身体は弾丸によって遥か後方へと吹き飛ばされる。

 背中から地面に落ちるが、その痛みよりもまずあばらの痛み。

 思わず咽て血を吐いた。
 やばい、気がする。

彩人「運が悪かったね!」

 まだ終わらせないで頂戴。

 体内時計を買い戻した。時間は約一分。それだけで六万円の出費……だいぶ痛いが、仕方がない。こうしなければ死んでしまうだけだ。
 時間は買い戻せても感覚までは戻らない。あばらを撃ち抜かれた感覚はまだ体内にわだかまっていて、僅かに体の動きを制限している。

会計「厄介……」

 炸裂音。
 左腕の肉が根こそぎ持っていかれる。

 今の一発で奪われたのが肉だけでよかった。命が奪われていないのであれば、

 左腕に最早力は入らないから、金属バットを右手だけで握り締めて、

 ぐ、っつぅっ!

 時間を止めることも、怪我を治すことも、もう満足にできやしない。そこまでの金銭的な余裕はなくなった。窮余の一策、そのために残しておかなければいけないお金が、私にはある。
 決して手を付けてはいけないお金がある。


 空気が震える。
 弾丸は今度こそ私の命を奪いに来た。腹のど真ん中に風穴があいて、随分と風通しのよくなった私の体は、ついに言うことを聞いてくれない。

 穿たれた部分から下がまるで私のものではないみたい。
 売りに出され、所有権の喪失した下半身。

 けれど慣性がある。私が彩人を倒そうとしていた慣性、そちらへ向かっていたという方向性、それはいまだに失われず、倒れこみながらも手を伸ばす。

 みしり。空気の歪んだ音が上空から降ってくる。
 砕けた校舎の破片、刻む刃、愛の咆哮。狂ったきょうだいの振り回す刃、それが破砕した様々な存在が軒並み降り注いでくる。理解はしているけれど――対応できるほど満足に体は動かない。
 全く……運が悪い!

彩人「どっちで死ぬかな!?」

 銃口がぽっかりとこちらを見ている。

会計「死ぬつもりはないわね」

 瓦礫が私の脚を押し潰したのは言葉を言い切るのとほぼ同時だった。下半身の感覚がなかったのは幸いだ、これ以上痛みを感じなくて済むから。
 とはいえ、これでもう動けない。両足がぐしゃぐしゃに押し潰されて歩けるはずもない。

彩人「安心してよ。なるべくうまく撃ってあげるから」

 にこりと笑って、彩人はこちらに銃口を突き付けた。
 ぐい、と額に冷たい鉄が食い込んでいる。

 私はせめてもの抵抗として彩人の足首を掴んだ。離すものかと力強く。
 それは所詮私の手の跡をつけるくらいの効果しか及ぼさない。まったく私は無力だった。どんな力も持たない、そして幸運さえも逃げ出した、愚かで矮小な小娘に過ぎなかった。

 ……まるで嘗ての私自身だ

 南無三!


彩人「は」

 彩人は笑った。口をぽかんと開けて、馬鹿みたいな顔をして、笑っていた。
 私は知っている。人間、どうしようもなくなると、どうしていいかわからなくなると、笑うしかないんだってことを。

彩人「は、ははは」

 弾丸は出ない。いくら彩人が引き金を引いても。

会計「弾切れ、よ」

彩人「な、なんでこんな――!」

彩人「こんな、『運の悪い』こと!」

 そうだ、まさしく彼女は「運が悪かった」。
 賭けだった。残弾など私にはわからない。そして、恐らく彩人にも分からないだろう。彼女はけれど確信していたはずだ。自分は運がいいから私を殺す前に残弾がなくなることはないだろう、と。
 もしくは、残弾がなくなる前に私を殺せるだろう、と。

 その驕りを衝いた。

 狂乱している彼女の脚を引っ張れば、たやすく無様な声を出して地面に倒れこんだ。そうして私は、なんとか体を引きずって、無理やり彩人の上に乗る。
 全身全霊で体重をかけて、とりあえず彩人の顔面を一回殴ってみる。

 そしてついに、私に不幸は降りかかってこない。

 鼻血で真っ赤に染まる顔面を拭うことすらせず、彩人は噛みつくような姿勢でこちらに詰め寄ってきた。

彩人「なんで! 今日は、最高の日だったはずなのに! 一年で一番の幸運で――!」


彩人「今日は……」

 そこで彩人はようやく気が付いたらしかった。
 周囲が真っ暗であることに。
 冷たい風が頬を撫でるということに。

会計「ねぇ、あなた、知ってる? お金って凄いの。お金さえあれば何でもできる」

会計「ご飯も買える。飲み物も買える。自分の脚で歩かなくったっていいし、友情も、夫婦仲も、お金次第」

会計「時間だって買える!」

彩人「ま、さか、あなた!」

会計「『時は金なり』。お金で時間が買えるなら、時間を売ってお金にしたって、いいじゃない?」

会計「私とあなたの時間を売った――日付はすでに変わった!」

 最初に納得できなかったのがいつだったのかは忘れたけれど、例えば私の「時は金なり」は「時間でお金を、お金で時間を買う」能力。お金がなければ時間を買えない。だから無尽蔵に、無計画に、お金を使うわけにはいかない。
 「弱肉強食」もそう。超回復を発揮するには他者を食べなければ血肉にできない。そして血肉にした分は消費されて、ストックがなくなればどこかで補充する必要がある。

 相手を不幸にする能力。近づけば近づくほど効果が増して、至近距離では触れることすら難しい、そんな「棚から牡丹餅」は、あまりに都合が良すぎやしないだろうか。

 何かがおかしいと思った。
 何かが間違っていると思った。

 きっと相手にも、クリアしなければならない条件があるのだと思った。

 いや――蓋を開けてみればもっと根本的なことを勘違いしていたようだけれど。

 そもそも彩人の能力は「私たちを不幸にする」ことではない。その逆だ。
 彩人の能力は「彼女を幸福にする」こと。
 ゆえに、相対的に私たちに不幸が訪れる。

 その可能性に至ったとき、真っ先に思い至ったクリアすべき条件。

会計「残念だったわね。あなた、今日の運勢、最下位よ」

 携帯を操作して見せてやる。スマートフォンは便利だ。いつだってどこだって、多種多様な占いを見ることができる。
 星座占い。十二位はおとめ座。

 彩人が本当におとめ座かどうかの確証はない。けれど昨日の一位はおとめ座で、校舎にヘリを落とすほどの幸運が、三位や二位のものであるはずがないという勘だった。
 なにより、今日の星座占いで彩人が悪い運勢でなければ、私は猟銃で撃たれて死んでいただろう。

 最後の最後で彩人は運が悪かった。


 手を彩人の首にかける。忘我の彼女はそこでようやく状況を理解し、全力で振りほどこうとしてくるが、まったく非力だ。それ以前に彩人が遮二無二になっている状況がなんだか滑稽にすら思えてくる。

彩人「ぐっ! や、やめっ、……! かは、ぁっ、や、めろ!」

彩人「ふ、ふざけ、ふざけんあ! わら、わたひ、が、ここ、こん、ぁ!」

 違うでしょう? そうじゃないでしょう?
 そうやって必死になって何かをするのは、あなたの生き様ではないでしょう?
 努力が無駄だと、必死になるのが無意味だと、そう嘲ったのはどこのどいつだったか覚えてるでしょう!

