モバP「幸子って可愛いよな」(90)

長時間続いた収録がようやく終わりを告げた。芸人並みの無茶もやらされ、身体的にも精神的にも疲労しきっている。
けれど、それを少しも表に出さない笑顔を作り、他の出演者やスタッフさん挨拶をした。
最後に挨拶をしたスタッフさんは、ボクのファンだと興奮しながら言う。

「挨拶してもらえて感激です!!あのっ、握手してくれますか!?」

「ふふっ、ボクが可愛すぎるせいで大変ですね。良いですよ、握手してあげます」

「うぉぉぉっおお」

ボクが手を出すと、その手を見つめて悶えだす。
少し気持ち悪いけど、こうやってボクの事を応援してくれる人に会うと嬉しくなる。
ああ、良かったなって。
努力してアイドルになって、よかったなぁって嬉しくなる。

スタッフさんに挨拶を終えると、ボクはスタジオの隅にいるプロデューサーさんの元に行った。

「おつかれ」

「今日のボクはどうでしたか?まあ、聞くまでもなく完璧でしたね」

プロデューサーさんは、背伸びした子供をみているように、優しく微笑んだ。そうして、ボクの頭を少し雑に撫でる。

「そうだな、幸子は今日も完璧だったよ」

いつもボクがプロデューサーさんに褒めてもらおうとすると、プロデューサーさんはそれを見透かしたように苦笑しながら褒めてくれるのだ。

少し恥ずかしいけど、それでも嫌ではなかった。
プロデューサーさんに褒められると気分が良いのだ。今日の疲れなんてふわっと何処かに消えてしまい、また明日も頑張るぞといった気持ちでいっぱいになる。

「それじゃあ、今日はご褒美に何か食べに行くか?」

プロデューサーさんとボクと2人で仕事の終わりを迎えると、必ずそう言って何処かへ食事に連れて行ってくれる。

「仕方ないですね、可愛いボクと食事が食べたいのですか?プロデューサーさん、今日は特別ですからね」

「ありがとう」

そう言って、プロデューサーさんは苦笑した。

********

「おお、これがモスバーガーですか」

「そうだ、俺の大好物だ」

先週に連れて行ってもらった場所も、ハンバーガー店だった。
マクドナルドという、何度も名前は聞いた事のある店だ。
行ってみたいと前々から思っていたけれど、機会が無くて行ったことは無かった。
なのでマクドナルドは、ボクの中で少し憧れの存在になっていた。
しかし、憧れの店マクドナルドで出されたハンバーガーは、とても粗雑なものだった。
味も想像していたものよりも、ずっと安っぽかった。まあ、実際に安いのだけれども。
とにかく、ボクの憧れは見事に裏切られたのだ。

そんなボクにプロデューサーさんが言ったのだ。

「モスバーガーって、知ってるか?」

「・・・名前は」

「今度はそこに行こう。モスバーガーは俺の大好物だ、きっと幸子の期待に答えてくれる」

「・・・本当にプロデューサーさんの大好物ですか?」

「ああ、大好きだ」

「・・・しょうがないですね。プロデューサーさんが自分の大好物を、ボクに食べて欲しくて堪らなさそうなので食べてあげましょう!」

そうして、現在に至るのだ。
確かに手にしているモスバーガーは、どことなくマクドナルドのよりも美味しそうな気がする。
ただのプロデューサーさんの大好物だという、前提のせいかもしれないけれど。

「はむっ」

「どうだ、うまいか?」

「・・・おいしいですっ」

「そうか、そうだろう」

「どうかしたんですか?ボクの顔を見てニヤニヤして。何かボクの顔に」

「ソースがついてるぞ」

「えっ!!」

本当に何かが付いてるとは思わず、驚いて赤面する。
慌てて紙ナプキンで顔を拭う。

「どこっ?どこですか、どこについてますか?プロデューサーさん!」

恥ずかしくて俯いたまま尋ねた。
慌てるボクの頭を、プロデューサーさんは撫でる。
プロデューサーさんの顔を伺うと、少し意地悪く笑っている。

「もしかして、・・・騙したんですか。プロデューサーさん?」

「幸子は可愛いなぁ」

「ボクが可愛いのは当たり前です!ボクを弄るのはやめて下さい!!」

「幸子は可愛いけど、弄るともっと可愛くなるんだよ」

「・・・本当ですか?」

「本当さ」

「・・・しょうがないですね。ボクが可愛いせいですから、許してあげましょう!」

「ありがとう」

プロデューサーさんは、なぜか苦笑するのだった。

********

「何度見ても、でっけえなぁ。あれだな、家と言うよりも館って感じだな」

「ふふ、ボク程可愛い娘にはこれぐらいの家が必要なんですよ」

「じゃあ幸子の旦那さんは、大金持ちじゃないといけないな」

「えっ、・・・いや、そんな事は無いです!あれっ、他に補う程のものがあればいいじゃないですか!!」

「そっか」

プロデューサーさんは苦笑いをした。

「そうですっ!そんな事もっ、分からないなんて馬鹿ですか!!

