女「こう蒸し暑くてはね」(100)
男「それで浴衣ですか」
女「いいだろ?」
男「最高です」
女「ふふ。君も着るかい?」
男「いえ、そんな…」
女「実はもう用意してあるのさ」
男「手回しがいいですね」
女「ふふっ。さ、上がってひとっ風呂浴びたまえ。暑かったろ」
男「ええ、急に夏になったような」
女「まったくね」
男「それじゃ、おじゃまします」
女「いらっしゃい」
男「……」
女「おーい」
男「…え、あ。はい?」
女「浴衣、かごの中に入れとくよ」
男「ああ、ありがとうございます」
女「ふふ」
男「……なんですか?」
女「や、のぞいていいかい?」
男「…覗きたいんですか?」
女「さあてね」
男「……」
女「ふふ……じゃ、ごゆっくり」
男「おまたせしました」
女「……」
男「…なんですか?」
女「……うん。やっぱり君は和服が似合うね」
男「そうですか?」
女「実はそうなんだよ」
男「はあ」
女「うん。惚れなおした」
男「なにいってんですか」
男「でもまあ、浴衣ってさらさらしていて気持ちいいですね」
女「そうだねえ、やっぱり……あ、そうだそうだ」
男「なんですか」
女「どうせそれ、もう君くらいしか着るあてのないものだし、もって帰ってくれていいよ」
男「いえ、そんな……それに」
女「それに?」
男「ここで着るからいいんですよ」
女「…ふうん。じゃあたびたび涼みにおいで」
男「ええ、お邪魔しますよ」
女「ふふ。そうしな」
男「……うー」
女「つかれた声をだすね」
男「いえ、こう……畳に座るとつい」
女「ふふっ」
男「なんかこう落ち着くというか…」
女「そんなもんかねえ」
男「そんなもんですよ」
女「はい、麦茶」
男「あ、どうも」
女「うん」
男「……んっ……んっ……ふぅ」
女「……」
男「湯上りにはしみますね」
女「おっさんくさいぞ」
男「ほっといてください」
女「……」
男「……」
女「…しかし、あついね」
男「ええ」
女「そろそろ開けないものかねえ」
男「梅雨ですか」
女「うん、梅雨」
男「もうそろそろじゃないですか?」
女「ま、今日は真夏日だものね」
男「ええ」
女「……」
男「……」
女「……」
男「……」
女「…ただ暑いのはいいんだよ、カラッとお天道様が晴れてさ」
男「はあ」
女「暑いのは暑くても気持ちいいじゃないか」
男「……」
女「それがなんだい、ここのところ寝ても覚めても曇り空じゃないか」
男「まあ…」
女「毎日毎日蒸し蒸しじめじめ、べたつくったらありゃしない」
男「……」
女「雨は雨でしとしとじとじと陰気に降りやがってさ」
男「……」
女「しまいにゃ身体にカビが……ってどうしたね?」
男「…いえ、なんでもありません」
女「まあ、こうして畳に転がることくらいしかすることがないんだね」
男「……ひんやりしてきもちいいですね」
女「ああね」
男「……」
女「……」
男「……」
女「……」
男「……どうしたんですか?」
女「…しゃべりすぎて疲れた」
男「でしょうねえ」
女「……」
男「……」
女「……」
男「…あー」
女「…ん?」
男「…いえ、なんでも」
女「んー…」
男「……」
女「……」
男「……」
女「……」
男「……」
女「……」
男「……」
女「……」
男「……」
女「……あ」
男「…どうしましたか」
女「や、寝かけてた」
男「…たしかに、眠たいですねえ」
女「…うん」
男「……」
女「ん…む。起きよう」
男「おきるんですか?」
女「小腹がすいた」
男「ああ」
女「それに、せっかく君が居るのに寝てばかりではね」
男「はあ」
女「ちょっとなにかつまむもの、探してくるよ」
男「いってらっしゃい」
女「や」
男「早かったですね」
女「まあねえ」
男「なにか見つかりましたか?」
女「ぬれ煎餅」
男「お…」
女「か、湿気た煎餅」
男「……どっちですか」
女「似たようなもんだろ。ん、うまい」
男「はあ」
女「汗をかくとほら、塩気がね」
男「ま、そうですけど…」
女「なにかいいたそうだね」
男「いえ、やっぱりこれ湿気たおかきでしょう」
女「ばれたか」
女「……」
男「……」
女「…しかしあれだね」
男「なんですか?」
女「からいものをたべていると、あれだね」
男「…のみたいんですね、お酒」
女「だめかい?」
男「ご相伴しましょう」
女「そうこなくちゃ」
女「最初はどうしようか」
男「うーん、こう暑いと…」
女「ビール?」
男「ですかねえ」
女「ほれ、君の」
男「どうも」
女「じゃ、台所で何だが、乾杯」
男「かんぱーい」
女「……ふぅ」
男「……ぷはっ」
女「たまらんね」
男「ええ」
女「じゃあ、君は、これとこれをもって先に戻るといい」
男「ひとりでですか?」
女「わたしはちょっと用意してからいくよ」
男「なにか手伝いますよ」
女「君がここにいたら、つくるそばから食べてしまうだろ」
男「そんなことしませんよ」
女「わたしが、だよ」
男「はあ」
女「わかったらその浅漬をもって帰りたまえ」
男「…しかたないですね」
女「あ、そうだ。蚊取り線香おねがいしていいかい?」
男「縁側に」
女「うん。たのんだ」
男「はい」
男「……」
女「黄昏れてるね」
男「ちょっとだけですよ」
女「待たせてわるかったね」
男「いえ、飲んでましたから」
女「おや、空いてるね」
男「ええ、さっき」
女「もう一本、いかが」
男「いただきます」
女「はい」
男「……」
女「なにを見ていたんだい?」
男「あれ」
女「ああ、あの紫陽花か」
男「もう朽ちかけですね」
女「そうだねえ」
男「ええ」
女「このくらいが一番好きだな」
男「はあ」
女「雨に濡れてるのもいいけどさ」
男「梅雨の風物詩みたいなもんですものね」
女「ああね」
男「しじみ蝶なんかに喩える人もいましたっけ」
女「誰だい、それ?」
男「ええと…」
女「……」
男「……失念しました」
女「ふふっ」
男「うーん…」
女「しじみ蝶ねえ。ま、たしかに」
男「みんなぱっと飛びたったらずいぶん寂しいことになりますね」
女「そうだねえ」
男「ま、じっと我慢してくれたみたいですけれど」
女「こうして朽ちるまでしがみついてるんだ。律儀じゃないか」
男「ええ」
女「……ん」
男「どうしました」
女「いや、一雨来そうだ」
男「ああ」
女「夕立かな?」
男「そうすると、もう梅雨はおしまいですね」
女「それもそれで寂しいもんだ」
男「あんなに愚痴ってたのに」
女「まあねえ」
男「お」
女「光ったね」
男「雷ですか」
女「嫌いかい?」
男「そうでもないですよ」
女「なあんだ」
男「…なにを期待してたんですか」
女「いやあ、怯えてしがみついたり…」
男「そんな、子供じゃあるまいし」
女「かわいいじゃないか。ちぇ」
男「とはいえ…っ」
女「きゃっ」
男「……」
女「……」
男「…落ちましたね」
女「…ずいぶん近くだ」
男「……」
女「……なんだい?」
男「いえ」
女「あー…そろそろ、本腰入れてのむかね」
男「そうですね」
女「ん。運ぶの、手伝ってくれ」
男「わかりました」
女「……」
男「……」
女「…と、それと」
男「これで、全部ですか?」
女「ああね」
男「じゃ、もっていきますね」
女「酒はこれでいいかい?」
男「お任せしますよ」
女「あいよ」
男「……」
女「それじゃ、乾杯」
男「乾杯」
女「……」
男「……ふぅ」
女「さあて」
男「いただきます」
女「いただきます」
男「んむ……」
女「……ん」
男「こりゃ、うまいです」
女「そりゃよかった」
男「これは…あ」
女「おお」
男「いきなり、来ましたね」
女「夕立だね」
男「これは、ずいぶん…」
女「やあ、滝みたいだねえ」
男「……」
女「洗濯物、忘れてたろ」
男「…わかりますか」
女「まあねえ」
男「……」
女「ま、そう気を落とすなよ」
男「しかた、ないですものね」
女「ああね」
男「……」
女「……ん、絶品」
男「…茄子、久しぶりに食べました」
女「そうかい?」
男「ええ、こんなに美味しいものだったかと」
女「これは暑くなるとうまくなるのさ」
男「そんなもんですか」
女「ああね。焼き茄子のほかにも揚げ出し、煮浸し、冷やし汁、田楽…」
男「茄子、好きなんですね?」
女「まあね」
男「はあ」
女「じゃあ夏の間はなすび尽くしといこうか」
男「楽しみにしておきます」
女「ふふ、わたしも腕がなるね」
男「む……うん。うまいです」
女「ふふっ」
男「…と、これは?」
女「おくらのおろし和え」
男「へえ」
女「…鮎の一夜干しに、冷奴」
男「こっちは鮎ですか」