 私は逆。
 必死になって金をかき集め、必死になって私の人生をよりよいものにしなくてはいけないのだ。

会計「だからっ! 私が! あなたなどに負けるはずがないのよ!」

 蛙の潰れる音が彩人の最後の声だった。顔を赤くしたり青くしたりした彼女は、眼を剥いて、そのまま全身から力が抜ける。

会計「は、はあ、はぁっ……やった、やったわ、ざまぁみなさい」

会計「で、でも……これは、やばいわ、ね。実に」

 腹に穴が開いていて、両足は膝から下がない。既にアスファルトは血だまりになっている。

 急いで私の財布と彩人の財布を漁る。十二時間ぶんの時間を売ったのだ、それなりにお金が増えていておかしくはないはず……。
 開いた財布には二万円ほどしか入ってなかった。最後に入っていた額と併せて考えると、一時間当たり七百五十円程度。最低賃金? 私の時間も足元を見られたものね。

 ……まぁ、所詮私なんて、その程度の人間だったということかしら。


 時間を戻すのはもうやめた。有り金はたいて時間を戻したところでたかが知れている。出血死は免れない。
 死への恐怖は不思議となかった。ただ、つまらない人生だなと思って、つまらない人生過ぎたなと思って、残念で、残念、で何より悔しくて。
 悔しくて、悔しくて。

 お金がなかったことが、恨めしくて。

 もしお金があったのならば、これまでの人生も、もう少し「つまる」ものになっていただろうか?
 ……だなんて、不毛よね、きっと。

 と、路の向こうから歩いてくる人影があった。悠々と歩いてくるシルエット。私はそれに見覚えがあった。

会計「あぁ、あなたなのね。おめでとう」

 校舎に残った二人の決着はとうについていたに違いない。だいぶ待たせてしまって申し訳ない。

会計「ごめんなさいね。最後に私のこと殺してくれない?」

会計「走馬灯を見るって言うじゃない。人間、死ぬ前に。私それっていやなの。どうして死ぬ間際に追い打ちをかけられなきゃいけないのよ」

 どうしようもない、つまらない人生の走馬灯なんて、拷問に近い。

「……」

 ありがとう。

 嬉しくって、本当、欠伸が出ちゃう。
―――――――――――――――――――――――――――――

『棚から牡丹餅』福留大福
『時は金なり』時任一時 死亡
残り1人

――――――――――――――――――――――――――

投下終了です。
次回投下で物語終了、次々回でエピローグを予定してます。
残り二人。最後までお付き合いください。

あと、wikiに「悪即斬」と「弱肉強食」のビジュアルを追加しました。

――――――――――――――――――――――――――

 木刀を構えなおす間に「弱肉強食」は復活を果たしている。上半身と下半身が分離した状況からの復活だなんて、まるで人間離れしている所業だ。
 何度も見たから驚かないけれど、この非人を相手にするのだと思えば、心の肩が凝ってしょうがない。

 全く、何度殺せば死ぬのやら。
 どうせ死ぬまで殺すだけだが、一撃必殺がならないのは厄介だ。

 こんな思考の流れの中でも神経は研ぎ澄まされていく。比例して、目つきも同様に。

 俺は木刀を両手で握り、正眼に構える。どんな扱いをしても、こいつは必ずおれの手の中にあった。俺とともにあった。
 辛い時も楽しいときも――と言おうとしたが、木刀を持っているときは大抵正義を執行するときだ。喜ばしいことではあるが楽しいことではなく、辛いことではあるが看過できることではあった。

 金髪は指をごきんごきん鳴らし、まるで肉食獣のように犬歯をむき出しにして笑った。いや、もしかしたら笑っていないのかもしれなかったが、俺には少なくともそう見えた。
 あくまで自然体である。背負った殺意が膨らんでいくのを気にしないのであれば。

金髪「なぁ、『悪即斬』」

詰襟「どうした、『弱肉強食』」

 お互いに構えたまま口を開く。

金髪「お前はどんな世界を望む」

詰襟「悪が根絶された世界。正義が満喫する世界」

金髪「止むに止まれぬ犯罪者でも、悪は殺すか」

詰襟「殺す」


金髪「喰わねば餓えると盗んだ老婆は」

詰襟「殺す」

金髪「虐待に耐え兼ね親を殺した子供は」

詰襟「殺す」

金髪「わかった」

詰襟「そうか」

金髪「お前と俺様の生き様は、大事なところが真逆だなぁあああああああっ!」

詰襟「あぁ、そうだな」

 俺たちは互いに飛び出す。

詰襟「残念だ」

 本心から。
 根っこの部分は俺と同じで、ついた枝葉が違うだけ。
 そして負けたほうが徒花となる。

 木刀の一閃。大ぶりの攻撃は金髪には当たらない。身を屈めて回避、踏込と同時の行動で速度が急上昇、懐に潜り込まれる。
 脚を出した。それをタックルでからめ捕られる。そこまでは予想済みなので、完璧に脚がとられるより先に自ら後ろへと跳ぶ。

 ハンドスプリングを駆使して距離を取った。即座に詰められる。俺と金髪のレンジは僅かに異なっていて、互いに互いの有利な距離を保とうとするのがこの追いかけっこの正体だ。
 木刀の存在を考えると僅かに俺の方が不利。小回りではあちらに軍配が上がる。とにかくあちらの回転力が高い。


 相性の有利不利もあった。先ほどの近親相姦カップルとは逆に、今度は俺の相性が悪い。
 「悪即斬」は能力を斬る。刃だろうが、盾だろうが、問答無用。しかし金髪の超回復は能力でこそあれど、俺が斬れるタイプの能力ではない。超回復は過程だ。結果ではない。そして俺の木刀は過程を斬れない。

 だが、勝ちへの道筋はいくらも残されている。

 木刀を手で捌かれ、残った片手が鳩尾へめりこむ。今度は後ろへ跳ばなかった。体を捩じりつつ、こちらの射程のさらに内側、金髪の射程のさらに内側へと突入する。
 首へと手をかけ、すれ違いざま――

詰襟「くたばれ」

 一気に捩じる!

 手加減はしていない。ごきごきぶちんと鈍い音が響いて金髪の顔が百八十度後ろを向いた。
 が!

