錆白兵「ここはどこでござるか……」神裂火織「必要悪の教会女子寮ですが……」(415)


刀語×禁書SS 第肆弾

いままでのあらすじ

結標淡希から『千刀 鎩』を奪って、学園都市の裏社会に溶け込めなかったカゲキなバカリーダー()から『斬刀 鈍』をぶんどって、
さぁ次は『微刀 釵』だ!と意気揚々に闇大覇星祭なる大会で活躍し、『微刀』を手に入れるも、否定姫の策略によって『千刀 鎩』が奪われる。

以上。

今回のお話は機動戦士ねーちんの話と鼻ピアス付けていた頃のHAMADURAの話と一人の中学生の話の三本立て。





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大変なが楽お待たせいたしました。
では、始めます。

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もうじき我らが神に仇名す科学サイド…学園都市が大覇星祭なる祭を始めようとしている。彼らは神の教えを無視し、己が道理を持ってこの世に蔓延る愚かも共だ。誠に遺憾である。

奴らが極東の地にアトランティスを創って早70年近く。いい加減、神に変わり我らが神罰を下さなければならぬと思っていた。

それを知ってか知らずか、偉大なる神の代弁者、ローマ教皇様は勅命を私に下さった。

曰く、大覇星祭が終わったのを見計らって学園都市に『女王艦隊』『アドリア海の女王』、そして『刻限のロザリオ』を持って総攻撃を仕掛けよ。

これは、天が下さった命は、忌まわしき科学の傀儡共に神の力を見せつける千載一隅の機会である。この機を逃してはならない。

そこで私は先日の法の書の事件でローマ正教の名を穢してしまったアニューゼ=サンクティスを生贄にする事にした。私としては誰でも良かったのだが、やはり過去の失敗は早めに清算させた方が良いだろう。彼女も、神の為ならばと喜んで身を捧ぐに違いあるまい。

さて、ところで諸君らには、一つ依頼を申し込みたい。

ローマ正教の教徒だった者が、あろう事か汚らわしい異教徒であるプロテスタントのイギリス清教に改宗した。

その者は長年ローマ正教の為に働き、神と神の子の為にその身を捧げ続けてくれた、我が同胞であった。だが、裏切った。裏切ってしまった。彼女は裏切ってしまったのだ。その身が可愛いからと。死を恐れて、ローマ正教を辞めてしまった。これは遺憾である。

先程言った、アニューゼ=サンクティスが失敗した件…法の書の事件での渦中にいた者であるが………。

この者、アニューゼ=サンクティスよりもさらに大きくローマ正教の顔に泥を塗った張本人である。

依頼は、その者についてである。

見事無事に依頼を成功させた暁には傭兵である諸君らを、正式なローマ正教の信徒として迎え入れよう。そして、バチカンを守る騎士団の十四番目の一として剣を与えよう。

相当難易度は高い。何せ、その者がいる場所には聖人、神裂火織がいる。他にも千軍万馬の魔術師たちの巣窟だ。だが、君たちなら難なく達成できると、私は信仰している。

これは長年ローマ正教の汚れ役を引き取ってくれていた君たちにしか出来ない事であるからだ。

そうだ。

依頼とは、“裏切者”オルソラ=アクィナスの暗殺である。



親愛なる聖バチカン騎士団殿へ。

20××.9.10.

ローマ正教司教ビアージオ=ブゾーニ

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「では! 失礼いたします!!」



神裂火織は聖ジョージ大聖堂の、豪華絢爛の両開きの戸を強引に閉めた。

怒り心頭。

今の彼女の感情を表すのはこれである。


「まったく、ローラも困ったものです」


ではなぜ温厚な性格である彼女がここまで激怒しているのかと言うと、理由が一つだった。

ある情報が、彼女の耳に届いたからである。


――――『科学サイド』とは相いれない『魔術サイド』の人間が紛れ込み、『霊装(マジックアイテム)』の取引をしようとしているらしい――――と。


昨晩、科学技術の総本山である学園都市の長、学園都市統括理事長と、魔術の総本山であるイギリス清教の長、最大主教が協議した結果―――『最大主教(アークビショップ)』とは神裂が所属しているイギリス清教(必要悪の教会)のトップであり、ローラ=スチュアートがその役に付いている―――とんでもない事になった。

因みに、情報網は同僚のステイル=マグヌスである。

深夜零時に旅行鞄と学園都市行の航空券を持った彼にバッタリ会い、よっぽど彼は嫌だったのだろう、待ってたかのように愚痴をこぼされたのである。


「え!? ス、ステイル、今何と!?」

「だから、あの女狐は僕と土御門でその取引を阻止して来いって言っているのさ。そのガイド役に、上条当麻が選出されたんだよ。―――まったく、何で僕はいつもこうなんだ。これで日本に行くのは四回目だよ? 毎回時差ボケに翻弄される身になれってんだ。しかもその度にあのウニ頭の顔も拝めなくちゃならないし。まったく、神は何で僕にここまで強く当たるんだい――――って神裂、聞いているのか?」


尚、劇場版の話は今はまだの方向で話を進めてもらいたい。

神裂はその前半部分の言葉の意味をよく理解したうえで、ステイル以上に嫌な顔をしながら、こう訊いた。


「……………また、ですか」

「……………うん。まただよ」


二人同時に二人同じような溜息が重なる。とてもとても嫌そうな長い溜息が。

学園都市に外部の人間を入れる為には学園都市の内部の人間と関わりを持つ者ではなくてはならない。それにステイルが選出され、その相棒役として土御門と上条が選ばれたのだ。

要するに、上条当麻は全く関係ない所で“また”魔術サイドの闘争に巻き込まれそうになっているのである。

それからだ。神裂が怒涛の如く怒り狂ったのは。

深夜遅くだと言うのにすぐさま聖ジョージ大聖堂に飛び込み、豪華絢爛なベッドで就寝についていたローラ=スチュアートの眼を開けさせ引きずり恐ろし、こう問いただしたのだ。


「〝ただの学生であるはずの”上条当麻を、なぜまたも巻き込むのですか!! あなたは!!」


―――と。

まぁ、この時点ですでに“ただの学生”の枠を大いに越えている上条当麻であったが、そこはそこ。魔術など素人である彼を庇うのは神裂火織という魔術師の性であった。

ただの学生なら、学園都市統括理事長主催のトップシークレットの実験の渦中などいないし、イギリス清教の虎の子である禁書目録の管理者になどなる訳ないし、魔人となった否定姫と言う女と同じ部屋に何も知らずに住んでいるなんてあってはならない。

もうこの時点ですでに上条当麻は『ただの学生』と言う身分から二つ三つ上のクラスにいるのだ。

それを知らない神裂は、それから朝までずっと抗議の直談判をし続けたのだが……。勿論、諸君らが知っての通り“史上最高に過激な鬼ごっこ”に上条当麻は巻き込まれる。と言うとは、神裂の直談判は却下されたのは言うまでもない。


「これは決定事項なりけるのよ神裂。あきらめなさい」

「上条当麻は一般人です! なんでわざわざ一般人を巻き込まなければならないのです!? そもそも、我がイギリス清教は……――――」

「神裂。もう事態は起こっている事なのよ」

「……………ッ」

「諦めなさいな」

「はいわかりました………なんていうと思っているのですかあなたは! 今日と言う今日はハッキリさせましょう。なぜ、あなたはあの少年にそこまで頼りがちなんですか!」

「………それは、ただ単に神が彼に与える試練なのではなくて?」

「ふざけるのにもいい加減にしろ!!」



と、まぁ、朝まで不毛な攻防が繰り広げ………。



―――以上の思い出した今の心境は、実に頭が痛いの一言に尽きる。



「……………はぁー…」


―――時間は冒頭に戻る。

別に神裂は、最大主教が誰が学園都市に送り込もうが知った事じゃないし、どうでもよかった。もし自分が送り込まれてでも、別に良かった。

取引の霊装は聖人を必ず一瞬で殺すと言う。聖人からすれば悪魔の様な物だ。

だが、聖人なら大抵、普通に即対処できると思っている。そもそもそのような苦境は何度も経験していたから大丈夫だ。むしろ、今回は自分も出陣しても十分結構だ。

ところが知っての通り自分は外され、代わりに一般人である上条当麻を巻き込む形になってしまった。


「何という事でしょう。これは忌むべき事です」


無論、待機の命令も納得は出来る。

何せ『聖人』は魔術サイドにとっての最強の剣なのだから、上層部は自分を失う事はどうしても避けたい。それは解っている。百も承知だ。自分だって死ぬのは嫌だ。

だが、なぜこのような荒事にただのイチ学生であり素人であり一般人である上条当麻を引っ張り出すのはもっと嫌だった。

自分の代わりに彼を引っ張り出された様で、彼女らの行為は理解に苦しむ。



『神様からも見捨てられた人達すら救ってみせる』



かつて抱いた、今も抱いている夢を思い出す。

これが、彼女の行動理念にして魔法名の由来だ。


極論だが、神の加護に見捨てられた様な男であり、不幸の化身とも言うべき上条当麻など、本来なら真っ先に助けなければならない対象のはずなのに、これでは何のために聖人として、魔術師として力を付けて来たのかがわからなくなる。

だから神裂は憤慨しているのである。


「我々イギリス清教は彼とは大きな借りが幾つもあるんですから、そこの所をもっと自重してほしいものです。頼り過ぎですよ、全く。借りがあり過ぎる。これではまるで、私たち必要悪の教会の魔術師たちは不甲斐無いみたいじゃないですか」


特に神裂火織には莫大だった。

始まりはインデックスの事だった。一年に一度すべての記憶を消さなければならない運命にあった彼女を救ってくれたのが全ての始まり。

大切な友人を、その過酷な運命から救い出してくれた恩人にいつか恩を返そうとしていたのだが……。

その矢先に、世界を巻き込む大魔術『御天堕し(エンゼルフォール)』が起こり、天使と戦う羽目になって、今度は自分が助けてもらった。

これはいよいよ返さないと駄目だと思い、土御門に馬鹿にされると思ったら、今度は自分がかつて所属していた天草式の者共の命をも助けてくれた。



(あれ? もしかしてこのままいくと―――)


と、そこで神裂はある事に気が付く。


「これでは借りが増える一方じゃないですか!」


もう限界じゃないか。ここら辺で一つ返さないと、雪だるま式で借りがどんどん膨らんでいくような気がする。そして借金に溺れたダメ人間の様に清算に追われる事になるに違いない。


「………………なんなんですか、もう」


そう愚痴ってみたくなるのはしょうがない事だ。

仕舞に、あの土御門からは『これはいよいよ体で払うしかない事になるかにゃー』と、面白おかしそうな目で見られる始末。

目は笑っていたが、その声が何故か心に突き刺さったのをよく覚えている。


そして今回、止めだと言わんばかりに『刺突杭剣』事件がやって来た。


―――以上、今回の状況である。

時間軸としては学園都市で大覇星祭が始まる前日。

ステイル=マグヌスが最大主教の命により日本に旅立ってすぐのことである。


「ああ、なんでどうしてこうも、あの少年に頼りがちなんでしょうかね、ローラは」


話によると、必要悪の協会所属のシェリー=クロムウェルが学園都市に侵攻した時は彼がシェリーを返り討ちにしたそうだし、フリーの日本魔術師がインデックスを攫ったのをまた助け、しかも誘拐犯である男まで助け上げたと言う。その他、様々な事件に上条当麻は絡まれ続けているが……。

もしかして、イギリス清教と学園都市の間で何らかの企みがあるのかもしれない―――。

いや、土御門の話によるとあの少年は学園都市でも厄介事に……超能力がらみの事件に良く巻き込まれているらしい。

―――………まさか、彼の統括理事長が上条当麻に何かをさせようとしているのではないか?


「まぁ、これは私とは関係がない事です……。あちらにはあちらの事情と言うものがあるのでしょう……」



―――兎も角。



「…………とうとう本当に不味い事になってしまいました……。いよいよ本当に体で払わなければならない目に………」


因みに先日、土御門元春からゲテモノメイド服が宅配便で送られてきた。もう後がないぞ、とあの馬鹿サングラスの嘲笑いが聞こえてくる。

果たして、自分はどうするべきなのか。これも神の導きだと言うのだろうか。

そんな感じで神裂は、うぅ…っと頭を抱えながら歩く。




その道中だった。

ぴくん、と鍛え上げられた武人としての直感か、聖人として天から与えられた才能ゆえか、背中を見つめる視線に気付いた。


「―――――。」


それを、何も気づいていないかのように装いながら視線の元を探る。


(間違いない)


神裂は近くにある窓の反射で後方を見てみる。今、彼女が歩いているのはやや大きめな道で、人が多い。前も後も人でいっぱいだった。

それをほんの二三秒、掠めるように見て、神裂は結論付ける。


(尾行されている)


神裂は先程と変わらず、相手に気付かれない様に、わざと無反応を装っている。

結局、視線は誰のモノかはわからなかったが、ここであきらめてしまうのはいささか不味い。追跡者はイギリス清教の敵対者かもしれないのだ。

神裂は視線を………否、


(視線が痛い―――)


殺気を分析する。ほんの、本当にほんの少し、0.0001vol%の殺気の残り香を鼻腔が感じたのだ。


(―――これは“黒”の可能性が高い)


経験がものをいう世界に長年浸っていた神裂は、追跡者を『敵』と考えた。

よって、神裂はこの追跡者の正体を知らなければならない事になった。例え勘違いだったとしても、念には念を入れた方がいい。

だからと言って、下手に振り向いたり、妙な素振りをすると、逆に追跡者は影をひそめてしまう。これでは追跡者の正体はつかめなくなってしまえば、元も子もなくなる。


(一体、私についてくるのは誰でしょうか? イギリス清教の敵か、それともイギリス清教内にいる必要悪の教会に恨みを持つ者か。どっちにしろ、英国の平和は守らなければなりません)


神裂はイギリス清教の最強戦力の一つである。そして魔術師である。

そこで神裂は、このまま知らないふりをして追跡者を人混みが無い場所まで誘い込んでやろうと考えた。

ここから一番近い路地裏などどうだろうか。出来るだけ暗くて道が入り乱れた、迷路じみた所なら逃走は土地勘が無ければできず、尚良い。

そうすれば追跡者が誰なのか判明出来るし、戦闘になっても人がいなければ巻き添えがいないから安心できる。


(気配から察するに、ざっと15mちょっと。尾行するには絶好の距離ですが、誘い込むにも絶好の距離です)


その距離に“何者”かがいる。

出来るだけ離さず、出来るなら近づけさせず、このままの距離間でひっそりと、気付かれずにおびき寄せる。


(よし、そうと決まれば…………――――――なッ!?)


―――だがしかし、追跡者は予想外の行動をする。


(気配が、急速に近づいてきた……?)


不可思議だ。そして理解不能だ。

尾行とは隠れてするものだ。堂々と近づいてくるのはあり得ない。有り得ない筈なのに。


気配が、殺気が、尾行してくる人間が、


(―――こっちに近付いてくる………)


なぜ、追跡者は近づいてくるのか? ――――咄嗟に思いつくのは一つしかない。


(暗殺!?)


聖人相手に暗殺など舐められたものだと呆れるところだ。神憑りな直感を持つ聖人には、背後からの攻撃というものは通用しない。


(背後、15m…10m…8m……殺気がどんどん近づいてくる……)


針の様に細く、暗闇に潜む幽鬼の様にほんの微かな不気味さを漂わせているからだ。

―――本人は完全に隠しているようだが、神の加護を常時濃く受けている聖人には通じない。暗殺するなら本物の浮遊霊になり、透明になってしまわなければ。

それをあろうことかこの暗殺者は、白昼堂々、武人が一番気を張る背後から殺気をだだ漏れで近づいてくる。なんという図太さだ。


ここは一瞬で片を付けてやろう――――と、頭で考えたその時、それは下策だと、またも直感が訴えた。


(そうか。ここはごく普通の歩道は私の周りには十数人もの何も知らない一般人たちが行き来している。ここで戦闘になれば間違いなく巻き添えになって“誰かが傷つき、最悪死ぬ事になる”。しかも、私の聖人としての特性上、“私に攻撃が運よく外れても、その流れ弾が私の近くの人達にあたる可能性が高くなる!”)


神裂に緊張が走る。相手は格下にしろ、人質を取られてはどうもできない。いや、今まさに人質を取られている。戦えば人質に被害が出て、だからと言っても逃げれば誰かを殺すだろうと。

もちろん本当に相手がそうである確証はない。だが、可能性としては低くはない。


(どうする? これでは動きたくても動けない……)


汗がもみあげから流れる。


(敵ながら良く考えたものです。白昼堂々殺気を漏らして近づく図太い精神の暗殺者かと思えば、手口は狡猾。私の性格と聖人の特徴を捉えている。それに、私の性格もよく)


腰に差していた七天七刀の鯉口に親指を添える。


(………どうする。選択は二つ。どちらを選んでも私は生き残るだろうけど、どの道、誰かが殺されてしまう)




いや、もう一つ選択肢はある。それは、―――“神裂が暗殺者に大人しく殺される”だ。

神裂はここで死んでやるほどお人好しじゃないし、自殺志願者でもない。だが、ここで動いてしまって誰かが死ぬのは己の『魔法名【戒め】』に反してしまう。

ならばいっそ、ここで敵に背後から刺されてしまった方がマシだ。幸い聖人は普通の人間とは体のつくりが違う。神裂もその例外ではなく、人間なら致命傷である傷を受けても平然としていれる。刺された瞬間、七閃で背後の暗殺者を縛り上げる事は出来る。


(それでも、心配事は無くはありません。敵は私を聖人と知っている。暗殺したいのなら、聖人とて刺し殺す一撃必殺の槍を持ってくるはず)


実際、神の子イエスは磔と刺殺で死んだ。

聖人とはこの神の子と同じないしは近い体質を持つ人間である。イエスが処刑と刺殺で死んだのなら、聖人も処刑と刺殺で殺されぬわけがない。要は、普通の人間よりもそれらの殺害に弱いのだ。

銀のナイフ程度の攻撃なら大丈夫だが、聖槍【ロンギヌス】をモチーフに、しかも超高度に再現された霊装で脇腹を刺された日には、神裂でも危ういかもしれない。


どの道――――


(……神も仏も、地獄の沙汰も、運次第……)



神裂は目を瞑る。痛みに堪える為。覚悟を決めさせる。神に祈る為。その数秒は数十分に感じるほど長かった。そして、時が進むに比例して暗殺者の気配が段々と近づいてくるのも、感じ取れた。


「―――――――――~~~~~~~~~~!」


5m、4m、3m、2m………。


そして、


――――1m。


この時、神裂火織は腹を括った。死をも覚悟して、腹に力を入れた。


だが―――――。



「だ~れだ」


――――さっきまでの緊張感は、この一言によって破壊される事になった。暗殺者は脇腹ではなく、両手で神裂の両目を覆っていた。




「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」


ぽかん、と口を開けると、つい最近同じ量に住む事になったばかりのシスターの明るい声が背後から、


「はい、私は誰でしょうか~。当ててみてくださいね」

「…………………………」


神裂は、この明るい声を知っている。イギリス清教に最近入ってきた元ローマ正教のシスターで、暗号解読のスペシャリスト。


「シスター……オルソラ=アクィナス?」

「正解~」

「……………」

ぱっと視界が明く。振り返らずに大きくため息をついた。なるほど、さっきまでの殺気は暗殺者のそれでなく、悪戯をしようと息を潜むオルソラの気配だったのか。いやしかし、なぜこんな簡単な気配の判別が出来なかったのか。怒りで思考と判断が鈍ってしまったのか?


「あら? どうしたのでしょうか? どうしてそこまで安堵と脱力と悔しさが混ざったような溜息ををして……。ああそうそう、結局どうでしたか? 最大主教様への直談判は通りましたでしょうか。あの方はぱっと見て普通の女性なのですが、実の所、好々爺としていて隙の無い方ですから、さぞかし大変だったのでしょう。しかし、なんで私だと分かったのです?」

「勘です。ですが、その話が前後する口調は、私が知る限りあなたしかいないから確信しました」


振り返ると、ケロケロと笑うオルソラの姿があった。因みに恰好はいつもの修道服で、頭から全身真っ黒。指先も手袋をしていて露出を完全にシャットアウトしている。

相変わらず、前後する話し方をする人だ。神裂は彼女のこの口調に慣れるまで大変苦労したのだが、なれと言うものは便利かつ怖いもので、すっかり気にしなくなってしまった。


「あらあら。それはそうですか。時に、どうでした? 最大主教の方は。やっぱり、あの方は今回も……」


オルソラ=アクィナスは心配そうな顔で神裂を見つめる。

彼女は先の法の書事件でローマ正教に命を狙われたのだが、その時に上条当麻に助けられた一人である。要は、上条勢力に加わりつつある人間の一人でもある(双方その気は全く無いのだが)。


「ええ、今回もです。全く、ローラも困ったものです。何のために必要悪の教会がいるのでしょうか……」

「しかしそれも最大主教様の最終決定ですので、私たちは従うしかないのかもしれません。あの方も、一般人を殺させる様な事はしない筈です。きっと考えがあってのことでしょう」

(………それが、怪しいのですが…。まぁ、どうでも良くなってきました。今回は見送りましょう。ステイルと土御門だって手練れですから、滅多な事が無い限り命に係わる事は無いと信じましょう)


神裂の中の上条への借りがまた一つ大きくなったのは、もうあきらめるしかない。次の機会に期待しよう。

「あ、そうそう」


オルソラは一つ思い出したように、


「そうでした。私、伝言を承っていたのでした」

「伝言?」

「ええ。つい先ほど、電話がありまして。神裂さんにです」

「誰からです?」

「武器屋の方からです。ほら、騎士団の方々が良く使ってらっしゃる………」

「ああ、あそこですか。わかりました。で、彼が何と?」

「最近、不思議な日本刀が手に入ったと言うので、見てもらいたいそうです。自分より神裂さんの方がその道に詳しいという事なので」

「………それが武器屋の言う事ですか。彼は西洋武具については超一流なのですが、東洋の、特に日本の武具甲冑に対しては無知すぎます」


彼女らが話しているのは、イギリス王家を守る騎士団は勿論、必要悪の教会に属する魔術師たちの一部も、武器を良く仕入れている武器屋の店主の事だ。神裂はその店主の西洋武器や甲冑についての博識っぷりは認めているのだが、ここは英国、極東の島国の武器など全く知らなかった。よって、神裂は常日頃から彼から日本の武具について色々聞かれる仲である。

またもオリキャラでも申し訳ない。


「………ところでオルソラ。なぜ、あなたはわざわざ直接私に伝えに来たのですか?」

「?」

「いやいや、『何おかしなこと言ってるの?』って感じで首を傾げないでください。ただの伝言なら携帯電話に掛けて来ればよかったのに……」

「…………」

「………もしかして、忘れてました?」

「………すいません。私、最近の電子機器には疎いもので…」

「いえいえ、大丈夫ですよ。私だって、最近のケータイはわからないコトばかりですから」


神裂はそうフォローを入れながら足を前に踏み出した。


「とりあえず、武器屋に行きましょうか。ついでに、今日のお昼も買いに。エスコートしますよ」


その誘いをオルソラは、


「ええ、助かります」


と、優しい笑顔で応えた。











その様子を、建物の影から見つめる人物が、一人。

じっと影を潜めながら、一人の騎士と一人の修道女を見つめ………。

日陰に紛れる様に、消えていった。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ん? 七花が戦った中で一番強かった敵は、だと?」


奇策士とがめは絹旗最愛宅のソファーに寝っ転がって新聞を読んでいた。そばのテーブルでは、家主である絹旗最愛ととがめの刀である鑢七花がオセロをしていた。

先日届いた闇大覇星祭の知らせを見て、最近さらに稽古の熱を入れている絹旗たちだが、今は昼の小休憩中だった。


「そりゃあ、姉ちゃんだろ、普通に考えて」


難しい顔をしながらとがめの代わりに七花が応えた。因みにオセロの戦況は圧倒的七花が不利。絹旗は出来る限り手を抜いているのだが、やっぱり脳の機能が八割戦闘に持ってかれている七花は物凄く弱かった。


「七花さんのお姉さん以外で、です。聞いた話によると超チートじゃないですか」

「うーん…」


七花は思い出す様に、人差し指を下唇に当ててみる。

とがめは新聞を畳みながら訊いた。


「実際に戦った七花としてはどう思う?」

「真庭蝙蝠は強そうだった。忍びとしてあいつが本気になったら凄かっただろうな。凍空こなゆきは怪力と耐久性が桁違いだったし、宇練銀閣の居合は手が付けられなかった。左右田右衛門左衛門は俺とほぼ同等の力だったな。今思えば俺が勝ったのは運が良かったからだと思うよ。でも、あいつらとは断然比べ物にならないくらいに――――」

「ああ、そうだな――――やっぱり必答するならば錆白兵だな」

「うんうん。錆は姉ちゃんからすれば弱かったけど、何だかんだ言って日本最強の名は伊達じゃなかったよな」

「あの戦いは凄まじいの一言だった。なんせ島一つがまるまる壊滅したのだからな」

「いやーあの時はとがめの奇策が無かったらどうなってたのやら」

「そう褒めるな。そなたではなかったら出来なかった奇策だ。そなたあってこそだ」

「いやいや~」

「ほらほら~」


イラッ…。

絹旗は突如襲った苛立ちと言う衝動に従い、お互いに褒め合う七花ととがめの間に割り込んだ。


「………………………………で、やっぱりその錆白兵さんってのが超強かったんですか? (まったく、勝手にノロケに走って……)」

「絹旗? 何か言ったか?」

「超なんでもないですよ。七花さんには超特に」

「?」

「そう言えば以前にその戦いを七花さんから大雑把に口頭で教えられたんですけど、さっぱりわからなかったんですよね。超大雑把すぎて」

「なんか棘のある言い方だな。これでもわかりやすく言ったつもりだったんだが……」

「ともかく、今後の参考にこの元尾張幕府家鳴将軍家直轄預奉所軍所総監督奇策士とがめがきっちりみっちり詳しく丁寧に語ってやろう。よし七花、茶を持ってきてくれ」

「へいへい」


とがめはソファーから飛び起きて新聞を置き、絹旗に向かい合う形で絨毯敷きの床に座る。


「そうだな。まずは錆白兵という剣士がどんな人間だったか、から始めよう」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「時に、先日いらっしゃった錆白兵さんとおっしゃるお方はどういったお方だったのですか?」


オルソラは神裂と一緒に武器屋に行く道で、そう尋ねた。


「一昨日、いきなり女子寮に現れたそうな」

「ああ、あの人ですか」


神裂はつい先日…厳密には三日前だ。


「どんな人かと訊かれても、一言二言では説明しづらいですね。まぁ、強いて言うなら古風と言うか、古典的な人でした。江戸の世からタイムスリップしてきたような感覚でしたね」

「エド……ですか。エドと言えば、フジヤマ、ウキヨエ、ゲイシャ、スシ、スキヤキですね!」

「オルソラ……すき焼きは明治時代以降です……」

「メイジ? チョコレートですか?」

「………それは後々教えましょう」


因みに日本が開国した後、ヨーロッパにジャポニズムと言う一大ブームが巻き起こった。イギリスとフランスでは爆発的だったが、イタリアはどうだったのだろうか。


「それより、今は錆白兵さんです。私はあの日、寮にはいなかったので、詳しく教えてもらえないでしょうか。とても興味がございます」


『ここはどこでござるか……』

『必要悪の教会女子寮ですが……』


神裂はあの後の事を思い出すと頭痛を堪える表情をした。


「何も話す事は無いですよ。あの人は、爆発と煙と一緒に現れて、お腹が減っていた様なので鯛茶漬けを与えたんです。すると、『何かお礼をしたい』と言ってきたのですが、話だけを聴いただけです。正直、頭が痛かったです。殆どの口調が『ござる』で、『自分は剣客だった』とか『一度自分は死んでいる』とか、訳の分からない事ばかり話されました。きっと、そう言う人なのでしょう。英語が喋れなかったので、私は助けたいのは山々だったのですが……」

「………もしかして、出て行ってしまったのですか?」

「ええ、私が難しい顔をすると――――」


『助けて下さった貴女にこれ以上迷惑を掛けたくはない。これからは、自分一人で大丈夫でござる。――――……一飯の御恩、必ずや返させて頂きます』


「――――と言って……」

「まぁまぁ」

「あれから心配なのです。日本語が全く通じない英国でただ一人彷徨うなど、正気の沙汰ではありません。ましてや、銃を持っているギャングがウロウロしている裏路地に迷い込んでいないかと思うと、恐ろしくて恐ろしくて」


もう一度神裂は溜息をつく。


「―――っと、いつの間にか着いてましたね。そう言えば、オルソラはまだ来た事がありませんでしたね。ここが武器屋です」

「ああ、こんな所にあったのですね」


人間、何か単純作業を話しながやっていると、いつの間にかそれが終わっている、という事が多々あるが、道を歩くのも同じことだ。

覚えている道を話ながらただ単純に歩いていると、いつの間にか目的地が目の前にある。


「意外と普通なのですね」


オルソラの感想は的を得ていた。

目の前にあるのはRPGに出てきそうな斧やら刀やら槍やらが立て掛けてあるのでも、小洒落たバーでもなく、普通にどこにでもある『お店』だった。

その店の名は『Marguerite』。

『鉄の女』と呼ばれた名宰相の名から取ったのだろうが、その店はどう見ても『武器屋』ではなかった。鉄なんて物は一辺一欠片も無い。

オルソラはガラスのショーウィンドゥから中を見るも、そこには物騒な物は何もない。あるのはロンドンのお土産だ。そう、ここはどう見ても『お土産屋さん』なのだ。


「神裂さん? ここは本当に武器屋なのでございましょうか……。ここはどう見てもお土産屋さんなのではないでしょうか?」

「まさか、堂々と剣やら槍やら外に見せていたら、ニュー・スコットランドヤード (ロンドン警視庁)とかSAS(イギリス特殊空挺部隊)とかが機関銃を持って突入してきますよ。勿論、上の承諾を得てますが、あくまで市民には秘匿です。一般人が間違って入らない様に、魔術で変装してあるんです。特殊な入り方をしないと、ロンドンのお土産しか置いてません」

「へぇ、そうだったんですか」


感心したように目を丸くするオルソラ。


「さて、では早速」


神裂は『OPEN』と看板が掛かってあるドアをノックした。ノックは4回。右中指の甲で、小気味良く。

そこから色々と何か動作をしてから、神裂はドアノブを捻る。

――――ガチリ。

何かの仕掛けが作動する音がした。


「出来ました。さて、中に入りましょうか、オルソラ」

「はい」


神裂はドアを開ける。

すると、そこには―――――。


まず目に入ってきたのは剣だった。西洋の古今東西様々な剣が壁一面に立て掛けてあった。それだけではない。槍は、コルセスカからランスまで様々な得物があった。

流石は武器屋、品ぞろえは半端なものではない。

そして、一番奥にはとんでもないモノがいた―――――。


「え?」


神裂は意外そうな顔で一番奥の―――いつも椅子に座って煙草を吸っているこの店の主がいるカウンターにいるモノを見た。


「あ、あなたは――――――!?」


思わず叫びそうになる神裂。


「どうしたのですか? 神裂さん? もしかして、――――お知り合いの方ですか?」


オルソラは不思議そうな顔をする。




「ああ、神裂! ちょうど良い所に来た! 助けてくれ、この日本人、どう言っても何を言い聞かせてもダメなんだ!」


まさにイギリス人な顔立ちの武器屋の店主が神裂を見つけて手を振って呼ぶ。

そして、彼と言い争っていた一人の男が、背後にいる神裂に気付き、振り返った。

「おお、貴女は」


その男は美しかった。女と見間違える程に綺麗な顔立ちと純白の総髪。白き肌と白き着物を着た日本人。如何にも“古風な”…いや、神裂の言葉を借りて“古典的”と言っておこうか。

そう、彼こそは。


「丁度良かった。今、この店の店主と暫く言い争いになり、お互いに譲れなくなってしまったのだ。先日、いと美味であった鯛茶漬けを御馳走になった身であるが、一つお願いいたしたい」


その男は、神裂が先日助けた男で、心配で心配でどうしようもなかった男で、そして今先程まで横にいるオルソラと話していた男だった。



錆白兵はそこにいた。



「なぜ、あなたがそこに?」

「前の客が出て行ったとき、入ってきちまったんだよ」


と、店主。


「神裂に相談しようと思っていた刀が、偶然この兄ちゃんの眼に写っちまったんだな。それで、飛び付いてきちまったんだ。こいつにはそれほどの価値があるからな」

「それは致し方あるまい」


錆は強い口調で訴えてきた。


「神裂殿!!」

「は、はいっ」

「同じ剣客同士、神裂殿ならわかるであろう、いかに我が刀が我が命よりも重いものかを」

「は?」

「この錆白兵、見間違いはせん。その刀は間違いなく、紛れも無く―――――――」


錆の瞳は動く。『なぜ、このような場所にあるのだろうか……』悲しむ眼だった。その眼の先には一本の日本刀があった。

刀は抜かれていた。その刀身は――――無かった。否、刀身はある。無い物だと勘違いする程“薄い”から、見えなかったのだ。


「…………この刀は……」


神裂はその刀を凝視する。オルソラは惚れ惚れする様に呟いた。


「綺麗な剣ですね……」

「当然でござる。極限にまで薄く、極限にまで美しく打たれた、かの名工が生涯もっとも製作に長い時間をかけた名刀中の名刀」


故にその刀は美しく、故に脆い刀。


「この刀は――――――」


錆白兵という自称剣客がここまでにして拘るのには、無理が無い理由は、これが自身の全てであるからだった。



「―――――――――四季崎記紀が造りし完成形変体刀十二本が一本『薄刀 針』でござる」



この世界で一番薄く美しい刀は、地球の裏側で、西洋剣ばかり飾られているこの場所で、一本淋しく、されどどの刀より燦々と輝いてそこにあった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以上でございます。ありがとうございました。
久しぶりの執筆故、色々と文体が崩れていますが、許してください。

刀語再放送と超電磁砲Sが始まりました。なんと俺得、俺歓喜、歓喜喝采ヒャッホーでございます。

ただ、刀語OPEDが手ぬkえdrftgyふじこlp;@:「」


ではまた書き留めましたら書きます。おやすみなさい。

2スレ目の描写がひどくて、読むの止めてたんだが3スレ目ってどうだったの?
えぐい描写が無かったんなら、また読んでみたいんだが


2つ忘れていました。

第参弾→鑢七実「ここは………どこかしら?」布束砥信「学園都市よ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1329130063/)

それと、このSSは時々【R-15】もしくは【R-18】の描写があります。苦手な人は気をつけてくださいませ。



>>19
しょっぱなから真っ赤です。ですが、全体的に見て第弐弾と比べるとまだマイルドな方です。まぁあれはあれであれでしたから。
第参弾は性描写は無く、戦闘に力をいれました。まぁ一方的な暴力が多いですので、気をつけて下さい。
自画自賛ですが、なかなかの出来栄えでしたので良かった見ていってくださいませ。各投稿のあとがきは深夜のテンションなので、スルーして下さい。スルーして下さい。




大変お待たせしました。書きためた分を投降します。
大学3年生ってのはものすっごく忙しいっす。あとバイトも。
なかなか顔出せなくてすいません。

では、投降します。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「錆白兵という男は、まぁ、私が知る中で最も侍に近い男だったよ。誰よりも忠義に厚く、嘘はつかない。何よりも、自分の剣に誇りを持っていた。私が命ずるなら自分が出来る全ての事をやり尽してくれたよ。茶を完璧に入れる事から野党討伐までな。そうそう、野党討伐と言えば、野武士やら盗賊やらに襲われた村の危機も救った事もあった。
錆は勧善懲悪を絵に描いたような男でな、よく旅先で人を助けていたよ。女子供老人は特に。迷子の子供に付き添って家に帰してやったり、穢多非人に飯を与えた事もあったな。私は奴が失踪するまで、この男は絶対に信用できると本気で思っていたよ」


とがめは錆をそう評価した。これ以上ない高評価だった。


「…………………」


それを聞いて七花は不機嫌そうな顔をした。嫉妬を覚えているのだろう。


「まぁ、裏切った錆よりも、最期まで私に付き従ってくれた七花の方が何倍も優秀だったよ」


とがめはそうフォローすると、七花の表情が明るくなった。

絹旗は一つ質問する。


「で、何でそんな超良い人が、とがめさんを裏切ったのですか?」

「刀に魅せられたのだよ。それほどにまで、あの刀の毒が強すぎたのだ」


とがめは七花が持ってきた茶を啜る。と、同時に顔をしかめた。


「………ん、薄い。しかも昆布茶」


失敗した。七花に茶を入れさせたのは間違いだったか。つい乗りで命じたが………。


(やっぱり、七花よりも錆の方が数枚上だな)


とがめは改めて絹旗の質問に答える。


「絹旗、錆白兵が持っていた刀は何だった?」

「えっと……『薄刀 針』でしたっけ?」

「そうだ。『薄刀 針』……この刀は知っての通り、この世で最も薄く、脆い刀だ。故にこの世で最も美しい刀。『微刀 釵』とは別の意味で美しい刀だ。私とてあの刀身には心奪われたのだ。剣客として薄刀を腰に差せる事の名誉は忠義よりも重かったのだろう」

「へぇ……。その刀って、超ぶっちゃけ工芸品みたいなものだったんですか?」

「なにを言う」


とがめはとんでもないと言わんばかりに、


「そんな訳がないだろう。あの刀は確かに脆い。私の人差指で突いてしまうだけで砕けてしまいそうなほどに脆弱だ。だがな、あれとて完成形変体刀十二本が一本だ。脅威でない訳なかろう」


とがめは湯呑を置き、あの巌流島の戦いの出来事を思い出す。


「あれは私がする中でも、もっとも脅威的、且つ驚異的だった」

「……………」

「いやぁ、あの刀はすさまじかったな、七花よ」

「ああ、ただの薄いだけの刀だと思っていたら、まさかあんな特性があったなんてな」

「まったくだ。いやぁ、よくあんな刀を持った錆に勝てたものだ」


絹旗の表情は曇っていた。


「超すいませんが、お二方の想像の中で語られても困ります。こっちはその錆白兵さんどころか薄刀も見た事ないんですから、話が全く見えませんよ」

「ああ、そうか。すまんな絹旗。では、順を追って説明しよう――――――だが……」


とがめはそう言いながら時計を見て、立ち上がった。


「休憩時間はここまでにしよう。もう腹は膨れてはおらんだろう? いつかは戦うかもしれんが、今戦うとは限らん錆と薄刀の話をしてもしようがない。続きは夕飯時にしよう」

「えぇぇぇぇ……。まぁ、いいですけど」

「ほれ、七花行くぞ」

「おう」


絹旗と七花は立ち上がり、玄関へと歩いてゆくとがめについてゆく。

この時、絹旗は歩きながら、ふと思った。


(――――――でも、そこまで超良い人が、どうして一本の刀だけに、己の主も忠義も正義も、今までの成功も功績も、何もかもを捨ててしまうなんて、ありえるのでしょうか)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『この刀は、俺の知り合いの借金取りから貰ったもんだ。ソイツ、金の担保に骨董品を預かってるタチのもんなんだが、返せなくなっちまったヤツの担保を俺のトコロで換金してんだ。

この刀もそうだ。どこぞのバカが株でミスっちまってな。ほら、リーマンショックってヤツ? あれで借金の山築いちまってたらしい』


武器屋の店主は経緯を説明をし、。


『前の客にこの刀を紹介してな。西洋の剣なら何でも知ってるが、東洋の剣はてんでだ。だから、その道に興味がありそうな騎士団のヤツに「これ買わねえか?」って言ったんだが…』


――――日本刀は確かに切れ味は最高の剣だが……私ではその剣は扱えない……。


と、言って帰ってしまったらしい。

今、この場にいるのは三人。神裂とオルソラ。そしてトラブルの元となった錆白兵。

彼らは今、武器屋の奥にある、武具の製作や修理を行う、作業場にいる。大小様々なトンカチやらペンチなどが無数に、かつ整理整頓がキッチリとされている状態で並べられ、それらと

同じくらいの量で、剣や槍や甲冑が雑に箱に捨てられていた。それらは『失敗作』なのだろう。所々曲がったり折れたりしている。

あの店主はここで製作した作品を店頭に出すか、注文を受けた物なら包装して客に渡すのだろう。因みに失敗作はばらした後、溶かして再利用するらしい。

さて、この場の主と言えば、


『ウチ、ビンボーだからよ。生活費とか子供の教育費とかで稼がなくちゃならねえ。あんまりにも稼ぎが少ねえと、嫁さんにぶっ飛ばされる。そんでな、その刀、相当な値打ちだから、

“そこの兄ちゃんにも伝えたけど、俺はその刀を知り合いの古物商に『芸術品』として高ーく売り捌くつもり”だから、そこの兄ちゃんの説得頼むわ。手段は問わねえ』

『ちょ、待ってください! 私たちをほっぽって何処へ行く気ですか!?』

『そのために呼んだんだよ。俺は口が下手でよ。それに、言っただろ? 『そこの刀を見てほしい』って。あながち間違っちゃあいねえだろ。そこの刀ついでに、白髪の兄ちゃんの面倒も

見てくれってだけで。んじゃ、俺の出番はもういらないから勝手によろしく。あ、出る時は裏口を使っていいから』

『ちょっと待って下さ……―――もういない……』


とまぁ、さっさと自分の仕事に行ってしまった。

「あの人も困ったものです。自分の得意な仕事ならトコトン出来るのに、その他の苦手分野はトコトン逃げたがる」

「まぁまぁ。いない人の悪口は叩かない方がよろしいのでございますよ」


オルソラは怒る神裂を宥める。と、傍にいた錆が、


「先程から気になっていたのでござるが……。神裂殿、そこの御仁は?」

「ああ、はい。この人は……」

「はい、紹介が遅れました。私はオルソラ=アクィナスと申します。最近、ローマ正教からイギリス清教に移った新参者でございます。錆白兵さんの事は神裂さんから聞いております。私、日本語はこの通り喋れますので、気軽に話しかけてくださいな。なんなら通訳もしますよ?」

「忝いでござる。拙者、気付いたらこの異国にいた身。南蛮人の言葉が解らなかったでござる。オルソラ殿、どうか今後ともよろしくお願いいたす」

「いえいえ、私は神に仕える身。隣人を愛せよ、と言う教えに従ったまでの事。当然でございます。―――時に質問なのですが、なぜ先に来ていたお客様はこんな“綺麗な日本刀”を買わなかったのでございましょうか?」


と、彼女は質問した。彼らの前の作業台には、一本の刀が置かれていた。言わずとも『薄刀 針』である。日本刀の専門家である神裂が応えた。


「それは実用性が無いと見たからでしょう」


その言葉を聞いて、錆は眉をひそめた。


「それは、聞き捨てならんな」

「彼らは戦闘のプロです。そのプロが見て……いや、素人から見ても明らかにこの刀は“薄すぎる”。製作者の意図は何なのかは知りませんが、ここまで薄くする必要が見当たりません。刀身が透けているのですよ? 鉄にせよガラスにせよ、あそこまで薄いと何で出来ているのか目視ではわからない」


神裂は店の中で見た、この刀の刀身を思い出す。確かに綺麗だったが、別の所で危うさがあった。説明は難しすぎて分からないが、ともかく使えぬ刀だという事は解った。


「これでは実用は不可能です。この刀は実戦用ではなく、装飾品としか使い道が思いつきません」

「それは否でござる」


それを否定する錆は先程までとは違って落ち着きいていた。そして申し訳なさそうに頭を下げる。


「先程は取り乱してしまい、申し訳なかったでござる。誠にお恥ずかしい所を見せてしまった」

「いいえ、もうそれは終わった事です。店主【あの人】が、きっとあなたを乱雑に扱ったのでしょ。――――今はこれの事です」


神裂は作業台(今、四人は武器屋の中にある剣を修理する部屋に移っている)の上に置かれた件の日本刀を見下ろす。先程まで抜き身だった刀は、今は鞘に納められていた。


「これを見ても構わないですか?」

「無論。ただし、扱いには慎重に慎重を重ねてくだされ」

「わかってます」


神裂は慎重に鞘で刀を持ち、ゆっくり、ゆっくりと、柄を掴んで白刃…薄刃の剣を抜く。

先程も見た通り、今にも崩れ去りそうなくらい脆く、儚い、そして美しい刀だった。神裂は一人の剣使いとしてその刀を観察する。その中で、第一声は、この刀を見た者は誰もが口にする一言だった。


「……………綺麗だ」


それとほぼ同時――――――神裂の体に異変が襲う。


「――――――――――――――――――――――――――ッッ」


ブワッと、神裂の全身から奇妙で異質な、説明が付きがたい感覚が沸き起こった。

それを、日本で数多の悪魔や妖怪を見てきて、魔術師や呪術師と死闘を繰り広げてきた神裂の体は『毒』と捉え、とっさに拒否反応を示した。

行動としては、すぐに剣を鞘に納め、丁寧に作業台に置く。全身から汗を流しながら、感想…と言うよりは何かから身を守る様に否定の言葉を口にした。

「先程、これは、実用性があると言いましたね、確か」

「いかにも。この刀は、『薄刀 針』は確かに薄く脆弱でござる。だが、完璧な太刀筋を描けばこれ以上ない威力を持つ日本刀でござる」

「…………滅茶苦茶だ」


神裂はその言葉を聴き、頭の痛くなる回答をゆっくり理解しようと


「錆白兵。あなたは本当に剣客を名乗る人間ですか? 向こうが透けて見える程にまで薄い刀で、モノが斬れるとは私は思えない。そもそも完璧な太刀筋など巻藁相手なら修練を重ねれば誰でもできますが、動く敵を斬るのは話は別。零コンマ何秒で筋がズレたり動いたりするからです。それを、完璧な太刀筋で断ち切るなんて至難の技どころか神業です。それがあなたに出来ると言うのですか?」


聖人ならば出来ない事も無いが、いかんせん、“この刀はヤバすぎる”と自分が判断してしまった。手の平と背中が汗でしっとりと濡れている。

この刀は美しいが故に、持ち主に“何か作用する”。神裂はそんな刀を見てきた。

この刀は、持ち主の精神を変貌させる妖刀と呼ばれる刀と同じ類の物だ。

妖刀の類の刀なら幾つか見てきたが、これに勝るものは無かった―――神裂は密かに畏れる。

その反応を見て、錆は、


「無理は無かろう。その刀を手にして、心が動かぬ人間はおらんと拙者は考えるでござる」

「……………」


神裂は思う。

――――この刀はなんなのでしょうか……?

神裂は一人の剣士として、この刀を疑う。

オルソラが口を挟んだ。


「錆さん? 本当にこの刀は、使い物にならないのでございましょうか?」

「否。私は短い期間であったが、その刀を腰に差していたでござる。実用性がないと言うのならば、拙者が実際に何か斬って見せよう」

「それはダメです。店主も言っていたでしょう。この刀、凝って作られてますから価値が高いのですよ、オルソラ。万が一、壊してしまった場合……弁償させられるのは私たちですよ?」

「…………ちなみにどれくらいなのです?」

「私の見込みだと………ざっと数千単位。ヘタすれば億ですね」

「まぁ!」


オルソラは驚愕の額に口を押える。


「まぁ、私は鑑定士ではありませんから、信用しないでくださいね。あくまで過去に見てきた刀の値段と比べると…の話ですが」

「もしそうでも、高値である事は当然でござる。この刀は一本で、国一つ買えるとまで謳われた名刀。ただの刀とはわけが違うでござる」

「一本で国一つ? ―――まぁ、江戸時代や戦国時代の日本なら有り得た話ではありますね。あの時代は茶器一つで国が動いたほどですから」

「しかし、なぜここの店長さんはここまでお金に困っているのでしょうか。騎士団の方々は常連なのでしょう? 英国の騎士団は、ローマ正教十三騎士団よりも千軍万馬の精鋭と聴きます。そんな彼らから度々依頼が来るのなら、そこそこ安定しているのではございませんでしょうか……?」

「確かに、騎士団には良くしてもらっているらしいですが、それでも貧困に喘いでいるそうですよ。何と言ったって、武器、甲冑と言うものはお金と手間がかかります。剣一本造るにしても、今は幾らか近代化して比較的楽に造れるようになりましたが、それでも時間は掛かるとか。そこに魔術的仕掛けを加えるなら、さらに」

「………まじゅつ?」


錆は怪訝な顔をする。


「いえ、こっちの話です。――――ともかく、物騒な物は時間と手間がかかる。しかも、売れなくてはただの物置。戦いに使われなければただの鉄屑。売らなければ剣は剣ではいられませんし、刀鍛冶も生きていけません。実際どんなに業物を大量生産しても、銃社会の今で売れるのは二三本。注文で造るならまだマシですが、それは稀だとか。
しかも、頼みの綱の騎士団からの仕事は皆、安すく済ませる『修理』だと聞きます。武器甲冑を買ってくってのは殆ど無いそうです。最近は平和なのか、それとも騎士団長の教育指導がすこぶる良いのでしょう。
だから騎士団からの仕事だけじゃあ食べていけないという訳です」

「………なかなか世知辛いですね」

「今は不景気ですから」


まぁ、公務員と同等の安定した給料を貰っている神裂とオルソラは彼に同情する事はできないが、心配はしてあげる事はできる。

結局は神裂は知り合いの武器屋の店主の為にも、ここで一肌脱がなければならないのだ。

救われぬ者に救いの手を―――この戒めがある限り。


「………致し方ありません」


神裂は観念したように溜息をつく。


「頼まれたからには、実行するしかありませんね。―――錆白兵」

「なんでござるか」

「あなたにはどの道、引き下がって貰わなければなりません。何がどうあれ、この刀はあなたの手から離れてしまったのでしょう? ならばもうこれはあなたの物ではありません。所有者はあなたではありません」

「確かに、私は敗れてその刀を奪われたでござる。よって所有者であったにしても、所有者ではない。ただし、それは出来ん相談でござる」


錆は断固として拒否する。


「刀は斬る相手は選ばない。―――ただし持ち主は選ぶ。私はこの刀に選ばれた。聞いたでござるか、あの男の言葉を。この刀をただの『飾り物』として売り飛ばすなど、もっての外のそれでござる。だから私は、刀に選ばれた者として、その結末を変えねばなるまい。それこそが私が出来る“その刀への恩返しでござる”」

「あなたは、この脆すぎる刀を『何かを斬る物』として見ているのですか?」

「否。『人を斬る物』でござる。刀とは即ち人斬り包丁でしかない故。それを、貴女は誰よりも知っている筈であろう。神裂火織殿」

「………………」


神裂の表情が曇る。錆の眼の色は全く揺らいでいなかった。そんなにあの店主の台詞が気に喰わなかったのか。この交渉、錆が聞いてくれそうな気配が無い。


「不可解です。私にはこの刀に実用性がある風には見えない。常識的に、良い刀の条件は『折れず』『曲がらず』『よく斬れる』の三つでしょう? しかしこれは『折れやすく』『曲がりやすく』『よく斬れない』を通り越して『今にも崩壊しそう』じゃないですか。刀の根本からして間違っている」

「それは先程も申したでござろう。完璧な太刀筋で斬れば良いと。何故それが分かって下さらぬ」

「だから、それは無理だと言っているのです! 百発百中で蜘蛛の糸程の細さの筋を一寸違わず通せると言うのですか!? ……… ―――――ッ」


しまった。思わず、声を荒げてしまった。自分らしくない。


「ともかくあなたは諦めてください。この刀が、本当にかつてあなたの物だったのかも定かではないのですから、はいそうですかと渡す事はできないのです。それに、この刀は危険すぎます。これはどうしようも出来ない事なのです」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――――日本と言う国は、1467年の応仁の乱もしくは1493年の明応の政変から戦国時代が始まったが、それ以降から日本の軍事力は世界的にも高かった節がある。1200年代の世界的大国であった元の侵略を(対馬・壱岐・肥前沿岸部は除く)防ぎ、追い返したのが一番の例だ(蒙古襲来)。


当時の記録によれば、この時から日本刀の切れ味は異常なものだったらしい。

さて、日本の剣術には様々な流派があるが、それと同じように太刀筋も違う。今回は大まかに説明するが、人によって認識が違うのを理解してほしい。万人の言葉は万通りあるのだ。

太刀筋とは言わずともわかるが、刀で物体を斬る時の筋の事である。それが美しいとは、真っ直ぐに且つ歪んでいない、という事だ。要は一直線に速く斬る事。

刀を日本刀、剣を西洋の剣と表すとしよう(もともと漢字の意味としては、刀は片刃、剣は両刃の意味である)。この二つを比べる。


RPGや欧州各地にある神話に登場する剣を思い出してもらえばわかるが、剣は重くて頑丈に造られている。

一般的には、これらは斬るのではく打撃がメイン。強固な甲冑や盾が進歩したので、斬るよりも転ばせて止めを刺すのが剣の使い道だった。また銃が後に発達したので、剣はさらに衰退の一途を辿ったのでは、と考える。

西洋剣術は剣の打ち合いが多いから、切れ味よりも頑丈さに重点が傾いたという話も聞く。


一方日本刀は、西洋とは違って頑丈な甲冑は発展しなかったが故に切れ味が発展していった。まぁ、戦国時代中期の戦の主役は刀ではなく弓で、その次に槍、その次にようやく刀だったのだが、それでも切れ味はすこぶる良かったは言うまでもない。因みに刀鍛冶の技術は、長巻、槍、薙刀などにも使われたから、広い意味ではこれらも刀の範囲内である。

普通の日本刀は斬るのが主要用途。斬り合いには刀同士の叩き合いはせず、避け合い、もしくは勝負は一瞬、一合が主だったそうだ。

現代では二百年以上前の、戦国時代の日本刀を完璧に再現する事は、合金技術は今は廃れ、謎のままになっている為、不可能だそうだ。


「あ、ああ~~~~ッ、また失敗しちまった………」


片手に鎚を持ち、もう片方の手で汗を拭って、木原数多は超高熱に熱せられた鉄屑を見下ろした。

両手にはマイクロマニピュレータを嵌めており、人工筋肉とモーターで1μm単位での精密作業を可能にさせている。

さて、今彼が見下ろしている鉄屑とは、二枚の薄い鉄板の事であるが……否、元は一枚だった鋼板だ。薄く薄く伸ばして伸ばして、極限まで伸ばそうとしていたのだが、鋼の強度が限界に達してしまい、この通り真っ二つになってしまったのだった。


「あーくそ。これで何回目だ……」


木原がいる場所は、学園都市にある、自分の研究室【ラボ】。

学園都市の闇を牛耳る木原の家の者は、それぞれ得意とする研究分野や特性を持つ。彼の特性は『金槌レベルの破壊力を超精密に制御する事』。

物体への細かい作業を指せるなら天下一である筈の彼が刀鍛冶を失敗するのは、極限まで薄くしきった鋼を、さらに薄くするのが目的だからだだが……。見ての通り失敗の連続である。



「………何をやってるの、数多おじさん」


そこに一人の少女が研究室に現れた。


「あ? ああ、円周か。なんでんなとこにいるんだ?」


木原円周。彼女もまた木原一族の一人である。黒髪のお団子頭を左右に揃えた、中学生ぐらいの小柄な彼女は、紫のフリル付きのスカートに赤と白の二―ソックスを履き、上はTシャツ、そして首には携帯電話やワンセグテレビ、スマートフォンなどを下げた姿で現れた。

大体の木原の人間は皆、言っては悪いが凶悪そうな顔つきをしている。だが円周だけ、他の木原とは別の半生を送ってきた過去を持つ為、顔つきは可愛らしいものだった。性質が違うと言えばいいのだろうか。

そんな円周がなぜ木原数多の研究室に来ているのだろうか。無論、住んでいる家もここではないのだが……。

円周は木原おじさんにトコトコと近寄って、


「遊びに来たの。今日は、ちょっと暇で」

「あーそーかよ。生憎、こちとら忙しい身でな。遊んでやるヒマはねえんだ。悪いな」

「ううん、いいよ。おじさんを見ているだけでもいいよ。だって、それだけで十分勉強になるもの。見るだけでも立派な勉強法だもん。“そうだよね。『木原』ならそうだよね”」

「円周は努力家の頑張り屋さんなのは結構だが、そうおじさんおじさん連呼するのはやめてくれねえか?」

「………? おじさんはおじさんでしょ?」

「……………」

「……………?」

円周はキョトンとした目をする。数多は『ああ、俺も歳喰ったんだなー』とシミジミ実感した。


「歳は喰いたくないもんだなぁ」

「で、何をしているの? 数多おじさん」

「見て分からねえか? 鉄打ってんだよ」

「……? なんで?」

「ああー……――――――…………趣味だ。最近、骨董にハマってよ。日本刀とか特にな。んで、一つ造ってみようと思ってだな」

「……で、失敗したんだ」

「あ、ああ、意外と難しいんだわ、これ」

「こんなに?」


円周は研究室の隅にあった大きめな金属製の箱を見てみると、大量の鉄屑が積まれていた。その姿は山の如し。


「おじさんの器用さなら、一二回は失敗しても、何十回、何百回も失敗はしないと思うよ?」

「…………」


不味い。

こんなタイミングで、どうして円周がやって来たのだ。木原円周は『木原』の中でも特殊な人間だ。何より、『木原』であることに執着し、『木原』であることに強迫観念されている。故に彼女は他の『木原』とは別に、学習能力が高い。『木原である事』が彼女そのものなのだから、『木原の技術・思考』に関しては興味も関心もズバ抜けているのだ。

頭の良さなら一族トップクラスである、と数多は分析している。

そんな円周に“こんなところ”を見られては、若干厄介だ。“これだけは自分だけの秘密でいたい”。


「今の日本じゃあ、戦国期の錬鉄技術は廃れているらしいからな。それを今の世に……」

「あれ? タタラによる玉鋼の製造って、今でもやってるんじゃなかったっけ? 実際そう言った研究、学園都市でもやってるって聞いたけど……。鉄を打つときに、火花と一緒に玉鋼の中の不純物をほぼ全部叩き出すから錆びないし壊れない、西洋の製鉄技術じゃ絶対に出来ないからって、病理おばさんが……」

「………ッ。………ほら、あれだ、今でも確かに伝統的に造ってるが、あれは戦国期からすれば断然弱いんだと。俺はそれを今やってんだ。古の技術の復元ってやつ?」

「………? 学園都市製で研究しているのって、それの事なんだけど……」

「………あ、そーなんだ…。そいつは知らなかったなー……ははは」

「変なおじさん」


円周は不思議そうな顔をすると、一つ、数多が普段と変わっているところを見つけた。


「………おじさん。その背中の日本刀って……なに?」

「…………」


その日本刀とは禍々しい鞘に納められた、大きく反った刀である。まだ幼い円周でもわかるくらいに、その黒刀は禍々しい気を孕んでいた。邪気と呼べばいいのか迷うが、非科学的だがそうとしか呼べる要素が無い。


「最近、ずっと持っているよね。肩身離さず。なんで?」

「………いやー…あれだ、シュミだシュミ。ファッション、ファッション」

「ふーん……やっぱり変なの……変なおじさん」


ますます不思議そうな……もう可哀そうなものを見る顔になる円周。


「まぁいいや。おじさんが忙しくて無理ならいいよ。私、ちょっと外に行ってるね」

「お、おお。車に気を付けるんだぞ」

「うん!」


数多は踵を返して走り去ってゆく少女の背中を見送り、その足音が全く聞こえなくなったのを確認した。


―――――と、


『――――――で、あれが噂の円周ちゃんか?』


“木原数多の精神の中にいる四季崎記紀が話しかけてきた。”


「ああ、そうだ。『木原』の秘蔵っ子の一人だよ。てか、ちゃん付けで呼ぶな」

『わりぃわりぃ』


傍から見ると、やはり木原数多のひとりごとにしか見えないが、彼の中には四季崎記紀が居座っているのは確かで、彼が事ある毎に話しかけてくるのだ。その内容は様々で、何気ない世間話から彼がかつて打った刀…変体刀などについてだ。

普段の木原なら戯言として聞き流しているのだが、彼の話は科学者として非常に興味深い。

だから一文字一句残さず聞き入っていた。

その話題の一つであった『ある刀の製造』を、たった今、取り組んでいた所だった。


「やっぱり無理だ」

『だろうな。今の技術じゃあ、あの刀は打てねえ。それよか、「絶刀 鉋」も出来ねえのにどうやってそれを造ろうとしたんだよ』

「それは単なる俺の得意分野だと思ったからだ。今、俺が確認できている刀は五本。絶刀は合金技術。千刀は工業技術。微刀はロボット工学。賊刀は巨視的物理学。斬刀は微視的物理学。賊刀以外は俺の専門外だ」

『確か、お前さんの専門は物理学。『物体への物理的干渉』だったな。確かに個人で製作するのは無理だ。「木原」の誰かと共同して造るなら何とか“近い物”は出来そうだが……』

「自信を持って言える。あいつらはぜってー裏切る。特に乱数なんかに情報を提供したら、俺に幻覚見せて他の情報を聞き出すっつーの」

『お前、身内にも厳しいんだな』

「俺が信用できるのは俺以外しかいねえよ。それか、絶対に俺に裏切れない糞野郎共とか」


糞野郎とは、彼がいつも手足の様に扱き使っている学園都市特殊部隊『猟犬部隊(ハウンドドック)』である。

ともかく、彼はこの数ある機密情報の中でもトップシークレットである情報は出来る限り、特に木原には伏せたがっていた。


「ま、病理に関しては必要悪だな。奴の工業力学……っつーか、相手を諦めさせる為にはどんな手段も使いたがる性格はトンデモ級にキテやがるヤツだ。エモノを作らせるには持って来いだし、あいつもあいつで喜々として俺の依頼受けまくる。俺がお前の変体刀の情報から構築した駆動鎧なんて、たった数日で造り上げてきやがったのはいい例だ。こーいう超絶に危機的状況で使える奴は使えるなら使いてぇ」

『今、お前は孤立無援の状況だからな。前の無能力者狩りの件で、奇策士もそうだが、駒場利徳ら武装無能力者集団(スキルアウト)も敵に回しちまったし。いや、お前を責めている訳じゃなくてだな』

「わーてるよ。―――現段階で確認できている完成形変体刀はみーんなそいつらに渡っちまってやがる。俺も毒刀持っているが、全体の戦力差が馬鹿みたいに不利だ」

『奇策士ん所にゃあ、完成形変体刀十二本が内『千刀 鎩』と『斬刀 鈍』の二本と、完了形変体刀『虚刀 鑢』が一本ある。それに学園都市の大能力者二人と超能力者一人とおまけ一人の暗部部隊を丸め込んでいたな。超能力者の方は今は戦闘不能だろうが、いずれ脅威になるだろうよ。武装無能力者集団ときたら『絶刀 鉋』と『賊刀 鎧』を持っている上に学園都市最新鋭の銃火器から駆動鎧を一個中隊分所持している。今は下手糞だが、訓練して使いこなせるようになれば猟犬部隊なんぞ障子紙みたいにぶっ飛ばされるぞ。棟梁同士サシでやるなら幾つか勝機があるが、一つの集団として戦争するなら完全にこっちが不利だ。―――違うか?』

「その通り。―――そこで俺は、戦力を均等化させるには、完成形変体刀の中でも最強の刀が欲しいって考えただけだ。まぁ、あの刀を扱える人間は、この世で俺以外いないだろうがな。『木原』の中でも器用さなら一等賞の俺以外に」


木原は先程まで打っていた鉄屑を火箸で摘み、水が入った細長い容器に入れる。ジュワッと湯気が立った。


「付け焼刃の知識だけどよ。日本刀は基本、円運動で振るもんだ。円運動は力が入らなくても、先端のスピードは速くなる。結果、切り口がキレーになるって奴なんだ。勿論、流派によって違うらしいけどな」


冷めた鉄屑を火箸で放り投げる。見事に鉄屑は放物線を描いて、鉄屑の山の上に着地した。


「それが振りの基本。あとは刃の角度を物体とは直角に、刀を振る進行方向と完全に並行するように、全く線を曲げる事なくブレずに振れれば完璧だ。そうしねえと、刀身の側面で叩く事になっちまうからな。これがお前が言う、『完璧な太刀筋』って奴だ。あってるよな?」

『正解。俺はあの刀を“そうさせる為にわざわざ薄くしたんだ”。あれを振るには最低限、それをしなくちゃ物は斬れねえ。むしろ絶対にそうやって振らないと、木端微塵に砕け散っちまう様にな』

「ああ。“だが、『物』だけは、な”。巻藁や畳を斬るだけなら並の剣士でも極限に集中すれば、その刀でも斬れる筈だ。頭の上から股の下までを一直線で斬るだけの動きでいい」


鉄屑の山には興味はないのか、新しい玉鋼を火箸で摘み、目の前にあった鉄を熱する炉の火の中に入れた。学園都市らしく、全自動で火力を調節できるものである。これが鍛冶の素人である木原数多が刀を打つ事が出来た要因の一つであった。刀を打つのに最適な熱の温度と炉に入れる時間は、全てコンピューターが出してくれる。言わば、日本刀専用の電子レンジと言ったところか。

もっとも殆ど、四季崎がちょくちょくアドバイスを挟んでくれるのが、今まで巧く行ってくれていた理由として大きいが。

玉鋼が炎に包まれ、真っ赤になってゆくのを見守りながら、科学者としての見解を説いた。


「――――ところがギッチョン。それだけじゃあダメだ。『者』は斬れねえ。人間はその他動物と無機物とは物質としての性質そのものとは話が違うからだ。何故かっつーと人間の体には、骨、筋肉、内臓、血管……多くの物質がある。丸太たたっ斬るだけなら簡単だが、人間を斬るにはそうはいかない。微妙な筋肉の動き、内臓の振動、血液の流速……それら微量な力が人間を斬る為の太刀筋って奴を乱しちまう。普通の刀はそんなのお構いなしでたたっ斬るが、馬鹿みたいに薄いあの刀は1000%の確率で砕け散る」


筋肉は常に動いている。骨格筋でも内臓筋でも平滑筋でも心筋でも、木の棒の様に全く動いていない時は無い。骨格筋は人間が体を動かせば動かすほど膨張縮小を繰り返し、内臓筋や心筋は二十四時間三百六十日、寿命がなくなるまで動き続ける。そこに刀を入れると、断線した筋肉に挟まれる形になる。そこで筋肉が動くと万力で捻じ曲げられるのと同じ負荷がかかるのだ。また、血流も流れなければ人間は死んでしまうので流体として動き続けているので同じことが言える。
要は、生物は無生物や生物の死骸など物体内では、物理的運動が一マイクロでも働いているのだ。


「向こうが透けて見える程薄い刀で人を斬るなら、完全に刀身を振り切らなくちゃならねえ。途中で止まっちまったり、ノロノロと振っていると、ソッコー折れちまう。
―――そうしねえためには、刀をより速く振らなくちゃならねえんだ。
刀身の横っ腹にほんの少しでも負荷が掛かれば即ペキン。一秒に十二回ほど相手を殺しきれる剣先の速度が、あの刀には必要不可欠になってゆく。もともと完璧な太刀筋を描かなけりゃぶっ壊れる刀だ。扱いづらいを通り越して、扱えることを許してくれないぜ」

『うん。あってる。流石は木原数多。俺の兄弟。俺の持ち主。我が主。理解力が高くて助かるよ。―――要は、速く且つ丁寧に振らなくちゃならねぇって訳だ。百発百中……いや、億発億中だな』

「もう一つ、残酷な要求点がある」

『言ってみろ』

「相手は動いている。しかも刀を持ち合わせている剣客。常に動いているから、綺麗な円運動で速く振って刀身も直角で捉えていても、体を動かされてしまえば太刀筋はずらされちまう……簡単に言うと刀身が対象に直角にならなくなって、側面に抵抗が働いて砕ける。一方相手はほんの切り傷程度で済んじまうからたちが悪い」


かつて、鑢七花が錆白兵という剣客相手に戦ったとき考え出した策であった。だが鑢の目的は『刀の破壊』ではなく『刀の蒐集』であったため使えなかった。


「もし相手があの刀を持っているのなら、むしろこれしか対策がねぇ」

『大正解だ。いやぁよくできました、よくできましたってな。俺の知識だけに頼らず、よくここまで理解したもんだ』

「たっりめぇよ。木原数多をなめんじゃねぇよ………っと」


その時、炉のタイマーが鳴る。火箸を炎の中に突っ込み、中で真っ赤になった玉鋼を取り出す。玉鋼を金床に置き、右手で金槌を持って叩くと、甲高く五月蠅い音が響いた。それを何度も何度も繰り返して玉鋼を加工してゆく。


「結論で言えば、あの刀の所有者には『完璧な太刀筋』と『刀を早く振る筋力と技量』と『どんな状況になろうと太刀筋をズラさない器用さ』が要求される。それも、達人級のバケモノみてぇなのな。全く、よくも200年も全く傷つかずに存在していられたもんだ」

『それは賭けだったよ。『虚刀 鑢』が完成形変体刀十二本をぶっ壊して完了するまで、俺はあの刀は日本歴代の最強の剣客たちの手に渡り続けるってな』

「運がいいにも程があるってんだ。――――ま、その刀は学園都市の中じゃあ発見できなかったんだ。恐らく外だろ」


それについては四季崎は何も言わない。言うべきことと言わざるべきことがあるからだ。今、あの刀はイギリスのロンドンにある…なんて言ったら、この男はロンドンを焼野原にしてでも探し出すかもしれないからだ。そして、あの男の事も……。


「どの道、この世であの刀を使えるのは俺しかいねぇ筈だ。俺は刀の要求項目の全てをクリアできる」


木原は自信満々だった。当然だろう。彼は学園都市最強の超能力者、一方通行の能力を完璧に無効化できる技術を持っている。だが、四季崎は言いつける様な重い口調で忠告をした。


『………いや、あの刀は使えねえよ。お前じゃあな』

「………」


――――途端、木原の目つきが鋭くなる。
左手が火箸から離れ、背中の日本刀……四季崎記紀が木原数多の精神に住み込んでいる原因である刀、『毒刀 鍍』に伸びた。その手は、殺意に染まっていた。右手に持っているのは金槌。目の前には超高温の灼熱である炉。彼は今から、毒刀を炉に叩き込み、熱して金槌で叩き壊そうとしている。即ち、四季崎記紀の殺害である。
―――その意図を一拍で感づいた四季崎は、咄嗟に言葉を付け加える。


『いや、言葉が悪かった。今のお前に、だよ兄弟。あの刀を持てば、全てがわかるさ』


その言葉を聴いて、木原の手が引いた。もうその手には殺意はない。


「だよな。そう思っていたぜ兄弟」

『ああ、そうだとも。そうだともよ兄弟』


――――内心、四季崎は安堵している。こんな所で馬鹿みたいに死にたくはない。相棒と喧嘩になって殺されるなど笑い種だ。彼の右手の金槌で叩き曲げられるなど、あってたまるか。


――――全く、困った相棒様だ。


四季崎は刀の中で溜息をついた。


―――剣士じゃねえお前が、あの刀を、『薄刀 針』を扱う事なんて出来ねえよ。手に入れられるのが、怪しいってのに。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「なるほど、日本刀と言うのは扱いがとても難しのでございますね?」


オルソラ=アクィナスは神裂火織と錆白兵から、日本刀の特性と曰くの刀、『薄刀 針』の異常性について聴いていた。


「ええ、日本刀は下手な剣士が使うとすぐに刃毀れを起こしたり、切れ味が悪くしてしまいますから。流派によって違いますが、しっかりと刃を立てて、鮮やかな円を描いて斬らないと、刀が長持ちしてくれません。それでも人を4人も斬れば血と脂で斬れなくなるもの。手入れも面倒です。その代り、西洋とは違って絶大な切れ味と殺傷能力があります」


一人の剣士として神裂はそう付け足しする。錆も解説を加えた。


「この薄刀は、その刀の特性を最大限に引き出す為に、極限にまで薄くした刀でござる。彼の名工、四季崎記紀が十二本の刀の中で最も時間をかけたと言う大業物」

「そのシキサキキキと言う人物には覚えはありませんが、確かに歴代の名工とは比較にならない技術を持っていた事は解ります。この刀、一体どうやって造ったのですか」


作業台の上の刀を見下ろす。この刀は異常のさらに上の領域に位置する未知なる刀。製造方法は不明。“そもそもこの刀は現代の技術じゃあとても製作不可能かもしれない”。

神裂は剣士としてではなく魔術師として見ると、この刀には魔術的痕跡が無い為、魔術で製造された事は無いと考えた。

それでもこの刀を持った時に全身に駆け巡った『嫌な悪寒』は間違いなく、“何かがある”と思わせる要因になった。この刀には無数の謎が秘められている。


「これはあなたの手には渡るのはいけない気がするのです。――――いいえ、店主にも渡ってはいけません。これは……その……とにかく! これは明らかに妖刀の類。イギリス清教が責任を持って保管するべきです!」


そうだ。これは妖刀のそれに近い。とっさに出た言葉だったが、よく考えてみれば的を得ていた。これはイギリス清教の一員として、一人の魔術師として、徹底的に調査せねばなるまい。そうだ、これは使命なのだ――――と、神裂は心の中で言い訳をした。

もちろん、そんな暴挙を許せぬのが一名いる。


「そんな殺生な」


憤る錆。


「確かにそれはこの世に多く存在する妖刀よりも比べ物にならぬ『毒』があるでござる。『まじゅつし』というのは恐らく、祈祷師に近い職だろう。違うでござるか?」

「いいえ」

「なら、そんな貴女の職業柄、その毒を恐れる物であろう。だがしかし、どの道この刀の末路は同じこと。それは拙者が許せぬ」

「いいえ、これは危険です。この世にあってはならぬ物です。妖刀と言うものは存在するだけで人を不幸にする!」

「ならぬものはならぬ。この刀に一体どれだけの価値があると思っているのでござるか。その刀が打たれて二百年。数ある名剣士たちが腰に差し、己の技術を誇ってきた名刀。それを貴女は調査とやらをした後、何をなさるのでござるか」

「それは……き、危険物と判断すれば、イギリス清教の武器庫の奥深くに封じるか、破壊するかです」


それを聞いた錆は、目眩に襲われた。


「…………何という事を……」


錆は震える声で、


「刀は武士の魂でござる。それほど我ら剣客は、己の刀を重宝し、崇めるのでござる。それほど、刀と言う物には価値があるのでござる。その中でも四季崎記紀が造りし完成形変体刀十二本は別格。その刀たちを求めてどれほどの人間が死に、どれほどの人間が夢見たか……。十二本が一本、『薄刀 針』も然り。否、十二本の中でも最も美しいと謳われ、欲する者が絶えず、故に最強の剣客でしか腰に差せなかったでござる。―――その刀を、折ると言うのでござるか! それでも剣客でござるか!!」


涙ながらに訴える。大の大人が、剣一本の為にそこまでなにを懸けるのか、すぐそばで見ていたオルソラは解らなかった。だが、刀を持っていた者たちと刀を夢見て散って行った者たちの事を想っているのか……と考えると納得できた。

人間、誰もが一人でいる訳じゃない。誰もが誰かと関わりを持って生きている。

その刀には、多くの剣客たちが関わっている。オルソラは思うのだ。この刀は彼一人の物ではないのだろう―――と。

如何にも、この刀には無数の剣客たちの魂が刻まれている。

それをわかっていない神裂ではない。彼女も剣客の一人。彼女の刀、七天七刀は神裂火織の魂である。錆白兵の魂が薄刀であるのと同じ。

だがここは、剣客としてではなく魔術師としての眼を信じた。


「ともかく、ならぬものはならぬでござる」

「だめです。これは預かります」

「そこを何とか頼むでござる、神裂殿!」

「そう頭を下げられても困ります!」


喧々諤々。

オルソラは部屋の中の時計を見上げた。既に時は正午に差し掛かっている。ここにきてすでに3時間は経っているだろう。そしてこのまま彼らを言い争っていても、埒が明かない事は目に見えている。


「あの……神裂さん?」

「なんで、解ってくれないんですか! 確かにこの刀は……」

「神裂さん」

「とても価値がありますが、これからの事を考えて言っているのです!」

「神裂さんっ」

「いいですか? 妖刀と言う物は今現在の人間を斬って捨ててしまう危険物。どれだけ過去の強者たちが所持してきた物だとしても、この太平の世ではただの危ない刃物なのですよ?」

「神裂さーん……」

「いつまで過去に囚われているんですか、あなたは。過去の偉人など、過去に過ぎないのです! 今現在を見ないでどうするのです!! そうだ。私は上条当麻に借りを作りっぱなしですが、これから返せばいいんです! 過去の失敗や借りでクヨクヨしててもムダムダムダ。あとで彼が途轍もない危機の時に颯爽と現れて助けてあげればチャラになるんですよ! そうだ! 土御門のシスコン大魔王の言う事なんて聞いてやるものか!!」

――――………なんだか、いつの間にか話の趣旨が変わってきている様ですけど……。

「………一体、途中から何を言ってるのでござるか神裂殿」

「あははは……まぁ、お年頃の神裂さんには色々お悩みがありまして……」


苦笑しながらオルソラは困惑顔の錆にそう言う。


「錆白兵さん。ここで私が一つ提案があるのですが……よろしいでしょうか」

「それは、神裂殿にも伝えるべきだと思うのでござるが」

「そうですね。では、神裂さん一つ失礼しますね」


と、一つ礼をしてオルソラはいきなり神裂の耳を引っ張りよせて、


「神裂さぁぁぁ―――――――――――――――――――――――――んっっっ!!」


イギリス中に響き渡るんじゃないかと思うくらいの大声量で、神裂の名前を耳元で叫んだ。


「ィッッッ!!!?」


その時、神裂の耳から反対の耳へと衝撃が突き抜けた。オルソラの甲高いシャウトを耳元で繰り出せば例え聖人だろうとも立ってはおれまい。案の定、鼓膜がはち切れんばかりの声をモロに受けて、神裂は耳を抑えて蹲った。涙目でオルソラに訴える。


「~~~~~~~っっっ!! な、何をするんですか!!」

「何をって、呼んでも無視するから耳元で貴女の名前を呼んだのでございますよ、神裂さん?」


一方、オルソラは天女の様に笑う。


「……もう、だめですよ。喋るのに夢中で、呼んでも呼んでも聴いてくれないのは」

「…………まぁ、確かに私にも非がありますが……。しかし、肩を叩くぐらいはしてください。鼓膜が破れるかと思いました」

もう、強烈な耳鳴りから回復したのか、神裂は立ち上がるとオルソラに向かい合う。


「なんでしょう、シスター=オルソラ」

「はい。一つ提案があるのでございます」











この物語は、彼の物語である。錆白兵についての物語である。

全くの謎の包まれた美貌の剣士、錆白兵。

一体彼がどういう人物で、どういう士道を持ち、どういう剣技を見せ、どういう生き様なのかを、ここに少しだけ暴きたいと思う。


――――錆白兵。


身長:五尺三寸(160cm)

体重:十一貫五斤(44.25㎏)

趣味:剣法

身分:浪人

年齢:享年二十歳


彼の貌は美女の如し。彼の振る舞いは聖人の様。常に剣技を追求し、常に剣の道を極めようとした、前日本最強の剣客。

錆の逸話は多くある。かつての鑢六枝とは互角と言っていいだろう。

その中に一つ、奇妙な話がある。


彼の目の前で刀を抜いた者は皆、死んだのだそうだ。

沢山死んだ。

彼が腰に差す世界で一番美しい刀に誘われて、彼の肩書欲しさに現れて、錆本人に戦いを挑まれて、理由は何にせよ、数多の剣客達が錆に挑み、戦い、結局死んでいった。

彼の後ろには無数の屍の道が転がっているのだ。

だが、屍だけではない。彼の後ろには屍よりは少ないが、彼に感謝する者が無数にいた。盗賊に襲われていた村人たち、悪代官に娘を盗られた農民たち、今日食べる物が無く困り果てていた乞食たち……。彼は紛れも無く聖人であった故に、彼の人望は凄まじく高かった。

そして、斬られた者たちは無念を残して斬り殺された訳ではない。錆白兵は『生きたかった』『死にたくない』と言う無念を与えるのを嫌う。

だから彼はどんな弱い相手でも全力で迎え、圧倒的強さで斬り伏せてきた。それも、可憐に、美麗に、華麗に、美しく、格好良く―――。

あたかも絵物語の英雄や滝沢馬琴の読本に登場する主人公の様に―――。

そして誰もが彼にときめき、『ああ、彼に斬られて良かった』と笑って死んでいったと言う。

彼の後ろの屍は全て、満足げに笑っていた。どんな善人でも、どんな悪人でも。悪党も強姦魔も悪代官も盗賊野党でも、誰も彼もが己の罪を禊ぎ切ったかのように。


そんな彼の物語である。



そして、彼の可憐さを、美麗さを、華麗さを、美しさと格好良さを、今宵、神裂火織とオルソラ=アクィナスは垣間見るのであった。



「もう埒が明かないので、いっそ二人で勝負をしてみてはどうでございましょうか?」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

以上で御座いますよ。

オリアナの台詞が難しいのでございます。おばあちゃんみたいな喋りのテンポってどんなんやねんってツッコみたくなるのでございます。つーかローラと同じくイタリア語と英語はフツーで日本語だけが変なのでしょうか。
ともかく難しすぎて辛いです。
あ、阪神の新井さんはもう辛いさんじゃなくなりましたね。よかったよかった。大正義巨人を打ち破って欲しいですね、他の五球団で。

さて、日本刀の斬り方については、YouTubeのとある動画を参考にしましたのでございますのよ。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=sEnL6e85VFo


さて、今日はここら辺で。
最近忙しすぎMAXなので、いつ投稿できるかはわかりませんなのでございますが、コツコツと投降していきたいと思いますのよ。


………てか、

第壱弾→製作期間三カ月
第弐弾→製作期間六カ月
第参段→製作期間一年


…………もしかして、このままいけば二年経ってしまうかもしれませんのでございますよー……。

こんにちわ。大変長らくお待たせいたしました。投降します。

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フレンダ=セイヴェルンは一応だが、現役高校生である。学校は分からないが、今日日の普通の女子高校生である。因みに学校にも通っている。


「つっかれたー。結局日本の学校ってあれよね、退屈。退屈。超退屈って訳なのよ………って、絹旗の口癖移っちゃった」

「ふれんだ、おつかれ」

「折角のオフが結局潰れた訳……」

「今日の晩ご飯はどうする? きぬはたの家で食べる?」

「いや、フレメアの事もあるし、自分ちで食べるわ。あの子結局、家で待ってる訳だろうし」


フレンダは学生鞄を持ちながら、くるりと滝壺理后に振り向いた。うんしょっと買い物袋を握り直しながら、滝壺はフレンダの後ろを歩く。

夕暮れの帰り道。フレンダは自分が通う学校から家に帰る所に、買い物袋を四つ持つ滝壺とバッタリであったのだ。

真っ赤な太陽が二人を照らし、彼女らも真っ赤に染まっていた。長い影が彼女の左側に伸びる。


「フレメア、きちんと勉強しているかなー。結局宿題せずにTV見てる訳なんだろうけど。アニメとか」

「どうかな。最近の子供は分からないよ。勉強する子供も多くて、そう言った番組、少なくなっているってニュースで言ってた」

「それは塾に詰め込むからでしょ」


滝壷はうんしょっと買い物袋を握り直す。その時、九月だと言うのに、まだ夏のように熱い夕日。半袖のカッターシャツは少し汗で湿っていて、背中の黒いブラが薄ら透けているのに気付いた。

今思えばフレンダは、6月にはもう暑い暑いと茹だり、ブラが透けるのを嫌がって、


『日本の夏は何でこージメジメしてて暑いのよぉぉぉおお!!』


半ベソ掻いていたのだった。だが地獄の7月8月を乗り切るともう慣れたのか、残暑になる頃には、


『あー結局涼しくなってきた訳ねー』


と、温度計が27度を指しているのに呟いていた。6月のあの日と殆ど変らぬ気温だと言うのに、この変わり様は、彼女のこの順応力の高さゆえだろう。


「そーゆーのは意識が高いデキるお子様だけなのよ。普通は塾通いなんて殆どやらないし、なる気も無いわ。結局、家にいる子供は遊んでばっかってな訳なのよー」


滝壷はもう一度、うんしょっと買い物袋を握り直しながら、滝壺は『そういうものなの?』と訊いた。フレンダ『そうなの』と答える。


「最近、また新しい魔法少女系アニメ始まったじゃん? あのシリーズ好きなのよね」

「ふれんだが?」

「フレメアがよ。私、あんな幼稚な番組見ているキャラじゃないのは分かっているよね?」

「むしろ、真面目な番組見ている方がキャラ崩れしている気がする」

「それはそれ。私はいずれ学園都市の暗部からオサラバして、勉強して、頑張って偉くなって、学園都市統括理事会に入るのが夢なんだから、今のうちにそーゆーこと知っておかなくちゃダメっしょ」

「…………それ、死亡フラグ……」


滝壷はボソッとツッコんだ後、もう一度うんしょっと買い物袋を握り直す。


「――――――って、その袋重いの?」


フレンダは先程からの滝壺の仕草が気になって手を差し伸べた。


「持とうか?」

「ありがとうふれんだ。でもいいよ、遠慮する」

「良いって訳よ。こういう時こそ、戦闘員に任せなさいよ」

「………重いよ?」

「ダイジョーブイっと!」

「ふれんだ、そのネタ古いよ………って、あ」

「ほらほら、半分持つから!」


『重いから』と断るフレンダは強引に滝壷の買い物袋を二つ奪った。


「ほら軽い軽い―――――――――」


その瞬間である。


「―――――――――――――ひ?」


フレンダの表情が固まり、顔色が真っ赤になり、上半身が急降下していったのは。


「ちょ、ちょちょちょちょちょ――――! お、お、重っ!!」

「大丈夫?」

「け、け、けけ、結局………だ、だ、だだ、大丈夫な訳………」


その時、彼女は先程の会話を思い出した。



『良いって訳よ。こういう時こそ、戦闘員に任せなさいよ』

『ダイジョーブイっと!』

『ほらほら、半分持つから!』

『ほら軽い軽―――――



「な、ぃ、ひ、ふ、ふ、ふ、ふほ、フォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」


「ふぉっ!?」


誤魔化した。『大丈夫な訳が無い!』と買い物袋(新鮮生き生き卵10個パック140円×2入り)を地面に自由落下に任せて降ろそうとしたのを、直前になって誤魔化した。

あれだけ調子こいた言葉を吐いて、下がるわけにはいかない。

だがこれだけは知っておきたい。参考までに知っておきたかった。


「た、たぎちゅヴぉ………結、局……この中にいっだぎ……ん゛ぬわぁにがはいっでる訳……」

「…………」


絵本に出てくる赤鬼の顔の様な表情のフレンダに目を丸くする滝壺は正直に今日買った食材を報告した。否、唱えた。


「ニンジン(学園都市産)×4本、タマネギ五つ入り一袋(学園都市産)×2個、キュウリ(学園都市産)×7本、西洋カボチャ(大)(学園都市産)×1個、大根(学園都市産)×3本、シイタケ(学園都市産)×10個、マイタケ(学園都市産)×3パック、もやし(学園都市産)×5袋、長ネギ(学園都市産)×4本、ゴボウ(学園都市産)×2本、ジャガイモ十個入り(学園都市産)×3袋、サツマイモ(大)(学園都市産)×2個、とろろ芋(学園都市産)×2個、すき焼き用牛肉(和牛・国産)×4パック、豚バラ肉(学園都市産)×5パック、トンカツ用豚肉(学園都市産)×3パック、鶏むね(学園都市産)×2パック、手羽先用肉(学園都市産)×2パック、カツオ(学園都市産)×1尾、エビ(ブラックタイガー・学園都市産)×1パック、鮮生き生き卵10個×2パック、カレールー6人前×4箱、かつ丼の素2人前×4パック、カップラーメン×10個、チャーハンの素4人前×4袋(カニ・焼き豚を二種類ずつ)、お茶葉(煎茶)×1缶、ティーバック(紅茶)×1袋、牛乳×4パック、野菜ジュース(ペットボトル)×4個、塩(1㎏)×1袋、胡椒(詰め替え用)×1個、砂糖(1㎏)×1袋、日本酒(調味料)×1個、日本酒『手取川・名流』×一升、淡麗生6缶×1セット、ダンベル(3㎏)×2個、豆腐×6丁」

「……………おい、一つ食い物じゃないの無かった?」

「気のせい」


すぱんと切り返す滝壺。フレンダは地面に付きそうな片膝と買い物袋を必死に踏ん張る。

「……買いすぎぃ……そして重すぎぃ……つーかお酒入ってるぅ………なにその呪文んんん?………何か復活するのぉぉぉっ………!?」

「復活はしないけど。最近、しちかさんときぬはた、よく食べるの。特にきぬはた毎日ボロボロだから」

「いいわよねーあの歳の娘は。いくら食べても食べても全く太らないし、丈とか胸とかに栄養が行くし。結局、羨ましいって訳よ」

「まぁ、身長とかバストとかよりも筋肉とかに行くと思う。今日も高タンパク質なものをいっぱい買ってきたから。絹旗には強くなって貰うために栄養を取って貰わないと」

「へぇ……滝壷ぉ……いい、奥さんに………なると………思うよぉ…………」

「うん、ありがとう、ふれんだ。―――――――――それよりも、無理してない? だんだん声が小さくなってきているけど?」

「ぁああ……ぐぅ……ぐぅぅぅうう……が、頑張るぅ゛ー―――――」


生まれたての小鹿の如く足を震わせ、歯が砕け散らんばかりに食い縛り、どうにかして一歩を踏み出そうとする。―――――――が、


「うん……ちょっと……無理ぃ……」


足を上げる前にギブアップした。

苦笑顔で滝壺はフレンダの両手から買い物袋を掴み、


「やっぱり……無理はしちゃだめだよ、ふれんだ。ふれんだは私たちの大事な仲間なんだから。腰でも痛められたら、物凄く困る」

「…………なんで、それもって平気なのあんたは……」


フレンダは腰をトントンと叩く。

夕暮れ時。小学生の男の子四人組みが笑いながら通り過ぎていった。


「………元気だねえ小学生は」

「うん。ずっと、楽しそう」

「私たちも、あんな時期があったよね。朝から夕方まで遊ぶ事しか考えてなかった」

「私は……うん、本ばっかり読んでいた気もするけど、そうだったと思う。………あの頃の私、今の私を見たらどう思うかな」


フレンダは自虐的に笑う。


「どーでもいいんじゃない、そんな事。マンガじゃあるまいし、過去に行くこともなければ、過去から私たちが来るわけでもない。結局、解らない訳じゃん? そーゆーSF的な空想は。それでもやってくるんだとしたら、結局、否定すると思う。子供の私はきっと『あんたは私じゃない!』って、人差し指をさして怒ると思う」

「夢が無いね、ふれんだは」

「この世に夢なんてないわよ。結局あるのは目の前に流れる現実だけって訳よ。ま、過去の自分に誇れるような人生歩めるんなら上々じゃない! それが空想か夢かは置いといてさ」


フレンダは学生鞄を握る手を振り回し、勢いよく足を前に進める。また、二人は歩き出した。


「あーお腹……減ったぁ……」

「………どうする? 食べにくる?」

「うん。そうする!」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「丁度良かった。すぐ晩メシ出来るじゃん」


今思うのだが、だしの素とは本当に良くできたものだ。

いちいち鰹節やシイタケや煮干しから出汁を取らずとも、これを鍋の中に入れるだけで美味しい日本料理が簡単にできるのだから。


「お帰り、桔梗。退院おめでとう。そしてようこそ我が家へ~」


黄泉川愛穂は右手を胸に当て、右足を左足とクロスさせて、深々と頭を下げた。

その動作と同時進行で、一口サイズに切り分けたタマネギ、ニンジン、ジャガイモ、牛肉と水がいっぱい入った〝炊飯器”に、銀色のアルミの袋に入った小さな粒状の粉を続けて叩き込む。


「…………って、なんで炊飯器なのよ」


ダイニングの入り口で芳川桔梗が開口一番、高校教師である緑色のジャージ姿の昔馴染みの奇行にドン引きして引き攣った顔でツッコんだ。

芳川桔梗…元研究者であり、とある秘密実験に関わっていた人物であり、その実験が廃止になったと同時に失業して、黄泉川の家に転がり込んできたのである。

つい最近、とある事件で大怪我をして入院していたのだが、つい今日退院してきたのだ。

黄泉川は大きすぎる胸を張って、大きな旅行鞄をどっこいしょと下しながらソファーに座る芳川に、にっしっしと上機嫌そうに笑いながらツッコミに応えた。


「この世のすべての料理はなんでも炊飯器で出来るじゃんよ♪」

「そんな訳ないじゃないの」


因みに今夜のおかずは肉じゃが。まぁ、炊飯器でカレーが出来る今日この頃、出来なくもなさそうだが……。それでも肉じゃがは鍋で順を追って作るものだ。断じて炊飯器は材料を放り込めば勝手に出来上がっている、[たぬき]の秘密道具的機器ではない。


「今時、炊飯器でパンも焼けるじゃんよ。ならカレーだろうがシチューだろうが肉じゃがだろうがビーフストロガノフだろうが、出来ない道理はないじゃんよ」

「その理屈、とても高校教師とは思えないわね。体育教師ならわからない事は無いけど」

「教育には時として教科書とは全く違った視点で教える必要があるじゃんよ」

「それはそれ、これはこれ。あなたのやっている事は、どう見ても奇行そのものだわ。それでよく教師名乗ってられるわね」

「褒め言葉として受け取っておくじゃん」


この女は、昔からこうだ。

何事にも柔軟にして実直。何時どんな時でも頑固にして応変。特にこの街の子供に対しては優しい。

――――甘いだけの自分と比べれば、なんと眩しい事か。

だが自分も負けてはいられない。この芳川桔梗、今は黄泉川と共に再就職の道をひたすらに歩いている最中なのだ。

目指せ教師の道。例え辛く険しい道だろうとも、ゴールした地にいるのは輝かしい生徒たちとの華やかな青春ストーリー!