女「実家から届いてね」
男「いいですね」
女「本当は今年もつりに行きたかったのだけれど」
男「ああ、忙しそうでしたものね」
女「ちょっとね」
男「おつかれさまです」
女「君もね」
男「…乾杯です」
女「かんぱぁい」
男「……ふー」
女「食べたねえ」
男「ええ。ごちそうさまでした」
女「おそまつさま」
男「かたづけます」
女「ん。手伝ってくれ……お」
男「ああ、晴れましたね」
女「まったく。本当に夕立だ」
男「夏ですねえ」
女「すこしは涼しくなったね」
男「雷さまさまです」
女「この後は縁側にでようか」
男「そうしましょう」
女「ん」
男「はい、これでおしまいです」
女「ん、ありがとう」
男「……」
女「……」
男「お次はなんですか?」
女「んー、おなかは?」
男「割りと」
女「じゃあお漬物くらいでいいかい?」
男「素敵です」
女「それと、とびきり辛口のですっきりしようか」
男「ええ」
女「ふふっ」
男「はい?」
女「いや、なに。たのしくなってきたのさ」
男「…まだ夕暮れですか」
女「日ものびたね」
男「ええ」
女「ま、飲もうか」
男「はい」
女「……」
男「……」
女「ん」
男「ふうりんですか」
女「あっこの木に吊るしてるんだ」
男「どうりで」
女「ん?」
男「さっきは聞こえなかった」
女「ああね」
男「……」
女「……」
男「……」
女「…蚊取り線香っていいよねえ」
男「まあ、蚊は困ります」
女「ちがうよ。匂い」
男「匂い?」
女「いい匂いじゃない?」
男「夏っぽいですけれど」
女「ん。それが好き」
男「そうですか」
女「うん」
男「……」
女「……」
男「……」
女「……」
男「……ずいぶん暗くなりましたね」
女「そうだねえ」
男「……」
女「あ、そうだ」
男「どうしました?」
女「せっかくだし灯をいれよう」
男「はい?」
女「ちょっと待っててね」
男「はあ…」
女「ふふっ」
男「……」
女「ほら、これこれ」
男「ロウソクですね」
女「ふと思い出したのさ」
男「はあ」
女「暗くなったら灯りをつけないといけないんだよ」
男「まあ、そうですけど……って」
女「ちょっと待っててな。庭用のサンダル一人分しかないんだ」
男「はあ…」
女「ほうら、ついた」
男「おお」
女「いいだろ、これ」
男「風流ですね」
女「石灯籠、たまには使ってやらんとね」
男「いいもんですね」
女「そうだねえ…っと、ただいま」
男「おかえりなさい」
女「ん、いい景色だ」
男「しかし、あんなものまで置いてあったんですね」
女「ああ。祖父の趣味が庭いじりでね」
男「へえ」
女「ま、わたしはさっぱりなんだが」
男「はあ」
女「あの人もあの紫陽花が好きでね。ふと、思い出した」
男「……」
女「まあ道楽者の祖父だったさ」
男「そうでしたか」
女「ああね。ま、わたしも可愛がられたせいか、いらんところが似てしまったがね」
男「いいじゃないですか。素敵ですよ」
女「ふふ、そうかい。ありがとう」
男「……」
女「……」
男「静かな夜ですね」
女「虫はまだ鳴かないね」
男「ああ、だから」
女「うん」
男「……」
女「……」
男「……と」
女「お、注ごう」
男「すみませんね」
女「ふふ……」
男「……とと」
女「ん」
男「もう少し、ですか?」
女「ん、もう少しのこってる」
男「……」
女「……」
男「……」
女「…夜だってのに」
男「ええ」
女「暑いねえ」
男「ええ」
女「……」
男「……」
女「…ほら」
男「あ」
女「……」
男「……汗、かいてますね」
女「この暑さではね。じっとり……うん」
男「……」
女「……きみは、涼しいな」
男「そうですか?」
女「ん」
男「……」
女「……」
男「……」
女「……」
男「……」
女「ふふ」
男「……」
女「どれ、一汗ながそうか」
男「今から、ですか?」
女「ちょうど酒も尽きた」
男「はあ…」
女「今日は泊まってくだろ?」
男「はあ」
女「実はもう布団も敷いてあるんだよ」
男「手回しのいいことですね」
女「まあねえ」
男「いやはや…」
女「ふふっ」
男「……」
女「……」
めでたしめでたし
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