金髪「くたばるかよボケェッ!」

 即座に体が首の動きに追いつく。伸ばされた手は詰襟の袖へ。その手を弾くことはできなかった。
 痛恨。

 距離が開かない。

金髪「昂ぶる昂ぶる昂ぶるぜぇっ!」

金髪「てめぇを殺し! 「時は金なり」を殺し! 「棚から牡丹餅」を殺し!」

金髪「所詮この世は弱肉強食! あぁそうだ! だからあいつはとって食われた! だからてめぇは俺に食われろ!」

 あいつとは誰のことか。


 脇腹を蹴られて強か吹き飛ぶ。体勢よりもまずは視界。金髪の位置の確保に努めなければ。
 いや、その手間はいらなかった。
 体勢を崩した俺へと金髪が視界いっぱいに躍り掛かってきていたから。

 マウントを取られてはかなわない。滞空時に蹴りで応戦、なんとか接敵だけは防いで、反動を利用して立ち上がる。

 また距離が開いた。およそ四メートル。互いに一歩踏み込んで、プラス木刀分ちょうどの距離ではあるが、金髪とて愚かではない。それはわかっているはず。だから俺が踏み込んでも向こうが踏み込んでくるはずはない。
 すれば木刀は空振りに終わる。あちらの踏込を確認したのちに木刀を振ったのでは遅すぎるし……厄介だな。

 逃げるという選択肢はない。悪は撲滅する。撲滅しなければいけない。その使命感は当然あって、それ以外にも、こいつはここで殺し切らないとあとあと面倒なことになるという直観があった。
 恐らくそれはあちらにもあるのだろう。だからこそ俺に追いすがる。そんな因縁めいた何かを感じざるを得ない。

詰襟「……いちいちうるさい。躁鬱が激しすぎるんだ、お前は」

金髪「あぁ?」

 やおら声のトーンを落とす「弱肉強食」。

金髪「最早まともじゃいられねぇだろう」

金髪「自分で自分を鼓舞してよぉ、なにしてんだかわかんねぇくらいにしねぇとよぉ」

金髪「だって俺たちゃ人殺してんだぜぇええええええっ!?」

 地面が爆ぜた。超高速で向こうが接近。右の手を伸ばしてまずはこちらの木刀を奪い去ろうとしてくるが、俺にはわかる。それは確実にブラフ。本命は隠された左手――ではなく!


 俺は限りない速度で後ろに跳んだ。
 木刀が金髪の右腕を落とし、左腕も落とす。しかし再生速度は神速。まるで木刀が通り抜けたようにさえ見える。

 攻撃を無効化する能力を最大限に生かし、捨て身がこいつにとっては捨て身ではないのだ!

金髪「殺し殺して殺しを殺し!」

金髪「死に死に死んで死を死なす!」

 転がりのよい文句を叫んで、重たい拳が俺の肺腑を的確に抉ってくる。木刀で弾こうとしたが岩のような硬さだ。早々に諦め自ら飛んで威力を殺した。
 金髪の追撃は止まない。着地と同時に地面を蹴って突っ込んでくる。体勢は限りなく低い。木刀との打ち合いよりも機動力を削ぐことに特化した攻撃は、低姿勢が故に、木刀の命中までの時間が僅かに多い。
 下からの打ち上げも左手で掴まれる。手のひらを破壊はできるも、致命傷になり得ないその攻撃は、結局超回復によって無意味だった。

 俺は覚悟を決めた。

 両の脚をしっかりと地面に設置させ、踏みしめ、校舎と自分、そして大地と自分を同一化させる。脚に根を張り、木刀を振りかぶる。
 金髪が足を掬ってくる。バランスを崩す俺の体――そして確かに、いま、体幹の存在を強く感じる。

 そのまま打ち下ろした。

 凄絶な音が骨を震わせて床に巨大な罅を入れる。頭からめり込んだ金髪は、恐らく頭蓋砕けているだろうに、数秒で起き上がる。
 血まみれの顔。既に傷自治体は修復されてるのであろうが。

 俺も崩したバランスを何とか元に戻せば、お互いの距離はまた開いていた。


 俺たちの間に僅かな沈黙が生まれる。

金髪「なんでこうなっちまったんだろうな」

 金髪が呟いた。俺に聞かせようとしているのではないらしい。ただ、こちらの反応を待っているような気はした。
 ……戯れに反応してみる。

詰襟「過去は変えられねぇからな」

金髪「あいつは買い戻そうとしてたけどな」

詰襟「『時は金なり』か」

 あいつも不幸な女だ。

金髪「どいつもこいつも頭のおかしい奴ばっかりだ」

詰襟「頭がおかしくなきゃ、宇宙人の戯言なんて信じないだろうさ」

金髪「は? 俺は今でも信じちゃいねぇよ。うさんくさすぎる」

詰襟「否定はしねぇが」

「「ただ」」

 言葉が重なる。

「「信じねぇけど、縋りたい」」

金髪「正義なんて弱者にとっちゃ重荷にしかならねぇ。正しく生きたくても生きていけねぇやつがいる。俺様はそいつらをこそ救いたい」

詰襟「そんなことをしてたら正義なんてザルになる。本当に弱者を救帯なら、世界を正義の枠にはめることこそが重要だ」

金髪「この石頭め」

詰襟「黙れ。悪の手先」


 お互いの言葉に押し出されるように走り出していた。
 木刀と拳がぶつかり合う。
 流石に木刀の硬度に拳が勝てるはずはない。拳のひしゃげる音が響くのだけれど――

金髪「『弱肉強食』!」

 能力で痛覚と怪我を全て無視してそのまま殴りこんでくる。
 むちゃくちゃだな。

 手を取られると厳しい。木刀を細かく振って捕まれないようにしつつ、反撃の機会を窺う。
 金髪の不見出しに合わせて突き。僅かに体を沿って、逆に木刀を捻り上げられる。しかしそのときすでに木刀は俺の手から離れていて、一気に距離を詰めるべく地を蹴りあげた。
 右ストレート。受けるにしろ避けるにしろ、金髪の行動はまず木刀を手放すところからスタートする。そのラグ、遅延は限りなく致命的に過ぎて、その一瞬の重さを金髪自身がわかっているからこそ、引きつった顔をしている。

 首を折ってもダメだった。なら、窒息はどうだ?

 首に伸びた手が滑っていく。

詰襟「――っ!?」

 迫る金髪の顔。
 距離を測り違えた!? というよりは……。
 頭突き!

 全身を擲っての飛込み気味の頭突きがクリーンヒット。鼻、そして頬骨が軋みを挙げる。髪の毛が眼に入って視界も一瞬奪われた。
 一瞬の重さは致命的だ。図らずとも俺が意図したように。

詰襟「ぐっ!」

金髪「いただきまぁああああすっ!」

 金髪の腹部が上下に裂け、巨大な口が――


 これはやばい!

 左腕が肘の先から消失する。金髪の腹部が咀嚼し満足そうにげっぷ。俺は失った左手を確認するより先に右手だけで木刀を再取得、短期決戦を挑むべく走りこんだ。
 あぁ、廊下が俺の血で滑りやがる!

