安心院「『とある魔術の禁書目録』か」(357)

とある魔術の禁書目録×めだかボックスのクロスオーバーSSです。

・禁書の方の時系列は第三次世界大戦後、新約の内容が入るかは未定。
・めだかの方の時系列は悪平等編あたりだと思ってください。
・未熟な点は多々あります、ご注意を。
・本編にかかわりのないレスはご遠慮ください。
・考察等はその手のスレにてお願いします。万が一書き込まれたとしても、それに返すなどして会話にならないようお願いします。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1337181395(SS-Wikiでのこのスレの編集者を募集中!)

「と、まぁまたやってきたわけだが」

「しかし驚いたね、こんなにわかファンが暇なときに考え付いたような話を一人で500もコメントして埋めるだなんて」

「ここもいずれどうにかなってしまうかもしれないけれど」

「ま、気楽に行こうじゃあないか」

「所詮は二次創作なんだ、フィクションの物語をフィクションで物語るなんて滑稽な物」

「どうせなら、最後まで見届けてから笑ってやろうぜ」

 夜。


 
 一方通行【アクセラレータ】と呼ばれる学園都市最強の能力者は片手に現代的なデザインの杖、もう片手に缶コーヒーが大量に入ったコンビニのビニール袋を提げて歩いていた。
 
(この銘柄にも飽きてきたなァ……そろそろ別の奴にも手ェ出してみっかァ)

 そんな事を考えながら一方通行が向かうのは、とある高校で教師をやっている警備員の住んでいるマンションだ。
 現在そのマンションには一方通行に加えぐうたらな研究者、とある少女のクローンとして生まれた少女が二人居候している。
 彼女達は一方通行が戸惑うほどに彼に優しく接してくる。クローン少女の片方なんて一方通行を殺すためだけに生み出された個体だというのに、口癖のように彼に吐く憎まれ口にはどこか愛嬌を感じてしまう。

(……ハッ、いつの間に俺ァあンな平和な場所が帰る所になったンだろォな)

 少し前までの彼は、血と悪意と狂気だけが渦巻く闇の底に居た。
 殺さねば殺される、欺かなければ殺される、隙を見せれば殺される。
 殺伐、なんてレベルではない。おおよそ人間が想像できる悪意を容易に超越した、この世の醜い部分を濃縮したような闇でしか生きていけなかったった彼はある少女の手によって闇から引き上げられることができた。

一方通行にとって、その少女はどうしようもないほどにまぶしい光そのものだった。
 だが、少女にとっても一方通行という少年は光のような存在だった。

 お互いが、お互いを必要とする。恋人などという甘酸っぱい関係ではなく、もはや自身の片割れであると強く言い切ることが今の一方通行には出来た。

(俺みてェな存在があンなガキに依存してるなンざ鼻で笑っちまうけどなァ)




 そんな時、ふと、一方通行は足を止めた。
 視線の先には、ケーキ屋があった。どうやらまだ営業しているらしく、住人の殆どが学生の学園都市には珍しい。

(……あのガキはもォ寝てるだろォけどなァ)

 一方通行は杖を突いてケーキ屋さんへと踏み入れた。彼を知る人物がこの光景を見たら腹を抱えて笑うかもしれないし、不似合だという事は一方通行も自覚している。
 だが彼は思う。

 あのガキが笑顔でいられンなら、たまには慣れねェ事もしねェとなァ、と。

(やっぱり買わなきゃよかったなァ……)
 
 一方通行は後悔していた。

 決して軽いとは言えない、缶コーヒーが大量に入ったビニール袋と壊れやすいケーキが入った箱を交互に睨みつけながら、一方通行は杖をついているにも関わらずフラフラと歩く。
 コーヒーを持っている側の手にケーキを持つと、缶コーヒーとケーキの箱がガンガンぶつかってしまう。かといって杖を持っている方の手にケーキを持つわけにはいかない。

(こォなりゃ能力を使っちまってとっとと帰るのが得策かァ? 充電は……まァフルじゃねェが十分すぎる程あるしなァ)

 一方通行は学園都市最強の超能力者だが、その能力には制限が付く。彼が最強たる能力者で居られる時間は最高でも三十分が限界なのだ。
 彼の生命線とも呼べるのが、一方通行の首にあるチョーカーである。これがなければ一方通行は最強の能力者どころか立つことも会話することもできなくなる。

(さて、ンじゃあ空飛んでとっとと黄泉川ン家に――)

 一方通行が首元のチョーカーのスイッチへ手を伸ばした。








 ――その時。




「学園都市第一位、『一方通行』ですね?」


 カツ、カツ、カツ。と足音を鳴らしながら、暗い路地裏から一人の男が姿を現した。
 燕尾服にモノクルという出で立ちはまるで執事を思わせる。細身で長身のその男は若く、高校生もしくは大学生といった所だ。

一方通行「……なンですかァ? そういうテメェは何処のどいつだってンだ」

「おや、失礼。申し遅れました。私は蝶ヶ崎蛾々丸という者でして、訳合ってあなたに接触を試みた次第なのですが」

「……」

 一方通行は一目見て理解した。蛾々丸と名乗ったこの男から臭い立つ気配、それは紛れもなく自身が今まで幾度となく味わった事がある物だった。
 闇、悪、狂人。 
 この男が何処の誰かは知らないが、『マトモ』な存在であるわけがない。一方通行は無言で伸ばした手でチョーカーのスイッチを入れた。

「……で、蛾々丸くンは俺に何の用なンですかァ?」

「ええ、実は厄介な仕事を上、いえ、『下』の者から言い付けられまして。何でも私は貴方を半殺しにして連れて行かなければならないのですよ。まったく、脆弱な私の細身には大変難易度が高い仕事です」

 本当に面倒臭そうに蛾々丸はぼやく。一方通行は唾を吐き捨てながら紅い瞳を細め蛾々丸を睨みつけた。

「だったらンな事無視しちまえよ。俺だってわざわざテメェみたいな奴をぶっ殺すのは面倒くせェンだ。今ここで俺に殺されるよりは命令に背いて上司にいびられた方がマシだぜェ? 俺はもォ行くから追いかけて来ンなよ」

「……つまり、貴方には私と交戦する意はないという事でしょうか?」

「話が早くて助かるなァ。悪ィが奇妙な事によォ、俺みてェなクズの帰りを待ちわびてる奴も居るンだわ」

「そうですか、なら仕方がありません。もう一つの仕事の方に取り掛かりましょうかね」

 クルリ、と一方通行に背を向けた蛾々丸はボソッと、まるで他人事のように呟いた。
















「見た目幼いクローンの少女を虐殺しろなど、私の趣味には合わない仕事なんですけどね」













 次の瞬間、轟ッ! という音が辺りに響き渡った。
 一方通行が先ほどまで立っていたコンクリートの地面はひび割れ、投げ捨てられた杖とコーヒーの山とケーキの箱が転がっている。
 チョーカーのスイッチが入ったことにより、この世に存在するあらゆるベクトルを掌握できるようになった最強の能力者『一方通行』は弾丸のような速度で蛾々丸へと迫り、蛾々丸の後頭部を鷲掴みにして近くの建造物の壁へと叩きつけた。
 その勢いは凄まじく、蛾々丸が叩きつけられた部分は勿論、近くのガラスが軒並み衝撃の余波だけで粉々に砕け散った。

「俺の前で不用意な事を口にしたのが間違いだったなァ、クソ野郎が」

 舞い上がる粉塵の中から、頭を掻きながら一方通行はつまらなさそうな顔を浮かべ現れる。
 人体を音速以上の速度で鉄筋コンクリートに叩きつけたのだ、人体としての形を留めているわけがない。
 一方通行は死亡確認すら面倒だったのか、一度も蛾々丸に視線を向けずに杖を拾いに行った。

「……あァ?」

 そこで一方通行は目撃する。
 不可解な光景が目の前に広がっていた。
 先ほど自分が投げ捨てたケーキが、まるで迫撃砲の直撃でも受けたのかと疑うほどに粉々になっていた。箱ごと、というよりもまるで内部のケーキが箱をもぶち破る勢いで吹き飛んだかのようだ。

 確かに一方通行はケーキの箱を投げ置いた。先ほどの衝撃の余波がここまで届いていてもおかしくない。だがそのどちらでもケーキがここまで無残な姿になるとは思えない。

 不可思議な現象。
 考えられない事象。
 学園都市最高の頭脳が把握できない事態。

「……まさか……」

 バッ、と一方通行は未だ粉塵の舞い上がる後方に目を向けた
 一方通行の頭をとある光景が過る。
 第三次世界大戦、科学と魔術の戦争ともいえるその戦いで一方通行が嫌というほど味わった、科学と対をなすもう一つの法則。









「いやはや、乱暴ですねぇ。人の命をなんだと思っているのでしょうか」

 粉塵の中から、モノクルをハンカチで拭きながら現れた蛾々丸。
 その身に傷はない。
 傷一つない。

「テ、メェ……!」

「レベル5、でしたか? その殆どが己の能力にかまけた傲慢な者達と聞いていましたが……あなたはその中でもトップクラスに偉そうな態度ですね。尊い人間の命を何とも思わないだなんて、死んだ方がよろしいのでは?」


 不敵な、不快な笑みを浮かべる蛾々丸。

 
  
 一方通行の能力を破った存在はこれまでに何人か存在する。だが一方通行の攻撃の直撃を受けて無事だった存在などゼロに等しい。

 感触はあった。確かに一方通行は蛾々丸の頭を粉砕したはずなのだ。ガードされた気配すらなかったというのに。
 蛾々丸はまるで何事もなかったかのように立っている。
 その姿に一方通行は表現できない悪寒に襲われた。
 はたして、目の前に立っているモノは人間なのか、とすら疑いたくなるほどに。

(土御門の肉体再生【オートリバース】みてェな再生能力……? いや、あのダメージからこンな速さで復活出来るよォなら文句なしのレベル5だ。科学、じゃねェ……やっぱり、ありゃァ……!)

「いかがなさいましたか? 何やら顔色がよろしくないご様子ですが」

「……成程なァ。何処のクソ組織かは知らねェが、案外イイ作戦考えるンじゃねェか。科学じゃ俺は殺せねェ、だからテメェみてェな奴を寄こしたってわけか」

「何を仰っているのか、私にはイマイチ理解できないのですが……」


 一方通行は獰猛な笑みを浮かべながら、己が予測した蛾々丸の正体を告げる。








「テメェ、魔術師だなァ? 不思議な魔法で俺をぶっ殺すってかァ?」







「――――」


 瞬間、蛾々丸から表情が消えた。
 一方通行はその原因を己の正体が看破されたから、だと予想した。科学側の人間である一方通行が魔術師の存在を知っているという事に驚愕しているのだと。
 
 だが、現実は違った。
 
 現実はもっとも単純で、馬鹿馬鹿しく、そして予想しないものだった。



「……魔術師、だと……?」

「……あァ?」












「なんっ……でそこまで! 的確に人を傷つける台詞が言えるんだよお前はぁぁぁああああああああああああっ!」
   




 豹変。
 それまでは大人しいという印象すらあった蛾々丸がまるで獣のように吠えながら、眉間に深い皺を刻んで一方通行を睨みつけた。

「言う事欠いてまさかの魔法だと!? 魔法を使う奴なんて現実にいるわけねーだろ! 俺が二次元と三次元の区別もつかねー馬鹿だってのか!? こんな侮辱を受けたのは初めてだ! 確実に許さねぇ! お前は! 俺が! ぶっ殺す!」

 絶叫、激昂。
 目の前にいる人物のあまりの変化に一方通行の思考が止まる

「……ンだよこの被害妄野郎は……」

 一方通行は呆れたように呟く。
 だが肌で、脳で、ピリピリと感じていた。豹変した蛾々丸から漂う雰囲気は明らかに危険なものであると。

「……まァ、関係ねェか」

 荒々しい表情と声で一方通行を威圧するように睨みつける蛾々丸とは対照的に、冷たく射抜くような視線を蛾々丸へと向ける一方通行。

 相手が殺すというのであれば、先にこちらが殺せばいい。
 単純なことだ。
 慣れきったことだ。
 汚れた物は、消飛ばせいい。

「ンじゃあよォ、どこのどいつかは結局わからなかったが……構わねェからそのまま死ねや理解不能野郎」

 一方通行は飛び掛かる。ベクトルを掌握し、背に竜巻を生やしながら蛾々丸へと。


「……不慮の事故【エンカウンター】」

 ボソリと、蛾々丸が呟いた。
 そして、二人が激突する。






 ――
 ――――
 ――――――



「……どういうつもりだ?」

 窓も、ドアも、階段も、エレベーターも、入口すらもない。建物として機能するはずのないビルの中、ボタンやモニタの放つ機械的な明かりだけが高原となる部屋の中心に巨大なビーカーがあった。
 強化ガラスの内部は薄い赤色の液体で満たされていた。弱アリカリ性培養液。人体を保存するのに適した液体。
 
 そしてビーカーの中には、緑色の手術衣に身を包んだ人間逆さまに浮かんでいた。

 長い銀色の髪を持つその人間は男にも女にも見えて、大人にも子供にも見えて、聖人にも囚人にも見える。
 そのどうしようもなく『人間』な彼の名はアレイスター=クロウリー。
 かつて最高の魔術師として名を馳せ、後に最悪の魔術師として語り継がれる事となった科学サイドの頂点。

 普段は表情と呼べるものを見せないアレイスターが、どこか不満げな表情を浮かべているような様子で呟くように言った。
 本来、この場所には超能力開発の総本山である学園都市の中でも希少な能力である空間移動能力者、さらにその中でも最高のレベル4の能力者が居なければ入れない場所だ。
 
 だが、アレイスターの目の前に居る彼女にはそんな常識は通用しない。
 


「いやね、僕としては特に何の意図もないのだけれども」



 この空間にはあまりにも不釣り合いな、軽快な声。
 まるで年端のいかぬ少女のようでありながら、老練の女性のような声でもある。

「ただね、どうしても子供っていうのはこういう場所が好きなのさ。行き過ぎた科学だとか、裏組織だとか、世界を二分する二つの法則だとかね。だから僕はそういうのに興味がある子に声をかけて、学園都市観光のパッケージツアーを組んだだけだよ。そうだね、ある少年の言葉を借りるのならば、『僕は悪くない』といった所かな」

 カランコロンと下駄が鳴る。
 風情ある日本特有の音でありながら、科学の中枢たるこの場所では不似合を通り越してどこか不気味だった。

「まぁ、ある程度物語に色を付けるために僕のスキルで学園都市にやってきた僕達側の世界の住人の何人かは少々記憶を退行させてある。どれくらいかと聞かれれば、単行本8冊分くらいかな」

「……あまり身勝手なことをされるのは困るのだが」

「固いこと言うなよ。君にとってイレギュラーは最高の娯楽なんだろう?」

「イレギュラーにも程度と言う物があるのだがな」

「やれやれ、壮大なことを考えている割にはみみっちいもんだね。『ホルス』だったか『オシリス』だったか、そんな事を本気で考えるやつなんてラノベの世界にしかいないと思ってたんだけどね」

「……」

 もしもアレイスターの前で喋っている存在が、科学サイドと相反する存在である魔術サイドの頂点程度だったならば、目の前に現れた瞬間にでも殺していただろう。
 だが、それは実行できない。
 『人間』としてのあらゆる可能性を捨てて、あらゆる可能性を手にしたアレイスターにすらどうにもならない存在。



 安心院なじみ。



 学園都市風に言うのであれば、彼女は学園都市最高の称号『レベル5』でもあり、学園都市がいまだたどり着かぬ領域『レベル6』でもあり、実現不可能と言われている『多重能力』でもある。
 魔術サイド風に言うのであれば、彼女は魔術を極めた『魔神』でもあり、ごくわずかしかいない『聖人』でもあり、『神の右席』としての素質も兼ね備えている。
 
 『人間』だとか『生き物』だとか、そんなちゃちな定規では図る事すら不可能な存在。
 ただ平等なだけの人外。

「まあ安心するといい。何と言っても僕が連れてきたのは日本という平和な国に生きる学生だよ。学園都市だなんて場所に来てテンションが上がっちゃってる可能性は否めないがね」

「……」

「僕が君のもとを訪れたのは単なる挨拶だ、礼儀を通すためにね。そもそも僕と君、僕達と君達は本来関わるような関係ではないからね。たとえるならば僕達の邂逅は二つの作品のファンが趣味で書いたクロスオーバー物のようなものだよ。創作というのはありえない共演というのが実現するからねぇ」

「……何がしたい?」

「んー?」

「何がしたいのか、と聞いている。君という存在がどれほど私のプランに影響を及ぼすのかはわかっているだろう」

「……僕が君のプランとやらを壊すかもしれない、と考えているのかな?」

 安心院なじみは不敵な笑みを浮かべる。そして自身の右掌に突き刺さっている巨大な螺子を愛おしそうに撫でながら、こう言った。



「安心するといい。僕にとって君も、学園都市も、科学も、レベル5も、魔術も、神の右席も、原典も、禁書目録も、プランも、ホルスも、オシリスも、エイワスも、天使も――










「ただのくだらねーカスなんだからさ」


 ――
 ――――
 ――――――





「はぁ……不幸だ」

 スーパーの袋を手にぶら下げた上条当麻は公園のベンチで一人黄昏ていた。
 学校帰りにスーパーの特売にて数種類の野菜を購入した上条当麻はその帰り道、何やら道路やビルが痛々しく粉砕している現場に出くわした。
 まるで怪獣か何かが暴れたようなその現場にはたくさんの野次馬が集まっており、一般人よりもはるかに多くの事件に遭遇してきた上条当麻もその惨状を野次馬に混ざって見学していた。
 また厄介ごとでも持ち込まれたのか? と考えた上条はポケットから携帯を取り出し土御門元春という学園都市と魔術サイドの二重スパイを演じている友人に何か事件でもあったのか聞こうとした。

 しかし携帯は繋がらず、上条は諦めて携帯をポケットに仕舞った――次の瞬間、ビルの一部が突然崩れ、辺りにいた野次馬集団が一斉にたじろぎ、上条の体は数十人単位の圧力に押されることとなった。
 当然その圧力は上条の持っていた買い物袋にもかかるわけで、外からの圧力に決して強いとは言えないトマトは見るも無残な姿へと変貌を遂げた。というわけだ。

「うう……キャベツやモヤシが真っ赤になってしまった……人参は色づきが良くなったと考えるしかない……」

 微妙にポジティヴとは言えない思考で上条は涙目になりながら立ち上がる。
 赤く濡れた野菜を公園の水道で洗い、なるべく袋から水気を取ったものの、やはりなんとなく袋からは臭いが漂ってくる。
 だがしかし、食材が幾つか悲しいことになったとはいえ、上条はめげてはならない。
 上条の家には彼の帰りを待ちわびる同居人がいるのだ。

「まぁアイツならたとえモヤシがショッキングピンクになろうとバクバク食いそうだけどな……」

 人間は雑食生物であるという事をまさに体現しているかのような彼女の腹を満たすのは学園都市の能力判定でレベル0の烙印を押されている上条にはかなりキツいのだが、それでも彼は彼女を見捨てるようなことはしない。
 彼女を救うために上条は記憶を失い、そして世界をも救った。
 たとえ記憶を失おうと、上条当麻という人間の本質は何も変わらないのだ。

「さてと、じゃあ帰りますかねっと」

 上条はベンチから立ち上がり、公園から出て行こうとする。






 その時、上条の体にトンッ、と軽い衝撃が走った。

「っと……」

 上条は軽くよろめく、がどうやら衝撃の正体、木で隠れていてよく見えなかった曲がり角から飛び出して来た少女は上条とぶつかった拍子に倒れてしまったようだ。

「きゃ……っ!」

「あ、えっと、ゴメン!」

 上条はすかさずぶつかった少女に頭を下げる。
 学生服のようだが、薄い桃色の生地や二層のフリルなどそれはまるでドレスのようにも見えた。
 可愛らしい顔立ちにまるで漫画のキャラクターのようなピンク色の髪がとてもよく目立っている。

「あ、えっと、立てるか?」

 上条は多大な罪悪感を感じながらも、少女に『右手』を差し伸べた。



「――――」

「……?」



 差し伸べられた手を少女は掴むでもなく拒むでもなく、ただ目を丸くして見つめていた。 

(……? どうしたってんだ?)

 上条はどうしていいかわからず、とりあえず手を伸ばしたまま少女の反応を待つことにした。
 すると、少女の様子に明確な変化が表れ始めた。

 まず、顔が仄かに赤くなっていた。
 さらにその顔はどんどん満面の笑みへと変化していき、上条が伸ばした右手に向かって少しだけ手を伸ばした。まるで上条の方から手を握ってくれるのを待つかのように。

「……て」

「え?」

「男の子から手を差し伸べられるなんて、初めて……!」

 顔を赤くしながらそう呟く少女を見て、上条もわずかに顔を赤くした。
 鈍感と罵られた回数は数知れずの上条にも一応照れるという感情はあるらしい。
 上条はいくらなんでも初対面の女の子に変な態度をとると不審者扱いされそうだ、と無理やり煩悩を振り払い、少女の手をつかんだ。



 バキン!



「……え?」

 辺りに響き渡る透明な破壊音。
 上条はこの音を何度も聞いたことがあった。己の右腕に宿る『あらゆる異能の力』を破壊できる異能。学園都市の基準では図ることのできない唯一絶対の右腕。
 幻想殺し【イマジンブレイカー】
 上条の右腕が何らかの異能を破壊した時に奏でられる破壊音だった。

(今、何かを壊したのか……? オリアナの時みたいに何か魔術を? いや、でも恰好的には学生っぽいし、何かの超能力者……?)

 だが、異変はそれだけではなかった。
 パキ、パキ、パキ、と破壊音は今も連続してかすかにだが聞こえ続けている。
 まるで無限に湧き出る『何か』を押しとどめているかのように。
 上条は様々な考察を頭の中で行う。そんな中、目の前にいる少女は先ほど手を差し伸べられた時と同じように目を丸くして、驚愕と言った様子で自分の手を握る上条の右手を見つめていた。
 
「……どうして」

「え?」

「どうして、あなたの右手は腐らないの……?」

「……腐、る……?」

 物騒な、不穏な事をボソリと呟いた少女に上条はやや青ざめる。
 もしも少女に差し伸べた手が左手だったならば、自分は今とんでもない事になっていたかもしれない。

「これは……間違いないわ」

「え?」

 少女が一瞬顔を下に向け、次に上げた時は――まるで花のような笑みを浮かべていた。

「あなたは私の運命の人! だってあなたは私に初めて手を差し伸べてくれたもの! 初めてこんな気持ちにさせてくれたもの! 初めて私が触って腐らなかった人だもの!」

「え、あ、えっと……」

「あ、私は江迎怒江って言うんだけど、あなたの名前は?」

「か、上条当麻だけど……」

 ズイズイッ、と顔を寄せてくる江迎に上条はわずかにたじろぐ。鼻の先まで迫ってきている江迎の顔は何処までも笑顔だ。

「じゃあ上条くん、質問なんだけど――











「子供は……っ、子供は何人欲しい?」










「――」

「私は三人欲しいな。女の子がふたり、男の子がひとりね。名前は上条くんが決めてあげて。私ってあんまりネーミングセンスがないから。えへへ、どっちに似ると思う? 私と上条くんの子供だったら、きっと男の子でも女の子でも可愛いよね。それで庭付きの白い家に住んで、大きな犬を飼うの。犬の名前くらいは私に決めさせてね。上条くんは犬派? 猫派? 私は断然犬派なんだけど。あ、でも、上条くんが猫の方が好きだっていうんなら、もちろん猫を飼うことにしようよ。私、犬派は犬派だけれど動物なら何でも好きだから。だけど一番好きなのは、もちろん上条くんなんだよ。上条くんが私のことを一番好きなように。そうだ、上条くんってどんな食べ物が好きなの? どうしてそんなことを聞くのかって思うかもしれないけれど、やだ明日から私がずっと上条くんのお弁当を作ることになるんだから、ていうか明日から一生上条くんの口に入るものは全部私が作るんだから、やっぱり好みは把握しておきたいじゃない。好き嫌いはよくないけれど、でも喜んでほしいって気持ちも本当だもんね。最初くらいは上条くんの好きなメニューで揃えたいって思うんだ。お礼なんていいのよ彼女が彼氏のお弁当を作るなんて当たり前のことなんだから、でも一つだけお願い。私『あーん』ってするの、昔から憧れだったんだ。だから上条くん、明日のお昼には『あーん』ってさせてね。照れて逃げないでね。そんなことをされたら私傷ついちゃうもん。きっと立ち直れないわ。ショックで上条くんを殺しちゃうかも。なーんて。それでね上条くん、怒らないで聞いてほしいんだけど私、中学生のころに気になる男の子がいたんだ。ううん浮気とかじゃないのよ、上条くん以外に好きな男の子なんて一人もいないわ。ただ単にその子とは上条くんと出会う前に知り合ったというだけで、それに何もなかったんだから。今から思えばくだらない男だったわ。喋ったこともないし。喋らなくてもよかったと本当に思うわ。だけどやっぱりこういうことは最初にちゃんと言っておかないと誤解を招くかもしれないじゃない。そういうのってとても悲しいと思うわ。愛し合う二人が勘違いで喧嘩になっちゃうなんてのはテレビドラマの世界だけで十分よ。もっとも私と上条くんは絶対にその後仲直り出来るに決まってるけど、それでもね。上条くんはどう? 今まで好きになった女の子とかいる? いるわけないけども、でも気になった女の子くらいはいるよね。いてもいいんだよ。全然責めるつもりなんかないもん。確かにちょっとはやだけど我慢するよそれくらい。だってそれは私と出会う前の話だもんね? 私と出会っちゃった今となっては他の女子なんて上条くんからすればその辺の石ころと何も変わらないに決まってるんだし。上条くんを私なんかが独り占めしちゃうなんて他の女子に申し訳ない気もするんだけどそれは仕方ないよね。恋愛ってそういうものだもん。上条くんが私を選んでくれたんだからそれはもうそういう運命なのよ決まりごとなのよ。他の女の子のためにも私は幸せにならなくちゃいけないわ。うんでもあまり堅いことは言わず上条くんも少しくらいは他の女の子の相手をしてあげてもいいのよ。だって可哀想だもんね私ばっかり幸せになったら。上条くんもそう思うでしょ?」

 輝くような笑顔で、幸せそうな笑顔で、恋する乙女のように顔を赤らめながら江迎は上条に言葉を叩きつけた。
 上条はと言えば、もはや言葉すら出せなかった。江迎の口から発せられた言葉を脳で処理できない、言葉は理解できるが意味が理解できない、いつの間に、自分と彼女は恋人関係になったのだろうか。

(コ、イツ、間違いなくヤバい……ッ!)