「はは、賢いな幸子。じゃあな、また明日な」

プロデューサーさんは、車を発進させる。車が角を曲がり見えなくなるまで、後ろからぼうっと眺めていた。
見えなくなってもしばらく眺めていた。

溜息をして、後ろを振り向く。本当に大きな家だ。
この家がボクに与えてくれるのは、安心感ではなく大きな圧迫感だ。
門を開けて敷地内に入る。
ゆっくりと玄関へと歩いて行く。庭に咲いた花を眺めながら、出来るだけ時間をかけて進んで行く。
玄関を開けて中に入ると、父が居た。大きくて真赤なソファーで新聞を読んでいる。父を見て、身体に緊張が走る。

「あれっ、お父さん今日は仕事が早く終わったのですか?」

「あぁ、お前は学校の帰りか」

父は、こちらに視線を向けないままで尋ねた。

「・・・いえ」

父はこちらを一瞥したけれど、すぐに視線を戻した。そして、そのまま黙ってしまう。
自分の部屋に行こうと背中を向けると、父が呟く。

「お前には、失望させられてばかりだ」

ボクは気付かないふりをして、歩いて行った。

*******

その日、ボクは夢を見た。
夢の中のボクは、不機嫌な顔をして街を歩いている。
歩いているうちに辿り着いた場所で、ブランコに座っている。
そんなボクの前に、ヘラヘラとした顔の男性が現れた。

「君、可愛いね?」

「えっ、な、なんですか?いきなり」

ボクは、慣れない言葉のかけかたをされ、戸惑っている。

「アイドルにならないか?」

「え?」

********

「んー」

懐かしい夢を見た。初めてプロデューサーに会った日の事だった。
プロデューサーが夢に現れた、その事がなんだか嬉しくて口もとが緩む。
時計を見ると、朝の五時だった。

「んぅー」

眠い目を擦りながら、ベッドから出る。机の前に座って、ノートを机の引き出しから取り出した。

「ねむぅぃ」

眠たいけれど、頑張って勉強しないと。ただでさえアイドル活動のせいで、あまり学校に行けないのだから。

********

「おはよ、う・・・ございます」

「おお、・・・おはよう」

「んぅ、おはよう」

「あの、・・・違うぞ幸子」

朝の勉強を終えて、事務所にやって来たボクを迎えたのは、ソファで杏さんを押し倒しているプロデューサーさんだった。

「何が違うんですか?」

「これはっ、事故なんだよ!」

プロデューサーさんは必死に弁解をする、杏さんの上で。

「いいからっ!は、や、くっ降りて下さい杏さんの上から!」

「あっ、すまん」

杏さんは一瞬、名残惜しそうな表情を浮かべた気がした。多分勘違いだろうけど。と言うよりも、勘違いであって欲しい。
プロデューサーさんは、礼儀正しくビシッと背筋を伸ばしてソファーに座る。

「でプロデューサーさん、一体どのような事故で?」

「はい輿水さん、これは実に単純な話でして・・・」

「幸子ですっ!なんで急に輿水なんですか!?」

急によそよそしい態度を取られて、つい過剰に反応してしまった。プロデューサーさんは目を丸くして、杏さんは何かを察したようににんまりと笑っている。

「・・・幸子さん」

「さん、もいりません」

「・・・幸子、俺はただ足を滑らせて、たまたま杏を押し倒す形になったんだ。そして、タイミング良く幸子が入ってきたんだ」

「本当ですか?大体、杏さんがこの時間にいるなんておかしいですよ」

数分の遅刻で来る時ですら、ものすごく珍しいというのだ。皆が来るよりも早く来るなんておかしいじゃないか。

「へへっ」

という事はよっぽど大事で皆に見られたくない用事があって、杏さんは事務所に朝早く来たのだろう。
あれ、という事はもしかして、最初から事務所でこんな事をする為に、2人は朝早く事務所にきたのかな。という事は、同意の上で、つまり、つまり2人はそういう事で。