 しかし片手で握る木刀は不安定で、何より俺が木刀に振られてしまう。
 酷い量の出血だ。あとどれだけ保つのか考えたくもないほどに。

 金髪は当然逃げ、俺の失血死を待つべきだとは思うのだが、そうする気配は微塵も見えなかった。なぜか疑問に思う反面、逆の立場であれば自分はどうするかと考えて、僅かに納得がいく。

詰襟「悪は即ち斬って捨てる。お前は俺に殺されろ」

金髪「てめぇの状態考えてからもの言えや」

 金髪の両手を捌きながら的確に脚を叩き込んでいく。隙は大きいがこの際贅沢は言っていられない。金髪にとって脅威なのは能力を籠めたこの木刀の一撃で、即死することはないにせよ、再生復活までに大きな時間がかかるからだ。

 出した脚を踏みつけられるがそのまま肩ごとぶつかる。一気に距離を詰めての後ろ回し蹴り。予備動作が大きく命中はしないが、離れた俺と金髪の距離は木刀の射程。
 隙は見逃さない。一気に木刀を抜く。

 金髪の左腕が宙に舞う。

詰襟「これで条件は対等」

金髪「一緒にすんなボケェエエエエエッ!」

金髪「『弱肉強食』ゥッ!」

 腕が生える――なんて人間離れ。そしてそれを可能にする生き様たるや!


 だが俺は慌てない。この状況は予想済みだ。すぐさま反撃が跳んでくることを念頭に置いておけば、とかく怖いことはない。
 それよりも距離を離すことが今は悪手。一瞬で再生などしないのだから、それまでこいつの左側は防御が脆い。無論それは俺だって同じだけれど。
 ハイキックが確かに金髪の顎を捉える。

 俺は知っている。こいつの矛盾を。
 生き様に開いた穴を。

 最後に物を言うのはそういう部分なのだ。

 体勢を立て直されるより先に飛びかかる!

金髪「うぜぇえええええっ! うぜぇんだよ、てめぇはよぉっ!」

金髪「おとなしく俺様に食われとけ!」

 木刀の一閃は生えたばかりの左腕をもう一度切り落とす。歪む金髪の顔。僅かに靄がかかって見える。くそ。

詰襟「うるさい。悪即斬、それだけは譲れん」

金髪「そこを譲れつってんだよクソが!」

金髪「畿内ィイイイイイッ!」

 金髪の咆哮。叫んだそれは人の名前だろうか? だとしたら、この罪に塗れた野獣にも、大事な人がいたのかもしれない。

 負けられぬ理由。

詰襟「俺にもあるもんでな」


 残った右手が詰襟の襟首を掴んでくる。そのまま投げの体勢に。
 合わせれば重心が崩れた。そこを足が払われる。
 落ちる速度を利用し、そのまま蹴り。まるでカポエイラの要領で腹部を蹴るが、金髪は一瞬怯んだきりでそれ以上の効果を見せない。

 逆に脚を掴まれた。

詰襟「くっ!」

 意趣返しで脚を払う。同時につかまれていた脚を引く。金髪はつんのめって前へと倒れ、左腕はまだ再生しきっておらず、顔面から落ちた。

 立ち上がるのは同時。

 タックル気味に特攻。再生した左手と合わせ、両手で止められる。
 膝が入るが体を捩じって鳩尾だけは守った。そのまま勢いで押し続ける。
 金髪の足の甲を踏みつけながら、もう片方の足でハイキック。それは止められるが、先ほどと同様に脚を入れ替えての後ろ回し蹴り。これもまた止められる。

 拳が俺の顔を打った。僅かな仰け反りも致命傷になる。奥歯を噛み締めそれをこらえ、本命の右ストレートを潜り込んで回避。

 顔の横を通り過ぎた腕が曲がって、そのまま俺の襟首を掴んだ。

詰襟「しまっ――!」

金髪「いただきまぁああああっすっ!」

 体を捩じる。

 木刀を放った。

 最短距離を往く最速の木刀。狙いは真っ直ぐ、金髪の腹部。
 大きく開いた口。

 それだけは、そこだけが、金髪の能力の中で唯一の結果。俺が斬れる部位。

詰襟「死ねぇえええええええええっ!」

金髪「てめぇが死ねぇええええええええっ!」

 交錯。


詰襟「……」

金髪「……」

 僅かに無言の間があって、俺は片膝をついた。
 息が荒い。脂汗が止まらない。足元が自分の血で滑る。

 それでも言わなければいけないことがあった。

詰襟「もし」

金髪「もし?」

詰襟「もし敗因があるとするなら」

金髪「するなら、なんだよ」

詰襟「お前、自分の生き様、信じてないだろ」

金髪「もちろん」

 莞爾と笑った金髪は、腹部に刺さった木刀を引き抜いて、廊下に倒れた。


詰襟「それだ」

金髪「それか」

詰襟「『弱肉強食』を生き様として掲げてるお前の理想の世界は、『弱肉強食ではない世界』だ。その矛盾。おかしいとは、思わなかったか」

金髪「思わねぇな。今を変えたいと思うからこそ、宇宙人に乗ってやってんだぜ、こっちはよぉ」

 それもまた生き様か。

金髪「なぁ」

詰襟「なんだ」

金髪「町のはずれによぉ、でっけぇお屋敷があってよぉ」

金髪「そこに、内村畿内ってやつが、住んでるんだけど、よぉ……」

 町はずれ。
 でっかいお屋敷。

金髪「悪いんだけど、そいつに」

 ……。
 ……死んだ、か。


 最後に何か、聞いてはいけないような、聞くべきではないような、そんな遺言を授かってしまったような、そんな気分だった。
 とはいえ、果たして俺が生きていられるのか、そこが問題だ。

 最後の金髪の攻撃は、確実に俺を殺す一手。
 結果がこれだ。

 右の脇腹から肋骨にかけて、一気に削り取られた――食い千切られてしまった。

 呼吸も最早苦しい。
 言葉を出すごとに血が混じる。

 視界も霞んで、両親の姿が、ぼんやりと見えてくる。

 あぁ……俺は、死ぬのか?

「大丈夫だよ」

 淡い光が俺を包む。まるで生き様を授かったときのように。
 無邪気な声の主はムムだった。

ムム「さすがに優勝者なしなんてつまんないことはしないから、さ」

 既に体は全快していた。腕は再生しているし、流した血のあとなどどこにもない。それ以前に、「連理の枝」やヘリによって破壊された痕がない。
 なにより、数々の死体がない。


ムム「あぁ、だってそりゃ消すよ。死んだ人は死んだんだ。残したりはしない」

詰襟「……巻き添えを食らったやつらもか?」

ムム「どうせみんな君の世界再編に巻き込まれるんだ。考えるだけ野暮ってもんさ」

 そういうものなのだろうか?
 あまりに現実感がなく、あまりにあっさりしすぎていて、どうにも順応できていない。所詮俺たちなどこの宇宙人の手のひらの上、さして気にすることもない矮小な生物なのだと言われているようで、少し癪だった。

詰襟「……優勝?」

 今更ながらに疑問がわく。

詰襟「『時は金なり』は? 『棚から牡丹餅』は?」

ムム「あの二人は明日に跳んだよ。だから、ある意味まだ決着はついてないともいえるし、でも絶対的な経過時間の面から考えれば、すでに決着はついたともいえる」

 わけのわからないことを話す宇宙人だった。絶対的な経過時間? どういうことだ?