 背筋が震えあがるのを上条は感じていた。
 一見可愛らしいとも思える彼女の笑顔も、すでに上条にはそれが人の皮を被った何か得体の知れないものが自分を飲み込もうと誘い込んでいるようにしか見えない。

「あ、あの、俺早く家に帰って居候に飯作ってやらないといけないから、これで――

 


 ドズッ! という音がした。




「……え?」

 上条は一瞬何が起こったのか理解できなかった。
 そして左足に違和感を感じ、視線を下に向けると――上条の安い靴に、銀色の刃の文化包丁が深々と突き刺さっていた。

「な……ッ!? あああああああああっ!?」

 状況を視認した瞬間に、足を発生源として全身に稲妻のように激痛が走った。
 
「何で帰ろうとするのよ私がここに居るのに。さっき手を差し伸べてくれたじゃない、あれって私が好きってことでしょ好きってことでしょ私のこと好きなんだよね?」

 グリッ! グリッ! と江迎は上条の左足に突き刺さった文化包丁を捩じる。そのたびに上条は声にならない叫びをあげた。
 見れば、江迎が握りしめている文化包丁の柄の部分が少しずつ腐敗しているのが見えた。鼻を刺激する嫌な臭いに少しずつ腐り落ちていく柄、それは上条の焦燥感をさらに煽る。

「大体居候って何よ私よりあんたに近い存在なんて許されるわけないじゃない。あんたは私を愛するために生まれてきたんだしあんたは私に愛されるために生まれてきたんだし。私に出会ったあんたはもう何もしなくてもいいのよいいんだから」

「ひ……ッ!」

 上条の思考が痛みと恐怖により妨害され、頭が回らなくなる。
 今まで何度も自分の命が危険な状況に出くわし、たった一本の右腕の力のみで切り抜けてきた上条。普通の人間ならば何度死んだかカウントもできないような激戦を制してきた上条が、今完全に恐怖に心を囚われていた。

 学園都市で最も強力な超能力者よりも。
 たった一人で学園都市を壊滅させかけた『前方』よりも。
 学園都市の最新鋭戦闘機の攻撃すら切り抜けた『左方』よりも。
 圧倒的な力で上条を一度は殺す寸前までいった『後方』よりも。
 イギリス全土を巻き込むクーデタの主犯よりも。
 地球を一瞬で破壊することも救済することもできる程の右腕を持った『右方』よりも。

 目の前にいる少女は怖くて、意味不明で、そして何より気持ち悪かった。

 過去何度も上条の言葉に心打たれて、己の悪逆を悔いそして改心したと呼べる人間は数多くいる。
 だがそれは、上条が相手の心を理解していなければ意味がない。
 相手が言葉で隠している本心、苦悩、それを上条は言葉の端々や表情から読み取り、その拳で打ち破ることで彼らを救ったと言える。 
 だが、江迎怒江という少女は上条にはまるで理解できない。
 正義でもなければ、悪でもない。
 浮かべた笑顔は本当に嬉しそうだし、足に突き刺した文化包丁もまるで躊躇がなかった。
 
 上条の言葉は、おそらく少女には届かない。
 どれだけ人を救ってきた言葉だろうと、江迎にとっては無意味で無関係で無価値で無責任な言葉でしかないのだ。


「くっ……! ごめん!」


 ゴッ! と鈍い音が響く。江迎の小さな顔に上条の左拳が叩き込まれた音だった。
 その勢いで勢いは後方へと転がり、その隙に上条は足に刺さった文化包丁を引き抜く。刃に押しとどめられていた血が一気に噴き出し上条は顔を顰めた。

(クソッ、歩くのは難しいな……次追いつかれたらどうなるかわからないぞ)

 上条は無事な右足で跳ねるようにしながら江迎と距離をとる。
 が。
 一般人としてはそれなりに筋肉がある方の上条の手加減抜きの拳を顔に浴びた江迎は何事もなかったかのように立ち上がり、上条に満面の笑みを向けた。

「なっ……!?」

「もう、痛いじゃない上条くん。でもね、私は痛みじゃなくて愛を感じてるよ上条くん。だってだって女の子の愛は、痛みなんかよりずっとずっと強いんだから」

 江迎は地面に落ちた血染めの文化包丁を拾い上げ、柄ではなく刃の方を握る。当然掌が切り裂かれ鮮血が滴り落ちるが、江迎の顔は相変わらずの笑みから微動だにしない。

「さぁ愛しましょう愛してよ愛し合いましょう。私と上条くんのハートフルラブストーリーは今日から始まるんだから――





 
 江迎が上条の顔へ両手を伸ばした、瞬間。

 













 上条の視界を強烈な閃光が襲った。

「今のは……まさか……!」

 それは、見覚えのある光。
 バチバチと耳障りな音を立てながら輝く青白い稲光。

 それを体中に纏いながら上条と江迎を射抜くような視線で見つめる、やはり見覚えのある姿。


 肩まである茶色い髪が稲光と共に風に揺れる。
 身に纏うは普通の学生服、に見えるがそれは学園都市において極めて価値の高いブランド性を持つものである。
 学園都市の名門、常盤台中学。
 レベル3以上が入学条件という極めて狭い門を潜り抜けた先にある学び舎の中でさえ尚他を圧倒する存在、学園都市という囲まれた世界で最高峰の存在。
 学園都市第三位のレベル5、御坂美琴。
 この世に存在する発電能力者の中で最高位に君臨する超電磁砲【レールガン】である。


「ビリビリ中学生……ッ!」

「ビリビリゆーなって言ってんでしょーが。……まぁ、今はそんな事言ってる場合じゃないっぽいけど」

「なんですか、あなた。いきなり現れといて相思相愛超運命的フォーエバーおよびトゥルーラブハッピーエンド超絶確定な私と上条くんの中を裂こうっていうんですかぁ?」

「べ、別に嫉妬とかしてるわけじゃあないけど……ていうか、あんたたちまさか本当にそういう関係なわけ?」

 御坂がチラリと上条に視線を向ける。
 上条は全力で首を横に振った。

「だ、そうよ? 私にアイツの恋愛事情に口出しする権利は……まぁ、まったく無い、って事は無いかな? さすがにそれだとちょっと寂しいし悔しいし」 

「そーんなあやふやな感じで私と上条くんに嫉妬するなんて無粋ですよぉ。根性腐ってるんじゃないですか?」

「嫉妬じゃないわ、宣戦布告よ。いろんな意味でね。あんたがあいつをどれだけ好きかは知らないけど……」

 御坂美琴は深く息を吐く。
 そして、上条は空気が変わるのを感じた。
 御坂は怒っている。
 その激昂が外に現れているかのように、御坂の周りで轟く稲妻がさらに強烈なものになっていく。







「――ソイツの足に包丁ぶっ刺すような奴に、勝ちを譲るわけにはいかないわね」

 超能力開発の最高峰、学園都市において電撃使いという超能力者は比較的メジャーな存在である。
 
 学園都市二百三十万人の頂点とも言える七人のレベル5。
 第三位の御坂美琴は他のレベル5に比べ世間への露出も多く、広告塔的な役割も果たしている。第三位という学園都市の序列でも最上位クラスに居るのも有名な理由かもしれない。
 しかし、御坂美琴の第三位という序列に疑問を抱くものも中には存在する。
 確かに、この世のあらゆるベクトルの掌握や存在しない物質を操る能力に比べ、電撃使いなどという能力者は他よりも圧倒的に劣って見えるのは、仕方がないのかもしれない。。
 が、それは御坂美琴という存在を『情報』の上でしか知らない者達の想像だ。
 彼女の力をその目で見たものは、みな同じ結論に至る。


 
 たとえ中学生であろうと、メジャーな能力だろうと、『レベル5』というのは紛れもない化け物だという事を。

「とりあえず――この辺から行きましょうかね」

 美琴がそう呟くと、辺りに変化が訪れる。
 地面が動いている。否、地面から湧き出るかのように、そこら中から黒い何かが浮かび上がり、それが美琴の後方に集まり始めた。

「あれは……!? おい御坂!」

「安心しなさい、そこまで本気じゃないわよ」

 周囲から集まってきた黒いそれは次第にその形を現し始める。
 地面から生えた、巨大な刃。
 それは美琴の操る電気によって発生した磁気で形成された砂鉄の刃だった。

「忠告しておくと、高速で微振動してるから触れない方が良いわよ」

「ご忠告ありがとうございます☆ でも心配ご無用ですよぉ」

「そ、じゃあ――行かせてもらうわよ」

 轟ッ! と風を切る音と共に黒い刃が江迎へと振り下ろされる。
 確かに砂鉄の刃は人体に触れれば一瞬で人間をキロ単位で販売されているような肉塊に出来る代物ではあるが、美琴の『本気ではない』宣言通りなのか振り下ろされる速度自体は普段上条に攻撃する際の半分程度だった。
 
(まずはこれで少しずつ速度を速めながら相手の身体能力を見切る!)

 避けられる事が前提の大振り攻撃。
 当たれば必殺だが、当てるつもりで放ったわけではない攻撃。



 ――が、刃が初期位置から江迎までの距離の中ほどまで到達した頃、上条と美琴は違和感に気づいた。

(なんで……? 何で避ける仕草すらみせないの!?)

 江迎はただ笑顔のまま、両手を振り下ろされてくる黒い刃に向けていた。
 まさか。
 まさか、受け止めるつもりだとでもいうのだろうか。

 美琴が知る限り、高速微振動している黒い刃を受け止められるとすれば上条の奇妙な右腕、もしくは学園都市最高の能力者の能力だけだ。
 人体に触れてしまえば、黒い刃は躊躇なく江迎怒江という少女の肉体を見るも無残な姿に変えてしまうだろう。

「え、江迎!」

「上条くん、私を心配してくれるなんてやっぱり私たちの愛の深さは何よりも偉大なことが証明されたわ!」

 ニコニコ、というよりもニタニタという表現が似合いそうな笑みを浮かべながら江迎はそう言う。黒い刃と江迎の手までの距離は残り一メートルといった所だった。

「でも、大丈夫よ上条君」

 残り、五十センチ。

「私たちの幸せの邪魔をするものはみんなみんなみんなみんなみんな――

 残り、十センチ。








「――みんな、腐り落ちるんだから☆」

 迸る紫電よりも嫌な音がした。
 上条の足から今なお流れ落ちる血の香りよりも嫌な臭いがした。


 そして、信じられない光景が上条と美琴の目に映った。




「……嘘……」




 振り下ろされた、必殺の黒い刃。
 それが江迎の手に当たった瞬間――刃の中心から『腐り崩れた』。
 江迎の手には一直線にまるでカッターのような薄い刃で切り裂いたような傷があり、そこから血が流れ落ちていたものの、それだけだった。
 人体を骨ごと容易く切断する事が出来る刃を手で受け止めて、その程度だった。

「上条くん、見てたぁ? 手で触れた物を腐らせる。これが私の過負荷【マイナス】――『荒廃した腐花』【ラフラフレシア】よぉ」

「……マイナス……?」

 聞いたことのない単語。
 学園都市において能力者とは6段階に分かれている。

 測定が出来ないほど弱い力、目に見えないほどに微弱な力しか無い無能力者『レベル0』
 日常生活において殆ど価値のない力しか行使できない低能力者『レベル1』
 低能力者よりはある程度力があるが、それでも殆ど無意味な能力しか行使できない異能力者『レベル2』
 科学で再現できる程度の力であるものの、レベル2とは段違いの力を持つ強能力者『レベル3』
 軍隊で戦術的な効果が得られる程に巨大な力を誇る学園都市でもごくわずかな大能力者『レベル4』
 
 そして、学園都市の学生180万人の内7人しか存在しない天性の才を持つ最強の超能力者『レベル5』

 学園都市で最も数が多いのはレベル0であり、上条当麻も正体不明の右腕を持っているとはいえその位置に属している。
 だが、最低でもレベル0。
 マイナスなんて括りは学園都市には存在しない。

「学園都市のレベル分けに新しい基準が出来たのか……?」

「ああ、違うの。私は学園都市の学生じゃないのよぉ。私は球磨川さんに連れてきてもらっただけで、ここで上条くんと出会ったのはやっぱり運命よね☆」

(……球磨川?)

 美琴の耳は聞き逃さなかった。
 江迎の口から出た名前、球磨川。
 そいつが、こんな危険な奴を学園都市に招き入れたというのか。

「アンタ、その球磨川って奴は何処に居るのよ」

「え? 知りませんよぉそんな事。球磨川さんは自由な方ですからぁ☆」

「……」

 どうせ碌な奴ではないだろうけどね、と美琴は勝手に結論付ける。

(……でも、あの女の能力は厄介ね。あれほどの砂鉄の刃を一瞬で腐らせるなんて……酸化というよりも本当に腐り落ちる感じだった。大気操作系の能力でもなさそうだし……レベル3、もしかしたらレベル4程度の実力はありそうね)

 当然だが、美琴はまだ過負荷という存在を理解していない。
 だから学園都市の、自分を支えてきた環境の基準で考えてしまう。
 過負荷には基準も常識も当てはまらないという事にはまだ気づけない。



「……じゃあ、もう少し本気を出すわね」



 砂鉄の刃のわずかに残った部分が音もなく崩れていく。
 そしてその次の瞬間に、青白い紫電がバチバチと音を鳴らしながら今度は美琴の右手へと集まり始めた。

 美琴は手を拳銃に見立て、人差し指をまっすぐ江迎へと向けた。狙いをつけるように片目を瞑り、狙い通りの場所に当てるために微調整をする。

「バチバチバチバチうるさいのねぇ。そんなんじゃ愛する人からも嫌われちゃいますよぉー?」

「そう? じゃあリクエスト通り静かにしてあげる」

 美琴がそう言うと、一瞬で美琴の手に集まっていた青白い閃光が少しずつ収縮していき、最終的には豆電球程度の電光にまでなってしまった。

「お、おい御坂!」

「聞き分けがいいんですねぇー。その調子で私と上条くんの結婚も認めてしまいましょうよ。上条くんを幸せに出来るのは私だけなんですからぁー」

「大丈夫大丈夫、アンタは心配しなくていいの。私だってあんたが居ない間、何もしてなかったってわけじゃないのよ?」

「……?」

「……で、そっちの包丁女」

「はい?」









「ちょっと黙れ」

 バチィッ! と耳障りな音が一瞬だけ鳴り響いた。
 美琴の指先にあった小さな電光が一気に弾け、真横に走る稲妻のように、人間には絶対に知覚出来ない速度で迸った電撃が江迎の左足を打ち抜いた。

「……っ!」

 ガクン、と江迎がその場に片膝をつく。
 電撃を受けた左足はダランと力なく垂れており、どうやら完全に麻痺しているようだった。

「アイツのパンチ喰らってもピンピンしてるみたいだから、まともに倒すより動けなくなって貰う事にしたわ。アンタの能力は強力だけど、手で触れないといけないんでしょ? だったら手で触れる暇もないくらいの速度の奴をぶちかましてやればいいのよね」

 狙った部分だけを麻痺させる、狙撃のような電気の扱い。
 上条の知っている美琴は怒ったり感情が暴走したりすると電気が漏電してしまうような、あまり狙いをつけるというよりも電気を一気に放ち一掃する、という豪快な戦い方をしていた。
 だが、美琴は針の穴に通すような電気の微細なコントロールを行っていた。
 もともと電気の扱いにおいて美琴を上回る能力者など存在しないのだが、美琴は能力の調整、鍛錬を怠らなかった。
 それは単純に、美琴の願望だった。

 もう、おいて行かれるのはたくさんだ。今度は隣を歩けるくらいになってやる、という強い気持ちが彼女の心の強い柱となっていた。




「……こんな、もので、私と上条くんの恋愛成就を邪魔できると思ってるんですか?」

 ズリ、ズリ、ズリと体を引きずる音がする。
 江迎がまるで地面から這い出て来たゾンビのように、動かない左足と体を引きずりながら両手右足を使い美琴へと迫っていく。
 その速度は気持ち悪いほどに速かった。

「本っ当気持ち悪いわねコイツ……ッ!」

 再び紫電が迸る音が響く。
 右腕を稲妻に打ち抜かれた江迎がかすかに悲鳴のような声を上げるが、それでも江迎の動きは止まらない。
 まるで腕の悪い人形師に操られる傀儡人形のように。
 まるで這い寄って来る混沌のように。
 まるで幸せをつかむために直走る少女のように。

 江迎怒江という少女は、前進し続ける。
 
 止まらない。
 止められない。
 過負荷の這い寄り、乙女の恋心は誰にも止められない。
 


 そんな江迎の様子を、上条は見てられなかった。

「……ッ! 御坂! もうやめてやれ!」

「な……!?」

 御坂が驚いたような表情を見せる。
 当然だ。
 どこに自分の足を文化包丁でいきなり突き刺した奴をかばう奴がいるというのか。

「もう勝負はついただろ! 江迎ももう諦めろよ! 御坂はレベル5だ、どうやったって勝てる相手じゃねぇよ!」

「何言ってるの上条くん!」

 グルン! と音が聞こえそうなほど勢いよく江迎は首だけ振り返り上条の方を向いた。

「私と上条くんの愛が負けるはずがないじゃない。でも私達の愛にうち滅ぼされるこの子の姿がどうしても見たくないっていうなら勝負をやめてあげてもいいけどその代わり今すぐ結婚しようよ結婚してして結婚しなきゃ結婚しなさい結婚するべき結婚しやがれ結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚レッツマリッジ!」

「……っ!」

 江迎を見て居られない理由。
 あまりにも惨たらしいとも呼べるその戦い方。物を腐らせ自身はゾンビのように這い寄るその姿を見ることが苦痛だった。
 何よりも、江迎怒江という少女自体が見ているだけで不安定になりそうなほど悍ましい存在だった。
 痛々しく、むごたらしい。
 こんな存在がこの世にいるのか、と疑いたくなるほどに。

「私上条くんのためなら絶対なんでもするから! 上条くんと一緒に幸せになるから! そのためならあの電気女の脳も骨も心臓も肝臓も膵臓も胃も腎臓も全部全部腐らせるから!」

 ズリ、ズリ、ズリと江迎は再び前進を始める。
 体を引きずりながら、口からは幸せになるための行動を呟きながら。
 江迎怒江という過負荷は、幸せを求めるために御坂美琴を腐らせようとする。


「……アンタみたいな破綻者」

 美琴が静かに、ボソリと呟く。





















「幸せになんて、なれるもんですか」

 電撃が迸る耳障りな音が連続して響き、江迎の体がガクガクと何度か震え、そして動かなくなった。
 死んではいない、ただ電気で全身の筋肉が痙攣したのち、気絶しただけだ。
 ピクリともしない江迎を上条は見つめる。
 江迎に意識はない、だが江迎の両手が触れている地面が少しずつ黒くなっていっていた。地面が腐食しているらしい。




「……御坂」

「大丈夫、一時間くらいで目を覚ますわ。……それよりアンタの方こそ大丈夫なんでしょうね?」

「あ、ああ」

 包丁を突き刺された左足は、立とうと体重を込めると電流のような痛みが走った。歩行することはかなり困難なようだ。

「……し、仕方ないわね!」

 美琴がほんのりと頬を赤らめながら上条へと近づき、上条に肩を貸す。
 身長的に上条のほうが美琴よりもだいぶ高いのだが、それでも一人で立って歩くよりは随分と楽だった。

「悪いな御坂、今度お礼するから」

「そ、そう、……期待せずに待ってるわ」



 美琴はそっぽ向きながらながら答える。
 上条はふと後ろを向き、倒れている江迎の姿を見つめる。
 言動は気持ち悪かった。行動は悍ましかった。
 だが、それでも彼女は幸せになろうとしたんだろう。
 間違った方法で幸せになろうとした他人の幻想を今まで何度も殺し、そして別の方法で幸せになる手助けをしてきた上条は江迎を放っておくのが忍びなかった。



「なぁ、御坂。頼みがあるんだけど」

「……はぁ、アンタってどこまでお人よしなんだか」

「悪いな」

「別に、そういう奴だってのは嫌というほど知ってるし良いわよ。アレに肩は貸せないけど、救急車だけは呼んでおいてあげるわ」

 そう言って美琴は上条の体を支えている方とは逆の手で携帯をとりだし、病院へ連絡してここに救急車を呼ぼうとする。

















「あーあー、江迎ちゃんってば完璧にやられちゃって。ま、やられるのが過負荷だししゃーねーか」














「「!!」」



 突然新たに現れた声に、上条と美琴は同時に振り返った。美琴は携帯をすぐさまポケットに仕舞い、片手を新たに現れた声の主へ向ける。
 
 声の主は、少女だった。
 おそらく自分で改造したと思われる、胸の谷間や腹部、太ももが大胆に露出した制服を来ている。
 どこか刺々しい印象のあるその人物は倒れた江迎を見下ろしていた。

「ったく、過負荷のくせに幸せになろうとするからそうなるんだぜー? あたしら過負荷の幸せは自分も周りもまとめて不幸になることだっての」

「……アンタ、そいつの仲間?」

「ん? ああそうだよ、仲間仲間、不幸者同士つるんでるって感じだけどな。そっちの女は知らねーが、あんたは聞いてるぜー? 上条当麻」

 いきなり名を呼ばれ、上条の体がわずかに震える。
 
「どこで俺の名前を……?」

「あたしは球磨川さんに聞いたんだけど、球磨川さんも誰かに聞いたっつってたっけ? まぁいいか。何でも昔から不幸だ不幸だって色々あったみてーだけどさー」

「……」

 少女は面倒臭そうに、だるそうに、鬱陶しそうに――













「今のあんたのどこが不幸なんだよ」













 ――怒っているような顔を浮かべ、吐き捨てる。

 と同時に、美琴の頬に何か生暖かい物がピチャッ、と湿った音をたてて触れた。

「……?」

 美琴はゆっくりと、それを手で拭い取る。健康的な色だった手が、真っ赤に染まっていた。

「…………え?」

 理解できない。
 把握できない。
 意味が分からない。

 何が、一体、どうなっている?




「うっは、すげーなーおい。どんだけやんちゃだったんだよ」




 何事もないかのように話す少女の声は逆に違和感しかなかった。
 この状況で、コレを見て、平常心で話す事が普通の人間に出来るわけがない。

 少なくとも、美琴は思考回路が完全に停止してしまっていた。

 今、ほぼゼロ距離とも言える場所に居た上条が、何故――









 全身から血を流して、ぐったりとしている?








「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!???」



 絶叫。
 強固な『自分だけの現実』を持つ美琴の精神を粉々に粉砕しかねないほどの出来事。
 上条当麻がまるで頭から血のシャワーを被ったのかと疑いたくなる程に全身を染め上げ、気を失っている。
 否、今はまだ美琴が上条の体に触れているためにその生存を確認できているが、このまま放置すれば上条は間違いなく死亡する。
 嘗て第二十二区で上条当麻を見かけた時、上条の記憶喪失を知ってしまったと告白した時も上条は大怪我を負っていた。
 だが、今の上条はまるでその時の怪我がすべて開いてしまったのではないかと思うほどにボロボロで、美琴の頭の中はぐちゃぐちゃだった。


「ひひひ、叫んで悲劇のヒロイン演じるのもいいけどさ、病院でも連れて行った方がいいんじゃねーの?」

 楽しそうに、少女は嗤う。それが美琴の激昂に触れることは承知の上で。

「アンタは……! アンタはぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!」

 バチバチ、というレベルではない。美琴の前髪のあたりで稲妻が轟いているのではないかと思うほどの、腹の底まで響く轟音がなっている。
 しかし少女はそれを見ても全く驚くような様子を見せず、口元を見るものすべてを不快にするような歪ませ方をしながら上条を指さす。

「あたしに喧嘩売るのは別に構わないけどさ、あたしに構ってる間にそっちは死ぬんじゃねーの? せっかく即死はしないようにやってやったんだしよー、命を粗末にすんなよ」

「……ッ!」

「そんな睨むなって。あたしは今まで一人も殺したことはないんだぜー。知ってるか? 未成年で人を殺すと罪が軽くなるんだとよ。もったいないよなー、今人を殺してもそんなに罪にならないなんて損だぜ、殺しは二十歳になってから、ってな」

 狂気。
 江迎怒江も当たり前のように狂った人格をしていた。だがこの少女も江迎怒江とは違うベクトルに狂いきっている。
 江迎怒江は幸せになろうとはしていた。だがこの少女は自ら不幸になろうとする。不幸である事こそが自分の生きる道だと心の底から信じている。
 これが、美琴が理解できない、学園都市のレベル判定でも図ることができない存在。
 過負荷【マイナス】、負【マイナス】、不幸【マイナス】。

(……ここでこいつも気絶させて警備員の詰所に突き出してやりたいけど……ッ!)

 今は何よりも、上条の容体が心配だ。
 それを少女もわかっているのか、倒れていた江迎を担ぎ上げ美琴にフリフリと手を振った。

「んじゃ、あたしも怒江ちゃんを連れて行かないといけないし、ここらでバイバイしよーぜー。あ、今度一緒にカラオケでも行くか?」

「……死んでもお断りよ」

「残念。……っと、そーいや名乗り忘れてたな。あたしは志布志飛沫。球磨川さんと一緒に学園都市に来た過負荷、『致死武器』【スカーデッド】でしたー☆」

 まるで昔からの級友と別れる時のように気軽に、笑顔で手を振り去っていく志布志。
 美琴はその姿を一瞬だけ見つめ、すぐに上条の体を背負うようにして病院へと向かった。

続きは明日。
お疲れ様でした。

ちなみに次、どうしようもないくらい荒れてしまえばもう二度とこのSSは投稿しませんのであしからず。

こんばんわ。

今日で前のスレの内容まで投下して、次回から新たな場面を始めることにします。
後、アドバイスもいただいたのでsage&sagaで進めてみます。

それでは、投下します

――
――――
――――――





 上条当麻が目を開けると、そこには見慣れた白い天井が映っていた。

(……ここは……病室……か?)

