中学時代は特に部活動もせず、半ば無理矢理押し付けられた飼育委員の活動で、動物達と慎ましやかな学校生活を過ごしていた。
しかし今やボクはぴかぴかの一年生。堆い校舎の建物を仰ぎ見て未来の自分に想いを馳せる。幻の至宝と呼ばれる「希望色の学園ライフ」はこの門の先に無数に開かれている事であろう。
そう、ここは成功が約束されるという希望の園。誰もが羨む希望ヶ峰学園である。その巨大な学園はまるで自らが世界の中心であるかの様に、都会のど真ん中一等地に聳え立っていた。
ありとあらゆる分野の一流高校生、即ち超高校級と称される生徒を集め育て上げる事を目的とした政府公認の超法規的な学校法人。何百年という歴史を持ち、各分野に有能な人材を輩出し続けている伝統ある学園である。国の未来を創る「希望」達を育てる、まさに希望の園と呼ぶに相応しい場所だ。
そんな学園への入学条件は二つ。第一に現役の高校生である事。第二に特定の分野において超一流である事。一般の募集等は行っておらず入学資格は学園からのスカウトのみによって与えられる。
そんな超が三つも四つも――いや、それでも足りぬ。超が二桁は付くであろう超一流の学園の門の前に、今ボクは立っている。
何故、どの業界どの分野でも実績も無く、もちろん悪魔使いでも超能力者でも無く、どうしようもなく平凡で普通な一介の高校生であるボクがここにいるのか。
責任者に問い質す必要がある。責任者はどこか。
それはある日突然舞い降りた一通の封書。希望ヶ峰学園からの通達によると、平均的な高校生の中から抽選で一名を選出し「超高校級の幸運」として入学資格を与えるという事らしい。
つまりボクが選ばれたのはただの運だ。運も実力の内などと言うが、たまたまこの一回に当たったからといって何だと言うのだ。
これまで特に運が良いと感じた事もない。そんなボクが本来持っているはずも無い「超高校級の幸運」と呼ばれ、とにかくこの成功が約束された希望の学園にさえ入ってしまえば、きっと素晴らしい未来が切り開けるに違いないと思ってしまったのだ。
この様な機会、普通は辞退出来ようはずも無い。そう思ってのこのこやって来たことこそボクがどうしようも無く普通である証明であり、もはや手の施しようのない阿呆であったとしか言いようがない。
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実際こうしてあまりにも立派な校舎の眼前に立つと、やはり場違いなのでは無いかと臆してしまう。この門を潜る事はいささか躊躇われる。
しかしいつまでもこうしているわけにもいかぬ。入学案内によれば集合時間まではまだ時間はあるとは言え、ぎりぎりでは心象が悪い。
そろそろ行くべきであろうと、なけなしの勇気を振り絞って、たかが入学式には大きすぎる決意を固める。
集合場所に指定されている玄関ホールは、門を潜り校舎の中に入ってすぐのところのようだ。集合時間は八時。ホールに着いて時計を見上げると、時刻は七時十分を指していた。
五分前行動ならぬ五十分前行動である。あまりにも早すぎたようで、そこには他の新入生はおろか職員教員誰一人としていない。
想定外に時間を持て余してしまったボクは、どうしたものかと思案に暮れる。
この建物に呑まれているのならば、その緊張を解す意味でも内部の構造を把握するのもいいかも知れない。ボクはすでにこの学園の生徒であるはずなのだから、問題はないはずだ。
そう誰に言い聞かすでもなく、自分で納得して玄関ホールから一歩、校舎に向けて足を踏み出す。
これは小さな一歩だが、ボクにとっては大きな希望の一歩である。
はずだった。
○
入学式も終わり、ボク達は体育館に足を向けた。そこでは新入生歓迎会という名の部活動や委員会の説明が行われるからだ。
体育館の中は時代をリードする程の才能を持ち、さすが個性的な「希望」に満ちた新入生の面々と、その才能を獲得しようとする先輩方で賑わっていた。
各分野の一流としてスカウトされたはずの生徒達だが、意外な事に部活動や委員会活動で何をするかは全くの自由らしかった。
ボクは、もしかしたらここでの選択如何によっては自分の才能が開花し、他の超高校級のみんなと並び立てるようになるのではないかなどと、根拠も無い万能感に我を忘れていた。
そこでボクの選んだ選択肢は水泳部。
こういった体育会系の部活に入って汗を流し、社会に出れば絶対に必要であろう先輩後輩との付き合いや運動女子との交流も難なくこなせる社交性が身に付くに違いないと思っていた。