ムム「二人は『時は金なり』の能力で時間を跳躍した。『棚から牡丹餅』を破るためにね。跳躍してからの決着は存外あっさりとついたけど、時間軸的には今晩なのさ」

ムム「だから、一応厳密に行いたいと考えているボクとしては、現実的にあの二人が共倒れするまで願いをかなえてあげることはできない、ということになるかな」

 共倒れ……そういう結末に、なったのか。
 最早この宇宙人が未来を――それとも平行世界と言うのか?――見ることができるくらいでは驚きやしなかった。


詰襟「なら、待てばいいのか?」

ムム「それもたるいよね。観客も、飽きるだろう。ボクたちも時間を跳躍するよ」

 と言うが早いか、世界が一瞬ぐるりと回転し、外は夜の帳に包まれている。
 ひんやりとした空気が頬を撫でる。汗が急激に冷えて体がぞくりとした。
 ……いや、ただ汗が冷えたからだけではないのかもしれない。冷えたのは恐らく、肝。時間跳躍を軽々行える技術力は、これまで数多の殺し合いを経験していたとて、なお信じがたい。

 僅かに歩くと、街灯に照らされる中で、人間が倒れている。

会計「あぁ、あなたなのね。おめでとう」

 地べたに「時は金なり」が倒れていた。
 両足が潰れている。腹に穴が開いている。生きているのが不思議なくらいの重傷で、事実余命は幾許もないのだろう。彼女の瞳は焦点が合っていない。霞んで、澱んで、光が失われつつある。
 僅かに離れた位置に彩人。結局最後まで洋と知れない奇人だった。こちらは外傷こそないがぴくりとも動かない。理由と手段はどうであれ、「時は金なり」が勝ったのだろう。

会計「ごめんなさいね。最後に私のこと殺してくれない?」

 唐突な申し出だった。わからない、とは言わない。最早彼女は死を待つのみだ。ならばいっそ一思いに楽にしてやるのが正しい道ではないのかと思った。

会計「走馬灯を見るって言うじゃない。人間、死ぬ前に。私それっていやなの。どうして死ぬ間際に追い打ちをかけられなきゃいけないのよ」

 彼女にそこまで言わせるものが何か、俺はなんとなく心当たりがあった。時は金なり。いくら金を積んでも惜しくない、買い直したい時間が彼女にはあるのだ。
 一目見たときからなんとなくそんな雰囲気はしていた。嘗て新聞で見た名前と顔。時任一時。


「……」

 同情しているのだろうか? 俺が? らしくもない。
 ただ、ここでこいつを殺すことが、正義に悖るとは思わなかった。

 だから木刀を振り下ろす。
 単純な作業だ。簡単な行為だ。そして、この恐ろしく楽な動作によって、俺の優勝が決定する。

ムム「おめでとう。これできみの優勝が確定した」

 思考をトレースした言葉をムムが吐いた。不思議と安堵の感情は浮かんでこない。叫びだしたくなるような歓喜も。

詰襟「……」

ムム「思ったより静かなんだね。疲れたのかな? それとも、今更ながらに罪悪感?」

 そんなことはない。正義のための礎ならば、死者も満足してくれるだろう。

ムム「まぁ気にするもんじゃない。大事なのは、きみが生き残った。優勝したという事実、それだけさ」

詰襟「優勝……」

 遅れて実感と感慨がわいてきた。俺はやり遂げたのだ。

ムム「なんだよ、もっと喜びなよ。喜んでくれよ」

詰襟「いや、悪い。なんか、まだ、飲み込めてなくてな」

ムム「きみは優勝したんだ。そのぶん喜んでもらわなくちゃ、僕たちも困るってもんだよ」


ムム「さぁ! 正田公正! 『悪即斬』! きみの願いをかなえてあげよう!」

詰襟「俺の、願い」

ムム「あぁそうさ。どんな願いだっていい。君の望む世界を形作ろう!」

詰襟「俺は」

 俺は。

詰襟「悪の存在しない世界が欲しい」

ムム「だーめ」

 え?

 と口に出せたのかどうか、わからない。
 だって俺の腹には風穴が空いてあったから。

 倒れる寸前、とてつもなく、とてつもなく邪悪な――邪悪すぎる、どす黒すぎる、張り付いたような笑顔が視界をよぎった。

―――――――――――――――――――――――――――――――

投下は以上になります。
次回の投下でおしまいになる予定です。お待ちください。

今晩にwikiにビジュアル更新や記載の更新を行う予定です。

―――――――――――――――――――――――――――――――

ムム「うくく」

ムム「うはは」

ムム「うひゃははははははははははははははっ!」

 あぁおっかしい。

 おかしすぎる。

 面白くて腹が攀じきれちゃいそうだ。

 なに、今の顔。

 え? って。
 え? って。
 なんて間抜けな顔。口をぽかんと開けちゃってさぁ!

 どうして、どうしてこうも人間ってのは、

ムム「愚かなんだろうねぇ!? うひゃ、ひゃはは、うっひひひひはははははっ!」

詰襟「どう、いう……」

 どてっぱらに風穴が空いて虫の息のクソ虫が呟いた。聞くに堪えない声だ。ボクの耳が腐る。

ムム「はぁあああっ!? お前、こうなってもまだ現状を理解してねぇのかあったま悪ィなぁ!?」

ムム「だぁれが未開の文明の野蛮人の願い事を叶えてやるよ? そんな無駄な労力を払うよ? ちったぁ足りない脳みそ使いな、もう」

 ぎりり、と詰襟が奥歯を噛み締めた。激痛に身悶えしてもおかしくないはずなのに、それより怒りが勝っているのか、般若も裸足で逃げる修羅の形相。


詰襟「てめぇ、騙しやがったな!」

 跳ね起きる。
 わお、そんな元気がどこにあるのさ。

ムム「寝てなよ」

 不可視の一撃が詰襟の膝を抉った。片足が取れては仕方がない。物理的に立っていることなどできなくて、立ち上がったのは全く無駄に帰す。
 それでも詰襟は諦めていない。怒りと、絶望と、それらがまぜこぜになった表情で、ボクの方を一心不乱に見ている。
 あぁそんなに見ないでくれよ。射精しちゃうじゃないか。

ムム「ボクらはハナからてめぇら野蛮人の願い事なんて叶えるつもりなんざなかったのさ! ただ見たかっただけ! そう! ただ、お前らの今みたいな醜悪な顔! それが見たくて見たくて!」

ムム「その顔を肴に飲む酒が、この世で一番うまいと思うからさぁ!」

詰襟「ふざけんな……ふざけんなっ!」

ムム「ふざけてねぇよこちとら真面目なんだよマジにてめぇらの絶望顔を見てぇんだよ!」

詰襟「この、極悪人が!」

ムム「猿がボクたちを裁こうだなんて驕るんじゃねぇぞ愚図ッ!」

 不可視の一撃が残った片足も抉る。牛刀を振り下ろしたようなアタックで詰襟の脚は勢いよく宙に舞った。
 形容しがたい絶叫が響く。

ムム「実験動物がよぉ、反抗したらだめだろうが?」

ムム「愛玩動物がよぉ、噛みついたらだめだろうが?」

ムム「ちったぁ自分の立場を弁えなよ。ね?」


詰襟「くそったれ、この、てめぇは許さん、殺す、ぶっ殺す!」

 握り締めた木刀がかたかた震えるほどの力を込めた詰襟は、気概だけは超一流だ。しかし惜しむらくは体がそれについてこないということ。
 両足が取れてちゃなにもできるはずがないよ。

 最大限に笑顔を作って。

ムム「やってみなよ」

 できるはずなどないのだけれどね。

ムム「じゃあ、ボクはもう行くね。別の都市でもやらなきゃいけないんだ。結構忙しいんだよ、ボク」

詰襟「ムム、てめぇ、待てこら、ムム、ムムゥウウウウウウウッ!」

 死にぞこないの呪詛もまたいいものだ。ボクと猿の間に流れる深く長い川の存在を感じられて、ぞくぞくする。

ムム「……?」

 ぴたりと足が止まった。止めるつもりなどなかったのに。
 ……どういうことだ?