 上条は体を起こそうとしたが、その瞬間全身に痛みが電流のように走った。
 どうやら、まだ動くのはかなり難しそうだ。

(ええと、たしか俺は……公園で御坂に肩を借りて……)

 完全に覚醒していない頭で上条当麻は自分がどうなったのかを思い出そうとする。
 公園で出会った江迎怒江という不気味な少女、それを学園都市レベル5の御坂美琴が撃退し、その後現れた漫画に出てくるスケバンのような格好の少女が――

(……そういえば、御坂は無事なのか……?)

 体を動かすのはつらいが、とりあえず携帯で連絡を、と上条が枕元の台に置かれていた携帯電話にゆっくりと腕を伸ばした。







 その時、ガチャリという音と共に上条の居る個室病室の扉が開き、三人の人間が部屋へと入ってきた。

「やぁ、目を覚ましたようだね?」

「……先生」

 これまで上条が何度もお世話になっているカエル顔の医者はほっとした様な表情を浮かべてそこに立っていた。
 冥土帰し【ヘヴンキャンセラー】という異名を持つ凄腕の医者である。

「まったく、君は怪我をするのが趣味のようだね? それにしても奇妙な状態だったよ。新しい傷はなく、出血した部分全てが一度過去に怪我をした部分だったね? 君の今までのカルテでも見ながら相手は君を傷つけたのかな?」

「……」

 じかに攻撃らしきものを受けた上条にも理解できない。
 突然、本当に何の前触れもなく全身に激痛が走り、意識を失った。
 超能力なのか、魔術なのかもわからない奇々怪々な攻撃。

「まぁ、またある程度は入院してもらう事になるね? 僕は失礼させてもらうけど、この二人は君に話があるようだね。あんまり患者に負担をかけるのはよした方がいいね?」

 カエル医者はともに部屋に入ってきた二人にそう忠告すると、病室を出て行った。






「本当に大丈夫なの?」

 二人の内の片方、御坂美琴は医者が病室を出ていくのと同時に上条に駆け寄る。

「ああ、何とかな」

「……よかった……本当に、心配、したんだから……!」

 見ると、美琴の目が微かに潤んでいた。
 美琴の涙を見るのは今日で二回目の上条だが、一回目とは違い上条の精神に多大な罪悪感がのしかかる。

「だ、大丈夫だって本当に! 上条さんはこんな怪我慣れっこなので!」

「慣れっこってそれはそれで大問題よ!」

「ひぃぃっ!? 泣かせ回避かと思ったらご立腹に!?」

 ある意味で普段通りの調子の上条と美琴、その様子を病室に居るもう一人の人物は微かに笑みを浮かべながら眺めていた。

「微笑ましい関係だな」

「ん? えーっと……どちらさま?」

 そこに居たのは、上条が今まで見た事のない人物だった。
 いや、記憶喪失だからもしかしたら知人なのかも知れないが、記憶のあるうちでは見た事がない顔のはずだ。

 長く青みがかった髪、恐ろしいほどに整った凛とした顔、立っているだけなのに何故かこちらが圧倒されそうな威風堂々とした雰囲気。
 これほどの人物、一度見たら忘れるはずがない。

「私もさっきこの人に会って、アンタの事を聞かれたの」

「すまない、私がもっと早く行動に出ていれば貴様にそんな怪我を負わせずにすんだかもしれん」

「……どういう事ですか?」

「そこも含めて、説明しよう。私は黒神めだかと言う者だ。学園都市の外の学校で生徒会長をやっている、よろしくな」

 黒神めだか、と名乗った少女は上条と握手を交わした。

時間は暫し遡る。







「……やれやれ、やっかいな事になりそうだ」

 上条のクラス学生寮の屋上、金髪グラサンアロハシャツという冬場では明らかに寒いであろう恰好をした男、土御門元春が一枚の紙に目を通してそう呟いた。

「僕だって今回の任務には疑問しかないさ、不自然な所がありすぎる」

 心底嫌そうに話しているのは身長は二メートルを越し、髪は長く真っ赤で目の下にはバーコード、さらに咥えタバコに香水の匂いがプンプンともはや適当に特徴を詰め込んだ、と言わんばかりの容姿をした神父、ステイル=マグヌスだった。

「あの女狐の依頼だから僕達には拒否権はない。ただ……いくらなんでもこれはね」

 ステイルの手にある紙は土御門の手にある物と同じ紙であり、そこにはこう記されている。

 特例任務



   学園都市に侵入者が出現。
   敵は科学サイドでも魔術サイドでもない存在であり、学園都市とその同盟関係にあるイギリス清教で協力し侵入者の討伐に当たらねばならない。
   イギリス清教からは必要悪の教会【ネセサリウス】よりステイル=マグヌス、神裂火織の両名を派遣する。
   捕縛する必要な無。敵は確実に殲滅せよ。

                                           
             
                               イギリス清教 最大教主 ローラ=スチュアート


「確かに、不自然な点は多々ありますが……そもそも科学でも魔術でもない存在となると……」

 疑問を口にしたのは身長よりも長い刀を握った全体的にアシメントリーな改造を加えられた服装の女性、神裂火織だった。
 悪い意味でとにかく目立つ見た目の三人が現在居るマンションの屋上は本来なら入ることができない場所なのだが魔術師にはそういった事は関係ないようだ。

「まぁ、僕たちがやる事はいつも通りの事だ。その侵入者とやらをまとめて消せばいいんだろう」

 紫煙を靡かせながらステイルは紙を得意の火の魔術で一瞬で灰にする。
 土御門は紙を乱雑に丸めてポケットへと突っ込んだ。
 彼は学園都市の能力開発を受け、レベル0判定を受けた平凡な学生であるが、本来は魔術サイドの人間である。
 少し前までは日本で最高クラスの実力を持つ陰陽師だったのが、スパイという立場を得るためにその輝かしい力を行使することがほとんどできなくなってしまっている。

「土御門、調査はどのような感じなのですか?」

「こっちはこっちで色々調べた。が、学園都市に正規の手続きで『外』からやってきた人間のリストに不自然な奴はいなかった」

「となると、学園都市のセキュリティを突破できる奴と言うわけだ。そうなるとだいぶ限られると思うけど」

 魔術サイドの人間は結構な数学園都市に侵入しているのだが、それは学園都市とはまるっきり土台の違う法則を操る者だからこそできる芸当であり、たとえ魔術師であってもその辺に居る程度の実力者では不可能だ。
 この世は科学か魔術か、力ある者はそのどちらかに所属しているのが暗黙の了解だ。
 そのどちらでもない者。
 魔術でも科学でもない、未知なる存在。

「……一応確認しておくが、あの子には何の被害もないんだろうね?」

「ああ、今は俺の担任の先生の家に居るようだ。上やんにはさっきから電話してるんだが通じないな」

「別に上条当麻がどうなろうと僕には関係ない。むしろそのまま死んでくれと切に願うくらいだ」

「ですが、このままその侵入者とやらを放置していれば何が起こるかわかりません。なるべく早く解決するべきでしょう」

「ああ。だがあまりにも捜索範囲が広すぎるな。あのアレイスターや最大教主が侵入者とやらの正体を掴めないというのも気になるが……」

 その時、無機質な携帯電話の着信音が鳴り響いた。

「……? 誰だ?」

 鳴ったのは土御門の携帯のようだ。画面に表示されている電話番号は――


「おっと、愛する義妹からだにゃー」

 急におどけたような話し方になる土御門。
 ステイルと神裂が同時にため息をついたのを無視して、土御門は携帯電話を耳に当てる。

「はいはーい、舞夏の大好きなお兄ちゃんですにゃー」










「『わーい、僕の大好きな元春お兄ちゃーん』」









 聞こえてきたのは、土御門の思っていたものとは全く違う声だった。
 抑制はあるものの、異常なまでに感情を感じないその話し方は機械を通しているからという理由だけではない。
 土御門は今電話をかけてきたコイツは本当に人間なのか、と疑ったほどだ。

「……誰だ、舞夏は何処だ」

「『ええと、僕は舞夏ちゃんとの彼氏の球磨川禊で、舞夏ちゃんは今僕の家のベッドの上であられもない姿で――』

「さっさと必要な情報だけを話せ」

「『怒るなよ、軽い冗談じゃないか、ジョークなんだから僕は悪くないよ』

 相手にならない、と土御門は心の中で悪態ついた。
 今すぐ通話を切って携帯を壁に叩きつけたくなったが、それをすると義妹の状態を知る術が無くなるため土御門はグッと堪える。

「『僕はこの携帯を道で拾っただけだよ。適当に画面を操作したら「お兄ちゃん」っていう登録があったから、電話してみたんだ』」

「嘘くさいな」

「『だって嘘だし』」

 ギリ、と土御門の奥歯が嫌な音を響かせた。

「『さて、僕って長電話が嫌いなタイプだから、そろそろ本題に入らせてもらうね』」

「……」

「『統括理事会メンバー、親船最中。今から僕達はここを襲撃して週刊少年ジャンプじゃ決して表現できないような地獄を作るからよろしくね。時間は……どうしようかな、ちょっとお腹が空いたから、一時間後くらいにしようかな』」

「親船最中を襲撃……? それでお前に何の得がある?」

「『おいおい元春お兄ちゃん、そんな当たり前の事聞いてちゃ女の子にモテないぜ? 僕は得なんて求めて行動しないよ、親船最中が無残な姿になるのはたまたま、偶然だ』」

「……もう一つ、もう一度聞くぞ。舞夏は何処だ」

「『心配性だなぁ。安心してよ、後でメールで居場所と写メを送るから。じゃ、また後で!』」



 プツッ、と通話が切れる。
 土御門はゆっくりと携帯を耳から話し、そしてゆっくりと息を吐いた。

「……土御門?」

 神裂が土御門に話しかける。
 任務に挑む時と日常生活を送る時、土御門はまるで別人のようにそれぞれの生き方に溶け込むが、今の土御門はそのどちらとも違う。
 飄々としているわけでも、道化を演じているわけでもない。
 まるで復讐に囚われた鬼のように、憤怒と殺意を滾らせている。

「神裂、ステイル。移動するぞ、場所へは案内する。犯行予告は一時間後だそうだが、それが真実である確証はない。今から備える」

「……」

「……球磨川とやら、世の中には冗談でも触れちゃいけない物があるって事を思い知らせてやる」


 場所と時は再び上条の病室へと移る。








 黒神めだかの話を上条と美琴は黙って聞いていた。
 
 球磨川禊を含む『-13組』という特別選抜クラスが引き起こしたクーデタ、それに伴い行われた生徒会戦挙。
 その末に球磨川含む過負荷達は敗北、球磨川禊の改心により過負荷達にも幸せへと進む希望の兆しが見えた――はずだった。

「だが、さらに厄介な存在が現れた。それが今回の黒幕にして球磨川が再び凶行に走る原因となった存在……名を安心院なじみと言う」

「安心院なじみ……」

「ある意味、球磨川以上に思考が読めん奴だ。安心院なじみは球磨川に加え江迎怒江、志布志飛沫、蝶ヶ崎蛾々丸という計4人の過負荷の記憶を改竄し、全員が箱庭学園入学前の状態にある。つまり、改心の欠片も見えない最も過負荷の絶対値が大きい状態だ」

「……その、球磨川って奴が何をしに来たのかわかるのか?」

「いや、わからん」

 めだかは申し訳なさそうに目を瞑り頭を下げる。

「奴が本心を出さぬ限りは、奴の思考は私にも想像がつかん。何かアクションを見せれば対処の取りようもあるのだが……球磨川が何かしてからでは遅すぎる」

 球磨川禊、江迎怒江、志布志飛沫、蝶ヶ崎蛾々丸。
 たった一人でも見るだけで心が折られるような過負荷が計四人。

 科学サイド最強の超能力者。
 魔術サイド最大勢力の最暗部。
 
 この二つを相手にし、そして勝利した上条ですら怖気が走るような相手。『関わりたくすらない』と思ってしまう存在。

「そういえば、球磨川って奴はコイツの右腕の事を知ってたわ。外から来た奴がコイツの『どんな異能でも打ち消す右腕』なんて知ってるとは思えないんだけど……」

 黙っていた美琴がふと疑問を漏らす。
 上条の右腕には学園都市でもトップクラスに希少な能力が備わっているが、学園都市のレベル判定はあくまで『0』、つまり無能力者だ。
 レベル5の広告塔的な存在を担う美琴のように、学園都市中にその存在が知れ渡っているわけではない。
 ならば、球磨川は何処からその情報を得たというのだろうか。

 コン、コンと控えめなノックが上条の病室の扉を叩いた。

「……誰だ? どーぞー」

 おそらくはさっきのカエル医者、もしくは土御門あたりだろうと上条は予想して返事を返す。
 扉はすぐに開いた。



「えと、失礼しまー……って、めだかちゃん!?」

「あーららら。こういう地元から離れた場所での偶然の邂逅を運命の出会いって言って世の中の子供は美談っぽく語っちゃうわけね。まぁ私は大人だから別にこんなものどうとでも思わないしむしろ地元以外で地元の人間と会いたいだなんてこれっぽっちも思ってないけれど」



 そこには上条の知らない人間が二人いた。

 一人はめだかを見て若干驚いたような表情を見せる、金髪の少年だった。背が高く体も細身に見えるが引き締まった鍛えられた肉体だとわかる。
 もう一人はそもそも目線を上条はおろか誰にも合わせないようにそっぽ向けていた。変に説明口調で登場したのも特徴と言えば特徴か。


「善吉……それに、確か貴様は鶴喰鴎だったか」

「私の名前を憶えているなんて、さてはお前私のファンだな? ……なーんて、私も覚えているけどね黒神めだか。私は人の名前を忘れるようなお子ちゃまとは違うから」
 
 美琴が「また変な奴が学園都市に……」と静かに呟いたが、上条もこっそり同意した。

「あー……えーっと、黒神の知り合いっぽいけど、誰?」

「あ、悪い悪い。俺は人吉善吉ってもんだ。で、こっちは鶴喰鴎。こいつ人の目を見て話せないタイプだからあんま気にしないでやってくれ」

 それは病気なのでは、と上条は思う。

「それにしても私はボコボコにされた人と病室で出会うというのが多いみたいね。人吉くんも見てて逆に笑えそうなほどそこの黒神めだかにぼこられたっけ」

「……鶴喰くん、今はそれは関係ないから黙っておいてくれ」

 善吉が鶴喰を軽く叱りつけると、相変わらず目は合わせないが鶴喰は一応口を開くのをやめた。

「えっと、あんたが上条当麻でいいんだよな?」

「……どうして俺の名前が初対面の人に滅茶苦茶知れ渡ってるんでせう……」

「私と人吉くんは聞いたんだよ。安心院なじみにね」



「「「!!」」」」



 その言葉に上条、美琴、めだかの三人が同時に反応する。
 安心院なじみ、先ほどめだかが口にした球磨川の凶行の本当の黒幕。
 
「アンタ、その安心院って奴とつながってるの?」

 バチバチッ、と美琴の前髪が音を立てて風もないのに靡く。
 青白い紫電が感情に反応して漏れ出しているのだ。

「繋がってるっちゃあ繋がってるけど、俺は球磨川を止めに来たんだ。球磨川の情報を得たければ上条当麻って奴の所に行けって言われてな」

「……? その球磨川って奴を暴走させたのが安心院とかいう奴なんでしょう? なら何で球磨川を止めに来たっていうアンタの手助けをしてるのよ」

「あー……安心院なじみと俺の関わりはこっちの問題でさ、今は聞かないでくれ、とりあえず俺達は安心院なじみとつながっちゃいるが、球磨川を止める為に来たって事で勘弁してくれないか」

「……」

「御坂、たぶんこいつは嘘は言ってねぇよ」

 様々な人と関わってきた上条にはわかる。
 相手の本当の気持ち、真意、本心が上条にはなんとなくだが見える、だからこそ彼の言葉は今まで何人もの人の心に届いてきたのだ。

「人吉くん、気さくな雰囲気を出してとっつきやすい私ってのを演出するのも結構だけど、安心院さんの言葉は忘れてないよね?」

「わかってるよ鶴喰くん。ええと、確か安心院さんはここにきてテレビでもつけながら上条くんと適当に話せって言ってたな」

 上条が使っている病室にはあまり大きくないテレビが一台設置されている。
 上条の許可を取る前に鶴喰は勝手にリモコンを操作しテレビをつける。
 映ったのは二年くらい前にやっていたドラマの再放送だった。

「……善吉、一つだけ尋ねるが貴様が球磨川を止めるというのは『私と協力して』か?」

「……いや、違う。今回俺はめだかちゃんと協力はしない。俺が球磨川を止める、って言うのが真・フラスコ計画のメニューだからな」

 上条と美琴には理解できない会話が二人の間で繰り広げられる。
 学園都市の外側、魔術以上に科学の法則に従わぬ理解不能の過負荷というものが存在する世界に生きる彼等とは文字通り生きる世界が違うのだ。

「それにしても、このドラマ全然駄目だね。キャストも脚本も演出もぜーんぜん。きっとこれの監督は物凄く幼稚な人がやってるのね」

 先ほどめだかが剥いた果物を頬張りながら鶴喰はテレビを真剣に見ていた。
 口では酷評している割に視線は画面に張り付いてピクリとも動かない。

「ほーら、今ヒロインが妹の仇を討つために犯人を殺しに行こうとしてる途中、大きな橋の上で主人公の冴えない男がそれを止めようと立ち塞がった。クサい演出、こんなのスクエアどころか週刊少年ジャンプでも載らないね」

 テレビの画面の中ではヒロインと思われる少女とその前に立ちふさがる男の会話劇が繰り広げられていた。

「……どきなさいよ」

 巨大な橋の上、ナイフを握りしめた少女が疲れきった声で、涙を流しながら立ちはだかる主人公の男へと話しかける。

「どかねぇよ」

「……どきなさいって、言ってんのよ!」

 ダッ! とナイフを持った少女が主人公へと駆け寄る。
 主人公は退かない。
 主人公は逃げない。
 主人公は構えない。
 まるで凶刃を携え向かってくる少女を抱きとめるかのように、両手を広げた姿勢のまま微動だにしない。

 
「……!」

 鶴喰が息をのむ。
 ちなみに、上条と美琴も別の理由で表情が微妙なものになっていたりする。


 そして、少女のナイフが、男の、心臓めがけて――














 ブツン! と突然テレビ画面がブラックアウトした。


「……! ちょっとこれは大人な私にも許せないよね仕方がないよね人吉くん!」

「やめろ鶴喰くん! 無機物への暴力は何も生まないぞ!」

 テレビを蹴り飛ばそうとした鶴喰を慌てて善吉が抑える。

「何だ、故障か?」

 上条が適当にリモコンを操作して別のチャンネルへと変更するが、どの局も同じように画面は暗転している。
 テレビ自体がおかしくなったのか、と思ったその時、唐突に画面に映像が映り始めた。





『あ、やっほー、映ってるー? いえーい、ダブルピース』



 

 テレビ画面に映っているのは一人の少年。
 これといった特徴のない黒い学ランに身を包んだ、あどけない表情の少年だった。
 背景に映っているのはそれなりに豪華な造りの部屋で、おそらくテレビ局内のセットなどではなく、どこか別の場所にテレビカメラか何かを持ってきているのだろう。
 生放送なのか、外に浮かぶ巨大な飛行船のアナウンスまでもが今テレビに映っている少年とまるっきり同じ音声を発していた。
 テレビ、ラジオ、それどころか公共の電波を全てジャックして映った謎の生放送、上条の頭に疑問が浮かぶ。

(誰、だ? こいつ……いや、何だこの感じ……まさか……)

「……わ……」

 めだかが、こわばった表情のまま静かに呟いた。
 善吉と鶴喰も、同じように画面を見たまま固まっている。

「……今、なんて」

「此奴が……球磨川だ……!」

「!」
見た目こそ何の変哲もない、人ごみの中にでも入ってしまえばすぐに見失ってしまいそうな容姿をしている。
 だが、その見た目は何故か目を逸らしたくなる衝動に駆らせた。

 声も高校生にしてはほんの少しだけ高めの、まさに少年、と言った声をしている。
 だが、その軽快な声は何故か耳を塞ぎたくなる衝動に駆らせた。


 うまく口では言えない。
 が、一つだけ確かな事がある。

 この少年はどうしようもなく『マイナス』な存在であると。



 
『えーと、どうも! 学園都市に住んでる皆さんこんにちは! 僕の名前は球磨川禊です、よろしく!』

 わざとらしくマイクを握りしめ、まるでお昼の番組の司会者のように振る舞う球磨川。
 現在画面に映っているのは球磨川一人で、普通テレビ番組に流れるはずのBGMや会場に居る客の声が何もないため映像がより不気味に見える。

 と、その時、上条は何かを見つけた。

「土御門……?」

 球磨川の後方、大きなソファの陰に隠れるようにして転がっている人間がいる。
 一人ではなく、何人かいる。ほとんどが隠れていて見えないが――この季節にアロハシャツを来た金髪の人間など、一人しかいない。

「知り合いか?」

「……ああ……」

 上条は息を呑む。
 学園都市と魔術サイド、ダブルスパイをしている土御門がやられるなど上条には想像もしていなかった。

『いやぁ、僕初めて学園都市に来たんだけど、うわさに聞いた通りすごいね! みんな頭に電極刺したり薬を飲んだりして化け物みたいな力を手に入れてるなんて、気持ち悪ーい! ここにいる学生はみんなもう人間じゃなくて改造人間なんだね』

 テレビ画面でいきなり学園都市のアイデンティティを否定する球磨川。
 だが、それだけでは止まらない。
 最低の負は何処までも墜ち、落とす。

 

『炎を出したり電気を出したり、空気を操ったり?』

『正直、いらないよね』

『超能力なんて響きはカッコいいけどさ、ぶっちゃけ何処の中二病だよ、って感じだし』

『ガスコンロと電池と扇風機で全部どうにかなっちゃうのにね』

『なのに『超能力』とか言って堂々と使ってるなんて、恥ずかしくてしょうがないよね』

『僕だったらひきこもりになっちゃうね』

『中二病のために人間やめるなんて、みんなドマゾの変態さんなんだね! 僕ドン引きだよ!』

『あ、言っておくけど僕は一般論を言ってるだけだからね?』

『普通の人間から見て、頭の中を無理やり弄る人間が気持ち悪くないわけないじゃないか』

『僕はみんなを代表した普通の意見を述べてるんだぜ』

『だから僕は悪くない』


 すらすらと、原稿を読み上げているかのように淀みなく続ける球磨川。
 その姿は不気味で、滑稽で、悍ましくて、どうしようもなくマイナスだった。

『さて! 学園都市のみなさん、僕が今どこにいるかって疑問に思うと思うけど、どうせみんなバカだからわからないよね。だからさっそく答えを言っちゃうと、僕が今いるのは学園都市統括理事会の一人、親船最中さんのお家でーす』


「親船最中……?」

 上条はその人と一度会ったことがある。
 アビニョンへ連れて行かれる直前に会話した、あの温和そうな老人だ。


『ココを選んだ理由は適当だけれども、気にしないでね。で、そんなどうでもいい事よりももっと重要な発表があります!』



 とびっきりの笑顔を浮かべ、球磨川禊はのたまった。















『今日から僕が、この学園都市の統括理事会のメンバーの一人です! どうぞよろしく!』













「な……!?」

 上条と美琴が唖然とする。
 学園都市に十二人しか存在しない最高権力者達、それが学園都市統括理事会。
 彼らが持つ権力は絶大で、その上に存在する学園都市統括理事長という存在が半ば都市伝説化している学園都市では紛れもないトップの人間達だ。
 学園都市を左右する存在の一角に、球磨川禊という狂人が加わる。
 だが、甘い。
 ここにきてなお、球磨川禊というマイナスはまだ止まらない。



『ちなみに、今僕は統括理事長とも議論中です!』

『どうすれば僕も学園都市統括理事長になれますか、ってね』

『あ、せっかくだし、僕が統括理事長になったらこの気持ち悪い学園都市をどんな風に改善、じゃなくて改悪するかって予定を話して置こうかな』

 ニコニコと笑顔を浮かべながら、球磨川はうーん、とわざとらしく唸り、そして続ける。

『一つ、レベル1以上の能力者の会話の防止』

『一つ、レベル1以上の能力者の二足歩行禁止』

『一つ、レベル1以上の能力者の衣服着用の厳罰化』

『一つ、レベル1以上の能力者の手及び食器等を用いる飲食の取り締まり』

『一つ、レベル1以上の能力者の奉仕活動の無理強い』

『一つ、レベル1以上の能力者の永久留年制度実施』

『一つ、レベル1以上の能力者の科学製品の使用不可』

『一つ、レベル1以上の能力者の奨学金の強制排除』

『一つ、レベル1以上の能力者の学園都市外への外出権没収』

『一つ、学園都市外からのあらゆる人間の来訪、物資の供給を停止』



『などなど! これを実現するために僕は頑張って統括理事長になろうと思います!』

『僕は常に弱い人間の味方です、学園都市に居るレベル0の住みやすい学園都市にするために頑張るので応援よろしくお願いしますね!』

『レベル0の才能無き皆さんは僕と一緒に気持ち悪い改造人間を皆殺しにしちゃいましょう!』

『なお、僕はいつでも誰の相談でも受け付けますので何時でも話しかけてくださいね!』

 政見放送のつもりだろうか、球磨川がスラスラとマニフェストのようなものを口にする。
 だが、いったい誰が今球磨川が口にした言葉をちゃんと理解できているというのだろうか。
 耳には入ってきても、脳が理解を拒む。
 大真面目に、大法螺を吹きながら、球磨川禊という男は真摯に出鱈目を働く。
 異常、というよりも不具合。
 こんな人間が存在する、という事自体が人類にとっての不具合であるかのように。


『では、最後に僕個人からのメッセージを』

『今学園都市に居るであろう、僕の大っ嫌いな女の子に向けて』


 ピクリ、と善吉とめだかが反応する。
 球磨川が見ているのはテレビカメラのはずなのに、まるで画面の向こうに居るめだかと目を合わせて話しているかのように、球磨川は口元に笑みを浮かべる。


 
『めだかちゃん』

『このレベル判定だなんて差別が当たり前の学園都市で』
 
『どうしようもなくマイナス気質なこの学園都市で』

『所詮幸せ者でしかない君じゃあ』

『僕を止める事はできないよ』

『今度こそ、見せつけてあげる』

『最低〈マイナス〉の人格〈キャラ〉をね』




『それでは今日はこの辺でおしまいです!』

『なお、この番組は安心院さんの提供でお送りしました!』

 そこで映像がブツン、と切れて再び画面が暗転する。
 病室に静寂が訪れる。
 江迎怒江という人間と共に行動しているという時点で、上条と美琴にも球磨川という人間がどれほどの者かは予想していた。
 だが、予想と現実はあまりにも違った。
 ありえるのか、と疑いたくなる。
 ありえない、と拒みたくなる。
 完全なマイナス、負完全な絶対。
 あれが過負荷と呼ばれる存在の最底辺、球磨川禊。