「どっ、どうした?急に俯いて?」

「何でもっ、ない」

プロデューサーさんに顔を見られないようにと俯いた。けれどプロデューサーさんは、ボクの顔を見ないでもボクが隠している事に気付いてしまう。

「えっ、、?泣いてる?」

気付かれてしまった、そう思うと何故か涙が止まらなくなった。

「・・・っ、なんっでぇ?」

プロデューサーは急な事態にうろたえる。

「えっ?なんでって、何がぁ!?」

「ボっ、ボクの方が、プロ、デューサーさっ・・・えっぐ」

「え?ええ!?」

只々泣いてばかりのボクの前で、只々うろたえてばかりのプロデューサーさんの横で、杏さんは言った。

「杏に説教する為に、プロデューサーが杏を呼んだんだよ」

「ひっく、そ、それっホント?」

プロデューサーさんは、まだうろたえながらも答える。

「あっ、ああ本当さ。杏がちゃんと来てくれたのは少し驚いたけど」

「だって、杏と2人で話したい事があるって言うから・・・」

杏さんの言葉に、ボクは思わず眉をしかめた。

「2人で?」

ボクが泣き止むに連れて、プロデューサーも落ち着いて来る。だいぶ冷静になったプロデューサーが、口を開く。

「仕事の話だ」

「ホンット、プロデューサーに騙されたー」

杏さんは、気だるそうにウサギの縫いぐるみを抱きしめる。
ボクはまだ疑問に思うところがあり、プロデューサーに尋ねる。

「話って?」

「言えない」

「言えないような事を話してたんですねっ」

「分かったから、拗ねるな、泣くな」

プロデューサーは一つ溜息をついてから、話し始めた。

「杏に努力しろって言ったのさ」

「それなら、別に皆の前でも」

「それと、俺は杏を本気でトップアイドルにするって」

プロデューサーの言っていることが、いまいち理解できない。
その短い言葉の中には、色々と不可解な言葉がある。

「本気でって」

「ああ、別に今までも本気だったさ。だけど今まで以上に本気でっていう事だ」

そして、それ以上に理解できない。いや理解したくない、受け止めたくなんかない言葉が。

皆の前では言いづらい、その言葉から察するに。

「杏さんを?それって、杏さんだけを・・・」


プロデューサーは、幸子の目をまっすぐと見つめながら答える。

「ああ、杏だけだ」

何で。どうして。ボクは一体どうする気なの。色んな感情が押し寄せて、何を話せば良いのか分からなくなる。
そんなボクを見てプロデューサーは、話を続ける。

「俺はこれから、杏だけをプロデュースする。他のアイドルは新しく来る人達に担当してもらう。これは社長と話して決めた事だ」

ボクのプロデューサーがプロデューサーさんじゃなくなる?そんなの。

「意味がわかんないです」

「なあ、お前達は皆素敵だし凄い。けれどな、その中でも抜け出て来るやつがいるんだ。それが杏だ。杏なら本当に1番を取れるんだ」

「ボクだって、出来ますよ!」

つい前のめりになって叫んでしまった。プロデューサーは、怯む事なくまっすぐこちらを見つめている。

「無理だ」

プロデューサーは苦しそうに、身体から捻り出すように声を出した。

「確かに、幸子は可愛いし才能もあるさ。今だって人気アイドルだ。でも、これ以上はない」

プロデューサーの出す言葉1つ1つに、心を揺さぶられる。

「1番にはなれないんだ」

プロデューサーの向ける視線で、心が切り裂かれる。

プロデューサーが何かを言っているが、もう耳に入ってこない。

ボクは思わず事務所を飛び出した。

*******

ベッドの中でうずくまる。何も考えたくないけれど、どうしてもプロデューサーさんの言った事を考えてしまう。

ボクには無理だ

まさか、プロデューサーさんからこんな事を言われるだなんて思いもしなかった。
そうやって布団の中で泣いていると、誰かが部屋をノックした。
この家でボクの部屋がノックされる、こんな事態は初めてでどう対応していいか分からなくなった。
悲しい気持ちを少し忘れてしまい、動揺して心臓の鼓動が早くなる。。そしてボクは恐る恐る「はい、どうぞ」と返事をした。

ガチャリと音を立てて入って来たのは、父だった。
身体が石像にでもなったかのように硬くなる。
父は怪訝そうにボクに尋ねた。

「何でこんな時間にいるんだ?」

何も言えないでいると、父は呆れた目でボクを見た。

「ホントに、お前は。・・・もう、アイドルはやめなさい」

「えっ!でもっあの、・・・嫌です」

「そうか、なら・・・出て行きなさい」

「はい?」

「この家を出て行きなさい」

そして父は部屋から出て行った。



幸子が泣きながら事務所を出て行った。俺はソファーから、幸子か飛び出した事務所の扉を眺めている。

「後を追わないの?」

杏が心配そうに言う。

「追っても、何を話すんだよ。傷つけるだけだ、幸子が喜ぶ事なんて何も言えない」

「・・・別にさ、杏は」

「駄目だ、社長の指示だからとかじゃないんだよ。俺だってお前をもっと上に行かせたい」

「だからさ、杏がそれを望んでないんだよ?誰も得しないじゃないか」

「お前は、天才なんだ。才能があるんだから、才能を活かせよ。それが天才の義務だと思うぞ」

「権利じゃないの?」

「義務だ」

「別に杏は、好きで才能を持ってる訳じゃないんだよ?」

「はは、俺だって好きで凡人でいるわけじゃないぞ」

そうさ、好きでなっている訳じゃない。なれるのならば、天才になりたかったさ。

「杏は、皆が欲しくてたまらないモノを持っているんだ。それをいらないだなんて言わないでくれよ」

皆という具体的な例は俺だ。
俺は天才になりたかった。1番が欲しかった。
欲しくて欲しくて、たまらなかった。それを手に入れるために、何でもやった。馬鹿みたいに努力したし、多少の汚い事だってやった。それでも、手に入れる事はできなかった。

*******

山のように積まれた書類を、少しずつ処理していく。書き終わった書類も山のようにあるが、それ以上に大きな書類の山が残っている。

「んーあーっ」

背筋を伸ばすついでに、腕時計を見た。正午を過ぎている。
幸子は飛び出したままだ。
そろそろ連れ戻さないと、夕方から始まるラジオの収録に間に合わなかなってしまう。
そういえば、幸子はいつも事務所に朝早く来るよな。
オフの日ですら朝早くに来る事がある。前に「行ける時はちゃんと学校に行け」そう言った事がある。その時、幸子は俺の言う事を聞かなかった。「ちゃんと進級できます。それに勉強はしてますよ」幸子はそう言って、拗ねるように逃げた。

基本的に幸子はとても素直な娘だから、俺はその時驚いた。
そして何か特別な理由があるのかもしれないな、そう思って幸子の好きにさせようと決めた。

結局、なぜ幸子はそこまで事務所に居たがるのかな。事務所にいる時、時間があれば幸子は勉強をしている。だから勉強が嫌いな訳ではないのだろうに。

何でだろうな。

幸子について考えていると、初めて会った日の事を思い出した。
ふと、初めて会った場所に行きたくなった。

「ちひろさん、営業に行って来ます」

「あ、はーい。気をつけて下さいね」

*********

街を歩く。通りは人で賑わっていた。色んな人の喋り声が聞こえて来る。俺は人々が作り出す、この雑音が苦手だった。どうにも居心地が悪いのだ。
高い建物と大勢の人に、圧迫感を感じる。周りにはたくさんの人がいるのに、酷く孤独に感じてしまう。
俺は一際大きなビルの間にある、路地を歩いて行く。
奥まで行くと、公園があった。
広さは四畳半ほどのとても狭い空間だ。一つだけだが遊具があるので、一応は公園だと認識している。
一体何でこんな場所にあるのだろうか。

周りは高い建物で囲まれてあり、外は見えないし外からは見えない。とても不思議な空間だ。

街の中でここだけが、別の世界のように感じる。

ここで、俺は初めて幸子に出会った。

そして、今日もう一度幸子と出会った。

幸子は公園にある唯一の遊具、ブランコに乗っていた。
俯いているので、表情は伺えない。でも、きっと悲しんでいるのだろう。

「君、可愛いね」

初めて会った日と、同じ事を言ってみる。
幸子は驚いて顔を上げた。少し動揺していたけれど、すぐにいつもの得意げな表情を作り。

「当たり前ですよ、ボクが可愛いだなんて」

あの日の動揺しまくっていた幸子とは違い、得意げに返事をする。
何だかそれが可笑しくて、笑ってしまった。

「何が可笑しいのですか?」

「いや、幸子は可愛いなって」

俺は幸子の前で、よく苦笑してしまう。決して馬鹿にしているわけではない。幸子が可愛らしくて、つい笑ってしまうのだ。
俺が苦笑すると幸子は必ず、にんまりと笑う。それはまるでご褒美を待つ幼い子供が、喜びを抑えきれないで笑っているようだ。
純粋で可愛らしい笑顔だ。
頭を撫でてやると、幸子は猫のように気持ちよさげに目を細める。
俺は幸子を抱きかかえた。

「ふぇっ!?」

「ははっ、可愛いな」

そして俺はブランコに座り、幸子を俺の膝の上に乗せた。

「幸子は軽いなぁ」

「えっ?え、なんですか、なんなんですか!?」

幸子は顔をトマトのように真赤にして、小さく縮こまる。

「なぁ、幸子」

「ふぁい?」

「お前が1番になりたがるのは分かるさ」

幸子は返事をしない。

「俺だってそうだった。でもな、無駄な努力ってのはあるんだ」

幸子はもっと小さくなる。

「でも売れなかった。俺がいた間は。俺は自分が足を引っ張っていると気付いていた。だから、努力したさ。全ての時間を削って努力した。あれ以上努力する事なんて、不可能だろう。それぐらい頑張った」

昔の事を話していると、悔しかったり情けなかったりで辛くなる。

「でも、差は開いていくんだ。天才もな努力をするんだ。どんな事でもトップをとる奴らは、異常な才能と異常な努力をする奴らだ。努力だけじゃ無理なんだ」

「だから、ボクに諦めろって言うのですか?」

幸子は声を震わせながら言った。

「ああ、俺は人を見る目だけは一流なんだ。だからプロデューサーをしている」

幸子は俺の膝の上から抜けて、俺の前に立ち上がる。
幸子は、凄くまっすぐな目で俺を見た。

「嫌です!ボクは諦めません。1番になりたいんです!だから、なるんです!!」

「俺はさ、幸子の事を好きだよ」

「はい!?何をいいだすんですか?」

思わず変な事を口走ってしまった。後から言い訳を考えなくてはいけない。

「俺は幸子の事が好きだよ。だから、幸せになって欲しい。幸子は一生アイドルで食べていける人間じゃない。だから良い学校に行っとけ」

「だから、ボクは1番になるんです!!」

幸子は今にも泣き出しそうな顔で叫ぶ。駄々っ子のように、俺に叫ぶ。

「無理だ」

とうとう、幸子は泣き出してしまった。

「ひっく、・・・なるんですっ」

俺は幸子の腕を引っ張り、俺の膝の上にもう一度座らせた。

「なあ?何で幸子はそんなに執着するんだよ」

「だって、1番っじゃなきゃヤダ!」

「幸子、悪いけど取り敢えず泣き止んでくれよ。収録に行かないと」

**********

「おつかれ、幸子」

「お疲れ様です」

幸子は俺に対して怒っているのだろうか。いつもならば褒めてくれ、というオーラを溢れ出すのに今日はそれがない。

「今日も可愛かったよ」

幸子の頭を撫でる。すると少しばかり表情が柔らかくなった。
その顔をみてほっとする。まだ嫌われてはいないようだ。

「ご褒美をくれますか?」

「あ・・・ああ、いいぞ。どこに行く?」

ご褒美を催促されたのは、始めての事で少し戸惑う。

「プロデューサーさんの手料理が食べたいです」

幸子は恐る恐ると、こちらを上目遣いで見ながら言った。

「え?」

俺の顔が硬直したのを見て、幸子は俯いた。そして、もう一度言う。

「プロデューサーさんの手料理が食べたいです」

「・・・はい」

*********

手料理、なんて素敵な響きだろうか。彼女の作る手料理、この言葉だけで興奮してしまう。
手料理というものに喜ぶのは、男だけだと思っていた。特に根拠があるわけではない、何となくそう思っていた。
でも、女性も男性の作る手料理に憧れがあったりするのかもしれない。居間にいる幸子を見て、そう思う。
だから俺の手料理が食べたいなどと言ったのだろう、多分。
それ以外にわざわざ俺の手料理を、ご褒美として貰う理由が分からない。

俺は普段自炊などしていないが、特に料理に苦手意識があるわけではない。
簡単な料理ならレシピを見ながら作れば、まぁ食えるものが出来上がる。
かといって、決して得意なわけではない。簡単な料理でもたまに失敗することもある。
だから確実に作れて美味しい料理、カレーライスを作る事にした。
野菜を切り炒める、肉を切り炒める、茹でる、ルーを入れる、煮込む、完成。
日本のカレーライスは素晴らしい、不器用な青年でも美味しく作る事ができる。ここまで独自に進化させた人は天才ではないだろうか。

「ほれ、出来たぞ」

「ふふん、ようやく出来ましたか。このボクが食べてあげるんですから光栄に思って下さいね」

いつのまにか、いつもの幸子の調子になっていて俺は思わず吹き出した。

「何ですか?」

「いや、幸子は可愛いな」

「当たり前ですね。では、いただきます」

幸子は良い笑顔でカレーを食べる。俺が幸子と食事をする時、いつも幸子は幸せそうに食べる。
幸子の家を見た限り、普段もっと
美味しいものを食べているだろう。でも幸子は満面の笑みで、美味しいと言ってくれる。
もしかして、俺に気を使っているのだろうかと思った事もある。
でも幸子があまりに美味しそうに食べるから、きっと本当に美味しいと思ってくれているのだろうと思うようになった。

「ご馳走様でした、プロデューサーさん」

「お粗末様です」

「プロデューサーさん、食器はこのボクが特別に洗ってあげましょう」

幸子は食器を二人分、流しに持って行きながら言った。

「いや、いいよ。遅くなるからもう送るよ」

幸子は一瞬、石像のように固まり、また歩き出しながら言う。

「いや、いやいや、洗ってあげますよ」

「いや、いいって」

「洗わせなさい!」

「・・・はい」

一体何なのだろうか。そこまで食器を洗いたいのだろうか。
まあ二人分の食器ぐらいはすぐに終わるからいいか。
俺は幸子を後ろから観察する事にした。
やっぱり幸子って小さいなあ。
あんなに大きな態度をとるのに、ちっこいんだよな。
そのギャップが俺のツボを刺激するのだ。
気が強いのかと思えば、意外と繊細で寂しがりやだし。
幸子の背中をずっと眺めていると、あの小さい尻を揉みしだきたくなってきた。
許してくれるかな。無理だろうな、でもやりたいなあ。
でも駄目だよな。

「プロデューサーさん」

「あっはい!?」

「終わりましたよ。ご褒美として、ボクにデザートをくれても良いんじゃないんですか?」

「・・・・・・」

幸子はいつもの可愛いドヤ顔を俺に向ける。

「おい、幸子。もしかしてデザートの片付けもお前がやる気か?」

幸子は俺から視線を逸らす。

「まあ、してあげない事もないですねぇ?」

「それでまた、ご褒美を貰う気か?」

幸子は俺に背中を向けた。

「それは、その時になってみないと分からないかなぁ?」

「帰るぞ」

「分かりました!じゃあ、ご褒美はこれで最後です!!お願いしますプロデューサーさん!!!」

幸子は物凄い勢いで喋り、そして土下座をした。凄く綺麗な土下座をしている、あの幸子が。

「・・・うぉ」

何故だか俺が気圧されてしまう。
それにしても、物凄く快感だ。あの幸子が俺に向かって土下座をしている。まるで幸子を、完全に支配してしまったかのような気分だ。もう絶頂を迎えそうなぐらいだ。

「・・・ま、まあ。いいよ最後だぞ」

幸子は嬉しそうに顔を上げた。

「ボクを泊めて下さい!!!」

幼い子供のように無邪気な顔して、そう言うのだった。

「え?デザートは?」

「ふふん、ボクを家に泊めれるんですよ。感謝してくださいね」

「駄目だ、流石に無理だ。やっぱりもう帰るぞ」

「そ、そんなぁ!約束が違いますよ」

「うるさい」

俺は幸子の言い分を無視して、玄関へと向かう。幸子を置いて歩て行く。車の鍵をポケットに入れて、靴を履き、車へと行った。
幸子の事だ、こうすれば渋々ついて来るだろう。
そう思ったが、数分立ってもやって来ない。

「あぁ、もう!」

思わず苛立ってしまう。

幸子はいつもワガママで傲慢な態度をとってきたが、ここまで迷惑をかけられたのは初めてだ。
俺が本当に困ってきたのを察すると、遠回しな言い方で謝って逃げるのがいつもだ。
でも今日はしつこくワガママを言っている。

部屋に戻ると、幸子は俺のベッドに潜り込んでいた。

「こら!良い加減にしろ馬鹿!!」

布団を無理やり剥ぐと、幸子と目があった。
幸子は泣いていた。

「えっ?・・・なして泣いてんの?」

最近、幸子には泣かれてばかりだ。可愛い女の子の涙は心に刺さる。軽いトラウマになりそうだ。

「ぐすっ、お願いですから。今日だけだから」

「・・・はい」

それから一時間ほどが過ぎた。幸子はまだベッドの上にいる。
俺もその前で意味もなく、背中を向けて座っている。

「なあ?幸子の親御さんに電話してくれよ。友達の家に泊まるって」

「必要ないです」

俺は振り向いて、幸子の顔を見た。

「何でだよ、心配するぞ?」

「家を出たんです」

思わず頭を抱えてしまう。

「家出かぁ」

「違います。親の承諾はあります」

「えっ、どういう事だ?」

「アイドルを続けるなら家を出てけって、だから出ると言ったんです」

「・・・はぁ」

幸子を家に戻した方が良い。あんなに裕福な家なんだ。それだけで苦労せずに生きていけるだろう、今は良くてもきっと後悔する事になる。

けど、そう言えなかった。
これ以上幸子を傷つけると、本当に嫌われてしまいそうで。
それが恐くて言えなかった。

「今日だけだぞ」

*********

夢を見た。幸子と初めて出会った日の夢だ。
俺は街を歩いていた。
スカウトと言って事務所を出て来たが、すれ違う人の顔も見ていない。

プロデューサーを始めて一年、やはり俺の人を見る目だけは一流でどんどん成果を出していた。
バンドを組んでいた時に比べると、今は適当に生きて適当に仕事をしているというのに。
周りの人間も俺を褒めた。
ようやくマトモになったか、大人になった、成長した、立派になったと。