 体が動かない?

ムム「お前、何かしたか?」

 尋ねながら自答する。そんなことは有り得ない。詰襟に渡した能力は『悪即斬』。詰襟が悪と断じた物を木刀で切断する能力。それ以上のことは有り得ない。いくら、彼がボクを巨悪だと判断したとしても。
 が、ボクの体が縫われたように動かないのもまた事実。

 この不合理。
 どういうことだ?




「有言実行、しましょうか」





 有り得ない声が聞こえた。



 いやいや、それはおかしいだろう。
 だってお前はとっくに死んだ。ボクを欺くなんてことはできるはずがない。
 お前は確かにあのとき死んだのだ。

 「邪気眼」に殺されたはずだろう!?

ムム「どうしてお前がそこにいるっ!? 『有言実行』ォオオオオオ!」

詰襟「……有田、どうして、お前、ここに」

少女「有言実行、しましょうか」

 まるで亡霊のように――いや、事実こいつは死んでいるはずなのだから亡霊以外の何物でもない!

少女「有言実行、しましょうか」

 亡霊はボクに語りかける。しつこく、しつこく、何度でも。
 有言実行――相手の発言に言質を取って、それを無理やりにでも実行させる、ある種の願望実現能力。


『安心していいよ。きちんと約束は果たす。優勝者には、能力の授与と、願いをかなえる権利がちゃんと与えられる』
『有言実行してくださいね』
『大丈夫だって。しつこいな』

 いつかのやりとりが脳裏をよぎる。
 まさか、まさかお前!

ムム「死してなお! ボクに! あの時の約束を!?」

 頭がおかしい。
 どうしてそこまでできるのだ。何がそこまでさせるのだ。
 執念。妄執。能力だけが依然として残って、化けて出るほど強い生き様。

 そんなものは見たことない。聞いたこともない!
 ボクのプランに入ってない!

ムム「なんだよお前……おかしいんじゃないのか……」

ムム「消えろよ。消えてくれ、消えろって!」

 この感情が恐怖だとでも言うのか。

 ボクの体から光が漏れ出ていく。ボクらの技術の結晶、理想を現実に変える能力。ボクらの故郷は全人類がこの能力を手に入れ、何もかも不自由しなくなった。
 物質的に満たされた世界。けれど精神は満たされない。ボクたちは何よりも娯楽を求めていた。

ムム「く、くそ! くそぉおおおおっ!」

ムム「だめだ! 叶えてしまう! ちくしょう、どうして貴様ら猿ごときの!」

ムム「猿ごときに能力を使わなくちゃならないんだぁああああっ!」


少女「さ、先輩。願いを叶えちゃってください」

少女「有言実行――発言したことには責任を以て実行していただかないと」

少女「でしょう?」

詰襟「おい、くそったれ宇宙人。俺の願いを叶えてもらおう」

ムム「有言実行! 貴ッ様ァ――ッ!」

詰襟「いいか、よく聞け」

詰襟「『お前たちは地球に来なかった』」

詰襟「『そして金輪際、地球に来ることはない』」

詰襟「そういう風に、世界と過去を作り直してもらおうか!」

ムム「くそ! くそ! ちくしょおおおおおおおおおおおっ!」

 光がボクを、詰襟を、亡霊を、そして世界を包み込んで、

 全てが白く塗り潰された。

―――――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――――

 目が覚めた途端カーテン越しの陽光に目を細めました。開くまでもありません。今日は快晴。いい気分。布団でも干したくなります。
 折角の休日に天気がいいと気分も晴れやかです。これも日ごろの行いがいいからなのでしょう。有言実行。嘘をつかない私の善行を、神様も見ていてくださるはずです。

 とはいえ確たる予定があるわけではありません。まぁアーケードの方をぶらぶら散歩するのもいいでしょう。あくせく生きるのは性に合いませんから。

 お母さんと一緒に朝ご飯を食べ、ニュースを見ます。不穏なものは少ないでした。

 今日はどこかに行くの? と聞いてくるお母さんに、アーケードの方に行くかもと返します。じゃあついでに買ってきてよ云々の会話をして、私は自室に戻り、支度をはじめました。

 パジャマから私服へ。ブラをつけ、鏡で肌の調子を確認。……よし、にきびはできてませんね。
 髪の毛に櫛を入れてお着替え完了。ポシェットに必要なものを入れて自転車に飛び乗ります。

 脚を回せばぐんぐんと世界が後ろに流れていきます。
 気持ちいい。

 アーケードはしかし、残念ながら歩行者天国。自転車は駐輪場に止めなければなりません。

 と、視界を原色がよぎりました。

「すげぇ」

 思わず呟いてしまいます。

 てくてくとこちらに緑色が近づいてきます。同じく緑色の自転車を、私のそばに止め、さっとどこかへ行ってしまいました。
 こんな地方都市にもあんなおしゃれ上級者がいるんですね。

 さて。気を取り直して。
 今日は何を買おっかなっ。

――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――――――

 今日の星座占いは四位。まぁ、悪くないかなって感じ。健康運はそれほどでもなかったけど、金運がそこそこ良かったから、買い物に行ってもムダ金は使わなくて済むはず。
 自転車を止めてアーケードの中へ。やっぱり人が多い。みんな楽しそうな顔をしててわたしまで楽しくなってきちゃう。

 どうしよっかな。占いの館に行くのは確定として、どういうルートを通ろう。占いには何か書いてあったっけ。吉凶は……北東が吉、南が凶、か。じゃあまずは服を見ようかな。
 お気に入りの青いパンツが汚れちゃったのだ、そういえば。あれじゃ幸運が逃げていく。新しいのを買わないと。

 アーケードにはいろんなお店がある。ホビーショップ。古本屋。漢方のお店。スポーツ用品店に刃物店まで。当然ファストフードもある。あ、岩盤浴なんてのもあるんだ。

 お目当てのお店はこの通りにある。ちょっと珍しい、けどおしゃれな服をたくさん扱っているセレクトショップ。ちょっと値段は張るけど、幸せを引き寄せるためには、やっぱり身の回りからでしょ。

「うおー! これ凄い! 凄いッスよ、店長!」

「ははは。やっぱりそれがお気に入りかい」

「ジャストフィット・オブ・ジャストフィット!」

 暑苦しい人がスポーツ用品店の前で叫んでる。靴を履いてるのかな? 陸上用っぽいスニーカー。ごつい割には軽そうで、確かにいいものなんだろうな。

 幸せそうな顔をその女の子はしてた。つられてついついわたしも顔がほころぶ。
 うん。やっぱりみんな幸福なのがいいよね。

―――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――

 気分は最高。空は晴れやか。なんて幸せな日だろう。思わず顔がにんまりにやけちゃう。

 あたしはスポーツ用品店の店長さんにお礼をして、店を後にした。お礼は当然直角のお辞儀。
 アーケードには結構人がいた。寂れてるところも全国的には少なくないってこないだニュースでやっていたけど、わが町はまだまだ大丈夫なようだ。

 あたしみたいなジャージを着た人もたくさんいる。近くの高校や中学校、あたしの母校。

 部活は休みでも体操服を着てれば体を動かしたくなってくる。グラウンドは他の部活が使っているから駄目だけど、河川敷でも公園でも、どこでも体は動かせる。新しい靴の履き心地も、もっと味わってたいし?