「……私は失礼させてもらう」

 最初に口を開いたのは、黒神めだかだった。

「あっらー、どこ行くの? 尻尾を巻いて逃げ出してくれるって言うなら私は大賛成なんだけど」

「馬鹿者、逃げるわけにはいかんだろう、私は名指しで喧嘩を売られたのだ。……善吉、貴様では球磨川を止めることは出来ん。私が一人で片を付ける」

 そう言って、黒神めだかは静かに病室を出て行った。





「やれやれ、で、人吉くん。きみはどうするのかな?」

「……決まってるだろ、めだかちゃんが何と言おうが、俺は球磨川を止めなきゃならねぇ。上条、お前はゆっくり休んでてくれ」

「お、おい待てよ」

 上条が病室を出て行こうとした善吉へ腕を伸ばす。
 ピキッ、と痛みが走ったがそれは無視した。

「事は学園都市で起こってるんだ、俺達の街をアンタらだけに任せるわけにはいかないだろ」

「でも、アンタは今動けないだろ? そんな体で球磨川を相手にするなんて格安自殺パッケージツアーだぜ?」

「……」

 それは上条にもわかっていた。
 以前も大怪我のまま病院を抜け出し、後方のアックアという化け物相手に立ち向かったことがあったが、あれは上条の他にその場に天草式というメンバーが居たからこそ上条は役に立った。
 今回、今の上条では協力どころか足を引っ張るのがオチだろう。
 美琴は何も負傷していないので戦えそうだが、美琴一人で戦わせるのは上条の気が進まない。

「……やーれやれ、理想を語ってばっかりの子供ってのはこれだからやーだ」

 鶴喰がため息を吐きながら首を振る。

「でも、そういう子供の我儘を聞いてあげるのが大人だし仕方ないね」

 誰もない虚空に向けて、鶴喰が言う。











「そういうわけだから、出てきてくれないかな。――安心院さん











「やれやれ、この僕を呼び出すなんて生意気だぜ、鶴喰くん」

「っ!?」

 突然部屋にまた上条の知らない声が響き渡った。
 と、同時に上条の頭に何か柔らかい感触が触れていることに気が付いた。

 
 何故か、さっきまで体を起こして話していた筈の上条は、見知らぬ女性に膝枕された状態で寝ていた。


「……安心院さん、どこの読者サービスの登場なんです? それ」

「過度な露出とかよりもこういう素朴な仕草をする女の子の方が得てして人気が取れる物なのさ、上条くんのような鈍感かつ純情な典型的主人公少年には特に効果的だぜ」

 上条はある意味球磨川がテレビに映った時よりも混乱していた。
 突如上条の視界に現れた少女はとても長い白髪に巫女服を着用している。
 前髪が切りそろえられた巫女服の少女、という点で上条はとあるクラスメイトを思い出しそうになったが、その少女のある点を見た瞬間にその記憶は霧散した。
 
 少女の右手と右肩に突き刺さった、巨大な螺子。
 まるで拘束具のように右腕全体を固定しているそれは明らかに異常なものであったが、少女はそれを何ともないかのように振る舞っていた。


「え、えと、アンタは……」

 しばらく無言だった美琴が少女に問いかける。

「ん? ああ、これは申し遅れてすまないね御坂ちゃん。僕の名前は安心院なじみ、親しみを込めて安心院さんと呼んでくれたまえ」

「アンタが……!」

 安心院なじみ。
 球磨川禊を学園都市へと連れてきた元凶。

「アンタのせいでこいつは大けがする羽目になったのよ!」

「それについては謝ろう、僕が学園都市の話を持ちかけたのはここに居る人吉くん、そして球磨川くんに後もう一人の計三人でね。それ以外学園都市に来ているのはこのうちの誰かが連れてきたメンバー、もしくめだかちゃんのように何処からか嗅ぎ付けた人だ。上条くん、志布志ちゃんのスキルは強烈だったろう?」

「……」

「まぁ、球磨川くんの記憶を消したのは僕の策略だったわけだ。人吉くんを主人公にするために必要なプロセスとして僕は究極のラスボス、すなわち最高の負けキャラの球磨川くんを用意したんだよ」

「主人公……?」

「それは君達のお話には関係ないから説明はしないよ。君達の世界には立派な主人公が君以外にも二人ほど居そうだしね」

 球磨川の話も意味が分からず脳が理解を拒むようなものだったが、安心院なじみの話もどこか風変わりな雰囲気がある。
 まるで、上条には決して理解できないであろう高みから話しているような、そんな気配が。

「さて、僕は鶴喰くんに呼ばれてここに来たわけだが、内容は上条くんの治療だろう? 上条くんの右手は僕から見ても中々興味深いよ。僕にも『スキルを無効にするスキル』というのはあるが、上条くんの右手は『スキルを無効にするスキル』を無効にしてしまう。堂々巡りの無限回廊みたくね」

「じゃあ、治せないって事なのか?」

「なわけないだろう。大怪我をした主人公を治す役は普段以上の力を発揮するのが物語のお約束ってもんだぜ。安心しなよ(安心院さんだけに)」


 そう言いながら安心院なじみは上条の額にそっと手を置いた。
 なんだかその様子が『風邪を引いた恋人を看病しに来た彼女』のように見えて美琴がこっそりムッとしていたりするが、当の本人上条当麻は安定の気づかなさっぷりを発揮している。
 が、美琴はさらに顔を赤くしながらなんだかモヤモヤした気分に陥ることになる。


 
 安心院なじみの手が、上条の額からずれて首、肩、腹と上条の全身を撫でるように降下してきた。



「ちょ、ちょっと!? 上条さんの体に何をするつもりなんです!?」

「おいおい、そんな思春期に入りたての男子中学生のような妄想逞しい幻想はぶち殺してくれよ。僕が君の想像通りの行動をするのはきっともっと内容的にもページ数的にも薄い本の中だぜ」

 よくわからない解答をした安心院なじみが一通り右手を除く上条の全身に触れる。

「……さて、上条くん。体を動かして御覧」

「……おお! 全然痛くねぇ!」

 上条が飛び上がるように起き上がる。
 先ほどまで緊急手術後でボロボロだった体は今や完全に治っており、腕をぐるぐる回したりして調子を確かめるも何処にも問題はない。

「僕のスキルの一つ『回帰現象』【リセットボタン】で上条くんの肉体を江迎ちゃんに出会う直前の状態にまで戻した。ゲームオーバーになった時にリセットしてボス戦直前にセーブしておいた所まで戻るようにね。治療とは少し毛色が違うが、まぁ問題はないだろうさ」

「……? どういう能力なのか全然想像もつかないんだけど……系統は肉体変化……?」

「ああ、駄目だよ御坂ちゃん」
 
 チッチッ、と安心院なじみが指を振る。

「僕や球磨川くんの『スキル』を君達の超能力と同じように考えないほうが良い。僕たちはルールや常識と言った物とは無縁だからね、変に惑わされるだけで終わってしまうよ」


 上条を一瞬でボロボロした志布志飛沫の謎のスキル。
 あれは学園都市の能力開発で説明できるような代物ではなかった。
 科学サイドの頂点、学園都市でレベル5という位置にまで上り詰めた美琴にすらなお理解できない『スキル』。
 上条の右手のような、説明すら出来ない謎の能力。

「では、僕は失礼させてもらおうかな」

「あ……その、何もお礼もできなくて悪いな」

「いいさ、いや、そうだな、お礼がしたいと言うのならばそこの人吉くんに協力してもらってもいいかな?」

「なっ! ちょっと待てよ安心院さん! 相手はあの球磨川だぜ!? 何も知らない一般人に――」

「何も知らない、ではないだろう人吉くん。上条くんと御坂ちゃんは事情を知る者だぜ? それに、現地で仲間を増やすのは主人公の特権だ」

「……でも……」

「だがまぁ、主人公たるもの仲間を危機にはさらせど死なせるのはダメだ。死人を生き返らせるのは僕にだって出来ない。死んだ仲間が生き返らないってのはシビアなようで重要なルールなんだぜ」

 安心院なじみがカランコロンと下駄を鳴らしながら、ドアの前まで移動する。
 こちらに顔を見せぬまま、安心院なじみは小さく言った。

「それに人吉くん。君はおそらくその二人が居て本当に良かったと思う事になるよ」

「……? どういう事だ?」

「球磨川くんは最終的に絶対負けるキャラだけど、そうじゃないキャラを引き込んでる可能性もある、って事さ」

 それだけ言って、安心院なじみは部屋を出て行った。

――
――――
――――――



(……ここァ……ドコだ……?)

 一方通行はどこかの部屋で目を覚ました。
 嫌に頭が重い。いったいどれだけの時間寝ていたのだろうか。
 時刻を確認しようと一方通行はポケットに入れていたはずの携帯を取り出そうとするが、ポケットには何も入っていなかった。どうやら何者かに抜き取られているようだ。

(チッ、思い出せ、俺ァ確か……)

 一方通行はぼやける頭を必死に働かせ、自分に何が起こったのかを判明させようと試みる。
 まず、一つずつ、段階を追って思い出そう。

 夜遅く、黄泉川の住むマンションへ大量の缶コーヒーとケーキを持って帰ろうとしていた一方通行は突如見知らぬ男に声をかけられた。
 男の名前は確か、蝶ヶ崎蛾々丸。
 蝶ヶ崎蛾々丸と言う男は一方通行を打ちのめし、身柄を捕縛することを目的としていた。
 一方通行はそれを当然のごとく拒む。
 そうすると、蛾々丸は早々に一方通行を諦めた。
 そして、代わりに一方通行の命よりも大切な存在、打ち止め【ラストオーダー】を虐殺しようとした。
 それは一方通行の逆鱗に触れ、一方通行は当たり前のように蛾々丸を殺害しようとした。
 だが、死ななかった。
 確実に殺したはずなのに、生きている可能性など皆無のはずなのに、蝶ヶ崎蛾々丸は当たり前のように生きていた。
 そして彼は一方通行の言葉に理不尽に怒り、そして不条理な殺意を向けてきた。
 一方通行は応戦する。
 『一方通行』と『不慮の事故』は激突した。

(俺ァありとあらゆる方法であのクソ野郎をブチ殺そォとして……)

 
 大砲のような威力の拳は蛾々丸の顔を二次元レベルにまで押しつぶしたはずだった。
 ギロチンのような蹴りは蛾々丸の上半身と下半身を寸分の狂いもなく半々に引き裂いたはずだった。
 隕石のような速度でビルの壁面に叩きつけた蛾々丸の体は原型に復元することが不可能なくらい粉々になったはずだった。
 圧縮したプラズマの渦に叩き込んだ蛾々丸の体は一片の灰すら残さずに消飛ばされたはずだった。
 
 だが、蝶ヶ崎蛾々丸は当たり前のように生きていた。
 傷一つなく、疲れ一つ見せず、蝶ヶ崎蛾々丸は当たり前のように君臨していた。

(そして、確かチョーカーの充電が尽きかけて……俺ァ黄泉川のアパートに)

 らちが明かない、と判断した一方通行は一旦戦線を離脱し、黄泉川の元へ残る充電をフルに使い戻ることにした。
 黄泉川の所へ戻り、そこにいるぐうたらな研究員と目つきの悪いクローン、そして打ち止めを連れて逃げるよう指示を出して一方通行は可能な限り充電をし、再び蛾々丸と戦闘に入る、予定だった。

 だが、一方通行の記憶には黄泉川のマンションにたどり着いた、という事象が存在していない。
 蛾々丸の元を離れ、黄泉川のマンションへ全速力で向かう最中。
 この間に、一方通行の意識は途切れここへ連れてこられたことになる。

(だが、あのまま放置されてたってンなら充電はとっくに切れてるはずなンだが……俺から何らかの情報を得る為に充電をしたのか?)

 まァいい、と一方通行は悪どい笑みを浮かべる。
 見た限り、演算を妨害するような特殊な機材は見られない。
 部屋の造りも至って普通の、何の変哲も特徴も工夫も見られない一般的な部屋だ。

(これなら壁をぶち壊して外に出られる。とりあえずはあのガキ共の無事を確認しねェと……)

 一方通行は首にあるチョーカーのスイッチへと手を伸ばす。
 ミサカネットワークという一方通行の代理演算を支える特殊な電気信号。
 これを切り替えることにより、一方通行は短い時間だが学園都市最強の能力者へと変貌す――









「……?」

 違和感。
 あるはずなのになくなっている。
 まるで初めから『無かった』かのように、指先にはあるはずの感覚がなかった。

「……どォなってやがる……!?」

 切り替えるスイッチ。
 日常生活を送る程度の代理演算と能力使用時の代理演算を切り替えるスイッチが、チョーカーから消失していた。

(フザケンな! あれがなきゃ俺ァ能力を発動させられねェンだぞ!? その上今は銃も持ってねェ! チッ! あの蛾々丸のクソ野郎の仕業か?)

 一方通行が必死に部屋から脱出するための計画を脳内で練っていた、その時。
 ガチャリ、と。
 何の不具合も違和感もなく、部屋に唯一存在する扉はいともたやすく開いた。







 
 


『やぁ、一方通行ちゃん。お目覚めかな?』

「……ンだテメェは」

『あれー? どうして怒ってるの? もしかして一方通行ちゃんってば低血圧? やっだー、女の子みたーい!』

 ピキリ、と一方通行は額に血管が浮き出るのを感じた。

 苛立つ。
 腹が立つ。
 イライラが募る。
 殺意が芽生える。

 どうしてかわからないが、この男の目の前というのは暗部という場所以上に胸糞悪くなる。

『僕は球磨川禊、蛾々丸ちゃんのお友達だよ』

「……へェ」

 一方通行は敢えて興味がなさそうな反応を返した。
 そもそも、一方通行には予感があった。この男が何者かは知らないが、この虫唾が走るような不快感は蛾々丸にとても近い物がある。
 
『ちなみに、一方通行ちゃんのチョーカーのスイッチも「なかった事」にしてあげたのは僕だよ。よかったね、これでもう一方通行ちゃんは能力を理由に人から避けられる事はなくなるよ!』

「……ハッ、これだから三下はわかっちゃいねェ。そもそも人から避けられる事なンざ俺にはもォ当たり前すぎてどォでもいいンだよ。クソみてェな俺のクソみてェな能力で守りてェモンを守って殺してェ奴を殺す。テメェの手助けなンざ不必要通り越して不愉快なンだよクソ野郎が」

『……』

 確かに、一方通行の心が歪んでしまったのはその名を示す能力のせいだったかもしれない。
 だが、彼はその能力で何人かの人間を救う事が出来た。
 それだけで、一方通行には十分すぎる。 

「わかったらとっとと元に戻しやがれ。俺ァテメェみてェな三下如きに構ってる暇があるほどゆとりのある生活送ってねェンだよ」

『……守りたい、ものねぇ』

 球磨川は微笑を浮かべ、一方通行を静かに見つめる。

『それは、打ち止めちゃんや番外個体〈ミサカワースト〉ちゃん、それに黄泉川さんや芳川さん達の事かな?』

「……」

 どこからか、球磨川は一方通行の情報を知り得ている。
 一方通行の手に無意識のうちに力が籠められる。

『成程、確かに一方通行ちゃんは学園都市最高の頭脳を持つエリートだ。能力も過負荷の僕から見ても気持ちが悪いような化け物じみた能力だ』

『でもね』

『一方通行ちゃん、君は忘れてるんじゃないかな』

「……あァ?」

『絶対能力者への進化計画』

「!」

 一方通行は全身の血が沸騰するかのような錯覚を覚えた。
 一方通行にとって最大の禁句。
 一方通行にとって最大のトラウマ。
 
『10031人の御坂美琴ちゃんのクローンを殺しておいて、今更クローンを守るだって?』

『確かに妹達ちゃん達は一方通行ちゃんを許さずとも、打ち止めちゃんと共に自分たちを救ってくれたことに感謝しているかもね』

『でも、だから何?』

『9969人の妹達ちゃん達と打ち止めちゃんと番外個体ちゃんを救えば、死んでいった妹達ちゃん達の弔いになるとでも思った?』

『心を入れ替えて罪滅ぼしすれば許してくれると思った?』

『許してくれなんて言わない、犯した罪は永遠に背負う、なんて格好いいセリフを言えば誰かが認めてくれると思った?』

















『甘ぇよ』















「テ、メェ……!」

『が、その甘さ』

『嫌いじゃあないぜ?』

 球磨川がそっと、一方通行の頬に、撫でるように手を触れる。
 一方通行にはそれが拒めなかった。
 反射が使えなくとも、手で振り払う、距離をとるなど方法はいくらでもあるのに。
 球磨川禊という男に明確な『恐怖』を一方通行は覚えていた。


『一方通行ちゃんが壊した人や物や妹達ちゃん達はもう二度と元には戻らないのに』

『君に殺されるためだけに生み出された妹達ちゃん達は痛みと苦しみを感じながら死んでいったのに』

『俺は悪党だ(笑)なんてセリフを言っておきながら』

『日常に慣れる必要がある(笑)なんて簡単に心変わりして』

『平凡な幸せなんて物を戸惑う振りをしながら満喫して』

『挙句の果てに、騙されたとはいえ純粋な人助けのために研究に協力しようとしてた幼い美琴ちゃんを』

『一方通行ちゃんが妹達ちゃんを容赦なくブチ殺しまくったあの実験の加害者側だって考えているなんて』

『その精神』

『まさしく過負荷的な思考だ』

『腐り続ける自分を甘やかして』

『他人まで腐らせる』

『鬱屈した精神、傍若無人な物言い、最低な気質』

『良いねぇ、いや、最低に悪いねぇ』

『学園都市は最低な過負荷の才能がある人が溢れてるね』

一方通行は目の前が真っ暗になっていくような気がした。
 多少なりとも、一方通行には人間味という物が芽生えていた。
 それは間違いなく打ち止めの、黄泉川の、芳川の、もしかしたら一方通行を殺害するためだけに生み出された番外個体のおかげもあるかもしれない。
 だが、それが、闇の底までどっぷりと浸かった一方通行が少しずつ積み上げてきた何かが、音を立てて崩壊していく。


『とはいえ、一方通行ちゃんはまだまだ過負荷としちゃ甘い』

『もっと惨めに、哀れに、悲しく、極端に、健気に』

『ゆっくりと堕ちて行かなきゃね』

『そのために、僕は特別ゲストを用意した』

「……?」

『ちなみに、そのゲストが一方通行ちゃんをここに連れてきてくれたんだ。ちゃんとお礼を言わなきゃね』

『じゃ、入ってきていいよー』

 球磨川が合図をする。
 数秒おいて、ガチャリ、と先ほど球磨川が部屋に入ってくるときに使った扉が開いた。




「……な……」

 そこには、一方通行の知る顔があった。
 嘗て戦い、そしてうち倒したはずの存在。
 この学園都市において一方通行の次に学園都市の闇に沈んでしまった少年。
 一方通行に文字通り粉々にされ、能力を吐き出すだけの装置となってしまったはずの超能力者。








「よぉ、一方通行。相変わらず反吐が出るツラしてんなオイ」








 学園都市第二位。
 一方通行の代わりすら務められる素質を持った存在。
 垣根帝督が、そこに立っていた。

「テメェ……何で……?」

「あー? そんなのテメェのご自慢の頭で考えやがれよ。ああ、今は能力発動のための演算も出来ねぇんだったか? はっ、こりゃ傑作だぜ。天下の第一位様が今はただの貧相な野郎ってんだから、腹筋が割れちまうぜ」

 普段の一方通行ならば、こんな口のきき方をされれば問答無用で粉砕していたかもしれない。
 だが、今は出来ない。
 理由は能力を奪われたから、だけではない。
 球磨川禊という狂人、そして突然目の前に現れた垣根帝督。
 一方通行の理解が追いつかないのだ。

『帝督ちゃん、喧嘩は良くないぜ。争いは何も生まないんだから』

「よく言うぜ、俺にあんな命令を下した奴のセリフとは思えねぇな」

『それも一方通行ちゃんを過負荷として快く迎え入れる為に仕方なくやった事だよ。僕は悪くない』

「しかしよ、本当にやんのか? 俺は反対だぜ、こんな奴が居なくたって俺一人で立ち塞がるボケ共は皆殺しにしてやるよ」

『それも悪くないけれど、僕達の野望を果たすためには万全を尽くすよ。過負荷らしくないセリフだけれども、やれるだけの事はやろう』

「……チッ、仕方ねぇな」

「……」

 おかしい。
 この際、垣根帝督が何故か五体満足で復活しているなどという事はどうでもいい。
 だが、垣根帝督が、あのプライドの塊のような男が球磨川の指示に従っている、という事実。
 これはどう考えてもおかしかった。
 レベル5は全員が人格破綻者とまで言われるほど自己の強い人間だ。
 中でも第一位、第二位、第四位は気に入らない相手は即座にぶち殺すような凶人である。
 特に球磨川なんて男、一方通行がもし能力を発動出来たならば顔を見た瞬間に殺害していただろう。
 
 姿を見るだけで不愉快。
 声を聴くだけで不愉快。
 存在を考えるだけで不愉快。

 こんな男に、なぜ垣根は従っている?


『帝督ちゃんは僕の部下何かじゃあないよ、一方通行ちゃん』
 
 まるで心を見透かしたかのように、球磨川は言葉を吐いた。

『帝督ちゃんと僕は「友達」なんだ。帝督ちゃんの思想、屈辱、劣等感、憎しみ、恨み、絶望。みんなみんな素晴らしい。帝督ちゃんは紛れもなくエリートだけれども、この僕が友達にならざるおえないほどの逸材だぜ』
 
「全っ然褒められてる気がしねぇんだけど」

 垣根が球磨川の言葉に突っ込みを入れる。
 その姿は、まるで友人同士のじゃれ合いにも見えた。

『そして、一方通行ちゃん』

『君は最低な過負荷の才能を持ち合わせているけれど』

『今の君はプラスの方へ傾いている』

『立場とか環境じゃなくて、心がね』

『マイナスがプラスになった所で苦しいだけなんだから、僕が助けてあげるよ』

『その協力をしてくれるのが帝督ちゃんと、そしてもう一人――おいで、志布志ちゃん』




 球磨川の合図で、もう一人部屋に入ってくる。
 背が高めの、目つきの悪い少女だ。

「待ちくたびれたぜ球磨川さん。さて、んじゃ帝督くん、やっちまおーぜ。こいつって学園都市最強なんだろ? 強い奴を甚振るってのは最高に爽快な気分だろーぜ」

「ああ、同感だな」

 





 志布志飛沫が、一方通行に静かに掌を向ける。

「あ」





 まるで口から零れ落ちたような悲痛な声が、息とともに漏れた。







「あ、ァあ」

 声は少しずつ大きく、多くなっていく。
 まるで、多量の水をせき止めている堤防が徐々に決壊していくように。











 そして。







「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 一方通行は血の涙を流しながら絶叫した。

「良い声で鳴くんじゃねぇか一方通行、学園都市より見世物小屋の方がお似合いなんじゃねぇのか――ってなぁ!」

 ゴスッ、と鈍い音がする。
 垣根の革靴が一方通行の腹にめり込んだ音だった。
 一方通行は苦しげに腹を押さえ呻きながら、なお蒼白な顔を掻きむしりかねない勢いで手で隠そうとする。
 が、垣根はそんな事すら許さない。
 何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――

 蹴り、踏み、転がし、甚振る。


「ははっ! はははは! はははははははははははははははははははははははぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 垣根は嗤う。
 
「ぐっ、がっ、あ、ァあァァああああ、、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 一方通行は吠える。





『いいねぇ』

 球磨川は呟く。

『一方通行ちゃんは志布志ちゃんの「致死武器」で心の傷を完全に開かれ、帝督ちゃんに甚振られ続ける』

『いい屈辱感と劣等感だ、過負荷になるための最低の修行だぜ』

『さぁ、一方通行ちゃん』

『超神水を飲んで苦しみに耐えきって強くなった孫悟空のように』

『痛みも、屈辱も、敗北も、絶望も、劣等感も、悲しみも、愛しい恋人のように受け入れるんだ』

『そうすれば、きっと』

『僕のような過負荷になれるよ』

「球磨川ー」

 ひょこっ、と部屋の外から一人の少女が顔を覗かせた。

『ん? 何だい? 今良い所なんだけど』

「居場所とか諸々、情報が全部集まったってわけよ」

『ああ、了解。じゃあここは志布志ちゃんと帝督ちゃんに任せて、僕と一緒に行こうか』

「うわー、第一位がボッコボコになってる……ていうか、垣根帝督とかも過負荷の素質はあるわけ?」

『いいや、僕が思うに、レベル5の中で過負荷側の人間はおそらく一方通行ちゃんだけだ。後のみんなは普通に歪んだエリートだよ。世の中過負荷よりエリートの方が悪い事を一杯してるしね』

『そもそも、過負荷は甚振る側じゃあない。甚振られる側だぜ?』

「ふーん……まぁ私には関係ないってわけよ。で、本当にうまくいくの?」

『さぁね。でも彼女が僕に協力してくれれば、僕の思惑は運悪く成功する。どうなるかは君の手にかかってるから、期待してるぜ?』

「やれやれ、結局この私の活躍にご期待下さい的な展開なわけよ」

「さて、と」

「裏切り者の私はばっさり復讐しといて」

「同じく裏切った浜面や滝壺と仲良くやってるだなんて」

「そうは問屋が卸さないってわけよ」














「ねぇ? 麦野」

――
――――
――――――





 浜面仕上はファミレスに居た。
 氷のせいで若干薄まったコーラを啜りながら、浜面は向かいに座る女に視線を向ける。

「……」

 先ほどから何かを考えるような表情でメロンソーダをストローで吸っているのは麦野沈利という女。
 学園都市二百三十万人の頂点、レベル5の第四位である彼女はその気になれば正面に座る浜面どころかファミレスを含むここいら一体を一瞬で灰にする事が出来るというトンデモ人間だ。
 基本的に気が短い麦野は何か気に食わないことがあれば、己の能力であるレーザーで吹き飛ばすのだが、今は自分の中にイライラをため込んでいるらしく、傍らに置いた大好物のしゃけ弁すら半分程食べたところで放置している。
 麦野にしてはとても珍しい事だが、ここはファミレスであり飲食物の持ち込みはご遠慮願われていることを忘れてはいけない。
 