もしかしたら彼女なんて出来たりするのではないだろうか。いや、決して邪な考えで入部したわけではない、あくまでコミュニケーションの技術を身に付けたいのだ。しかし技術を身に付けた結果として運動女子も付いて来るならば、特にそれを拒む理由はない。
今にして思えば運動部に入った事が無いどころか、本格的に運動をした事も無かったボクなのに、柄にも無く水泳部になど入部すべきではなかった。
重ねて言うが、ボクは手の施しようのない阿呆だったのである。
かくして水泳部に入ってみたものの、体育会系とは想像していたよりずっと辛く厳しいものであった。そもそもそのノリになかなか馴染めず部員とも満足にコミュニケーションを取る事が出来ない。ここでいきなり体育会系の世界に足を踏み入れる前に、どこかよそで体育会系の人たちの輪の中に入って行く術を学んで来るべきだったと思った時にはもう遅かった。
これも精神修行の一環だと自分に言い聞かせるが、ボクの希望はすでに折れかけていて、プールサイドの隅の方がボクの定位置となっていた。実際に誰かが追いやるといった陰湿な事をするわけではないのだが、耐え難くなり自分から隅に追いやられていったのだ。
ある日そのボクの傍らに、ひどく縁起の悪そうな不気味なぬいぐるみが置かれていた。
「うぷぷぷぷぷ」
なんとそのぬいぐるみが喋ったのである。これは参ってしまっているボクにだけ聴こえる幻聴の類だろうかと思った。
「安心してよ。ボクはキミの味方だよ!」
それがモノクマとのファーストコンタクトでありワーストコンタクトでもあった。
モノクマはボクと同学年であるらしい。こんな仕組みもわからないようなロボットの様なモノを作ってしまうにもかかわらず、電子にも工学にも興味が無い様であった。
授業にはほとんど出ておらず、現に同じクラスであるらしいボクも今まで一度も会った事が無い。いや本当は会った事があるのかも知れないが、ボクにはその正体はわからなかった。少なくともこんな不気味な人物に心当たりは無い。
野菜嫌いでサケばかり食べているから、片目が赤くなってしまったと大真面目に言われたがその実は定かではない。声を聞けば、十人中八人が青ダヌキを連想するだろう。残りの二人はノーコメントである。
弱者を煽り、強者を堕とし、わがままであり、飽きっぽく、天の邪鬼であり、理不尽であり、他人の絶望をおかずにして飯が三杯は喰える。およそ誉めるべきところはプリティな尻尾ぐらいであるとは本人の談だ。もしコイツと出会わなければ、きっとボクの魂はもっと希望に満ち溢れていたであろう。
その原因である元を辿れば、やはりこの水泳部に入部したことは間違いであったと言わざるを得ない。
「恋を成就したければ、まずはライバルを蹴落とすのが基本だよね!」
「彼女の周りに不穏なヤツら アイツもコイツも彼女が狙いさ どいつもこいつもボクのライバル そうはさせない! 今すぐゴーゴー!!」
どこかで聞いたことのある曲に合わせモノクマが楽しそうに歌う。
ボクはモノクマに唆されて、あくまで唆されてだがまずは小手調べとして舞園さんに近づこうとする者の悪い噂を流した。
風紀委員のIクンは実はむっつりであるとか、2年のS先輩は女なら誰でもいいんだとか、Yクンが女子のごみを漁っているところを見ただとか、その程度の些細なものだ。
その出所もないような噂をボクがでっち上げた先から、モノクマは写真を捏造し、証人を用意し、まさに煙もないところに火をつけて回っていた。その結果舞園さんに近づく者は淘汰されていく。今まさに一番近い存在であるのはボクと桑田クンの二人だけであろう。
この桑田クンが存外手ごわい。まず彼は曲がりなりにも高校野球大会のスターである。彼の悪い噂というのはでっち上げるまでもなくいくつかあったのだが、彼はそれを隠そうともしない。それはもはや噂ではなく事実となってしまう。悪びれない態度と彼がスターであるが為に大抵のことが許容されてしまう土壌が出来つつあった。
我々が彼を貶めようと画策すればするほど、彼のそういったキャラが確立して行くような気がした。
この作戦は失敗であった。
「しょうがないなあ、ボクのとっておきの情報を出そうか」
「とっておき?」
「世間や他人の評価がどうであろうと、一番致命的なのは相手本人の評価だよね」
「つまり! 桑田クンが舞園さんの嫌いなタイプであればいいんだよ」
「そんなの知ってるの? というかあの舞園さんに嫌いなタイプなんて……」
「ボクの情報網をなめてもらっちゃ困るよ。キミの妹のスリーサイズだって知ってるんだからね!」
「なッ――!? ボクも知らないことを……」
「おっほん! いいかい? 舞園さんの嫌いなタイプはね、努力をしない人。そして自分の世界、つまり芸能界を軽くみている人」
それは確かに信憑性はあった。彼女が今までどれだけ努力をしてきたかは想像に難くなかったし、自身のグループを、アイドルとしての居場所を何より大事にしていることは伺い知れた。
「でも、それを知ったからってどうするの?」
「思った以上に阿呆だね。もちろん桑田クンをその嫌いなタイプだって思わせるんだよ」
それは無駄だ、と思った。開き直った相手には悪い噂も捏造も通用はしまい。何より舞園さん自身が噂で人を判断するタイプではないのだ。その手の姦計で脱落させるとしたら、あくまで男側が自ら身を引くか周りが排除しようという方向になればならない。
「やっぱりわかってないみたいだねえ。桑田クン本人の口から言わせて、舞園さん自身にそう思わせるってことさ」
「そんなこと……」
「出来るよ」
うぷぷぷぷ、とモノクマは笑う。
「ちょーっと、桑田クンに協力してあげればいいんだよ」
そういえば前に桑田クンと約束ともいえない約束をしていたことを思い出した。
「舞園ちゃんってさー、やっぱミュージシャンとか俳優が好きかな?
あ、その辺ちょっと聞いてきてくんね? だってよ、そういうのオレが聞くといかにもってカンジじゃん?」
つまりは舞園さんの好みについて聞いてくるようにと彼に乞われたのであった。
そのような破廉恥なことを紳士たるボクがそう軽々と聞けるはずもなく、放課後教室で一人悶々としてると後ろから声が掛けられた。
「私の好みのタイプですか?」
「舞園さんッ!? ど、どうしてここに?」
「忘れ物を取りに来たんです」
「それより苗木クンもそういうこと考えるんですね。ちょっと意外です」
そう言うと彼女はいたずらっぽく微笑む。ああ、なんて眩しいんだ。
それにしても会話途中や顔を見ながらならいざ知らず、後ろ姿から心を読むなんて鋭いなんてものじゃない。彼女は本当にエスパーなのか。
「ただの勘ですよ」
ふふ、と今度は屈託なく笑う。この笑顔が見られるならば他のことなどどうでもいいとさえ思える。
「えっと、そうですね。前向きに頑張ってる人、価値観を共有できる人がいいですね」
「やっぱり同じ芸能人とか?」
「うーんそういうわけじゃないんですけど……」
彼女はどこか寂しそうな、煢然たる面差しを見せる。
「あと……約束を守ってくれる人」
意図せず舞園さんから桑田クン御所望の情報が聞き出せたが、これがどうして桑田クンを貶める事に繋がるのか皆目見当も付かずに部屋でぼうっとしていると、忌々しい白黒ダヌキが訪ねてきた。
「やあやあ苗木クン、首尾はどうだい?」
「モノクマか。一応、桑田クンに頼まれてたことは聞いてこれたけど。これでどうしろっていうんだ?」
「まだわからないの? キミはじつにばかだなあ」
「うるさい、このやろうぶっころしてやる」
ボクは何故か異様に腹が立った。
「まあまあまあ、これあげるから機嫌なおしてよ」
「なんだこれ」
「カステラだよ。知らないの? ちょっと知り合いに差し入れにきた、おすそ分け」
「カステラぐらい知ってるよ、でも普通カステラって縦長じゃないか。それがこんな巨大で正方形だったから確認しただけだ。
それにお前がものをくれるなんて……何か変な物でも入ってるんじゃないだろうな」
「あ、ひどいなあ。別にボクは苗木クンをコレステロールの摂りすぎで病気にしようだなんて思ってないよ。形はそうだね、差し入れ相手の好みの問題かな。
ほらほら、クマの好意は素直に受け取るものクマ!」
「わ、わかったよ……あとでいただくよ。それで、桑田クンをどうするの?」
「うぷぷぷ。こんな大きなカステラを一人で食べるなんて、苗木クンてばさびしいヤツだねえ」
「いいからボクに何をさせたいのか言え!」
「まったくもう、仕方ないから説明してやるよ。舞園さんの好みのタイプがわかった今、逆に舞園さんに嫌われさせる為には当然――」
「桑田クンに嘘の報告をしろって言うのか? そんなことしたらすぐにバレちゃうんじゃ」
「もー頭悪いなあ。頭も悪いし不細工だし性格も気持ち悪いなら黙っててよ。いいかい? なにも嘘をつく必要はないんだよ。キミが舞園さんに聞いたという事実が重要なんだ」
「……」
「桑田クンは単純だからね、キミでもある程度行動の予測は付くだろう?」
「たぶん……」
「そこで舞園さんの言ったことを、ちょーっとわかりやすくしてあげるとどうなると思う?