(なーんてこと、あるわけないんだけどね……。この歳で青春とか……はは)


芳川はふと流れた頭の中の妄想を一瞬で消し去った。ぐてーっとソファーの背もたれに後頭部を預ける。


「まったく、退院して浮かれているわね、私」

「いいじゃんよ。味がうっすい病院食に飽き飽きしてたじゃん? だからこの黄泉川せんせーが晩飯を御馳走してあげるじゃんよ!」

「やっと退院したって言うのに……また入院しそうね」

「おいこら、物凄く失礼な事を言うじゃんよ。ほら、ケーキあるから楽しみにしてろ!」

「それは褒めてあげましょう」


芳川はソファーの前にあるテーブルに置いてあったTVのリモコンを取り、電源と書かれた赤いボタンを押す。と、超高画質の高級TVは、


『は~い! はじめまして。私の名前は井出楠かなみ、私立英国小学校四年生、花の10代突入したてのピチピチ美少女! とても母親に見えないロリーな小m……――――――続きまして、学園都市で開催される大覇星祭の話題です………』


アニメを数秒映した後、芳川に速攻でニュースにチャンネルを変えされた。


「今時夕方にアニメとは……まだ残ってたのね。塾通いの生徒が多くて年々減少しているって話だったけど」

「放課後になった途端にやんちゃしていた私らがじゃりン子チエ見てた頃とは違うじゃーん」

「ナディア見てた頃が懐かしいわ……」

「あれ? なにそれ?」

「……………」


まぁ、お互いの趣味の違いは置いておいて……。なお、黄泉川が見ていたじゃりン子チエは奮闘記の方である。決して黄泉川はオバサンではない。

芳川はTVで大覇星祭の話題を振るキャスターを見て、


「そう言えば、最近どうなの? 大覇星祭の準備の方は」

「順調じゃんよ。何とか今年も無事にスタートが切れそうじゃん」

「ならいいわ。私、毎年見ているけど、あなたがいつヘマをしでかしそうで冷や冷やするもの」

「それは酷いじゃん。ハハハハハ」


その時からだろう。芳川が黄泉川の異変に気付いたのは。何かが抜けている……いや、出来ている。このゴミクズホコリ一つないリビングで、研究者は一言こう言った。


「………なんか、気持ち悪いわね」

「あーひっどいじゃん」

「………なんか今日のあなた、なんでかとっても上機嫌―――」

「そりゃあ、大事な大事な親友が無事に退院してきたんだ。嬉しくなるのは当然じゃんよ」

「―――を、装っているわよね」

「―――…………」

「今、黙ったでしょ。何か隠してる事あるんじゃない?」

「な、なんのことじゃん」

「はぁ……」


芳川は溜息をつきながら、


「あなたの部屋、ここまで片付いているのは奇妙なのよ。さっきから思ってたけど」

「……………」


黄泉川は黙る。それを肯定と取って芳川は一番可能性のある原因を当てた。


「また、始末書書かされたんでしょ」


黄泉川は何も言わなかった。それが正解だと表しているのだろうか。

彼女は台所から芳川の元にやってきて、ソファーにどっかりと座った。―――あるファイルブックを持って。


「ある、一人の男を追っているじゃん」

「…………と、言うと?」

「簡単に言うと、学園都市に潜り込んできた侵入者………かもしれない男」

「なんか、曖昧ね」

「しょうがないじゃん。あいつは学園都市のゲストID持ってなかったから不法侵入と決めつけるのが妥当だが、証拠が無いじゃん。留置所に送ったら逃げ出して、風紀委員と警備員相手にドンパチやらかして逃げて、どこぞの電撃使いにボコボコにされていたのを発見して留置所に入れたと思ったら、いつの間にか脱獄していたじゃん」

「……なんで、電撃使いだってわかったの?」

「コンテナの破壊具合と微量に残った静電気。あとは大量の砂鉄が周囲にばら撒かれていた事と、数t近くあるある筈のコンテナが巨人に薙ぎ払われたかのように滅茶苦茶になっていた事を、推測したけっかじゃん」

「――――あの子しかいないわね」

「――――ああ、あの子しかいないじゃん」

黄泉川がハハハッと笑う。


「出力から言えば、超能力者(レベル5)は間違いないし、砂鉄を使ったり電気を使ったりするのはあの中でも御坂美琴しかいないじゃん。―――でも、アリバイはちゃんと取れてるじゃんよ。御坂美琴はあの日、第四学区の喫茶店にいた。それは監視カメラでちゃーんと映像は取れているじゃん。ほら、その写真」


黄泉川はファイルブックの中から一枚の写真を芳川に渡した。

その一枚とは、やや高めのアングルから、上品そうに紅茶を飲む御坂美琴の姿が映し出されていた。


「どっからどー見ても御坂じゃん。――――でも、他の写真を見てみると……」


黄泉川はファイルから次々と写真を取り出しては芳川に渡す。

ある写真には、変態顔でにやにやと笑う御坂美琴の姿が……。


「これが、“あの”御坂美琴に見えるか? と訊かれたらどう応えるよ芳川先生」

「私、あの子のクローン作ってたからわかるけど、明らかに妹達ね。こんな表情出来るのは20000号くらい。そう言えば、“御坂美琴のクローン”が私と同じ病院に少しだけ入院してたけど……あれは本当に偽物だったのかしら」

「いや、そのあとも御坂美琴は常盤台中学に登校して授業を受けているじゃん。もっとも、“オリジナルかクローンかは、わからないからどうも言えないが”」

「だったら決まりじゃない。その侵入者は、いつもどうり御坂美琴の活躍によって見事捕まえる事が出来ましたとさ、で超電磁砲(レールガン)伝説の一ページになっただけよ」

「警備員でそんなこと言えるかっ。この御坂美琴のクローンだなんて、誰が信じるじゃん? 都市伝説好きな佐天涙子じゃあるまいし、大人がそんな話信じるかっつーの。大体、あれはお前ら闇の連中のトップシークレットじゃん!」


黄泉川は新たに書類をテーブルに叩きつけた。その書類に書かれている文字は―――


「私だって、この実験の存在を知るまで、全く疑わなかった。道理でお嬢様学校にいる筈の御坂美琴が裏路地でサバゲーしている通報が来ると思ったじゃん」


―――絶対能力進化(レベル6シフト) 計画


「ま、終わった話はどうでもいい。―――問題はあの男だ。名は、鑢七花」

「………変わった名前ね。学園都市じゃあ珍しくないけど」

「最近、そんな人間が学園都市で数多く目撃されているじゃん。忍者集団とか、巫女装束の女とか。この前なんて、黒い忍者が無許可で大道芸していたじゃん」

「へぇ…」

「で、先日。第十学区のある研究所で無能力者の女の子たちを連続誘拐をしてやがった馬鹿共の組織を解体する事になった、その為に折角重装備で出動してやって来たってのに、敵はほぼ全滅。リーダーは何者かによって暗殺。主犯格は1名だけ逮捕。残りは全員死亡か行方不明。組織に入っていた馬鹿共も、生き残ったのは150人中ほんの十数名残してみんな死亡。生き残っても五体満足な奴は10人ちょっとだけ。あとは腕なり脚なり持ってかれていたじゃん。―――問題の残りの殺された100数名は……写真見るか? 口で語りたくはないじゃん」

「結構よ。昔馴染みに死体写真見せる気? まぁ、そんな血生臭いの慣れてるけど」


芳川は手を刺し伸ばすと、黄泉川は死体写真の何十枚かを手渡した。

最初の九枚は野外での写真。


「まずは攫い屋集団の根城の外に転がってた仏さんが九人。迅速かつ全て一撃でやられていた」

「手際が良いわね。その鑢何とかって人が?」

「いいや、鑢七花がやったモンじゃない。奴は手刀足刀とか、そう言う己の体で戦う男じゃん。空手家とか、そういう類の人種だ。武器は一切持たない。でもこの仏らは武器を使われて殺されていた。ナイフとか拳銃とかで。それらは仏の所有してたもんだ。それを奪って殺したんだろう。全く、警備員顔負けの格闘術だ」


芳川は十枚目の写真を見て、眉をひそめる。

「うわ…これは酷いわね」

「ああ。外の九人は楽に即死させられたが、その他は地獄じゃん。死体は皆、酷く損傷。一度致命傷を与えた後、出来るだけ苦しむように惨い死に方をしていたじゃん。恨みとかでメッタ刺しにするケースはよくあるけど、こっちは苦しむ人間を愉しむ方じゃん。―――っと、飯前に悪かった」

「まったくよ」


芳川は写真をテーブルに置く。写真には、到底言葉に出来ない光景が映りだされていた。


「結論で言えば、殺ったのは手練れの暗殺者って所。しかも、かなりの人格破綻者の変態野郎だ」

「被害者の死体を弄ぶなんて、相当殺し慣れている筈よ。あの子みたいにね」


芳川が言う『あの子』とは、言うまでも無く、学園都市最強の第一位、一方通行その人である。


「この事件、無理言って参加させてもらったんだけど、出てよかった。―――ウチの生徒と私の知り合いが攫われてな。そいつは無事でよかったよけど―――鑢七花の証言が取れたのがラッキーだ。生存者の証言だ。鑢七花と特徴がそっくりの男にやられたってのがな。格好が目立つからすぐに分かったじゃん。その事件、奴が一枚噛んでいる可能性は大だと私は踏んだ。そこから奴を徹底的に調べた。第七学区の所々に行って聞いて回ったじゃん」

「ふーん……で、あなたは一体何がしたかった訳?」

「私は、鑢七花の目的と、彼を取り巻く状況が知りたい」

芳川は溜息をつく。


「なんで?」

「鑢七花がやって来てから、異様じゃん、この街は」

「今までだって少なからず侵入者が入ってきたって報告があったじゃない。それでも学園都市は通常通り動いていたわよ。たった一人の侵入者の為に、どうしてそこまでするのよ」

「それとこれとは話が違う臭いがする。―――知っているか。最近、また新しい噂が学園都市に流れ出したのを」

「………病院で少し聞いていたわ。確か、無能力者でも超能力者を倒す事が出来る、十二本の刀の噂。でも噂は噂でしょ?」

「ところがどっこい。さっきの無能力者狩りの事件、生存者が言うには武装無能力者集団との抗争だったらしい。けど両陣営、その『噂の刀』を持ってたらしいじゃん。私は、その刀を争う抗争だと思う。実際、九月十四日の樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の残骸争奪戦事件の中心人物だった結標淡希も、その刀を持っていたらしいじゃん」

「らしい、らしい、って、推測しかないの?」

「残念ながら」


黄泉川はテーブルに出した書類やら写真やらを回収し、


「私はね、あいつを見つけて逃がした後、何回か見つけて捕まえようとしたんだ。けど、バケモノだよ。超能力者でもないのに、超能力者よりも破壊能力があるなんて。―――奴は行方不明だ。そしてまだこの街にいる。極悪人じゃあないって事は分かっているけど、奴はいったいどんな人間なのか本当の意味でわからない以上、放っておいたら危険じゃん。何せ、学園都市に全く気付かれずに進入してきたじゃん。もしかすると、産業スパイの可能性もある」


トントン、と書類を揃ててファイルに入れた。


「そして何より、私が鑢七花の事について徹底的に捜査し始めた時、上司の美濃谷先生に呼び出されて『上からの命令だから、そのヤマから手を引け』って言われたじゃん。あんな部外者の侵入を許したんだぞ? ありえねえじゃん普通。抗議したらしたらで、聞いてくれなかったし……」

「それで八つ当たりで部屋を掃除したと……呆れた……」

「でも、私は諦めないじゃん。奴の事が気になって夜も眠れない」


芳川は神妙な顔をする昔馴染みに向かって、同じ神妙な顔になって忠告した。


「放っておきなさい」


この街の裏をよく知る芳川桔梗は、この街で気の置けないたった一人の親友を失いたくない為に、強く忠告する。


「監視カメラと警備ロボが張り巡らされた学園都市で、その『格好が目立つ人間』がもし行方不明なら、それは十中八九“闇”よ。これは愛穂が手出しするべきじゃない」

「それは出来ないじゃん。奴が来てから学園都市は微妙だが変わったのは、さっき言っただろう?」

「ええ」

「最近、妙な事件が多発してきている。有能力者と無能力者の対立からの暴力事件。刀の噂を利用した悪徳商法。刀を持てば能力開発する必要が無いって言って教師に反抗する子供が出て来た」

「幻想御手(レベルアッパー)再び……って感じね」

「質の悪い事に、集団心理の行動だから首謀者はいないし被害者は『自業自得』で済まされちまう。いつかは取り返しのつかない事になるかもしれない……」

黄泉川は悔しそうに項垂れる。

芳川は、そんな正義感ある親友の助けになりたい気持ちがあったが、それでも彼女の幸せを優先した。


「ともかく、愛穂は引っ込んでいなさい。どっちにしろ愛穂一人じゃあ何も出来ないわよ。安心しなさい。もしあなたの言う『取り返しのつかない事』が起こったら、どこかの誰かさんが正義のヒーローみたいに問題を解決してくれるわよ」

「……それが私たちの役目なんだがなぁ」


と、その時、炊飯器のタイマーが鳴った。肉じゃがが出来上がったのだ。


「この話はまたあとじゃん。今は飯だ飯! さーって、どんな出来になってるじゃんよー」


黄泉川はファイルを持ちながら勢いよく席を立って台所に行く。すると、勢いが良すぎたのかファイルの中から一枚の写真が零れてきた。

ひらりひらりと空中を漂い、芳川の目前に着地した。自然とそれを手に取る芳川は写真に写った男を見ると、


「ん、うーん……?」


首を傾げる。

その写真には一人の男は長身にして全身傷だらけの、女物の和服を着ている大男。監視カメラがとらえた映像を写真化したものだ。

この風貌を、芳川は見覚えがあった。


(あれ? どこかで見た様な気が……)

「おーい、桔梗! 皿持っていくの手伝ってくれー」

「あ、もう! 病み上がりの人間を扱き使うなんてひどくないかしら」

「働かざるもの喰うべからずって、よく言うじゃん」

「まったく…はいはい、今行きますよっと」


芳川は立ち上がろうとした、その時だった。

聡明な研究者の脳髄が、その写真の男とどこで見て、どこで会い、どこで会話したのかを、思い出させた。

その写真には、黒い油性ペンで『鑢七花』と名前が書かれていた。


「あ……愛穂、私、鑢七花どこにいるか知っているわよ……」

「え!?」


その晩、黄泉川が誤って大皿一枚を床に落として割ってしまったのだそうだ。

尚、この家にある大皿はそれ一枚しかなく、かつてあった皿は全て黄泉川の手によって割られてしまったのだが、たった今、今晩のメインディッシュである肉じゃがを入れる器が無くなってしまったのだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ガシャンッ!

と、ロンドンのあるレストランで皿が割れる音がした。店員が急いでやって来て陶器の破片を回収する。


「お怪我はありませんでしたか?」


イギリス人の少女のウェイトレスが謝りながら、イタリア人と日本人二人のグループにそう訊く。


「いいえ、大丈夫ですよ」


黒髪の日本人美女がそう答える。イタリア人のシスターはニコニコと上機嫌で、白髪の日本人の男は珍しそうな顔でじっとこちらを見ていた。

何者なのかよくわからなかくて気になったが、ウェイトレスはそのまま割れた皿の破片を回収し、すぐに立ち去った。

仕事中だったからと言う理由もそうだが、なにより彼らの世界には顔を突っ込むべきじゃないと本能で察したのである。だが好奇心の強さと余りの客の少なさ故にか、レストランの片隅で耳を澄まして、彼らの会話を聴くことにした。


「で、錆さんはどうしてロンドンに?」

「それが、拙者にもわからないのでござる。気付いたら異国の地に」

「まぁ!」

「しかし、南蛮は進んでいると聞いていたが、ここまで進んでいるとは思わなかったでござる。流石は火縄銃を作った国。鉄の牛車もあるとは、感服でござる」

「錆白兵。火縄銃を日本に伝えたのはポルトガルで、製作したのはドイツです。イギリスではありませんよ」

「……? ぽるとがる…どいつ…いぎりす……? すまない、神裂殿。拙者、この土地の塵には疎くて、固有の地名を出されると分からないでござる」

「それは後々、教えましょう。良いでしょう? 神裂さん」

「まぁ、困った人を助けるのも、教会の人間としての役目ですから」

「忝い」


なんだか、日本語でしゃべっているようだ。日頃、ジャパンのアニメーション(字幕)を見ているのが幸いし、ほんの少しだが分かった。

どうやら、二人の女性(片方は黒髪でTシャツ・ジーパンを改造した美人な日本人。もう片方は綺麗なシスターさん)の向かい側に座っている、目の前の女の人達と同じくらいに綺麗な白髪の男の人は、女の人達に何か聞かれているようだ。


「で、あなたは必要悪の教会から出て行って、何をしていたのです? 二日間、何も飲まず食わずでロンドンを彷徨っていた訳ではないでしょう」



黒髪の美女……カミサキと呼ばれた大和撫子は、サビハクヘイと呼んだ美男にそう問い質した。


「ああ、それはなぜか、この街の方々からよく物を貰うのでござる」


と、男は日本の山の清らかな川の流水の様に言った。


「特に女性の方々から……乞食と間違われたのか、蒸餅(じょうべい=パン)や水や茶を良く貰い、それで食を繋いでいたのでござる。あの方々に、あとで例を言わなくては。――――ん」


どうやら彼はこの国に来て、迷い込んでしまったようだ。一文無しで彷徨っていたところ、道行く人々から食料を分けて貰ったらしい。


(――――あ、そう言えば昨日、お母さんが物凄くカッコイイ日本人を見かけて、思わずイギリスパンを分けのよ、とハイテンションで頬を赤く染めながら言っていたっけ)


ウェイトレスはその気味が悪い母の言動を思い出す。少し離れた所のソファーで父が咳払いをしているのにも関わらずだ。

男の姿を改めて観察する。

男の姿はこの国では考えられない程奇妙だった。

白い髪は長く、雪の様に柔らかそう。服装はよくアニメで見るサムライのそれ。もうコスプレと言ってしまった方がしっくりくる。あの髪はカツラで、服装は彼が夜中まで起きてコツコツとミシンで作っている力作なのかもしれない。

だけど、自分で立てたものなのに、その予想はすぐに自分の中で否定してしまう。

何もかもがしっくりしすぎているからだ。

東洋人なのに透き通る様に美しい白髪も、女の様な美貌も、芯の通った姿勢も、柏手の音みたいに良く響きながら威厳のある声色も。

全てが完璧に当てはまっていた。彼を構築する為にあるパーツは、彼を構築する為だけに作られたかのように。

彼女はその逆行だ。

自分と言う存在を構築する為に、誰もがする髪型にして、誰もがするメイクをして、誰もが着る服を着て、誰もがする姿勢で、誰もがするしゃべり方をする。

いわゆる、大衆社会と呼ばれる、汎用性に固められた生き方だ。

彼は違った。

全てが自分しかしない。自分だけしかやらない。そんな『オンリーワン』の塊だった。それはとても輝いていて、とても眩しかった。


「うわぁ……――――はっ」


ウェイトレスは思わず見惚れていた事に気付くと、ブンブンと首を振るう。


(イカンイカン。確かに、お母さんが言ってた通りかっこいいけど……―――)


と、その時、人生で一番の衝撃が、今年16の少女に襲い掛かる事になる。


「―――――ん?」

「―――――あ、」


ウェイトレスはサムライの目があってしまった。


「…………?」

「………………」


じっと、サムライはウェイトレスの顔を見つめていた。彼にとって、それは何の意味のない事であったが、少女からするととんでもなく違っていた。


「…………――――っ!」


見つめる時間が長ければ長いだけ、比例して彼女は赤面してゆく。


「ふぁ、ふぁぁっ、ふぁぁああっ!!」


ウェイトレスは赤い顔を必死に両手で隠して困惑する。

――――なんで? なんで赤くなっちゃうの私っ!? いや、いやいやいやいや、カッコいいけど、カッコいいけど! 全然私のタイプじゃないのに!? これってあれ? ほ、ほほほ、ほほほほほほほ、惚れた!? なんでぇ!?

チラッと、ウェイトレスは指と指の間から男を覗き込む。


「………………?」

サビハクヘイは訳が分からない様な顔でこっちを見ているが、いかんせん、やっぱりカッコイイ過ぎて言葉が出てこない。

(ああ、なんてことなの!? 私、何であんな訳の分からないコスプレ男になんかにときめいちゃってるの!?)

混乱しすぎて回らない頭をどうにかして制御しようとするにも、やっぱり心臓の高鳴りも顔の火照りも鳴りやまぬ。

(ぎゃああああ!! なんてことだぁ!! 思い出せぇ!! アニメに登場したイケメン登場人物たちをぉ!! セヴァスチャン! 臨也! 雲雀! うわぁあああああ!! だめだぁあああ!! もうときめけないぃぃぃぃいい!!)

その時、頭上より天の助けが舞い降りた。

「あれ? どうしたの、腹痛?」

このレストランのマスターだった。マスターの言葉を口実に、ウェイトレスはアニメに登場する忍者の如く飛び出し、マスターの横を突き抜けて、

「ごめんなさい、少し休憩を貰います!」

と叫んで去って行った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「そう言えば、錆は豪くもてたな」


奇策士とがめは思い出したかのように呟いた。


「さびはくへい? 確か、しちかさんと戦った、日本最強の剣士の?」

「そうですよ。昼、超話題になったんです」


滝壷理后は刺身包丁で表面だけ焼いたカツオを捌きながら訊くと、フライパンを振るう絹旗最愛がえた。


「で、どのくらい超モテたんですか?」


絹旗はとがめに質問する。とがめは『そうだなぁ』と当時を思い出しながら、


「それはもう、行く村々の女子共全員から言い寄られるほどモテたよ。時には一国一城の姫から求婚される日もあった。無論、姫には婚約者がいた事もあって錆は断ったが、奴が死ぬまで便りは来ていたそうだ」

「そうだったんですか。で、錆白兵は結局、どんな人を選んだんです?」

「いや、奴は誰一人とて選ばんかったよ。故に奴は死ぬまで女を抱いた事は無かったし、女に惚れる事も無かった。奴が惚れているのはあくまで剣であり、剣技であったからな」


それほどまで、錆白兵は一途な男だったかがわかるだろう。剣だけに生き、剣だけの為に死んだ男だった。


「錆白兵は、剣にしか興味が無かったよ。だが美しい花に蝶が寄って集るが如く、道々であう女と言う女は奴に寄っては求愛してきた。錆にとっては正直鬱陶しかったのだろうな。ある日、『いっそ野獣の如き容姿なら良かった』と漏らしていたよ」


その言葉、今のモテない系男子に聞かせたらどんな反応をするのだろうか。

だが、彼は女と言う生き物にはほとんど興味が無く、生涯剣一筋だったと、とがめは言った。


「しかしなんでかなぁ、そう言う人間に限ってもてる。嫌だと言うほど女に好かれる。遊女から小指を送られた時もあった」

「………それって、ものっすごく超重いやつじゃ……?」

「でも、江戸時代の遊女って、お客さんを集める為に、処刑された罪人の小指を買って、それを自分のだと思わせて送ったって話があるから、ファッション程度にしか思わなかったんじゃない?」


と、滝壺は博識を披露すると、絹旗はああ、と納得した。


「ああ、なるほど、確かに超モテる男を侍らせていたら周囲の自慢になりますよね」

「甘い。甘いぞ二人よ」


とがめはチッチッチッと指を振る。


「その遊女、遊郭一の女でな、庶民は勿論、旗本でも高値過ぎて手が出せぬと言う、いわゆる高嶺の花として周囲から崇められていたのだが……。一人の浪人に惚れられてな。遊郭で暴れ回り、とうとうその遊女の所までやって来て、『儂と一緒に死んでくれ』と刀を向けられたのを、錆に助けられたのが始まりだったな。―――ははっ」

「なにがおかしいんです?」

「いや、対して面白くない話だが、その時の浪人の顔が余りにも可笑しなものでな。本当の意味で精神的に追い詰められる人間の顔とは、あんなものだと思い知らされたよ」


数日後に自分がそう言う顔をするとは、夢にも思わないとがめであった。

滝壷は捌いたカツオを小皿に乗せ、刻んだ葱を盛りつけてる。それを日本酒と共に、居間で座ってるとがめに出した。


「下手な落語の笑い話よりも面白い話だ」

「それ、少し興味があるかも。―――はい、カツオのたたき」

「ああ、ありがとう。――――そうだな」


とがめは当時の事を詳しく話す。

「その浪人はまだ仕官していた頃からその遊女にぞっこんで、家禄の殆どを彼女に使っていた。おかげでお家は貧乏暮らし。
幕府の官僚の家に使える侍の妻だと言うのに内職を強いられる嫁は息子と共に出ていき、親はドラ息子の為に多額の借金を背負う羽目になった。酷い話だろう?
それが仕官先の耳に入ってな。当然問題になってな辞めさせられ、お家は借金の所為で消滅。男は当然、次の仕官先を探すが、そんな男を雇う者などいる筈が無く、結局浪人になり果て、兄は三人いたのだが既に病死していていなかったせいもあり、家族三人、ますます生活が苦しくなった。
これで少しは懲りたかと思ったが、浪人になっても通い詰めたのが奴の阿呆な所だった。既に餓死寸前の父親は腹を斬り、母親は首を吊って死んでしまった。そこで浪人は自分の愚かさに気付いてしまったのだが、すでに時は遅し。借金取りに追われる毎日に精神的に参ったのか、浪人は惚れた女と一緒に心中しようと家宝の刀を持って数日間遊郭で暴れに暴れまくった。その時、錆と戦ったのだよ。ああ、あれは名勝負だった」


とがめは箸を掴み、カツオのたたきを一切れ食べる。


「うん。美味い」

「まあその超名勝負ってのはいいとして、結局はどうなったんですか、とがめんさん」


皿に盛りつけられた豚肉の野菜炒めをテーブルに置き、絹旗は問う。


「まぁまぁ、話は最初から最後まで聞くものだ。ともかく聞け」


とがめはガラスのコップに注がれた日本酒をちびりと飲んで、指を二本立てる。


「勝負は二回。一度目は『道中』での事だ」


『道中』とは、高級遊女が置屋と茶屋、揚屋の間を行き来することで、言わば、その遊女の格を見せ付けるための大変豪勢なパレードである。


「丁度私と錆が見物していた時だった。無数の見物人の中から、浪人がいきなり突撃してきて、刀を振り回しながら襲ってきたのだ。鉄砲玉の如く遊女に迫り、血走った眼で剣先を幼女に向けた。その時、錆は颯爽と間に躍り出、浪人を追い払った。―――その時だろう遊女は錆に惚れたのは。当然、絶世の美男に命の危機を格好良く助けられたのだ。惚れぬ女がどこにいる。私でもあんな状況になったら思わず胸をときめかせたであろう。周りの遊女や使用人や見物人やらが驚愕する中、遊女は錆にいきなり求愛した」

「でも、断ったんだ」

「例の如く、『拙者には剣の道がある故』と言い残してな。あの遊女、共に旅をしていた私を怨めしそうに睨んできたのはよく覚えている。―――その晩、ある宿に泊まっていると、その遊女に用心棒を依頼されてな。明らかに錆を狙う遊女の罠だと思ったが、困った者を見捨てられない錆は矢の如く飛んで行った。案の定そうだったよ。錆と私がが到着するとすると遊女が枕が二つある布団の上で待っていたのだ。私もいる事に気付いた遊女の顔は、まさに鳩に豆鉄砲、大きい目を益々大きくしていたのには笑ったものだ。そこから私と遊女で喧嘩になった。惚れた男を手に入れる為に何でもする女は怖いものだ。惚れ薬まで用意していたのだ。当然、私はその時は良き相棒だった錆を『お主の所為で使い物にならなくなったらどうするのだ!』と言ったら、『じゃああの浪人やって来たらくれてやる!』と言っていると、本当にあの浪人がやって来たのだ」


その時の二人の顔は、まさに寝耳に水を入れられた様な顔だったと、錆は後に言ったそうだ。


「予め、用心棒を錆の他に沢山雇っていたらしくてな。遊女は安心していたそうだ。だが、浪人は在ろう事か正面玄関から打って出て、家宝の刀五本を携え、逃げ惑う遊女や客を脅し、立ちはだかる用心棒たちをバッタバッタと千切っては投げ、千切っては投げ、とうとう私たちがいる部屋までやって来てしまったのだ。相当な手練れを雇ったはずと遊女が溢していたのだが、浪人はそれ以上の剣客だったのだ。しかも家宝の刀はどれも中々の業物でな、浪人の腕の良さも甲斐あって、鬼神にも勝る強さだった。今思えば、御傍人十一人衆にも匹敵する実力だったなぁ」

「最終的に勝負はどうなったんですか?」

「それは言わずとも、錆が勝ったよ。部屋一つだめにしたが、遊女は守られた。結局、腕のいい剣士とて、錆には勝てなかった」

「部屋を一つって、相当超熱いバトルが展開されてたんでしょうね」

「ああ、熱かったぞ。お互い、死力を尽くしあったからな。最終的には錆は好敵手と認め、浪人は日本最強の錆白兵に倒されるのならば一人の武士として本望だと、狂気に満ちていた目が、鱗が取れたかのようにすっきりしていた。それで、浪人は本望通り一人の武士として散った訳だ」

「浪人は死んじゃったんですか?」

「それが、あとで知った事なんだが、浪人は何と生き延びたらしい。傷は浅くはなかったのだが、何故か数日後、奇蹟的に息を吹き返したのだと、文を送られた」

「超手加減したのですか」

「いいや、奴は手加減なぞする人間じゃない。かつて私に『それは命を賭して戦う武人に対する侮辱でござる』と怒っていたからな」

「では、なぜ?」

「それはあれだ。遊女が浪人を助けたのだ。お互いが持つ最高の技術と言う技術を出し合った結果、一撃のもとに斬り伏せられた浪人はまだ息があった。錆は死にぞこなっていた浪人を楽にさせようと止めを刺そうとした時、遊女が割って入ったのだ。何年も自分を慕ってくれた客だからな。目の前で殺されるのは良心に響いたのだろう。何せ、浪人をここまで堕落させてしまったのは自分であるからな。息を吹き返した浪人はそのまま、その遊女の用心棒となったらしい。これで一件落着。――――どうだ? なかなかの人情劇だったろう」

「まぁ、酒の肴にはなりますね」

「しかし奴は不思議な男だ。人に純粋な威厳を持つ人間は、女に好かれれば男に嫌われ、男に憧れられれば女に嫌われるもの。錆白兵という男は、例え悪党でも改心させる聖人であり、男女ともに好かれる英雄だった。剣技でもそうだが、錆白兵が『産まれる時代を間違えた』と言われる所以がそれだ。戦国時代なら農民の出でも一国一城の主になってたとしても不思議ではない。それほどにまで他人への影響力は強かった。――――あの浪人、確か名前は何だったかな……そうだ、得川吉宗だったか。奴め、あの後どうなったのだろうなぁ」

「……………」

「ん、どうした二人とも。まるでその名に心当たりがあるような顔をして」

「いやぁ……時代が時代なら……と思いまして」

「きっと暴れん坊将軍とかで有名になってたんだと思う」


その時、部屋の扉があいた。

鑢七花が入ってきたのだ。七花はさっきまで登場してこなかった理由としては、トイレットペーパーが切れていたので、ちょうど手が合ていたという理由だけで、買いに行かされたからだった。


「ただいまー。いやー危なかった―」

「あ、お帰りなさい七花さん。ちょうど夕食が出来上がりますよ……って、どうしたんですか?」


絹旗はエプロンで濡れた手を拭き、七花からトイレットペーパーが入った買い物袋を受け取ると、七花が汗だくだったことに気付いた。

七花は怖いものを見た表情で、


「その紙を買った後、バッタリ黄泉川と合っちまってよ。逃げ回るのに苦労したんだ」

「黄泉川とは?」

「俺がこの街に来て合った奴で、俺のことを捕まえようとしているんだよ。なんつったっけか? あんちすぺる?」

「警備員(アンチスキル)ですね。全く超ついてないですね、七花さんは」

「あいつ、俺を捕まえて何しようとしてんだ? 鬼の形相で追いかけられた。車?だっけか、それの車輪を二つにした奴……」

「バイクですか?」

「そう、それ。それで第七学区中走り回ってた」

「それは災難だったな七花よ」

「もしかして、学園都市にやって来た産業スパイとして見られているかも。最悪、生徒を誘拐する秘密組織の運び屋とか? しちかさん、最初の頃目立ち過ぎ。学園都市の警察組織を二つ同時相手してたそうだし、きっと有名だよ」

「もう超路地裏でしか移動できないかもですね」

「冗談じゃねぇや」


七花は本当に嫌な顔をしながら、


「ともかくあれだ。走り過ぎて腹減った」

「じゃあ、超ご飯にしますね。今日のは自信作です。きっと超美味しいって言いますよ」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「うん、美味でござる。神裂殿、感謝するでござる」

「いえいえ、私は当然の事をしたまでです」

「神裂さんはいっぱい美味しいお店を知っているんですよ。今度一緒に食べに行きませんか?」

「それはいずれ…。ともかく今は食事に集中させていただきたい」


三人は今、昼食を食べている真っ最中だった。

神裂火織は日本風の定食を、オルソラはサンドイッチを、錆白兵は神裂と一緒の定食を選んだ。

このレストランを選んだのは神裂であり、錆に対する気配りであった。ここは洋食は勿論だが、オーナーが日本通である事で日本食も出す。洋食を食べた事のない錆にとってはありがたい事だった。

肝心の味は中々なものだった。料理文化が比較的後進国であるイギリスにおいて、舌が肥えた日本人である神裂が選んだだけではある。まぁ、それだけに値段が高かったりするのだが。

昼食はさっさと済まし、それぞれ出された紅茶を啜りつつ、神裂は錆にこう切り出した。


「しかし、よくギャングに襲われなかったですね。イギリスの裏路地と言えば銃やナイフを持つギャングがいっぱいですし……」

「それは、帽がついている衣服を着ていて、目だし帽で顔を隠している集団の事でござるか?」

「襲われたんですか!?」

「少し違うでござる。夜、屋根のある場所で寝ようと散策していた時であった」


その時を回想しながら、錆は窓の外を指さす。


「丁度、あそこの通りでであった。近くで悲鳴が聞こえ、大事だと思い駆けつけると、女性が屈強な男三人に襲われていたのでござる。拙者、すぐに止めに入ったのだが、聞いてもらえず、止む追えず木の枝で追い払った後、怯えて震えていたその女性を家まで送り届けたのでござる」

「まぁ! 紳士なのですね」


オルソラは自分の事の様に嬉しい笑顔で手を叩いた。


「褒めないで頂きたい。拙者はただ、日本男児として当然の事をしたまで。困った女子を放っておくなど、侍として出来ぬ。――――しかし……」

「しかし?」


錆は困った表情をして、


「無駄な殺生だと思い逃がしてしまったのは間違いであった。すぐに仲間を十数人集めて襲ってきたでござる。大して強くはなかったものの、人数が桁違いに多く、全てを倒すのに朝までかかってしまった」

「……………色々とツッコみたい気持ちがありますが、まぁ無事ならいいとしましょう」


神裂は紅茶を飲み干す。


「全く、面倒な事をしでかしたものですね。ここらへんのギャングは麻薬や人攫いなどをやっている、正真正銘の悪党です。あなたは彼らを完全に敵に回してしまった。きっとまたあなたを襲うでしょう」


その時、レストランの入り口の鈴が鳴った。カランコロンとドアが開いたのだ。数人の客が、この時間からすれば珍しく入ってきた。

それを大して気に留めることなく、神裂は話を進める。


「ロンドンの裏路地は、彼らの領土と言ってもいいでしょう。元々低所得者層や失業者など、そう言った若者の集団ですから、怒りや不満が強く過激で、略奪強奪暴行など当たり前。また階級社会の根強いイギリスの社会問題になっているほどですから、ともかく人数が凄いです。束でかかっていたら本当に危ないですよ」

「忠告有り難い。しかし、なぜその様な者たちが現れたのでござるか」

「こればかりは政治の問題ですね。長年の不景気に追い打ちを掛けるようにリーマンショックですから」

「今は回復してきているそうですけど、まだまだ景気が悪い事には変わりないそうですから」


オリアナはシミジミと紅茶のカップの取っ手を弄る。

「……今思えば、私や神裂さんの様な移住者が普通に就職して、こうして食事にありつけることが、実はとてもありがたい事なのでございます」

「同感です。八月に暴動も起きた事ですし。あれの引き金は黒人への人種差別が問題視されましたが、最終的には若者の鬱憤晴らしに成り下がってしまいました。それほどにまで、社会に不満があるのでしょう」

「………話が固有名詞ばかりでわからぬが、要はこの国は貧困に喘いでいる人々が、打ちこわしや強盗紛いの事をしていると?」

「まぁ、昔風な言い方ではそうですね。天明の大飢饉の頃とよく似ています。……と言っても、あなたが言っている世界とは、違うようですが」

「いや、似たような事は何度かあったでござる。修業時代、騒動の首謀者が処刑される場面には立ち会った事もあった。―――伊予にいた頃、そこの藩は紙座を設けて御用商人の法華津屋に紙の専売権を与えたため、製紙産業に従事する領民の収入は激減したのが始まりであった。一人の男が総勢七千五百の大一揆をまとめ上げ打ち壊しをしたのでござる。家老を切腹してそれを鎮めさせ、藩は指導者を処罰せず一気の主張を認めて落着した。だが、藩は約束を破り指導者である男を束縛し斬首したのでござる。―――あの時の怒りでどうにかなりそうだったが、男に『正義の心を忘れてはならぬ』と言われ、諭された。彼らは何の力を持たぬ弱者。その弱者が剣を持つ侍に虐げられるのを見て、拙者は弱者を助ける為に悪を成敗する事に、剣を磨こうと決意したのでござる。彼らの代わりに剣を持つ侍が剣を持つ悪人を討とうと」


これが錆白兵の根幹であるが、その時の神裂は『ああ、いい人なんだな』と、オルソラは『ああ、なんて素敵な人なんでしょう』と、思うしかなかった。

後に『正義の味方』を極めたこの剣士の華麗なる剣技を目の辺りにするのは、まだ後の話だ。

神裂は話をまとめる。


「ともあれ、あなたはこの街で数日過ごしたいのなら、ギャングとのいざこざを何とかしなければなりません。ギャングはチャヴ(低所得者の家庭で生まれた若者)、また黒人が多いのも特徴です。銃は勿論、ナイフ、刀剣などを所持し、時には日常用品を武器に改造する輩までいます。街中で気が付いたら後ろから歯ブラシで刺されていた、なんて事はあり得ない話ではないので、本当に気を付けてくださいね」

「承知した――――――――――時にお二方」


と、話の腰を折る錆白兵。


「なんでしょう」


応えたのは神裂火織。


「―――――――すでに、その『ぎゃんぐ』とやらに囲まれているのではないだろうか、と思うのだが……」


その台詞を聴いて、オルソラ=アクィナスはハッとして、周囲を見渡す。


「―――――――無論です。気付いていない訳がないでしょう」

「なら安心でござる」


錆は温くなった後者を呑み干し、神裂は財布から三人分の昼食の代金を取り出した。

オルソラは目を疑った。


――――周囲の光景は異常だった。

なぜなら、この時間…平日の午後2時を回ったと言うのに、レストランはいまだ満室だったからだ。

そして―――――席に座っている客の全員が、黒のパーカーに目だし帽を被った若者ばかりだったのは、気味が悪いほどだった。


「何をしているのでござる」

「は、はい?」

「―――逃げるのでござる。このままでは、店に迷惑がかかってしまう」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


その店のウェイトレスは、人生で一番大騒ぎにして最悪の状況に置かれていた。


「ひぃ、ひぃぃい………」


掠れる声で怯える。

無理もない。バイト先のレストランが、トイレから返ってくるといつの間にかストリートギャングの巣窟に早変わりしていたのだ。

この店の求人票のキャッチコピーは『上品な雰囲気を出しながらもアットホームなレストラン』だったはず。なのにどう転んだら、『ストリートアートに使うスプレー缶の臭いしかしない殺伐レストラン』になるのか、マスターにツッコみたかったが、隣のマスターも真っ青な顔をしながら固まっていた。

そしてマスターはこう言ったのだ。


「ねえ、ぼくたち今日、生きて帰れるかな……」

「そう言う怖いこと言わないでくださいッ!」


そして、もっとも予期していて、もっとも最悪な事態が巻き起こるのであった。

それはあと、五秒あとのことである。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



一人の男がやって来た。

大柄な男だ。身長は2m程あるだろう。懐かしや、あの虚刀流の使い手を想起させてくれる。だが彼よりも体は太かった。ぶかぶかに着込んだ衣服の所為もあるのだが、一番の原因は肉の厚さだった。鑢七花を一本の細木だと例えると、男は巨木だった。全身は黒い。衣服は勿論、服の上から覗かせる肌は漆黒だった。

確か戦国時代の書記によると、ある武将は一人の黒い肌を持つ奴隷を気に入り、武将として仕えさせたとある。書記に登場する侍と目の前の男は、もしかしたら同種の人間かもしれない。

男は木製の平たい棍棒を肩に担いで、行儀悪くくちゃくちゃと物を噛みながら、


「Hey, Japanese」


錆に向かって異国の言葉を口にした。


「Also you, it is my friend bullying shelf.」


勿論、日ノ本の言葉しか喋れない錆は神裂に助けを求めた。


「神裂殿。何やら拙者に用事があるようでござる。すまないが、拙者に通訳してくださらんか」


神裂は動作も無い様に、


「『おいお前、よくも俺の友達イジメてくれたな』だそうです。どうやら、昨日、あなたが相手したギャングの仲間だそうですよ。全く、嫌な予感がするとしたこうでしたか……」

「ああっ、外にもいっぱい怖そうな人たちがいますよ!」


オルソラは窓を覗きながら悲鳴を上げる。顔は楽しそうだが。


「それは困った。これでは逃げられぬ」

「どうしますか? 相手は素人。正直気が引きますが、人様に迷惑かけている輩を懲らしめるのなら、ここで叩き潰すのも一つの手ですよ」

「いや、そうなれば店に迷惑が掛かるでござる。それはどうしても避けねばならぬ道でござる」

「Hey」

「同感です。私の行きつけのお店に二度と行けなくなったなんて冗談みたいなオチは御免です」

「私は神裂さんが守って下さるのなら、どっちでもよろしいのでございますよ?」

「あなたは本当に気楽そうですね。シスター=オルソラ」

「Hey」

「だって、神裂さんは強ですから、何があっても安心です」

「Hey…Hey!」

「ほう、神裂殿はお強いのか。それは今夜の仕合が楽しみでござる」

「それはまだ決まった訳ではないでしょう。………ああ、そうでした。ここでその予定を決めるつもりでしたのに、予定が狂ってしまった」

「Hey!」

「また機会があるのでございますよ。まぁ、この危機を脱する事が出来たのなら、でございますが。ふふふ」

「なにを喜々としているのですか」

「神裂さんに座布団一枚」

「誰も美味い事言ってませんよ! 何であなたはいつもそう、人と感覚がずれているのですか。お婆さんですか」

「Hey! Hey! Hey!」

「まったく、これだからシェリー=クロムウェルから苦情が来るのです。あの人からクドクドと文句を言われる身にもなって下さい」

「ともあれ、ここの料理はおいしかったですね、ケーキを頼んでもよろしいでしょうか」

「それはもう遅いですから! 今はこの状況を考えてください……」


と、男そっちのけで作戦会議と言う名の雑談をしまくる三人組みにとうとう我慢の限界を迎えた。


「Hey! You hear my story randomly!!(おい! お前らいい加減に俺の話を聴け!!)」


だが、三人の中で一人だけ英語が解らない錆は真顔で顔で、


「郷に入れば郷に従えとは言うが、拙者には異国の言葉はわからぬ。その非は詫びよう。だが、お主はそれを知っていると言うのに日ノ本の言葉を喋ろうともせぬ。お主が用があるのは拙者であるのだろう。言葉が伝わらぬ者にものと話をしたいのなら、その者が解る様にせぬのは、無礼な事ではなかろうか」


錆は凛として言った。それを聞いて、男はきょとんとした。

不思議だった。彼は英国人であることは間違いない。先程の英語は流暢な英語だった。日本語なんぞ知らないだろう。だが、彼は錆の日本語に反応した。あたかも、日本語を理解できるのだと言わんばかりに。

全くもって、その通りだった。


「Hey……その通りだぜジャパニーズ。いいだろう、お前の注文通り、日本語で喋ってやるよジャパニーズ」

「拙者は『じゃぱにーず』とやらではない。錆白兵でござる。相手の名はきちんと呼ぶのも礼儀でござる」

「そうか、これまた悪かったなサビハクヘイ。俺の名前はロバート=クリケットだ。その名の通り、クリケットを趣味にしている」


クリケットと名乗った男は笑いながら右手に持った平たい棍棒を左手で撫でる様に弄ぶ。

彼の定番の冗談に周囲は笑い出した。


――――なるほど、奴が頭目か。


「ではクリケット殿。拙者に何の用でござるか」

「俺のダチにお前がしたことを、そのまんまお返しすんだよ。俺は、貰ったモンはちゃーんと返す主義だからな。律儀だろ?」

また、周囲は笑う。この雰囲気は彼は良く知っている。嫌だと言うほど知っている。日本列島の所々でよく耳にした、下品な笑い方だった。

「いらぬでござる。拙者は見返りを求めてやったことではないし、それに、非があったのはお主の友人であり、拙者が相手したのもお主の友人。何故にお主が態々出てくるのでござるか」

「いや、大した理由はねえよ。ただ俺のダチが涙と鼻血を出しながら、お前の事をさぞかし化物みてーに話すからよ、つい気になっちまっただけなんだわ。気になるだろ? 周囲で“木の枝を刀にするSAMURAIにやられた”って嘘話が横行したら………なあ、そう思わねえか?」

クリケットは目だし帽から覗かせる眼を、鋭い目をする神裂とにこやかに笑うオルソラに向ける。

「あーらまー、キレーなねーちゃん二人も侍らかせて、羨まし-ねーおい。俺にも分けてほしいもんだわ」


下品な眼だった。神裂はクリケットを睨んだ。口笛を吹いて誤魔化すと、周囲が小馬鹿にしたように笑う。クリケットは錆に向き直って指差した。


「ともかく、俺は一度でいいからてめーをぶっ飛ばしたい訳。なに、一度でいい。一発殴らせれくれれば、大人しく帰るさ。ついでに、俺のダチ100人近くいるんだけど、そいつらの分もよろしく」

「断る」


即答だった。

おお! と、『こりゃ乱闘か? 』『やっちまう? やっちまおうか?』と周囲がざわめく。勿論英語だったが、温厚な錆でも、いい加減にこの乗りに嫌気が指してきた。


「まあいいさ」


クリケットはそう言うと、棍棒を錆に見せる。


「さっき言ったがよ、俺の趣味はクリケットだ。知ってるか? 日本のスポーツと言えばアメリカのベースボールだそうだが、我が英国はよ、もっぱらクリケットだ。知ってるか? 米国野郎(ヤンキー)の頭に当たれば死人が出る殺人球技たぁ違って、世界じゃあ超有名スポーツだ。安全安心の紳士のスポーツだ。俺はこの街で一番の名選手だ。何故だか知ってるか?」

「知っている訳なかろう」

「じゃあ教えてやる。俺はこのバットで人の頭でクリケットしてよ。2000人ほどかっ飛ばしてっからだ。どうだ? 震え上がったか?」

「いや全く」

「本当に面白くねえ野郎だ」


不機嫌そうなクリケットは、『まぁいい、今は良いさ。心が広いおれに感謝してくれ』と勝手に完結して、話の話題を変えた。


「俺はよ、実の所、クリケットの他にも趣味があるんだ。それはよ、映画だ。金のねえ癖にって思ったろ? いやいや、高そうなスーツ着たオッサンを背後から襲ってぶんどった財布の札束で映画館に行ってホップコーンとコーラを両手に持ちながら映画を見るのが最高なんだ。え? 英国人なら紅茶だろって? おいおい、そう言うこと言うなよな。映画と言ったらコーラだろ。コーラの美味さだけは米国野郎を評価してるんだ。それでな、俺が一番好きな映画のジャンルは何だと思う? ま、聞いても知らねえとか言いそうだから、言っちまう。日本映画だ。俺が日本語ペラッペラなのも、字幕で見まくったせいなんだわこれが。んでな、その中でもだいだいだーい好きなジャンルがある。それはロマンスでもミステリーでもジャパニーズクールのアニメでもねえ………JINDOだ。あれは人質を取って人をナブってコロしまくり、逃げる奴を大人数で追って回して殴りまくり、女をシャブ漬けにして犯して輪姦しまくり、金と言う金を脅して奪いまくって、騙して奪いまくる……『弱者を虐めて強者になる』っつー俺のポリシーにジャストフィットするクールでエキサイティングな映画だぜ。サビハクヘイ、お前も身に行けよ」


クリケットはいきなり機関銃の様に口を動かしながら、棍棒を高らかに掲げた。錆は全くそれに見向こうとはしない。


「―――モチ、あの世でな」

「―――――ッ!」


神裂は即座に反応して傍らに置いてあった愛刀 七天七刀を手に取る。理由は勿論、居合で棍棒を斬ろうとしたからだ。一般人に愛刀を抜くなど正直抵抗があるが、そんな事は言ってられない。彼の持つ得物には微かに血の痕があった。奴は申告通り、何人もの人間の頭をそれでかち割ってきている。
普通の『クリケット』での使い方は、平たいで球を打つのだが、彼は全く違っていた。棍棒の向きが縦だった。これで殴られば、確実に頭蓋骨は粉砕するのは明白だった。


「っと、動くなよ」

「ッ!?」


だがしかしそれは未遂に終わる。なぜならば、少し離れた所で彼女に……否、オルソラに拳銃を向けるクリケットの仲間がそう脅してきたからだ。それだけではない。店の奥でこの店の店長と店員に拳銃を向ける者もいた。


「くっ」


神裂は七天七刀から手を離す。彼らは言うのだ、『動いたら、殺す』と。このまま錆白兵が私刑されるのを、黙って見ていろと言ってきているのだ。そうしている間に、丸腰の錆相手にロバート=クリケットは勢いよく棍棒を振り下ろした。

これが宣戦布告の合図だった


「つーわけでアレだ。――――試合開始だイエローモンキー」


一気に振り下ろされた棍棒は、錆白兵の白い総髪を完璧に捉えた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


カァンッ! と、乾いた音が部屋に響いた。


『初球! ライトにボールが伸びるゥゥゥゥゥウウッ!! 入ったぁぁあああ!! ホームラン!!』


TVから、野球中継が流れていた。


『大谷今シーズンHR54本目! あの王貞治氏の55本に並びました!! 日本ハム先制、2-0!!』

『素晴らしいバッティングですね』

『ええ。打者としてもそうですが、投手としても今シーズン19勝挙げており、大台の20勝まであの一勝まで迫っています!!』


今の時期は、野球はとても面白い。シーズン終盤間際で、秋の風物詩のクライマックスシリーズに進出するかどうか、どの試合もどの選手も全力でぶつかっている。それがファンの心を熱くするのだ。

午後七時を回った所で、酒が入って赤い顔の奇策士とがめに、箸を持つ絹旗最愛が聞いた。


「で、とがめさん。昼の話の続きなんですけど」

「あ? ああ、錆白兵の事だったか。ひっく」

「ちょ、大丈夫ですか? 超顔が紅いですけど」

「大丈夫だ、問題ない」

「なら、いいんですけど……」

「で、何の話で終わったのだ?」

「錆白兵はどんな人だったか。それと、『薄刀 針』はどれだけ超異常性を秘めていたか」

「ああ、そうだったな。錆白兵はとんでもなく正義感の強い男で、剣も強い男だった。そして薄刀は他の完成形変体刀と比べて異常性が高く、謎に満ちていた。で、絹旗よ、何か聞きたい事はあるか? 今宵は、そこから話を進めようと思う」


今晩の献立は五目御飯に味噌汁、サバの味噌煮にカツオのたたき、昆布の佃煮、そしてメインディッシュに肉じゃがと、和食中心であった。

紅色の箸で肉じゃがを突くと絹旗は、


「うーん、そうですね……」


と悩んだ後、


「じゃあ、何で錆白兵は『薄刀 針』にそこまで超固執だったのですか? 錆白兵は、その刀が無かったら弱かったのですか?」


とがめは即座に応えた。


「それは否だ、絹旗よ。錆はあの刀があってもなくても、どの道日本最強の座にいた。それの意味を知らぬお主ではあるまい。奴は普通の刀を持ってしても化物じみた強さを持っていた。薄刀を恐るべき短時間で蒐集して見せたし、実際に私と旅をしている間、剣の達人、手練れを相手に戦っても一度も傷を負った事はないし、敗けたこともなかったのが、何よりの証拠だった」

「では、あの人は普通に超強いんですね」

「べらぼうに強いぞ。そうだろう、七花よ」


と、とがめは傍らで飯をバクバク喰らう長髪の男に何気なく訊いた。


「ああ、本当に強かったよ」

「まぁ、そう言う事だ。実際に倒した男がこういうのならば、強いに間違いない。―――ま、あの男は刀を持っていなくても強かったがな」

「え? 無手でもですか?」


驚く絹旗。とがめは左手を振って否定する。

「いや、奴は正真正銘の剣士だ。武器は使うよ」

「…………身の回りの武器を使うのですか?」

「少しあってる」

「………?」


首を傾げる絹旗。楽しそうににやけるとがめ。絹旗はその顔にムッとして、


「もう、何なんですか、なぞなぞみたいな事言って。素直に答えを言ってくださいよ!」

「ははは、すまんすまん。からかって、すまなかった」

「もう!」


とがめは笑いながら、食卓を全体的に見る。


「まぁ、『虚刀 鑢』は何も使わず己の手足を刀にして戦うのなら、『全刀 錆』は何もかもを使って己の件として戦う。その特性故かな…」

「………はい?」

「答えは―――身の回りにある“物”だ。武器ではない。厳密には長細い物。棒だな」「

「ぼ、棒ですか?」

「奴は棒状のものなら何でも刀にしていしまう、四季崎記紀が造りし変体刀の一本『全刀 錆』だ。棒状の物が身の回りにあれば、奴は誰よりも強く、誰よりも気高く、誰よりも剣士であった」


とがめはその中で、ある物を掴み取る。


「うん、そうだな。例えば………箸、とかあれば一騎当千だ」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


それはとっても行儀の悪い事だったと、神裂火織は思った。

振り下ろしたロバート=クリケットのバットが錆白兵の頭を捉えたかと思えば、その直前に錆はテーブルにあった割り箸(錆が使用していた物)を掴み、居合と見間違いかねない速度でバットにぶつけた。

神裂は小太刀の居合を思い出す。

否、今まで見たそれは、彼からするとスローモーションに等しい。それほどにまで彼の居合は流れる様に、且つ、力強く、バットの根本と衝突した。


―――メキィッ!


何かが折れる音がした。

途端、


「Guaaaaa!!」


クリケットがいきなり悲鳴を上げた。右手を押さえて、バットを放す。

どよっ。

完全に優位に立っていたせいか、余裕の顔をしていた周囲に慌て始めた。ただ事ではない。彼らの頭目は、滅多に悲鳴など上げない男だった事は何よりも知っていたからだ。

そんな男が、“右の人差指と中指をへし折られて”、蹲っていた。


―――――――ッッッ!!


緊張の糸が張り巡らされる。

ロバート=クリケットの宣戦布告は、錆白兵の一太刀によって返答された。


「…………ッッ?!」


神裂は眼を疑う。錆が持っているのは剣でもなく一膳の箸。非常に行儀の悪い事だが、一本の箸を握って掲げていた。それ以前に、武器にして人の指を圧し折る事そのものが前代未聞にして規格外。普通侍ならそんな作法を全く無視した事はしないだろう。

ふと、宮本武蔵が箸で飛ぶ蠅を摘まんだと言う話を思い出す。


――――いや、そもそもフルスイングで振り下ろしたクリケットのバットに、安いただの割り箸が勝てる訳がない!


唖然としている神裂に、錆は静かに告げる。


「神裂殿、今が好機でござる。敵の意識は目の前の頭目に集中している。この隙に人質に取られているこの店の者を助け、オルソラ殿と共に裏口から脱出してくだされ。拙者が殿(しんがり)を務めるでござる」

「それは出来ません。あなたは丸腰じゃあ……いえ、割り箸持ってますが……って、それ以前にそもそも、割り箸一本で戦えると言うのですか!?」

「これだけの相手、拙者だけで十分でござる」

「………滅茶苦茶だ!」


神裂は苦言を溢しながら七天七刀を握って戦闘の意思表示をする。だが錆はそれを叱咤した。


「神裂殿! ここで二人同時に戦えば確かに我ら三人は助かるが、人質の命の保証はないでござる。相手が神裂殿と言う通り、極悪非道の輩ならば、いつ人質の首を刎ねるかわかりませぬ。ここは、拙者に任せてくだされ」

「…………~~~~ッッ」


正論だった。

神裂は迷う。

神裂はこの男が本当に信用にたる人間まだ見切れずにいた。いや、悪人という訳ではない。

だが絶対に約束を守るとも限った事ではないのは確かである。彼がもしかして逃げてしまうかもしれないし、何しろ、今この一挙手でしか錆の実力を見れていないのだから、敗走なんてされれば堪ったものではない。言わずともだが、聖人である彼女はたかが一般人に敗ける訳がない。一瞬の間に全滅させることが出来るだろう。だが、一斉に100人単位で襲い掛かれば人質を守りきれるかどうかはわからないし、何よりこんな奴らに魔術を使うなんてあってはならない。魔術とは秘匿でなくてはならないのだ。

(ならどうする? どの道も獣道だが……―――)


ただ、時はそう待ってくれないのだけは確かだった。

オルソラが錆に加担する。


「神裂さん、彼の言う通りにしましょう。今は人質の方々の命が最優先です」


2対1。もはや選択の余地はなさそうだった。神裂は諦めて、錆の案に乗る事にした。


「…………ええい、致し方ありません。錆白兵、私は三人を安全な場所に避難させた後、すぐに援護に来ます。それまでは持ちこたえてください!!」

「御意」


苦渋の決断だった。苦虫を噛んだ表情で神裂は左手でオルソラの胴を担ぐ。


「しっかりつかまって下さい!」


オルソラはきょとんとして、


「え、ちょっと神裂さん? ちょっと乱暴では……」

「今は四の五の言ってる場合じゃありません!!」


そう怒鳴りながら、右手で七天七刀を持った。


「一気に飛びます。振り落とされないようにしてください」

「ちょっ……ああっ――――」


神裂はもう普通じゃなかった。この人はてっきり退路を作って撤退するのだろうと考えていたオルソラだが、その予想は外れた。人体構造から規格外である聖人相手に、その考えは甘かった。

神裂は人質であるレストランの店長とウェイトレスを救出する為、弾丸の如く店内を突っ切ってしまったのだ。


「わぁっ!?」「ぎょえ!!」


拳銃を向けていたギャングの男二人を固いブーツの底で蹴り飛ばし、


「大丈夫ですか!!」


英語で二人の安全を確保する。


「ええ、なんとか」

「た、助けてぇぇぇええ!!」


蒼い顔の店長と泣き顔のウェイトレス。どうやら怪我は無いらしい。


「逃げますよ。勝手口はどこですか?」

「き、キッチンの奥です…」

「じゃあすぐに行きます! 案内してください!」


ウェイトレスが悲鳴の様に神裂に、


「あ、あの、あの人は!? あの人は逃げないの?!」


『もうどうにでもなれ』と腹を括っていた神裂はウェイトレスに強い口調でこう言った。


「彼は囮になるそうです。彼が時間を稼いでくれている間、私たちで逃げるんです!」

「で、でも!」

「あの人の厚意です。それに甘んじるのが筋でしょう!」

「……………うん」


ウェイトレスは自分の事の様に心配な表情で、


「無事で、いてよね……」


呟く。

それを耳に捕えた神裂は、


(………錆白兵とは何か面識があるのだろうか?)


と一瞬疑問に思ったが、気にせず。今は逃げる事だけに専念した。

店長とウェイトレスを先頭にし、さっきの高速移動で眼を回しているオルソラを続けさせ、神裂は後ろからの追手を警戒しながら走り、レストランの勝手口を抉じ開け、無事、レストランを脱出した。





(よし、何とか逃げさせたか……。全く、強情なお方だ)


無事、人質も神裂もオルソラも脱出できたことを、音で確認した錆は、安心したように笑った。


「何がおかしいんだテメェ!!」


痛手を負ったクリケットは激怒する。


「いや、なに。お主には関係ない事でござる」

「へっ。うまく女どもを逃がした見てぇだが、俺らの目的はあくまでお前だサビハクヘイ。俺はお前をぶっ殺せばそれでいい。いや、ここで殺す! 殺してテムズ川に捨ててやる!!」

「それは感謝するでござる。この様な鉄火場、女子には似合わぬ。血潮よりも、女子には口紅が似合うでござる。女子はこの様な血潮に塗れた戦場に出る事はあってはならん。相対的に、剣客である拙者らに口紅は似合わぬでござる。何故か? ――――剣客の色は血潮である故」


錆は割り箸を……否、己の剣を前にかざす。

ただの木の棒であるのに、それはどんな名刀よりも切れ味が良いだろうと、誰もが感じた。

だがナイフを見慣れているクリケットは鼻で笑う。


「アホか。あの女ども、お前をぶっ殺した後で犯して殺す。決定事項だ」

「そうか。どうやら拙者には、お主たちを意地でもここに留めさせる理由が出来たそうだ。悪はここで成敗する」

「ほざいてろ」


クリケットは床に落ちたバットを拾い直し、左手で振り回し――――――


「おいクソッタレ、右の指2本折ったからって俺が戦闘不能になると思ってんじゃねーぞ。俺は左手一本でも十分にバットは振れるんだぜ」

「だからどうしたと言うのだ」

「いいから聞けよ。俺はよ………―――――――左投げ右打ちなんだからなぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!!」


そのままぶんぶんとバットを高速で振り回しながら錆に特攻してきた。

「ハッ! いきなりとか突然とか、前置き無しでとか卑怯とか言うかもしれねえんだけどよ! 俺はもうとっくに宣戦布告してるんだぜぇぇええ!!」

「そうか。なら―――――――」


バットは空を切り裂く。黒人である彼の筋力は白人黄色人よりも筋力の質が高い。実際にバットが空を切る音は、ヒュンヒュンではなく、グボォッグボォッと台風の様だった。

クリケットはこう思っていた。


(―――さっきのは単純な攻撃だったから見切られた。だから防がれた。だから今度は、ランダムに振り回してどこでもいいから当ててやるゥッ! そっからメッタ打ちだ!!)


一撃一撃、一振り一振り、全て全力、全てフルスウィング、全身全霊。


(これをやったら左腕がパンパンになる攻撃だが、正体不明の相手にはこれが一番だ。確か日本には『コブジュツ』っつー小さな力を使って確実に敵を倒す技術があるらしい。奴もそれを使っているに違いない。 SAMURAIだからな!!)


『柔は剛を制す』とはよく言うが、彼はそれを否定する。『剛は柔を潰す』これが彼のモットーである。

故に、これが彼の必殺技。


(名付けて! Victory Storm!!)


『巨大な台風』と名付けられた必殺技は、さっきと同様直前までは完璧に捉えていた。



―――――だが嘲笑うかのように、錆はふっと不敵に笑った。のちクリケットの目の前から消えた。霧の様に。



「――――――――――ッッッ!?」



眼を疑う。人間が自分の視界から一瞬で消える筈がない。目前にいたあのサムライは実はゴーストで、亡霊として現世に留まっているかもしれないと思ったが、そんな事はないと自己否定した。

そして、気が付くと。


「――――その攻撃は悪しでござる」


いつの間にか、自分の懐に入り込んでいた。

確信した。サビハクヘイは正真正銘の――――


「一つ一つの太刀が雑でござる。滅茶苦茶に振り回せば当たると思っていたのだろうが、一つ一つの振りが甘い。剣は一撃に己の命を賭けるもの。一振りで確実に相手を倒さねばならず、無理に手数を増やせば、少しの呼吸のずれですぐに懐に入れるでござる」

「――――幽霊(ghost)……」

「否、拙者はただの錆にまみれた剣士でござる……」


左手に持つ割り箸を、顎に突く。

目玉が飛び出るかと思うほどの衝撃が、クリケットを襲う。

脳が揺さぶられ、一瞬で視界が歪む。足に力が入らず、そのまま膝から崩れ落ちた。


「腕を磨いて出直してくるがよい」

「あ、そ……かい………」


――――自分たちのリーダーが倒された。

この事実は彼の仲間たちからすれば一大事だったのだろう。一気に狼狽え始めた。


「おい、どうすんだよ……ロバートやられちまったぞ……」

「やべぇだろフツー………」

「どうする? どうする?」

「に、逃げるぞ。逃げちまうぞ。逃げるしかねえよ」


と、二三人、コッソリとキッチンの奥の勝手口から逃げ出そうとしていた。四つん這いになって、必死に出口を目指す。


―――――あのSAMURAIはヤバい。べらぼうに強い。俺らの手には負えない。ばれないように、ばれないように、幽霊の様に消えるしかない。


だが、その目論見は錆の手によって遮られることになる。鼻先に、小太刀が飛んできた。スコンッ! と壁に小太刀が刺さる。危うく鼻が無くなるところだった。


「うぉっ!?」


驚く先頭の男。目だし帽で表情は解らないが、驚愕と戦慄を感じたのだけは解った。壁を見る。そこには小太刀などなく、割り箸が突き刺さっていた。男は錆の方を見る。
彼は徒手だった。何も持っていない。そう、投げたのだ。割り箸を忍びの棒手裏剣の如く。それが真っ直ぐ飛んで彼らの進行を阻止した。
怯えた眼で錆を見る男。錆は鋭い目で周囲に睨みを利かせる。


「追わせぬ。逃げさせぬ。ここでお主らを留めさせると、神裂殿と約束した。貴様らはここで拙者が成敗いたす」


錆は低い声で見得を切り、足元に落ちていたクリケットのバットを手に取った。


「うむ。やはりこの様な得物の方がしっくりくるでござる……」


そう呟いて、試しに数回振ってみた。

ぶぉん!

風を切る音は一度。おかしな話だ。確かに何回か彼はバットを振ったが、その音は一度しか聞こえなかった。いや、それよりもおかしなのは、数回振ったと言うのに、この場にいる全員が一度しかバットを振っていない様にしか見えなかった事。

風は一度、強風となって店内に吹き荒れる。たかがバットを軽く振っただけで、この風圧。
これを喰らったらただでは済まされない事は目に見えていた。
驚愕と戦慄を通り越して、もう彼に対する恐怖と脅威しか感じなくなったギャング諸君は、『ひぃぃっ!』と怯える声を漏らしながら涙目になっていた。

そこで彼らは思い知る。


――――俺たちはとんでもない奴に噛み付いてしまった、と。

――――殺される、と。


錆は不敵に微笑んだ。


「なに、命までは取らんでござる。安心されよ。―――何をしておる。そこで突っ立っていても始まらぬ。一つ拙者が手合せして進ぜよう。心した者から掛かってくるがよい。無論、逃走は無いと思われよ」

「…………………。」


ここで、百数十人のギャングたちは腹を決めた。逃走は出来ない。逃げ場はない。ならば、目の前の男を仕留めなければ生きる事は許されないと。


全員が自分が愛用する手慣れた武器を手にし、構える。三段ロッド。棍棒。ナイフ。金槌。釘バット。忍者刀。鉈。チェーン。拳銃。ショットガン………。彼らの生存本能は闘争本能へと昇華され、ジリジリと錆に殺意を向ける。

今からやるのは普段彼らがやっている一方的な暴力ではない。生存をかけた戦闘だ。目の色はただの不良から、一人の戦士となった。

それを見て、錆は笑う。


「いいだろう。ならば―――――拙者にときめいてもらうでござる」


開戦は、釘バットを持った一人の男の雄叫びから始まった。

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今日はここまでです。ありがとうございました。
一ヶ月放置ですいませんでした。今後もこのような感じになるかも知れません。
また、誤字や表現の誤りがあってすいませんでした。


二刀流の日ハム大谷も、現実で最多勝&本塁打王&首位打者になって欲しいですね。

こんばんわ。お久しぶりです。大変長らくお待たせいたしました。始めます。

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「ああ、くそ。逃がしちまったじゃん!」


黄泉川愛穂はバイクから降り、ヘルメットを地面に叩きつけた。

偶然だった。


『あ、』

『あ、』


芳川桔梗の驚愕のカミングアウトの所為で皿を一枚割ってしまった黄泉川は100円均一にやってきた。そこでばったり鑢七花(獲物)を見つけたのは偶然で、そして事の始まりである。


『鑢七花!!』

『げぇ! 誰かと思ったら………えっと………よ、よ、よ……ヨミガナだっけ?』

『黄泉川だ! 黄泉川愛穂!! 鑢七花、ここであったが百年目! とっとと捕まるじゃん!!』


と、3スレも昔と同じことを言う黄泉川。だが致し方ない。あれからまだ一か月と立っていないのだ。


『何でだよ! どうして捕まらなきゃならねぇんだ!!』

『お前が大人しくしてりゃあ一週間で解放するんだから、大人しくお縄につけ!!』

『ふざけるな!!』


と、こんな感じで七花は叫びながら、トイレットペーパーが入った買い物袋を振り回し、夜の街へと逃げていったのだ。

犬は逃げるモノを見ると反射的に追いかけると言う。そもそも犬は動くモノしかハッキリと捉えられない視界を持つ。彼らは動くモノしか見えないのだ。
黄泉川愛穂は警備員と言う職業柄、それと同じ性質が植え付けられており、逃げた七花を捉える為、駐車場に止めてあった自らの車に飛び乗って追いかけていった。

そこから七花と黄泉川の壮絶なる逃走劇、追跡劇が始まったのである。


歩道に走る七花と車道で車を操る黄泉川。黄泉川は七花に車ごとぶつける気で彼に寄せる。


『待つじゃん!』

『うおっ! 危ねぇな!!』

『そんぐらいじゃあ死なないだろおまえは!!』


七花は機転を利かせて路地裏に入り込む。だがここ一帯の道を知り尽くしている黄泉川はすぐに車を回り込ませる。案の定、予想してきた道で七花がやって来た。


『うげ!』

『御用じゃん!』

『…………―――虚刀流『薔薇』!!』


だが、走った勢いで技を繰り出された七花の技に、車はエンジンを破壊される。七花はしてやったりの顔で黄泉川に指を指した。これでやっと逃げられると。


『これでもう追えねえよな!』

『ところがどっこい!』


まぁ、車とバイクを乗継ぐのだが。そこからざっと二時間と十三分、第七学区中を追い回したのだ。


『待てぇえ!! 鑢七花ぁぁああ!!』

『待てって待つ奴がいるか!!』


どこぞの怪盗と警部を思い出すが、七花の脚の速さはバイクに打ち勝ち(ビルの屋上を飛び移り続ける作戦が勝因だった)、彼は野山を掛ける狐の如く素早い逃げ足で、追跡を振り払ったのだ。



「ああ、もう! 千歳一隅のチャンスが!!」


ぐわーっと頭を掻き回す黄泉川。だが失敗の中で何かを得る所はあったようだ。


「…………まあ、奴がここら辺に住んでいる事は解ったじゃん。トイレットペーパー買ってたからな」


そこで電話が鳴る。

芳川だった。


「ああ桔梗か。どうした? え、帰りが遅いって? すまんすまん、ちょっと用があったじゃん。すぐに帰るから……ああ、皿も買った。あと、車を一台おじゃんにしちまったじゃん……ああ、また怒られる。うん……うん……ああ、了解――――」


電話を切り、黄泉川は叩きつけたヘルメットを拾う。ああ、またあの車の所に戻らなくちゃならない。このバイクも、風紀委員の固法美偉からの借り物だ。道で出会って脅しつつだったから、明日、お菓子でも持って返しに行かないと………。

まぁとりあえずは…。


「戻らないとな」

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「錆白兵! 大丈夫ですか、今戻りました!!」


神裂火織は乱闘中である筈のレストランへ飛び出した。

だが、そこにあった光景は彼女が予想しているものとは全く別物だった。


「錆の旦那! ここはこれで良いんですね?」

「左様。壊れた椅子は捨ててもよいが、そうではない椅子は机と共に一カ所にまとめよ」

「Throw away the broken chair, and gather up the chair which is not so in one place with a desk!!」

「The person who stayed will do what?」

「錆の旦那! 床は箒ですか!?」

「いや、手の空いている者を十人ほど集めて雑巾がけでござる。無論水拭きで。……ああ、きちんと水は絞るのが好ましい」

「Gather approximately ten available people of the hand, and wipe it with a damp cloth!! Gather approximately ten available people of the hand, and wipe it with a damp cloth!!」

「The person who stayed will do what?」

「錆の旦那! 残った奴は何をしましょう!?」

「清掃でござる。拙者らが荒らしてしまったからには、荒らす前よりも清めなくてはならない。『立つ鳥跡を濁さず』。一切の塵も残すことは許さぬ」

「The person who stayed will do what!! The person who stayed will do what!!」

「「「「「「「「「「Sir, yes, sir!!」」」」」」」」」」


掃除をしていた。

先程までパーカーを分厚く着て物騒な得物を持っていた輩が、どういう訳か分厚いパーカーを脱ぎ捨て、黒い肌を曝け出し、得物を持たず箒と塵取りと雑巾を持って、せっせと店内を掃除していた。

錆白兵指揮の下。ロバート=クリケット率いるギャングたち総勢百二十三名がキビキビとレストランを、キッチンからトイレまで掃除していたのだ。


「…………………………」


眼が点となる。

てっきり現在も絶賛戦闘中か、もしくは血の海か、それともこの白いのがボロボロにされているかだと思っていたが、まさか全員を配下につけて清掃活動に勤しんでいるとは夢にも思わなかった。

そして、一人の黒人が神裂に気付き、



「カンザキノアネサン、オカエリナサイマセ!!!」


と、中腰になって右掌を突き出してきた。

その声に気付いて、百二十三名が同じ格好をして、


「「「「「「「「「「オカエリナサイマセ!!」」」」」」」」」」


野太い声で大合唱してきた。

これは間違いなくクリケットの所為だろうが、この従順さは絶対に錆の所為だろう。

神裂はバケツから取り出した雑巾を絞る錆に問い質した。


「錆白兵! いったい何をしているのです!?」

「なにとは、雑巾掛けでござる」

「そうじゃなくて!! なんで彼らと一緒にこんなことを!?」

「ああ、今その話は後にしてくだされ。今は忙しいでござる。――――神裂殿、しっかりと彼らを安全な場所に連れて行ったのでござるな?」

「え、ええ。当然です。知り合いのジーンズショップに預けてきました………って! なんで私の話は後なんですか!?」

「すぐに片付けぬと、日が暮れてしまう。では、またでござる神裂殿」

「ちょ――――」


トトトトトト……錆はそう言いながら、床に雑巾を敷き、手で押しながら走り去ってしまった。彼の雑巾掛けは他のギャング(元ギャング)たちとは比べ物にならない程様になっていたのは言うまでも無く、精錬されたその姿は美しささえあった。たかが雑巾掛けなのに。

神裂は何も言えず、


「ああ、もう!」


と叫びながら外に出るしかなかった。


「イッテラッシャイマセ! カンザキノアネサン!!」

「「「「「「「「「「イッテラッシャイマセ!!」」」」」」」」」」

「うるさい!!」



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「まぁ、何も錆と言う男は立ち向かってきた者や襲い掛かってきた者を全てを殺し尽くす残虐非道な人間ではなかった。盗賊など追い払っても殺す事はなく、それどころか更生してやった事もあった」


奇策士とがめは日本酒をチビチビ呑みながら思い出話を言い聞かす。


「七花は殺そうとしたが、錆は大怪我はさせずに倒して言い聞かせ、酷い時には付きっ切りで手伝っておった」

「なんだよ、とがめ。まるで俺がだめなヤツみたいじゃねぇか」

「実際そうだったろう、始めの頃は。あの時は純粋な刀だったから仕方のない事だが、錆はお前以上に変人だった。自分を殺そうとしてきた奴を殺すのではなく逆に助けるのだぞ?」


とがめの言っている事は確かだ。悪人はどう足掻いても悪人。いっそ殺してしまうのが世の為だ。


「だが、錆はそうとは思わなかったらしい。奴曰く、―――」


『彼らも好き好んで悪人になった訳ではないでござる』


「―――ちょうど飢饉の後だったからな。野畑は痩せこけて猫も犬も食いつくしてしまった農民が、武器を持って強盗になるのは致し方あるまいと思ったのだろう。だがその道は修羅の道で、絶対に幸せにはなれないと、更生し続けたのだ。だから奴は男にも惚れられ、人望が厚くなる」

「超めちゃくちゃいい人じゃないですか」

「そんな人滅多にいない」

「結局、錆白兵って人間は性根からお人好しだったって訳ね」


と、後からフレンダ=セイヴェルンも加わって、アイテム三人娘は食卓に付いていた。

フレンダの隣で小さな体の、フレンダの妹、フレメアはフォークで料理を突くが、突いているのは肉のみだった。


「いい人、いい人」

「ほら、ちゃんと野菜も食べなさい」


フレンダはお姉さんの顔になると、ある事に気付いた。

「あれ? そう言えば話を聞いている限りじゃあ、結構二人って旅してるんだよね? それで強かった。でも、結局、刀は一本しか手に入らなかったのってなんで? 情報がない訳でもないよね?」

「情報は少なかった。だがそれでも二、三本の所在だけは掴んでいた」

「じゃあ、なんで?」

「錆の所為だよ。あやつ、旅先で様々な厄介事を引き受けるものだから、思った以上に前に進めなかったのだ。野党討伐をするし、畑仕事も手伝うし、堤防やら溜池やら作るし、強盗がいれば全員教育して更生させるし、用心棒を引き受けるし………正義感の強い男も考えものだ。一年以上旅して、結局は遠回りして越後に行っただけだったからな」

「ホントは超サクサクと行きたかったんですね」

「無論だ。七花と一年で十一本蒐集できたのは奇蹟的だが、逆に言えば錆と共に旅をしても同じくらいの時間で出来た筈だ………全く、あれが無ければ……ぐちぐち……」

「ちょっととがめ、いい加減に俺と錆を比べるのはやめてくれねぇか?」

「怒りたくなるさ。何せ、七花と出会うまで錆は私の最高の相棒だったのだ。それに裏切られた心境は、お前にはわかるまい」

「…………うん、まぁ」

「そう言う事だ。おかげで私は失脚寸前まで追い込まれ、おめおめと尾張に戻った時には役所の男どもには蔑まれた目で見られる始末……。あの時は本当に応えたものだ。不承島に行くまで、もう一度機会があるとは思わなんだよ」


決して主従の中が悪かった訳ではない。とがめと錆の仲は良好だった。主と僕。姫と士。持ち主と刀。人の心理を、特に裏切る前の人間の心を簡単に見抜く奇策士とがめは彼が失踪する前兆すら見極められなかった。


「奴ほどの男が刀の毒に当てられるなど……。それがあの刀が四季崎記紀が造りし完成形変体刀と呼ばれている所以なのだろう。良いか皆の衆。七花は言わずともだが、刀の毒とはそういう物だ。手にとる時は用心するのだぞ」


そう注意するとがめ。それは裏を返せば裏切ったら、錆みたいになっちゃうぞ♪ と捉えたフレンダは、


「何を冗談。結局、自分の為に走ったら八つ裂きにされるって訳ね」

「あ、俺の口癖取んなよ」

「あらしっつれーい☆」


そんな中、


「あの~……ちょっといいですか? とがめさん」


長らく暗部に身を寄せている絹旗最愛は昼に思った事を改めて口にした。


「私はそんなに超忠義と超正義に溢れた超聖人な人間が、とがめさんの様な人でもそうは裏切らないと思うのですが……」

「何を言う。現に裏切られて、なんやかんやでこうして七花と食卓をかこんでいるのだぞ。というか、何気に私を見下さなかったか?」

「いえ、そうでなく……。私が思っているのは、忠義に厚かった人が裏切ったのは、とても超重要な理由があったのではないでしょうか」


箸の手が止まる。しばし沈黙するとがめは、三拍空けた所で、


「……………と、言うと?」


静かな声だった。聞き捨てならないとする声だった。

絹旗は、―――これは一歩外したら超ヤバいな―――と思いつつ、慎重に答えた。




「…………例えば、裏切ったのは―――――実はとがめさんの為だったから……とか」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


結局、錆は叩きのめしたギャングと共にレストランを新築同然にまで磨き上げてしまった。そして、暴れまくったギャング共々と店長に平謝りをしている。


「この度、大きな迷惑をかけてしまい、申し訳ございませぬ。今回は店の清掃で許していただきたく存じ上げる。この詫びは、いずれまたする故、この者たちを見逃してほしいでござる」


と、錆は店内の、鏡の如くピカピカに磨き上げられた床(ワックスなど使用せず、雑巾掛けだけで磨いたようだ)に跪き、両手をついて深々と頭を下げた。

それに習い、後ろの筋骨隆々の男達も土下座する。

店長は面食らって、


「い、いえ、めっそうもございませんよ! むしろここまで綺麗にしていただいて!! 内装も外装も、新築同然にまで綺麗にしていただいて……」


彼がそう言うのも無理はない。床は先程言った通りだが、机と椅子一つ一つから時計の針や小道具まで磨かれ、壊れたのなら彼らの武器を借用したり木材を買って来たりして一から作られていた。キッチンに至っては換気扇は油汚れはなく純白に輝き、シンクは排水溝を舐めてもいいまでになっていた。包丁も砥がれているのは、錆の手によってである。

だが、一番驚いたのはやはり外装であろう。壁の汚れは細かい砂がついていて少し色がついていた白壁が30人体制で丁寧に磨かれて元の真っ白になった。花壇の花には水が与えられ、おまけに肥料まで撒かれている。

店長は鼻息を荒くして、


「完璧でした! いやぁ、まさかこうなるとは思いませんでしたよ。本当に感謝しています。ありがとう! もしよかったら、また来てください。ご馳走します!」


解っている通り、英語が理解できない彼の為に、その言を神裂が通訳する。

錆は後ろの黒人たちと共に大いに喜んだ。


「おお! なんと心優しきお人か! なる程、料理の腕も絶つ事ながら仁徳もある。ああ、この国のお方は皆、良い方ばかりでござる」

「錆の旦那、俺、こんなに嬉しい事はねえ! 小汚い黒人ってバカにされて、貧乏暮らしでヤサグレていたのに……。俺、人に認められるのは初めてだ……! 俺の様なクズヤロウが……うぅ……」

「おお、クリケット殿、わかっていただけたか。人に優しくすれば、人に思いやりを持って接していれば、返ってくるのは同じ心。逆に暗く悪い心でいればそれは山彦と同じことでござる」

「わかったぜ錆の旦那! ありがとう!! ここまで清々しい気持ちになったのは初めてだよ!! なぁお前ら!!」

「YHAAAAAAAAAA!!」


と、あたかも『天使にラブソングを2』のワンシーンの如く湧く一同。その光景を目の前にして、神裂は若干引きながら、


「あーいえ……錆白兵……あなた……本当に何をしたんですか?」

「何を、と言われても。拙者、ただ彼らを悪の道から脱却する為に、善人への道標を示しただけでござる」

「ですから、何でですか? 私たちを…あなたを殺そうとしてきた人間をどうして?」


そもそも彼らギャングは、ロンドンの路地裏で窃盗強盗婦女暴行……数々の犯罪を犯してきた。そのリーダーであったロバート=クリケットは加害者で、錆は被害者の一人のはずだ。だがしかし、なぜ錆はこのように情を厚くして接するのだろう。

錆は神裂に堂々とこう述べた。


「彼らは確かに許しがたい罪を犯してきたでござる。しかし、産まれてくる子供は親を選べぬはこの世で彼らは生まれながらにして不幸。人は働いて食を繋ぎ、衣服を着て、構えた居の中で生涯を送る生き物。彼らは生まれ乍らにしてそれが欠如していたのでござる。また、災害・飢饉・疫病など理不尽な理由で衣食住がままならなかった。衣食住のどれもが欠けていては人は生きていけぬのは、神裂殿も承知だろう。衣食住が出来ぬ、ましてやそれを支える労働が出来ぬ人間は、世界から追い出されたも同然。だがそれでも人の身である限り生きねばならぬ。この者たちは世界に排除されかけていた者たちでござる。彼らは生きる為に罪を犯す事を強いられたのでござる。生まれ乍らにして生きる為に罪人になる宿命を背負わされ、生まれ乍らにして世界から居ないものとして扱われるのは、無慈悲にすぎるのではござらんか。 ――――彼らは完全なる弱者でござる。助けずにして、何が武士道か」

「……………!」


金槌で頭を殴られるような感覚がした。


『救われぬ者に救いの手を』

例え神が救えぬと判断した者でも、この手で救ってみせる――――そう、誓ったではないか。

“彼らは犯罪者だ。弱者を暴力で押さえつけ、人を不幸にしている。人を理不尽に傷付けている。だから彼らは悪人で、救うのは被害者で、彼らを罰するべきだ”

そんな偏見な目で彼らを見ていたのではないだろうか。


「ありがてぇ……ありがてぇ言葉だ……錆の旦那ぁ……」



クリケットら元ギャングたちは目から大粒の涙を流し、錆の足元にしがみつく。


「俺ん家は昔っから貧乏でよ。父ちゃんは酒飲みで体ぶっ壊して死んじまって、母ちゃんは娼婦やってて性病で死んじまって………。あそこにいる一番デカイ奴がいるだろう? あいつのお袋さんガンなんだよ。でも医者に掛かる金もない。そいつの隣の奴は黒人が白人の女をレイプして出来た奴で、ガキの頃に捨てられちまったんだ。だから働こうにも学校行ってねぇ。みんなそうだよ。みんな産まれてこの方、人並みの“幸せ”って奴を感じことはねぇ」

「うむ、辛かったのだろう。だが今からでも遅くはない。ちゃんと働き始め、己が罪を償うがよい」

「サツに出頭すればいいのか?」

「否。確かに法に裁かれるのも一つの道であるが、必ずしもそうする必要はない。今日から善人として生き、世の為人の為に尽くせば、おのずと罪は消えよう」

「………………ああ、そうするよ」


クリケットは涙をふき、清々しい眼で立ち上がった。


「錆の旦那! 頼みがあるんだ」

「なんでござるか」

「俺たちの師匠になってくれ。それで、俺たちを導いてくれ!! なぁみんな!!」

「YAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」


だが、錆は申し訳ない様に微笑んだ。


「すまぬ。それは出来ぬ」

「なんでだ旦那!?」

「拙者には使命がある。―――生前、数多の弱き者たちを救い、鬼の道に堕ちようとしていた者を止めてきた。だが、たった一人だけ、救えなかった方がいる。拙者、その方を救うために探さねばならぬ。その方は拙者が守るべき人だった。果たせなかった事を償いたい。そしてあわよくばその方の心を救いたい」


錆の眼には迷いが無かった。

強い決心で固めた瞳は、偶然か遥か東をじっと見つめていた。

その眼を見てクリケットは惜しみそうな表情をしていた。だがそれは微笑みに変わる。彼が率いている百二十三名の弱者たちも同じような表情で、微かに目じりに滴があった。


「ああ、わかった。頑張れよ錆の旦那! 俺、応援しているからよ」

「忝い」


錆は小さく頭を下げた―――が、こう付け足した。


「―――ああ。だが、日本に戻る為の資金を貯めなければならぬ。それまでの間、剣術くらいは教えられる間はあるかもしれぬ」

「え―――ほ、本当か錆の旦那!!」

「無論。明日から徹底的に剣の心、侍の魂を叩き込む故、覚悟しておられよ」


微笑む錆の顔で、クリケットらはまた涙を流して歓んだ。







「……いい人ですね」


このレストランの店長が呟いた。この光景は、とても美しいものだと思った。


「ええ、本当にいい人です」


――――そして神裂はその光景を目の辺りにして、心に少し嫉妬心が浮かんだ。

彼のカリスマ性は絶大だった。自分と同じように。神裂もある一つの組織の教皇を務めていた過去を持つ。だが、高すぎるカリスマ性と運の強さが仇となり、多くの仲間を傷つけてしまった。だからこうして今、イギリス清教の一魔術師として働いている。

原因はわかっている。神裂は仲間と近寄ろうとしなかったからだ。だが錆は自分から人に歩み寄って助け、共に困ったり喜んだりしている。


(もし、あの様な仁徳と人望があれば……。いや、それだけじゃない。彼は人の心を愛している。私にはそれが無かったのか……)


神裂は七天七刀をぎゅっと握る。そしてもう片方の手には薄刀と呼ばれる刀があった。彼の精神はこの刀と同様に美しく、尊く人を魅せる形をしていた。

ただ、自分にはそれが無かっただけの事。

それがとても虚無感を感じさせた。





そして、もう一人悲しい顔をしている人間が。


「くぅ……すでに好きな人がいたとは………でも、一生ついて行きますッ! サビハクヘイ様!!」


レストランの片隅で、ウェイトレスがハンカチを噛んでいた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


笹斑瑛理は絹旗宅のベランダでハンカチを噛み締めていた。


「………こんのぉ…ッ。折角美味しいごはんを食べに来たのに……フレメアちゃんがいるだなんて………」


彼女は暗部組織アイテムの下位組織に所属している工作員であり、よく彼女らの身の回りの世話をしている。彼女としては良き友人関係のノリで接している。

フレメア=セイヴェルンとは、とある事件で顔を合わせているが、それは笹斑の潜入中の事だった事で、また彼女自身、自分の穢れた身で幼い子と接する事はあまり良くは思わなかったからだ。

要するに、フレメアと顔を合わせたくはない。いや、今でも窓ガラスを打ち破って突入し、フレメアのぷにぷにほっぺに吸い付いて、首筋から股の割れ目までありとあらゆる全てをペロペロ舐め回して愛でたいのだが、いかんせん、ごく普通の幼女には手を出さないようにしている(同業者については別途にベット行である)。

『YESロリータNOタッチ』

これが彼女のロリに対する信念だった。


「ま、いいわ。最愛ちゃんの手料理は食べれないのは残念だけど………」


と、そう呟いてポケットのカロリーメイトを口に咥える。


「あーまずー……」


面白くない。食事中に部屋のブレイカーを落とし、黒色の腰まである長髪のカツラを被って窓に張り付いて脅かしてやろうと思っていたのに。フレメアがいたんじゃあ、手元にある変装セットが無駄になってしまった。笹斑は子供を無暗に脅かすのは好きじゃないのだ。恐怖のあまりの失禁の黄金水は是非とも頂きたいが。

秋中ごろの夜風が金色の髪を撫でる。微かな自身の香水の香りが鼻腔をくすぐった。今日着てきている服は白のワンピース。ちょうど黒髪とマッチして、貞子ごっこが出来る筈だった。全く、水をぶっかける覚悟も出来ていた芸人魂に謝れ。


――――その時だった。


『それは、どういうことだ?』


ただならぬ空気を窓から感じ取った。

いつもの甲高い声が急激に低くなって聞こえてきた。言うまでもない。奇策士とがめの声だった。


「お、修羅場か?」


奇策士とがめは鑢七花の主人で、七花の事を好いている筈だ。一度離れ離れになった所為あってギクシャクしているが、とがめは満更でも無いと見ている。だが、この部屋の主である絹旗最愛も七花の事を好いている。

この三角関係を巡って恨みと辛みの昼ドラチックドロドロ愛憎劇が始まったのだろうか。

こうしてはいられない。

たとえ美少女に見えても、中身は極上の弩淫乱。最高のビッチ。SでもMでも老人でも子供でも男でも女でもありとあらゆるプレイをこよなく愛する、この多重性癖娘は無数の性癖の中、ヤンデレも健在だった。

ヤむのもヤまれるのも最高。それを見物し、敗れた相手を慰めて自分のものにするのも至高。

例えるなら、誠と世界のベロチューを見せつけられて玄関から飛び出した言葉を、自分が代わりに彼氏になってラブラブするようなもの。

ついでに言葉をイジメていた奴らを恐怖のどん底に突き落として性奴隷にするのを妄想するだけで全身の性感帯がゾクゾクと感じてしまうのだ。

そんな笹斑はいつどこでどんな時でも修羅場を見学できるように笹斑は常に色々な道具を一式持ち歩いている。

例えば――――


「たったらたったらたったったー! 聴診器ぃー!」


笹斑はやけにダミのある声で聴診器を耳に付け、銀色の円盤部を窓にくっつけた。


「ふんふ~ふんふ~んふ~んふふ~ん♪ 絆が大事♪ 恋人が大事♪ Girlish Lover~♪ っと♪」


ガラスの振動を伝わって、部屋の中の会話が聴診器から耳に入ってくる。
さて、どんなコトになっているよやら……。


「――――――って、あれ?」


笹斑は耳を疑う。何故かと言うと、室内の音が雰囲気と違って静かであったからだ。

耳を澄まして聞いてみる。


『絹旗。私の聞き間違いかと思うのだが……そなた、錆白兵が私を裏切った理由が奴の善意であると言っておるのか?』

『え、ええ』


錆白兵の名が出てきて、笹斑は記憶を巡らせる。


(さびはくへい? 確か、とがめさんが七花さんと出会う前にコンビ組んでいた相手だった筈…。まあいいや。話を聞いていこう)


ことっと箸を置く音がしたから、酔っぱらって気分よく思い出話をしていたとがめが真剣に話をしようとする事がわかった。


『ありえぬよ。ありえぬ。確かに奴は異常なまでにお人好しだったが、主従の誓いを破ると言う落ちぶれた行動をとるとは思えん』


絹旗は恐る恐る、


『いえ、私はそうとは思えないんです。超困った人たちを全員助けようとした程のお人好しなら可能性があります』

『一応、聴こうか』

『はい。……話を超聞いている限りでは、錆白兵と言う人間は非常に超出来た人間だという事が解ります。ですが、話を聞く限りだと刀を手に入れた直後に盗んで失踪した……。原因は刀の毒。四季崎の刀を持つ事に超名誉を感じ、手放したくないと思ったから。――――が、とがめさんの考えでよろしいですか?』

『それがどうした?』

『私は超思うんですよ。―――私が錆白兵だったら、刀を手にし、自分を心から超信頼してくれている主を裏切ろうとしている夜……。本当に刀の毒に超中てられているのなら、その場で超殺しているはずです』


ミステリーでよくある話だ。C級映画をよく見る絹旗ならではの視点だった。


『うむ、筋は通っている筈だ。だが、それは武士の情けと言う奴ではないのか? 女子供は殺さぬ事は勿論、降り首(降参した敵の首)を討ち取るのがこの世で最も嫌いそう男だ。裏切る上に主を殺すなど、あの男が死んでもやるとは思えん。刀の毒に侵されていたとしても根は男の中の男だぞ』

『どうでしょう。生かしておけば自分と代わる超腕利きの人間を雇って旅を続け、自分の『薄刀 針』を狙いに来るのは目に見えているのに、殺さないのはおかしいです。しかも錆白兵はそのあと、他の変体刀を集めようと超考えていた。一本持っているだけでも後々争うと言うのに、その可能性を高める行動に出たという事は何かの動機があったに超違いないんです』

『…………仮に裏切りの動機があったとしても、『刀の毒云々』しか思い浮かばんし、独自で刀を集めた理由も『さらに刀を集めたくなった』ぐらいだろう。善意での行動とは思えぬ。奴の善行は刀の毒に毒されて反転してしまったのだよ。私を殺さなかったのは、二度も部下に裏切られて失脚すると見ていたに違いない』


刺々しい口調だった。


(あっちゃー……。完全に失望しているって感じだなー……。しょうがないわよね。あれだけ自慢げに話していた部下に裏切られたんだから……)

未だあった事のない錆に笹斑は憂う。


(要するに錆白兵が裏切った理由は善意か悪意かで争っている訳か。ふむ。まるで性善説と性悪説の哲学チックな問答は嫌いじゃないわよ。で、どう返すの最愛ちゃん)


絹旗は返す刀で、


『きっと、とがめさんは錆白兵を超過小評価しているんです』

『なんだと?』

(煽るで来たか)


聞き捨てならぬと、テーブルを叩くとがめ。酔っぱらっているから、いつもより感情の起伏が激しい。酔っ払いをどうやって説き伏せるか、猪娘の口の見せ所だ。



『まず、刀の毒と言うのはどういったものか良くわかりません。本当に殺人衝動を引き起こす、一種の麻薬的効果をもたらすとは、ただの刀では考えられないのです。話に聞く精神科学的ギミックが実際にあるのですか?』

『学園都市の科学力で検証は出来るかどうかはわからんが、証人はいるぞ。真庭蝙蝠は「人を殺したくてしょうがない」と言い、宇練銀閣とその先祖金閣は執拗に刀と城を守り、敦賀迷彩は毒を転じて薬にしてみせた。存在はある。一番強い毒を持つ『毒刀 鍍』がどんなものか、実際に見ておるのだろう?』


そうだ。彼女らのリーダー麦野沈利はそれで昏睡状態に追い込まれた。―――先日、意識が戻ったそうだ。カエル顔の医者曰く、精神を毒している『何か』の所為で体の自由が利けずベットから離れられないとか。今は毒素を抜いている工程らしい。


『他の刀はあれほどではないが、毒はどの刀にもある。錆は剣士であるが故に毒を強く受けてしまったのだと何度も言っているだろう。絹旗よ、もう終わった話だ。あれこれ突っ掛る必要はない。まさかそなた、三流推理小説の真似事でもしているのか?』


その言葉に、カチンと来た絹旗は強い口調で(彼女から喧嘩を吹っ掛けたよう形なのはツッコみたいのだが我慢しよう)、


『ですが、それはとがめさんの推測ではないですか?』

『当たり前だ。奴は最期の最期まで裏切った理由を口にしなかった。推測無しでは奴は語れん』

『では、それは間違いの可能性が超十分あるではないですか』

『いや、そうだが……。そなたの予想だって間違いである可能性だってあるではないか!』

『はい、そうですが……。それでもとがめさんの超推測と私の超予想、どっちか当たっている可能性は半々になりますよね?』

『うぐ…』


………あっさりぐうの声も出せなくなったとがめ。


(珍しい。あの口達者なとがめさんが口で敗けた…。やっぱり酔っぱらって頭で考えられなかったのかな?)