 一人は結構苦じゃないタイプなのだ。外周を走ってるだけでも楽しくなれちゃう。体を動かすということ自体が楽しくて、なんだか自然と笑顔になってくるんだよね。
 友達は気楽でいいなぁなんて言うけど、まさにその通りだと自分でも思う。特に考えることはなく、風の向くまま気の向くまま、体が動きたいように動くのがあたし流。

 やっぱり体を動かそうかな。そう思って踵を返せば見知った顔があった。

「花園ちゃん、おはよう」

「あ、おはよう!」

 隣に背の高い男の人。彼氏……とは思わない。この人がいつも話に聞く、花園ちゃんがべったりのお兄さんなのだろう。
 二人は仲良く? 手を繋いでいた。ペアルックではないけど、花園ちゃんはツインリングのネックレスを、お兄さんは同じデザインの指輪をしていた。

「初めまして、あたし、花園ちゃんのクラスメイトの」

 お兄さんに向かって挨拶を「物部っち?」

 花園ちゃんがこっちを見ている。眼に光がない。
 手がそっと差し込まれた鞄の中には何が入っているんだろう。

「そういうの、いいから」

 にこやかを装って花園ちゃんが言う。どうして装っているかがわかるのかって……だって、口角が引き攣ってるし、こめかくがひくひくしてるし……。

 この話題はタブーだな。あたしは愛想笑いをしながら、駆け足でその場を後にした。

 こういう運動は、あんまり気持ちのいいものじゃないなぁ。

―――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――

「抜かなかったな。偉いぞ」

「うん! だってこんなところで出したら大変なことになっちゃうもん!」

「でも、友達は大事にしなきゃだぞ?」

「わかってるよ、もう。お兄ちゃんは過保護なんだから」

 肘で脇腹を軽くつついてみる。全く、本当に過保護。
 ……でも、まぁ、そういうところが好きなんだけどさ。
 だってわたしのことを愛してくれてるってことだもんね。

 朝からお兄ちゃんとデート。ちょっと眠たかったけど、会った瞬間に眠気なんて吹き飛んじゃった。
 あぁ、一週間ってなんでこんなに長いんだろう。

「今日はどこに行くんだ?」

 お兄ちゃんが聞いてくる。私はごそごそと鞄から今日の行程表を取り出す。折角のお兄ちゃんとのデートなのだ、選んだり迷ったり、そんな時間は一秒だって惜しい。

「これから映画見に行って、それが二時間くらいだから、終わったらちょうどごはんの時間だね。近くのレストランを予約してあるよ。そのあとはこのあたりぶらぶら散策して、私は本屋に寄りたいかなって」

「俺もちょうど本屋には行きたかった」

「うん、お兄ちゃんそう言ってたなって思って。それで――」

「あら、会長じゃない」

 はぁい、と手を挙げて雌豚がやってきた。酷く不快な顔をしている。私のお兄ちゃんにその顔とその声で

「話すな、ゴミが」

 ゴミにしてあげようかな?

「落ち着け。学校の、生徒会のやつだ」

「……はぁい」

 そりゃぶぅたれもする。

「妹さんと本当に仲がいいのね」

「……俺、お前に妹のこと言ってたか?」

「……あら、聞いてなかったかしら?」

 首を傾げる二人。なんだかそのしぐさが妙に腹立たしかったので、私はお兄ちゃんの手を引っ掴んで、そこから足早に離れた。

 まったく、こんないい日だってのに、泥棒猫ったら!

――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――

 二人は行ってしまった。それにしてもかわいい妹さんだったわね。

 ……どこかであった気が、するのだけど。
 別にナンパの文句じゃあない。気にするほどのことでもない、か。
 でもこのデジャヴは鬱陶しいわね。

 私は手で目庇を作った。天気はいい。狂おしいほどに太陽が頑張っている。陽光があまりにも眩しすぎるので、それは私の心にしっかりと陰を落としてくれやがる。
 まぁアーケードに来た理由それ自体がネガティブなんだからしょうがないか。

「……まぁ、そりゃどういう言葉をかければいいか、わからないわよねぇ」

 叔父さんたちと暮らし始めて五年が経つが、いまだに距離感は拭えない。それはただ私が外様なだけではないのだろうけど、それでもやっぱり、居心地が悪い。
 遊園地に行こうと言われたけど結局断ってしまったし。

「はーい。元気?」

「……新聞部?」

「もっちろん」

 手作りの腕章を見せびらかしながら道山さんは言った。隣には後輩らしき女の子もいて、ぺこりと頭を下げてくる。
 ……後輩はきちんとしてるのね。

「都市伝説のゴシップ記事でも書こうかなって」

「ゴシップねぇ」

 顔にはあってる。ゴシップ顔だもの。

「案外都市伝説なんてその辺に転がってるものじゃない? 鮮烈な彩人とか」

「その辺に転がってたら伝説じゃないっての」

 と、私たちの横を、ふらっと通り過ぎる何か。
 真緑色。

「……いた」

 ぽつりとつぶやく道山さんだった。

「行くわよ!」

「は、はいっ!」

 二人が走っていく。

 元気なものね。馬鹿って楽でいいわ。
 私ももっと馬鹿になれればいいのに。

―――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――

「ちっ! 見失った!」

 真緑は目立つはずなのに見失ってしまった。ちょうど信号で分断された形になる。
 運が悪いなぁ、もう。

 人ごみの中に消えていく原色の背中を見送りながら、あたしは大きくため息をつく。肩を落としたあたしを慰めるように、後輩はジュースを差し出した。先輩思いの気が利くやつだ。

 だけど、不思議なことだった。あたしの中に、なぜか「あの原色と会わなくてよかった」というほっとした感じが生まれているのだ。確かに原色に取材を申し込みたいと思っているはずなのに。