『前向きに頑張ってる人』を『苦労を見せずに目標を達成出来る人』、『価値観を共有できる人』を『同じ目標を持てる人』……そう桑田クンに言うんだ」
「あ……」
「わかったかい? 桑田クンの性格からして、それを聞いた彼が舞園さんにどういうことを言うか想像出来た? 加えて勘のいい舞園さんなら気付くだろうね、苗木クンに頼んで聞き出したんだって。
そうなれば効果は倍増だよ。自分の好みを知って、自分の嫌いなことを言う桑田クンを舞園さんはどう思うかなあ」
「相変わらず……悪魔のようなことを考えるヤツめ」
「でも、それを実行するのは苗木クンだよ? さしずめ使い魔ってところかな。ま、使い魔と違ってやるかやらないかはキミ次第だけどー」
「くっ……ええい悪魔よ立ち去り給え! ボクをそそのかすなッ!!」
「はいはーい。予定も押してるし、それじゃあねー」
また、モノクマが「うぷぷぷぷ」と笑いながら出て行ったのを見計らって塩を撒き、やっとボクの平穏は保たれた。
夜も更け、先ほどモノクマに言われたことを、ぐるぐるとまるで天使と悪魔の化かし合いのような詮無き様で考える。
いくら考えたところで結論なんて出ずに、ただただ腹が減るばかりだ。
仕様がなく件のカステラに手を付けることにする。カステラには紅茶だろうかと思ったがあいにくインスタントコーヒーしかなかったので湯を沸かす。
珈琲を淹れるとおもむろに巨大なカステラに向かう。誰にはばかることもないのだ、真ん中から抉りとって食べてやろう。
意地汚く手でちぎりとっては口に運んでいると、甘い味が広がる。どこか懐かしい。
だがやはりこんなに大きなカステラを一人で食べるのは少し味気ない。そう、例えば舞園さんとなんか一緒に食べられたら最高だろう。
そんなことを考えている自分に心底驚いた。おこがましいにもほどがあるではないか。
最近のいろいろな出来事のせいで、どうやらボクは分不相応な妄想に取り付かれてしまったようである。
舞園さんはあくまで憧れの人でありみんなのアイドルである。誰のものにもならなければそれでよかったのではなかったか。
このような妄想に囚われて本気でアイドルと付き合えるかもなんて玉砕覚悟で彼女を困らせてきた輩を軽蔑していたのではなかったか。
そうだこれは聖戦だ。なんぴとたりとも彼女に近づけてはならぬ。
負けてたまるか、負けてたまるか。自身の欲望にも。
勢いをつけるため、宣戦布告のごとく、戦いの狼煙、戦の前の腹ごしらえとして、カステラむさぼり食う。
一人部屋で巨大なカステラを食べているという孤独を紛らわせるために、一心不乱に食べた。
そのカステラの真ん中部分が底を見えた時、ようやく我に返る。気付けばボクの目からは涙が流れていた。甘い物の食いすぎで気持ちも悪い。
ふと、元カステラであったその残骸を見やると、その中心にはボクがいた。周りを高い机や椅子に囲まれた、罪人のようなボクがいた。
「裁判所……」
ボクは呟いた。
このSSまとめへのコメント
フィルタ無効化しないと最後まで読めないな