(まぁ、さっきの奴の事だろうな……)

 先ほど学園都市全体に流れた謎の放送。
 球磨川禊と名乗った謎の人物、レベル5という権利に加え元暗部という経歴を持つ麦野にすら何者なのか分からない正体不明の人物。
 学園都市の暗部は少し前に解体され、もう残っていないはずなのに、新たに現れた暗部よりも不愉快な存在が気にかからないわけがない。

「浜面、麦野を超ジロジロと見つめてる姿が超キモいんですけど」

 麦野の隣から飛んできた声に浜面は思わずコーラを吐き出しそうになるがグッと堪えた。
 浜面が視線を向けるとそこには小動物のように両手でコップを持ってオレンジジュースをチョビチョビと飲んでいる絹旗最愛の姿があった。

「別にそんな見てねぇよ」

「嘘ですね、さっきからいやらしい目つきで麦野を、主に胸を嘗め回すような目で見てました」

「……はーまづらぁー……」

「うぎゃぁぁぁああああ!? 麦野さんの目がロシアの時みたいになってらっしゃる! 絹旗も限りなく俺の社会的地位を貶めようとする悪辣な嘘をつくな!」

「浜面の社会的地位なんてもともとその辺に転がってるみかんの皮レベルですし落ちようがありませんよ」

「俺、悲惨すぎるわ!」

 浜面はあまりの仕打ちに泣きそうになるが、そんな時浜面の頭を優しく撫でる手がある事に気が付いた。

「大丈夫、私はそんなボロクソ言われるはまづらを応援してる」

「滝壺……!」

 少女の名は滝壺理后と言い、浜面の恋人でもある。
 年中どこに行くにもピンクのジャージ姿の彼女は浜面の整髪料でゴワゴワした頭を小さな手で慰めるように撫でている。

「……でも、むぎのの胸を見てたのはちょっと怒る」

 可愛らしく頬を膨らませる滝壺、天然系少女のこういった仕草が浜面のアホっぽい顔をさらに加速させているのだが、彼女に自覚はない。

「なーに言ってんですか滝壺ちゃん。俺は滝壺一筋であって確かに麦野の胸はぶっちゃけかなりレベルが高いと思いますがいかんせんその性格が癒しを求めている俺には――

 ジュッ、と浜面の髪の毛をかすめて麦野の放ったレーザーが通過していった。数秒遅れて髪の焼ける嫌な臭いが浜面の鼻を刺激する。

「……む、ムギノサン?」

「……」

 麦野の目はまるで親の仇を見るような、と言うよりも獲物を見つけた肉食獣のような鋭い目つきになっていた。
 浜面は慌てて居住まいを正し、ピンと背筋を伸ばす。






 浜面仕上、麦野沈利、絹旗最愛、滝壺理后。
 この四人が嘗て学園都市の暗部として行動していたチーム、『アイテム』のメンバーである。
 最も、暗部として行動していた頃は浜面は正規メンバーではなく、もう一人、今はもうこの世のどこにもいない少女が加わっていたのだが。

「滝壺さんも、浜面を超甘やかすのはやめてくださいよ。百害あって一利なしですよそんなの」

「大丈夫、はまづらのいい所は私がいっぱい知ってる」

 えへん、と滝壺はそれなりによく発達している胸(ジャージで隠れていてよくわからないが)を張る。
 浜面の鼻の下が一瞬伸びかけたが、正面に座る悪鬼のような表情を浮かべた麦野の舌打ちに心底ビビり何とか緊張した面持ちに戻ることに成功した。

「……ったく、どいつもこいつも……」

「麦野、さっきから超イライラしていますけど、やっぱりさっきのアレのせいですか?」

「ったりまえでしょ。……あんな胸糞悪ぃ放送聞いてイライラしねぇ方がおかしいっつーの」

 浜面的にはイライラ、と言うよりも生理的嫌悪感を催すものであったが、どちらにせよマイナスの感情を抱いたことには変わりない。

「あれって結局なんだったんでしょうね。嘘の可能性もありますけど、学園都市全体の電波をジャックしてまでつくような嘘でもありませんし、やはり超本当なんでしょうか」

「親船最中って、前にスクールとかいう奴らに暗殺されそうになってた奴だよな」

「ええ、まぁ総括理事会のメンバーの中では最も狙いやすい相手である事は間違いないでしょう。ですが親船最中を殺害したとしても統括理事会に代わりに入る、なんて事が出来るとは超思えないんですけどね」

「裏の人間って事か? でも統括理事会になるだなんて、そんなの統括理事長クラスの奴じゃないと決定権はないんじゃないのか?」

「総括理事長とのコネ……は考えにくいですね、私達ですら知れなかった統括理事長に物言いが出来る存在なんて見当もつきません。」

「総括理事長クラスの特権を持っていて、今まで隠蔽されていた奴……もしくは、学園都市をぶっ壊そうとか考えてるどっかの馬鹿のスタンドプレーかしら」

 浜面の頭にとある能力者の姿が浮かぶ。
 学園都市第一位、暗部の最底辺に君臨していた白い悪魔。
 あの悪魔ですら、学園都市には翻弄され続けていると言っていた。守るべき存在が幾度となく学園都市に苦しめられていたと。
 もし、あの球磨川と言う奴が麦野の予想通り、総括理事長と真正面から対立出来るような相手だとすれば――

(あの一方通行ですらどうにもできなかった学園都市を、まともに相手に出来るやつらって事か……?)

 浜面はチラリと隣に座る滝壺を見る。
 彼女は以前『体晶』という薬品のようなもので苦しめられていた。
 浜面はそんな彼女を何とかするためにロシア、正確にはエリザード同盟国という場所にたどり着いた。
 そこで滝壺は浜面の知らない法則の力により体調を回復し、学園都市との交渉材料を得て今の平穏を手に入れた。
 だがしかし、滝壺にはまだ学園都市の技術が必要なのだ。
 体晶という未知の物質を完全に取り払えるのは、開発した学園都市にしか出来ない。
 万が一学園都市がどうにかなってしまえば、滝壺に何かあった時どうすることも出来ないのだ。

(……第一位やアイツはもう動いてんのか? 球磨川って奴がが学園都市の敵なんだとすれば、魔術を使う奴の可能性も十分あり得る。だったら俺も動かなきゃいけないんじゃねぇのか……?)

 浜面仕上は考える。
 学園都市に現れた『新たな闇』にすらなりかねない存在、球磨川禊。
 浜面が心から守りたいと思う三人、『アイテム』のメンバーは学園都市の法則しか知らない、魔術について知っているのは浜面だけだ。
 ならば、立ち向かわねばならないのではないか。
 守りたいものを守るためには、何の力もないという事を理由にして逃げることは許されないのではないかと。








『あ、居た居た、見つけたよ、――ちゃん』




 店内に流れる流行のアイドルグループの曲や他の客達の会話の声で決して静かとは言えないファミレスの中、何故かその声は嫌に耳に鮮明に届いた。




 そして。





「もー! みんなってば私を待たずに話し合いを始めちゃうなんて酷いってわけよ!」

じっとりと。
 這いずるように。
 纏わりつくように。
 まるで耳にねじ込むかのように、その綺麗な声ははっきりと聞こえた。


「…………え」

 浜面には、理解が出来ない。
 浜面だけではない。
 滝壺も、絹旗も、表情から驚愕以外のあらゆる感情を排して、そのありえない光景に目を疑っている。
 だが、その二人よりもこの光景を受け入れられない存在が居る。
 麦野沈利。
 彼女は驚愕、そして恐怖をその表情に浮かべたまま、持っていたコップを落としたことにすら気づいていない。

「ほらほら、浜面そっち詰めてよ。私が立ってて浜面が座ってるなんて結局納得できないってわけよ」

 話しかけられているが、浜面の耳にその言葉は届いていなかった。
 過去の光景が脳内にフラッシュバックする。

 引きずられる体。
 本来あるべき部分がない。
 断面からあふれ出る鮮血がまるで赤絨毯を敷いたような道を作っていた。
 既に生命は失われていた。
 紛れもない、麦野沈利の手によって殺害された。
 だから、ありえない。
 目の前の光景が、現実なわけがない。
 失われたはずの足で立っているなんて事が、ありえるはずがない。
 こちらを見て、話しかけるなんて事がありえるはずがない。

 ありえない、ありえない、ありえない――






「……フレ……ンダ……?」






 フレンダ・セイヴェルン。

 嘗て『アイテム』のメンバーであり、敵対組織の『スクール』に己の命欲しさに情報を渡し、麦野に粛清された少女。
 もう、この世には居ないはずの少女が笑っていた。

「サバ缶探してたらちょっと遅れちゃったってわけよ。ごめんね麦野、いつもみたいにお仕置きだけは勘弁してね」

「……」

 麦野は何も反応が出来ない。
 ただひたすらに、驚愕と怯えを顔に浮かべたまま固まっている。

(……違う、フレンダなわけねぇじゃねぇか! アイツは死んだんだ! こいつは多分偽物のはずだ!)

 浜面は目の前の光景を必死に否定しようとする。
 が、見れば見る程彼女はどうしようもなくフレンダ本人だった。
 
「あ、そうそう。そういえば紹介するの忘れてたってわけよ」

 フレンダがメニューをテーブルに放り、近くに居た人間に手招きした。

 黒い学ランを来た、少年だった。
 黒髪で、背はあまり高くない。人ごみの中に入ってしまえばすぐに見失ってしまいそうな特徴のない容姿をしている、はずなのに何故か浜面はこの少年を見た瞬間、浜面は確信した。

(……コイツ……)

 背筋が何故か寒くなる。
 スキルアウトという不良グループで一時的にとはいえリーダーを務め、そして暗部と言う学園都市の闇を無能力でありながら渡り歩いた浜面が、一目見ただけでその少年に恐怖を抱いた。
 死んだはずのフレンダが生きているという事よりもさらに不条理な存在。

『初めまして、「アイテム」のみなさん! 僕は球磨川禊です、どうぞよろし――

 最後まで言い切られる前に、店内に破壊音が響いた。
 絹旗が持っていたコップを球磨川の頭目掛けて思いきり投げつけた音だった。

「き、絹旗!?」

「……」

 小柄な容姿とは裏腹に、絹旗はその身に宿すレベル4相当の能力によりその辺の重機を軽く凌駕するパワーを有している。
 彼女が全力で投げつければ、安物のガラスのコップでさえ人体を粉砕するには十分すぎる威力を持つ。





『痛いなぁ』





 が。
 球磨川禊はゆっくりと、実にスムーズに立ち上がる。

『ガラス製品を頭にぶつけられるだなんて、まるで浮気がばれた亭主のようだぜ。でも僕は浮気なんかしないよ、男は黙って純愛主義だ』

 球磨川の額には傷一つない。
 それどころか、床に落ちていた粉々になったはずのガラスのコップが、粉砕した形跡すらない状態で転がっていた。

(どういうことだ!? 絹旗みたいに体の表面を大気の膜で覆ってるのか……? いや、それじゃあ砕けたはずのコップが元に戻ってる意味が分からねぇ……)

『さて、と。まぁジュースでも飲みながらゆっくり話をしようぜ。麦野沈利ちゃん、浜面仕上ちゃん、絹旗最愛ちゃん、滝壺理后ちゃん』

 何故か拒絶の言葉を浜面は吐き出す事が出来なかった。

『果汁100パーセントのジュースってさ、大抵純粋な果汁だけじゃあないんだよね。ノンアルコールビールにも少しアルコールが入ってたりするし』

 自分で入れてきたオレンジジュースを美味しそうに飲み干した球磨川が空になったコップを見ながらそんな事を呟いた。
 フレンダも購入してきたサバ缶を自前のお手軽爆弾ツールでこじ開けて中身を堪能している。それは浜面の記憶にある嘗ての『アイテム』の光景にあまりにも合致していた。

「ん? 浜面達、飲み物はもう飲まないわけ? 飲み放題なんだからたくさん飲んだ方がお得ってわけよ」

「あ、ああ……」

 浜面は気の抜けた様な返事をする。
 無理もない。
 この状況で普通に振る舞えるフレンダと球磨川の方がどう考えても異常なのだ。

「……ふれんだ」

 滝壺が声を発する。
 フレンダは、んー? と口いっぱいにサバを頬張りながら滝壺の方を向いた。

「ふれんだは、本当にふれんだなの?」

「んー、んー……ごっくん。 ぷは、質問の意味がよくわからないけど、この私の可愛さと脚線美を見ても疑う?」

『滝壺ちゃん、人をそう簡単に疑っちゃあ駄目だぜ。人を信じることはとっても大事な事なんだから』

 球磨川が口を挟む。
 人畜無害という言葉がキャッチフレーズでもおかしくない少女、滝壺ですら球磨川を見る目は若干いつもとは違う気がする。

「テメェのその童貞臭い面なんてどうでもいい。さっきの放送の内容、あれは全部本当の事か?」

『当然だ。この僕は生まれてこの方一回も嘘をついたことのないのが自慢だぜ』

 絶対嘘だ、と浜面は思ったが口には出さなかった。

「……なら、次だ」

 麦野は、フレンダに目を向けた。
 フレンダは二つ目のサバ缶を平らげる作業に移行していた。
 何となく、浜面はこれに違和感を感じた。
 『アイテム』のムードメーカー的な存在であったフレンダだが、彼女とて麦野の恐ろしさは知っているだろう。実際一度麦野に殺されているのだから。
 なのに、どうしてフレンダはこんなにも気楽に過ごせているのだろうか。
 まるで、怒り狂う麦野など何の問題でもない、というかのように。

「……ソレは、なんだ?」

『ソレなんて呼び方はひどくないかい? 彼女は正真正銘、麦野ちゃんが真っ二つに引き裂いたフレンダちゃんだよ』

 真っ二つ。
 その言葉に麦野がわずかに反応した。
 
「……どうしてテメェが知っている? 暗部の出来事は全て隠蔽されているはずだ」

『おいおい、このインターネット社会、誰がどんな情報を持っていたっておかしくないぜ?』

 どうやら球磨川にはまじめに取り合う気がないらしい。
 それを麦野も理解したようだ。












 一瞬の閃光、そして熱風が吹き、球磨川の左腕が消飛んだ。


『……え』

「よぉぉぉぉくわかった。球磨川っつったか? テメェの性質の悪い冗談には付き合ってられない、今ここで全身灰にしてやるから豚のように泣きながら許しを請えよクソ野郎」

『う、うぉっ! ぼ、僕の腕が!』

 あまりにも高熱すぎて、断面が一瞬にして焼かれ塞がり血が一滴も出ていない左肩を押さえながら球磨川は狼狽える。
 
『ひ、ひどすぎる! どうしてこんな事するんだよ! 僕は何もしていないじゃないか! それどころか、フレンダちゃんにも会わせてあげたのに! こんなのってないよ!』

「ガタガタガタガタうるせぇんだよこの○○野郎、その可愛い顔と粗末なモン一緒に消し炭になれ」

 それ以上、麦野は球磨川の言葉を聞かなかった。
 網膜を焼き潰しそうなほど強烈な閃光と共に放たれた不健康的な光の筋は、球磨川の全身を一片も残らず消失させた。





「……さぁて、次はそっちだ」

 麦野がクルリと振り返る。
 その視線の先には、サバをフォークで串刺しにして口へ運ぶフレンダの姿があった。


「ん? 麦野ってば、そんな怖い顔ばっかしてると綺麗な顔に小皺が増えちゃうってわけよ」

「整形に加えて薬品による記憶操作って所か、もしかしたら第三位みたいなクローンとかか? 大方私の動揺でも誘おうとかいう魂胆なんだろうが、お生憎様、私はもう吹っ切れてんだよ。テメェらはくだらねぇ計画に無駄金使っただけ――













『偽物だなんて、大事な仲間をそんな風に言うもんじゃないぜ? 麦野ちゃん』













声がした。
 耳元を何か得体の知れない者に撫でまわされたかのように、生理的嫌悪感を感じる声。
 それは、先ほど一片も残さずに消飛んだはずの者の発する声によく似ていた。
 するはずのない声だった。
 奇しくも、今目の前に居るフレンダと同じく、もう二度と聞くはずのない声だ。



「……な、んで……」


『学園都市第四位「原子崩し」、正式名称は粒機波形高速砲だったっけ? さすが二百三十万分の内の四番目のエリートだ。容赦ないね』


 死人が。
 球磨川禊が、そこに何事もなかったかのように立っていた。


「ど、どういう事なんですか……? 確かに麦野の超ビームで跡形もなく……!」

 絹旗も、目の前の光景が信じられないと言った様子だ。
 もしも球磨川を謎足らしめている秘密が科学であるならば、学園都市第四位、そして数少ないレベル4にすら理解できない現象をレベル0である浜面が理解できるわけがない。
 だが、もし。
 球磨川の謎、未知なるブラックボックスが科学でないとすれば、ここに居る『アイテム』の面子の中で唯一浜面だけが知っているもう一つの法則だとすれば。

(今上条に連絡するべきか……!? いや、でももし此奴が本当に魔術だかを使うなら、そんな隙を見せるはずがねぇ……そもそも、魔術ってのは死人を生き返らせられるってのか!?)

 浜面のその考察は間違いである。
 一時的な仮死状態から復活させることはできる、冷凍保存して本来人間には不可能な年月を過ごすこともできる、死体の随所に黄金を組み込み、魔術的に動く死体を生み出すという事も可能だ。
 だが、死んだらそれまでだ。
 科学であろうと、魔術であろうと、完璧に『死んだ』生物を生き返らせることなど不可能だ。
 彼はただ、死んだことを『なかった事』に出来るだけなのだ。

『麦野ちゃん、何か勘違いしているのかもしれないけれど、僕は君にチャンスを与えに来たんだぜ?』

「……チャンス?」

『そう、本来なら絶対に手に入らないであろうチャンスだ』

 球磨川はゆっくりと歩き、そしてフレンダの肩に手を置いた。
 
 麦野の心から、憤怒の感情は薄れつつあった。
 だがそれは言いかえれば、麦野の心を守る砦が破壊されていることを意味した。
 わずかにできた心の中核へと繋がる亀裂。
 球磨川はそこに容赦なく入り込む。
 突き刺すように、ではない。
 撫でるように、あやす様に、優しく、優しく、心に毒を螺子込む。

『フレンダちゃんは殺された』

『惨たらしく、痛ましく、残酷に』

『紛れもない、麦野ちゃん自身の手で』

『即死もさせてもらえずに』

『甚振られて』

『体を引き裂かれ』

『絶叫しながら』

『泣きながら』

『苦しみながら』

『死んだ』

『ねぇ、麦野ちゃん』

『君はフレンダちゃんのお墓の前で謝罪をしたのかもしれないけれど』

『ただの石に謝って、それが何になるの?』

『石に謝れば、フレンダちゃんに許してもらえると思った?』

『お墓参りに行けば許してもらえると思った?』

『みんなに泣いて謝罪すれば、また元の「アイテム」に戻れると思った?』








『甘ぇよ』








『でも、麦野ちゃん』

『今なら謝れるぜ』

『君がぶち殺したフレンダちゃんに、今なら謝れる』

『このチャンスを、どうする?』

『泣いて謝ってもいいし、またぶち殺したって構わないんじゃないかな』

『謝って許してもらえれば、正真正銘元の「アイテム」に戻れる。フレンダちゃんを殺してしまえば今の「アイテム」のままで居られる』

『さぁ、選ぶんだ麦野ちゃん』

『「アイテム」の未来は、君の手にかかってるぜ』

ゴッ! と鈍い音がした。
 麦野が何かしたわけではない。

 浜面仕上が球磨川の顔を思いきり殴り飛ばした音だ。

「テメェ、それ以上口を開きやがったらどうなるかわかってんのか」

『痛いなぁ仕上ちゃん、こういう時は空気を読んで攻撃しないって言うのがお約束だぜ?』

「うるせぇ! おい麦野! こいつの言葉なんて聞く事ねぇぞ!」

「そ、そうですよ麦野! こんな超気色悪い奴の話なんて聞くだけ無駄です!」

「…………ぁ…………」

 麦野の顔は真っ青だった。
 いつのも麦野らしからぬ、まるで家族の死に際を目の前で見てしまった幼子のような顔。
 恐怖、絶望。
 麦野の心がマイナスの感情で埋め尽くされる。
 『自分だけの現実』が球磨川の心に塗りつぶされていく。






「むーぎのっ♪」

 ビクン! と麦野の体が大きく震える。
 思わずその場に座り込んでしまう。
 糸に操られているかのようなぎこちない動きで見上げてみれば、そこにはフレンダが満面の笑みを浮かべて立っていた。

「ぁ……あ……」

「そんなにビクビクしちゃって、いつもの麦野らしくないってわけよ」

 そっとフレンダは麦野の頬に触れる。
 麦野の顔がより一層青白く、そして体はより一層震えあがったがフレンダはその様子を楽しんでいるようにすら見えた。

「む、麦野から超離れてください! フレンダの偽物!」

「やれやれ、絹旗は相変わらず言ってることが滅茶苦茶ってわけよ。私は正真正銘本物のフレンダってわけよ。あ、浜面、私の可愛い妹に手だしてないよね?」

「……」

 浜面の無言は肯定を示すものではない。
 目の前に居るフレンダがどうしても本物とは思えない、が、その顔、声、仕草、そのどれもが本物であるという証明であるかのように浜面達の心を揺さぶる。

「仕方がないね、私が本物のフレンダ様だって事を証明するために、私しか知らないことを話すかね」

 フレンダはしゃがみ、麦野に視線の高さを合わせた。

「ねぇ麦野、私を殺した時、すっごく楽しそうだったよね」

「……っ!」

 麦野の顔が強張る。
 フレンダは対照的に、どこまでも笑顔だった。

「最初はまず、私の両手両足の骨を折ったっけ」

「当然動けなくなった私を、麦野は高笑いしながら見下ろしてたってわけよ」

「そして私のお腹を蹴って、誰もいない倉庫に無理やり押し込んだんだよね」

「苦しくて、胃の中の物を全部吐き出してる所を見て麦野はなんて言ったんだっけ?」

「『おいおいフレンダぁ、天然肥料をアスファルトにぶちまけても仕方ないだろうが。肥溜めにでも顔面ごと突っ込んだほうが地球にやさしいんじゃねぇの?』って言ったんだよ」

「私、本当に苦しくて泣いてたのに」

「麦野は、すごく楽しそうに笑ってたよね」

「まるでサッカーボールみたいに私を蹴り続けて、胃液すら吐けなくなった私を今度は能力を使って嬲り始めたよね」

「麦野の超能力のレーザー、半端なかったってわけよ」

「レンコンみたいに私の自慢の脚線美にボコボコ穴をあけて」

「その穴に指を突っ込んで、骨を力づくで抜き取ったりもしたよね」

「最終的に、叫びすぎて声が出せなくなった私をゴミを見るような目で見つめながら」

「『裏切って情報話すような口なんだったら、せめてもっと悲鳴を上げて私を楽しませろよ』って言って投げ飛ばしたよね」

「ああ、そうそう、私が連れ込まれた倉庫、確か工具とか土木作業とかする道具がたくさんある倉庫だったわけよ」

「麦野は箱の中から大きい鋸を見つけたっけ」

「それを担いで、私の体を薪みたいに足で押さえつけてさ」

「私の雪のように白い肌、おへそのあたりに振り下ろしたっけ」

「歯が刺さっただけですごく痛くて、私は掠れ声なのに物凄く叫んでさ」

「麦野はそれを聞いて、また笑ったっけ」

「『まだまだ楽しませてくれるじゃねぇかオイ!』って高笑いして」

「私のお腹に鋸を」

「ギコギコギコギコって」

「赤い血しぶきが上がって」

「白い骨がゴリゴリ削れて」

「内臓もグチュグチュ鳴りながら千切れて」

「それでも麦野は楽しそうに」

「ギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコってさぁ!」

 麦野は自分でも気づかぬ内に泣いていた。
 同じ高さであるにもかかわらず、フレンダは麦野よりも明らかに『下』にいた。
 優位に立つのではなく、下から少しずつ、齧り取るように麦野の心を削るために。
 気づいた時には、もう遅い。
 下から這い寄るその腕は、完全に麦野の心を掌握してしまっている。



『いやぁ、すごいねぇフレンダちゃん。その語りっぷり、紙芝居屋さんに向いてるぜ』

 横から口を挟んできた球磨川が麦野の隣にしゃがみこみ、その肩に手を置いた。
 麦野はもはや、球磨川に反応する事すら出来なくなっていた。

『麦野ちゃん』

『フレンダちゃんはきっと、求めてる』

『君の謝罪を』

『あんなにも酷い事をされたけれど』

『それでも、謝ればきっとフレンダちゃんは許してくれる』

『だって、僕らの知ってるフレンダちゃんは、とても優しい女の子なんだから』

 ニコリと、球磨川は笑う。
 
 麦野は縋るような顔でフレンダを見た。

 彼女もまた、笑顔だった。

「麦野、私に何かいう事あるの?」

「……フレ、ンダ……私……」

 麦野は口にする。
 本人に直接言えなかった言葉を。
 もう絶対にいう事が出来ないと思われていた言葉を。










「……ごめ……ん……なさい……」










 その謝罪は、人から見れば滑稽に思われるかもしれない。
 自己満足のために人を残酷に殺した殺人者が、殺した相手に涙を流しながら謝罪する。
 それを見て同情する人はいないかもしれない。
 浜面も滝壺も絹旗も、麦野の気持ちは理解できない。
 麦野の気持ちがわかるのは、麦野自身を置いて他に居ないのだから。
 ただ、浜面達は等しく思う。
 どうか、麦野の気持ちがフレンダに伝われば、と。

「……ぷっ」

 フレンダの口から小さな声が漏れた。

「あっはははははははははは! 麦野ってば、結局キャラが違いすぎるってわけよ!」

 フレンダは瞳に涙を浮かばせながら笑い、そして麦野の頭に優しく手を置いて撫でた。

「……フレンダ……?」

「麦野ってば、私を見くびりすぎってわけよ。私がいつまでも何かを気にするタイプに見える?」

 麦野の顔に、ほんのわずかにだが生気が戻る。
 麦野だけではない、浜面も、滝壺も、絹旗も、球磨川までもがみな何処か笑みを浮かべていた。

(何だよ……ハッピーエンドじゃねぇか)