 知識欲と情報の収集に抜かりがあってはいけない。油断大敵、ちょっと気が緩んでいるのだろう。気をつけなくちゃ。

「先輩、あそこにも変なのいますよ」

 と若干引き気味で後輩が指さした先には、おおよそ常人ではありえない銀髪――勿論ウィッグなのだろうけど――を被って、しかも、しかもだ。
 マントって。

「銀島……」

「え?」

 後輩が疑問符を飛ばす。あたしも飛ばした。銀島? 誰だそれは。

「先輩ってたまーに変なこと呟きますよね?」

「うそ!?」

 どうしよう。全く自覚がない。

「インタビュりますか?」

「……」

 あたしは少し考えて、そして頭を振った。

「どうして『コーヒー・ローザン』のパフェは美味しいのか、にするか」

「お腹もすきましたし、賛成ですね!」

―――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――

「もしもし? 『門外不出』さんですか?」

 あらかじめ聞いていた電話番号は留守電になっていた。一応それにメッセージを吹き込むだけ吹き込んで、私は通話を終了する。

「どうだった?」

「ふむ。出ぬようだ」

 オフ会の主催者にそう告げる。三十歳くらいの人当たりのよさそうな男性は、頭を掻きながら「困ったなぁ」。

「仕方があるまい。先に行こう」

 今日はオンラインゲームのオフ会なのだった。私のハンドルは当然「ブリュンヒルデ・ノワール」。
 メンバーは全部で八人。本当なら新人の「門外不出」さんも参加する予定だったのだけど、遅刻なのか欠席なのか、まだ来ていない。電話も通じない。
 それにしても、今どき固定電話ってのもないと思うけどなぁ。

 とりあえずカラオケ――と、そういう流れになっている。やっぱり同じ趣味を共有できている人たちの会話は、楽しい。クラスメイトなんていらなかったのだ。
 でも、ここは休日のアーケード。あの無知で蒙昧なクラスメイトと出会わないとも限らない。もし出会ったら、いやだ。きっとあいつらはこっちの都合なんてお構いなしにやってきて、リアルをぶっこんでくるに違いない。

「それにしても、『ブリュンヒルデ・ノワール』って、あれだよね? 漫画の」

「あ、はい――じゃなくて、うむ。漆黒の剣士、ブリュンヒルデ・ノワール」

「俺もあれ読んでるよー。四巻の裏表紙のさぁ」

「あれいいですよね! じゃなくて、あれはいいものだった」

 等等。
 こんな有意義な会話もあまりない。
 きっと私の世界の中心は、こういうところにあるのだろうなって思った。

――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――

 家の電話が止まる。止まったらしい。わたしはそれをベッドにもぐりながら聞いていた。

 家族はみんな仕事でいない。だから、きっと誰かが出たのではなくて、切ったのだろう。
 相手はきっとオフ会の人たちだ。初心者のわたしにもよくしてくれた、人たち。

「社会復帰の、一歩、だ、って、言ってたの、に」

 わかる。それは、わかる。言い出したのはわたしだ。でもだめなのだ。顔も見えず、声も聞こえないネットならまだしも、実際に会うことを考えてしまうと――だめなのだ。
 動悸が早まる。手のひらに汗がいっぱい湧き出てきて、考えなくてもいいことまで考えすぎてしまって、パニックだ。パンクだ。
 嫌われないかなとか言い過ぎたかなとか、自分の話をしすぎてないかなとかつまらなくないかなとか、そういうことにばかり気を取られて、注意を向けてしまって、最早会話どころじゃない。

「!」

 わたしは思わずびくりと震えた。ぴんぽんが……チャイムが鳴ったのだ。
 宅配便だろうか? どのみちわたしは出られないのだから、うるさいだけだ。
 それなのに。

 ぴんぽんぴんぽんぴんぽん。

 あぁ、もう、うるさい!

 部屋のカーテンを開けてこっそり入り口を窺った。門扉を開いて、誰かが入ってくる。
 一瞬だけ泥棒かと思ったけれど、違う。見たことのない顔だけど、見たことのある面影を残していた。

 忘れもしない。古屋のおにーちゃんだ。

「どう、して?」

 数年間会わずじまいだった――わたしが会うのを拒否していた彼が、どうして急にこの家へ?
 という疑問はあったけれど、でも、胸に去来する確かなものがあった。わたしは弱った足腰をなんとか駆使して、一階まで下り、覗き穴越しで顔を見る。

 結局、出ることはできなかった。

――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――――

 ……。
 やっぱり、出ないか。

 俺様は踵を返す。その脚が重い。がっくりと肩を落としている自覚はあるが、どうしようもないのも事実。
 それにしても、どうしてこんな急に、畿内の家へと行こうと思ったのか。彼女のことは常々心配しているけれど、恐らく、彼女には最早手の施しようはない。それこそ超常の力でもない限り。
 わかっているはずなのに。徒労だと、無駄足だと。

 よくわからない。苛々する。

 だからつい、肩がぶつかっただけの通行人の胸ぐらを、掴んでしまった。
 悪びれなどするものか。

「おい、ぶつかっておいて謝りもなしか、おっさんよぉ」

 バーコード頭のおっさんは小さな悲鳴を上げて震えている。無様だ、と思った。そしてきっと、彼女も無様なのだ、とも。

「その辺にしておけよ」

「ンだコラ。てめぇにゃ関係ねぇだろうがよ」

「善良な一般市民としては、悪は見過ごせないんだ」

 短髪の男がいた。鼻頭に絆創膏を貼っている、浅黒で目つきの鋭い男だった。

 興が殺がれる。舌打ちしておっさんを離してやると、おっさんは短髪の男に例すら言わず、走って逃げていく。
 俺様と短髪の目線がぶつかる。お互いの拳に僅かに力が入ったのがわかった。

「あー、先輩! なにやってんですか! もう!」

 遠くから手を振り振り女子がやってきた。言葉から察するに男の後輩らしい。
 声を受け、俺様たちはどちらともなく拳の力を抜く。やめだやめだ、あほらしい。誰彼かまわず殴りたい気分ではあるが、それは言葉のあやに過ぎない。まさかこんなやつをば。

「……お前、どこかで会ったことがあるか?」

「だとしたら路地裏だな。今度会ったらただじゃすまさねぇ」

「寿命を縮めるぞ」

「ひゃはっ」

 その時は俺様が弱かったってだけの話さ。

―――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――

「大丈夫でした?」

 駆け寄ってきた有田は眼鏡の奥の瞳を心配そうに輝かせた。わたしってばよくやったでしょう――そんな態度が透けて見える。

「……お前、褒めて欲しいのか?」

「なっ! わたしは先輩が絡まれてたから助け舟を出しただけでですね――!」

 どうやら自意識過剰らしかった。反省しておこう。

「……ありがとうな」

「え? いや、別にいいですよ。先輩には休みが明けたら図書室の整理をしてもらわなきゃならないんですから」

「あぁ、そんなことも言ってたな……」

「はい。有言実行です」

「有言実行か」

 俺は有田を見た。ショートカットの眼鏡。頑固な女。俺はこいつに何かを言わなければいけないような気がしていて、けれどその源泉を見つけられないでいる。正体がわからないでいる。

「有田」

「はい?」

「ありがとうな」

 よくわからない顔を有田はした。もしかしたら俺もそんな顔をしているのかもしれないが。
 それでも有田は疑問符を飲み込んで、花の咲いた笑顔を俺に向けてくる。

「どういたしましてっ!」



<了>

これにて終了となります。
一度エターなってしまい申し訳ございません。読了ありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom