ちひろ「一日遅れのお返しは……」 (33)
モバマスSSです。
と言いながらもちひろメインで書いてみました。
一日遅れのバレンタインが衝撃的で……つい。
期待なんか、していませんでした。
それは単に彼の人となりから発せられた気持ちではなく、周囲が取り巻く環境を鑑みてのことでした。
この仕事をやっているとどうしても絡んでくるのが先月のイベント。そのお返しが今月もうすぐやってきます。
彼の仕事ぶりは本当に優秀で、新しくスカウトした子たちもレッスンの合間に小事ながらも仕事の経験を積めています。
ついこの前まで一般人、無名だったアイドルが、今ではラジオ、テレビでの出演まで果たす……それはきっとプロデューサー冥利に尽きることでしょう。
私だって大量のタスクがこなせどこなせど沸いて出てくる現状にため息を吐かざるを得ませんが、不思議とイヤな気分ではありませんでしたし。
とまあ、そんな話はどうだっていいんです。
今気にすべきなのは彼女たちの会話です。
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「ねえ、プロデューサー。ちゃんと明日の準備してる?」
「心配しなくても。というか、おまえだって受けとるなのにそんな他人事なのか」
「別に。私はお返しなんかに期待してないから。忙しいの分かってるし。いっぱいもらってたのも知ってるし……」
ああ、会話の端どころか全体から筒抜けです。
凛ちゃん、気にしてるのバレバレですよ。さすがに鈍感なプロデューサーさんも気づいてますねこれは。
ほら、プロデューサーさんが苦笑しながら凛ちゃんの頭をなでていますよ。
こうして事務員の立場として見ていると微笑ましくあるんですが、凛ちゃんの表情に気づいてしまうとなんだかやるせない気持ちになりますね。
プロデューサーさんは気づいているんでしょうか。
幸せそうですけど、ちょっと辛そうな凛ちゃんの表情に。
凛ちゃんだけじゃありません。結構な数のアイドルたちが、そのような表情をするんです。
罪づくりな男、と一蹴してしまえばそれまでなんでしょうが、同じ職場の身として言わせてもらえば仕方のないことなんだと思います。
自分をシンデレラに輝かせてくれた相手です。女の子だったら惚れない方がおかしいんです。
プロデューサーさんは仕事もできますし、身の回りのことも隙ない感じですし。
ホント、この事務所が大きくなったのは彼のおかげなんだとつくづく思ってしまいます。
「ふぅ……おしまいっ」
タンッ。静寂な事務所内に私の声に続いていつもより大きめなタイプ音が響きました。
もう日付が代わってしまうような時刻。そんな遅い時間に私はまだ一人事務所に残っていました。
プロデューサーさんも明日からイベントを控えていて、今日は早めの帰宅。準備を前日までにそつなく仕上げるところはさすがと言ったところですね。
……イベントの方は、ですけど。
「どうするんでしょうね、彼は」
明日のイベントへの不安よりも"明日"という特別に気持ちが寄ってしまいます。
今日、仕事中悩んでいたのはどちらかというとそちらのほうだったようですし。
戸締まりを確認して、事務所の鍵を掛けます。
これで今日の仕事はおしまい。なんだかんだで私かプロデューサーさんか、どちらかがこの事務所に最後までいますよね。
残業代が全額出ているからいいですけど、もう少し人材増やしてもいいんじゃないでしょうか。アイドルの数に見合わなすぎです。
まあこれはプロデューサーさんにも言える愚痴なんですけど。見境なくアイドルスカウトしすぎです。
その分誰が苦労するのか分かってるんでしょうか。
今日は簡単に弁当で済ませましょうか。コンビニに入ってわりかしヘルシーなお弁当を見繕います。
いつもより大変だったので、これから夕食を作る気力がないんです。
一人暮らしはこういうときものぐさになってしまいますね。健康に気を使うならもっとも注意すべきなんですけど。
レジを済ませて外に出ようとしたところで、レジ向かいの一角に気がつきました。
『バレンタインのお返しは決めましたか? 今年のおすすめは――』
……ああ、こんなところまでイベントって浸透してるんですね。
お返しは期待なんてしていませんけどね。言い訳のように発していますが、そうとしか思えないんですから。彼からそんなそぶりは一縷も感じなかったんですから。
翌日、今日のプロデューサーさんの予定を見ると、営業の合間にアイドルの名前が書かれていました。過密スケジュールですね。というか、ファンのみなさんが見たら激高するくらい羨ましく思われそうですね。
幾多の現場を行き来していますが、それでいて移動時間が極力短くなるように調整しているあたりさすがです。
「ちひろさん、おはよーございます」
「おはようございます。あれ、加蓮ちゃんは今日オフじゃありませんでしたっけ?」
「そーなんですけど暇だったので」
そう言いつつ視線は今日のプロデューサーのスケジュールへ。
そして「はぁ……」と一つため息。
「もう、それファンの前でやっちゃダメですからね?」
「あ、あはは。ちひろさんの前だけだから。ね、許してよ」
「しょうがないですね……」
原因はプロデューサーさんにもありますし。
「いいなぁ、凛は」
「そうですね。……でも、これはアイドルのみなさんで決めたことなんでしょう?」
「さすがに全員とってわけにはいかなかったですし。あみだくじだったから文句もあまり出なかったですよ」
「それでも悔しいのでちょっと我慢できずにきてしまったと。一目見れたらいいなって気持ちでした?」
「……分かってるなら言わないでくださいよ」
かわいいですね。
アイドルであっても一人の女の子であることには変わりないんですから当たり前なんですけど。
「大丈夫、プロデューサーさんは一人を蔑ろになんてしないですよ」
「まあ、あのプロデューサーの性格はイヤと言うほど分かってるけど……それでも、ひとりの特別でありたいと思いません?」
「……そうですね。女性として、その意見は否定できませんね」
暗にアイドルとしてはダメな発言ですよ、とやんわりと伝えると加蓮ちゃんは素直にごめんなさいと謝りました。
「ちひろさんに愚痴っても仕方ないのにね」
「いえいえ。私でよければ相談にのりますよ」
みなさんかわいい妹のようなものですし。……妹と呼べない年齢の方もいるのは別としてですよ?
悩みや愚痴を持つアイドルが一人とは限りません。今日だけでどれだけのアイドルとお話をしたことか……ご想像にお任せします。
それでもみなさん、なんだかんだでプロデューサーさんからお返しをもらえていて嬉しそうだったってことは分かりました。
凛ちゃんたちからは今日のお出かけの内容もノロケ話をふんだんに含められて伝えられました。
……私だって聖人君子じゃないんですけどね。
結局、今日はアイドルたちから一月通しての期待と不安が折り交じったお話を聞くことで一日が終わってしまいました。
「あ、仕事……終わってない」
いつもこの時間には終わっているはずのルーチンワークは、まだ半分程度しか終わってませんでした。少し怠けすぎでしたかね。
「それもこれもプロデューサーが悪いんです」
と責任転嫁。しなきゃやってられませんよまったく。
冷蔵庫からアイドルが差し入れにと作ってくれた甘いものを取り出し、糖分を補給しつつ残業し始めます。
こういうときにお菓子づくりが趣味な子が作ってきてくれていると助かりますよね。市販の者よりずっとおいしくてついつい口が進んでしまうのが難点ですが。
一月前のプロデューサーさんの気持ちが分かった気がします。……私もダイエットするべきでしょうか。
「んー……あ、もうこんな時間ですか」
仕事を終えて身体を伸ばしながら時間を確認すると、時計の針は頂上で重なっていました。
「終電前に終わってよかった……」
タクシー帰りもやむなしですからね、この仕事。幸いにも経費節約にそこまでご執心な社長ではないので助かってますが。
「はぁ……」
翌日、休日に出勤して誰もいない冷えきった事務所内でため息。
結局昨日はなーんにもありませんでした。期待していませんでしたのでダメージは少なく済みましたが。
それでも、やっぱりちょっとくらいは……なんて想像はしていたんですよ。
「おはようございます」
「あ、おはようございます。今日は早いですね」
一日ぶりのプロデューサーさんとの再会。昨日は終日外出していましたし、内勤の事務員の私とは顔を合わせることすらありませんでした。
「疲れてますねぇ」
「……顔に出てますか?」
「はい。思い切り。ちょっと待っててくださいね」
冷蔵庫から買い置きしていた栄養ドリンク、それにインスタントですが淹れたてのコーヒーをセットで。
先に栄養ドリンクを一気に流し込んだプロデューサーさんは「きくーっ!」と声を上げます。
そんな早く効くはずないじゃないですか。そんな速効性な飲み物、逆に怖いです。
「癖になっちゃいますね、これ」
「もう、ダメですよ? 栄養ドリンクに頼るより先に、まずは生活習慣の見直しをしてください」
「あはは、どうも仕事が楽しくて、つい……」
「つい、じゃないですよもう……」
あなたが倒れたら誰が彼女たちをプロデュースするって言うんですか。
「ちゃんと社会人だという自覚を持ってくださいね?」
「あはは、肝に銘じておきます」
この返答、全く善処する気ありませんね? 私には分かってるんですから。それなりに一緒に仕事をしてきた仲です。
まったく改善する気のない人に向けてこれ以上何を言っても無駄なんですよね。
人の気を少しは知っておいてほしいものです。
「はぁ……」
「ちひろさんもお疲れですか? まあ、週末ですからね」
「ええ、そうですね。週末ですからねー。疲れもたまりますもんねー」
「……なんかすっごい投げやりな返事」
そりゃそうもなりますって。
まったくなーんにも、触れる話題すら出てこないんですから。
でもこっちから切り出すのって負けたみたいイヤじゃないですか。
そりゃお礼求めてましたってわけじゃないですけど、アレだけアイドルのみなさんに話を聞かされては……ねえ?
それにアイドルたちとどう昨日を過ごしてたかなんて聞こうと思って聞けるものじゃありません。
「さて、溜まった書類、片づけちゃいますか」
来てすぐに仕事モードに入るところはさすがと言ったところでしょうか。
私もいつまでもいじけていられませんので手早く済ませてしまうことにしましょう。長いこと休日出勤なんてしてると、また母親から仕事が恋人なの?と言われかねないですし。
まあ、あがった後は何にも予定ないんですけど。……今日もみなさんのテレビ映像や記事のスクラップでもまとめましょうか。
って、それじゃ仕事しているようなものじゃないですか。ああ、無趣味な自分を呪いたい。
そう思いながらも手は止まらず、休日出勤しているだけあって仕事の進みはスムーズです。集中が途切れるような電話とかありませんし。
「ちひろさん」
「ひゃ、ひゃい!?」
い、いきなり声を掛けられて声が裏がえってしまいました。は、恥ずかしい……。
「す、すみません。邪魔しちゃいましたか?」
「いえ。ちょっと驚いただけです。集中してたので」
「そうですか。と、喉乾いたんでコーヒーでも淹れてこようかななんて思ったんですけどどうですか?」
「あら、淹れていただけるんですか?」
「ええ。いつも淹れてもらってますし、今日くらいは」
「みなさんがいると私も私もってせがまれて収集つきませんからね」
「ちひろさんが淹れてくれたほうがおいしいのにおかしいですよね」
「……もう、お世辞は結構ですから」
私のジャブにも乗ってくるプロデューサー。本当、女性の扱いがうまいですよね。単に意識してないだけかもしれませんが。
……そう思うといらついてくるのでやめましょうか。
あーもう、あとちょっとで終わってたのに集中が完全に途切れてしまいました。
もーこれも全部プロデューサーさんのせいですからね。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます……あ、おいしい」
「アイドルたちに叩き込まれましたからね」
「喫茶店のマスターでもやっていけるんじゃないですか?」
「そうですかね? まだまだって言われてますけど、ちひろさんにそう言ってもらえるのは嬉しいですね」
うちの中にはお茶一つ取っても淹れ方にこだわり持ってる子もいますからねえ。
ちゃんと付き合うあたりがプロデューサーさんらしいんですけど。
「それじゃ、一服したことだし、ちゃちゃっと片づけちゃいますか」
「そうですね。休みの日くらい午後はのんびりしたいですしね」
「ちひろさんと一緒ですし、休日でテンション下がらず仕事にも気合が入るってもんですよ」
「………」
一服した後の作業は、同じように集中できました。
なんていうか、自分のことながら現金ですね。一言もらっただけなのに。
プロデューサーになるためには必須のスキルなんですかね?
「ちひろさんが事務員じゃなかったら絶対スカウトしてるのになー」
「まーたその話ですか?」
「どうして事務員なんてしてるんですかー。やめてくれたらスカウトするのにー」
「この仕事、私以外に務まりますかね?」
「……ちひろさんはずっと事務員でいてください」
毎度人をスカウトしようとする癖はやめた方がいいと思いますけどね。……言われた方はたとえお世辞でもまんざらでもないんですけど、仮に本気にしたらどうするんですかってお話です。
あなたが取ってきた仕事の事務処理、私がやってあげてるんですからね。ってすごい上から目線ですけど、イヤってわけでもないんですよね。
それからは会話の内容が次第にアイドルへと移っていきます。
「そういえば昨日の収録で愛梨がですねー」
「あの子はもう少し自分に向けられている視線に敏感になるといいですよね」
「昨日杏が一人で仕事に向かったときには、嵐でもくるんじゃないかと思いましたよ」
「事務所は電話の嵐でしたね。いつものことでしたけど」
「アーニャと蘭子が仲いいのはいいんですが、あの言葉だけはどうにもならないんですかね……?」
「いつか蘭子ちゃんにも輸入されそうですよね」
「そういえば、この前アイドルたちからマストレさんの特訓が厳しすぎるって言われましたね」
「新しいレッスン方法を試してみたいって言ってましたね。もしかしてそれでしょうか?」
「そういえば、この前コンビニで新しい栄養ドリンク見たんですよ」
「癖にならないでくださいね?」
「仕事でいっぱい飲んでますから、つい気になっちゃって」
そこからとりとめのない話をしだします。とはいえ仕事の手が止まっているわけではありません。
二人とも手を動かしつつしゃべっています。
黙々と仕事するよりは肩の力が抜けて効率がいい、なんてこともありますし。
何よりプロデューサーさんとのお話は楽しいですからね。
「んーっ」
昼を少し過ぎたあたり、予定よりも長く仕事しちゃいましたね。
実は休憩とって少ししたあたりで予定は全部消化していたんですが、ついつい長居しちゃいました。まさかプロデューサーさんも来るとは思いませんでしたし。
来週分のタスクがこなせたので、来週は少しは楽になるといいですね。
「プロデューサーさんはまだやってるんですか?」
「いえ、俺もそろそろ……」
最近新しいイベントの企画・運営・進行を担っていることで色々大変そうです。
私はサポート程度しかしていませんが、それだけでも新企画となると大変なものです。
「あー、やっと終わったー!」
「お疲れさまです……うわ、すごい量ですね」
「さすがに一人じゃ辛くなってきましたよ」
印刷された書類の山はマグカップの高さをゆうに超えていました。
私も同じような境遇に陥ったことがあるので他人事のように思えません。
お疲れのようで、肩をぐるぐると回すだけでプロデューサーさんからはコリを象徴する音が私にまで届いてきます。
「お疲れさまです。プロデューサーさん。肩でも揉みましょうか?」
「あー……すごい魅力的な提案ですね」
それなら、とプロデューサーさんの後ろに回ったときでした。
「それもいいですけど、ちひろさんはこの後時間空いてたりします?」
「はい?」
予想だにしていなかった彼からのお誘いでした。
「休みの日にわざわざすみません」
「いえいえ。帰ってもすることありませんでしたし」
いい大人が休日何もしないだなんて、実は悲しみ以外の何物でもないですよね。
ちょうどお昼ということもあり、プロデューサーさんにお昼に誘われた私は二つ返事でそれを快諾しました。
事務所を閉めて向かう先は、ここから三十分ほど徒歩で向かった先。
こちらの方は買い物ついでに横道しても訪れることはなかった場所で、同じ街の中でも新鮮に見えました。
住宅街の一角に白塗りの壁の家が建っていました。
玄関には立て看板に「営業中」の文字。
プロデューサーさんはベルのついたドアを引いて中に入っていきます。私も遅れないように後についていきました。
「いらっしゃいませ、お二人でしょうか?」
「すみません、予約していた――」
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