 浜面は少しだけ、球磨川という存在の評価を改めることにした。
 球磨川が最悪な存在であることは間違いないが、今麦野が救われているのは、球磨川のおかげと言いたくはないが言えるかもしれない。
 そう思える程に、フレンダは笑顔だった。

「まったく、麦野ってば――
















「誰が許すか、バーカ」













「……え」

 麦野の表情が固まる。
 表情だけではない、心臓も停止してしまったかのような錯覚に陥る。
 深く冷たい水の底に沈んでいくような、どうしようもなく恐ろしい感覚。

「嬲って、甚振って、苦しめて、そして殺して」

「私は死んだ。惨めに死んだ」

「たった一人の肉親、大事な妹を一人残して私は死んだんだよ、麦野」

「それに、浜面も滝壺も絹旗も」

「何で麦野を許せるの?」

「麦野は私を殺したんだよ」

「それに、浜面と滝壺だって麦野に殺されかかったんでしょ?」

「何で許せるのよ」

「私は許せない」

「アンタたちは助かったからいいかもしれない」

「でも、私は死んだ」

「殺された」

「殺されたんだよ、私は!」

 フレンダの顔から笑顔が消えた。
 その顔に浮かぶ感情は、憤怒。
 奇しくも、先ほど麦野が浮かべていた表情にとてもよく似ていた。

「ねぇ浜面! 浜面は滝壺を守れてよかったかもしれないけどさ! また『アイテム』に戻れたって喜んでるかもしれないけどさ!」

「私の事は守ってくれなかったよね!」

「私を殺した麦野は守ったくせに!」

「私が居ないのに「アイテム」に戻れたなんて喜んでいた!」

「フレンダ……ッ!」

 言い返せない。
 死者に言葉は届かない。
 一方通行の会話しかできない。
 それは当たり前の事。
 だが、今は違う。
 死者から生者に一方的に語りかける。
 その言葉はあまりにも重く、そして当たり前の事しか言っていない。


 その時、浜面は視界にその光景をとらえた。
 球磨川が、右手に巨大な螺子を持っていた。
 そして、ゆっくりと、麦野に近づいていくのを。

「む……麦野!」

 浜面は慌てて止めようとする。
 が、フレンダがグルン! と首が折れるのではないかと思うほどの勢いで浜面の方を振り向き、ゆっくりと立ち上がりながら近寄ってきた。

「浜面、結局邪魔をするな、ってわけよ」

「……ッ! 絹旗! 滝壺! 何とかして麦野を止めてくれ!」

「は、はい!」

 絹旗がテーブルを蹴って麦野に飛び掛かろうとする。
 が、その瞬間。
 
 絹旗の小さな体が、巨大な螺子に貫かれた。

「絹旗!?」

『邪魔しちゃあいけないぜ、今良い所なんだ』

 それは球磨川が先ほど持っていた螺子だった。
 スナイパーライフルの弾丸すら防ぎきる絹旗の窒素装甲【オフェンスアーマー】を、ただ巨大なだけの螺子が貫く。
 絹旗の防御力をよく知っている浜面と滝壺は、その光景があまりにも現実離れしすぎていて、今見ている光景がすべて夢なのではないかと思い始めた程だ。

(……そうだよ、ありえねぇよ、フレンダが生き返るのも、普通に考えてありえるわけねぇじゃねぇか……)

 これは夢だ。
 今見ている光景はきっと全て幻想だ。
 だから、心配いらない。

 浜面は見る。

(あれも、きっと、夢なんだろうな)


 視界の端。
 フラフラと歩く麦野。
 巨大な螺子を構える球磨川。
 球磨川は笑っていた。
 嗤っていた。
 そして、螺子を持つ手が掲げられる。
 麦野は、何もしなかった。
 ただゆっくりと、歩くだけだった。
 そして、螺子が
 麦野
 の
 

 頭



 に

 



 ……
 ………
 ……………

これで今までの分は終わりです。
次回更新は三日以内位を予定しています。sage更新なのでご注意ください。


それではまた次回。

フレメアよりフレンダ派

こんばんわ、それでは今日も投下を始めたいと思います

――
――――
――――――






 上条当麻、御坂美琴、人吉善吉、鶴喰鴎の四人は病院を出て、上条が襲撃された公園へ来ていた。
 
「犯人は必ず現場に戻るという情報を信じてここに案内してもらったわけだが……」

 善吉が少し落ち込んだ様子でぼやいた。
 そもそも美琴の話では気絶した江迎を回収しに志布志という存在が現れたのだから、美琴は江迎達がココに戻ってくる可能性など最初から無いとわかっていたのだが。

「ていうかアンタ等、あの黒神って子の話を信じるならよくあんな奴らと仲直り出来たわよね……」

 美琴は呆れたように呟く。
 それもそうだ、あんな会ったばかりの相手の足に包丁を付きたてるような性格の女と仲良くなるなど本来ならありえない。

「過負荷の連中だって人間だ、確かに歪んじゃあいるけども、それでも幸せになる権利はあるんだ。……あの球磨川が改心するとは俺も予想できなかったけどな」

 上条と美琴はまだ球磨川という存在をテレビでしか見ていない。
 だが、画面越しですらあんなにも拒否反応を覚える相手と和解するなど、到底信じられなかった。

「とにかく、まずは球磨川達を見つけなきゃならない。親船さんの家から放送してたって言ってたけど、まだそこに居るかどうか……」

 上条達が今後の行動方針について考える。
 主に中心となるのは美琴だ。第三位という頭脳、そして学園都市と言う場所は上条と美琴にとっては野球のホームのようなものであり、学園都市に来たばかりの球磨川よりも地の利には優れている、はずだ。
 しかし。

(でも、球磨川って奴は俺の右手の情報も知っていた……魔術サイドにバレてるってのは今までも何度もあったけど、学園都市の外側で魔術にも何の関係もない奴がそう簡単に俺の腕について知れるもんなのか……)

 もしも球磨川がテレビで言い放ったように、学園都市総括理事会のメンバー入りをしてその権力を自由に扱えるのならば、上条の右手について知っていても何らおかしくない。
 だが、黒神めだかや善吉が言うように、球磨川という男は気まぐれで物を話す。特に安心院なじみによって球磨川が最もマイナスであったころの球磨川は語る言葉全てが虚言だと思ったほうが良い、と言われる程だ。
 どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。
 虚実織り交ぜて正体と居場所を欺く球磨川の尻尾を掴むのは相当難しい。

(学園都市全体の電波ジャックが出来たのは安心院なじみのおかげみたいな事も言ってたよな……もっと話を聞いておくべきだったな)

「上条、とりあえずその親船っつー人の所に行ってみるべきじゃないか? 今一番可能性があるのはそこしかねぇぜ」

「でも、多分今親船邸の周りはアンチスキルや風紀委員が詰めかけてるだろうから、きっとどうしようもないと思うわよ? だったら私はパソコンとかからハッキングでもして情報を集めようかしら」

 ピリピリと美琴の指先に電気が迸る。

「(……上条、もしかしてこの中学生は物凄く怖い人なんじゃないだろうか)」

「(気づくのが遅いぜ人吉)」

 こそこそとかなり失礼な話をしていた二人の尻に美琴が蹴りを入れている間、鶴喰は一人あらぬ方向を見つめていた。

「……アンタ、何見てるの?」

「べっつにー? 私はただ誰とも目を合わせたくないだけだし。というか、私団体行動って無理なタイプ、一人で黙々と作業をこなしたいっていうか? そういうわけだから、私はそれぞれ別行動をするべきだと思うけれど」

「はぁ?」

 善吉が鶴喰に噛みつくように反論する。 
 顔がぶつかるのではないかと心配になる程、善吉が顔を寄せるが鶴喰は一切目を合わせようとしない。

「鶴喰くん、俺等はこの学園都市の事を全然知らないんだぞ? それに上条か御坂が球磨川に出会っちまったらどうするんだよ」

「だったらメールなりなんなり連絡を取ればいいじゃない。最近は携帯を少しでも手放すと不安で仕方がないって言う携帯依存症の子が増えてるから常に携帯を手に持っていたとしても何の違和感もないだろうし、ああ、私は全然そんな事無いって言うかむしろ携帯なんていらない方だし連絡するだけなら学校でもあえるし家の電話でも出来るし? あんな機械に人間が踊らされちゃってるなんて社会がどうかしてるとしか思えないよね」

 ぺらぺらとマシンガンのように話す鶴喰に上条と美琴の二人がわずかに引いた。
 集団行動がとれないことを「周りが子供、自分が大人」という理屈で片づけようとする鶴喰はどうも上条にとっては苦手なタイプらしい。

「……カッ! そうかよ、だったら仕方ない、別行動って事でいいか? 鶴喰くんも一人にしてやるんだからちゃんと仕事してくれよ!」

「勿論」

 最後まで目を合わせない鶴喰に呆れて三人は公園を後にした。
 一人残された鶴喰はしばらく何かを考えるようにして、そして誰にも聞こえない声で静かに呟く。

「……やれやれ、こーんな役回り、私に合わないんだけどね」

 そう言いながら、鶴喰は携帯を取り出した。

 白井黒子は風紀委員【ジャッジメント】である。
 風紀委員とは学園都市内における治安維持、能力者による犯罪を未然に食い止めたり、実際に事件が起こった際に犯人確保に出向く言わば学生達で組織された警察のようなものだ。
 そこの第百七十七支部に所属する黒子は学園都市でも珍しい空間移動能力者であり、レベル4という高い力を有している。
 他にもこの支部には透視能力者や能力は殆ど扱えないが、代わりに学園都市の都市伝説になるほどのパソコンの腕前を持つ守護神【ゴールキーパー】などが所属している。
 そんな黒子は現在、一つの映像の前で唸っていた。

「うーん……」

「どうしたんですか? 白井さん」

 後ろからひょこっ、と顔を覗かせたのは何故か頭に大量の花が咲き乱れている女子中学生、初春飾利だ。

「あ、さっきのあの映像ですね」

「ええ、色々な場所に調査を依頼はしているのに、どうやって電波をジャックしたのかがどうしても掴めませんの。これほどの規模で電波ジャックを行えるなど、お姉様クラスの電気能力者しか考えられないんですの」

 ここでいう「お姉様」とは常盤台のエース御坂美琴の事であるが、2人の間に血の繋がりなど無く、あったとしたら逆に問題になるような行動を幾度となく行っている黒子だがそれはここでは置いておく。
 当然黒子は愛するお姉様、御坂美琴がこんな犯罪をするなどとは思っていない。

「風紀委員としてはこんな大胆な犯罪、見逃すわけにはいきませんの。初春、さっき頼んだアレはちゃんとできているのでしょうね?」

「あ、はい。『球磨川禊』を名前を顔写真入りで学園都市の警備員【アンチスキル】と風紀委員の支部本部全部に回しました。多分近いうちに学園都市内で指名手配になると思いますよ」

 学園都市において指名手配と言うのはほとんどない。 
 犯罪を起こす者の殆どがレベル0の不良集団、スキルアウトかもしくは能力者である学生によるもので、プライバシーの保護の一環としてか名前や顔が公共の電波に乗る事はほとんどない。
 が、今回ばかりは違った。
 学園都市の倉庫【バンク】にも名前すら記されていないこの球磨川禊という男は学園都市に正規の手続きをして入ってきたわけでもなかった。
 日本の中でも半ば治外法権化し、独自の条例とルールに守られた学園都市に侵入し、公共電波のジャックなどと言うふざけた真似をしたこの球磨川禊に対してはそのようなルールは適用されなかった。

「……本当に、ふざけた奴ですの」

 黒子は画面の中に居る球磨川を見つめる。
 特徴のない顔。
 平均よりわずかに低いくらいの身長。
 抑揚はあるが感情のない声。
 そのどれもが、何故か癇に障る。

「……気分転換がてら、パトロールに行って来るんですの。初春はこの後非番でしたっけ?」

「あ、はい。これから佐天さんと会う予定になってます」

「そうですの、まぁお気をつけあそばせ。何かあればすぐにわたくしに連絡をするんですのよ」

「はいはーい、わかってますよー」 

 初春は軽く返事を返す。
 黒子は小さくため息をつき、楽しそうに出て行った初春の背中を見送った。


――
――――
――――――






 初春飾利と佐天涙子は同じ笹川中学校の友人である。
 佐天涙子は初春のように風紀委員に所属しているわけではなく、能力者としてもレベル0に収まっている。
 超能力に憧れて学園都市にやってくる子供は大勢いるが、学園都市の学生の約6割は無能力者、すなわちレベル0であり珍しい事ではないのだが、それが大きなコンプレックスになっている者も多からず存在する。
 たとえばスキルアウトと言う無能力者で組織された不良軍団、彼らは街に否定され、徒党を組み犯罪行為に手を染めている。
 佐天はスキルアウトなどと言う物騒な組織に加入したことは一度もない、が嘗て超能力と言う物の魅力に負け、手を出してはいけな物に手を出してしまったことがある。
 レベルアッパー、と称されるソレがかかわる事件を解決したのは学園都市第三位の御坂美琴であり、佐天もそれまで重くのしかかっていたレベル0という烙印の重圧から解放されたのだ。


 そんな佐天は現在、休日限定で格安パフェを販売するで店のような物がある公園のベンチに一人腰を掛けていた。
 待ち合わせの時間までは残り三分ほど、待ち人である初春飾利は律儀な性格をしているのでそろそろ来るころだろう。

「佐天さーん!」

 見計らったかのようなタイミングで後ろから聞きなれた声がした。
 飴玉を転がすような甘い声、ふわりと香る花の香り。
 初春飾利が息を切らしてそこに立っていた。

「ギッリギリだよー初春。ていうか何でそんな苦しそうなの?」

「じ、実はここに来る途中迷子の子供を見つけて……それで……」

「あーはいはい、それだけで初春だから仕方がないって納得できるから良いよ」

 初春の正義感の強さは親友である佐天、そして黒子と御坂が一番よく知っている。
 黒子や御坂のような戦闘力は持っていない初春だが、その心の強さは誰よりも強い。

「白井さんと御坂さんは忙しいだってねー」

「白井さんはパトロール中ですし、御坂さんも今何か忙しいみたいですよ」

「ふーん? また噂の男の人でも追いかけてるんじゃないのかなー」

 女子中学生らしい、他愛のない話で盛り上がる。

「白井さんは仕方ないと思うけどね。ていうか、初春は良くこっち来れたね。風紀委員はみんな忙しいと思ってたんだけど」

「まぁ本当はダメだと思うんですけどね。私も昨日まで別の事件にずっとつきっきりでしたから、今日は特別って感じです。明日からまた超忙しいんですよ~……」

「あはは、ドンマイドンマイ」

 佐天がポンポンと初春の頭をなでる。
 なんだか小さい子ども扱いされているようで初春は気恥ずかしくなったが、佐天の手を振り払う事はしなかった。

「それにしても、さっきの放送……えーっと、球磨川、っていう名前だっけ?」

「はい、名乗った名前は球磨川禊でした。バンクのどこを探しても名前も顔も一致するデータがありませんでしたから、学園都市の外側から来たんだと思うんですけど……」

「ふーん、なんていうかさ、学園都市を征服するためにやってきた謎の組織! みたいな感じでちょっとワクワクするよね」

「さ、佐天さん!」

「冗談冗談、まぁ大丈夫でしょ。いざとなったら白井さんや初春みたいな風紀委員にアンチスキル、それに御坂さんだって手を出すっぽいし」

「そうなんですけども……でも、得体の知れない相手なんですからやっぱり油断は出来ないですよ」

 佐天と初春の球磨川に対するイメージはまるで違う。
 所詮佐天は球磨川を飛行船の放送内容でしか聞いておらず、顔すら知らない。
 初春は持ち前の技術であらゆる手段を駆使し球磨川の情報を得ようとした。大きな声では言えないが、学園都市のみならず日本の各主要都市のサーバにもハッキングを試みた。
 が、結果は全て思った通りにはいかなかった。
 球磨川禊という人間のデータは何処にも存在していなかった。

(本当に、何者なんだろう……)

 初春は球磨川について考える。
 考えるたびに体が底なし沼に落ちていくような感覚に陥った。
 どう考えても、どう捉えても、つかみきれないその実態があまりにも不気味すぎた。

「初春、せっかくの休みなんだしもっと気楽な顔しようよ」

「え、あっ、ごめんなさい佐天さん」

「よし、じゃーショッピングにでも行こうよ。いやー、実は私新しい服欲しくてねー」

 佐天が立ち上がるのを見て初春も立ち上がる。
 ――その隙を、佐天は見逃さなかった。





「――隙ありっ!」


 
 ガバッ、と布が大きくまくれ上がる音がした。
 本来重力に従い垂れ下がる事で腰から下の部分を隠す布、要するにスカートが佐天の手によって大きく捲りあげられた。
 当然、内部が外界に露わになる。
 もっと具体的に言えば、女子中学生らしいというかなんというか、水色の水玉模様の下着が丸見えになっていた。


「――」

 初春の顔から一瞬表情が消える。
 そして、次第にまるで赤く熟れた果実のように、真っ赤に染まり始めた。


「さっ、さささささささささささ佐天さんー!」

「あはははははー! 相変わらず可愛いらしいパンツだね初春はー!」

 腕をブンブンと振るいながら初春は佐天を追いかける。
 佐天はそんな初春の様子を見て爆笑しながら軽快に走って初春との距離を離していた。

「ま、待ってくださいよ佐天さんー!」

「ふははははー! 待てと言われて待つ奴がいるかー!」

 とびっきりの笑顔で悪者みたいなセリフを言いながら佐天はそのまま公園を出ようとする。
 顔は追いかけてくる初春の方を向いていた。
 だから、気づかなかった。
 前方に、人がいたことに。



 ドンっ、と衝撃が走った。
 それなりの速度でぶつかったため、佐天はその衝撃に耐えきれず前のめりに倒れる形になった。
 何か柔らかい物に当たった。
 これは――


 と、佐天はそこで違和感を感じた。
 謎の浮遊感。
 足が地面から離れている感覚。

「佐天さん!?」

 後方から初春の声がする。
 何故か小柄な初春の姿が自分よりも高い位置に見えた。
 その上、どんどん初春の姿が小さくなっていく。


(あれ、これってもしかして――)


 そこで佐天は思い出した。
 この公園に来るときに、約二十段ほどのそれなりに急こう配な階段を昇ったことを。
 つまり――



 鈍い音がした。
 まるで弾力性のある物を堅い物に思いきり叩きつけたような、そんな音が。

「痛ってて……」

 佐天は起き上がる。
 多少体を打った様だが、特に異常は見られなかった。
 だが、階段二十段を勢いよく落ちて無傷で居られるものだろうか?
 そして、思い出す。
 浮遊感を感じる前に、何かにぶつかったような感触があったことを。
 
「……」

 佐天は、恐る恐る下を向いた。

 人がいた。
 自分の下敷きになる形で、俯せで倒れている人の姿があった。

「……どうしよう……」

 先ほどぶつかったのは、確実にこの人だ。
 しかも、突き飛ばした挙句に下敷きにしてしまった。
 さっきの音、そしてこの高さ、大怪我をしているかもしれないし、最悪死亡した可能性すらある。


「さ、佐天さん! 大丈夫ですか!?」

 バタバタと初春が階段を駆け下りてきた。

「う、初春……どうしよう……」

 初春もそこに倒れている人の姿を見て顔を青くした。
 初春は風紀委員である。
 何か事件を起こした人物が居れば、その業務と権利により捕縛しなければならない。

「と、とりあえず病院に運ばないと……いや、救急車を呼ばないと……え、ええと、救急車の番号は……」

 初春がぎこちない動きで携帯を取り出す。
 明らかに動揺していた。
 それは佐天にも当然いえることだが、友人が事件を起こす、という事に凄まじく嫌な思い出のある初春によってはトラウマを抉られたようなものだ。











「ああ、ご心配なく」

初春の声でも、佐天の声でもない声がした。
 それは、2人の耳よりも低い場所から聞こえた。

「……え」

 佐天は信じられない、と言った様子で『ソレ』を見る。
 パンパンと、服についた土汚れを払いながら立ち上がった『ソレ』を。
 初春も携帯を片手に、ボタンを押す指を止めてその光景に視線が釘付けになっている。

 『ソレ』は、背の高い少年だった。
 まるでイギリスなどで貴族に仕えている者が身に纏っているような、燕尾服を着ていた。左目にはモノクルまで装着している。
 整った顔をしており、その物腰も雰囲気も一般人とは何処かずれているように思える。








「こんなのはただの――不慮の事故ですから」








 過負荷。
 球磨川禊に見定められる程の素質を持った、マイナスの中で唯一理性と呼べる美点を持つ少年。
 蝶ヶ崎蛾々丸は、二人にそう言って微笑みかけた。


「本当にごめんなさい……」

 公園の近くにあるおしゃれなカフェに佐天涙子、初春飾利、蝶ヶ崎蛾々丸の三人は居た。
 佐天と初春は季節の果物が大量に使われている期間限定ケーキ、蛾々丸は紅茶をそれぞれ注文しており、蛾々丸は幽雅な仕草で紅茶を静かに啜っている。
 先ほどの転落を不慮の事故と言い張る蛾々丸であったが先ほどの音、そして高さから考えて無傷なわけがない、奇跡が起こっても全く痛くなかったなどありえない。
 そういうわけで佐天は謝りながら何かさせてもらわないと気が済まないと言い張り、蛾々丸をここまで引っ張って連れてきた、と言うわけだった。

 救急車がけたたましくサイレンを鳴らしながら公園へと入っていくのを蛾々丸は静かに見ていた。
 佐天は何とか蛾々丸に反応を取ってもらおうと何度も頭を下げる、やがて諦めたのか、蛾々丸が小さくため息をつきながら佐天の方を向いた。
 
「ですから、私に関しては何らお気になさらずとも結構です。あんなものはただの不慮の事故ですし、ごらんの通り私にも何の外傷もありませんから」

「でも、あの高さからあの勢いで落ちたら普通怪我しちゃいそうなんですけど……えっと、蝶ヶ崎さんでしたっけ? 蝶ヶ崎さんは能力者なんですか?」

「いいえ、学園都市風に言うのであれば、私はレベル0ですよ。マイナスレベル、なんて物は存在しないのですかねぇ」 

 くつくつと蛾々丸は笑う。
 初春はそんな蛾々丸について嫌な雰囲気を感じていた。

(……なんだろう、この人)
 
 佐天は蛾々丸に対して何か特殊な感情を抱いているようには見られない。しいて言うなら、謝罪の気持ちが大きい。
 だが、明らかにこの蛾々丸という人間は何処か違う雰囲気がある。
 例えるならば、かつて初春を襲った悲劇、初春の肩を踏みにじり激痛と悔し涙で心までボロボロにしたあの茶髪の少年に近い。
 が、何かが決定的に違った。
 最も近い物は何かと聞かれれば、それはおそらくつい先ほどの出来事。
 学園都市中に一気に名を知らしめた、あの不気味な少年。

「蝶ヶ崎さんは何処の学校に通ってるんですか?」

「今はまだ通ってはいません。転校手続きの最中でして、以前まで私が通っていた高校は廃校になってしまったんですよ。不慮の事故なので仕方がありませんが」

「へー、大変でしたねぇ」

 ここでも、初春の中の違和感が大きくなった。
 学園都市に学校は無数に存在するが、高校で、しかもつい最近廃校になった高校など存在していない。
 ならば、ありえるのは蛾々丸が嘘をついているという可能性、それか蛾々丸がそもそも学園都市の人間ではない、という可能性。

「あ! そういえばこの子、初春って言うんですけど風紀委員をやってるんです、何か困ったことがあったら相談しちゃってください」

「……ジャッジメント、ですか……」

 蛾々丸が初春に視線を向けた。






「――ッ!?」



 瞬間、初春は背筋が凍るような思いをした。
 蛾々丸の細められた目に見つめられた瞬間、まるで獰猛な肉食獣に睨みつけられた小動物のように、体中の血液が冷え体が震えた気がした。
 何だ、今の感覚は。
 巨大な犯罪に立ち向かう事もある風紀委員の初春ですら今まで経験したことのない、圧倒的にマイナスな感覚。

「……それはそれは、この方は優秀な方なんでしょうねぇ」

「初春はすっごくパソコンに強いんですよ!」

 佐天と蛾々丸は何の違和感もないかのように、普通に会話を続けている。
 それが初春には怖かった。
 まるで友人が悪魔の囁きに惑わされる瞬間を目撃しているようで。
 止めようにも、もし何か一言でも言葉を発した瞬間、この得体の知れない悪魔が自分を殺してしまうような気がして。


















「ん? 初春さんと佐天さんじゃない」






 初春にはそれが救いの声にも聞こえた。
 知らぬ声ではない、聞き覚えのある声。今まで何度も自分や大切な人を救ってくれた学園都市最高のエリートの声。

「御坂さん……!」

 学園都市第三位が、そこに立っていた。

「あれー、御坂さん。さっき電話した時用事あるって言ってたのに何でこんな所にいるんです?」

「ちょっとね、今人を探してるの。……ていうか、佐天さん達が男の人と居るなんて珍しいわね」

 美琴は静かに紅茶に口をつけている蛾々丸を見た。
 瞬間、わずかに美琴の目が細まる。
 まるで何か嫌なものを感じ取ったかのように。

「……アンタ、名前は?」

「人に名乗るときは、まず自分からという常識をご存じないのですかね」

「……私は御坂美琴よ」

「御坂、美琴……ほう、あなたがかの有名な学園都市のレベル5第三位ですか」

 蛾々丸の笑みの種類が変わる。
 大人しめ、という印象のあった控えめな笑みから見る物を不快にさせる、嘲るような笑みに。

「それはそれは、その偉そうな口ぶりも納得がいきますね」

「イイから私をの質問に答えなさいよ」

 ピリッ、と美琴の前髪のあたりに紫電が走る。
 さすがに佐天も何かを感じ取ったのか、口を堅く閉じ黙って美琴と蛾々丸を見つめている。
 蛾々丸は明らかに不快そうな顔で美琴を暫し見つめていたが、やがてわざとらしくため息を吐いた。