父は言った。
「ようやくお遊びをやめたか」

金だってある。あの時とは大違いだ、毎日三食取れる。
時間だってある。仕事は忙しいけど、あの時に比べたらマシだ。

でも、何だか足りなかった。

ショーウインドウに反射して見える、スーツ姿の俺を見ると苛立ってしまう。
こんな事を誰かに話せば、青臭いガキだと馬鹿にされるだけだろう。

すれ違う人々に、俺の心が見えて笑われているような気がした。
吐き気がして来て、人から逃げるように歩いていると小さな公園に辿り着いた。
そこでは、少し息が楽になった。
公園の隅に寝そべる。ああ、こんな事をしたらスーツが汚れてしまう。きっと帰り道に笑われながら後悔するのだろう。
でも、気持ちが良かった。

高いビルに囲まれているので、空が四角く見える。
とても小さな空だ。この四角い空を見ているのは、きっと俺だけだろう。
ここはまるで外の世界と切り離されているようだ。
頭の中に響いていた、煩い声も殆ど聞こえて来ない。
それでも自分の声だけは、やかましく騒いでいた。
あの頃の俺が今の俺を笑い、けなして責め立てる。

きぃ

錆びた鉄が擦れる音がした。音のした方を見ると、少女がブランコに乗っている。
全然気付かなかった。
あちらも気付いていないようだ。

少し悲しそうな顔の少女は、恐いぐらいに可愛い。
俺はプロデューサーを始めて、かなり目が肥えてあまり可愛いと思わなくなっていた。
その俺があまりに可愛くて、直視する事も出来ない程その少女は可愛かった。
事務所のアイドルと比べて、特別に顔が整っている訳ではない。
けれど何故かは分からないが、俺はその少女に恐ろしいほど惹かれていた。

いつの間にか頭に響いていた、俺の声も消えていた。

無意識のうちに俺は少女に近付き、声をかける。

「君、可愛いね?」


そして
幸子が俺にそっと
キスをする

あれ?
何でだ?

この夢はおかしい、ああ、夢だからか。俺の欲望が出たのか。

夢なら好き勝手してしまおう。
幸子を思いっきり抱きしめて、舌を入れる。幸子は驚き、逃げようとした。
そんな幸子をベッドに押し倒す。

「プロデューサーさん?」

幸子が怯えながら、俺を呼ぶ。

「えっ?」

「あの、落ち着いてください。ボクが可愛いのも悪いですけど・・・」

意識がしっかりとして来た。
目覚めた頭が確認したものは、アイドルを押し倒しているプロデューサーだった。

「ご、こっ、ごめん!!」

いつから夢が覚めていたのだろうか。いつまで夢を見ていたのだろうか。

「ごめん、寝ぼけてて!」

「・・・大丈夫です」

心臓が馬鹿みたいに暴れている。
深く息を吸ってみても、少しもおとなしくなりはしない。

「本当に、ごめんな」

「いいです。・・・プロデューサーさん、昼にボクの事を好きだって言いましたよね」

このタイミングでその話をするか。

「あれだよ、娘みたいな感じの意味だぞ」

「娘にして年が近いですよ」

「じゃあ、妹って言えば良いのかな?」

「血の繋がってない妹ですか」

なにそれエロい。とっても素敵な響きだね。

「そうそう」

「ボクは好きですよプロデューサーさんの事・・・異性として」

思いっきり不意打ちを喰らった。
いきなりそんな事を言われるだなんて思いもせずに、上手く対応が出来ない。

「ええっ!?」

「ボク好きです」

「あの・・・ありがと」

心臓の鼓動はさらにヒートアップし、ドクドク脈打つ音がやかましく聞こえてくる。

「ふふ、なに照れてるんですか」

幸子は俺の鼻をつまむ。幸子にこんな扱いをされるだなんて思いもしなかった。

「このボクと初めて会った日の事を覚えてますか?」

「あぁ」

先程、夢で見ていたばかりだ。

「あの日ボクは家を飛び出していたんですよ」

「どうして?」

「・・・父はボクの事があまり好きじゃないんです。父は息子が欲しかったみたいなんですけど、娘しか産まれませんでした」

「それだけの理由で?」

「それに」

幸子は悲しそうに笑いながら喋る。

「ボクが駄目な子だから」

「幸子は駄目なんかじゃないよ」

「駄目ですよ、ボクは一番になれないんです」

幸子は俺に同意を求めるような視線を送った。

「たくさん勉強しました、馬鹿みたいにしました。でも、父が望む一番にはなれませんでした。プロデューサーさんと初めて出会った日に、父に言われたんです」

俺は幸子のために、本当の事を言った。幸子はどれだけ頑張ろうとも一番になれないと。でもその言葉は幸子を深く傷つけていたのだろう。だから幸子はあの時に泣き出したのだ。