本人もそのような自覚はあったらしい。


『わかった。そなたのいう事は認めてやろう。絹旗のいう事は正しい』


あー私も焼きが回ったな。と、悔しそうにするとがめ。いやいや、ただベロベロ状態なだけだろ。

とがめはパッと思いついた言葉を並べた。


『今思えば私は、錆の最期まで、私は最期まで、奴の心境は読めなかった。ある意味鉄仮面を着けている様な男だったからな』

『鉄仮面?』

『奴は常に善行しかしなかった。盗みもせぬ。謀略をせぬ。嘘をつかぬ。口にすることは全て真実。正直で生真面目な男だった。私の様な人間からすると、そのような生き方をすること自体が異常に見える。私は優しさと聖人の仮面を被っているのだろうと考えていた。きっと裏がある筈だと思っていた。が、それはわからぬ仕舞いだった。あり得ぬのだよ。“絶対に善い事しかせぬ人間”などいる訳がない。まるで機械だ。善行だけを実行する生きる機械だ。人を殺すしかせぬ日和号と同じだ』

『超普通じゃなかったと?』

『人には裏と表がある。表は良人でも裏は何をしているのかわからない。過去の歴史を紐解けば、丁原を裏切った呂布など、そう言った外道はごまんといる。私は旅を始めた当初は錆が呂布でないかと疑問だった。私を裏切ろうとするのを隠そうとしているのかと。そうでなくても見返りを求めているだけの人間かもしれないと。旅をしばらくして、ふと訊いた事がある。「そなたは何故、そこまで善行の限りを尽くすのだ」』

答えは一点張りだった。

――――武士として当たり前のことでござる。

『私は黒だと一瞬疑ったが目だけは白と言っていた。奴は嘘をつかぬ人間ではない。嘘を付けぬ人間だ。嘘を嫌う奴の言葉は全く嘘はなかった。だがなぁ、私の様な人間は正直すぎて嘘に聞こえてしまうのだよ』


疑い深い人間はあまりにも正直すぎる人間の言葉を聴くと全てが虚言に聞こえてしまうのだ。

余りにも容疑者の犯行の証拠が夥多過ぎると、逆に容疑者が犯人ではないのでは? と疑ってしまうのと同じである。余りにもアリバイが多すぎると、逆にこいつが犯人なのでは? と思ってしまうのと同じである。

嘘に塗れた半生を送っていたとがめにとって、正直すぎる錆の言葉が嘘に聞こえてしまったのだ。


『私は信頼し始めたのは、初めは嘘ではと疑った事が全てが裏が取れたと知った時からだ。正直で強く、器量もあり道徳もあって生真面目な部下はどこへ行っても重宝されるからな。だが全ての善行の理由と奴の心理は、私にはわからなかった』


――――それってただ単純にあなたが捻くれていただけじゃない。

きっと彼女だけそう思っていたのではないだろう。同じ食卓を囲む七花もフレンダも滝壺も絹旗も、誰もがそう思っているに違いない。

奇策士とがめは疑い深いのだ。そこを責めないでやってほしい。あそこまでの地位についた要因はそれなのだから。

絹旗は一つ咳払いをして話の転換点を作った。



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話の転換点はいつも彼女から始まる。

午後四時三十五分。オルソラ=アクィナスはニコニコと笑顔でこう問うた。


「では、錆さんと神裂さんの仕合はいつにしましょう?」


ロバート=クリケットら元ギャングたちと別れて、三人は街を歩く。グッタリとした表情で神裂はこう言った。


「少し疲れたので、今すぐじゃなくてもいいでしょう」


珍しく彼女がこんな表情をするのも無理はない。あの後、騒ぎを聴き付けた警察が来るわ、警察に事情を説明するのに手間取るわ、クリケットらに呼び止められるわ、百人近くの男どもに言い寄られるわで、散々な目に合った。

元ギャングたちは錆の指導の下、真っ当な人間へとなろうとしている。

そしてクリケットは仲間たちを必死に引っ張ってゆくそうだ。

彼らは彼らで自分の運命に立ち向かう決意をしたし、己の人生を見つめ直すいい機会を与えてやった。あとは彼ら次第だ。

―――さて、今度は私たちの事だ。これでややこしい事に巻き込まれなければいいのだが……。


「もう夕方ですし……」


西には太陽が傾いてゆく。もうすぐすれば今日も一日が終わるだろう。


「また後日でいいでしょう」

「となると、錆さんはどこかに寝泊まりして貰わなければならないのでございますね。――――錆さん? どこか宿をとってますか?」

「いや、ずっと路上で寝泊まりしていたでござる。寝泊まり出来る所が無いのなら、今夜もそうなると思われる」


オルソラの問いに錆は首を振る。神裂は即座に止めた。


「それは危ない。ロバート=クリケットらは改心しましたが、あれら以上に危険な連中はごまんといます。そのような生活ではいつ襲われるかわからない」

「それには賛成です。もうすぐお夕食の時間ですし、錆さんも一緒に食べるのでしたら、沢山いたほうが美味しいのでございます」


だが困った顔をするオルソラ。


「しかし、困りました。そうなると、錆さんを泊まらせる場所が見当たらないのでございます」

「……………そうなると、泊められるのは――――」


神裂は考えを巡らせる。

やはりここは教会しかない。キリスト教…というよりイングランド国教会には無数に教会がある。その首都ロンドンも然り。

―――どこかの教会に錆白兵をホームステイ出来ないか。


その時だった。

後方から、一人の男がやって来た。

誰でもない。聖ジョージ大聖堂に勤める中年の男だった。事務員ではない。清掃員でも観光案内の職員でもない。彼はイギリス清教の最大主教ローラ=シュチュアートの身の回りの世話を受け持つ男だった。

そう、彼は魔術サイドの人間である。


「Miss,カンザキ、最大主教がお呼びです。すぐに聖ジョージ大聖堂へ……」


ほんの数秒、耳打ちをする。


「……………了解しました」


男はそれを伝えただけで、消えていった。


「どうかいたしたか」


錆が去ってゆく男の背中を見つめて訊いた。神裂は何もないですと言った顔で、


「仕事です。どうやら私たちのボスが呼んでいるそうです」

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今宵はここまでです。ありがとうございました。
昔の日刊連載は地獄の日々でしたが、それでも乗りに乗っていてスイスイと書けたのですが、月刊連載になったとたんにこうなっちゃいました。色々綻びがあると思いますが、ご了承くださいませ。

これで第一部は一度区切らせていただきます。次からは……まぁ、お楽しみに。

今宵はこれにて。では、また。

~現状報告~
テストとかレポートとか論文とかバイトとかバイトとかバイトとかが忙しいので、遅れます。

こんばんわ。ちょっと不安ですが、このままダラダラ伸ばしててもしょうがないので、ちょっとだけ更新します。


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ボクは泣いていた。

未熟さを恨んで。不幸を憎んで。いじめる他人を羨んで。

ボクは絶望していた。

父さんが死んだこのドブ川で。父さんの教えを守ろうとして。お父さんの教えを捨てようとして。

ボクは死んでいた。

お腹が空いていて。体温が寒い冬の雪の寒さに凍えていて。ドブ川に倒れて。

ボクは埋まっていた。

この冷たくも柔らかい雪が化石の様に、白い土に掛けられて。


こうしてボクは一人ぼっちで泣いて、絶望して、死んで、埋もれてゆく。誰も認知されず、誰にも認められず、誰にも知られる事なく。

『隣人を愛しなさい。罪人を恨むのではなく、罪を恨みなさい。罰は神のみ許された行為なのだから』

そう父さんは言っていたけど、結局神罰を受けたのはボクだった。ボクは生まれたのが罪だった。

自問自答の中、この地に生を受けたのが罪だと解ったから後は死ぬだけだと諦めた。全ての感情と思考回路が、埋もれる雪に移り、雪に解け消えて無くなった。

だけど雪は白色以外の色は受け付けないらしく、黒い感情だけを残した。

無念さだけがボクに残った。

無念さだけがボクの全て。ボクを構築する原子。ボクを組成するナニか。木が木炭になる様に、ボクは真っ黒な物体になって死んだ。


そう時だった。

一人の髭面の老人がボクを白い土から発掘した。


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やはりこの国は薄汚い。

バチカンと比べれば一国丸ごとが娼館の様だ。美しい建造物は少ないし、食事も不味いし、夜を歩けば女が尻尾を振る犬の様に見える。唯一美しいと思えるのは大英博物館くらいだ。

この都市に潜入し早や五日。無事に戦力は固まり、あとはオリアナを暗殺するだけとなったが、どうやらそれは難しいらしい。


裏切者の事を徹底的に調べ上げ、あの女を速やかに抹殺するつもりだったのだが、実の所、彼の聖人、神裂火織が彼女と親しくしているらしい。神裂は人情に厚い性格をしているらしく、オルソラと大変仲がよろしいそうだ。

確か極東の国で我らと同じカトリックを激しい弾圧のなか密かに守ってきた同志の末裔だそうだ。

約200年もの間、神の教えを隠れながらも守り通してきたのは評価に値する偉業であるだろう。

だが彼女がプロテスタントであるイギリス清教に組したからには裏切りだ。『類は友を呼ぶ』と極東では言うが、まさにそれの体現者であろう。

されど侮ってはならぬ。彼女も聖人の一人だ。私一人突撃したとて、玉砕が目に見えている。


さて、何故ここでこの聖人の名を出したかというと、悪い知らせがあるからだ。

折角長い時間をかけて準備し、計画を立て、オルソラめを絶好のタイミングで人混みのなか暗殺しようとしていた時、偶然その神裂火織を発見してしまった。ここで人混みの中で騒ぎになってしまえば、仲間の死を見たあの女が我々を追跡し、報復するに違いない。

しょうがなく、私は二人が離れるのを待つことにした。が、どうやら私の運が悪いようだ。べったりくっ付いていて、まるで同性愛者の様。離れる気配が無い。

このまま時が過ぎるのでは、いずれ聖人相手に戦わなくてはならぬ。


しかも、最悪の知らせがもう一つ。

数日前、仲間が失態を犯し、全く関係のない所でイギリス清教の魔術師と交戦。彼らに存在を知られてしまった。これで暗殺は成功しても、この島国から生きて帰る事は難しくなった。

だが決して私は諦めない。我らには神の御加護と必殺の剣がある。如何に常人の力を大きく上回る聖人だろうと、これさえあれば粉砕できる。


そのためにも神裂という女の力を見極める必要がある。敵を知り己を知れば百戦危うからず。念には念をだ。

私は先日偶然にも発見した、イギリス清教『必要悪の教会』女子寮から出て来た一人の男に目を付けた。

あの極東の衣装を纏った奇妙な白髪の男が、男は路上に住まうギャングたちに襲われていたが、逆にバッタバッタと倒していた。私はこれを利用し、襲われたギャングに暗示を掛け、組織的に男ごとオルソラ・神裂を襲わせる事にした。

返り討ちに合うのは解っていたが、数が多ければ神裂が手を出すだろうと思っていた。

しかし狗は狗だった。使えなかったらしい。

予想通り返り討ちにあった―――だが、神裂の実力を見る事無く全滅。それどころか完全に服従させられた。あの白髪の男に。

尚、逃げた神裂はオルソラと一般人をイギリス清教本部に批難させてしまった為、第二プランとして立てていた暗殺は実行できず、作戦は失敗に終わった。


先程も言ったが、恐らく我らの存在はイギリス清教に知られただろう。きっと数日間、オルソラには護衛が付く筈だ。

こうなれば腹を括るしかない。私は諸君らと共に神裂諸共排除する事にした。

そのためには大きな術式が必要となる。ただちに待機している仲間を呼び寄せ、徹底抗戦するしかない。

誠に忍びないのだが、ビアージオ様にもうしばらく期間を頂きたく存じ上げるよう、サートゥルヌスに伝えてほしい。

そして、直ちに騎士団全員はロンドンに召集。各々、最大の武装で聖人に挑み、打ち勝つ覚悟で臨む。

女王艦隊による学園都市襲撃の期限まで時間はない。急がれよ。


全ては我が主の為に……―――。


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――――はよ、この話を終わらせろよ。


フレンダ=セイヴェルンはウンザリしていた。


―――錆白兵が裏切った理由は、実はとがめの為ではないのか?


そんな議論を始めてもうどれくらいたったのだろうか。

ぼーっと聴きながらと飯を喰らう。


「今、考えられる予想は……。
①とがめさんには悩みがあった。
②とがめさんが気付かぬ所で、とがめは危機に瀕していたから、裏切りの代償として危機からとがめを救った。
③実はとがめさんを失脚させる為、裏切るよう雇われていた。
これくらいですかね。
とがめさんが物凄く大きな悩みがあったとかは?」

「ないな。あったとしても、それは旅がなかなか進まなかった事ぐらいだな。それ以外はない」

「じゃあ②か③ですね」

「②はわからぬが、③は無いぞ。奴は全国に名が轟くまで、まったくの無名だったからな。轟いて直後に私と組むまで幕府の者とは接触したことはなかったらしい。それもちゃんと裏が取れている。錆はどこかの外様大名かその家臣の家に仕えていて、その家を後ろ盾にして剣の修行に励んでいた……と考えられるがな」

「…………もしかしたらですが、源義経みたいに鞍馬の山に預けられて、天狗にもで超修行させられたとか?」

「いやいや、そんな時代錯誤な…―――ああいや、あり得るな。奴の身体能力は八艘跳びを難なくしてのけた時があったな。―――とにかく、奴の過去は謎が多い。奴の記録や言動から、錆白兵と言う名の剣士を紐解かねばならん」


その時、フレンダはふと思ったのだ。


(―――結局、いつまで続くの。このまま延々続くんじゃないのかな)


無理もない。

人々を魅了し続け、『剣聖』とまで謳われた錆白兵。それほど彼は影響力があるのに、情報が極端に少ないのだ。聖徳太子や佐々木小次郎と言った実在を疑わせる。だが聖徳太子や佐々木小次郎の議論をした所で無駄話。朝日が昇り、鶏が鳴くまで討論したとて何の意味はない。

錆白兵いの話など、すぐに問題にすべきじゃない人間の議論など、まさにそれ。無意味の極みである。


『まぁ嘘か本当かは、このまま超議論していても朝になるから置いておいて―――錆白兵は正直者の善人で、とがめさんの為に裏切った……で超仮説を立ててみましょうか』

『錆白兵は正義感が厚く、誰よりも人に優しく、誰よりも尊敬にたる人物だった。これは認めるものとしてだ。じゃあなぜ奴は私を助ける為に己の信じた道と名声を捨てねばならんかったのか?』


これから、本格的に議論がヒートアップ。ギアをドンドン上げてもうノンストップで語り合う。数分すると、もうほとんどとがめと絹旗しか喋っていなかった。

他の4人は置いてけぼりを喰らったままである。


「じゃあ②ですね。とがめさんが全く気付いていない所で錆白兵は超カッコー良くあなたを助けたんですよ、きっと」

「うーん……どうだかなぁ」


もう飽きてきた。


「ねぇねぇ。これって結局いつまで続く訳よ」


七花に訊く。七花は淡々と味噌汁を啜った。


「さぁ」

「さぁって……一応ご主人様でしょ」

「知らん。酔って口が軽くなって錆の事を褒めちぎっているとがめの奴なんて知らん」

「………もしかして拗ねてる?」

「…………拗ねてない。ただ、錆の事をよく言ってるのが気に喰わないだけだ」

「結局拗ねてるじゃない」

「…………拗ねてない」


七花は味噌汁を空にすると、会話を中断させるように碗を絹旗に差し出した。


「すまんが絹旗、おかわりいいか?」

「ええ、超良いですよ」


立ち上がってキッチンへ行く絹旗を見送ると、七花はとがめに、


「とがめ、いい加減にしてくれ。延々錆談義に花を咲かせるお前らの話を聞かなくちゃならない俺たちの事も考えてくれ」

「なんだ? 妬いておるのか七花」

「………妬いてない。ただ錆の事を自慢げにしているのが無性に腹が立っただけだ」

「妬いておるではないか」

「………妬いてない」


不機嫌な七花は箸を持って肉じゃがを突く。彼らの時代になかった料理だが結構気に入っていた。

余談であるが、明治時代日本海軍の大将東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューを気に入り、自分の艦の料理長に作らせたものが肉じゃがの発祥であるらしい。そして先日そのビーフシチューとやらを食べてみたが、どうも七花の舌は肉じゃがの方に軍配は上がったようだった。

ぱくぱくとじゃがいもを口の中へ押し込んでは飲み込む。


「………大体、錆の話をしてどうするってんだ。今それやっても無駄だろう」

「無駄ではないさ」


とがめはそう言った。


「奴とはいずれ顔を合わせる。ただ会って話すだけかもしれんが、共闘するかもしれん。最悪最大の敵として私たちに立ちはだかるかもしれん。そうなる前に錆白兵という男の事を少しでも話しておきたい」

「考えてたのか」

「当たり前だ。酔っていても死んでいても私は奇策士だ。酔っているのも、私が知っている錆の情報を包み隠さず言おうとしたからな」

「それが奇策か?」

「まぁそうだな。私の悪い癖は情報を隠してしまう事だ。いつ誰かが裏切るかもしれんと思うたびに、つい情報を言うのを見逃してしまう。それでは後々、いる情報を言いそびれてしまって死なせてしまった、なんてでもしたらそれこそ笑えん」

「そうかよ。でも、あれだ。なんか腹立つ。胸がもやもやして、非常にむかむかする」

「それを嫉妬というのだが」

「嫉妬してない」

「そうか。なら良いが―――」


―――それはどう見ても嫉妬だろうが。

とがめは呆れる。錆に対してやきもちを焼いているのは見て分かるし、気持ちもわからん事でもない。それを認めたくないのが七花なりの男心と言うやつなのだろう。

だが、とがめはここでにやりと笑う。


(―――ふふふ…将棋村での汽口慚愧の一件………忘れてなどおらんわ。ここで私の気持ちを痛いほどわからせてやるのもいいな………)


まぁだがあれだ。この調子だと七花の機嫌が悪くなる一方だ。一年間で成長したとはいえ、剣として育てられた七花は精神的には少年とだいたい同じ。へそを曲げられたままだとやりずらいし、今後が面倒だ。ここは愛しの我が刀の為に話を変えてやろう。

絹旗が納得しないだろうが、あの話題を振ればすぐに話の路線を変えさせてくれる。



「はい、七花さん。超お味噌汁ですよ」

「おお、ありがとうな」

「えへへ、超どういたしまして」


なぜなら、絹旗最愛は鑢七花にベタ惚れなのだから。

とがめはこう切り出した。


「さて絹旗よ、錆討論をこのまま続けても明日になってしまう。ここで一旦切るぞ」

「え、とがめさん、何でですか? 超気を付けます」

「それは次回でいいだろう。錆よりも話さなくてはならない事がある。ついでに今話しておこう」


絹旗は首を傾げる。


「………?」

「おいおい、なにを惚けた表情をしている。一つしかないだろう」

「…………? …………。 ――――あ」

「そうだ。錆の事は言い尽くした。もう私から言える事はない。なら、今こそ話すべきことは一つしかない。それは――――――」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



イギリス清教には多くの教会を保有しているが、その中でも極め付け重要なのが、ここ、聖ジョージ大聖堂。

イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会(ネセサリウス)』の元拠点で、今はイギリス清教全体の頭脳となっている。ここを叩かれるとイギリス清教は機能しなくなり、いわば最大の要所の一つともいえるのである。

ロンドン中心街、ウォータールー駅から徒歩10分。錆白兵は神裂に連れられてここにやって来た。


「なぜ拙者まで? 用があるのは、神裂殿だけでは? ここに拙者もいては、邪魔になるでござる」

「いいえ、実の所、用があるのは私とオルソラなのです。私たちの上司…最大主教(アークビショップ)が緊急の召集を掛けたからには、恐らくただ事ではないと思います」


と、真剣な眼で神裂は言った。この眼をする時は仕事の時だった。


「しかしあなたを放っておく訳にはいきませんので、一緒に連れてきた次第です。申し訳ないのですが、あなたには中でしばらく待っていてもらいます。よろしいですか?」

「………うむ…仕事ならば致し方ない。承知した。―――拙者は一体どこにおればよろしいのか」

「それは……まぁ、講堂の中だと些か不味いので、申し訳ないのですが外で待って貰ってもいいですか」


『緊急』という事は、何か彼女たちには厄介な事が起こったのだろう。

錆は彼女らがどんなこと生業としていて、どんな厄介事を引き受けているのかは知らない。だが、神裂の雰囲気からすると名と腕のある武人である事はすぐに分かった。錆は神裂は用心棒か剣客などの、鍛えてきた武芸を用いる仕事をしていると考えた。オルソラの方はそのような気は感じない。どちらかというと腕よりも頭を使い、剣ではなく筆を振るう、文官の方だろう。おっとりしているが頭の良さそうな人だ。

なら、この決して大きくはないが立派な西洋建築の寺院の中にいる『あーくびしょっぷ』と呼ばれる人物はかなりの身分の人間であるのだろう。

『あーくびしょっぷ』に指揮されて動いているのか、守らされているのかは不明だが、ともかく神裂とオルソラの“仕事”を邪魔してはならぬと察した錆は、



――――承知した。


と、言いかけたその時だった。


「あら、珍しいお客さんね」


教会の入り口から女性の声がした。綺麗な若い声だった。お道化ていそうだがどこか含みの在りそうな、そんな高い声。

その声の正体を知っている女二人は一斉に振り返る。知らない錆は二人に釣られて振り向いた。

その声は、教会の入り口……厳密には少しだけ開けられた両開きの戸から。ひょっこり顔を出した金髪青眼の少女が、にこにこと錆を見ている。


(――――――。)


――――錆は、この感覚に既視感を覚えた。

それを知ってか知らずか、少女は子供を注意する大人のような目で神裂を見て、こう言った。


「お客さんを外にほっぽって待たせるのは、少々失礼ではなくて? 神裂、中に入れて差し上げなさいな」

「―――――ッ! しかし、最大主教!」

「神裂。これは上司からの命令です」

「………………わかりました」


『最大主教』と呼ばれたからには、この少女こそが神裂の上司なのか。意外だ。まだ20も無い女子ではないか。

てっきり中年以上の男かと想像していた錆は目を疑ったが、神裂の態度を見ると確信した。

金髪青眼の少女、『最大主教』ローラ=スチュアートは錆に手招きする。


「さぁ、どうぞ中に入って頂戴な」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「――――あぁ? 何だって? もう一度言って頂戴」


シェリー=クロムウェルは魔術師である。

ボサボサの金髪は肩まで長く、金獅子を思い浮かばせる。肌は褐色。普段はすり切れたゴシックロリータを着ている。

ゴスロリ姿の彼女はどこからどう見ても服装は変人のそれだが、彼女の中で何か考えてのことだろう。こういった類の魔術師は、服装や行動に魔術的意味を入れ込んでくる――――ではなく、これは彼女の趣味である。

実際、ここ、彫刻刀と鑿と破壊された石材だらけのシェリーの自室で、彼女はベットの上、下着一枚になっていた。―――すでにその下着も脱ぎかかっているのだが、ここは着ている事にしよう。ただ1つだけ壊されずに鎮座する少年像だけが、はしたない彼女の姿を見ている。シェリーは偶像崇拝はしないタチで全然気にしないが、少年像『エリス』が何故か将来を心配そうな目で見ていた。

シェリーは大きなあくびをしながら固定電話の受話器に、


「今起きた所だから、よく聞き取れなかった………――――いや、しょうがないでしょ。だって学園都市の件で朝早くに叩き起こされて、あの大ボケシスターと一緒に調べモンしてたんだから………」


相手は彼女が所属する必要悪の教会からである。

朝早く……というよりまだ夜の頃。部屋の固定電話のベルの音に目覚まし時計よろしく叩き起こされ、


『………んぁ……あーもーうるさいな……まだ夜じゃねーか………ッ! ――――――はいこちらシェリー=クロムウェルですが、只今絶賛爆睡中なので切るぞ! 間違い電話だったら死ね! ………って――――あぁ? 何だって? 仕事?』



そのままずっと書類を漁っていて、つい6時間前にようやく眠りについたのである。

そして今もう一度、同じ事が繰り返された。


「で、なに? 朝叩き起して、夕方にも叩き起こして、また仕事? ふざけるんじゃなわよ。こちとらほとんど寝てねーんだよ。寝かせろよ。寝かせてくれよ。頼むから」

『そういう訳にはいきませんよ。シェリー=クロムウェルさん』

「そんなこと言ったって、私はもう動けないの。あのシスターの皮を被った大ボケ老人の世話しながら『使徒十字(クローチェディピエトロ) 』の調査してやったんだ。もう無理。休ませてくれ」

『いや~それは……』

「ふざけるな。睡眠時間を削ってまで仕事した部下を休ませず扱き使うとか、いつからこの組織はブラック企業化したの。もっと人がいるだろ。必要悪の教会は人手不足になったなんて聞いてないんだけど」

『いやぁー、それはそれとして、ここはあなたに頼むしかないんですよね………なんて…………』


どうも、電話の相手はおどおどした声で接してくる。どうもこのような人間は好きになれないシェリーは、ついイラッとしてしまった。

面倒臭い奴だ。早口であいさつを済ませて、電話を切ってやろう。


「ともかく無理なものは無理。テオドシア=エレクトラでもリチャード=ブレイブでもいるだろう? 私をわざわざ酷使するまでもないでしょ。つーことでお休みー」

『あー! ちょっ、ちょっと待ってください!! は、話だけでも、依頼の話だけでも聞いてくださいぃぃぃいいいい!!! 私たちだけじゃあ無理っぽいんですぅぅぅうう!!』

「………………」


泣き付かれた。

電話の相手も依頼された魔術師のようらしい。

シェリーは溜息をついた。


「…………知った事じゃないけど、まぁ話だけは聞くわよ」

『ありがとうございます!』

「で? なんでテオドシアのオバサンでもなく、リチャードの野郎でもなく、私をチョイスした理由を含めて説明してちょうだい」

『はい。まず、あなたを指名したのは最大主教様直々のアドバイスでして……』

「……なんで?」

『それはわからないです。電話でいきなり仕事の命令が下されて、「もし無理だと思うんなら、助っ人はシェリーが一番☆」と言ってまして……』

「なんで?」

『理由を聞く前に切られました……』

「馬鹿。そう言うのはね、意地でも聞いとかなくちゃだめなのよ。言われたらホイホイ自動的に仕事を実行するだけロボットみたいになると、いつの間にかトカゲの尻尾にされちゃったなんて事になるからね。特に、ウチのボスの腹黒さと言ったらもう語りたくないほどだ。うかうかしてるといつか捨石にされて死ぬぞ」

『はぁ……スイマセン………』

「で、依頼内容は?」

『ああ、はい……』


どうも、気の弱そうな人間は苛々する。もっと強気で来いよ強気で。オドオドしていると本当に腹が立つ。

受話器からガサガサと数枚の書類を触る音がする。


『えっと……5日前、ローマ正教側と思われるエージェントの侵入を確認したので、これを調査、排除してほしいと……』

「………チッ。事務仕事の次は肉体労働かよ。人数は?」

『不明―――ただし、三人以上はいるそうです』

「………たっく、正体不明の敵を潰せだ? 私は土魔術を扱う魔術師で彫刻専門の芸術家だけど、探偵になった覚えはないわよ」

『それはご心配なく。敵は何者かであるかは足が取れてます』

「それを早く言いなさいよ……」

『これは失礼……』

「それで、何者なの?」

『はい。それが―――――』

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


最大主教 ローラ=スチュアートは教会の講堂に神裂火織・オルソラ=アクィナス・錆白兵の3人を招きよせた。

ローラを先頭にして長椅子が縦に並べられる講堂の真ん中を歩く錆。

この建物は小さめだと見ていたのだが、講堂の中は意外と広く、最奥に掲げられているキリスト像が威厳を放っていた。

―――ほう、なんと見事な……。

像を見上げる錆を見て、ローラは振り返ってニッコリと笑った。


「お気に召されたかしら?」

「うむ。立派な建造物につい見惚れてしまったでござる。いやはや、日ノ本にはこのような切支丹の像は見たことが無い故」


彼が見たのだろう像は、恐らく如来の姿をしたマリア像と同じようなものなのだろう。堂々とキリスト像を建造すると磔にされる時代だったからしょうがない。

神裂は歩きながらこう切り出した。


「それで最大主教。要件とは」

「ええ、知っての通り仕事の話。とあるエージェントが我が英国に侵入したそうなのよ。本来なら来るはずのない人間がこの島国にいるの」

「その者達を叩けと?」

「正解」


ローラは講堂の再奥にたどり着き、ある背もたれがひどく長い椅子に腰掛ける。

錆は彼女らの会話の意味は解らないが、一応耳を傾ける事にした。


「その者達は自身が信じる神は絶対の存在であり、自身が教わった教典は絶対の教えであり、自身が実行する暴力は絶対の神罰と疑わない、言わば『断罪者』を自称する者たち――――それが、今回のあなた達の標的なりね」

「この業界にはそんな人間、無数にいると思いますが……その様な狂信者にはロクな人間はいません。特にローマ正教。カトリックこそが絶対の信教で、その他大勢は邪教として見ている人間と何度も剣を交えてきました」

「今回もそのようになるかもしれず、ってところかしら。でも神裂、彼らは特殊よ。―――彼らはバチカン在住のカトリック教徒の一般人なのよ」

「………? ローマ正教の魔術師……ではないのですか?」

「いいえ、彼らはローマ正教で洗礼を受けたから、カトリック属しているけど、裏向きの意味では……魔術師としてはローマ正教に属していないの」


違わないのか? と訊きたいだろうが、この二つの言葉のニュアンスは少しだけ違う。

魔術師は大概、どこかの国教の教会に所属しているのがセオリーだ。また、魔術結社に所属したり、フリーでいたりする。後者は『どこどこ教会所属の魔術師』ではない。

例を挙げる。

ステイル=マグヌスは表向きではイギリス清教で洗礼を受けたイギリス国教会所属の神父だが、裏向きではイギリス清教所属の魔術師である。イギリス屈指の魔術結社『明け色の陽射し』の様に独自で集まる集団もあるのだが、それは結局、同じ宗教または同じ思想を持って集まっている。今回はあまり変わらないだろう。

この様に魔術師と言うのはどこかの団体に所属しているのが多い。そもそも科学が世界を制する時代、魔術などと言う異端、個人で独学するには無理がある。フリーで活躍する魔術師……学園都市で大暴れしていたオリアナ=トムソンも、恐らく彼女もどこかの教会か魔術結社などの魔術集団で学んだ後、彼女が脱退したか組織が壊滅したか何かで独り立ちしたのだろう。

要に、ローラが言っているのは、侵入者はローマ正教の人間ではなく、バチカンに住んでいるだけのカトリック教徒であると言っているのだ。

調査によると、彼らの人数は10人皆、熱心なカトリックだそうだ。表向きだが。―――侵入者の紹介文はこれだけだと済まされない。


「何も、コテコテのカトリック教徒が異教徒であるプロテスタントの巣窟であるロンドンに、観光しに来ましたーなんて愉快な理由でやって来た訳がない。十中八九、何か我々に危害を加える事は間違いわね」


と、ローラは低い口調でそう言った。


「なぜそのような事がいえるのですか?」

「良くあるでしょう? ある宗教団体が己の信教の為、誰かに危害を加える話は。地下鉄にサリン撒いたり、集団自殺したり、無理心中したり、他国の国会議員を暗殺したり………。そう、彼らはそう言う集団である可能性があるのよ。そしてそれだけでは終わらない」

「正当な魔術結社ではなくとも、一個の集団を成して魔術を研究し、魔女狩りごっこをしているのは、もうその時点で危険極まりない……と?」


『それもあるわね』とローラは答えた。

「私の勘では、大きなの後ろ盾がある」

「どうしてですか?」

「………ローマ正教が教えるカトリックを熱狂的に信じていて、異教徒を断罪し、弾圧し、排除しようとする。――――これはもうローマ正教に属していなくても、実質ローマ正教に属しているのと同じ効果を持っていると思わなくて?」

「………はい。確かにそうです」

「勿論ローマ正教は何も関与していない。していたとしても証拠が無ければ空論でしかない。だけど、私なら絶対に彼らを使う」


なぜなら、もし彼らが失敗した所で『彼らはただの宗教団体ですから、私たちとは関係ありません』と胸を張って言えるからだ。


「どんなに暴れさせてもトカゲの尻尾切りが出来るカードは使わない訳がない。それに各地で腕利きの魔術師と戦っている報告があるから、それなりに装備と資金が潤っている。もうこれじゃあ、バックにはローマ正教がいる事は目に見えているとは思わなくて?」

「………要するに、彼らはローマ正教の手先であると?」

「そういう事。でも気を付ける事をお勧めするわ。神裂、この者たちはその中でも異端中の異端。ローマ正教下に居てもローマ正教からも煙たがれ、魔術師であっても魔術師とは一線を画している」

「なぜわかるのです?」

「考えなさいな。どんなモノにせよ、もし強大な力を持つ者が大きな組織に見つかれば、邪魔だと思われれば排除され、便益だと見られれば吸収されるのが世の常でしょう? それがどっちつかずで使い捨ての道具として顎で使われる。―――きっと排したいけど潰すのが面倒なんだけど、吸収するにもあまりにも異形過ぎて取り込めないのでしょうね」


ローラはそう言いながら、懐にしまっていた報告書を神裂に手渡す。


「ま、念には念をで天草式のみなさんに調査していただいたら、見事にビンゴだったんだけど。はい。報告書。元部下だった天草式がせっせと集めてくれた情報よ」

「……………何か棘のある言い方ですね」


と、棘のある返答をする神裂。ローラはそれを、ひらりと躱す蝶の様に飄々と返した。


「さっさと元の椅子に座ればいいのに。その方があなたとしても彼らにしても、善い事じゃなくて? そして私にとっても」

「私にはその資格がありません。第一、天草式は建宮が支えてくれていますし、彼は私よりも組織経営に向いている。組織の頭に居ながらも遊んでばかりいると思えば私たちに一杯食わせるあなたと違って、私が入った所で何もできませんよ」

「……全く。まだインデックスの事を根に持っているのかしら」

「報告書を読みたいので、少し黙っててください」


肩をすくめるローラを尻目に、神裂は報告書に目を通し始めた。

―――会話が途切れた所で錆は隣にいたオルソラに耳打ちする


「オルソラ殿。天草式とは?」

「神裂さんが以前まで率いていたキリスト教の宗派です。もともと日本で活動していたらしいのですが、神裂さんが脱退してしまったのでございます」

「ふむ……」


何故か、とは聞かない。錆はそこまで無粋な男ではないからだ。だが興味はある。彼女は芯の通った立派な人だ。人望がない訳がないだろう。そんな彼女が仲間に背を向ける羽目になった理由が知りたかった。

神裂は一通り眼を通している間に、オルソラがローラに向き合った。


「ときに最大主教様。私はどうすれば? 私にも仕事があるのですよね?」

「ええ、シスター=オルソラはしばらくの間、身を隠してほしいの」

「と、言いますと?」

「この騒動の渦中はあなたよ、シスター=オルソラ」

「………」


オルソラはそれだけで何が起こったのか、理解した。神裂も資料を見つつも、そうだった。オルソラが“ここにいる事情の一部始終を知っているのだから”。

ここで何も知らない部外者である錆がいるからだろう、ローラはあえて理由を口にした。


「侵入者はローマ正教の手の者にしてローマ正教カトリックを熱心に信仰する狂信者。もし自身が信じて止まない神の掟に反し、神のお言葉に背いて異教徒に改宗した者がいたとしたら――――彼らはどう思うのかしら」

錆は勘づいた。


「もしや、オルソラ殿は………」


オルソラは何も答えなかった。ただ眼を伏している。申し訳なさそうに、溜息をついた。


「そうですか。全ては私が事の発端だったのですね」

「気にしないで頂戴、シスター=オルソラ。これはあなたの所為じゃない。あなたを拾ったのは私の勝手で、あなたを狙っているのは奴らの勝手。あなたは何も悪くない」

「最大主教様………。本当に申し訳ありません………。――――それで、被害の方は? 戦闘があったのでしょう?」

「幸いにも死者怪我人は無し。でも、早めにケリを付けないと死者が出るのは目に見えているわ。だから神裂、さっさと済まして頂戴」


神裂は頷いた。


「ええ。呼び出された時、どうせ血生臭い事なのだろうと思っていましたし、異端者狩りは必要悪の教会の仕事ですから。仕事はきっちり遂行します」

「狂信者には碌な人間は存在せず。彼らは己が信念を他人に押し付け、故に騒動を立てる事を聖戦と呼び、正当化する。己が正義ではなく己が神の為と唱えながら。それで多くの血を流してしまうのは、原理主義者の悪い癖ね」

「それをする前に、叩くんですね?」

「ええ、私の命令はオンリーワン。魔術結社を見つけ、即座に殲滅せよ」

「承認しました」


神裂は読み終わった報告書をクルクルと丸め、改めて標的の名を訊いた。



「―――――それで、その魔術結社とは……?」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「……………聖バチカン騎士団?」


電話相手から、そのエージェントの名前を知らされたその名前を脳内で検索する。


「聞いた事ないわね。ローマ正教十三騎士団にそんな名前はないし……。もしかして民間?」

『ええ、宗教団体に登録している組織の様ですね。正式な活動目的は『我が主たる神と神の子の為に、我が身を捧げ、我が肉体と精神を鍛える』だそうです。彼らが何の目的に動いているかはわかりませんが、魔術を扱って戦闘をしたからには、平和的に観光しに来た訳ではない事はわかっています。』

「………どうもトカゲの尻尾そのものみたいな連中ね。名前に吊られているとしか思えないわ。どうせ素人連中なんでしょ?」

『はい。ローマ正教に登録している宗教団体に同名の団体がありまして、書類上だと所属している人間は全員一般人です』

「じゃああんたらだけでいいじゃない。どうせ功名欲しさにノコノコやってくるバカどもだ。そんな奴らにやられるほどあんたら弱いの?」

『いいえ、そうじゃありませんけど……』

「じゃああんたらでやりな。私はもう寝る」

『ああ――――!! ちょっと、ちょっと待ってください!! 聞いてください! 確かに素人なんですけど、どっからどう見てもヤバイんです!!』

「……………」

『いいですか? この組織は正式にはローマ正教徒の一般人による宗教団体です。――――あくまで“正式”な話では、ですが』

「………何が言いたいの?」

『裏があるんですよ』

「裏?」

『その「我が肉体と精神を鍛える」の言い回しの正体は魔術の研究。実際、先日戦った時、魔術を扱っていましたからね。そこで、さらに深く調べてみると、なんと彼ら、イタリア各地からギリシャ、スウェーデン、スペインなど欧州諸国、日本やら中国やらとアジア、果てはアフリカのケニアまで津々浦々、幅広い範囲で出張・遠征・慰安旅行と偽って、活動しているんです。あ、ちなみにメンバーの誰かが大富豪って訳ではなく、ごく一般的な人たちです。問題は彼らがそこで何をしていたのかですよ』

「なに? 平和的に観光でもしてたんじゃないの? ギリシャの神殿とかスペインの闘牛とか、トキョーの寿司とかペキンのペキンだっくとか。ケニアでライオンでも見に行ったんじゃない?」

『いいえ。そうだとは思いません。何故なら、なんと彼らがいた場所には、未解決の殺人事件やら不可思議な交通事故が、一人の変死体発見から十何人規模死者がでた暴動のニュースがあったんですよ。それも滞在期間中に。もう、お分かりですよね?』

「…………そいつらの仕業って事?」

『可能性は高いです』


受話器の向こうから資料をペラペラとめくる音がした。


『裏ルートでの情報ですが、どうやら彼らの正体はどうも『傭兵団』の様です』

「傭兵?」

『傭兵と言うよりは、イタリアらしく殺し屋(ヒットマン)ですね。欧州各国でローマ正教のやり方や教義に異を唱える人間や、ローマ正教に背いた、元ローマ正教の魔術師や聖教者を暗殺する組織―――。実際に3年前、フランスでカトリックの神父が殺害されていたのが発見されています。それでその神父、元ローマ正教の上層部の運営を批判して失脚した魔術師でした』

「なんて物騒な連中。あーあー、これじゃあまるで十字軍だ」

『聞いた話によると、数々の功績を讃え、ローマ教皇が直々に騎士団の追加として『パロミデス』の名が与えられるとか。孤児院や障害者、流民などの支援もしてましたし、表面上ではそれを讃えてという事になってますが、実質裏稼業をさせる為の餌の様ですね』

「パロミデスって言えば、円卓の中でも屈指の騎士じゃないか。傭兵にしちゃあ大層な名前だね」


パロミデスとは有名なアーサー王の円卓の騎士の一人であり、物語の中でも武勇に優れていた人物である。


「確かに、メンバーで金を集めてアマチュアでやるのとプロフェッショナルとして金を貰って行動するのじゃあ、活動の質も量も違ってくる…。なるほど、奴さんは気合十分って訳だ。あーやだやだ。私でも殺されるっつーの。じゃ、私は寝るからおやすみー」

『ああんもぉ! 最大主教に言いつけますよ!!』

「したらいいんじゃない? 例え減俸されようが、私には芸大講師と言う副職があるから金には困らないしね。『命あっての元種』って言うでしょうが」

『……………まぁいいです。そこまで嫌ならしょうがありません。他を当たりますよ。――――けど、一応、その聖バチカン騎士団の詳細と彼らの目的だけは言っておきます』

「ま、一応聞いておいてやるわよ」

『ありがとうございます。』

「で、なんでそんな連中がこの島国に来た訳?」

『先程も言った事から、彼らの主な目的は「背信者への誅罰と粛清」であると私たちは推測します。最大主教も同意でした。ですので、ロンドン市内にいる、ローマ正教に歯向かった人間を抹殺する事が彼らの使命ですから、今回もそれでしょう』

「ふーん……。………―――ん? おいちょっと待て。騎士団って名乗っていて、十三騎士団に加えられるってことは、そいつらってもしかして………」

『はい。魔術師と言うよりもコテコテの騎士スタイルでした。装備も十三騎士団にも英国の騎士派にも引けを取らないともいます』

「……………そうか」

『…………………どうしました?』

「いや、何もない」


シェリーの呟きは意味ありげに聞こえたが、打って変わって蔑むようにぼやく。すると、


「それより、その『なんちゃって騎士団』、ロンドンにいるんだろ。だったら奴らの標的はロンドン市内にいるってことだ。ロンドンにわざわざローマから逃げ込んだヤツが。ローマと何百年も対立しているから安全だと見込んでやって来たのに、しつこく追い回されて可哀そうな奴だな。いったいどんな奴なんだろうな」

『あれ? わかりませんか?』

「あ?」

『シェリーさん、その人を知っていると思ってたんですけど………』


思ってもみない返答がやって来た。


「??」


シェリーは首を傾げる。

―――はて、自分の知る限りの人間にローマ正教にいた人間はいたのか………?

駄目だ、いくら考えても出てこない。溜まらなくなって、シェリーは尋ねた。


「誰だ? 私の周りにそんな奴いなかったと思うが……」

『いやいや、今日一緒に仕事しましたよね?』

「???」

『あれ? 本当にご存じじゃなかったんですか?』

「何のことだ?」


電話相手は、言っていいのか悪いのか少し悩んだ後、『伝えるべきですよね』と言い、


『―――――――オルソラ=アクィナスさんですよ、狙われているのは。彼女、元ローマ正教のシスターで、理不尽な理由で処刑判決確実の宗教裁判に掛けられそうになった所をイギリス清教が助けたんです』


「……………」

『………? シェリーさん?』


シェリーは暫く口を閉じ、何も言わなかった。

何か考えていたのだろう。それか、何か思う事があったのだろう。

そして、電話相手にこれだけ言って、電話を切った。


「すまん。暫く考えさせてくれないか。今日中には答えを出す」


まるでやる気のなかったシェリーの変わりように何かを感じ取った電話の相手はそれに、


『わかりました。では、電話をお待ちしております』


自分の名前をようやく名乗った。


『申し遅れましたが、私は天草式十字凄教の五和と言います―――』

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




錆白兵と言う男は、まったくもってお人好しであり、正義感の強い男である。『弱きを助け悪を倒す』―――そんな勧善懲悪を題材にした江戸時代の物語に登場する主人公をそのまま表した男だ。

彼は思うところがあった。

それは、オルソラ=アクィナスを中心にして回る、今回の事件の事―――。


理不尽な理由で処刑しようとしたローマ正教を脱退したオルソラを粛清しようとする魔術結社について……。

己が神の為、神の鉄槌を名乗って、何の罪の無い、か弱い女子を寄って集って殺そうとしていたのか。

―――何とも卑劣な。何とも理不尽な。


彼女の過去を、聞いた。


今まで信じていた神の代理人たちに、理不尽な理由で処刑されようとしていたのだ。

イギリス清教が拾わなければ、彼女は磔か火炙りにされていたのだろう、と最大主教ことローラ=シチュアートは言った。

そしてローマ正教に彼女が捧げた物は多く、未開の地に布教を続け、やっと功績を讃えられたばかりであった矢先のことだった、と彼女の友人であり同僚である神裂火織は言った。

基督教(キリスト教)の詳しい事は知らない。だが、どの世界でも宗教はそうだった。日本でもそうだった。戦国乱世の一向一揆で最大の浄土真宗

オルソラと言う女性は、人格に優れた人だと良くわかる。証拠に異邦人である自分にとても優しく接してくれた。

彼女に恩返しせねばならん。


―――それは今ではなかろうか。


この手には刀は無いが、この腕で振るう剣技は自身の精神と剣客としての誇り、そして弱き者の為にあると、そう念じて鍛えて来たのではなかったか。

ならば取らねばならん。腕に剣を取り、恩を返さなければならぬ。それが武人として、剣客として………否、男としてだ。


―――守らねばならん。



「オルソラ殿……」


錆はオルソラに強き眼差しで向き合った。


「なんでございましょう」


振り向いたオルソラのその眼に見つめられる。ふと金鶏菊を連想させる。錆は彼女の顔はとても綺麗だと。


「拙者にオルソラ殿を守らせて頂きたい――――」


可憐に笑う彼女を守らねばと、思った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


暗い部屋の中。

ずっと床を見つめる。

かれこれ数時間、このまま動いていない。動く気配もない。彼女はそのままじっと、床だけを見ていた。否、彼女は床など見ていない。むしろ、床どころかその空間さえも眼中から外れている。彼女の意識は彼女の内にあった。


『ローマ正教側と思われるエージェントの侵入を確認したので……―――』


その内で、先程の電話の相手の…五和とか言った女の声が響いてくる。


―――それがどうした。


『ローマ正教に背いた、元ローマ正教の魔術師や聖教者を暗殺する……―――』


―――自分でなくても、誰かがそいつらを見つけて殺すだろう。いちいち厄介事に首を突っ込む事は無い。幸い、これは最大主教の命令で無く、天草式からの個人的な依頼となっている。断る事は可能だ。


時計を見る。分針はⅧを指し、時針はⅪとⅫを指していた。11時40分。もうそろそろ答えを決めねばならん。

ウト…っと、瞼が重くなってきた。このまま毛布を被って瞼を閉じ、眠りの海に沈んでしまうのも、悪くない。見て見ぬふりをすれば、朝日が昇り、鶏が鳴き、雀が囀る、いつもと変わらぬ明日がやってくるだろう。ああ、そうだ。明日は大学で講義が一つ入ってたんだった。朝一のコマだから早めに寝なければ、遅刻してしまう―――。

―――だが、


『コテコテの騎士スタイルでした。装備も十三騎士団にも英国の騎士派にも引けを取らないともいます……―――』


―――だが、ロンドンに他所の国の、しかも騎士がいるとなると………腹が立つ。

奴らがもし、ローマ正教から受けた任務の遂行の為に何かをしたら――――例えば一般人への危害。例えば小さな子供を人質に取る。―――そんな危険性がある奴らがロンドンを肩で風を切って歩いている事を想像すると、無性に怒りがこみ上げてくる。

もしも理不尽な理由で誰かが傷ついたら。誰かが死んでしまったら。まるであの時の再現ではないだろうか。


『あれ? わかりませんか?シェリーさん、その人を知っていると思ってたんですけど………―――』


―――それでも、誰を狙っているとか、誰が狙われているのかは知った事でない。

決して、自分が知っている人間が狙われているとか、殺されそうになっているとか、そういう意味で行動しようとしている訳ではない。


『――――……オルソラ=アクィナスさんですよ、狙われているのは……』


―――それでもやっぱり気に喰わないのだ。あの時、エリスを殺した奴らの様な、自己中心的利己主義の我利我利亡者がそこに存在するという事が。

だから………。


「………………」


手を伸ばすと、固定電話があった。

受話器を取り、ダイヤルを回す。番号は知っている。さっき伝えられたばかりだ。

耳に当てた受話器からプルルルルル…と音がする。キッチリ3コールで、相手がでた。


「五和か。さっきの話、受けさせてもらうよ」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今夜はここまでです。ありがとうございました。


~現状報告…~
夏休みも終わりに近く、急ピッチで書いてますが、もうじきに出来上がります。しばしお待ちを……。

こんばんわ。お元気でしょうか。>>1でございます。二ヶ月も開けてしまいまして申し訳ございませんでした。
いろいろ迷っているうちにこんなに時間が経つとは……。

さて、更新していきます。今夜もよろしくお願い致します。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夜の帳は掬い上げられる。東の空が黒から紫いろに変化し、太陽が顔を出して昇り始め、鶏が高々に鳴き、小鳥が囀る。

朝になった。

ロンドンは『霧の都』と言われるが、実際は霧は殆どでない。霧の都と言われたのは19世紀…産業革命後、工場からの排気ガスによるスモッグが蔓延し、それがあたかも霧の様だったからである。

だが公害問題や環境問題とあり、排気ガスの処理の技術は進んで、今はもうスモッグは無く、猛毒霧の発生は無くなった。毎日清々しい朝の空気が、ロンドン中に充満している。

この聖ジョージ大聖堂の近くにある公園も例外ではない。

涼しい空気が肺をいっぱいにした。


「……八百三十…八百三十一…八百三十二…八百三十三………」


錆白兵は木刀を振るっていた。着物を脱いだ上半身は裸。ひゅん…ひゅん…と木刀の風切り音がする度に、汗が飛び、朝日で輝く。

周りには誰もいない。雑木林の茂みの中、一寸のずれも無く、一瞬の乱れも無く、錆は木刀を振る。もしこの姿を見る者が百居れば百、魅了されているだろう。

彼が手にするものが鍛錬用の木の棒ではなく、本物の鋼で造られた日本刀であると見違えるに違いない。それほどに剣筋は見事であった。


「……九百十…九百十一…九百十二…九百十三…九百十四……」


一日、朝千本、昼千本、夜千本―――。

日課であり彼が剣士としての鍛錬の内の一つを、一振り一振り極限にまで集中して振り続けている。


「九百九十七…九百九十八…九百九十九……―――……千」


ちょうど千回振り終えた時だった。


「見事なりね」


後ろから声がした。

錆はその声に振り向く。


「………ローラ殿…」

「流石、元日本一の剣豪……と名乗っているだけはあるわね」

「おられたのでしたか」


いつの間にいたのか。いや、自分が集中して気付かなかっただけか。……いかんいかん。もし近づいてきたのがローラではなく、敵意を持つ何者かであったら、どうしていたのだ。


「申し訳ない。拙者は修行不足の様でござる」

「いいえ。そこまで集中していたら、誰も気づかないわ」


と、にこにこと笑う最大主教。

後々知ったのだが、最大主教と言うのは彼女の役所であるらしく、この国、『ぶりてん』の国教である基督教の宗派の教主をしているそうだ。

要は『英吉利清教』を纏め上げている。

そんな高位の人間とは思いもしなかった。日ノ本で言うなら、天台宗の座主、真言宗の大僧正である。偉人で例えるなら、極めてだが最澄と空海(日本の仏教は宗派が複雑に入り乱れている為、非常に卑怯なまでに分かりにくいのだが、御了していただきたい)。一宗教の大僧正であるのが、目の前の少女である。

驚く所はそこだ。

一大宗教を纏めるのは徳の高い者でなくてはならない。いったいこの金髪青眼の彼女はどうして、そこまでの地位に立っているのだろう?

「時に、ローラ殿は何用で?」

「ああ、そうでした。素振り姿が余りにも美しすぎて見惚れていたわ。朝食はどうするか聞きたくて、ここにきたの。洋食と和食、どちらがよろしくて?」

「出来れば後者でお願い致す。どうも西洋の食の礼儀作法はどうも無知である故」


結局、昨晩はローラの勧めにより、聖ジョージ大聖堂に泊まることになった。これからも宿はここになる予定である。

仕事の話が終わった後、神裂とオルソラと相談していると、ローラに提案されたのであった。


『流石に女子寮に寝泊まりさせるのは頂けないから、こっちでお世話するから……』

『!! ―――…………よろしいのですか? どこの出の人間であるか不明なのに』


ひそひそとローラに耳打ちする神裂。


『心配せずとも、彼はそんな人間ではないわ。それに、その男の事に興味があります』

『………わかりました』


そうして一夜を聖ジョージ大聖堂で過ごすことになった錆は、夕食をローラと共にし、そのあとも色々と訊かされた。

例えば、


『錆白兵さんは、どこのお生まれで?』

『錆さんは剣を扱うと神裂から聴きましたが、どういった剣術を使うのですか?』

『白兵さんはどんな方たちと出会ってきたのかしら? それで、どんな人たちと戦ってきて、勝ってきたの?』

『ねぇ白兵。もっと話を聞かせて頂戴な。あなたのお話、とっても興味があるの』


……と、最終的には友好的に話し合うまでになった。まぁ、砕けた口調で話すのはローラだけで、礼儀を弁える錆の口調は崩れる事無かったのだが。


「わかったわ。じゃあ白兵、ウチのコックにとっても美味しいご飯を作る様に言っておくから、楽しみにしておいてね」

「忝い」


錆は一礼し、踵を返して去ってゆくローラを見送る。

と、ローラはくるりと旋回し、修道服の裾をひらりとしながら、


「あ、そうそう。鍛錬の為かもしれないけど、あまり外で裸になっちゃダメよ。とっても美しき風貌の貴方だから、女でも男でも関係なく誰もが見惚れてしまいけるけど、普通じゃあ警察に逮捕されてしまうから、気を付けなさい」


そう悪戯っぽく笑ってみせた。


「でも、私が特別大サービスで、一応人払いの術を掛けておいたから、もう少しそうしてもいいわよ」

「………有り難く」


『人払いの術』の詳細は分からないが、おそらく昨晩聞いた『魔術』という異能の力の一種なのだろう。

この世界のことは、ローラからよく聴いた。この世界が自分が存在していたのだろう世界とは違うこと。そして、存在していたであろう時間軸よりも随分と未来の時代にいるのだろうということ。彼女は昨夜、夜遅くまで話に付き合っててくれた。また真摯に自分が置かれている状況について説明してくれた。これはとても解りやすかった。

だが、全く、昨夜散々話をし、語り合ったと言うのに、一向にローラ=スチュアートと言う女子の内心が解らないのは、異常に違和感があった。

普通人間なら、ある程度会話し合えれば、『ああ、この人はこういう人間なんだな』と表面的だがわかる筈なのだが、彼女はそれが出来なかった。まるで人の形をした煙だ。掴めない。

初見でそんな感覚を味わった人間は、過去に一人。“あの人”と旅をしたから後々理解できたが、ローラはこれからも掴む事が出来なさそうだ。

そして最も不可解な事がある。それは―――


「しかし何故、あのような奇異な口調でお話になるのだろうか」


それはローラに日本語を教授したペテン陰陽師の所為だろうが、錆が知る由もない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


午前11時近く。シェリー=クロムウェルは大学の講義を終えると、構内のカフェに立ち寄った。ここが天草式十字凄教の五和と名乗る人間との待ち合わせ場所なのだ。

カフェのドアを開ける。内装は当たり前だが西洋風の装飾がなされ、心落ち着くBGMが流されている。店内には店員と客である学生数人。コーヒーを傾けながら小説を読む男子学生。ノートブックをテーブルに出して論文を仕上げている女子学生。ワイワイと楽しそうに喋りながら紅茶を啜る男女のカップル―――その中に、一人の東洋人がいた。


「あ、来た来た。………シェリーさん、こっちです」


如何にも日本から来た留学生ですと姿で語っていると言わんばかりの10代末の女がいた。

カジュアルな上下の洋服に、細い赤渕の小さなメガネを掛けている。レンズを見ると分かるが、レンズから見た目の位置が屈折して歪んでいない所から、伊達メガネだと言うのがわかる。

成程。偽装が専門である天草式お得意の変装か。

座っていた席から立って、とてとてと駆けてくる。


「お待ちしておりました」

「お前が五和ね」

「はい。初めまして」

「…………」


意外と若い。20代半ば程かとてっきり思っていたが、まだ子供のあどけなさが残っていて……。


「……………………チッ」


どうもあの日本人の少年を思い出す。あの日、地下鉄で殴られた痛みがまだ脳に残っていて、ウニでもクリでもトゲトゲを見ると異様に胃がムカムカする。

ふふっと五和が笑う。


「上条さん達との事は聞いてます。やっぱり、日本人は苦手ですか?」

「違うわよ」

「なら良かった。―――では、さっそく仕事のお話をしましょう」


五和はシェリーを自分が座っていた席へ促す。


「で、あれからまた情報はつかめたか?」

「まぁ決定的なものは……。でも、手ぶらって訳ではありませんよ」

「それなら出してよ」

「はい只今」


ごそごそ。椅子においてある手提げ鞄から書類を数枚取り出し、差し出す。


「今朝未明。新しく数名の侵入者が確認されました。勿論『聖バチカン騎士団』のメンバーで、それぞれ観光客や仕事の出張に来たサラリーマンと偽っての入国です。これがその資料と監視カメラで写した写真。―――あ、それと、聖バチカン騎士団のメンバー表です。ウチの諜報班が調べてくれました」

「ふぅん…」

「メンバーは全員で10人。老人から子供まで年齢の幅は広く、職業もバラバラ……元暗殺稼業から現役弁護士までいます。中枢は老人三名。本名は不明なのですが偽名を名乗っており、ユーピテルノ=ジョーヴォ、テロ=サルヴァトーレ、ウラヌス=ニコラオ。その内、ユーピテルノと言う男が組織を纏め上げている騎士団長です」

「一人は司教様、一人は魔術師ねぇ……。どっちもローマ正教の上層部に近い所までいってるね……。こいつらが毎夜集まって魔術講座開いてんのか。―――で、奴さんは全部でどれくらいだ? 5人か? 6人か?」

「いいえ、10人全員です。恐らく本腰を入れて来たのでしょう。――――時にシェリーさん。魔術を扱えない修道女一人を仕留める為に、腕捲りしているのはどうしてかわかります?」

「いや? そいつら、女殴るのが趣味のド鬼畜なんじゃないの?」

「そんなの騎士じゃありませんよ。彼ら、騎士としての誇りとか仕事とかはシッカリしていたそうで、“遠征先の人達には感謝されていた”そうです」

「ボランティアでもしていたとか?」

「みたいですね。―――と、言いたいところですが、ところがどっこい。報告によるとですね。『1995年のブラジル、リオでのカーニバルの真っ最中、なぜか公衆面前での暗殺をしても、その場に居合わせた人間全員がそれを見ていても、誰一人非難する事なく、通報もする事もなく、何もなかったかのように立ち去った』そうです」

「奇妙な話だね。いくら世界最大宗派のローマ正教の手先と言えども、人殺しなんだぞ? 普通なら顔を真っ青にしてサツ呼んで早く逮捕してください』って泣き付くだろ。まして、現場を見ちまったら目も当てられないね」

「十中八九、魔術のせいかと」

「でしょうね。まったく気味が悪い。て事は、その魔術を使うと、いつでもどこでも好きな所好きな様に人殺ししても、誰も咎めないってのか? なんだそりゃ、それはまるで十字軍か魔女狩りの様じゃないか」


十字軍も魔女狩り。両者共、非道を起こしても正当化された悪事だ。特に第一回十字軍はそれを絵に描いたもので、聖地エルサレムを陥落させると、イスラム兵を始め老若男女を殺戮し尽くした。フランク王国(後のフランス)の年代記者であるラウールは、その様子を、次のように記している。

『マアッラ(地中海に近い今日のシリア領)で、我らが同志たちは、大人の異教徒を鍋に入れて煮たうえで、子どもたちを串焼きにしてむさぼりくった』

また一方で従軍したフランスのある聖職者は、

『聖地エルサレムの大通りや広場には、アラブ人の頭や腕や足が高く積み上げられていた。まさに血の海だ。しかし当然の報いだ。長いあいだ冒涜をほしいままにしていたアラブの人間たちが汚したこの聖地を、彼らの血で染めることを許したもう“神の裁き”は正しく、賞賛すべきである』

と、記した。

これらの一文で当時の凄惨なる場景が思い浮かぶだろう。そして狂信者の狂乱ぶりが見て取れる。

兎も角、最悪の場合であるが、件の傭兵騎士団の手でこれらと同じ凄惨なる場景が、ここ、ロンドンで行われるかもしれないのだ。


(やらせるものかよ)


シェリーは歯を食いしばる。―――と、なぜそのような言葉を想ったのか、取り消す様に頭を振って、違う話題を振った。


「にしても、女一人[ピーーー]のにヤロー大勢いらねえだろ」

「それがいるんですよ。例え十、二十、兵を集めても太刀打ち出来ない原因が」

「??」

「ヒント。ウチの元ボス」

「………………神裂火織か」


五和は『ええ』と誇らしげに頷いた。


「当初、元女教皇様が出撃される筈だったんですが、急遽、最大主教がディフェンスに徹しさせるよう変更したんです」

「なる程、聖人じゃあ並の魔術師は敵わない。キングにクィーンをつけさせたか。いや、オルソラは修道女だから、僧侶(ビショップ)か。そこで、最大主教は神裂と連携が取りやすいだろう、元部下の天草式に、調査の引き続きとして殲滅に当たらせた……」

「本当にいきなりでしたからビックリしましたよ。標的の調査の任務で欧州中に仲間を散らしていたので……。おかげで本隊は半分しかいないわ、装備も整えられてないわで、正直言って隊伍も何もない状態です。シェリーさんの協力が無かったら、本当にどうなっていたか」

「ま、あの女…ローラ=スチュアートからすれば、お前らも私もただの駒なんだがね。チェスってのは、駒を使い捨てるゲームだし」


あの聖バチカン騎士団とやらをチェス盤の上のナイトとすると、ビショップことオルソラは特殊な技能を持ち、イギリス清教において必要な人材である。それを狙うナイトを討ち滅ぼす為に、棋士(プレイヤー)であるローラはビショップを守らせるためにクィーンを隣に侍らせ、周りをポーンで固めさせた。

きっと二重の策だ。いや、二重の柵だ。ポーンで守られねば、クィーンで一掃する事が出来る。


(恐らく、この自分がその天草式の増援として選ばれたのは、騎士への黒い感情があるからだろうね。―――やっぱりあの女は気に喰わない)


シェリー=クロムウェルと言う魔術師はチェス盤上では専ら、敵を力で薙ぎ払うルークになる訳だ。


「ま、適材適所ってところか」

「??」

「何でもないわよ。で、私にはどうしてほしい? 一応、索敵魔術は出来るわよ。顔が解っているなら捜索が楽だしね」

「ああ、それはですね。敵の捜索、追跡などは、いくらシェリーさんでもロンドン中を探し回るのは骨が折れると思うので、我々がやらせてください。半分しかいませんが、それでも数の多さだけがウチの取り柄なので。シェリーさんは我々が誘導して追い込んだ敵をゴーレムで薙ぎ払っちゃってください」

「りょーかい。それなら楽でいい」


シェリーはそう言い、ぐうっと伸びをした。


「ふぁ、ふぁぁぁ~~~~~………」


大きな口を開けるシェリー。全く上品でないところが彼女らしいと言えば言えるが、少しもも女らしさがないのは非常に残念である。

「あら。寝不足ですか?」

「お陰様でね。あれからあんまり眠れなかったし」

「………すいません。急なお願いをして」

「何をいまさら。申し訳なさそうに言っても、乗り掛かった舟だ。ちゃんと仕事するわよ。なに、だからと言って本調子じゃない訳じゃない。『殺れ』と言われたらいつでもで殺れるさ。で、その騎士団様の居所は?」

「それなのですが、未だに掴めていません。でも、今夜か明日中には特定する筈です。イーストエンドあたりが臭いですね」

「ふぅん。………てことは昼間は暇なのね?」

「ええ」


と、シェリーは急ぐように立ち上がり、


「じゃあ私は帰って寝るわ」

「え、ちょっと……」


急いで立ち上がる五和。シェリーはそんな彼女が見えないのか、スタスタと速足で去って行った。


「それじゃあ、無事に見つかったら連絡頂戴。夕方とか夜だったら必要悪の教会か女子寮の方にいると思うから。住所も電話番号もわかるでしょ?」

「あ、え、ちょ……。あの! 戦闘での連携を考えて、打ち合わせとかしませんか! ――――――あ、行っちゃった……」


―――もう、あの人は自由だなー。

五和は喫茶店で一人、置いてけぼりを喰らってしまった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


さて、ここはロンドン市内のとある公園である。緑色の芝生が地面一面に広がる、それなりに広い公園である。長閑な朝。そこに錆白兵がいた。

いつもの白い着物は着て来ていない。昨夜、神裂から日本街で買ったと言う、男物の青色系の着物を着て来ている。ちょうど十二時間前の事だった。幾らなんでも、寝間着も着替えも無しで、この国の宗教を束ねる重役と同じ屋根で寝泊まりすると言うのは、ローラに対しても錆に対しても、世話好きで義理堅く尚且つ細か…改め几帳面である性格の神裂には耐えがたいものだったのだろう。


「………………」


隣にオルソラがいる。同じベンチでのんびりと、楽しそうに目の前の光景を見ていた。神裂は物凄く奇妙な光景を見せられている気分だったが。


―――サンビャクニジュウサン! サンビャクニジュウシ! サンビャクニジュウゴ!


「そこ! 腕が下がっている。そこも、木刀の振りが遅い」

「「sir yes sir!」」


―――サンビャクニジュウロク! サンビャクニジュウナナ! サンビャクニジュウハチ!


百二十三人の黒人の男どもが数字を叫びながら棒を頭の上から真っ直ぐに振り下ろしていた。

棒とは無論、木刀である。いや、そのつもりである。全員が全員、それを持っている訳ではなく、持っている者は木刀を持ち、無い者は複数本所持している者から借り、また木刀に近い木の棒、鉄パイプなどを代用品として振るっていた。だが重さや長さは皆だいたいほぼ一定。一糸乱れぬ動きで、木刀(もどき)を振り続けていた。

そんな光景を、さっきから延々と見せられている神裂は、


「……………なんで、こんな所で、こんな風景に眺めなければいけないのでしょう」


と呟いた。オルソラが答える。


「それは、急遽、最大主教様が命令を変更なさったからではないでしょうか」

「私もその場にいたから重々知っています。ですが、なんで意気揚揚と敵の撃退任務に就こうとしていたのに、朝っぱらから公園でベンチに座ってなければいけないいのでしょうか」

「それは、最大主教様から私の護衛を頼まれたからではないでしょうか」

「それも私はその場にいたから全く理解しています。ですが、なんでその護衛対象のあなたがこんな公園で堂々とベンチに居座り、目の前の百数十人の男たちがずっと木刀を振るう光景を見ているのでしょうか。イタリアンマフィアの如く、後ろの高層ビルから狙撃されても知りませんよ」

「それは、私の護衛を買って出た錆白兵さんが、先に約束していた剣の授業をする為に、この公園にいるからでないでしょうか」

「それが解らない。なんであなたがそんなものに興味を抱くのです。対して面白いモノでもないのに」

「いいえ。とっても興味深いのでございますよ。何故なら、『人に何かを教える』という事はとても美しい事です。それは宣教にも通じるものだと私は思うのでございます。それに例えイタリアンマフィアの如く凶弾が私を狙っていても、神裂さんが守ってくださいますでしょう?」

「……………」


オルソラは堂々とそう言い、神裂は大きくため息をついた。

成程、大いに信頼されている訳だ。

相手が魔術を扱うと聞いている。そんな者がスナイパーライフルなど抱えるとは考えずらいと、神裂は思う。それなら魔術的対策を取るのが正しい(無論、裏をかかれた事も考慮するべきなのだが)。


「まぁ、いいでしょう。彼らには人の眼と言うものが無いと思いますし」

「と、言いますと?」

「今朝、敵を調査している私の元………いえ、知り合いから報告を受けたんです。どうも今回の相手は大人しくないらしく……。慣れない銃火器を取って狙撃するより、得意の接近戦魔術で攻めてくる筈ですよ。まぁあなたの身は守りますので、安心してください」

「はい。信頼しております」

「全く。あなたはどうも人を疑うという事を知らない。頭があくどい人間にその態度で接すると痛い目に合うかもしれないと言うのに……」

「それもそうですが、神裂さんはとても善い人ですから」

「それは褒めているのですか? それとも舐めてかかっているのですか?」

「いいえ、前者でございますよ。ふふふ」

「まったく……」


花の様に微笑むオルソラであった。


神裂は改めて目の前の奇妙な光景を目にする。

一心不乱に棒を振るう男どもと一緒に神裂が譲った木刀を美しく且つ完璧に振る錆は、力の限り木刀を握り、腕の力だけで振っていた男に、


「そう力むと逆に剣が鈍くなる。良いか。左手はこう、右手はこう持つ。左手は押し手、右手は切り手と言って……―――」


と、自分が持つ木刀で手本を見せながら丁寧に授業する。が、


「………Sorry, there is not it from me, a Japanese minute.」


日本語がわからない者らしい。錆は数秒考えた後、ベンチの方向へ振り返った。


「……………オルソラ殿か神裂殿! 申し訳ないのだが、通訳していただけないだろうか!」


と、救援要請。


「ええ、わかりましたよ。神裂さんは待っててくださいね」


人の良いオルソラはノコノコと立ち上がろうとすると、慌てて神裂も立ち上がった。


「ちょっと待ってください。もしこの隙に襲撃にあった場合、流石に危ないですから、私もついて行きます」

「ああ、そうですか。ありがとうございます」

(やれやれ、本当に油断も隙もあったもんじゃない。全く信頼されている人)


二人は錆の方へ赴き、彼の言葉を通訳する。


「Oh,Well.Thank you.」

「『わかった。ありがとう』だそうです」

「『これを忘れずに振れば良い』と伝えてくだされ」

「Do not leave this.」

「OK」

「『承知した』と。―――これでよろしいかったですか?」


錆はオルソラに振り返り、頭を下げた。


「有り難い。オルソラ殿。神裂殿も」

「いいえ。人に教えると言うのは、とても素晴らしい事ですよ」

「ですが、いくら約束をしたとしてもここまで付き合う事は……」


と神裂火織は不満げな顔で、



「私たちは、出来るならあまり外には出ない方が良いのです。敵はどこにいるかわからない。認識しているのかしていないのか、近くにいるのかいないのか、遠くから監視しているのかしていないのか、それすらも不明なのです。二人とも、それをわかっているのですか」

「それは重々に承知しているでござる。だが、一度結んだ約束を無碍にするなど、武士としてあるまじき事でござる」

「私はただ、錆さんの事が気になってしまいまして……」

「………全く。もしここで襲撃されたらどうするのですか。敵の数は十人の手練れ。いくらなんでも彼ら全員も守る事は絶対じゃあありませんよ」


神裂はそう脅す口調で警告する。神裂にとって元ギャング共はどうでもいいのだ。ぶっちゃけて言えば、彼らが不当な道から真っ当な道へと進んでくれればそれで良く、あわよくば自分たちとは関わり合いたくないのだ。

だが、錆は否と答える。


「安心なされ神裂殿」


錆はその場から少し離れる。神裂とオルソラと歩を進める。どうやら素振りをしている彼らには聞かれたくない話をするようだ。少し離れた所……神裂とオルソラが座っていたベンチまで来た。


「実は、それを考えていたのでござる。ずっと周囲に気配を探しながらいたのであったが………」


少し周囲を確かめてみる。怪しい人物はいないと(いや、いると言えばいるのだが)確信すると、二人しか聞こえない声でこう言った。


「少なくとも彼らは、その『聖ばちかん騎士団』とやらは、今は穴倉を決め込んでるのではなかろうか」

「なぜ? なぜそう言い切れるのですか?」

「殺気が無い。襲ってくる気配もない。監視されている様な視線は有るか無いかはおぼろげでござる。神裂殿が言うに、相手方は十人。こちらは神裂殿と拙者以外は皆、ひと吹きすれば紙人形同様、ぱたりと倒れてしまう。ましてやロバート殿らを人質に取られれば拙者らは手も出せない」


敵からすれば、今ほどの好機は無いだろう。神裂の絶対勝利条件はオルソラを守る事。だが今はそれに百名以上の一般人もいる。いや、それだけではない。ここは普通の公園だ。少し離れた所には全く面識のないベンチで談笑する老人やサッカーボールで遊ぶ子供、ランニングする若者たちも、目に見える範囲でこの場にいる。やりたければいっそ公園ごと吹き飛ばすのも手段だろう。報告によると白昼堂々騎士姿で現れ、目標の首を落として帰る連中らしいから、ありえる事はあり得る。どっちにしろここでドンパチやらかせば、大きな被害が出るのは目に見えていた。


「戦は先手必勝。横腹を見せているのであれば迷わず攻め入るのが定石。即ち今は絶好の機会。彼の桶狭間の如く、我々は総崩れになるでござろう。なら、すでにここは戦場になり、修羅場となり、オルソラ殿の首は刎ねられていても何の不思議ではない。―――では、なぜこうして未だに誰も来ないのでござるか」

「それは………」


神裂は思った事を正直に答えた。


「………戦う準備が出来ていないからですか?」

「然り」


頷く錆。


「恐らく敵は急に戦備の立て直しを図っているのだろう」

「それはどうでしょう」


オルソラが口を挟んだ。


「最大主教様の話によると、彼らは相当前にロンドンに潜入し、私を殺害する為に調査し、様々な策を練って来てていると聞いております。それを一旦崩して再度組み直すと言うのは、無駄の多いと思うのでございますが」

「うむ……」


顎に手を当て、錆は少し考える仕草をする。


「その価値がある、予定変更の理由があったのではなかろうか」

「と、言うと?」

「戦は先手が必勝。油断している敵の隙を突けば必ず勝利は得られると言うのにそれをしない。なぜなら、それをしても、仲間、味方に重大な被害が及ぶのではないかと危険視している事態が起こってしまった……としたら、話は通るでござる」

「敵に何かアクシデント……急変でも?」

「急変でござるか。……あり得る。だが相手は強敵。そううっかり自滅するほど愚かな事は考えられないでござる。なら急変はこちらの都合。オルソラ殿。最近、何か変わった事は?」

「いいえ、何も…」

「いや、ある筈でござる。そうでなくては、か弱き乙女一人、なぜ十人も引っ張り出し、物陰に隠れて慎重に機会を窺っているのでござろうか。何か、彼らに大きな被害を受けさせるものがある筈でござる」


オルソラは深く考える。最近、自分の身に起こった事は……わからない。最近は教会の仕事や慈善活動、それと一昨日はシェリー=クロムウェルと必要悪の教会での『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の調査。昨日今日と神裂と錆と共に………。


「―――………はっ!」


オルソラは気が付く。そうだ、この三日、オルソラは武闘派の魔術師と一緒だったではないか。


「そうです! ここ最近、戦闘に特化した魔術師さんと一緒にいておりました!」

「それは私ですか?」

「あと、シェリー=クロムウェルさんです。あの人は特に騎士に強い執念を持っている方だと聞いていますから……」


納得した表情でオルソラは頷く。


「ええ。それを考えるなら話は通ります。シェリーさんの魔術と過去をもし知っていれば、騎士であればただじゃ済まないと近寄れません。神裂さんも、世界に二十人しかいない聖人の一人で通常の魔術師などでは手も足も出ない実力者。―――ああ、なるほど。だから最大主教様は神裂さんを護衛としたのございますのね」

「??」

「私を守るために、私を中心に守りを固めようとしているのでございます」


オルソラを神裂と錆がくっ付いて守り、それを中心に天草式とシェリーが捜索&討伐にあたる。敵の襲撃はクィーン(神裂)(とナイト(錆))の護衛で近寄れない。あとはポーン(天草式)が猟犬になって探し、ルーク(シェリー)が叩き潰してくれれば一件落着。


「ローラ殿から神裂殿の英傑ぶりを聴いているでござる。相手取るには難攻不落。それなら一旦引き、最大の戦力で最大の火力を用いて挑むか、勝てずと諦めて帰還するしかない。そして長く時間をかけているようなら、いずれ見つかり、さらに多い人数で攻められるでござる」

「なんと見事な……。成程、ローラが考えそうなことです」

「何という事でしょう。私の所為で、皆様にこんな迷惑を……」

「そう気に病む必要はありません。オルソラはただ守られているだけで良いのです。血生臭いのは、私たちの仕事なのですから」


とは言っても、彼女としたら申し訳ないの一言だろう。自分の為に多くの人が巻き込まれ、生きるか死ぬかの危機にさらされている。

戦闘屋である必要悪の教会に属している神裂とシェリー、天草式の面々はいつ死んでもいい覚悟はあるだろう。だが今この場で木刀を振り続けている元ギャングたちやロンドンに住む人々は、自分がいつ死ぬかなんて余命を宣告された病人ならまだしも、夢にも思ってはいない。


(オルソラ殿はそのことを悔やんでいるのだろう)


錆はオルソラがなぜ『羅馬正教』から『英吉利清教』に鞍替えしたのか、経緯を知っている。信じていた神から裏切られ、250人近くの人間から暴力を受け続けても尚、神と人を愛している人間だ。

きっと強い信念と言うか、折れない心を持っているのだろう。神に祈れば救われる。私たちが裏切らなければ神はきっと奇跡を起こしてくれるはず。だから私はずっと神に仕え、神に祈りを注げているのだと。

そして神が私たちを愛しているのなら、神の教えの通り、私も隣人を愛し、敬い、絶対に裏切らないのだと―――。

異常かと思うだろう。だがそれが宗教なのだ。『鰯の頭も信心から』と言う格言通り、ひたすら信じる事こそが宗教。日本の仏教、その中でも浄土宗と浄土真宗は『南無阿弥陀仏』と唱えれば死後、輪廻の輪から脱せられる。それは仏教の救いであるから、宗教は違えど想いは同質だ。神道とて雨乞いは湖や池に住む水神に願いを乞うている。

そんな鋼の如く強い信念と宗教心を持つのだから、彼女はあたかも歴史上の清い聖母や神話の中の心優しき女神の様に、いつも笑って、人の心を癒してくれる。人に優しくできる。

だが錆は思うのだ。

人に優しくするという事は、それと同時に自分に優しくしない場合もある。自分を犠牲にしてでも人を救うとは、それ相応の危険を伴う。オルソラの今の心情は解らない訳ではない。だが、『私は殴られても平気だから、他のみんなは殴らないで。みんなを殺さず、私だけを殺して』と懇願するのは間違っている。それではオルソラを助けようとしていた人間が馬鹿馬鹿しいではないか。


「………私、どうしたら…………」

「オルソラ殿。そこまで自身を犠牲になされるな。身を粉にして戦って貴女様を守った者達が泣くでござる」

「錆さん……」


錆は強く、言い聞かせるように


「ここは私どもにお任せあれ。誰一人犠牲を出さず、見事、敵を討ちとって進ぜよう。心丈夫とは言い難いが、それだけでもオルソラ殿の心が安心するのであれば、幾らでも手を貸し与える所存でござる」


その言葉を聴いて、オルソラは頭を下げた。深く、深く。目は薄らと光っているようにも見えたが、それは言及しないでおこう。

礼を深くするオルソラは静かに、


「ありがとうございます」


と頭を下げた。

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小柄な少年が、街を歩く。香焼と呼ばれるその少年は、実の所、魔術師の一人である。

『天草式十字凄教』

かつて日本を本拠地にして活動していた団体であったが、縁あってイギリス清教の傘下に入った。いまは、その話はまた別にして。

香焼はロンドン市内のイーストエンドにいる。

―――イーストエンド・オブ・ロンドンの歴史は、軽蔑と侮辱の歴史である。19世紀後半の人口増加で一気に貧困層と移民層が集中したのが発端で、1980年代に再開発がされるまで、掃き溜めの様だったらしい。現在は開発が進められて整備されているが、それでも昔の面影は健在で、イスラム教圏やバングラディッシュ系の移民などが目立つ。経済の中心地であるシティー・オブ・ロンドンから東に位置するイーストエオンドは、東京でいうと下町に近い。治安はよくは無いが、貧困層や移民層が多く、物価が安く、日本人がよく住むらしい。

因みに―――世界で最も有名な殺人鬼、夜と共にやってくる謎の斬り裂き魔。『切り裂きジャック』の事件が起こったのも、この街である。

香焼少年はイスラム教徒が集団を成して集まる礼拝堂(モスク)の前を通り、白装束の一段とすれ違う。香焼が持つ手に持っているのは紙袋。印刷された文字には『HOT DOGS』の文字。すれ違ったイスラム教徒の一人がじっと見ているのを無視し、香焼は速足でその場を立ち去る。

二つみっつ曲がり角を曲がると、見知った後姿を発見した。


「教皇代理ー」

「お、やっと来たか」


クワガタを連想させるほどに髪の毛を異常なまでに黒に染め上げ、ダボダボの服装に紐を結んでいないスニーカーを履いた男―――天草式十字凄教『教皇代理』建宮斎字が振り返る。


「どうすか。調子の方は」

「どーかね。奴さんはまだ出て来てねぇ」


建宮は香焼からホットドックの袋を受け取る。


「おお、腹減った~。メシメシ」

「はい、お釣りっす」

「ん? 意外と結構お釣りでたな……。本当にこれで足りてるのか……? まぁとりあえずありがとさん」

「監視の仕事お疲れ様っす。まったく、教皇代理が自ら下っ端仕事とは……どういう風の吹き回しですか?」

「それもこれも最大主教(スポンサー)の依頼だからよな。おかげでどこも人手不足だ。移民が多いイーストエンドにマフィアが多いキングスクロス。治安最悪のブリクストン。黒人ギャングが多いハクニーとか。カウンシルフラット。キルバーンパーク。クイーンズパーク。ケンサルグリーン。クラパム。あと東地区全部。手当たり次第虱潰しするしかねえから、自動的に人手が薄くなる。散ったメンツ、全員ロンドンに帰らせる途中だ。いやぁ移動組は徹夜だろうよな」

「大変すね」

「いや、お前もやるんだよ。まぁ、アジトっぽい所はココと西の方に見つけたんだけどよ」


今、天草式ではある組織を追っている。

『聖バチカン騎士団』オルソラ=アクィナスの暗殺を依頼された傭兵組織である。

欧州中に散らばっている調査班が調べ上げた成果は大きく、メンバーの名前・顔・履歴・家族構成までも天草式の手の中にあった。

そこでわかった事があったのだが、彼は普通の一般人であり、教会に属する魔術師では無く、一般社会で普通に働く人間であった事。そして一般社会で生活しながらフリーの魔術師として、ローマ正教に汚れ役として依頼を任されては世界中で活動しているのだ。

最も、『聖』とか『騎士団』とか名前についているが、彼らの行動を探ってみると褒められたものではない。

別に外道悪道をする悪党のようなではない。慈善事業は良くやるし、各地で十字軍じみた悪行をしたと言う話は聞かない。だが、あまりにも手段を選ばなすぎるのが、異常だった。いや、一番異常なのは、如何なる手段を…最低の手段で依頼を遂行しても、誰も彼らを咎めず、許してしまう事だ。慈善事業をよくやるが、その各地で十字軍じみた悪行をした話が聞かないのは、そのせいなのかもしれない。

建宮はホットドックの包装紙を破りながらぼやく。


「全く。今回の相手はタチが悪いよな」

「?? 何で?」


実は先程戦線に参加した香焼は、敵の詳細を建宮ほど聴いてはいない。耳に入っているのは敵の組織名とそのメンバーの顔と名前くらいだ。建宮は少し離れた場所にある、少し古いアパートメントを見張りながら、


「文字通りの意味よ。奴らは最強の免罪符を持ってんだからな」

「???」

「それはな……つーか香焼」


建宮は袋に顔を突っ込みつつ、ガサゴソとある物を捜索して、ない事に気付き、

「マスタードどうした?」

「ああ、売り子のオッチャンが『君にはまだ早いよ』ってマスタード付けなかったんすよ」

「フツー、ホットドックにはマスタードだよな? なんでケチャップオンリーの甘酸っぱいだけの犬の餌喰わにゃならんのよ」

「ひっでぇー言いぐさすね!」


ケロリと笑う香焼。舌が完全に大人の味に染まっている建宮は噛み付いた。


「誰の所為だ!!」

「へへっ」

「………………―――まぁいいさ。腹に入ればそれでいいってのは、イギリスに来て学んだ事だから」

「イギリス料理まっずいすからね」

「脱線した話の続きをしていいか?」


建宮はマスタードの辛さがない、甘酸っぱいだけのホットドックを嫌そうに頬張りながら、頭に叩き込んだ、調査班が調べ上げた情報の一つを語る。


「一つの事例なんだが……―――」


―――フランス、ブルゴーニュ地方。フランスを代表するワインの名産地であるそこは、一面葡萄畑に覆われた地である。

葡萄は実に気まぐれで、へそ曲がりな作物である。少しの気象の変わりでその年のワインの良し悪しが決まる。雹など降ってきたものなら大凶作だ。

そんな場所に、一人の魔術師が潜伏していた。

アレキサンドロ=ロンバルディオ

元々ローマ正教の魔術師であり聖職者、パラディン。少年時代には神童、青年時代には鬼才と謳われ、若干30歳で司教にまで登り詰めた実力者である。だが同じ司教であるビアージオ=ブゾーニと対立。魔術の知識、戦闘技術、戦術的思考能力、人望は遥かに優れていたにも関わらず、処世術に長けたビアージオに政治面で敗れ、失脚。以降、ローマ正教に反抗、追放された男である。

彼の人望は部下をいたわり、不正をする上部を批判する姿勢にあった。逆にビアージオは部下に酷く鞭を打ち、自ら進んで不正を行う悪徳神父。下々の者がどちらを選ぶかは比べる必要もない。いずれ反乱が怒るのは必至だった。それにアレキサンドロは賄賂で自分を貶めたビアージオに恨みがある。

そんな男、ビアージオが黙っている訳ではない。数人の部下と共に逃げ延び、フランスの片田舎に隠れ潜んでいたアレキサンドロを暗[ピーーー]るよう、件の騎士団に依頼したのだ。

―――依頼は無事に達成された。

アレキサンドロ=ロンバルディオは激しい戦闘の末、部下共々討死。首はバチカンに持ち帰られ、見せしめとして晒されたと言う。


「証言は唯一生き残った部下だったあるフリーの魔術師と、引退した元ローマ正教の魔術師でアレキサンドロと友好があった神父から取ったもんだが、その中で二つ、不可思議な事があったのよな」


それは騎士団とアレキサンドロの戦闘である。先程も言ったが、葡萄とは気難しい生き物だ。少しもの異変があるとヘソを曲げてしまう。その年は珍しく、最高の出来栄え葡萄が実っていた。二十年に一度あるかないかの豊作だった―――の、だが。なんと、悲劇的な事に、戦闘はその葡萄畑で行われたのだった。


「葡萄農家からすればどんな気持ちだっただろうよな」

「きっと、迷惑どころか怒り心頭を通り越して泣いて中止を乞うたと思うっす」

「実際にそうだったらしい。畑の主人、その妻と子供、老いた両親、お手伝いさんに犬まで、一家全員が土下座して、騎士の脚にへばり付いて止めようとしていたとか。ま、その願いは虚しく儚く、騎士団方10名、アレキサンドロ方5名の壮絶なる戦争によって粉砕されるんだがな」


彼らからすれば悪夢そのものだったろう。

親から子へ……先祖代々受け継がれた広大な畑が戦争映画よろしく爆弾を爆発したかのように吹き飛び、一年かけて丹精込めて紫に熟すまで育てあげた葡萄がそこら辺中に無残と散らばり、ワインにすればさぞかし美味であろう果肉が容赦情けなく踏み潰され、畑と同じく先祖代々受け継がれた葡萄の木は剣戟の音の度に切り倒され、騎士の一人が掌を翳したかと思えば謎のビームが発射され、木の根までが焼き焦がされ…………この世と思えない地獄を演出され、一家の人生そのものが滅茶苦茶に蹂躙されていく様を、ただ泣いて見るしかなかった。

満月が出る夜に始まった戦闘は一夜で終了した。朝日が昇ると、葡萄畑の九割は爆心地になっていた。葡萄はそこになく、葡萄の木だった焼け焦げた木片と、無数のクレーターに穿たれた土と、4つの神父服を着た首なし死体だけがあった。


「折角の葡萄畑が蹂躙され尽くされ、最高の出来栄えであった筈のワインを無に消され、今年の収入どころか明日からの生活の危機に叩く蹴られた一家の顔は、絶望と怒りと憎しみに染まっていただろうよ。村中の人間集めて鎌と農耕器で戦争をおっぱじめてもおかしくない。―――だと思った。しかし事実は違った。一家はなんと、何故か、どうしてか、――――“生首を持つ騎士たちを見逃し、許してしまったのだと”」

「それが免罪符すか」

「そういうことよな。と、言いたいけど、実際はそれどころじゃない。つーかさらに状況はこんがらがる。そもそもその場にいた人間全員がおかしくなっちまうんだ。許してしまう? 違うのよな」



“――――それどころかアレキサンドロたちを『他所からやって来た疫病神』『俺の畑を蹂躙したクソ野郎共』『死体を燃やしてドブ川に捨てちまおうぜ』と罵詈雑言に侮辱し、逆に騎士たちを『救世主』『畑をこんなにしやがった似非神父をやっつけてくれた英雄』などと讃え始めたのだった”。


「はい?」

「そん時、畑の主人はこういったとか」


『―――もうワインは採れないけど、助けてくれたありがとう。葡萄畑はまた頑張ればいいさ。何、あんたらは何者か知らないが、勝手に現れて、勝手に居座って、勝手に俺たちの畑を滅茶苦茶にしやがった悪い奴らを、ぶっ飛ばしてくれたんだ。こっちがお礼したい。清々しい気分だ』


「その言葉を聴いた、生き残りの若い魔術師は戦慄。ブルった。理由はここで奴らに見つかれば自分はリンチにされて殺されるから、じゃない」



アレキサンドロは潜入先のこの地の住人に紳士的に接し、ここに暫く住む正式許可を乞うて獲得し、日曜の村の外れの教会で神の教えを説き、暇なら農作業の手伝いさえもした。その一家とは特に友好があり、よく食卓を囲んでいた。証言をした魔術師とその家の娘は恋仲になり、アレキサンドロも家の主人も祝福してくれた。魔術師はここに骨を埋めるつもりで、結婚したのだった。


「むしろ、攻撃されるのはアレキサンドロ方ではなく、勝手に現れ、勝手に襲い、勝手に畑を蹂躙した騎士方だろうに。家の主人は勿論、村中の人間、可愛がっていた村の子供たち――――そんで永遠を誓いあっていた筈の嫁さんに………」


―――なんであんたの様な悪魔に体を預けてしまっていたのかしら!! 返して!! 私の全てを返してよ!! 私の心も純潔も、何もかもを……!! お前なんか、死んでしまえェ!!!


狂気の眼で暴言と石礫を投げつけられるのは、どんな気持ちだったのだろう。


「結局見つかってリンチにあったそうだ。騎士どもが帰った後のが不幸中の幸いだが……。この仕打ちだ。あんまりだったろうよ」


正直同情する。まだ独身である建宮だが、愛する人に裏切られるのは想像を絶する苦痛だろう事の想像は容易だった。

ホットドックを一つ喰い終わり、次のホットドックを取り出して包装紙を破くと、香焼はよく理解した仕草で頷いていた。


「ふんふん。なる程。そういう事ですか。―――つまり。どーゆーことすか?」


否、理解していなかった。建宮はずり落ちる。呆れた溜息で、


「要するに、何もかもが逆転しちまったんだよ。味方と敵。正義と悪。利害。それらが全部、聖バチカン騎士団の都合がいい様に逆転しちまったのよな」

「う…ん? つまり、周り全てが自分の味方になると?」

「『勝てば官軍』。自分が正義だと主張し、例え相手が別の正義だとしても、自分の都合が悪けりゃ悪人よ。そいつをボコッてしまえりゃあ周りは拍手喝采。例え誰であろうと、自分を擁護する駒にしちまう。悪(敵)を皆殺しにしちまえば、誰も咎めない。全員が味方。みーんな平和。これほど便利な証拠隠滅道具は無いよな」


罪は追及する者がいなければ罪にならない。罰を欲する者がいなければ罰せられない。実の所、法の穴はそれかもしれない。例え神でも罪だと思わない者を追及しないし、神罰も神が欲さなければ実行されない。


「あと、その後、首はバチカンの、魔術師が集う場に晒されたそうだが、それ自体が不可思議だ。―――うっ……やっぱり不味い」


と、建宮は口にしたホットドックを噛み締めながら、苦痛の表情をした。やっぱり不味い。なんというか、変な味がする。イギリス料理は味が無く、調味料で全ての味を調節すると聞いたが、マスタードの無いホットドックは味気ないどころか、生焼けなのか調理が下手なのか若干生臭さがあった。


「そりゃ逆世界三大料理の一つですから」

「それでもここまでヒドイ味はないぞ。いったいどこで買ってきたのよこれ」

「いや、普通に裏路地に入った所にあった、オンボロ屋台。怪しい中国人だか韓国人だかが売ってたっす」

「ブーッ!」


その言葉に、とっさに建宮は口にある物を全部吐き出した。

言っておくが、イーストエンドは移民層が他の区より多く、数多くの世界中の人種がごった返してる。そんな所だ。アブナイ食材が無い可能性など、ある訳ない。


「おまっ! ちょっと待てよ! これ……本当に豚肉か?! 人肉使ってんじゃねぇだろうな!!」

「大丈夫っす。屋台のオッサン、『ダイジョーブネ、ダイジョーブ。質ノヨロシイ、羊肉使ッテルネー。ダイチョーキン入ッテナイヨー。ジンニクトカ、アレ、ウワサネー』って言ってたっす」

「明らかに怪しいよなぁそれ! そもそもホットドックのソーセージは羊肉じゃなくて豚肉だ!! 本当に人肉使ってたらどうするよ!! カリバニズムはキリスト教のタブーだぞ!?」

「これぞホントの人(ジン)ギスカン」

「うまくねえのよな! それスッゴク下らねえし。そもそもヤバいから!!」

っと、ここで大声を出してしまったらマズイ。建宮は急いで監視するアパートメントに向き直す。………よし、変わった事は無い。安堵のため息をつく。


「ふぅ。焦ったよな」

「トオバリしている身だと言うのに、大声出すなんて弛み過ぎっすね」

「…………」


今、このクソガキをぶん殴るべきだろうか。―――いや、そう言えば最近、日本で体罰とか暴力とかが問題になっているらしい。口で言ってもわからないバカは殴らなければ解らないと言うのに、どうすればいいのだろうか。

兎も角、ここで馬鹿騒ぎしてもしょうがない。話題を戻す。


「キリスト教において、人体の損害ってのはタブーって程でもねぇが、まあ宗教観的に死体の始末は丁寧にするもんだって知ってるよな」

「うっす」


キリスト教は『最後の審判の日』に全知全能の神による死した自身の復活を願う宗教と言える。善行を積んだ者が復活でき、悪行を重ねた者は裁きを受ける為に復活する。

『復活』と言うのは大体の宗教に共通するものである。

キリスト教の元となったユダヤ教は『最後の審判の日』に全知全能の神によってユダヤ人のみが復活する宗教である。

―――因みにの話だが、またエジプトの太陽信仰も王が復活を願うから人体を完全に保存する為、遺体をミイラ化する。
一方、仏教には『復活』は無い。
仏教は生前を救う宗教ではなく、死後の安寧を願う宗教だからだ。仏教によると人間は死後、六つの世界へと赴く。それぞれ天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道……これを『六道輪廻』と言う。この中でも仏に出会えるのは人間道…私たちがいる世界で、徳(善行)を積めば極楽浄土行ける。要は仏に生まれ変われると言うのだ。逆に悪徳を重ねれば今より下のランク……六道の三悪趣『地獄道』『餓鬼道』『畜生道』に生まれ変わる(『修羅道』も加わる説もある)。俗にいう地獄に堕ちるのだ―――。

キリスト教・ユダヤ教……どれにしても、生まれ変わるには体がいる。キリスト教・ユダヤ教の復活は生前の自分の体を使う。イエス=キリストがそうだったようにだ。実際、死者の埋葬は土葬がメインで、彼の魔女として裁かれたフランス史上最大の聖人ジャンヌ=ダルクで有名な火刑は、体を燃やすことで灰にして復活できないようにする意味合いを持つ。

兎も角、死者の体を損傷させる事はキリスト教(またはユダヤ教)では重罪である。


「それなのに、死体の首を刎ねて晒して、死体を酷く損傷させた。これじゃあ復活は出来ない。異教徒ならまだわかるが、同じカトリックだ。討ち取った後は損傷を少なくして土葬するのが筋だろう。なのに何でいちいちそうしたのよ」

「そりゃ、見せしめじゃないっすか?」

「だよな。でも心から尊敬する人物の晒し首を見て、憤って暴れまくる人間、一人や二人いてもいいのよなぁ」

「何かあったんすか?」

「晒し首の神父と長らく親交のあった人物の証言なんだがよ。―――誰一人として、アレキサンドロの晒し首に異議を唱えた人間はいなかった」

「そこってローマ正教でもトップクラスの結界張ってある場所っすよね。それじゃあ、その『免罪符』超絶ハイパー強力じゃないっすか」

「そう言うこったよな。何らかの魔術を仕込んである事は確実。でもフランスの片田舎から結界張ったバチカンのド真ん中までなんて規格外の範囲。笑っちまうよな」


驚く香焼。と、そこでようやく自分らに置かれている状況が見えてきた。


「………………もしかしたら、天草式もその魔術に引っ掛かれば、ロンドン中の人間が敵になると?」


建宮は困ったような満面の笑みで振り返った。


「そーゆーこと☆」


だからアジトを特定しているのに攻撃できないのだ。

下手すると、ロンドンの全市民―――必要悪の教会の魔術師から、彼らが尊敬してやまない女教皇 神裂火織も敵に回る可能性があるのだ。

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さて、錆白兵が出て行ってから暫く経つが、聖ジョージ大聖堂でローラ=スチュアートが何やら誰かと会話しているらしい。だが聖堂には彼女一人しかいない。相手は遠く、極東の島国にいるのだ。ローラは学園都市の長とテレビ電話をしていた。


「それで、昨日の件は無事に?」

『ああ。そちらのおかげで“最少の犠牲”で事は済んだ。怪我人が出たものの、死人が出なかったのは有り難い事だ。寄越してくれた魔術師君……確か、ステイル=マグヌスだったか。彼は非常に優秀な魔術師だと見える。時に、オリアナ=トムソンは無事にロンドンに到着したかね?』

「ええ。―――礼を言うわ、アレイスター」

『さて、ここで報告を済ましたのだが………』

「それがなにかありて?」

『それなら書面で十分な筈だ。なにぶんこちらとしては一年に一度の祭典で多忙であるからな。ここで時間を消費している訳にはいかない』

「それは承知よ」

『だがそれを断って、通話を望んできた。―――何か、あるのだろう?』

「………………」


こちらから振るつもりだったのだが………先手を打たれた。


『例えば、「突如現れた異世界人」と言う、夢物語に登場しそうな人間たち………とか』


ローラは眼を見開いて、嫌そうな顔で笑った。


「なるほど。何か知っているそうね」

『別に、私の所為ではない。と言うより、私が予想にもしていなかった事態でね。学園都市のとある超能力者が応用した力を使ったのが原因だ。まぁその詳細を説明してもいいのだが、量子力学や物理学には疎いだろうから、割愛させてもらう。どうも異世界から人間を十数人ほど招いてしまっているらしい』

「学園都市に、そう言った人間が?」

『相当数、確認されている。――――その様子だと、ロンドンにも現れたようだ』

「こっちは一人よ。彼の話を聞いたのだけど………―――」


ここからは、読者諸君ならよくわかる話だと思う。要は、彼らが何者で、どんな時間軸、どんな世界線からやって来たのか…否、連れてこられたか、その様な話だ。お互い、仮説を交換し合っているのである。


『なる程。違う時間軸の過去の時代の人物か。それは考えてなかったな』

「そっちはなんて考えていたの?」

『違う銀河、違う惑星から連れてこられた異星人といった所か。あの力は気が遠くなる程に遠く離れた場所とアポートする事が出来る。それが偶然地球と同じ環境に育ち、地球人に近い種族が反映している星であっても不思議ではない。まぁ、『0次元の極点』だけに確率論的には0に限りなく近いがね』

「………こんな話、今してもしょうがないんだけどね」


ローラは肩をすくめ、確認する口調で、


「つまるところ。彼らは何者かの意思で連れてこられた、“死人”って事でいいのね?」

『例外を除けばそうだ。私が雇っている者から聞いた話によると、二人の生者以外は全て元いた世界で死亡しているそうだ。こちらとしては不可解な話だ。何せ彼らの話が誠なら、死した者が異世界とはいえ、生きて街に歩いているのだからな』

「―――死者蘇生……」

『遺体の損傷が激しくなければ可能かもしれないが、いかんせん科学的に『魂』とやらが証明されていない。まず死人が歩くと言うのは、科学サイド(こちら)では無理な話だ。となると、これを分析するのは魔術サイド(そちら)であると私は思う。何せ、イエス=キリストこそがそれをした張本人であるからな』

「それが出来ていれば、どれだけいい事か……。ま、死体を操る術はありけるけど……。死霊使い(ネクロマンサー)、殭屍(キョンシー)、吸血鬼にゾンビ……色々考えられるけど、死者を完全に蘇生するには―――ああ、そう言えば安部清明の蘇生伝説とか考えらるけりだけど、結局眉唾物ね……」

『うむ……そちらで解らぬのなら、致し方ない。こちらでも調査するが、そちらも調べた方が身の安全だろう。どうもこの世界の調和を乱しかねない。実際に学園都市で大賑わいをしている者達がいる。気を付ける事だな』

「御忠告どうも。何か判明したらお互いに報告し合いましょう」


ローラは肘掛に肘を乗せ、

「まぁそれはそれとして、その学園都市に流れている噂とやら……『最強の超能力者をも倒せる十二本の刀』? それも気になりけるわね」

『ほう。それはそれは。こちらでも捜索中なのだが、そのうち一本を調べる機会があったのだが、どうも科学的に証明されそうだ。魔術サイドの出る幕はないと私は思うが』

「それは違いけりよ。科学と魔術は、言わば光と影。コインの表と裏。この地球における表裏一体の世界……。『ドナーティのホロスコープ』の様に、考古学的にも魔術的にも高い価値を持つ場合があるわ。その十二本の刀が全て科学サイドのみで解決できると、完全に調べ終えるまで思わないで頂戴」

『そうか。それは失礼した。ではなぜその刀に興味が? 刀と言っても日本刀だ。西洋文化には似合わないだろう』

「それがね。どうもあなたの話を聞いていると、ロンドンにいる異世界人と一本の日本刀について争っていて、それが奇妙な刀なりて……」


ローラはその刀…『薄刀 針』と呼ばれる刀について話した。とても軽く、薄く、そして脆い刀だと。


『それは間違いなく、件の代物だな。ほう……学園都市だけではなく、世界中に散らばっているのか』

「参考までに、他の十一本についても情報が欲しいわ」

『いいだろう。十二本の刀の銘は「絶刀 鉋」「斬刀 鈍」「千刀 鎩」「薄刀 針」「賊刀 鎧」「双刀 鎚」「悪刀 鐚」「微刀 釵」「王刀 鋸」「誠刀 銓」「毒刀 鍍」―――そして「炎刀 銃」だ。私が知っているのは「絶刀」「斬刀」「千刀」「賊刀」「微刀」まででね。あとは情報提供者がそれ以降の情報を獲る前に死んでしまったらしい。ともかく、保持者に何らかの影響を及ぼすようだ。こちらのパワーバランスが微妙に歪みつつある』

「ありがとう、アレイスター。とっても助かりました」


ローラは眉ひとつ動かさなかった。目も反らさなかった。ポーカーフェイスで固定したまま、昨晩のステイルの声と、あの黒光りする二丁の拳銃を思い出す。


“――――――「炎刀 銃」……”


ローラにとって拳銃など無用の長物であったため、オリアナを捕えた報酬の代わりとしてステイル=マグヌスに譲ったのだが、彼はそれを日本刀と呼び、『炎刀 銃』と名付けていた……ではなく、その刀がそう名乗っていたのを反芻している風に思えた。

そうか、あれがその刀なのか。この情報はアレイスターには伏せておこう。強大な力を持つと言われる刀だ。これは大きなカードになるかもしれない。
異様な空気を読んで、アレイスターは無表情でローラに、


『何か?』


と訊いた。ローラは先程と変わらぬ表情で、


「いいえ、何も」


と笑った。

―――今、ロンドン市内に、その、『四季崎記紀が造りし完成形変体刀十二本』が内二本が、あるという事だ。これはトップシークレット。これは手に入れない訳にはいられない。密かに、速やかに、誰も気付かない様にして。
英国が、ではない。イギリス清教がである。より正確には、清教派である。
原作で語られるのはもう少し後になる話だが、イギリスには三つの派閥がある。『王室派』『清教派』『騎士派』である。三竦みの勢力争いを長年繰り返しているが、現在は清教派が一番強い力を有している。しかし騎士派のトップである騎士団長(ナイトリーダー)は騎士の中の騎士で、王室派に大きく肩入れしている。これでバランスは崩れ、勢力図に影響がでてしまうのだ。これは非常にマズイのである。

そこで清教派のトップである『最大主教』ローラ=スチュアートはさらに勢力拡大を進める手を欲していた。


(ちょうど何らかの切り札が欲しかった所だった……これは好機!)