「私は蝶ヶ崎蛾々丸、という者です」

「………そう」

 紫電が一際激しく散った。
 まるで、天敵を見つけた野獣が相手を威嚇をしているかのように。

「アンタが、球磨川禊が連れてきた過負荷の一人ね」

「おや、そこまで知られていましたか」

 蛾々丸は特に慌てるようなことなく、斜め向かいに座る初春のケーキが乗った皿に手を伸ばした。
 掴んだのは、ケーキを食べるための小さなフォーク。

「さて、どうするべきですかね。知られているのであればごまかしようがありませんし、かといってマイナスたる私がエリートたるあなたに勝てる道理もありませんし」

 蛾々丸はくるくるとフォークを回して弄び、そしてフォークを握る。
 まるで何かに突き立てるように、しっかりと。

「ですが、ただ負けるだけと言うのもマイナスらしくありません。なので僅かばかりの抵抗を試みてみましょうかねぇ」

 蛾々丸は、フォークを振りかぶる。
 フォークの切っ先は、吸い込まれるように初春の柔らかな眼球へ――

「ざけんな!」



 バチンッ! と鋭い音がした。
 音速以上の速度で放たれた雷光は一直線に蛾々丸のフォークを打ち抜き、その手から無理やり吹き飛ばした。

「佐天さん! 初春さん! どっか遠く行ってて! 全力でやるから、巻き込まない自信がないから!」

 鋭い音が連続して鳴り響く。
 まるで雷の鎧を纏っているかのように、美琴の全身に青白い雷光が纏わりついていた。

「えっ、あっ……」

「さ、佐天さん! 行きますよ!」

 驚いて固まってしまった佐天を初春が無理やり引っ張っていこうとする。

「……」

 蛾々丸はゆらりと立ち上がり、今度は佐天のフォークを掴み再び振りかざす。

「あ、ん、た、は大人しくしてろっ!」

 再び電光が迸り、今度は蛾々丸の体を打ち抜いた。
 人体が浴びてもギリギリ死なない程度の電圧、と言っても本来生身の人間相手に放つようなものではない。拷問用の電気椅子よりかは明らかに危険なレベルの電撃なのだから。
 だが、美琴は容赦しない。
 過負荷と人間として見て取れない美琴は、まるで友人に近寄る蚊でも対処するかのように。
 無慈悲に、確実に、一瞬で無力化しようと試みていた。

 電撃を浴びた蛾々丸がその場に崩れ落ちる。
 江迎のように何か能力を使って物理的にガードした気配も、上条のように何かの能力で打ち消した気配もない。
 放った電撃は蛾々丸の体にちゃんと命中した。

(……これで、大人しくなってくれてるといいんだけど)

 美琴は病室で黒神めだかに過負荷という者達について説明を受けた。
 だが、一つだけ聞き忘れていたことがある。
 過負荷と呼ばれる者達が持つ、過負荷と言う名のスキル。
 『過負荷といえども話し合えば改心できる』と確信しているめだかはその説明を怠っていた。する必要がないと自分の中で思ってしまった。
 話せば通じるのだから、戦えば勝てるのだから。
 めだかにとって過負荷はそういう物だった。

 が、美琴達にとっての過負荷がめだかにとっての過負荷と同じかと問われれば、それは違う。
 ある意味で最も人間から遠いめだかは、本来なら夢物語でしかない理想を『頑張って』何でも叶えてきためだかはわからない。
 言葉と信念と力を併せ持つめだかと、それ以外の人間は違う。
 化け物女と少女は、違うのだ。






「電撃とは、外道な攻撃ですねぇ」

「!」

 ムクリと。
 蛾々丸は何事もなかったかのように立ち上がる。
 痛みも、ヤケドも、体の不具合すらもないかのように、普通に立ち上がり普通に口を開き、普通に美琴を見ていた。

「……アンタも気持ち悪い能力を持ってるのね」

「おや、私の名は知っているのにスキルについては聞いていなかったのですか? まぁいいでしょう、ご安心ください。たとえこれから何が起こったとしても、それは単なる――













「不慮の事故ですから」











 ガタン! と何かがテーブルを巻き込んで倒れる音がした。
 その音は美琴のすぐそばから発せられており、その音源には先ほど見た限り、佐天と初春が立っていた筈の場所で――



「かっ、が、ぁ、ぅあ、が、けぁ、ひぐっ!」

「初春!? どうしたの初春ってば!」

 今にも泣きだしそうな佐天の声が響いた。
 見ると、佐天は地面に倒れた初春の体を必死に揺さぶって声をかけていた。
 初春は白目を向き、体をガクガクと振るわせて痙攣している。
 明らかに普通の状態ではない。


「アンタ! 初春さんに何をしたのよ!」

「何もしていませんよ。私は何もしていません」

 くつくつと蛾々丸は嗤う。
 本当に自分は関係ない、とでも言うかのように。

(初春さんのあの症状……あのケーキに毒でも盛っていた? いや、でも初春さんはあのケーキに口をつけてないし、あの痙攣は毒物反応とは違う気がする。どちらかと言えばまるで……)

 美琴は必死に分析を試みるが、あまりにも情報が足りない。
 とにかく何よりも先に、今は初春を何とかしなければ。

「佐天さん! 初春を今すぐ病院に! こいつは私が食い止めるから!」

「で、でも……」

「いいから! 早く!」

 美琴に押され、佐天は慌てて初春を背負いその場から走り去る。
 いつの間にか、周りの客もいなくなっており、見える人影は一つもない。
 この場に居るのは美琴と蛾々丸の二人だけだった。

「行ってしまいましたか。まぁ私のような過負荷の戦いなど一般人に受けるわけがありませんし、かえって気楽というものですがね」

「……アンタ、過負荷って言ってるけど、その過負荷ってのはアンタと球磨川、後江迎と志布志の計四人なのよね?」

「さぁ、どうでしょう。もしかしたら今頃一人くらい増えているかもしれませんねぇ」

 はぐらかす様な解答。
 そもそも蛾々丸は真面目に取り合う気すらない。
 それは、美琴も同じだった。

「……まぁいいわ。とりあえず私はアンタをぶっ倒す。そして無理やりにでも球磨川達について聞きだす。手加減なんか期待しないでよね」

「ええ、当然でしょう。そもそも私達過負荷は常に全力で蔑まされて来た者たちなのですから」

 常に自分を下に置いた挑発。
 美琴はもはやまともな問答は諦めた。
 ならば、せめて勇ましく、学園都市第三位という誇りを胸に己を鼓舞しよう。
 こんな、最低の奴らには絶対に負けるわけにはいかない、と美琴は改めて誓う。




「この学園都市レベル5の第三位、御坂美琴様がアンタの事ぶちのめしてやるから、覚悟しなさい!」

 美琴が勇ましく宣戦布告をする。
 きっとこれすら軽く、そして不愉快な回答ではぐらかされるだろうと思っていた。
 だが、違った。
 宣戦布告をした瞬間、蛾々丸の表情から一切の感情が消えた。

「――」

「……?」

「……うっぜぇな」

 ボソリ、と。
 蛾々丸の口から蛾々丸のセリフとは思えない言葉が零れ落ちた。

「レベル5? 第三位? 御坂美琴様? そんな偉そうな奴がよぉ……この『不慮の事故』【エンカウンター】を屈服させられると思ってんのかよぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 蛾々丸が吠えた。
 まるで殻を破った蝶のように、這いずるだけだった毛虫から羽ばたく蛾になったように、蝶ヶ崎蛾々丸という人間が異常な変化を遂げた。

「な、なんなのよコイツ……」

 口調、顔付、態度。
 ありとあらゆる物が静から動へ、冷静から獰猛へと激変する。
 目の前に居る美琴にすら信じられなかった。今目の前に居る蝶ヶ崎蛾々丸は本当に先ほどまで目の前に居た蝶ヶ崎蛾々丸と同一人物なのかと疑ってしまう。

「お前みたいな偉そうな奴はよぉぉぉおおおおお! 何をされても仕方ねぇよなぁぁあああああああああああああああ!?」

今日はここまでです。

蛾々丸のブチ切れ状態は乱暴な口調と丁寧口調が混ざってて案外書きにくいです。


次回は月、火のどちらかに更新したいと思います。それではまた次回
お疲れ様でした。

月曜か火曜といったな、ありゃ嘘だ。

すいません、自分の都合で月と火に更新できなさそうなので今日しておきます。
先に宣言しておきます。すごく短いです、ご注意ください。

後雑談なのですが、考察との線の引き方が微妙です。
読者の皆様の話し合いで100近くレスが消費されるのが問題でして……
まぁ、前回のようにならなければ多少やよいのではないでしょうか、雑談がないというのも少しつまらないですし。


それでは、投下します。短いですけど

 美琴はとある能力者を思い出していた。 
 圧倒的な力を振るい、軍用クローンの殺害を淡々と作業のように、だがその顔を狂気の快楽に歪ませていた最強の能力者。
 似ている。
 蝶ヶ崎蛾々丸とあの最強の超能力者は、どこか根本的な『何か』が似ている。

(とにかく、まずはコイツのスキルとやらを探る必要がある!)

 美琴はまず電撃での攻撃、ではなく周囲の地面に散らばる砂鉄を磁気を操作して掌握する。
 砂粒程度しかない磁気を帯びた細かな粒達がどこからともなく集まり、それは人間の手の形を成して蛾々丸の両足を地面に押さえつけた。

「……これは……」

(何かで防いでる気配はない、という事は一方通行のような反射能力とは違う!)

 続いて美琴は右手に砂鉄を集め始める。
 次第に形を成していくそれは、長さ約一メートルほどの槍へと変化した。
 細かに振動しているためか、周囲にモスキート音のような小さな音が鳴り響いている。

(次は……コイツでどう!?)

 美琴は槍投げの選手のように豪快なフォームで砂鉄の槍を振りかぶり、そして蛾々丸に向かって投げつけた。
 女子中学生である美琴が全力で投げたところで、本来ならば槍はそれほど速度を出すことはできないだろう。
 が、美琴が第三位たる証である特性、その能力の万能的な効力がここでも発揮されていた。
 投げた瞬間、槍が手から離れた瞬間、槍を形成する磁気とは別に、美琴の体と砂鉄の槍を反発させる別の磁気を美琴は放っていた。
 要は、美琴の代名詞的な存在である超電磁砲【レールガン】と同じ原理である。今回は槍の形成にも演算を割いているため、超電磁砲程の速度は出ていない。
 が、それでも砂鉄の槍は一秒で百メートルほどは進めるであろう速度で、十メートルも離れていない蛾々丸の元へと一直線に飛んで行った。


 轟ッ! と音が響く。
 何の不思議も不具合もなく、高速で放たれた砂鉄の槍は当たり前のように蛾々丸の腹部を貫き、そして蛾々丸の細い体を足元の砂鉄の拘束ごと後方へ吹き飛ばした。
 さらに、砂鉄の槍は微振動している。人体に刺さった瞬間体内の内臓を巻き込み、ミキサーのようにグチャグチャにしてからバラバラに引き裂く。
 普通であれば、即死。
 普通じゃなくとも、確実に致命傷を与えられる必殺の槍。

(コレなら……)

 美琴が能力を解除すると、砂鉄の槍は音もなく崩れ去った。
 普通の刃物が靭帯に刺さった場合、抜いた瞬間に血が溢れだす可能性があるので刃物は刺さったまま、と言うのが基本である。
 だから、槍が消えた瞬間に蛾々丸の体に空いた穴から大量の血が溢れだす――はずなのだ。







 だが、何の音もしないし何の色も見えない。 
 まるで、蛾々丸はそこに寝ているだけのようにも見えた。

(……外傷が見えない……? どういうこと? もしかしてアイツのスキルとやらは回復系統……?)

 美琴が間違った考察をしてしまう。
 が、その思考は無理やり絶たれることになった。
 ガタンガゴン! と大きな音をたてながら、美琴の頭上に巨大な看板が落下してきたのだ。

「っ!?」

 美琴は横に跳ぶようにして回避する。
 先ほどまで立っていた場所に落下してきた看板は地面にぶつかりひしゃげ、暗くなったら発行するためのライトが幾つも砕けている。
 が、美琴がその看板に違和感を見たのは、そこではない。
 このカフェの看板、地上五メートルほどの所にあったそれは、まるで何かに無理やり『ちぎり取られた』かのような、そんな跡が見受けられた。

「……これは……?」







「よそ見をしてる暇がありますかねぇええええ!」

「!」

 美琴が蛾々丸に視線を戻すと、蛾々丸は既に美琴まで約二メートルほどの所まで接近してきていた。
 とっさに美琴は蛾々丸に対して電撃を放つ。
 急の事だったので制御などできず、人体に直撃すれば死に至らしめるには十分すぎる程の電撃が蛾々丸の細身を貫く。


「カ……ッ!?」

 一瞬呼吸が止まったような、苦しげな表情を浮かべた蛾々丸。
 が、次の瞬間にはその顔には今までで最も相手を迂回にさせる笑みが浮かべられていた。

(回復、じゃない……一瞬効いたような顔をしていたのに、すぐに元に戻った。あんな速度での回復なんてありえない!)

 もしも蛾々丸のスキルが回復系統であれば、問答無用でレベル5認定を受けられる速度だ。
 だが、蝶ヶ崎蛾々丸の過負荷は回復系統などと言う前向きな物とは全く違う。
 それはある意味、江迎の『荒廃した腐花』や球磨川の『大嘘憑き』よりも後ろ向きな、完全で最低な能力なのだから。

「考え事も結構ですが、それよりも自分を心配なさった方がいいのでは?」

「何……」

 バチッ、と弾けるような音がする。
 美琴が普段から耳にする音、紫電が迸る音だ。
 そして、美琴は見た。
 配線がちぎられ、もはや光る事は不可能なはずのライトが異常な明かりを放っている。
 いや、違う。放っているのは明かりだけではない。
 割れたガラス部分から漏れ出しているあれは、接続部でバチバチと音を轟かせているあれは――








 瞬間、連続した爆発音が一斉に鳴り響いた。

 看板につけられていた幾つものライトが同時多発的に爆発し、周囲にガラス片と金属片となお余る電撃をまき散らしたのだ。
 美琴の柔肌を飛来した無数のガラス片が傷つけていく、美琴の顔が苦悶に歪んだ。


「痛っつ……!」

「おやおや、お気の毒に。だが気にしてはいけません、あんなのはただの、不慮の事故ですから」

「……」

「また考え事ですか、無駄だと思いますがね。あなたのようなエリートには特にわからないでしょう、私達過負荷すら理屈で考えようとする、優秀で馬鹿なエリートにはね」

 美琴は考える。
 最初の電撃。
 初春飾利の突然の異常事態。
 砂鉄の拘束は蛾々丸に有効だった。
 砂鉄の槍は確実に蛾々丸の腹部へと命中した。
 なのに、蛾々丸は無傷だった。
 そして、無理やりちぎられたかのような看板が美琴の頭上に落ちてきた。
 美琴は蛾々丸に高出力の電撃を放った。
 だが、蛾々丸は一瞬だけ苦しみ、そしてすぐに何事もなかったかのように振る舞った。
 そしてライトが謎の爆発を起こした。
 一瞬だが、ライトから紫電が漏れ出しているのが見えた。


「……」


 どんな攻撃を受けても無傷の蝶ヶ崎蛾々丸。
 『不慮の事故』という得体の知れないスキル。
 過負荷という常識の通じない存在。
 理屈では考えられない能力。
 学園都市ではありえない異能。

「…………」

「さて、そろそろ終わりにしましょうか。私も球磨川先輩の所へ戻らねばなりませんし、レベル5を脱落させるというのは我々の目的達成への大きな貢献に――





「……まさか」




「?」

 美琴はある結論にたどり着く。
 本来ならば、馬鹿馬鹿しくて考えた瞬間に破棄するであろう結論。
 演算と法則に従って成り立つ超能力が蔓延したこの学園都市において、常識も法則も、概念すら不定な異常な能力。
 ありえるはずがない、レベル5の美琴はほかの人よりもなおさらそう思う。
 エリートだからこそ、たどり着きづらい結論。
 優秀な頭脳だからこそ、あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて思考にすら値しないような愚直な考え。
 
 だが、わずかにでも過負荷という存在に出会い、触れ、そして話を聞いた美琴はたどり着いた。
 学園都市第一位ですらたどり着けなかった、その結論に。














「アンタのスキルってのは……もしかして……自分が受けたダメージを別の何処かに移す能力……?」

「!」

 蛾々丸が驚きを顔に浮かべた。
 そして、それはすぐに笑顔に変わる。
 あざ笑うような嘲笑ではなく、割と素直に感心しているかのような、そんな笑みに。

「……ほう、まさか看破されるとは。お見事です。その通り、私の『不慮の事故』はありとあらゆるダメージをどんな場所にでも『押し付ける』事が出来る」

 無敵。
 美琴は素直にそう思った。
 学園都市第一位の能力である『ベクトル操作』、この世に存在するありとあらゆる物のベクトルを掌握するという能力も一見無敵に見えるが、その実弱点はそれなりにある。
 たとえば、核爆弾が落ちれば彼には傷一つつかないが、彼の周りに存在する酸素は一瞬で消え失せてしまう。
 そうなれば彼は呼吸が出来ずに、普通の人間のように死ぬ。
 だが、『ベクトル操作』よりもさらに凶悪な『不慮の事故』の弱点は、どう考えても見つける事が出来なかった。
 電撃も、打撃も、超電磁砲も、酸素不足も蛾々丸はなんだって『押し付けられる』。
 学園都市の超能力とは力の程度に差はあれど、ある例外を除けば物理法則を完全に無視して発動できるようなものではない。
 美琴の能力も応用は効くが、所詮は電気に関係することしか行えない。
 だが、『過負荷』は違う。
 物理も、化学も、常識も、ルールさえも通用しない。
 蛾々丸の『不慮の事故』はまさに反則だった。
 即死したとしても、『死』というダメージすら何処にでも押し付けられる蛾々丸には寿命以外の死は存在しない、風邪のような軽い病気から、不治の病までも何処にでも押し付けられるのだから。

(何が過負荷は最後には絶対に負ける集団よ……! こんな反則相手にどうやって戦えばいいってのよ!)

 美琴の強固な心に、わずかな罅が入る。
 蝶ヶ崎蛾々丸という絶対の存在、美琴がこれまで積み上げてきた戦い、プライド、誇り、努力、それらが何一つ通用しない相手。

「偉そうな奴が、過負荷に頭を垂れて心を折られる。素晴らしい、不幸が常の過負荷でも、この瞬間だけは世界一の幸せ者のような気分になりますねぇ」

 ゆっくりと、だが確実に、蛾々丸が美琴へと近づいてくる。
 逃げようにも、足が動かない。
 戦おうにも、指先は震えている。
 立ち向かおうにも、心が揺れ動いている。
 怖い。
 死ぬために学園都市最強の能力者に立ち向かおうと決意したあの時のように、美琴の心が暗く閉ざされる。

(……本当に、あの時みたい)

 御坂美琴最大の闇。
 一万人以上の『妹』を死なせてしまったあの実験。
 あの実験を止めてくれた人は、この場に居ない。
 今度こそ、御坂美琴は闇に落ちる。

 体が底なし沼に沈んでいくような気分になった。
 ずぷずぷと、足の先から頭の先まですっぽりと包まれる。
 これが過負荷。
 優秀な人間を真下からあざ笑い、見上げながら引きずり堕とす負け犬集団。


(……ゴメン、私……)

 美琴の頭に浮かぶのは、あの少年の姿。
 救世主のように現れたあの少年に、願わくばもう一度会って、そして――

「……なんです? あなた」

 蛾々丸の声が聞こえた。
 美琴に語りかけているわけではない。
 見れば、蛾々丸は美琴に腕を伸ばしたまま、美琴の後方を見ていた。

(……?)

 美琴は静かに、後ろを向く。




 ドクン、と美琴の心臓が大きく跳ねた。
 そこに居たのは、美琴のよく知る顔だった。
 憎たらしくて、それでも美琴にとってとても大切な人がいた。

「……なんで……」

 口に出たのは疑問。
 だが、心は幸福に満ち溢れていた。
 救世主は、いつでもいるわけではない。
 本当に、本当にどうしようもない闇に落ちそうになった時にだけ、必ず駆けつけてくれるから救世主なのだ。

「……何で」

 美琴の目尻に涙が浮かぶ。
 美琴の心が救世主の出現により、闇の中から救い上げられる。













「お姉様に何をしているんですの、このクソ外道野郎」











 白井黒子。
 学園都市の風紀を守る風紀委員。
 常盤台中学のお嬢様。

 だが、そんな事は関係ない。
 風紀委員である事も、何一つ黒子にとって重要ではない。
 重要なのは、美琴が泣いているという事。
 大好きなお姉様が、苦しんでいたという事。
 これだけで、黒子にとっては十分だった。
 どんなものにでも牙をむく理由としては、十分すぎるものだった。

「誰だか知りませんが、あなたは全くの無関係でしょう。不慮の事故に巻き込まれる前にお帰りになった方がよろしいのでは?」

「何を仰っているのやら、無関係? お生憎様、わたくしはお姉様を悲しませる輩がいるのならば先生だろうと学園都市統括理事会であろうと、問答無用でぶっ飛ばす所存ですの。そこの所、お間違えないよう注意してくださいまし」

 今だけは、美琴の心からツンツン頭の少年は居なくなっていた。
 自分の危機に駆けつけてくれるヒーローは、一人だけじゃない。
 大切な人を助けるヒーローが一人だけだなんて、そんな事は無い。
 救いたいモノのために動ければ、それはもうヒーローの証なのだから。

 

 『不慮の事故』と風紀委員。
 治安を守る風紀委員は、事件の解決に奔走する存在だ。
 だが、しかし、守るのは風紀だけではなく、平和。

 風紀委員は起こりうる事故は未然に防ぐ。偶然の悲劇など決して許さない。

 白井黒子という風紀委員は、大好きな人を悲しませる不慮の事故など絶対に認めない。

今日はここまでです。
本当に短くて申し訳ないです……禁書の章の終わりっぽい終わり方をしてみたかったんです。
超電磁砲組で一番好きなキャラはこのSS内での扱いを見れば一目瞭然です。

次回の更新はおそらく水曜日になります。
ではまた次回、お疲れ様でした。

『不慮の事故』は、『ダメージの定義』とか『能力範囲』とかが曖昧過ぎて考察なんて出来ない気がする……
原作の情報が少ないから……

雑談って具体的にどういうのならオッケーなの?
もしかして「乙」と「支援」以外は書き込み禁止?

緊急で仕事がバイトが入ったと思ったらなくなってた……なんぞこれ

と、言うわけで三日連続の投下にやってきました。
今度から何曜日、じゃなくて何日以内、という感じの予告にする予定です。


そして何回か話題に出ている書き込み等について、以前も言った通りちょっとした雑談は構いません。
能力についての詳しい考察、議論などはそれ専用のスレッド等にて行ってください。
このSS内での設定については、そのキャラが出たときに纏めて書きますので、ちょっとした疑問であれば少々お待ちいだたければ幸いです。

それでは投下します。今日もやや短めですけども

「……ムカつくボケ野郎だ、偉そうにしやがって」

「あら、黒子は偉い子ですのよ? 気品溢れる礼儀正しい淑女ですので」

 蛾々丸の言葉に軽く返す黒子、その顔には不敵な笑みを浮かべているが――美琴は感じていた。
 黒子は激怒している。
 それは普段、美琴が上条と話している時に見せるものとは違い、もっと荒々しく獰猛な、相手の全てを認めない憤怒だ。

「気を付けて黒子! そいつに攻撃は通用しないの!」

「……どういう事ですの?」

 黒子が眉をひそめる。
 当然だ、御坂美琴という学園都市最強の超能力者の攻撃が『通用しない』等ありえない。外の世界の科学力程度では美琴の攻撃を完全に無力化する装置など作れるはずもない。
 ならば、学園都市製の能力?
 それはもっとありえない。美琴の能力を無効化できる、それすなわちレベル5の資質を有しているという事なのだから。

「原理はよくわからないし、学園都市の能力でもないの……でも、あいつの受けたダメージは全部ほかの場所に押し付けられるらしいわ」

「それはまぁ、何とも……胸糞悪い能力ですの」

 吐き捨てるように黒子は言う。

「わたくし達風紀委員はみな、市民を守るために体を張っているんですの。他人の痛みなど喜んで引き受けますの。……あなたのような能力はわたくし達風紀委員への侮辱そのものですの」

「そうでしょうかねぇ、いいものですよ? 罪悪感をも押し付ける、だから私に悪気はないし悪い事をした気もない。誰がどうなろうと、それは単なる不慮の事故でしかないのですから」

 過負荷は虐げられ性格が曲がってしまった者達の集団だ。
 だが、蛾々丸には虐げられた過去がない。
 あったのかもしれないが、それはすべて押し付けてきた。
 悲しみも、痛みも、辛さも、絶望も、悪意も、悪気も、何もかもを見知らぬ他人に押し付けることで蛾々丸は生きてきた。
 自分のために他人が巻き込まれることが、蛾々丸にとっては当たり前の人生だったのだから。

「だから黒子、まともに戦っても勝ち目はないわ! 今はとりあえずいったん引いて作戦を――












「大丈夫ですのよ、お姉様」






「一瞬で、決着をつけますの」








 そういう黒子の目には、確信が見えた。
 『不慮の事故』という完全に最低な過負荷を持つ蛾々丸相手に、勝利は揺るぎないという絶対の自信が。

「ほぅ! ならばやってごらんなさい! レベル5のエリートですらどうにもできないこの『不慮の事故』にどうやって勝つと――


















「そう言うセリフは、死亡フラグですわよ?」


「は?」


 白井黒子は、蛾々丸のすぐ後ろに立っていた。
 そして、極めて優しく蛾々丸の背に触れた。
 
 ――気が付いた時には、蛾々丸は地面に倒されていた。

「な……っ! てめぇ! 何しやがった!」

「何と言われても、わたくしの能力は所詮レベル4、お姉様の能力には遠く及びませんの。ただの――『空間移動』【テレポート】ですのよ」



 空間移動。
 黒子はA地点からB地点までの距離をノータイムで移動する事が出来る、学園都市でも希少な能力を有する。
 先ほど、立っていた地点から蛾々丸の背後に一瞬で回り込んだ黒子は蛾々丸に触れ、今度は蛾々丸の体を横向きに、地面にガラス細工を扱うが如くの繊細さで倒した。
 そして、蛾々丸が何が起こったのかを把握する前に細い金属の矢を移動させ、蛾々丸の服と地面を縫い付ける。
 わずか数秒。
 たったそれだけで、レベル5相手に猛威を振るった『不慮の事故』を持つ蛾々丸は拘束された。

「お姉様曰く、あなたはダメージをどこにでも押し付けられるのでしょう? ですが、こうして動けなくされただけのあなたに飛ばすダメージは無く、また拘束された、という立場を誰かに押し付けることはできない――そうでしょう?」

「……ッ!」

 正解だった。
 蛾々丸は自身へのダメージ、すなわち痛みや苦痛、はたまた心的外傷や精神圧迫までもをどこの誰にでも押し付けられる。
 こと単純な殺し合いにおいて、蛾々丸に勝利する方法はないと言っても過言ではない。
 だが、あくまで蛾々丸が押し付けられるのは『ダメージ』
 たとえば――誰かに『押さえつけ』られたりでもすれば、過負荷でその拘束を解くという事は出来ない。

「凄い……黒子、あんた……」

 美琴は驚く。
 黒子も優れた能力者、風紀委員であることは誰もが認める事実だ。
 だが、美琴が勝てないと感じた相手に勝利する、というのは驚愕と言わざる負えない。
 嘗て美琴が命を棄てて挑もうとした学園都市最強の怪物――第一位に挑んだ無能力者を見ているような気持ちになった。

「……あ、そうだ黒子、そいつ球磨川と関わりのある奴だから、たぶん何か情報を持ってるわ」

「……そうですの。とりあえず貴方にはゆっくりと風紀委員の支部でお話を聞かせてもらいますの」

「……」

 地面に縫い付けられている蛾々丸の雰囲気が変わる。
 猛々しい、粗暴な雰囲気と態度だったのが最初に美琴と会った時のような、大人しい雰囲気へと。

「やれやれ、相変わらず過負荷というのはつくづく勝てない存在です」

「……勝てない?」

「ええ、そうでしょう? 人よりも不幸で、人よりも報われない過負荷が勝負で勝てる事など殆どありません。故に私も勝ったことなど数える程もありません」

 最終的には必ず負ける、それが過負荷。 
 途中どれだけ優勢だろうと、結論だけ見てしまえば必ず敗北している、それが過負荷。
 レベル5を圧倒していても、最終的にはレベル4に圧倒される。
 そんな理不尽な結末に常にたどり着いてしまう、それゆえの過負荷だ。

「ですが、私から情報を聞き出そうというのはおやめになった方がよろしいかと。私にあらゆる拷問、責め苦は通用しませんからねぇ」

 くつくつと、蛾々丸は地面に張り付けられたまま笑う。
 確かに、蛾々丸はあらゆる苦痛、痛みを誰かに押し付けられる。自白剤や薬物効果などもどうせ誰かに押し付けてしまうのが目に見えていた。

「……とりあえず、彼はわたくしが責任を持って支部まで連行しますの。お姉様は病院で治療を受けてくださいまし」

「これくらい大丈夫よ、それに私も球磨川って奴を懲らしめてやらないといけない理由があるの」

「やれやれ、お姉様はいつも勇猛ですの」

 呆れたように黒子が言う。
 それはいつもの、ありふれた日常の中で見てもおかしくない光景。











 だが、そう簡単にめでたしめでたしに成程、最近のフィクションってのは甘くない。













漫画の世界はそう簡単には出来ちゃあいないんだぜ?