「お前にはがっかりだ、って。毎日毎日頑張って、ある日のテストでボクは一番になったんです。父に見せると、学校で一番になったからなんだって、お前は何でそんなに駄目なんだって呆れられました」

幸子はとうとう瞳から涙を零した。

「でっ、でも、あの日。プロデューサーさんに出会いました」

涙で頬を濡らしながらも、俺に笑顔を向けてくれた。今にも消えてしまいそうな、綺麗な笑顔だ。

「あの日プロデューサーさんはボクに言いました。君、可愛いねって」

思い出すと、ただのナンパ野郎みたいだ。幸子もそう思ったのかだろうか、軽く吹き出した。
あの時、幸子は酷く戸惑っていた。そんな幸子に俺は言ったんだ。

アイドルにならないか

そうすると余計に幸子は戸惑った。

「私が、アイドルなんて出来ないボクには才能がないから、そう言うとプロデューサーさんは言いました。ボクには才能があるって」

そうだ、確かにそう言った。でもあれは嘘なんだ。いや確かに幸子にはアイドルとしての素質はある。けれどそれ以上に幸子をアイドルにしたかった理由がある。
俺は幸子を離したくなかった。どうにかして近くに置いていたかった。そのために幸子をアイドルにしたかったのだ。
幸子は俺の言葉を疑いもせずに、アイドルになってくれた。

「ボクは大人の男性に褒められたのは、初めてで簡単に騙されましたよ」

「騙してなんかいないさ。いま幸子は人気アイドルじゃないか」

「でもボクを見捨てるんでしょ?」

幸子のストレートな言葉が突き刺さる。そういう風に思っていたのか。

「見捨てるんじゃないよ」

「見捨てないで下さい。ボクはプロデューサーさんが認めてくれたらそれだけで良いんです」

「認めてるよ。幸子は可愛いし素敵な子だよ」

「ボクはプロデューサーさんの一番がいいんです」

幸子は俺に抱きついて来た。思いっきり抱きしめ返したい衝動を抑えて、幸子の肩を優しく掴んだ。

「でもボクを見捨てるんでしょ?」

幸子のストレートな言葉が突き刺さる。そういう風に思っていたのか。

「見捨てるんじゃないよ」

「見捨てないで下さい。ボクはプロデューサーさんが認めてくれたらそれだけで良いんです」

「認めてるよ。幸子は可愛いし素敵な子だよ」

「ボクはプロデューサーさんの一番がいいんです」

幸子は俺に抱きついて来た。思いっきり抱きしめ返したい衝動を抑えて、幸子の肩を優しく掴んだ。

「ボクは最初はお父さんに認めてもらいたくて、アイドルをしていました。本当にボクに才能があって、成功したらお父さんも認めてくれるかなと思ったんです」

幸子の腕の力が増した。

「でも、駄目でした。お父さんには余計呆れられました。それでもアイドルを続けたのはプロデューサーさんが好きだったからです」

「プロデューサーさんが褒めてくれると嬉しくて、その為にアイドルを頑張っていたんです。今はプロデューサーさんの一番になれるなら何でも良いです」

優しく幸子の頭を撫でる。

「俺もな、幸子が好きだよ。幸子といると嫌な事を忘れて幸せになれるんだ」

幸子は目をまん丸くして俺の顔を凝視した。

「ホント?」

「うん」

幸子は、先程とは比べられない量の涙を流し始めた。笑いながら、馬鹿みたいに泣いている。
その姿が愛おしくて、幸子を抱き寄せる。

「プロデューサーさんは幸せ者ですね。こんなボクに好きって言われて」

「ああ、幸せだ」

「プロデューサーさんボクのプロデュースをやめるなんて許しませんから」

「でも、それは」

「プロデューサーさんの一番は全部ボク何です。なるって言ったらなりますから」

幸子の一番への執着の理由が分かり、より一層幸子を愛おしく感じる。

「まあ、いいか」

「ふふん、プロデューサーさんも嬉しいでしょう。このボクのプロデュースを続けれて」

「もしも幸子が、結局一番になれなくて消えていっても・・・」

幸子が俺を睨む。

「馬鹿ですか!!なるって言ってるんですよ」

「俺が責任を取って、養えばいいか」

幸子は俺の言葉を最後まで聞くと、耳まで真っ赤にして呟いた。

「馬鹿じゃないんですか。ボクは一番になります。それにプロデューサーさんのお嫁さんにもなります」

「うん、そうだなぁ。だって幸子はカワイイもんな」

「そ、そうですよ。ボクはカワイイですから」


終わり

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