内心で燃える炎が外面に出ない様留めながら、ローラは微笑みでアレイスターとの通信を終える。


「情報提供ありがとう。ついでと言ってなんだけど、その確認が取れている異世界からの人達の情報も下さらないかしら」

『いいだろう。口頭では面倒だ。直ちにファックスで書類を送ろう』

「このお礼は後々払うわ」

『そうか。ならお互いに情報提供を怠らない様、努めよう……―――』


テレビ電話の画面が黒になると、ローラは椅子の背もたれに寄り掛かる。今からのスケジュールは何だったか。明日はどこで何をするのだったか。そんな事を頭の帳面で繰って、


「――――ああ、そう言えば今日、キャーリサが学園都市から帰って来るのだったわね」


そう呟いた。そして少し思考を巡らすと、大きく手を叩く。するとドアから一人の男が入ってきた。ローラの部下である。


「何用でございますか」

「今から用意してほしい物があるの。直ちに集めて頂戴。できれば明日の朝、三派閥の会議までに。そして土御門に、『学園都市に現れた十二本の刀』とその他について調べるように伝えよ」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

さて、ここより新章に入るが、ここで言わなければならない。




錆白兵について語るには、どうしようもなく、語らねばならぬことが三つある。




一つは彼の性分について。

これはくどいほど語ってきた。やれ娼婦を助けただの、農民を救ったのだの、悪代官を懲らしめただの。修業時代の時も、とがめと主従の関係になる前も。とがめの刀集めの旅を犠牲にしてでも。―――数々の武勇伝を築き上げてきた。

だがこれだけでは彼を語るにはまだ足りない。



一つはもうわかっているだろうが、彼が持つ刀の事だ。

―――『薄刀 針』

短い期間だったろうが、彼がこの刀を強く愛用し、敬い、誇りにして腰に差していた四季崎記紀が造りし完成形変体刀が一本は、彼の人生においてもっとも重要な項目であった事は間違いないであろう。

彼がこの刀を持っていなければ、“彼は奇策士とがめを裏切っていたかもしれなかったが、殺される事は無かったのだろう。”されどこの最も脆弱で薄いだけの刀を手にしていなければ、錆白兵という剣客……否、四季崎記が造りし完了形変体刀の出来損ないが,“あそこまで強くなる筈が無かった。”

………話が長くなるだろうから、この話はロンドンの時間から今から一日後、彼が神裂と再会し、講堂を共にして三日目の夜―――神裂火織と言う剣士と決闘をする“月の夜”まで持ち越すとしよう。その時、彼の刀がどれほどの力を有しているのかを語ろう。

今語るのは最後の一つだ。



最後の一つは、先程も言ったが、四季崎記紀が造りし完了形変体刀の出来損ない―――『全刀 錆』の事だ。

刀語と言う物語を知っている読者諸君は、恐らく『虚刀 鑢』と対となるこの血刀がなんであるかを知っているだろう。

それを今、改めて語りたい。


それを、とある騎士団との戦いを交えながら、神裂と罪を悔い改め更生しようとする若者との交流と交えながら、語りたいと思う。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
神裂火織は闇夜の帳の中、一人、歩いていた。

深夜……いや、もう明朝と呼ぶべきか。ビックベンが示す時刻は4時近く。もうじきに朝になり、太陽が昇るだろう。だがロンドンの街は静まり返っていて、まるで世界から自分以外の生物が消え去ったかのように思える。

カツン…カツン…カツン……。

神裂が履くブーツの踵の音のみが、沈むように響いている。

彼女の恰好は、このかつて栄光と栄華を誇り、西洋随一の文化を形成したイギリスにとって異様そのものだった。

19世紀西洋一の超国家と言われ、栄華に極め、西洋文化の優雅さも産業革命による過酷にして苛酷な労働社会の穢さを経験し、近代史における西洋文化の代表した、ロンドン。

1777年のサミュエル・ジョンソンが「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから」とまで言わせた栄華の街である。


―――他国からすれば30年以上も技術力に差があったであろう。今の、遥か極東にある学園都市と似た状況であったに違いない。

イギリスは産業革命期の1760年代から、彼の学園都市は太平洋戦争終結の1945~1947年頃から。二つとも急激に科学力、技術力が向上し、イギリスの場合は世界大国へと伸しあがり、日本(学園都市)は世界随一の科学力を手に入れた(その象徴こそが東京五輪である)。

両者の違いと言えば、イギリスは労働力、農業の工業化から伸しあがったのに対し、日本は敗戦の挫折からの向上心と、アメリカからの支援とそれによる資本主義社会形成で這い上がってきた点。それと海外植民地と需要と市場保護の違いである。イギリスは植民地に生産物を売りつけるやり方だが、日本は……否、『学園都市は』と言った方がいいだろう。学園都市は高性能の技術(劣化版であるが)を他国に売り渡すやり方である―――。


兎も角、現在の超大国の座をアメリカ合衆国に明け渡したとしても、かつての栄光と優雅なる文化は今も尚健在であることは間違いなかろう。

余談が過ぎたが、神裂の恰好は倫敦風景とは浮き彫りにされた様。Tシャツを肋の高さまでたくし上げて結び、足首まであるジーンズの片方を太ももの付け根の所でバッサリ千切っている。よく風邪をひかないなと感心する。さらに極めつけが、彼女が西部劇さながらにウエスタンポーチを腰に巻いているが、差しているのはリヴォルバーでなく一本の日本刀。『七天七刀』と呼ぶ、2m近くある怪刀は列記とした霊装であり、また彼女の最大の武器である。

神裂は敵ではなければ刀は抜かないし振らない。しかし、刀は不振でも傍からすれば間違いなく形は不審。誰かいれば通報されていただろう。某少年曰くただエロいだけの恰好なのだから、通報されても良い筈である。もしここが件の極東の都市ならば銃刀法違反で御用になっている。また、イスラム教圏内ならば逮捕に露出罪で銃殺刑が追加されているだろう。

それ位の奇妙さを持っているが、しかし彼女は絶世の美貌を持つ。

亀梨和也が巨人のユニフォームを着ようがブルーマウンテンの格安スーツを着ようがオカマみたいに胸元が大きく開いたドレスを着ようが、どれもこれも完璧に似合うのと同じだ。

顔とスタイルが良い人間はどんな格好をしても似合ってしまうから、例え警官に目撃されても見逃してしまう。

きっと錆白兵も、髪を整えて高級ブランドの紳士服を召しても、同じことなのだろう。


そうそう、錆と言えば、神裂がなぜこの時間になってこの街を徘徊するかと言うと……――――時間は長くさかのぼることになる。



朝、錆白兵が元ギャング共に剣を教えている時だった。まだ彼らが素振りを一二時間ぶっ続けでする前の事。

錆がオルソラ(神裂の護衛付きで)に頼んで通訳をしてもらいながらの会話である。


「良いか。これから一刻(二時間)、素振りをしてもらう。数でいうならおよそ千以上と言った所か。無論全ての力を一振りに込めてだ。無理かともうかもしれんが、剣術の道はこれが基礎である。これに始まり、これに終わる」


リーダーであり唯一日本語を話せる一人の男が手を挙げた。


「でも錆の旦那。俺たちそんなに振れねえよ。200も行かねえ内に腕が千切れちまう。力いっぱい全力で振るってなるとなおさらだぜ」


と、ロバート=クリケット。彼が持つのは木刀ではなくクリケット用のバットである。どうも彼はこのスポーツ用具に愛着があるようで、執着してこれを使っていた。

錆は頷く。


「それは当たり前でござる。『力の限り振るう』と言うのは必ずしも『己の筋力全てを使って』と同意ではない。力は『剛』のみに非ず」

「じゃあ、どうやって千回も振るんだよ」

「それを今から伝授する」


そう言う錆は自分が持つ木刀を握る。


「剣を振るう際、よく勘違いする事が多い事柄がある。クリケット殿、何かわかるだろうか?」

「勘違い?」

「強く振る。速く振る。そのためには何が必要だと思われる?」

「………………腕を……力強く振る……とか?」

「それが勘違いでござる」

錆はふっと笑って、


「それだと返って力んでしまい、切れが無く、鈍い剣筋になってしまう。剣は力ではないのでござる」

「……じゃあ……」


要因は何なのか、と訊く前に、神裂が口を挟んだ。


「円運動ですね?」

「然り。―――剣を振るうには、実の所、力はさほどいらぬでござる。ああ、いや、すっぽ抜ける程弱く握っても駄目であるが、終始強く握る必要はなく、筆を持つ感覚で良い」

「筆?」


クリケットが首を捻った。


「墨汁を染み込ませた筆を振り、天井に向かって墨汁を飛ばす感覚ですればわかりやすい」


天井を……青空なのだが、それを指で動作を表現する錆。


「剣先で円を完全に描ければ、剣は速く、且つ鋭く斬れる。刀は叩き斬るのではなく、断ち切る物。それを弁え、体で覚えさせれば必ずや立派な剣士……いや、千本全て一寸違わずに振れる技量を得れば強靭な精神を獲得できたと同意。即ち諸君らは今よりも崇高な心を持つ事が出来る。千本出来れば、出来た事が糧と成り『何をやっても出来ぬ』ではなく、『何事でもやってみれば出来る』と思えるようになる。そうなれば、少しは世界が違って見えよう」

「なるほど! よくわからねぇ!!」


ロバートの一言で一瞬凍る空気。錆は眉一つ動かさず、こう切り返した。


「……………………拙者が見本を見せよう」


言葉で説明するのを諦めたのだろう。

神裂は思った。彼は典型的な『脳筋』だったか。


「まず、力いっぱい握る必要はない。しっかりと握るのは小指と薬指。親指と中指は軽く握る。人差し指は握らず、軽く木刀から離す。左手は下、右手は上で“両手をくっ付けて持つ”」


そう木刀を握る錆。―――と、現代の剣士、神裂が自身も木刀を持って疑問を投げた。


「両手はくっ付けるのですか? この様に、左手は小指が巻止めを握らない様に、右手は縁金に人差し指が掛かり、親指は掛からない様にして、離して握るのだと思うのですが……」

「それだと柄折れしてしまうでござる」


柄折れとは、その名の通り柄が折れてしまう事である。

神裂の言う握り方も正解なのだが、江戸時代以前では錆の言う方が正しいという説がある。現に文献を調べてみると、書物などの絵には両手をくっ付けて握っているものがある。

現在の剣道などで見られる両手を離す握り方は、テコの原理を使って威力と速度を高めさせる為にあるが、実戦だと刀は斬る時、何かの衝撃(例えば鎧や刀など)で、テコの原理が仇となり、柄が折れてしまう時があるのだ。

それが『柄折れ』である。

これは著者の勝手な妄想なのだが―――。

現代の剣道は言っては悪いが、言わば竹刀による叩き合いである。0.1秒差で決着が決まり、どちらかが速く相手を叩くかが勝負所である。先程も言った通り、テコの原理で竹刀の先の速度を上げさせるのはそのためだ。

『左手は斬り手、右手は押し手』と言葉があるが、剣道がまさにそれだ。

剣の基本は綺麗な円を描きながら、刃を物体に直角に立てて斬る事。だが、現代の剣道はあくまでも竹刀の叩き合い。剣道を始めとする武道をやられている方々には大変失礼であり無礼であり不敬であるのは百も千も承知だ。頭を下げて謝ろう。しかしここは著者のただの妄想の中あり、現実とは関係のないフィクションの中なのだ。

兎も角、言いたいのは―――。

実際の真剣による剣同士の殺し合いには、両手を離して握る持ち方は不向きであり、また江戸時代以前の剣術が、錆白兵が生きていた頃の時代…刀語と言う物語の時代の物ともし同じ剣術の筋だとしたら、錆が言う様に、『刀は両手はくっつけて握るものだ』と言うのが正しいのかもしれないのだ。

―――話に戻そう。


「柄折れですか……」

「左様。確かに梃子の原理を使えば、強く、速く剣は振れるでござる。だが、壁を強く叩けば叩くほど掌が痛む様に、強く速く刀を振り、もし仮に剣同士がぶつかりでもすれば、斬り手と押し手の間に亀裂が走り、折れてしまう。梃子の原理が仇となってしまうのでござる」

要は、野球のバットの様に握れと言うのだ。


「また、切り替えしが速く滑らかに出来き、全身を使って振る動作が出来る。―――この時代ではそうであるようでござるか」

「ええ」

「これも時代の流れと言うものか。剣術も人の流れ、時の流れによって進化、退化を繰り返してゆくでござるのか……」


現在の剣道は武士が廃され、剣術が廃れようとしていた時に出来き、競技化された撃剣が元で、WW2以降の堯競技が今の剣道とされている。この二転が、今と古の剣術を湾曲させた要因とも言えよう。

錆は再び説明に入る。


「さて、足運びであるが……右足は前、左足は後ろ……」


構えはスタンダードな剣道のそれに近い。だが剣道の重圧ある雰囲気はなく、軽やかだった。例えるなら羽根。

剣先の向こうにいる木刀モドキの木の棒を持った男はそう思った。ここからいつどのタイミングで襲っても、ふわりと軽やかに躱され、華麗にその木刀で、すぱんと捌かれると自然と感じた。だが恐怖は無い。むしろ魅了とすら思える。実に美しい。

そのことは、この場にいる全員が所感している。元ギャング共も、オルソラも。そして神裂も、現役の剣士である彼女でさえも、つい見惚れてしまった。

―――その時、そよ風が吹いた。

なに、弱い風だ。誰も動じない。たかが葉っぱが何枚かが、錆の周囲に舞っただけだ。その様も、彼の美しさを際立させただけで―――。


「摺り足で右足を左足に引き寄せ、同時に木刀を頭上に掲げる。この時、姿勢は真っ直ぐ。崩されぬ様気を付けられよ」


その動作をする。やはり華麗。木刀といえどそれは木の棒。だが錆白兵が持つそれは明らかに木刀かと問われれば、つい疑問に思ってしまうほど、真剣じみていた。木刀が鋼で出来た美しき日本刀に見えてしまった。

改めて男は自信がが持つ得物を見る。錆が持つ物と材質的には何も変わりない。

だがどうだ。たかが木の棒如きが、木刀如きが、あそこまで美しいではないか。まるで一個の芸術品ではないか。

もし錆があの木刀を振り下ろす時、三歩ほど足を進めたら、ちょうど木刀は男の体を捉えるだろう。


そうなら、一度でいいから斬られてみたい――――。


男は一瞬そう思ってしまうほど、錆の姿が美しく見えた。

ああ、『美しい』と言う言葉を使いすぎて、ゲシュタルト崩壊してしまいそうだ。否、もはや剣を持つ錆白兵は『美しい』とさえ表現し尽くせぬ。

一塊の金塊より、一個のダイヤモンドより、この剣は美麗そのものだった。


錆は剣を振り上げたまま、息を吸う。軽く一呼吸だ。深く吸ってはいない。

それで男は正気に戻った。

錆はそのまま説明する。


「そのまま、摺り足で右足を踏み込み、体重を前に移動させながら……、先程言った通り、筆で天井に墨汁を飛ばす感覚で―――――――――振り下ろす」


ひゅんっ!

甲高い風を切る音がした。速い剣は(これは野球のバットでもそうなのだが)、ぶぉんっ!と言う野太い音はせず、縄跳びの音の様な音がする。


「ざっと、このようにすれば良し……」


途端、周囲から拍手が沸き起こった。


「おお、すげぇ……! こんな感じで振ればいいんだな?」

「左様。これを千、毎日振り続けられよ」


クリケットは大きく頷いたのを見て、『よしよし、理解してくれたか』と錆は満足げだった。クリケットは振り返ると、仲間たちに叫んだ。

「よっしゃ! よぉしお前ら! 理解できたか!」

「YHA!!」

「掛かるぞ!」


そうして彼らは一心不乱で木刀を振ることになる。





さて、神裂がこの時、あるものを見たのだ。これが神裂が夜のロンドンを徘徊する原因であるのだ。

錆が木刀を振る瞬間。

偶然にも、そよ風に吹かれた葉っぱが錆の木刀の軌道上に乗り、そのまま彼の木刀に――――――斬られたのだ。

木刀が振り下ろされた後、葉っぱがふわりと鎌鼬にあったかのように、ひとりでに別れて、地に落ちた。

まず、目を疑った。


(真剣ならあり得るのですが、普通にただの木刀で葉を斬るなど……)


―――あり得ないのだ。物質的に木刀でモノを斬ると言うのは。科学的には不可能。

だが決して不可能という訳ではない。木刀でも木の葉どころか鉄さえも斬れる事もある。無論、物理学では無理だ。ならば方法は一つしかない。


―――魔術の可能性であった。


だからこうして、神裂はロンドンの街を徘徊し、ある場所へと向かっている。

そう、錆白兵が泊まっている、聖ジョージ大聖堂へと……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


キィーーーンッと、甲高い航空機のエンジン音が響く。

ここはロンドン、ヒースロー空港。一機の旅客機が降り立った。キュッ、キュッ、キュッっと、灰色の滑走路に小さなタイヤがブレーキする。

一般の航空機よりも一回り大きいそれは、一羽の鵬の如く大空から降り立つ。数百mで止まって右折し、安全地帯へと侵入し、停止した。

―――と、そこに一台のリムジンがタラップ(乗り降りする為の梯子を乗せた車)を引き連れ、待っていたかのように走ってきたかと思うと、航空機の傍に停車した。

タラップはリムジンと航空機の間に…大体『H』の字の様に停まり、梯子を航空機のドアへと伸ばす。

伸ばしきると、何者かが分厚い鉄のドアを蹴り破って這い出てきた。


「あー、あぁああ~~~~~………ッッ!! つっっっかれたぁぁああ!!!!」


伸びをしながら、ゲッソリした様子で、真っ赤なドレスを着た女が現れた。燃える様な赤だった。一瞬炎を身に纏っているのかと見えてしまうほど。

歳は20代後半。所々に革が使われているドレスは、ある感じボンテージを連想されるが、やはりドレス。それも最高級の物を召している。凛とした気品と烈火の如き威圧感を兼ね揃えた女は、笑えばさぞかし紅色の花の様なのだろうが、今はそれは無かった。

この女……いや、『この女』とはあまりにも無礼千万だろう。もしここに彼の騎士派のトップであり騎士道精神に篤い、騎士団長(ナイトリーダー)がいれば、即刻殺害されているに違いない。

そう、彼がこの場に居合わせているのならば、さらに、タラップの下に何十人もの一般市民やら観光客やらがいれば、彼はこう言い、叫ぶのだろう。


『こちらにおわすお方をどなたとこころえる。おそれおおくも今の英国王室の王女様にあらせらるるぞ! 頭が高い。控えおろう!!』


燃える炎の如き真っ赤なドレス。王室女王。

そう、“このお方”こそ、英国女王エリザードの次女にして英国の第二王女……キャーリサ王女その人である。


「あーあ。全く、こーゆーのは嫌なんだけどね。ずーっと椅子の上に座りっぱなしとか。一時間ちょっととかだけど、苦痛だったし」


ゴキッと首を鳴らして、凝った肩を解しながらキャーリサは(王女らしからぬ態度で。だが気品はあった)階段を降りる。

因みにこの場に人は殆どいない。いるとするなら、傍らにいる黒服のSP……に変装した腕利きの騎士二人と、リムジンで出迎える運転手と執事である。

キャーリサは文句が言いたいらしく、


「ねぇ、あなたもどうだった? あの飛行機」


傍らの騎士の一人に馴れ馴れしく声をかけた。

だが声を掛けられた騎士はどう返答すればいいのか、言葉に困って、


「は、はぁ……わ、私は何とも……」


と言うしかなかった。

キャーリサはその回答の意味をくみ取って。


「ま、そーよね。立派な騎士様なんだから、あれくらいのGに耐えられなきゃダメだし」

「はぁ……」

「まーがんばりなさい。――――まーしかし、あの街もよくもまーこんなゲテモン造ったわね」


振り返る。彼女がゲッソリしている理由は今まで搭乗していたこの航空機にあった。


「―――『超音速旅客機』。学園都市からロンドンまでたったの一時間ちょっとで移動できるなんて……。ジャパニーズビジネスマンなら大喜びだけど、旅としては落第点だ」


そう愚痴っても無駄だが、こればかりは言っておきたかった。例え壁に石を投げるだけの行為だけでも、言ってしまわなければ気がすまされない。

あの強烈なGと内臓を圧迫する不気味な苦しみは、形容しがたいものがある。流石にロイヤルミルクティーが一人で勝手に後ろに吹っ飛ぶ光景は悪夢としか言いようが無かった。

因みに先程声を掛けた騎士もゲッソリとしている。実の所、車酔いを超えた何かが襲い始めていた。質の悪い絶叫マシンに永遠に乗せられた気分を味わったのだ。無理もない。

そう言えばキャーリサがコッソリ視察した病院に立ち寄った話だが、そこのカエルの顔をした医師にこの極悪絶叫マシンに搭乗する事を話すと、彼は『最初に少し無重力を感じた後は十分も経たない内に思考する余裕が消えるから、覚悟した方がいいよ?』と、後にツンツン頭の少年に掛ける言葉を彼らにも言ったのは、こういう事だったのかと騎士は思い知った。

そうこうしている間に、キャーリサはタラップから降り切った。


「お待ちしておりました」

「どうも」


ドアを開けて待ち構える初老の執事に手を振る。


「学園都市の視察はどうでございましたかな? キャーリサ様」

「まぁまぁね。相変わらずの狂いっぷりでド肝を抜かされた」


キャーリサは気さくに笑いながらリムジンに乗り込む。続いて騎士二人、運転手、執事が乗り込むと、リムジンはゆっくりと発進した。

凄腕ドライバーの運転技術の恩恵か、殆ど車内の中は揺れなかった。どこぞの旅客機も見直してほしい。


「御帰国になられて直ぐでは御座いますが、すぐにバッキンガム宮殿にて、女王陛下、騎士団長殿、最大主教殿に学園都市の視察の報告と、三派閥の会議でございます」

「わかってるし。まー日本とイギリスをたったのたったの一時間ぽっきりで移動できるのは日本のビジネスマンでなくとも便利だと言うのはわかったわ。あーだるー」

「それならば移動がてらミルクティーなどはどうでございましょうか。一時間と言えど、移動の際は大変苦痛な思いをしたようで」

「まったくよ。きっと地獄に叩き落とされると、あんな感じになるんでしょうね。生き返った気分よ」

「ははははは……」


キャーリサは純白に金の飾りがあるティーポットとティーカップを取り出、ロイヤルミルクティーを入れ始める執事に、話の続きを始めた。


「やっぱりあれだ。何かに突飛してる場所って、その他の場所からすれば異様に見えるんだし、狂って見えるのは当然だ。あそこは狂気の渦だ。年端の行かないガキどもが凶器振り回して運動会やってた」

「学園都市のウリは、超能力開発と言う名の教育でございます故、致し方ありません」

「まるで、実験に使われるモルモットを見ている気分だったし」

「実質、研究者の一部ではそう考えている者もいるとか」

「ああ、あと、“地下施設でも運動会やってた”。ひっどものだったわアレは。あれだね。人権ってモノがどれだけ軽いものかバカみたいに思い知らされた」

「左様でございましたか」

「さっきの質問、『学園都市はどうだったか』。そうね、付け加えるなら―――いい思い出はほぼ無かった。あの狂った街と宗教戦争に巻き込まれるのは真っ平御免だって、思い知ったし」

「それが良しと思います。私の兄弟は、学園都市で店を構えているのですが、どうも最近は治安が良くないらしく。隙あらば事件だの殺人だの暴力沙汰だの、騒動が絶えぬそうです。最近では無能力者のギャングが最新鋭の銃火器、戦車、駆動鎧を奪取し、無能力者の女子生徒を拉致して裏社会に流していた人身売買の商人集団と戦闘、これを壊滅したとか……。街中の全てを把握しているはずのアレイスター統括理事長の思惑が読めませぬな。――――はい、ミルクティーでございます」


コト…。

執事は車内の中心にあるテーブルにミルクティーを置く。


「あ、ありがとー」


キャーリサはソーサ(皿)を取り、上品にロイヤルミルクティーを唇につける。やはり王室育ち。最上級に上品であった。


「あーいきかえるわー」


この我が家に帰ってビールを飲むオッサンじみたセリフは上品ではないが。

と、のほほ~んと眼を細めるキャーリサに、執事は件の弟の話で思い出した事を口にした。


「ああ、そうそう。その弟から聴いた噂話なのですが――――」

「うん?」

「――――知っておいでですか? 学園都市にある十二本の日本刀の話……」

「……………」


キャーリサの眼の色が変わる。


「何でも、その一本を手に入れれば、学園都市最強の超能力者七人さえも打ち倒せるとか。現に、その内の一本を持った大能力者があと一歩のところで倒し損ねたそうで」

「……………知ってる。地下で、噂話として聞いたわ。地下の運動会の賞品がそれだった」

「なんと。信じがたいと思っておりましたが、誠でしたか」

「私が見た所によると、ただの人形だったし、刀とは呼べなかったけど。まー刀を持つ人形だったし、そーだと思うわよ」


『結局は人の手に渡っちゃったらしいけど、それ』とキャーリサは言いながら、ミルクティーをテーブルに置く。

騎士の一人に、


「報告書、見せて。一応、間違いないかチェックしたいから」

「はい」


騎士は数枚の洋紙を手渡す。


「Thank you~♪」

「楽しそうですね」


執事が訊いた。


「うん?」

「笑っておいでで」

「ふふん♪ さっきの地下の話でね。その場で面白い子と友達になっちゃった♪」

「それはそれは」

「ケッコー年下なんだけど、とっても気が合って、面白い子だった♪ 友情の証にお気に入りだったドレスあげたし、こっちは何かわからないけど『ドージンシ』?っての貰った。何しろ『命からがら、命懸けで入手したお宝』とか言ってたし、学園都市じゃあなかなか手に入らないとか鼻息荒くしてたし、ケッコー価値がある物だと思うし……マンガの本らしいけど、まだ読んでないから、帰ったら読む。しっかりこんな薄っぺらい本がねぇ」

「……………………………………………それはそれは」


執事は言い出せなかった。それはいかに劇薬であるのかを。彼が使える王女様が、とっても嬉しそうにしているので、ある意味、魔導書並に魂と眼が穢れる危険物だと言い出せなかった。


「その子、確か、雲川って言う、学園都市の統括理事会の一人のブレインやってる小娘の部下らしい。これで、別ルートだけど学園都市とのパイプができたし」

「? キャーリサ様、学園都市と魔術サイドとの戦争に、我が国を巻き込みたくないのでは……?」

「ふふん♪ それはそれで――――欲しいモノがある」


キャーリサは報告書数枚の内、一枚を見る。そこには、『Report(報告書)』と書いてあった。


「学園都市の地下で行われた、『裏大覇星祭』。それってVIPによる賭博場だったのが始まりだったらしいけど、今じゃあ裏じゃあ有能な人材をスカウト、ヘッドハンティングしたり最新鋭の銃火器、武器、ロボットの性能を調査する場になってるのよね」


実の所、傭兵だの超能力者だのがあの趣味の悪い運動会に参加したのは、大多数が賞金と賞品目当てであるが、一部ではVIP直属の護衛、傭兵になる為にアピールするため参加したのだった。スポンサーが大きければ大きいほど、いれば報酬が弾む。言わばプロ野球のトライアウトと思ってくれてもいい。現に一部企業の社長やその令嬢は護衛として汚れ仕事を任せたい者を選んでいたらしい。キャーリサもその一人だった。


「欲しい人間がいる。いや、人間と言っていいのか?って疑う奴もいたけど、私からするとどう見ても人間だったし……まーそれはいいとして。英国騎士団に、引き入れたい人材がいる」


キャーリサは笑う。なるほど英国の軍事の全てを担う第二王女がそこまで言うのなら、さぞかし腕の立つ者であろう。―――だが。


「ですが、一人、黙っていないお方が……」

「最大主教……ローラ=スチュアートがあーだこーだ言いそーだ。でも私が欲しいそいつは何より学園都市中から命を狙われている立場。学園都市にいるガンコに居座る理由はない。仏教徒の服装だけどそれほど信仰に厚くないみたいだし、イギリス清教への改宗は容易。洗礼さえすれば、作ったパイプを通して抱え込めば万事オーライ」

「その御仁、いかほどで?」

「きっと一師団分の騎士がまとめてかかっても全滅するレベル」

「それはそれは」


執事は冗談を笑って見せたが、キャーリサが幼少の頃より仕えてきた目が言っている。真実なのだと。

キャーリサには野望がある。

すべては一つの計画の為。

そう、後にロンドンを混沌へと変え、世界の歴史に残る大事件だ。――――英国第二王女キャーリサはロンドンでクーデターを起こすつもりだった。現女王エリザベート陛下と姉と妹を亡き者とし、この英国を我が手中に収めんとしている。

彼女をチェスのキングとして騎士派をナイト、クィーン(王室派)とビショップ(清教派)をまとめて一掃する作戦を、現在進行形で立てていた。


「……ふふふ、いい思い出は笹斑と友達になっただけしか無かったけど、いいビジネスチャンスなら大いにあったし」


キャーリサの手にある洋紙。

そこには一枚の写真と名前があった。


『name:Nanami Yasuri』



―――鑢七実を、騎士として迎え入れるつもりだ。

この目論見(クーデター計画)は、騎士団長と騎士派の一部と、このリムジンに乗る人間のみしか知らない――――。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今夜はここまで。ありがとうございました。
果たして、何人中何人が前スレで赤様の存在に気付いたのでしょうか。

それでもまた。



❤ お ★ ま ★ け ❤


ななみー道場



弟子一号「あのさぁ。もう超散々懲りていましたよね? あれほど第弐弾で超痛い目見ましたよね?」

『…………………』

弟子一号「どうしてまたあの過ちをまた繰り返すのですか? 馬鹿なのですか? 超馬鹿なのですか? どうしようもない馬鹿の様な超お馬鹿さんなのですか?」

『…………………………』

弟子一号「なんでまた、 オ リ キ ャ ラ で 話 進 め て る ん で す か ! ? 」

『……………………………………………だって』

弟子一号「だってもクソもねェンですよ!! あれほどお客さン超減るから、超嫌われやすいオリキャラ起用すンのやめるって肝に銘じたンじゃないんですかァ!? アァ!?」

『………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………』

弟子一号「なんか言えやハゲ! ウジムシ! 人格破綻の社会不適合者!!」

『うるせぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!! うるせぇッつてんだよド素人がァ!! ただ錆がねーちんボコッて針ぶんどる話じゃあつまんねーのわかってんだろチビスケェ!! 尺的にオリ挟まなやっていけねぇんだよ。こっちの力量察しろや!! こちとら忙しィんじゃどアホ!! 一か月間コツコツ書き留めて誰もいない深夜に眠い目を擦りながらションベンクセェテメェの恋物語書いてる俺の身にもなれやァ!!』

弟子一号「だったら書かなかったらいいじゃないですか! 馬鹿ですかァ? 辛いならやめていいんですよ、こんな超くだらねェ、与太話は! 人生棒に振るよりはよっぽどましです!!」

『シャラップ! こちとら好きで書いてんだよ好きにさせろよコンチクショー! 誰にも言えない趣味を持つ俺の気持ちがわかられてたまるかってんだよ!! あったきたぞ。お前なんて10年後も一ミリも身長もバストも成長しない永久名誉ロリ体型にしてやらァァッッ!!!』

弟子一号「ンだとこの野郎言いやがったな!? いいぜ、その幻想ぶち殺してやンよォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」

『上条の台詞とってんじゃねやァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』

七実「はいはい、止めなさい二人とも。醜い争いはやめなさい」ドウドウ

弟子一号「グルルルルルル!!!」

『グルゥァァアアアアアアアアア!!』

七実「やめなさいって言ってるでしょ。 えいっ」ポカッ ポカンッ

弟子一号「ぐぼぉ!?」ベキッ

『ぐべぉ!?』ドゴッ

七実「もう。ほら、弟子一号、謝りなさい。それと、あなたも。まったくいい大人が中学生相手に本気で怒らないの。十月四日で二十一歳になったんでしょう? いい加減大人になりなさい。あと、永久名誉ロリ体型枠は既に埋まっているから無理よ」

弟子一号「ばーかばーか」

『あーほあーほ』

七実「……………」ベキッ ボカッ

弟子一号「ぐえっ」バキッ

『キャベジンッ!』グチャッ

七実「いい加減にしなさいっ!」


こんなやり取りが脳内で繰り広げていました。


『絹旗最愛、貴様は近い将来、地獄の苦しみを味あわせてやる』

弟子一号「一体何年後の話ですか」


おしまい

2ヶ月ぶりに乙
‥ってオイsagaが外れてんぞ

 錆のことをここまで語ってくれるのはありがたいですが、戦闘シーンが少なくてやきもきする気持ちはありますね。

 確かこのスレであと、浜面と獣組についてもやるって言ってたので、後錆で尺使い過ぎて獣組があっさり流されたらそれはそれで残念ですね。

こんばんわ。書き留めれたので、投稿します。

>>198
失礼いたしました。

>>199
ご安心ください。 もうすぐ終わる予定です。次回か次々回辺りかと。

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早朝のことである。4時半ほどであったか。錆が外に出て、いつものように素振りをしようとしていた時であった。神裂がローラが張った結界に現れたのだった。


空が黒から紫に染まり、町が水色に照らされる雑木林の中から、黒髪の剣士が七天七刀を携えてやって来た。


「錆白兵。あなたは何者ですか」


いきなり問うてきた。錆は当然のように返す。


「何者と申されても、拙者は一人の剣士でござる」

「あなたの剣技に違和感を覚えます」


と、神裂。錆はやけに神妙な(いつも神妙な表情なのだが)彼女の言葉に、『これは何かあるな』と感づいた。


「違和感とは?」

「昨日の素振りを見ればわかります。あなたは高度な技術を有する剣士です。しかし、たかが木刀を振るうだけで落ちてくる木葉を斬り裂く事は不可能です。あなたの剣に、何か秘密があるのではないですか?」

「……………」


そこで、錆は彼女の言いたい事が分かった。

ああ、そうか。神裂は気付いていたのか。昨日たまたま剣の軌道に割り込んできてしまった、真っ二つになった木の葉を思い出す。


「なる程。神裂殿は気付いたのでござるか」

「やはり、何かあるのですね?」

「左様」

「やはり。あれは物理的現象ではなかった。魔術なのですか?」

「魔術……?」

「単刀直入に問います。あなたは実は………聖バチカン騎士団なのではないのですか?」


神裂は疑っていた。内心、錆と言う男が何者であるか解らないのだから、疑い深い人間なら仕方ない。


「あなたが私たちの前に現れたのはいきなりでした。そしてタイミングも良かった。丁度オルソラが命を狙われている時期に私たちに接近してきたのは、今考えれば怪しいです」


薄刀 針と言う刀は確かに本物だった。だが、それが本物だとして錆が本当にその持ち主であったかなど、誰が証明できよう。

神裂は指を指す。


「魔術と言うのにはいくつか種類分けできます。
たとえば相手を攻撃する際。己の身体能力や武装・霊装を物理的、魔術的に強化するもの(神裂の七天七刀、現時点で出てないがアックアのアスカロンなど該当)。
魔術で自分の代わりに相手に攻撃させる物体を造るもの(ステイルの『魔女狩りの王』、シェリーの『エリス』など該当)。
相手に呪いをかける形で攻撃するもの(アウレオルスの『黄金錬成』、これも現時点で出てないがヴェントの『天罰術式』などが該当)など。
この様に、魔術師が持つ霊装によって数多なジャンルに区別されますが、………あなたの剣はその中の『強化型』に相当する可能性がある」


魔術には様々な種類がある。

正式名称は無いが。『強化型』『精製型(召喚型?)』『呪術型』などあるとすると、神裂はその中でも錆は『強化型』だと言っているのだ。

霊装とは、神話・伝説上の人物のエピソードから引用し、模倣した武器、法具などで、魔術師は霊装を通して、神話・伝説上の人物の物真似をして、それを再現している。

霊装は何を使ってもいい。ロンギヌスの魔術をしたいのなら、長い棒の端に包丁を括りつけておけばそれだけで霊装は完成する。要は自分がそれが霊装だと思えばそれでいいのだ。

神裂は、錆が魔術で木刀を強化し、日本刀の切れ味を木刀で再現したと、考えていた。それほど日本刀には切れ味のある名刀・神刀・妖刀が存在する。日本神話などは特に。


「あなたは実に怪しい。格好はともかくどうでもいいとして、標的に近寄るのが暗殺者の手でもありますから、タイミング的にあなたがオルソラを狙う人間だとしても何らおかしくはないのです」

当然だが、錆は首を振った。

―――言いがかりにも程があるが、まぁ確かに神裂の言う事には一理ある。何せ神裂からすると錆白兵とはいきなり現れ、ギャングに襲われた時はお取りを買って出、しかもそのギャングたちを改心させると言う驚きの活躍ぶり。好感度も一周回って疑問になる。この男は実は敵で、信用させて後ろから刺しに来ているのではないだろうかと。

彼の奇策士との旅の途中、そのような事は少なからずあった。そのたびに白髪の美女を困らせていたが、何とか切り抜けてきたのも事実。相手は十八の多感な時期の乙女だ。ここは大人になって、説得するとしよう。―――

錆は諭す様に、


「否。拙者は剣士でござる。魔術師とやらではない。無論魔術では無い。少なくとも、神裂殿が言う『魔術』は拙者は使ってはないと思われる」

「では、何なのですか」

「そう急がれずとも、応えるでござる」


そう微笑む彼は正直者だから、訊かれたら答えるしかない。錆は嘘をつくのを嫌う性格を持っている。

きっとこの男はこういうのだろう。


『剣は我が心を映す鏡。自分の心に嘘を持っていては剣が偽りを映してしまい、剣が鈍ってしまう』


正義感に厚いこの男だ。訊けば素直に応えるに違いない。


「いかにも、拙者の剣にはある秘密が」


――――だが、ここで彼の言葉は遮られてしまうのであった。


神裂のポケットからの電子音の所為である。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

イギリス、ロンドン―――カウンシルハウス。

カウンシルハウスとは、母子家庭や低所得者が住む公営の集団住宅の事である。ようは貧乏人が住むアパートメントと思ってくれればいい。

そこで、一人クリケットのバットを振る男、ロバート=クリケットがいた。クリケットはそこに住んでいる。

今日は偶然早朝に目が覚めた。

二度寝をしようと思っても妙に目が醒めていて、眠れやしない。だから師と崇める錆白兵に教えられた様に素振りして、昨日のおさらいをしているのである。

―――それから何十分経っただろう。程よく汗が出て来て、体が温まってきた辺りだった。


「…………ん?」


クリケットは視界の隅でコソコソする影を見つけた。


「なんだ?」


その影に眼をやる。

――――と、100mほど先に、妙な男が三人いた。全員が甲冑を着込んでいた。奇妙だった。


「は?」


クリケットは目を細め、じっと男達を観察する。日がまだ昇り切っていないが、街灯の明かりで何とか容姿だけは把握できた。

一人は髭面の男だった。60代後半の白くて長い髪と髭の老人のように見える。牛の毛皮なのか、革製のマントの下に西洋鎧を纏っていた。手に持っているのは三叉の矛。

まるで神話に出てくるポセ……ポセ……、


「あれ? ポセ………ポセ………ポセなんとかと言う神様の様みてぇだな」


次の一人は若い男。20代後半だろうか。全身から醸し出す雰囲気はまさに『闘志』の名にふさわしく、炎が歩いている様に思えた。彼も西洋鎧を纏っている。先程の老人と違うところは全身に油でも塗ってあるのか、街灯の光でテカテカと光っていた。犬の毛皮を着ていて、兜に白と黒の鳥の羽が飾ってある。腰に差しているのは一本の剣であった。

最後の男は小柄な男であった。小柄と言っても、丈は小さいが横幅は筋肉が隆々と盛り上がっていた。筋肉達磨としか表しようがない。顔の形はとても美しいとは言えず、むしろ異形のそれだ。小柄な体に似合わない大きな頭蓋。デカイ鷹鼻。巌の如き筋肉がギッシリ詰まった黒い肌。ヒトと呼ぶよりはゴブリンかドワーフの方がしっくりくる。肩には二本の大斧、手にはさらに大きな巨斧が握られていた。

その男達がコソコソとこの霧の都に溶け込むように、明け方の闇へと蠢ていた。


「なんだ……? アイツら………」


気になって、謎の男達が消えた方へをじっと見つめるクリケットは………。


「ま、いっか」


と素振りの続きをつづけたのであった。

―――これが正解である。彼にとって、これがバットエンドへの分かれ道であった。

もしここでノコノコ付いて行ったら、確実にクリケットは殺されていたに違いなく、間違いなく“誰も彼の死を悔やむ事も疑う事もせずに彼の人生は終わっていたのだから”。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


―――――聖バチカン騎士団が動いた。


この知らせを聞いた天草式十字凄教教皇代理 建宮斎字は仮眠中だったにもかかわらず、ベッドから飛び起きる。


「やっこさんは」


伝達係としてやって来た牛深は自分の戦斧と一緒に建宮のフランベルジェを手渡す。


「どうやらロンドンで散っていたグループの一つの様です。西で網張っていた浦上が言うには、敵は三人。装備の特徴や容姿からプロフィールを見ると、テロ=サルヴァトーレ、マルコ=マメルス、ウラヌス=ニコラオだと思われます」

「チィ……いきなりか格闘派が三人か。しっかし何でいきなり出てきやがった!?」


建宮は自分が今もてる最大の霊装(日常雑貨)を持ち、住処の戸から日本街へと躍り出る。

と、玄関の向こうには十数名の天草式のメンバーが集まっていた。全員が装備万端でいつでも出撃できる。だが足りない。戦闘員は52名いたのだが、ここにはその半分もいない。


「他の奴らは?」

「こちらに向かっている途中です。いきなりでしたから、すぐには………」


それでも足りないだろう。無理もない。ほとんどのメンバーは至急に呼び戻しているが、現在海外出張中だ。ロンドンにいる面子だけでも半分もいまい。

だがそれでもやらなければならない。それがプロフェッショナルと言うものだ。


「他の敵七人は?」

「現在も見張っています。イーストエンドとキングスクロスには各4名ずつ当たらせてます。今の所はこれと言った動きは無いようです」

「何かあったら連絡しろと伝えろ。ネズミ一匹分の変化も見逃させるなよ。あと、ロンドンに向かっている奴らは、こっちの応援は良いから、そっちの監視に回しておけ」

「了解」


牛深はその命を通信機で仲間に伝える。

建宮は次に、海軍用船上槍(フリウリスピア)を持っている五和に、


「五和、お前はすぐに必要悪の教会女子寮に行け。オルソラ嬢は女教皇様に任せて、シェリー嬢を叩き起こして連れてこい。出来るだけ大至急だ」

「了解」


五和は弾ける様に去ってゆく。


明朝4時近く。何が原因でここの場面で動きて来たかはわからない。

だがここで叩かなければならない。相手が攻めて来たのなら、ここで迎撃しなければ。取り逃がしてしまえば必要悪の教会女子寮まで攻め込まれてしまう。即ち王手。ポーンの名において、それは避けるべき失態だ。


「……………3対20ってところか。まぁこんなもんだな」


とは言っても心もとない。

たかが3人とは言っても、素人集団でもプロの魔術師を何百人も葬り去っているのだ。要人に越した事は無い。


「――――こりゃ下手したら、女教皇様の手も借りるかもなぁ……」


建宮は空を見上げる。まだ太陽は出ていない空にはまだ月が低く浮かんでいた。“少し欠けた月だった”。さほどせずに月は太陽の光に隠れてしまうだろう。

大きく息を吸う。

何度目だろうか。この危機は。いつも思う。この出撃で誰が命を落とすのだろうかと。しかしそれは全て『救われぬ者の為に救いの手を』と言う神裂の為に。あの崇高で気高い女教皇の、あの可憐な少女の儚くも尊い願いの為に。

建宮は改めて気合を入れる。

「うっし! てめぇら、覚悟は出来ているか!!」

「「「「オウッ!!」」」


老若男女が一斉に掛け声を上げる。手には武器。剣、槍、弓、刀、戦斧……。それを掲げて、彼ら彼女らは一つの軍集団としてたった3人の敵を打ち砕かんがために、


「征くぞ!!」


今、出撃した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


バイクの爆音がロンドン中に響き渡る。

五和が跨る二人乗り用の大型バイクはロンドンの道路を仮面ライダーさながらに猛スピードで駆け抜け、必要悪の教会女子寮へと到着する。

ヘルメットを外し、ハンドルに乱暴に掛け、突撃するように玄関へ走った。インターフォンを鳴らす。一回ではなく、十何回も連続で、けたたましく。


「誰か! 誰か!!」


きっと中の住民はうるさくて大迷惑かもしれない。だが今は一刻を争うのだ。これくらいは見逃してほしい。

それから3分間ぶっ続けでインターフォンを鳴らし続けて、やっと住人がドアの鍵を外して出て来た。


「はい、なんでございましょうか…………」


真っ白なパジャマを纏ったオルソラ=アクィナスが眠そうな顔で出て来た。


「…………………………」


一瞬、びっくりした。オルソラは自分の命が狙われている事を自覚しているのか。普通、ここはすんなりドアを開けるのではなく、誰か確かめてから開けないか? そもそも自分から開けるの事態おかしい。出て来た瞬間ナイフで刺されたらどうするのだ。

兎も角、ここは朝の挨拶だけでもしておこう。


「おはようございます」

「おはようございます………」


ウトウトと舟を漕ぐオルソラ。

低血圧で朝が苦手なのか、意識がハッキリしていなさそうだ。


「あ、これはこれは五和さん……どうしたのでございますかこんな夜遅くに……。あ、そう言えば先日大変美味しいお魚ありがとうございました………」

「ああ、いえいえ、こちらこそ……じゃなく。すいません、シェリーさんはおいでですか?」

「あ、はい。寝室でお休み中でございますよぅ……ぐぅ…」


危ない所だった。オルソラの恐ろしい所は話を脱線させるところだった。ここは迅速に用件だけ伝えておこう。


「オルソラさん。敵が動き始めました。今すぐ女教皇様に頼んで、身を守ってください」

「え?」


その時、オルソラの眼が覚醒する――――かと思われた。


「今度は美味しいお野菜ございますか? ああ、これは有り難いのでございますのよ……」

「オルソラさーん。寝ぼけないでくださーい」

「ふぁ………ぐぅ……」

駄目だ。一向に目が覚める気配がしない。

とりあえずオルソラを連れて中に入って、シェリーを起こさなければ。


「お、おじゃましまーす……」


寝ぼけているオルソラの手を握って玄関に潜入する。全く灯りの無い空間だが、魔術を使って夜目を利かせる。これで昼間とほぼ同じ視界になった。

だが肝心のシェリーの部屋の位置がわからない。しょうがなくここはオルソラに頼もう。


「オルソラさん、シェリーさんの寝室ってどこです? 案内してもらえませんか?」

「はい……」

(大丈夫だろうか)


オルソラは頼りない足取りであったものの、しっかりとシェリーの部屋に到着した。


「ここでございますよ……」

(そう言えば、オルソラさん、よく虚ろな意識で真っ暗な廊下を歩いて玄関まで到着したな……)


そんな事はどうでもいい。

今はシェリーだ。

五和はシェリーの寝室のドアをノックする。


「シェリーさん! シェリーさん!!」


すぐにドアは開けられた。


「あぁ!? なんだぁこんな時間に………って、なんだ五和か」


オルソラと違いシェリーは眠りが浅い方だったのか。眠い目を擦りながら登場する褐色肌の女は―――裸だった。


「ちょっ……シェリーさん、服、服!!」

「あぁ? 服がどうしたって? いいじゃないの、別に女同士だ。減るもんじゃないでしょ。それに私の部屋で何を着ようが何を着ないが、勝手でしょうが」


いや、厳密には薄いネグリジェを着ていた。

だがパンツもブラも露わで、よく見ないとネグリジェの存在がわからなかった。そもそもよくもまぁそんな格好、寝間着とは言え着れたものだ。同じ女の身から見てもはしたないのではと思ってしまう。

それでも、シェリーが言っている事は一理あった。ここは彼女の家で彼女の部屋だ。シェリーが裸だろうがスケスケネグリジェだろうがSM女王様御用達のボンテージだろうが小林幸子級の電飾で彩った超巨大衣装だろうが、まさかの白ゴスロリだろうが、何を着ていても赤の他人である五和がとやかく言う資格も理由も義理も無い。


「それはそうですが―――って、そんなこと言ってる場合じゃない! シェリーさん、敵が動きました。すぐに来てください!」

「そう喚くな。こちとら寝不足で頭痛いんだよ。ふぁぁぁ~~~………」


シェリーは欠伸しながらドアを閉める。


「ちょ、シェリーさん?!」


まさか行かずに二度寝するつもりか!? そうはさせまいと閉まる直前のドアを掴む五和。


「なぁっ!? ちょ、てめぇッ!!」

「何をするつもりですか?」


低い声の五和。シェリーも険しい顔で対抗する。



「離せ」

「まさか逃げるつもりですか! 駄目です、今すぐにでも連れて行かないと……」


そうでないと、建宮ら仲間が全滅してしまう。

シェリーは鬱陶しそうにドアを掴む五和の手を解こうとした。


「離せったら離せ!!」

「駄目ですったら駄目です!!」

「離せ! しつこい!!」

「駄目ですぅうう!!」

「~~~~~~~~~~~~ッッ!!」


そんな感じで揉み合っていると、堪忍袋のシェリーが青筋立てながら五和の胸倉をつかんで、吐き捨てた。


「おいテメェ、私を下着スケスケネグリジェのまま外に連れ出して、騎士を悩殺しながら戦えってか? 私を露出狂か何かと思ってんのか?」

「…………………………………」


五和の眼が点になる。


「と、言いますと?」


シェリーは乱暴に五和を床に突き放すと、


「いつでも出撃してやるから、着替えたらすぐに行くぞ。そこの寝ボケシスターに顔を洗わせて外で待ってろ。…………全く、身支度もさせてくれねぇのか」



苛立ちをばら撒くようにドアを閉めた。

ああ、そうか。シェリーは最初から協力するつもりで、いつでも出撃できるように毎晩待機してくれていたのか。それで寝不足で、すぐに起きてくれていたのか。


「こ、これは失礼しましたー」


これは明らかに自分が悪かった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「先程は恥ずかしい所をお見せして、申し訳ございませんでした」

「いえいえ、朝は誰だって苦手ですから」


数分経って。

五和はオルソラの顔を洗い、外で待っていると、完全に覚醒したオルソラが恥ずかしそうに赤面して謝ってきた。きっと女子寮の住人にも見せた事のない一面だったのかもしれない。


「待たせたな」


と、そこにシェリー登場。

いつも通りのボロボロの黒ゴスロリを纏っていた。相変わらずライオンみたいなボサボサの金髪だった。五和はさっきのオルソラの様に顔を赤くして、オルソラよりも申し訳なさそうに頭を深く下げる。


「先程は大変失礼をしました」

「いいわよ。私も眠いのは苦手だからね。熟睡中に叩き起こされたら誰だってベッドに潜り込みたくなるわよ。全く電話の時といい今回といい、お前は何で熟睡中に起こしてくるのかしらね」


『またまた。さっき寝不足だって言ったじゃないですか』

とは、言ったら本当にベッドに潜り込まれそうだから言えず、


「ははは……」


愛想笑いをしてみた。


「ふん。―――ああ、それと、一つ言いたい事がある」

「はい」

「勘違いするなよ五和。私はそこの大ボケシスターの為でも、お前ら天草式の為でもないんだからね。私はただこの街で暴れるだろう腐れ騎士共が気に喰わないから、参加するだけだから。もう一度言う。大事な事だからね。私はオルソラ=アクィナスの為に戦争しに行くわけじゃないんだからな」

(そう言っちゃうと、逆に聞こえるって知らないのかなぁ。本当にこの人はいい人なんだなーって思うのは気のせいだろうか……)


兎も角、時間は刻一刻と過ぎている。今すぐ発たなければ。


「オルソラさん」


五和は振り返る。オルソラは真剣な眼差しだった。彼女も今の現状がわかっているのだろう。いずれ来る展開だったから心の準備はもうすでにできていたか。命の危機が自分に襲ってくるのは承知であった。そしてそれから身を守る方法も。


「神裂さんの所に行けば、よろしいのですね」

「はい。女教皇様に言えば、解ってもらえるはずです。私たちは天草式の応援をしに行きますから、朝が来るまで身を守っていてください」

「わかりました」


頷くオルソラ。―――と、そこでシェリーは思い出したかのように口を挟む。衝撃的情報だった。


「あ、神裂ならさっき出て行ったわよ」

「え?」

「はぁっ!?」


思わず叫び出す二人。因みに後のほうが五和である。思わず乱暴なリアクションを取ってしまったのを悔やんで、言い直した。


「な、何を言っているのですか……?」

「五和が来る少し前に出ていった。私に声を掛けて言ったわよ。確か聖ジョージ大聖堂へ少しの間出るから、オルソラを頼むって」

「な、何……だって…………」

「さぁ、知らない」

「なんだって、こんな時に!!」


神裂を敬愛する五和であったが、この時ばかりは彼の女教皇様を恨んだ。


「相手の強さは解らないけど、彼の魔女狩りに特化した必要悪の教会の女魔術師がゴロゴロいる女子寮を襲うなんて特攻野郎じゃないと仕掛けてこない。だから夜襲なんてないと踏んだんでしょう。ま、私も神裂もいないし……オルソラ、今寮内に誰がいたっけ? だいたいの奴ら出て行っている筈よね」

「えっと……ああ、結構手薄になっていますね………」

「ああああ~~~ッ!!」


頭を掻き毟る五和。


「どうしよう! このままだと本当に不味いッッ!!」


他の敵の潜伏場所には見張りが付いている。だが奴らが出陣してしまえば見張り役など紙人形に等しい。案山子に槍を持たせて何になる。数刻もせずに女子寮の襲撃に取り掛かるだろう。

オルソラをこの寮に放置しても他の敵に襲われたら、この建物など段ボールみたいにペシャンコにされるのは明らか。だからと言って連れて行ったらオルソラの命の危険度が跳ね上がる。シェリーを置いて行ったら天草式だけじゃあ心もとない。


「ぐぬぬぬ……」


建宮に救援としてシェリーを連れてくるよう命じられたからには、それを実行せねばなるまい。何せ3人とは言え凄腕魔術師を百何人も葬ってきた10人の騎士団一員なのだから、たかが極東の偽造と小細工が取り柄の魔術集団が太刀打ちできる訳がない。ここは巨大ゴーレムを自由自在に操り、破壊力に特化したシェリー=クロムウェルを前線に送り届けなければならなかった。

だが、建宮達が戦っているのは実は囮で、敵の本隊がここでオルソラの命を狙うかもしれないとするなら、これは良策とはいえない。勿論シェリーは某忍者マンガの主人公の如く多重影分身の術を使えるわけではない。目の前の魔術師の体は一つ。しかも彼女の最大の武器であるゴーレム『エリス』は一度に一体しか作れない。オルソラと女子寮を守らせるために設置すれば、シェリーを抱え込んだ理由が無くなってしまう。ルークの突進力がなくなってしまう。シェリーを連れてゆくと言うのなら、それ即ち『エリス』とワンセットでなくてはならず、彼女を前線に出せばオルソラの護衛はいなくなる。

解りやすく言うと。

シェリーを連れて行けば天草式の仲間たちは助かるかもしれないが、逆にオルソラの命が危険にさらされる。だからと言ってシェリーをオルソラに侍らせれば、天草式の戦線が悪戦になり、下手すれば死人が多数出る。

―――全く、なぜこのようなときに、この作戦で肝心要の女教皇がいないのか………。

五和は頭を抱える。

仲間を取るか、任務を取るか。

優柔不断で考えている暇はない。1秒でも時間が惜しい。時間が押している。1秒遅れて仲間の誰かが死ぬかもしれない。1分遅れれば全滅しているかもしれない。

天草式はある程度、自分の身を守る術式を備えているし、攻撃を受けても他の物質にダメージを移させる術も持っている。何せ完全武装だ。早々に敗れないと信じている。

だが相手は一騎当千の古強者。数多の魔術師を打ち破ってきた百戦錬磨の騎士。早々に敗れる可能性はある。


「…………………………」


どうするべきか………。

唾を強く飲み込む。


(致し方ないが、背に腹は返せない。こうなったら――――――)


決断はすぐに出た。


「し、シェリー…さん」


いや、すぐに出たと言うよりは、強引に選んだと言うべきか。仲間の死かオルソラの死か。どちらかを選べと言われれば、決められない。魔術師は利己主義だ。己の目的の達成の為に、魔術師は魔法名を名乗る。普通、大勢の魔術師は迷わずシェリーを連れて仲間を助けるだろう。だが、天草式十字凄教の利己的な目的は『救われぬ者に救いの手を』。“オルソラの命を救う事こそが利己的な目的なのだ”。

しかし、目的も何も死んでしまえば目的は達成できない。オルソラを救えなかったとしても生きて行けば救いを求める人達を助ける事が出来る。されどそれはオルソラを見捨てるという事だ。

―――この矛盾。

どちらを選んでも、天草式の、神裂火織の教えを破るかもしれない。

だから、命運は勘で選んだ。

渇いた喉で何とか声を絞り出し、どれを選んでも従うぞと眼で示しているシェリーに指示を出した。


「シェリーさんには………」



その時だった。






「いや、シェリー=クロムウェルは君と一緒に行け。こことオルソラ=アクィナスは僕が守るよ」






後方から、若い男の声がした。

3人は振り返る。男の声は朝を迎える暗闇の帳の中から聞こえた。その黒の中で、赤い小さな点が宙に浮いていた。

火だった。――――厳密には、煙草の火。

コッ、コッ、コッ、と踵が鳴る。男はゆっくりと煙草を吸いながら、近寄ってきた。

誰だかわからない。顔など暗闇に紛れて判別もつかない。だが、この声と煙草の火で誰だかは一発でわかった。

五和もオルソラも、もちろん同僚であるシェリーもその男を知っている。


「僕は拠点防衛が得意だからね。こんな、小さな寮一つ、一晩くらい守り切れるさ。なに、騎士相手に後れを取る僕じゃないよ。これでも奴らと同じくらいに、魔術師を殺してきた。いや、むしろ焼いてきた数なら絶対に僕の方が上だよ」


ステイル=マグヌスが視界の中に現れた。

ステイルは言わずとも、必要悪の教会の魔術師であり、同時にイギリス清教に所属する神父である。長い赤髪、指に多数の銀の指輪、強い香水の匂い。目の下にはバーコードの刺青。どこからどう見ても不良神父だ。いや、彼は身長2m以上だが、まだ14歳の少年だ。こう見えてもジュニアハイスクールに通っていても(年齢的に)不思議ではないから、不良神父と言うよりは不良少年と言った方が正しい。

不良少年は紫煙に包まれながら登場した。


「ステイルさん…」

「ほら、何をしているんだ。さっさと行けよ。そうボケっとしている間にも、天草式の誰かが討死しているかもしれないんだぞ」

「でも……」

「大丈夫だ。聖バチカン騎士団とかいうゴロツキ共の情報は最大主教から聞いてる。そもそも彼らの討伐は元々は僕が引き受けるべき仕事だったからね。感謝しているし、その分情報は貰っているつもりさ。心配する必要はないよ」

「………」


五和は心配そうな顔をする。無理もない。今のステイル少年の状態は明らかに正常ではなかった。

まず、明らかに寝不足であろう、目の下にはクマが色濃く出ていた。髪はグチャグチャでシャワーも浴びてないのか油でギトギトになっている。服も異臭がしていてボロボロだった。

この状態で任せても大丈夫なのだろうか?

シェリーが小馬鹿にするように、


「焦げ臭いわね。どうしたの? まるで部屋の中で大花火大会でもした帰りにひょっこり立ち寄ってみましたって感じだけど」

「あながち間違っちゃいないね。一昨日の夜、日本から帰って最大主教に学園都市での事件の報告をしてそのまま新しい魔術の開発をしていたんだ。失敗とか爆発とか色々あってね。おかげでそこから今日この時まで三徹だ。どうしてくれるんだい」


それを肩をすくめて受け流すステイル。ああ、煙草を吸っているのは眠気覚ましだったのか。


「知らないわよ。――――ともかく五和、この不良神父がこの場を受け持ってくれるそうだ。さっさと行くぞ」

「あ、ちょっと……」


シェリーは五和の手を引く。五和は引っ張られながら、


「ちょっと待ってください。大丈夫なんですか? 明らかに普通じゃないですよね? 日本でお会いした時は普通の好青年(?)だったのに、今はその欠片も残ってないですよ?」

「…………嫌な事を悪気もなく言うのね……。まぁそうだけど、あいつの実力は本物だし、何よりそれ以外手はないわよ。人手が足りなかったんでしょ? だったら猫の手も借りましょうよ」

「それは……」


正論だった。致し方ない。こうなったらシェリーの言う通り、この場をステイルに任せよう。五和はシェリーの手を解き、自分のバイクへと急いで走る。バイクの収納スペースにある予備ヘルメットをシェリーに投げ渡し、自分のヘルメットを被った。

「ステイルさん! オルソラさんをよろしくお願いします!!」

「わかったよ。―――とりあえず、外出中の君たちの教皇様に至急そっちに向かわせるよう電話しておくから、安心して戦ってくれ」

「ありがとうございます」


五和は頭を下げた。深く。

それに応える様に、ステイルは軽く手を振る。

そこで、五和はステイルの裾の中に、きらりと光るモノを見た。あれは、一体なんだろうか。

その横で、オルソラはニッコリと笑って、


「ご武運を。朝ご飯はぜひ作らせてくださいね」

「はいっ!」


五和はバイクに飛び乗ると、キーを回してエンジンを掛けた。問題なくエンジンは回転する。爆音とともに煙を吐き、ライトが光る。


「それではシェリーさん、後ろに乗って下さい」

「はいよ」


シェリーはバイクの後部座席に座る。上品に横乗りだった……。


「…………シェリーさん、横乗りは流石に危ないのでしっかり跨って下さい」

「スカートが邪魔だから仕方ないじゃない」


仕方なく、スカートを酷く上げさせて乗った。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



ロンドンの人気のない街で、戦の音が鳴り響いていた。

鉄と鉄が、鋼と鋼が、火花を散らして甲高く、また鈍重な打撃音が街に響く。

煉瓦造りの建造物群の隙間、昼間なら人や車たちが交錯し合う交差点で、一つの集団がたった三人の甲冑姿の男達と戦争をしていた。


振り下ろされるロングソード。甲冑を叩く朝星棒(モーニングスター)。頭を狙って飛んでくる鎖鎌の文鎮。それを全て回避し、騎士は己が持つ剣を音速で振り回す。

百人力とはこの事であった。たった十数名の魔術師が束になっても敵いっこない。たった一太刀で囲んでいた天草式の魔術師たちを吹き飛ばした。


「ぐぉ……!」

「教皇代理!」


諫早が圧し折れた刀を放棄しながら、派手に地面に叩きつけられた上司に叫ぶ。


「大丈夫だ! それより身の安全を最優先しろ!!」


建宮は受け身を取りながら怒号を飛ばした。


(不味い。こりゃ予想以上だ。想像より遥かに強いぞ……。どうなってんだオイ。術式とか戦闘スタイルとかは報告通りだが、報告以上の強さだぞ)


結局、騎士の進行は予想以上に速く、五和とシェリー=クロムウェルを待っている時間は無かった。もともと用意した術式とゴーレムとの連携を組んで一掃する作戦であったが、彼女らを待っている内に必要悪の教会女子寮までの距離が限界許容値に達してしまった。

予定は変更され、今はシェリーが到着するまで天草式だけで戦っている。要はシェリー待ちだ。

だが、騎士はそのことを知ってか知らずか、初っ端からこちらを潰して掛かっている。

しかし、肉体的戦力差だけでここまで追い詰められるとは。イギリスの騎士の一人や二人と戦い渡れると自負していたが、たった一人のローマの騎士にボコボコにしてやられるとは想定外だ。

しかも相手は恐らく本気じゃない。遊んでいた。証拠に口元が笑っている。実力の4割も出してないだろう。


「舐めてかかってくれるよな……」


しかし舐められてこの有様だ。

他二ヵ所の戦況を見極める。

どこもこちらと同じようなものだった。

ひとりは小柄の男で強大な怪力を有していた。両手に持つ巨大な斧を振り回しながら天草式の隊伍を崩している。もう一人は髭面の老人で三叉の矛で彼の海神ポセイドンを彷彿させる無双振りで蹂躙の限りを尽くしていた。

こちらとすれば、他二人と比べて若く、体は細い。だが肉体は実に筋肉質。よく鍛えてあるのだろう。変にウェイトトレーニングをせず、武道でナチュラルに鍛え上げた身体は無駄が無い。

騎士は構える。長細いサーベルを寝物語に出てくる騎士が絵本から飛び出したかのように華麗だった。彼が構える剣は西洋に伝わるスタンダードな西洋剣。ブローソードと呼ばれる、鍔が十字になってる剣である。十字鍔に人差し指を引っ掻け、胸に当てる。

そこにいたのは神に祈りをささげる騎士だった。十字鍔が十字架を模している。それが、目の前の魔術師を滅さんとする意思表示なのだろう。

明らかな隙だった。

しかし誰も攻め込めない。あの剣は音速を超える。ここで一足でも足を動かせば風切り音と共に斬り捨てられるのは明白だった。魔術を組み立てる為の動さもまた然り。攻めず守らず、ただ剣を振るうだけで相手の技を封じる。これこそ武術の奥義だろう。威圧感や恐怖心こそがもっともな牽制方法である。

だから明らかな隙を見せつけられても、建宮達は一歩も動けずに身構えているだけであった。最も、すでに満身創痍である為、ロクに構えられない。


(全く。最悪だよな。俺たちは完全装備で全力で挑んでんのに、虫けらみてぇに吹っ飛ばされる。こっちのレベルの低さを思いしられるみてぇで、肉体的より精神的にキツイ。―――このままじゃあ、壊滅も時間の問題だ)


―――撤退か。続行か。

敵はたったの3人。こちらは20人。数の上では圧倒的有利にも拘らず、この体たらく。組織を指揮する者として、戦の引き際は見分けなければならない。―――


その時、建宮の意識は内に向けられていたが、一瞬で外に引きずられることになる。

チャキッ……サーヴェルの柄が鳴る。祈りをささげ終えたのか、騎士は剣を寝かし、建宮の方へと剣先を向けた。


(くそ、考えさせてくれないのかよ!)


心の中で悪態をつきながら、建宮はフランベルジェを構えようとする。途端―――騎士の足元は爆発した。


「…………ッ!!」


煉瓦の地面がひび割れ、破片が宙を舞う。それを目撃した直後、建宮の目の前に瞬間移動した。なんという肉体だ。肉体的性能に差があり過ぎている。靴底にターボエンジンでも積んでいるのかとツッコみたくなる。

ツッコミは勿論、魔術どころか、構えさせてもくれない。いや、ちゃんと間があった。建宮が戦況を見ている間。『ちゃんと待っててやったぞ』と騎士は祈りを捧げていたのだ。騎士は言っている。無言の言葉で、


――――勝負に集中しろ。


と。


「く……そぉっ!!」


建宮はフランベルジェでガードする。途端、騎士のサーベルが雷と隕石が融合したかのような衝撃を持って叩きつけられた。圧倒的重量。あの細身の体でどうやってそれほどのパワーがあるのかはわからない。ただ一つ言える事は、相手の身体能力が異常だった。子供の頃に見た地球を割る程の怪力を持つ幼女ロボを思い出す。だが『んちゃ!』とも『キーン!』とも言わず、ただ無言のまま剣をフランベルジェに叩きつけ続けた。そのたびに建宮の剣も腕も体も痛めつけられる。


「ぐぅ………ッ」


防御術式を組み立てさせてくれなかい。当然、天草式の魔術は自分の行動や仕草に魔術的意味を示し、魔術を行う。だがそれさえもさせてくれないのは、騎士の身体能力が人の領域を軽く超えていたからだ。建宮の魔術は後出しじゃんけんだ。だが見極めが遅れれば出す前に切り棄てられる。

だから全く魔力を溜めていないフランベルジェに全体重が乗った騎士が振り下ろす猛烈な剣の衝撃が、頭上に叩きつけられる。剣で何とかガードした建宮だったが、両腕から全身に響き渡った。

轟ッ! と突風が巻荒れる。建宮と騎士を中心に衝撃波が走る。


「ぐあっ……ッッ!!」


その衝撃をモロに喰らった建宮の肩から、嫌な音が聞こえた。ゴギュリ!と。肩が外れた音だった。

自動的に腕が下がった。それが致命的だった。建宮の頭蓋が、騎士のブローソードがフランベルジェごと叩き割られた。

脳を直接スタンガンに突っ込まれる激痛が、足の裏まで伝わった。

西洋剣とは日本刀とは違い、『断ち斬る』のではなく『叩き斬る』武器である。最も堅い西洋甲冑には剣は有効ではなく、むしろ棍棒(メノス)や戦斧などの打撃系や猛烈な破壊力を有する武器が一般的であった。剣は転がせて無防備になった騎士を、鎧の繋ぎ目や僅かな隙間に剣を刺し込んで殺すのが西洋剣の使い道である。だがしかし、剣も剣とて叩きつけて殴り殺すには十分な威力があり、また刃物だから、生身の人間くらい当然、一刀両断できる。

建宮はフランベルジェでガードしていたのが幸いだった。そのガードが無ければ、旋毛から股まで綺麗に二等分されていたのだから。だが皮肉にも頭蓋骨をカチ割られた。

目・鼻・口・耳から血を流し、建宮は糸が切れた人形となって崩れ落ちる。


「教皇代理!! …………くそぉ!!」


諫早は、天草式お得意のワイヤーを繰り出し、器用に建宮の体に絡ませて引っ張り上げた。一本釣りみたいで乱暴だが、これが最善の策であった。

建宮を抱え込んで、顔を覗き込む。


「無事ですか!」


返事が無い。屍の様だった。意識不明の重体であった。声を掛けずとも解っていた。

血だらけになり、白目を剥いてグッタリとしてる。頭蓋を割られて命に係わると改めて知り、諫早は顔を青くする。

不味いことになった。歯噛みする。ここにきて指揮官である建宮が戦闘不能。致し方ない。ここは最年長である自分が代行するしかない。

戦況は最悪。

完全装備で挑んだこの戦だったが、全く歯が立たなかった。必要最低限の延命措置として、自身のダメージを他の物質に変り身させる術式はほぼ全員が使い切った。魔術も使わせてもらえない上に、運よく使っても煙を払うが如く一蹴されてしまう。

考えるまでも無かった。

諫早は建宮を抱えたまま叫ぶ。


「全員撤退! 何としてでも逃げるぞ!! 」


この場にいた全員が反応した。


「「「「「「了解!!」」」」」」


これでいい。これが最善の手だ。このまま仲間の誰かが死ぬより。ここは逃げ、体勢を立て直した方がいいに決まっている。例え騎士団3人がオルソラの元に行かせても、オルソラを直に守る神裂が一掃してくれるだろう。

だが、諫早はここで最悪を予想した。

それは、この感覚と悪寒を知っていたからだ。

目の前の騎士は、強烈な身体機能―――パワー、反射神経、直感………それらは常人の域を超えている。どこぞの百万馬力のロボットや魔物や怪人相手に無双する仮面の男のように、馬鹿げている程の力。

そう、それに似通った戦闘能力を持った人物を、良く知っていた。彼女が幼い時から見守った、大事な大事な宝物。自分たちが弱かったが故に傷つけてしまった、強くも優しい少女。

天草式十字凄教『元女教皇』神裂火織。



―――聖人である彼女とほぼ同等の能力を、目の前の男は所持していた。



この騎士から逃げ延びる事は、果たして出来るのだろうか?

諫早の背中は汗でびっしょりだった。熱くなってではない。冷や汗で、戦慄で発せられた汗であった。

その予感は程なくされる。

聖人級の瞬発力が爆発した。たった一歩で諫早の眼前に騎士が躍り出る。右手には建宮を瀕死にしたブローソード。一方諫早は先程刀を圧し折ったから廃棄した為、徒手空拳。身を守る物はワイヤーのみ。諫早は何重に束ねて、剣を受け止めようとする。


「ぐぅっ!!」


咄嗟のアイディアだったが奇跡的に成功した。

天草式特性のワイヤーは非常に頑丈にできている。岩など簡単にスライスできる優れものだ。それを束にしてしまえばちょっとやそっとの衝撃や剣の切れ味では防ぎきれる。


「痛ッ!?」


―――と、思っていた。

甘かった。相手は化け物みたいな怪力を持つ。防ぎきれるだろうが、ワイヤーの頑丈さが故に、自分の手が切断されることだってあるのだ。

実際に、諫早の手から血が滲んでいる。

ガチガチと剣とワイヤーが金属音を立てている。


「ぬぅぅぅうううう…………」


歯を食いしばり、千切れそうになる掌の痛みをこらえながら、それでも剣圧に耐える。

それでも実力差は無情だ。いずれは腕が痺れて力が入らなくなり、剣がゆっくりゆっくり諫早の眉間に触れ、殺されるだろう。


(ここまでか)


命を捨てる覚悟をするべきか、そう考えたその時だった――――――。


何者かが、横合いから突っ込んできた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

神裂火織は大急ぎで戦場へと向かっていた。


(私の所為だ……)


何と言う馬鹿な事をしてしまったのだろう。油断大敵と言う言葉がこれほど重く圧し掛かるとは思わなかった。神裂の明らかな判断ミスだった。


(少しの間なら、女子寮と聖ジョージ大聖堂を往復し、錆白兵と話をする時間くらいあるだろうと思っていた私は大馬鹿者だった!!)


ならば贖罪の代わりに、かつての仲間を助けるくらいの働きはせねば。その一念だけが彼女を駆り立てていた。

彼女は正真正銘の聖人である。

もし彼女を目視できる人間がいたとするなら、その人間の動体視力はプロ野球選手以上だろう。神裂は街を、時速300㎞/hで駆け抜けていた。聖人は聖痕を開放する事によってヒトを遥かに上回る力を使用できるのだ。彼女の駆け抜けた後は嵐が巻き起こる。風神が雲に乗って街を駆け抜けると、このようになるのか。

発端は彼女が持つ携帯電話の電子音から始まる。ステイル=マグヌスからの電話だった。


『君、何をしているんだい。君が近所の黒猫みたいにふらっとどっかに行ってしまったから、敵が動いてしまったよ。君がオルソラの守りを外れたばっかりに、敵が奇襲をかけて来たんだ。おかげで天草式はピンチに陥ったよ。何せ相手は騎士だからね。相当数の魔術師を虐殺してきた戦争のプロだ。あと10分もたたないうちに突破されるか皆殺しにされるかもね。―――笑えないね』


彼らしくもなく、つまらない様に淡々としたセリフを思い出す。

『―――笑えないね』

ああ、まったく笑えない。


(彼らは戦闘の準備が整っていなかったから昼間、私たちを襲ってこなかったんじゃない。”私がオルソラから離れるのを待っていたんだ!” オルソラの守りが無くなってしまえば、攻め込めば容易く落とせてしまう!)


どうしてそれに気付かなかったのだろうか。錆は昼間、全く音沙汰なしだったのを不審に見て、『軍備が整っていないのでは?』と疑っていたが………。ああ、もう考えるのは面倒だ。


(ともかく一刻でも天草式と合流しなくては……!!!)


今はそれだけを考えよう。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


五和のバイクはロンドンの石畳の上を爆走する。右へ、左へ、西へ、東へ。縦横無尽にハンドルを操作し、100㎞/hを超える猛スピードで戦地へと急いでいた。

と、そこで。


「!」


天草式のメンバーが戦っているのを発見した。――――今まさに、仲間である諫早が殺されかかっている場面だった。


「!! くっ!!」


アクセルを精一杯回す。ここからあそこまで一直線。事故の心配などない。10秒も待たず五和のバイクは駆け抜けるだろう。

そう思っていた。


「………ッッ!!」


現実は甘くない。運が悪いのか。目の前でいきなり石畳が盛り上がり、五和の進行を阻止しようとしている。

思わずブレーキを掛けようとした。

だが、


―――五和! そのまま駆け上がりなさい!! この先の人払いと一緒に、地面に地雷が仕込まれている!!


シェリーの声が聞こえた。

そうか、石畳がこうなったのは彼女の判断で、彼女の仕業だったのか。進行の阻止で無く、発射台を造った。


「了解!!」


五和は叫び、アクセルそのままに発射台を130㎞/hで駆け上がり、ジャンプする。

一瞬で地面の感覚がなくなった。ふわりとした空中を漂う感覚は無重力に等しい。虚空を進むようだった。その中で、ただ一つだけの感覚は風を切り、服がなびく音のみ。

五和はハンドルから片手を放し、予め背中に担いでいた海軍用船上槍(フリウリスピア) を掴み、騎乗の槍兵の如く振り回し、構えた。三秒もなく、バイクは騎士へと突っ込む。


「覚悟!」


鎧に油を塗っている騎士は視界の隅で突っ込んでくるバイクを反応すると、とっさに剣をワイヤーから離し、突如現れた槍を持ったライダーと応戦しようとした。一振りだけでバイクは大破するだろう。


「しめた!」


だが、剣圧が緩んだ隙を見逃さなかった諫早は功名かつ狡猾に騎士の剣に自身のワイヤーを絡め取る。彼だけではない。この騎士と対する天草式のメンバー全員がワイヤーで彼の剣を封じた。しかも魔術を使用して自身の重量を重くしている。体は重くて動けなくなるが、これでいい。


「――――――!!」


流石の騎士も数秒だけでも動きを封じられた。この数秒だけで十分だ。

騎士は思わず剣を引き抜こうとするも、微塵も動かない。コンクリートに埋め込められたのかと思うほどに動かぬ剣。両手で全力をもってすればいずれ引き抜けようが、しかし今は機械仕掛けの騎馬の奇襲を受けた。時間はない。


「っ!」


焦った騎士は剣を諦め、突進するバイクから回避しようとした。バイクの方を向く。だが時はすでに遅し、騎士の目前、鼻先5cm。バイクの後輪が視界を覆い尽くしていた。

自然な流れだ。例え聖人とて、騎士とて、300㎞/hで動く物体が来たとして、50mなら回避可能だが、たったの5cmなら不可能。当然の様に騎士の頭とバイクの後輪が激突する。


ゴシャッ!

鎧ごと頭蓋が破壊される音がした。

騎士は面白い様に地面に転がる。頭を地面に叩きつけられ、二回転三回転、大車輪をかましながら吹っ飛んでゆく。

十数m先で、騎士は動かなくなった。


「御無事ですか!!」


空を飛んで騎士を撃破したバイクは見事に着地し、横滑りで急ブレーキを掛けながら五和は叫ぶ。手のワイヤーを収め、建宮を負ぶう諫早が答えた。


「私たちは大丈夫だ! ただ、最大主教が!!」

「…………」


グッタリとしている建宮。五和は苦い顔をして、


「すぐに撤退しましょう」

「そのつもりだ。だが相手が悪すぎる!」

「………ッ」


状況は思っていた以上に緊迫だった。既に天草式側は壊滅寸前。死人が出ていないのが奇蹟だった。

撤退戦はどの作戦よりも困難を極める。相手に背を向けながら戦えと言うのは無茶な話だ。特に自分より強すぎる相手なら言うまでもなく、不可能だ。

天草式はその手は得意のつもりだった。何せ偽装のスペシャリスト集団だ。だが相手がその偽装も、お構いなしで叩き潰してくる。

なら、誰かが決死隊となって囮になるしかない―――。

諫早は、建宮を五和に任せて自分がその役をしようと買って出るその時だった。


――――なら私が『殿(しんがり)』を務める。お前らはさっさと逃げろ。


不意に、どこからか声がした。


「シェリーさん?」


五和は怪訝な顔で、


「大丈夫ですか?」

―――大丈夫よ。姿は見つかっていない。お前らが逃げ切れれば私もすぐに撤退する。

「任せていいのか?」


諫早は今日初めて知る援軍の魔術師に訊く。


――――ハンッ、私を誰だと思ってるのかしら。



その時、地面が揺らいだ。地震だ。震度は7はあるだろう。誰もが立っていられず尻餅をついてしまう。この場にある建造物の全ての窓ガラスが破壊され、月明りの光をキラキラと反射しながら鋭利に尖っている方を下に、殺人ナイフの雨になって振ってきた。だがそんな些細な事はどうでもいい。―――突如、地面から巨大な土色の腕が突き出てきた。


「!?」


肘までが地面から出ている。小屋ほどの大きさだ。それが地面に手を付いた。それでまた地震が発生した。

―――あらあら騎士様よ。よくもまぁ魔女殺しの魔術師がゴロゴロ居座るロンドンに来てくれたわね。


シェリーはどこからか騎士に語り掛ける。

今、バイクと衝突し、頭から血を出しながらも立ち上がった騎士も、斧を振り回していた騎士も、海神を模した騎士も、地震によって体勢が崩れていた。一旦手を止め、土の魔術師に耳を傾ける。


―――その勇気は褒め称えてあげる……。


土の腕は力を入れた。ぐぅっと指に力を入れて、片腕だけで、――――地中に潜っていた自らの体を地上に這い上がらせた。

地中より現れたのは土人形だった。大きさは子供が作るお遊びサイズではない。コンクリートや鉄筋、廃材や自動車に至るまでの様々な物体を取り込んんで不格好になりながらも、その姿はまさに巨人。立ち並ぶ煉瓦造りの建造物より頭一つ大きかった。

思わず三人の騎士は呆気にとられた。


――――アッハハハハハハハハ!! 今晩は特別サイズよ。私の全力全霊を持ってもてなしてあげましょう!!


魔術師の笑い声が聞こえる。そんなに騎士たちの顔が面白かったのか。

当然、シェリー=クロムウェルは幼少時代、騎士に友人を殺されている。それはロンドンの騎士であったが、ローマだろうがスペインだろうが、騎士は憎い対象なのだろう。それを今ここで殴り殺せるのだから、歓喜に駆られるのも無理は無い。


――――だから! 今ここで土人形となって潰れなさいッッ!!!



シェリーの怒号と共にゴーレム『エリス』は吠えた。大きな口をガッパリと開けた様は怪獣映画さながらに。


―――エリスッッ!!


巨人エリスは拳を振るう。本物の隕石と同質量の拳は、立ち上がってボロボロになって諫早と戦っていた剣の騎士に向けられ、容赦なく叩きつけられた。

地面が再度揺れる。震度は8。もはや近所迷惑以上の問題だ。なのに誰も様子を見に来ていない。それは人払いの魔術を行使しているからだ。

だが、五和は危惧する。


「シェリーさん! 人払いの魔術、壊さないでくださいよ!」

―――わかってるわよそのぐらい!!


まぁそうなのだろうが、うっかりしてもらっては困る。五和はバイクを操り、安全な場所に避難する。


「…………やりました?」

―――敵も敵で厄介だ。ほら、エリスの拳。


五和は言われたとおり、ゴーレムの拳を凝視した。

そこには、騎士の死体が一つあったであろう。だが、あるべき死体はなく、代わりに盛り上がった土があった。土の中に、騎士がいた。


「防がれた!?」

―――その様だ。土魔術が得意な奴は私だけじゃないってことね。


奥には二人の騎士がいた。そうだ、この場には騎士は3人いる。この3人を足止めしなくては。

どうやら土魔術を使ったのは小柄の方の騎士の様だ。巨大な斧で地面を叩いていた。

騎士は無言のまま、100kgはあるだろう斧を軽々と落ち上げ、臨戦態勢を取る。傍らの三叉の矛を持つ騎士もそうだった。

二人は巨人へ突撃する。

土の騎士は両手に斧を、海神の騎士は矛を、地面に突き付けた。途端、斧を中心にして地面が一斉に崩れ始め、地形は変化する。

左右にある建造物が、中央に引き合って、エリスに迫ってきている。


「?!」

―――ありゃあ自分たちに有利な地形にしようとしているわね。破壊力があるけどエリスは体が大きいから小回りが利かない。地形を変化させてエリスの体より小さくしようとしている。このままじゃあ身動き利かなくなってウドの大木になってしまう。

「………どうするんですか!?」

―――どうするもなにも、そうなる前に叩く!!


もうそれしかない。エリスは二人の騎士を迎撃。巨体らしからぬ猛ダッシュで迫る。

それを矛を持つ騎士が止めた。

突き付けた矛の振動で、下水のマンホールが、弾けたビール瓶の蓋の如く吹っ飛んだ。それに続いて大量の水が引き出した。それがこの道路の端まで続く。現れた水柱は20。それらの水が一斉に集まり、騎士の指揮の下、エリスに襲い掛かった。

滝が真横に落ちる光景だった。

超重量を持つエリスをさらに上回る流量を持って、水竜が咢を大きく開けて襲い掛かる。

右腕でそれを受け止めるも、指の間から水は通り、体を襲う。


――――くそっ…エリス!


シェリーは命令を変えたのか、エリスは吠えるのと同時に一時後退。水の流れに逆らわず左に体を逸らす。

それでも水の化物は旋回。エリスに蛇のように巻き付く。


―――させねえぞ!!


怒号がまた飛ぶ。エリスは蛇に巻かれる前に飛び上がり、横の建造物によじ登り、三段蹴りで騎士に襲い掛かった。

それを土の騎士によって、彼が両手で持つ巨大な斧によって防がれた。


「!?」


五和は驚愕する。鈍重で鈍いゴーレムの跳び蹴りもだが、斧一つで受け止めた騎士など常軌を逸しているとしか言いようがない。

土の騎士はゴーレムの脚を掴むや否や、軽々と持ち上げた。


―――ハァッ!?


驚きの一言。たかが人間如きがあそこまでの怪力を見せるとは。

ゴーレムは離せと怒っているのか暴れる。だが騎士は知らぬと吐き捨てんばかりに振り回して、建造物に叩きつけた。


「ああっ!?」


建物の煉瓦が崩れ、ゴーレムは屋内に沈む。あの中には恐らく人がいたであろう。だがそれが今、一瞬で圧死してしまった。

やってしまった。被害は出させまいとここまで穏便にやって来たものの、とうとう巻き込んでしまった。被害者を出してしまった。

だが悔やんでしまっても仕方がない。それは後だ。今は―――。


―――エリスッ!!


ゴーレムは吠えて、立ち上がった。まだ暴れ足りないと、高らかに喉から獣の叫びを上げる。

そのまま土の騎士に襲い掛かる。だが土の騎士は接近戦に持ち掛けた。蟻と象の戦いに見えるが、一体の巨大ゴーレムと真面に渡り合える騎士は両手に斧を持ち、突風の如く襲い掛かる拳と蹴りを器用にガードしながら、その腕と足を切断する。

ゴーレムとて痛みがあるのか、そのたびに断末魔が上がった。

されどゴーレムの特性はその再生力。どれだけ壊されようが斬られようが、周りにある物を吸収しながら再び猛撃する。

そこに矛の騎士による水竜が横槍を入れた。動きを封じる為だ。この巨体を封じなければならない。だがゴーレムの方が一枚上手だった。荒れ狂う水を躱しつつ、暴れつつ、騎士を攻撃する。そして斬られ、再生を繰り返す。

まるで物語に登場する、怪物を討伐する正義の騎士の様だった。同時に、あまりにも騎士の強さが現実からかけ離れていたせいで、怪獣映画にも見えた。

五和は気味の悪さを感じながら、天草式が完全に撤退したことに気付く。バイクのエンジンを回し、



「シェリーさん!」

―――わかったわ!

「シェリーさんも早く!」

―――お前が先に消えたら私も行く!

「了解!」


アクセルを回して発進した。――――――が、突然、後ろから飛んできた何かによってタイヤが破損してしまった。バランスを崩してしまう


「わぁっ!?」


バランスを失い、傾くバイク。このまま転倒してしまえば、重い機体に足を挟まれてしまう。とっさに飛び出した。さほどスピードは出ていなかったのが幸いし、怪我無く脱出できた。その判断が良かった。バイクはクルクルと回転しながら壁に激突し、爆破、炎上した。もし飛び出さなかったら今頃、木端微塵になっていたに違いない。


「…………」


爆発した勢いで、エンジンの破片や部品などが散らばる。その中に――――小さな一本の斧が足元に突き刺さった。


「………投擲斧(トマホーク)!?」


思わず後ろを振り返る。そこには巨大ゴーレムと怪獣映画さながらの戦闘している小人の姿があった。彼の武装は斧。そして彼のマントの中には……無数のトマホークが装備されていた。背中を守る鎧そのものが斧になっているように見える。


『逃がせはせん』


土の騎士の眼は、戦いながらそう五和を睨みつけていた。

そして、矛の騎士も同意であった。

突如、ゴーレムと乱闘をしていた水竜が細く分裂し、五和を襲った。


「ぐあぁっ!?」


水竜に体当たりは鳩尾にめり込んだ。一気に意識を刈り取る。


「………はぁっ…」


気を失った五和を、縄となって縛り上げた。


――――五和!?


一瞬、シェリーの意識がそこに行った。その隙を騎士二人は見逃さず……と言うより、五和を捕えたのはそれが目的であったから当然であるが、ゴーレムの腕と脚を切断し、再生する前に水竜で絡め取り、仕舞には巨大な水の生簀を造ってゴーレムをその中にブチ込んで水責めにした。

矛の騎士はゴーレムは自動再生機能を逆手に取り、周囲の土を吸収する際に一緒に水も染み込ませる。土に水を与えると泥に変わる様に、ゴーレムもあえなく不完全な物体になった。これならあえなくゴーレムは土人形から泥人形へと、そして水分量を増やしていけば、体はボロボロと崩れ落ちるだろう。

ここでチェックメイトだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
シェリー=クロムウェルはあらかじめ、遠くのビルの屋上にいた。そこからは戦場の全てが見通せる。だがこの戦は負け戦になってしまった。

いや、生き残れるだけならチャンスはあった。天草式のメンバーを全員帰還させるのが今のシェリーの役目だった。だが、五和が騎士に捕えられた。

両手首と両足を縛られ、宙に浮かぶ五和。そしてたった今、水の中に完全に溶けてしまってエリスは消滅した。


「クソッ!」


シェリーは歯噛みした。

あの学園都市の一戦以来、自身の魔術を徹底的に見つめ直し、改良に改良を加え続け、機動性を上げた。だが、それでもあの騎士には及ばなかった。

何という力だ。なんという戦闘能力。なんという基礎性能的格差。


「こんなのがあと7人もいるのか」


思わず戦慄してしまう。


「……………」


シェリーはビルの屋上から地上に乗り出す。遠くで五和がいた。速く助けなければ。五和の命が危ない。

―――だが、助けられるのか?

誰かが、いや、自分の脳内の片隅で、直感が呟いた。


「……………」


五和を助けるには、もう一度ゴーレムを造り、あのエリスと同等の重量と威力を持つ水竜と再度戦わなければならない。相手に自分でも知らない攻略法を見つけられた今、本当に五和を奪還する事が出来るのだろうか?

無理だと思った。

魔術師とは、大変に自分勝手な種族だと思う。己の目的の為ならどんな犠牲をいとわない。組織に身を寄せるのは只都合がいいだけ。天草式と手を組んだのも、騎士がオルソラを殺そうとしていたからである。あの手の人間には、どうも苦手意識を持ってしまう。オルソラの、のほほんとした雰囲気にのまれてしまって、こっちも馬鹿になってしまいそうだ。


『シェリーさん、ほら、美味しい洋菓子が焼けましたよ?』

『手が離せないから後にしろ』

『なら、私が食べさせてあげましょう。はい、あーん』

『ちょっと待て、やめろ。ムガッ!』


あの甘くてふわふわした洋菓子は、まさにオルソラの性格を表している要だった。甘ったるいのがそのままだったが、美味かった。美味かったが何か悔しい。

オルソラとは、彼女が女子寮に来た時から何度か顔を合わせて話はした。手を組んで仕事はした。使徒十字の件がそうだが、それ以外でも図書館に籠って調べ物をしたり、魔術アイテムの鑑定を行った事も多少ある。

―――まぁ、そのたびにあの調子なのだから、困った者だ。ああいう手合いの人間は、しっかりした奴が見てないと、危なっかしくて見てられない。

別に見殺してもいい。助けるのは自分でなくてもいい。天草式か神裂かステイルか、それとも遥々極東より彼の少年を引っ張り出してか、いずれにせよ、このシェリー=クロムウェルが戦う義理も理由もない。

だが、あの一緒に仕事をした日々を思い返すと、どうしても日和ってしまう。

あの日常がとても甘くて優しいのだと思ってしまう。


―――シェリーはもしかして、懐かしんでいるかもしれない。

シェリー=クロムウェルは幼少の頃、学園都市から来た超能力者の子供と遊んでいて、魔術を教えるように仕込まれ、それをよく見てない者達に迫害され、騎士に超能力者の子供、友達となった少年、エリス=ウォリアー。

言わずとも、イギリス清教と学園都市が手を組んで魔術と超能力のハイブリッドを開発しようとしていた有名な事件での話だ。

エリスとシェリーは当時、共になくてはならない存在だった。シェリーが最初になった友達で、どこに行っても一緒だった。そして、最後になる友達になった。大人しい目の子供だったシェリーが今のこの有様になったのは、その影響であるのはまず間違いない。

シェリーが教え、エリスが教わり、無邪気で大人しいシェリーがエリスに引っ張られる関係。

もしあの風景を知っている者がいたとしたら。

きっと、シェリーとオルソラを見て、懐かしむのだと思う。『あの日の風景を見ているようだ』と。 そのことをシェリーは自覚していない。―――

自覚はしていなくても、シェリーからすればオルソラはほっておけない存在だ。だから何かに失敗して『うわぁ、助けてくださいぃぃ!』と泣き言われれば、まぁいいかと見離すときもあるが、『しょうがないなぁもう』と腕捲りしてしまう。

シェリーが戦う理由はそれだ。たまたま助けたいと願ったから助ける。

別にオルソラを失いたくないから戦っているわけじゃないんだから、とシェリーが言うだろう。

素直じゃないとか本人の目の前で言っては即座に泥人形にされてしまうが、それが本心だという事だ。


――――しかし、だからと言って命を顧みずに五和までも助ける義理も理由もない。


あれがオルソラなら即座に飛び込んだ筈だ。だが今は迷っている。助けてもいいが、助けるにはこちらの命を張る必要がある。

最初に精製したエリスは、ここで造り、ロンドンの地下鉄を通ってあの戦場に向かわせた。そのルートだと時間が少し掛かる。しかし今は時間が惜しい。いつ五和があの水の縄に絞殺されるかわかったものではない。

即刻助ける為にはここで精製し、即座に救助に向かわせるべきだ。だが、ここでそれをやれば、造るときの物音などで居場所が割れてしまう。相手は騎士。生身では太刀打ちする事など不可能。

五和を助けるには、自分の命を捨てなければならない。


―――天秤に掛ける事も無かった。


「くそっ!」


逃げるしかない。見殺しにするしかない。あの騎士は異教徒には一切の容赦はしない。

遠くで、悲鳴が聞こえた。

ほら早速処刑が始まった。水の縄で縛り首か、水槽に溺れさせて溺死か、手足を引っ張り裂く八つ裂きの刑か、逆様にして尻からノコギリで真っ二つにする鋸挽きの刑か、膣に串を指す串刺しの刑か―――思いつく限りの処刑方法が五和に降りかかると思えば、悔しさで、細い指で持つオイルパステルを握り追ってしまっていた。


「…………すまん」


シェリーはそう小さく呟き、ビルから去ろうとしていた。

その時だった。


『それでいいのかよ、お前』


――――脳裏に一瞬、あの、黒いツンツン頭の少年の背中がよぎった。


「………………………」


しばし、考える。

いやはや、本当に馬鹿馬鹿しい。


「本当に、すまないな」


シェリーは鼻で笑う。誰を? ――――自分だ、バカヤロウが!