「あーらあら、やっぱり負けてるのね蝶ヶ崎くんは」

「!」

 声がした。
 美琴のものでも黒子のものでも蛾々丸のものでもない、新たな声。
 だが、美琴は聞き覚えがあった。
 先ほど聞いたばかりの声、先ほど別れたばかりの人物。



「アンタ……! 鶴喰鴎!」

「フルネームでご紹介ありがとう」

 相変わらず目を合わせない男、鶴喰は斜め下を向いたまま美琴達の方へ歩いてくる。

「アンタ、何するつもり?」

「いやね、ちょっと大事なお仕事でそこの蝶ヶ崎くんを助けてあげないといけないの。あーやだやだ、まともな大人が苦労する世の中のシステムってのは見直されるべきだよね」

 美琴は戦慄する。
 今の鶴喰の言葉が意味するところ、それはつまり――

















「鶴喰……! アンタも過負荷だったの!?」

「……想像にお任せするよ」

 ギロリと、鶴喰が初めて美琴と目を合わせた。
 その口元は怪しく歪んだ笑みを浮かべている。

「お待ちくださいまし」

 美琴と鶴喰の間に黒子が割って入る。
 その手には蛾々丸を地面に縫い付けてある金属矢が握られていた。

「あなたがアレを助けるというのでしたら、わたくしはあなたも一緒に連行しなければなりませんの」

「私を連行? 冗談じゃない、痴漢の冤罪じゃあるまいし、そんな不名誉な事私がやるわけないじゃない」

 黒子と五歩分程度の距離を置いた鶴喰が、ポケットに手を突っ込んだまま黒子の足元辺りを見ながら話す。

「どうしても私を連行したいというのなら、自慢の能力でやってご覧。ただし断言しよう、君の攻撃は私の体に掠りもしない」

 その様子は虚勢を張っているようには見えなかった。
 先ほど蛾々丸相手に黒子が勝利宣言をした時とまるで同じように、負ける可能性など存在しないとでも言うかのような態度。

(……)

 黒子は慎重に、鶴喰の様子を観察する。 

(武器を持っているようには見えませんの。ここからならば相手がどんな動きをしても、わたくしの空間移動の方が早い……どんな能力かは知りませんが、この方からも情報を入手させていただきますの)

 手に持った金属矢を改めて握りしめ、黒子は脳内で演算を開始する。
 時間にして一秒にも満たないわずかな時間、たったそれだけで黒子の頭の中で組み上げられた演算が、能力を発動させ――


 ダンッ! と何かを踏むような音が響いた。









「……ッ!?」

 黒子が苦悶の表情を見せる。
 いつの間にか鶴喰が、黒子の目の前に移動して黒子の足を思いきり踏みつけていたのだ。

(そ、んなばかな……! まさか、わたくしと同じく空間移動系能力……!?)

 鶴喰は学園都市製の超能力者ではない。
 今のも単純に、黒子が演算を終了し能力を発動させる直前に黒子の足を踏みつけ、その痛みで演算を強制ストップさせたに過ぎない。
 能力を発動されれば鶴喰は勝てない、ならば発動させる前に止めてしまえばいい。
 単純すぎる話、攻撃と言う名の防御。

 鶴喰はにやりと笑いながら、ポケットから取り出した『何か』を黒子の首筋に突き刺した。

「っ! 黒子!」

 美琴は慌てて鶴喰を黒子から引き離そうと、電撃を放つ準備をする――


 が、それも黒子の時と同じように、電撃を放つ直前に目の前に移動してきた鶴喰の軽い蹴りで美琴は地面へ倒され、能力を強制キャンセルされた。

「安心しなさい。私は毒物を打つような非道な真似をするキャラじゃないから。あれは私以外のもう一人からもらった薬、ええと……名前はなんて言ったっけ」

 手に持った注射器をくるくると回しながら鶴喰は呟く。
 
「ついでにアナタも面倒だから止めておくかな」

 鶴喰は反対のポケットから取り出した注射器を美琴の足へと突き立てた。
 針が筋肉を貫く鋭い痛みに美琴が顔を顰める、が、異変はすぐに現れた。

(……何、これ……?)

 痛みはすぐに感じなくなった。
 否、感じられなくなった。
 まるで頭に靄がかかったように、能力発動に必要な演算が行えなくなっていた。

「もともとは別の研究で使う予定だった薬なんだけど、ちょっと改良したみたい。学園都市の能力者はみんな頭で能力つかうから、対策取るのは簡単らしいね」

 鶴喰は喋りながら、蛾々丸の体を縫いとめていた金属矢を一本ずつ抜き取っていく。

「お……お待ちなさい!」

 よろよろと黒子が立ち上がろうとする、が先ほど鶴喰が打ち込んだ薬品のせいで頭が朦朧としているためか、能力を発動する気配は見えず、それどころか歩くのすら辛そうだ。

「静かにしてないと早く治らないよ。子供ってのは具合が悪くてもはしゃぐからやーだ」

 最後の一本を蹴って抜いた鶴喰、蛾々丸は服についた汚れを払いながら立ち上がる。

「いやはや、助かりました。やはり過負荷だけで荒事を収めるのは難しいようです」

「負け確定のキャラってRPGじゃ使いにくそうで嫌だね。……さっき連絡をしたけど、そろそろ戻ってきてほしいんだってさ」

「おや、そうでしたか。わかりました」

 鶴喰と蛾々丸、二人は肩を並べてその場から立ち去っていく。

「待ち……なさい……!」

 美琴は必死に二人を食い止めようとする――が、鶴喰は目を合わせないどころか振り返りもせず、こう言った。


「人吉くんと上条くんに伝えて頂戴」








「主人公ってのは、甘い役じゃあ無いんだよってね」






蝶ヶ崎蛾々丸
『不慮の事故』



 この能力は本編単行本で紹介されている通り、こちらから危害を加えなければとても無害で安全な能力だ。
 この子の前で偉そうにする、または明確に偉くなければ何の問題もない。
 ただし、彼の怒りに触れてしまえばそれはもうおしまいに近い、メンタルへの負担をすべて他人に押し付けてきた彼は尋常じゃないキレ方で襲い掛かってくるからね。
 『不慮の事故』はあくまで自分の受けたダメージを押し付ける能力であり、自分へのダメージをゼロにするわけでも攻撃を跳ね返すわけでもない、彼が『ダメージ』として認識したものを他者に押し付ける能力だ。
 だからこそ志布志ちゃんの『致死武器』によるダメージは彼に有効だったわけだ。まぁすぐに空いた古傷ごと他人に押し付けてしまえるがね。
 このSSでは白井ちゃんに拘束されている蛾々丸くんだけど、日之影くんに掴まれているのから逃げられなかったように、自分の『立場』を誰かに押し付ける事は出来ないっていうわけさ。
 地下に監禁でもされれば空腹、ストレス、苦痛、悲しみなどはすべてどこかに押し付けられるものの、脱出は出来ない。
 解放されるまで脱出する方法はないってわけさ、まぁ何の苦しみも感じずにただひたすらじっとそこに居るだけならば、実に安全で落ち着いた生活を送れるとは思うがね。
 もう少し詳しく説明すれば、『死』も押し付けられるというのは球磨川くんの『大嘘憑き』が死後に自動発動するのとほぼ同じで、『不慮の事故』の自動発動で死を誰かに押し付けるというわけだ。蛾々丸くんも同じように、死んでから生き返るんだよ。まぁ彼が生き返るという事はどこかで誰かがランダムで死ぬのだけれども。
 ちなみに地面に拘束されたストレスと圧迫感、服についた汚れへの苛立ちなどは近くを歩いていた今時漫画にも出てこなさそうな番長的ファッションをした少年に押し付けたそうだ。
 だがまぁ、彼は一切気にしている様子は無さげだったね。

投下してからわかるこの読みにくさ、安心院さんやさしくねぇっす。

と、言うわけで今日はここまでです。普通に能力解説を書くべきだったと今更の後悔。

次回から、表立った戦闘が始まった時にこのSSでの自分の能力設定を解説していきますので。


それでは次回は三日以内に、お疲れ様でした。

勝手に改蔵の最終回ですさまじいショックを受けた私にとって、今週のさよなら絶望先生は本当に絶望するものでした。



と、言うわけで投下に参りました。
今日派ある意味でかなり重要な内容更新になります、短めですけど。


それでは投下開始でございます。

 球磨川禊とフレンダ・セルヴェルンは親船邸へと戻ってきていた。
 先ほどファミレスにてレベル5第四位の麦野沈利に『一切の外傷無く』脱落させた球磨川は己の計画が恙なく進行している事に喜びを感じている。
 だが、ここで手を緩めるようなことはしない。
 どれほど優勢であろうと、最後に手を抜くものはただの幸せ者。
 過負荷【マイナス】のマイナスたるマイナスな作戦は何処までも幸せ者に這い寄って来る。

『さて、と。そろそろいい時間かな』

「んー? ああ、そういえば第一位が第二位と志布志にボコられてたんだっけ?」

『うん、そろそろココも嗅ぎ付けられそうだから移動しないとね。フレンダちゃんが「アイテム」が昔使っていたアジトを使ってもいいって言ってくれて助かったよ』

「別に構わないってわけよ。さーてと、第二位のヤツ、調子のりすぎて第一位殺してないでしょうね」


 二人は一方通行と垣根帝督と志布志飛沫がいる部屋の前までやってきた。
 中から聞こえるのは狂ったように笑う垣根の声、そして何やら肉を叩くような鈍い音にわずかに混じる湿ったような音。




『たっだいまー! 一方通行ちゃん、元気にしてるー?』



 球磨川は満面の笑みを浮かべながら部屋の扉を開ける。

 


 部屋の中は、さながら地獄のような光景だった。








 部屋の床、壁、果ては天井までもに赤い血が飛び散っている。
 球磨川が帰ってきた事にすら気づいていない垣根も全身を赤く染めているが、その血は全て返り血であり、血の持ち主である一方通行は白い髪をまるで染髪料で染めたかのように赤黒くしていた。
 一方通行の顔はもはや原型が分からぬほどに腫れ上がっており、腕や足、指なども本来ならば曲がらない方向へと無理やり曲げられている。
 破壊。
 もはやそれは暴力ではなく、破壊だった。

「ん、ああ球磨川さん、おかえりーっす」

 部屋の壁にもたれ掛り退屈そうにしていた志布志が球磨川に挨拶を返す。
 どうやら志布志は参加せず、傍観していたらしい。

「志布志は参加しなかったの?」

「あー、私はたまに一方通行の心の傷を全開にしてやっただけだぜフレンダちゃん。今の状態で一方通行の古傷開いたらマジで死にそうだし」

「確かに。でも球磨川が居れば死んでもどうにでもなるってわけよ」

『駄目だぜフレンダちゃん。死んでもいいだなんて人の命を蔑にするようなことを言っちゃ』

 良いセリフを笑顔で言いながら、球磨川は横たわり蹴り飛ばされ、ピクリとも動かず声も発さない一方通行へと近寄る。

「ははは! は……って球磨川、お前いつ戻ってきてたんだ?」

 興奮しているのか、顔がやや赤くなっている。
 一時間以上にもわたって一方通行に暴行を続けたせいもあるだろうが。

『さて、一方通行ちゃん』

「……」

 一方通行は返事をしない。
 目は虚ろで、焦点はあっていない。ギリギリ息はしているが、このまま放置すればすぐにでも死んでしまいそうだった。
 それでもまだ意識が存在しているのは志布志の過負荷によって心の傷を開かれ精神を無理やり覚醒させられたのと、暗部にて拷問や尋問を行う事が多かった垣根が意識を失わないように嬲り続けたからだ。

『……帝督ちゃん』

「あ?」

 球磨川はしゃがみこみ、一方通行の顔を覗き込んだ姿勢のまま背後に立つ垣根に話しかける。
 その顔が笑みを浮かべていることに、垣根は気づかない。

『良い仕事をしてくれたよ、帝督ちゃん。一方通行ちゃんは良い目になった。まるで精神と時の部屋で修業した後のようだぜ』

「仕事っつーか、俺はそこのクソボケを嬲っただけなんだけな」

『とりあえず、一方通行ちゃんの「怪我」を全部なかった事にしてあげなくちゃね。このままじゃあ動けないだろうから』

 そう言って、球磨川は一方通行の体にそっと触れた。
 すると、一方通行の怪我が見る見るうちに治癒していく。血で汚れた髪の毛や衣服すら、汚れや傷が『なかった事』にされて言った。

「相変わらず反則な能力だなおい」

 垣根が呑気に呟く。

「……」

 一方通行は、暫し倒れた姿勢のまま無言だった。
 一方通行の体にあった傷は『全て』なかった事にされた。
 それどういう事なのか、垣根にはまだ理解できていなかった。

「お、怪我が治ったって事ぁもう一回嬲っても大丈夫って事だよな? こりゃいいぜ、一方通行、テメェをボコボコにするのは最高のストレス解消に――




















 垣根の右腕が音速以上の速度で引きちぎられ、壁に叩きつけられた。

「……は?」

 あまりの速度、突然の出来事に垣根は何が起こったのか理解できなかった。
 ただ、唯一分かる事。
 それは、一方通行が顔をうつむかせたまま垣根の目の前に立っている事だけだった。

「……」

 一方通行は口を開かず、言葉を発しない。
 だが、その口元だけは。
 歪曲した笑みを浮かべている。

「テ、メェ……ッ!」

 垣根の背に六枚の白い翼が展開される。
 『未元物質』【ダークマター】
 垣根帝督を学園都市第二位たらしめる、この世の法則をゆがめる未知の物質。
 かつて一方通行の能力すらかいくぐったことのある、希少性と特異性という点では第一位の能力をも上回る特殊な能力だ。






 ――が。

「……ギャハ」


 それを、一方通行は掴み根元から引きちぎった。

「な……ッ!?」

 垣根の未元物質には一方通行が常時展開する反射膜をすり抜ける演算が組み込まれている。
 そもそも、未知の物質に含まれるベクトルなどそう簡単に解読できるわけがない。
 なのに一方通行は、常識破りの速度でそれを見破った。

(そもそもこいつは今能力を使えねぇはずだろうが! 球磨川がコイツの能力発動のためのチョーカーのスイッチをなかった事に……)


 そこで垣根は、気づく。
 球磨川禊のセリフ。
 一方通行の怪我を全てなかった事にした、という言葉の真意に。


「球磨川! テメェまさか……!」

『どうしたんだい帝督ちゃん、僕は「大嘘憑き」は使ったけれど、嘘はついちゃいないぜ?』

「ふざけんな! テメェ……!」











「一方通行の脳のダメージまで『なかった事』にしやがったのか!」









 嘗てとあるクローン個体を守るために一方通行が負った傷。
 一命は取り留めたものの、特殊なネットワークに演算補助をしてもらわなければ能力どころか普通の生活も送る事が困難になった一方通行。
 だが、その枷は外れてしまった。
 学園都市最強の怪物は、学園都市最低の過負荷として目覚めた。

「ギャハ、ハ、ハハッ、ていとくゥゥゥゥン……ありがとォよォ。俺のためにこンなに頑張ってくれてよォ……」

「クソッ! 球磨川! この馬鹿を何とかしやがれ!」

『……帝督ちゃん、お母さんにこんな言葉を習わなかったかな?』


 球磨川は優しく微笑みかけ、そして言う。



『人にやられて嫌な事を、他人にやっちゃいけないってさ』


 暴力の嵐が吹き荒れた。
 学園都市第一位は当たり前のように第二位の肉体と精神を荒々しく蹂躙する。





『おめでとう、一方通行ちゃん』

『これで君は立派な過負荷になれた』

『志布志ちゃんは過負荷で唯一勝ちを計算できる過負荷だけど』

『一方通行ちゃんは唯一「勝利」を得られる過負荷になった』

『学園都市最高の超能力を持つ学園都市最低の過負荷』

『そんな素晴らしい君に、一つだけ教えてあげるぜ』










『過負荷は、悪党だなんてぬるいもんとは比べ物にならないぜ?』

――
――――
――――――








「どうだったー?」

『うーん、正直無理っぽいねぇ。完全に心が折られちゃってるみたいだ』

 フレンダの問いに球磨川は困ったように返答する。
 一方通行の行った暴虐の嵐により、垣根帝督は心身ともに完全再起不能にまで追い込まれた。
 球磨川の大嘘憑きによって肉体の損傷と生命の喪失は『なかった事』にしたが、それでも精神面のダメージを球磨川が消すことはしなかった。
 そのせいで垣根は現在、壊れた人形のような状態になってしまっている。

「心の傷もどうにかしてあげればいいのに」

『人の心をスキルで弄るのは良くないからね。帝督ちゃんならきっと自力で立ち直ってくれるよ』

 さて、と球磨川はぐるりと部屋を見渡した。
 今この部屋に居るのは球磨川禊、志布志飛沫、一方通行、フレンダ・セルヴェルンに加え、先ほど目覚めた江迎怒江と戻ってきた蝶ヶ崎蛾々丸と鶴喰鴎。
 そして、もう一人。

『どうだった?』

「あー、どうにも肉体の作りにそこまで目立った変化はねーんだよなー。俺に見抜けねーってんだから誰かに見抜けるとは思えねぇよ」

 それは奇妙な格好をした少女だった。
 顔を包帯でぐるぐる巻きにして口元と左目以外の部分を隠している、さらに顔にはナイフのようなものが刺さっている。
 彼女の名は名瀬妖歌、またの名を黒髪くじら。
 生物分野において世界的権威である人体のスペシャリストだ。

『それは残念だなぁ。でも仕方がないよ、僕が探しているものはどう考えたって普通じゃあないからね』

 名瀬と球磨川が話している間、江迎は新たにメンツに加わっている一方通行に目をやった。

「……」

 一言もしゃべらず、一方通行は何処を見ているのかわからない、しかし視線だけで人が殺せそうなほど獰猛な目をしている。
 球磨川とも、志布志とも、蝶ヶ崎とも違う過負荷。
 恐怖だとか、嫌気だとか、気持ち悪さだとか、そう言った感情よりもまず先に原始的な恐怖を相手に感じさせる一方通行という新たな過負荷を、球磨川はとても気に入った様だ。

『おっと、そういえば紹介してなかったね。彼が一方通行ちゃん、学園都市で最低の過負荷だ』

「……」

『一方通行ちゃん、どうだい? レベル5第一位なんてエリートの立場に追いやられていた昔と、過負荷としての自覚を手にした今、気分は』

「……そォだなァ」

 一方通行は笑みを浮かべる。
 それは球磨川の笑みの悍ましさに匹敵する恐怖を与える笑みだ。

「胸糞悪くて、かったるくて、クソみてェな気分だが、妙に頭がすっきりしてやがる。そォか、これがクソッタレに相応しい世界ってわけか。ク、クカカカカ」

『いいねいいねぇ、最低だねぇ。一方通行ちゃん、やっぱり君は過負荷として生きるのが一番合っている逸材だったよ。おそらく君は志布志ちゃんのように過負荷の中でも唯一「勝ちが見込める過負荷」……いや、「勝てる過負荷」だ』

 勝利。
 それは過負荷から最も遠い存在だった。
 だが、一方通行は勝てる。
 学園都市最高の頭脳、学園都市最高の超能力、そして学園都市最低の過負荷として目覚めた一方通行を止められるものは物質的にも精神的にも、もはや存在しない。

『これでいい。これで僕達の計画の半分は成功だ。人材は集まった、後は僕達を更なるマイナスの低みを目指そう』

「おいおい球磨川の旦那、俺にわからなかったモンをどうにかするつもりか?」

『心配いらないよ妖歌ちゃん。僕も安心院さんから聞くまでは半信半疑だったけれど、どうやらそれは実在するらしいからね』

「どンなもンかは知らねェが、俺が取ってきてやろォか? 邪魔な奴は問答無用で愉快なオブジェにしてやるよ」

『頼もしいね。でも僕達が求めるのは物じゃあない。……そうだね、ちゃんと説明をしなきゃね』

 球磨川は名瀬から資料を受け取り、それに目を通す。
 望んだ回答が手に入ったわけではないが、球磨川はご機嫌だった。

『さて、みんな。みんなは「魔術」って知ってる?』

「……魔術?」

 フレンダが頭の上に?マークを浮かべる。
 魔術。
 それは学園都市の象徴である科学と対をなす、世界のもう一つの法則。
 
『そう、ホイミやメラみたいなわかりやすい奴だけじゃなくて、この世には魔術が存在するんだよ』

「……本当に存在していたんですねぇ」

 蛾々丸がつぶやきながら一方通行を見る。
 魔術師と言われたのに蛾々丸はキレたのだが、どうやらあの時の一方通行はふざけたわけではないようだ。
 だが、蛾々丸は気にしない。
 身の回りに起こる理不尽な不幸など、所詮は不慮の事故なのだから。

『魔術は才能のない人のための技術だ。たとえばフレンダちゃん、君はレベル0だ。超能力の才能はなかったという事になる。けれどもし最初に魔術に手を出していたならば、君はすごい魔術師になっていたかもしれないんだよ』

「な、なんだってー! って驚いてみるけど、まぁもうどうしようもない事だし仕方がないってわけよ」

『能力者に魔術は使えない。だから残念だけど一方通行は魔術師にはなれないんだ』

「構わねェよ。別に魔術なンざ必要ねェしな。……まァ、使えないってわけじゃァなさそォだが」

 ボソリと一方通行は呟く。
 嘗て、クローンの少女を救うために一方通行が全身から血を流しながら奏でたあの歌は紛れもなく『魔術』なのだ。

『まぁいい。科学サイドの過負荷として一方通行ちゃんを手に入れたから、科学サイドでほしい物は手に入った。だから僕達が次に手に入れる物は、魔術サイドにある』

「何だ? もしかしてザキみたいなえげつない呪文か?」

『いいや、違う。けれどえげつなさはザラキよりもメタバニよりも凄いぜ』

「もったいぶらずに教えてほしいってわけよ」

『せっかちだなぁフレンダちゃんは。でも特別に教えてあげよう』

 ウインクしながら、球磨川は手に持っていた資料を床にぶちまける。








『魔術は才能がない人が才能ある人に対抗するために生み出されたものだ』

『つまりは、幸せ者に不幸者が仕返しするためのもの』

『だから、僕達過負荷のために存在するような最低の代物だ』

『その中でも、最低に過負荷な魔術がある』

『それさえあれば、志布志ちゃんも蛾々丸ちゃんも江迎ちゃんも、僕ですら戦いに「勝てる」かもしれない』

『醜悪で、自己嫌悪に浸れて、なお幸せ者だけに仇なせる最低の魔術』

『それが僕達が魔術サイドで求める物だ』

『その、魔術の名前は――』
















『「天罰術式」、っていうんだ』















今日はここまでです。

めだか勢(多分)最後のキャラと、球磨川の目的の一つが明らかになりました。


そして次回なのですが、一週間ほど出かけなければならなく……次回更新は来月の頭付近になりそうです。
少しの間、間が開いてしまいますが、どうかお待ちください。

それでは、また次回、ありがとうございました!

今更だけど「勝てる過負荷」ってもう過負荷じゃ無いよね?
どんなにチートで強そうに見えても、何故か最終的に負けるのが過負荷でしょ?

飛沫ちゃんが「憎武器」全開で、てくてく一日中散歩するだけで、学園都市壊滅するんだよなぁ

ほんまチートやでぇ

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