「まったく、私も焼きが回ったわね。本当に、あの手の馬鹿に殴られると、私も馬鹿をしてしまいたくなっちまう」


袖から新しいオイルパステルを取り出し、新たに魔方陣を描き始めた。


「すまないね、私。こんなバカな事で自分を殺しかねない………」


途端、巨大なゴーレムが周辺から廃材やコンクリートの塊を轟音を立てながら吸収しながら現界し、エリスは己の存在を世界に知らしめるかの如く吠えた。これで居場所は割れた筈だ。こうなってしまったからにはこの場にいる必要はないだろう。

シェリーはエリスが差し伸べた手から肩に乗る。


「さぁ、第二ラウンドと行こうじゃないの! 行くわよエリス! ―――――『Intimus115(我が身の全ては亡き友のために)』ッッッ!!!」


シェリーを乗せたエリスは応えるかのように獣の咆哮を上げながらビルから飛び出した。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

気が付くと捉えられていたのは、自分の一生の不覚だろう。


「…………」


二人の騎士が自分を吊し上げている。報告通りの冷酷な連中なら、すぐに絞め殺すなり縊り殺すなりするだろう。もとより、魔術師としてその覚悟は決めていた。

でも死と言うのは何より怖い。どんな苦しみなのか、どんな痛みなのか、それが予想通りなのか、遥かに想定以上なのか。それだけ考えただけでも背過ぎが凍る。人が死を恐れるのは、死後よりも死ぬその時の想像が出来ないから、恐ろしいのだと思う。五和は目を瞑る。どんな痛み、苦しみに耐えられるように、震える体を押さえつける。

今か、今か、今か。いつでも矛で脇腹を刺されてもいい様に、歯を食いしばり続けた。

だが、いつまでたってもそれがやってこない。


「?」


眼を開ける。

すると、騎士は遠くの方を向いていた。

獣が吠える声がした。

騎士たちと同じ方を向くと、遠くのビルから―――シェリーが隠れている筈のビルから、ゴーレムと、ゴーレムの肩に乗ったシェリーが建物と建物をキングコングさながらに移りながら、やって来ていた。


「シェリーさん!?」


五和が叫ぶ。何故出て来た? 理由は明白だ。自分を助ける為だ。


「そんな、死ぬ覚悟を持っている私を助けるなんて……」


シェリーが勝てる訳がない。そもそも天草式+ゴーレムの連携で進める筈だったのだ。それが今、

駄目だ、ここでシェリーが出てきたら、二人とも死んでしまう。

五和は身の回りを見渡す。

何か、何か自分に出来る事は無いか。縛れていても、何かできる事は無いか。

周りにあるのは煉瓦造りの道路と建築物。建築物はアパートメントだった。それでも人は住んでいるだろう―――と、思っていた。


「…………あ、」


まさか、だった。シェリーが操るゴーレムが倒れ、瓦解した所を見る。一件普通のアパートメントだった。崩れた4階建ての建物の側面から室内が覗ける。アメリカドラマの『フルハウス』のセットみたいだと思ってくれればいい。

しかしそこにあるべきものが見当たらなかった。


―――家財道具が一切、皿一枚も、室内から見当たらなかった。


普通、どんな部屋とて様々なものがある筈だ。寝室ならベッド、キッチンなら食器、玄関なら靴、例え部屋の中に何も無くても押入れとか収納棚とかぐらいはあってもおかしくはない。

だが、どうしてだ。

側面から見る室内の光景は『空』。蛻の殻だった。


「……………あ、そうか」


今ながら、やっと気づいた。人払いの魔術を施し、どんなに騒いでも人が来ないようにしていたが、“ここには元より人がいなかった”。

ここはギャングの巣窟。ロンドンでも最も荒廃している場の一つ。貧乏人たちが集まる土地だが、しかし廃業となって誰も手を付かないビルも多い。

それはそこだった。

なぜ気付かなかったのか。

聖バチカン騎士団は今夜、必要悪の教会の女子寮にいるオルソラを討伐する為に出撃したんじゃない。侵攻を阻止する為に出撃した天草式とシェリーを一掃する為に、我々をおびき出したのだ。

なら敵わない筈だ。相手は私たちを倒す為に出撃した騎士たちだ。襲う事がばれている奇襲に何の意味がある。待ち伏せをされたのはこっちだった。きっとこの周辺のどこかに、結界魔術か自分の能力を上げさせる強化魔術が仕込まれているのだろう。それならあの騎士の機動性と怪力も、大量の水を操る事も、並の騎士どころか普通の魔術師でも無理なことを平然とやってのけるのも全て合致する。

あの騎士たちは聖人ではない。聖人並の機動性を人工的、魔術的に手に入れた、魔術じかけの騎士なのだ。


「来たら駄目です………」


視界の片隅で、二人の騎士が武器を構えた。

一人は巨大な斧を二本を地面に刺してマントの中にある百はあるだろうトマホークの内から8本を握った。それはマントの中にある全てを投げ入れようと。

一人は一本の矛と超大量の水で造られた水竜を召喚した。それは一瞬でゴーレムを粉々に砕け散らせようと。

魔力を十分に溜めたのか、斧の騎士の筋肉が先程よりも膨れ上がり、矛の騎士は水の量を下水からさらに3倍は持ってきただろう、さらに巨大な水の化物を作り上げた。

圧倒的不利は明確。

一体目のゴーレムで対等だった。だがこれでは一瞬で片を付けられてしまう。

五和は思わず叫びを上げる。


「駄目! シェリーさん―――!!!」


叫びと共に水竜が無数のトマホークが放たれた。

エリスは両手でガードをする。が、超水量超流速の水の化物の突進により、一瞬で腹を貫かれ、魔力を込めて投擲された斧に全身を切り刻まれた。

結果として、あっという間にゴーレム=エリスは大破。

シェリーはエリスの肩から振り落とされ、大量の水と斧によって全身を―――――――――――――――


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


オルソラはステイルと共に女子寮の門の前に座っていた。ステイルは今日10本目となる煙草に火を付けた。

太陽はまだ顔も出してない。月は沈んでいて、星の明かりだけが天上にあった。街に光は無い。一寸先は闇、ふらっとどこかに行ったら気付かずに暗殺者に殺されかねない程、ここは真っ暗であった。

ただ、煙草に火をともすオイルライターだけが、ステイルの顔を照らした。

紫煙を吐き出しながらステイルは星を見上げながら背後に座るオルソラに意識を映していた。


「もうじきに朝になるか。それでもこの時間帯に起きているのは辛いだろ。別に、君は君の部屋で休んでいていいんだけど」

「いいえ、ここで結構です。皆様が帰ってこられるまで、ここに居させてください」

「そんな真剣な顔で言わなくてもいいじゃないか。別に邪魔だと思って言ってる訳じゃないよ。―――面白くないね」


口から紫煙が吹き出す。


「ただ、僕の様な煙草臭い男と一緒なんて、居てもつまらないだろう?」

「いいえ。そんな事はございませんよ」

「そうかい。それならそれでいいさ。ま、部屋に居られるよりもここで居座ってくれた方が、守りやすいしね」


そしてステイルは無言になった。

さっきからこの調子が続いている。少し会話をするとすぐに途切れて静かになる。空気が重たくなり、話しかけると答えてくれるがすぐに途切れる。この繰り返しだ。非常に……、


「居心地が悪いだろう?」

「…………いいえ」


心を読まれた。いや、彼にも自覚があったのか。


「まぁいいさ。好きにすればいいよ。君が僕を何と思っても構わないし、どうもしない。僕と君は守り守られるだけの関係だけど、それ以上でもそれ以下でもない。神裂とは違って、僕は君と仲良くしましょうよなんて甘ったるい精神は持ち合わせてない。―――考えてないからね」

「そうですか………あの、ステイルさん?」

「なんだい? すぐに途切れる会話でいいなら応えるけど?」

「………日本でお会いした時と、ほら、上条さんたちと一緒にいた日と、若干雰囲気が変わったように思えるのでございますが……どうにかされたのでしょうか?」

「………………………」


ステイルはしばし言葉を詰まらせる。煙草をすぅうううと吸い、根元まで吸いつくした後、携帯灰皿に入れて、また新しい煙草を取り出して火をつけた。

そう言えば煙草を吸うペースも段違いに早い気がする。

だが煙を吐き出す神父は首を振った。


「…………いや、いつも通りだけど? 若干違っているとするなら、それは極度の寝不足の所為だ。言っただろう? 僕は三徹明けなんだ。何より、僕のこの眼の下にあるクマが証拠だろうね。鏡を見た時は流石に驚いたよ。完全に狂人か廃人になった自分が映ってたんだから。そのくらい、全くどうしようもなく僕は眠たい。こういう時にコーヒーとかでカフェインを採れば眠気すっきり何だろうけどね」

「何なら、私が煎れてきましょうか?」

「いやいいよ。僕はお客さんじゃない。君の護衛だ。護衛におもてなしなんて君は本当にいい人なんだね」

「いいえ。私はただ、良かれと思った事をやるだけでございます」

「それがいい人だと言うんだ」


ステイルは煙を吐く。全く味わっていない。頭をキメさせるだけの用途で吸っているのだろうか。

風が吹くと、紫煙は暗闇に薄れる。

そう言えば、数分前に大きな風が吹いた。その時、瞬きよりも速い速度で何かが通り過ぎたように思えたのだが………。聖人は常時より遥かに身体能力に優れていると言う。あれはもしかして神裂だったのだろうか。天草式が無事なのだろうか。是非とも安心だと願いたい。


「…………………みなさん、ご無事で……」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ビル五階の高さで強襲されて大破したゴーレムの肩から、地面へと真っ逆さまに落下するシェリー=クロムウェル。目の前には瀑布と斧の雨。あと一秒後には死ねるだろう。

―――あと一秒。

『ああっ』っと、シェリーの顔が青く変わる。

もはや助からない。

直撃したら体は即バラバラ。奇跡的に外れてもあの高さなら頭蓋を砕かれて即死するだろう。

五和は思わず眼をそむける。

そして一秒――――――。


シェリーに水竜と斧は外れた。


奇蹟が起こった。奇跡的に水竜と斧の雨が反れた? ――――いや、違う。シェリーの目前で二つとも、目の前の分かれ道に進んだが如く裂かれたのだ。

五和が顔を上げると、一目でその原因が判明した。


「―――――――ワイヤーッッ!!!」


シェリーの目前4m。何本ものワイヤーがあやとりのように複雑に且つ規則的に絡み合い、組み合されながら、シェリーを殺そうとしていた瀑布と斧を防ぎきっていた。

それだけではない。ワイヤーには実は命が宿っているのか、意思を持つ生物の様に街灯と建物の窓の冊子など六つの支点を使って、あやとりの『たくさんの星』の形を造ると、その上に落下したシェリーを受け止めた。


「…………………は?」


何が起こったのかわからない表情のシェリー。何で五体満足でしかも頭から落っこちて死なないのか、そもそもなんでワイヤーに助けられたのかがわらなかった。

だが五和は知っている。


「こ、これは! ――――うわっ!?」


その時、手足を縛っていた水の縄が解けた。いや、“斬られた”。バッサリと何者かに断ち切られ、騎士の制御から外れて縄はただの水になり、束縛していた五和を解放する。

五和はくるりと宙返りしながら着地した。


「ぐっ!―――」


急に腹が痛んだ。脚に力が入らない。がくりと膝が折れる。


「がっ……あ……!」


腹筋が悲鳴を上げている。水竜に襲われた時のダメージがまだ残っているのか。だが、敵はいる。今、目の前に立っているのだ。痛みをこらえて、五和はちょうど近くに落ちてあった海軍用船上槍(フリウリスピア)を拾い上げようとする。

震えた手を伸ばす。

―――――その先に、風に靡き揺れる黒髪を見た。


「――――大きくなりましたね。五和」


これだけの高度なワイヤーの技術を持っているのは、世界中探しても一人しかいない。

五和が尊敬していた、かつて従っていた尊い人。自身が持つ幸運の所為で自分たちが傷つくのを見ていられなくなって、姿をくらました、優しい人。

同年代で近しい存在で、だけど一番尊敬していた、元女教皇様。


「ああ……」


思わず涙がでた。

まるで少年漫画のヒーローの如く颯爽と、その手に令刀『七天七刀』を持って、目の前に立っていた。大きな後姿だった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



女人らしい細い体。髪は長く、艶やかで美しい。スラリとした長身。まさに絶世の美女也。

されど侮る事なかれ、その剣技は天下無双。

その剣舞、武神をも凌ぎ、数多の武人を打ち倒す。

その女は弁財天の様に舞い、ガブリエルの様に優雅に空を駆け、天照大御神の様に優しく微笑み、人に尽くす、人より神如しと崇められ奉られて候。

されど、三面六臂の阿修羅の如く、軍の天使ミカエルの如く、八岐大蛇を切り刻む須佐之男命の如く、邪を討ち払い、人より毘沙門天の再来と畏れ拝まれて候。

その女人の名は神裂。元天草式十字凄教 元女教皇『聖人』―――神裂火織。


――――ここで来たか。


この女には二つの顔を持つ言う。一つは女神の顔。一つは武神の顔。怒気を孕んだ声で、騎士を睨むのは、後者の顔であった。


「よくも、ここまで暴れてくれたものですね」


武神と化した神裂火織。

この敗戦濃厚のチェス盤場の戦況を一気にひっくり返す最強の駒(クィーン)が、現れた。






神裂火織と言えば、イギリス清教の騎士十数人をたった一人で撃破すると聴く。

恐らく、魔術で今できる範囲の限界まで強化しても、たった三人では勝てないだろう。そして、戦えば逃げられないだろう。

神裂は殺気を前面に出しつつ、冷静に場を観察する。

敵3。その内、戦闘続行2、続行不可1。


「五和、敵の特徴は?」


五和は涙を拭いて、ハッキリと報告する。ああ、このやり取りは何年振りか。懐かしくてまた涙が出そうだ。

痛みは何故か引いていた。いや、少し痛むが、彼女の前だから和らいだのだろう。今ならハッキリ喋れる。


「斧を持っている方はは地形を変形させるほどの土魔術と自身の肉体を強化です。矛を持っているのはシェリーさんのゴーレムを一発で破壊する水魔術を使ってきます。もう一人は何とか倒せましたが、聖人並の戦闘能力を持ってました。恐らく健在の二人も同等かと」

「そうですか。ありがとうございます。―――五和、ご苦労様でした。シェリーと一緒に下がって下さい。ここは、私が引き受けます」

「いえ、私も戦います!」

「いいえ、今のあなたは怪我をしているし、魔術の精製に必要な生命力は補充が必要です。―――私なら大丈夫。休んでください。私はあなたを傷付けたくない。――――それにまだ3人の様です」

「え? それってどういう……―――」


五和が言いかける。その時、視界の片隅より爆発が起こった。

否、人間が一人飛び出したのだ。盛り上がった地面に守られ続けていた、男が一人、自動回復術式でも組まれていたのか、剣の騎士が神裂に向かって剣を振り上げて突進してきた。

五和たちがあれだけ苦労して倒していたと思っていた剣の騎士は、今も健在。しかも雷を超える速度で、決して五和如きではとらえきれない速度で斬りかかる。

―――――だが、その刹那であった。

雷よりも速い騎士の突撃を、神裂は右のミドルキックで騎士の腹を蹴り、騎士の動きを止め、七天七刀の鞘を槍代わりにして喉を突き、回し蹴りで吹っ飛ばした。

この間の速度、0.1秒も掛かっていない。五和の動体視力の許容範囲の外をとうに越えているどころ1μ㎡も理解できない。


「……………いいえ、私の言い間違いでした。もう2人です」


吹っ飛ばされた騎士は、口から血反吐を吐きながら斧の騎士の近くへと転がった。

『あなたを傷つけたくない』

その言葉が五和の胸に突き刺さった。現実を思い知らされた。あれだけ苦労して戦っていたのに、まるで赤子の手を捻るが如く、この聖人は騎士を倒してしまった。

今なら理解できる。当時はまだ幼くて解らなかった事が。


(……………まだ、あの時のことを思い悩んでいるのですか)


心が痛んだ。だが、神裂の言う通りだ。今も体中がボロボロで、倒れそうだ。言葉に甘えるしかない。下手に戦いの巻き添えを喰らうのなら、逃げた方が彼女の為になる。


「……………了解」

「良い子です」


神裂は仏の顔で微笑むのを見ると、五和は後ろ髪を引かれる思いで背中を向いて走り出す。ワイヤーのあやとりから地面に飛び降りて、何とか着地した途端のシェリーの腕を掴んで、建築物の影に一緒に隠れた。


「ちょ、わ、お前、何のつもりだ! 私も戦うぞ! このまま舐められてたまるか!」

「シェリーさん、隠れてください」

「いいのか? 一緒に戦わなくて」

「いいんです。あの方が、あの方にとって戦いやすい」


悲しい事だが、悔しい事だが、虚しい事だが、


「私では、今の私では、二人の戦いについて行けません――――」


歯軋りをし、顔を歪ませる五和。シェリーはそこで気付く。今の五和の顔は色が悪い。良くない汗の玉が滲んでいた。

フラリと、五和の体が傾く。


「あれ………?」

「!? おい! どうした、大丈夫か!?」

「おかしいな、さっきは痛みが止んだのに……―――うぐっ!」


五和の顔が歪む。

神裂の前だからと無自覚にカッコつけていた効果が薄れたのか。いつわの腹がまた痛みだした。まるで腹の中で誰かがつるはしでも振り回してるんだろうか。


ドサッ


気が付くと、地面が目の前に迫っていた。


「あれ?」


―――そうか、倒れたのか。……ああ、いきなり横になったから段々、眠く……。

五和の意識が遠のく。

どこからか声が聞こえる。シェリーだった。


「おい! 五和! どうしたのよ! 大丈夫か!? く、失礼するわよ………ッッッ!? ……お前、まさか――――」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



――――五和とシェリーが物陰に隠れたのを確認した神裂は、ようやく敵と真剣で向き合う。

と、


「なる程、オルソラ=アクィナスを守るのではなく、かつての仲間を助けに来たか」


戦っている間、まったくの無言であったが、斧を持つ騎士が、ようやく口を開いた。

地震の様に低い声だ。これが彼の魔術の特性を象徴しているかのように。


「………あなたは?」

「まだ名乗らんよ。真名も魔法名も。貴様と戦うには、今の装備では物足りんからな。ここでおめおめと逃げ帰らせて頂く。だかこれだけは言ってやろう」


斧の騎士は地面に突き刺した巨大な斧を背中に収め、数歩離れた所で伸びていた剣の騎士を拾って肩で担いだ。


「我々には時間が無い。いや、ローマ正教には時間がない。だから明日にも強襲させていただく」

「……………………果たし状のつもりですか」

「貴様の故郷風に応えるならばそうだな。我々は魔術師ではなく、暗殺者でもない。我らは正義を名乗る騎士だ。騎士が宣戦布告せず、名乗りも上げずに戦場に駆け、馳せ参じる訳にはいきまい」

「その割には、私の元同胞、天草式の彼らには名乗らなかったのですね」

「貴様は家の害虫を駆除するたびに、名を名乗るのか?」

「………………貴様ッ!!」


神裂は激怒した虎の顔をする。七天七刀の鍔が震えると同時に、斧の騎士の周辺が七つ裂いた。


「次は八つ裂きです。撤回していただく」


氷の様に冷たい言葉と眼だった。その気迫に矛の騎士が慄く。一方、斧の騎士は明るく笑った。


「はっはっはっはっは! 冗談冗談。あれは我らの団長の口癖だ。ただ奴めの真似をしたまでよ。そう怒るな。我らはあくまでも騎士。正々堂々が性分の大馬鹿者だ。我が団長は騎士と言うより一軍の将の気質。あのような失礼な言葉を時折吐く。明日、それを弁えて、戦場に来たまえ」


ドワーフとゴブリンの様な容姿だが、いう事は知性的で豪快だった。


「うむ、もう時間だな」


いつのまにか空は白んでいた。


「月は沈んだ。じきに夜が明ける。我々の時間は終わりだ。貴様が来ようが、きっと我らは撤退していた。まぁ、天草式も死者はで何だとしても負傷者だらけでロクに戦闘に出れまい。結果的には我らの作戦は遂行された訳だ………」


ここで、斧の騎士は別れの挨拶をして立ち去る。


「明日の夜だ。夜、0時ごろ。丁度、月が真上に昇る時間だ。プリムローズ・ヒルの憩いの広場にて待つ。―――それではまた会おう、美しき剣士とその仲間達よ………」


ロンドンは霧の都である。だがそれは遥か昔の話で、今は霧などめったに出ない。だがその時は何故か濃霧が発生した。誰でもない。水を操る隣の矛の騎士が発生させたのだ。

二人の騎士は、霧に紛れる様に消えていった。








周囲一辺が瓦解した戦場、敵の気配は消え失せた。


「…………………………」


戦いは終わった。

夜が明ける。

正面は東の方向。天照の光が神裂を照らす。

―――夜が明けた。

神裂はふぅと息をつく。


「もう出てきていいですよ。すぐに撤退しましょう。こんな所を一般人に見られては面倒になります」


隠れている五和とシェリーに声を掛けると、シェリーは顔を出した。


「大変だ!」

「?」

「五和が倒れた!」

「!!」


一難去ってまた一難。

シェリーの肩にはぐったりとした五和がいた。

今にも死んでしまいそうな顔だった。

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今晩はここまでです。ありがとうございました。
次回、次々回で、きっと錆白兵編は終わらせる予定です。元々かの黒歴史も300で終わらせるつもりでしたし、今回はそれを遂行させる所存でございます。

2か月という長い間、待たせてすいませんでした。
言い訳させていただければ。
バイトとか実家の稲刈の事とか免許の更新とか色々とバタバタしていたり、書き留めても書き直したり、書いた話の順番を色々と変えてみたり、書いても手直しを延々と繰り返したり、様々に試行錯誤してつつ書き溜めまくっていたら結局、前回今回と大量な文章になってしまい、大変迷惑かけてしまったかと思います。
蓋を開けて見れ見れば中弛みの酷い感じに。
そんなSSですが、御付き合いしていただいている読者様には感謝をしてもしきれません。


それと、五和の中の人が茅野さんだったことに今更知った今日この頃。

皆様、お久しぶりでございます。>>1でございます。
1ヶ月もほっぽってしまって申し訳ございませんでした。
さて、秋がすぎ、冬の足音が聞こえてきました。
そんな中、身勝手なのは承知でございますが、ここで言わせていただきます。
皆様にご相談がございます。

作者である私の実力不足が原因で申し訳ないのですが、
当初の予定よりかなり横道にそれ、主役にスポットライトが当たらない感じになり、本SSがあまりにもグダグダになって、不評のモノとなってしまったので、>>105>>141辺りから、改稿させてください。

これは8月9日の投稿から逆戻り。皆様のご声援と期待と時間を三ヶ月も無駄にさせてしまうという暴挙。
大変ご迷惑をかけてしまうと思います。
ですが、お恥ずかしながら、それを承知でお願いたします。

是非、ご返事ください。
もし改稿して欲しいというなら、次回から改稿したものを投稿します。
もしこのままでも良いというのなら、このまま続行いたします。

改稿版は内容は少なくなると思いますが、オリキャラ率を大幅に下げて行こうと思います。

了解です そこら辺は>>1の好きにしていいかと…

>>240-244
みなさま、急なお願いを聞いていただき、ありがとうございます。
いつも待って頂いて、本当にありがとうございます。

改稿は>>103からでお願いします。
キャラの設定はそのままで、改稿前と後はパラレルワールドだと思ってくだされば結構です。
久し振りに書留せず、そのまま投稿していきます。

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>>103



話の転換点はいつも彼女から始まる。

午後四時三十五分。オルソラ=アクィナスはニコニコと笑顔でこう問うた。


「では、錆さんと神裂さんの仕合はいつにしましょう?」


ロバート=クリケットら元ギャングたちと別れて、三人は街を歩く。グッタリとした表情で神裂はこう言った。


「少し疲れたので、今すぐじゃなくてもいいと思いますが……」


珍しく彼女がこんな表情をするのも無理はない。あの後、騒ぎを聴き付けた警察が来るわ、警察に事情を説明するのに手間取るわ、クリケットらに呼び止められるわ、百人近くの男どもに言い寄られるわで、散々な目に合った。

元ギャングたちは錆の指導の下、真っ当な人間へとなろうとしている。 そしてクリケットは仲間たちを必死に引っ張ってゆくそうだ。

彼らは彼らで自分の運命に立ち向かう決意をしたし、己の人生を見つめ直すいい機会を与えてやった。あとは彼ら次第だ。

まぁ、ロンドンの不良共が一人でも減ってくれたらそれはそれで

さて、今度は私たちの事だ。これでややこしい事に巻き込まれなければいいのだが……。


「もう夕方ですし……」


西には太陽が傾いてゆく。もうすぐすれば今日も一日が終わるだろう。

しかしまた奇麗な夕日だ。心が洗われるようだ。明日は青天であるのは、天気予報を見たからわかるが、この見事な紅蓮の太陽を見ただけで十分にわかる。

だが日本で生まれ育った魔術師からすると、逢魔時は不吉を呼ぶ。特に、こうした嫌な事が起った日には更なる追討ちがやってくるのだ。だから今すぐ寮に帰ってシャワーを浴びて夕餉を食し、布団に入るのが一番いい――――と、聖人の直感がそう言っている。

神裂はオルソラと錆に、


「また後日で………」


いいでしょう、と言う所であった。

オルソラが余計な事を言った。


「そう言えば、よく神裂さんが見てらっしゃるジダイゲキでしたでしょうか、この前見たそれのワンシーンは、夕暮れの中の決闘で御座いました! あれはとっても格好が良かったのでございます!」


ウッキウキな笑顔で。


「確かに夕日での決闘は絵が映えるで御座る」

「ええ、私、一度でいいから生でそれが見たかったのでございます!」

「拙者は今すぐにでも大丈夫でござる」


と、やる気十分な錆白兵。それはそうだ。だって今すぐにもあの『薄刀 針』とかいう使い勝手の悪そうにしか見えないが価値は億を下らない業物を取り返したいに決まっている。


「どうでございましょう、神裂さん」

「…………」


そうだった。この女は天然で空気を読まない性格だった。きっとあの発言も好奇心か出来心からだろう。決して悪意からではないのはわかっている。

だから断りづらい。この無垢で無邪気な笑顔の乙女に断れば、きっとシュン…としてしまうに違いない。


「……はぁあああ…………」


―――まったくもって神裂火織という女はお人よしだ。どこぞのツンツン頭のいう事は言えない。

「わかりました。受けて立ちましょう」

「わぁ……っ!」


ぱぁっと笑顔を弾ませるオルソラ。


「では、『ゼンハ イソゲ』の日本のことわざの通り、さっそく行きましょう! 錆さんも、これで文句はございませんですか?」

「無論! 寧ろ有難い!」

「はい……」


しょうがない。こうなったらスパッと終わらせよう。

ルンルンと機嫌がいいオルソラを筆頭に、鼻息を荒くする錆と正反対に溜息をもらす神裂一行は、人気の無い、広い場所を目指して煉瓦の街を歩いて行った。

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>>138 >>139 >>140 変更なし
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「一応、本当の時代劇みたいに真剣で戦う訳にはいきませんので、竹刀でやりましょう」


神裂は錆に一本の竹刀を手渡す。現代、よく見かけるスタンダードな形だが、これは神裂が自ら造った物で、良く暇さえあれば振っている。

見事な逸品だ。基本何でも完璧にこなす聖人だからか、まったく一つも欠陥は無い。


「……………」


それをまじまじと錆は観察する。


「錆白兵。その竹刀がどうかしましたか?」

「いや、木刀ではなく撓で鍛練をしているのでござるか?」

「両方ですね。木刀は剣を鍛えるのには、剣に一番近いのですが、流石に打ち合いとなると怪我の危険がありますので」

「…………なるほど」


元々竹刀とは、剣士の育成の際、木刀で怪我ないしは撲殺を防止する為に作られた練習用の刀である。
今は『竹の刀』と書いて『しない』であるが、安土桃山時代では『撓』と書かれ、語源は『折れずに曲がる様…撓う(しなう)』であった。彼の天下最強の大剣豪 新陰流の上泉信綱が考案したと伝えられ、当時は『袋撓』と呼ばれる、今とは別の姿をした物である。江戸時代で剣を習う人間ならば、恐らく全員がこの模造の刀を振って汗を流していたに違ない。

鑢七花と汽口慚愧との話を見ればわかるが、錆がいた世界も竹刀はあった。恐らく彼もこの竹の剣に大きく世話をされた一人だろう。

そして剣を持つ正統な剣客ではあの世界では紛れも無く日本一だった錆は、人の千倍は努力をしていた。故にわかる。


「………これに触れただけでわかるでござる」

「何がです?」


神裂は6m離れながら、懐かしむように柄を馴染ませるように握る錆に訊く。

錆の顔は感謝する表情だった。


「神裂殿は、紛れも無く武芸者であると」


錆が握っている柄は黒くなっている所があった。それはちょうど刀を掴む所。目測だけでも、何千……否、何千万、この竹刀を振ってここにいるのだとわかる。

この撓は神裂の魂がよく染み込んでいた。

剣の強さは努力の質と量に比例する。これは絶対の理で、“例えどんな天才でも、努力を一切しないで強者になれる事はない”。強者とは、才能ある人間とは、絶対に努力を惜しまず、克己心を燃やし、日々精進する者を呼ぶ。神裂はまさにそれだった。

――――女子であるから、少しは手加減しようと思っていたのが恥ずかしい。ここは、全力全霊で挑まなければ失礼だ。

錆は静かに竹刀を構える。手に持つのは竹刀だが、目は真剣だった。その動作は流れるように見事。


「神裂殿、始めましょうぞ。――――――拙者にときめいてもらうでござる」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「『微刀 釵』の修理、意外と上手く行ったな」

『ああ、俺が設計した通りのありのままでよかったぜ』

「あれの制御…プログラミングがどこぞのバカに書き換えられたとかお前が言うからヒヤヒヤしたけど、まぁ結果オーライだったな」

『それにはぬかりねぇよ。ちゃんと“調整”はしてあるさ』


学園都市某所、木原数多は自分の研究室にてコーヒーを飲んでいた。この部屋には誰もいない。いるのは木原一人。彼は独り言をつぶやいていた。否、木原はもう一人の人物と会話をしていた。そう、木原数多が持つ完成形変体刀十二本が一本、『毒刀 鍍』を造った張本人、四季崎記紀その人である。四季崎は木原の精神に憑りつき、彼に協力をしている関係である。

急な修理依頼を受けて、地下闘技場までわざわざ足を運び、完成形変体刀の一本を丸々修理しに行って、今帰ってきたばかりだった。

変体刀の模造の製作は相変わらず進んでいない。まぁ焦る事は無いだろう。アレイスターが無理な指示を出さない限り、自分は死なないから、のんびりやればいい。

木原はブラックコーヒーを啜りながら、部下が提出してきた報告書に目を通す。


「あ、おい四季崎。あの虚刀流、どうもアイテム引き連れて闇大覇星祭に出るみたいだぞ」

『ほう、そうか。そりゃあそうだな。あいつ等の今の活動目的はこの世界線が変わらないように、完成形変体刀十二本をもう一度蒐集して、俺が召喚したヤツらをどうにかする事だもんな。当然だ』


暗部全体で行う運動会だ。暗部組織であるアイテムと共に過ごしているのだから、知らされて驚くことはない。

だが、どうも虚刀流……いや、奇策士とがめにすれば美味い話だ。まるで奴らを釣っているようにしか見えないのは気のせいだろうか。


「運命って奴かなァ。偶然にしちゃあ出来過ぎじゃねぇか?」

『誰かが後ろで糸引いてる可能性は十分あるが……どうする? きっと微刀もとられるぞ』

「もちろん端から猟犬部隊(ハウンドドッグ)にとらせるつもりだ。全自動殺人マッシーンなんて、ドラえもんでもそうは出せねぇってもんだ。ぜってぇ手に入れるに決まってんじゃん」


木原は報告書をデスクに放り投げた。彼自身には完成形変体刀以外興味はない。トランプで言うなら、それさえ手に入れば、手札は最強になれるのだ。

コーヒーを飲み干す。


(……『暗部最強を決める戦い』か……)


ここで思い当たる。四季崎の世界での最強の人間は誰なのだろうと。


「――――四季崎、お前があっちの世界から引っ張ってきたヤツらで一番やべぇのだれだ?」

『あ? なんでそんな事訊くんだ?』

「これから俺とブチ当たるだろうから、参考までに聞いておこうってな。サンコーだよサンコー」

『んーそうだな。戦闘なら、まずは鑢七花はもちろんだが、最強は間違いなくそいつの姉の鑢七実だな。次点に真庭忍軍十二棟梁が一人であり真庭忍軍の長だった真庭鳳凰、そんで否定姫の忠実な僕の左右田右衛門左衛門、鑢七花だろうな。ともかくこの四人は別格だ』

「へぇ、どんな奴らなんだ?」

『鑢七実は言っても信じて貰えねぇだろうから置いといて、真庭鳳凰と左右田右衛門左衛門は鑢七花…いや、真剣を抜いた『虚刀 鑢』と互角に渡り合える奴らだ。敵に回さねぇ方がいい。むしろ下手下手に出たほうが得策だな』


左右田右衛門左衛門は今は学園都市にいる否定姫の所にいる。彼に下手に出ると言う事は、否定姫に下手に出ると言う事だ。どうも、右衛門左衛門の存在は確認できるのだが、肝心の否定姫の姿が最初に会った時から確認できていない。あの上条当麻とかいう右手に不可思議な能力を持つ少年の学生寮に閉じこもっているのは確かなんだが、なぜかあそこには行けないのだ。

なぜかは見当はついている。さすがこの四季崎記紀の直系と褒めるべきか、恨むべきか。


『真庭鳳凰は学園都市にはいない。あいつは欧州に飛ばした。……と、欧州と言えば、もう一人厄介な奴がいたのを思い出した。忘れちゃいけねぇ奴だったわ』

「あ?」

『錆だよ。錆白兵。お前が造りたがっていた完成形変体刀の中でも最高の業物の所有者だ。そいつ話をするなら、まずあいつんちについて話しとくべきだな』


言っておくが、錆白兵というより、錆家全体についてだが…と断りを入れて、


『虚刀流と全刀流……陰と陽……。鑢家の人間は棒状の物を持つと弱くなるように、錆家の人間は棒状の物を持つと強くなる上に、虚刀流同様、独特かつ一代ごとに強くなるようにした。あいつ等は箸でも人を一秒で10人は殺せる』

「それってつまり……」

『本気にした錆に武器を持たしたら相手はそっこー死ぬってこった』

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日はここまでです。ありがとうございました。
改稿が無い所は尺の関係上、>>247のようにしております。
では、おやすみなさい。

あけましておめでとうございます
皆様、お元気でしょうか。>>1でございます。
長らくお待たせいたしました。更新させていただきます。

ああ、年賀状もあけおめメールも来なかったなぁ……。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


紅色の夕日が緑の芝生を朱に染める。

『死』が赤色を象徴すると言うならば、それは血潮の色を連想したからだろう。血の色は紅。あの沈んでゆく太陽と同じ色だ。だが、この場は不思議と殺伐としなかった。むしろ真っ赤な紅葉が一面に散りばめられた、美しい空間に思えた。

風が吹く。

芝生の葉が一人の男と一人の女の間を漂った。

イギリス首都ロンドン、プリムローズ・ヒル。紅に染まったロンドンを一望できる標高256フィート (78メートル)の小高い丘の上。

二人の剣客は、そこにいた。


「平日のこの時間帯なら、誰もいない。ここなら戦えるでしょう」


黒髪の長身の女剣士は風に髪をなびかせるのを無視し、手に持つ竹刀を放り投げた。目の前にいる白髪の小柄な男に向かって。


「一応、本当の時代劇みたいに真剣で戦う訳にはいきませんので、竹刀でやりましょう」

「承知した」


彼らはまさに対極であった。

古代中国に陰陽と言うのがある。簡単に言うと黒と白の様な相対関係の、そう簡単に相いれない二つの事だ。神裂火織と錆白兵。彼らの髪の色と同じだ。

二人は共に剣客であり、今ここに戦うためにこの場に来た。

風が吹く。

どうやら、神裂と錆は何やら会話をしているようだ。今日は風が強く、自分は風上にいるから耳には届かなかったが、談笑でない事はすぐに分かった。

―――――徐々に、雰囲気が張り詰めていったからだ。

少し離れた所で決闘の原因となった日本刀…『薄刀 針』と神裂の愛刀『七天七刀』を握り締めて、この戦いの発端にして、立会人であるオルソラ=アクィナスは固唾を呑んだ。

神裂が真剣ではなく竹刀を選んだ理由は、当然だが死にたくないからだ。こんなくだらないことで真剣の斬り合いなど、馬鹿げている。

しかし、得物である非殺傷性の竹刀は当たると痛い。

オルソラは神裂が毎日案山子相手に竹刀を叩いているのを知っている。風を切り裂く鋭い音と案山子を叩く乾いた音を聴くだけでも鳥肌が立つのだ。

そう、あの偽物の剣で、出来損ないの日本刀で叩かれた激痛は、真剣に斬られたそれに相当する。それも、キレが鋭くなればなるほど差はなくなり、達人級となると一撃で気絶すると言う。

聖人であり居合の達人である神裂の腕前は語るまでもない。あの聖人の突きを鳩尾に喰らいでもすれば、3日は何も喉を通せなくなるだろう。

だが、相手の錆も易々とやられはしないようだ。錆の実力は前のギャングたちの話を聞くと、まるで魔法の様だったらしく、まったく彼らでは歯が立たなかったと言う。少なくとも100人以上の武器を持った大男共相手に無傷で、しかも圧倒的大差で服従させてしまったのだ。錆も達人と見て間違いない。

神裂火織と錆白兵。

この二人の勝負は、一体、どのようなものになるのだろうか。

オルソラはギュッと、白い鞘の刀と黒い鞘の刀を抱きしめる。


―――――夕日を背に決闘する剣士たち。


秋の風が吹く。これが最後の強風だった。錆は神裂がいつも使っている竹刀を愛しそうに見つめ、我が手になじませるようにして握る。

それから構えた。

構えは正面に剣を置く……確か青眼と言ったか、その動作は一動作がスローモーションに見えるほど滑らかで、一切の無駄は無く、素人目から見ても華麗。


(ああ、これが青眼と呼ばれる所以でしょうか)


錆の青い眼と、白い剣先がぴったりと相手の眼を捉え、ぴたりと剣先は静止する。剣先に蝶々が止まれるまでに、静かに。

時代劇で見る野武士の剛剣とは全く違った、精錬され研ぎ澄まされた華麗なる究極の技。構え一つで見た人間全てを魅了する美しさ。背後に残す冷たさは、刃物の凶悪性よりも、しんしんと降り注ぐ冬の雪の柔らかい冷たさを連想させた。

不思議と、恐ろしさがない。だがそれと同時に『斬られる』と言う錯覚を起こした。

たかが竹の棒だと言うのに、なぜか、一瞬、真剣と見間違えてしまった。



「神裂殿、始めようぞ―――」


いや、本当にあれは真鋼で叩かれた日本刀なのかもしれない。いつのまにか空気が斬られたのか、風音が無くなり、錆の声がハッキリと聞こえた。相変わらず美しい声だった。つい聞き惚れてしまいそうなくらい。


「――――――拙者にときめいてもらうでござる」


――――つい、ときめいてしまうくらいに。


「いいでしょう。いつでもかかってきてください」


神裂も構える。彼女も青眼を取った。神裂も準備は万端であった。

武の達人は、いつどこからの攻撃を受けても対応が出来るように、常日頃から日常生活を武の鍛錬として扱うと言う。最も効率的な体の使い方や呼吸法などがあるが、代表的なのは『気』である。一瞬でも気を緩ませる事は、時には死を呼び寄せ、武芸者はそれを好まず、ずっと気を保ち続けている。故に武の達人は一切の隙が無い。

神裂の構えもまた然りあった。


余談になるが、青眼…中段の構えと言うのは剣の構えで言うと極めてスタンダードな方で、上段、下段、八相に構えをスムーズに変えられる為、剣道の基本として最初に教えられる構えである。
『基本』と言うのは数多くの技の中でも“最も精錬された技”である。野球の投球だったり、バスケットのフリースローだったり、水泳の泳ぎ方だったり、どれも型は似たようなものだろう。それは、基本が基盤となっているからなのだ。
基本の一番の強みと言うのは、一番効率が良く、一番汎用性があり、一番応用が利き、一番正確である事である。悪く言えば個性が無いが、良く言えば無難なのである。戦略的に便利だ。故に一番強い。
二人とも冒険をせずに無難な道を取ったと言えよう。
もっとも、神裂が愛刀である七天七刀を持てば、構えていたのは最強のそれである、最速で一撃必殺の居合の構えだったのだが。

錆の実力も手の内も知らない神裂は何故その中断の構えを取った理由は、まずは後攻を取り、錆の剣の癖を見極めてからそれに合った構えにスイッチするつもりだからだ。また同時に、神裂をよく知らない錆もそのつもりであるに違いない。
そこまで基本とは使用者が一番信頼する技なのである。

お互いに手札の数は不明、絵札か数札かも不明。先手を取って有利に出る考えもあるが、神裂は大きなカウンターを避ける為に後手に回って出方を待つのが良しとした。


神裂の青眼の練度も信頼しているだけに見事。錆のそれと引けを取らないほど綺麗であった。錆が華麗であるならば、神裂は的確。お手本として全世界の剣道少年少女たちの為に写真を撮って雑誌に載せたくなる程に。

むしろ、この勝負自体をこの世全ての剣術家に見せてあげたい。それほどこの勝負には価値がある名勝負になる。二人が打ち合えば、超高等技術の応酬になるだろう。

だが二人は一歩も動かなかった。どのタイミング、どの場面、どの手で、どの構えで相手を斬るか。どの足を前に、後ろに、横に出すか、いや、それとも動かざるべきか、思い切って動くべきか。超高度な牽制のしあいを微動だにしない駆け引き。殺気のみのフェイントを織り交ぜながらの到底、言葉には表せられない高レベルな心理戦。

一歩も動かなかったのではない、動けなかったのだ。言葉の無い言葉で、動きのない動きで、刃の無い刃で、お互い手を出し合い、潰し合う。そんな、相手の雰囲気を感じ取って先手と後手の決め合いを繰り広げるのに精いっぱいで、一歩も動けずにいた。

当初、さっさと終わるだろう…終わらせると思っていた神裂は、考えを改めさせられていた。


(………巧い。錆白兵の手と剣先と私の目が綺麗に一直線上にいる。これだと、私から見ると剣の長さが…間合いが掴み辛い。なる程、実戦慣れているようですね)


神裂の目からすると、錆が持つ竹刀は、白い先皮と鍔しか見えない。肝心の竹の部分は先皮に隠れて全長が伺えないのだ。

銃や弓矢以外の武器を使う近接戦闘おいて、武器の間合いは重要である。相手の武器が短ければ小回りが利き、長ければ近寄りずらいのは知っているだろう。槍と刀とでは攻め方も守り方も異なる様に、得物の長さで戦い方が全く違ってくるのだ。

しかし、この錆の作戦は神裂には通じないようだ。


(そもそも、その竹刀は元々私のもの。長さはちゃんと把握している)


錆は全く未だに錆は1cmも動いていない。普通、ここら辺で嫌気がさしてあちらが攻撃に移る筈だ。だが一向に攻める気が無く守りを固める神裂に対し、さぞかし錆は攻めにくかろう。小細工で剣の間合いを隠したと言えども、どの攻撃手段も叩き落とされ、返し技(カウンター)を喰らえば元も子もない。

だから、錆は攻めてこれないのだと、


(そんな小細工、通用しない)


そう思って、神裂は“改めて錆の全体を観察する”。

“錆の竹刀から錆へと視線を戻した”、その間、約2.5秒。




錆白兵の姿は………――――既に、消えていた。




「え――――!?」


眼が点になった。だが魔術師ではなければ超能力者でもない錆白兵が瞬間移動をするわけがない。2秒半の間を使って、どこかに移動したのだ。


(しまったッ!―――いや、どこへ!?)


右か、左か、―――それとも。

警鐘が鳴る。これは不味い。すぐに錆を発見しなければ、0.0001秒でも早く察知せねば、あっという間に斬られてしまう。警鐘が鳴る。どこから? 右? 左? 否――――


「―――――下ッ!」


直感に任せ、神裂は後ろに跳びながら竹刀を振り下ろした。



――――――――――同時に乾いた音が紅の空に響き渡った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「錆の事は言い尽くした。もう私から言える事はない。なら、今こそ話すべきことは一つしかない。それは――――――――――錆の技についてだ」


奇策士とがめはそう切り出した。


「技…ですか」

「そうだ絹旗。錆の……全刀流の技は妙技の極みだった」


酒を飲みつつ、とがめは語る。


「全刀流と言うのがある。錆家に伝わる一子相伝の流派の名だ。全刀流は、錆家は、四季崎記紀が造りし完了形変体刀の出来損ない……『全刀 錆』である事は教えたな」


虚刀流と並び立つ刀。四季崎記紀が造りし完了形変体刀の失敗作『全刀 錆』。


「姉妹剣と言っていい。それでいて両者は対極の存在だ。『虚刀 鑢』が陰なら『全刀 錆』は陽。虚刀流が刀を使わぬ流派なら、全刀流はその逆を行った」

「逆?」

「まぁおいおい説明するよ。―――ともかく、錆の妙技は剣聖の名に恥じないものばかりだった。七花、戦ったお前ならそれは重々知っておるな?」

「当たり前だ。いやぁ、あの時は本当に冷や冷やしたぜ。俺が出会って戦った奴らの中でも、錆が一番かっこう良かったしな!」


格好良いとかそう言うのはどうでもいいとして、絹旗は七花に、


「たとえば、どんなものがあるのですか?」

「そうだなぁ……まずは……」


七花は腕を組んで、長考して厳選したひとつの技の名を言った。


「俺が戦ったとき、初っ端から出された『爆縮地』とかすごかったな」

「どう超凄かったんです?」

「足捌きは虚刀流の杜若よりも自由で、油断すると消えたように見えるんだ。瞬間移動っては、ああゆうのを言うんだなぁ……」

「瞬間……もしかして『空間移動(テレポート)』ですか? ………いやいや、まさか」

「学園都市のてれぽーととか知らねぇが、本当に目の前から消えちまうんだ。それで俺の出鼻を挫かれて、こっちの調子を乱されたんだ。流石に目の前から突如に消えて、どこからか突然現れる攻撃なんて避けられねぇし、俺の攻撃も簡単に避けられちまう」

「…………まじですか」

「おう、まじだ」


もし錆白兵が、学園都市の能力者なら『空間移動』と呼ぶ能力を持っているなら、確かにそれは強敵だ。だが、話しによると風紀委員の空間移動能力者を倒したらしいが……。


「白井黒子っつったっけ? あいつは単純すぎて錆と比べ物にならん」


どうやら、鑢七花は奇策士とがめが『全刀 錆』と言う刀を褒めるのは嫌だが、自分が『錆白兵』という剣士を褒めたいようだ。
だが、とがめは『錆は超能力者か?』と言う絹旗の疑問に首を振った。


「言っておくが、絹旗よ、錆は瞬間移動能力者でもなければ『原石』の超能力者でもないぞ」

「超嘘ですよね」


信じられないと顔に出す絹旗。人がそうそう消えるわけがないと思っている顔だった。
とがめはぱくぱくと肉じゃがを口に運び、


「『爆縮地』とはあくまで体の操作法であるだけだ。錆の姿が消えるのにはちゃんとした種も仕掛けがある」

「じゃあ、言ってくださいよ。なんで錆は七花さんと超戦ったとき消えたんですか? その超種ってなんですか?」

「それは、『爆縮地』の体の操作法と、もう一つは―――――」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「――――くっ………!」


後ろに飛び退けた神裂は5m先の芝生の上で踏ん張ってブレーキをかけ、錆から距離を取った。芝生の緑色の上に砂の轍が出来る。二三歩タタラを踏んで、やっと神裂は止まった。

顔色は青色。いや、心拍数が上がって少し紅くなっている。呼吸が荒い。二三回深呼吸をして呼吸を整えた。

ヒヤリ。


(―――正解だった)


戦慄が背中を襲う。


「………なるほど、運と勘が強いお方でござる」


少し離れた所で、薙ぎ姿勢から体勢を戻し、錆が竹刀を持って構えていた。構えはまた青眼。相変わらず美しい構えであった。


「…………」


汗の玉が額から顎に伝う。

神裂は片手を竹刀から放し、素肌をさらしている脇腹をさすって掌を見る。赤い液体が付着していた。


(血……? “斬られた”……?)


脇腹を薄皮一枚、竹刀が掠った。

―――先程、直感に任せて後ろに跳んだ時だった。

神裂は下を見ると、なんとすでに錆は竹刀の間合いを詰めかけていた。竹刀を移動の途中でか中段から左下段に構え、脇腹を掻っ攫おうとしていた。あと半歩踏み込みを許していれば、時すでに遅しだったろう。神裂が後ろに跳びつつ竹刀を振り下ろして軌道を変えなかったら、間違いなく胴を斬られていた。あの竹刀に。ただの竹を束ねただけの棒に。


(あまりの剣の速さで、摩擦だけで斬ったか。なる程、中々のものです。相当振り慣れている)


そこまでになるには、相当な修練が必要となる。


「―――伊達や酔狂で日本刀を腰に差そうとしている人間ではなさそうですね」

「当たり前でござる。『薄刀 針』は常に最強の剣士の腰に差すべき刀……。否、最高の技術を持つ剣士にしか持てぬ刀。神裂殿には、その価値がわかる筈。神裂殿程の腕の立つ剣客ならば、『薄刀 針』の価値に気付かないわけがないでござる」


確かに、あんな馬鹿みたいに薄い刀を使いこなすには、神業としか言いようがない技術が要求される。そんな事、真剣で人を斬る人間なら誰だってわかる筈だ。―――だが、


「………なぜ私をそこまで買いかぶるのですか。出会って間もなく、実際に剣を握る私を見るのは、始めたなのに」

「そんなもの、見ればある程度わかるでござる」


錆は青眼の構えを止め、片手だけで剣を持った。神裂が攻めてこないと思ったからか。否、いつ攻められても錆は即座に応戦できるだろう。彼の剣の速度は神裂の剣の速度と変わりない。


「初めて会ったあの時から、風格で神裂殿は麗人でござるが、それでも剣を振り、己を磨き上げ努力する、百戦錬磨にして一騎当千の達人だと……。そして今、それが確信になったでござる。拙者の目に狂いはなかった」


口元が、笑っている。錆は今、笑っていた。

楽しそうに、愉快そうに。まるで楽しいことが思い切り出来ると確信したかのように。


「では、こちらから訊かせてもらうでござる。―――なぜ、拙者の一撃を避けられた?」


神裂は警戒するが、錆は純粋に聞いていると思い、応えた。

「私から見て、あなたは完全に消えていた。だが、人は消えない、魔術か超能力を使わない限り。そして錆白兵、あなたは魔術師でも超能力者でもない。だから私は『走って距離を詰めた』と仮定して動いたまで」


勿論、直感だ。直感でそう思った。一瞬でそこまで考えられるほど頭がよくないから、ほとんど後付けだった。

改めて思い起こせば、そう言えば初手からちゃっかり策を仕掛けていた。それも二段構えの。構えは青眼を取ったのは、竹刀の間合いを測られない為ではない。竹刀に神裂の視線を注目させるためだったのである。

そこに錆が消えた訳がある。

先手必勝と言う言葉がある。だがそれは達人同士となると博打だ。先手で打たれる事を何万と経験しているから、慣れているから、油断無しなら返し技でしっぺ返しを食らいかねない。達人同士の戦いは一撃で終わるというが、それは一撃で決めれるか、返し技で決めれるかの世界だからだ。レベルの低い者同士ほど、打って打たれての泥仕合が多い。
また、『先手必勝』は奇襲の条件がそろって初めて成立する。
だが全ての準備が整った同等の力を持つ者同士なら奇襲は失敗する。返し技も決まらず、泥仕合になるのが関の山だが、達人同士の戦いなど返し技はほぼ確実に決まる。
神裂は間違いなく達人である。そして錆も然り。では錆の奇襲は神裂に決ったのは何故だ? 決まっている。

『先手必勝』
錆は、準備万全の体勢の神裂の警戒を崩し、その必勝の確率を跳ね上げさせたのだった。


「まったく、こんな手を考えられませんでした。いいえ、そもそもそんな芸当、やろうと思いません、誰も。だって、そんなこと理論上可能でも事実上不可能なのだから」


それはよく手品などで使われる技法で有名な―――。


「私の視界から突如として消えて見せたそれの正体は―――」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「―――――視線の誘導だ」

「は?」

「ま、結論から出してもわからんよな。絹旗、『爆縮地』単体では人は消えん。そもそも人間はその場所にいるのだから、いきなり存在が消えるなんてできるか。そもそもその空間移動系の能力者も、存在が空間ごと移動しただけに過ぎず、単なる速いだけの移動法と変わらない」


肉じゃがを喰い切り、白米も味噌汁も食べつくしたとがめは、箸を上品に置き、手を合わせた。


「ごちそうさまでした。―――今日も美味であった、絹旗」

「お粗末様でした。食器は私が超急いで持っていきますから、ちょっと待ってください。これは聞いておかなくちゃ超いけないことなんで」


と、とがめとほぼ同じくらいに夕食を食べ終えた絹旗が立ち上がろうとするが、既に食べ終えて食後の茶を啜っていた滝壺がそれを遮った。


「きぬはた、私が後片付けするからいい」

「あ、超ありがとうございます、滝壺さん」

「いいよ。ついでにお茶入れて来るけど、いる人は?」

「あ、片付けてもらって超申し訳ないですけど、超いります」

「俺ももうすぐ食べ終わるから頼むぜ」

「私も~」

「私もだ。もう酒が尽きた。酔い冷ましにくれ」

「きぬはた、しちかさん、ふれんだ、とがめの4人ね。……ふれめあは?」


滝壷の問いに、姉のフレンダが答えた。


「ああ、駄目だ。さっきからウトウトしてるなーっと思ったら、結局ご飯の途中なのに寝ちゃってる訳よ……」

「なら四人分で」


とがめの食器を持ってキッチンへと消えていった滝壷を見送って、七花が話をつづけさせた。


「で、錆が消えた……ように見えたのはどういうことだか教えてやってくれ」

「そもそも、『爆縮地』は全刀流の足捌きの技の一つだ。前後左右、どの方向でも自由自在に移動可能な、驚異的だが、ただそれだけの技だ。それ以上でもそれ以下でもない」



とがめはそう言い切った。


「七花は嫌ほど覚えていると思うが、奴の動きは一切の無駄が無かった」

「ああ、それどころか動きに気配すらなく、毛一本、初動を見させてくれない。気付いたら移動していて、いつの間にか目の前で剣を振り上げていて、右に行ったかと思えば左、左に避けたかと思うと右にいて、前に出て来たかと思えば退いていて空振り、退いていると見えれば進んでいる……。その移動法が『爆縮地』だそうだ。全く、厄介な技だったよ」

「簡単に言うと、『爆縮地』が成功すれば必ず先制で相手を倒す事も、先制を取られても返し技が決めれる。――――相手からすると、あたかも消えたように見える」

「消えてるじゃないですか」

「だ、か、ら、消えてないって言ってるだろう。しつこいなぁ。ただ消えたように見えさせる足技だというのだ」


とがめは歯噛みする。そういえば、錆との対戦の後、頭の悪い七花にわかりやすく分析した結果を説明するのには苦労したのだった。


「完全自由な足運びを可能とする『爆縮地』。それはそんな技だったのだ。魔法使いじゃああるまいし、一瞬で目の前から霧か霞の様に消え失せない。動作の工程が一つ早く出来るだけだ。――――これは素人の考えだが…」


例えばものを斬るのに五つの動作必要だとすると―――

『構え』→『移動』→『振り上げ』→『振り下ろし』→『斬る』

―――もし両者が同時にそれを行うなら鍔迫り合いか相討ちだが、刀の振る速度や力、刀の構成全てが同じ条件だとして、『斬る』までのタイミングがひとつでも早い方が…先に相手を斬る事ができる。


「錆の場合は、『移動』の動作が相手より早ければ、相手を斬る事が出来、結果、勝利を獲る事ができる」


要するに、どんな効果かと言うと、七花が言った。


「言ってしまえば、『早出しの権利』を持っているんだよ、あいつは。同時に、その逆の立場でも『爆縮地』があれば見切れば即回避可能だ。返し技で決めるから、『遅出しの権利』も持ってる」

「そして、斬り合いは先に斬った方が勝つ……なら、」

「なるほど、一撃必殺の真剣勝負なら、確実に相手を斬り倒せる超有利なスキルですね」


頷く絹旗。


「そうだ」


やはり頭の回転が速いから助かる。


「でも、それなら攻められた方は『移動』せず、『防御』するのも出来た筈ですが…」

「いや、それはどの道、不可能だ」


七花が即答した。


「防御したならその合間を斬ればいい話だし、そもそも“奴に防御は通じねぇ”」

「??」

「ま、それは追々だな」

「そうだな、とがめ」


その意味を絹旗は痛いほど思い知るのはまた後の話。


「これは私と七花で分析し合った結果だが、極限にまで動きの無駄を省き、水面を走るが如く軽い足並みで前後左右を縦横無尽に駆け抜ける『爆縮地』だが、短距離で使用し、その速度は忍びすら凌ぐと私は見ている。―――さて、そんな走法にある一つの工夫を付け加える事で、格段に性能が上がるのだが……」

「それが、視線の超誘導と」

「そう。錆は相手が一体どこを見ているのかを見極めて、気配を感じさせない様に視線を別の所に移して、自分が移動する。初動を察知されにくい『爆縮地』と併用するから、あたかも消えたように見えるって訳だ」

「これが七花が言う『錆が消える』の秘密だ」

「間合いが遠い場合、詰める時に非常に便利だから、本当に勉強になったよ」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「―――恐らく、視線誘導」


錆は、竹刀の間合いを隠す高等技術を披露し、視線を移させ、2秒半ながらも神裂の注意を逸らさせた。たった2秒半。普通の人間は錆と神裂の間合いを3秒で縮めるのには苦労するだろう。

―――だが、横から見ていたオリアナはしっかりと見えていた。

竹刀だけ動かさずに腰の動きと摺り足を使って横に体重移動しながら神裂の視界から脱出し、瞬足と言うには速すぎる速度で神裂に詰め寄っていた。
あたかもそよ風の如く、気付かれずに。
錆にとって2秒半は十分すぎる時間であったのだ。

このような芸当、一体どこで学んだのだろうか。
神裂からすれば、錆は竹刀だけを残して霧か霞の如く消えたと思ったのだろう。


「しかし甘い。その竹刀は私の所有物です。間合いならわかる。私とあなたの間合いはおよそ6歩。竹刀の長さ3尺9寸(1.18m)。あなたが私を斬りにかかり、私の腹を叩くなら、少なくとも最低5歩の距離を詰めなければならない……。
そして、気付かれずに最速で懐に入るなら、前進のみ。
では、前にいるとして、 人間は空を飛べないから上はなし。跳べたとしても、回避不可の空中では私の突きで勝負は決してしまう。
――――――なら、下しかない」


結果は正解。

錆は神裂に気付かれずに足元に沈み込み、両手から右手に竹刀を持ち替え、左下から右上へと、横腹目がけて払ってきた。

これが錆の必勝法のひとつである。まず開始早々からこれをされれば、一撃で仕合は決まる。

神裂の場合、脇腹を少し斬られたが決定打ではないのが幸運だった。後ろに跳んでなかったら脇腹から肩口までバッサリ持ってかれていた。―――もっとも、竹刀だ。死にはしない。

しかし摩擦で切り裂くほどの速度。それにただの軽い速さではなく、ちゃんと重みのある速さだった。モロに喰らえば三日は飯が喉を通らないだろう。


「ふっ…」


錆は改めて楽しそうに笑う。


「一目で明察とは……恐れ入る。神裂で初めてでござる」


当然だ。並の剣士なら生き残っても混乱して2撃目でバッサリだったろう。神裂が看破できたのは彼女の超人的な動体視力あってこそだ。


―――神裂は戦慄する背中で分析した。錆白兵は正真正銘の強い剣士だと。


(もし真剣で一手目からあんな技を使われたら、下手すれば今頃、袈裟に一文字、瞬殺されていたでしょう)


今後、一瞬でも目を放せば死に直結する事を肝に銘じながら、剣を構える。


(………しかし体術もそうでしたが、剣術も並大抵のものではない。錆白兵の剣の速度は、異常のそれ…)


速さとは如何なる武術においても、最も重要視される要素の一つ。
剣も然り。刀でモノを斬る時、素早く振り切った方が、切れ味も殺傷能力も高いに決まっている。

神裂が怖れているのは、それを行える技術力。
剣は腕だけの力では速く振れない。体全体で、剣を振る腕の力の方向と逆向きの力の体に掛ける事で、剣は鋭く速く振る事が出来る。
それを可能にするまでには、血が滲むほどの修練を積み重ねなければならない。錆ほどになるには、気が遠くなる、とても信じられない努力が必要だ。


(一体、どれだけの鍛錬を積んできたのか………いいえ、一体どれだけの剣士と剣戟を交わしてきたのでしょうか………)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「なるほど……」


腕を組む絹旗。だが落ちない所があったようだ。


「だけど、それって本当に超可能なのですか? そんな視線を誘導させるなんて芸当、普通の剣士ならともかく、七花さんでも無理だと思うんですが」

「おい。さりげなく俺を馬鹿にしなかったか?」

「いえいえ、超滅相もないです! 七花さんほどの人が出来ないとなると、錆白兵さんは本当にできるのかなって、超思いまして」

「茶もたてられぬ不器用な七花が出来る訳がないだろう。もし出来たら恥ずかしい恰好で犬の真似でもしてやる。――――だが、それが出来るんだよ。錆ならな」

「?」


首を傾げる絹旗。


「錆は良い意味でも悪い意味でも目立つ。街を歩けば百人中百人が奴を顧みるだろう。容姿だったり、美貌だったり、剣だったりしたのが理由だったが、勝負の最中は技の華麗さが最もだった構え一つでも天下一美しいと言われた。それに目がいった剣客は気が付いたら………否、彼らはきっと、『気付いていたら終わっていた』のではなく、『見惚れてて』果てたのだろう。きっと昇天しながら思ったに違いない」


――――かっこいい……と。


「まあ、それには数多くの努力があってこそだ。誰よりも剣を振り、試行錯誤を繰り返し、数多くの剣客たちの真剣勝負に打ち勝ちながら、錆白兵は日本一の剣豪に登り詰めた。錆ほど剣しか見ておらん剣士は、そうはいまい。剣のみ愛し、剣の腕のみを極限に研きあげたからこそ、日本一の剣豪になったのだ」


二十歳と言う年頃だと言うのに、質素で、酒を飲まず、女も作らず、ただ血反吐を吐きながら修行を積み重ねてきた……と、とがめはそう聞いていたと言う。


「錆の修行は砥石で延々に刀を磨くのに似ている。極限にまで鋭く、鋭く……よく斬れる刀にする為に、極限にまで薄くなるまで文字通り身を削って技を磨いていたようだった。―――今思えば、それは『薄刀 針』と似ているなあ。『薄刀 針』は美しい刀だったが錆もまた美しい剣士だった。否、二つとも華麗過ぎたのだ」


そう、とがめは評価する。剣を目指す者からすると、薄刀も錆も見惚れるほどに美しい。だから憧れる人間が多いのだ。


「へぇ…。でも結局、今みたいな真剣振り回すヤツがいない現代社会じゃあイケメン以外に目を向く奴はいないって訳よね?」

「フレンダよ、それでも剣の道を歩む者がいる。剣が廃れ、侍も剣客も滅びたこの時代でも、『剣道』を極める者達が多くいると聞くし、真剣を持つ者もおるのだろう? なら、わからんよ」

「はい。お茶入れてきた」


滝壷が湯呑を盆に乗せてやって来た。とがめの目の前に熱い茶を置く。この香りは焙じ茶か。


「どうぞ」

「すまんな」


とがめは湯呑を両手で持って、二三回息を吹きかけて冷まし、啜る。


「うん、美味い」

「ありがとう」


錆白兵の剣技の美しさに、あの華麗にして冷たくも熱い剣技を前にして、いったいどれほどの人々が魅了するだろうか。

だからとがめは思うのだ。

恐らく現代に剣士がいるとしたら……。


「あまりの美しさに釘付けにされているだろうな」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


剣聖という言葉があるのなら、迷わず彼にその称号を授けるだろう。

神裂は錆の剣技の数々に魅了され、釘付にされ、圧倒され、聖人である事すら忘れ去られかけられていた。


「くっ……」


神裂に『爆縮地』と『視線誘導』の合わせ技を見破られたのをわかってか、錆は接近戦に徹してきた。当然、中距離以上から離れてしまうと、神裂は懐に入られるのを警戒してしまう。

なら離れてしまう前に勝負に決めてしまうつもりだろう。そして、身の神裂と小柄な錆、どちらが接近戦に対して有利かは、小回りが利く錆である事は明白だ。

神裂は竹刀を、大振りは禁物だから、細かく振った。錆と比べても剣の速度には全く遜色はない神裂のそれは、雷の速度と例えていい。だが、錆は雷の剣をあっさりと避けて見せた。確実に『取った』と思った一撃が、残像を残して消え、手応え無く空を斬る。


――――これだ。これが厄介だ。


神裂はこう思っているだろう。『錆は消えている』と。

紙一重だった。要した動作は片足を引き、半身を逸らすだけ。始めからそう来ると分かっていたかのようだった。否、初動が速いから見てから避けるまでの速度がけた違いなのだ。だから残像に見えた。消えて見えた。否、消えて見せた。

もしここにとがめがいるのなら判っていたのだろう。これが『爆縮地』の効果の一つだと。


『爆縮地』とは、


重心の移動と体重移動によって前後左右にロスが全くないスムーズに素早く移動する歩法。ないし走法である。

その応用として、必要最低限の力を使い、かつ最速で、体重移動と一二歩程度の足捌きのみで太刀を完璧に回避する事が出来る。

もう、どっちも唖然とするぐらい練度が高すぎて、どっちが大本で応用なのかわからないが、わかる事は、『爆縮地』はほんの短い距離なら風の如く移動し、相手の攻撃を見切れば残像を残して全て回避できるという事だけだ。

神裂の振り降しを、チリッと白髪が焦げたのを気にせず、錆は神裂の竹刀が構えた竹刀の高さを通り過ぎると返しを神裂の右肩と首の間に払う。こちらも雷と同じ速度の斬撃だった。

それを神裂は無理に避けず、振り落とした竹刀を上に返す。

よく『燕返し』と呼ばれる技だが、振り下ろしと同じかそれ以上の速度で返し、加え、足幅を広げて腰を落とす事で錆の斬撃に間に合わせた。

真正面から打ち合わず錆の剣筋を流し、いなして泳がせた。錆の体が流れる。背中に回った錆を神裂は振り向きざまに袈裟切りを繰り出した。

それを予測してか、前も向かずに屈んで躱しつつ回転し、錆は神裂の腹に横の一閃を入れる。


「ぐっ―――!」


神裂は咄嗟に半歩下がって回避。竹刀を身に寄せ戻して鍔迫り合いに持ち込んだ。

ガガッ、と竹刀と竹刀が乾いた音を立ててぶつかり合る―――と思われた。

乾いた音も、鍔迫り合いも全く起きなかった。

腹に一閃を入れるかと思われた錆は、腹への一閃などいれて来ず、防御する神裂の竹刀の隙間である喉元に、針に糸を通す様に、竹刀を突き付けてきた。


(――――フェイント!?)


思わず幻の薙ぎを受けていた。だが神裂の直感スキルが功を奏し、直前になって、突きの剣先と竹刀の柄頭を、上体を反らしながら器用に刀身に当てて防ぎきった。それと同時に後ろに跳ぶ。

我ながら良く当てたと思う。曲芸師でもない限り、今後は滅多にできないだろう。今はこの攻撃を回避できた自分をほめてやりたい。
間合いの確保に成功し、宙返りしながら5mは離れる。
接近戦から逃げ延びた神裂は息を短くつく。この勝負は神裂の勝ちである。ここで一つのピリオドが付けられた。


「……………っ」


錆は真顔で竹刀を構え直す。青眼ではなく、下段の構えだ。

最後に微笑んだ時から表情を録に出さない錆だったが、内心、悔しいだろうなと、オルソラ=アクィナスは思った。

そして改めて実感する。何という攻防であろうか、と。あれが人間の動きなのか、疑いたくなる。特に錆は、人間にしては芸術的に奇麗だった。舞を踊っていると言っていい。

確かに自分が見たいと言った。しかし申し訳ないが、全くの素人である自分にとって、この勝負はレベルが高すぎてついて行けない。気が付けば緊張感で汗が額から滲んできた。理解の範疇から遠い場所で竹刀を振り合う二人を見て、感動する。



「…………すごい…」


だが一番汗をかいているのは神裂だろう。


(…………すごい)


冷や汗でTシャツが濡れてきた。錆が繰り出す一撃一撃が、すべて必殺。牽制もレベルが高すぎて、牽制でも十分に威力があった。だからゼロコンマゼロ何秒も気を許してはならないから、気を休めると気が無い。あの足運び…。


(前後左右の移動に全く無駄ない。気配すらない。あれほど自由に動かれるとなると……どんなに竹刀を出しても避けられてしまう上に、攻撃を防ごうとしても避けようとしても―――)


さっきの錆の動きを思い出す。

横の一閃のフェイクからの突き……あれは、本物に見えた。いや、まぎれもなく本物だった。神裂とて経験値豊富な百戦錬磨の剣士。攻撃の真偽の見極めなど造作も無いと自負しているのに、なぜまんまと引っ掛かってしまったのか。


(私が防御を取った瞬間にあの足運びで後ろに一歩戻り、タイミングをズラして突きに変更した……? ―――まったく、つくづく恐ろしい)


笑ってしまう。剣技だけでも自信があったのに、それを技で圧し折られた。断然、聖人の加護を持っている分、ブーストされているから、筋力と運は神裂の圧勝だろう。それを剣技と足運びだけで圧倒された。否、強靭な筋力と幸運がなければ一合目で斬られている。

お互いの得物は竹刀だと分かっているのに、つい真剣のつもりになってしまう。

剣での命と命のやり取りなど、いつ振りだろうか。魔術戦なら数多くやっているが、剣戟の競い合いでここまで緊張感がある戦いをしてきたのは久方ぶりだ。

だが、神裂は思うのだ。錆はまだ息ひとつ乱れていない。汗一つも掻いちゃいない。だから、まだ底を見えていない――――。


(――――錆白兵の実力はまだまだこんなものじゃない)


錆と目が合う。―――と、彼の口から笑みがこぼれた。


「ふ…」

「なにがおかしいのです?」

「否、楽しいのでござる。―――神裂殿。本当に感謝いたす。ここまで楽しい戦いは、長らく出来なかった故、神裂殿には頭が下がりませぬ。オルソラ殿も、このような機会を作っていただき、感謝の極みでござる」

「………」

「出来る方だと思ってはいたが、ここまでとは正直、思わなかったでござる。いやはや、拙者はまだまだ修行不足」


これ以上強くなってどうするのだと思ったが、しかしこれが錆の強さなのだろう。決して自分に満足しない。だから慢心しない。でも強すぎて、彼なりに体躯値はしていたのだろう。

どうやら錆もここまでの戦いは久しぶりだったらしい。

錆は剣を下す。戦闘の気配はない。神裂も一時的に警戒を解いた。


「………? どうしたのですか。戦わないのですか?」

「いや、戦うでござる。だが―――もう日が落ちそうでござるな」


錆は西の空を見る。ロンドンの街並みに沈んでゆく夕日は絶景であった。あと一分もかからず日は沈み、夜になるだろう。あたりは暗くなり、この芝生しかないこの公園は真っ暗になる。『秋の日は釣瓶落とし』とはよく言ったものだ。戦いの開始から半刻たってない。剣同士の戦いとしては長い部類だが、まだ見足りない部分があった。ともかく、日が落ちるまで―――それがタイムミリットだった。


「神裂殿」

「せいぜい、あと一合と言った所でしょう。このまま長々と打ち合っていては、明日になってしまう」

「ならば、拙者はそこで勝負を決めるでござる」

「まるで、先程まで手を抜いていたような口ぶりですね」


神裂のツッコミに、錆は目を大きくして、申し訳ない顔をした。


「………それは失言をした。無論、始めから拙者は全力で剣を振るっているでござる。手を抜くなど、それは失礼でござろう。神裂殿のような美しく高潔にして高貴なるお方と剣を交えるのは滅多にござらん」


「あなたも十分ですよ」

「いやいや、拙者はまだまだ弱い。――――そんな者が愚かにもこの場にて手加減をするようならば、切腹ものでござる」


しかし、やはり錆の眼は鋭かった。彼が持つ竹刀はものは斬れないけれども、あの青い目だけで人を斬りそうだった。言っておくが、不思議と殺伐としたものではなく、見事な刀剣を見る様な美しさのある綺麗な眼だった。

その眼は神裂を追及する。


「しかし失礼ながら申し上げたい。拙者が見た所によると“神裂殿はまだまだ本気じゃない”と見た。底を見せていないでござる」

「………………ッ」


神裂は心の中でギクリと効果音がした。


「神裂殿と初めてお会いした時から感じ取れる、『気』と実力が大きく食い違っているでござる。本来の力ならば、拙者とここまで実力的に差が開く訳がないでござる」

「…………まったく、あなたは以外とズバズバ言ってくる人なのですね」

「刀は嘘を付かないのでござる。嘘を付けば、その分だけ切れ味が鈍る」


――――剣

錆は己を剣と言った。自身を刀として名乗り、鋭き刀を目指し琢磨しているのか。

折れず曲がらずよく斬れるのが良き日本刀の定義だが、素直で曲がった事が嫌いで剣を鋭く磨くのが錆ならば、錆と言う人間は刀ならば良きそれなのだ。


(なるほど、強い訳だ)


神裂は感心する。剣は…いや、何事にも愚直でも曲がらず真っ直ぐにやり尽す人間こそが、達人に、究極になれる。

錆を見ていると、そう言う風に見えてくる。竹刀を交えたからわかる。

錆は生まれてから生涯、剣しか握ってこなかったのだろう。だから己を刀として鍛え上げた結果が、あの魔法のような足運びと鋭い剣。

錆白兵は剣士としての究極の果てに辿り着いた者であり、剣士の鏡なのだ。


「確かに、私はまだ………いいえ、確かに本気でした。長らく打ち合っていて、私の剣の全てを出し切ってしまった。ですが、それは剣技のみの分野でです」

「……………?」


怪訝な表情をする錆。神裂は問う。


「『聖人』と言う言葉を知っていますか?」

「………いや、知らぬでござる。堯舜三代や法然聖人、親鸞聖人の『聖人』と言う意味でなら知っているが」

「いいえ、仏教ではなく、キリスト教の『聖人』なのですが……そこら辺は後ほど教えます。要は、常人とは違う体のつくりをしていて、発揮できる力の出力が桁違いに大きい人間だと思ってください。――――私はそれを極力抑えて、聖人としての筋力と直感と幸運は少し残ってましたが、ほぼ、剣技のみで戦っていました。あなたが言う感じた『気』の3割も出せてないでしょう」


尤も、超人的な能力を発揮する聖人が本気で振れば、ただの竹を束ねた刀など一瞬で四散するだろう。60本ホームランが打てるバッターが木製ではなくプラスティック製の玩具のバットを持てってしまえば、自分の力を全く出せないのと同じだ。彼女の愛刀である七天七刀でなくては、聖人の力など到底耐えられまい。

それが神裂が実力をセーブした理由だったが、一番大きな理由があった。

錆が問う。


「なぜ、その聖人の力とやらを使わないのでござるか?」


神裂は即答した。


「――――あなたと私は、剣での私的な勝負でした。聖人としての力を使うべきではありません」


真っ直ぐな眼だった。


「なるほど、あなたも真っ直ぐなお方だ」

安心したのか、嬉しそうに笑う錆。だが一方、今度は神裂が錆を言及した。


「そもそも、本気を出していないのはあなたの方でしょう、錆白兵?」

「…………」


一変、錆の表情が凍った。目を鋭く、早口で訊き返す。


「……………根拠は?」

「勘です」

「ははっ」


神裂が放った何となくの解答がツボに入ったのか、思わず笑い声を出してしまった。


「神裂殿は面白いお方でござる」

「……なっ! なんですか! あれですっ、言葉の綾ですっ!! 訂正を要求します!!」


つい言葉に出てしまった『勘発言』は場違いに気付き、顔を紅くさせた神裂は叱った。

白い歯を覗かせて、爽やかに錆は笑う。


「ははは」

「もう、人をそこまで笑うものじゃあありませんっ!! ―――まったく、あなたも人のことが言えるのですか?」

「…………神裂殿、それはどういう事でござるか?」

「あなたはまだ実力の底を、剣技の底を見せていない。私は見せたと言うのに、それは不公平ではないですか?」


神裂も錆に負けず劣らず、鋭い切れ味でズバズバ言ってくる。彼女は聖人だ。嘘も偽りも好きではない。嘘をつかない錆は素直に応えた。さっきの爽やかな笑顔とは打って変わって、先程と同じような申し訳ない顔をした。


「神裂殿の言う通りでござる。拙者の剣はまだ底を見せていない。見せたのは『爆縮地』のみ」

「『爆縮地』とは、あの前後左右を自由に移動できる足技のことですか」

「左様」

「それには苦労させられました。『爆縮地』の他にもまだ技が?」

「左様。それも『爆縮地』よりもさらに高度な」

「まったく―――」


神裂の背筋が震えた。

―――末恐ろしい男だ。
本当に恐ろしい訳ではない。むしろ嬉しい。思った通りだ。この男はまだ本気じゃない。本気を出せなかったのだ。あまりにも自分が強すぎて、今までの対戦者とは歯が立たず、技を出す前に相手が斬られていたからか。だとしたら楽しみだ。この男にさらに上があると言うのなら、この男がさらに強くなると言うのなら――――神裂は、自分の限界を試す事が出来る。


「やりましょう。その技、是非とも見てみたいです」


いつのまにか、心が躍っていた。錆の魔法に掛かったのか、剣士として錆の剣を見てみたくなったのもあるが――――聖人として心のどこかで退屈をしていた闘争心に火が点いていた。

高揚する心を抑え、神裂は竹刀を構える。


「さぁ錆白兵、続きをやりましょう。あなたの技、受けてみたくなった」


だが、その申し出に錆が首を振った。


「なぜ?」

「それを披露してしまえば、夜になってしまう」

気が付けば、日が沈みかけていた。あの30秒も持たないだろう。


「神裂殿。もうそろそろでござる。その申し出、大変嬉しかったでござるが、ここで勝負を分けましょうぞ。――――代わりに、拙者しか出来ぬ技をご覧に入れましょう。………どうか、うまく躱してくだされ」


錆は構えた。

両手ではなく片手に竹刀を持ち、天高く掲げる。

まるで聖剣を持つ勇者のような恰好だが、意外と変ではなく、むしろこれが錆の為にある構えなのだと納得される。

燃える夕日に照らされて、竹の棒が真っ赤に染まる。紅色になったそれは、炎剣を連想させた。

思わず、見惚れる。

今まで数多の聖剣、神剣、名刀、妖刀を目にしてきた。ギュランダル、カラディーン、村正……どれも妖しく、美しい業物ばかり。だが、錆が持つ手製の竹刀が、それらとはまるで比べ物にならないくらいに美しく見えた。

まるで本当に、錆が持っている竹刀は真剣であるかのように。











この時、神裂が見る風景が一変した。











「―――――かっこいい……」


見惚れて、こぼす。

その時、神裂に向かって微笑んだ気がした。それと同時だった。

錆は駆けだす。『爆縮地』を使い、そよ風と共に素早く神裂との間合いを詰めに掛かる。


「ぁ…」


神裂は惚けている状態から即座に回復した。

来た。早く臨戦態勢を整えろ。錆は真っ直ぐ、一直線に前進してくる。

大丈夫だ、消えていない、見えている。見えるものなら簡単に対処できるはずだ。竹刀を持っているのは右手。右側面に垂らしている。左からの攻撃は無い。なら、左からの袈裟切りで合わせれば、ノーガードの肩口を叩ける!

いつもなら、そうしていただろう。

だが、動けなかった。

動かせなかった。一寸も。


「………………………」


剣の構え方はいつも通り、体調は問題ない。なのに、まったく動けなかった。指一本も動かせなかった。錆がこっちに向かっているのがスローモーションのように見える。錆が踏む草から着ている和服までが細かく動いている。竹刀を構え、横に一閃するつもりだ。ここは竹刀を立てて盾にしなければ―――だが、まったく体は動かない。

なぜだ? と言う問いを投げかける前に、神裂の頭には、もうこれしかなった。動作の為に割く筈の脳が、この一点に埋め尽くされていた。


――――かっこいい。


まさに美麗。まさに華麗。この世の全ての美を集めても決してこの光景には敵わないだろう。

錆白兵の行動の一つ一つが格好良く、美しく、正しかった。

シンプルだが、あれこそ正しく、綺麗で、美しい。

ここで終わってしまうのか。なんて残念な事だ。ずっと戦い続けて自分の実力を足しきってしまいたかったが、それよりもこの男の底を見たくなったのに。

ああ、なんて美しいのだろう。

たったあれだけの動作で、たったこっちに向かってくるだけで、たった一つの事で、魅せられてしまった。

間合いは四歩、三歩、二歩と詰められていると言うのに、頭の中はもう錆を見ると事でいっぱいになってしまった。

もう間に合わない。ここから攻撃に移れない。防御をするにしても、『爆縮地』によって無駄に終わる。詰んだ。

斬られてしまう。

悔しい。敗けるのは嫌だ。だが不思議と嫌な気持ちではない。むしろ清々しい気分だ。なぜなら自分を斬るのは、“自分より遥かに剣の技術が上の者。斬られて本望であるからだ”。



――――ああ、このまま、夕日に染まって紅く染まって剣を振るその姿をこの目に焼き付けて――――



「……………………」


今思えば、神裂が錆の事を『かっこいい』と思った時点でそれは決まっていた。神裂は錆の事に何らかの感情を抱いた。それでもう神裂は動けなくなっていた。なんと心地いいのだろうか。かっこいいと思うだけで、心が弾む。気持ちいい。

あまりにも無駄のなく正道な神業を見ると、あまりの滑らかさに心を奪われるのと似ている。

神裂が抱く錆へのこの感情は、この心の静かな気持ちは、毒のように神裂の体と心を固めていった。否、毒ではない。あれは清浄なものだ。清く正しく、美しいモノ。神裂の何もかもを否定せず、肯定もせず、ただそこに、静かな泉に雫が一滴落ち、小さな波となって泉に波紋を広げ、涼やかにする。

そして、神裂の胸に向かって錆の竹刀が、否、白刃の剣が見事な刃筋を沿って、全く抵抗なく、柔らかな神裂の肌に食い込み――――。



―――斬られてしまいたい。――――





パシュッ




「―――――ハッ!」


気が付くと、神裂の目の前に錆がいた。肘と肘がくっ付く距離に、錆が振り切った構えでこちらを見ていた。

夕日はすでに落ちている。暗くなった空のなかに、錆の美しい顔がすぐそこにあった。思わず顔が熱くなる。


「あ―――え、あ…、え?」


あれ? なんでこうなったのか? どうしていきなり錆がこんなに近くに? というか、自分は斬られていなかったか?

自分の体を触る。

胸には傷は無かった。斬られた後も、竹刀による打撲の跡も無いし、痛みも無かった。竹刀は神裂の体には届かなかったのだ。


「????」


混乱して状況が巧く把握できない。と、錆が竹刀の刀身側の鍔の近くを左手で握って…収めて、後ろ向きで離れていった。
勝負が決したのだと悟ると、神裂が錆に叫んだ。


「しょ、勝負は!?」

「竹刀を見てくだされ……」

「?」

自分の竹刀を見る。が、一見なにも変わらないように見えるが……。


「錆白兵、一体なにが、」


と、ちょっと手首をずらした時だった。
ぼとり、と草の上に何かが落ちた。


「え?」


それは―――竹刀の刀身だった。
柄は、ちゃんと自分の手の中にある。が、どういう訳か今までより軽く感じる。と言うか、刀身があるべき場所に竹の色のそれが無い。という事は……。


「御免! 神裂殿!! まさか、神裂殿の“よもや本当に竹刀を斬る事になるとは思いもしなかったでござる!!”」


少し離れた場所で、錆が神裂に土下座をしていた。


「ちょ! 斬ったのですか!? 竹刀を? 竹刀で!?」


神裂の眼が点になる。
草の上の刀身を拾い上げ、持っていた柄の切り口を見比べてみる。
見事な切れ味だった。全くのズレはなく、バリもない。真剣で藁束を斬っても、抵抗で奇麗に真っ直ぐ斬る事は難しく、端がずれてしまうのが多い。
が、斬られた竹刀はあたかも最高級の包丁で野菜を斬ったかの如く見事な切り口だった。業物の名刀で斬っても、ここまで綺麗な切り口にはならない。それを丸い棒である竹刀で斬って見せたと言うのか、この男は!!


「申し訳ない!!」

「あ、頭を上げてください! 大丈夫です、まだ造ればいいですし、代えもありますから!!」

「されど、あの竹刀は神裂殿の努力の証……。誠に、申し訳ないでござる………」


額に草をくっ付けて、錆は頭を上げる。よほど強く打ち付けたのだろう、芝生の中の石で切ったのか、血が垂れていた。


「……………だ、大丈夫ですか?」

「神裂殿の竹刀と比べれば、毛ほども痛くありませぬ。しかし、神裂殿の大事な竹刀が……」


と、真っ二つに斬ってしまった竹刀の痛みを代わりに引き受けたが如く、苦痛に涙を流す錆。

なぜそこまでたかが竹刀一本に拘るのかはいいとして、ここまで来ると武士らしく腹を斬りかねないので、神裂は必死に説得を試みた。


「うう、ならば、代わりに拙者が一本造って差し上げるでござる。むろん、それが完成するまで『薄刀 針』は受け取らないでござる」

(あ、受け取るの前提なんだ)


そうか。神裂の竹刀が折れてしまって戦闘不能になったのだから、この勝負は錆の勝ちになるのか。竹刀の事は別として、勝負としての契約は守るつもりだ。

ともかく。


「し、しかし、どうやって竹刀で竹刀を斬ったのですか!? 物理的法則を考慮しても、魔術じゃない限り無理ですよ!?」

「………それは申した筈でござる。『この技は拙者にしか出来ない技』だと。それでござる」

「いやいやいやいや。それでも理解できません。なぜ刃がない竹刀で竹刀を斬れるのですか!?」

「それは、拙者の家の者の……所謂、特異体質のようなものでござる」


錆は紅い顔で恥ずかしい様に、その技の名を言った。


「全刀流奥義『完全刀一』。如何なる物体とて、棒状の物なら全てを剣にする、錆家……否、『全刀 錆』の厄介な特殊能力でござる。いやはや、母上の様にはできぬ。未完成な技だった故に、恥ずかしい」


―――こうして、神裂はここで錆白兵と言う一人の剣士の一端を知ることになった。

そして神裂は三日後、満月の夜に錆白兵の全てを目撃する事になる。

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今回はここまでです。ありがとうございました。

この酉の人他のスレ読んでるときに最近すごい見る気がする

ネット上には専ブラって便利なものがあるんだ



錆白兵を文章以外で表現し切るのは難しそうだ
(一部の技は表現可能かもしれんがどう考えてもそれだけの存在ではない)

>>1です。生存戦略です。
今月はイロイロと忙しいので、(いつもながら)投稿が遅れます。

>>278
他のスレの方々には失礼しました。お恥ずかしい限りです。

>>282
kwsk

皆さんこんばんわ。>>1でございます。大変長らくお待たせいたしました。投稿いたします。

>>283
難しいってもんじゃないっすw
侍言葉とか時々わからなくなる時あります。

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夜の帳がロンドンの空を閉ざす。

一気に暗くなった霧の都だが、完全な闇はない。

ライトアップされたビックベンが、暗い空に染まらず、かつての大英帝国の歴史と栄光の名残を、眠らずに語っていた。

否、時計塔だけではない。街はまだ眠ってなどいない。

まだ午後八時にもなっていないこの時間帯、飲食店やバーはこれから客が入る。だから一人でも客をたくさん入れようと、多くの店が看板の灯りを明るくともし、夜を輝かせている。かつて七つの海を制した大国と呼ばれた100年前より国力はないが、それでも市民の活気は変わらない。

その下を、神裂火織は錆白兵とオルソラ=アクィナスと共に歩く。


「流石に秋になると、夜は涼しくなってきますね」


もしかしてTシャツ一枚では風邪を引くと思い、一度寮に戻って着替えてきた神裂は、そう呟いた。今日は珍しく風が冷たい。暑い夏が終わり、秋の足音が迫ってきたのだろう。袖を切り取ったジャケットを羽織っていた。まぁジャケットはついでで、実はTシャツを替えに戻るだけのつもりのだったが、それはそれで正解だった。

錆との決闘の時に掻いた汗のせいで白色のシャツは透けるまで濡れてしまった。すぐに替えないと、汗で気持ち悪いし、秋の風で寒いし、なによりTシャツの下には何も着ていないから素肌が透けて、周囲の目が痛くなる。


『神裂殿は下着をつけていないのでござるか』


やや残念そうな表情で錆に指摘されるまで気付かなかったのは、不覚というか、なんというかだ。

その後、急いで女子寮に戻って着替えて、錆とオルソラと合流し、


『失礼しました』

『神裂殿はいつもあのような恰好で?』

『まぁ、私の独特の事情がありまして………ともかく、夕食は私が知っているお店を紹介しますね!』


と、神裂の勧めで日本街の和食料理店で外食をしたところだった。

錆の口に合う様にと選んだ店だ。店主も京都で修業を積んだ職人だから、きっと満足してくれるだろう。

そして今、神裂の思惑通り満足げな表情になった錆と店を出て来たところだった。


「少し肌寒いでござるが、平均と言ったところでござる。………日と月の高さから見て葉月中旬と言ったところか。昨日一昨日は残暑にしては、異様にやや暑く感じたでござる」

「地球温暖化とかそう言う奴でしょうね」

「ちきゅう……おんだんか……とは?」

「地球が徐々に暖かくなるのでございますよ。二酸化炭素の上昇が原因だとか。道路で走っている車などから出てくる排気ガスで、空気があったかくなる現象の事でございますよ」

「……………申し訳ござらんが、何を言っておられるのかさっぱりで…」

「まぁ、そこら辺は長くなるので後させてください。ところで、錆白兵はいつもその着物ですごしているのですか?」

「左様。これは春物で、やや薄着でござるが、寒くなれば呉服屋で着物を買って下着や羽織を重ね、暑くなれば荷物になる余計な着物を売って旅の資金にしていたのでござる。―――そうだった。確か大阪に立ち寄った時でござった」


『折角買ってやった着物を、あろう事か売る馬鹿がいるか!』


「当時の主からは怒鳴られては、諭されていたでござる。当時、まだ旅を始めて1カ月ほどだったか」


錆は懐かしそうな表情をした。遠い過去に思いをはせる、そんな顔。


「主は道先々で装飾品一式をひと家族分買い付ける、豪快な金遣いをするお方で、その時も拙者が売った反物の十倍の価値の京友禅を店の者が総出で見送りするほど買い込んで」

『良いか錆よ。そなたのように悪党から善良な民を助けるのも人を不幸から守る手であるが、儲けた金を庶民にばら撒くのも人助けの内だ。そうすれば店が倒産して路頭に迷うことはない。金を持つ者が金を使わずして、いつ使うのだ』

「と、仰っていた」


そこで、ひとつ錆はこんなことも思い出していた。

「主の屋敷の造りも然り。豪華絢爛の限りを尽くし、門など鯱を無数につけているほどの派手振りであり、たまに倹約を勧めたが、『女子のお洒落心がわからんのか』といつも逆に諭されて、最後の最後は完全に丸め込まれたのでござる」

「……もしかして」


この時、神裂は口を挟んだ。


「その人は、火事が怖かったのかもしれませんね」

「………」


錆は神裂に向き直った。神裂は咄嗟に、


「深い意味はありませんよ」

「ああ、いや、それはわかっているでござる。しかし、なぜ?」

「鯱(シャチホコ)は屋根瓦に設置する瓦ですが、鬼瓦やシーサーと同種に、家の守り神として扱われます。元は海に住んで雨を降らせるインドの空想の魚がモデルで、建物が火事の際は口から水を吹いて消火すると言いますから、屋根に鯱を付けるのは火除けの呪い(まじない)の効果があると考えられています」


もとは中国大陸の王宮などにつけられる装飾で、屋根の端と端がくるんとなっているのが、日本の鯱の起源で、織田信長が安土城建設の折り、天守閣に始めて取り入れられ、そこから日本中に普及したと伝えられている。

考えてみれば当時の日本の住宅はみな木造建築。火を放たれればたまったものではなく、城や寺などの大きな建造物では大きな被害をもたらす。信長は火責めで悪名を重ねた武将の一人だ。火の効果を十分に知っている彼自身も火を恐れたに違いない。だから莫大な資金と人員と月日を費やして完成させた安土城が燃えない様にと鯱を飾ったのだろう。

もっとも安土城の天守閣は落雷によって焼失し、当の織田信長も本能寺にて焼討ちにあい、自刃する事になったのだが。

神裂が考えるに、錆の元主も火を、信長以上に異常に気を付けていた。だから鯱を無数に飾っていたのではないかと。


「これは魔術師としての見解なのですが、きっと昔に酷い火事に会われたのでは?」

「…………」


錆は少し横に目を動かして、首を振った。


「それはわからぬでござる。あの方は自分のことを殆ど喋らぬ故……」

「そうですか。……それにしてもとても用心深い人なのですね」

「それは人一倍に」


だが、鯱は二つで一対が一番効果を発揮しやすい。無数につけても、無駄なのだが……それは黙っておこう。


(ま、私の知った事ではありませんしね)


それにしても、二人の話題の人は豪く博識だ。普通、そんなこと知らないと言うのに。

―――――もしかしてただ派手だからという理由からだったりして……。だとしたら恐ろしいことになる。

気が付くと、オルソラはその元主とやらが気になったのか、錆に色々と質問していた。


「そのお方とは、どのようにして出会われたのですか?」

「彼女は最初、幕府の重役だったが完成形変体刀十二本を蒐集する任務を命じられたのが始まりでござる。あのお方は頭脳は明晰であったが力は全く無く、武力行使の際に戦うため、従者として拙者が選ばれた結果、日本中を旅する事になったのでござる」

「京都も出向いたのでございますか?」

「一度だけ、主と共に。京の名所は、主に勧められ一通り見物させていただいた」


当時の主は、


『折角の京だ。そなたのような剣術馬鹿には、たまに芸術と言うものも触れさせなければな』


と偉そうに(実際偉かったのだが)、あまり気の乗らないのに誘ってきた。


「まぁ、一度京都には行ってみたかったのでございます。金閣寺には行かれたのでございますか?」


「無論」


知っての通り金閣寺は足利義満が建てた黄金に輝く建造物である。昭和に学僧が放火して焼け落ち、現在は再建されたものがあそこにある。錆が見たのは正真正銘、義満が建てた当時のままの金閣だ。

ちなみに後に孫の足利義政が建造された銀閣寺はそれに習ったもので、当初は銀箔を張る予定であったが、その前に義政は死去し、現在の厳かな黒色で消失せずにいる。


「雪が降る時期に出向いた故、丁度雪化粧が見られたのが思い出でござる。金閣寺はまさに圧巻。銀閣寺も更に心を打つものがござった。白い景色のなかに見え隠れする金色が輝く金閣寺と、白と対照する素朴な黒が美しい銀閣寺。豪華ながらに儚い、足利の盛者必衰の有様が目に浮かぶようでござった……」

「まぁ! 今度、ぜひとも行ってみたいものでございます!」

「そう言えば、その時のあのお方は」


『私の方がもっと派手で面白みがある建築物にできるぞ! 足利義満や足利義政の美的才能など、私の足元にすら届かん! そうだな、私なら金の巨大金剛力士像を隣に並べさせるわ!! あっはっはっはっは!!』


「と、高笑いしていたが……あの眼は本気だったでござる。流石に本物の金閣寺でやらなかったが、後に噂で、庭に小さな金閣寺と二対の金剛力士像を建てられたとか………―――」


神裂は思う。

きっとその主は、結構美的センスが悪い。いない人間のことを言っては悪いが、あの完璧に完成している金閣寺に余計な手を…しかもあの筋肉隆々な像を侍らせるなど、蛇足も良いところだ。キリスト教芸術は色彩豊かで美しいものである一方で、仏教芸術、特に日本のそれは形状が素朴で、別の意味で美しいのだ。どれも今のままのバランスが最良であるのは言うまでもないし、そこに宗教的概念が入れ込まれているため、素人が下手に手を加えると、いつぞやの御使堕しみたいになりかねない。女なのに男風呂へ入らなければならない苦痛はもうこりごりだ。

余談であるが、そもそも京都は平安時代から宗教的観念が強い。地形は陰陽道の四神信仰で整えられ、周囲に寺が数多くたてられている。奈良・出雲・伊勢と並び、あそこは日本宗教の要塞なのだ。ちょっとでも重要な場所を傷つけられれば、大惨事もあり得ない事は無い。

神道・仏教も齧っている神裂からすれば、そのバランスを崩されるのは危険極まりないことであった。


―――それから錆とオルソラは、錆の元主のことについて話していた。


神裂はその話を聞いて、後に感想を述べたと言う。


―――その者を一人勝手に出雲大社やバチカンや八大聖地に歩かせてはならない、と。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「へっぷしっ!」


奇策士とがめは風呂場の浴槽の中で盛大にくしゃみをした。


「ぅう………誰か私の噂をしておるな………?」


鼻をすすりながら、湯から上がる。体は軽く汗が掻く程よく温まった。血行が良くなったところで体を洗うとしよう。


「ふんふふんふふ~ん♪」


酒は既に体から抜けているから、風呂場で茹るなど過失はしない。鼻歌交じりに蛇口をひねり、『しゃわー』を浴び、髪を濡らす。

慣れたが、この時代は湯をわざわざ従者に沸かさせなくても蛇口をひねるだけで出てくる、良い時代になったものだと、毎回思う。

それに石鹸はここまで種類は無かった。『ぼでぃーそーぷ』『洗顔ふぉーむ』『しゃんぷー』『とりーとめんと』………もう訳が分からん。自分の時代の事は何でも知っているつもりだったが、この時代の事は全然わからないことだらけだ。非常に楽しい。

本当に、この世界は飽きる事は無い。娯楽で溢れている。

真っ白な髪が十分に濡れた所で、蛇口を閉め、髪の水気を取って『しゃんぷー』をする。

白濁の液体を掌に乗せ、両手になじませて髪につけてもみ洗い。もう手慣れたものだ。当初は絹旗や滝壺に教わりながらやっていたのはもう思い出話になっている。


(………そういえば、あの時、こんな話をしていたな)


頑張れば3人は入れるこの浴槽で、絹旗と滝壺で何故か怪談話をしていた時だった。


『知ってますか? 超シャンプーしている時、たまに後ろに誰かがいる様な超感覚がするじゃないですか』

『あるある』

『ああ、時々あるな。私は特に気にはせんよ』

小柄で幼さが残る体を窮屈に縮ませる絹旗の怪談だった。


『あれ、実は後ろに誰かがいる訳じゃないんですよ』

『どういうこと?』


絹旗同様狭そうに………否、三人の中でも一番胸が豊かな分余計に狭そうにしている滝壺が訊いた。


『あれ、実は後ろじゃなくて―――――――天井から超逆さまになってこっちを見ているんですよ、両手をダランと伸ばして、水場で超亡くなった人の霊が、私たちを超道連れにする為に』


その時は、暖かい湯の温度が氷風呂かと思う程冷たく感じだ。


『だからその時は超絶対に後ろを振り向いちゃダメですよ。それやっちゃあ、超魂持ってかれますから』


「…………………………………………なぜ、こんな話を思い出してしまったのか」


急に体が寒くなってしまったではないか。


「ふ、ふん! あんな子供の戯言など、真に受ける訳が無かろう」


『超魂持ってかれますから』


………………。

しんと静かな風呂場。だれもいない密室空間。


「誰もいない! そうだ、自分以外誰もいないのだ! いないったらいないのだっ!」


ふはははは! とガシガシ頭を洗うとがめ。だが、人間の心理とは不思議なもので“無理やり否定したモノは何故か脳は逆にいると思い込んでしまう”。

いるにせよいないにせよ、そこに畏怖が孕んでしまった場合、そのモノの存在を認めてしまう事になるのだ。


―――そう、今、とがめは背後に気配を感じていた。


「………………………こ、怖くないもん」


独り言をしてみてもそれはぬぐえない。今ここは静かだ。そして誰もいない。“とがめ以外誰もいない筈”なのだ。なのに気配がする。それがとがめを酷く恐怖させた。加えて絹旗の怪談が脳裏に響く。


『だからその時は超絶対に後ろを振り向いちゃダメですよ。それやっちゃあ、超魂持ってかれますから』


―――魂が持ってかれる。


(持ってかれるってどこにだっ!?)


冥府か? 冥府になのか? いや、そこをツッコむのは後回しだ。今はともかく、後ろを振り向かない事が第一。


―――振り向いたら、魂を持っていかれる!


恐怖が独り歩きする中、とがめは肝に命ずる。しかし人間の心理の不思議がもう一つあって、“自分で禁止したことは何があっても破りたくなる”。後ろを振り向きたくないと思えば思う程、振り向きたくなる欲求が首に振り向けと命令するのだ。

魂が持っていかれると言うのに、なぜか振り向こうとする。それを理性が留める。だが本能が振り向きたいと喚く。理性と本能の綱引きがとがめの体で行われていた。

結果は―――若干、本能が勝ってしまった。

本能によってとがめの首が後ろに回る。


(あ、やばい、振り向いてしま……)



その時だった。振り向くか振り向かないかの境界線。

―――振り向いたその向こうに、死神がいて、生暖かい手で肩に触れてきた。

そして、


「お背中、流しましょうか……?」


ぬめっとした声が、こういったのだった。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ァアアアアアアアアアアアアアアア!! アアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


小さな風呂場で、小さな体から鼓膜が破れる程の悲鳴が響き渡った。

それは死神をもびっくりさせる程だった。


「うわっ! びっくりした!! ちょっと、とがめさん、私ですよ!」

「悪霊退散悪霊退散!! 臨兵闘者皆陣列在前!! ……………って、え?」


この声に聴き覚えがあった。そう、決して死神ではない。アイテムの下位組織で世話役をしている、


「皆のアイドル笹斑瑛理です❤」


人差し指と小指だけをピンと伸ばした手を顔に当てて、きゃるんっ❤と口で擬音語を出す美少女が、全裸姿でそこにいた。

とがめは酷く疲れた顔で、前に顔を向き直した。


「驚いて損したよ」

「ひどい!」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「―――まぁ、あのお方を一言で言うなら、頭脳明晰容姿端麗で大変有能な一面、時には落ち込み、時には泣き、時には喜び、時には怒る、子供のようで楽しいお方でござる。あと、怪談話が苦手でござった」

(…………………それにしても)


錆はその元主のことを話すときは嬉しそうに話す。

オルソラに『そのお方』のことを話すときの錆は口数が多い。まるで、尊敬している人や好きな人のことを語る少年みたいに思えた。


「あのお方は身の回りの世話もほとんどできず、帯を結ぶのを手伝ったり、風呂の火を焚いたりしていたのも、拙者の役割で、稽古の時間は減ったものの、仕えて別れるまでの間、とても楽しい時間で……―――」


錆は遠い目で月を見上げている。今宵は半月であった。いつの頃のことを思い出しているのか。優しい目をしていた。

オルソラはそんな錆に、こう訊く。


「とても、大切な人なのでございますね」


答えは決まっている。ここまで大事そうに話していたのだから、彼なりに特別な思いを抱いていたに違いない。

即答する―――かと思っていた。だが、


「…………………」


十秒ほど、黙った。その間。月を見る目は、優しい目から、憂いを伴う悲しい目に変わって、こう答えた。


「――――大切な、人であった。絶対に守ろうと誓いを立て、救おうとした人であった。でも、それを叶う事は出来なかったのでござる」

「………………」


地雷を踏んでしまったか。

オルソラは申し訳ない表情で頭を下げた。


「ごめんなさい。もしかして、嫌なことを訊いてしまいましたか?」

「いいや、オルソラ殿は何も悪くはないでござる。拙者はただ、オルソラ殿の質問に答えただけ。悪いと言うなら、この場の空気を重くしてしまった拙者でござる」


錆は苦笑いをして「顔をお上げくだされ」とオルソラを促した。

神裂はここでふと、おもった。

―――彼の元主はどんな人だったのだろう。

錆は主を守る事も救う事もできなかったという。あそこまで強く、気高い彼がここまで想っている人をなんで救えなかったのだろう。

月を見上げる。錆が見ていたのは、いつの月だったのだろうか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

月を見上げながら、絹旗最愛はベランダで洗濯物を干していた。その横で暇そうな鑢七花が中からひょっこり顔を出して、


「何か手伝おうか」

「大丈夫ですよ。もう終わりますから」

「そうか」


残念にする七花は溜息をつきながら、


「それにしても、さっきはなんだったんだろな」

「ええ、まさかいきなり停電したかとおもったら、ベランダから白いワンピースに黒いカツラ姿で、貞子みたいに笹斑さんが超登場したんですから」


「あれはいったい何のつもりだったんだ?」

「きっと私たちを超驚かせようとしてたんでしょ。本人は面白がってやってたつもりだったんでしょうが、こっちは超すべってましたけど」


その後、悔しがって笹斑は風呂に入りに行ってその場にいなかったとがめの所へ行ったのだが……。

丁度風呂場から、、


『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ァアアアアアアアアアアアアアアア!! アアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


こんな悲鳴が聞こえてきて、すぐに止んだ。


「それにしても超大きい声でしたね」


一応、風呂場は音が籠りやすくて外に漏れにくい。なのにここまで聞こえてくるとなると、とがめは案外、声が大きい類の人間かもしれない。


「大丈夫かな」

「いつものことでしょ。あの人、セクハラが人生の超生き甲斐になってますから、七花さんが心配する程の事はしてない筈ですよ」

「ならいいけど………」

「……」


心配そうに風呂場の方向を見守る七花に、ちょっとムッとする絹旗。


「やけに、超心配性ですね」

「そりゃな。一度守れなかったから、余計に心配になるってもんだ」


七花は何気なくそう言うが、彼なりに考えているのだ。―――かつて、奇策士とがめを死なせてしまった責任を。

なら、守れなかった側のとがめは、どう思っているのだろう。


「ねぇ、七花さん」

「なんだ?」

「…………やっぱりいいです」

「?」


これを七花に訊くのは野暮だ。別の話にしよう。


「そういえば夕飯の時でもそうでしたが、七花さんは錆白兵のことをどう思ってるんですか?」

「そりゃ、すげぇ剣士だってことだ。あいつの技の練度は俺よりも年下なのに何倍も上だった。天才ってのは、あいつの為にあるようなもので……」

「いや、そうじゃなくて」

「ん?」

「とがめさんを超守っていた頃の錆白兵、どんなふうだったんだろうな、って思ってますか?」

「………うーん」


腕を組んで考える七花。『そうだなぁー』と30秒ほど考えた後、こう述べた。


「俺と変わらなかったんじゃないのか?」

「え?」


思わず聞き返す。とがめと七花の話を聞く限りでは、七花と錆は両極端だと思った。だが、それでもとがめとの関係がそう大差ないとはどういうことなのだろう。

「俺だろうが奴だろうが、とがめは変わらないからな。とがめ、素だと裏表がない性格だから」

「あー」


それなら納得だ。策略謀略の限りを尽くすとがめだが、基本的性格は実に子供。良く笑って良く泣いて良く怒って、喜怒哀楽がわかりやすい人種だ。


「でも、それがあいつの良いところなんだけど、可哀そうなところでもあるんだよなぁ……」

「なにがです?」

「いや、なんでもない」


七花が月を見上げた。


「錆はきっと、俺がとがめが好きだったように、とがめの事、嫌いじゃなかった筈なんだ。俺が出会った中で、一番良い奴だったからな」


何となくだけどな、と七花は苦笑いして、


「なんであいつは裏切ったかは知らないけど、今日話してみて思ったよ。錆はきっととがめの為に裏切ったんじゃねぇかなって」

「………」


絹旗は七花が見上げる月を見た。

今日の月も明るい。秋が近づいてきた証拠だった。

と、そこでふと、さっきから思っていた七花に訊きたかったことを思い出した。


「七花さん、一ついいですか?」

「どうした?」

「七花さんは……―――」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「錆白兵、あなたは……」


他愛のない話でしていると、ふと、神裂は重要な事を思い出した。


「今夜はどこに滞在するのですか? ホテルに……ああ、宿に泊まるとしても、金銭的な面で難しいですし……。そもそも、今までどのようにしていたのですか?」


そうだった。錆は英語が喋れない。日本語が辛うじて理解できる人間はいるだろうが、錆の古風な日本語は大体の英国人では難しいだろう。難なく翻訳していたのは神裂とオルソラと、昼間襲ってきたあのギャングの親玉ぐらいだ。


「見たところ、着物以外身に着けているものはなさそうですが……」

「拙者は出来るだけ身を軽くするため決闘の時は金銭や装飾類は身に着けないようにしている故、今は一文無しでござる。」

「という事は、どこかに財布が?」


錆は神裂との決闘の時に金をどこかに置いて行ったと言うのか。ならすぐに取りに戻って、安全でかつ格安のホテルを紹介しなければ。

しかし錆は首を振った。


「否、拙者はこの地に目覚めて以来、無一文でござる」


全くの金無しだったようだ。


「そうですか……弱りましたね」


ホテルどころか、このままではホームレスの生活をさせてしまう。これでは申し訳がないじゃないか。

オルソラが心配そうな顔で、


「お金がないのですか? なら、今までどのようにして……」

「基本的に野宿。たまに声を掛けてくれるお方もいたが、いつも長椅子の上で寝ていたのでござる。何も持っていなかったのが幸いして、泥棒には合わなかったでござる。しかし………」

「どうにかしました?」

「声を掛けてくださった方々の何を言っているのか解らず、蔑ろにしてしまったのが、今になって後悔しているでござる」

「………気にしていないと思いますよ」


きっと、声を掛けたのは殆どが女性だろう。錆の美貌に寄ってきたのかもしれないな。

びゅぅ……と、風が吹いた。冷たく乾いた風だった。


「………今日は寒いのでございます。これでは野宿は難しそうでございますね」


オルソラは呟く。


「今日はやけに涼しいのでございますね……。いつもならもうちょっと暖かいのに………。はやく家に入らないと、風邪ひいてしまいます」

「それより、はやく錆白兵の宿を探さないと。これでは野宿して本当に風邪を引く羽目になります」

「神裂殿…オルソラ殿」


錆は深く頭を下げた。


「忝い」

「いいえ。これも神に仕える者の使命でございますよ」


オルソラがニッコリ笑って胸に手を当てた。胸には十字架のペンダントが光っていた。


「『隣人を愛せよ』と主が仰られました。人助けは、神に仕える者にとって義務なのでございます」

「しかし、本当にお金がないのは何故ですか。そもそもあなたは一体どうやってロンドンにやってきたのですか」

「『決闘中に身を軽くするため』と言っておられましたが、もしかしてロンドンに来る前に、一度決闘をなされたのでございますか?」


オルソラがそう訊くと、錆はあっさりとハッキリこう返した。

胸を張って堂々として言い切った。


「左様。拙者は倫敦で目覚める前、日ノ本の巌流島までとある剣士と我が元主と『薄刀 針』を争い、決闘を行った末――――――――敗れ、命を散らしてしたのでござる」


本当かと疑うべき内容だったが、信じざるおえなかった。なぜならあまりにも目が真剣だったからだ。いや、錆の眼はいつも真剣だ。鞘を抜いた白刃のような目だった。だから錆は嘘をつかない。嘘をつけば刃が鈍るから、絶対に嘘をつかないのだ。そんな性格だと理解しているから、その告白は戯言だと思えなかった。清々しい告白だった。

神裂とオルソラの表情が固まった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


人は死んだら、もうこの世には留まれないらしい。

人は、体に大きな損害をうければ―――例えば血液を大量に失ったり、骨と肉がバラバラになったりすれば、また病気などで人体に多大な悪影響を受ければ、人は生命を活動させるエネルギーを失い、死ぬ。

ロボットが故障して使い物にならなくなるのと同じだが、人には魂と言うものがあるらしい。

死んだ後、その魂がどこに行くかは、この科学が発達した現代でも判明していない。何せその魂とやらは全く存在自体が確認できていない物体だからだ。

100%存在が確立されていないのに概念のみがある存在。それが魂なのではないかと思う。逆に、その魂は実は人間の妄想で作り上げられた偶像であり、存在しないのならば、生命活動が停止しても尚、『死体』と呼ばれる物体にもし意識があるという事だ。全く喋れないまま意識だけがそこに残り、火葬で燃やされ・埋葬で虫に食われる気分はどうなのだろう。

木原円周は親戚である木原病理の研究室のソファーでゴロゴロしながら、


「人間って死んだら、どうなるの?」

「さあ。それは死んだ人間にしかわからないですね」


病理は巨大な鉄の木馬の腹の中に腕を突っ込んでいた。長い髪を後ろに束ねていて、こっちからは白い肌とうなじが見えていた。男性は女性のうなじを見ると性的に何か感じるらしい。円周はそれがなぜなのかわからないが、確かに病理は美人な方(残念だけど)だなあと思った。

病理はどうやら、新作の兵器の製造中らしい。腹の中にあるメインコンピュータにノートパソコンを接続して、最終調整を行っていた。今回のコンセプトは高速移動する巨大騎馬だそうで、それなりの予算と手間暇をかけているらしい。

そんな事など興味はない円周はスマートフォンを弄繰り回しながら訊く。


「そこは調べなくちゃいけないよね、木原的に」

「でもそれを証明のしようがないのですから、諦めてください。なにせ相手は質量が無く電磁波も無い、存在しない存在。そこは妄想の世界とやらで補っててくださいね」

「それはオカルトの分野でしょ? 木原的にそれは無いと思う。科学的にどうなの? って思わないの?」

「一理ありますけどね。………ふぅー、あーやれやれ、ずっと同じ体勢だと肩が凝りますね。もうすでに慢性的です。ま、もう諦めてますけど」


病理はゴキゴキッと首を鳴らしながら、


「さて、もうすぐ完成ですね」

「そんなもの造ってどうるの?」

「今度行われる行事に出そうと思って」

「パレード?」

「いいえ、ちゃんと血生臭いことに」

「無駄じゃないかな。人を殺すのにそんな大きいのナンセンスだと思う。もっとコンパクトで手短いほうが割に合うと思うな。木原的に」

「人を殺すのではなく、あくまでも対軍隊として一個中隊を薙ぎ払うために考えられたものですし、結構なスピードが出ますから運搬用としても活躍できますし、この様に車輪ではなく四本足の馬型なので、でこぼこ道や山道、雪道でも楽々に進めれる利点もありますよ。後々、翼を付けて飛ばす事も考えています! ペガサスみたいでカッコイイでしょう?」

「ふーん」


ふふんと鼻息を荒くする病理をスルーして円周は、


「そんなことより、質問の続きなんだけど……」


寝転がっていたソファーから起きて、近くのテーブルに置いてあったチョコレートを摘まんだ。病理の物だった。


「人が死んだらどうなるんだろう」


分厚い鉄板を設置しながら病理が答える。


「一般的に『あの世』とやらに逝くらしいですね。地獄だったり極楽だったり冥府だったり天国だったり。宗教ごとに違いますけどね」


因みに、仏教では人は死ねば皆仏になってワンランク上の存在として転生できるといい、イスラム教では男子は決して酔わない酒と果実や大量の肉を食すことができ、72人の永遠の処女たちと性行為をすることができるとか。一日に100人の処女と相手できるという。

……戒律の多いイスラムの天国はなんだか羨まし……いかがわしいが、それぞれ各宗教にそれぞれ違いや特徴があるものの共通しているのは死したのちに天国極楽へ逝くのは生前善行や教えを貫いた者が幸せに暮らすという事だ。


「博識だね。オカルトを知っているのはおかしいけど、木原的に」

「一応、学者ですから、知識として」

「天国って本当にあるのかな?」

「それはどうでしょう。魂と一緒で、死が怖いから人間が勝手に生み出した妄想かもしれません。もちろん私は『ない』と思ってます。もし『ある』と思ってしまえば、私は死んだ後、“その天国とやらには逝けませんしね”。ともかく、人が死んだ後がどうのこうの言っても、今から死んだ後の事を考えてもしょうがないでしょう?」

「うん。……でも気になっちゃって。知りたいと思ったら知り尽くすまで知りたいとも思うの。木原的に」

「『底なしの知識欲』ですか……あなたらしいですね。――――あ、溶接使うからあっち向いててくださいね」

「うん。――――ねぇ、人って生き返るのかな?」

「うーん、またおかしなことを聞きますね、この子は……」

バチバチッ! と火花を散らす溶接機器を扱い、顔を隠すマスクの下で苦笑いするが、可愛い子供に質問されたら答えなければなるまいと、病理は、


「臨床体験をする話はよく耳にしますし、大人数を一度心臓を止めて生き返らせ続けた木原加群の研究もあります。それに一度病で死んで暫くたった子供が突然起き上がり、父親に水を飲ませてほしいと頼んで、水を飲んだあと、再び死亡した報告があります。きっと、体の損害が少なければ生き返ってくる可能性があるのではないでしょうか」

「だったら体の損害が大きい人の魂ってのを別の体に移して生きながらえさせるってのは?」

「それは魂の存在を確立させなくちゃダメでしょう……」

「あ、そっか」


今日はやけにこんな話を持ち掛けてくるなぁ。何かあったのか? 病理は今日、何があったのか訊いてみた。


「ううん、何にも。ただ、今日、数多おじさんのところに遊びに行ったら帰されたの。せっかく久しぶりに会いに行ったのに」


この時病理は久しぶりにあの不良中年に憤りを覚えた。―――この円周をつきかえすなど、何を考えているんだ。おかげでこっちに世話役が回って来たではないか。

だが同時に、彼も彼なりに考えている事があるのではないだろうかと思った。


「彼はきっと忙しいのでしょう。先日、珍しくこの鉄馬の製造プランを押し付けてきたのですから、きっと彼は彼なりに詰めているかもしれません」

「ふぅん」


病理は話題を戻す。


「そう言えば人が生き返るなんてことは、ある種、宗教団体の宣伝文句でもありますね。第一、現存する世界で最も古い宗教のひとつはそんなこと言ってます」

「どんなこと?」

「それは……―――」


溶接機を外し、マスクを取り、面と向かって、


「世界が滅んだ後に復活して永遠に幸せに生きられるとなんとか……ま、眉唾物ですけどね」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


復活とはキリスト教において重要な意味を成す。

キリスト教とは文字通りイエス=キリストの生涯や教えを伝える宗教であり、新約聖書自体はイエスの生涯の伝記みたいなものだ。

そしてその伝記のクライマックスはイエスの処刑で、エピローグはこれだ。


―――十字架に掛けられたイエスは三日後に復活した。


原則、人がもし死ねば、その時点で天国か地獄に昇るか堕ちるしかないが、それは『終末』が終わった後、キリスト教徒のみが復活し、天国に昇る者は人として幸せに生き、地獄に裁かれる者は人として罰を受ける……という意味だ。様々な諸説があるが、ともかく復活は重要な意味を持ち、キリスト教徒の最終目標であるのだと言っていい。

そしてキリスト教での復活はイエス=キリストの代名詞。そう易々と蘇りは起こらず、それは許されない事なのである。不思議な事だ。復活を誰よりも望んでいるのは彼らだと言うのに。


それなのに、錆白兵はそれを成し遂げたと言う。


パチンッと電気をつけた音がした。テンテンテン……と蛍光灯が光る。光り方が鈍かった。いよいよ買い替えの時期かもしれない。どうせ機械音痴がまたサイズ違いの代物を買ってくるのだろう。

それにしても未だ蛍光灯だと言うのが何と言うべきか。今の時代はLEDだと言うのに、レトロな魔術師の巣窟は時代の流れに置いてけぼりにされているようだった。


『ここは……どこでござるか?』

『必要悪の教会女子寮ですが』


こんな会話があったのが今では懐かしく思える。ここ、必要悪の教会女子寮の食堂に神裂火織、オルソラ=アクィナスと―――そして何故か男子である錆白兵がいた。

こんな会話があったのが今では懐かしく思える。ここ、必要悪の教会女子寮の食堂に神裂火織、オルソラ=アクィナスと―――そして何故か男子である錆白兵がいた。


「良いのでござるか。ここは男子禁制の……」

「別に今日は私とオルソラ以外誰もいないのですから、あなたがいても変わらないでしょう。なぜか私たち全員任務に出ているようですし」


殆どの魔術師、シスターは居なかった。先日の学園都市の大覇星祭での事件で徹夜で仕事をしていたシェリー=クロムウェルもだ。

そう言えば一度戻ってきた時、


『いいか神裂、オルソラから目を離さなすな。数日間は一緒に過ごせ』

『何故ですか?』

『それは詳しくは言えないけど……――――あれよ、オルソラってほっとけないじゃない。いっつもぼーっとしているから時々なにしでかすかわかったもんじゃないわ』

『それには賛成ですが……』

『ならそうしてくれ。私はちょっと仕事が入ってしまったから、お守りよろしく。ああ、あと、今夜はあなたとオルソラ以外誰もいないから、夜、鍵をしっかり閉めなさいよ。じゃ』


入れ違いに、こんな会話があったのだが……一体、どういう意味だったのだろう。ともかく任された事はきっちりやり通さなければならないから、ここ数日はオルソラと共に過ごすつもりだ。

さて、今はそんな事より、錆白兵についてだ。


『拙者はすでに死んでいる―――』


だが、今こうして生きてそこにいる。


「そう言えば、私と初めて出会ったときもそんなこと言ってましたね」


あの時は戯言だと聞き流していたが、錆の性格を知ってしまったせいで戯言だと信じれれなくなってしまった。


「本当なのですね」

「左様。先日も申した通り、拙者は一度敗死した身。戯言だと聞き流したのらば、それは拙者の説明に不足があった故のこと。改めて説明いたしたい」

「是非、私も聞きたいです」


三人はテーブルにお茶を置いて、席に着いた。ここからは長い話になる。

錆はひとつ頷いて、


「まず、拙者が元いた世界の話からいたす………」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「痒いところはないですかー?」

「ないよ。実に気持ちが良いよ、笹斑よ」


奇策士とがめと笹斑瑛理は風呂場にいた。笹斑はとがめの綺麗な白髪を丁寧に洗い、「流しますよ」と断ってシャワーでしっかりとシャンプーを落として、リンスつける。


「とがめさんの髪、短くて洗いやすいですね」

「本当はもっと長くしたいのだがな。必死に伸ばしていたのに、どこぞの大馬鹿者が勝手に刈り取ったのだ」

「それは七花さんが可哀そうですよ」


リンスをある程度馴染ませて、お湯で濡らしてしっかり絞ったタオルをインド人のターバンみたいに巻く。

「こうするとトリートメントがちゃんと染み込んでくれるんですよ」

「ほお、良く知ってるな」

「一時の美貌は百個の知識と千日の努力にありです! そこら辺もとがめさん熟知してたと思ってたんですけど」

「生憎、最近になって『しゃんぷー』や『りんす』などの存在を知ったよ。私の時は月に三度洗うか洗わないかだったからな」

「へぇ…面白い豆知識を頂きました♪ ――――じゃあ、お背中流しますねー」


笹斑はシャワーを体中にかけ、垢すりにボディーソープを付けて泡立たせ、とがめの背中を洗う。

背中から腕、脇、脚を丁寧に泡を塗る様に洗ってゆく。よく勘違いされやすいのだが、体を洗う時はゴシゴシと垢すりの繊維で擦るのはNGだ。皮膚が傷ついて赤くなってしまうからだ。擦るのではなく泡で包むようにして洗うほうがいい。

そこの所を良く熟知している笹斑はマッサージをしながらとがめの体を洗ってゆく。


「痒いところありませんかー?」

「大丈夫だ、気持ち良いぞ。気持ち良すぎて昇天しそうだ」

「あははー言い過ぎですよ、とがめさん」


いやいや、本当に見事だ。絶妙な指の力加減が筋肉を刺激してほぐしてゆく。

それもそのはず。彼女は多重性癖のド変態。学園都市のお偉い人とかに枕営業とかホテルで接待とかハニートラップとか、そもそもそれが本業だったりする。


「ほへ~……」


だからこうしていつも頭を使い過ぎて凝り固まっているとがめも、力が抜けた間抜け顔になるのだ。

それを面白がってか笹斑は一つ段階を上げた。


「じゃあ、もっと気持ちいい事しますねー」

「おー………え?」


それはとても口では説明できない事だったが、彼女の本業を知る限りでは察しが付くだろう。

その夜、とがめは別の世界を垣間見た。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


―――錆白兵は我々とは別の世界の人間だ。

彼がいた世界は、私たちがいるこの世界とは、まったく違った世界らしい。

しかし世界観は殆ど変らない。変わっているとするなら、極東、日本の歴史だけ。

戦国時代の終わり、とある伝説の刀鍛冶がいたそうだ。その刀鍛冶の名は四季崎記紀。彼はどの国、家にも属さず、刀を打っては各地へ出鱈目に売り、彼が打った刀はどれも普通の刀とは一線をしく、強力にして凶悪、異常にして異形、かつ偉大的な刀だったそうだ。

四季崎記紀が造った刀は、『変体刀』と呼ばれ、一本持つだけで一騎当千の力を手に出来た。

それで、いつからか彼が打った刀を出来るだけ多く持った者が天下を持てると言われ、また天下を持てるほどの力を持つ者が最も多く変体刀を手にすることができた。

まるで核兵器の様だと思ったが、立場的に同等なものだろう。戦乱の世でそれを多く手に出来ているのなら、戦況がまるで違ったものになるのは想像によ易しかった。

結局、変体刀を最も多く手に出来た武将が天下統一を成し、後に一代で滅んだ将軍として、旧将軍と呼ばれていると言う。

旧将軍は日本中の刀を回収する刀狩令を発したし、旧将軍はそれで変体刀のほぼ全てを集めることに成功した。

その立ち回りから、旧将軍はこっちの世界でいう豊臣秀吉であるに違いない。

なると、彼が言う尾張幕府はこっちで言う江戸幕府のことだ。

そう、こちらとあちらの違いは、変体刀があるのと幕府の違いだけ――――いや、変体刀の登場で歴史が湾曲された世界であるのだ。


「あの世界には湾曲されて生まれた者が数多く存在する……」


彼もまた、湾曲された歴史で生まれた存在なのだと、自ら言った。



「拙者は、四季崎記紀が造った出来損ないの刀でござる」

「出来損ない…」

「左様、四季崎記紀が打った刀は全てで千本。そのうち旧将軍が集めた変体刀のは九百八十八本。一見すれば成功したかに思えたが、しかし実の所失敗に終わった……。―――変体刀九百八十八本は、残りの十二本の為の習作で、それを集める為の刀狩令であった故でござる」

「一本が核兵器同等の存在である刀が習作で、天下人の権威を持ってしても蒐集不可能だった……? 一体その十二本の刀とはどんなものだったのですか?」

「習作の他とは違い、別格に強い刀……と言った所か。どれもが最強にして最恐。当時の実力者であった旧将軍でも武力を用いても手に入れることが出来なかった刀……『絶刀 鉋』『斬刀 鈍』『千刀 鎩』『賊刀 鎧』『双刀 鎚』『悪刀 鐚』『微刀 釵』『王刀 鋸』『誠刀 銓』『毒刀 鍍』『炎刀 銃』……そして拙者が所持していた『薄刀 針』。これらを完成された変体刀……完成形変体刀と呼ばれ、どれも毒が強く、並の剣士では到底扱い切れぬ代物でござる。神裂殿にはわかると思うが、妖刀に近い存在だと思えばわかりやすいかと。村正など比べ物にならない呪いじみた毒を持つと言われているそうでござるが、天下五剣と同等かそれ以上の価値のある刀でござる」


天下五剣とは、童子切・鬼切・三日月宗近・大典太・数珠丸の五振りの刀である。


「そんな刀を蒐集する為、拙者はある人物に雇われた。それが先程お話しした主で、その方と共に旅に出たのでござる。主となったあの方はとても策略に優れ、悪事を嫌う気さくで……そしてとても美しく、同時に儚げな心を持ったお方だった……。彼女との旅路は半年もなかったが、充実した毎日であったでござる」


二人が出会ったのは錆の故郷の藩の城だった。時の藩主の紹介の元、錆は美しい女性と主従の誓いをたてた。

京を経て、東海道に沿ってひとまず尾張へ行き、そこから『薄刀 針』を所有している人物ありと情報が入り、傷木浅慮と言う剣士と対戦する為、北陸越後へと向かった。

尾張から美濃路、上保街道、白川街道、塩硝街道を歩いて美濃・飛騨を通り、加賀に出て北陸道を沿う様に越後へ向かう旅……。


「とても楽しゅうござった。一人でも旅はしたことがあったが、そこに一人加えるだけでどれだけ変わる事か。旅の先々での出来事は、楽しいことも辛いことだらけであったが、あの方との思い出は、何物にも替え難い……」


そう遠い目で語った。

ある時は貧困に喘いでいた農民を援け、富を独占する悪代官の屋敷に殴り込み、幕府に通報したことがあった。またある時は村の女を攫っては犯して斬り捨てる浪人五十幾人をたった二人で懲らしめてやったことがあった。花魁と浪人のいざこざを止めた事もあったし、餓死寸前の穢多非人に食糧やお金を殆ど分け与えて、旅の資金が足りなくなって困り果てたこともあった。

その毎に元主は、『この戯け! 虚け! 大馬鹿者!! また余計なことしよって、きぃいいいいい!!』と彼を罵ったが頑固な彼に屈してしょうがなく協力したと言う。おかげで越後へ着くまでの時間と資金は予想以上に掛かり過ぎてしまったらしく、幕府から厳重注意を受けたそうだ。

それでも彼は本当に楽しかったと振り返る。


「拙者はあの方とどこへでも行けるような気がしていた」


その時はきっと、その主のことしか見ていなかったのだろう。

たった半年足らずの関わりだったが、一日一日が輝くようだったと、心からそう言った。


「主の為なら何でもできた。たとえ命を散らすとしても、喜んで戦いに臨む事が出来た。その時はまだ未熟者の拙者が困り果てれば奇策を用いて助けてくれた。『剣聖』の名を授かったのもその道中で、主の言葉が切っ掛けのおかげでござる」

「とてもいい仲だったのでございますね」

「オルソラ殿の仰る通りでござる。拙者は主を信頼しきり、主も拙者を信用しきっていた……。否、拙者に関しては信頼と言うより………いやはや、お恥ずかしい話は省いておこう―――」


彼を見て、思う。

――――おそらく、彼はその主のことを……。


「そして、寄り道ばかりでなかなか進まなかった旅も、ようやく越後へ到着し、傷木浅慮との決闘をし、見事『薄刀 針』を手に入れることが出来たのでござる。その時は本当に嬉しかったでござる。主の為に一本、刀を蒐集することが出来た。そして主は『薄刀 針』を、十二本全て集めるまでの使用を許可していただいた。一時的だが、四季崎記紀が造りし完成形変体刀十二本が一本を得ることが出来た―――完成形変体刀を腰に差せるのは、剣士に生まれたとして最大の名誉………。だがそれ以上に“主の為に我が剣技を捧げられたのは、そしてこれから『薄刀 針』で主の役に立てられる未来を約束されることは、刀を得る以上の名誉だった”。人生で最大の喜びであった」

「『だった』……という事は」



「左様。――――その未来は、来る事は無く……………拙者は、主を裏切ってしまったのでござる」


「!?」


神裂はこの時ばかりは驚きの表情を隠せなかった。あれほどにまで慕い、敬愛し、それ以上の想いを持っていたというのに、裏切ってしまったと言うのだ。

オルソラも同じ表情だった。


「裏切ったとは……なぜでございます?」


オルソラは信じられないと顔で言いながら訊いた。錆はとても善い人間だ。人を裏切るような、酷い人間ではない。

「錆さんはとても、人に酷い事をする人間ではございません……。なにか酷いことをされてしょうがなく背いたのなら致し方ないでしょうが、錆さんは何もされていないのに……むしろ、その主さんの方に問題があったのではないのございましょうか」

「オルソラ……」


神裂が咎めた。オルソラが人を悪く言うのは珍しい。それほど錆を評価していると言うのか。オルソラはすぐに頭を下げた。


「………申し訳ございません、言い過ぎました」

「いいや。それは当たらずとも遠からずでござる」


錆は首を振った。


「悪いのは拙者でござる。裏切ってしまったのは事実。あの方は何も悪くないでござる。だが、その原因は元主にあった。―――――……………っ!」


その時だった。話の途中で、錆の眼の色が変わった。錆の第六感が女子寮の異変を察知した。


「錆さん…?」

「しっ」


たてた人差し指を口元に寄せて、


「神裂殿……」

「わかってます」


神裂は座っていた席の椅子から立ち上がり、愛刀である七天七刀を手にした。


「―――敵襲です。もうすでに囲まれている」


オルソラは驚いた表情をした。


「必要悪の教会の寮でございますよ? そんな……」

「それを承知で攻撃しているのか、それとも中に私たちしかいない事を知っているのか………」


錆は音一つ立てず壁側に寄り、窓から様子を伺う。外は真っ暗だ。何も見えない筈なのに、錆は敵の人数を言い当てた。


「表には四人……いや、五人見えるでござる」

「気配は10。それも相当な手練れですね。何者か知りませんが、この私がここまで侵入を気付かないとは見上げたものです」

「いかが致す」

「流石にこの狭い空間でオルソラを守りきる保証はありません。私が囮になります。その隙にあなたはオルソラと共に外へ逃げてください」

「否、拙者も戦うでござる。如何に神裂殿は手練れであるとしても、十騎を相手には……」

「心配は無用です。私は聖人……普通の魔術師では私に敵いません」


錆は少し考えた。

神裂と手合せして、彼女も相当な実力者である事は理解した。だが敵は未知数。非戦闘員のオルソラの命を守って戦うのは分が悪い。だからと言っても、囮として神裂を利用すれば確かに命は助かるが神裂が危ないことに変わりない。

決断は早かった。


「否。神裂殿も共に逃げましょうぞ。一つの矢の如く、一点突破で敵陣の間を突いて脱出するでござる」


彼女は確かに強いが、彼女一人を置いてゆくことだけは出来なかった。

女子を一人置いてゆくのは武士の名折れ―――。

それだけは許せなかった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「ねえとがめさん」

「なんだ笹斑。げんこつをもう一発ほしいのか」

「いいえ、もう懲りました」


ま、別に痛くはなかったし、下手に殴ると彼女の右手が壊れそうだ。

さっきまで泡だらけになったとがめを、あんなところを弄ったり揉んだり抓ったりして、色々イタズラしていたのだが……。


『ちぇりょぉおおおおお!!』


と、げんこつされてしまったのだった。

笹斑はすぐに謝ったが、とがめの怒りは激しかった。


『てへぺろっ☆』

『それで謝っとるつもりか! 大人をからかうな!!』


それから何やかんやで土下座でなんとか気を静めさせたとがめと一緒に浴槽に浸かっていた。暖かい湯の中で、天上を見上げて、一つ気になった事を訊いてみる。


「で、結局とがめさんからして、錆白兵って人は何だったんですか?」

「なんだ、聴いていたのか」

「ええ、ベランダでスタンバってました。結局、フレメアちゃんがいたから出てこれませんでしたけど。で、とがめさんからして錆白兵は何だったのですか?」


とがめは即答した。


「裏切り者だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「じゃあ、裏切る前」

「………………………そうだな」


少し考えを巡らせて、とがめは、


「いい、相棒だったよ。少々手のかかる大馬鹿者だったが、旅はそれなりに楽しかったし、奴がそこら辺中でやってきた善行は理解は出来なかったが悪いものでもなかった。奴は私が見てきた中でも、それなりに良い部類の人間であったのは、間違いなかろう」


忠義に厚く、仁義を貫き、正義を良しとした、名誉に生きる剣士――――錆白兵。

だがあまりにも名誉に生きてしまった故に、『薄刀 針』という刀一本は彼の人生のすべてと比べて重すぎて、主であるとがめを裏切り、姿を消した。


「だが奴は裏切り者だ。裏切りは如何なる時代において重罪………。私には嫌いなもの頂点は裏切りだ。あれだけ信頼していた私をあやつはあっさりと相談もなく裏切ったのだ。これが許せるはずが無かろう」

「うーん……じゃあ、錆さんはとがめさんのことを、どう思っているのでしょうかね……」

「…………知らん……」

「これまた即答ですね。想像も出来なかったんですか」

「あれほど自分を捨てて、すべての弱者に献身し、私に忠義していたのだ。あいつに自己の欲求や不満、それらのすべてが見えなかった。そんな者、人とは思えぬ。名誉に生きる人間は腐るほど見てきたが、奴はそれにあたる人間なのに、それが見えなかった。名誉を求める人間なら、まず何も持たぬ弱者には何も与えない。名誉を得るには何もかもを持っている強者に仕え、成功を収めるしかないからだ。なのに錆は貧困に喘ぐ者達への人助けを積極的に行い、富と名誉をあまるほど持つ権力者に立て付く事もあった。それは名誉の放棄に近い。奴は名誉など求めていなかった」

「――――なのに錆さんは剣士にとって最大の名誉である、完成形変体刀の帯刀を欲しいがままにしたいためだけに、裏切った」

「そうだ。奴は役所の役職や、朝廷の官位や、領地などには毛ほども興味はなかった。絹旗は私の為に裏切ったのだと言っていたし、あの時はそれを仮定して議論していた。……が、私はどうしても、これしか考えられん。奴は剣士の名誉…完成形変体刀だけが狙いだったのだ!」


長い旅路で、錆はそれしか見てなかったのだと、とがめは言い切った。


「奴は裏切り者だ」


その言葉に笹斑はうーんと首を捻った。


「でも、それって本当なのですかね?」

「なんだ、そなたも絹旗と同意見か?」

「それもそうですけど、『なんで裏切ったか』……というより、錆さんはとがめさんのこと、何も思ってなかったのですかね?」

「?」

「まぁ、男の人って意外と自分の気持ちを隠すのが巧いですから……」


笹斑はとがめの話を聞くに、ある仮説を立てた。もちろん確証がない。なにしろ裏切りの被害者であるとがめの視点で語られた事だから、大事なことがフィルターに掛かっていてある一方向にしか伝わってこず、判断が不可能なのだ。

でもこれだけはわかる。


「まあ、錆さんに会ってみなくちゃわからない事なんですけど……きっと、錆さんはそんなに酷い人じゃないと思いますよ?」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今夜は以上です。ありがとうございました。


東京とか関東とかは大雪だったそうですね。慣れない雪に大苦戦しているそうでしたね。
バレンタインの翌日でしたっけ? バレンティヌスさんからの御届け物ですね♪


――学園都市――

上条「恋人といるときの雪って特別な気分に浸れて俺は好きです」

インデックス「…///」ぎゅっ…


上条「恋人といるときの雪って特別な気分に浸れて俺は好きです」

美琴「………バカ…///」ボソッ


浜面「恋人といるときの雪って特別な気分に浸れて俺は好きだな」

滝壺「……///」カァ…ッ


打ち止め「恋人といるときの雪って特別な気分に浸れてミサカはミサカ……///」

一方「ほら帰るぞー」

打ち止め「ちょま…最後まで言わせ………」ズザー



七花「とがめといるときの雪って変な感じに浸れて俺は好きだな」

とがめ「…………///」


七実「…チッ」ゴゴゴゴゴ…



七花「絹旗といるときの雪って(ry」

絹旗「もう! 七花さんったらっ! ―――――ふがっ!?」

七花「あれ? 絹旗? 絹旗ー? あいつどこ行ったんだ?」


七実「…………」ニヤニヤ

―――この夜以降、絹旗を見た者はいないという……。

上条「恋人といるときの雪って特別な気分に浸れて俺は好きです」

浜面「……///」カァ…ッ

こんばんわ。お久しぶりです。いつもより短いですが、投稿したいと思います。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

笑顔でそう語る少女に、とがめはぶすっとした顔で返した。


「それは承知しておる。奴は根からの善人で、とても悪人とは言えなかった。容赦なく人を斬る時は相手がそれなりの罪があると判断した時のみ。勘違いされては困るよ」

「じゃあ、なんで錆さんが裏切ったのをマイナスに考えてるんですか?」

「それは……裏切られたからだよ」


とがめは当然のように答えた。


「裏切りは人が持つ罪の中で、もっとも大きい罪だ」


ちゃぷちゃぷと、湯の水面を叩く。


「裏切りとは、人間関係にせよ、軍事にせよ、同盟にせよ、主従の間にせよ、長い時間や大きな金で苦労して完成させた、堅かった関係を抹消させる行為だ。戦であれば多くの兵が無駄に死に、人間

関係なら長年の友好関係も無になり、下手をすれば人の一生を台無しにしてしまう」


『神曲』では、裏切り者は地獄の底の川に氷づけされてしまうコーキュートスという川があり、裏切者はそこで永遠に氷づけされると言う。


「古来から現代まで、裏切りは最大の悪徳の一つだ。今までの人生、経歴、精神、忠義、すべてを投げ捨て、得るものは罪だけ。それは錆とてわかっていた筈だ」


なのに裏切った。『薄刀 針』を手にしてすぐに、あっさりと裏切ってしまった。忠義に厚いと思っていた。決して裏切らないと思っていた。なのに裏切った。


「奴は、私に何の思い入れもなく。刀だけに興味があったのだ。完成形変体刀を帯刀する名誉が欲しいがためだけに私を利用したのだ。確かに錆は善い人間だ。だが私など見ていなかった。散々利用

して紙が如く破り捨てて行った」


結局錆は善良な人種だが、とがめからすれば、裏切った時点で暗転し、悪性に変わったのだ。


「だから私は、あいつをきっと永遠に許さないと思うよ」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――――へぇ……」


燭台の上の三本の蝋燭の灯だけがこの空間を照らしていた。

薄暗い自室の中で、寝間着姿のローラ=スチュアートはモニターに向かって、関心のある表情をした。


「なかなか面白い話ね、それ」

『ああ、こちらもいよいよ騒いできたよ』


モニターの相手はあの科学の都の主だった。学園都市統括理事長は相変わらず笑っているのか怒っているのか泣いているのか楽しんでいるのか、それとも無表情なのかよくわからない顔で、淡々とそ

う言った。


『十二本の刀に別世界からやって来た亡者たち……なんとも不可思議な状態だ。非常に興味深い。特に刀の方は科学的に再現不可能らしい。無論、学園都市の技術力を持ってしても』


否、愉快そうだった。声色にそれが見えた。学園都市の力を鍛える為の題材品として、教科書としての目標がどこからか滑り込んできたからだ。

闇夜の海面に漂う小舟が灯台の光を見つけたくらいに幸運な事である。


「何を言っているのかしら? どうせ、一ヶ月かそこらでそのレベルにまで到達するでしょうに」

『当然だとも』



科学の怪人はとても楽しそうに、逆につまらなそうにも見える雰囲気で応えた。


『科学とは常に前進するもの。一日一時間一分一秒たりとも無駄にせず、未来へと押し進む学問だ。そちら側とは違うのだよ』


なにか見下されたような気がしたが、それは置いておいて、ローラはこんな夜更けにどうしたのか男に訊いた。


「なにか用があって、淑女がすやすやと眠っているのにも拘らず叩き起こしたのでしょう? ただ世間話をするだけだったら使徒十字をぶっさしに直接参るわよ」

『それは安心したまえ。君たちの技術で一つ、知りたい事があるのだよ』

「?」

『死者の復活についてだ』

「………。」


ローラの表情が固まった。

死者の復活とは、キリスト教において重要なキーワードである、彼の神の子が成し遂げた最高の奇跡。


『別世界からやって来たと言う亡者が言うには、「自分たちは一度死んで、この世界に生まれ変わった」と言っている。―――彼らは私が直属に保護した自称忍者二人なんだが―――。君たちはその方面について何か知っているのだろう? なにぶん、科学でも死者蘇生は医学的に永遠のテーマだ。非常に興味深い』

「こっちだって永遠のテーマなりけるわよ。神の子以来、生き返った人間はいない。ほら、これで答えは決まっている」

『わからない、という事か。………わかった。この事はいずれ何か解ったら質問するよ』


いや、それはわからないだろう。砂金のように美しい髪を弄りながらローラは悪態を心の中でついた。過去のキリスト教史で―――いや、魔術世界で一度完全に死に、不死鳥が如く生き返った人間は恐らく一人しかいない。殺しても殺しても死なない少女ならいたが、生き返る人はいなかった。どんな聖人も死ねば死んだままで、終末後の復活を待っている。


「そんなこと、私が解ったらとっくの昔に解明されけりよ」

『そんなところだと思ったよ。なに、私たちは未来へ前進するのなら、君たちは過去へ背走する存在だ。いずれ君たちの言うキリストの復活にまで行き着くさ』


と、学園都市統括理事長ことアレイスターは、モニターの中から消えた。


「応援ありがとうございますっと」


通信が切れ、ローラはモニターをほっぽいて、ベッドにゴロンと寝転がる。今は深夜1時か2時。日頃の激務に忙殺され、疲労で眠気が襲ってきた。もう一度寝直そうかと考える。

その時だった。ドアからノックの音がした。


「失礼します」

「何かしら」

「緊急事態です」


ローラが住むここ、聖ジョージ大聖堂の執事だった。彼がローラの下へ近づき、緊急の事態を報告した。


「………………そう」


オルソラ=アクィナスを迎え入れてから暫くして、なにやらローマ正教からの鼠がウロウロしているなと思ったら、動きがあったらしい。

―――やはりそうか。

天草式に色々と調べさせて良かった。情報は既にこちらに十分ある。ここはオルソラを保護するためにも――――


「一つ、頼みたい事が……」


ローラは執事にある事を命じた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

月は出ていなかった。

星だけが瞬く夜。地上は完全に闇に包まれていた。近くに街灯が無ければ、5m先もわからぬだろう。

そんな中、必要悪の教会の女子寮の敷地の茂みから、二つの影がガサガサと蠢いた。

影は人間だった。マントで全身を隠して姿は確認できないが、もとよりこの暗闇、あってもなくても確認など出来ぬだろう。

だが―――音だけは確認できた。

イギリスらしい立派な庭の芝生の上を、足音を立てて進んでゆく。足音に革靴やスニーカーのものではない甲高い音が、金属音が混じる。芝生に紛れた小石を踏んだのだろうか。

だが、この音は何故出てくるのだろうかと問われると、首を傾げざるおえない。答えはマントの奥にあるだろう―――。


「……………」

「……………」


二つの影が女子寮の裏手の勝手口に辿り着き、壁にへばり付いた。

お互いの顔を見合わせ、頷く。

あとは指令からの指示を待つだけだ。確か予定ではあと数分で突入を開始する手筈……。誰かがヘマをしでかさない限り、作戦は成功するだろう。

彼らの仲間は合計10人。戦力を四分してこの建物を囲んでいる。その中でも搦め手であるこの重要なポジションを任されたのには、彼らが有能であるからだ。

―――二人は十人いる仲間の中でも2番目と5番目の実力を誇っていた。否、単純な戦闘能力ならコンビの片割れの、小さな巌のような男は頂点だ。この男の土魔術は、傍らにいる彼が見た中でも随一だと思う。尤ももう一人の男も一風変わった特殊な魔術を有していた。

そんじょそこらの魔術師など、二人いれば20秒もあれば岩石に潰して圧死で処理ができる。なぜなら、今まで数多くの実力ある魔術師たちを葬って来たから。その自身と実績から、自分たちが最強だと信じている。

実の所、彼は魔術師ではない。自らを―――――騎士と名乗っている。

魔術師は自らの目的を第一とし、集団に奉ずることを是としない。彼らは自己中心的で厭らしい思考回路で出来ている。まるで化け猫だ。魔女が飼う猫がまだマシだと思う程。

一方、騎士は魔術師とは違い、魔術は使うが魔術師よりも武を尊び、集団の行動を是とする義ある戦士―――。奴らが猫なら彼らは忠犬だ。肌が合わぬのは当然のこと。

もともと騎士は所謂、精神論を大本にし武術を極める。戦士なら誇りを、侍なら武士道を、そして騎士なら騎士道に準じている生き物だ。

彼らもまた然り。騎士道を持ち、また彼ら独自の誇りと目標があって剣を持ってきた。そして現在、常人より遥かに強靭な精神と肉体と、高い技術力を身に着けている。


さて、今回なぜそんな彼らがいるかというと、それはこの魔女が住まう魔窟にいる、ローマ正教を裏切った魔女、オルソラ=アクィナスの抹殺する事が任務だ。


こんな任務は慣れている。ローマ正教から裏切った不忠者や宗教裁判から逃げた愚か者を神に代わって罰するのが、彼らの今の姿だから。そう、今まで葬ってきた魔術師はそう言う輩ばかり。

どいつもこいつも絶対にして完全にして全能なる神を裏切った外道。オルソラ=アクィナスとて神に逆らったのだから、死んで当たり前だ。

―――神に逆らう愚か者には死を。

殺す事に罪の意識などないし、むしろ出来る事なら交差点の真ん中で公衆の面前で裸にして火炙りにしてやりたいくらいだ。

だがこの任務はおおごとにはしたくないと、注文を受けた。依頼人からだ。

『出来るだけ穏便に且つ速やかに。くれぐれも私のことはばれないように』

勿論そのつもりだし常識だが、それでも言ってくるのだからよっぽどイギリス清教と争いの火種を作りたくないのだろう。

団長が言うには、あの司祭は今、大それた魔術儀式の準備の真っ最中だ。そこに横槍を刺されたくないのだろう。

魔女共の棲家の中は暗闇だった。電気一つもついていない。

不思議な事ではない。中の魔女共は殆ど誰もいない事は承知だ。一週間張り込みをして調査したおかげで誰が何人住んでいるのかはすでに掌握済み。今宵はオルソラとその護衛しかいないことを狙い、こうして強襲を掛けたのだ。

そこで、依頼人の注文に応える為でもあるのだが、表と裏から刺激して出てくるのを待ち伏せせず、魔窟の四方を囲んで侵入し、一斉に制圧するのが今回の作戦だ。

相手はプロだ。いくら巣を突いて飛び出すのを待つのは下策。蜂じゃああるまいし、すぐに一ヵ所に集まるだろう。

そこを4班に分かれて探し出す。

一ヵ所に集まった奴らを四方八方から剣や槍で串刺しにする。あとは証拠隠滅として女子寮に火を放てば完璧だ。

オルソラと共にいる神裂火織とかいう女は聖人らしいが、“そんなの関係ない”。我らにはそれを越える術がある。それで奴の驚いた顔を想像するだけで顔のゆるみが止まらないのを我慢すると―――その時だった。無線代わりの通信魔術に声が響いた。指令の声だった。


『……………………………』

―――テンカウント後に突撃せよ。

それが命令だった。

通信から『10』と聞こえる。

『9』『8』『7』……――――。

小柄な男が顎で、ドアを開けるよう指示する。それを了承すると、ドアノブを握りしめた。

『5』『4』『3』……――――。

二人とも武器を手にした。男が大鎌を取りだすと同時に、小柄な男は背中から戦斧を二本握った。

さぁ、覚悟しろ裏切者。我らの鉄槌が貴様らを叩き潰してくれる。

『2』『1』……―――。

そして、


――――『0』。


一気にドアノブを捻り、風が煽られるほどドアを開けた―――――――。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


錆は裏手のドアに寄り添って、小窓から外を覗いている。すぐ傍に寄り添っている神裂とオルソラにしか聞こえない程度の声で神裂が訊いた。


「どうですか」

「…………敵は二人。どうやら、ここが一番人が少ないようでござる」


神裂は腰に差している七天七刀を握る。

女子寮と言えども、そこまで大きくないこの建物をあちらは4つに分かれて囲んでいる。

錆の報告と自分が感じた気配からすると敵は、この勝手口側に2人、正面玄関側に5人いたのが2人減って3人、寮の両側面に3人と2人……。


「四方を囲まれた形だったが、幸い、搦め手が手薄のようでござる。―――ここが最も脱出にふさわしい道で間違いないか、神裂殿」

「はい」


2人しか敵がいない場所は二ヵ所。片側面とここだけだ。前者の窓から飛び出るのは容易いが、その後の量の敷地外への逃走は難しい。前に高い塀とその向こうの隣の家があり、外にでるには正面か裏手に出るしかなく、結局は遠回りになってしまうからだ。それで折角建物から出ても外で討たれてしまえば元も子もない。

そんな地理的構造上、敵は自分たちが正面玄関か勝手口からでるのは承知しているだろう。表と裏の門に戦力を二分するのが定石だろう。だが敵はそうはしなかった。

いくら巣を突かれても飛び出すのは下策だ。蜂じゃああるまいし、すぐに一ヵ所に集まって籠城し、応戦するか、隙を見て逃げるのが常だ。

それを見通したのだろう。何せ、数多の魔術師たちが住む魔窟。魔術で構築された隠し扉だの抜け道だのがあってもおかしくない。なら四方から侵入してそれを潰しながら追い詰めるのが上策だ。

敵は、裏表の扉と両側面の窓から屋内へ一斉に乗り込んで、永禄の変で足利義輝を討ち取った三好三人衆の雑兵が如く、一ヵ所に押し寄せて討ち取るつもりなだ。

だから戦力を四分させた。

当然、先に気付かれてやぶられることも考えているかもしれない。四方の内一つを突破されれば簡単に逃げられる策を、出し抜かれぬと考えない訳がない。失敗を考慮せずにこうじる策など、『策士策に溺れる』の諺の通りに成ってしまう。

それを考えて、罠を張っている可能性は大だ。わざわざ脱出してくださいと言っているかのように勝手口に2人しか配さなかったのには、何らかの意味がある。そうでなかったとすると、それほどにまで2人の実力を信頼しているという意思の表れなのか。ならばあの2人は10人の中でも実力は上位に来るはずだ。一筋縄ではいかないだろう。錆と神裂のどちらかが殿役を務めなければならないかもしれない。

しかし、脱出するなら勝手口から飛び出して颯爽と敷地の外に出るしか路はない。

ならば、多少の危険があっても突き進むしかなかった。

敵への距離は10mと言った所か。今の所茂みに隠れていて攻撃の雰囲気はないと判断して錆は小窓から背後へ振り向く。


「拙者が先陣を切るでござる。――――覚悟はよろしいか」


二人は頷く。神裂は神妙な顔で七天七刀の鞘を握り、オルソラは不安による緊張と覚悟を決めた勇気を持った表情を半々でしていた。

何としてでも守り抜くには、3人の協力と信頼が必要だった。


錆は神裂が持ってきた木刀を握って、


「……………信じておりますぞ」


と、短く言った。



「無論です。何としてでも、3人で無事に逃げましょう」

「はい」

「…………」


錆は微笑んだ。この2人ならちゃんと助かるだろうと、ここで確信した。神裂火織は意志の強い女性だ。芯も堅い。彼女の鉄壁の守りがあれば非力なオルソラを守り抜く事はできるだろう。あとは、彼女らが逃げれるよう道を切り開けるかどうかは自分に掛かっている。

もう語る事は無い。注意する事も、心配する事も全て解決した。―――あとは実行するだけだ。


「タイミングは任せます」

「―――」


錆は目で応えた。

二人の命は自分次第だ。最後に敵の位置を確認するため、ドアの小窓をもう一度覗く―――と、その時だった。錆の表情が一変した。


「っ! …………来たでござる」


敵が来た。ざっざっざっ、静かだが確かに地面に敷いてある芝生を慎重に踏みしめる音がドア越しでも聞こえた。


(しまった。遅かったか!)


神裂は歯噛みする。隙を見て突っ切る筈が、その前に敵の行動が始まった。慎重に、そして緊張感を持ってこっちに向かっている様子だ。これでは突っ切っても阻止されるに決っている。

タイミングを誤った錆を責める事はできない。これはタッチの差だった。

だがこれは致命傷だ―――。


「……………」


顔を曇らせる錆。オルソラも心境が不安に傾く。――――その時だった。錆は小さな声で、


「神裂殿―――」


ドアのドアノブが、かちゃりと回る。


―――同時に、神裂の指が動いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


その時、強烈な衝撃が体に貫いた。


「ガッ!?」

「ぐっっ……!」


一人には木刀、一人には黒色の槍―――否、長刀の鞘だった。

白髪の男と黒髪の女が、騎士がドアを開けると同時にそれぞれの武器で胴を貫きに来た。

―――ドアを開けようとして前に体重を掛けた直後、ドアが積み木パズルのようにバラバラになって崩れた。音は無かった。ただ勝手に崩れ去るそれの向こう側から二本の刀に襲われた。

布の向こうからいきなり人が現れるとビックリする時があるだろう。そこを突かれてしまった。突如として現れた二人の剣客に反応できず、いとも簡単に、強烈な打突に吹っ飛ばされる。一人は塀に、一人は庭木の影に突っ込んで消えた。あの威力だ、まず動けまい。

裏手の鉄格子の門まで真っ直ぐの距離、敵の姿がなくなったその隙を見逃さなかった神裂と錆はオルソラを連れて走り出した。


「オルソラ、手を」

「はいっ!」


神裂はオルソラの手を引っ張り、錆はそれに続く。距離は15mもない。5秒もせずに脱出できる。その程度ならオルソラの脚でも大丈夫だと思った、その時だった。―――視界の隅で何かが光った。

錆は三時の方向に躍り出て、その光源を木刀ではじく。

ギィンッ!


「ぐっ…」


重い。片手で何とか防げるまでの衝撃。


「錆白兵!」

「大丈夫でござる!」


神裂の甲高い声に短く応え、邪魔な鉄格子の門を蹴り破って颯爽と夜の町を駆け抜ける――――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「はぁ……はぁ……はぁ……。ひ、久しぶりに全力疾走でここまで走りました………」


オルソラは上がる息を整えながら、寮から数㎞離れた、バス停のベンチに腰を掛けた。既に就業時間を終えている。ここに何時間座っても名物の赤いバスはやってこない。いつまでもここに居座る事は流石に出来ないから、ここからさらにどこかへ歩かなければならない。だが今はこの短いの休憩の中で息を整えられるだけでも有り難かった。


「大丈夫でござるか」

「はい、飲み物です」

「ありがとうございます」


オルソラは神裂から受け取ったペットボトルの清涼飲料水を、クタクタになって尚、上品に口を付ける。二口、こくこくと喉に下して、一息ついた。息は落ち着いた。心臓はまだ小走りしているけど、なんとかいつも通りになるだろう。

それより、今はこれだけが気になっていた。


「あの方たちは一体…」

「………それは、わかりません。ですが、私たちがいることを知っていて襲ってきたのは確かです。悪戯に必要悪の教会の魔術師たちが住む寮に強襲するのは考えにくい」

「という事はつまり、我々の中の誰かが、もしくは我ら三人の命を狙って、襲ってきたと?」


錆が訊いた。


「それしか考えられませんね」

「神裂殿に心当たりは?」

「この職業柄、いくつかありますが、彼らほどの強さではありません。あなたは?」

「拙者にはこの世界で知り合ったのは神裂殿とオルソラ殿だけでござる」

「なら………」


二人はオルソラに視線を移した。彼女の表情は、何か不吉な事を知っているように見えた。


「なにか、あるのですね?」

「…………はい」

オルソラは申し訳なさそうに瞼を落とす。


「聞いたことがございます。―――バチカンの命令で秘密裏に制裁行為を引き受ける傭兵部隊がいる話を。彼らは、ローマ正教トップクラスの聖教騎士や百戦錬磨の魔術師をも討つ、怪物揃いの十人の騎士団。目的は――――神に背いた裏切者を狩ることだとか」


この時、神裂の表情が少し曇った。神憑り的な第六感を持つ彼女も何か勘づいたのだろう。だが錆はいまだわからずじまいだった。


「なぜそのような者達が、いったい誰を狙っているので?」

「……………私です」


泣きそうな心を踏んばって絞り出した、そんな声だった。


「錆さんには言っておりませんでしたね。私は―――――元ローマ正教で、裏切者なんです」


滅多に表情を大きく変えない錆の眼が、その時だけは大きく見開いた。

驚愕の表情。

誰が信じられようか。目の前の淑女が、醜く汚らわしい裏切りを働いた不忠者だと。


「そんな……」

「そうでございますか。すべて、私の所為だったのでございましたか」


作り物の困った笑顔を浮かべながらオルソラは、


「本当に、申し訳ありません。あなた方に多大な迷惑をかけてしまいました」


深く、深く、頭を下げた。


「そんなッ! シスター=オルソラ、あなたは何も悪くない!!」


神裂の白くて細い両腕が大きく広がった。


「あなたはあのままでは理不尽に宗教裁判に掛けられ、処刑されるところだったんですよ!? 天草式やステイル、インデックス……それに上条当麻に助けられたことを否定するつもりですか!」

「そのつもりはございません。イギリス清教にはしてもし切れない感謝をしていますし、助けていただいた方々には一生をかけて恩を返したいと思います」


錆は話が見えなかった。彼女が何で裏切りと言う最低の罪悪を働いたのか。


「神裂殿、一体何が起こったのでござるか」

「法の書と言う暗号化された魔導書の解読法を研究していたのですが、それをよく思わなかったかつて所属していたローマ正教に処刑されそうになったのです。それを私たちイギリス清教が改宗させる形で助けたのです。彼女ははただ、出来るだけ世界の役に立ちたかっただけなのですが…」

「なるほど………」


要するに、邪魔者として見られて謀られた、というのか。


「それは許せぬ」


それを諦めず傭兵を雇って暗殺をする……なんと悪逆非道。


「ええ、許せません。だから私が何とかしますから、あなたは安心してください」

「拙者も手を貸しとうござる。神裂殿もいれば千人力。怖れながら拙者も加えれば、怖いものなどないでござる」


確かにそうだろう。この二人がいればどんな強力な魔術師や騎士が来ても追い返してくれるはずだ。

だがオルソラは首を振った。

「ですが、今回は酷く厄介なのでございます」


らしくない。いつものほほんとマイペースなオルソラが、ここまで焦心するとは。

たった一日だが、オルソラの性格を把握している錆が訊いた。


「その騎士団とやらはどのような者達なのでござるか」


オルソラは身を凍らせながら答える。

「これは噂なのですが、十人の戦闘員から構成されるローマ正教非公認の騎士団で、一人一人が厄介な魔術を習得し、正教を裏切ったり改宗したり敗走した魔術師や勢力争いに敗れた上層部の人間を、依頼があれば誰でも、例え女子供でも殺害するとか」

「穢れ役を任された……暗殺集団のようなものですか」

「しかも例え聖人でも互角に渡り合えると言う神憑りに強い傭兵紛いの騎士らしいのです」


神裂が眉をひそめた。


(聖人並に強い? そんな馬鹿な。それほどまでの魔術師…いや、騎士なら、イギリスの騎士団の団長クラスだ。なぜそのような者達が一介の傭兵に……?)

「しかしそれは噂なのでしょう?」


オルソラは首を振った。悪いものでも思い出したのか冷たい汗の玉が額から浮き出ている。


「いいえ、実際にそのようなのでございます。まだローマ正教にいた頃、見たのでございます。政敵にローマから追われた、私に大変良くしてくださった神父様が――――――」


逃亡先で彼らに討たれ、バチカンで――――生首が晒された。


「!」

「見せしめとして多くあるとか……」


オルソラが言うには、討った相手の遺体や首を刈り取って晒すらしい。それも処刑された後のような、酷く損傷した形で。

神裂はそれを聞いて衝撃を覚えた。

キリスト教徒がキリスト教徒の、しかも同じ宗派の徒の遺体の首を刎ね、それを晒したとは前代未聞だ。深い恨みを持っているのならまだしもただ命じられただけの傭兵がそこまでやるのか。

人の遺体を酷く損傷させる。

これはキリスト教ではタブーの一つである。なぜなら、人の体は神がお造りになられた神聖なるモノとして扱われ、またそれ以外にも人の体を酷く壊すのに躊躇するのには理由があるからだ。

―――そもそも、宗教には目的がある。

仏教は天界、つまり極楽浄土で生まれ変わること。イスラム教は男は天国で47人の永遠の処女と性行為し、酒と果物と肉を思う分だけ飲食できるに贅沢しながら住むこと。このようにそれぞれ(似たようだが)ある。

キリスト教でも天国と地獄はあるのだが、どちらに行くかは最後の審判が終わってからだ。最後の審判とは世界の終わりのことで、俗に言う人類滅亡…終末である。そのあとに今私たちがいる地上に死した門徒たち地上に降り、天国と地獄に分かれるのだ。だがキリスト教に属していないと終末の後の審判を受けれず、自動的に天国にはいけない。つまり地獄行である。

キリスト教の目的、それは最後の審判の後に生まれ変わり、地上の楽園で永久に住むことである。

これはキリスト教の素となったユダヤ教や、太陽神の化身である王の復活を願ったエジプトのミイラでも同じことが言える。

さて、生き返りが目的なのだから、生き返る為の器が必須なのはわかるだろう。だが他人の体を器にするのはナンセンスだ。たとえそれが本人を語っていても他人にしか見えないし、魂は他人の肉体を好まない。本人の魂は本人の肉体にのみでしか定着しない。だから死者の肉体はそのままの形で保存されなければならないのだ。エジプトのミイラはまさにそれだ。

その人の復活を願うならば、その人の魂とその人の肉体が必要不可欠なのだ。

だからキリスト教の葬儀は土葬が主流なのだ。現在は火葬するキリスチャンが増えているが、土葬は肉体そのまま土に埋まることになるから(火葬よりは)保存される。もっとも理想的な形は教祖イエス=キリストの伝説を見ればわかるだろう。

だがしかし生き返る為の器を破壊するのは、そのものの生き返りを阻む行為だ。忌むべきタブーである。そもそれは死刑囚や異教徒、叛逆された王が、地獄に落とされるためにされることだ。

代表を上げるとするならば、ジャンヌ=ダルクが一番だろう。彼女は今は聖人として認められたが、当時は牢屋で強姦され、魔女として火にくべられた哀れな少女だった。

要約すると、キリスト教徒の遺体を好き勝手に破壊する事は許されないという事だ―――。

処刑された罪人の遺体を晒すのは中世のやり方で、現在では考えられない。

騎士団とやらは豪く古風なやり方を好むようだが、それは明らかに罪だ。宗教的にもそうだが刑事的民法的にも違反し、捕まらなければならない。だがそれはなっていないとなると、よほど権力者に重宝されているか、幽霊のようにいるのかいないのかよくわからない存在なのだろう。オルソラが言う話では後者のようだった。

オルソラの命を狙っている者達は目に見えない怨霊か悪魔なのだ。

「ともかく、その騎士団は異常なのでございます。異常なまでに強く、異常なまでに容赦がない。死ぬまでも死んでからも」


オルソラの肩は震えていた。

さぞかしイタリアでは有名な話だったのだろう。無理もない。何十人も殺した神出鬼没の殺人鬼が今度は自分を狙っていると思うだけで吐き気がする。しかも何の力もない、対抗する手段を持たない女性だ。恐怖で頭がいっぱいになるだろう。


「オルソラ殿…」


その様子を見て、錆は酷く哀れんだ。

何という事だ。たった一人の女子を十人もの大人数で討ち、しかも死者を弔おうとせずに辱めようとするのは言語両断。

オルソラは組織の裏切り者だと言う。確かにそれは罪悪だろう。だが、錆の眼からはどうしてもそのようには見えなかった。彼女は理不尽な理由で殺される目に合い、致し方なく裏切ったのだという。善と悪があるのなら、それは善だ。己の命を助けたいと言う純粋な心に何の理由があって悪にならねばならぬ。


――――そんな人々を、何度も見てきた。


錆はひとつ頷いて、


「オルソラ殿。安心なされ」

「錆さん…?」

「オルソラ殿は何も悪事を働いてはおりませぬ。悪いのは時の運と、オルソラ殿を貶めようとした悪党共でござる。貴女はただ安心して拙者たちを頼れば良い。見事、その騎士団とやらを打倒してみせましょう」


自分には嫌いなものが三つある。一つは悪党。一つは恐喝。そして最後の一つは理不尽。これらに虐げられるのは、虐げられる人を見るのは、酷く心が痛む。この心の痛みを正義と言うならば――――


「この錆白兵、この名、この命に賭けて、オルソラ殿のお命、守って見せましょう」


―――その正義を果たさずして、何が侍か。

戦場に赴く武士らしく、堂々と啖呵を切った。

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今夜はここまでです。ありがとうございました。
キリスト教の死生観の解釈はWikipedia先生を参考に、好き勝手にさせていただきましたので、もし勘違いがあれば容赦なく仰ってください。

>>308
あのさぁ…


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七実「ホワイトデー? なにそれ、美味しいのかしら?」

布束「least,甘くておいしいわね」

七実「だからと言って二カ月連続で男と女が発情していちゃいちゃするのは見苦しいわ」

小萌「そうです! 風紀が乱れます!!」

黄泉川「そうだそうだ! これ以上、私達を絶望させるな!」

とがめ「私なんてもう死んでいるから何も望めないんだぞー!」

鉄装「あの……私はまだ20代前半……」

芳川「だまらっしゃい!」

布束「……………」


絹旗「七花さん、あそこから独身アラサー(予備軍)の独特な嫉妬のオーラが…」

七花「とがめ…姉ちゃん…」


インデックス「ねぇねぇ! あそこでおばさんたちがお祭りしているよ!」

否定姫「インデックスちゃん、あれを見ちゃダメよ。将来干からびるまで生き遅れるから」

上条「うぅ…なんだか不幸な予感が……」


布束「一番不幸なのは、その括りに強制的に囲まれた私だと思うのだけど」

美琴「知らないわよ」

一方「ほっとけ」

打ち止め「わーい! ホワイトデーのお返しにフランス料理フルコースに連れてってくれるってミサカはミサカは自慢してみたり!」

馬場芳夫「恋人といる時の雪は特別な気分に浸れて好きです」

>>1「………///」カァ…ッ

こんばんわ、>>1でございます。
生存報告に参りました。
書いては手直し、書いては手直しと(いつもの通り)ダラダラグダグダと書いておりましたら2か月も離れてしまいました。ホントは4・18に投降予定だったんですけど。
目測20~40レス分かなりの文量である程度できているのですが、まだお見せできる出来ではなく、今週は投稿は無理っぽいので、来週まで待っていてくださいませ。
では、お楽しみに(してくれたらいいなぁ)。

次回、かなーりながーくなりそうですが、二回に分けたほうがよろしいでしょうか?

ローマの騎士団ってステイルに劣化盗作呼ばわりされてたやつか

こんばんわ………つーかおはようございます? 今日も暑くなりそうです。今日はパトレイバーep2ep3が上映ですね。
ep0とep1の出来が思っていたより良かったので見に行きますっ!
え、就活どうした? 知るか!

さて皆様、大変な長らくお待たせしました、続きを投稿したいと思います。
今回は2~3回に分けたいともいます。

>>335
そうです。あのローマなのに名前が円卓の騎士ってあれ。今回のオリキャラである聖ローマ騎士団が任務成功の報酬である正式な騎士団としての加入の折りにつけられる名前は『パロミデス』って設定(>>147より)ですが、パロミデスってなんじゃらホイと調べられても構いませんが、元ネタの騎士はまー軽いネタバレになるのでご注意ください……。
ちなみに今スレを書く一年前、騎士団メンバーの半生や綴りの設定も考えていました。

………徹夜でオリキャラ設定考える俺って…。

あれ、こんなこと前にも言ってなかったっけ?

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無音を貫く深夜の煉瓦街に、突如として甲高い音が響いた。近所迷惑など関係なしと存在を知らせるそれは、神裂たちを振り向かせるのには十分だった。

そのクラクションの音だった。

少し離れたところから、一台のワゴン車が近づいてきた。ハイビームからロービームに落されたライトが三人を照らす。ワゴンは神裂のちょうど真横に停まって、運転席の窓が開けられた。


「お久しぶりです、女教皇様!」


そこからヒョッコリ頭を出したのは十代半ばから後半の少女だった。久しぶりに主人に会った忠犬ハチ公のように神裂に笑いかける。


「………五和」

「あなた方を安全な場所までお迎えにきました!」

「それは助かります。ありがとう、五和」

「いえ、当然のことをしたまでです」


どうやら神裂と知り合いらしい。


「オルソラ殿、あの方は…?」

「天草式十字凄教の五和さんです。天草式は日本の切支丹の子孫で、神裂さんは元々そののトップ…まぁ、首領だったのです」

「あの若さで…? なるほど、ならばあの強さの理由に合点がいく」


錆が生きていた時代ではご法度だったが、それでも切支丹は九州などに大勢いた。もし彼らが多く生き残り、ひとつの集団となっていたとして、神裂があの若さでその棟梁だと言うのなら、とても弱い心を持ってやっていたはずがない。それに神裂は非常に敬愛されているのだろう。五和という神裂の部下だったらしき少女には何一つ邪念がない。神裂と似たような清純な雰囲気を放たれていた。

五和は誰かによって命じられてここに来たそうだったのだが、


「さ、みなさん、乗って下さい。聖ジョージ大聖堂なら、例え騎士でも悪竜でも守り切れます!」


神裂はその時いやな予感がしていた。―――行き先があの女狐の棲家ならば、その誰かとは語るまでもない。あの女の考える事だ、ロクな事ではないだろう。だがこの誘いを乗らない手は無かった。オルソラを一番安全な場所へと送れるのなら、考える暇など刹那もない。


「ありがとうございます、五和。―――オルソラ、錆白兵、乗ってください」


神裂はオルソラの手を取り、ワゴンへ乗り込ませ、得体の知れぬ鉄の箱に戸惑う錆を押し込んだ。


「これは……牛車のような物でござるか?」

「はい。大丈夫です。牛よりも安全で速いですよ」


オルソラが隣に座る錆に優しくうなずくと、運転席から五和の声が聞こえた。


「あれ? 女教皇様、乗らないのですか…」

「……?」

「…………。」


ドアから神裂を覗こうとすると、重々しい鉄のドアを閉められた。危うく鼻を殴打するところだった。しょうがなく窓から神裂を覗く。

「はい。追手が来ないとも限りません。私は徒歩であなた達の後を追い、殿をします」

「そんな…」


殿(しんがり)とはやってくる追手を足止めする役である。

ショックだったのか、酷く不安な声で五和が抗議しようとするも、その言葉が出てこず押しとどまってしまう。代わりに錆が代言した。


「神裂殿。それは下策でござる。相手はやり手、しかも十人。いくら神裂殿とて多勢に無勢。その役目は拙者も……」

「いいえ。それこそ五和一人では心もとないでしょう。錆白兵、先程の啖呵、もう覆すのですか? 私ではなく、オルソラを守ってください」

「………」


正論に二の句を押し殺された。もし神裂が万が一ひとりでも取り逃がせば、車は襲われ、オルソラはまた命の危険に晒されることになる。反論のしようがない。だが五和はめげずに、


「女教皇様。私でも魔術師の端くれです。そんなそこまで……」

「いいえ。今回ばかりはあなたでも危ないかもしれません。ここは、そこの錆白兵と共に…」

「……………」


反論をバッサリと返された五和の表情は苦悶だった。彼女の命令を取るか、彼女の命を取るか。―――いいや、神裂の思惑はただ殿をすることではないと、五和は悟った。


「まだ…私たちのことを認めてくださらないのですね」

「………………」


神裂は無言無動だ。それは肯定も否定もしないが、どうみても肯定としか見れなかった。口に出さないだけでも神裂の優しさだろう。だがそれは五和の心を酷く傷つけた。

その痛みには慣れているのか、五和は声を強めた。


「10分です。ここから避難場所まで、10分で到着します。そのあとは何が何でも聖ジョージ大聖堂に帰還してください。――――ローラ=スチュアート様がお話があるそうです」

「やはりそうですか。あの人のことですから、きっと無理難題押し付けるのでしょうね。――――承知しました。10分間、足止めします」

「ご武運を」


五和の言葉と同時に窓が閉まり始め、ほどなくして車は発進した。錆は五和に問う。


「よろしいのか」

「ええ。あのお方は昔から変わらないのです。あの方は、敵を引き付ける為ではなく、自身のせいで私たちを傷つけまいとしているのです」


しょうがないことだと、五和は自嘲した。あの人ほどの頑固はいないと、それを打ち崩す事はできない自分を恥てか。


「でも実際、本気になったあの方は最強です。例え魔人とか巨人とかも平気でぶっ飛ばすひとですから!」

「………」


自信満々でそう言われては返せる言葉はないが、確かに錆からみても神裂の腕前は極上なのだ。神裂のいう事は一理ある。ここは彼女を信じるしかないと、錆は腕を組んで目を瞑った。


――――尤も、10分待っても追手は来ず、神裂は聖ジョージ大聖堂に帰還する事になり、彼の心配は杞憂に終わる。


誰もいない夜。何も音が無い闇の中。時が停まった煉瓦の街。トップスピードは無駄だと知らず、一台のワゴン車は一心不乱に駆け抜けた。

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閑話だがここで別の話をしよう。

キィーーーンッと、甲高い航空機のエンジン音が響く。

ここはロンドン、ヒースロー空港。一機の旅客機が降り立った。キュッ、キュッ、キュッっと、灰色の滑走路に小さなタイヤがブレーキする度に、煙と焦げ臭いがした。

一般の航空機よりも一回り大きいそれは、一羽の鵬が翼を羽搏かせるみたいに大迫力だった。

数百mである程度減速させて右折し、安全地帯へと侵入し、停止すると―――そこに一台のリムジンがタラップ(乗り降りする為の梯子を乗せた車)を引き連れて走ってきた。

航空機の傍に停車し、タラップはリムジンと航空機の間に…大体『H』の字の様に停まり、梯子を航空機のドアへと伸ばす。

伸ばしきると、何者かが分厚い鉄のドアを蹴り破って這い出てきた。


「あー、あぁああ~~~~~………ッッ!! つっっっかれたぁぁああ!!!!」


伸びをしながら、ゲッソリした様子で、真っ赤なドレスを着た女が現れた。燃える様な赤だった。一瞬炎を身に纏っているのかと見えてしまうほど。

歳は20代後半。所々に革が使われているドレスは、ある感じボンテージを連想されるが、やはりドレス。それも最高級の物を召している。凛とした気品と烈火の如き威圧感を兼ね揃えた女は、笑えばさぞかし紅色の花の様なのだろうが、今はそれは無かった。

この女……いや、『この女』とはあまりにも無礼千万だろう。もしここに彼の騎士派のトップであり騎士道精神に篤い、騎士団長(ナイトリーダー)がいれば、即刻殺害されているに違いない。

そう、彼がこの場に居合わせているのならば、さらに、タラップの下に何十人もの一般市民やら観光客やらがいれば、彼はこう言い、叫ぶのだろう。


『こちらにおわすお方をどなたとこころえる。おそれおおくも今の英国王室の王女様にあらせらるるぞ! 頭が高い。控えおろう!!』


燃える炎の如き真っ赤なドレス。王室女王。

そう、“このお方”こそ、英国女王エリザードの次女にして英国の第二王女……キャーリサ王女その人である。


「あーあ。全く、こーゆーのは嫌なんだけどね。ずーっと椅子の上に座りっぱなしとか。一時間ちょっととかだけど、苦痛だったし」


>>187->>190
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「……なんだこれ」


姉の家で妙なものを見つけた。

炎みたいに燃える真っ赤なドレス。庶民である自分でも、それはセレブが着る超が三つ付くほどの高級品だと理解できた。とても我が姉に似合うデザインではない。

雲川鞠亜は、勉強机に向かって長期休暇の宿題を済ませる姉、芹亜に聞いた。


「コレ、どーしたんだ」

「貰った。どこぞの王国の王女様より、良い親交を持ちましょうだって」

「へー。嘘。何故に姉さんが」

「それを言われたら返す言葉はないけど……。ま、信じるのも信じないのもあなた次第ってね」


どこの都市伝説芸人みたいなことを言うなっ!

余計胡散臭くなる。

芹亜は教科書とノートを閉じ、シャーペンと消しゴムを筆箱に仕舞って、


「って言うか、あなたにそれを言う資格あるのか? その格好、そのドレス来た私より似合わないと思うぞ。まるでミツバチのコスプレみたいだけど」


実の姉がそう酷評する鞠亜の格好はフリフリのメイド服を黄色と黒に着色した、まさにみつばちハッチさながらのそれだった。

彼女は実の所、給仕…メイドの学校に行く、メイド見習いなのだ。

正統派メイドを自称する、その学校の同級生の土御門舞夏が毎度、その格好を芹亜以上に批難するほど、異色を放つ服装だ。

別に彼女は異端ではない。ただ特技がカポエラモドキの格闘技なだけで、ちょっと変わっているだけなのだ。―――まぁ、そんな小さな擁護をしても、誰から見ても異色であり異端であるのは致し方ない所であるのだが。


「そんなことより、これ着るのか?」

「着ない。元々私の友達の持ち物だったよ」

「友達いたんだ」

「失敬な。私の学校における評価を甘く見られては困る! 私を尊敬する後輩や、信頼してくれる先輩と先生方が沢山いるけど!?」

「それは単に敬遠されてるだけじゃないのかなー?」

「………それは……否定はしないけど、肯定もしない!」

―――いつもこんな感じで、姉妹仲良く口喧嘩…もとい三文漫才を繰り広げている。今回はここまでにしよう。

「で、姉さんは着るのか?」

「着ない。私には、そんなど派手なドレスにあわない。その友達は似合ってたから、全部ソイツに渡すつもりだったけど……――――なに、欲しいのか? どうぞ持ってってください。私には無用の長物。鶏肋と言うヤツだ」

「いらない。私、こんな真っ赤っかな服、好きじゃないし。なにこれ、広島カープ? テキサスレンジャーズ? それとも鹿島アントラーズ? もしかして某暴力サッカー大国のユニフォーム?」

「おまえ、貰ったお方の耳に入ってみろ。ロンドン塔で拷問満開全席フルコースが待ってるけど」


ロンドンと言う固有名詞を聴いて、鞠亜は目をぱちくりさせた。


「ありゃ? もしかしてこれくれたのってもしかして、大覇星祭で来客したあの王女様!?」

「想像に任せるけど」

「………………」


暫く黙って、


「あ、あらー…いいドレスだことー……着てみたいから貰っていーいー……? おねーさまー……」

「さっきと言ってるコト反転してるけど。もしかして売る気?」


まぁそうだろう。芹亜みたいにちょっとヤバメなバイトをしていない鞠亜にとって、低能力者の奨学金は生活をするだけで手一杯になる。そのうえ人探しなぞという、芹亜からすれば余計な出費をしているから、食費を切り詰め、光熱費を切り詰めて生活をしている。某ツンツン頭の後輩みたいな極貧生活を送っている。それでも学校では非常に優秀な成績を収めているのだが……それは件の恩人の捜索に当てているのだと言う。
だから万年金欠で、ロイヤルなお方の品物をその手の売人に売れば、かなりの金額になるに違いない。あの王女様の熱狂的ファン(マゾヒストな特殊人種の方々)は少なからずいるのだ。


「却下。本当にそんなことしてみなさい。あなただけじゃなくて、私も吊るされて鞭打たれる。私、そんな趣味はないけど」

「……ケチ」

「それより、宿題は終わったか? 直前になって泣き付かれても助けてあげないけど?」

「失礼な。私はこう見えても成績優秀! 宿題なんぞ、10日で仕上げた!」

「ならよろしい。あーあー、小学校の頃はおまえも可愛かったんだけどなぁ」

「それ、どういう意味かな?」


ドレスをクローゼットの中に仕舞う。


「時にさ、大覇星祭と言えば、鑢七実って人、どうなったのさ―――――」


芹亜はそれを聞いて、机の上にあったものを全て片付けて、そこに膝を突いた。そして本当に残念な顔をして―――――その答えを知るのはもう少し後の話。


「そう言えば、錆白兵って人、知ってるか?」

「ああ。名前ぐらいは」

「あの人って今、どうしてるのかね」

「さぁ、どうかね。ただ――――」


それも、もう少し後の話。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

閑話休題。

神裂火織が到着したのは夜明けより少し前だった。

ワゴン車の隣で、錆白兵は彼女の帰還をずっと待っていた。

手には魔法瓶の水筒と、暖かい茶が入った紙コップ。9月だと言うのに今宵は何故か肌寒かった。五和という少女が煎れたものだった。

3杯目の茶を飲んだところで、錆は神裂の影を発見した。


「おお、ご無事か」


安堵の溜息をして、錆は神裂に駆け寄る。


「敵は私たちが逃げたあと、諦めたようです。なにもありませんでした。―――オルソラは?」

「相当疲れたのか、聖堂で休んでおられる。神裂殿も相当疲れたと見えるでござる。休まれては?」

「私は大丈夫です。このくらいの徹夜は慣れてます。それよりあなたは?」

「拙者も神裂殿と同じでござる」


錆に連れられ、聖堂の中に入る。

重い両扉を片方だけ小さく開くと、そこには厳戒な空気だけが澄み切っていた。神道の神社の境内や本殿、仏教の仏殿や僧堂とは一線を引いた、神妙な気配が漂っていた。外は確かに静かであったが、ここは音そのものが無になっていた。――――ここに音無し。故に静寂。故に神秘の香りが肌を包む。

小さな蝋燭の灯りだけが、この空間を照らしていた。

まだ朝は来ない。だが壁に取り付けられたステンドガラスに映し出された朝日はさぞかし美しいだろう。

その真下に指差して、


「とりあえずお座りくだされ。疲れたでござろう」


錆は適当に選んだ近くの長椅子に腰を落とし、神裂が隣に座ると、水筒についていたコップに茶を注いだ。暖かい湯気がもわもわと明け方前の闇に溶けてゆく。


「今宵は何故か肌寒い。月は無く雲も無い故か、それとも残暑は過ぎたのでござろうか。ともかく神裂殿もその格好ではさぞ寒いでござろう。さ、これで温まってくだされ」

「ありがとうございます」


ステンレス製か何か解らない金属の器を渡された。その時、柔らかくて暖かいものに触れた。鉄ではなく、人の肌。錆の手だ。

少し興味がわいて、


「手、見せてもらっていいですか?」

「つまらぬが、良ければ」


神裂は手渡された茶を長椅子にひとまず置き、握るみたいに錆の両手に触れてみる。

甲は女である自分さえも嫉妬してしまうほど雪のように白く、美しい肌をしていた。モチモチとしていて、こうしているだけで心地いい。ほのかに暖かくて、人間らしさがある。が、一方、掌は真逆だった。剣ダコが多数あり、大きいものなら1c㎡ほどのがあった。掌は絹の布ならば、甲は正反対に、巌のようにゴツゴツしていた。

錆の剣筋は澱みがない。邪な気持ちは無く、澄んだ真水のようにしなやかで神秘的だった。

それは錆が剣士の鏡と呼べる人物だったからだ。―――この手は、そういう類の人間の手だ。この時代、ここまでのモノはお目にかかるのは珍しい。

気が付くと、つい嬉しくなって優しく握っていた。錆は少し顔を紅くして、


「………神裂殿、もうそろそろやめてもらってもよろしいか。少し、くすぐったいでござる」

「あ。―――ありがとうございます。ええ、綺麗な手ですね」


手を離すと、錆は何を感じてか微笑んだ。

今更だが、何で魔術師でもなく聖人でもない純粋なただの人間があそこまで技を業へと昇華させるのだろうと、何度考えても、こうしか思えなかった。


―――いったい、何回刀を振った手だろう。


千や二千じゃ足りない。万でもまだまだ。

これは日に三千は振るっている掌だ。一年で百九万五千。十年で一千九十五万。何という数だ。毎日欠かさぬ努力の結晶が両手に染みついていた。

―――ああ、この人には敵わないな。

この世には必ず才能が必要である。

剣の才能、知略の才能、力の才能から料理の才能、掃除の才能に至るまで様々あり、よく人は自分は才能が無いと言うが、それはただ発見できていないだけなのかもしれない。

そんな世論のなかで、自分は多才であり、そのすべての才が非常に優秀だと自負している。一つ一つが神に選ばれたかのように天下一の才能たちだ。間違いなく人は神裂のことを『神童』『神の子』『天才』など、崇め奉る存在だろう。

だが一つだけ、神裂は錆に敵わない才があると感じた。

―――努力の才能。

きっとこれさえ極められれば、剣でも知略でも力でも、料理でも掃除でも、この世全ての才能を極められることができる。一番大事で、一番強い、最強の才能。トランプのジョーカーの如きそれは、己を限界まで磨き上げた錆にとって、唯一無二の才に違いない。

彼の掌は、どんなきめ細かく絹のように美しい肌より、宝石のように綺麗だった。

神裂はそう感じた。

だが錆はそれを照れ臭そうにして、


「よく言われるでござる。まるで雪女の様だと。拙者は武人故、それは悪口のようで嫌でござった。もう慣れてしまったが……」

「いいえ。そんな事はありません。あなたは武人として最高です」


始めから無数の天下の才を持つ神裂にとって、それは少し羨ましいことだった。けどあまり口説く言うのは野暮だ。ここは黙っておこう。


「では、お茶、いただきますね」


二回息を吹きかけて一口を啜る。

焙じ茶だった。香ばしさが鼻腔をくすぐり、適温90℃の茶は体を温めた。―――美味しい。表情が緩む。


「あ、美味しいですね。これはあなたが?」

「いいや。これは五和殿が」

「…………そうですか」


緩んでいた神裂の表情が暗くなる。

それを見逃さず、錆は訊いた。


「なにか、五和殿と?」

「………」


神裂の表情がまた変わった。

―――あ、しまった。表情に出してしまった。

と、自分で自分を叱る顔。


「なぜ?」

「五和殿が自身が巻き込まれる危険を顧みずに手を差し伸べたというのに、神裂殿が殿役を買って出たのは、何か理由があるからでは?」

「それは言ったはずですよ」

錆は首を振った。


「否。それは言い訳でござる。拙者の眼からは、どう見ても五和殿と距離をとっている様に思えて仕方なかったのでござる」

「………」


神裂の表情がまた変わる。今度は固まった。口をきつく閉ざして、横一文字になる。


「オルソラ殿から全て聞いたでござる」

「………そう、ですか」


神裂はここで察した。

錆がずっとここで待っていたのは、問い詰める為だ。

錆は、オルソラを守ると言う大義を蔑ろにし、五和…天草式との行動を避けるためだけに別行動をとったことを、責める為に寝ずにいるのだ。

殿をしなくても、神裂、錆、五和の三人ならばなんとかオルソラの命は守れると分かっていながら、公事より私事を優先させたのだと。

ここは謝らなければ。

錆には深い心配と多大な迷惑を懸けた。


「申し訳ありません」


深く、頭を下げた。これで許される訳がないと知りながらの謝罪だった。きっと、錆はこれでも責めるだろう。

が、


「…………?」


なぜか、錆は首を不可思議そうに傾げた。


「あ、あれ?」


なぜそんな表情をしているのか、状況的に意味不明になった。こっちまで不可思議な顔をする。


「なんでそんな、変な顔をするのですか?」

「神裂殿こそ、なぜ謝るのござるか」


どうやら根本的なところを勘違いしていたようだ。


「えっと……では、錆白兵、あなたが何故私にそんなことを?」

「いや。拙者、オルソラ殿に神裂殿と天草式十字凄教の関係を耳にし、何故、神裂殿は組織を離れ、五和殿が歩み寄っても離れて行こうとするのか……それが、気になり」

「なぜ?」

「あの時の神裂殿の様子は、些か不思議に感じた故。それに――――慕っている五和殿にあのような態度は、勝手ながらも、失礼ではなかろうかと」


ああ、そう言う事か。てっきり役目を果たせよと責めているのではなく、人間関係を蔑ろにするなと叱ろうとしているのか。

なぜあんな態度をしたの!? と子供を叱る親のように。


「あなた、意外と野暮な人ですね。人の私生活に口を挟むなんて、常識的ではありませんよ?」

「……あ、いや、これは失礼。しかし拙者、生来から曲がったことや道理が通らぬことが大の苦手故、無意識に正そうと体が勝手に働いてしまう癖があるのでござる」


いや、面目ないと申し訳なさそうに今度は錆が謝罪した。

この男、冷静沈着で慎重な人格と思いきや、意外と熱くて、頭がイノシシなのかもしれない。そう言えば『薄刀 針』が刀ではなく工芸品として扱われると聞いた時は、涙を流していた。間違いない。この男はくそまじめが度を行き過ぎた人種だ。


「野暮ですね」

「ぅ……そこは責めてくだされ。だが、あれは神裂殿が悪い」

「それは…………うぅ………」


押し黙らせた。茶を啜って誤魔化す。何か口に入れないと、口の中が乾いてしょうがない。この男は人の本質を見抜く目を持っているから、本音をズバズバ見抜かれてしまう気がした。

その予想は的中する。


「何か、背負っているのではござらんか」

「………」

「言ってくだされ。拙者はそれが知りたい。それに神裂殿も、背中とあるものを下せば少しは楽になるのではなかろうか。 ―――五和殿を見た時の神裂殿の顔色は、少し蒼くなっていたでござる」

「…………」


言ったら、駄目な気がした。でも同時に悪くない気がした。何故だかわからない。ただあの――――錆に竹刀で斬られそうになった時の、『斬られてもいい』と思った時のように、この男なら本音を喋ってもいい気がした。錆白兵は信頼に足る男。今日一日を共に過ごしてそう思った。

ズバズバ本音を暴かれて、吐き出して、背中に圧し掛かったナニカを下したい、腹に抱えたナニカを軽くしたいという気持ちに流される。

流れに逆らうのは、辛いと思った。だが―――


「―――これは、私の問題です。あなたには関係のないことです」


これが最大の譲歩だ。確かに過去の出来事で問題がある。それは認めよう。だが、


「あなたにそれを言ってしまえば、私は私でなくなってしまう。この問題は、私しか解決できない問題です。あなたはそれを背負ってしまっても、しょうがないでしょう」

「………それでも」


錆は茶を息を吹きかけて冷まし、啜る。茶請けが欲しい所だが、ここはこの空間の冷たさだけで我慢しよう。


「それでも、行き詰っているのではなかろうか」


いきなり核心を突く言葉。


「自分で解決すると言っても、オルソラ殿や五和殿の話を聞く限り、何年も変わってはいないようでござる。なら、ここで全部話してしまえば、考え方は変わって見えて、あっさりと解決してしまうものでござる。人間関係は特に」

「……」


確かに、そうかもしれない。だが――――。


「あなたに協力してもらうつもりは……」

「端から神裂殿の問題を共に解決しようとは毛頭も思ってはおりませぬ。これはあくまでも、神裂殿が決めること故、未熟な拙者は手出しが出来ませぬ」


協力してもらうつもりはないと言う前に答えを返されてしまった。それも反論ができない返答を。また押し黙らされた。この男は剣の腕もたつが口も達者らしい。

錆の横顔は微笑み、最奥の神の子の偶像を見ていた。


「それに、教会とは神に祈りをささげると同時に、罪を懺悔する場と聞く。もとより懺悔の場。辛いなら、吐いてしまっても構わんのでは?」


ぐらりと、神裂の心が吸い寄せられる。

ああ、この男は本当に野暮だ。人の心を即座に見抜くと、その隙間に涼風を心に吹かし、温もりを与え、人の心を変える。

唐突に、あの少年を思い出した。神裂とステイルが長い年月をかけて必死に救おうとしたインデックスを簡単に助けてのけた、あの特異な右手を持つ少年。そう言うところを比べれば、錆と少年はよく似ている。

少年は善良なる存在だ。如何なる闇を拳ひとつで叩き割る、正義に篤い性質の人間。彼を遠目から見てみると、インデックスはとても楽しそうで、幸せそうだ。神裂も、錆と一緒にいると楽しいし、心地いいと感じた。

やはり、同じ彼らが性質を持つ人間だからだろう。

―――敵わないかもしれない。

長い息を一つした。降参の溜息だ。


「――――確かに、ここには誰もいませんね。本当なら懺悔室に入らなければならないのですが、盗み聞きする不届き者がいなければ、外も中も変わりありません。いいですか、これは誰にも言わないでくださいね」

「誓っても」

「では、どこから話しましょうか……―――では、聖人の力のことから……」


ここから神裂の自分語りが始まった。まず、自分の生まれながら神の子と同じ体質を持ってしまったこと。神の力の一端を肉体に宿し、常人とは比べられぬ力を持っていること。強すぎる力と幸運で、自分に災厄が降りかからず、そのせいで自分以外の人間が不幸になってしまったこと。
―――自分が幸運を貰う代わりに、誰かが不幸になるのが、耐えられなかったのだと。


「私が天草式のみんなを避けるのは、そのためです。あまりにも私に光が当たり過ぎるから、私が眩しすぎるから、みんなに影を落とさせてしまう。そのせいで何度、彼らを殺しかけたか……。だから私は自分が独りになれば安全だと、天草式を抜けたのです。―――あれしか手は無かった」


錆はずっと聞いていた。一言も口を挟まず、ただずっと神裂の語りに耳を傾けていた。


「なる程。つまり、不幸の種は自分にあり、自ら遠のいたと――――」


悔しそうな、難しそうな、そんな複雑な顔で、ずっと天井を仰いで、こう述べた。


「なんと愚かな。―――いや、神裂殿を罵っている訳ではないのでござるが、それは些か短絡過ぎたのではなかろうか」

「………まあ、あなたがそう思うのなら、確かに考えが単純すぎたのでしょう。おかげで彼らとの関係が複雑になった。………ですが、本当に、これしかなかったのです。
それにこれは私の罪です。私がいなければ彼らはあそこまで傷つかなかったし、私について来ようとしなかった。私が独りになれば、それだけで救えるのなら安いものです……」

「それであの時も、自身の代わりに誰かが不幸になることを避け、個人行動をとったと」

「はい」


今度は錆が溜息をした。


「ところで神裂殿。オルソラ殿は一日ずっと共に過ごしていたが、どうでござった」

「……? それは、まぁ、いつも通り普通でしたけど…」

「では、他の方々は? 誰かが神裂殿のせいで不幸になることは?」

「……………それは」

「ないのでござろう?」


錆は苦笑して、なんだ簡単なことではござらぬかと、諭す。


「普通に過ごせば何もない。神裂殿のその体質は自身が危険な時にのみ発生すると考えると、平和な日常では誰かが不幸になどなりはしない。なるとしても余程のことではなかろう。ならば神裂殿は安心なさった方がいい」


よくよく考えてみれば、そうなのかもしれない。それなら一日はオルソラと錆と共に過ごしたが、大した『不幸』には出くわさなかった―――いや、ギャングには襲われたが、あれはどうなのだろう。

錆が困った顔をして、


「神裂殿も人が悪い。あれは………まぁ、拙者の所為でござる。神裂殿には非はあるまい」


笑って見せた。

錆は嘘をつかない。そしていつも本気だ。だから、錆が本気で言うのならば、何だか、錆の話は何とかなりそうな気がしてきた。彼の言葉は暖かく、頭や心に絡まった糸を湯に溶かして解いてゆく。

なら、ついでに、これだけは訊いてもいいのだろうか。


「………では、これは個人的な相談なのですが、訊いてもいいでしょうか」

「相談事の一つや二つ、なんなりと」

「そこまであっさり言われると逆に言いづらいですね……」

「ふむ。天草式の方々もでござるか?」

「彼らは私から避けてしまったため、きっと良くは思っていないでしょう。彼らとの関係を改善する為にはどうすればいいのでしょう」


錆はハッキリと応えた。


「それは単純に、彼らに謝った方が手っ取り早いかと。複雑な物事ほど単純な手をこうじるのは……武芸にしろ人間関係にしろ同じこと。こっちから謝罪すればあちらは酷く言わないでござる。―――それに、まったく神裂殿のことを悪く思ってはおりませぬ。五和殿を見れば一目瞭然でござる。
それに、接するのならば友人として接すれば、神裂殿は楽でござろう。戦闘時以外で接すれば彼らの安全は確保できるでござる」

「…………ありがとうございました」


ともあれ、神裂の錆への人生相談は終わった。何だか肩の重みが軽くなった気がして表情が柔らかくなった気がする。


「うん。神裂殿は、いつも眉間にしわが寄って怖い印象があったが、今のような表情は良いでござる」

「……え、そうですか?」

「神裂殿も女子。武人としての表情は好きでござるが、そう言った表情も捨てがたい」

「やめてください。照れます…」


特に錆のような美青年に言われたら、普通の少女なら即昇天だ。顔を林檎みたいに紅くして、フラフラと倒れるだろう。

ところで、ローラ=スチュアートはどこに行ったのだろう。


「ローラのことですから、私が来ているのはわかっている筈なんですが…」


それにしても、いつも独りでダラダラしているグーダラボッチこと最大主教は一体、どうしたのだろう。神裂をここに呼びつけたのは彼女だ。


「拙者が来た時にお見受けし、五和殿とオルソラ殿と共に奥へ行ったきり、戻ってこないでござる」

「もしかしてほっぽって寝ているのではないでしょうね」

「確か」


『淑女には深夜の夜更かしは天敵なりけりなのよ~……ふぁぁ~』


「と、片目を擦りながらだった故、もしかしたでござるな」

「まったく」

「ははは、まぁまぁ。―――………時に神裂殿」

「はい、何でしょう」

「ローラ殿のあの妙な口調、あれは何か重要な理由があるのでござるか?」

「…………あー、特に意味は」


あのエセ陰陽師の悪戯だなんて、学園都市に成敗しに行きそうで、言えなかった。

ともかく、この会話はとてもためになった。礼を言わなければ。


「ありがとうございました。とても勉強になりました」

「いや、未だ若輩の拙者に、人に説教をする程、徳はござらん。拙者の意見はあくまでも参考にと考えてくだされ。本来なら、こういう役割は僧侶でござる」

「………まぁ、その聖職者が実は私だったりするのですが…。それにそのトップがあれですからね………。―――ああ、いいえ。それでもあなたの言葉は正しいと思います。また相談ごとがあれば、乗っていただいてもいいですか?」

「拙者で良ければ何なりと。喜んで頂き感謝の極み」

「感謝するのはこっちですよ。いつか是非お礼をさせてください。あなたには何か返さないと、割に合わないですから」


と、そこで何故か錆は首を振った。礼はいらないと言うのか。それとも、



「それは今で宜しいか」

「え……しかし、今。私に何か譲るものが……」

「いや、神裂殿は拙者の頼みで、言いたくもないことを拙者に話してくださった。不躾な男が神裂殿に対してこれは無礼千万。―――今度は、拙者の番でござろう。ちょうど、拙者についての話は途中だった故、ここで話しておきたいのでござる」


そうだった。錆の話は敵襲で中断されていたのだった。ここは―――。


「はい、是非とも聞きたいです。なぜ、あなたが若くして聖人である私に勝利するまでに腕を上げたのか。そして、あなたの特殊能力とは、『薄刀 針』とは一体何なのですか!? 私、気になります!!」


錆白兵という男は実に謎多き男である。

いきなり現れ、べらぼうに強く、気高く、礼に付くし、義に厚く、徳が高い、完全をそのままにした男。人格はほぼ大よそ把握している。完璧な善人なるこの男を一日で理解し尽くした。だが、それに至るまで過程が理解できなかった。二十歳そこそこの歳で、そこまでの高みに昇らせた何かが、想像もできない。

人の全ては過去の積み重ねだ。コインを無数に積んでいって、未来と言う高みへ昇ってゆく。人の違いは、積み重ねるコインの厚さによって昇る高さが変わってゆくのだ。

現段階の高さが在り方なのだ。

神裂からすれば、この男の在り方が謎だった。すでに途方もない高みにいる。


「あなたは天が授けた才能でいきなり強かった訳ではありません。あなたをそこまで強くさせたのは努力の結晶です。ですが私はその努力の源がわからない。それに至る何かが、あなたのその強さに関係している筈です」

「……………ふっ、神裂殿の勘はやはり鋭い」

「……ではやはり」

「ですが、少し外れでござる。もう一つ、今の錆白兵という剣士がここに至る理由には、たった一つのある要因でござる。ただそれだけ、ただそれだけでござる」


剣ダコだらけの掌を開いて、じっと見つめている。その一つ一つに彼の努力が…歴史が刻まれている。それを今から紐解こうと、錆は握り締めた。


「さて、まず何から話そうか。そう、まずは―――――――――――――」


錆は語る。

我が生涯とその終わりまでを。

その語りは朝まで続き、語り部の口が閉ざされる頃には、壁に掛けられたステンドガラスに朝日が刺し込んでいた。







物陰に隠れた金色の髪が、チラリと見えた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「………………………」


雑木林の木の上で、一人の男が双眼鏡で聖ジョージ大聖堂を観察する。

―――やはり、あの結界は突破できないか。

流石は魔術の総本山。十人の仲間の力を合わせても攻略は難しい。そして標的はあの中だ。もう出てこないだろう。


「…………ならば」


ならば、策を講じるまで。身を包むマントから鐵の手甲が姿を現す。色は金。太い腕が懐から一本の万年筆と一枚の羊皮紙を取り出し、つらつらと文字を記した。

虎を虎穴から誘き出すには、虎穴に入るのではなく、外にいる虎児を晒す事。既に虎児は手中にある。ロンドン市内にいる全市民だ。彼らを人質にする。非人道的だが異教徒だ、問題は無かろう。

依頼主がなぜ自分たちにこのような依頼をする理由は、失敗すれば即切り捨てる為だ。『我らとは関係のない』と言えば、ローマ正教の安全は保たれる。まぁ成功すれば、我が騎士団の魔術によって何事も無く日常は回転する仕組みだ。最初から犠牲を惜しまない手段でやれば、ここまで面倒にはならなかった。

背後に、気配が現れる。10代後半の若者だった。


「儀の準備、できました」

「大義である。―――ついでに、この文を聖ジョージ大聖堂に頼めるか」

「は」


青年は羊皮紙の文章を少し呼んで、


「これは……?」

「ああ、明日でこの地とはさらばだ。」


男は踵を翻し、姿を消した。


「全団員に通達。日が昇る前に集合せよ、とな。―――予定通り、明後日、神裂火織に決闘を申付ける」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

あれから二日がたった。

今は夕暮れ時。神裂は愛刀の手入れをしながら、


「なにもありませんね」


と、長椅子に座り、資料を読むオルソラに呟いた。


「ええ。なにも。―――――あの、果たし状以外は」

「はい。まさか、あそこまで古風とは思いませんでした」


あれから丸一日、ずっと聖ジョージ大聖堂で過ごしていたが、特に変わったことが無かった。当然か。ここに特攻をかます猛者がいるとするなら、それは勇敢ではなく蛮勇である。

今は夕暮れ。決闘の日時は今宵、月が天に昇る頃。

神裂とオルソラは互いに、敵の対策を練っていた。神裂は剣の手入れを。オルソラは『ローマと騎士団』についてを調べていた。神裂の場合はいつもと変わりない作業だ。だが、オルソラの方は成果は芳しくなかったようだ。分厚い資料の本をパタリと閉じる。


「駄目です。“十字軍の資料”ならごまんと出てくるのございますが、やはり、『聖ローマ騎士団』という組織は……。参りました。ローマにいた頃から謎が多い、まるで都市伝説じみた存在でありましたから、私が知っている情報も当てに出ません」

「恐らく彼らは私ことは研究済みでしょう。果たし状を送り付けてくるのは、絶対に勝てるくらいの自信がある証拠です。対して私は、彼らについて殆ど何も知りません。……弱りました。戦いは情報量が決めてになることが多いのに」


苦い顔で七天七刀を鞘に納める。―――切れ味は最高状態だ。これ以上、霊装の状態向上は見込めないだろう。


さて、あの夜……いや、ローラが現れたのは錆が自分の過去を語り、錆が神裂によって己の現状が『死んだあと蘇生されて異世界に飛ばされた』とキチンと把握した後、早朝だった。登場早々に吐いたセリフがこれだった。


『ふぁ~。あら、早いわね。おはよう…』


と、眠そうに片目を擦りながら徹夜して待っていた部下に対する謝罪の言葉もなく、寝起き顔での挨拶に、神裂はブチ切れ、水平飛び込み型ライダーキックを顔面に叩きつけた。

『テメェ、こっちが散々待ってたのになんだそれはッッッ!!』

『グヘッ!』

『か、神裂殿っ!?』


なにせ大覇星祭のいざこざからの彼女に対するイライラがここで爆発してしまったから無理はない。堪忍袋の緒が切れるとはこれのことだった。

仰天した錆が裏返った声でマウントをとって今にも聖痕を開放し、顔の原形がなくなるまでフルボッコにしてやろうかとホンキで考えていた神裂を必死に止めたのだが、結局オルソラを狙う者たちが何者で、なぜこのような事態になったのかを、焼いた餅みたいにぷっくりタンコブを頭頂部に飾ったローラから聴いたのは、神裂の怒りが収まったあとだった。

それから丸二日、かつて神裂が所属していた天草式の調査資料を読み、さらにローマ正教に潜む間者の報告書を漁ってみても、戦いに有利になる有益な成果はなかった。まだまだ天草式が調査に回っているらしいが、恐らく戦いには間に合わないだろう。今あるネタで対策を練らねば。


「ある情報と言えば、彼らが十人一塊。例えて敵が一人でも十人で戦う者たちで、魔術戦より格闘戦を好み、そして“異教徒と宣言すれば誰でも敵に、キリスト教ならば誰でも味方に付かせる魔術”を有している……ですか」

「聞いたことがございます。十字軍のエピソードをモチーフにした術式でございますね」


―――聖地エルサレムを異教徒から奪還する為、対イスラム教領地への侵略が十字軍遠征であるが、それは正義ではなく悪逆非道だったと伝えられている。

1096年から1099年。第一回十字軍遠征の時に、時の教皇だったローマ教皇ウルバヌス2世がキリスト教徒に、『イスラムへの遠征に参加した者には、免償(罪の償いの免除)がされると宣言した。これにより、多くの騎士たちが参加し、イスラムを攻撃した。

むろん祖国より遠く離れた、補給の無い旅路である。それらは基本、現地調達が通常なのだが、恐ろしいことに騎士たちは旅の先々で平和に暮らしていたイスラム教徒支配下の都市を攻略しした後、略奪・虐殺・レイプを繰り返した。だが相手は異教徒。(彼らからすれば)絶対的正義であるキリスト教の徒であり、しかも免償がされる我らには、何をやってもいい。彼らは何をしても、例え悪逆非道であったとしても、赦された。故に異教徒を屠り、神に逆らう不届き者を罰しても、その悪徳は赦される善徳であることになる―――。


「キリスト教の敵である者には神罰を…ですか。しかし厄介ですね。キリスト教とは関係のないイスラム教や仏教ならまだしも、同じキリスト教でもその効果は発揮できます」

「同じキリスト教圏の領地で、領民もキリスト教徒なら、特定の人物を『神に逆らった者』と宣言すれば、“例え同じ宗派のキリスト教徒でも、術に嵌った領民全員から異教徒と変わりなく弾圧されるらしいでございます”」

「まるで同じキリスト教なのに魔女だと、宗教裁判に掛けられたジャンヌ=ダルクの様ですね………―――と、すいません」

「いいえ、私も宗教裁判に掛けられそうになったのですが………それよりも」


悲しそうな顔をして、オルソラは下唇を噛んだ。

そうだ。彼女が良くしてもらった神父とその一団も、“この魔術によって壊滅させられたも同然なのだ”。報告によると、神父は倒され首を刎ねられ、なんとか生き残った若者はその土地で良い友になった人々から石を投げられ、結婚したその土地の娘にも刃を向けられたそうだ。

手を握りしめると、拳も声も震えた。


「天草式の皆さまも、良くお調べになられました」


それは、自分も同じ末路になるのかと恐れてか。それとも、死して首を刎ねられて神父や妻と友に裏切られた若者を思ってか。とりあえず、この術式は非常に厄介であるには変わりない。なぜなら、


「問題は、この術式が私たちに向けられる一歩手前だということでございます」


送られた果たし状の内容はこうだ。


『―――オルソラ=アクィナス殿、神裂火織殿。
明後日の天に月が昇りきる頃。神に逆らう大罪人オルソラ=アクィナスの命を賭け決闘せよ。
諸兄らが決闘をしていた草原にて待つ。
もしものことがあれば、諸兄らに神の鉄槌を、親、兄弟、親しい友らの手によってくだされるであろう―――』


「具体的ではありませんが、最後の一文はそうとしか思えません。もし今日の夜、錆白兵と戦ったあの場所に来なければ――――」

「ロンドン市民の皆さまどころか、必要悪の教会から騎士団の方々が私たちを一斉に攻撃する……と、いうことでございましょうか」

「これほど恐ろしく質の悪い魔術はありません」


軽い暗示のようなものだ。

魔術を使わなくても、自分らを知らぬ者たちに、ニュースで『凶悪なテロ組織の幹部です! 殺してくれた方に1億円!』と大々的に報じれば人が津波になって押し寄せてくる。良く知る者たち…たとえば魔術師仲間なら、『イギリス清教を裏切り、ロンドンを壊滅させようとしている!』と信じさせれば大挙として攻め立ててくる。

この魔術は…『十字軍宣言術式』と呼ぼうか。それは大きな手間を大きく省き、即発動できる術式だ。彼らはその権利を持っている。

戦いを拒否すれば即お尋ね者。ロンドンは島国だから、陸空海路を潰されれば生きて島から出るのは難しい。なら、道は一つしかなかった。

「従うしかありませんね」

「はい……」

「もう時間が無い。致し方ありませんが、まったく情報無しで戦いに臨むしかないですね」


と、その時だった。


「神裂殿、五和殿はお見えになったか。この様な大変な素材と道具をいただいたのだが……」


部屋に、錆白兵がやっていた。


「いいえ。きっと台所の方でしょう。先程、お茶を淹れに」

「左様か」

「その木刀はあなたが?」


手には一振りの木刀があった。薄刀とは遥かに劣るが、いかなる棒状の物を刀に出来る錆なら問題あるまい。

神裂は五和が調査の報告をしに来た時、堅い木材と小刀やヤスリなど工具を錆に渡していたのを思い出した。

それからずっと木刀を造っていたのか。

観察してみると、職人が造ったのかと疑ってしまうほど見事な作りだった。


「手作りですか。見事な出来ですね」

「幼い頃は鍛錬用にいつも造っていたのだが、我ながら今回は傑作でござる。これなら戦いに耐えられよう」


そう一晩限りの相棒にそう期待を込めると、お盆を持った五和が入ってきた。


「あ、錆さん、出来たのですか?」

「この通り」

「わぁ、すごいですね!」


急須と湯呑三つをテーブルに置いて五和の手が空いたうちに錆から工具箱を受け取った五和は、工具箱をテーブルに置いて急須に茶を入れながら答えた。


「お疲れ様―――はい、お茶です。これでも飲んで、一息ついてください」

忝いと、湯呑を受け取って、


「未練たらしいのだがしかし、オルソラ殿の一大事、あの刀さえあれば如何なる剣客にも負けぬのだが……」

「『薄刀 針』でしたっけ…?」

「左様。五和殿、なぜそれを」

「オルソラさんから聞きました」

「そうでござったか」


錆は言う。あの刀に勝る日本刀はこの世界に永遠にない、と。


「数多の剣客と鍔を合わせた拙者があらゆる名刀・業物を目にし、耳にしても尚、薄刀は別格。―――――出来るのなら、この戦いで使いたいのだが……出来ぬのが残念でござる」


あの決闘は錆の勝利だが、錆が神裂の竹刀を壊してしまった為、錆が『薄刀 針』の所有権を辞退ししまったのだ。武士の二言は嫌う故に錆は、『薄刀 針』を手から話したのだが、まだ未練があるようだった。

もっともそれは『神裂の竹刀』が出来れば、の話だが……。

錆はそう言う事は頑固として誓いを守る男であるのだ。

「神裂殿、これが件の果たし状でござるか」
「はい」
「読んでも?」
「お好きな様に」


錆は神裂らに邪魔にならない所に、手入れ道具一式が入った箱を静かに置くと、たまたま目に入った果たし状の羊皮紙を手に取り、フムフムと読み始めた。

「なるほど」
「英語も読めないのに何がわかったのでございますか?」
「いや。筆跡を」
「筆跡を?」
「左様。聞いた事はござらんか。人の書く字には、性格が現れると」

五和が手を上げた。

「あ、知ってます。俗に言う筆跡診断ですね」


日本語なら特にそうだ。書く文字の払いや縦、横の線の長さによって人の性格が違う。

元々、文字とは『呪』の一種だ。現代まで日本でも使われる、古代中国の漢字とて、源流を辿れば亀甲獣骨文字…即ち『占い』の道具であり、商周時代、当時では『文字を書く人』=『占い師・術師・呪師』だったと言われる為、意識はされていないが、ルーン同様、漢字は魔術の記号だと考えられる。かつてシェリー=クロムウェルが学園都市でぼやいた用に、複雑怪奇な形状である漢字は一文字の画数が多く、また意味も多様だ。

故に人の魂の形が無意識に反映されやすい。

漢字の怖いところは、性質上その文字の書き方で書いた者の魂の性質までもが把握されるところで、その手の魔術師は己の筆跡を隠す者もいるほどだ。今現在、漢字を呪として扱う魔術師は汎用性も応用性も高く、積み重ねれば大魔術に発展できるが、習得が難しい為いない。まぁ、天下に大きい影響力を与える魔神クラスなら話は別だが、それでもなに、いちいち紙に書かずとも、口にすればそれで発動する。それに言葉とて魔術になるえるのだ。そう、呪文の詠唱として。

言語には主に二系統ある。一つはその一字でモノの状況や形状を表現するモノ(たとえば漢字。漢字は文字が主体の言語だ)、もう一つは一つのモノの状況や形状を複数の音で表現するモノ(たとえば英語だ。英語は音が主体の言語だ)で、奇しくも西洋と東洋で二分されているが、呪文としてならどちらも成立できる。

なぜなら、文字で書こうが言葉に発しようが、どれも同じ結果しか生まないからだ。

字と音、この両方を同じモノを表しているのなら、文字で『お前を呪う』と書いても、言葉で『お前を呪う』と唱えても効果は代わりないからだ。その逆も然り。『お前を呪う』と書かれた文字を唱えても、『お前を呪う』という言葉を書き記しても、大して違いはない。違いと言えば一瞬で消えるか、媒体が消えない限り永遠に残るぐらいなものだ。

さて、もし東洋の書く文字『呪』のように、西洋の唱える音『呪』が同様のモノであるならば、書く文字に魂が乗るとして、唱える音にも魂が乗ることになる。実際、日本の呪いに『言霊』があり、仏教の経も神道の祝詞だって巻物や紙に書かれた『呪』を声にして唱えるものだ。

唱えると書く。それぞれに魂の性質が別々に現れるということになる。ならば、もし口から出る音…即ち『話し言葉』を指で書く文字で魂が刻まれるとしたら――――――この羊皮紙に書かれている一文には書いた者の魂は、『詠唱』と『記述』の二つの方法によって刻まれ、二重に色濃くここにあるということなのだ。


そう、神裂なりに考察してみたが、所詮は空想理論。

だがしかし外国語には筆跡診断で性格がわかるなど聞かないが、どの文字でも『書き方』は誰も違うのは確かだ。よって、簡単に人の魂の性質が調べられる。

五和も同じことを考えていた。


「例えば、線の細く丁寧な字を書く人間は気が小さく几帳面、逆に太く雑な人間は大雑把な性格をしている……のような、そのような意味合いで、人が書く文字の形によって性格が出るんです。警察の調査にも使われてたりします」

「左様。まぁ、忍びなどはあえて筆跡を変幻自在に変えるらしいが………どうやら、この男は、自らの目標の為ならば如何なる犠牲もいとまない、冷徹な性格をしているようでござる。ここまで潔癖なほど整理され、一画たりとも乱れがなく、それでいて堂々と書かれている様は珍しい。相当な完璧主義者かと思われる」


ぺらりとこちらに文章を見せてきた。

オルソラが目を見開かせて興味津々に、


「そんな具体的にわかるものなのでございますか!?」

「いや、単なる印象に過ぎないでござる。が、些か捨てたものではないかと」

「?」

「差出人の名はないが、果たし状など、大きな行動に出るのは下の者では難しい。よってこれは騎士団とやらの首領が書いた物。潔癖症の完璧主義者ならば、対神裂殿として入念に戦略を練り、万全の体勢で一辺の誤算なく神裂殿を討ち取ろうとする筈。その男の手足となって九人の騎士共が動くと言うのならば、付け入る隙は―――――有る」


自信満々と言った表情だが、神裂は些か信じきれなかった。


「何か確証があるのですか」

「いやいや。もし本当にこの差出人が騎士団の首領で、拙者の見込み通り冷徹な男ならば勝算は少し有りかと。三国志の董卓や曹操然り、冷徹である人間は予想だにしない出来事に簡単に倒れるものでござる」


董卓は信頼していた呂布に裏切られ死し、曹操は完全勝利を疑わなかった赤壁の戦いで周瑜の計略によって敗走した。共に予想だにしない出来事に敗れた者たちだが……それにいったいどんな意味があるのだと言うのか。


「拙者にひとつ考えが―――――」


決闘まで、あと六時間。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

神裂たちがここを出てから三時間は経っただろう。午前一時十三分。

静かになった聖堂で、長椅子でずっと考えている最大主教ことローラ=スチュアートは、ここ一時間、難しい顔をしていた。

――――今、一計を案じている。


(このままでは不味いかもしれない)


相手はローマ正教の懐刀。断罪の刃。正義を語る狂気に満ちた軍集団。かつての十字軍を思わせる凶悪さを見せる騎士たち。それらとイギリス清教『必要悪の教会』の最大戦力の一つである神裂火織と激突するのだ。

既に彼女は決闘へ、オルソラ=アウィナスと、錆白兵という未知の世界から来た剣士と共に、プリムローズ・ヒルへと発った。故にこの場は静かで、考えるにはちょうどいい。ここで言ってしまうとあれだが、ローラには心配する事は無い。自分は、あの狂気の集団に聖人である神裂が敗ける訳がないと思っている。何しろ二十ある神の子の再臨の一だ。凡百の騎士魔術師とは格が違う。あれこそが本物の『強さ』なのだ。

何かの付与が無い限り、神裂が彼らに敗けることは絶対ない。だが、今回は例外だ。無数の魔術師や騎士を葬ってきた彼らには、ある特徴がある。それが神裂に心配をかける要因だった。


現在、ローラの手元には数々の情報がある。天草式十字凄教がヨーロッパ各地で集めてきた敵についての情報。


それらを見て考える限り、彼らが宿すのは人の限界(リミッター)を超えた賦与だった。聖ローマ騎士団……人の限界の十乗の出力で襲い掛かるあの集団は、謎が多い。故に万が一の敗北がある。

しかも彼らが一つ声を上げれば、百万ものロンドン市民が大挙としてイギリス清教を攻めてくる可能性がある。そうなればローラの命どころかイギリスは内乱状態に勃発する。

――――この場にイギリス清教が誇る魔術の叡智である禁書目録があれば対処法の一つや二つ講じれるのだけど……。

彼女は今、学園都市にいる。電話で聴きたい所だが、残念な事に彼女自身にも監視役の少年にも何度呼びかけても応答がない。こんな時に何をやってるのか、あのツンツン頭の少年に問い質したくなってきた。いっそ、土御門元春にしょっ引いてもらおうか。

兎も角、今はいないものに文句を言っても埒が明かない。こうなったら苦肉の策しかないが……。


「………………………致し方なかろうね」


長い溜息をして、近くにあった机に移り、羽ペンにインクを染み込ませ、正式にイギリス清教最大主教としての紋章が描かれた洋紙にすらすらと文を書し、最後にサインを記した。


「これが、一縷の望みなりけりってね」


ローラは手を叩くと、音もなく背後に影が現れる。


「何か」


影はまさに影だった。居るのか居ないのかはっきりせず、そこに居た。いや、在ったと言う方が正しいか。影がその気になれば、秀でた武芸者とて隣にいても小石と思わせてしまうだろう。

まるで気配を断つ暗殺者のようだった。いやその感想は的を得ているだろう。それもそのはず。この男は忍びを名乗る者。ずっと彼女の背後に、あたかも幽霊の如くすっと気配を隠し、蟷螂の如くじっと主の命を待ち、蜂の如くずっと守護し、時には隠密行動として各地に蝶の如く飛び回っている。

つい最近、“いきなり現れた”男で、あまりにも面白かったから飼うことにした。執事紛いなことをさせていたのだが、案外使える人材だったため、今はこうして側近として傍に置いている。

特技は忍者らしく暗殺で、反清教派の政治家などをヒッソリ殺しているから使い勝手がよく愛用している。ロンドンと言う街の良いところは、そう言ったコトは怪談として事実を歪ませられるところだ。


「バチカンにこれを。ファックスでいいから、あなたのお仲間に伝えてちょうだい」

「御意」


いつの間にか、影は消えていた。元々あの男は煙か幽霊だったのかもしれない、と思えるくらいに静かに、彼はどこかへ移動したのだろう。


(さて、無事に返事がくればよきことなのだけれど……)


窓から外を見上げる。空には明るい月が出ていた。今頃、決闘は始まっているだろう。すでに“敵の術式は始まっている”。昨日は無月で真っ暗な夜だったが、今夜は明るい。神裂にしても戦いやすいだろう。ステンドガラスから月明りが差していて、この部屋も特に明る――――



――――……いや、ちょっとまて。



「………………なッ?」


“本来なら有りえない現象”を目にして、ローラは目を疑った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

風が舞う。

随分秋らしい風の香りがした。

冷たい空気が素肌を撫でる。


空には細い月が出ていた。満月には程遠いが、決闘の夜には幸い明るく、夜目が利かずとも十分に足元は見て取れる。


そして、丘の下の街の風景は美しかった。月明りに照らされた街並みは、かつての栄光ある優雅な都と遜色はない。その象徴の一つと言われる巨大な時計塔…ビックベンの時針と分針が、今、縦真っ直ぐに重なった。

現時刻は丁度、零時。

日付が変わる、日と日の境。

そこに三人の影があった。

ひとりは修道服に身を纏い、裏切者のシスター、オルソラ=アクィナス。もうひとりは白い総髪に白の和服を来た美貌の剣士、錆白兵。

そして最後は黒髪を後ろに束ね、2mの長刀を腰のウェスタンベルトに差す美女、神裂火織。

舞う風に身を躍らせながら、じっと、敵の到着を待っていると、ほどなくして、殺気が一本の矢となって心臓を貫いた。


「――――来たか」


錆の視線をその下に向けると、殺気が鉄の音となって、丘の向こうからやって来た。


がちゃがちゃがちゃがちゃ


時代錯誤の音がする。

それはかつて、バチカンからイスラムへと進軍した十字軍の進軍の足音と何ら変わりはなかった。

剣と斧と槍と鏃が鎧と交わって生じる凶器の音。ただの殺人機械となって襲い掛かる狂気の音。ただ魂を捧げた唯一無二の彼らが神の為に向かってひたすら歩き続ける狂喜の音。

姿が現れる。

背後には弱々しくも燦々と輝こうとする繊月。

一直線に重なる様に、横一列となって彼らはやって来た。

十の影。朝のマントに全身を隠し全身を見る事は叶わずとも、身長に高低差はあれど、影の一人一人は一騎当千の古強者だと、一目で理解できた。精神的、肉体的、技術的、どれもが武道の為に、己が信念の為に、完璧に鋼として鍛え上げられていると、その気迫で感じ取れる。


(これほどの者たちか、なるほど)


噂では強い訳だ。

―――聖バチカン騎士団。

オルソラ=アクィナスを裏切者として、裁きを下さんとする断罪者を名乗る集団。

異教徒・裏切者を人でも、女子供でも容赦なく切り刻む異常者の塊。

丘の頂より、彼らはここに発現した。


「カオリ=カンザキは誰か」


中央の男から声がした。野太い老人の声。威厳のある、如何にも冷徹な、野心に燃える老武者の声。

彼がこの騎士団の団長。錆の予想通りの潔癖で完璧主義そうな男だった。マントで姿は見えぬが、その上からでもわかるくらいの雰囲気を漂わせていた。


「極東の異教徒の島国で地獄の業火が如き迫害を受けながら、我らが唯一の救いのカトリックの教えを一身に守り通してきた先祖を持ち、我らの同胞になり得たにも拘らず、先祖の教えと仲間を見捨て、あろうことかプロテスタントであるイギリス清教に属す不届き者は、誰か」


ぴくりと、錆の眉が動いた。手には木刀。ただの木材と言えど、錆にかかれば容易く人を切り捨てられる。距離は二十。彼ならば、消え失せ、五秒もせずに斬りかかれるだろう。

だが、その気は今ではないと心得ているのか、殺気を抑えて神裂の返事を聴いた。

「神裂は私ですが。―――いきなり失礼千万ですね。私は私の意思でロンドンに来たのです。『必要悪の教会(ネセサリウス)』は私が私に必要だと思って、来たのです。旧教新教の違いなど、私にとって無意味。いいえ、私だけでなく、そもそも、かつて所属していた天草式十字凄教には旧教と新教の違いの概念などありません。私たちは“ただ、自分が信じたものを信じてここまでやって来ただけです”。あなたのような人に、先祖代々から“私の大切な友人たち”まで侮辱されたくありません!」


凛と胸を張った、とても美しい声だった。美しさは鈴の音などではない。あらゆる邪悪を祓う浄化の鐘の音に近かった。錆は思う。これほど美しくたくましい声があるものか。この言霊が、ロンドン中にいる彼女の友人たちに響き渡れば、どれほど彼らは喜ぶのだろう。心の底から、とても嬉しい気持ちになった。

一方、老武者の声は本当に悔やむ声で呟いた。


「何と言う愚かな……神への信仰よりも己の信条を重んずるなど……」


彼にとってカトリックはどのような存在なのかは知らないが、彼が己が命よりも重いモノなのだろう。


「まぁ良い。我らは貴様と問答をしにきたのではない。それは神父や僧侶のすることだ。我らは騎士。貴様は武士。ならば言葉ではなく、己の武力で語ろうではないか」

「いいえ。あなた方とは幾星霜の時をかけて語り合っても、1μmもわかりあえません」

「ならば語るに及ばず」


老武者は硬く口を締め、これが最後に交わす言葉だと、最期を告げる神勅だと、黒髪の悪魔と罪に穢れた大罪人を悪魔として下手に右人差し指で差した。


「オルソラ=アクィナス、神裂火織、貴様らをここで神に代わり罰する。―――――覚悟せぃッッッ!!」


その指そのままに、左肩に掛かるマントの端を掴んだ。団長に習う様に、左右九人の配下共が一斉に左肩のマントを掴み、十人が同時にマントを身から剥ぎ、月が照らす夜空へ高々く放り投げた。

――――隠された騎士団の面々がついに暴かれる。

団長は声のような老武者だった。齢はもう七十に届くだろうか。立派な白鬚を蓄え、片目には傷跡があり、眼帯に隠されていた。月に照らされた全身を包む黄金の鎧が怪しく光る。そして右手で掴んだ、自身の身長で扱うには明らかに巨大すぎる大槍を天に掲げ、叫んだ。


「さぁ名乗りを上げよ、我が同胞たちよ!!」


夜空に響き渡る声量はドンと丘に響き渡る。先程の神裂と張るかそれ以上の声。敵に自分の存在を知らしめるためか、それとも威勢を付ける為か。

どちらにせよ、この時の十人の闘気は尋常ではなかった。


「汝らの名は何ぞや!!」


その問いに、次々と男どもが名乗りを上げた。


「全ては救済を願う者たちの為に! 全ての純潔の為に! 月と守護の騎士! 騎士(セイバー)ルナ参上!」

「全ては幸福を願う者たちの為に! 全ての豊穣の為に! 水星と知の騎士! 騎士メルクリウス参上!」

「全ては愛を願う者の為! 全ての愛の為! 金星と愛の戦士! 騎士ウェヌス参上!」

「全ては解放を願う者の為! 全ての醜悪の為! 大地と孤高の騎士! 騎士テラ参上!」

「全ては勇敢なるものの為に! 全ての闘争の為に! 火星と戦いの騎士! 騎士マールス参上!」

「全ては法を守る者の為。全ての秩序の為。土星と法則の騎士。騎士サートゥヌス参上」

「全ては創造に懸ける者の為。全ての創造の為。天王星と飛翔の騎士! 騎士ウーラヌス参上!」

「全ては水に生きる者の為。全ての海の為。海王星と深海の騎士! 騎士ネプトゥーヌス」

「全ては恨みを持つ者の為。全ての憎しみの為。冥王星と呪怨の騎士…騎士プルートー参上」


騎士どもたちの手にはそれぞれ違った武器があった。

弓、杖、徒手、斧、剣、大鎌、槌、矛、大鎌。

彼らの装備は全て西洋甲冑。それぞれ違う個性を持っているが、それはローマに関係した装備だった。そして大半、彼らの体のどこかにはシンボルなのか、動物の毛皮やら羽や道具などが飾られていた。

鹿の角、雄鶏の羽、白鳥の羽、無し、大髪の毛皮、砂時計、双頭の鷲の頭、牝牛の毛皮、馬のタテガミと尾の毛。

彼らの歳はバラバラで、上は団長と同じくらいから下が十代前半ほどか。だが彼らは幾ら歳が離れていようと一心同体。乱れもなく手にとる武器を胸に掲げた。そして、中央の団長の手には己よりも数倍大きな大槍が、高らかに掲げられた。

よく叫び、怒る、眼帯をした片目の団長のシンボルは、黄金の兜に飾られた鷲の羽。

団長は誇りに、最後に名乗る。


「全ては統治する者の為! 全ての権力の為! 木星と保護の騎士! 騎士ユーピテル参上!」


これで十人がそろった。団長ユーピテルの統一の下、騎士団に一辺の隙も油断もなく、敗因も無し。

彼らは完璧であり、完全であった。

故に最強。

如何なる悪も十人で倒し尽くす正義の味方。そんな少年が夢に見る戯言じみた幻想を、本当のように思えてしまう気を、彼らは起こさせた。

だから彼らは噂が立つのだろう。―――最凶の殺し屋だと。だがその実、殺し屋ではなく正真正銘の騎士であった。

老騎士は掲げた大槍の剣先を神裂に向け、


「我らが目的は絶対なるバチカンに居られます教皇陛下に反し、絶対なる唯一無二の全能なる神とその子に背き、異教の異境の地に堕ちた不届き者を罰すること。我ら、善を成して悪を捌き、弱きを援け強きを滅し、神に逆らう愚者と魔女と悪魔とその郎党共を討ち祓う正義の顕現也!!
全ては世界平和の為、全てはローマの平和の為。我ら聖バチカン騎士団が、月に変わって誅罰を下す!
さあ征かん、同胞どもよ! ―――――――――――――いざ!」


十人の騎士たちが構える。一人は剣を、一人は鎌を、一人は矛を、一人は弓矢を、一人は杖を、一人は拳を、一人は斧を、一人は砂時計を、一人は槌を、一人は槍を。ここにきて、闘志は苛烈を極め、同時に鋭く尖った。


「―――――――――――――!」

「ッッ、来ます、オルソラは下がっていてください!! 錆白兵、オルソラをお願いします!!」


錆と神裂は逸早く反応し、刀に手を掛けた。それが合図となったのか、一斉に騎士どもは走り出す。風が十の束になった疾走が、神裂へと襲い掛かる――――!





「「「「「「「「「「Iustitia251(正義の為に鉄槌を)」」」」」」」」」」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日はここで一旦区切りたいと思います。
だいたいあと3~4回ですね。………増えてないかって? こまけぇことはry

次回戦闘パートですお楽しみに

モデルはセーラームーンか

これ以上オリキャラ増やすなよ、刀語とクロスしてる意味がなくなる

こんばんわ、>>1でございます。
続きを投稿しに参りました。
勝手ながら、もし次が不評ならスレ立てなおしてかそのままここで、一から書き直すか錆白兵編飛ばして残り二つを先にやるか考えています。オリはいません。

だは投稿します。
>>356で3回とか4回とか言ってましたけど、今回か次回で出しきっちゃいましょう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


深夜、妻と寝ていると叩き起こされた。

原因は、やかましく叩かれる、玄関のドアの音。


「………ふが…………んー…」


妻の寝相は悪い。

妻より遅く寝る時は大体、彼女にベッドの面積を大方占領されている上に、布団を奪うと蹴りが飛んでくる。勿論、妻は夢の中だ。まったく、あそこの世界でキックボクシングでもやっているのか。

だから絶対に妻より先に眠りにつき、両手に布団を離さないよう握り締めてないと、眠れないのだ。今は深夜零時を過ぎたころ、中途半端というか早過ぎる目覚めだ。まだ一時間と眠ってない。

―――ドンドンドンドンッ。

けたたましく玄関を叩く音がする。


「…………」


非常に嫌な気分だ。良い気持ちで寝ていたのに、いきなり叩き起こされる気分は酷く不愉快になる。

だから無視しようかと思ったが、その時、妻の前蹴りが、


「うるさいっ!」

「ぐえっ!」


横腹に突き刺さった。しかも急所である肝臓(リバー)。呼吸が一切阻害された。勿論、妻は眠ったまま。きっと夢の中の相手はこれでK.Oのはずだ。それほどの威力を持っていた。暫く呼吸できず、陸に挙げられた魚のように口をぱくぱくしながらうずくまる。

怨めしい…。妻に寝相の悪さを与えた神もそうだが、こんな時間に玄関を叩く邪魔者が今は一番怨めしい。

胸がむしゃくしゃするからいっそ居留守するかと考えたが、いつまでたっても玄関を叩く音は止まない。


「………チッ」


舌打ちを一つ。

寝室は三階にある。子供部屋はその隣。廊下の奥には階段がある。そこから二階へ下るとリビングやら客間やらキッチンやら居住スペースがあり、仕事部屋は一階と地下だった。

玄関は二つある。一つは通常の住居として、もう一つは仕事用として。夜中に騒ぐ酔っ払いよりも迷惑な騒音は後者からした。

仕事用の玄関……というか店内は広く、様々な商品がずらりと並んでいる。そう、ここは商店だ。一応、看板には土産屋となっている。

カーテンを開き、鍵を開け、ドアを開けた。

眠い目を擦り、あくびと嫌味を一言。人様の安眠を妨害したのだからこのくらいの無礼は良いだろうと、礼に欠けた来客に礼を欠け返して対応する。


「はい、どこのどちらさんで」

「すいませんっ、こんな夜分遅くに!」


若い女だった。東洋人…日本人だった。歳は十代後半で色気が出てきたころ。そういえばアイツにもこんな時期がありましたなーと安眠ボクサーを思い出してみる。

彼女の背後には大型のバイクがあった。日本社製だった。主人を待つ早馬のように、ドッドッドッドッと低いエンジン音をけたたましく鳴らしていた。


(お、ヤマハか。えらくいいモン乗ってるな。そう言えば妻とであったのは、バイクでツーリングしていた時だったか。あの時は007に出てきそうなくらい美人でライダースーツ姿はメッチャエロかったなぁ……あー今はなんであーなっちったんだろ)


と、そうだ、いけねぇいけねぇ。接客接客。―――つっても、こんな常識知らずな客に礼儀なんて高価なもの、してやるつもりはない。


「なんの用だ。こんな夜遅くに土産でも買ってくつもりかい?」

「土産…? いいえ、私はある品を受け取りに来ました! 緊急事態で、その品が必要なのですっ!」

「品…? ―――ああ、君、こっち側の人間か。それならそうと言ってくれればいいのに」




なら納得した。

こんな若い子供がこちら側の住人とは……まぁ、客の一人に実年齢十八の日本人がいるが、あれは例外として、意外だった。


「なんだい、その品ってのは。生憎だけど、今は忙しいんだよ。いや今日までは暇してたんだけどね、いきなり明日から大きな仕事来ちゃってさ、早く休んでおきたかったんだけど……」

「ですから、その品を受け取りたいのですが……」

「いや、今売るモンはないよ。全部うっぱらっちまった。いやいや、爺さんの代から続くウチも、こんな大仕事はないから、張り切ってんだ。すまねえが、売れない」

「えっ!?」

「なんだいその困ったような顔をして……。ロンドンでウチの同業者はまだあるだろ?」

「で、でも! 一本だけ売ってませんよね! その……お金持ちの人に売るというアレは!」


どこからその話を聞いたのかは知らないが、まあどうでもいい。

自分の悪いところは誰にでも何にでもぺちゃくちゃ話すところだが、正直なところが唯一の取り柄である。ここは我が性分通り、素直に話そう。


「ん? ああ。まだ売ってねーな。それがどうしたんだ」

「それです! 絶対にそれが必要なのです!」


即答した。あれはウチにとって最大級に売っちゃあならねえ代物だ。特別に且つ正式に鑑定してもらって、キチンとした値段を計って、それでもって超絶高く売っ払うのが、ここの所の計画だった。

女はそれを承知だと言った。


「だったらなおさら無理。この世界的不景気のご時世に滅多にやってこない最高のカネヅルだぞ? 嬢ちゃんに渡せるか。それとも、嬢ちゃんにはウン億ユーロの品、買えるのかい?」

「………それはー」

「だったら難しいね。だってこれ嬢ちゃんに扱えるかどうかもわからないし…。じゃ、そーゆーところでおやっすー」


そうそうに切り上げてドアを閉めようとした。

因みに明日から仕事云々は嘘だ。今日昨日と一本たりとも商品は売れもしない。今月も絶賛大赤字決定決定大決定だ。そんな中突如として現れたカネヅルだ。どこぞの大富豪様にうっぱらって、ウン億ユーロを…と、捕らぬ狸の皮算用……もとい、希望に胸を膨らんでいるその時だった。


「じゃあ! ―――――最大主教様の御命令と英国女王陛下の勅命が並んであってもですかっっ!?」


耳を疑った。

今、なんつった? 良く聞こえなかった。普段耳にしていない単語をいきなり耳にすると、脳味噌が一時的にショートするらしい。


「あー……へ?」

「だから、英国を支配する三派閥の二つのトップのサインが書かれている書類があっても、ですが」


どうやら、国家のアレがアレを欲してるらしい。


「マジ?」

「マジです」

「………」


ドアを開けると、日本の時代劇に登場する印籠が如く、少女がその書類を掲げていた。高級そうな洋紙が二つ。一つはイギリス清教の紋様にローラ=スチュアート最大主教のサイン。一つは大英帝国皇室の紋様にエリザード女王陛下のサイン。

その上には、確かに『「ある品」を献上せよ』と書かれある。


「マ、ジじゃねーか」


一気に顔の血の気が引いた。残酷にも程があるだろオイオイオイと、ガックリ肩を落とした。一気に大金持ち成金大逆転計画の設計図がビリビリと破られて燃えていく音が無残に聞こえた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


まず、矢が上空高らかに放たれた音がした。それが決闘の合図であった。

十人の騎士が一斉に襲い掛かる。

眉間へ吸い込まれる矢を首を曲げて躱すと、先陣を切って駆けてくる騎士たちの姿が視界を覆った。

先陣は三人。

大剣を上段にして駆ける若い赤い騎士とやや遅れて大斧を両手づつ持った醜い容姿の緑色の騎士。続いて三叉の矛を前に突っ込む白鬚に白髪の青い老騎士。彼らの後を次々と他の七人がなだれ込んでくる。

神裂は刀を鞘から抜かなかった。

まずは様子見だ。

相手がどれほどの腕前か見極め、必殺を狙う。必殺剣の披露は十人と一度手合せしてからだ。

そも、西洋剣とは違い、日本刀とは必殺剣である。必殺は本当に一撃で相手を倒さなければならない故に、二度目はない。

赤い騎士…確かマールスと名乗ったか、彼の上段斬りを鞘に収まったままの刀を円運動でいなして流して叩き、その隙を狙う斧の緑騎士テラの進撃を刀を槍のようにして突いて止め、白鬚の青騎士ネプトゥーヌスの矛の猛烈な突きを横に跳びながら避け、騎士たちが集まる密集地帯から離脱した。

その間は一拍もない。騎士たちからすれば、神裂が倍速に動いて見えただろう。

だが幾ら聖人である神裂と言えど、十人も同時に相手にしてはきりが無い。一対多は実力差はあれど不利は不利。一斉攻撃をされれば、万が一がある。確実に生きて倒すには、一対一が原則だ。


(……―――できるっ!)


この一合であの三人の実力はそん所そこらの騎士よりも遥かに強いことが判明した。

なぜなら、もし弱ければ一撃で意識を刈り取られただろう牽制を、赤騎士にはダメージらしいものはなく、緑騎士は突きを斧で止められた。彼ら三人の同時攻撃の効果か、一撃にかかるパワー配分がスピード重視で弱くなってしまったのか。

英国騎士よりも強いが、それでも一人一人の実力は神裂とは遠く及ばない。だが、連携が実に精密で緻密。一人が及ばない穴を全員が埋めて襲い掛かってくる。いうなれば、神裂が一人の巨人であるなら、彼らは肩車しあって高さを稼ぎ、神裂と対抗して来ようとしているのだ。

余裕を持って神裂は地面に着地すると、―――いきなり背後から気配がした。


「―――!」


咄嗟に横に跳ぶ。すると美青年の白い騎士ウェヌスの拳が肩先を掠め、袖を裂き、空を切った拳は地面と激突した。衝撃は5m範囲の地面にヒビと土のブロックの突出させる程だから、モロに喰らえばただじゃ済まされない。


(なんて馬鹿力)


ウェヌスの体も腕も決して太くはない。むしろ女と同じほどの華奢さだ。故に、彼にここまでの怪力を持っているのは不気味でならず、神裂の目測からしてすでに聖人クラスの怪力を持っていた。

無論、彼は…彼らには聖人の気配はない。となれば、


(もしかして、何らかの術式で加護を受けている―――?)


分析に頭を使っていると、離れた場所から、慌てた錆の声が聞こえた。


「神裂殿っっ!!」

「ッッ!」


後方中左右から四方向、鎌を振りかざす土色の騎士、槌を振りかぶる紺色の騎士、矢を放つ白銀の騎士、そして大槍を突き出す黄金の騎士による同時攻撃が放たれていた。

ウェヌスの攻撃が回避されると分かっていて仕掛けたものか。

人の胴を軽く両断できる大鎌は両太腿へ、人の頭を容易く粉砕できる大槌は頸椎へ、どれだけ離れようとも絶対に獲物は逃がさない百発百中の矢は頭へ、人の身に付きたてば即座に爆散する威力を持つ大槍は胸へ、瞬ッ、轟ッと迫る。


「神裂さんッ!」


オルソラは思わず叫びを上げた――――が、心配は無用だと、神裂の眼がそれを制した。なぜなら、その四つの攻撃は寸前で急停止したからだ。神裂の美髪は一本たりとも傷ついていない。
すぐに危険地帯から安全地帯へと離れた神裂は、驚く騎士団を尻目に、


「そこ、いちいち大声を出さないで結構です」

一方、騎士団は驚きの声を隠せていなかった。攻撃の気配はない。今度こそ、敵は出現しない。どうやら先程の奇襲で決めるつもりだったらしく、戦略を練っているのだろう。

小休憩としてここで一息入れる。


(それにしても、思っていたが予想以上に手ごわそうですね。完全に動きを読まれていて、連携に穴が無く、反撃の隙も無い)


それだけ研究してきたのだろう。戦において情報は生命線だ。次に繰り出す敵の技、警戒すべき一撃を予め予想して先手を打てば、敵の攻撃ターンを封じることが出来る。
だが何事も絶対ではなく、完全に戦を終始コントロールするには何十回、何百回とシュミレーションしなければ出来ない。彼らはそんな連携の数々をこなしていた。


「見事」


宙に突き刺さる大槍を引き抜いた老騎士は呟いた。


「我らの予測よりもさらに上を行ったか。流石は聖人。その中でも百戦錬磨と名高い女傑。最初から思ってなかったが、やはりこれで討ち取らせてはくれまいか」


他三つの武器はいまだ神裂の手によって止められたままだった。大鎌、大槌、そして矢までもが宙に浮いていた。見えない壁に突き刺さっていると言えばいいのか、土色の騎士サートゥヌスと紺色の騎士ウーラヌスは己の愛器を引き抜こうとしても、なかなか抜けていなかった。

錆はそれに驚いた。あの不可思議な現象が、奇襲から神裂の命を救ったものだというのはわかるが、その所以がわからない。首を傾げた。


「神裂殿は一体何を…?」

「簡単なトリックだ、東洋の若造よ」


老騎士は何故か宙を十字に斬ると、三つの凶器に重力が戻った。サートゥヌスとウーラヌスの愛器は彼らの手に戻し、そして白銀の騎士が放った矢は地に落ちた。

黄金の騎士ユーピテルは槍で、矢と共に落ちた『何か』を拾い上げ、月光に照らした。

それは細い光だった。否、


「小細工を…。ワイヤーだ」


ユーピテルは呟く。


「我が槍は容易く抜けたが、サートゥヌスとウーラヌスの得物は複雑な形状故、引き抜けなかったのだろう。相手の得物の使用を封じる為の芸だったが、残念であったな」


それは鋼で出来た糸だった。錆はこの数日中似たような物を見たが、あれはそれらより遥かに頑丈な素材で、尚且つ恐ろしく細く砥がれた暗器だった。よく仕事人や忍びが愛用する武器だが、神裂は攻撃用の暗器を、防御に使った。

奇襲に気付いてからのあの一瞬の出来事だ。しかも、綾取りのように複雑に編み込み、一度突けば抜けぬよう細工をして。これは人の技ではない神業だと錆は感心した。

だが、子供のいたずら程度だと、ユーピテルは吐き捨てる。


「小細工、小細工。矮小、矮小。全く、聴いていたがここまで芸達者とは。大道芸でもしていればよかろうに」

「それにあなたの部下は引っ掛かったのは、あなたの部下はその小細工で矮小な大道芸以下になりますが―――ともかく、これであなた方の動きは見切らせていただきました」


神裂は刀の鍔を鳴らした。

――――出る。

錆は目を光らせた。とうとう、神裂の愛刀 七天七刀が姿を現すのだ。あの七尺弱もある長刀を、どうやって扱うのか想像も出来ないが、あの時――――神裂と竹刀で手合せした時、隠せない違和感を彼女から感じた。

そう、神裂の実力と竹刀の長さが合わないような、そんな違和感。

理由はふたつ。

神裂は長身故に3尺6寸の普通の刀は合わないと、長年の実戦経験がそう訴えてきたから。剣客の剣捌きには癖があり、神裂のそれは普通の刀より遥かに長い刀を扱う剣士の癖があったから。

錆は“まったく刀を使わない剣士”と手を合わせた事もあるが、逆に同時に身程に大きな大剣を扱う剣士とも出会ったことが実はある。彼は西洋に多い重くて太い剣を使っていて、七天七刀とは全く趣が違った剣士だったが、長刀使いの雰囲気は似ていた。

それは攻撃範囲の広さで、目測は通常の剣士と比べて遠く、初動は早い。

神裂の竹刀の剣筋はまさにそれが色濃く出ていて、間合いが少し遠かったのをよく覚えている。

それは神裂がよく長刀を使い、命の駆け引きをしている証拠であった。頭ではなく体に長刀の扱いが染みついていて離れない故に、違和感がでてしまった。

神裂と同じかそれ以上の戦闘経験を持つ錆でも、恐らく神裂より長い刀を持つ剣士はいなかった。その未知なる領域の住人である神裂を錆は分析する。

「あの時、神裂殿が七尺の竹刀を使っていれば、敗けていたのは拙者の方でござった。長刀の利点は間合いの長さと斬り込みのしやすさ、故に同時の斬り合いにおいて断然有利になりやすい。そして神裂殿は防御が巧い。だが、長刀使いは確かにリーチの有利がござるが、長刀は一振りから斬り返しの時間差は通常の刀より遅れる。また、間合いを詰められれば何も出来ずに斬られやすい」


そう、長刀使いはどうしようもなく、長い間合いで通常の太刀よりも素早く剣を扱える筋力と技術が必要不可欠なのだ。


「神裂殿はそれを兼ね備えている。竹刀を打った時の威力と技術は長刀を扱えるのには十分でござった。故にその面での心配はないと思われるが―――オルソラ殿、一つよろしいか」

「はい、なんでございましょう」

「拙者は認めているでござるが、神裂殿の腕前は、オルソラ殿から見てどれ程のものかと訊きたいのでござるが」


錆は神裂の実力を知っている。が、あの決闘は神裂の本気ではないことはわかっていた。だからそれを知っているだろうオルソラに訊く事にしたが、


「それは…申し訳ありません。私も詳しくは………。ですが、神裂さんは世界に二十人しかいない聖人の一人。魔術戦なら遅れは取らないかと」


それは信じる者の声だった。

オルソラは絶対に神裂が勝利すると確信している。

だが錆は思う。


「しかし―――相手は神裂火織という剣士の戦術を調べ上げている。長刀は剣士の癖を大きく出しやすい故に余計にでおござる。
もし神裂殿の実力に、敵が知らない未知なる領域があったとしても、底が浅ければ動きを読み尽くした騎士団には戦術的に不利。先程の攻防、神裂殿が全ての攻撃を見切っていたが、敵の攻撃は先手と奇襲の連撃故、神裂殿は後手に回らざる負えなかった。このまま後手後手に回ってしまえば、いずれ斬られるのは神裂殿でござる」


あくまでも錆の眼は平等だ。神裂に肩を入れるのが人情だが、それで敗けた場合のことを考えてませんでしたは幾らなんでも間抜けすぎるから、どれほど勝ってほしくても、錆は勝負事の目測を誤る下手は打たない。オルソラは絶対に守る為に、もし神裂が敗けた場合を頭の隅に置かなければならなかった。


「刃物の斬り合いにおいて先手と後手は重要でござる。先手必勝の言葉がある様に、刃物の斬り合いは先に刃を身に突き立てた方が勝つ。無論、返し技が有効でござるが、いきなり初手でのそれは不可能。なぜなら、ある程度敵の攻撃の傾向を知り、次の技を読み、拍子(タイミング)を合わせなければ成功はしない故でござる。
だが、現状では神裂殿が先手に回っても不利でござる。攻撃の傾向も技も拍子も研究されているのなら、返し技がいきなり決まる危険性が残っているでござる」

「そんな……」

「だが、希望がない訳ではござらん。安心なされ。
もし神裂殿の本気の実力が完全に敵に知られていなければ、敵の予想を上回り、先手で早く斬ることも、後手で返し技を決めることも出来よう。―――故にこの戦いの均衡は五分と五分。一対十の数の不利あれど、質の高さにおいては神裂が圧倒しているのが今の現状。そのうえ、敵には研究はされていようが、いまだ実力の三割も出てはいまい。もし十割出し切れば蹴散らすことは造作もない」

「なら、」

「左様」


オルソラの問いかけに、錆は聞くまでもないと頷いた。


「―――――勝負の鍵は、騎士団は敵はどれだけ神裂火織という剣士を研究し底の深さを完全に見切るか、神裂殿は神裂火織という剣士の実力に暗黒領域からどれ程の実力を引き出せるかなのででござる―――――」


その時、空間が張りつめられる。

静止していた空気が再び加熱し始めた。

神裂の七天七刀が鳴る―――。

周りから、七本の鋼線が月光に照らされて踊る―――。

そして、尋常ではない気が風を起こし、草花を揺らし、漆黒の髪がなびく―――。


(なるほど、確かに自らを騎士団と名乗るだけのことはある。―――ならば、そろそろ)


腰に差す七天七刀の柄を、右手で静かに掴むと、ピシッ、ピシッ、と土が跳ねた。

踊る鋼線が地面を削っているのだ。どれ程の長さかは解らないが、見たところこの戦いでは決して使い切れないだろうと直感するまで長い。

八岐大蛇さながらに踊り出す鋼線は、神裂の背後から徐々に戦場を侵食し、とうとう全てを囲んでしまった。騎士団一人一人を見えない檻に閉じ込めても、鋼線はまだまだ余裕がある。

―――騎士団の強みは連携にあった。だが、それを封じれば強制的に、一対一の勝負ができる。そう―――数の差を封じたのである。


「あなた方の動きは十分に見れました。連携のパターンも一合見れば大方予想は可能。なら、もう様子見は終了です……」


複雑な迷路と化した戦場は、一度誤って突っ込めば肉を裂き骨まで達する。即ち死だ。うかつに動けまい。

神裂の眼は魔術師の眼になった。必要悪の教会という魔女狩りに特化した異色の集団の狩人の眼。

イギリス清教最強戦力の一つとも謳われた魔術師の眼。

神裂の眼光は十人の騎士を貫く。


「覚悟はいいですか」


返答は黙だった。それを応と見て、神裂はコォォォ…と呼吸を吐く。特殊な呼吸によって魔力を練り、聖人としての力を開放していく。己を束縛していた一本一本の枷を紐解いてゆく。

その果て、リミッターを排除し、騎士ではなく魔術師でもなく、この時一人の神の現身…聖人としての神裂火織の姿を現界した。

錆は目をみはる。

彼女が纏う気は剣士の闘気ではない。神仏の神気だと確信した。古事記の武神、日本武尊を思わせながら、仏教を守る毘沙門天を彷彿させ、また西洋の未知の未だかつて感じたことのない聖なる気迫を黒髪の背中から感じる。ビリビリと肌を駆け巡る何かに不思議と、不安な要素はなかった。

この正体を知っている。

絶対的勝利の確信を裏付ける安心だ。


「オルソラ殿……先程の勝負は五分五分と申したが、あれは撤回させていただきたい」


正直言って、驚いた。

神裂の実力の暗黒領域の広さは、錆の想像の遥か彼方だった。


――――天才か。


神裂火織という聖人の実力には底がなかった。ここまでの気迫を放ちながら、それでも未だ底が見えない。大海のような底の深さ。

この勝負、すでに決まったと考えていい。


「では、行きます」


神裂の体勢が低くなる。走り出そうとする黒豹に似ていた。

そして神裂の気が爆発したその直前、神裂は己が魔法名を口にする。


「救われぬ者に救いの手を(Salvere000)」


撃鉄は打ち下ろされ、疾風が吹き荒れた。そして鞘走りの音が響いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





丸い、月が出ていた。





今日は満月かと、ロバート=クリケットは木刀片手に公園で天を見上げた。

これほどまでにない綺麗な月だった。

普段、酒と煙草と賭博と女と喧嘩と極道映画とクリケットにしか興味がないギャングの親玉が、珍しくそう思ってしまうほど、美しかった。

ジュニアハイスクールの数学もわからぬ彼の乏しい知識の中には、月に関してこうある。

『月は太陽の光が反射の向きによって、地球から見える満ち欠けが異なり、また満月の夜は月に一度しかなく、その日は太陽からの光を完全に反射しているため、月の表面が完全に輝く』という。

月は空飛ぶ太陽の鏡なのだ。

―――『人は自身の鏡である』と、錆は別れる前に説いた。

自分たちが批難するから他人がさらに批難し、自分たちが暴力を振るうから他人がさらに暴力を振るい、自分たちが自身を助けるのを諦めるから他人がもっと自分たちを助けるのを諦める。

逆に、自分たちが思いやりを持てば他人はさらに自分たちに思いやりを持ち、諦めずに向上心を持って行動をすれば、おのずと周りの人々の眼の色が変わって思えよう

人は鏡に映る自分自身なのである―――。

彼の言葉は、生まれ乍らにして不幸で捻くれてしまった魂にストンと落ちていった。

この言葉を、胸に刻む。


もう、あの頃のロバート=クリケットではない。


この黄金色に輝く天の鏡を見つめる。



そして、ふと、


――――あれ、そう言えば今日は――――――――――


ま、どうでもいいかと、月を背に、また木刀を振るい始めてた。






――――別のところで。

店じまいをし、明日の準備を終え、風呂と日本語のテキストのページを閉じた、あるレストランに勤める娘が窓の外から月を眺めた。

ああ、今日のお月様はとても綺麗だわ、と溜息をつく。

あの、錆白兵という日本人を思うと、心が安らぎ、あの満月のように心が満たされるのだ。

今、日本語を学んでいるのは彼と直接に会話を望むためで、昨日今日とあっという間に平仮名と片仮名のだいたいは覚えられた。

本当に珍しい。元々学業など大の苦手で、学校ではいつも留年ギリギリだったと言うのに、日本語だけは……いや、あの美男子のことを考えての勉強は何故か捗った。

日本語の知識が水を吸うスポンジのように吸収される。

この感覚がとても嬉しかった。

次は漢字だ。その次に単語と熟語と文法一式。―――ああ、これなら一ヶ月もあればすらすらと文字は書けよう。筆談でも思う存分会話ができる。二ヶ月もあればペラペラだろう。

今なら何でもできる気がした。いや、絶対に何でも出来る。日本語どころかヨーロッパ全ての国の言葉をマスターできる確信があった。

それを夢見るとワクワクして心が躍った。

これが恋心なのね。

電気を消して真っ暗になった部屋で、娘は窓を開け、ロンドンの涼しい夜風に髪を躍らせた。

今日は本当に綺麗な月。

ドキドキする心臓がそう見させているのか、それとも満月の中にいる女性が女の自分でも美しいと思って心臓が余計に高鳴っているのかわからない。

それでもこの幸せな気持ちは心地よかった。

明るい月光が室内を淡い光で照らす。

美しいこの月を、飽きることなくずっと見ていた。




ふと、何かが頭によぎる。


―――あら、そう言えば今夜って―――――――


ま、綺麗だからどうでもいいか。

娘はそのまま月を眺めていた。


――――そして、

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――――そして、丁度そのころ。

最大主教ローラ=スチュアートは数秒絶句した。窓へ駆け寄り、お化けでも見た様な顔で、天を仰いだ。


「……し、んじれない」


魔術的にこのような現象は、大魔術の類だ。少なくとも千人以上の魔術師が準備に準備を重ね、一斉に呪文を唱えて完成させるモノだ。

なのに、たった十人の騎士たちは、アレをしてしまったのである。


「まさかここまで」


はははっ、と笑ってしまう。

信じられなくてではない。とても面白いと思って笑ったのだ。

ここまで来たらすでにジャパニーズマンガの世界だ。


「ここまでびっくりしたのは、何年振りか」


月は太陽の鏡である。

科学的に夜の間、太陽の光りを浴びて、その角度で月の満ち欠けが変わると言う。

ならば、昨日や一昨日の月はどんなものだったのか。

思い出してみる。

そうだ、あの夜、神裂たちがこの聖堂に駆け込んできたのは、“月がない夜”だった。

月がないと言うのは、月の光が無い夜のことだ。

別に、雲に隠れていた訳ではない。



あの夜は無月だった。太陽の光は月から地球へと反射せず、地上から空は星しかなかったのだ。



なのに、今日の月は、異常にも程があった。


「なんで―――――今宵は満月でありけるのかしら」


昨日は無月で、今日は満月。
いきなり二週間の過程をすっ飛ばし、空には立派な月が我が物顔で地上を照らせいていた。
暦上は問題ない。今日は三日月のはずだ。だが、あそこにあるのは真ん丸お月様。この矛盾はなんだ。

一つしかない。

(自らの手で月を作り出してしまった? いや、もしかして地球と月と太陽の自転と公転を操作した? ……いや、不可能の極みなりね)


もちろん、現代の魔術ではありえない。それは神代の神々の業だ。人の身でできる訳がない。実行可能なのは聖人か魔神でしかなく、たかが騎士十人で月の創造は不可能であるのは、火を見るよりも…否、月を見るよりも明らかだ。もし出来るのなら―――とうに人間を辞めている。


「聖バチカン騎士団……。騎士団ではなく、魔術結社と名乗った方がよろしくてよ……」


口元がニヤリして、興奮が収まらなかった。面白い、ならば相手になってやる。イギリス清教の全精力全勢力を持ってしてでも潰してしまおう。もし満月が彼ら騎士団にとって好都合であるなら、恐らく満月でしか発動できない切り札があるはずだ。『満月の光を浴びて…』は確かにある。それに思い当たる縁は、ひとつあった。

その時、聖堂のドアが乱暴に開けられた。


「最大主教様! ひとつお願いが!」


五和がある武器を回収するのに手伝ってほしいとのことだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


見え隠れする牢獄を神裂は迷いなく突き進んで、一人の騎士―――黄金の甲冑を纏った王の騎士ユーピテルに襲い掛かった。

神裂が持つ唯一の必殺技――――『唯閃』。

十字教・仏教・神道の三つの宗教の魔術を一つにして、聖人としての力をフルに使う大技。

聖人の力を大きく引き出す関係上、 体に相当な負担がかかるため、元来は短時間しか使用できないこの技をいきなり使ったのは、一対多での戦いでは長期戦は不利であるからだ。

神裂は短期決戦で決めようとした。それも大将首を獲るのは異例の手を使ってだが、敵の戦意を削ぐにはそれが一番効果的だった。

音速の脚力で詰め、光速で鞘を走らせ、神速にて白刃で断たんと疾風の如き神脚で柏手一拍の時もせず20m以上離れた間合いを零にし、一手をもって、王手をかけた。


「唯せ―――!」


が、


「我ら月に代わり、神罰を下す―――」


神裂が鞘を走らせる直前だった。ユーピテルのはるか後方に弓を弾いていた男がいた。白銀の甲冑を纏った月の騎士ルナ。手にある複合弓には、鹿の角を加工した矢があった。鹿の角にしては白樺と見間違えるほど白い。アルビノの希少な鹿から刈り取られた物だろう。一角獣…ユニコーンをイメージしているのか。

ユーピテルはほくそ笑んで、


「詰めたと思うたか。甘いな。お留守にならぬよう気を配るのは良いが、足元ばかり見ていてはならんぞ」

「ッ!?」


七天七刀を鞘から抜く、一歩手前で直感が彼の向こうに視線を向けさせた。今から殺されるかもしれないと言うのに余裕でそこに佇む男に、違和感を覚えたからだ。そして神裂は見つける。背後で天上へ弓を引く若い騎士の姿を。


「『満月術式』」


ひゅんっ、と風を切って矢は、―――――月に浮かぶ“満月”へ飛んで行った。


矢は満月の中へと消え、光に溶けたと思えば、月は突然燦々とさらに光りを発する。途端、いきなり真正面から鉄砲水が飛んできた。


「ぶっ――――」


この場に水源は無い。強いて少し歩いた所に池があるていどだが、真横に叩きつけられる瀑布のような水量は無い。だが鉄砲水の勢いは異常だった。は殺人級に過ぎる威力だった。何トンもの水の壁が体に叩きつけられる。

神裂はその思いもよらぬ奇襲に面を喰らって、瀑布をもろに喰らってしまったが冷静を欠かさなかった。七天七刀の刃を地面に突き刺し、これを耐える。

瀑布が通り過ぎる頃には、すでに30m流されて後退していて、地面に残る刃の爪痕が水圧がどれほどの値かを語っていた。常人なら圧死していただろう。


「ゲホッゲホッ……………っ、」


水浸しでシャツが透けて素肌が晒されながらも、刀を構える。と、左の腰が軽いと気付く。腰にある筈の物がなかった。


(………鞘が)


腰に差してあった2mの長刀の鞘がさっきの鉄砲水で流されてしまった。背後の遠くまで飛んで行っただろう。あれが無いと抜刀術『唯閃』も、鞘の鯉口に仕込んであったワイヤーでの『七閃』もできない。

戦闘中の魔術はワイヤーで魔法陣を組む神裂は大した魔術もできない。純粋な剣技のみで戦うしかなかった。これは大きなハンデになった。

その時、視界がやけに眩しく感じ、柄を持たぬ手で顔を覆う。空が異様に明るい。地表がやけに良く見える。

―――一体これは………?

この時、気付く。空を見上げると、真昼のように燦々と地上を照らす真上の夜の太陽があることに。


「…………は?」

見上げた目が点となる。

そこにあったのは満月。しかも通常よりも1.5倍は大きく、そしていつもの3倍は明るく輝く月が天に昇っていた。

別に月が昇っているのに驚いているのではない。今日ある筈がない月が昇っていたことに驚いていた。


「きょ、今日は三日月だった筈……」


魔術師たるもの、月と星にはよく注意を向けている。が、ここまで異常な状況は生まれて初めてだ。何せ、月がいきなり満月になったのだから。

昨日は新月だ。今日は満月なのはおかしい。

どう見ても彼ら騎士団がやったのは明白だが、種も仕掛けもわからない


「一体…何を?」


その問いに、ユーピテルは応える。


「今、死ぬ貴様にとって、その質問に何の意味がある」


その言葉と同時に、七人の騎士が一斉に走り出した。


「なッ!」


神裂が張り巡らせたワイヤーは鞘を喪失しても健在だ。だがそれをお構いなしと全力疾走する。自殺行為だった。神裂のワイヤーの鋭さは鉄をも容易く切断する。騎士たちの甲冑はどれ程の強度かは知らないが、三秒後には全身バラバラに――――ならなかった。

斧を持つ騎士テラが、斧を地面に叩きつけると、突然芝生の地面から土色の断層が幾つも突出したからだ。平地であった丘の上が一瞬にして、山岳と峡谷が連続する山脈地帯になった。5mの小高い山々の谷間、峡谷の下を騎士たちは駆け抜ける。


「あの騎士の魔術ですか」

「―――そう、戦斧から投擲斧まで大小様々な斧を得物とするこのテラの魔術は、土魔術である」


地形を変形させるだけならば、魔術の仕組みとしてはごく簡単な部類になるだろう。神裂が知る土を操る魔術師シェリー=クロムウェル、自動稼働するゴーレムも操れる彼女なら簡単にできるかもしれない。

だが規模が違い過ぎた。

手に持つ大斧を大地に叩きつけると、如何なる地形も変化させた。例え地平線が見える平地でも山岳地帯にし、谷の底の凸凹の荒い道を走りやすい平らな道に作り替えた。それを神裂がワイヤーを張り巡らせた半径30m圏内に、より大きな戦闘フィールドを完成させる。ご丁寧に神裂には不利な様に足場を悪くした。


(そうか、地形を戦闘開始前から変化させるあの彼の前では、地理の優劣は無意味。常に有効な地形と間合いで戦える………なるほど、戦略として彼ほど重要な騎士はいない、ですね。もしかして、彼だけでなく、騎士団全員が固有の魔術を持っているかもしれない)


その中でも、彼は大地を自由自在に操作できる故に、十人の中でも緑騎士テラは大地を司るのか――――。

神裂は推理する。となれば、格闘戦と魔術戦を同時にやらなければならない。

地面に谷間を造ってワイヤーを脱した騎士たちは、得物へと続く地層の谷を辿ってそこから出てくる。なら待ち伏せが有効的だ。


(逆に有り難い。もとより、格闘戦は得意科目! …………そういえば、)


と、ここでふと頭の隅で何かが通り過ぎた。


「……………テラ? 大地を司る…………? どこかで………いや、それは後回しです。いまは敵を倒す事に集中しなければ―――――と、そこですか!」


神裂は出てくる影を発見すると駆け、迎え撃った。それに気が付いた騎士は立ち止まり、剣を構えて、短く、


「よう」


と、挨拶した。

ロリカ・セグメンタタという全身に油を塗った、実際に古代ローマで採用された甲冑を纏う騎士だった。狼の毛皮を羽織り、啄木鳥の刺青を腕にした男で、手には一本の大剣があり、170cmほどと長い。刀身は肉厚・幅広の両刃で、先端は鋭角に尖っている形状から、形状は古代ローマの剣闘士が良く使っていた短剣グラディウスを巨大化させた印象を持つ。

グラディウスの刀身は肉厚である。それがグレートソード並に大きいとなると、相当な重量だと伺える。グレードソードは史実上にも長すぎる長剣ゆえ、何に使われたのかすら定かではないような巨大な剣を指す。彼の剣はとても人が扱えるとは思えない代物だった。しかし長年使い込まれていて、よく手入れされているところから、使い手の腕もいいのだろう。構えから剣と剣士が一体になってるのが、完全に大剣を使いこなしている証拠である。

(この男は西洋剣の達人ですか)


十人の騎士の中で唯一剣を携える騎士、名は確かマールスと言ったか。狼さながらの野生的な雰囲気の男で、剣先を向けた。


「別嬪姉ちゃんは好きだから、ぶったぎるのは好きじゃねえが……腕の立つんなら話は別だぜ。さあ―――斬り合おうぜッ!」


剛ッ! と上段へ一撃、神裂に斬りかかる。


(踏み込みが速い、回避!)


踏み込みは良いが肝心の剣筋が甘く、縦一文字の単純な剣筋は躱すのに容易かった。これなら普通の高校生でも躱せる。


「(それなりの重量がありそうですが……脇がガラ空き!) ――――!?」


重量に振られて流れた体に返しの一閃を入れようと剣を振ろうとした。が、斬り返しが意外と早かった。突っ込んでいた慣性を脚一本で踏ん張り、スーパーボールを叩きつけたみたいに大剣が跳ね返ってきた。

ズォッと風を切って右下から左上へのやや横切り寄り一撃は、さきの縦斬りより倍は速い剣筋で面を喰らう。

この意外な攻撃を即座に躱せぬと判断した神裂は、斬りにかかったまま体を限界まで沈ませ、迫る大剣の下に七天七刀を忍ばせて受け流した。

刀身から柄、手に伝わる感触から、この一撃の速度が全力を出すものだと感じた。


「(つまり、この速度が最速……)なら、これ以上はない――――ッ!」


チリチリと火花が散らせ走る七天七刀は限定的に鞘走りと同じ状況が出来た。これを利用し、大剣が刃の上を通過すると同時にデコピンの要領で溜めた力を短く吹いた息と共に一気に解放し、守りが薄い下段を切り裂く。


「あいよ!」


が、それを読んでたのか、それとも反射神経は超人クラスなのかマールスは高く飛び上がり、腰を回転させてそのまま横へ薙ぎ払った。


「なんだよ、ヒョイヒョイ避けてチリチリいなしやがって、剣なら剣らしくガンガン打ち合えよ異教徒ッ!」

「―――!」


それは無理だ。細い日本刀での受けは真正面で打ち合うものではなく、円運動で力を逃がしながら行う。そうでないと、パッキンと折れてしまうからだ。戦闘用に硬くしなやかに打たれていた古刀とは違い、江戸時代という太平の世で技術が劣化してしまった現在の刀なら余計に、しかも相手が大重量の剣を高速で振り回してくるのなら尚更、真正面から立ち向かってはならない。しかも神裂の場合、長刀は梃子の原理の効果が大きく、比較的折れやすいアドヴァンテージがある。

だが技術が無い訳がない。

神裂が如何なる剛剣・打撃系の武器や多種多様を極める魔術戦でも七天七刀を折らせずにここまで戦ってきたのは、鍛錬に鍛錬を重ね、十でやってくる力を七八で受け流せる技術をすでに習得しているからだ。これが神裂の受け太刀だ。

それどころか、真横の薙ぎは受け太刀も出来なかった。神裂の首を狙ってきた一撃は、敵の全力の剣をいなした時より更に倍の速度を持っていたからだ。


(南無三!)


全力と見ていた速度の二倍の速さの一撃を見損じてしまった神裂は、いつものように七八割で力を逃がせずとも、七天七刀に損傷が出ないように柔らかく受ける。賭けであったが七天七刀は何とか折れずに持ちこたえてくれた。

しかしマールスの剛剣はすでに人の身のものではなく、聖人の怪力の加護がある神裂の手がビリリと痺れた。


「ぅっ!?」

「ほらほら、まだまだ!」


マールスの剣はさらに速度を増して斬り込んでくる。


(斬りが恐ろしく速いッ!)


先程の一合を思い出す。下から上への逆袈裟の一撃をいなして下段を狙った返し技。神裂はそれを『決まった』と思っていた。あのような大剣を振り回すには相当な筋力がいる。その状態でなくとも、敵の攻撃と同時に一閃を斬り込カウンターに反応できないというのに、この男はそれをやってのけた。しかも軽く振り下ろせば木材を容易く叩き割れるほどの重量がある大剣を、まるで木の棒が如く振り回していた。しかも面倒なことに躱した剣の数だけ返ってくる剣の速度が倍になって返ってくる。防いだ剣もさらに倍になって返ってくる。さらに倍、さらに倍、さらに倍、倍、倍、倍……。

まさに烈火。

付けたら二度と消えず、剣の風に煽られてさらに燃え盛る炎。それが嵐のように神裂と剣戟を奏でる。すでに七八の力を逃しても、あと数合で二三の力でも七天七刀を曲がらせるかもしれぬまでになった。


(彼の筋力は聖人級……?)


一撃の重さ、斬り返しの速さ、撃剣の数々はそうとしか説明がつかなかった。もしかして聖バチカン騎士団は聖人を有する騎士団なのか? いや、それは聞いたことがない。何か裏でトリックがある筈だ。それを解き明かせば謎が解ける。


(それに、何度も合わせるうちに目が慣れてきました。次の一撃でカウンター……!)


剣を握るマールスの手は素肌だった。

彼が纏う鎧『ロリカ・セグメンタタ』は頭、胴体、股間しか守られておらず、腕と脚は無防備だった。それはマールス自身が動きやすいように手首・腕と膝・股関節の関節部分の拘束を嫌ったためかもしれないが、神裂から見るとそれは仇だ。剣の叩き合いならそれでいいだろうが、刀との勝負ではそれは命取りになる。

そう、神裂が狙うのは腕。剣道で言う、『小手』だった。腕を切断し、大剣を手放させ、そのまま胴を斬る。


「おら、死ねぇ!」

(来た――――!)


合わせる。

既にマールスの剣の速度は神裂の剣に匹敵している。威力なら丘を切り裂けるかもしれない。その一撃に、一刀を合わせる。


(右からの横の薙ぎ……左から合わせて…い……っ………………せ……………………ん…………………………な――――!?)


入れる、つもりだった。

七天七刀を合わせに行った途端、突如として神裂の視界が早送りされた。マールスの剣が目測より2倍に加速して――――否、自分の体が体が硬直して鈍いのだ。彼が加速しているのではなく、逆に、


(私が減速して………ッッ!)


神裂の動きは実にのろまだっただろう。自分でも自覚できるのだから、相当だ。ゆっくりとマールスの剣に一閃を合わせようとしてるが、どうみても閃と剣は交錯しない。彼女だけ時間がスーパースローだからだ。




―――この時、神裂の背後には既に一人、二人騎士が到着していた。

一人は剛拳の白鳥の美青年だった。今、神裂の背中を後ろから殴り、貫こうとかかっている金騎士ウェヌスのその隣……もう一人の騎士が、神裂の異常の原因だった。

砂時計と大鎌を持つ中年、土騎士サートゥヌス。

彼が持つ砂時計の砂はなぜか、ゆっくりと落下していた。あたかも神裂だけの時間と同化しているように見えた。これはかつて神童と呼ばれあのパラディンとまで謳われた神父の首を討ち取った連携だ。あと0.5秒もせずに、神裂の首は刎ねられ、彼と同じ末路を辿るだろう――――。





「―――神裂殿っっ!!」


その時、まったく別方向から声が切り裂いた。神裂の首筋に剣が1cmまで迫り、背中に拳が突き刺さろうとしたその時だった。そこから予期せぬ攻撃があった。

矢が放たれた。一つは2mの異常に長い矢、もう一つは逆に20cmもない酷く短く曲がった矢。長い矢はマールスの両腕を貫き、短い矢はウェヌスの軸足に突き刺さった。否、長い矢は矢ではなく、神裂の鞘であり、短い矢も矢ではなくただの木の枝だった。


「な―――」


サートゥヌスの驚きを隠せず、女のような甲高い悲鳴と怒りに任せた悲鳴を上げ、ウェヌスは走ったまま倒れ、マールスの手から大剣が弾き飛ばされた。


「な、にがぁっ!?」

「くっそ、誰だッ!?」

「奴だ!」


振り返るとそこには一人の男がいた。白い髪を総髪にした男が、鞘と枝を投げたのだと察する。色々とツッコみたい所はあったが、それより重大なことが一瞬忘れていたことを思い出す。

「そんな事はどうでもいい、神裂だ!」


サートゥヌスの怒号に反応した二人は、ハッと我に返るが、もう遅かった。マールスに手錠をかけた一本の鞘を掴みとると、神裂は旗を振る様に男を持ち上げ、今立ち上がろうとするウェヌスにそれをぶつけた。


「ぅおぁっ!?」

「ぉ…ッ!」


二人はそのまま、吹っ飛ばされた。
神裂の手にはマールスを投げ飛ばした時に腕から抜いた七天七刀の鞘。七天七刀を納めると、一息ついた。頭がヒヤリとした。この感覚を覚えるのも久しいが、やはり快いものではない。出来れば二度と感じたくないスリルだった。


「感謝します、錆白兵」


遠くで、白髪の剣士が応える。錆白兵には棒状の物なら何でも刃物にする特殊能力がある。その応用で、鞘と木の枝を槍と棒手裏剣のように投擲したのだろう。予想外の援護射撃のおかげで命を救われた。

だが錆はそんな事などどうでも良いと表情で言った。


「それほどでも。しかし神裂殿、大丈夫でござるか。拙者が援護いたすが」

「それには及びません。あなたは引き続き、オルソラの護衛をお願いします。うっかり流れ矢で死なせた、など間抜けはなしですよ」

「承知」


ついオルソラの心配をしてしまうのが悪い癖だ。心配性なのは生来だが、戦いに集中できていない証拠だった。いや、ここまで激しい戦いだと流れ矢が頭によぎるのは無理はないが……それでも、目の前の敵を一人でも多く倒すことに集中しようと、集中し直す。

ここは要注意だ。

一瞬も油断はできでない。それと手加減はできない。


「何せ、私でも出会ったことがないような魔術の使い手がいるのですから」


神裂は、砂時計と大鎌を持つ騎士を一瞥した。間違いない。さっきの自分の時間が周りの時間に置いていかれる感覚の原因は、この男にある。そして彼がやっただろう魔術は、


「まさか、時間操作の魔術ですか」

「………」

「サートゥヌスと言いましたか。私も初めて見ます。どうやら特定の人物への体感時間の干渉のようですね」

「…………チッ」


舌打ち一つして、土騎士は砂時計の魔術を発動させて大鎌を振るいながら走った。それに合わせて神裂も前に出る。

正面衝突する直前、サートゥヌスは鎌で神裂を…ではなく地面に生える芝生を刈り、はねた草の時間を遅らせて壁を作った。草の時間は短時間だが止めると、そこに他者の干渉を加えると突き刺さる壁になる。サートゥヌスの狙いは、そこに突っ込んだ神裂を鎌で切り裂くのだ――――が、それは失敗に終わる。

神裂のワイヤーが草の間をすり抜け、騎士を草に押し付けて縛り上げた。時間が停滞する前、すでに彼の足元や手足にワイヤーを絡めさせていたのだ。神裂がやったことはそれを引いただけだ。葉っぱが十字架になるとはいい予想外だった。


「ぐぉ……」


磔にしたサートゥヌスに、神裂は話しかける。


「実際に時間を操っているのではないのですが、停滞させるだけでも強力で有効な術式。確かに集団戦闘の後方支援で便利な術式ですがしかし、どれだけ優れた魔術でもあなたが弱ければ、単騎では無力です」


神裂はそれだけ言って、一気に縛っていたワイヤーを締めあげた。全身の肉をワイヤーで裂き、殺さぬようにだが、再起不能にする。


「――――――――!」


その時だった、殺気を頭上から察知する。前へ飛び込んで殺気の塊を回避すると、巨大な鎚が神裂がいた場所を叩き潰した。


「大丈夫か、マールス、ウェヌス、サートゥヌス」


声がする方には、既に三人の騎士がいた。一人は斧、一人は矛、一人は弓を、彼らは剣の騎士と徒手の騎士を助けながら構えていた。

「ウェヌス、マールスに治療を」


ウェヌスは貫かれたマールスの両腕を触ると金色の光が輝きだし、みるみるうちに傷が塞がって行く。光りが収まると、マールスは握力の感触を確かめるように掌をグッパグッパとひらいては握る。


「大丈夫かい」

「ああ、おまえは相変わらず、なんでも治すな」

「それが取り柄だからね。みんなの怪我を治すのはボクの役目さ」


マールスに鎚の紺騎士ウーラヌスがぼやく。


「バカ者めが。あれほど武功に焦るなと言っておいたのに。ウェヌス、自動治療術式を開放しておけ。ここからが正念場だ」

「了解したよ。けど、シュミレーションより手ごわい」

「それはわかっておる」

斧の緑騎士テラがそう言うと、矛の青騎士ネプトゥーヌスが自信満々に、


「なに心配無用。七人揃えば、七本の鋼線も対処できよう」

「………確かに」


弓と矢を構える白銀の月騎士ルナは静かに頷きいた。


「だが、問題は『唯閃』なる一撃必殺の『イアイ』と呼ぶ技。これをどう対処する? 対策は練っているが、実際に懐に飛び込みづらいだろう」

「それはサートゥヌスがおれば対処できよう、ルナよ」

「それもそうか、ネプトゥーヌス」


ルナは連射できるよう指に何本も矢を挟み込み、その内一本を入れて、弓を引く。


「と言う訳だ。さて、確か貴様の国では『七人の侍』という話があったな。内容は知らんが、これで七人だ。一対一で勝負したかったのだろうが、残念だ。覚悟しろ、小娘」


神裂は後ろを一度振り返り、


「いいえ。おかげでヒントを得ました。なるほど、確かにテラは大地を司り、サートゥヌスは時の守護者です」

「なに?」

「あなた方の正体判明まであと一歩と言ったのです」

「――――それがどうした」


今度は別方向から声がした。あの老騎士が二人の従者を連れて、離れたところから、


「例え貴様が我らの何を知っても、何も出来ない事には変わりまい」

「それは、どうでしょうか」

「………言っただろう、語るに及ばず、と」


神裂は七天七刀の鍔を鳴らす。殺気が更に濃くなった。大槍を携える老騎士からは殺気しかない。


「我らは貴様を殺し、貴様は我らを殺す―――それだけの関係でいいのだ、異教の異国の小娘よ」


ユーピテルは槍を構えた。他の騎士もそれぞれ武器を構え、今度はまた十人一斉で襲い掛かった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

深夜、ロンドンの石畳の路地の中、眩い光が疾走する。

重低の爆音を排気口から噴き出しながら、近所迷惑なんぞと我が物顔で突っ切ってゆく。重低音を耳にした近隣住民からすると迷惑この上ないだろう。だが許してほしいと心の中で呟きながら、暴走するバイクにまたがる少女はさらにアクセルを回した。

――――急いでいるのだ。

ヘルメットなど被っているのもいじらしくなって、なにも被らず曝け出した素顔は焦燥しきった表情。


「早く、届けないと」


上空の異常は既に知っている。

有る筈がない満月が空に浮かんでいた。

たかが月明りの強さだけで敵は倒れない。そも、月や星の灯りは“魔術の行使や強化の条件”でよく使われる手口だ。これが彼らの魔術だと気づき、そしてそれは“とある魔術の発動条件”であるととうに察している。

そもそも気付くべきだった。聖バチカン騎士団がターゲットを討ち取りに現れるのにはある共通点がある。―――それは必ず満月の夜であること。月に一度しかないこの夜でしか発動できない魔術があるのなら、それは限られてくる。そしてその中でも考えられる術式は、過去の戦闘の痕跡、敵の殺され方、騎士団は必ず十人で敵を倒す縛り、そして彼ら自身がヒントになって、想像がつくようになった。


「これは、不味いかもしれない」


敵は神裂火織という魔術師を隅から隅へと研究し切っている。聖人がたかが騎士団に万が一でも敗れないが、その万が一があるかもしれない予感が、少女…五和の心臓を針で刺す。

聖人は圧倒的な幸運がある。万が一を打ち消すのは当然だ。だが、決して敗ける訳がない勝負はない。鉄壁に空いた小さな穴が勝敗を分けることもある。勝敗を分ける壁に、どちらがどっちにいるかが逆転する。もし敵に一計があるのなら、聖人を殺すほどの切り札を用意しているのなら、神裂が見るのは敗者から見た壁だ。

敗者と決まれば即彼女は斬首。バチカンに晒されることになる。


「死なせない…。だって―――」


アクセルをさらに回した。エンジンに鞭が打たれタイヤは狂ったように加速する。しかしここまで急いで走るのは、なぜだろうか。


「―――望みはあるから」


もし勝敗を分ける鉄壁に穴が空いているとして、それが逆転の要因が神裂が敗けるのなら……それが聖バチアカン騎士団の鉄壁の策であるなら――――その逆もありえる。

錆の言葉を思い出す。


『この男は、自らの目標の為ならば如何なる犠牲もいとまない、冷徹な性格をしているようでござる。ここまで潔癖なほど整理され、一画たりとも乱れがなく、それでいて堂々と書かれている様は珍しい。相当な完璧主義者かと思われる』

『潔癖症の完璧主義者ならば、対神裂殿として入念に戦略を練り、万全の体勢で一辺の誤算なく、神裂殿を討ち取ろうとする筈。その男の手足となって九人の騎士共が動くと言うのならば、付け入る隙は―――――有る』


付け入る隙…鉄壁に空いた小孔…それを開ける為のアイテムとして五和の肩には『あるモノ』が下げられていた。これが勝利と救命の鍵だ。

これを“持ち主”に届けようと、疾風となって、バイクはプリムローズ・ヒルへとひた走る。

勝利の女神を引き寄せるイレギュラーへ、最強の剣士へ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

剣戟と戦争の音がプリムローズ・ヒルに響き渡る。

前後左右から迫る投擲斧。大口を開けて喰らおうとする水竜の咢。霰のように降り注がれる矢。形のない刃となって身を切り裂く突風。それらはすべて、超人な身体能力で回避し切れていた。だが、


「…………く、またッ……!」


意識はいつも通りだ。だが、体がそれに追いついてこない。反応が遅い。

―――『時間操作』の魔法は団体戦にこそ本領を発揮する。

人が成り立つのには三つの要素がある。人の根幹であり本能である原動力『魂』、人を行動させる器『肉体』、そして肉体を制御する理性『精神』。この魔術は、その精神に干渉する魔術のようだ。要は、体と意識がかみ合っていない状態に貶め、結果的に相手に100%の実力を発揮させない効果がある。


この魔術は神裂の体感時間を大きく遅らせ、結果的に神裂の実力は、七割は封じられた。


自動的に普段なら楽に躱せ切れた攻撃も、回避は不可能になった。完全に囲まれた場合など、全力を持って向かわなければ死ぬだろう。

この状況を神裂は一言で表す。


(やりにくい……!)


頭がイライラとするのを抑えながら戦っているが、両手両足を拘束されているようなもので、まともに戦えるわけがない。幸いにも身体能力はフルスロットルを出せば敵と同等の速度を保ち、魔術は実力通りに出せるようだった。馬力としての全力はどうやら時間操作術式の範囲内からはみ出ているらしい。ならここからは技量の引き出しの多さの勝負だ。神裂は即座にワイヤーで魔法陣で発生させた火炎の虎で水竜を相殺し、水滴残らず蒸発させる。それと同時に神速の抜刀で四方向同時攻撃を弾き飛ばした。


(それでも四の五の言っている場合じゃない。狩られる前に倒さなければ、今度はオルソラが殺されることになる!)―――――と!」


神裂の顔色が強張る。四方向の攻撃を弾いたその隙を突かれた。土魔法で足元を崩され、同時に局地的大地震を起こされた。震度8強と言ったところか、堪らず片膝をつく。

決定的な隙をこじ開けられた神裂の背後に五連の矢が奔ってきた。

神裂は地面を転がって二本、飛び出た岩石に飛び移りながら上空へジャンプして三本回避すると、この行動は騎士団にとっては想定内だったか、上空10m、そこに大槌を振りかざした騎士がいた。不意打ちで七天七刀よりも速く反応した足蹴りでそれを迎撃する、が躱された。即座にワイヤーで下の岩と大槌を縛り上げ、攻撃を封じて改めて斬りにかかる。しかし縛りが甘かったのか、大槌の柄で止められた。


「く、」


難しい顔をしたのは槌の騎士ウーラヌスだった。神裂の力がまだあったのかと思っているのだろう。七天七刀を鞘に納めた神裂も苦い顔をしながら着地し、再度居合抜きを実行する。それも多方向から矢と斧が突風の魔術で加速されて飛来した事により阻害されると、後方に跳ぶ。と、油を撒いた火のように素早く、赤色の甲冑の騎士が正面に突っ込んできた。


「らぁッ!」

「遅い!」


それよりも速く、着地しながら居合で七天七刀を抜き始めていた神裂の反射速度と身体能力は動体視力さえも常人を遥かに超える。地に足がついていない不安定な体勢でも、優れた平衡感覚を持てば十分な威力と速さを持つ居合は出来る。

音速を超える神裂の居合。

たとえ魔術で体感速度を落とされていても鞘走りで加速された刃は変わらない故に――――いや、これでも神裂からすれば遅いほうだ。まだ半分は加速できるが、―――十分だった。

七天七刀は大剣グラディウスよりも30,40cm長い。リーチは神裂の方が上である故、よって大剣が届くまでに七天七刀が先にマールスの体を斬るのは目に見えていた。ドンピシャのタイミングでカウンターが決まる。0.5秒後には腹が真っ二つだ。

だがマールスとほぼ同時に斧の騎士テラが背後を取っていた。マールスは囮だった。

人間は一度に一つの動作しか出来ない。刃は既に鞘を走っている。放たれるまであと0.1秒もない。ここから後方の敵をどう対処できようか。いや、出来たとしても前方の狼に斬られてしまう。


「とったッ!」


だが、それが出来てしまうのが聖人である。

―――メキッ! とテラの鼻が粉砕する音がした。


「!?」


彼からすると訳も分からずいきなり視界がカチ上げられた気分だろう。原因は異様に伸びた鞘であった。テラの鼻骨を折ったのは鞘の先端…鐺が伸びて………否、神裂が鞘を後ろに押し込んだのだ。結果、鐺がテラに激突し、彼の進撃を阻止したのだ。

後ろの心配がなくなり、神裂は鞘から刃を抜き、音よりも速い斬撃がマールスの横っ腹を裂く。赤の騎士が悲鳴を上げて振るった剣の風で吹っ飛んだ。


「ぐぅあっ!?」

「ぁ…!」


苦痛にゆがむ騎士の顔。一方、神裂は納得いかない顔をする。浅かったのだ。神裂の斬撃が、数cm届かなかった。


(味方を守る為に、時間が一旦戻された)


原因は、テラが撃墜された後、時間を停滞する魔術が解除されたからだ。体の動きが鈍かったのが、戻されて、斬撃の速度が速くなったためタイミングが外され、胴を裂くつもりが浅く切っただけになった。

神裂は位置的に不利な戦場から獣のように俊敏に離脱すると、再度、時間停滞の魔術が発動した。肉体が異様に重たくなる。


(これでは間合いも何もが無くなる…)


剣を構えて、息を吐く。

気付けば汗の玉が額に流れていた。

十人相手という数の差と身体能力の殆どを封じられて挑む戦いだ。聖人と言えど、苦戦は強いられるのは無理ない。

だが情報は得られた。

水魔術・風魔術・時間魔術・土魔術……それぞれ一人ずつ持っている。のなら、彼ら全員がそれぞれ特徴ある魔術を持っていると見ていい。

―――それは予想通りだった。もし彼らの名前が『あれ』の通りなら、残りの騎士たちの特殊能力も考えられる。ズルズルと消耗戦に入る前に、決着が付けそうだ。

だが状況は悪くなる一方だった。

実は、七閃に使うワイヤーがそろそろ無くなりそうになっている。

七天七刀に次ぐ兵装で神裂が多用していたが、斬られ過ぎた。魔術を相殺する魔術を放ち、そこら辺中にワイヤーを張って牽制に役立てていたが、これからはそれが難しくなる。このままでいくと聖人の加護と七天七刀による純粋な剣技のみでの戦うしかない。それに流石こちらを研究しているだけのことはあって、次に繰り出す一手が未来予測し尽くされている。実力は神裂が上でも、その差を数と連携とそれで埋められていた。

将棋で言うなら、飛車角金銀桂馬香車を落とされ歩と玉のみ、しかも次の一手を宣告しながら戦っているようだ。均衡しているとはいえ、七閃は使えない、聖人の加護による圧倒的な力は差ほどない、敵は数で押してきている………対局はすでに大詰めになっていた。

敵魔術を完全に解読し、対抗策を練る前にこっちが詰みにされないか、それが心配だった。


「………確実に詰めに来てますね」

「無論。俺らは貴様を殺す為に戦っている」


十人の中の誰かが言った。マールスだった。斬った胴の傷は既に塞がっている。あのウェヌスとかいう騎士は徒手で戦う拳闘士だったが、彼の魔術は治療魔術のようで、それも十人一斉に自動回復させる類のもの。死なぬ程度の傷なら即戦線復帰できると言うことか。

簡単な傷だけに終わらせると、益々厳しくなる。一撃で首を刎ねなければならない。


(まったく、あちらはこちらの手の内を知っているのに、こっちはあっちの手札がわからない。これは戦術的不利を通り越して卑怯なくらいです。―――いや、聖人という選ばれた存在である私なら、丁度いいくらいですね。久しぶりに辛い相手です)


敵がどんな構造の魔術なのか、なんとなくわかってきたが、どうやら考えさせてくれないらしい。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「オルソラ殿、あれが『魔術』なるものでござるか」


心配そうに苦戦を強いられる神裂の姿を心配そうに見つめるオルソラに、錆が白鬚の騎士が召喚する水竜や神裂が放つ炎の塊を指して訊いた。

オルソラは素直に答える。


「はい」

「まるで妖術。とても理屈では考えられん………。オルソラ殿もあれを?」

「回復魔術くらいなら…」

「では、どのようして出来るのか、解説していただけぬか。神裂殿の戦いは見事故、是非とも理解しとうござる」

「はい、私は魔術師ではなく、シスターですが、専門は暗号の解読や魔術の解析。相手の魔術の仕組みくらいは見抜ける自信はあります。……ですが、」


オルソラは神裂が心配だった。聖人とはいえ、ここまで苦戦するとなると無理もない。

だが錆は首を振った。


「なに、彼女なら大丈夫でござる。――――もしもの場合は拙者が」


木刀を持つ手に力を入れる。

―――正直この状況は不味い。じり貧になれば数が多い方が勝つのが戦の定石だ。このままずるずるになれば神裂が討たれるの……。


「まず、魔術とは過去の偉人や聖人、神話に登場する神々の逸話をモチーフに再現して発動させる現象を指します。たとえば水の上を歩きたければイエス様が湖の上を歩いた逸話を順番通りに踏んで行けば水上歩行が可能になるのでございます」

「なるほど。ならば、彼らも?」

「全てが、とは言えません。英雄が用いた武具や道具を模倣して、それを媒体にし、魔術を発動させることも出来、それを『霊装』と言いうのでございます」

「では彼らが持っている得物がそれだと」

「いいえ。武器はただの武器だと思われます。彼らの霊装は恐らく……」




オルソラは黄金の甲冑を着た老騎士を指さした。甲冑の鷲の羽根を。


「あの方々が身に着けている動物の羽根や毛皮、道具などが、霊装かと」

「なるほど。では、月に向かい矢を放ったあの男なら、鹿の角がそれであると」

「ええ。確か、鹿は処女性と月の象徴とされ、ある神話において――――――」


そこで、オルソラの言葉が詰まった。


「………オルソラ殿?」

「もしかして」


オルソラの顔色が変わった。彼女の専門は暗号の解読だ。のんびりとした性格だが頭は切れる。そんな彼女に、何か思い当ったことがあったのか。唇に指を当てて、オルソラは考え込む。


「もしかして彼らは……」

「どうなされた」

「ええ。あの騎士団の方々がお使いになれる術式の正体が、ようやくわかったのでございます! 魔術というのは、手品の様なのでございます。タネさえわかってしまえば、何も驚く事はございません。その術式がモチーフにしている逸話は何なのか。これさえ踏まえれば、攻略は容易いのでございます!」

「おう! では、教えてくだされ。あ奴らの魔術とやらは一体どんなものなのか!!」

「はい、その前にはここで一つ、おさらいをしましょう」


騎士団の人数は十人。

彼らの名前は、ルナ、メリクリウス、ウェヌス、テラ、マールス、ユーピテル、サートゥヌス、ウーラヌス、ネプトゥーヌス、プルート。

彼らの象徴は、鹿、雄鶏、白鳥、なし、狼と啄木鳥、鷲、大鎌と砂時計、双頭の鷲、牝牛、馬。

彼らの魔術は、不明、風、治療、土、不明、不明、時間操作、不明、水、不明。

そしてルナという弓を持つ騎士が月に放った魔術は、『満月術式』と呼ばれた。

―――なら、もう答えは出ているようなものだ。


「彼らは十人で一つの魔術を行いながら、戦っているのでございます」

「と、言うと?」

「彼ら個々の力は魔術師として、それほど高くは無いと思うのでございます。ですが、満月の夜のみ力を強化できるとするなら? それが十人で一人として力が十乗されてしまうのなら? そして聖人同様、神様の力をその身に宿せるとするなら? そうなれば、どうなるのでございましょうか」

「…………神裂殿と肩を並べることが出来ると」


オルソラは頷く。

通常、魔術は一人で組み立て、一人で発動するのが多い。が、たまに大人数が一斉に組み立て、巨大な魔術を発動させることがある。彼らの魔術は、ローマ正教の最強の攻撃である『グレゴリオの聖歌隊』と、魔術構造的に近い。

しかし根拠はあるのだろうか。


「さきほどの剣の騎士が巨大化したグラディウスをまるで木の枝のように振り回しておいででした。錆さん。あれはどれ程の重さでしょうか」

「元の尺はわからぬが、地に振り落とした剣の威力から恐らく二十六貫(百キログラム)ほどかと………―――なるほど、よほど鍛えたか、自身を何らかで補強しなければあそこまで振れませぬ」

「もし私の推理が正しければ、その重さを十分担しているとするなら、話は通るのでございます」

「ならば、受けた傷も十等分されるのではござらぬか」

「その可能性も高いでしょう」


しかも味方には受けた傷を即座に治療できる術式も備わっている。一人では大怪我でも、十等分されれば軽減され、治療の速度が早くなる。


「そういえば一つ違和感がござった。奴らの連携が、やけに取れ過ぎているのでござる。例えば先程の剣と斧の連携は、明らかに剣の男が飛び出すことをわかってないと出来ぬもの。それが出来ると言うなら…」

「思考も感覚も、共有していると」

「その可能性も高いかと」

「それに加えて、各々が魔術は術式発動と同時に一人一人が魔力の貯蔵量が十乗になり、強力な魔術が可能となっています。自身たちの体の内部からの影響は十乗され、ダメージや自身に掛かる重量、視界など外部からの干渉は十分割されるのなら」

「戦では敵なしでござる。一人の隙も一人が埋めれば突けず、攻撃しながら防御も容易い。これはもはや軍団ではござらん。城。難攻不落の鉄壁の城壁でござる」

「しかし、崩れない魔術はございません。どんな完璧な術式でも穴はございます。まず彼らの魔術が何をモチーフにしたのかを整理していけば、自ずと答えは出て来るでしょう」

「手掛かりは彼らの名前と甲冑にある象徴。そして満月……でござったか」

「はい。月は多くの神話や伝承で重要な意味を持っています。そして星も同じように……。そして聖バチカン騎士団の方々がモチーフにしているのは恐らく月と星に重要な意味を持っている神話なのででございます。そのなかで彼らの特徴……彼らの名前やシンボルと一致するのは私が知る限り一つしかありません。その神話とは―――――ローマ神話」


ローマ神話とは古代ローマから伝わる神話であり、ギリシャ神話とよく酷似される神話である。

あの方々はローマ神話に登場する神々の力を身に宿していると、オルソラは言う。

では、ローマ神話に登場し、聖バチカン騎士団の団員に宿されている神々とは何なのか、オルソラに代わって説明しよう。面倒なら飛ばしてくれても構わない。

ルナはローマ神話に登場する女神で、同じローマ神話に登場するゼウスとレトの娘でアポロンと双子である、オリンポス十二神の一、ダイアナと同化された神である。
森林の神、狩猟・弓術の女神、野生の動物、子ども、弱き者の守護神、純潔の神であり、セレネと同化した月神と言われ、ギリシャ神話におけるアルテミスに相当する。
象徴となる惑星は月、曜日は月曜、動物は鹿である。

メリクリウスはローマ神話に登場する男神であり、オリンポス十二神の一である。
風の神、ゼウスの伝令使、死者を冥界に導く案内人、旅人・商人・盗人の守護神、豊穣多産の神、家畜の守護神であり、英語読みはマーキュリーであり、その名の方が有名であろう。
ギリシャ神話におけるヘルメスに相当し、ヘルメスは能弁、境界、体育技能、発明、策略、夢と眠りの神、死出の旅路の案内者などとも言われ、多面的な性格を持つ神である。
象徴となる惑星は水星、曜日は水曜日、動物は朱雀、もしくは雄鶏である。

ウェヌスはローマ神話に登場する女神であり、オリンポス十二神の一である。
愛と豊穣の女神、美と愛欲の神とされ、ギリシャ神話のアルプディテに相当し、英語読みのヴィーナスは有名である。
アンキセスとの間の子アイネイアースはローマ建国の祖となり軍神として祀られ、また女性の美しさを表現する際の比喩として用いられたり、愛神の代名詞としても用いられる。
象徴となる惑星は金星、曜日は金曜日、動物は白鳥とされる。

テラはローマ神話に登場する大地の女神である。カオス(渾沌)から生まれた最初の存在であり、単体で「天空」ウラノスを生み出したとされる。
ギリシャ神話におけるガイアと同視され、テラ、ガイアともに『大地』の語源となる。
象徴となる惑星も曜日も動物もないが、混沌から生まれた大地ならば、象徴する惑星はこの地球という事になる。

マールスはローマ神話における戦と農耕の男神であり、オリンポス十二神の一である。
戦争の災厄を司る神だが、ギリシア神話では知に劣り、人間にも敗れたアレースと同一視され、軍神としてグラディーウゥス(「進軍する者」の意)という異称でも呼ばれる。マールスは勇敢な戦士、青年の理想像として慕われ、主神ユーピテルと同じく篤く信仰されていた。
象徴となる惑星は火星、曜日は火曜日、動物は狼と啄木鳥。

ユーピテルはローマ神話に登場する主神であり、オリンポス十二神の一である。
最高神、全知全能、神々の王、オリュンポスの主神、雷神、天空神、 多数の神・半神・英雄の父祖とされる。
ギリシャ神話ではゼウスに相当し、ユーピテルの英語読みである「ジュピター」は有名である。因みに某未来◯記での主人公の名前の元となり、妻の名は最高神ユノである。
象徴となる惑星は木星、曜日は木曜日、動物はわし座の元がゼウスであるため鷲とされる。


サートゥヌスはローマ神話に登場する農耕神。英語ではサターン。ギリシア神話のクロノスと同一視され、土星の守護神ともされる。時の神 Chronosと誤読され「時の主」となった。翁の姿で描かれる。
彼の祝祭はサートゥルナーリア(Sāturnālia)と呼ばれ、毎年12月17日から7日間執り行われた。 その間は、奴隷にも特別の自由が許され、楽しく陽気に祝われた。これが後にクリスマスである。
もしかしてサートゥヌスの英語読みサターンは、サンタクロースの語源かもしれない。
また、天才画家ゴアの『黒い絵』のなかに彼が描かれた絵がある。
象徴となる惑星は土星、曜日は土曜日、道具は大鎌と砂時計。


ウーラヌスはローマ神話に登場する「天」の人格化、原初の最高神と言われた神であり、全宇宙を最初に統べた神々の王とされる。
ガイアの息子。ガイアと交わり、クロノスたちティターン神族を生み出した。クロノスに切られた身体の一部からアフロディテが生まれたとも言われる。
放射性元素ウランの語源である。
象徴となる惑星は天王星、動物は双頭の鷲とされる。


ネプトゥーヌスはローマ神話に登場する海神、地震の神。「三叉の矛」をもつ。
英語読みのネプチューン、ギリシャ神話で相当するポセイドンが有名であろう。
放射性元素ネプツニウムの語源である。
象徴となる惑星は海王星、動物は牝牛。


プルートはローマ神話に登場する冥界の支配者、死者の神。
ギリシャ神話のハデスに相当し、放射性元素プルトニウムの語源である。
象徴となる惑星は冥王星、動物は馬。


この様に、名前と飾りが、ローマ神話の神々と一致している。彼らはローマ神話の体現であるのだ。


「恐らく、名前とシンボルを憑代に、神々の特徴をそのまま憑依させているのでございます」

「だが、神裂殿の話によると、神の力とやらは聖人にしか降ろせぬのでは?」

「それは肉体での話でございます。この場合、偶像の理論が『肉体』そのものではなく、鎧や装束、象徴にのみ仮設的に発動できれば、聖人には届かなくても近づくことができます。それにそれぞれが何らかのパスを繋ぎ、一人の力を十乗すれば届きましょう」

「その術式が…」

「はい、満月術式でございます。彼らは十人でローマ神話と言う演劇をしながら戦っているのでございます」


要は、神の特徴どおりの殻を造って自分に被せ、その神の力を宿しているのだ。それぞれが役になりきり、自身を神話の登場人物だと振舞えれば、神々の力はおのずと降りてくる。

別に珍しくもない。神を演じて神をその身に宿す祭事は実は多く存在する。

だが実際に本物の魔術としての完成をアマチュアの騎士団がやってのけたのは驚くべき事実だった。

騎士団と呼ぶにはむしろ、魔術結社と呼ぶべきであるほどに。


「満月術式……。月は太古から特別な意味を持っております。多くの宗教で『月』=『神様』としての解釈が多々あり、また『星』=『神様』という解釈もあります。この二つの解釈を持っている神話を利用したのが、この術式でございます……」

「オルソラ殿。その術の対策は……」


オルソラは残念そうに首を振った。


「きっとこの術式自体、術者に相当な負荷がかかる筈でございます。きっと30分持続させるだけでも自殺行為。故に十人が同時に発動させ、ダメージを十等分させなければならないのでしょう。それに時間制限もある筈です。神裂さんがそれまでに耐え切れれば良いのですが……」


術の負荷で自滅はないかもしれない。そんな賭けみたいな方法で聖人を倒そうとは思わないだろう。巨大な敵に立ち向かう時は博打を打ってはならない。完璧な勝利の布石を持ってなければ、端から勝負になどならない。簡単に言うと、術式のダメージによる自滅は考えられない。故に、


「……対策は、ないと」

「はい。“月が割れない限り”は……。この術式で大切なのは術者同士を繋げるパスです。これがあるから内外からの干渉を十乗、または十等分させる事が出来るのでしょう」


月が割れるなんてことはまずあり得ない。これはたとえだ。この術式は月が真っ二つにならない限り、止まらない――――オルソラはそう思っている。

せめて、いきなり現れた満月の原因を掴めればいいのだが、それを解明する手も考えもない。“何らかの魔術によって作り出されたモノ”だと、それ位はわかるのだが……。

と、錆が何やら神妙な顔でこう訊いてきた。


「月が……割れればよいのでござるか」


実に変なことだ。まるで、“自分が月を割る”と言っているような……いや、それは流石にありえないだろう。


「え…はい…それが………」

「ならば」


錆は月を見上げる。

見事なほど美しい月。錆はこれを見上げ、


「拙者は一つ、約束を破らなければなりませぬ」


苦しそうに呟く。


prrrrrrrrrr


と、そこでオルソラの懐から音が鳴った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

何十合、何百合、剣を合わせただろう。

もう数えるのを止めてしまった。


「つぁっ!!」


七天七刀の刃は槍と重なる。剣を弾く。矢を叩き、鎚を返し、斧を防ぐ。停滞する体感時間に慣れたが、自分の速度と相手の速度をさらにずらされ、遅らされ、更なる苦戦を強いられる。

消耗戦に入って、神裂の体力残量が3割を切った所だった。―――あれから一時間は打ち合ってる気がする。いや、神裂の時間は遅れているから、彼女の体感時間ではおよそ6時間か。

そろそろ消耗してくる事だろう。

ガキンッ、剣が弾かれた。鞘とワイヤーを使っての荒業だったが難なくやられた、大きく脇を開けたマールスに、即座にカウンターを仕掛ける。がそれは果たせまい。マールスのヘルプにテラの斧が脇を狙われ、防御に回るしかなく、後退するからだ。そこをまた別の騎士が背後から……これを延々と繰り返していた。もういっそ防御に徹底するかと考える所だが、それだと十人同時攻撃を仕掛けられ、一気に体勢は崩れると分かっているからやらないだろう。

計算通りだ。神裂には少しでも反撃の手を休ませずに回避させるのは作戦通り。

実力は確かに神裂が上だ。だがそれは数の差で僅差に埋めれる。戦いとは数だ。一騎当千の兵とて、一万の敵とは戦えない様に、手足を断たれれれば雑兵でも討てる。戦いとは戦う前に決まっているもので、この状況は必然であり、必勝は絶対である。

神裂からすれば歯痒い事この上ないだろう。

攻撃したくても隙が無く、少し傷をつけてもあっという間に回復される。斬っても斬っても埒が明かずに体力だけが消耗される……。如何に聖人とて人の子であるのは変わらない。体力には限界があり、精神は人間のそれと同じもの。ならば攻略は容易い。

すでにアクセルはべた踏み状態の神裂のガソリンは底を尽きるだろう。

体感時間を停滞され実力の殆どを封じられた状態で、しかも動きを読まれている上で、戦闘の引き出しを全て引き出し尽くしている。幾度となく剣戟を奏でていた神裂も、流石に体力の限界と技量の限界を覚えているに違いない。

過去の神裂の戦歴を洗った故の確信であった。

だが、一つ予想よりも上回っていることがあった。

それは時間であった。

計算ならもっと早く消耗し、大きな隙が出来ている筈だった。だが、神裂はいまだに力が衰えることはない。必死の隙は見当たらない。予想よりも神裂の体力があり、技量があり、引き出しが多く、精神が強く、粘り強かった。故にユーピテルは焦っていた。

心の中で呟く。


「まったく、きりがないな」


と、忌々しそうに吐き捨てる。こちらもここで決まったと確信を得ていた手を何度も躱されている。幾度となく王手を指しているもあっちは飄々とされているようで、計画とはいかず腹が立っていた。

実のところすでに騎士団は体力限界に近かった。あと10分たらず打ち合えば、満月術式という『聖人の真似事』と呼ばれるべき行為の代償でこちらが崩壊する。元より神の子と同じ性質を持つ聖人と同じことをしようとするのだ、木製飛行機にジェットエンジンを積む様な無謀行為は、文字通り命を削る。最悪の場合とを考えなければならなかった。―――…一応いうが彼らに撤退はなく、任務の失敗は決死の特攻である。ここでその手を使うのは、オルソラ殺害の目的が果たせず本末転倒になってしまう。

だが機は熟した。残り数手で我らの勝利だ。

まったくここまでやるとは思わなかった。流石は神裂火織と言ったところ。よくぞここまで戦った。一人の騎士として、武人として、改めて拍手と敬愛を込めたい。

だがそれは奴の首の前でやろう。

チェックメイトは目の前だ。ここまでの猛攻の甲斐あって、神裂めから疲れが出てきた。そこで奥の手を切る。


「これで終いとしよう。プラン変更だ。―――プルートー」

「は、はい」

「準備せい」


戦いながら王騎士は小声で傍らにいた小さな鎧に命ずる。彼の名はプルートー。冥府の神の名を冠する騎士だ。彼は怯えながら、大きく後方に下がり、何かをボソボソと唱え始める。

それまでの時間稼ぎか、ユーピテルは槍を嵐のように突き出す。


「セィッ!」


一本の大槍が分裂して見える三連突き。神裂はそれを七天七刀でいなして弾く。同時に左右から攻撃が二つ。後方から矢と突風が吹いた。矢を弾きながら屈み、後転して回避。そのまま獣が如く跳んで、後方にいた風魔術を使ったメリクリウスを蹴り飛ばそうとするも、それをウェヌスが割って入って防ぐ、拳を返すと、七天七刀が曲がりかねない一撃を巧く防ぎながら薙ぎを繰り出す。と、ウェヌスは七天七刀の刃を潜り抜けて踏み込み、柄を掴んだ。


(よし、命令通りだ)


七天七刀を封じ込めとの命令は王騎士ユーピテルから杖を持つ風使いの騎士メリクリウスを伝って全員に伝わる様になっている。これが時間差なしの連携の種であった。

「ぐっ」


そこでボディーブローを一撃。聖人でなければ胴体が吹っ飛んでいたがなんとか耐え忍んだ。


「隙あり!」


その隙に五人、騎士が斬り込ませた。今度こそ回避のしようが無い攻撃―――――ここで使うしかないだろう、あと一回きりしか使えないワイヤーを。

ここで奴はこう思っているはずだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――――これが最後ですが……使うしかない………。


悔やみながら七閃で襲ってきた騎士を縛り上げて、ウェヌスの腹にさっきのお返しと膝蹴りを入れ、長い金色の後ろ髪を掴んで放り投げた。

七閃で封じていた騎士たちがワイヤーを断ち切ってくる前に離脱すると、すでに残りの四人がカバーに入っていた。ジリジリと距離を詰めてくる。

きりが無い。一時間も経っていないだろうが、もう四半日は全力疾走している気がする。さらに戦わなければならないのかと思うと気が遠くなった。息を吸わせてくれる余裕すらない。肺が苦しい、頭が痛い。体力の限界を感じ、神裂はもう冷静さを失いかけていた。


「ああ、もう」


ギリッ!

奥歯が削れる音がする。

本当にきりがない。埒が明かない。たった十人なのに、無数の敵と戦っているような感覚が、神裂の精神を削っていた。

ここで敵はなぜか一拍攻撃の手を止めた。ずっと水中に頭を押し付けられていた神裂はようやく息をつくことが出来た。心も体も数秒の休息が必要だった。これ以上戦っていたら心が砕けそうだった。

改めて思う。

人間は連続して6時間近く全力疾走できない、と。神裂とて、聖人とて人間なのだ。トップギアで走り続けていては、いつか息切れしてしまうのだ。


「ぜぇ…ぜぇ……」


これが決定的な、絶対的な、絶望的な、致命的な隙だった。



―――呪文を唱え終え、標的との間合いは十分に放したと見ると、小柄な騎士が王騎士に告げる声が聞こえた。


「出来ました」

「やれ」

「はい」


命を受けて、ここでやっと、小柄な騎士が大鎌を振りかざした。

彼は他の九人とは違い、力が無く武芸に秀でていない。ただ身の丈に合わぬ大鎌を持つ男だった。

戦闘では役立たずのプルートー。

だが、彼は冥府の神の名を冠する騎士。

彼の魔術は、騎士の中で随一の特殊能力を持っている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





その時、神裂の体に異変が起こった。

どくん。

心臓が高鳴る。

一度握りつぶされたような嫌な感触が胸に感じると、いきなり血流が加速され、全身が火達磨になったように熱く火照った。


「ァ、―――――?」


一瞬思考と視界が真っ白になった。そして警告の赤に変わる。

まず肺が痺れて呼吸ができない。そのくせ心臓だけが核融合炉を取り付けたように暴れまくる。手が空気に縛られて、動けない。足の裏に棘が刺さって、踏み出せない。皮膚と筋肉は冷たく硬くなったのに、内臓と血管は熱く燃えていた。全身の動きがここで停止。脳と体が酸素を求めているのに息を止めらた。桃色から青色に転落する顔色が、鏡を見なくてもわかる。

これは不味かった。


「し、ま…――――な、」


しまった。しまった。一瞬の隙を突かれてしまった。歩の守りを突破されて王手を指されてしまった。逃げ道はすでに埋められてしまった。たった一回の小休憩の一瞬を狙われてしまった。騎士たちが大挙として押し寄せられてしまった。

―――これは致命的だ。

これ以上自分の能力を削がれれば本格的に不味い。否、それどころか体の異変が体内で暴走し始めている。そしてそれより気になったものが…、


「な、にが」


眼球だけで、この異常事態のこの異常事態の原因を探る。

そこで見つけた。騎士団の城壁の最奥。その先で、小柄な騎士が大鎌を振り下ろしていた。

彼の名前は確か、プルートー。

今思い返せば、一度も刃を交えず、やや後ろでずっと戦況をただ見守っていた男。

神裂は彼は戦闘能力は無いと見ていた。なぜなら、130cmにも満たない小柄な体格で170cmの柄に巨大な三日月の刃を持った死神めいた鎌を必死に担いでいたからだ。彼だけが体と武器のサイズが違っていた。十人が犇めき合う戦闘では足手まといになるのは必至だと、ずっと頭の隅で思っていた。

だが、違っていた。
彼ら十人は魔術を使う騎士たちだ。文字通り十人十色の特徴ある魔術を駆使する百戦錬磨の騎士。

サートゥヌスは時間操作、ネプトゥーヌスは水、メリクリウスは風、ウェヌスは治癒……その中で、戦闘に出ない男が役立たずの訳がない。戦闘に出ないと言う事は、それ以外の能力に飛びぬけている証だ。

彼は“呪術系魔術に特化した騎士だった”。

ローマ神話に登場する神々には特徴があり、サートゥヌスは時の守護者、ネプトゥーヌスは海の神、メリクリウスは風の神、ウェヌスは慈愛の象徴。そしてプルートーは冥王星を守護する神の名で、その神は冥王星の主である。プルートーは冥府の神であるのなら、彼の魔術は連想するなら一つある。


―――対象を確実に冥府に誘う魔術―――即ち即死させる魔術、呪詛―――


なぜ…その可能性を考えなかった。


「(ここで勝負を決めに来た、か)…ごふっ」


口から血が噴き出る。

これは生者を冥土へと誘う呪いの類だ。

そうか、彼らの常套戦術はまず九人の猛攻で敵を引きつけつつ相手をある程度消耗させ、隙が出来ればプルートーの呪いで致命傷を与え、総攻撃を仕掛けて首を刎ねる。

結局、聖人神裂の鉄壁の守りを飛び越えて王手を打ったのは、狼の毛皮をきた剣の騎士(角行)ではなく、拳を振るう白鳥の飾りをつけた騎士(飛車)でもなく、小さな馬の毛をつけた騎士(桂馬)だった訳だ。彼の名前はプルートー。冥府を司る神の名と力を宿す、非力な騎士。


『全ては恨みを持つ者の為。全ての憎しみの為。冥王星と呪怨の騎士…騎士プルートー参上』


確か名乗りを上げた時はそう言う事を言っていたか。

確か名乗りを上げた時はそう言う事を言っていたか。

騎士の中で唯一憎悪と、負の感情を命題とする彼は騎士団の中でも、特に異彩を放っていた。何故その時のことをもっと考慮しておかなかった。

体は小さく、とても武勇に優れているとは思えないし、影も薄い。一瞬他に紛れているのかいないのか本当に分からない時もある。手にする武器は身よりもはるかに大きい大鎌でサートゥヌスと被っていたからきっと誰もが人数合わせだと思っていた。攻撃しないのなら放っておいても良いだろうと。だがしかし彼は最後の王手を司る重要なポジションを持っていた。得物も、サートゥヌスは農耕用であるが、彼はただの鎌ではなく、“死神の鎌”で、絶対に被ってはいなかった。

その彼の渾身の一撃。あらゆる防御も歩兵の一列も関係なしと飛び越え、王手を指す桂馬、チェックメイトを告げるナイトの剣。


(これが狙いですか)


じり貧の戦いはこっちにも都合が悪いが、消耗が激しいぶん嫌がるのは王の騎士もだ。消耗戦は下手に体力を使うだけでなんの得は無いからだ。故にユーピテルは最初からこれを狙ったのだ。いつ終わるかわからない長期化した戦いを終わらせるには、一撃で屠る手でなくてはならないのは解っていた。だが神裂の予想は格闘系の攻撃だとばかり考えていた。それがこれだった。魔術による呪殺だった。完全にノーマークだった。


(何が騎士だ。これは真実をフェイクと偽装で覆い隠す魔術師の戦い方………)


だが騎士と言う軍人らしい戦略的に効率的なやり方である。十人でいっせいに隙の多い大振りな攻撃をするよりも、一人が決定的にして致命的にして完璧な隙を作り上げてしまえば、残り九人は大した消耗なく通常攻撃で殺せる。

確かに完璧主義な戦上手の戦い方だ。

神裂は最初から掌で踊らされていただけだったのか。


「―――でも、まだ……まだ……ぐふッ」


吐血が止まらない口を押えて堪えるが、捻った蛇口のように血が溢れだす。

諦めない。絶対に諦めたくない。だがそれでも体は言う事をきかない。許していないのに片膝が地面に付く。手から七天七刀が零れ落ちると、いつの間にか地面が勝手に近づいてきた。これが自分が倒れたと認識するまで3秒もかかってしまった。


「神裂火織、討ち取ったり!」


その絶好の隙に九人の騎士は我先にと神裂の首を討ち取ろうと刃を突き立てる。これで最後の攻撃だと―――――。


ぶわぁっ、と風が芝生を撫でた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――――剣と槍と斧と矢と矛と鎚と大鎌と拳が突き刺さる音が、何度も何度も、死体に群がるハイエナかハゲワシのように、執拗に神裂の体をぐちゃぐちゃに挽く。

キリスト教の目的である最後の審判後の復活が出来ない様、もう二度と生き返らぬよう、晒す首を残して徹底的に肉体を破壊してゆく。

雪のように白い肌も、豊満な肉体美も、全て真っ赤な肉片と化しているだろう。


いや、ちょっと待て。これはおかしいぞ―――――。


「…………? ―――――――ッッ!」


と、剣を突き刺していたマールスが気付いた。


「ちょ、待て! まてぇぇえ!!」

「!?」「ッ!」「なんだ!?」

「おい、よく見てみろ」


マールスがさっきまで自分たちが殺していた物体を指さす。―――そこには、“何もなかった”。

神裂も、死体も、肉片も、神の毛一本も。

そこには、ただ耕された土以外、何も存在しなかった。


「あいつ…どこに」


呆然とお互いの顔を見合って、騎士たちは辺りを見渡すと、少し離れた場所に神裂を発見した。


―――白い髪を総髪にした、和風の着物を着た一人の男に抱かれて。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「神裂殿……よくぞここまで戦われた。もう十分でござる」

「ぅ…」


グッタリとした神裂火織に短くそう告げ、何無い様にスタスタとオルソラ=アクィナスの元へと神裂を運ぶ。


「オルソラ殿、治療をお願いしたい」

「え、あ、はい……」


彼女も何が起こったのかよくわからなかったのだろう。今起こった現象を理解できずに、眼をぱちくりとさせている。

近くの木の根元に降し、垣根を枕にして寝かせる。

顔色が悪いが、豊満な肉体美には目だった損傷一つもない。強いて言うなら、防御でついた腕の擦り傷や打ち身、腹部の打撲くらいだろう。

ついでに持ち帰っていた七天七刀の刀身を鞘に収め、神裂の傍らに置いた。巻き添えのリスクがあるのに彼女だけでなく刀と鞘も運んだ理由は、神裂もそうだろうと、錆の心遣いだった。刀は武士の魂である。


「怪我はそれほどござらん。しかし、敵の魔術とやらによって大変衰弱している……。オルソラ殿は治療の魔術が出来ると先程言われたが、それでどうか、神裂殿をよろしくお願い致す」


心からの願いだった。武士らしくなく深く頭を下げる。


「任せてください。責任を持って、神裂さんを看病します。私、シスターでございますから」

「忝い」


と、その時、


「錆…白兵……」


神裂の口が動いた。


「私のことは構いません。あの魔術は対人間用の術式、聖人である私には効果は薄い。それに呪術の大国である日本育ちです。この類の術の耐性は……っ!」

「あまり喋られるな。血が肺に入ってしまう。―――神裂殿はここで拙者と交代でござる。女子一人に男十人と圧倒的不利の中よくぞここまでと、讃えられてもおかしくはござらん」

「いいえ、これは私とオルソラの問題。あなたが勝手に出る幕では…」

「否。拙者はオルソラ殿を守ると誓った一本の刀でござる。否、それ以前にあ奴らのような卑怯者共は許せぬ。故に拙者は戦うのでござる。神裂殿のようなか弱い女子供を守れずして何が剣客でござるか。何が男でござるか!」

「!」


怒気を孕んだ声が耳に響く。あの時―――『薄刀 針』のことで争った時を思い出す。彼は、この自分を大事なものとして扱っているのか。


「あなたは、私のような者をか弱いと言うのですか…」

「無論。男が女子供を助けるのは当たり前でござる。故に拙者は一本の剣として、ここで命、散らす覚悟で戦う所存」


錆はスクッと立ち上がる。


「それに、神裂殿のおかげで、敵の癖を覚えることが出来た。これは大変感謝致す」

「錆白兵、あなたは……!」



戦うべきではない。奴らは聖人を倒す為に鍛えられた傭兵集団。ただの人間には敵う訳がないと、手を伸ばす。だが力が入らない腕では裾も掴めない。だがこれだけは訊きたかった。なぜ錆白兵は戦うのか。なぜ錆白兵という剣士は、ここまで善行をして止まないのか。


「なぜ、あなたは……そこまで私たちを大事にしようとするのですか……つい一昨日まで他人だったのに」


ゆっくりと自然に振り返って、錆は応える。

「それは、拙者が守りたいと思ったからでござる。―――それだけは、理屈ではござらん」


恥ずかしそうな笑みだった。実に人間らしい照れ隠しだったが、その人間らしい笑みは一瞬で消え、踵を返す。既に剣客の表情になっていた。


「神裂殿は非常に良い戦いぶりで、拙者は感動致した。ならば今度はこちらの番。この錆白兵、全身全霊を掛けて戦いまする」


神裂とは別の、それ以上の、鋭く、静かな気迫と剣気を孕み、錆は戦場へと向かう。


「ご安心くだされ、命を散らすと言えども、あのような卑怯者共命を賭けるまでも無し」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その男の名前は錆白兵と言うらしい。

ユーピテルはいきなり決闘に邪魔を入れた不届き者を一瞥した。

あと一突きだったのに、殺し損なった。

別に大問題ではないが、生命力を精製して作る魔力はただではない。こうして満月術式で己の肉体に神の力を宿らせているだけでも酷く消耗する。余計な時間は必要なかった。

だが短い余興だった。介入者は聖人と比べ得物は貧相で、木刀一本。即興で製作した様に見えながらも見事な作りだが、しかし所詮は木製の模造刀。本物の刃を持つ我らの敵ではない。

侮辱を含めて、吐き捨てる。


「神聖な決闘の場に茶々を入れるとは何事か」


木陰から戦場へと歩み寄る錆は最初から溜まっていた文句を今こそと即答する。


「たった一人の幼気な女子を十人がかりで襲い掛かる者共が、誇り高きと聞く騎士がこのようだとは残念至極」

「……なに?」

「諸君らは確かに立派な武人でござる。剣圧、闘志、技量、肉体、そして覚悟…それらどれもが高度に練り上げられているが、だがしかし、決定的に欠けているものがある。それは誇りと良心、正義。それらがない力はただの暴力に成り下がり、人を不幸にする。この決闘はまさにそれ。決闘と名乗りながら一対一の正当な勝負に出ず、女子を寄って集って痛めつけるとは何事か」


立ち止まった。間合いは20m。自分たちなら十秒で肉塊に出来る距離だ。

錆白兵という名前は初めて聴く。魔術サイドでも科学サイドでも全く聞かぬ無名の剣士だ。まさか聖人ではあるまい。聖人を一度だけだが屠れるまでに痛めつけたこちらは十人、それに健気にも立ち向かってくるあちらは一人。愚かすぎて笑いが出る。


「ふん、何を真宵事を。我らこそが正義。ローマ正教とローマ法王陛下に仇なす者、全てが悪。その悪に我ら聖バチカン騎士団が下すのは神の鉄槌よ。プロテスタントの虫けらに下すには、些か高価な槌だがな」


ユーピテルは目で、合図をしたら即殺せと命ずる。隊伍を組むまで注意をひきつける為に、錆の問いに応えることにした。


「それに貴様、神裂火織がどんな女か知らぬのか? 流石に『幼気な』は耳を疑ったぞ。奴は神の子の再来と自称する聖人よ。なんと愚かで汚らわしい。異教徒が我が主を語るなど、本人である主が耳にして泣き果てるわ。聖人などいらぬ。我が主は神の子ただ一人。聖人など、今では核兵器と同視される生きた兵器。一対一で相手するより、遥かに相応しておる。化物を狩るには人手が必要なのだ」

「…………そうか」


錆は短く応えた。


「ならばこの剣に誓おう。この錆白兵、この手で諸君らを一人残らず――――――斬る、と」

「木刀でやれるものならやってみるがいい。そして無残に―――――死ね」


爆弾が爆発したように、一斉に騎士たちは掛けた。20mの間合いをたった2秒もかからず移動し、錆へと斬りかかる。雪崩の如き猛攻が小柄な錆に押し寄せる。そして完璧で完全なる連携を持ってまったく予期しない奇襲に反応も出来なかった錆を肉塊へと――――。


「あ?」


斬り込み隊長マールスが振り抜いた剣の軽さに、疑問詞を浮かべて振り向いた。手応えがプリンを切るよりもなかった。
あたりを見渡す。


「いない?」


あの白い影の姿はなかった。真っ二つなどになっていない。消えた。白髪の一本すら、消えていた。

錆の煙のようにいなくなっていたと知ると、なぜか背中が冷えた。敵を見失うと言う事は、いつ斬られてもおかしくはない恐怖を植え付ける。だが360°どこを見渡しても、木刀の剣士はいなかった。

「奴は煙か、幽霊か……いや、そんな訳ねえ。人が消えるなんて出来っこねえ」

「その通りでござる」


その声は、はるか後方から聞こえたと思うと、6時の方向、何十mも離れた場所に奴はいた。


「ここでござる」

「へ?」


プルートーの背後だ。

錆よりも小さな背中が恐る恐る振り返ると、既に木刀を振りかざす錆がいた。据わる得物を定めた梟の目が青白く光り、小柄な騎士を捉える。手に持つ木刀は既に鋭い鉤爪となって、その時だけは本物の真剣に見えてしまった。


「ヒェッ!」


キンッ!

金属が断たれる音が鼓膜に響いた。

気が付くと、自分は斬られていないと自覚し、目を開けると、そこには既に錆の姿はなかった。代わりに、恐れてプルートーは大鎌を盾にしてしまった大鎌は柄から真っ二つになってボトリと地面に落ちていた。


「………」


あんぐりと芝生の上に転がった三日月の刃を見るしかないプルートーはぽつんと取り残され、錆はさらに別の場所にいた。


「これであの面妖な呪いもできまい。それに神裂殿の呪いが解ければ良いのだが……どうやらその気配はなさそうでござる」

「…………ほう」


途端、他の騎士たちの目の色が変わった。


「おい、さっきの見えたか?」

「いや、全然」

「奴め、噂に聞く学園都市の空間移動能力者か?」

「いや、あやつは若く見えるが二十歳そこそこだ。学園都市で成人の能力者は原則いない筈だ」

「なら人の身で、一瞬にしてあそこまで移動を? 神裂めと同じ聖人でもなく、我らのように月の加護も受けず?」

「あり得ぬ、あり得ぬ」


じろりと、侮蔑の眼から敵意の眼へと。


「なにより、木刀で鉄を斬りおった」

「何かの仕込みか? それとも魔術?」

「いや、その気配はない。完全に手前の技量だ」

「ますます興味が湧くなぁおい。ぜひとも斬り合いてぇぜ」


そして狂気の眼へと。


「決めた。錆白兵と言ったな。貴様を我ら聖バチカン騎士団の敵と見なそう」

「最初から、拙者は諸君らを敵と見なしているが……。諸君らに時間はあまり与えぬ。医者へ赴き、神裂殿の治療をせねばならぬ故、手短に済ます」


錆は駆けた。速い。一歩で一尺は走っている。否、飛んでいる。鳥の羽を思わせる軽い足運びで三尺を1秒もせずに駆けている。誰もが風よりも速いと感じた。

殆どの者が反応できなかっただろう。十歩の間合いの先にいた風魔術を使う外套を被った杖の男は自分が襲われていると気付く頃には既に錆の間合いの中であった程だ。

が、一人だけ反応できた者がいた。剣の騎士だった。二人の間を割り込むように錆の進路を塞ぎ、大剣を錆へ振り回した。錆は一歩で立ち止まり、寸前のところで躱す。それなりの速度で走っていた筈なのに、その慣性の法則を無視して急停止した錆は奇妙だっただろう。だがそれよりも、


「オイオイオイオイ、斬り込み隊長の俺を無視してメリクリウス取りに来るたぁいい度胸じゃねぇか!」


これは彼のファインプレーだっただろう。だが内心、ヒヤリとするモノがあった。


「 (コイツの狙いは風魔法で飛び道具の強化をするメリクリウスを倒し、苦手な遠距離から攻めてくる奴を削ごうと考えてんだろうな。まったく隙がねぇぜ。ヤツから近い立ち位置にいて弓で援護射撃が主体のルナが……近接戦闘でも十分に出来るヤツだと気付きやがったのか。わざわざメリクリウスを狙ったのは正解だと一瞬で、感知していたとするなら、コイツの目は節穴じゃ)………ねぇ!」

「………」


剛ッと大剣グラディウスが錆を襲う。が、それを微風でしかないと嘲笑うかのように柔らかい受け太刀で受け切り、いなしてカウンターを決める。

ドスッ! と脇腹に一撃喰らわせた。

恐るべき技術だった。受け太刀から返し技までの動きが滑らかで無駄がなく、且つ速度があった。今度はこっちが反応できない一撃を繰り出されたマールスは肺の空気を強制的に吐き出される。


「がはッ!」


脇腹に衝撃が伝わり、口の端から胃液が垂れた。木刀は真剣とは違い殺傷能力はないが、強烈な一撃を喰らえば内臓破裂はよくある凶器だ。普通の者ならここで倒れて這いつくばっている筈だ。否、プルートーの鎌を断ち切った奇妙な技を持っている錆なら、内臓破裂どころか、上半身が下半身から離脱しているだろう。


「むっ…」


しかしそれはなかった。錆は眉をひそめる。マールスをこの一刀で、鎧ごと脇腹を断ち切るつもりだったのだろう。だが、木刀は鎧に届かなかず、それを阻むモノがいたからだ。


「投擲斧…」


これが鎧と木刀に挟まれる形でそこにあった。斧の騎士テラによって投げ込まれたのか。


「斧をここまで正確無比に投げ込めるとは……―――む」


気付くと、八方向より斧が投擲された。斧はもう驚くべき速度で目前に迫っている。渾身の八連投をテラは自画自賛した。


「………避けきれまい」


一投が大木に刃が丸々食い込む強さ、それが八つ。上段、中段、下段に万遍なく、回避不可能になるよう投げ分けた。屈んでも下段が、跳んでも上段が、左右に躱しても中段が、錆の胴体をバラバラに破壊するだろう。避けきれる訳がない。それにもし弾いたとしても精々一二本が限度。木刀は折られ、無残にバラバラになるはずだ。そしてなす術なく……。神裂のように予測データはないが、ただの人間に躱され弾かれる可能性はゼロ%。コンマ幾つもない。投げたテラはそう予測していた。

の、だが、それは予想だにしない事態で阻止された。急に、投擲斧が錆の体に突き刺さる前にひとりでに地面に墜落したのだ。なんの理由もなく、空気に叩き落とされたという超常現象としてそれは発生した。


「ぬ、ぁにっ!?」


投擲斧の包囲網から脱出した錆はそんな超常現象なぞ知らぬと、斧の包囲網から離脱していたマールスに斬りかかった。鋭い木刀の右から左への横切りは迷いなくマールスの胴体を断とうと迫る。


「ぶねっ!!」


それを大剣を盾にして防ぎ、金属と木製から金属音が響く。大剣の防御より木刀の一撃が重い証拠だ。これを喰らえばひとたまりもあるまい。これだから西洋剣は有り難いと、頑丈な愛剣を思う。


「ぅ、ぉお……おいおい、片腕でどんな威力だよ」


だが怪訝な顔をしたのはどちらかというと錆だった。

「……その剣、頑丈でござるな」


錆はお返しにと2倍加速して返ってくる大剣を紙一重で避けて呟くと、それにマールスは、

「元々グラディウスは分厚い短刀だ。それをでっかくしちまうから、こいつの強度と防御力はピカイチよ。ま、重くなるし速度は劣るが、その分は俺の火の神マールスの特性でカバー済みってことだ」

「それが倍加速の剣の秘密でござるか。――――となれば、その神の役とやらから引きずりおろせばそれは出来まい」

「ご名答。スリルある斬り合いが御所望なら満足できるぜ。しかしどうした、斬り合おうじゃねえか。ああ、でもそんなことしちまったらご自慢の木刀が折れちまうわ……なぁっ!」

と笑いながら軽口を叩き、一振りごとに倍加速するグラディウスの剣舞の数々を完璧に躱し続ける錆は何気なく返す。

錆の刀の速度は超高速。神裂のそれとそん色なく、瞼一つの間に数回木刀を叩き込める。

だが、倍加速する大剣は容易く錆の木刀を弾き、防いぐと流れた錆の体に渾身の一撃を繰り出した。がそれは誘いであり、錆はカウンターを仕掛ける。

そのカウンターは決まるかと思った。タイミングも位置もドンピシャだったからだ。だがそれは勝負は一対一の場合である。既に他の騎士たちが戦闘に参加していた。

そのひとりサートゥヌスは錆の時間を停滞させて高速移動の歩法を封じようとする。だが三秒錆が速かった。魔術の施行に気付いてカウンターを途中で止め、残り六人の騎士の挟撃を、するすると躱し続ける。が、完全とは言えなかった。袖が少し破れ、そこから血が少し噴き出る。

無理もない。神裂も苦戦した、相手の時間を停滞させる術式は時を司る神を宿すサートゥヌスの唯一無二の魔術。そして彼は騎士団の中でもこと魔術に関しては上位の実力者。

完全に停止させるのは一秒も維持できないが、二時間は維持ならほとんどの時間を停滞する事が出来る。そして今の錆の時間は通常の40%ダウンの速度だ。

近接戦闘に特に強い剣の騎士、斧の騎士、拳の騎士、鎚の騎士が同時に錆に斬り込む。


「まだだ、これではまだ足りぬ」


錆という男は剣の速度よりも特殊な歩法による回避が怖い。そこでそのあとを残り四人が続く、波状攻撃を仕掛けた。


「詰めだ!」


八の凶器が錆に突っ込む。間合いは2mもない。時間を制御された錆が、この攻撃を止められるわけがない。ここでチェックメイトだと、誰もがそう思った。

――――だがその時、後方にいたサートゥヌスへ閃光が走る。


「ご……ファ…ッ!」


腹部への衝撃と突き刺さる激痛が吐血と共に脳天へ駆け上がる。驚きの声は隣にいたユーピテルの物だった。


「な゛」


サートゥヌスの腹には、砂時計があった。時の守護者としてのシンボルの一つはその時、鳩尾の位置にあった。そこになぜか錆の木刀が突き刺さっていた。それが砂時計とサートゥヌスの胴体を貫いていた。


「き……さま」

「邪魔な術を封じさせて頂く」


正気かと思った。

木刀はルナの矢と同等の速度で波状攻撃の間をすり抜け、ピンポイントでサートゥヌスの時の象徴を破壊したのだった。

そう、神の役になりきるにはその神のシンボルが必要なのだ。ユーピテルなら大鷲、プルートーなら馬、そしてサートゥヌスは大鎌と砂時計……それらには大きな意味がある。特にサートゥヌスの砂時計は時の守護者の代名詞であることから強い意味を持っていた。そして同時に、


「気付いて…いたのか……時間操作の術式の霊装が……砂時計だと」

「見たことがござる。砂を中空の管にいれ、砂の落下で経過時間を計るそれは、時を計る南蛮の時計」

「…ぐぅ…ば、馬鹿、な」


驚いた。驚きながら前に倒れる。倒れながら、嘲笑した。嘲笑しながら激怒した。

なぜ矢よりも威力のある投擲が出来たのか、針に糸を通す程のコントロールが出来るのか色々とだが、一番に驚愕したのは錆は唯一無二の自分を守る武器である木刀を、ここで手放した事を言及したかった。錆程の腕ならばこの密集地帯を木刀一本で切り抜けられたかもしれないのに、その可能性を感覚時間操作の魔術の解除の為に放棄したのだ。

これで錆は丸腰だ。刀の無い剣士など何の価値もない。目の前にいるのはただの阿呆か、狂人だ。ここまでの悪手は見たことがない。自らの命を捨てに来たのだ。


「馬鹿なのか貴様!! 自ら殺せと言ってるのだぞ!!」

「ふっ」


腹に木刀を喰らい血反吐を吐き倒れながら叫ぶサートゥヌスに錆は爽やかに頬を緩ませた。

錆は笑っていた。


王手を掛けられているのに、死の五秒前、刃に囲まれながら涼しい顔をしていた。その余裕はどこから来るのかわからないが、聞こえた音がなぜ、ぶちん、と何本か頭の血管が切れる音だったのかだけは一瞬で理解できた。


「死にたければさっさと死ねぇ!!」

「否」


短く、錆は応える。





「そろそろ頃合い故の一手でござる。流石に一対十は多勢に無勢、故に――――――――得物を交換させて頂く」





その時だった。

光が差した。

猛烈な光だ。目がくらむ程の光線が一帯を白に染める。九人となった騎士たちの進撃は、突如として中止された。

――――介入者が現れたのだ。

騎馬のこれにも似た地響きと唸り声。この音は聞き覚えがある音と共に、ぶぉんっと、丘の向こうからハイビームの輝きが現れた。


「なんだッ!?」


一台のバイクが丘の上から飛び出てきたのだ。

それと同時に一瞬にして、錆の姿は消えた。


「………あっ!」


まただった。今度は360度周りを囲んでいたのにも拘らず、錆の姿は消え失せた。そして気が付くと、介入者と共に丘の頂上で立っていた。一体どんな手品を使ったのか、訳が分からなかった。理解できぬまま、騎士たちは円の中心でぶつかり合う。

それを嘲笑っているのか、ぶおんっ、ぶおんっとバイクは錆の周りに円を描く。


「ご無事ですか」


ライダーは若い娘であった。ヘルメットをかぶらずにここまで走ってきたのだろう、風で髪がぐちゃぐちゃになっていた少女は、錆に尋ねる。


「拙者は何も。しかし神裂殿が敵の呪詛によって深手を負ってしまわれた。逸早く治療をして頂きたい」

「わかりました」


錆の願いを了承すると、ライダーの少女、五和は肩に掛けた袋から『ナニカ』を取り、錆に差し出す。


「忝い」


その手に持っている物は刀であり、錆は鞘から抜くとそれは―――――驚くほど薄い、日本刀であった。

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今日はここまでです。ありがとうございました。
>>359
ご尤もです。
本当に申し訳ございませんでした。ご指摘、ありがとうございます。
言い訳に過ぎないと思いますが、作成の理由を。
今回はねーちんの噛ませ犬フラグとか16巻のアックア戦の天草式カムバックのフラグを折ってみようかなと、一度攻略してみたかったと思いオリを作成した次第です。
だったら既存キャラでいーやんと思われますが、現在ねーちんに対抗できるキャラが出ていない為、致し方なくでした。

「錆じゃあ駄目なの?」
「あの錆白兵が一宿一般の恩義がある上に女の子のねーちん斬れるか?」
「………斬れねえな」

モトネタは某アニメ…との指摘はありましたが、実のところは『あーなんかいいネタねーかなー』とギリシャ神話あたり調べていたら、惑星と神話とか核原子とか発見したので、そこからの繋がりでした。モトネタが共通なだけです。ヨーロッパの神話とか伝承は色々繋がっているから興味深いです。

「じゃあなんで『月に代わって~』があったのさ」
「…………徹夜のテンション(2か月前の)」


話描くのは深夜で徹夜が一番だけど、設定考えるのはシャープな昼間がいいや。

こういうSSって作者が自分の人生と読者の時間を喰って提供しているから下手なモンは出来ないよってのが身に染みました。あと長いのは駄目だと。

明日評価を見た後、書き留めた続き投稿し、今後を考えたいと思います。

シチカブラザーズに期待しています

1スレで血液採取された段階で予想してたからやっときたか(嬉)って感じ

>>395

https://www.youtube.com/watch?v=ps5akYt1WLQ

テッテッテッ♪ テレレッテレ♪

絹旗「………………」カチカチカチカチ

七実「………………」カチカチカチカチ

絹旗「………………」カチカチカチカチ

七実「…………亀、めんどうね……」カチカチカチカチ

絹旗「………………」カチカチカチカチ

七実「…………あ、きのこ……」カチカチカチカチ

絹旗「…………それくらいとってくださいよ……」カチカチカチカチ

七実「………………」カチカチカチカチ

絹旗「………………あ、」カチカチカチカチ

七実「……………何をやってるの……」カチカチカチカチ

絹旗「………………」カチカチカチカチ

七実「………………」カチカチカチカチ

絹旗「………………このっ」カチカチカチカチ

七実「……………くっ」カチカチカチカチ

絹旗「………………」カチカチカチカチ

七実「………………」カチカチカチカチ

絹旗「………………あぶっ」カチカチカチカチ

七実「………………邪魔しないでちょうだい」カチカチカチカチ

絹旗「………………すいません………」カチカチカチカチ

七実「………………」カチカチカチカチ

絹旗「………………」カチカチカチカチ

七実「………………」カチカチカチカチ

絹旗「あ」カチカチ…バキッ

七実「あら」カチカチ…バキャッ

テレレテレッテ♪ テッテッ♪

-GAMEOVER-

テッテッテッ♪ テレレテレレレ-♪

絹旗「………………」

七実「………………」

絹旗「………コントローラーまだあるんで、続きやります?」

七実「望むところよ」

とがめ「修行しろおまえら」スパパーン


こんばんわ、先日は投稿できずにすいませんでした。
今日は錆のパートA……書き溜めた最後まで投稿したいと思います。

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「ところで、錆白兵は七花さんからすると、どのくらい超強かったんですか?」


久々の台詞になると思うが、絹旗最愛の素朴な疑問は稽古中の会話の中であった。

絹旗の突進を、稽古相手の鑢七花は真正面から打って出て牽制の掌底を打ち出す。


「少なくともあの時の俺よりは強かったぜ。もう手が出せない位だ。一瞬でほぼ同時に別方向から攻められたらどうしようもないし、あの時、下手すりゃ一瞬でばらばらだったな。そんな技をばんばん使う奴だったよ」

「…………そんな相手にどうやって勝ったんですかあなた方は」

「ん? 俺の虚刀流ととがめの奇策と……あとは殆ど運だな!」

「………本当どーやって勝てたんですか。いや、今の七花さんが最強ですけど!」


牽制を弾き、その次に繰り出された本命の手刀を拳で殴り返しながら胴に肘打ちを打つ。


「じゃあ、『薄刀 針』を持った錆はどんな剣士だったんですか?」

「元から強かった上に完全に薄刀を使いこなしてたからな、間違いなく姉ちゃんの次に強かったよ。どっちが勝つかわからないけどな」

「七花さんのお姉さんは話に聞いていた通りだと、超チート人間ですけど…」

「家族だから姉ちゃんに勝ってほしいって気持ちもあるけど、剣士としては錆に勝ってほしいな。だってあいつの剣、めちゃくちゃかっこいいんだぜ」

「超わからないので、具体例を挙げてください」

「んーそうだなあ」


それを七花は膝で迎え撃ったことで鋭く尖った肘と堅い膝が衝突する。威力を相殺しきれなかった両者は一旦離れ、再度、磁石のように激突し、戦闘が始まった。絹旗の突進が七花の牽制を掻い潜りながら懐に侵入する。そこに右の蹴りを七花は合わせた。


「あ、そうだ、そう言えばあいつ太陽も一刀両断できるって噂があったんだった」

「…………はい? ――――ぐべっ!?」


ダッキングで躱したが、あまりにも滑稽な言葉に絹旗はつい気を抜いてしまい、掌底を顔面に喰らってしまう絹旗であった。

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ライダーの少女、五和は肩に掛けた袋から届け物を錆に差し出す。


「これを」

「忝い。あとで神裂殿に謝らなければ。誓いを破ってしまったと」

「これくらい、あの人なら許してくれますよ」

「だといいのでござるが。―――――……………ああ」


錆がそれを受け取り布の袋を剥がすと、どうしたのか表情が暗くなった。何か気になることがあったのか。もしかして傷でも付けてしまったか。そう五和はヒヤッとすると、どうやら別のことらしい。


どっと錆の目から涙があふれ出した。


これを手放したのはつい先日のことだが、感触は久しぶりに感じるものだった。非常に懐かしい。

白い柄に青い鞘、花模様の鍔に見えるそれは、どこからどう見ても日本刀だった。どこからどう見ても、美しい日本刀だった。

錆は深く五和に頭を下げる。


「五和殿、誠に感謝いたす」

「お礼は後です。今は……」

「無論、この者どもを片付け申す。五和殿は逸早く…」


震えそうな喉を必死に押さえつけた、強い口調の錆から察して、五和は頷いた。この人からすると今持っている刀は命よりも重い物で、魂を売り払っても守りたかった物なのだ。一度手放した時、錆白兵は『自分は死んだ』と言っていた。きっとそれは彼にとって錆白兵そのものなのだろう。

まるで戦友と再会したように顔を歪ませ、刀に語り掛ける錆は額に唾を押し付ける。自然と溢れた美しい月夜に輝く雫は目から落ち、鞘を滑る。


「では、また一度、この時のみでござるがこの錆白兵、そなたの主として己を信じよう」


涙を吹き、錆は歩き出す。

目の前には十人の名ばかりの騎士。各々が腕の立つ武芸者だ、手も気も抜けない。だがこの手にある刀があれば、神裂が手遅れになる前に事は済ませるだろう。


「待たせた」


錆は鞘を左手に持ち、丘を下る。右手は柄を握り、慎重に抜く。

ゆっくりと刀身が鞘から現れた。

そこには刃は無かった。否、向こう側が透けて見える程に薄く作られた刃だった。抜ききると、改めて、和鋼をどうやったらここまで薄く造れるのかと、妖しく思わされるその妖刀は、見ただけで只者ではないとわかる。

危険かどうかではなく―――ただ美しい、と感じた。


「なんだ、その刀は」


だが実用ではない。あのような薄い刀、実戦では扱えるわけがない。一太刀浴びせる前に粉々に砕けるのは火を見るより明らか。なぜ今のこの状況でその刀を得物として選んだのか。

そんな意味を込めたユーピテルの問いを、錆は答えず、変わりに空高く刀を掲げる事で答えた。


――――この刀こそが最強であるからだ。


背後には美しく輝く黄金の満月。月の光を浴び、吸い取って、神々しく輝いていた。

サートゥヌスを治療していたウェヌスと思わず剣の握る力を弱めたマールスが思わず溢す。


「キレイだ…」

「でも脆そうだ」

「あれは……刀か? いや、あれは刀ではない。―――装飾品だ。飾りの刀だ。一太刀入れてしまえば硝子細工が如く砕け散る、弱く脆い外見だけの役立たずではないか」


如何にも。

錆白兵がその手に持つそれは彼の伝説の刀鍛冶、四季崎記紀が造りし完成形変体刀十二本が一本であり、四季崎が最も製作に困難したと言われる、最も美しく最も脆い刀。そして錆白兵が愛し、そして彼が死ぬ原因になった刀――――『薄刀 針』

扱える人間は日本最強のみとさえ謳われた、最強の剣士、錆白兵の代名詞。数多くの武芸者たちがこれに憧れ、日本最強の座を狙い、また多くの人間がその美しさに魅了した日本刀。

だが凡百の剣客では振れず、手に入れても飾るしか出来ぬ、美しいが故に弱く脆く扱えぬ装飾品。そんなあってもなくても、名誉しかない刀に何ができる―――と、常識ある武芸者なら誰もがそう思うだろう。

薄刀の特性は『脆さ』……『名誉』とは常に“美しいが脆い”。四季崎はそれを皮肉ってこの刀を造ったのだろう――――――と、これを耳にし目にした凡百の剣客は誰もがそう思った。

だが天才と呼ばれ、日本最強の剣士であり、剣聖とまで謳われた錆白兵はそれに否を叩きつける。




――――――――――史上最強は『薄刀 針』にこそあり、と――――――――――




「この刀は諸君らのような者には解りまい。ただ美しいだけの刀だと、ただ脆いだけの刀だとしか見ず、観賞用や宝としてしか思えぬ輩には、この刀の魂は解りまい」

「何を言っている」


ユーピテルは指をさした。先程から意味不明な言動が目立つ、実に不愉快だと指が言っていた。


「そんな刀、打ち合えばすぐに砕けてしまうではないか。人を斬ろうとしても皮膚も斬れまい。斬る前に刃は肉に敗けてしまう。そんな物は武器とは言えん。人を殺せぬ兵器など、ただの玩具だ、美しいだけのな。装飾品を持ってして貴様は何ができるのだ」


嘲笑するユーピテルの問いに、錆は短くこう答えた。










「月を斬ることができる」









えらく奇想天外な回答だった。

冷静沈着で冷酷な男であるユーピテルでもついキョトンと目を丸くしてしまった。


「………は? ――――ぶっ、はは、はははは、はははははははははははははは!! 月を斬る、だとぉ? 笑わせるな、笑わせるでない、笑わせるんじゃない東洋の若造よ! 貴様は夢物語の見すぎであろうが。月を斬るなど、出来る訳がない。出来る訳がないだろう! はははは、やれるものならやってみるがいいッッ!!!」


それは誰もが信じられぬ事だろう。地球から月までは果てしなく遠い。数cmの鉄の棒でどうやって斬ろうと言うのだ。だが、錆は本気の口調で、


「承知」


踵を返し、振り上げた刀を月へ向かって一直線に振り下ろした。

するとどうだろうか。


「はははは……どうだ、振りだけやっても斬れんぞ………………―――――お?」


声が詰まった。

目の前にはあり得ぬ光景があったからだった。

錆が薄刀を振り下ろした軌道通りに、月にすっと切れ込みが入り、月が右半分、完全に光を失った。

―――――本当に月が半分に斬れたのだった。

錆白兵はあたかも豆腐を切る様に、満月を真っ二つに斬って見せた。


「………………………な、……な、」


流石のユーピテルも絶句した。その他九人の騎士たちも同じような表情だった。いや、その後ろ、ずっと見ていた神裂もオルソラも五和も、この怪奇現象を目撃し、眼が点となっていた。

錆は出撃する前、オルソラから『月が半分に割れない限り、満月術式は止まらない』と教わった。それを『月が割れればよろしいのか』と訊き、『そうだ』と答えられた。その会話は実はメリクリウスの耳に入っていた。彼の風魔術は応用で、聞こえる音の範囲を広くすることができる。


(だから割ったのか。聖バチカン騎士団の魔術、神話の神々の力を降し、お互いの力を十乗しと干渉を十等分させる術式を破る為に、月を断ち切ったのか。……そんな―――)

「さて、これで薄刀の実力がわかって頂けたか」




「「「「「「「「「「「「「そんな馬鹿な!」」」」」」」」」」」」」




オルソラと神裂と五和と騎士団全員が声を揃えて驚く。そんなの出来る訳がない、出来る訳がない、出来る訳がない! だって地球から月への距離は果てしなく遠い。刀を振っただけで斬れる訳がない。そして何より、ただ振り下ろしただけで何百万㎞先の月を、宇宙空間で地球の周りを公転する衛星を斬り落とすなど、どんな甚大な被害が……。


「いや、それより出来る訳がない!!」


そんな神裂の反論を、錆は首を振って返した。

「“あれは月ではござらん”」

「は!?」

「………時に神裂殿、呪詛は大丈夫なのでござるか」

「え……」


神裂が声を上げた時、なぜか呪詛の痛みがどこかへ消えていた。吐いた血反吐の原因である病状も、呼吸を止めていた筋肉の硬直もだ。これはどういうことなのか。

錆が納得した様に月を見上げる。


「まったく、まさかと思ってやって見れば、やはりでござったか。―――見られよ、あれが“本物の月”でござる」


錆が薄刀で夜空を指すと、光が消えた部分の月の向こう側から――――三日月が見えた。


「これは……」

「考えてみれば単純なことでござる。人が月の満ち欠けを勝手に操れるわけがない……何かの工作があるのでござる。即ち偽。あの月は偽の月でござる。
仕掛けは単純。我々と月の一直線上に巨大な鏡を設置し、地上から光を当てれば月が出てくる構造であれば不可能ではござらん。敵にはちょうど水魔術とやらを使う魔術師が一人いる。そ奴が水の球を浮かばせ、地上から光が全反射する様、角度を調整して、何らかの機械で投射すれば、理論上可能でござる」

「投影機!」

「そうか、今思えばこの術式は色々と卑怯が過ぎる所がありますね」


一騎士団がこんな術式を持っているのならローマ正教の正規の騎士団の実力はさらに上である。だが実際はそうではなかった。彼ら聖バチカン騎士団は『人体への過大な負荷』が代償のドーピングと、もう一つ、明らかに卑怯な手を使っている。


「つまり、“科学技術の利用”―――なるほど、てっきり魔術のみだと考えていた私たちは裏をかかれていた訳でございますね」

「奴らは、空中に架空の月を造る為に水鏡を浮かばせ、そこに地上の誰もいない場所から投影機で月の映像を照らし、月を創造していた……」


これは明らかな魔術サイドと科学サイドの条約違反。魔術サイドに属する世界の住人である正規の騎士団にそれはできない。だが彼らは不正規の傭兵で、日常では普通の一般人だ。科学製品を使いながら神にお祈りする、どこにでもいる一般人。いるかいないのかハッキリしない水に浮かぶ月なのだ。故に今まで正体は明らかにできなかったし、この魔術の正体が判明されることは無かった。

五和は携帯電話で誰かに電話をかけながら呟く。


「………なら、その投影機の場所さえつかめれば!」

「月が二つ現れたと、なにも騒ぎになっておらぬ所から、この都市の人間に気付かれぬように高く設置したのでござろう。それに水が光を反射させるのには特定した角度が必要。ならば鉤股弦の法により一は特定できる……」


鉤股弦の法とは日本独特の数学、和算でのピタゴラスの定理である。


「かなりの高度だが、地上から月への距離と比べて短いのは変わりない。拙者と『薄刀 針』ならば両断させるのは容易い」

「いや、それでも…」


錆と同等の剣の達人である神裂は驚きを隠せない。

それでも、その刀の間合いの範囲内から離れすぎている。いったいどんな手品を使ったのだ!?―――と。それ問い詰めるが、それより早く、錆は騎士団との戦闘に入ろうとしていた。神裂は戦闘よりも気になる疑問を喉に押し込む。

ここからは無用な口出しは出来ない。それが錆の命取りになってしまいかねないからだ。

うぉおお!!! と騎士たちが一斉に錆に押し寄せてきた。なんらかの戦略があったのか、それとも月を斬られた焦る故か。

一対十の不利の状況下、緊張の糸が張り詰められた。


「さて、神裂殿の呪詛が解けたと言う事は、その満月術式とやらは破壊されたと見てよいだろう。これでお主らが十乗に強化されることは無く、拙者が与えた傷も十分割で分担される事無く、隙のない連携も出来まい」

「………確かに」


大地を駆けながら王の騎士はあっさりと、騎士団の戦闘力が格段に下がったと認めた。だが彼らから迸る闘志は一向に収まらず、逆にさらに強く燃え上がっていた。


「だが我らの基本術式―――『演神術式(ディー・コンセンテス)』は解けておらんぞ。満月術式はあくまでも十人にパスをつなぎ、肉体の強化と干渉の操作と魔力増幅ためのもの」


どうやらオルソラの考えは半分違っていたようだ。

どうやらオルソラの考えは半分違っていたようだ。

錆は知らぬと思うが、『ディー・コンセンテス』とはユーピテル大神を含む6人の男神と6人の女神に組成されるローマ神話に登場する12人の最高神の総称であり、ギリシア神話のオリュンポス十二神と対応する。意味は『調和せし神々』。―――ここで気付いたと思うが、騎士団は十人ディー・コンセンテスは十二柱であるとなると、騎士団はまだカードを二枚持っていることになる。だがそれはない。彼らはこれを台本にし、この戦場を舞台と見立て、惑星とシンボルと名前を衣装に演劇をやっている。太陽系の主な星は十だ。故に月の光を媒体(名目上だが)に肉体を強化する術の定員は十人。残った二枚のカードは補欠として、使えないからだ―――。

兎も角として敵からすれば大打撃は間違いない。


「ならば一人一人の魔力量が十乗分減った訳でござるか」

「そうだ」

「神裂殿が回復したのは、呪詛は解けたのではなく、神裂殿の体を蝕む魔力とやらが減った故でござるか」

「そうだ!」


ユーピテルの槍が錆を襲う。時間操作の魔術を封じられ、魔力量が極端に減り、肉体強化も出来なくなった騎士の一突きは今までより極端に遅く鈍かった。だがそれでも極限まで自身を鍛え上げた武人の槍術なのは間違いない。力がなくなれば技術で補うのが定石であるからだ。百戦錬磨の騎士であるならば、細心の注意を張っても誤りではなかろう。故に錆は槍にカウンターを合わせず躱す。――――否、それに見せかけ返し技を仕掛けた。槍の一撃を半身で躱し、薄刀の刃を老騎士の髭に向かって滑らせる。


「させるか!」


それを弓の騎士が放った矢の援護射撃のせいで阻止され、横に離脱すると、背後には斧の騎士が既に投擲斧を投げ込んでいた。


「でやぁぁあああ!!」

「遅い」


だがそれも錆の優れた回避能力の前には無意味であった。風を受け流す柳が如くすらすらと躱しきられる。


「一度見た技は通じん」


そう、必要悪の教会女子寮の離脱戦にて、オルソラに手斧を投げたのはこのテラであった。そこで錆は彼の投擲斧を弾き返している。それがあった故に、八方向の回避不能と思われた攻撃は弾き返された。錆は最後に飛んできた斧は回避し切れぬと見切ると、左逆手で持っていた鞘で弾く。今度は先と比べて軽かった。あの速く重い一撃必殺の面影もない。ただの投げられた斧でしかなかった。

―――魔力低下は彼らにとってどうやら、由々しき事態であるのは目に見えていた。そして彼らは満月術式によって増幅させた筋力・外内部からの干渉低下能力・魔力を使い、神の力を宿らせると言う『演神術式』とやらを稼働させていた…否、稼働させなければならなかった事も。

月を斬られた所為で持続する魔力が激減し、維持できなくなって満月術式は消滅した。

演神術式がそれほどにまで魔力を喰う術式なら、さぞ何も補強せずに行えば無事では済まされないだろう。プルートーやサートゥヌスのような魔術はもう一度行えば、術者の身を亡ぼす結果になる。

“いや、もしかして今も尚、彼らはその術式を解いていないのか?”


「その、『羅馬神話』とやらの神を演じる術式……身体に過大な負荷をもたらすとと聞くが」

「確かに分不相応な魔術は身を亡ぼす…故に満月術式で補強していたのだが、我々は端よりオルソラ=アクィナスを抹殺するためならこの命、ローマ正教の為に捧げる覚悟は出来ておるわ」


どうやら月の加護を受けずに神の役を演じ続けるらしい。


「―――――死ぬ気でござるか」


錆は攻撃を躱し、刀を返す。だがそれは阻まれた。感覚のパスを断たれたはずなのに、相変わらず連携は巧かった。錆はまずこの連携を崩さなければ攻略はないと踏んだ。

逆に錆の戦闘の癖やスタイル・間合いを見極めなければ、攻撃と回避の堂々巡りであると見た彼は、後方で部下に指示を送りながら、


「そう聞こえなかったのか」


槍を構える老騎士は、他の騎士たちと共に斬りかかった。なぜそこまでするのか、錆にはよくわからなかった。


「……………それほどのことなのか」


よく見ると、何人か顔色が悪い。茹でられたように赤くなっている。術式の負荷に体がついてきていない証拠だと錆は察する。

くるぶしほどの深さが限界の小川に、大水が大挙として流れてきたらどうなるかぐらい、想像ができるだろう。

今にも目から血の涙が流れそうだった。決壊寸前だ。

「決死の覚悟……諸君らが背負っているものは一体、如何様なものでござるか。騎士として一歩も引かぬ誇りでござるか」

「否」

「それとも使える神とやらへの忠義でござるか」

「否、否」

「ならば、ただの戦闘狂か」

「否、否、否。―――我々にはこの道しかないからだ、東洋の若造よ」


その時だった。

一人の男が錆へと走り出してきた。狼の毛皮を纏い、啄木鳥の刺青を腕にした男―――火と勇猛を司る剣の騎士マールスが、大剣グラディウスを体に擦りつけながら突進してくる。


「っ、あッ、ぁ、ぁああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――!」


ジョリッ! ジョリッ! ジョリッ! と、火花を散らしながら、暑そうな顔で、炎に包まれたような真っ赤な顔で、巨大な神の力に破裂されそうな体を押さえつける様に剣を抱いては抜く。そのたびに火花が散り、光を放った。

いや違う。あれは大剣で鎧に文字を書いているのだ。

英語でもローマ字でもない。あれは世界の数多くの文字の中でも神秘に満ちた文字……ルーン文字だった。

そして彼が書いている文字は中でも『神』を意味する―――――ansuz

『F』に似た形状の文字は、あの炎の魔術師ステイル=マグヌスが用いるそれと同種の物だった。騎士団はそれぞれ得意魔術がある。そう、彼は火魔術が得意なのだ。


「我が名はマールス。我、火を司る神を名乗る者、我、武を司る軍神を名乗る者、故に我は誓う。我、烈火が如く戦う者也!! 我が銘は剣! 我が使命は進軍! 我が名は――――『進軍する者(Gradīvus)』!!!!!」


何度目かの光のあと、火花がマールスの鎧に広がった。鎧が燃え始めたのか。否、古代ローマの鎧…ロリカ・セグメンタタに塗られた油に着火したのだ。ロリカ・セグメンタタは防錆に油を塗るが、マールスはそれを利用し魔術で火を起こしたのだ。

剣と全身を炎に包む。体を燃やす事によって、殺傷能力と攻撃と防御の効果を強化したのだ。

火は、五行の中でも最も危険な現象……それを身に纏われれば、容易に攻められず、防御も生半可だと火傷じゃ済まされない。攻防一体となった非常に良い手だ。だが同時に悪手でもある。それは自分の体を焼いてしまうと言う事だ。代償に人間の死で一番苦しいと言われる焼死を……彼は焼身自殺を進んでやっているのと変わりはない。マールスの命は自身の肉体が炎で燃やし尽くされるまでになった。

皮膚が焦げる臭いが鼻をつく。

あの呪文は己を騎士ではなく一つの剣として完成させる、自分自身を痛みを感じない剣とするための自己催眠。それのおかげで苦しさは無くなったバーサーカーと化したマールスという剣の騎士だが、早く決着をつけて消火しなくては、灰になってしまうだろう。


「なに、元より魔力精製が下手糞な俺だ、『演神術式』で体の魔術を精製する機関がパンクして大破する運命だ。ここで命を捨てる……ッッ」


例えこれが悪手であっても。





「ぅぉおぉぉおおおおおあああああああ!!」


神に操られるマリオネットとなったマールスはそれでも構わないと、剣を全力で振り続ける。一回振る毎に筋肉が千切れる音がしたが、それでも剣を振るのを止めない。その決死の一撃も錆に潜られて躱された。足を後ろに下げ、振り下ろす。これも半身で躱された。「さぁ…斬り合おうぜ錆白兵! さっきの続きといこうや!!」


悪手である理由、それは騎士団の攻撃で最も厄介であった連携が取れなくなること。

マールスに迂闊に近づけなくなることは、密着しての連携での連続攻撃が出来なくなり、しようとすれば巻き添えを喰らいかねなくなるからだ。故に、この時は錆とマールスの一騎打ちの形になった。

なぜそのような決死の行為をするのか。

理由は明白だ。錆が不本意にも神裂で騎士団の癖を覚えていた様に、錆が只者ではないと理解したマールスが自分の命を使って仲間に錆のデータを採取させようとしているのだ。

槍の騎士であり王騎士である老騎士、ユーピテルの指示であった。


「………お主、誠に死ぬ気か。何故…」

「俺が死ぬ理由なんてどうでもいい。俺はただ、強い奴と戦いたいだけなんだよ。だから戦え―――――――よぉっ!」


マールスの異名である『進軍する者』と同じ名である大剣グラディウスを振るう。満月術式がない今、100kgのグラディウスは思う存分操れまい。一太刀振れば遠心力で肘関節が千切れて飛んでいきそうだ。だが、お構いなしにマールスは剣を振り抜く。腕は飛ばなかったが、速さがない。体が振り回される一太刀を錆は楽々と躱し、次の攻撃が来る前に後ろに下がろうとした。しかしそれよりも速く、“剣は倍加速して錆に襲い掛かった”―――そう、倍加速の剣は満月術式の効果ではなく、もう一つの演神術式の効果だ。肉体がついて行けなくても、勝手に剣は倍々に加速していく―――――。

だがダメージはあった。100kgもあるグラディウスは炎に包まれた炎剣だ。避け切っても、近寄っただけで放射熱だけで火傷を負う。錆の腕と脚が赤く変色していたのが証拠だ。そして彼はただ振り続いていただけではない。剣と鎧から放たれた炎は周りに引火する性質があり、足や剣先から芝生や木に燃え広がって周囲を火の海にした。

その炎が壁となって、狼が群れを成して錆を追い詰め、回避スペースを徐々に狭めていった。そしてマールスが腕の感覚がなくなるまで振り続けた結果、錆の周りは完全に炎に囲まれたのは、作戦通りだっただろう。

草原の中にそびえ立つ炎の中には一人の騎士と一人の剣士しかいない。周囲は赤壁に囲まれ、動けると言えば、二人の間のたった数歩の間合いのみ。

速度に勝る錆と剛力に勝るマールス、狭い空間での戦いでは機動性を生かせない錆がどうせいても不利になる。最初から当てようとせず、この地の利のある条件にするために、彼は剣を振るったのだ。


「追い詰めた……」


息絶え絶えで剣を持ち上げるマールス。


「見事。その闘気、見事也。幾百幾千もの剣客と剣を競ってきた拙者でも、ここまでの男は少数でござる」

「あた、ぼうよ。俺は………何も考えずに……人をぶっ殺すしか、能が……できてねぇ……からなあ………脳ミソが、それしか機能しねぇ……んだ」

「何故そこまで致す、基督教の教えの為か」

「ボスがこれしか……道がねえからってんだろ。俺は犬だからよ、ボスが言う事は従うのみだ」


マールスは鼻血をだし、血の涙を流しながら答える。錆はこの答えの意味は解らなかった。だが炎剣の騎士はこれ以上答えず、獲物を見据える。すでに全身の血管という血管から血が溢れ出しそうだ。破れて爆発しそうな熱さで気が狂う。その前に、ただ一つの感情の下、剣の騎士は剣を構えた。


「つーわけだ、斬り合おうぜ」


既に目は血で真っ赤で、ロクに錆の姿は見えてないだろう。だが獣の嗅覚と言う奴か、感覚だけで間合いを掴んでいた。間合いは数歩、なに情報収集しなくてもここで仕留められる。そうすれば死なずに目標が達成できよう。


「……成程、その闘志は忠義に生きる騎士故だったか。そこまで覚悟を持ってこられると応えなければ礼に欠ける。故に、全力でお相手致す」

「おう、かかってきやがれ」


マールスはグラディウスを下方に構える。対して錆は右手に持った薄刀を右横下に真っ直ぐ伸ばす。炎の灯りがさらに美しさを際立たせ、薄い刀身が赤に照らされていた。





「――――――――拙者にときめいてもらうでござる」






そしてその時、錆はマールスの視界から……気配が消えた。一瞬の出来事であった。さっきもそうだっだ。バイクが登場した時、ライトで一瞬目がくらんだと同時に錆は密集地帯をすり抜けた。恐らくこの消える技は目が別のモノに向いた瞬間に移動する技術。要は目の錯覚を利用している。なら、眼を捨ててしまえばいい。そうすれば気配だけでも見切れる―――と、踏んでいたのだが、気配そのものが消えてしまっていた。


「く、………畜生!」


360°炎の海の中で、どこにも隠れる事はできないというのに、錆はどこかへと姿をくらました。だがここはぐるりと炎が囲む。どこに逃げ場があるのだろうか。

右か? 左か? いや、自分から火に飛び込むヤツは馬鹿だ。魔術で出来た火の壁はすり抜けられず、触った瞬間に全身に燃え広がり、火達磨になって灰になる。では本当に錆白兵は消えたのか?


「……いや、違う」


ある周囲といっても、それは横の話だ。縦の話ではない。縦にあるのは地面、


「いや、下じゃねぇ……」


“何もない空中”………――――それで錆はいるのは、


「上だッ!」

「よくぞ見破った」


やはり錆はいた。あの右手の薄い刀で斬りかかろうとしていた。急いで下方に構えたグラディウスを一旦真横に二回振る。いきなりトップギアで振った剣は倍加速に右脇へ、また倍加速して左肩口へ。そしてさらに倍加速させて落ちてくる錆へ斬り上げた。自分の限界の八倍の速度だ。如何に錆が速く動けるとて、そこは空中、しかもこの剣の速度では躱せまい!

「ぁ、ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!」


脳の血管が百万本くらいブチ切れる程の絶叫を上げる。これが文字通り魂を込め、命を賭けた一撃だ。これ以上剣は触れない。そもそも100kgの物体を持ち上げるのさえ不可能だ。その不可能を無理で抉じ開けて、ここまで来ている。すでに自分の限界は飛び越えていた。


こうして、柔と剛の剣は激突する――――。


―――剣を振り抜いたマールスは炎剣グラディウスの柄を持ったまま、硬直していた。

既にその身に炎は無く、赤壁だけが彼を包んでいた。

炎剣の騎士は呟く。


「一応、言っておこうか」


その呟きの向こうには誰もいない。誰もいないまっすぐ前を見据えて、マールスは独り言を呟く。

否、これは独り言ではなかった。


「―――ひとつ、訊きたい事がある」


真っ直ぐを見据えたまま、“グラディウスの刃の上に乗る錆白兵に問うた”。


「奇遇でござる。拙者も是非とも訊きたい事があった」


全ては一瞬の出来事であった。

薄い刀で斬りかかる錆の攻撃は実はフェイントで、斬りあげたマールスの大剣を左手に持っていた鞘で突きながらそれを躱し、気付かれぬよう刃に着地して斬りかかろうとしていた。

それだけでも神業である。如何なる剣の流派の達人とて高速で動く剣を完璧に見切っただけでなく、剣の上に乗ってしまうのは、冗談を通り越してしまっていた。しかも錆は全く気付かれない様に気を殺していたのだというのだから、すでに錆の歩法は神の領域に達していた。

だが気付かれた。完全に消していたつもりだった気配をこの男はわずかな殺気で感知したのだ。遠く及ばないものの、この男も確かに剣の達人であった。


「お主の真名は何と呼ぶ」

「………」


そうか、マールスとは偽名であるのと気付いていたか。そう、この名は神の力を降ろす為の偽名である。騎士は素直に答えた。


「マルコ=マメルス」

「ではマルコ=マルメス殿、訊きたい事とは?」


マルコは一人の剣の達人として、訊いた。


「その一瞬で消える技、なんて言うんだ」


普通の走り方はどうしても片足に体重が乗る。前に足を踏み出した時、足音だったり足跡だったりが残り、そして一歩一歩が大きく進める。だが錆の初動がない走り方は異様だった。人の動作には必ず初動が必要であり、それをみて次の行動を予測できるのだがそれを錆はさせなかった。また彼の走りには体重の移動が全くなく、一歩一歩の歩幅は小さいが、それ故に前後左右の移動が自在であり、微風のように軽やかに、足音を出さず、足跡も残さない。そしていつの間にかそこにいる。

これは極東の島国に伝わる『合気道』と『古武術』の歩法によく似ていた。居合道の神域に辿り着いたある達人のは乱捕の際、実際に相手の視界から消えると言う。

そこで襲われたらおしまいであり、そして先に斬りかかっても簡単に躱されて斬られる。

要はカウンター不可の早出しの権利と、先制攻撃をいとも簡単に躱して返してくる全攻撃に対してカウンター可能の遅出しの権利をもつのである。

視界の誘導と一緒に使われれば、もう斬られるしかできない。

その技を錆はこう名乗った。


「爆縮地」


いったいどんな修練を積めば、そこまでの境地に辿り着けるのか知りたかった。その歩法を習得できれば、自分はさらに強くなれる。そうなればさらに強い戦士と戦える。

マルコはそんな事を考えていた。歩法一つをここまで昇華させる錆の神業を、是非とも我が物にと我ながら珍しく願っていた。

そこでマルコは理解した。

斬られたのだ。

殺されたのだ。

だが悔いはない。全力を尽くした勝負だった。我が剣の道の全てを賭して出た、一世一代の駆け引きが出来てとても満足できた。だが及ばなかった。自分を殺した相手は神業を扱う剣聖。敵わぬと言う敗北感より実力を出し切った満足感と、まだ強くなれた自分の未来が消えていく様を感じて少し惜しくなった。

でも悔いはない。ただ一つだけこの世に残す言葉あるとするならば、自分を斬った男を見て呟いた。


「――――か……かっこいい……」


あんな剣士になりたかったと、倒れながら。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「『錆白兵こそ神の手を持つ剣士である』」


奇策士とがめは食後のデザートを待っている間、こう呟いた。


「なんだそれ」

「錆のことを教えた奴の言葉だよ、七花。真庭蝙蝠に裏切られ、真っ青になっていた時に聞いてな」


絹旗最愛が首を傾げた。


「そいつが言うには、武人としての普通の技術が、奴が行えば神業になってしまうらしい。実際、七花、錆の技の一つ一つは、奴にとって牽制のつもりの一撃でも脅威だったろう」

「そうなんですか?」

「ああ、あいつと対戦する時に注意する事は全ての攻撃を躱すことって教わらなけりゃあ駄目だったぜ。本当にあいつと真正面に立つときは気を絶対に緩ませちゃいけないんだ。聞いてみりゃあ簡単だろうけど、すげえ大変だったんだぜ? とがめの情報が無けりゃあ最初の一撃で気付かずにやられてた。何とか躱せても、四手目でばっさりだったろうぜ」


七花という、絹旗より遥かに素早く強い強者にそんな言葉を口させる程強いと思うと、ついげんなりしてしまう。


「七花さんでも超そうなのですか……」

「昔は今ほど強くなかったからわからんがな」


とがめはそう付け加えた。


「七花はあの時はまだ未熟だった。七花の虚刀流と私の奇策で何とか勝利を得たものの、今のおまえはあの時のおまえとは比べ物にもなりまい。一対一でも大丈夫だろう」

「その自信はあるぜ。錆との戦いがあったからこそ、今の俺がいるからな」


と、胸を張る七花。


「じゃあ、今超戦うとなると、七花さんの勝ちなんですか?」


だが、この問いに彼は言葉を詰まらせてしまった。


「…………さぁ…」

「あなた達、本当にどうやって勝ったんですか」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

赤のカーテンが断ち斬られた。

そこから一人の男が現れた。―――錆白兵。白髪を総髪にした美男子が、たった今芝生の上にいる亡骸を背に、こちらを睨んで。


「―――まずは一人」


『剣の騎士マールスが斬られた』

騎士団一の剣舞と闘志を持つあの男が倒された事実を信じられぬと目を見開く残り九人の騎士たち。十人の中で『闘志』という精神的主柱を担っていた男が倒れたことは、騎士全体の『士気』を下げさせてしまう。だがマールスの決死の行動のおかげで活路は見えた。


「特殊な歩法と目の錯覚で姿を消し、同時に気配すらもフェイントで錯覚させるか。ならば二度と貴様から目を離さなければ済む話だ。奴の一ヵ所を注目するのでなく、周囲全体を見ればよい」


老騎士ははそう配下に呼びかけて士気の低下を防ぐ。


「そ、そうだ! それに束になれば…」

「応よ、あいつの犠牲を無駄にはさせん!」


だが斬り込み隊長を務めていた一角が欠けた今、誰から攻めるべきなのか、誰もが迷っていた。そんな中、一人の男が前に出た。騎士団一の怪力を持つウェヌスだった。


「先陣は私に行かせてください。マールスとは、神話の中で夫婦だったように、長年連れ添った仲。彼の代役は同じ軍神としての性質を持つ私が最適です」


ウェヌスが手甲を嵌め直し、ユーピテルが頷くのを確認すると、一気に錆へと駆け抜けた。


「覚悟!」

「拳士か」


錆は薄刀を握り直して迎え撃つ。


「はぁぁあああ!!」


ウェヌスの踵落としが、神裂との乱戦でテラが作った岩盤の壁を木端微塵に砕いた。地震と地面のクレーターを作りあげる。

一撃一撃が速い上に重い。

先程戦ったマールスとの違いは、大剣グラディウスと腕の長さ…リーチの違いのみであろう。

リーチは長い方が有利と言われるが、それは先に相手に斬り込めるタイミングが早く、牽制や弾幕を張りやすいからだ。だが短い方が返しが速く、懐に入ってしまえば多い手数で圧倒できる利点もある。そう、ウェヌスはマールスよりも速く多い、雨霰の如き剛拳を次々と錆に繰り出していた。

躱し続ける錆の反射速度と動体視力も大概だが、ウェヌスの運動能力は化物じみていた。

彼のその一撃一撃が全力フルスウィング。技術などへったくれもない、力だけの未熟な拳だった。だが力と速さと多い手数がその未熟さを変則へと覆していた。一手一手に理由はない故に読みにくい。冷静に相手を観察して十手先を予測しながら戦う錆にとって、噛みあわず戦いにくい戦法だった。

現状は防戦一方。

動体視力と反射神経を駆使して彼の一撃を躱すしか出来ない。一撃を躱せぬのなら後退して間合いを開けるしかない。だが片腕一本分の距離は間合いと呼べるほど広くはなかった。

軽く掠っただけでも頭が吹っ飛びそうな拳が視界に5つ見える。一本の腕で一度に5回もの攻撃だった。そして5つ目がワンツーになって、右ストレートが錆の総髪を掠め、爆風をなびかせる。ウェヌスはそのストレートを繰り出している間に左を脇で溜め、肝臓への一撃を喰らわせようとした。

巧いコンビネーションだ。

顔に注意を引き付けておいて、隙が出来たらボディーに一撃を喰らわせる。肝臓は人間の急所、そこに素手の拳を叩きこまれれば最悪命に係わる重傷だが、怪力を持つウェヌスの拳では、肋骨が圧し折れるなどの話ではなく、脇から脇へと内臓が吹っ飛ぶ威力だ。喰らえば死は免れない。

だが反射神経は錆が上回っていたようだ。それを後ろに下がって回避。そのまま後ろへフェードアウトしようとした。しかしそれを許さぬとウェヌスは一歩前に踏み出す。


「行かせるか!」


その一歩は地震を引き起こす震脚であった。

震脚とは中国拳法の強烈な足踏みのことで、これにより相手の足の甲を潰したり、強い踏込みで次の攻撃の威力を高めたりできる。日本武道でも「踏鳴」と呼ばれているそれだが、ウェヌスの場合は力強い前への一歩で、錆の間合いを完全に潰していた。

―――武器と武器無しの違い。それは間合いの違いだ。例えば刀の間合いは剣先~刀身の半分まで、そこから後ろはもっぱら斬り込めない立ち位置である。

そう、素手は近接戦闘において、密着しきった超接近戦でこそ、大きな威力を発揮する―――。


「だぁつ!」


よって刀を持つ剣士である錆は自身の間合いを取る為にずっと後退を余儀なくされていた。だがウェヌスはそれをさせない。震脚の勢いをそのまま左脚蹴り上げを繰り出した。

眉ひとつ動かさず、冷静に攻撃を処理する錆はまたしても回避の為、後退する。だがその眉が動くことになった。


「――――っ」

「貰った!」


後方に突如として壁ができていた。

いつの間にか、周りには残り八人の騎士たちが駆けてきたのだ。ウェヌスがただ錆と追いかけっこをしていたのは、ただ間合いを詰めたかっただけではない。テラが創造した地位的有利な場所に誘導する為であった。そこには既に仲間が所定配置についている。

後ろから大鎌で土の壁ごと薙ぎ払おうとサートゥヌスが挟撃を開始していた。

逃げ場はない。錆は壁の影から襲ってくる奇襲に気付いていなかった。


(ならここでやってしまう!)


この場に誘導するのがウェヌスの役目だが、ここで仕留めてしまおうと、頭の中のリミッターを外して一気にラッシュを仕掛ける。ズバババババババババッ、と空気が切れる音が耳朶に響いた。

細い剛腕が錆の体を肉塊へと変え、人の胴体がミンチになった頃だろうと拳を収め、一歩引くと、ウェヌスの拳は真っ赤に染まっていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

コーン、コーン、コーンと和鋼を叩く木原数多はふと、『毒刀 鍍』…相棒の四季崎記紀に問う。


「なぁ、『薄刀 針』って実際に持ってみるとどんな感じなんだ?」

「あぁ? おめえ、そんな事も曖昧なのに、たった今造ってるのか」

「ある程度は想像はつくわボケ。ただ、それが事実とズレてりゃあ話にならねえだろ」

「うん、一理あるな」


木原と同じ口で、同じ声で、四季崎は答えた。傍から見れば気持ち悪く思うだろうが、四季崎にとってこれが唯一の意思疎通手段なのだから致し方あるまい。

完成形変体刀十二本の制作者である四季崎は、まぁ会話は暇つぶしになるだろうとあっさり答えた。


「持つ者によって違うらしい。凡人はただの工芸品に、達人なら最高の刀にってな」

「俺がテメエに聞いてんのは、物理的なことだ四季崎。例えばよ、重さとか振りやすさとか」

「振りやすさなら剣士の腕と好みだな。柄の形や重心の置き方とかで変わる。で、重さだが、まぁ当然だろうよ、重量がある刀身がほぼ無いようなもんだからな。だから―――――極端に軽い」


面白おかしく、よくもまぁあんなものを考えて作ったものだと自分自身で笑いながら、


「自分で持っているのかもわからない位にな」

「じゃあそれ以外は普通の刀なのか? いや、そうじゃねえよな」

「ああ、あの刀の“目的”は全く別だが、どうも面白い副産物があってな――――聞きてえか」

「聞きてえから訊いてんだろ」

「なら聞かせてやろう。いいか、もし完璧にあれを扱える剣士が『薄刀 針』を使うとな……――――――――――――――振りがまったく見えねえんだ」


そして四季崎は付け足す。


「特に歴代の所有者の中でも最も使いこなした錆白兵っていう剣士は普通の剣士が一太刀いれる間に十は斬りつけられるって話だぜ?」

「はん。そら無理だぜ物理的に。だってそりゃあ―――――――同時に十方向から攻撃可能ってことじゃねえか」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「………え」


ウェヌスはその時、絶句した。

拳を染めていた赤色は―――自分の血の物であることに。

腕はすでに血だらけ……いや、自分の体が全て斬られていることに気が付いたのは、錆の姿が消えていた時だった。

いつでも拳の弾幕から逃げれたのだ。あの男は、絶好のタイミングを持って刀を逆手に持ち替え、スルリと脇を抜ける時、腕を二三回振っていた……気がする。実際の傷は十はあるだろう。だが全く見えなかった。彼の姿が一瞬だけ
、チラリと見え、剣が光った気がしたから理解できた。

ただ理屈が理解できない。拳の速さには自信があった。剣より短いから斬り返しもだ。だがあの男はその上、遥か彼方を飛んでいた。もう存在すら確認できない。どういった理屈で、瞬きの間に人間を十回も斬ることができるのか、まったく脳が電算処理できていなかった。


「ごふ」


ただ理解できたのは、致命傷は大した甲冑を身に着けていないウェヌスは左肩から脇腹まで斬られた一文字と、派手な出血はなく斬られたという実感だけがウェヌスを支配していた。それともう一つの感情が、心を満たしている。その正体は暫くわからなかった。


「女子の如き美貌故、少し心が痛むがお主も武人。覚悟は出来ているだろう」

「はは、人のこと言えないでしょ」

「真名を是非訊きとうござる」

「ウェヌソ=ウィクトリクス―――なに、男になりきれなかった出来損ないの名さ」


諦めた顔で笑うと、なぜか全身の力が抜けていった。天上には半分の月。満月は好きだが、この月も美しいと思えた。美の神としての役を纏ったウェヌソ……男でありながらその美貌故に女としての生き方を強いられた人生であった。

血が肺と喉に詰まって喋りにくい。だけど最期に一言、言っておきたかった。


「でもボクを女の子扱いするのは止してくれよ……嫌いなんだ。あ……でも騎士として扱ってくれたのは、ありがたい」

「否。拙者はお主を男としか見ておらぬ。卑怯者であったが、騎士団の為としての一番槍、まことに見事」


錆は『薄刀 針』を鞘に納めながらそう世辞を述べた。するとどうだろう、今まで解らなかったこの感情がすぐに明解になった。

ああ、そうかわかったぞ。そうか、だったら諦められる。こんな男に敗けるのならしょうがないと。


「………ははっ―――ああ、なんて」


これは尊敬だった。大空高く跳ぶ鳳を地にいる人間が抱く感情だ。この男は格が違うと。速く、強く、細く、そして美しいと、心からの畏怖だった。

やられた、なんて奴だ。成程マールスがかっこいいとこぼしてやられる訳だ。だって自分もそうだ。この男、錆白兵と言う剣士はこの世で最も、


「かっこ、いい―――」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
こんばんはここまでです。ありがとうございました。


第壱弾のvs黒子線の七花の台詞で

「錆白兵っていてな、そいつの『爆縮地』って技があるんだけどよ。………簡単に言うと、お前みたいに瞬間で移動する技だ。そいつは本当にすごい強くて、俺はそいつの爆縮地を見切ることができなくて、すげぇ苦戦した」

とかあったけど、今思ったら、拡張しすぎでしたね。
まぁ、あの合気道の神様もある意味『消える』って言われてたし……。

爆縮地のイメージとしては、合気道の神様の体捌きと日本古武術の足捌きのミックスです。
七八年ずーっと金魚ばっかり観察していたら、化物みたいな足捌きをマスターしたらしいですがホントにそうなんでしょうか。
日本古武術は某先生の著書から参考に、引っ張ってきたモノです。YouTubeに『古武術』って打ち込んだらフツーに出てきます。

ではまた書き溜めたら投稿します。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ニテ◯ドー♪
オーメコメーコー♪ オーメコメーコー♪
ペペペッペペペペッペペペ♪

-ヨッシ◯ストーリー-

フレンダ「…………」カタカタカタカタ

フレメア「…………」カタカタカタカタ

フレンダ「よっ」クルリンパー

フレメダ「にゃー」ペロン


絹旗「………」ジー

七実「………」ジー


ヨーイ…パーンッ!

フレンダ「ほ! ほ! ほ!」トコトコトコ

フレメア「にゃー」トコトコトコ

フレンダ「よっ」クルリンパー

フレメダ「にゃー」ペロン


絹旗「………な、なんですか、これは……」ゴクリ

七実「早い…巧い……これは真似できても再現できない……?」ゴクリ

↑馬鹿力のせいでコトローラーを潰してしまう二人


テテレンテッテンテンテンテンテ♪ シャンシャンシャン♪ クルクルクルクル♪ テテテテンッ! ヨ◯シー!

フレンダ「うっし、クリア!」

フレメア「にゃー」


絹旗「……七実さん」

七実「ええ」コクッ

絹旗「フレンダ、超頼みがありますッ!」

フレンダ「なに」


絹旗「超弟子にしてください!」

七実「弟子にさせてくれないかしら」


とがめ「だから修行しろ!」スパパーンッ!

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